たまりば

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2017年12月24日

伊豆ヶ岳を歩いてきました。2017年12月。


2017年12月23日(土)、埼玉県の伊豆ヶ岳を歩いてきました。
最初に歩いたのは、調べたところ2003年4月。
その後、もう一度歩いたと記憶しているのですが、調べきれませんでした。
10年くらい前かと思います。

三鷹駅に着くと、中央線は遅延。
三鷹、国分寺、東村山、所沢、飯能と乗り継いで、正丸駅。9:53。
ちょっと遅くなっちゃいました。
駅外にトイレ。
「売店で熊鈴を販売しております」
というポスターを、ほほお?と眺め、支度をして出発。10:10。
駅から出てすぐ右の階段を、道しるべの通りに降りていきました。
その階段が道全体が斜めのためか、驚きの降りにくさでした。
手すりにつかまらないと降りられません。
トリックアートのように平衡感覚を壊す階段です。

そこから、西武線の線路の下をくぐって南側に渡り、舗装された道を登っていきます。
路面は、ところどころ凍結していました
そう言えば、正丸の次の駅の芦ヶ久保から徒歩10分のところで「氷柱」というイベントが毎年行われているのですが、今年はもう凍結が始まっていると先日ニュースで見ました。
秩父盆地、さすがに寒いです。

舗装道路を登りきったところに大きな岩があり、道は二股に別れました。10:25。
右は「正丸峠」、左は「名栗げんきプラザ」という道しるべがありました。
地図を開いて確認。
名栗げんきプラザは、伊豆ヶ岳に繋がる尾根を越えた先にある県立の施設のようです。
しかし、徒歩で山越えをしてその施設に行く人が本当にいるのでしょうか。
道しるべは「伊豆ヶ岳」で良いのでは。
すぐ傍に「山は甘くない」というポスターも掲示されていました。
ハイキング気分の安易な装備で山に入るな、という警告のポスターです。
この道しるべで自分の行く道が判断ができないなら、山なんか入ってはダメということですかね。
読図も山の装備の1つです。うん。

「名栗げんきプラザ」の道しるべに沿って沢沿いの道を歩き始めました。
よく踏まれて、道幅も確保され、歩きやすい道が続きます。
この道は、伊豆ヶ岳に通じる。
地図からも、道の様子からも、それは確かなことなのですが、ときどき立っている道しるべは相変わらず「名栗げんきプラザ」を連呼します。
「伊豆ヶ岳」の名前がないことに、やはり少し不安を感じてしまいました。

滑りそうな急登は木材が埋められ、よく整備されています。
青空を仰ぐような急登を行き、尾根に乗りました。11:15。
右手からは、今歩いてきた道よりももっと道幅のある整備された登山道が合流。
正丸峠からの道でしょう。
伊豆ヶ岳に登るには、正丸峠経由が最もポピュラーなコースなのでしょうか。
道しるべの謎が解けた気がしました。
「名栗げんきプラザ」を示す下りの道しるべとそこで別れ、その先は、「伊豆ヶ岳」の道しるべばかりでした。
道はさらに急になっていきます。
丸太が崩れて歩きにくそうな急坂を避け、まき道を登っていくと、最後の分岐。
男坂と女坂の分岐です。

男坂は、通行止めの警告の看板が出ていました。
鎖場付近の落石が多い様子です。
それでも、自己責任で歩きたい人は歩くのですが、この低山で、警告も出ているのに無理して鎖場を選んで事故でも起こした場合、かなり恥ずかしい。
登山文化として、エキスパートが困難な雪山や岩場に挑戦することは日本の警察も支援してくれますが、この低山の鎖場で事故を起こすのは、ただ恥ずかしい。
登るなら、絶対に事故を起こしてはいけない。
ちょっと考えて、おとなしく女坂を選択しました。

女坂は崩落のため、途中から迂回路になっていました。
ジグザグの急な登りで、ロープが張ってありました。
こんなときは、トレッキングポールがむしろ邪魔になります。
男坂との合流点からすぐに山頂。11:40。

山頂は細長く、お昼を食べる場所が豊富でした。
何人か先客がいましたが、それぞれ互いに干渉しない場所に座り、のんびり昼食をとっていました。
私も、一番南側、もう下山路に近い端の岩場に座って昼食。
昔、ここから伊豆が見えたことから伊豆ヶ岳と命名されたという説があるそうです。
どこから伊豆が見えたんだろう?
伊豆ヶ岳は駅から登って駅に降りられる人気の山。
もっと人がいるかと思ったのですが、この時期はやはり登山客はぐっと減るようです。

さて出発。12:10。
いきなり、急な下りで手間取りました。
土がむきだしの急な下りは、苦手な道の1つです。
しかも、崖っぷちなので、そこそこの高度感。
ぎこちなく、そろそろと降りていきました。
武川岳の石灰石採掘場が樹間から見下せます。
山が半分無くなる勢いで削られているなあ。

登り返すと、古御岳。12:35。
はあ、かなり時間がかかってしまいました。
山頂には、あずまやとベンチがありました。
ここのほうがお昼を食べるのに向いていたかもしれません。
上の画像は、古御岳から少し下って振り返って撮ったものです。

