たまりば

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2018年09月19日

セギ英数教室、生徒を募集しています。


現在の成績は、問いません。
未来の秀才を求めています。
小さな個別指導塾ですが、1人1人の成績を確実に上げることを目標に、実績を上げています。
担当は、受験指導30年のベテラン。
「上手な授業」を行うパフォーマーよりも、受け持った生徒の成績を本当に上げることが目的の「学習トレーナー」でありたいと常に思っています。
必要な時期に必要な学習内容を提示します。

◎時間   1回の授業は90分です。
2018年9月現在、募集しておりますのは、以下の5コマです。
月曜日 16:40~18:10
水曜日 16:40~18:10
水曜日 18:20~19:50
金曜日 16:40~18:10
土曜日 16:40~18:10

◎形態   1対1の完全個別指導です。
 
◎指導科目 
 小学生  中高一貫校受験 算数・国語
       私立受験算数
       一般算数
        小学英語
 中学生  中高一貫校 数学
       中高一貫校 英語
       高校受験 数学
       高校受験 英語
 高校生  大学受験 数学
       大学受験 英語
       内部進学・推薦入試・AO入試向けの内申重視の数学・英語も承ります。
       英検など各種英語検定対策も行っております。

◎費用 
 週1回 受講で、月額20,000円
 週2回 受講で、月額36,000円
 (内訳 90分1コマ4,000円、諸経費・教材費月額4,000円)
  他に入会金を10,000円いただきます。

◎入会までの流れ
 まず、無料体験授業を受けてください。
 左の「お問い合わせ」ボタンからご連絡ください。
返信に数日かかることがあります、あらかじめご了承ください。

以下の内容をご記入いただけますと、以後のやりとりがスムーズです。
①お子様の学校名
②学年
③性別
④ご希望の通塾曜日・時間帯
⑤ご希望の体験授業日時
⑥希望科目
⑦体験授業の希望内容
(例 「1次関数」 など)
◎場所   三鷹市下連雀3-33-13
        三鷹第二ビル305
       三鷹駅南口から徒歩5分。
       春の湯の斜め前のビルです。






  


  • Posted by セギ at 13:04Comments(0)コース案内

    2018年09月19日

    不定詞の学習。中学3年レベルその2。疑問詞+to不定詞。


    不定詞の学習は中2から始まりますが、中3になるとさらに新たな用法を学ぶことになります。
    その1つが「疑問詞+to不定詞」の用法。
    中学生ですと、この表現そのものに疑問を抱き、
    「不定詞ってtoがつくものなのに、to不定詞っておかしくね?」
    と言う子もいるのですが、不定詞にはもう1つ原形不定詞があります。
    それと区別するために、「to+動詞の原形」の形のものをto不定詞と呼びます。
    中学生の間は、こんな呼び名はどうでもいいので、ただto不定詞という言い方も間違っていないんだよということをわかってくれれば、OKです。

    さて、その「疑問詞+to不定詞」。
    基本はそんなに難しくありません。
    疑問詞というのは、疑問を表す単語。
    具体的には、when,where,who,whose,which,what,how。
    これと不定詞をセットで用います。

    I don't know how to use this computer.
    私は、このコンピュータの使い方がわからない。

    how +to不定詞 で、「どのように~したらよいか」。
    ちょっと訳が固いので、「何々のやり方」という訳でOKです。

    when +to不定詞で、「いつ~したらよいか」。
    where+to不定詞で、「どこで~したらよいか。
    what+to不定詞で、「何を~したらよいか」。
    which+to不定詞で、「どれを~したらよいか」。

    特に難しくありません。
    基本問題を解いている限りは、誰でも正解できます。

    間違いやすいのは、以下のような問題でしょう。
    間接疑問文も学習した後の、私立型の入試問題です。

    問題 ほぼ同じ意味となるように以下の空所を埋めよ。
    Please tell me where to get on the bus.
    Please tell me (    )(   )(   )get on the bus.

    間接疑問文に直すのだ、というところまでは発想できたとして。
    3つの(  )に何を入れて良いか、わからない子は多いです。
    (  )が1つ余る感じがするのです。
    Pleas tell me where I get on the bus.
    で、良い気がするのに、もう1つ(  )があります。
    あれこれ悩んだあげく、
    Please tell me where do I get on the bus.
    としてしまい、不正解、というのはよくあることです。
    間接疑問文としてそれはおかしいと、基本的にはわかっていたのに、もう1つの(  )を埋められず、結局、やってはいけないとわかっていたことをやってしまうミスです。
    正解は、
    Please tell me where I should get on the bus.
    「どこでバスに乗ったらよいか」という意味なのですから、助動詞shouldが必要となります。

    疑問詞+to不定詞の文から間接疑問文への書き換えは、間接疑問文を学習してからでないと行えません。
    そのため、練習不足のまま入試を迎えてしまうことがあります。
    このように2つの単元にまたがる問題は未定着な子が多くなりがちで、そこをしっかり勉強しているかどうかをこうした問題は問うことができます。
    だから、入試はこのような問題が好まれます。
    関係代名詞と最上級との融合問題などもそうですね。


    上の問題は私立入試レベルですが、学校の定期テストにも出る可能性があるのになかなか定着しない事柄もあります。

    問題 次の語句を並べ替えて英文を完成せよ。
    don't , I , what , read , know , book , to.

