たまりば

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2012年06月29日

音楽の先生は香水くさいか?


公立中学の期末テストはほぼ終わり、結果が返ってくるのが楽しみです。
その次には、1学期の成績も出ますね。

中学生は、5教科の勉強はそれなりに頑張っている子でも、音楽あたりであっさりと「2」を取ってくることがあるので、こちらはびっくりするのですが、本人は、そのことの意味をあまりわかっていない場合があります。

音楽で「2」は、単なる音痴とか、リズム感がないとか、そういうことではつかない成績です。
たとえば、私は、音痴か音痴でないかと言えば、音痴に近いと思うし、リズム感も、普通のエイトビートなら良いのですが、リズムチェンジされるとついていけない。
ゆずの『夏色』が好きなのですが、あのサビのリズム、「ブレーキいっぱいにぎりしめて」のあたりのリズムがよくわからないので、歌えません。
(@_@;)
悔しいので、夏の5時半に夕焼けなんか見えないよと、けなしたり。

しかし、そんな私でも、音楽は不動の「4」でした。
一生懸命やれば、「4」がもらえる科目。
それが、音楽。

音楽で「2」をとった中学生と、自習の面倒を見ながら、話をしたことがありました。

「何で2なのか、学校の先生から説明はあったの?」
「・・・・授業態度が悪いと言われた」
「授業態度の何が悪かったの?」
「隣りの奴が話しかけてくるから」
「話しかけられても、授業中なら、応えないほうがいいよね」
「無視しても、話しかけてくるから」

こういう会話、個別面談ですと、堂々巡りになりがちですが、他の生徒が横で聞いていたので、第三者の視点を得られて、面白い展開になりました。

「おまえのほうから話してるだろ」
「違うだろ。ふざけんなよ!」
からかわれて、言い返す顔が、しかし、もう笑っている。
言い合える相手をみつけて、もう、おふざけモードに入っています。
簡単にスイッチが入るなあ。
塾での授業態度から考えても、話しかけているのは、彼のほうからのことも多いだろうなあ。

第三者は、さらに有力情報を提供してくれました。

「センセイ、こいつアホだよ。歌のテスト、ずっと笑ってて、ふざけて、結局、歌わなかったんだよ」
「・・・・・・何ですと?」
「あれは、〇〇が、変な顔して笑わしたからだろ」
「・・・・・・・」

ですよねえ。
やっぱり、それくらいやらかしていないと、「2」はとりませんよね。

生徒がもらってくる成績は、このように1つ1つ確認してみますと、そうだろうなあ、と納得のいく数字です。


ところで、昔も今も、音楽の先生は、なぜか「化粧が濃い」と言われやすい。
(*^_^*)
音楽の先生にも、もちろんいろいろなタイプの方がいらっしゃるのですが、音大出身のお嬢様タイプの先生は、生徒からそのように言われがちなようです。
しかし、現実には、その先生は、同世代の女性が公の場に出る場合にするような、きちんとしたメイクをしているだけであって、それほど化粧が濃いわけではないかもしれません。
中学生の日常生活の中で、そのようにきちんとしたメイクをしている大人の女性を見る機会は少ない。
そこから「化粧が濃い」発言が生まれるのかもしれません。

同様に、音楽の先生は「香水くさい」と言われることがあります。
しかし、実際には、香水を使っていないかもしれない。
化粧品の中には、香料のきついものもある。
それが匂っているだけかもしれません。
考えられる可能性は、他にもいろいろあります。

中学生の視点でものを考えてみることは大切です。
でも、それと、中学生の視野でものごとを判断してしまうことは、違うと思います。
子どもの視野は、狭い。
見間違えていることもあるかもしれません。
特に成績に関しては、生徒が反省できるように、改善できるように、向きあっていきたい。

生徒の言うことに、

そうかもしれない。
でも、そうではないのかもしれない。

と、常に保留を繰り返しながら、本当のことを見つけていきたいと感じます。

  


  • Posted by セギ at 17:20Comments(0)講師日記

    2012年06月21日

    生涯学習なのです


    私の字を見たことある方は、ご存じと思いますが、全体にバランスが悪く、何か下手です。
    もともとは左利きだったのを、親が右利きに換えたからです。(言い訳)
    (^_^;)

    昨年冬、受験を控えた小学生に、自筆で手紙を書きましたら、その子が、読み終えて、
    「丁寧にきちんと書いてあります」
    という感想を言ったので、笑ってしまったことがあります。
    いやいや、字の問題じゃなくて、と思う一方、何だか、そういう感想がまず出てくるような字なのかもしれない、と思っておかしくなりました。

    小学校1年生のときの家庭訪問で、担任の先生が、うちの親に、
    「家で、鉛筆を持たせたことがないんですか?」
    と質問したらしいので、当時は、とんでもない鉛筆の握り方をしていた様子です。
    よくぞここまで、まともに読めるような字が書けるようになったものだ。