そこから、また急な下りです。
がんがん下っていきます。
少し登り返して、高畑山。13:20。
コースタイムを大幅に越えました。
この山、案外厳しいなあ。
ここでまだ標高695m。
まだまだ下ります。
植林帯の中の道。
太い木、細い木が入り混じり、どれも枝打ちされてまっすぐです。
計画的に伐採され、また植林されている様子です。
少し道は緩やかになって、道幅も広く安定してくると、建設途中らしい鉄塔が見えてきました。
周辺の樹木は伐採され、両側の展望が開けていました。
本日一番の展望を堪能。

さらに歩いて、中ノ沢ノ頭。13:45。
ここからも、登山地図では読み取れない小さなアップダウンが繰り返されます。
この下りの1つ1つが案外厳しい。
それでも、足が慣れてきたせいか、時間はそんなにかからなくなってきました。

天目指峠。14:10。
ここで林道と交差します。
もう半分下山したような気がして気持ちが一旦切れてしまったのですが、それが甘かったです。
ここから、登りの連打が始まりました。
まさか、この時間からこんなに登り返すとは。
いや、地図をちゃんと見れば、それはあらかじめわかっていたことなのですが。
やはり、軽い低山ハイキングの気持ちが私の中に強かったですね。
いけない、いけない。

ピークに至ると、しばらく平坦で、その先、さらなるピークが見えてきます。
その繰り返しで、高度を上げていきます。
ようやく、子の権現の建物が見えてきました。15:00。
「山は甘くない」というポスターも再び。
本当に、山は甘くない。
しかし、これが立っているということは、逆に言えば、ここから先は山ではなく、「甘い遊歩道」だということでしょうか。
ありがたい、ありがたい。

子の権現は足腰にご利益があるそうです。
なるほど、寺の敷地内には、金色の巨大のワラジと紅白の下駄。
奥の院はパスしようと思ったのですが、「スカイツリー展望地」という看板に誘われて、石段を登りました。
地平線付近は霞んで、スカイツリーはよくわかりませんでしたが、高層ビル群は何となくかたまりでぼんやりと見えました。

さて、ここからは舗装道。
まずは駐車場を抜けて、そこから「関東ふれあいの道 吾野駅」という道しるべも確認。
トレッキングポールはもう片付けていいかな。
と思ったら、途中で林道の右側に山道への分岐が。
道しるべもあり、これが吾野駅への道でした。
もう日も傾き、薄暗い樹林帯の九十九折の山道を下っていきました。
日が暮れる前に舗装道路に出たい。
できれば、街灯の整備された街まで、日没前に出たい。
足を速めました。
沢筋まで下りて、ようやく舗装道路。
車が1台通れる道幅の坂道が続きます。

麓に近づくにつれ、路面がところどころ凍結しているようになりました。
盆地の底のほうほど冷気はたまる。
下りの凍結は、ツルンツルンに滑ります。
いつもなら避けて通る道の端の土や枯葉のたまっているところが、天の助けでした。

道しるべの通りに、橋の手前で右折。
細い歩道に入っていきました。
道はそこからいったん舗装がなくなり、線路を左下に見る、金網の張ってある道に入りました。
どんどん行き、再び道路に出て踏切をいったん渡り、さらに地下通路で線路をくぐり直します。
この地下通路が真っ暗でした。
ヘッドランプを出す手間が惜しいので、手で壁をなぞりながら、歩いていきました。
地下通路から出て、階段を上がると、吾野駅。16:35。
駅前には電車待ちの登山客がたむろしていました。
売店があり、軽い食事もできるようです。
私は自動販売機で飲み物を買い、ベンチで支度。
そうしている間に、とっぷりと日が暮れていきました。

16:57発、池袋行き準特急に乗り込みました。
伊豆ヶ岳、歩きごたえがありました。
また来よう。

  


  • Posted by セギ at 15:34

    2017年12月18日

    北高尾山稜を歩きました。2017年12月。


    2017年12月17日(日)、1年ぶりに北高尾山稜を歩いてきました。
    7:48三鷹発の中央特快に乗って、終点高尾駅下車。
    北口改札から直進し、まずは大通りを左折します。8:25。
    歩いていくのは、小仏行きのバスと同じコースです。
    高架下をくぐり、最初の交差点を右折。
    目印の赤い看板のコンビニ・ポプラがなくなってしまったので、ここだったかなあと少し不安になりましたが、少し歩いていくとバス停が見えてきて安心しました。
    駒木野の病院の前を通り過ぎ、メゾン・ド・プラムが左側に見えてきたところで右折。
    線路にかかる橋を渡って、道はそのまま農道に入ります。
    神社の前を道なりに左へ。
    その先、道は二股に別れます。
    踏み跡は同じくらい明瞭です。
    左の暗い道へ。
    道はいったんぐっと高速道路の足元に迫り、そこから急カーブ。
    さらにもう一度カーブを描いて、高速道路の下をくぐると、登山口です。
    「八王子城址」という道しるべがついている細い尾根が登山口です。
    この登山口が本日のコースで一番険しく、岩がちです。
    登りきるといったん平らになりますが、そこから先も崖っぷちの細い道がしばらく続きます。
    落ち葉が多く滑りそうで、こわごわ歩き、ようやく地蔵のあるピーク。9:20。
    ここからは、道は少し良くなってきますが、小ピークが続き、登ったり降りたりの繰り返しです。
    広葉樹の葉が落ち、左側の高尾主脈がよく見えます。
    ときどき、富士山の白い頭も見えていました。
    富士見台。10:30。
    富士山は左手に雲をまとっていました。
    八王子城址からの道とここで合流し、道はさらに良くなります。
    いったん大きく下り、そこから登り返し。
    急登と平らな道が繰り返され、徐々に高度を上げていきます。
    日差しのよく照るところでは、稀に紅葉が残っていますが、大半はもう冬枯れの道。
    登山道に降り積もる落ち葉をサクサクと踏みしめて歩いていきます。
    いつ来ても人の少ない登山道です。
    自分のペースで、歩き応えのある道を沢山歩けるコースです。

