たまりば

地域と私・始めの一歩塾 地域と私・始めの一歩塾三鷹市 三鷹市

2018年01月26日

英語のライティングは英語で発想しましょう。


英語の4分野の能力、リーディング、リスニング、ライティング、スピーキング。
英検2級の出題内容が2016年度から変わっています。
従来の大問3の乱文整序問題がなくなり、代わって英作文が出題されるようになりました。
与えられたテーマに沿って、80語から100語の英文を書きます。
2016年度第1回日曜日実施問題のテーマは、オフィス・カジュアルについて。
第2回日曜日実施問題のテーマは、化学物質を使わない農業について。

何だか難しそうですが、実際の試験はもっと親切で、色々説明してくれています。
例えば、第1回の問題では、
「今日、従業員にジーパンやTシャツのようなカジュアルな服装を許可する会社もあります。
そうした会社の数は将来増えると思いますか」
これならイエスかノーかですから、意見が書きやすいですね。
試験問題は、そう思う理由を2つ書きなさいとも指示されています。
しかも、参考となるポイントも3つあげられてまいす。
ビジネス・カルチャー
快適さ
ファッション
このポイントは使っても使わなくても構いません。

「英作文が苦手」と言う人は多く、あまりにも苦手なので2015年のうちに無理をして英検2級を取った生徒もいました。
大学に内部進学するのに、英検2級取得が必須なためです。
中学3年で英検2級を取得するほうが余程大変なんですが、「英作文が出題される」というのはそれほどショックだったのかもしれません。

しかし、「英作文が苦手」と言う人が、本当にそんなに英作文が苦手なのかというと、どうもそうではない場合も多いように思います。
学年相応に書く能力があるのに、英作文が苦手だと言う人もいるのです。
自分の読む英語と比べて自分の書く英語が幼稚で見劣りがするため苦手意識にとらわれているのでしょうか。

リーディング能力と比べてライティング能力が劣るのは普通のことです。
母国語に関してもそうです。
難解な論文も一応は読み通せるが、書く文章はそれより何段階も劣ったものになるのは仕方ないです。
名文を書こうとしても仕方ない。
わかりやすい文を書けば良いのです。
そういうことを理解していることが客観性ということだよ、と思うのです。

しかし、中学生や高校生はまだなかなか自分の能力について客観性を持てません。
満点でなければならないという固定観念にとらわれている子もいます。
だから、何を書いても△がついて返ってくるテスト答案にショックを受けてしまうのでしょう。
そして苦手意識を持ってしまう。
そういう場合があります。
英作文で満点を取ることを目標として委縮し、結局何も書けないのはつまらないことです。
英作文問題は、満点でなくても構わないんです。
まず、そこから意識を変えられるといいなあと思います。

英作文の何が△になってしまうのかというと、大きくは「文法上の誤りやスペルミス」と「内容」に別れます。
文法上の誤りやスペルミスが多いほど減点されるのは当然で、それは英語力の問題ですから改善したいです。
中学生や高校生に特に多いのは冠詞の欠落。
可算名詞は単数形でむき出して使うことはありません。
必ず冠詞か所有格か指示形容詞がつきます。
平たく言えば、aやtheやmyやthisなどがつくか、そうでなければ複数形で使用します。
これは単純な「和文英訳」問題でもミスの多いところです。

もう少し根深いミスもあります。
中学生や、英語があまり得意ではない高校生は、英作文の宿題を解くときに、辞書を引いて英文を書いてくることがあります。
しかし、品詞に対する意識が希薄なので形容詞や副詞を名詞のように主語として使っていたり、接続詞を使わず文と文をつないでいたり、主語がなかったりします。
何が書いてあるのか全くわからない奇妙な語順の英文を書いてきます。
「これ、日本語から英語にしたでしょう?しかも、辞書を引きましたね?」
と指摘すると、本人は努力してそうしたので、そこを非難されるとびっくりしてしまう様子です。
品詞によって単語を使い分ける文法知識がないと、辞書を引いても正しい英作文はできません。
日本語の語順・表現のまま英語に直しても、意味は通じません。
英文として読み解くことが困難な、暗号のようになってしまい、
「これ、何が言いたかったの?日本語で説明してくれる?」
と私は質問せざるを得ないのですが、そう質問されると生徒はぶ然とし、なかなか答えてくれなかったりします。
嫌味で言ってるわけじゃない。
本当に意味がわからないから訊いているんだよー。
( ;∀;)

例えば「環境問題」を語るのに、「環境問題」を英語で何と言うか、ど忘れした。
そういうことなら辞書を引いて解決したら良いのですが、日本語の言い回しを辞書を引いて繋げただけの作文は、異形のものです。
読むほうもつらい。
本人の努力のわりに報われません。
そうしたことを繰り返したあげくの挫折感から英作文が嫌いになってしまうのは、勿体ないし、哀しいです。
もっと平易な、自分が自力で書くことのできる範囲の英語で十分なのです。
そこから少しずつ書く能力を高めていったら良いのですから。
お手本となるのは、中学の英語の教科書です。
あんなに語彙が少なく、文法も易しいのに、環境問題も、戦争の災禍も、異文化コミュニケーションも、もう何でも説明しています。
あの英文が書けたら、英検2級の英作文は満点でしょう。
目指すところはあそこです。
そんなに難しい単語は必要ないのです。
中学2年・3年の英語の教科書は、だから捨てないで取っておいたほうがいいです。
勿論、高校の教科書も。

子どもは、親に「部屋を片付けなさい」と命じられると、真っ先に勉強関係のものを捨てる傾向がありますが、教科書だけはとっておいたほうが良いのです。
なかには毎年春になると昨年度の教科書・教材を全部捨てる暴挙に出る子どももいますが、受験が終わるまで、教材は捨てるものではありません。
都立入試のための社会科の勉強をしたいのに、地理の教科書や資料集・地図帳を捨ててしまって持っていない生徒、たまにいます。
理科の復習をしたいのに、中1・中2の理科の教科書や参考書を捨ててしまって、どう復習していいのかわからなくなってしまう子もいます。
慌てて受験用のものを買い直すのですが、ざっくりとしか説明していないので、細かいところが何だかよくわからず、モヤモヤとした受験勉強をしている子は多いです。
わからないところを振り返りたくても、振り返る教材がないのです。
中学入学の際に、小学生の頃の教科書や教材を捨てるのは、わかります。
高校入学の際に、中学英語の教科書以外を捨てるのもわかります。
でも、その途中で教材を捨てるのは、後で困るだけです。
大学入学の際も、英語の文法参考書・単語集は取っておきましょう。
大学に入っても、英語はありますから。
他にも、進む学部学科によって、少し取っておいたほうがよい教材はあると思います。
子どもに任せておくと本当に何でも捨てますから、部屋の大掃除も助言は必要です。

話がそれました。
英作文について。

英作文への誤った思いこみや姿勢が直り、自力で英文を書くようになった子にも、さらなる困難はあります。
これは国語の作文でも言えることです。
そもそも、書くことがない。
意見がない。
何も思い浮かばない。
そういう子も多いです。
これが「内容」に関する課題です。

そうした子のためにも英検2級の出題形式は有難いです。
イエスかノーなら誰でも判断できますし、そう判断した理由も何かあるでしょう。
そして、もし作文の課題がそういう形式ではなかったら、自分でそういう形式に直したらいい。
これは、入試の小論文対策などでも、よく言われることです。
漠然とした課題をイエスかノーかで答えられる問題にする。
その内容について、イエスかノーかを明示する。
その理由を述べる。
それで十分合格点の作文を書くことができます。

英検2級の英作文課題は、従来からある英検準1級の問題の指定語数が少ないだけです。
もっと練習したいのに、まだ出題形式が変更されて2年なので、過去問の数が少ないなあと嘆く人は、英検準1級の過去問を買って、指定語数だけ変えて解いて、模範解答を参考にすると良いと思います。
2級に合格したら次は準1級ですから、無駄になる買い物ではないですし。
さらにもっと本気で対策したい人は、NHKのラジオ講座「ビジネス英語」はこうした話題を常に扱っていますから勉強になると思います。
新しいものの考え方を、それをどう英語で表現するかも含めて書いてあるので、テキストを読むだけでも面白いです。