    と、感心してくれる人がいるはずもないので、20代の頃、ペン習字を始めました。
    「日ペンの美子ちゃん」と聞けば、ああ懐かしい、と思う方もいらっしゃるでしょう。
    あの講座の母体である硬筆書道団体です。
    毎月発行される薄い雑誌に課題と競書券がついていて、課題を書いて送ると、級位・段位が審査されます。
    雑誌のページの大半は、会員の級位・段位の一覧。
    毛筆でも硬筆でも、習字を習っている方にはなじみの深いシステムだと思います。
    10年ほど続け、10級から始まる級位を終え、初段から五段へ、そして「推薦」位まで上がりました。
    その上は、「準師範」「師範」があるだけです。
    何を思ったか、「推薦」のまま、私は辞めてしまったんですけど。
    (^_^;)

    なぜ辞めたのか、今となっては、よくわかりません。
    その頃から、仕事が忙しくなって、ペン習字の練習をしている場合ではないだろうという気分になってしまったようです。
    今思い返すと、1日10分程度の練習ができないほど忙しかったはずがないので、気分的な問題なのでしょう。
    「推薦」になっても、自分の字の見た目がちっとも変わらないことに限界を感じたのかもしれません。

    まあ下手は下手なりに、読める字を書くことが大切だ。
    0か6か自分でわからないような字を書くんじゃないよー。
    きみの字は、mなのかwなのか、わからないよー。

    そんなふうな気持ちでおりましたら、あるとき、生徒が、私の字をじっと睨んで、
    「・・・・センセイ、書道、やっている?」
    と訊きます。
    「え?いや。やっていたら、こんな字じゃないでしょう」
    と、つい照れてふざけますと、
    「・・・・・おかしいな。センセイの字は、書道をやっている字だけど」
    「ええ?」
    そういうあなたは、書道をやっているのかと訊き返しますと、子どもの頃からみっちりと毛筆習字をやっている子で、展覧会で大きな賞を取る実力でした。
    確かに、ノートも、達筆です。
    昔、硬筆習字をやったことがある、と私が言いますと、ようやく納得した様子で、
    「ああ。硬筆。私もやってみたいんだけど、毛筆と硬筆は、両方やったらいけない、どちらかにしなさいって書道の先生に言われているんだ」

    こういうの、嬉しいですよね。
    一般的には、ただの悪筆。
    でも、書道をやっている人には、書道をやっていることがわかる字である。
    こういう特別感は大切です。
    また1つ、生徒に教えられました。

    私は、もともと、「ほめて伸ばす」という教育には懐疑的です。
    そういうやり方では、すぐに相手にたかをくくられてしまいます。
    「ほめて伸ばすのが、当たり前だろ。何をけなしてんだよ」
    といった感じになってしまった子どもは、残念ですが、もうなかなか伸びないです。

    ほめられても、別に嬉しくない。
    おだてて勉強させようとしているだけだろ、と思う。
    しかし、けなされたら、腹が立つ。
    ああ、もうやる気がなくなった、と思う。

    そんなふうになってしまったのは、「ほめて伸ばす」という情報さえ子どもの耳に届いてしまう現代の状況で、どうでもいいことを、ほめられ過ぎたからかもしれません。

    でも、ほめることは、悪いことではない。
    本当に相手を良く見て、ほめることは重要です。
    相手が本当に嬉しくなる言葉を口にできることは、才能ですよね。

    単純すぎるかもしれませんが、もう1度、硬筆習字をやってみようかなと思うようになったのは、その子の言葉がきっかけであるように思います。
    いや、弁解すれば、そう言われてから、実際に始めるまで、2年くらい経っているんですよ。
    私なりに、よく考えたんです。
    (^_^;)

    大昔に「推薦」位になったといっても、ブランクがあるので、また最初からやり直し。
    それでも、今月、ようやく「初段」に昇格しました。
    「師範」まで、10年以上かかるかなあ。
    もっとかかるかもしれません。
    いつか、昼間に「硬筆習字教室」を開校しましたら、
    「英数教室と硬筆習字教室が併設?何それ?」と思わず、
    ああ、師範になれたんだね、と思ってください。
    何年やっても、きれいな字にはならないような気もしますが。
    実際に人に教えるには、誰が見てもわかりやすく美しい字であることが、大切だろうに。
    (*^_^*)
      


  • Posted by セギ at 14:06Comments(0)講師日記

    2012年06月19日

    面白い仕事って何だろう





    数か月前のこと。
    ファミリーレストランで、昼間、食事をしていましたら、隣りのボックスに、お母様たちが数人いらっしゃいました。
    PTAの会合の帰りか何かだったのでしょうか。
    話題は、中学生の職業体験のこと。
    お子さんが職業体験を済ませたばかりらしいお母様が、話していました。
    お子さんは、スーパーで、品出しの仕事をした様子です。
    「うちの子、1日で、つまらないと言い出してね。もう少しやり方があると思うのよね。スーパーだって、面白い仕事は他にいくらでもあると思うのに、あれじゃあ」