    右手、北側の足元に林道が見えてきて、いったん合流。11:15。
    すぐにまた林道と別れ、尾根を登っていきます。
    ピークを1つ越えて、その先が黒ドッケのピーク。12:00。
    夕焼小焼に降りていける分岐です。
    道しるべの通りに左側の下り道を選んで降りていきました。
    そこからはまた急な登りと平らな道の繰り返しです。
    岩がちな道を登りながら、この先、岩がちな下りがあるんだろうな、嫌だなあと思いますが、岩がちな上部は平らな陽だまりでした。
    道幅も広くなり、落ち葉が積もって、昼寝をしたいような気持良い場所です。
    高度が上がり、冬枯れの樹木の枝越しに、奥多摩の山々が見えてきました。
    大岳山はいつ見ても肩が張っているなあ。
    登って下りて、また登って。
    左下に、木下沢林道が見えてきました。
    林道の終点、関場峠です。12:50。

    堂所山へは、ここからさらに急登が続きます。
    広葉樹の落ち葉の積もる急登を越えると、薄暗い植林帯の急登へ。
    そこも抜けると、クマザサと枯れ草の坂道が始まりました。
    その坂道のてっぺんに、切り株が二つ。
    眺望が良いので、そこで昼食をとりました。13:20。
    登ってきた枯草の登山道の向こうに、大きく陣馬山。
    そのさらに向こうに小さく生藤山。
    おにぎりは冷たく固くなっていました。
    今日は、最高気温も10℃に至らず、この冬一番の冷え込みです。
    急登で汗をかきましたが、止まるとしんしんと冷えてきました。
    熱いコーヒーが有難い。

    さて、出発。13:50。
    すぐに堂所山山頂。13:55。
    山頂標識が新しくなっていました。
    壊れかけでグラグラだったベンチもしっかりした新しいものに。
    上の画像がそれです。

    さて、山頂から直進してすぐの分岐を「小仏峠・景信山」の道しるべの通りに左折。
    急な段差の下りを降りていくと、奥高尾の主脈と合流です。
    通り過ぎていくパーティーが見えました。
    さすが奥高尾主脈。
    こんな時間でも、人にすぐ遭遇します。

    お昼にちょっとのんびりしすぎました。
    さあ、ここから巻いていこう。
    景信山までアップダウンが繰り返されますが、木段が整備されている箇所が増えていました。
    ちょっと歩きにくかった急な下りは整地されて、楽に歩ける道に。
    奥高尾の整備は続々と進行中です。
    景信山を巻いて、まき道と山頂からの下り道との合流点。14:45。

    S字のカーブなどをどんどん下って、小仏峠。
    ここは、いつ来ても暗い。
    単純に陽が差さないことに加え、廃屋があるせいでしょうか。
    そこから、道は二つに別れます。
    右は階段の道。
    相模湖を見下ろせるベンチのところに登っていきます。
    今日は左の坂道へ。
    この道も途中で二つに別れて、右を行けば先程の階段道と合流するのですが、今日はさらに左のまき道へ。
    急なところが少なく、ベンチから少し先にいった尾根道に合流します。
    とっとこ歩いていくと、さらに分岐が見えてきました。
    右の木段の道は小仏城山への急登の道。
    城山に行きたい場合は絶対に右ですが、本日は左へ。
    ゆるい登り坂を行くと、日影沢林道のてっぺんと合流しました。15:20。
    林道を横切って、さらにまき道を行きます。
    山腹をいくまき道からは、歩いてきた北高尾山稜とその奥に都心の街並が見えました。
    まき道コースの中では一番見張らしの良いところです。

    やがて尾根道に合流。
    さらにとっとこ歩き、一丁平の展望台だけはちょっと寄り道しました。
    富士山はもう隠れていましたが、夕方の空の下、ススキの揺れる向こう丹沢が青く見えました。

    さて、急ごう。
    紅葉台は勿論まきました。
    高尾山頂もまいて、1号路をさっさか下り、薬王院を通過。
    まだ夜間通路ではなく、薬王院の中を通れました。
    観光客もまだちらほらいて、開いている売店もありました。
    さらに下り、男坂の石段をとんとん降りて、ケーブル駅。
    スイカで切符を買うと、もう改札は始まっていました。
    16:30出発。
    16:36、下山。
    夕暮れが迫り、参道の売店はもう店じまいが始まっている中、駅へと歩いていきました。