    これの最も多い誤答は、
    I don't know what to read book.
    です。

    「疑問詞+to不定詞」という基本は理解したものの、whatやwhichはすぐ後ろに名詞を伴うこともある、ということがどうしても定着しないのです。
    正解は、
    I don't know what book to read.
    です。
    「私はどんな本を読んだらよいかわからない」。
    「どんな本」の部分はwhat book で、ここは意味のまとまりです。
    whatとwhichは、疑問詞ですが名詞を修飾することがあるのですね。
    これを疑問形容詞と呼びます。
    こういう呼び名でむしろ頭の中が整理されて定着する子もいます。
    そうではないタイプの子は、名称はどうでもいいですから、book のような可算名詞(数えられる名詞)を read book と、冠詞もつけず複数形にもせずにむきだしのまま使うことはないという知識だけはしっかり身につけるとよいと思います。
    「動詞の後に名詞をおく」という中1レベルの英語の語順へのこだわりを捨て、英語の語順の新しい可能性に対して頭を柔軟にしたいところです。
    体感で何となく思いこんでいる間違ったルールを優先させてしまう癖を改め、本当の英語のルールを理解していくことが大切です。
    かなり類題を練習しないと間違えます。
    定着したかなと思っても、ひと月も経つとまた間違えてしまう子もいます。

    間違える子の多いこうした問題をマスターすること。
    秀才とそうでない子との境目は、そこだと思います。
    基本問題は解ける。
    難しい問題は間違えたけど、そういうのは関係ない。
    そこで満足し、「理解したから大丈夫」と思ってしまう、いわば「加点法」で自己評価するタイプの子は、テストの点もそれで満足するのならば何の問題もないのです。
    でも、同じ子が、テストは8~9割の得点を求めることがあります。
    いやいや、そういう得点の取れる勉強をしていないですよね?

    より高い得点を求めるなら、「減点法」で自分を見つめましょう。
    「この問題が解けない」
    「このタイプの問題はまだ未定着」
    「これは類題をまた間違えた」
    これをマイナスを見つめる作業と感じ、気持ちが滅入る人もいるようですが、それをやるから精度が上がります。
    自分は何が出来、何が出来ないのか。
    そこから目を逸らさないことが実力アップのコツです。
    間違えた問題が実力アップの糧となります。
    目を逸らして無かったことにするのは、勿体ないです。
    テストで実際に8~9割の得点が取れるようになると、評価は外側に実在するものになります。
    そうなると、自分が今何ができないかを見つめる作業は、むしろプライドをもって行えるようになります。
    テストで良い点が取れない。
    評価が自分の外側に実在しない。
    自分で自分を褒め、認めるしかない。
    自己評価だけが高い。
    できないことから目を逸らす。
    こういう悪循環は避けたいです。
      


  • Posted by セギ at 12:53Comments(0)英語

    2018年09月17日

    久しぶりに奥高尾を歩きました。2018年9月。


    2018年9月16日(日)、2か月ぶりに山を歩いてきました。
    最後に歩いた7月初めでも、もう身の危険を感じるほどの暑さでした。
    この夏は、本当に暑かったですね。
    高山に逃れる機会もなく、気がつくと2か月ぶりの山歩きです。
    天気予報は曇りだけれど、そのほうが暑くならずに済むし、山も空いているだろう。
    そう思っていつものようにJR高尾駅北口に降り立つと、小仏行きのバス停は、行列が途中で折れ曲がってUターンしている盛況でした。
    皆、低山を歩ける気温になる日を待ち構えていたのかもしれません。

    日影下車。8:50。
    山支度をして、さて出発。
    日影林道は入り口から濡れていました。
    土曜日の雨の名残でしょう。
    日影沢もいつもより水量は多いです。
    前回歩いた、城山北東尾根の徒渉点は、乗用車が駐車されていて邪魔でしたが、すり抜けて覗き込むと、一応歩けることは歩ける様子でした。
    でも、今日は、秋の花を楽しむ山歩き。
    尾根道よりも、日影沢林道のほうが花が多いと思います。

    赤く鮮やかなミズヒキ。
    淡いピンク色のミゾソバ。
    きれいだけれど、この写真はもう沢山撮っているからなあ。
    などと思いながらのんびり登っていくと、キツリフネを発見。(''_'')
    去年は、林道工事の影響でキツリフネの株がなくなっていて、ああ、伐採されてしまったんだとがっかりしたのですが、その跡に、また株が育っていたのです。
    しかも、増えていました。
    強いなあ。
    上の写真がそれです。
    赤いツリフネソウは日影林道には沢山咲いているのですが、キツリフネはここだけなのです。
    もともと高尾にあるものではなく、過去に持ち込まれた可能性が高いそうですが、他の植物を侵略する気配はないので、末永くここで可憐に咲いていてほしいなあ。

    さらに登っていくと、赤いツリフネソウがちらほら咲いていました。
    むしろ今年は、赤いツリフネソウが減っている印象です。
    去年、あまりにわさわさ生えて、雑草感が強かったので、草刈りされてしまったのかな?