    前にも書きましたが、私が以前勤めていた塾でも、生徒が職業体験をしてきたという話は、授業中で話題になることがありました。
    実りある体験をする子は多いです。

    しかし、なかには、せっかく多くの方が動いてくださって実現した貴重な機会を、無駄にしてしまう子もいます。
    スーパーに働きに行って、言われた仕事をせず、仲間としゃべってばかりいて、結局、そのスーパーの店長さんが、学校にクレームの電話をかけたという話を聞いたこともありました。
    「あのスーパー、くそだ」
    と、学校で叱られたその生徒は、塾に来ても、そう毒づいていました。

    私は、スーパーで品出しをしている中学生を見て、つまらない仕事をやらされて、かわいそうね、とは思えないんです。
    私が中学生だったら、スーパーの品出しの仕事、面白いです。
    「商品は、顔が見えるように並べるんだよ」
    「よく売れる商品は、目線の高さの棚に置いてあるんだよ」
    なんて、ほんの少しでも、店員さんに説明してもらえたら、ああ、そういう仕組みなんだ、とワクワクして1日働きそうな気がします。
    どんな商品が、1日でどれくらい売れるのか。
    朝、私が並べた商品が、もうあんなに減っている。
    そういうことは、十分に面白いはずです。

    もう遠い昔のことだけれど、私が中学生のとき、一番不安だったのは、自分は何もできないのではないかということだったように思います。
    このまま、大人になっても、自分は何にもなれないのではないかということ。
    自分の今の生活が、現実社会と何も結びついていないように感じること。
    だから、現実のお店で、自分にも出来ることがあると実感することは、それだけで嬉しいことのはず。
    職業体験の教育的意味は、もうそれだけで十分であると感じます。


    「面白い仕事」って、何なんでしょう。
    何だか、20世紀のOLがつぶやきそうな言葉で、違和感があります。
    「面白い仕事をやらせてもらえない」とか何とか。
    でも、中学生の職業体験は、2年も3年も頑張って働いて、それでも雑用しかやらせてもらえない、というようなことではありません。
    たった2日だもの、簡単な作業しかできないのは当たり前だし、中学生には、それしかできないですよね。
    いや、正確には、それも、本当には出来ないのが中学生。
    それでも、実社会の本当に商売をしているお店や会社が協力して、中学生に働く場所を提供してくれることは、凄いことだと思います。

    体験する側(+保護者)と、受け入れる側の感覚が、少しズレている場合があるのかもしれません。

    どうしても「面白い仕事」にこだわるのなら、有料で仕事を体験できる遊園地に行ったほうが良いのでしょう。
    あれは、実社会に迷惑がかかりませんから。
    仕事を体験するといっても、お金を払っているお客様です。
    結局は、「ごっこ遊び」。
    私なら、そういう場所で、派手で面白そうな仕事を体験するよりも、本物のスーパーで品出しをしたい。
    そこには、「リアル」があるから。
    本物のお金が動いていて、本物のお客様がいる、本物のお店だから。
    それは、本当の「仕事」だから。
    その迫力にかなうものは何もないです。

    中学生に、将来の職業について関心を高めてもらいたい。
    努力すればなれる面白い職業がたくさんあることを知り、今、学校で学ぶことの意義を感じてもらいたい。
    生きる目標をもってもらいたい。

    そういう意味から言えば、職場体験だけが全てではないので、大人の人から職業の話を聞いたり、親の勤めている会社を子どもが訪問して見学できる日があったり、というので十分かもしれません。
    これも、実際に多く行われていますね。
    「面白い仕事」は、中学生に体験させなくても良く、話だけ聞かせ、見せるだけでも十分。

    仕事を見せるということでは、NHK総合の『仕事ハッケン伝』が面白く、毎週楽しみに見ています。
    タレントさんが、1週間、1つの仕事を体験する番組です。
    コンビニの商品開発部の社員だったり。
    雑誌編集者だったり。
    それこそ、「面白い仕事」をガンガン任され、体験しています。
    どの仕事も、やっぱり厳しく、見ていて胃が痛くなりそうだったり。
    でも、さすがにタレントは、コミュニケーション能力の高い人が多いなあ、と感じたり。

    先週は、福島県の老舗旅館の仲居を体験する回でした。
    番組の最後、旅館の人たちは、仲居を体験したタレントを見送ります。
    タレントは、涙を流し、花束を受け取って、去っていきました。
    タレントが遠くに去ったその後、女将は、そのタレントの教育係を務めた女子社員を、抱きしめてねぎらっていました。
    カメラは、遠くから、それをとらえていました。

    女将の仕事。
    タレントを受け入れる側の仕事。
    カメラマンの仕事。
    それをラストシーンに選んだディレクターの仕事。

    見ていて、学ぶことの多い番組です。

    これが面白いのは、私が大人だからかもしれませんが。
      


  • Posted by セギ at 14:27Comments(4)講師日記

    2012年06月17日

    数学の白紙答案


    大学入試の模擬試験の会場責任者の仕事を始めて7年ほどになります。
    高1や高2の模試も、いろいろなことが起こりますが、やはり、切羽つまっているのが、高3を対象とした模試です。
    特に、秋も深まっての記述式の模試となると、問題も大学入試レベル、というより本人の志望校よりはるかに難しい問題だったりしますので、まるで歯がたたないという事態もあります。