      


  • Posted by セギ at 13:44Comments(0)

    2017年12月11日

    奥多摩の御岳山から日の出山を歩きました。2017年12月。



    2017年12月10日(日)、奥多摩の御岳山に行ってきました。
    前回は、2015年1月に歩いていますから、約3年ぶりです。
    三鷹から、立川、青梅と乗り継いで、古里駅9:30。
    ホリデー快速が止まらない駅は、奥多摩駅に行くよりもむしろ時間がかかります。
    軍畑駅までで大半が下車し、電車内は人もまばらでした。
    古里駅の改札を抜けてすぐ左側がトイレ。
    降りる人が少ないので、トイレの行列もないのが幸いです。
    支度をして、出発。9:35。
    まずは大通りに出て、コンビニ前の信号を渡ります。
    そのまま、万世橋を渡ります。
    この橋は、歩道部分が車道部分より一段高く、その間にガードレールなどはないので、何だかちょっと高度感があって怖い橋です。
    登山道の崖っぷちの道よりはずっと幅があるのですが、何か怖いんですよね。
    意識してしっかり歩き、無事に通過。

    そのまま直進し、丹三郎屋敷門を通過し、まだかなあと思う頃、小さい道しるべが見えてきます。
    その道しるべにしたがって、舗装された坂道を上がっていくと、登山口。
    害獣除けのフェンスを手で開き、またきちんと閉じて、さてここから登山道です。9:45。

    登山道には霜が下り、地面が固く滑りやすくなっていました。
    え。麓でこんなふう?
    金曜日の夜に降った冷たい雨は、奥多摩では雪だったのですね。
    しかし、樹林帯に入ると、むしろ霜はなく、いつもの歩きやすい登山道で助かりました。
    道幅も広く、傾斜も緩く、快適です。
    御岳山に登る道は、ケーブルカーの道以外も今も生きていて、よく整備されています。
    でも、3年前の冬は、途中で迂回路になっていて、そこだけ歩きにくかったような?
    と思い出しながら歩いていくと、舗装された林道が見えてきました。
    そうか、あのときは、この工事が行われていたんだ。
    今は、林道を渡ってまたすぐに登山道に戻ります。
    昔からの登山道を舗装された林道が突っ切っていった形です。
    3年歩かないと、山は変わりますね。

    登山道に戻ってしばらく行くと、飯盛杉。
    丸太が何本も置かれてある休憩適地です。
    この木は2代目。樹齢百数十年。
    先代は樹齢数百年だったそうですが、落雷により焼失。
    その後植樹されたと、説明の板がありました。
    丹三郎のシンボルだそうです。
    里からかなり離れた距離なのに、里の人たちはこの木を知っていて、大切に思っていた。
    ここが御岳山の参道だからでしょうか。
    いや、大切なこの木の前をわざわざ通るように参道を作ったのでしょうか。
    奥多摩の歴史に思いをはせながら、しばし休憩。

    少し行くと、枝尾根に乗りました。
    樹間から、山々が見えます。
    眼下に見える町は、奥多摩町かな。
    だとすると、その向こうに見える山は、六ツ石山?
    この方向から眺めたことが少ないので、山座同定が難しいです。

    道はジグザグの急登が始まりました。
    3年前は凍結していてかなり厄介だったことを思い出します。
    今回は、道の端に少し霜が降りている程度でした。
    枯葉がすべり止めにもなっていて楽に通過できました。
    登りきると、平坦で心地よい道がしばらく続き、やがてケーブル山頂駅への分岐到達。
    ケーブル山頂駅への道は雪で真っ白になっていました。
    雪が残るかどうかは日当たり次第でしょうか。
    それとも、吹きっさらしの道と比べて、森の中の道は案外暖かいのかもしれません。
    「御岳山」という道しるべの通りに、真ん中の木段の急登の道を行きます。
    木段は壊れて崩れてきている箇所もありましたが、道は乾いて快適でした。

    木段を登っていくと、まずは休憩舎が見えてきます。
    その先が、大塚山。11:25。
    ここまではずっと静かな山道で、若い男性に道を譲ったことが2回あっただけでしたが、大塚山のベンチは、忘年山行らしい人たちがワイワイと煮炊きしていました。

    そこからは歩きやすい林の道が続きます。
    日差しも明るく、快適です。
    御岳神社が近づいてきます。
    おや?
    トレイルランナーが大勢。
    今日は、大会が開かれているのですね。
    御岳神社の石段の始まるところで、ランナーたちが、参加賞なのでしょう、Tシャツと飲み物を受け取っていました。
    参道沿いの宿坊には、ゼッケンごとの分類が表示されています。
    その宿坊で入浴できるようです。
    昼頃にゴールということだと、距離も短いでしょうから、初心者向けの大会なのでしょうか。

