2023年06月28日
高校数A「確率」。条件付き確率と乗法定理。安易な分析では、無理があります。
たとえば、こんな問題。これは、数A「確率」の問題です。
問題 袋Aには赤球が3個、白球が2個、袋Bには赤球が2個、白球が2個入っている。
袋Aから球を2個取り出し、それを袋Bに入れた後、袋Bから球を2個取り出すとき、それが2個とも赤球である確率を求めよ。
この問題を生徒と一緒に解いていて、
「これは、条件付き確率の問題ですか?」
と問われたことがありました。
・・・条件付き確率?
私の不審げな表情に、その生徒は重ねて問いかけてきました。
「違うんですか?問題文に『とき』と書いてあったら条件付き確率だって、先生に言われたんですけど」
「先生?・・・学校の先生?」
「はい・・・」
「・・・」
「違いますか?」
「・・・この問題は、確率の乗法定理を利用します。乗法定理は、条件付き確率の公式を根拠とした定理ですから、関係あると言えば関係ありますが、条件付き確率の問題ではありませんよ」
「そうなんですか?でも、『とき』とあったら条件付き確率だって・・・」
「・・・そういう読み方をしないと、条件付き確率であるか、そうでないかの、判断がつかないですか?」
「・・・」
生徒たちがあまりにも読解力がないための苦肉の策が、
「『とき』と書いてあったら条件付き確率」
というアドバイスだったのでしょうか。
しかし、高校数学を解いていて、その読解力は哀しい・・・。
中高一貫校の生徒が数A「場合の数と確率」を学習するのは中3の頃なので、中学生にはそんな教え方をするしかなかったのかもしれませんが。
「問題文に『とき』と書いてあるのは、必要条件であって、十分条件ではないのでは?」
「え?あっ?」
「そんな読み方は、やめましょう。問題文は正確に読んで分析しよう」
「はあ・・・」
この問題を、早く解きたい、早く解説を知りたいという人は、少し先に飛んでください。
ここで条件付き確率について補足します。
条件付き確率とは、例えば、
問題 あるイベントで参加者全員にアンケートをとったところ、参加者の70%は高校生で、参加者の40%が女子高校生だった。今、イベントに参加した高校生を1人選んだときの、その高校生が女子である確率を求めよ。
といったものです。
条件付き確率は、分母を条件のついた事柄の確率、分子を求めたい事柄の確率とした場合の、その分数全体です。
上の問題で言えば、40%/70%で、答えは、4/7。
苦手意識を持つ人もいますが、理解してしまえば、特に難問ということはありません。
具体的に人数で考えても、同じ結果が出ます。
イベントの参加者を仮に100人としましょう。
そのうち、高校生は、100人の70%で70人。
女子高校生は、100人の40%で40人。
では、高校生のうち、女子高校生である確率は、40/70で、4/7です。
よくやってしまう誤った式が、7/10×4/10=28/100 というもの。
これは、「女子高校生は、高校生のうちの40%」と誤解したためのものと思われます。
参加者全体の40%が女子高校生だったのであり、高校生の40%が女子だったわけではありません。
この、高校生と女子高校生の例は、条件付き確率の例としてよく用いられるにも関わらず、理解しにくいのはその点かもしれません。
「参加者の70%は高校生で、女子はそのうちの40%だった」と誤解しがちなのです。
そして、この誤った式を立ててしまう人は、逆に、式の中に条件付き確率を使っているのです。
「高校生のうちの40%」と誤解したときの、その「40%」が、条件付き確率です。
分母を限定したときの、その中での確率ですから。
このように、条件付き確率は、特別難しいものではなく、珍しい考え方でもありません。
ごく普通の考え方なのですが、何か難しく考え過ぎて、モヤモヤが残る人が多いようです。
その結果、
「『とき』と書いてあったら条件付き確率」
というお手軽なアドバイスにすがりつく。
しかし、そういう勉強をしていては、共通テストや国立大学二次試験のような、段階を踏んでいかねばならない大きな確率の問題は歯が立たなくなります。
問題文をしっかり読んで、事象を正確に分析する習慣を持ちましょう。
さて、問題の解答解説に移りましょう。
もう一度、問題文を見ましょう。
問題 袋Aには赤球が3個、白球が2個、袋Bには赤球が2個、白球が2個入っている。
袋Aから球を2個取り出し、それを袋Bに入れた後、袋Bから球を2個取り出すとき、それが2個とも赤球である確率を求めよ。
この確率を求めるには、袋Bに入っているそれぞれの色の球の数を確認する必要があります。
しかし、それは、袋Aからどんな球を取り出して袋Bに入れたのかによって違ってきます。
したがって、袋Aからどんな色の球を取り出したのか、それによって場合分けをする必要があります。
どんな場合があるでしょうか?
①2個とも赤球だった場合。
②1個が赤球、1個が白球だった場合。
③2個とも白球だった場合。
この3つに場合分けされ、そして、そのそれぞれの事象は互いに排反で、確率的にかぶっている部分がありません。
では、それぞれの確率を求め、その和を求めればよいです。
①2個とも赤球だった場合。
袋Aから赤球2個を取り出す確率は、組み合わせで考えて、
3C2 / 5C2=3/10
そのとき、袋Bは、赤球4個、白球2個となりますから、そこから赤球2個を取り出す確率は、
4C2 / 6C2=6/15
したがって、①の確率は、
3/10・6/15
②1個が赤球、1個が白球だった場合。
袋Aからそのように球を取り出す確率は、
分子は、3個の赤球のうちの1個を選び、さらに2個の白球のうちの1個を選ぶのだから、
3C1・2C1
分母は5個の球のうち2個を選ぶのだから、
5C2
よって、3C1・2C1 / 5C2=6/10
そのとき、袋Bは、赤球3個、白球3個となりますから、そこから赤球2個を取り出す確率は、
3C2 / 6C2=3/15
したがって、②の確率は、
6/10・3/15
③2個とも白球だった場合。
袋Aから白球2個を取り出す確率は、組み合わせで考えて、
2C2 / 5C2=1/10
そのとき、袋Bは、赤球2個、白球4個となりますから、そこから赤球2個を取り出す確率は、
2C2 / 6C2=1/15
したがって、③の確率は、
1/10・1/15
前にも書きましたが、これらの事象はそれぞれ排反ですので、
求める確率は、
3/10・6/15+6/10・3/15+1/10・1/15
こういう式の場合、小学生時代からの癖で、事前にこまめに約分してしまい、最後に足すときになってまた通分し直して、その過程で計算ミスをしてしまう人がいます。
無駄な作業です。
分母が一致しているのですから、約分はせず、このまま足して、最後に約分できるようなら約分します。
3/10・6/15+6/10・3/15+1/10・1/15
=18+18+1 / 150
=37 / 150
約分はできませんでした。
これが、答です。
そして、この解き方全体は、確率の乗法定理を利用しているのですが、それぞれに場合分けした場合の後半、袋Bの確率は、条件付き確率なのです。
例えば①ならば、袋Aから赤球2個を選んだときに、袋Bから赤球2個を選ぶ条件付き確率が 4C2 / 6C2=6/15 です。
確率の乗法定理としてすんなり理解できることの中に、ひっそりと条件付き確率はひそんでいるのです。
2023年06月27日
2023年06月22日
英語の誤読。書いてないことを読み取ってしまう。
画像はクサタチバナ。何年か前のこの時期に、三つ峠山で撮影したものです。
さて、今回は英語の話。
誤読のメカニズムについて。
英語の問題を解く場合、誤読の最大の原因は単語力不足です。
前にも書きましたが、例えば、英検過去問の、メールを読み取る問題で。
乳幼児を持つ親が、保健所に予防接種をどこで受けることができるか問い合わせるメールの読み取りだったのですが、その子は、高校生であるにも関わらず、単語力は中学英語から一歩も先に進めなかった子でした。
英文を読もうとしても基本的に虫食い状態の文章を読んでいるようなものでした。
結局、本文中に出てきた department というただ1語にすがるようにして、その英文を、デパートに対してクレームを入れているメール、と誤読していました。
たった1語で、そんな妄想を展開できることにむしろ驚きましたが、英文が読めないということは、そういうことなのだと改めて感じました。
department は、部署といった意味です。
日本語の百貨店、デパートは、department store です。
こういうことの解決は、もっとも単純で、もっとも難しいです。
単語力をつければいいだけなのですが、その単語力をつけられず、日々を空費してしまう生徒が多いのが実情です。
「単語を覚えられない。どうすれば覚えられるんですか?」
という子は、実際のところ、それほど覚える努力をしていないのです。
単語を覚えることに時間も労力も使っていません。
もっと楽に単語を覚える方法があるはずなのに、自分はそれを知らないから覚えられないのだ、と誤解しているのかもしれません。
そんな方法はないと見切って、今日からでも地道に努力すれば、一歩でも先に進めます。
でも、その一歩が踏み出せない。
単語を覚える時間を、1日の中に設定できない。
単語力がないから英文が読めないということは理解していても、何もしないで1日1日が過ぎていきます。
単語を覚えるには、反復しかありません。
人によって続けられる方法、好む方法は異なると思いますが、要するに、どれだけ反復するか、です。
単語集に赤シートをかけて、テスト形式で、反復する。
音声を併用して、反復する。
例文を暗唱して、反復する。
とにかく、毎日何百語と目を通すことで、反復する。
どのやり方でも、効果があります。
覚えて忘れて覚えて忘れて、の繰り返し。
要するに、反復です。
それができる子は、新しいステージに上がることができ、それのできない子は、中学英語のまま、うろうろし続けることになります。
英単語を覚えるかどうかが差し迫った課題でない人は、それを後回しにしてしまいがちです。
学校で週1回の単語テストは、前日や当日にちゃちゃっと覚えて、やり過ごす。
当然、すぐ忘れます。
それを称して「単語を覚えられない」と本人は思っているようです。
そのやり方では覚えられなくて当然なのですが。
せめて、学校の英語コミュニケーションの教科書本文に出てきた単語だけでもしっかり覚えていくかというと、そういうこともありません。
英語力が伸びない子にありがちなのですが、本文の個々の単語の意味を覚えることはなく、本文のストーリーを覚えて、それで英語の勉強をした気になってしまうのです。
例えば、生徒に英語コミュニケーションの本文を訳してもらったときのことです。
それは、災害非常食用のパンの缶詰を開発した人についての話でした。
One day, a farmer in the neighborhood was canning bamboo shoots.