今はパターンが変わりましたが、以前、子ども向けの英会話教室のラジオCMで、子どもが自分の作った3行の英文を発表する形式のものがよく流れていました。
将来の夢を語るものが大半でした。
例えば、
「私は、将来ツアーコンダクターになりたいです。
世界中を見てまわりたいです
いつか、あなたは私の案内で外国を旅行するかもしれませんよ」
そんな内容のものか幾通りも放送されていました。

この3行の英作文、何通りもパターンがあったのにほとんど同じ構造なのが気になりました。
3つ目の英文の変に気の利いた言い回しが、何種類か聞くとむしろテンプレート丸出しでした。
ひな型に押し込めるだけの幼児英語教育であることを宣伝しているようで、逆効果じゃないのかなあ。
聞く度にそう感じていました。

ただ、ひな型が必要な子が多いのも事実です。
英検2級の英作文も、この2年でたちまち対策がシステム化し、どのように書くかテンプレートが完成しています。
これもまた大学受験の小論文と同じ流れです。
受験産業とはそういうもの。
何も書けない子を、型通りに何か書かせるようにして、受験会場へと背中を押すもの。
だって、ほおっておくと、日本語を英語に写したままの意味不明の呪文を書いてしまうものなあ・・・。
1つ目の理由と2つ目の理由と、自由気ままに混ぜこぜで書くからなあ・・・。
合格点の英作文を書かせるには、書き出しを固定し、ひな形に押し込めるのが手っ取り早いものなあ・・・。
そうやってテンプレートを教えると、作文の書けない生徒は喜ぶし安心するものなあ。
ここから始めて、あとは自分の努力で肉づけしていこうね。
自分の中にない英語は、どうやっても書けないからね。
語彙を増やし、表現を豊かにするのは、受験のための対策ではなく、一生の勉強だから。
何か苦いものを感じながらも、そのように思います。


英作文に関しては、以前、こんなこともありました。
あるとき、生徒の定期テスト答案を見ると、
使役動詞を用いてひと続きの内容の3文を書きなさい」
という出題がされていました。
その子の答案は、文法ミスを直して復元すると、このような感じのものでした。

My parents don't let me use their computer.
Because it made me play video games for many hours.
So I am careful not to use it.

おお。使役動詞を2個も使っている。
でも、採点した先生の評価は低かったのです。
第2文、第3文は得点がなく、ほとんど直されていました。

Because I can play video games with it for many hours.
So I decide not to use it.

先生の添削では、むしろ使役動詞は使われていません。
生徒が書いた、
「コンピュータが私にテレビゲームをさせた」
「コンピュータを使わないように気をつけます」
という表現が全て直されているのが興味深いです。

1つには、それは英語的な発想ではない。
論理構造がおかしい。
無生物主語は英語によくあるとは言え、こんな言い方はしないでしょう。
日本語としても、そういう表現は大人をイラッとさせる気がします。

コンピュータが私にテレビゲームをさせた、じゃありませんよ。
あなたが勝手に長時間やったんです。
コンピュータは強制していません。
それをコンピュータのせいにする自分の甘さを直視できていますか?
コンピュータを使わないように気をつけます、じゃありませんよ。
そのもってまわった言い方は、およそ英語的ではないですよ。

そうした先生の怒りや心配が添削された英作文から感じられて、私には興味深かったのですが、その生徒に学校の先生の気持ちが伝わったかどうかは微妙です。
本人の感想は、
「テレビゲームって、ビデオゲームって言うんですね」
でした。

そこっ?(''Д'')


  


  • Posted by セギ at 12:46Comments(0)英語

    2018年01月24日

    データの分析。分散とは何か。


    「データの分析」、本日は、分散と標準偏差について
    データを分析する場合、データの散らばり具合の把握は重要な課題です。
    前回は箱ひげ図で散らばりの様子を見ましたが、どのように散らばっているかを数値化することはできないでしょうか?
    グラフや図を見て分析するのではなく、1つの数字で単純に比較できるようにならないでしょうか。

    そこで、ちょっとおバカさんだけどひらめきのある人が、こんなことを考えたとします。
    「1つ1つの数値と平均値との差を出して、それを合計して、データの個数で割ったら、平均してどれだけ散らばっているか、わかんじゃね?」
    ふむ?
    ではやってみましょう。

    例えば、10人の漢字テストの得点が、
    3点、3点、4点、4点、5点、5点、6点、6点、7点、7点だったとします。
    この平均点は、合計を10で割ればよいのですから、
    1/10(3+3+4+4+5+5+6+6+7+7)=5
    となります。
    では、それぞれのデータと平均点5点との差を足してみましょう。
    (3-5)+(3-5)+(4-5)+(4-5)+(5-5)+(5-5)+(6-5)+(6-5)+(7-5)+(7-5)
    =-2-2-1-1+0+0+1+1+2+2
    =0

    あれ?
    0になっちゃった。
    (*_*)

    これは考えたら当然のことで、平均値というのは、そうなるように出来ています。
    でも、「平均値との差」という発想は悪くないですよね。
    この平均値との差のことを「偏差」と言います。
    プラス・マイナスがあるから、合計0になってしまうけれど、これが、プラス・マイナスに別れない値、すなわち全てプラスの値になるのなら、意味があるのでは?
    どうすれば、そうなるでしょう。

    そうだ。
    2乗すれば。
    (*'▽')
    2乗した値は、実数ならば必ず正の数になります。
    そして、2乗しても、数値の大小関係は変わりません。
    この数値で、データの散らばり方を比べることができます。

    上の例で言えば、
    (3-5)2+(3-5)2+(4-5)2+(4-5)2+(5-5)2+(5-5)2+(6-5)2+(6-5)2+(7-5)2+(7-5)2
    これを、個数の10で割れば、それは、他のデータと比較できる数値となるでしょう。
    この数値、すなわち偏差の2乗の和の平均値を「分散」と言います。

    ところで、これは2乗した値なので、どうせなら、1乗の値に戻したい。
    すなわち、分散の正の平方根を出せば、比較するのに便利な数値となるでしょう。
    この分散の正の平方根を「標準偏差」と言います。

    ゆっくり筋道を追って考えれば、それほど難しくはないです。
    でも、初めて聞くと、用語の意味と計算方法がイメージ的に一致しないこともあって、かなり混乱すると思います。
    ( 一一)
    わかるんだけど、何だか違和感がある。
    わかるんだけど、何だか腑に落ちない。
    そんな感じでしょうか。

    しかも、分散の求め方は、もう1つあり、それは最初の公式を変形しただけのものなのですが、非常に紛らわしいです。
    (分散)=(数値の2乗の和の平均)-(平均の2乗)

    「2乗の和の平均」と「平均の2乗」。
    似ている!
    (+_+)

    公式が2本あることで、
    「1本だけでいい。1本しか覚えない」
    とギブアップする高校生もいます。
    また、高校によっては、最初の公式しか教えないところもあります。
    そんなに難しいことではないので、これも何とか2通り理解すると、その場その場で使い分けできて便利です。

      


  • Posted by セギ at 11:35Comments(0)算数・数学

    2018年01月22日

    日和田山を歩いてきました。2018年1月。


    2018年1月21日(日)、埼玉県の日和田山を歩いてきました。
    三鷹から、国分寺、東村山、所沢、飯能と乗り継いで、高麗駅下車。
    この乗り継ぎ、大仕事のように見えますが、接続が良いので、1時間半ほどで到着します。
    電車料金も、実は奥多摩に行くより安いです。
    奥武蔵の山々は、冬の低山歩きにもってこいです。

    改札を出ると広場があり、赤い2本のトーテムポールが目を引きます。
    トイレは改札を出た左側にありました。
    個室が10個ほどもあります。
    さすが人気のある山の登山口の駅です。
    今は登山客が少ない季節なので、ガラガラに空いていました。