    石段を、中央の手すりで分けて、片側はランナー専用レーン。
    それは仕方ないですが、既にゴールした人たちがもう一方のレーンにたまり、仲間の応援や見物をしていました。
    これでは、観光客や登山客が通れない。
    トレイルランニングを最初に始めた創始者たちは、この光景をどう見るだろう。
    新参のスポーツということで、登山者との摩擦が起こらないように、とにかく気を遣っていた人たちでした。
    しかし、これだけ競技人口が増えてしまうと、そうした創始者たちの苦労や願いを知らない人も多いのかもしれません。
    自分たちこそが優先されるべきだと思っているような態度のランナーを高尾あたりで見ることがありますが、そういう人は、トレ・ランの初心者なのでしょう。
    奥多摩などの険しい道を独りでトレーニングしているランナーは、今も本当に礼儀正しいです。
    集団というものは、そこに所属しない者にとっては基本的にかさばって邪魔なもの。
    そこへの配慮がほしい。

    振り返るに、外秩父七峰縦走大会も、静かなあの山域を普段歩いている人にとっては、狂暴な光景なのかなあ。

    ともかくも、人ごみをぬって石段を登っていくと、御岳神社。12:05。
    朝から歩いてきた登山道よりも、ケーブル駅からの舗装された坂道と石段が一番険しいと感じます。
    考えてみれば、バス停からケーブルの麓の滝本駅までの坂道も急ですし。
    結局、観光客が一番足腰が強いのではないか?
    そんなことをぼやきながら、さて、道しるべを確認して日の出山へ。
    ところが、2つ目の分岐の道しるべを見逃してしまいました。
    ( ;∀;)
    ケーブル駅のほうに戻ってきてしまい、おかしいなと感じて坂を登り返し、正しい分岐から今度こそ日の出山への登山道へ。

    日の出山の登山道は道幅の広い緩やかな道が続きます。
    おや、朽ちかけていた鳥居が新しいものに変わっています。
    さらに行くと、道はやがて岩がちになってきて、その先、木段の急登が始まりました。
    ゆっくりゆっくり登っていくと、日の出山。13:00。
    ここは登山客で満員。
    でも、ケーブルに乗ってそこから歩いて来た人たちは、どんなにゆっくりお昼ご飯を食べてもそろそろ出発の時刻です。
    写真を撮りながら待っていると、予想通りベンチはすぐに1つ空きました。
    武蔵五日市の街。
    その先の武蔵野台地の街並み。
    晴れ晴れとした眺望の山でした。

    出発。13:30。
    今日は、つるつる温泉に下ります。
    ひので三ツ沢つるつる温泉 生涯青春の湯。
    名前だけで大変インパクトのある温泉です。
    山頂から道しるべに従い、まずは急な段差を下りました。
    整備されたばかりのようで、木段の木材が新しい。
    その先、細かい分岐が繰り返されます。
    その都度、「つるつる温泉」の道しるべをよく探して、その通りに降りていきました。
    道幅が本当に広く、段差の狭い木段で丹念に整備されていて、歩きやすい道が続きました。
    だんだん道は細くなります。
    傾斜の緩い道をのんびり下っていくと、沢が見えてきて、林道出合。14:20。

    舗装された林道をとぼとぼ歩いていくと、国道に出ました。
    道しるべ通りに左折。
    坂道を登っていくと、つるつる温泉。14:50。

    自動ドアで中に入り、さて、ここの温泉のシステムはどういうのだっけときょろきょろしていると、すぐにハッピを着た男性が近づいてきました。
    「靴箱に靴をしまい、鍵を受付にお渡しください。お客さまのザックは脱衣所のロッカーには入りませんので、あちらの荷物置き場に置いてください。貴重品はお持ちください。お風呂場は2階です」
    欲しい情報を全て、立て板に水で教えてくれました。
    (*^^)v

    本日、女湯は「美人の湯」。
    洗い場は10個ほど。
    広い内風呂が1つと、外に露天。
    とろっとした泉質です。

    さて、2階は、ソファの並んだ休憩所があり、ビールの自販機もありました。
    500mL、400円。
    他に食堂も個室もあるようです。

    建物の前がバス停。
    15:53出発。
    受付でもらったバス時刻表では「機関車バス」となっていましたが、やってきたのは普通の西東京バスでした。
    機関車バス、もう走っていないのかなあ。
    最初にこの温泉に来たときは、青い機関車バスで帰りました。
    あの頃は、奥多摩名物ロンヤス饅頭もまだ売られていました。
    昔むかしのお話です。



      


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    2017年12月06日

    受動態と日本語のリーディングスキルテスト。

    新聞やネットでご覧になった方も多いかと思いますが、先日結果の一部が発表された、中高生を対象に行われたリーディングスキルテストは、興味深いものでした。
    国立情報学研究所の研究チームが、2016年4月から2017年7月にかけて、全国の中高生約2万4000人を対象に行ったテストです。
    実際の教科書に載っている文章を生徒が正しく読解できるのかどうかを試すテストでした。