この文を、その子は、
「ある日、農家が、サバ缶を作っていた」
と訳しました。
「・・・え?サバ缶?どの単語がサバの缶詰なの?」
「・・・」
「私の質問の意味がわかりますか?この英文の、どの単語が、サバの缶詰なのですか?」
「・・・canning bamboo shoots.」
「bamboo shoots が、サバなんですか?」
「・・・」
「bamboo は竹、shoot は芽という意味ですよ。竹の芽。つまりタケノコのことですよ」
「・・・」
しかし、その子の表情は、むしろ、この先生は何を勘違いしているのだろうと言いたげな表情なのでした。
続く、次の文。
Canning is a time-honored way to preserve food.
その子は、この文を、
「サバ缶は、いい食べ方だ」
と訳しました。
「・・・はい?だから、サバ缶じゃないですよ。何でサバ缶?」
「・・・」
「この文章にサバ缶は出てこないですよ。考えてください。farmer ですよ。農家の人ですよ。農家の人が何でサバ缶を作るの?タケノコを缶詰にしていたんですよ」
「・・・」
「あなたは、もしかしたら、『缶詰』と『サバ缶』は同じ意味だと思っている?サバ缶というのは、サバの缶詰のことですよ。サバの水煮缶詰とかサバの味噌煮缶詰とか。缶詰とサバ缶は、別の言葉ですよ?サバという魚があるんですよ。知ってる?」
「・・・」
「それとも、学校の授業の余談で、缶詰に関連して、サバ缶の話が出て、それで混線したの?」
「・・・」
こうなると、私の問いかけが矢継ぎ早過ぎて、その子の思考が追い付いていっていなかったと思います。
それだけ、私も、驚いていたのですが。
上手く言葉が出てこないタイプの子に、こんなに多方向の角度から矢継ぎ早に問いかけると、ブラックアウトの可能性があります。
1つの情報だけ繰り返したほうがいいのです。
「bamboo shoots はタケノコです。リピート・アフター・ミー。bamboo shoots はタケノコ」
「・・・bamboo shoots はタケノコ」
「もう1度」
「bamboo shoots はタケノコ」
「タケノコは、わかりますか?」
その子は黙ってうなずきました。
サバ缶問題があまりにも衝撃だったのですが、本題はそれではなく、2番目の文の訳し方でした。
Canning is a time-honored way to preserve food.
「サバ缶はいい食べ方だ」
この文の個々の単語を理解していないのが明らかでした。
Canning , way , food
単語としては、この3つしか理解していないのでしょう。
それを組み合わせて、「サバ缶は、いい食べ方だ」としていました。
学校でもう学習済みの教科書本文であるにも関わらず、でした。
パンの缶詰がどのように開発されたか、その大体のストーリーを把握しているだけで、個々の文、個々の単語の意味は、中学英語のレベルから進化していない・・・。
そういう学習が、しかし、その子に限らず、多くの高校生の英語学習になっている可能性があります。
学校の定期テストだけ何とかなればいいので、学校の教科書本文の意味がわかればそれでいいと思ってしまうのかもしれません。
その場合、テストに初見の長文読解問題も出ることは、無視するようです。
応用問題はテスト対策はできないから、実力で勝負する、と思うのでしょうか。
こうした学習を続ける人は、中学英語のまま一歩も先に進めずに高校3年生になる可能性が高いのです。
教科書本文の「お話」を覚えても仕方ないのです。
もっと視野を広くして、英語力そのものをつけることを考えましょう。
単語力と文法力をつけましょう。
さて、そういうことはクリアし、高校生にふさわしい語彙力のある子の場合。
しかし、何だかときどき奇妙な誤読をする、という子もいます。
例えば、こんな問題。
これは文法問題です。
問題 次の文の空所に入れるのに最も適当な語句を下から選び、番号で答えよ。
He ( ) be ill, for he runs about like that.
① must ② should ③ would ④ cannot
助動詞に関する高校英語の文法問題です。
本文を日本語にすると、
彼は具合が悪い( )、というのは、彼はあんなふうに走りまわっているのだから。
となります。
したがって、正解は、④ cannot の「はずがない」となります。
しかし、その子は、① must 「違いない」を選びました。
「あんなふうに走っているのだから、具合が悪いに違いない、という意味じゃないんですか」
「・・・うん?」
「あんなふうに、何かよろよろと、具合が悪そうに走っているんじゃないんですか」
「・・・そんなこと、書いてないけど?」
「書いてないけど、そういうふうにも読めませんか?」
「・・・」
「迷ったんですよ。走っているんだから、具合が悪いはずがないという意味かなと最初は思ったんですけど、でも、よろよろ走っているから、具合が悪いに違いないとも、読めませんか?」
「・・・よろよろと具合が悪そうに走っているという情報はありません。書いていないことを読み取るのは、やめましょう」
「えー・・・」
そんな誤読があり得るのか、と驚いてしまいました。
「あんなふうに」をよたよたと具合が悪そうにと誤読する。
何で、そんな妄想をするのだろう・・・。
国語でも英語でもそうですが、私は常に「行間を読むな」と言います。
書いていないことを勝手に読み取って解釈する癖のある人が、誤読をします。
誤読する人は、必ずそれをやってしまいます。
変な妄想はやめて、書いてあることだけを読み取れば、そのような誤読は起こりません。
でも、よたよた走っているという解釈は、もしかしたら、可能なのだろうか・・・?
私は、もう一度、その問題を見直しました。
He ( ) be ill, for he runs about like that.
① must ② should ③ would ④ cannot
「・・・run about って、どういう意味ですかね?」
「・・・」
「走りまわる、という意味です。この彼は、具合が悪そうによろよろ走っているのではありません。走りまわっています。だから、具合が悪いはずがありません」
「・・・あっ。そうか!」
実は、別の観点から言っても、正解は④です。
この四択の①から③は、どれも肯定的内容の強弱でしかありません。
①「違いない」 ②「はずだ」 ③「だろう」
彼が具合が悪いということを肯定する場合、この3つからどれかを選ぶということは、こんな短い1文だけからでは不可能です。
そういう観点からも、意味が真逆の④だけが、正解となります。
入試問題は、相当緻密に作られているもので、「そういう解釈もありうるじゃないか」と言われないように布石を打ってあります。
こんな短い文でも、run ではなく、 run about とすることで、別の解釈の可能性がないようにしてあるのでした。
誤読する人は、書いていないことを妄想する一方で、書いてあることを正確に読んでいないのです。
それは、次の問題でも明らかでした。
同じく、適語を補充する問題でした。
"Could you join us for dinner tonight?"
"If you don't mind, ( ). I've got a toothache."