    赤いツリフネソウが減ると、目立ってきたのがヤマホトトギスでした。
    1回の山歩きで1株見つけると、わあ咲いている、嬉しいと感じる花です。
    でも、歩いていくと、2株、また3株。
    随分咲いているなあ。
    その度、立ち止まって撮影。

    撮影を終えて立ち上がると、左手、伐採されて、随分見通しが良くなっていました。
    わあ、山が丸裸だ。
    こんなところから空が見えるなんて。
    また次の植樹が行われるのでしょうか。
    奥高尾は、半分は植林帯なので、人がコントロールして木を植え、育て、伐採していくことで良い林が保たれます。

    柵を越えると、舗装道路が始まります。
    ここからは、また別の種類の花が楽しみです。
    山頂に近くなり、見晴らしが良くなってくると・・・。
    あ、咲いていた。ツリガネニンジン。
    ススキ、アザミに混じって、風に揺れていました。

    城山山頂。10:25。
    タオルがしぼれるほどに汗をかいていたので、かき氷の大を注文。
    しかし、やはり大き過ぎて、食べ終わる頃には身体が冷えて何か1枚羽織りたいほどになっていました。
    歩きだせばまた暑くなるという保証がなかったら、危険なほど。
    やはり、身体は内側から冷やすのが一番効きます。

    出発。11:00。
    高尾に向かってのんびりと降りていきます。
    赤いヒガンバナ。白いヒガンバナ。
    もう盛りは過ぎた様子で、色は褪めていました。

    今日は眺望もないので、一丁平の展望台は避けて、まき道を。
    花に期待してのことでもあります。
    今年も咲いていました、キバナアキギリ。
    これももう終わりかけの様子。

    一丁平で少し休憩。
    つやのある葉がわさわさ生えている木から、赤い実が鈴なりに垂れ下がっています。
    赤い実が割れて、黒い種子が姿を現しています。
    何だろう?
    ポケット植物図鑑で確認。
    ・・・ゴンズイ?
    何度も歩いているのに、気づかなかったです。
    来年からは、また、この木が実をつけているかどうかも気にして歩くようになると思います。

    紅葉台も通らず、まき道を行きます。
    シモバシラの花が咲き始めていました。
    少し減っていないかな?
    秋にシモバシラがちゃんと咲いているところに、冬の氷花が見られます。
    やはりここも、ヤマホトトギスが多く見られました。
    こんなにあちらこちらに見られる花ではないはずなのに、不思議だなあ。
    今年の気候に合っているのでしょうか。

    紅葉台との合流点、高尾山の直下から、高尾山5号路へ。
    ここも、ヤマホトトギスが沢山咲いていました。
    そのまま、稲荷山コースを下ります。
    ここを歩くのは、1年ぶり。
    また少し整備が進んだ印象です。
    デッキや木段が整備されて随分歩きやすくなりました。
    私が歩いてたたらを踏んだりちょっと立ち止まって確認したりする箇所が全くないというのは、山道としてありえないほどの整備です。
    とはいえ、雨上がりの泥んこ箇所がないわけではなく、膝から下やお尻が真っ黒な人も。
    こんな日は、観光客の人は無理せず、1号路かケーブル・リフトで下山したほうが安全だろうと思います。

    たんなる下山でもやはり大量の汗をかき、2本目のタオルも絞れるほどになる頃、下山。13:10。
    ちょっと物足りないけれど、2か月ぶりの足慣らしなので、これくらいで。

      


  • Posted by セギ at 14:35Comments(0)

    2018年09月13日

    聴き取る力・読み取る力。


    今朝、ラジオを聴いていたら、季節に関するひと口情報的なコーナーでこんな会話がなされました。
    1人はアナウンサーで、用意された原稿を読んでいます。
    アナウンサー「漢字で秋の桜と書いて、コスモス。そう読まれる方が多いかもしれません。本来はそのまま『あきざくら』と読み、これがコスモスの和名とされています。この漢字2文字でもコスモスという読み方が広まったのは、1977年の山口百恵さんのヒット曲『秋桜』がきっかけだと言われているんですね」
    パーソナリティー「これね、いつも諸説ありをぶつぶついうのが好きなんですけど、そうじゃない説を今思っていて」
    アナ「さだまさしさんが作詞作曲されたこの『秋桜』・・・」
    パーソ「コスモスは昔からあるよ。私たちが小学生のときから、コスモスはコスモス。そう言ってたよ。さだまさしさんが逆にコスモスを秋桜と書くのを最初にやったみたいな説ありましたよね。それで聞いているから。これとはちょっと食い違う」

    放送を聴いたときも、録音をこうして文字に起こして何回も読み直しても、このパーソナリティーが何にケチをつけて「逆に」と言っているのか、よくわからないのです。
    この情報を整理すると、コスモスの和名は「あきざくら」。
    「秋桜」と書いてコスモスと読ませた最初の人は、さだまさし。
    アナウンサーが読んでいる原稿も、パーソナリティーが「諸説ありだ」と言っていることも、同じ内容に思えるのです。

    このパーソナリティーは、何を言いたかったのでしょう?
    何かを誤解したのでしょうか?
    このパーソナリティーが?
    それとも私が?

    ラジオを長年、というより話芸を長年やっている人が、何かを聴き取り間違えたのではないか?
    「コスモス」という花の名前を広めたのがさだまさしだという説をアナウンサーが読んだと誤解したのでしょうか?
    その前までは人々はあの花を「あきざくら」と呼んでいたと聴き取り間違えて、いや、そんなことはない、と感じたのでしょうか。
    あるいは、「コスモス」という西洋の名称にさだまさしが「秋桜」という漢字を選んで充てたのであって、「あきざくら」という和名など存在しない、と言っているのか?