    日和田山は、高麗駅の裏側にあります。
    ガイドブックには、反時計回りに登山コースが描かれています。
    しかし、私の記憶では、時計回りに歩いたような気がするのです。
    どちらでも行けるということでしょうか。
    とりあえず、記憶を頼って、広場から「巾着田」の看板の示す通りに階段を下りて行きました。
    「巾着田」の看板はときどきあるのですが、「日和田山」を示す道しるべがありません。
    日和田山は初心者向けの山。
    人気のあるお散歩山です。
    道しるべがないはずがないのに、おかしいなあ。
    やはり、反時計回りが正解だったのでしょうか。

    駅の裏側、国道299号線を越えて、左折。
    しかし、この道は車の往来が激しいのに舗道がありません。
    こんなにストレスのかかる道を歩いたかなあ?
    しばらく行くと、道はより広い道路と突き当たり、そこを右折。
    するとすぐに、今歩いてきた道と平行な歩道が見えてきました。
    農道のような印象の、歩きやすい舗装道路です。
    ああ、ここを歩くべきだったんだー。

    駅からことごとく道を間違えているものの、日和田山はずっと見えているので、大体の方向はあっています。
    鹿台橋を渡って、すぐに左折。
    しばらく行くと、やっと「日和田山」の道しるべがありました。
    その通りに左折。
    その坂道の突当りは、もう見るからに登山口でした。9:50。

    日和田山は、以前は岩登りの練習でよく来たのですが、この7年ほどは来ていません。
    久しぶりに来ると、まるで別の山のような印象でした。
    登山口の斜面の樹木は切り開かれ、道幅の広い遊歩道が整備されていました。
    しばらく登っていくと、分岐。
    男坂と女坂の分岐でした。
    分岐から眺める限りでは、女坂は来た道と同様の広い遊歩道のようです。
    ここは男坂を行こうかな。
    もう1つ、「男岩・女岩」への道しるべがあるのに驚きました。
    男岩・女岩は、アルパインクライミングのゲレンデです。
    ゲレンデとは、練習用の岩場。
    岩登りをする人にしか用のない場所であり、道しるべなどないのが普通です。
    ハイキング客が紛れ込むのを防ぐ狙いがあるのでしょうか。
    岩場への道しるべなんて、初めて見ました。
    浦島太郎の気分です。

    さて、男坂へ。
    男坂は岩がちの道。
    というより、岩だらけでした。
    こんなに岩ばっかりだったかなあ。
    滑らない岩質で、ホールドはもちやすく、足の置き場も豊富です。
    特に危険個所もないので、鎖もついていません。
    登山道の岩場を歩くのも久しぶりで、ウキウキと登っていくと、二の鳥居。10:15。

    上の画像がそれです。
    麓の巾着田がよく見えました。
    上の画像は鳥居を入れたため全体に狭い印象ですが、もう少し高い位置に立つこともでき、そこからはもっと広々とした眺望を楽しめました。
    段差を利用したベンチも設置され、休憩適地です。
    空気の澄んだ日は、スカイツリーや富士山も見えるようです。
    女坂を登ってくる人たちともここで合流。
    3歳くらいの女の子の手をひいたお父さんの姿も見られました。

    ここはまだ山頂ではありません。
    金刀比羅神社の裏から登山道は続き、ひと登りすると、山頂。10:30。
    ここは二ノ鳥居とは反対側の眺望が開けていました。
    ベンチもあります。
    ここも休憩適地です。

    山頂から北西に、縦走路が伸びています。
    まずは山頂直下の急な下り。
    そこから幅広い緩やかな登山道が続いていました。
    しばらく歩いていくと、舗装道路に出て、高指山。10:50。
    電波塔と付随施設の立つ山でした。
    山頂まで入れるのかどうかよくわからなかったので、そのまま通過。
    舗装道路をなお北西に歩いていきます。
    途中、トイレと売店があり、ロウバイが咲いていました。
    良い匂いです。

    売店の直後で舗装道路と別れ、再び登山道へ。
    登山道の道幅は相変わらず広く、向こうから来る人に道を譲らなくてもすれ違うことができます。
    登り坂を行くと物見山。11:15。
    ここは細長い印象の山頂で、やはりベンチが整備され、煮炊きをしている人などで賑わっていました。
    この辺りは、歩いた記憶があるなあ。
    昔歩いたときと、印象が変わっていないのでしょう。

    さらに先に進みます。
    下っていくと、登山道は舗装された林道と再び合流。
    このまま林道歩きかな?
    と思うと、すぐに分岐。
    右側は急坂の登山道。
    道しるべはどちらも「北向き地蔵」でした。
    急坂のほうも落ち葉がよく踏まれています。
    こちらを歩く人が多い様子です。
    少し登ると、道はまた緩やかになり、左下に林道を見ながらの歩きやすい道が続きました。

    左に小高いピークが見えてきました。
    話し声がします。
    人がいる様子です。
    一応ピークに立ってみると、そこにもいくつかベンチがあり、昼食をとっている人たちがいました。
    そのピークを降りると林道に合流し、そこが北向き地蔵でした。11:45。
    ピークを巻く道もあります。
    ここは、鎌北湖への分岐。
    桜の季節には、鎌北湖へ下りていってみるのも良さそうです。
    今は寒々しい光景だろうなあと想像し、やめておきました。

    ここからは林道歩きかな?
    キョロキョロと辺りを見回すと、林道の向かい側に、細い登山道が続いていました。
    道しるべは知らない地名が表示されていて、これは持ってきている登山地図を開かないとダメかなと思いましたが、手書きで「ユガテ」と付け加えられてました。
    一応、登山地図も開いて確認。
    この方向で大丈夫のようです。

    しかし、こんな道を、歩いたかなあ。
    もっと林道が多かった印象があるなあ。
    そもそも、私が日和田からユガテを縦走したのは、何年前だったろう。
    このブログを始める前なのは確実です。
    登山記録を読み返したのですが、日和田山を縦走した記録は、抜け落ちていました。
    あの頃は忙しくて、まとめて記録していたので、抜け落ちてしまったようです。

    2008年頃は日和田の岩場に一番多く通った時期で、「日和田の仙人に会った」という記述もあります。
    今となっては、日和田の仙人とは誰のことだったのかもよく覚えていないのですが。
    裸足で男岩に来ていたのだけは覚えています。
    それぞれの岩場に、その岩場を発見し守ってきた管理人、または仙人がいるのです。

    あの頃は、男岩にきて、練習して、帰る。
    その繰り返しでした。
    日和田の山頂に行くことすら滅多にありませんでした。
    日和田からユガテへと縦走したのは、その少し後のことだったと思います。
    2009年か2010年のことでしょう。

    ユガテへの道は、今までの道とは違い、山腹を行く細い道でした。
    どんどん道が細くなり、山腹を下っていきます。
    少し不安になるのですが、たまに向こうから来る人がいますし、道はよく踏まれているので、作業道に迷い込んだというのではなさそうでした。
    山腹の道は、シダが繁茂し、ときおり小さな沢も流れていました。
    花の季節には、良い花と出会えそうです。
    道はやがて登り返し、両側を柵に囲まれた竹林を過ぎると柑橘類の畑に出ました。
    そして、畑の左手に、小さな広場が。
    ここがユガテ。12:30。

    ユガテは、2軒の農家が建ち、畑が広がり、庭木や果樹も多く、四季折々の風景が広がる別天地。
    ガイドブックにはそのような記述があります。
    昔、これを読んで、実際にユガテに行ったとき、全くそのような様子はなかったのでがっかりした記憶があります。
    農家はあるけれど、そんな感じじゃないなあ。
    これなら、外秩父七峰縦走で通り過ぎる農家の様子のほうが余程別天地なのにと思った記憶があります。
    しかし、今日のユガテは、ガイドブックの記述通りでした。
    小さな広場にはベンチが並び、見上げると空が開けていて、雲がゆっくりと動いていきます。
    今は冬枯れているけれど、春にはここは桃や梅や桜が咲くでしょう。
    どれほどきれいだろう。
    夏はひまわり畑になるようです。
    細かく区画されている畑もあるのは、今は地主の方が耕作するだけでなく、土地を借りてプチ農業を楽しんでいる人たちがいるのでしょうか。