① I'd like not ② I'd like to ③ I'd rather do ④ I'd rather not
その子は、②を選びました。
正解は④です。
「え?では、この人は、夕食の誘いに同意しているのですか?歯が痛いのに?」
「あ。そうか」
と、今度は、するっと自分の誤答を認めました。
今回は単なるちょっとしたケアレスミスであるかのように。
しかし、上の問題とこれは、誤読という意味において、本質は同じなのではないかと思います。
この問題を解いたときも、おそらく、 I've got a toothache. という部分を読まないで解いたと思うのです。
読んでも意味がわからないような英語力の子ではありませんでした。
でも、読まなかった。
目がそこに届かなかった。
そういう「読み癖」のようなものが、あるのだと思うのです。
1語だったり、部分だったり、何かふっと読み飛ばし、その瞬間に誤読が起こるのでしょう。
前半だけ読んだら、誘いに応じるか応じないかは、どちらもあり得るのです。
そこで、本人の好みを優先し、誘いに応じる選択肢を選んだのだろうと思います。
断る方向の会話より、応じる会話のほうが想像しやすかったのでしょうか。
誤読というのは、勝手に行間を読んでしまうから起こる。
基本的にはそう思っていたのですが、語彙力があるのに奇妙な誤読を繰り返す生徒を指導するようになって、私は理解しました。
結局、正確に読んでいないのです。
細部まで緻密に読むという作業をしていない。
ふっと、読み飛ばしてしまうようです。
誤読の原因は、それだと思います。
誤読をする人の誤読っぷりに触れると、「えっ。そんな読み方があるの?」と私も衝撃を受けてしまいます。
あまりの衝撃に、そういう可能性もあるのだろうか、と説得されそうになります。
でも、体勢を立て直し、よくよく読み直すと、その誤読をつぶす布石が、本文中に必ずあるのです。
普通に読んでいれば、そんな誤読はしないのに・・・。
そういう感想を抱くのですが、しかし、それでは、誤読の癖は直せないでしょう。
「普通に」とは何がどう「普通に」なのか、わかりません。
誤読する子と文章を読むときは、普通よりももっと正確に読むことが必要です。
誤読癖のある子と文章を読むと、私も1語1語に本当にこだわった精読が必要になり、面白いです。
書いていない行間は読まない。
書いてあることは、1語もおろそかにせず、精読する。
誤読を避けるために行うことは、上の2つです。
本人に奇妙な想像力があるから、誤読癖は直らない、と諦めてしまう必要はありません。
正確に読んでいないから誤読する。
これに尽きるのですし、それなら、必ず直せると思います。
2023年06月21日
夏期講習のお知らせ。2023年度。
2023年度夏期講習のお知らせです。
今年度も例年通り夏期講習を実施いたします。
詳細は書面にて、来週配布いたします。
お申込みは7月1日(土)からとなります。
日付が変わりました深夜からお申込みを受け付けます。
確定の返信は7月1日の午後となります。
メール・LINEまたは申込書でお申込みください。
なお、この期間、通常授業はありませんので、いつもの時間帯の授業を希望される方も改めてお申込みください。
外部生の受講も承ります。
外部生のお申込み開始は、7月8日(土)となります。
このブログの「お問い合わせ」ボタンから、お問い合わせください。
以下は、夏期講習実施要項です。
◎期日
7月24日(月)~8月25日(金)
なお、期間中の土曜日・日曜日は、休校とさせていただきます。
◎時間帯
10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 13:20~14:50 , 15:00~16:30 , 16:40~18:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30
◎費用
1コマ90分4,000円×受講回数+諸経費5,000円
◎指導科目
小学生 一般算数・受験算数・一般国語・受験国語・英語
中学生 数学・英語・国語・社会・理科(社会・理科は中3都立高校受験生のみ)
高校生 数学・英語
◎中3夏期講習
本年度は中3公立中学生が塾に在籍していないため、中3都立入試向け夏期講習は計画しておりませんが、外部生で都立入試5教科対策をご希望の方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。
後日、夏期講習の予定を組むことも可能です。
費用は、5教科1コマ50分で各10コマ、合計50コマで7万円を予定します。
都立高校合格のみを目標とした実践的な講習内容となります。
なお、それよりさらに基礎的な内容をご希望の場合も承ります。
お気軽にご相談ください。
今年度も例年通り夏期講習を実施いたします。
詳細は書面にて、来週配布いたします。
お申込みは7月1日(土)からとなります。
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メール・LINEまたは申込書でお申込みください。
なお、この期間、通常授業はありませんので、いつもの時間帯の授業を希望される方も改めてお申込みください。
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外部生のお申込み開始は、7月8日(土)となります。
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◎期日
7月24日(月)~8月25日(金)
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◎時間帯
10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 13:20~14:50 , 15:00~16:30 , 16:40~18:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30
◎費用
1コマ90分4,000円×受講回数+諸経費5,000円
◎指導科目
小学生 一般算数・受験算数・一般国語・受験国語・英語
中学生 数学・英語・国語・社会・理科(社会・理科は中3都立高校受験生のみ)
高校生 数学・英語
◎中3夏期講習
本年度は中3公立中学生が塾に在籍していないため、中3都立入試向け夏期講習は計画しておりませんが、外部生で都立入試5教科対策をご希望の方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。
後日、夏期講習の予定を組むことも可能です。
費用は、5教科1コマ50分で各10コマ、合計50コマで7万円を予定します。
都立高校合格のみを目標とした実践的な講習内容となります。
なお、それよりさらに基礎的な内容をご希望の場合も承ります。
お気軽にご相談ください。
2023年06月14日
高校数学の答案の書き方がわからない。数Ⅱ不等式の証明。
画像は、タイマツバナ、かな。
散歩した都立小金井公園で咲いていました。
さて、今回は、数学の話。数Ⅱ「不等式の証明」から。
問題 2次不等式 x^2-4x+5>0 を証明せよ。
不等式の証明問題としては、基本中の基本です。
しかし、以下のような答案を書いてしまう子もいます。
x^2-4x+5>0
=(x-1)(x-5)>0
よって、
x^2-4x+5>0
証明問題の答案は何をどう書いていけばいいか、わからないのでしょう。
この答案は、0点です。
一番やってしまいがちなミスが、1行目です。
x^2-4x+5>0
という不等式は、これから証明すべきことなのに、1行目にするっと書いてしまうのです。
そして、それを書いてはいけないということを、理解できない子は多いです。
本人は、ただ問題文を書き写しているだけなので、それがダメだと言われる理由がわからないようです。
「いつも与式を書け書け、書き写せ、とうるさいのに、何で、このときはダメなんだろう?」
と思ってしまうのかもしれません。
これから証明すべきことは、まだ証明できていないことです。
いつもの、不等式を解く問題とは違います。
x^2-4x+5>0 が本当に言えるかどうかはまだ不明であり、それをこれから証明します。
それを事実であるようにするっと書いてしまうことはできません。
どうしても、与式を書きたかったら、答案の1行目に、
x^2-4x+5>0 を証明する。
というふうに書くことならできます。
それなら、意味が通じます。
そう解説すると理解してくれる子もいるのですが、数学の答案に日本語をそんなに書くのは変だと、謎の誤解をしている子もいます。
「えー、そんなのおかしい」
と言います。
数学は数学なのだから、日本語は無駄、不要、と思っているのでしょうか。
いやいやいや。
その考え方のほうが、おかしいんですよ。
早く気づいてください。
でも、反論してくれるだけましなのです。
にこにこ笑っているから、理解しているかなと思っていたら、心の中で勝手に却下している子もいます。
個別指導を受けても、それでは伸びないですよ。
せめて、議論しましょう。
次にまずいのが、2行目です。
x^2-4x+5>0
=(x-1)(x-5)>0
という、このイコールは、どういう意図で書いているんでしょうか?
その子は、以前、テストでこんな答案を書いたこともありました。
問題 方程式 2x^2+3x-15=x^2+2x-9 を解け。
2x^2+3x-15=x^2+2x-9
=x^2+x-6=0
=(x-2)(x+3)=0
=x=2 , -3
日頃、計算過程をしっかり書いていくことがなく、ノートは計算メモばかりの子でした。
イコールをまともに書いたことがないので、いざ答案を書けと言われると、どう書いていいのかわからなかったのでしょう。
学校の定期テストだけは頑張って答案を書こうとし、訳のわからないところにイコールを書きまくっていました。
こういう答案を書いてしまうと、
「解き方の手順だけは覚えているが、意味はわかっていないんだな」
と数学の先生に解釈されかねません。
そういうことが続くと、理系に進学したいと希望を伝えても、高校の先生にブロックされることがあるのです。
具体的には、数Ⅲを選択することを禁じられます。
それより手前、数Bを選択することを禁じられた子もいました。
本人の進路なのに、何でそんな勝手なことをするんだ!
という怒りもわかりますが、上のような答案を書いている子を理系に進ませないのは、高校の先生の温情かもしれません。
数学が全くわかっていない。
しかも、答案を読む者にそれが伝わっているということすら、本人には理解できていない・・・。
自分のどこがどの程度ダメであるか自覚できる子ならば、伸びる可能性があるのです。
しかし、これでは、おそらく、話が通じない・・・。
少なくとも、上の答案では、そう思われてしまいます。
例えば、テストでついうっかり 2+3=6 という計算ミスをしても、それで、
「数学センスがない」
「数学が全くわかっていない」
と言われることはないのです。
でも、上のような答案を書いてしまうと、ああ、この子は数学が全くわかっていないのだ・・・と思われてしまう可能性があります。
しかし、数学ができない子は、それを逆にとらえてしまう傾向があります。
2+3=6 としてしまうのはダメ。
一方、上のような、
2x^2+3x-15=x^2+2x-9
=x^2+x-6=0
=(x-2)(x+3)=0
=x=2 , -3
という答案は、答が合っているのになぜダメだと言われるのか、理解できない。
つまりは、答さえ合っていればいいという、小学校時代の感覚から一歩も前に進んでいないのだろうと思います。
いえ、小学校時代の算数だって、本当は、答さえ合っていれば良かったわけではないのです。
ただ、そういう形式のテストが多かったので、それで、本人はそのように勘違いしてしまったのでしょう。
その勘違いをいつまでもひきずって、数学にバージョンアップできず、気がつくと、もう数Ⅱを学習する段階にきてしまった・・・。
そして、突然、高校の数学の先生から、
「数学がわかっていない」
と断定される。
本人には、寝耳に水のことかもしれません。
上のような答案を書く子は数学センスがないとも、数学がわかっていないとも、私は思いませんが、しかし、課題があるのは事実です。
そして、それは、数学上の課題というよりも、もっと別の課題のように思います。
まずは観察力の問題。
塾に行かずに自学しているのだとしても、教科書の解答や学校の先生の板書を見れば、自分の答案と違うということに気づいてもいいはずです。
学校の先生が授業中に、「こういうふうに書きなさい」と注意している場合も多いでしょう。
そういうものを全部無視し、素通りしてしまうのです。
観察の目が粗いのでしょうか。
大体同じだから、大丈夫、と思ってしまうようです。
それは、やはり、能力の問題も多少あるかもしれません。
緻密さがないのです。
そこまで緻密さを要求されるはずがないと、本人が勝手にゆるい基準を設けてしまうので、世間の基準とのズレが大きい。
そのために、能力を疑われる結果になってしまいます。
やればできるのかもしれないのですが。
そして、改善する力の問題。
教科書の解答や学校の先生の板書と、自分の答案とに違いがあることには、気づいている場合もあります。
個別指導塾に通っていれば、「それは違うよ。こう書くんだよ」と指導が入るでしょう。
それでも、直さない。
いや、そんなの大差ない。
自分のやり方でいいはずだ。
と、なぜかそのように考える傾向のある子はいます。
自分は勉強ができるのに、何か、あれを直せ、これを直せと言ってくる。
もっと自分を認めてほしいのに。
何でこのセンセイは自分を認めないんだー。
・・・と思っているのだろうか?