    何年か前、模試受験生が、試験会場に荷物を置いたまま逃走してしまったことがありました。
    多分ポケットに財布くらいは入っていて、休み時間に教室を出て、発作的に逃げてしまったのだと思いますが、その教室の監督員から事態の報告があったときは、驚きました。

    荷物があるけれど、本人がいない。
    トイレも探したけれど、いない。
    1時間目の数学の答案を調べると、白紙。

    結局、本人は、無事に家に帰っていて、荷物は、お母様がその日のうちに受け取りに来てくれたので、ほっとしました。

    数学の白紙答案というのは、さほど珍しいものではありません。
    他の科目では、白紙はほとんどありません。
    でも、数学だけは、完全な白紙がありえます。
    だから、数学の白紙答案は、処理方法がマニュアル化されています。
    (^_^;)

    模試答案の採点は、それをするアルバイトがいます。
    私も、昔、やったことがあります。
    答案1枚あたりの単価で請け負うアルバイトです。
    そうしますと、数学の白紙答案は、採点者に渡す前に、前もって抜いておくほうが経費節減になります。
    おそらくそのためでしょう。試験当日に、各会場で、数学の白紙答案を探して抜いておくことが、マニュアル化されています。
    (^_^;)

    高校数学の記述式答案。
    高2模試までは、答だけ書けば〇をもらえるタイプの、計算過程不要の問題も少しありますが、高3になったら、そんなものはない場合が普通です。
    ほぼ全て、完全記述になります。
    数学の答案は、過程が大切。
    どういう考え方で、何の公式や定理を利用して、どのように解いているのか。
    それを論理的に説明しながら書いていくのが数学の答案です。
    途中まででも出来ていれば、部分点がもらえるのも、過程が重要だからです。

    そうした数学答案を書いていけるようになるために、できれば小学生から、過程を明確にした論理的な答案を記述していく力を養うことが必要になります。
    高校生になって突然書けるようになるものではありませんから。

    なので、私は、中学受験をする小学生も、高校受験をする中学生も、答しか要求されていない問題の場合でも、きちんと過程を書いていくことを当たり前のことと考えているのですが、近年、小・中学生の中に、その習慣がない子が増えてきています。
    式というものを書きません。
    問題の余白に、ぐしゃぐしゃと筆算して、解答欄に答だけを書く。
    先の見通しがないせいが、やたら大きな文字でど真ん中に筆算した後、余白がなくなり、前の筆算に重ねて書いてしまったりして、もうグチャグチャになってしまう場合もあります。

    受験経験がないのなら、わかります。
    通塾経験がないのなら、それは仕方ない。
    おそらく、教わったことがないのですから。
    でも、2年も3年も塾に通って受験勉強をした中学生が、計算過程を書いていく答案作成法を身につけていない。
    不思議です。
    集団指導塾は、そこまで面倒は見ないということでしょうか。

    半年くらい前から、うちの塾に新しく入塾する子の多くがそういう子です。
    そういう子の特徴として、頭は悪くない。
    ノートにきちんと書かなくても、全て頭の中で処理できると思ってしまうのは、そのせいかもしれません。
    実際、ある程度までは、それで処理できています。

    しかし、なぜ、うちの塾に通うことになったのかと言えば、数学に関して、本人の当然の能力として期待できるような成績を上げていないから、保護者の方が心配して、数学を教える塾を探した場合がほとんどです。
    頭はいい。
    他の科目はできる。
    だけど、数学だけ、得点がふるわない。
    それは、やはり、彼らのやり方の精度の低さを物語るものです。

    解いていく過程が複雑な問題の場合、全てを頭の中で把握していくことはできなくなります。
    過程を明確に書き残さないと、一瞬混乱してしまったら、そこで終わりです。
    また、くしゃくしゃと筆算するだけでは、計算ミスもしやすい。
    途中過程が残っていないので、見直しもできない。
    解き終わったら、テストの残り時間は、全部最初から解き直すか、寝ているしかありません。
    そんな精度の低いことをやっていて、数学で高得点を取るのは難しい。

    自我が全面に出るようになる前、もっと幼い頃に、途中式を明確に書いていく答案作成法を身につけていたら、数学は、得意科目だったでしょう。
    頭はいいのですから。
    もう治らないんじゃないかなあ。
    でも、治したいなあ。
    そうすれば、絶対、数学が得意になるのだから。
    そんな試行錯誤の日々です。

    「途中式、書かないんだね」
    と問いかけると、
    「書いたほうが、いいですか?」
    と訊き返してくる声が尖っている。
    そんなことが多いです。
    命令されなければ、やらない。
    それでは、テストのときには、自己流のやり方に戻ってしまいます。

    数学の応用問題。
    活字で印刷された数行の問題と、自分との間の、深淵な隔たり。
    それを埋めていくのは、自分の手書きの文字。
    書いていくことで問題がほぐれ、書いていく過程で、思考錯誤をする。
    私は、ずっとそのように数学の問題を解いてきました。
    だから、白紙答案はありえない。