    10年ほど前、私はユガテに来たつもりで、別のところにいたようです。
    おそらく、林道上のどこかの「ユガテ」と地名上だけは表示されているどこかにいたのでしょう。
    休憩する場所さえないなあと思った記憶はあるのです。
    10年前、目的地に到達していなかったことに、今気づくとは。
    (''Д'')

    山腹の道をずっと一人で歩いて心細くもあったのですが、ベンチで食事をしていると、私が来たのと同じ方向から、次々と登山者が現れ、ベンチで食事を始めました。
    やはり、私が歩いてきたのは正規の登山道だったようです。
    安心して思い返してみれば、変化に富んだ良い道でした。
    やはり、ユガテは小さな別天地でした。

    さて、出発。
    あとは下山するだけです。
    昔、下山した道は、大半は沢沿いの舗装道路だったと記憶しています。
    寒々しく暗い道でした。
    今回、来た道と反対に歩きだすと、道しるべがあり、小さな地図看板が立っていました。
    近年整備された新しい登山道のようです。
    舗装道路はいっさい通らず、吾野神社へと直接降りていく道です。
    地元の有志の方が整備したのかなあ。
    有難いことです。

    まずは、広く歩きやすい下り道。
    そこから、道は細くなり、幾度かピークを登り返しました。
    ピークごとに小さなベンチが設置されています。
    急な下りにはロープがつけられていました。
    日差しも明るい。
    暖かく優しい道でした。

    途中までは「福徳寺」の道しるべの通りにいきます。
    最後に「福徳寺」の道しるべとは別れ「吾野神社」の道しるべに従い、下っていきました。
    車の音が聞こえ始め、木の間から、道路が見えてきました。
    ジクザグに下っていくと、吾野神社。
    安全登山のお礼を言い、石段を下ります。
    さて、ここから駅はどう行くんだろう?
    石段を下りきると、国道299号線。
    車に向けての大きな青い掲示に「東吾野駅」と書いてありました。
    そちらを目指し、右に歩いていくと、信号があり、道路を渡ってそのまま直進。
    突当りに小さな道しるべがあり、その通りに左折すると、東吾野駅が見えてきました。
    東吾野駅。13:55。
    駅前にトイレ。
    スイカで改札を抜け、14:15、飯能行きの電車がやってきました。

      


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    2018年01月19日

    字が雑な子どもが増えているように感じます。



    字は、下手ではあっても、とにかく判読できることが大切です。
    字は曲線と直線の組合せです。
    正しい位置関係に直線と曲線がないと、その文字を構成できません。
    しかし、生徒の中に、そこに意識の及んでいない字を書く子が増えてきたように感じます。
    勿論、以前と同様に、しっかりした字を書く子もいます。
    一方、きれい汚いを通り越して、他人には読めない字、自分で読み返そうとしても判読に時間のかかる字を書く子が増えているように感じます。

    私が子どもの頃は、俗に言う「丸文字」の流行があり、特に女子は皆きれいな字、かわいい字を書いていました。
    私のように字の下手な女子はむしろ異端でした。
    しかし、近年、きれいな字を書く女子は減り、男子と女子と、字では識別できなくなってきています。
    女子の字が雑になり、男子と同じレベルになってきたのです。

    こんなことを書くと、女子生徒のお母様から「すみません、すみません。よく言って聞かせます」という反応がありそうで気が重いのですが、そういうことではないのです。
    女子中学生や高校生の字が雑なのは、親の責任ではありません。
    本人の問題ですよー。
    私の世代の女子の字がきれいだったのが親の躾の賜物だったとは思えないですし。

    なぜ、我々の世代の女子の字はきれいだったのか。
    それは、手書きの文字を他人に見せる機会が多かったからでしょう。
    大人に見られることよりも、男子に見られることよりも、女の子同士でお手紙を回すとき、きれいな字、かわいい字は必須のものでした。
    女の子から見てかわいい文字を書くことが、女の子にとって必要なことでした。

    今、文字はスマホで打ち込みます。
    友達同士も、連絡はスマホが中心です。
    互いの手書き文字を見る回数は激減しました。
    きれいな字を書く練習をしたり工夫をしたりする必然がなくなったのだと思うのです。

    もう1つ、最近、自分のこととして感じたのですが、普段自分の書く字が以前より汚くなっているのです。
    あれ、これは何だ?と思いました。
    保護者の方に送る学習指導レポートの下書きは、そもそも走り書きで、自分が読めればそれでいいのですが、それにしても汚い字だなあと自分で感じて、これはどういうことだろうと思ったのです。
    そして、気づきました。
    字を書いているスピードが、以前より速いのです。
    速記じゃあるまいし、そんなスピードで字が書けるわけがないじゃない、というスピードで字を書いていたのでした。
    これは何のスピードだ?
    とさらに考えると、それはスマホやパソコンに文字を入力するときのスピードなのでした。
    機械に打ち込むときと同じスピードで、手書きの文字も書いていたのです。
    手で書くのがまだるっこしくて、無意識に、機械に打ち込むスピードで文字を書いていることに自分で気づきました。
    ・・・・それじゃ、雑な字になりますね。
    手書きの文字はもっとゆっくり書くものだよと自分に言い聞かせて意識すると、すぐに昔の自分の文字に戻りました。

    生徒の雑な字も、字を書くスピードが速くなりすぎているのが原因なのではないかと思います。
    ゆっくり書けば、もっときれいに書けるのでしょう。
    このところ、生徒の英作文を見る機会が多いのですが、私以上に慌てて書くせいなのか、字が異様に読みにくいのです。
    mとw、aとuの区別がつかない文字を書く子は以前から多いのですが、aとnの識別ができないなど、以前からは考えられないようなことも起きています。
    これは、やはりパソコン・スマホの普及が原因の1つと思います。
    スマホで文字を1つ打ち込むのと同じスピードで手書きの文字を書こうとしてしまうのだと思うのです。
    文字を手書きすることのスピードの遅さに自分で耐えられず、速く雑に文字を書いてしまう。
    これは、自覚して治さないと、治らないです。

    入試の答案、英検などの検定の答案は、採点する先生に自分の熱意を伝えるものです。
    採点する先生が、あまりの読みにくさに心の中で舌打ちするような文字を書いて、良いことが起こるとは思えません。
    丁寧に文字を書いても、時間内にはおさまります。
    字はスマホのときよりもスピードを落として、丁寧に書いてください。



      


  • Posted by セギ at 12:14Comments(0)講師日記

    2018年01月15日

    南高尾山稜を歩きました。2018年1月。


    2018年1月14日(日)、久しぶりに山を歩いてきました。
    寒波がおしよせ、冷え込む日々が続いています。
    こんなときは、低山でも凍結箇所がありますし、朝は霜が降り、昼になるとそれが融けてグチャグチャの泥道になるところが多く、歩きにくいです。
    久しぶりなので、そういう心配のない山を歩きたい。
    となると、南高尾山稜。
    全体に南向きなので、凍結の心配はほとんどありません。
    道も乾いて快適です。

    京王線高尾山口駅8:50。
    甲州街道の交差点を渡り、坂道を上がると、草戸山への道しるべが見えてきます。
    今日は時計回りに南高尾を歩きます。
    時計回りは、登りが多くなるのでバテやすいです。
    帰りが高尾山経由となり、観光シーズンは混雑するのも難点。
    でも、この季節なら、大丈夫。

    民家の横から細い登山道が始まります。
    この登山道は日影なので、霜が降りていましたが、枯葉が多いので滑ることはなく、しっかり踏みしめて歩いていけば大丈夫でした。
    本日は、トレッキングポールもなし。
    久しぶりに自分の足だけで山道を歩くと、何でもない道が細いなあ、少し怖いなあと感じるから不思議です。
    バランスに自信がなくなっているのでしょうね。
    一方、ポールを使うよりも速く進めました。
    2本のポールと両足と、置く場所を4か所確認しながら歩いていると全体に遅くなるのでしょう。