と講師として首を傾げてしまうほど、何を助言しても直さない子は、いつの時代もいます。
そして、学校の先生に全否定され、数学のテストの点数がひどく低くなってから、現実に気づきますが、その頃には、何をどう直せばいいのか、本人の理解が追い付かなくなっていることがあります。
何を助言しても直さない。
それにも、実は理由があるのかもしれません。
日本語を多用した数学答案や、思考の過程を丁寧に書いていく答案の価値を、本人が認めていない可能性があります。
そこまでする必要はないと、本人が判断しているのだと思うのです。
その根本にあるのは何なのか?
それは単に、字を書くのが好きではない、ということだったりするのかもしれません。
子どもの頃、鉛筆を上手く持てず、字を書くのがつらくて不快だったのかもしれません。
高校数学を学習する年齢になっても、それをひきずってしまっている可能性はないでしょうか。
もう1つは固定観念でしょうか。
数学は、数学なんだから、数式だけ書いていくものだ、という固定観念。
とにかく左端にイコールをつけておけばいいんだ、という固定観念。
答案の中に日本語が入っているほうがおかしいんだ、という固定観念。
複雑な問題になればなるほど、答案の中に日本語が多く含まれていく、という事実を知らないのか。
あるいは認めたくないのか。
それも繰り返し説明しているのですが、固定観念が強過ぎて、自分の考えに反する内容は聞こえないようです。
あるいは、
「学校の数学のテストは、どうせ大半は答だけ書けばいい形式だし」
と思って聞き流している可能性もあります。
前半の計算問題は答だけ記入する形式ということもありますが、後半、記述形式の問題は必ずあります。
学校の数学の先生は、そこを見ています。
そして、ある日突然宣告されます。
「君は、理系には進めない」
その前に、立ち止まって、気づいてほしいのです。
自分で文系を選択するのは別に構わないですが、理系に進めないと宣告されるのは、嫌じゃないですか。
実は、正しい書き方がわからない、ということもあるでしょう。
正しい書き方の何がどう正しくて、自分の書き方の何がどうダメなのか、解説されても、理解が追い付かない。
どうでもいい、と思っていることが、理解の妨げになる面もありますが、理解しようとしても、理解できない。
イコールの意味や、証明ということの意味がそもそもわかっていないのです。
そういうことも、あると思います。
上の不等式の証明の誤答に戻ります。
x^2-4x+5>0
=(x-1)(x-5)>0
このイコールの使い方では、イコールの意味が理解できていないことが露呈しています。
これでは、何と何が等しくて、何が>なのか、意味不明です。
そのことが、自分で書いていてわからないのです。
x^2-4x+5
=(x-1)(x-5)>0
これならば、答案としては誤答ですが、イコールの使い方は間違っていません。
でも、上の書き方とこの書き方の何がどう違うのかよくわからない、という人がいます。
イコールの意味のような根本の概念になると、小学生の頃に脳の奥までしみ込んでよく理解しているのでない限り、後になって学習して使いこなすのは難しいのかもしれません。
絶対に不可能だとは思いませんが。
ところで、この答案は、答案の書き方がおかしいだけでなく、解き方そのものも間違っています。
因数分解としても、間違っていますし。
x^2-4x+5 は、実数の範囲では因数分解できません。
因数分解できたところで、左辺>0 など証明できませんし。
x-1、x-5のそれぞれが正の数か負の数かわからないのですから、その積が正の数か負の数かなど、判断がつきません。
では、どうすればいいのか?
どうすれば、左辺が正の数であることを示せるのか?
「因数分解ではありませんよ。平方完成をするんだったでしょう?」
「・・・」
「私の言っていることが、わかりますか?頭の中で漢字変換できますか?因数分解ではなく、平方完成」
「・・・」
平方完成と板書して、指さします。
「言ってみて。リピート・アフター・ミー。平方完成」
「ヘーホーカンセー・・・。あっ・・・!」
「わかった?やりましょう、平方完成」
やりましょう、平方完成。
x^2-4x+5
=(x-2)2-4+5
=(x-2)2+1>0
すなわち、
x^2-4x+5>0
これが正解です。
x-2という( )の中の値は、正か負かわかりません。
しかし、2乗すれば、どちらにしても正の数になります。
だから、(x-2)2は、正の数です。
+1は勿論正の数です。
正の数と正の数の和は、必ず正の数です。
だから、左辺>0です。
もっとも平易なタイプの2次不等式は、このように証明されます。
なぜ、この問題が解けないのか?
課題としては、
「実数を2乗した数は必ず正の数」
「正の数と正の数の和は、正の数」
を、発想できないことです。
解説されれば理解できる。
しかし、解説されないと理解できないのです。
本人の中に、そういう知識がないのだと思います。
問題の解き方のストックとして、頭の中に入れておきましょう。
また、本人としては解説されてやっと理解できるそんなことを、証明の答案の中ではほとんど書いていないことが納得できない、ということもあるようです。
わかりきったことを書かないでいると色々注意されるのに、そういうことは、書かなくてもいいという。
そのバランスがわからない・・・。
いや、「実数を2乗した数は正の数だから」「正の数と正の数の和は、正の数だから」と答案の中に書いてもいいんですよ。
それを書いたら減点される、ということはありません。
でも、そんな数学的常識は書かなくていいことになっているのです。
つまり、数学的常識が身についていないため、本人のバランス感覚が数学の世界の常識と違うのです。
これは、数学的常識を身につけていくことでしか解決のつかないことです。
練習を重ねることで、自分の中の常識を変えていきましょう。
数学的に非常識なのは、練習不足が一番の原因です。
問題を解く度に模範解答を読んで、それによって数学答案の書き方と数学的常識を身につけていきましょう。
散歩した都立小金井公園で咲いていました。
さて、今回は、数学の話。数Ⅱ「不等式の証明」から。
問題 2次不等式 x^2-4x+5>0 を証明せよ。
不等式の証明問題としては、基本中の基本です。
しかし、以下のような答案を書いてしまう子もいます。
x^2-4x+5>0
=(x-1)(x-5)>0
よって、
x^2-4x+5>0
証明問題の答案は何をどう書いていけばいいか、わからないのでしょう。
この答案は、0点です。
一番やってしまいがちなミスが、1行目です。
x^2-4x+5>0
という不等式は、これから証明すべきことなのに、1行目にするっと書いてしまうのです。
そして、それを書いてはいけないということを、理解できない子は多いです。
本人は、ただ問題文を書き写しているだけなので、それがダメだと言われる理由がわからないようです。
「いつも与式を書け書け、書き写せ、とうるさいのに、何で、このときはダメなんだろう?」
と思ってしまうのかもしれません。
これから証明すべきことは、まだ証明できていないことです。
いつもの、不等式を解く問題とは違います。
x^2-4x+5>0 が本当に言えるかどうかはまだ不明であり、それをこれから証明します。
それを事実であるようにするっと書いてしまうことはできません。
どうしても、与式を書きたかったら、答案の1行目に、
x^2-4x+5>0 を証明する。
というふうに書くことならできます。
それなら、意味が通じます。
そう解説すると理解してくれる子もいるのですが、数学の答案に日本語をそんなに書くのは変だと、謎の誤解をしている子もいます。
「えー、そんなのおかしい」
と言います。
数学は数学なのだから、日本語は無駄、不要、と思っているのでしょうか。
いやいやいや。
その考え方のほうが、おかしいんですよ。
早く気づいてください。
でも、反論してくれるだけましなのです。
にこにこ笑っているから、理解しているかなと思っていたら、心の中で勝手に却下している子もいます。
個別指導を受けても、それでは伸びないですよ。
せめて、議論しましょう。
次にまずいのが、2行目です。
x^2-4x+5>0
=(x-1)(x-5)>0
という、このイコールは、どういう意図で書いているんでしょうか?
その子は、以前、テストでこんな答案を書いたこともありました。
問題 方程式 2x^2+3x-15=x^2+2x-9 を解け。
2x^2+3x-15=x^2+2x-9
=x^2+x-6=0
=(x-2)(x+3)=0
=x=2 , -3
日頃、計算過程をしっかり書いていくことがなく、ノートは計算メモばかりの子でした。
イコールをまともに書いたことがないので、いざ答案を書けと言われると、どう書いていいのかわからなかったのでしょう。
学校の定期テストだけは頑張って答案を書こうとし、訳のわからないところにイコールを書きまくっていました。
こういう答案を書いてしまうと、
「解き方の手順だけは覚えているが、意味はわかっていないんだな」
と数学の先生に解釈されかねません。
そういうことが続くと、理系に進学したいと希望を伝えても、高校の先生にブロックされることがあるのです。
具体的には、数Ⅲを選択することを禁じられます。
それより手前、数Bを選択することを禁じられた子もいました。
本人の進路なのに、何でそんな勝手なことをするんだ!