    そう悩みながらアナウンサーの原稿を読み直すと、そういう様ざまな解釈を招く隙がこの原稿にはあるのだと気づきます。

    誤解の分岐点は、
    「漢字で秋の桜と書いて、コスモス。そう読まれる方が多いかもしれません」
    「この漢字2文字でも『コスモス』という読み方が広まったのは」
    というところだと思います。
    ここに違和感を抱く人が多い。
    「コスモスと読まれる方が多いかもしれません」という言い方は、それは間違っていますよ、というニュアンスがあり、反論されやすい物言いなのでしょう。
    「コスモスと呼ばれる方が多いかもしれません」
    「『コスモス』という呼び名が広まったのは」
    と聞き間違える可能性も高く、そうなると意味が全く変わってしまうのです。
    自分が以前から思っていたことを否定されたように感じると、いや、それは諸説ありだ、自分の知っていることはこうだ、と主張したい気持ちにもなります。
    アナウンサーは、パーソナリティーよりもずっと若いので、いや、それは同じことなんじゃないですかと反論はしませんでした。
    1977年なんて生まれてもいないでしょうから、それ以前にあの花を「コスモス」と呼んだかどうか、「あきざくら」という和名が存在したかどうかなんて本人は知らないのですし。
    ああ、そうかもしれませんね、と受け流して先に進んでいきました。
    聞いている私は、取り残されて、朝からモヤモヤしてしまいました。

    ラジオだから?
    音声だから、情報が正確に伝わらないのだろうか?
    文字情報のほうが、確実なのか?

    しかし、そうとばかりも言えません。
    先日、北海道で大きな地震があり、それに伴って大規模な停電が起こりました。
    電力的には今も綱渡りの状態が続き、北海道では計画停電を実施する可能性もあるそうです。
    そうなると、「原子力発電所を動かしていればこんなことにならなかったのだ」という意見を口にする人もいます。
    北海道の泊原発は安全基準を満たしていないから、そもそも稼働できないそうですが、それはともかく。
    気になるのは、「泊原発」を「柏原発」とネットで書いている人がいること。
    「泊」と「柏」は文字としては似ています。
    肉筆の場合は、たまたま書き間違える可能性はあります。
    しかし、ネットで「柏原発」と打ち込むには、「かしわげんぱつ」と入力しないと無理です。
    つまり、最初から読み間違えていないと、この書き間違いは起こらない。
    そういう人たちにとって、北海道の原発は、その存在すら実は予備知識になく、むしろ原発といえば、新潟県の柏崎の原発のほうがまだしも名前の見覚えがあったのかもしれません。
    その連想もあって「かしわ原発」になってしまっているのでしょうか。

    そうした読み間違いや勘違いがなぜ訂正もされずその人の中でそのままになってしまうのか?
    ネットで「柏原発」と書いている人は、テレビやラジオでニュースを確認したことが一度もないからでしょうか?
    ネットでしか情報を得ていないのではないか?
    音声を伴う情報に触れないので、読み間違いが永遠に訂正されないのです。
    このように、文字情報だけの場合も、ある種の危うさがあります。

    昔、ネットにアクセスできない人を「情報弱者」と呼びました。
    今は、ネットでしか情報を得ない、新しい種類の情報弱者が生まれているのかもしれません。

    社会問題としてこれを論じているのではなく、私が気になるのは、やはり身近な話です。
    生徒は私の音声による解説をどこまで正確に聴き取ることができているのだろうか?
    私はどこまで正確に情報を伝達できているだろうか?

    また、生徒は、テキストに書いてある文字情報をどこまで正しく読めているのだろうか?

    相変わらず、
    「問題を読みましょう」
    「問題文に全部書いてあるよ」
    「設問を読みとばしたでしょう?大事な条件がここに書いてあるよ」
    と生徒に繰り返す日々ですが、問題文を読み取れないだけでなく、私のそうした音声による助言も情報として正確に聴き取れない子がもしいるとしたら、一体どうしたらよいのだろう?

    音声による情報も、文字による情報も、思っているよりも脆弱で、相手が誤解する可能性を常にはらんでいます。
    自分が何か誤解していないか。
    相手が何か誤解していないか。
    常にその可能性を探りながら、さらに細心の注意をもって情報の伝達をしていかなければ。
    改めてそう感じた秋の初めの朝でした。

    北海道だけでなく、大雨や台風の被災地もまだ苦しい毎日と思います。
    被害の様子を知る度、2011年を思い出します。
    心よりお見舞い申し上げます。
      


  • Posted by セギ at 13:27Comments(0)講師日記

    2018年09月10日

    9月22日(土)、大人のための数学教室を開きます。


    9月8日(土)、大人のための数学教室を開きました。
    今回の学習内容は、数Ⅱ「図形と方程式」の中の、直線の方程式です。

    直線の方程式の求め方は、中学2年の「1次関数」で学習しています。
    例えば、こんな問題。

    問題 点(6,-1)を通り、傾きが-1/2の直線を求めよ。

    まずは、中学生の解き方で解いてみましょう。
    直線の式は、1次関数です。
    1次関数の一般式は、y=ax+b。
    このaとbには具体的な数字が入り、個々の直線の式を表します。
    aは傾き。bは切片。
    今は傾きが-1/2とわかっていますので、a=-1/2です。
    これを一般式に代入して。
    y=-1/2x+b。
    ところで、点(6,-1)はこの直線上の点なのですから、この点のx座標とy座標は、上の式の関係を満たします。
    x=6、y=-1 を代入して、上の式が成り立つということです。
    では代入しましょう。
    -1=-1/2・6+b
    -3+b=-1
    b=2
    よって、求める直線の式は、 y=-1/2x+2 です。