    白紙答案になってしまうのは。
    問題の解法や定理や公式の意味を理解せず、作業過程だけ覚えようとしてきた人か。
    全て頭の中で処理しようとして、処理できず、1行も書きだせない人か。
    いずれにせよ、もう数学の問題と自分との間に、何も接点がない。

    そうなる前に、気づいてほしい。
    そう思って、頑張る日々です。
      


  • Posted by セギ at 00:50Comments(2)算数・数学

    2012年06月11日

    発音とアクセント


    私が教えているのは英会話ではなく、受験英語です。
    本質的に英語が使えるなら、どちらでも同じだと感じる方もいると思いますが、受験英語は、ペーパーテストで減点されないことに重点が置かれます。
    冠詞のaやtheが抜けていないか、複数形や三単現のsやesが正確か、そんな隅々に気をつかってやっていくことが必要になります。
    ネイティブ講師ばかりの英会話スクールに多い傾向として、日本人のブロークンな英語をあまり訂正せず、それよりも、とにかく話そうとする意欲をほめる指導をします。
    結果、会話に対して臆病ではないし、トラベル英語などで不自由はないだろうけれど、学校の英語のペーパーテストで得点できない子が出来上がってしまいます。
    そういうのとは、受験英語は、やはり違ってきます。

    英語の問題の正解をいちいち板書していたら時間の無駄。
    かといって、あまり上手に英語を読み上げると、日本の中学生には聞き取れない。
    だから、受験英語の指導者は、正解を読み上げるとき、冠詞や語尾を強調する不自然な英語で正解を言っていくことになります。
    私など、もともと英語の発音は上手くない。
    それが不自然な読み方で30年。
    もうボロボロです。(*^_^*)

    でも、実際には、通じますし。
    おそらく、「日本人の話す英語」というカテゴリー内ではOKなんでしょう。
    もうそれでいいかな、と感じます。

    これは、逆の立場で考えるとよくわかる話です。
    外国人の話す日本語は、正直言って下手くそな場合が多いですが、それを笑う日本人は、今は少ないですよね。
    特に、英語圏の人の日本語の訛り方は、これはもう一生治らないだろうなあと感じますが、それをバカにする人は、ほとんどいません。
    どれだけ発音が悪くても、言っていることは理解できる。
    外国人の言葉に、言い間違いや、よくわからないところがあっても、そこを何とか理解しようと努力する日本人が多いと感じます。
    相手が努力して日本語を話しているだけで、もう十分。
    相手の日本語の発話能力のつたなさは、こちらの日本語の理解力でカバーする。
    それは、人として、普通のこと。
    昭和の頃には、日本語を話す外国人タレントの、話し方そのものを笑った時代もあったので、少なくとも、そういう点でグローバル・コミュニケーションは進んでいる気がします。


    これは、日本語の話なのですが、先日ラジオを聴いていて、非常に驚いたことが1つ。
    ある30代の男性アナウンサーが自分の番組の中で、先輩女性アナウンサーの書いた文章のことをちょっとけなしたんです。
    同じ局の同僚ですし、それは、単なる冗談で済むレベルのこと。
    面白いので、けなされた先輩女性アナウンサーが、アシスタントを務めている別のラジオ番組でどう反応するか、リスナーは、ツイッター上でわいわい騒いで楽しみにしていました。
    さて、放送当日。
    その先輩女性アナウンサーは、おっとり返すだけでしたが、その番組のメインパーソナリティーである、年配の男性アナウンサーが、ここで皮肉。
    先輩女性アナウンサーの文章を批評した、30代の男性アナウンサーの「自転車」という単語のアクセントが間違っていることを指摘したんです。
    面白がっていたリスナーの1人である私は、ぞっとしました。
    名前は出さない遠回しな指摘。
    最近、「自転車」のアクセントを間違えている奴が多いよね、程度の指摘です。
    でも、アナウンサー本人は、わかったはず。
    これは、アナウンサーとして致命傷のように私は感じ、ぞっとしたんです。

    年端もいかない新人タレントの話ではありません。
    局の看板アナウンサーが、アクセントを間違えている。
    これは、致命傷ではないのか。
    先輩をからかったことに、お灸をすえた?
    そもそも、そんなくだらないことで、自分の番組のペースを乱されたことが不愉快?
    あるいは、そういう皮肉を言いながら、うひゃひゃひゃと笑って面白がっている?
    さすがに老獪です。
    (*^_^*)

    東京アクセントは、80年代頃より平板化が進み、「自転車」のアクセントも、何が正しいかというのは微妙な問題です。
    でも、アナウンサーは、昔ながらのアクセントを要求される仕事。
    古くからの「正しい」アクセントは、「じてんしゃ」の「て」にアクセントがあります。
    その30代アナウンサーが、先輩女子アナウンサーの文章を批判する少し前、自転車にまつわる話をしていて、何度もその単語を発語していたんです。
    全て、平板アクセントでした。
    どう考えても、この勝負、アシスタントの女性アナウンサーを飛び越えて、年配アナウンサーの圧勝。
    怖い、怖い、と思いながら、ツイッターを眺めると。
    そのことに触れているツイートがありません。
    その、「自転車」のアクセントを間違えた30代アナウンサーのファンは、負けを感じていない。
    その次の週の番組で、そのことに何も触れなかったことを「スルー」と称し、単に相手をしなかった、ととらえている様子です。
    ファンは、負けたという感覚がないようなのです。

