たまりば

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2017年01月13日

三平方の定理と暗記


中学3年生が今の時期に学習する「三平方の定理」。
定理そのものは、それほど難しいものではありません。
「相似」で悪戦苦闘した後ですと、むしろ易しく感じるのではないでしょうか。

そんな中で、少し厄介なのが特別な比の三角形でしょう。
三角定規になっている、2種類の三角形です。
その角度は、小学校で覚えます。
そして中3になると、辺の比を覚えることになります。

この「覚える」という作業が、算数・数学とはなじまないと感じる子がいて、
「数学って、考えるものでしょう?何で覚えるの?」
と、一応もっともなことを言ったりします。
意味のわからないことを覚えろと言っているのではないので、最低限、理解したことは覚えないと、その先の問題は何1つ解けなくなってしまうのですが、覚えるのが本当に嫌いな子はいます。

特別な比の直角三角形は、3:4:5や、5:12:13のような、覚えておけば便利という程度のものもありますが、三角定規の三角形の辺の比は、覚えないとどうにもなりません。
1辺の長さから他の2辺の長さを求める問題が当たり前に出題されます。
これは、比を覚えていないと解けません。
内角が45°、45°、90°の直角三角形の辺の比は、1:1:√2。
内角が30°、60°、90°の直角三角形の辺の比は、1:2:√3。
絶対に覚えなければならないのが、この2つです。
(*^_^*)

1:1:√2 のほうはまだわかりやすいのですが、1:2:√3 は、2にあたる辺と√3にあたる辺を取り違える子が多く、ミスの出やすいところです。
あの直角三角形は、背中合わせに並べると、1つの正三角形になります。
そのイメージさえもっていれば、2にあたる辺がどちらであるかを間違えることはないのですが、機械的に暗記しているだけだと、しばしば間違えます。
また、この三角形の学習に慣れてしまった後、角度が明示されていない普通の直角三角形にこの辺の比を誤用してしまう子も現れます。
「何か似ているから、使っていいと思った」
と言うのです。
見た目が少し似ていても、30°とか60°とか、角度が明示されていない直角三角形にこの辺の比を利用してはいけないんだよ、違う三角形なのだからと説明しても、へえ、そんなものなのかあ、何でかなあという顔をしています。


高校の「三角比」も「三角関数」も、この比をガンガン使います。
というよりも、ほとんどこればかりです。
この比は非常に重要です。
しかし、以前、中3の生徒にその話をしたとき、どうにも話が通じなかったことがあります。
「まあ、そのうち覚えます」
という返事で、なかなか覚えないんです。
覚えるか覚えないかを判断するのは自分であると言いたげな妙な「ゆとり」が口調から感じられ、あまりにも話が通じなくて困惑しました。
(^_^;)
長くつきあってみると、その子は、ものを覚えるのが本当に苦手で、でも、そのことを悟られまいとして、人をくったような偉そうな物言いになってしまい、損をしている子だったのでした。


数学は暗記科目ではないというけれど、覚えなければならないことはあります。
そもそも、「暗記科目」というくくりが本当は妙なので、歴史でも地理でも、興味を持って勉強している子は、「暗記しなければ」という自覚は特になく、重要なことは自然に覚えてしまいます。
そういう子にとっては、歴史も地理も「暗記科目」ではありません。
単なる知識が重要なのではなく、1つのことが他のことに波及していくその関係、その大きな流れが読みとれるから歴史や地理は面白いと、そういう子は知っています。

興味があることに関しては、覚えることは苦になりません。
勉強以外のことを例にするもっとわかりやすいと思います。
私より下の世代の人たちは、子どもの頃にポケモンのゲームで遊んだり、アニメが好きだったりしたので、出てくるモンスターの名前をほぼ全部覚えている人が多いです。
去年の夏にスマホゲームになって、その衰えない人気が証明されましたね。
ポケモンが好きな人にとっては、モンスターの名前を覚えることは苦行でも何でもなく、当たり前に覚えられることです。
暗記しようと努力したわけではないでしょう。
そしてその記憶は、今後もずっと維持されて、彼らは老人になってもポケモンの名前は忘れないでしょう。

でも、ゲームに興味のない私がポケモンの名前を覚えなければならないとしたら、これは苦行です。
(^_^;)
全く興味がないので、かなり努力しないと覚えられないでしょう。

ファッションもそうですね。
ブランド名などは、私はほとんど覚えられません。
興味がないものは頭に残らないのです。
必要ないから記憶に残さないようにしている傾向もあります。
どんなことでもとにかく努力して覚えたら、その先に面白いことが待っているんだろうなあとも感じるのですが、他に覚えなければならないことが沢山あるからなあといつも後回しにしてしまいます。

数学が暗記科目ではないというのも、同じ意味だと思います。
数学に興味がある人は、公式や定理は意味を理解すれば自然に覚えてしまいます。
だから「数学は暗記科目ではない」と言います。
でも、実際には、興味がなかったら覚えられません。
そういう意味では、数学も、歴史や地理と同じです。
興味がないので無理をしなければ公式を暗記できない子は、とにかく意味を理解したら無理に暗記して、使えるようになりましょう。
使えるようになって、正解を出せるようになって、苦手意識がなくなっていけば、「大きな流れ」とか、他のこととの関係とか、興味がわいてくると思います。
「公式だから」とあきらめて使っていたことの本当の意味に、ある日気がついて、衝撃的な開眼をする日も来るかもれしません。


「ゆとり教育」の影響はそろそろ薄れてきていますが、それでも「暗記」を軽視する子は減りません。
覚えることが苦手で、新しい公式や定理をなかなか暗記せず、教科書を開いて単に代入して問題を解き、それで勉強は完了したような勘違いをしてしまう子は多いです。
理解することが勉強の全てになっていて、公式を覚えていないのです。
テスト本番で、自力では全く解けないことに気づき、呆然とテスト用紙と向き合うことになってしまっています。