    数学が苦手な子は、こういう問題の作業手順だけ覚える傾向があり、しかも、1つ1つ手順を踏まず、一気に全部代入して解く子も多いです。
    最初は意味がわかったうえでそうしていたのでしょうが、意味はたちまち後退し、単なる作業手順になります。
    「1次関数」が範囲の定期テストが終わってひと月も経てば、こんな基本問題も、どうやって解くのか曖昧になります。
    復習しようと自分のノートを見直しても、
    -1=-3+b
    という式から唐突に答案が始まっているので、何をどうしたのか、自分でもわからなくなってしまいます。

    また、応用問題を解くときに、同じ考え方を用いて、点の座標がわかれば直線の式を求められるという発想を持つことができず、座標平面と図形の問題は歯が立たない子も多くいます。
    手順だけになってしまい、意味がわかっていないからなのでしょう。
    「意味がわかるようにノートをとっておくといいよ」
    「代入は一気にやらず、まずy=-1/2x+bの式を立てて、それから点の座標を代入すると、後で意味がわかるよ」
    と繰り返し助言しますが、聞いてくれない子もいます。
    説明を聞いた直後なので、そのときは意味がわかるから大丈夫と思うのでしょうか。
    今はわかっても、明日はわからないかもしれないのに。
    記憶なんて、すぐに消えてしまいます。
    数字の操作は、意味を伴っていなければ記憶に残ることは少ないのです。

    意味がわかるように答案を作っていくこと。
    数学の記述答案で必要とされているのは、とりあえず、それです。
    どういう考え方で、何の定理や公式を用いて、どう解いているのかを示しながら解いていく。
    中学の間はある程度許されていますが、高校数学になると記述答案としての体裁が整っているかがより重要となります。
    数学の答案なのに日本語が多くなり、「何で式と答えだけじゃダメなんだろう?」と不満を感じる子もいると思います。
    しかし、1週間も経てば、自分の立てた式の意味さえ自分でわからなくなるのが高校数学の答案です。
    答案を読む採点者に、「式の意味はおまえが判読しろ」、「そして採点しろ」、「部分点くらいよこせ」、と言っても、そんなの無理です。
    ヒントをください。
    どういう考え方でその式を立てたのか、式の前に1行でいいから説明をください。
    そうすれば、たとえ誤答だとしても、全くの勘違いによる式なのか、代入ミスなのか、判断することができます。
    採点者が求めているのは、そういうことです。
    そして、それが記述答案の根本です。

    記述答案を書かねばならないと納得しても、今度はルールがわからない、ここはどう書くの、ここはどうするの、と不安になり、1行も書けない子がいますが、絶対の形式があるわけではありません。
    読む人の立場になって書くこと。
    それは、結局、時間が経過した後の自分が読んでも意味がわかるということ。
    ルールは、究極、それです。


    さて、問題に戻りましょう。
    問題 点(6,-1)を通り、傾き-1/2の直線の式を求めよ。

    高校数Ⅱは、これを一気に解く公式を学びます。
    点(x1,y1)を通り、傾きがmの直線の式は、
    y-y1=m(x-x1)

    この公式の証明は簡単です。
    求める直線の式を、
    y=mx+n ・・・➀
    と表します。
    この直線は、点(x1,y1)を通るのですから、
    y1=mx1+n ・・・➁
    が成り立ちます。
    ➀-➁をすると、
    y-y1=(mx+n)-(mx1+n)
    y-y1=mx-mx1
    y-y1=m(x-x1)
    これが公式です。

    点(6,-1)を通り、傾き-1/2の直線だから、
    y-(-1)=-1/2(x-6)
    y+1=-1/2x+3
    y=-1/2x+2

    ここで、公式のバージョンアップが行われたことになります。
    これがなかなか厄介で、中学時代の解き方を手放せない子が現れます。
    中学の解き方でも、この問題は解けますから。
    高校の公式を使えば秒殺の問題を、何だかあれこれ迷いながら、思い出しながら解いているので、何をしているのかなあとノートを覗くと、中学の解き方で解いている。
    そういう光景に何度も遭遇しました。

    本人にバージョンアップしたい気持ちがないわけではないのです。
    でも、公式が覚えられない。
    頭がパンパン。
    しかも、中学の頃は、この直線の式の求め方だけで授業は1~2時間使ったし、学校のワークもそれだけで2ページくらいぎっしり問題があって沢山練習できました。
    高校の授業は、新しい公式がさっと出てきて、スッとすぐに次の公式に進んでしまいます。
    高校から配られている問題集も、この公式の練習問題は小問が5~6問程度です。
    定着しないうちにスルスルと先に進んでしまいます。

    定期テスト前にまとめて丸暗記しよう、と思って先に進んでいくと、しかし、えらい目にあいます。
    その先、問題が複雑になったときに、学校の問題集の解説を読んでも、意味がわからないのです。
    解説が3行くらいすっ飛んでいるように感じるほど、何でこんな式が唐突に立てられているのか、意味がわからない。
    記述答案は意味がわかるように書けって言ったくせに、非常に詳しい模範答案であるはずの問題集の解説書が意味がわからないってどういうこと?