    例えば、こんな問題。

    仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。

    この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

    オセアニアに広がっているのは( )である。
    ①ヒンドゥー教
    ②キリスト教
    ③イスラム教
    ④仏教

    正解②
    正答率 中学生62% 高校生72%

    ほお。結構読解できているじゃないですか。
    ところが、次の問題になるとガクンと正答率が下がっています。

    問題
    メジャーリーグの選手のうち28%はアメリカ合衆国以外の出身の選手であるが、その出身国を見ると、ドミニカ共和国が最も多くおよそ35%である。

    この問題文を読んで、メジャー選手の出身国内訳の正しい円グラフを4つの中から選ぶ問題でした。
    ドミニカ共和国が約9.8%のグラフが正解です。
    正答率 中学生12% 高校生28%

    これは、しかし、読解というより数学力かもしれません。
    「割合」が苦手な中学生は本当に多いですから。
    0.28×0.35=0.098 
    の式をすぐに立て、計算して正答を導く子は少ないと思います。
    割合×割合 という式は、私立中学を受験する小学生でも立てられない子は多いです。
    これは大きな課題です。

    でも、今回、私が驚いたのは、この問題ではありませんでした。
    次の問題を読んでください。

    問題 Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。

    Alexandraの愛称は( )である。
    ①Alex
    ②Alexander
    ③男性
    ④女性

    正答①
    正答率 中学生38% 高校生65%

    あるいは、こんな問題も。

    問題 
    幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。

    上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。異なるか。
    1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。

    正答 異なる。
    正答率 中学生57% 高校生71%

    公開されている問題がまだ限られているので、正確な分析のはずもありませんが、これだけで判断すると、中学生はどうも「受け身」で語られることに弱いのでしょうか。

    どちらがどちらと「呼ばれる」のか、わからない。
    どちらがどちらに「命じられた」のか、わからない。
    受動と能動の区別がつかない。
    もしかしたら、そういう子が多いのではないか?

    英語の「受動態」は中学2年の最後、あるいは中3の最初で学ぶ単元です。
    解説すると、どの子も、大体は理解したような顔をします。
    しかし、その定着はかなり差がつく単元でもあります。

    問題 次の文を受動態に直しなさい。
    Mr.Nakata wrote this letter.

    「中田さんはこの手紙を書いた」という文です。
    受動態は、
    This letter was written by Mr.Nakata.
    「この手紙は、中田さんによって書かれた」となります。

    しかし、これを、
    Mr.Nakata was written by this letter.
    と書いてしまう子は、一定の割合で存在します。
    「いやいや。意味を変えないで書き直そう。その英語だと、中田さんはこの手紙によって書かれたという意味になって、気味わるいでしょう?」
    と説明しても、そういう子は、ポカンとしています。
    「・・・え?どういうことですか?」
    「だから、目的語と主語を入れ替えないと、同じ意味にならないでしょう?」
    「・・・え?この単語とこの単語を入れ替えればいいんですか?」
    「・・・・」
    入れ替えればいいという言い方は、単に操作上の確認をしているだけのように聞こえるのです。
    自分の誤答の何が問題なのか、本質がわかっているのかなあと不安になることがあります。

    問題の指示が不親切なのだという意見もあるかもしれません。
    「次の文を、文意を変えずに受動態に直しなさい」
    とすべきである、と。
    でも、わかる子は、わかるのです。
    出来上がった文が意味をなさない奇妙なものになるのを避けたい子は、正解します。
    なぜ、それを考えず、ただ機械的に受動態にする子がいるのだろう。
    英語の学習をしていて、文の意味というものを考えているのだろうか?
    言われた通りに単語を並べているだけなのか?
    そういう疑問を感じてしまいます。

    しかし、今回、リーディングスキルテストの問題の一部を見て、ああ、能動と受動の意味の違いを把握できない子が相当数いるのだと気づいて、目から鱗が落ちました。
    じゃあ、奇妙な受動態を機械的に作っても仕方ないかもしれません。
    意味が変わっていることに本人は気づかないのですから。
    能動も受動も、その子にとっては同じ意味で、おそらく、能動の意味しか把握できないのだと思うのです。

    母国語で区別がついていないものを、英語で理解できるわけがない。
    だから困難が生じる。
    そういうことなのかもしれせん。

    ただ、それならばなおさら、英語で受動態をしっかり学習することで、日本語にも受動の文があることを理解できる可能性はあるのだとも思うのです。
    日本語の文法を学習する意味も理解できるかもしれません。

    国語で文法を学習していて「そんなの知らなくても日本語は話せるし」と言う中学生は多いです。
    そういう子の多くは、日本語の文の主語・述語すら指摘できません。
    そのことは、英作文の能力に影響しています。
    「クラスの多くの男の子たちがやっているスポーツは野球です」
    という日本語を英文に直すとき、
    Class から書きだそうとし、その後が全く続かず万事休すという子に、私は問いかけます。
    「日本語で考えてみよう。この文の主語は?」
    「え?あ?男の子ですか?」
    「違います。主語は『スポーツは』だよ」
    「ええっ」

    日本語で主語が把握できると、英作文は易しいのです。
    上の文の書き出しは、The sport です。
    逆に、国語の文法がわかっていないと、構造の複雑な英文は上手く作れないんです。