    これは、どういうことなのか。

    その30代のアナウンサーがもっとも尊敬しているのが、その年配アナウンサーであることは、度々公言していることなので、さほどファンではない私でも知っています。
    もしも、その年配アナウンサーが、まだ同じ会社にいてくれて、直属の先輩だったなら、僕の気持ちをわかってくれるのではないかと、テレビ番組で泣きながらしゃべっているのを見たこともあります。
    アナウンサーが、テレビで泣きながら自分の気持ちをしゃべっている、というのも凄い話なのですが、何かそういうことが許される独特なキャラクターのアナウンサーです。
    しかし、彼は、アナウンサーです。
    何を言われたか、ファンは気がつかなくても、本人は、わかったはず。
    以後、その件に触れないのは、もう冗談で返せる話ではないからだろう。
    私は、そう感じました。
    尊敬する大先輩に叱られたことが、嬉しいか、悔しいかは、本人の問題ですが。

    その30代アナウンサーが、その件をどう判断しているかについては、それ以上の興味はわかないんです。
    この次、彼が「自転車」を発語するときに、それはわかること。
    アクセントを直すか、前のまま、平板アクセントか。
    直さないのだとしたら、今は平板アクセントの人が増えている、という立場から、あえてそのアクセントを選ぶということでしょう。
    それは、それで、1つの考えですし。


    興味があるのは、私と同じリスナーが、それをどう判断しているのか。

    そのアナウンサーのファンは、そのアナウンサーと同世代か年下が多い様子です。
    ツイッターを駆使する世代でもあります。
    彼らが、今回の件をどう判断しているのか。
    アクセントの間違い?
    でも、自分たちは、そのアナウンサーの話す内容と表現の仕方が好きなのだ。
    アクセントなんて関係ない。

    そういうことなのかもしれません。
    あるいは、批判が遠回しだったため、皮肉があったことに気がついていない平和なリスナーも多いのかもしれません。
    アナウンサーがアクセントを間違えるのは、職業の根本に関わる重大事だと感じる私の感覚が、少し古いかな。

    うまく判断できないまま、また、その30代のアナウンサーのラジオ番組を聴きながら、ツイッターを眺めていると。
    1人のファンから、その日のゲストの話し方に対する批判のツイートがありました。

    否定表現から入る返答。かぶせ気味に自分の話したいことだけ話す。

    ほお。
    言葉について、そういう敏感さを持っている人がいる。
    アクセントや発音よりも、言葉の選び方。
    そういうことが気になるようです。
    でも、そのゲストの話をよく聞くと、否定表現のようで、実は、アナウンサーの言うことを肯定していて、ただ、接続詞が足りないので、何でも否定しているような印象があるのです。
    そのゲストは、タレントではなく文化人なのだから、許しても良いことのように感じます。
    話の内容は、興味深いものでしたし。

    それでも、話の内容よりも、否定的な話し方が気にさわるのだろうか。
    肯定的に話してあげないと、心に届かないのか。
    厄介だな。

    まだ、何も判断はつかないのですが、この頃、こんなことに興味があります。
    自分の仕事につながる気がしています。
      


  • Posted by セギ at 16:04Comments(1)英語

    2012年06月07日

    コンパス持参は作図問題ありです


    今日は、青空が見えていて、風の冷たい、爽やかな1日でした。
    今日みたいな日に山を歩くと、本当に気持ちがいいのですが、しかし、今日は、青色申告の「説明会方式による記帳指導等の導入講義」の日で、武蔵野税務署近くの青色申告会の事務所まで講義を受けに行ってきました。
    今日は、1時間だけの概説でしたが、次回から2回に分けて、みっちりと記帳指導がある様子です。
    複式簿記かあ。難しいかなあ。
    でも、無料で講習会を開いてもらえるので、ありがたいです。


    さて、本日は、それとは全く関係なく、作図の話です。
    前回の中間テストで、作図問題が出題された学校がありました。
    テスト範囲でもないのに、作図が2題も出題されて、もうびっくりです。

    「コンパス持参という指示は、あったの?」
    「あった」
    「だったら、作図が出題されるということだよ。何で言わないの。練習したのに」
    「だって、そんなの前日に急に言われたんだよ」
    「・・・・そりゃひどい」

    ひどいけれども、作図なんて4通りしかないのだから、理想を言えば、自分で復習すると良かったのですが。

    基本の作図は4通り。

    垂直二等分線の作図。
    角の二等分線の作図。
    直線上の1点を通る、その直線の垂線の作図。
    直線上にない1点を通る、その直線の垂線の作図。

    あとは、これの組み合わせです。
    都立高校の入試問題でも、毎年作図は出題されますが、この4つのどれか、あるいはその組み合わせです。

    とはいえ、作図は、中1の図形分野の最初で学ぶだけで、その後はほとんどやらないので、完全に忘れてしまう場合が多いです。
    前日に、突然「コンパス持参」と言われたその子は、垂線の作図にコンパスを使った形跡がありませんでした。
    うーん、これは・・・・。
    三角定規で、垂線を引いたかな?