    ・・・・公式を覚えていないからです。

    応用問題の中で、基本公式の意味を逐一解説することはありません。
    点(6,-1)を通るから、
    くらいの1行しか書いてありません。
    それで記述答案としては十分です。
    それで意味がわからないのは、公式を覚えていない自分の責任となります。
    解説を読んでも意味がわからない場合の大半は、本人が公式を覚えていないことに原因があります。
    そして、高校数Ⅱはこれから、怒涛の公式ラッシュが始まります。
    数学が苦手だけれど、大学受験の都合などで、数Ⅱのマスターがどうしても必要な場合、独りで勉強するのが苦しいのはこの点です。
    公式の解説だけなら、塾に行かなくても、ネットに沢山解説が上がっていますし、動画もあります。
    しかし、学校の問題集の問題は、解説を読んでも意味がわからない。
    模試の問題も、解説を読んでも意味がわからない。
    ネットや動画の公式・定理の解説は理解できるけれど、実際の問題が解けない。
    そう感じたとき、独学はやめ、塾を頼ってください。
    どの公式を覚えていないから、その状態なのか。
    どこからつまずいているのか。
    それを自力で突き止めるのは難しいです。

    数Ⅱ「図形と方程式」がわからない高校生の多くは、中学の「関数」で既につまずいています。
    高校入試レベルの座標と図形の問題を自力で完答したことが一度もないまま、他の問題や他の教科でカバーして高校入試を突破した場合。
    内部進学で、そもそも高校入試を経験していない場合。
    点の座標と直線の式との関係など、根本が理解できていない可能性があります。
    なぜ点の座標を直線の式に代入できるのか、その根本がわかっていない子は沢山います。
    どうか塾を頼ってください。

    今回の授業で、公式はもう2本。
    点(x1,y1),(x2,y2)を通る直線の式は。
    y-y1=y1-y2/x1-x2 (x-x1)

    さらに、(a,0),(0,b)を通る直線の式は、
    x/a+y/b=1

    また、
    2直線が平行のとき、傾きは等しい。
    2直線が垂直のとき、傾きの積は-1。

    これも、今後も使用することが多い事柄です。


    さて、次回の数学教室のお知らせです。

    ◎日時  9月22日(土)10:00~11:30
    ◎内容  数Ⅱ「図形と方程式」を続けます。p.48例題12の解説から。
    ◎場所  セギ英数教室
           三鷹市下連雀3-33-13
             三鷹第二ビル 305
           春の湯さんの斜め前のビルです。
    ◎用具   ノート・筆記用具
    ◎参加費 2,000円
           当日集めさせていただきます。
    ◎予約  私の携帯メールかLINEに、ご予約をお願いいたします。





      


  • Posted by セギ at 14:42Comments(0)大人のための講座

    2018年09月06日

    チェバの定理。


    数A「図形の性質」の学習、今回は、チェバの定理です。
    まずは、左の図が基本です。
    △ABCの内部に点Oをとります。
    各頂点から対辺に向けて、点Oを通る直線を引き、対辺との交点をE、F、Dとします。
    左図の線分AE、BF、CDがそれです。
    すなわち、点D、E、Fは、それぞれ辺AB、BC、CAを内分する点です。
    このとき、
    AD/DB ・ BE/EC ・ CF/FA = 1
    これがチェバの定理です。

    証明は簡単で、三角形の面積の比と線分の比を利用します。
    興味のある方は、ネットで検索するとすぐに証明が出てきます。

    高校レベルの定理にありがちですが、証明を理解して納得したところで、定理は覚えられないことが多いです。
    三角形の面積の公式など、公式が表しているものが求め方の意味そのものだった頃と比べ、公式と証明との間に乖離が生じるのが高校数学です。
    証明は証明として納得した後は、定理は定理で暗記すると良いでしょう。
    いえ、数学センス、図形センスが高度に発達した人の場合、このレベルでもなお、証明が理解できれば、公式は証明そのもの、意味そのものじゃん、暗記とかそういうことじゃないという感覚を抱きます。
    そういう人は「数学は暗記じゃない」と言います。
    一応、その人の言うことも聞いて、証明を理解した後、何も見ないで定理を復元できるか自分で試してみても良いですが、あ、ちょっと無理だなと感じたら、丸暗記したほうが良いと思います。

    「チェバの定理」の場合、暗記は簡単。
    まず、土台は△ABCであることを強く意識します。
    点A、B、Cが頂点です。
    それ以外の点は、交点とします。
    「分点」と呼ぶ人もいますが、同じことです。
    唱える呪文は、
    「頂点・交点・頂点・交点・頂点・交点・頂点」。
    始まりは必ず頂点です。
    そこから直接いける交点までが最初の分数の分子。
    その交点から次の頂点までが、その分母。
    その頂点から次の交点までが、次の分子。
    その交点から次の頂点までが、その分母。
    そうやって、頂点から交点へ、交点から頂点へと一周していくのが、チェバの定理です。
    上の左図では、頂点Aから始めていますが、これは頂点Bから始めても頂点Cから始めても同じことです。
    「AD、DB、・・・」と文字で暗記するのは混乱のもと。
    ざっくりと把握し、自由に活用できるようにしておきましょう。