    日本語の主語の見つけ方。
    まず、日本語の述語は、倒置法などの例外を除いて文末にあります。
    だから、述語はすぐに見つかります。
    そこから主語を判断します。
    日本語の文型は、主に、
    「何がどうする」(述語に動詞を使った文)
    「何がどんなだ」(形容詞・形容動詞を使った文)
    「何が何だ」(名詞・代名詞を使った文)
    の3通り。
    その文型から判断すれば、「何が」にあたる主語は見つかります。
    主語を見つけたら、英文は、その主語から始まります。
    あとは冠詞や前置修飾の修飾語の存在を判断して書きだしていくだけです。

    日本語の文法の知識が、英語の文法の理解を助ける。
    そして、英語の文法の理解が進むと、日本語の文法がわかってくる。
    その相乗効果はあると思うのです。

    ただ、上のようなことを、
    「理屈が通っていてわかりやすい。スカッとする。やっと英語がわかった」
    と感じてくれて、英語がグングンできるようになる子も多い一方、上のような話をしている限り、その先一歩も英語ができるようにならない子もいます。
    文法に対して信じられないほどの拒否反応のある子たちは、上のような話が大嫌いで、頭に残らないようなのです。
    文法なんかわからなくても、英語ができるようになる方法はきっとあるはず。
    そう考え、彷徨い始めます。

    上のような「ゴリゴリ、ガチガチの文法」を、文法なんか教えていない顔で教える方法を考えるべきなのか。
    理屈の嫌いな子に向けて。
    文法からアプローチできれば、英語は簡単なんだけどなあ。
    (*^^)v

      


  • Posted by セギ at 13:49Comments(0)英語

    2017年12月04日

    高川山を歩きました。2017年12月。


    2017年12月3日(日)、山梨県大月市の高川山を歩いてきました。
    2年ぶりです。
    7:48三鷹発中央特快高尾行きに乗車。
    高尾で向かい側ホームに待つ、中央線にすぐに乗り換えて、大月駅到着。8:56。
    駅前で支度。
    ふと見ると、「お待たせしました。12月8日より岩殿山登れます」といった掲示が。
    台風で登山道が崩れ、この夏から通行禁止になっていた岩殿山、解禁のようです。

    支度をして出発。
    駅前ロータリーからまずは甲州街道に出て、右折。
    そのまま、「え、こんなに歩くの?」というくらい甲州街道を直進します。
    大月橋を渡ります。
    徒歩で歩くには長い橋ですが、歩道が車道と区分けされていますので、あまりストレスはありません。
    橋を渡り切ってすぐに左折。
    病院を右手にみながら坂道を登っていきます。
    左手足元に富士急の線路が見えます。
    ここも橋なのですね。
    坂を登り切って、少し下り気味になり、突当りの手前に道しるべがありました。
    大月市内の山でよく見る、白く小さめの道しるべです。
    あとは道しるべの通りに坂道を上がっていくと、突当りに民家。
    その民家のまさに庭先から登山道が始まります。
    ここ、民家じゃないの?と足を止めると、登山道が見えてきません。
    民家の庭先、芝生まで入って初めて登山道が見えてきます。

    実は、ネットで、「大月から高川山への登山道は廃道になった」「駅から登山口まで道しるべはない」といった記述を事前に読んでいました。
    たった2年で廃道までいくかな?
    不可解に感じ、ダメだったら田野倉駅から登ろうと確かめに来ました。

    結論から言えば、大月から高川山への登山道は、今も明瞭です。
    廃道になったと誤解した人は、民家の手前の藪を閉ざされた登山道と判断したのかもしれませんね。
    あと一歩踏み込めば見えた道。
    朝から何やら考えさせられます。

    さて、「この付近で熊が目撃されています」という掲示も最初に歩いた5年前と同じ。
    熊鈴をリンリン鳴らしながらまずは細い登山道を登っていきました。9:25。
    すぐに、むすび山に到着。9:30。
    背中に飲料の宣伝が書いてあるベンチが1つおいてあります。
    しかし、以前よりも樹木が育ち、富士山の眺望はそれほどでもありませんでした。
    樹木越しに富士山の大きな頭は見えています。

    そこからは、右手に大月市街、左手に禾生駅付近の市街を見下ろす尾根道を行きます。
    アップダウンが続く道です。
    カエデの木も大半は葉が落ち、茶色の枯葉にカエデの赤が大量に混ざって、登山道は花が散っているように明るい。
    日差しも暖かく、気持ち良い尾根道でした。

    5年前、そして2年前にここを歩いたときは、向こうからやってくるのは単独行か2人連れの若い男性ばかりで、それも1日に2組程度でした。
    それが今年は、続けざまに3組とすれ違いました。
    しかも、男女ペアです。
    この道を下るのは技術的に難しいところがあるはずなのですが。
    それとも、あの急斜面は整備されて木段にでもなったのだろうか?
    だったらいいなあ。