    最初の急登を20分ほどで尾根に乗りました。
    ここからもアップダウンが続きます。
    下りてくる人たちと何人もすれ違いました。
    近所の方なのでしょうが、何時に出発しているのかなあ。
    早い下山だなあ。
    小さなピークに登っては少し下り、また登っては少し下ります。
    ピークからは、樹間に高層ビルとスカイツリーが。
    冬晴れの今日は眺望も良好です。
    いつもは、夕方で下山を急いでいることもあり、ここからスカイツリーが見えるなんて気づかなかったなあ。

    大きく下る箇所に出ました。
    ここは反対回りのときにはつらい登りで記憶に残る所です。
    登りのときはあまり意識しなかったけれど、太いロープが張ってあり、そこに手を添えれば楽に降りていくことができました。
    南高尾も整備が進んで随分歩きやすくなっています。
    鉄塔の脇を通り、さらにアップダウンが繰り返されます。
    整備された木段を登っていくと、草戸峠。
    高尾山がよく見通せる峠です。
    ベンチもたくさん並んでいます。
    1つに座って、ちょっと休憩。9:55。

    そこから左手に鉄網の張ってある道を登っていくと、草戸山。10:10。
    あずまやは階段を数段登る高い位置にあり、眺望良好でした。
    ここもベンチがたくさんあります。
    早くも煮炊きを始めている人の姿も見られました。
    ここから道幅は広く、登山道というよりも遊歩道のような道になります。
    とはいえ、急坂が多い箇所で、階段が整備されていますが、その階段の段差が大きいので、なかなか大変です。
    最初は階段で大きく下り、その後は階段で大きく登ります。
    息を整え、一定のペースで登っていきました。
    途中にもあずまやがあり、城山湖がよく見えました。
    湖のほとりの芝を刈り込んで「しろやまこ」と文字にしてありました。
    ここからの眺めを意識した文字であるように、くっきりとよく見えます。

    さらに登っていくと、道は二つに別れ、左の広い道は峰ノ薬師への道。
    右の山道を選んでさらに登っていきます。
    反対回りのときには平坦な道と感じているところがいちいち登りであることに気づかされるのが、時計回りの道。
    登りが続くなあと感じながら歩いていくと、道が開けて、三沢峠。10:35。
    ベンチもあり、五叉路の中心をなす峠です。
    登りの道もその左のまき道も、どちらも南高尾の道。
    左のまき道を選びます。
    道はときどき細くなり、また広くなりを繰り返します。
    登りになったり平坦になったり。
    道の端に霜が降りていることはたまにありますが、ほとんど乾いていて歩きやすい快適な道でした。
    南高尾は日差しも暖かく明るく、秋から冬に歩くと気持ちのいい道です。
    また、早春はスミレの種類が豊富です。

    見晴台。11:10。
    その少し前から、樹間に富士山が見えていました。
    見晴台からも丹沢の向こうに富士山。
    その右に南アルプスも山頂部分のみ細く見えます。
    真っ白だなあ。
    ここは津久井湖を見下ろせる登山道にベンチがたくさん並んでいる休憩適地。
    南高尾で最も眺望の良い場所です。
    少し早いけれど、お昼にしました。
    今日はおにぎりとほうじ茶のお昼です。
    日差しが暖かい南向きのベンチなので、1枚羽織る必要もなく休憩できました。
    南高尾は歩く人が年々増えているせいか、この前後にもこの数年で多くのベンチが設置されました。
    ここが満員のときに昼食場所に困って彷徨う必要はないので助かります。

    さて、出発。
    南高尾の最高峰、大洞山を目指します。
    まき道が続きます。
    全体に細いですが、乾いているのでスリップの心配はなく安心です。
    向こうから来る人が増えてくる時間帯となりました。
    互いに道を譲るのが少し大変なので、退避できる箇所に気づいたほうが早めに退避して相手を通します。
    「ここからどこに行かれるの?コンピラ山?」
    女性三人のパーティに道を譲ったときに、声をかけられました。
    「ええと、大垂水峠から小仏城山に登り返します」
    「え?城山まで行くの?みんなどんどん向こうから歩いてくるから、どこに行くのかと思って」
    南高尾を歩いて、あなたはこれからどこに行くのと訊かれたのは、これで4回目です。
    これは、高尾主脈を歩いているときには起こりません。
    どこから歩いてきて、どこへ行くのか。
    他人にとっては不思議なコース取りをしている人が多いのが南高尾なのかもしれません。

    コンピラ山とは、どこだろう?
    地図を見ると、大洞山の手前のピークでした。
    山頂標識を見た記憶がないのですが、一段高いところにベンチとテーブルのあるところかな?

    さて、さらにまき道を行きます。
    1段下ってからまた登り返す、少し難しいところは、2年ほど前に太い鎖がつけられ、歩きやすくなりました。
    時計回りに歩いてくると登りが多くなるので、あまり難しいとも感じず、鎖に触わる必要もありませんでした。
    同じ崖っぷちのまき道でも、登りよりは下りのほうが怖く感じます。
    あとは、私は左利きなので、壁面が自分の右側で、利き腕が空間に面しているほうが安心感があるようです。
    左利きの人は、無意識だと道も右側通行します。
    右利きの人は、どこでも通っていいときは、自然と左側通行になりますね。

    そこでまき道は終わりで、あとは尾根道。
    ここも登りが中心でした。
    時計回りをすると、こんなに登るんだなあ。
    木段の登り。
    さらに、岩がちな急登。
    ここは下りのときには少し手を使わないと降りられないので印象に残る箇所です。
    ここを越えれば、もう大洞山は近い。

    見えてきました。大洞山。12:00。
    お昼どきなのに、ここには人がいませんでした。
    さらにしばらく行くと、横並びのベンチがいくつかあり、そこからは下りです。
    どんどん下り、さらに木段をたんたん降りていき、木の根の作る段差も下ると、枝越しに甲州街道が見えてきました。
    再び道は細くなり、崖っぷちの道を用心して歩いていくと、歩道橋。
    ここが大垂水峠です。12:25。

    歩道橋から直接登ると、一丁平のほうに出ます。
    今日は、歩道橋をいったん下りて、甲州街道をしばらく西に歩き、案内板の手前の登山口から小仏城山を目指します。
    鉄柵に頼って、半分壊れかけた階段を登っていきます。
    道が平らになり、沢沿いの道をしばらく行き、そこからは斜面をジグザグに登ります。
    その先は、斜面をまく細い道。
    下りのときは、ここがこのコースで一番歩きにくいところですが、登りのときにはやはり楽に感じました。
    あとは、ただただ急な登りです。
    木段が整備された道を淡々と登っていきます。
    いったん登りきると、道はしばらく平坦になりました。
    植林帯の穏やかな道が続きます。
    ベンチもあります。
    分岐に道しるべがありました。
    ここを右にいくと、大平林道につながるんだろうなあ。

    再び急登が始まりました。
    下りのときに足がかりである埋め込んである木材は、登るときにもやはり頼りになります。
    ようやく、奥高尾主脈のデッキ道に到達。
    そこから左に少しいくと、小仏城山。13:20。

    富士山が大きく見えました。
    南高尾よりも標高が高いので、富士山は雪のかぶっていない裾野のほうまで見えていました。
    午後になってもこんなにスッキリ富士山が見える日は冬でもそんなにありません。
    嬉しいなあ。
    昼の混雑時は過ぎていますが、それでもベンチはほぼ満員。
    名物のなめこ汁を飲んでいる人。
    ビールを飲んでいる人。
    東側に回ると、こちらは都心の眺望が広がっていました。
    高層ビルが1つ1つ、くっきりと見えました。

    さて、下山。
    木段をタンタン下って、少し登り返すと、一丁平展望地。
    ここからも富士山がくっきり見えました。
    左端に相模湾も見えていました。
    冬だけ楽しめる眺望です。
    こんなに眺望が良いから、今日は紅葉台も登ろう。
    しかし、まき道との分岐で、前を行く人たちは皆、左のまき道のほうを選んでいきました。
    まだ時間は早いのに、何でかなあ。

    紅葉台。14:10。
    富士山は少しずつ薄くなっていきます。
    それでも、飽きず眺めました。
    さて、茶店前の坂道を下って、高尾山下。
    ここで気づきました。
    そうか。
    シモバシラの氷花だ。
    皆、それが目当てでまき道を歩くんだ!