    次に上の右の図。
    点Oが△ABCの外側にある場合です。
    同じように、各頂点から点Oを通る直線を引き、対辺あるいは対辺の延長との交点をE、F、Dとします。
    上の図のように、2つの交点は、外分点、1つは内分点となります。
    この場合も、チェバの定理は成り立ちます。
    上の右図にオレンジ色で書き込んである通り、
    「頂点・交点・頂点・交点・頂点・交点・頂点」
    の順番でひと筆書きでなぞり、最初の頂点に戻れば終了です。
    あくまで△ABCが土台。
    A、B、Cが頂点。
    外分点は交点です。
    それを強く意識すれば、間違えずに最初の頂点に戻ってこられます。
    これも、出発は点Aとは限らず、どの頂点から開始してもその頂点に戻ってこられるよう練習しておくと良いと思います。

    あとは代入とその後の計算の問題です。
    例えば、図のAD:DBの値を求める問題で、他の線分の比は既にわかっているとして。
    AD/DB ・ 1/2 ・ 4/5=1
    という式が立ったその後。
    2AD/5DB=1
    というところまで整理できて、その先で迷ってしまう人がいます。
    このとき、AD:DB=5:2 です。

    これもまた、なかなか納得できない人もいるようで、つまずきポイントです。
    小学校の頃から分数や比が苦手だったことが高校まで尾を引いている子は特に。
    本当に、小学校の算数は諦めずに理解しておいてください。
      


  • Posted by セギ at 13:30Comments(0)算数・数学

    2018年09月03日

    勉強に向いている性格。



    先日、ネット記事を眺めておりましたら、「性格の悪い子は成績も悪い」というタイトルの記事を見つけました。
    こういう記事は閲覧数を稼ぐためにキャッチーで過激なタイトルをつけるもので、記事の内容はそんなにひどいものではないのだろうと一応読んだら、内容もそのままだったので驚きました。

    大手の塾の経営者の発言をまとめた記事でした。
    いわく、大人の指導に素直に従う子は伸びる。
    大人の言うことを素直に聞けない子は、指導を無視して勝手なことをするので、間違った勉強をして、成績が上がらない。
    すなわち、性格の悪い子は、成績が悪いのだ。

    言っていることは、部分的にわからないこともないのです。
    しかし、この言い方・・・。
    「俺の言うことさえ聞いていればいいんだ。そうすれば、成績は上がる。成績が上がらないのは、俺の言うことを聞かないからだ」
    そうした呪いの言葉に思えます。
    これほど言葉はひどくないけれど、結局、自分も同じようなことを言ってしまっていないか、考え込んでしまいました。

    私が以前に勤めていた集団指導塾は、私が勤務した頃には地域密着型の穏やかで小さな学習塾でした。
    しかし、スパルタ式の教育で近隣に名を馳せ、教室をいくつも広げるほどに躍進していた時代があったと、昔から勤めている講師に聞いたことがあります。
    宿題をやってこない子に対しては、男女関係なく、皆の前でビンタをしたそうです。
    その恐怖と恥ずかしさを思えば、誰もが必死に宿題をやってくるようになります。
    必死に宿題をやれば、成績が上がる。
    成績が上がれば、保護者は満足。
    塾にクレームをつけません。
    「やり方が気に入らないなら、どうぞ退会してください。
    うちの塾に通っていれば、しかし、成績は上がるんですよ」
    そういう形で実績を上げた塾だったというのです。

    大人の言うことを聞かない子どもは多いですが、そういう子ほど、恐怖と暴力で支配すれば簡単に従うのも事実です。
    いえ、大人も、恐怖と暴力の支配から逃れられる人は少ないでしょう。
    歴史がそれを証明しています。
    だからこそ、私たちは、用心に用心を重ね、そうしたことが起こらないようにアンテナを張っていなければなりません。

    「性格の悪い子は、成績が悪い」
    この発言は、そうした暴力的支配が許されなくなった時代に、それでも子どもを従わせたい人の苦しまぎれの物言いに思えます。
    ここでいう「性格が悪い」は、指導者にとって都合の悪い性格という意味に過ぎません。
    「性格の良い子」というのは、指導者にとって都合の良い性格の子ということです。
    言うことを聞かない子をどのように説得し、効果的な学習方法を伝えるか。
    そこで勝負しないで、子どもの性格のせいにしてどうするんだろう・・・。


    この夏、教室の入っているビルは大規模な外壁工事が行われました。
    通路も教室のドアも塗り替えられてピカピカです。
    4年前、今回ほどの規模ではないですが、ある土曜日、通路の床に防水加工の工事が行われたことがありました。
    しかし、うちの塾は土曜日も営業しています。
    業者の人と相談の結果、エレベーターからうちの教室の前まで養生をしてくれて、そこを通って教室に入れるようになりました。
    私は保護者にメールで連絡しました。
    「本日、うちの教室前の通路は塗装工事が行われております。エレベーターから教室の入口まで、養生してあるところを歩いてきてください」
    これで大丈夫でしょう。

    ところが、ここで不測の事態が発生しました。
    そのメールの内容をお母様から伝えられた生徒は、外階段からやってきてしまったのです。
    ('_')

    「エレベーターから教室入口まで、かなり歩きにくい状態になっているようだ」
    というふうに情報を読んで、
    「じゃあ、階段からなら、歩けるんじゃないか」
    という発想になったのでしょう。