    しかし、私がそう言うと、その子は逆に驚いた様子でした。
    「え?定規は、直角でしょう?」
    ・・・・まあ、そうなんですけど。
    三角定規には誤差がある、と言ったって、子どもが作図するコンパスの線のほうが余程誤差がありますしね。
    (^_^;)

    小学生の頃は、垂線も平行線も、三角定規を組み合わせて描きますので、その頃の記憶のほうが強い子は、コンパスによる垂線の作図がなかなか定着しません。

    でも、三角定規も分度器も使わずに、90°の角を作図できることは、凄いことなんです。
    45°の角も作図できる。
    60°の角も作図できる。
    30°の角も作図できる。
    だから、75°の角も作図できる。
    そういうのって、わくわくしませんか?

    ・・・しませんかね。(^_^;)


    もう1点。
    中学生に限らず、これは小学生も含めてですが、現代の子どもは不器用な子が多く、コンパスで正確に円を描くことができない子が増えています。
    理屈を考えないのか、下敷きを敷いたままコンパスを使ってしまう子がいます。
    だから、針が刺さらず、中心が滑って動く。
    腕をねじり気味に構えて、下から描いていくというやり方も知らないので、最後、円がつながる頃には、腕がねじれきって、ズレてしまう子も多いです。
    円を描こうとして、蚊取り線香を描いてしまいます。
    こういうことも、大人が1対1で指導しないと、身につかないことです。
    小学生のお子さんをお持ちの保護者の方は、1度、コンパスを使っているところをチェックなさってください。
    うちの子、円が描けないの?と驚く場合がけっこうあると思います。
      


  • Posted by セギ at 22:54Comments(0)算数・数学

    2012年06月05日

    英語のテスト結果


    中間テスト、英語の結果も出ました。
    セギ英数教室で、英語を受講している中学生・高校生の得点結果です。

    90点以上が、2人。
    内訳は、中1が1人。中2が1人。

    80点台は、1人。
    中2です。

    公立中学の中で日程が早めの学校は、もう来週が期末テストです。

    英語は、特に中学1年生の場合、得点の下がる子は、もの凄い落差で下がっていきます。
    最初のテストが簡単過ぎて、油断するんでしょうか。
    英語なんか、勉強しなくても、わかる。
    そんなふうに思ってしまうのでしょうか。
    不幸なことに、ちょうどその頃から、英語は難しくなっていきます。
    2学期になれば、さらに。
    名詞・代名詞の複数形。
    三単現。
    人称代名詞。
    細則と例外の多い単元ばかりです。
    細部を丁寧に正確に勉強していくことが出来ないと、たちまち、得点が下がります。
    そして、その不安定な基礎が、学年が進むにつれ深刻化し、テスト範囲とは直接関係ないところでの失点で得点が伸び悩む結果を招きます。

    今年度から、英語も新しい教科書になりました。
    予想通り、中1のwarm up のページを丁寧にやっていると、もう6月なのに、まだwarm up という学校もあり、それも不安材料です。
    去年までなら、もうbe動詞の文はひと通り終わり、一般動詞もテスト範囲の一部に入るかという時期です。
    なのに、まだ、warm up。
    ゆとり教育時代より、勉強が遅れてしまっています。

    これでは、リスニング問題が難しくなる可能性も、なくはない。
    テストに出すことが他にないので、warm up と同様のリスニング問題になりかねないですが、あの会話、難しいですよね。
    数字や曜日や日付を聴き取るのは、それは、中2だったら、できなければいけないことだけれど、中1の1学期に要求することかなあ。
    そういう意味では、やはり、もうゆとり教育ではない。

    書くタイプの問題は、アルファベット以外は、単語のスペルでしょうか。
    warm up に出てくる単語のスペルは、中1の1学期に全部覚えるのは、かなりきつい。
    1から100までの数字。
    日曜日から土曜日まで。
    1月から12月まで。
    こんなもの、中3でも、書けない子は、たくさんいます。
    だから、中1の1学期にそこまでは要求しない、と思うのですが。
    しかし、そう思い込んでいると、出題されて、目の前真っ暗という可能性もあります。
    何を出題するか、どういう勉強をすれば良いか、ある程度、授業中に学校の先生から話があるはずですが、生徒がちゃんと聞いてメモを取ってくるかどうか。

    さらに、こういうテスト範囲では、これまでとは違う、妙な出題も、あり得ます。
    不器用なタイプの秀才が、大失敗してしまう危険をはらんでいます。
    今のところ、小学生から英会話スクールに通っていて英語慣れしている子が有利かもしれません。

    いつまでもそのままのわけはなく、長期的には心配ないのですが、中1の1学期の英語のテストで失敗すると、秀才ほどショックが大きく、保護者の方の驚愕も大きいので、頭の痛いところです。