という怒りもわかりますが、上のような答案を書いている子を理系に進ませないのは、高校の先生の温情かもしれません。
数学が全くわかっていない。
しかも、答案を読む者にそれが伝わっているということすら、本人には理解できていない・・・。
自分のどこがどの程度ダメであるか自覚できる子ならば、伸びる可能性があるのです。
しかし、これでは、おそらく、話が通じない・・・。
少なくとも、上の答案では、そう思われてしまいます。
例えば、テストでついうっかり 2+3=6 という計算ミスをしても、それで、
「数学センスがない」
「数学が全くわかっていない」
と言われることはないのです。
でも、上のような答案を書いてしまうと、ああ、この子は数学が全くわかっていないのだ・・・と思われてしまう可能性があります。
しかし、数学ができない子は、それを逆にとらえてしまう傾向があります。
2+3=6 としてしまうのはダメ。
一方、上のような、
2x^2+3x-15=x^2+2x-9
=x^2+x-6=0
=(x-2)(x+3)=0
=x=2 , -3
という答案は、答が合っているのになぜダメだと言われるのか、理解できない。
つまりは、答さえ合っていればいいという、小学校時代の感覚から一歩も前に進んでいないのだろうと思います。
いえ、小学校時代の算数だって、本当は、答さえ合っていれば良かったわけではないのです。
ただ、そういう形式のテストが多かったので、それで、本人はそのように勘違いしてしまったのでしょう。
その勘違いをいつまでもひきずって、数学にバージョンアップできず、気がつくと、もう数Ⅱを学習する段階にきてしまった・・・。
そして、突然、高校の数学の先生から、
「数学がわかっていない」
と断定される。
本人には、寝耳に水のことかもしれません。
上のような答案を書く子は数学センスがないとも、数学がわかっていないとも、私は思いませんが、しかし、課題があるのは事実です。
そして、それは、数学上の課題というよりも、もっと別の課題のように思います。
まずは観察力の問題。
塾に行かずに自学しているのだとしても、教科書の解答や学校の先生の板書を見れば、自分の答案と違うということに気づいてもいいはずです。
学校の先生が授業中に、「こういうふうに書きなさい」と注意している場合も多いでしょう。
そういうものを全部無視し、素通りしてしまうのです。
観察の目が粗いのでしょうか。
大体同じだから、大丈夫、と思ってしまうようです。
それは、やはり、能力の問題も多少あるかもしれません。
緻密さがないのです。
そこまで緻密さを要求されるはずがないと、本人が勝手にゆるい基準を設けてしまうので、世間の基準とのズレが大きい。
そのために、能力を疑われる結果になってしまいます。
やればできるのかもしれないのですが。
そして、改善する力の問題。
教科書の解答や学校の先生の板書と、自分の答案とに違いがあることには、気づいている場合もあります。
個別指導塾に通っていれば、「それは違うよ。こう書くんだよ」と指導が入るでしょう。
それでも、直さない。
いや、そんなの大差ない。
自分のやり方でいいはずだ。
と、なぜかそのように考える傾向のある子はいます。
自分は勉強ができるのに、何か、あれを直せ、これを直せと言ってくる。
もっと自分を認めてほしいのに。
何でこのセンセイは自分を認めないんだー。
・・・と思っているのだろうか?
と講師として首を傾げてしまうほど、何を助言しても直さない子は、いつの時代もいます。
そして、学校の先生に全否定され、数学のテストの点数がひどく低くなってから、現実に気づきますが、その頃には、何をどう直せばいいのか、本人の理解が追い付かなくなっていることがあります。
何を助言しても直さない。
それにも、実は理由があるのかもしれません。
日本語を多用した数学答案や、思考の過程を丁寧に書いていく答案の価値を、本人が認めていない可能性があります。
そこまでする必要はないと、本人が判断しているのだと思うのです。
その根本にあるのは何なのか?
それは単に、字を書くのが好きではない、ということだったりするのかもしれません。
子どもの頃、鉛筆を上手く持てず、字を書くのがつらくて不快だったのかもしれません。
高校数学を学習する年齢になっても、それをひきずってしまっている可能性はないでしょうか。
もう1つは固定観念でしょうか。
数学は、数学なんだから、数式だけ書いていくものだ、という固定観念。
とにかく左端にイコールをつけておけばいいんだ、という固定観念。
答案の中に日本語が入っているほうがおかしいんだ、という固定観念。
複雑な問題になればなるほど、答案の中に日本語が多く含まれていく、という事実を知らないのか。
あるいは認めたくないのか。
それも繰り返し説明しているのですが、固定観念が強過ぎて、自分の考えに反する内容は聞こえないようです。
あるいは、
「学校の数学のテストは、どうせ大半は答だけ書けばいい形式だし」
と思って聞き流している可能性もあります。
前半の計算問題は答だけ記入する形式ということもありますが、後半、記述形式の問題は必ずあります。
学校の数学の先生は、そこを見ています。
そして、ある日突然宣告されます。
「君は、理系には進めない」
その前に、立ち止まって、気づいてほしいのです。
自分で文系を選択するのは別に構わないですが、理系に進めないと宣告されるのは、嫌じゃないですか。
実は、正しい書き方がわからない、ということもあるでしょう。
正しい書き方の何がどう正しくて、自分の書き方の何がどうダメなのか、解説されても、理解が追い付かない。
どうでもいい、と思っていることが、理解の妨げになる面もありますが、理解しようとしても、理解できない。
イコールの意味や、証明ということの意味がそもそもわかっていないのです。
そういうことも、あると思います。
上の不等式の証明の誤答に戻ります。
x^2-4x+5>0
=(x-1)(x-5)>0
このイコールの使い方では、イコールの意味が理解できていないことが露呈しています。
これでは、何と何が等しくて、何が>なのか、意味不明です。
そのことが、自分で書いていてわからないのです。
x^2-4x+5
=(x-1)(x-5)>0
これならば、答案としては誤答ですが、イコールの使い方は間違っていません。
でも、上の書き方とこの書き方の何がどう違うのかよくわからない、という人がいます。
イコールの意味のような根本の概念になると、小学生の頃に脳の奥までしみ込んでよく理解しているのでない限り、後になって学習して使いこなすのは難しいのかもしれません。
絶対に不可能だとは思いませんが。
ところで、この答案は、答案の書き方がおかしいだけでなく、解き方そのものも間違っています。
因数分解としても、間違っていますし。
x^2-4x+5 は、実数の範囲では因数分解できません。
因数分解できたところで、左辺>0 など証明できませんし。
x-1、x-5のそれぞれが正の数か負の数かわからないのですから、その積が正の数か負の数かなど、判断がつきません。
では、どうすればいいのか?
どうすれば、左辺が正の数であることを示せるのか?
「因数分解ではありませんよ。平方完成をするんだったでしょう?」
「・・・」
「私の言っていることが、わかりますか?頭の中で漢字変換できますか?因数分解ではなく、平方完成」
「・・・」
平方完成と板書して、指さします。
「言ってみて。リピート・アフター・ミー。平方完成」
「ヘーホーカンセー・・・。あっ・・・!」
「わかった?やりましょう、平方完成」
やりましょう、平方完成。
x^2-4x+5
=(x-2)2-4+5
=(x-2)2+1>0
すなわち、
x^2-4x+5>0
これが正解です。
x-2という( )の中の値は、正か負かわかりません。
しかし、2乗すれば、どちらにしても正の数になります。
だから、(x-2)2は、正の数です。
+1は勿論正の数です。
正の数と正の数の和は、必ず正の数です。
だから、左辺>0です。
もっとも平易なタイプの2次不等式は、このように証明されます。
なぜ、この問題が解けないのか?
課題としては、
「実数を2乗した数は必ず正の数」
「正の数と正の数の和は、正の数」
を、発想できないことです。
解説されれば理解できる。
しかし、解説されないと理解できないのです。
本人の中に、そういう知識がないのだと思います。
問題の解き方のストックとして、頭の中に入れておきましょう。
また、本人としては解説されてやっと理解できるそんなことを、証明の答案の中ではほとんど書いていないことが納得できない、ということもあるようです。
わかりきったことを書かないでいると色々注意されるのに、そういうことは、書かなくてもいいという。
そのバランスがわからない・・・。
いや、「実数を2乗した数は正の数だから」「正の数と正の数の和は、正の数だから」と答案の中に書いてもいいんですよ。
それを書いたら減点される、ということはありません。
でも、そんな数学的常識は書かなくていいことになっているのです。
つまり、数学的常識が身についていないため、本人のバランス感覚が数学の世界の常識と違うのです。
これは、数学的常識を身につけていくことでしか解決のつかないことです。
練習を重ねることで、自分の中の常識を変えていきましょう。
数学的に非常識なのは、練習不足が一番の原因です。
問題を解く度に模範解答を読んで、それによって数学答案の書き方と数学的常識を身につけていきましょう。
2023年06月09日
中間テストの反省と分析。
画像は、フタリシズカ。林床にひっそりと静かに咲いていました。
さて、私立中学や、都立・私立高校の中間テストの返却が終わり、得点が出揃いました。
この春から、うちの教室で英語を学習し始めた高校2年生が2人います。
前回のテスト、すなわち、1年の学年末テストと比べて、1人は10点アップ、もう1人は20点アップしました。
英語だけで2科目の試験がありますが、それぞれ、20点ずつ上がっていました。
最初のテストとして、まずまずの結果となりました。
まだ伸びしろはあります。
楽しみです。
興味深かったのは、春から入会した子たちの前回までのデータを私は知りませんので、テストの答案を眺めて、
「これは、1年のときの学年末テストと比べて上がったんですか?下がったんですか?」
と素朴な疑問をぶつけてみたところ、1人は、学年末の英コミュは何点で、論理表現は何点だったと正確に情報を提供してくれたのですが、もう1人は、
「1年生のときは、1学期中間が何点で、その後は、何点くらいになって、大体平均すると、1年の平均点は、今回の得点と同じくらいです」
と答えたことでした。
要するに、高1の1学期中間だけが非常に高い得点なのでした。
学校推薦か総合型選抜での大学受験を考えているので、とにかく、3年間の平均について考える癖がある。
前回の得点より何点上がったかではなく、1年の最初からのトータルの平均点が上昇しているのか下降しているのかが重要・・・。
ここで気になるのが、高過ぎる高1の1学期の中間の得点でした。
高1の1学期中間テストの得点だけが桁外れに高く、以後は、似たような低い得点の繰り返しなのでした。
高1の1学期中間がどれだけ良くても、それ以後、2度と回復しなかったのであれば、その1学期中間テストの得点は、私から見れば「外れ値」であり、入試上のデータはともかく、自分の本当の実力としての平均点を出すときには除外すべき得点ではないかと思います。
1年の1学期中間だけは良い得点だった、ということは、誰にでもあることです。
中学生ならば、もっと起こりやすいことです。
英語だけでなく数学でも、中学1年の1学期だけは、良い得点だった。
1学期の成績も、5段階で「5」を取った。
しかし、それは、振り返れば、英語・数学において、生涯で唯一の「5」だった・・・。
そんな人は、多いと思います。
でも、1回高得点を取ると、それがセルフイメージになってしまうのも、無理からぬところがあります。
本人以上に、保護者の方は、「本当はこの成績のはず」という思いが強くなるかもしれません。
だって、1度はとれたんだから。
また、必ずそこに戻れるでしょう?