    いやいやいや。
    「エレベーターから教室入口までなら、歩ける。他に歩ける道はない」
    というのが、私の伝えたかったことだったのですが。

    というよりも、そのとき、私の中に階段という発想はなかったのです。

    これは私の思考の癖なのかもしれません。
    業者さんに、
    「エレベーターから、この部屋の入口まで、通れるようにしますから」
    と言われれば、
    「なるほど、エレベーターからここまで、通れるのだな」
    と、そのまま受け止めます。
    「エレベーター」という言葉が思考のフックとなり、もうそれ以外の選択肢は念頭から消えます。
    相手が通れるようにしてくれている、その通りにやっていれば、間違いはない。
    はみ出す必要はない。

    そして、勉強をする上で、この考え方は楽だし、合理的なんです。
    解説を聞いて、あるいは解説を読んで、まずはその通りに再現する。
    その再現の正確さが、理解力。
    勉強する内容は、数千年の人類の叡智です。
    私の単なる思いつきが簡単に凌駕するわけがありません。
    現代科学の最善で最高の内容を教わっているのです。
    言われた通りに再現できることが、まず必要。

    とはいえ、
    「だから学校の秀才の考えることはつまらないんだ」
    と言われれば、それもその通りなのです。
    言われたことを言われた通りにやるのではなく、思ってもいなかった方向から発想できる人は、かっこいいですよね。
    少数のそういう人が文明を牽引し、そして、それを多くの秀才が再生して、世の中は進んでいくのだと思います。

    ただ、階段を使うという発想は、そういうユニークで魅力的なものなのかというと、そうではないように思います。
    それは、たとえ思いついても、総合的に判断して、自分で却下したほうがいいのです。
    階段を使えるのなら、最初からそういう誘導をします。
    階段の先は塗装直後で、一歩も先に進めなかったのです。

    相手が口にしないことを自分が思いつくと、思いついた途端に「それこそが最善」という思考の飛躍を起こす子がいるのではないか。


    また別の子の話ですが、英語の「受動態」をなかなか理解できない中学2年生がかつていました。
    最初の授業では、正確に理解したのです。
    基本的に頭の回転の速い子で、その場では器用に身につけることができました。
    しかし、家で復習する習慣がなく、宿題は、次の塾の日の直前に慌ててやってくる子でした。
    1週間経ってからでは、たいていのことは頭から抜け落ちています。
    宿題は間違いが多く、そうなると混乱し、わかったはずのことがわからなくなっていくようでした。
    1週間、また1週間、むしろ、どんどん「受動態」がわからなくなっていくのです。
    とうとう、簡単な穴埋め問題も解けなくなってしまいました。

    問題 次の空所に適切な語を補いなさい。
    (1) その歌は若い人たちに愛されている。
     The song (  )(   )among young people.
    (2) この本は10年前に書かれた。
     This book (  )(   )ten years ago.

    こういった、ごく簡単な穴埋め問題です。
    (1)の答えは、is loved
    (2)の答えは、was written
    be動詞と過去分詞を空所に埋めるだけの、受動態のテストとしては何のひねりもない基本問題でしたが、全問不正解でした。
    そこに全て過去分詞とbyを入れていたのです。
    (1)は、loved by
    (2)は、written by  と。

    「・・・・・・何で、by?」
    「だって、受動態は、必ずbyを使うし」
    と、その子は言いました。
    「・・・・・・そんなふうに教わった?」
    「自分で気がついたよ。頭いいー」
    「受動態かどうかは、動詞の形で決まるんだよ」
    「だって、byを使うでしょう?」
    「使わない受動態は、たくさんあるよ」
    「えー?なんでー?」

    ・・・・・教わったことを教わった通りに再生していれば、早いのになあ。
    なんで、別のルールを自分で見つけてしまうのかなあ。

    しかし、それは思考の癖のようなもので、
    「なぜ?」
    と問われても自分で説明できないし、
    「そのような考え方はやめなさい」
    と言われても、やめられるものでもないのでしょう。

    何か1つの情報を与えられたときに、いくつもの選択肢を発想すること自体は、むしろ良いことです。
    問題は、その選択肢のうち、妥当ではないものを消去する判断力をもつこと。
    「自分の思いついたことだから、正しい」
    というバイアスがかからない総合的な視野を持つこと。

    でも、子どもに総合的な視野を求めても難しい。
    総合的な視野に乏しいから、それを身につけるために勉強しているんです。

    結局、「A」と言われたときに「B」の発想をし、それに沿って問題を解決しようとしてしまうのは思考の癖です。
    性格が良いとか悪いとか、そういうことでなく、思考の癖。行動の癖。
    良い勉強法を教わっても、聞き流して、実行しない。
    これだけは覚えなさいと言われても、覚えない。
    「A」の提案に対して、常に「B」という案を本人は思いつき、大人の言う通りにすることに意味を感じない。
    ピントがズレている間は成績向上の邪魔になりますが、ピントが合えば大きな潜在能力かもしれません。

    この子の性格にあった勉強のやり方は、どういうものだろう?
    どう説明すれば「A」と教えたときに「B」と発想せず、「A」のまま伝えることができるのだろう?
    そのように考えていくのが建設的だと思うんです。
    「性格が悪い」と子どもをなじって自分の責任を回避するよりも。
      


  • Posted by セギ at 16:25Comments(0)講師日記