    私の心配しすぎでしょうか。
    でも、これは、単に悲観的ということではないのです。
    あらゆる可能性を考慮にいれないと、結果は出せません。

    「何となく、大丈夫だと思った。それはテストにそんなに出ないと思ったから」
    と、テスト範囲の大事なところを勉強しなかった理由を述べる子どもたちと30年つきあっていると、こんなふうになります。
    (*^_^*)

    いえ、もともとの性格なのかもしれませんが。
      


  • Posted by セギ at 13:18Comments(0)英語

    2012年06月01日

    ギアをチェンジしていこう


    さて、中間テストが返却され始めました。
    中学生、高校生の答案を見て、ときに感じるのが、この子は、進学したのにギアチェンジできていないのかもしれない、ということ。

    たとえば、私立中学生。
    中学受験のための受験算数を、そんなに得意ではないけど、一生懸命勉強した子。
    受験算数が、わからなくて、つらくてつらくて、叱られながら、それでも何とか身につけた、つるかめ算、通過算、旅人算、食塩水の問題。
    しかし、それは中学に入った途端、使わないものになってしまいます。
    全部、方程式で解くことになります。

    楽々と、その新しい流れに乗れる子も多い中で、取り残されてしまう子がいます。
    苦労して身に着けた手法を、なぜ手放さなければならないのか、理解できないのかもしれません。
    つるかめ算でも解けるのに、何がいけないのか?
    中学に合格し、一種の燃え尽き状態に陥っている場合は特に、学校の授業をあまり真面目に聞いていなかったりするものですから、数学の基本を身につけそこねてしまう場合もあります。

    あるいは、もっと切実に、もうキャパの限界だと感じている場合もあります。
    もう何も新しいことが頭に入ってこない。
    もう無理だ。
    それは、本人の思い込みですが、本人がそう思っている限り、実際、何も新しいことは入っていかないのですから、切実です。

    受験をしなかった中学生でも、同じです。
    小学校の算数は、答えを求めるために式を立てます。
    頭の中に、答えに至る過程が存在しないと、式が立ちません。
    しかし、方程式は、関係を表すだけです。
    関係を正しく読み取り、方程式を立てれば、あとは、その式を変形し、自動的に解いていける。
    それは、子どもにとっては、発想の大転換。
    それについていけない子が、現れます。
    単純な方程式の計算問題なら、解けます。
    でも、文章題になると、x を全く使わない、小学生ふうの式を書こうとします。
    小学校の算数で習った文章題と比べると格段に複雑ですから、うまく書けず、答案はぐちゃぐちゃ。
    「あなたの解き方、小学生だよ」
    と言われても、何のことか、わからない。

    この節目、中学数学から高校数学に進む場合にも、存在します。

    中学時代、数学はあまり得意ではなかった。
    興味もなかった。
    でも、受験のために、一生懸命勉強した。
    解き方も、公式も、全部覚えた。
    そして、高校に合格した。

    ところが、高校数学は、中学の数学としては多少複雑な過程で解いた同じ問題を、たった1本の公式で解くことがあります。
    この流れに乗れない子が、ときに現れます。

    比較的、簡単な例をあげれば。

    問題
    AB=5cm、BC=8cm、∠B=60°の三角形ABCの面積を求めなさい。

    これは、中学生でも、数学が得意な子や、これの解法テクニックを知っている子ならば、簡単に解きますが、この手の問題を初めて見る、どちらかと言えば数学の苦手な中学生は、ギブアップする問題です。
    そういう意味では、一種の応用問題。

    しかし、高校になると、これは、公式を使う練習をするための基本問題です。
    これを求めるための公式があるからです。


    問題
    点A(1,5)、点B(-2,-8)を通る直線の式を求めなさい。

    中学生は、これを、連立方程式を作って解きます。
    私は、傾きだけ先に求めて、後は y=ax+b の式に代入して求める方法のほうが好きですが、どちらにしろ、解いていく過程は、答案で何行にもなります。

    しかし、高校生は、これを1本の式で解きます。
    そういう公式があるからです。

    有名私立高校を受験する中学生には、塾で、その公式を教える場合もありますが、意味を理解できる子は少数ですし、使い間違える危険もありますので、私は、数学の成績が5段階で「5」の子以外には、教えません。
    でも、高校生には、教えます。
    もう、理解できるはずだから。
    それに、テスト範囲ですから。

    高校の公式を知っていれば、応用問題が、基本問題に変わる。
    そこで、ギアをチェンジできれば、そこからの加速は凄い。

    けれど、高校の公式を覚えられない子が現れます。
    あるいは、覚える意味を感じないのかもしれません。
    覚えなくても、解けるんじゃないか?
    中学生のときは、そうやって解いたのだから。

    もしくは、もうキャパの限界だと感じている。
    高校の数学は、正直言って、何のために何をやっているのか、もうわからない。
    この上、新しく公式を覚えることは、もう自分には無理だ。

    自分で限界だと感じたら、そこが限界となります。


    この子は、進学した学年にふさわしいギアチェンジができているか。
    いつまでも、ギアがローのままでは、走れない。
    その学年にふさわしい数学の答案を書いているか。
    点数と合わせ、そういうことを判断し、今後の指針とします。
      


  • Posted by セギ at 16:34Comments(0)算数・数学