    夏の終わりから秋に、このまき道にはシモバシラがたくさん咲きます。
    シモバシラは冬に枯れますが、その茎は残り、そこに氷が巻き付きます。
    それがシモバシラの氷花です。
    まだ時間の余裕があるので、まき道を戻りました。
    30m戻っただけで、氷花がたくさん見られました。
    写真にも撮って満足。

    さて、あとは、遅い初詣をしましょう。
    高尾山頂は巻いて、1号路を降りていきました。
    もう午後遅く、寒いので、観光客も少なめ。
    お詣りも順番待ちは不要でした。
    おみくじを引き、熟読。
    初詣終了。

    石段を下りていくと、御朱印と健康登山の記録の受付窓口は、行列ができていました。
    人気あるなあ。
    今日は女坂を下ります。
    観光客もそんなに多くないので、1号路も混雑せず歩きやすいです。
    ケーブル駅付近の天狗焼きの売店も行列。
    昔、一度買って、おいしかったけれど、いつも長い行列ができていて、あれ以降なかなか買えないなあ。
    まだ早いので、今日は、1号路を歩いて下山します。
    冬至からもうすぐひと月。
    気が付くと、日が伸びているのを感じます。
    高尾山口。15:30。
    人の流れに乗って、駅へと向かいました。

      


  • Posted by セギ at 13:37Comments(0)

    2018年01月12日

    データの分析。箱ひげ図の読み取り。

    さて、「データの分析」の続きです。
    データは分析しなくては意味がありません。
    では、どう分析するか。
    大切なのは、他のデータとの比較です。
    比較をするために代表値という概念があります。
    そのデータを代表する値です。
    代表値を用いて、他のデータと比較をします。

    例えば平均値。
    10点満点のテストの得点についての2組のデータについて考えてみましょう。

    Aグループの得点を小さい順に並べると、
    0点、6点、7点、8点、8点、8点、8点、9点、9点、10点。
    Bグループの得点を小さい順に並べると、
    6点、6点、6点、7点、7点、7点、8点、8点、9点、9点。

    Aグループの平均値は、7.3点。
    Bグループの平均値も、7.3点。

    平均値は同じですね。
    しかし、この平均値だけを使って、「AグループとBグループの得点は同じだ」と言っていいのでしょうか?
    Aグループの平均値は、たった1人の0点のせいで下がっています。
    個々のデータを見れば、全体に得点が高いのはAグループです
    平均値だけで語れることには限界があるのは、こうしたデータからわかります。

    他に、そのデータを説明する代表値はないでしょうか?

    最頻値(モード)。
    これは、そのデータの中で最も多く出てくる数値です。
    度数分布表の中では、最も度数の多い階級の階級値を指します。
    Aグループの最頻値は8点。
    Bグループの最頻値は7点。
    AグループとBグループの得点の傾向が平均値よりも伝わってくる数値です。

    あるいは、中央値(メジアン)。
    これは、そのデータを小さい順に並べたとき(大きい順でも同じです)の中央の値です。
    データの個数が奇数個の場合は、まさに中央の値を出します。
    データの個数が偶数個の場合、中央の2つの値の平均値を中央値とします。
    これも、Aグループは8点。
    Bグループは7点です。

    少し傾向がわかるのですが、もっとデータの様子を示す方法は他にないでしょうか?
    データのばらつきがわかると、より正確にデータを示すことができるのではないでしょうか。
    この「ばらつき」を散布度といいます。

    まずは単純に、最大値と最小値を見てみます。
    最大値-最小値で、ごく単純に散らばりを見ることができます。
    「最大値-最小値」、これを「範囲」(レンジ)と言います。
    Aグループの範囲は、10-0=10(点)
    Bグループの範囲は、9-6=3(点)
    範囲が広いほど、ばらつきは大きいと、言えないことはないです。
    平均点や最頻値とあわせてそれが示されていれば、データの分布を推測することはできます。
    しかし、この範囲の広さは、Aグループのデータの本質を示していないような気もします。
    うーん・・・。( 一一)

    ここで、四分位数という考え方が登場します。
    データを小さい順に並べて、4等分する位置にあるデータを小さいほうから順に、Q1、Q2、Q3、とします。(半角数字は実際には小さく書きます)
    これを順に第1四分位数(Q1)、第2四分位数(Q2=中央値)、第3四分位数(Q3)と呼びます。
    中央値のときと同様、データが偶数個のときは、前後の2つのデータの平均をその数値とします。
    そして、Q3とQ1の差を四分位範囲。
    また、四分位範囲を2で割ったものを四分位偏差と呼びます。
    Aグループは、Q1=7点、Q2=8点、Q3=9点。
    Bグループは、Q1=6点、Q2=7.5点、Q3=8点。
    これで分布の様子がかなり見えてきました。
    Aグループの中で特殊な数値であるにも関わらず平均値や範囲に大きく影響していた0点という1つのデータがほとんど影響していないのが見てとれます。

    これが実際のテスト得点のデータである場合、このただ1人の0点というデータをどうとらえるかはまた別の難しい問題と思います。
    そこを切り捨てるわけにはいきません。
    教育的観点からは、そこに、このAグループの本質が隠れているかもしれないからです。
    しかし、この1人の0点と、残る9人とは本当に何の関係もない場合も考えられます。
    このただ1人の0点のために、残る9人に対して「おまえらは平均点が低い。努力が足りない」等の叱責をするのだとしたら、それはおかしな話です。
    AグループはBグループと比べて、実は高めの得点分布なのだということを示すことができるのが、上の四分位数です。

    さて、この四分位数と四分位範囲、さらに最小値と最大値までを1つの図に示したのが、箱ひげ図です。
    箱ひげ図は縦書きも横書きもありますが、今回は横書きで説明しましょう。
    まず、目盛りを描きます。
    その少し上に、最小値、Q1、Q2(中央値)、Q3、最大値を記録していきます。
    Q1、Q2、Q3を示す縦の線分を少し長く描きます。
    描いた3本の縦の線分を結ぶ横の線分を描き、長方形にします。
    最小値・最大値とその長方形とを線分で結びます。
    と言葉でいくら説明してもよく伝わらないでしょうか。
    実際の図を示しましょう。



    手書きして、それをスマホで撮影したので、全体に斜めになっていて申し訳ありません。
    一番下の矢印のついた線は、実際には目盛りです。
    オレンジ色で書き込んだのは説明で、実際の箱ひげ図には記入しないものです。

    次に、AグループとBグループを箱ひげ図にしたものが、下図です。
    さらに斜めになってしまっていて申し訳ありません。
    定規がないのに急いで描いたら、こんなふうになってしまいましたが、概要は伝わると思います。



    Aグループのほうが明らかに高得点に分布していることが見てとれます。
    箱ひげ図の読み取りで誤解しやすいのは、横の線分が長いと、そこに多くのデータがあるような気がするのですが、全く逆で、線分が長いということは、そこはデータが少ないことを意味します。
    全てのデータを小さい順に並べて四等分して求めているのがQ1、Q2、Q3です。
    最小値からQ1までの幅には、全てのデータの四分の一が入っています。
    その幅が長いということは、そこはデータがまばらに分布していることを示しています。
    だから、Aグループは低い得点に人があまりいないことがわかります。
    ここが、説明していて高校生になかなか伝わらないところです。
    「長いものは大きいもの」という思いこみで図を見てしまうことから脱却できないようなのです。