そういう見方をすると、今回のテストも、上がったわけではなく、ようやく平均値に戻っただけ、となるようです。
理想が高いのは嫌いではありません。
今回の得点は、本人の中では、ようやく昨年度の平均点。
了解。
それ以上を目指しましょう。
学年が上がり、学習内容が難化していく中で、流れに逆らって得点を上げていくのは大変なことですが、大変だからこそやらなければなりません。
さて、テストで得点を上げていくには、そのテストに対する分析が必要です。
それができるかどうかが、次回のテストの鍵となります。
しかし、一般論として、これができない子が多いです。
まずは、単純にテストの解き直しすらしない子がいます。
テストが返却される頃には、問題用紙を紛失している子もいます。
繰り返し繰り返し説諭し、何年もかけて治していくしかない課題です。
学校から解き直しが宿題として出ていて、「テスト直しノート」を提出しなければならない場合でも、その作業が大嫌いという子は多いです。
新しい問題を解き散らかすのは好きだけれど、自分が間違えた問題を解き直すのは嫌いなのです。
塾の宿題の解き直しでも、傍目でそれとわかるほどテンションが下がる子がいます。
自分のマイナスを見つめさせられているようで嫌なのでしょうか。
あるいは、単純に、過ぎたことをいつまでもぐちゃぐちゃやっている感じが不愉快で、スッキリと新しい問題を解きたいのかもしれません。
そういう、小学生みたいな子は、高校生になってもいます。
というわけで、本人に任せていたら絶対に解き直しをしそうにない子は、塾の授業時に解き直しをします。
英語のテストの解き直しの場合に、私が訊くことがあります。
たとえば、英語コミュニケーションのテストで。まずは大問1。空所補充の4択問題。
「この問題は、テスト範囲のどこから出ているんですか?」
「・・・」
学校の教科書のテスト範囲の対策はしていますので、教科書から出ているのではないことは、見てわかるのです。
「単語集ですか?」
「・・・多分、そうだと思います」
「大問1の10問、各1点で合計10点。これが全部単語集からの出題なんですね?」
「・・・はい」
「ほお。学校の先生は、優しいですね。単語集からの出題の問題が、該当単語を書かせる問題ではなく、文中の空所補充の4択問題なんですね。これならスペルミスする可能性はないので、単語の意味さえ覚えておけば、満点が取れますね」
「・・・」
「嫌味で言っているんじゃないんですよ。テスト範囲の単語集をやっておきなさいと言ったのに、結局捨てたんだと思うんですが、こういう出題形式ならば、少し頑張れば得点できますから、次回は頑張りましょうよ」
「・・・はい」
さらに、大問2。乱文整序問題。
「この問題は、テスト範囲のどこから出ているんですか?」
「・・・単語集だと思います」
「これも単語集から出ているんですか?単語集の例文を乱文整序する問題ということですか?」
「・・・そうだと思います」
「大問2の5問、各1点で合計5点。大問1と合わせると、合計15点。これが全部単語集からの出題ですか。それで、こんなに失点しているんですね」
「・・・はい」
「これは、他の人と比べて、あなただけが、85点満点のテストで奮闘したということですよ」
「・・・」
「それにしては、良い点ですよね。次回はここで得点しましょうね。あっという間に英語の得点は上がりますね。このテスト、楽勝ですわ」
「・・・」
本当に、近年は、英語も数学も高校の定期テストは易化しています。
学校推薦や総合型選抜を目指す生徒が過半数の昨今、難し過ぎるテストでは評定平均が低くなるとの配慮からでしょうか。
それでも、昔のテストを知らない高校生は、これで難しいと思っています。
いやいやいや。
ひと昔前の高校の英語のテストなんて、こんなものじゃなかったんですよ。
例えば、コミュニケーション英語のテストは、単語や熟語は、スペルを書かせるのが当たり前でした。
その後は、何のテスト範囲なのかよくわからない4択問題が大量に出題されていて、別紙のマークシート解答用紙が用意されている。
その後、普通の解答用紙に戻ると、和訳問題が10~15問は出ていて、頑張って解いたところで△ばかり。
解いても解いてもまだ問題があり、後半は初見の長文問題が2~3題。
そこまで到達できる生徒はほとんどいない・・・。
そして、英語表現は、文法4択問題や乱文整序問題が大量出題されているのは当然としても、なぜか初見の長文問題も出題されている。
どちらが何の科目のテストなのか、ちょっと見ただけではよくわからない。
さらに、和文英訳。
そして、100語あるいは200語の課題英作文問題。
この悪夢のようなテストで、高校生の英語の成績をどう上げていけば良いのだろう?
平均点が40点というテストを作って、高校の先生は、何も感じていないのか?
そう思うことも多くありました。
それに比べれば、今どきの高校の定期テストなんて、本当に親切の塊、先生の「親心」の塊みたいなものです。
さて、大問3以降は、教科書本文に関する問題でした。
「よくできています。素晴らしいですね」
「はい」
「これを、もう少し厳密に分析するのならば、学校の教科書準拠ワークの問題とそっくり問題なのか、教科書の章末の演習問題なのか、学校の先生がくれたプリントとそっくり問題なのか、それとも、少し変えてあるのか、それも1問1問分析するといいですよ」
「はあ・・・」
「データ分析を徹底するなら、そうなります。その一方、とにかく、英語力をつければ、どんな出題がされても正解できるので、英語力をつける、本文の暗唱を今まで以上に頑張るという方向でも、勿論いいんですよ」
「・・・」
「英語力をつけることが究極の目標ですからね。データ分析ばかりやっていると、先生が出題傾向を変えた瞬間に敗北する、ということもありますから」
「・・・」
とりあえず、教科書範囲からの出題の正答率は高く、喜ばしいことです。
「あとは、応用問題ですね。初見の長文問題を解くには、普段から、初見の長文問題を解いていくのが、遠回りのようで近道です。単語力増強にもなりますし。頑張りましょうね」
「・・・はい」
こんなふうに、手取り足取り、テストの反省の仕方と同時に、出題傾向の分析の仕方を教えます。
その一方で、ほおっておけば生徒が自力では行わない、リスニング、教科書本文暗唱、初見の長文読解、文法事項のまとまった解説と演習、ライティングの添削などを繰り返していきます。
何かもっと21世紀的な、AIを使った機能的などうのこうのを求めている生徒には、地味に映るかもしれません。
努力しなくても楽勝で英語が得意になれる方法を探している人がきょろきょろしている間に、地道に当たり前の努力をして、サクサク得点を上げています。
新規生徒、募集中です。
さて、私立中学や、都立・私立高校の中間テストの返却が終わり、得点が出揃いました。
この春から、うちの教室で英語を学習し始めた高校2年生が2人います。
前回のテスト、すなわち、1年の学年末テストと比べて、1人は10点アップ、もう1人は20点アップしました。
英語だけで2科目の試験がありますが、それぞれ、20点ずつ上がっていました。
最初のテストとして、まずまずの結果となりました。
まだ伸びしろはあります。
楽しみです。
興味深かったのは、春から入会した子たちの前回までのデータを私は知りませんので、テストの答案を眺めて、
「これは、1年のときの学年末テストと比べて上がったんですか?下がったんですか?」
と素朴な疑問をぶつけてみたところ、1人は、学年末の英コミュは何点で、論理表現は何点だったと正確に情報を提供してくれたのですが、もう1人は、
「1年生のときは、1学期中間が何点で、その後は、何点くらいになって、大体平均すると、1年の平均点は、今回の得点と同じくらいです」
と答えたことでした。
要するに、高1の1学期中間だけが非常に高い得点なのでした。
学校推薦か総合型選抜での大学受験を考えているので、とにかく、3年間の平均について考える癖がある。
前回の得点より何点上がったかではなく、1年の最初からのトータルの平均点が上昇しているのか下降しているのかが重要・・・。
ここで気になるのが、高過ぎる高1の1学期の中間の得点でした。
高1の1学期中間テストの得点だけが桁外れに高く、以後は、似たような低い得点の繰り返しなのでした。
高1の1学期中間がどれだけ良くても、それ以後、2度と回復しなかったのであれば、その1学期中間テストの得点は、私から見れば「外れ値」であり、入試上のデータはともかく、自分の本当の実力としての平均点を出すときには除外すべき得点ではないかと思います。
1年の1学期中間だけは良い得点だった、ということは、誰にでもあることです。
中学生ならば、もっと起こりやすいことです。
英語だけでなく数学でも、中学1年の1学期だけは、良い得点だった。
1学期の成績も、5段階で「5」を取った。
しかし、それは、振り返れば、英語・数学において、生涯で唯一の「5」だった・・・。
そんな人は、多いと思います。
でも、1回高得点を取ると、それがセルフイメージになってしまうのも、無理からぬところがあります。
本人以上に、保護者の方は、「本当はこの成績のはず」という思いが強くなるかもしれません。
だって、1度はとれたんだから。
また、必ずそこに戻れるでしょう?