    山道はいったん大きく下り、そこから登り返します。
    歩き始めて2時間ほど、ついに問題の急斜面が現れました。
    ああ。
    特に整備はされていません。
    のぺっとした広い急坂のままでした。
    しかし、そこを下ってくる若いお母さんと幼稚園生くらいと思われる男の子が。
    口を開けてみていると、お母さんは、急斜面をジグザグに切って颯爽と降りてきます。
    歩ける人だ。
    上手いなあ。
    男の子も、お母さんから少し遅れて、達者に降りてきました。
    「大変な坂ですね、これは」
    私が声をかけると、男の子が答えました。
    「大変な坂ですよ」
    「凄いですね。よく降りてこられましたね」
    「大変でしたよ」
    「ご苦労様でした」
    お母さんはただ笑っていました。
    さて、私の番。
    腰痛予防にストックを使っていましたが、ここでそんなものを使うと、のけぞって後ろ向きに落ちそうです。
    まずはストックを片付けて。
    基本は両手をついて、木の根などの少しの凹凸に頼って登っていきました。
    ロープは張ってありますが、劣化が進んでいる様子で、あまり頼り切らないほうが良さそうです。
    急坂の距離はそんなに長くなく、登り切ると道はジクザグ道になり、歩きやすくなりました。

    田野倉駅からの登山道との合流点。11:15。
    ここもロープの張ってある箇所もありますが、下る人のためのものでしょう。
    登るのには不安を感じない道でした。
    やがて道は岩がちになり、傾斜は先程の急坂よりも急なくらいですが、岩があると段差は岩を使って上り下りできますので、技術的にはむしろ楽です。
    山頂方向から次つぎと人が下りてきます。
    今日の高川山は賑わっているなあ。
    この快晴。
    富士山のよく見える山を歩きたくなりますよね。

    岩がちの登りが終わり、道が緩くなるとやがて山頂。12:20。
    山頂は子どもの集団でけたたましいことになっていました。
    子どもは20人ほどでしょうか。
    一人一人、大量のお菓子を詰めたジップロックの大きな袋を引きずるようにし、お菓子を頬張りながら岩場をぴょんぴょん歩いています。
    目についたリーダーは若い男女。
    それぞれ、カタカナの愛称を書いた名札をつけていました。
    サポートの保護者も何人かいるようです。
    これは何の集団だろう。
    リーダーの女性が口笛を吹き始めました。
    子どもたちが聞いている様子はないのに、ずっと吹いています。
    高音が耳に障ります。
    子どもの歓声は仕方ないが、口笛はちょっと余計かなあ。

    この違和感は何でしょう。
    善意でやっているらしいことに何かハレーションが起きている感じです。
    口笛のせいかな。
    カタカナの妙な愛称の名札のせいかな。
    子どもたちに自分を妙な愛称で呼ばせ、山に連れてくる行為は、エコロジーやスローフードといったものと親和性が高い気がするのです。
    それと大きなジップロックの大量のお菓子とがつながらず、違和感があるのかもしれません。
    子どもを山に連れてくるには、お菓子で釣るのが一番簡単だからなあと穿った見方をしてしまいます。

    ともかく、山頂から少しくだった岩場の隅に腰かけて、昼食。
    木の枝は少し邪魔ですが、そこからも富士山はよく見えました。
    すると、男の子のうちの1人がやって来て、私の座っている崖っぷちの岩から下へと降り始めました。
    おいおい。
    それを見つけた女の子3人が、お菓子の袋を引きずりながらやって来て、私と同じ岩に座り、男の子に話しかけます。
    「そこ落ちたら、人生の近道だよ」
    ゲラゲラ笑っています。
    子どもは、他人のパーソナルスペースは、あまり意識しないですね。
    移動したいのですが、お弁当を開いたばかり。
    移動したくても、山頂はどこも空いていないですし。
    女の子たちの騒ぎに、さすがに異変に気づいて、若い男のリーダーがやって来ました。
    口で言っても男の子は崖を降りていくのをやめないので、自分も崖を降りていきました。
    ようやく二人で戻ってくると、私の隣りに座り、リーダーはスマホをいじり始めました。
    イヤホンで聴いていた私のラジオに、スマホのせいで雑音が。
    (T^T)

    子どもの頃に親しんだ自然でなければ、人は本気で守る気にはならない。
    その後、山好きにはならなくても。
    むしろ山歩きは嫌いでも。
    だから、子どもを山に連れてくることには意味がある。
    そう思って、多少の違和感は帳消しとしよう。
    統率のとれていない子どもの集団を、怪我なく山に連れていき、無事に連れて帰るだけで大変なことなのですから。

    さて、下山。12:45。
    下りは一番整備されていて距離も短い、初狩駅への道を行きます。
    山頂から離れるとすぐに山の静寂が戻ってきました。
    無理せず、自分から離れれば良かったのです。
    せっかく富士山がきれいだったから、もう少し見ていたいなと思ったのが間違いだったかもしれません。

    初狩駅への道は、男坂、女坂、沢コースと別れます。
    女坂を選択。
    崖っぷちの細い道もあり、用心して降りていきました。
    植林帯に入ると道も広くなり、緩くなって、ほどなく登山口。13:40。
    そこからは舗装された道を道しるべ通りにいきます。
    道しるべのないときは、直進。
    高架下をくぐって、初狩駅。14:00。
    14:09、高尾行きの電車がやってきました。
    時間は早いのですが、登り下りともに急だったので、歩きごたえを感じた1日でした。


      


  • Posted by セギ at 14:47Comments(0)