    箱ひげ図の読み取りのコツはそこに集約されています。
    もう一度説明します。
    最小値、Q1、Q2、Q3、最大値は、データを小さい順に並べて単純に四等分したときに表れる数値です。
    最小値とQ1との間、Q2とQ3の間、Q3と最大値との間には、同じ数のデータが存在しています。
    たから、幅が長いところは、データはまばらに分布しています。
    長方形の部分も同じことです。
    長方形の横の長さが長いところは、データはまばらに分布しています。
    横幅の短い、ぎゅっと詰まった長方形には、データもぎゅっと詰まって存在しているのです。

    箱ひげ図よりも度数分布をそのまま示したヒストグラム(柱状グラフ)のほうが見たまますぐに散らばりを実感できるかもしれません。
    箱ひげ図は、読み取り能力を要求する図です。
    しかし、読み取り方を理解したら、箱ひげ図からヒストグラムの概形をイメージすることができます。
    都立の中高一貫校では、成績データにこの箱ひげ図を用いる学校もあります。
    いずれ、それが当たり前の時代が来るかもしれません。
    慣れれば多くのことが読み取れる箱ひげ図。
    学ぶ価値のある内容だと思います

      


  • Posted by セギ at 12:11Comments(0)算数・数学

    2018年01月10日

    データの分析。相対度数とは何か。


    今回は、「データの分析」です。
    「データを読み取れないから日本人は経済において世界の中で云々かんぬん」
    と上から言われて加えられ、新課程に変わる度に強化されている
    この単元。
    データは読めないよりは読めたほうがいいので、張り切って指導していますが、これを勉強する高校生の表情は、多くの場合、埴輪のようにポカンとしています。
    必要性が実感できないのかもしれません。

    今回は、まず中学の復習。
    度数分布表の作り方と、それをヒストグラムに直す方法を学習しましょう。
    これは中学1年で学ぶ内容ですので、わりと簡単です。

    度数分布表。
    身近な例で言えば、ある学年100人の期末テストの得点を度数分布表に表すとします。

    0点以上10点未満   2人
    10点以上20点未満  4人
    20点以上30点未満  6人
    30点以上40点未満 10人
    40点以上50点未満 32人
    50点以上60点未満  5人
    60点以上70点未満  7人
    70点以上80点未満 23人
    80点以上90点未満  7人
    90点以上100点以下 4人
    合計           100人

    上のように、範囲を区切ってその範囲にデータがいくつあるかを示した表が度数分布表です。
    「20点以上30点未満」のような範囲の1つ1つを「階級」と言います。
    データの個数を「度数」と言います。
    上の例で言えば、20点以上30点未満の階級の度数は、6人です。

    上のように合計がちょうど100人ならわかりやすいですが、実際のデータは、79人とか、83人とか、合計が半端な数であるため、データがどのように分布しているのか、パッと見ただではわかりにくいことがあります。
    そのために「相対度数」という数値を利用します。
    相対度数というのは、割合です。
    全体の中で、その階級にどういう割合でデータが分布しているか。
    合計を1.00とし、各階級の度数を小数で表します。
    各階級の度数÷全体の数=相対度数
    ということです。
    小数で表すからピンとこない子がたまにいるのですが、パーセントで読み直せば、何ということもありません。
    全体が100%。
    上の例で言えば、「20点以上30点未満」の階級の相対度数は、0.06。
    すなわち、全体の6%の人がその階級にいるということです。

    小学生の頃から「割合」が苦手な子は、この段階で「わかんない」と文句を言い始めるのですが、データを読み取りやすくするための数字が相対度数です。
    敵視せず、「この数字は自分の味方」と思ってほしいです。
    1.00=100% を理解するだけで楽になりますから。

    そして、度数分布表をそのままグラフにしたのが、ヒストグラム。
    柱状グラフ、とも言います。
    分布の様子がひと目でわかるので、便利です。

    さて、ここで話が終われば簡単なのですが、ここから少し面倒くさい話になってきます。
    データは、1つのデータだけを見て判断することはほとんどありません。
    他のデータと比較して分析するから、データには意味があります。
    では、どのように比較するのか。

    ここで、「代表値」という概念が登場します。
    1つのデータを1つの数値で代表させたい。
    代表値には色々なものがあり、一番知られているのが、「平均値」です。

    上の例で言えば、1人1人の点数を全部足していって、人数で割れば、平均点が出ます。
    あれ?
    でも、上の表だと、個々の点数がわからない。
    「20点以上30点未満 6人」
    ということしかわからない。
    実際は、1人1人、21点だったり、29点だったりするだろうに、そのデータが手元にない。
    そんなとき、どうやって平均値を出すか?

    ここで使えるのが、「階級値」。
    すなわちその階級の中央の値です。
    「20点以上30点未満」という階級の階級値は、25点です。
    その25点×6人で、その階級の合計とする。
    全ての階級の合計を足して、度数(100人)で割る。
    それを「平均値」としても、まあいいでしょう。
    おそらく、個々の得点を全部足して100で割ったものとは少し違う数値が出るでしょうが、大きな違いではないでしょう。
    これを「加重平均」と言います。

    そうやって、平均値を出すことはできるけれど、しかし、このデータで、平均値はどの程度の意味を持つのでしょうか?
    上の度数分布表を見直していただけるとわかりのですが、データの分布が明らかに割れています。
    平均値は、そうしたデータの分布を表すことができません。
    もっと、データの分布を把握できる数値はないものでしょうか。

    ここから、いよいよ、データの分布をどのように表していくかという話が始まっていきます。

      


  • Posted by セギ at 11:07Comments(0)算数・数学

    2018年01月08日

    三角比と平方根の計算の工夫。

    今回も、三角形の面積の求め方から。

    問題 3辺の長さがそれぞれ、10、17、21である三角形の面積を求めよ。

    S=1/2absinCの公式を利用する場合。
    sinCの値が必要ですが、すぐには求められません。
    だから、まず、cosCの値を求めて、そこからsinCの値を求めます。
    cosCは、余弦定理を利用すれば、3辺の長さから求めることができます。
    cosCの値が出たら、sin2θ+cos2θ=1(2は指数) を利用して、sinCの値を求めます。
    そして、上記のS=1/2absinCの公式に代入します。

    やってみましょう。
    cosC=(102+172-212)/2・10・17
        =(100+289-441)/2・10・17
        =-52/2・10・17
        =-13/85
    これをsin2C+cos2C=1 に代入して、
    sin2C+(-13/85)2=1
    sin2C=1-169/7225
        =7056/7225
    sinC=84/85
    よって、
    S=1/2・10・17・84/85
     =84

    答えは出ますが、計算が面倒くさいっ。
    ( ;∀;)

    この問題、他にも求め方があります。
    ヘロンの公式と呼ばれるものです。
    S=√s(s-a)(s-b)(s-c)
    ただし、s=1/2(a+b+c)
    これに代入すれば、一気に求めることができます。

    上の問題を解いてみましょう。
    s=1/2(10+17+21)
     =24
    よって、
    S=√24(24-10)(24-17)(24-21)
     =√24・14・7・3
     =84
    ああ、このほうがやっぱり楽です。
    (*^^*)

    ところが、ヘロンの公式を使っても、計算に手間取ってしまう高校生がいます。
    そういう子のノートを覗き込むと、
    24×14×7×3
    のかけ算を全部計算して、その後、それを素因数分解して√ の整理をしようとしています。
    そういうときは、かけるよりもさらに分解して、2乗のセットになるものを見つけてすぐに整数にしていくほうが楽に計算できます。

    √24・14・7・3
    √3・8・2・7・7・3
    =7・3・2・2
    =84

    不要なかけ算や割り算をしなくて済むので、計算ミスを減らし、速く正確に計算できます。

    しかし、この工夫が出来ない子は案外多いです。
    ときには、
    「私のやり方でも解けるんですよね?間違ってませんよね?」
    と言われることもあります。

    あれ?
    何か不満を持たれている?
    と感じてしまうのですが、それほど不満があって言っているのではなく、確認したいだけなのでしょう。
    式が間違っているのか、計算の工夫だけの問題なのか。
    式が間違っていないなら、計算は私のやり方でやりたい、という気持ちが働くのでしょうか?