そういう見方をすると、今回のテストも、上がったわけではなく、ようやく平均値に戻っただけ、となるようです。
理想が高いのは嫌いではありません。
今回の得点は、本人の中では、ようやく昨年度の平均点。
了解。
それ以上を目指しましょう。
学年が上がり、学習内容が難化していく中で、流れに逆らって得点を上げていくのは大変なことですが、大変だからこそやらなければなりません。
さて、テストで得点を上げていくには、そのテストに対する分析が必要です。
それができるかどうかが、次回のテストの鍵となります。
しかし、一般論として、これができない子が多いです。
まずは、単純にテストの解き直しすらしない子がいます。
テストが返却される頃には、問題用紙を紛失している子もいます。
繰り返し繰り返し説諭し、何年もかけて治していくしかない課題です。
学校から解き直しが宿題として出ていて、「テスト直しノート」を提出しなければならない場合でも、その作業が大嫌いという子は多いです。
新しい問題を解き散らかすのは好きだけれど、自分が間違えた問題を解き直すのは嫌いなのです。
塾の宿題の解き直しでも、傍目でそれとわかるほどテンションが下がる子がいます。
自分のマイナスを見つめさせられているようで嫌なのでしょうか。
あるいは、単純に、過ぎたことをいつまでもぐちゃぐちゃやっている感じが不愉快で、スッキリと新しい問題を解きたいのかもしれません。
そういう、小学生みたいな子は、高校生になってもいます。
というわけで、本人に任せていたら絶対に解き直しをしそうにない子は、塾の授業時に解き直しをします。
英語のテストの解き直しの場合に、私が訊くことがあります。
たとえば、英語コミュニケーションのテストで。まずは大問1。空所補充の4択問題。
「この問題は、テスト範囲のどこから出ているんですか?」
「・・・」
学校の教科書のテスト範囲の対策はしていますので、教科書から出ているのではないことは、見てわかるのです。
「単語集ですか?」
「・・・多分、そうだと思います」
「大問1の10問、各1点で合計10点。これが全部単語集からの出題なんですね?」
「・・・はい」
「ほお。学校の先生は、優しいですね。単語集からの出題の問題が、該当単語を書かせる問題ではなく、文中の空所補充の4択問題なんですね。これならスペルミスする可能性はないので、単語の意味さえ覚えておけば、満点が取れますね」
「・・・」
「嫌味で言っているんじゃないんですよ。テスト範囲の単語集をやっておきなさいと言ったのに、結局捨てたんだと思うんですが、こういう出題形式ならば、少し頑張れば得点できますから、次回は頑張りましょうよ」
「・・・はい」
さらに、大問2。乱文整序問題。
「この問題は、テスト範囲のどこから出ているんですか?」
「・・・単語集だと思います」
「これも単語集から出ているんですか?単語集の例文を乱文整序する問題ということですか?」
「・・・そうだと思います」
「大問2の5問、各1点で合計5点。大問1と合わせると、合計15点。これが全部単語集からの出題ですか。それで、こんなに失点しているんですね」
「・・・はい」
「これは、他の人と比べて、あなただけが、85点満点のテストで奮闘したということですよ」
「・・・」
「それにしては、良い点ですよね。次回はここで得点しましょうね。あっという間に英語の得点は上がりますね。このテスト、楽勝ですわ」
「・・・」
本当に、近年は、英語も数学も高校の定期テストは易化しています。
学校推薦や総合型選抜を目指す生徒が過半数の昨今、難し過ぎるテストでは評定平均が低くなるとの配慮からでしょうか。
それでも、昔のテストを知らない高校生は、これで難しいと思っています。
いやいやいや。
ひと昔前の高校の英語のテストなんて、こんなものじゃなかったんですよ。
例えば、コミュニケーション英語のテストは、単語や熟語は、スペルを書かせるのが当たり前でした。
その後は、何のテスト範囲なのかよくわからない4択問題が大量に出題されていて、別紙のマークシート解答用紙が用意されている。
その後、普通の解答用紙に戻ると、和訳問題が10~15問は出ていて、頑張って解いたところで△ばかり。
解いても解いてもまだ問題があり、後半は初見の長文問題が2~3題。
そこまで到達できる生徒はほとんどいない・・・。
そして、英語表現は、文法4択問題や乱文整序問題が大量出題されているのは当然としても、なぜか初見の長文問題も出題されている。
どちらが何の科目のテストなのか、ちょっと見ただけではよくわからない。
さらに、和文英訳。
そして、100語あるいは200語の課題英作文問題。
この悪夢のようなテストで、高校生の英語の成績をどう上げていけば良いのだろう?
平均点が40点というテストを作って、高校の先生は、何も感じていないのか?
そう思うことも多くありました。
それに比べれば、今どきの高校の定期テストなんて、本当に親切の塊、先生の「親心」の塊みたいなものです。
さて、大問3以降は、教科書本文に関する問題でした。
「よくできています。素晴らしいですね」
「はい」
「これを、もう少し厳密に分析するのならば、学校の教科書準拠ワークの問題とそっくり問題なのか、教科書の章末の演習問題なのか、学校の先生がくれたプリントとそっくり問題なのか、それとも、少し変えてあるのか、それも1問1問分析するといいですよ」
「はあ・・・」
「データ分析を徹底するなら、そうなります。その一方、とにかく、英語力をつければ、どんな出題がされても正解できるので、英語力をつける、本文の暗唱を今まで以上に頑張るという方向でも、勿論いいんですよ」
「・・・」
「英語力をつけることが究極の目標ですからね。データ分析ばかりやっていると、先生が出題傾向を変えた瞬間に敗北する、ということもありますから」
「・・・」
とりあえず、教科書範囲からの出題の正答率は高く、喜ばしいことです。
「あとは、応用問題ですね。初見の長文問題を解くには、普段から、初見の長文問題を解いていくのが、遠回りのようで近道です。単語力増強にもなりますし。頑張りましょうね」
「・・・はい」
こんなふうに、手取り足取り、テストの反省の仕方と同時に、出題傾向の分析の仕方を教えます。
その一方で、ほおっておけば生徒が自力では行わない、リスニング、教科書本文暗唱、初見の長文読解、文法事項のまとまった解説と演習、ライティングの添削などを繰り返していきます。
何かもっと21世紀的な、AIを使った機能的などうのこうのを求めている生徒には、地味に映るかもしれません。
努力しなくても楽勝で英語が得意になれる方法を探している人がきょろきょろしている間に、地道に当たり前の努力をして、サクサク得点を上げています。
新規生徒、募集中です。
2023年06月01日
英語長文読解。木を見て森を見ずな読み方をする子もいます。
単語力はある。
文法も理解している。
だから、難問でも正解できる。
その一方で、簡単な問題で間違える・・・。
共通テスト模試などで、最後まで解ききるスピードも読解力も持ち合わせていながら、前半の簡単なところで誤答する子がいます。
例えば、ある共通テスト模試の、大問1のポスターの内容を読み取る問題。
「ローカル・フード・フェスティバル」に参加するシェフを募集するポスターを読む問題でした。
郷土料理フェスの中で料理コンテストを開催するので、その参加者を募集中。
優勝は、当日来た人たちの投票で決める。
あわせて、フェスの設営ボランティアも募集。
そういう内容の英文でした。
設問1 The purpose of this notice is to find people from the local town to ( ).
① donate food to a school
② take cooking lesson
③ take part in an event
④ volunteer for a charity
日本語に直すと、
設問1 この告知の目的は、( )地元の町の人々を見つけること 。
①食べ物を学校に寄付してくれる
②料理のレッスンを受けてくれる
③イベントに参加してくれる
④チャリティーのためにボランティアをしてくれる
大問1の問1ですから、正直、ポスターの1行目、太く大きい文字で書かれたところを読んだだけで正解できるレベルの問題でした。
正解は、③です。
しかし、その子は、④を選びました。
前にも書きましたが、英文が実際のところほとんど読めないので、本文と同じ単語を使っている選択肢を選んでしまう子の場合は、③は選べないかもしれません。
③は本文の内容を別の言葉で言い換えています。
take part in という熟語の意味がわからないので、正解できない、ということもあるでしょう。
本文中にある volunteer という単語を使ってある④の選択肢をとりあえず選んでしまう、という誤答パターンに陥りがちです。
しかし、その子は、そんな英語力ではありませんでした。
必要ないから英検準1級は受けないけれど、受ければ合格するでしょう。
そういう英語力で、こういうすっぽ抜けがときどきあるのでした。
共通テストの英語なんて、満点に限りなく近い点を取っておきたいのに。
その子は、③と④で迷ったけれど、④をどうしても消せなかった、と言うのでした。
「・・・でも、このポスターは、料理コンテストに参加する人を募集するのが主な目的だというのは、わかりますよね?」
「それはわかりますけど」
「それがわかるのならば、③にすればいいんじゃないですか?」
「でも、ボランティア募集って書いてあるから」
どうすれば、この子の誤解を解けるのだろう。
私は考えこみました。
どうすれば、説得できる?