    短時間で済むことをわざわざ遠回りしてしまうのは、時間の限られたペーパーテストを受ける場合に不利です。
    遠回りな計算は、その過程での計算ミスを招きやすく、精度が下がる原因にもなります。
    だから改善してほしいのです。
    しかし、それだけではありません。

    平方根の定義の理解が表面的なものに終わっていて、頭の奥に沁みていないから、そういう計算のやり方になるのではないかという心配もあるのです。
    そういう場合、「平方根の利用」に関する問題で、例えば、

    √180n が自然数となるような自然数nの値を小さいものから3つ求めよ。

    といった問題はハードルが高いようなのです。
    この問題の類題である「もっとも小さい自然数nの値を求めよ」ならば、正解するのですが、nが可能性としては無数にあることが理解しづらい様子です。
    「小さいものから3つ」と言われると、途端にわからなくなります。

    180を因数分解しますと、22・32・5です。(半角数字は指数)
    つまり、√180=6√5
    だから、n=5なら、√180nは自然数になる。
    ここまではほとんどの子が理解できます。
    しかし、他にもnがあることが理解できないようなのです。
    nは、5だけが因数である必要はありません。
    他にも2乗の因数を持っていて構わないのです。
    n=5・22=20 でも、√180nは自然数となります。
    n=5・32=45 でも、√180nは自然数となります。

    これがすんなり理解できる子と、なかなか理解できない子がいます。
    説明をいろいろ工夫していますが、わかる子もいれば、わかったふりをするだけの子もいます。

    不思議なもので、この子はちょっと無理かなあと内心思っていた子が、するっと理解することがあります。
    そんなとき、嬉しくて、思わず、
    「・・・・おまえ、おらが見えるのか?」
    と、私がふざけると、
    「センセイは、何かの妖怪なんですか?」
    と、見事に受けてくれたりします。

    理解力とは案外こんなことかもしれません。
    言葉の通じる相手ならば、説明は届くのです。
    講師との相性というのも、そういうことなのかもしれません。

      


  • Posted by セギ at 10:10Comments(1)算数・数学

    2018年01月01日

    三平方の定理と三角形の面積。無機質な公式をどう感じるか。

    今回は、三角形の面積の話です。
    これも、数Ⅰで学習する「三角比」の単元の内容です。
    △ABCの面積を求める公式は、
    S=1/2absinC=1/2bcsinA=1/2casinB
    となります。
    これに関しては、以前にここで書きましたので、ぜひ、以下のページに飛んでください。
    http://seghi.tamaliver.jp/e434406.html

    三角形は、2辺とその間の角がわかれば、面積を求めることができます。
    それが、S=1/2absinCの公式です。
    証明は、上のページで説明しました。
    小学校からお馴染みの「底辺×高さ÷2」に三角比を当てはめているだけです。

    ところで、昔、生徒の1人から
    「どこが高さかわからなくなる」
    と質問されたことがあります。
    底辺をaと見たときの高さが、bsinCになることは、見やすいからわかる。
    底辺がbのときの高さがcsinA、底辺がcのときの高さがasinBであることが、斜めになっていて見えにくい。
    そう言うのです。

    その子は、公式の証明と解き方そのものとを混同していたのでした。
    1つ1つの問題を解くときに、1つの頂点から垂線を引いて高さをsinで求めてから、三角形の公式にあてはめて解くのだと思っていたのです。
    だから、三角形の向きによっては底辺の位置と垂線の位置が見にくいなあと感じた様子です。

    しかし、そんなふうにいちいち解くのなら、公式は要らないのです。
    そういうことを省略し、さっと立式できるのが公式です。
    公式は問題を簡単に解くために式を定型にしておくものです。

    しかし、突然その定型を示されて、活用せよと言われても、納得のいくものではありません。
    だから、まずはその公式がなぜ正しいかの証明を学びます。
    納得したら、証明からは離れて、スイスイ公式を使うというのが数学学習の流れです。
    公式を利用するときには、どこが底辺でどこが高さであるかを確認する必要はないのです。
    そういうことを考えなくて済むようにしたのが公式です。
    機械的に当てはめて使用するだけです。

    ただ、そういうことに心理的に抵抗がある人は多いのかもしれません。
    実感の伴わない公式に違和感があり、頭に入らない子。
    小学生にもいますね。
    小学校の5年生で学習する「割合」で、まず大きな挫折があるようです。

    割合の3用法のうち、「もとにする量×割合=比べる量」の公式がよくわからない。
    まして、「比べる量÷割合=もとにする量」となると、全くわからないし、使う気がしない。
    どうしても意味がわからないし、頭に入らない。
    かけ算の式を立てていいのか、わり算の式を立てていいのか。
    やればやるほど混乱する。
    そういう嘆きを聞くことがあります。

    あれは、逆算で作った公式なので、意味なんてありません。
    割合の公式で意味があるのはただ1つ。
    「比べる量÷もとにする量=割合」
    これだけです。

    例題 
    Aくんが、サッカーで7本シュートしたところ、5本ゴールできました。Aくんがゴールした割合はどれだけでしょうか。

    これは、5/7ですよね。
    これは、実感できることです。
    これがわからないという小学生に出会ったことがありません。
    では、5/7という分数を式に直すとどうなるか?
    5÷7=5/7 です。
    5は、比べる量。
    7は、もとにする量。
    「比べる量÷もとにする量=割合」
    という公式は、こうした構造でできています。

    割合の根本は分数なんです。
    ここをカチッと押さえたら、あとは、その変形なのだと理解します。
    「もとにする量×割合=比べる量」
    「比べる量÷割合=もとにする量」
    この2本の式は、一番上の式を逆算で変形しているだけです。
    式自体に意味はありません。
    この式は実感できるわけがないのです。
    ただの機械的な操作で生まれている式です。

    だから、式の意味がわからないのは当たり前。
    意味がわからないという感覚は、間違っていません。
    意味なんかないんです。
    変形しておいたほうがすぐに使えて便利だから公式として固定させているだけです。

    多くの大人はもう何十年もこの公式を使っていますので、意味がないことに気がついていません。
    500円の7割は、500×0.7で、350円じゃないの。
    何でこんな簡単なことが、うちの子は理解できないの。
    こんなことの何がわからないって言うの。
    つい、そう思ってしまいます。
    子どもが弁の立つ子で、
    「でも、何でかけるの?何で割合をかけるの?」
    と、核心をつくことができたら、また話が変わってくるのですが、上手く言葉にできず反論できない子もたくさんいます。
    わからなくて当然のことを、わからないからと責められる。
    これでは算数が嫌いになります。

    実感できない公式は、算数・数学にはたくさんあります。
    公式の多くは実感とは関係ないことを理解すると気持ちが楽だと思います。
    公式は、証明できるかどうかです。
    証明できる正しい公式なのだと確認したら、自分の生活感覚からはかけ離れていても使う。
    使うことにためらいを感じない。
    だって、公式なんだから。
    こういう感覚に切り替えられると楽になります。

    使っているうちに、それが当たり前になります。
    慣れてしまえば、割合の公式に疑問を抱かないのですから。
    証明できることさえ確認したら、あとは覚えてガンガン使うのみ。
    それは割合の3用法でも、三角比の公式でも、同じです。

    ごくたまに、公式を全く覚えず、いちいち自力で公式をその場で作り出して解く人がいます。
    後にノーベル賞などを取った人のエピソードで、そういう話を聞くことがあります。
    しかし、これはいわゆる「偉人」のやることです。
    思考スピード、計算スピードが常人とは違います。
    自分でもできそうだなと思ったら真似たら良いですが、無理して真似ると失敗します。
    まして、公式を覚えない言い訳にすると、完全にしくじります。
    公式は、やはり便利です。
    便利に解くために存在します。
    覚えて使えば楽です。

    今年もこんな話と山の話ばかりしていくと思いますが、ご一読願えますと幸いです。
    ヽ(^。^)ノ



      


  • Posted by セギ at 13:17Comments(0)算数・数学