「・・・このフェスは、チャリティーですか?」
「でも、ボランティアは、お金は取らないからチャリティーです」
「お金を取らないと、チャリティーなの?チャリティーは、慈善事業という意味です。このフェスは、慈善事業なんでしょうか。これは、郷土料理の振興とか拡散とか、そういうのが目的で、チャリティーではないと思いますが?」
「・・・」
「ボランティアとチャリティーは、意味が違うんですが、もしかして、そこの混同がある?」
「あ。そうかもしれない」
どこか知らない架空の町の、自治体か地元団体主催の郷土料理振興イベントはチャリテイーであるのかないのかを真剣に考えることになる。
奇妙な誤読をする子との会話は、面白いです。
私の指導力が問われ、わくわくします。
また、別の問題。
これも、共通テスト形式の模試の中ではまだまだ易しい大問3。
外国人の女性が、日本の銭湯に行く話でした。
他人の前で服を脱ぐなんて、恥ずかしいんじゃないかしら。
自分にはわからない慣習やルールがあるんじゃないかしら。
何より心配なのは、自分は肩にタトゥーがあるんだけど、それでは銭湯に入れないんじゃないかしら。
そのように心配している外国人女性に、日本人の友人がアドバイスをくれます。
タトゥーのところにばんそうこうを貼っていけば、大丈夫。
必死の思いで打ち明けたタトゥーの件を、日本人の友人が意に介さない様子に、外国人女性は驚きます。
そんなこんなで、第3段落。
In the baths a few days later, indeed I had forgotten all about my worries. I was allowed to enter the baths because I covered my tattoo with an adhesive bandage.
数日後の銭湯の中で、本当に、私は心配ごとをすべて忘れてしまった。私は、銭湯に入ることを許された。なぜなら、私はタトゥーをばんそうこうで覆ったからだ。
しかし、その後、銭湯の中で日本人のおばあさんに、
「その肩はどうしたの?」
と訊かれます。
外国人女性は当惑するのですが、正直に、
「実はタトゥーがあって、それを隠しているんです」
と説明します。
すると、おばあさんは、
「そうなの。怪我をしているのかと心配しただけ。怪我でなくてよかった」
と応えます。
外国人の女性、それを聞いて、ハッピーになり、物語終了。
この種の問題の典型題として、語り手の心情を正しい順番で述べている選択肢を選ぶ問題というものがあります。
正答は、
「不安→驚き→安堵→当惑→ハッピー」
という流れです。
これを誤答した子がいました。
「不安→安堵→驚き→当惑→ハッピー」
という選択肢を選んだのです。
なぜ、その選択肢を選んだのかについて、その子は、この外国人女性は、銭湯に行く前にもう安堵していたと主張するのでした。
だから、安堵は前のほうに来ているはず。
その根拠が、上の一文、
In the baths a few days later, indeed I had forgotten all about my worries.
でした。
ここが、過去完了なので、銭湯に行く前に、もうすでに、すべての心配事は忘れてしまっていたのだというのです。
だから、「安堵」は早めに来ていないとおかしい、というのでした。
うん?
ちょっと待って。
どういうこと?
なぜ、その1文だけで、文脈を無視して、感情の流れを誤読してしまうのだろう?
その1文に、なぜ、そんなにこだわるのだろう?
同じ文章なのに、私とは見えているものが違うことに、正直、驚くのです。
何か特定の1文、あるいは1部分だけが、太字ゴシックで見えているのだろうかと思うほど、些末な1部にこだわって、前後の流れを無視します。
そういう誤読は、どういうメカニズムで起こるのだろう・・・。
「・・・文脈を読みましょう」
「でも、書いてあるから」
「この外国人女性は、銭湯に入る前に不安が消えたと思いますか?」
「でも、書いてあるから」
「確かに、書いていないことは、読まなくていいです。行間は読まなくていいです。でも、文脈は読んでください」
「でも、書いてある」
「その文は、『数日後の銭湯の中で、本当に、私はすべての心配を忘れてしまった』という意味です。湯舟につかって、ようやく安堵したんでしょう?」
「あ・・・。そうか!そういう意味なのか!書いてある!」
「うん」
そのたった1文の過去完了形のために、前後を無視して、別の意味を読み取ってしまう・・・。
こういう誤読をするから、秀才なのに案外国語が苦手。
英語も、簡単な問題で誤答してしまうのです。
木を見て、森を見ず。
1文にこだわり、そこに引き付けられ、それだけを重視した読み方をしてしまうようなのです。
なぜ、特定の1文にこだわるのか。
他の文から得られる情報との矛盾を無視するのか。
文脈が破壊されるのも構わず、その1文を誤読し、幻覚を見てしまうのか。
それで思い出したのは、国語を教えていた別の生徒のことでした。
以前に書きましたが、小説の主人公と、その父親と祖父との人間関係の読み取りができない子がいました。
写真館の一家の話で、父親と祖父が写真を撮りに行った夜のこと。
少年が父親に、
「お父さんのフィルムは現像したの?」
と尋ね、それに対して父親が、
「お父さんのフィルムは抜いておいた。お父さんのだけが撮影されていて、おじいちゃんのが撮影されていなかったら・・・」
「お父さんは、優しいね」
そういう会話部分の読み取りでした。
その会話の意味を読み取れなかったのです。
主人公は、お父さんのどういう行動を優しいと考えていますか。
そういう設問に、その子は答えられませんでした。
答は、「自分のカメラのフィルムを抜いておいた行為」です。
特に難しい設問ではありませんでした。
しかし、その子の答案は白紙で、解説しても呆然としていました。
このときも、色々と対話を重ねて、ようやくわかったことがありました。
その子は、父親のセリフの中の「お父さん」は、お父さんのお父さんなのだから、おじいちゃんのことを指すのだと思い込み、父親が祖父のカメラのフィルムを故意に抜き取ったと誤読したのです。
それは、確かに「優しい行動」とは思えない。
設問の意味も、文章の意味も、これではわからない・・・。
文字が読めないわけではない。
読み飛ばしているのでもなさそうです。
でも、読み方が奇妙なのです。
何か偏っています。
「お父さんのお父さんは、お祖父ちゃん」ということ自体は間違っていません。
でも、ここで用いることではありません。
そういうことを、なぜか唐突に用いてくるのです。
前後とつながらなくても、そのことを優先します。
根本的には、文章の流れを読まず、1文1文で意味が区切れてしまうことが影響しているのだろうと思います。
独りで読んでいては、これは解決しない。
どういう読み方をしているのか、丹念に分析する個別指導が必要になります。
会話が可能な子であれば、修正は早いのです。
自説にこだわる分だけ言葉数が多い子なら、変化も速いです。
対話が可能であり、説得が可能なのです。
対話する中で、読み方の奇妙な癖が明らかになります。
自分の読み方の癖を理解できれば、それにより、修正が可能です。
四択問題で誤答したときに、なぜ、その誤答を選んだのか?
私のその問いかけに、何か説明できる子です。
話す内容は、たどたどしくてもいいのです。
単語だけでも、何か伝えようとしてくれれば、その言葉を私が拾っていけます。
対話が可能であれば、私が分析でき、それを本人に説明することができます。
本人が、自分の「読み癖」のようなものを意識すれば、変化が起こります。
一方、黙り込んでしまう子は、伸ばすのが難しく、苦労が多いです。
なぜ黙り込んでしまうのか。
誤答したことを責められているように感じるのでしょうか。
責めているのではない。
ここで原因をはっきりさせておけば、次は正解できるでしょう?
そのように言っても、反応は薄いです。
音声言語を理解する力も、不足しているのだろうか・・・。
いや、言われたことは理解しても、なお自分の思いを優先したいのかもしれません。
大人との距離の取り方が防衛的な子もいます。
何だかよくわからない小さな嘘をつくことがあるので、そういうことなのかなと想像します。
最近は、教室に入ってきて、洗面所で手を洗うふりをする、という小さい嘘を見て、何だろうなあこれは、と思ったことがありました。
ハンドタオルを忘れたことを知られたくなかったようです。
タオル忘れたから、ティッシュ貸してください。
たったそれだけのことが言えない。
手を洗うふりだけする、という方向に逃げてしまう。
そのとっさの判断ミスは、テストでの間違い方に似ている気がするのです。
黙り込んでしまう子は、あるいは、選択肢を選ぶときの根拠を言語化できないだけかもしれません。
何となく選んでいるだけだから。
何となく、これが正解のような気がしたから。
その「何となく」を言語化できない。
それができると、自分が陥りやすい過ちが分析できるようになります。
何となく、その選択肢を選んでしまう理由は何なのか。
私も必死に考えます。
私が正確に言い当てることができれば、その子の信頼を獲得できるかもしれないのです。
以前も書きましたが、算数の割合に関する文章題で、
「色紙でつるを600羽折りました。赤い色紙のつるは全体の30%にあたります。赤いつるは何羽でしょう」
という問題にある「全体の30%」の「全体」が600羽であることが読み取れない小学生がいました。
あるいは、
「めぐみさんの学校では、今日は18人休みました。これは学校全体の4%にあたるそうです。今日出席しているのは何人でしょう」
という問題の「これ」が18人を指すことも読み取れませんでした。
また、空所補充問題では、
「2は8の( )です」
「8は2の( )です」
のどちらに約数を、どちらに倍数を入れたらいいのかわからず、正解を教えても首をひねっていました。
文章を読んでいて、句点、最悪の場合は読点ごとに意味が区切れてしまうようなのです。
その都度意味がリセットされてしまって、つながりが理解できないようでした。
また、特に、助詞の機能を理解していない傾向を感じました。
助詞を読み飛ばし、目立つ単語しか目で拾っていないので、文意を取れないのです。
それでも、読解力不足は、諦めてしまわなければならない課題ではありませんでした。
解決の道はあります。
読み方の癖を分析し、修正していくことは可能です。
ただし、それはかなり時間のかかることです。
10何年もかけて育ってしまった誤った読解の癖を修正していくのは、ひと月やふた月では不可能です。
年単位での地道な対話が必要となります。
本人の中に、文章を読むことへのモチベーションが生まれると、それはさらに効果的です。
割合の文章題の読解ができなかった小学生は、その後、高校受験でついに覚醒し、最終的に、都立高校入試本番、国語の四択問題は満点を取りました。