数年前、小学4年生に確認テストを解いてもらっている間、その子の算数の教科書をパラパラめくっていたら、面白いことが載っていました。
「大きな数」のページでした。
大きな数の単位としては、小学校で理解しなければならないのは、千兆の位までです。
子どもの中には、数の単位を唱えさせると、
「一、十、百、千、万、十万、百万、一億、一兆」
と、謎の跳び方をする子がいます。
千兆の位までの数を算用数字でも漢数字でも正しく書けて読めて、位取りの関係が理解できることがこの単元の学習目標です。

ゆとり教育の頃は、「大きな数」について学校で学んできた子が、なぜか自慢げに、兆より大きい数について私に教えてくれることが何度かありました。
「センセー、千兆の次の位を知ってる?」
「京だねえ」
「その次は?」
「垓」
「その次は?」
「何だっけ。聞いたことあるんだけど、覚えていないなあ」
「知らないのー?無量大数って言うんだよー」
「・・・・・・え?早くない?」
「無量大数って言うんだよ。学校で覚えさせられたもん」
「・・・・・・へえ」
こうした会話を、ゆとり教育の時代に複数の生徒と交わしています。
現実問題としては、京より大きな桁の数は、10の累乗を用いて表すのが普通なので、あまり使い道のない知識ですが、しかし、「垓」の次がすぐ「無量大数」というのは、あっけないですね。
大きな数の桁の名称は、もっとあるでしょう。

新課程の教科書には、大きな数の桁の一覧が載っています。

京 けい 
垓 がい 
禾予 じょ 
穣 じょう  
溝 こう 
澗 かん  
正 せい  
載 さい  
極 ごく   
恒河沙 ごうがしゃ
阿僧祇 あそうぎ
那由他 なゆた
不可思議 ふかしぎ
無量大数 むりょうたいすう

全ての新課程教科書がそうなのかどうかはわかりません。
これは発展的内容で、絶対に覚えるべきことではありません。
でも、何だか見ているだけでワクワクしました。
高校で学ぶ指数や対数は、言わばデジタル表記なので、自分の扱っている数字がどれほどの大きさなのか、計算しているのに実感できないことがほとんどです。
この大げさな桁の名称は、大きな数の大きさを実感させます。
そして、私自身、実はそんなに知らなかったこの大きな数の知識が、この一覧表を見ているだけでスルスル頭に入ってきました。
覚える覚えないは好き好きですが、これは私にとっては魅力的な知識なんだなあと改めて感じた経験でした。

  


  • Posted by セギ at 12:09Comments(0)算数・数学

    2017年01月10日

    図形が苦手な子の特徴。





    算数・数学について、計算分野はそんなに嫌いではないけれど、図形は嫌いだという子は多いです。

    そういう子が問題を解く様子を見ていると、問題をわかりやすくするための書き込みの下手な子が多いなあと感じます。
    「等しい角や線分に、等しい印を入れてみようよ」
    と声をかけると、一応手は動くのですが、図の大切な部分が隠れてしまうような雑な書き込みをしてしまうのです。
    丁寧で緻密な作業をすることが習慣になっていず、勉強が基本的に「やっつけ仕事」になっている子は、図の書き込みは下手ですし、図形問題を時間をかけて考える集中力も養われていない場合が多いように感じます。

    性格的に全てにおいて雑な子というのではなく、数学の図形分野になると突然雑になる子もいます。
    問題を解くための大切な書き込みをしている意識がなく、命じられたから仕方なくやっているからなのかもしれません。
    その書き込みがあるから自力で解けたという経験を幾度がすれば、もっと自分で見やすい書き込みをするようになるのでしょう。
    汚い書き込みは助けにならず、むしろ図を見る邪魔になるのですから。

    私の子ども時代を思い出すと、算数・数学の図なら丁寧に書き込んでいましたが、図工・美術は、今思うと作業がかなり雑でした。
    例えば人物画を描くとき、顔は丁寧に描くけれど、着ている服や背景は一色でささっと塗っておしまいにしていました。
    雑です。
    でも、当時は、それではダメだということがわかっていませんでした。
    そこを丁寧にやる必然が私の中になかったからでしょう。
    それと同じで、数学において図に丁寧に書き込みをする理由が本人の中にない限りは、いくら注意しても根本的には解決しないのかもしれません。

    図の本当の線が見えなくなるほど、ぐりぐり何度も鉛筆でなぞってしまう子もいます。
    私は、いつも生徒と向き合って教えていますので、逆さからその図を見て、一緒に問題を解くことがあります。
    汚いなぞり書きをされると逆さからでは本当にわからなくなるので、うめき声を上げてしまいます。
    私がわからないだけでなく、汚いなぞり書きは、本人もわからなくなる原因です。
    「ぐりぐり塗らないと、わからない」
    と言う子もいますが、図中の線を鉛筆でぐりぐりなぞる子で図形問題の得意な子は少ないです。
    塗らないとわからない、というのは悪い習慣です。
    一回丁寧になぞって線を少し太くするくらいならばいいのですが、ぐりぐり何度もなぞって角を丸くしてしまうようなのはやめたほうがいいです。
    どうしてもわからないという子には、私はマーカーの使用を薦めています。
    マーカーは下の実線が透けて見えるので便利です。
    薄い色のマーカーで重要な部分をなぞって見た目をわかりやすくするだけで、問題が易しく思えてきます。
    「だって、テストのときには出来ない」
    と不満を言う子もいますが、やりたかったらテスト用紙もマーカーでぬったらいいんです。
    テストは、マーカーで図をなぞることは禁止していないと思います。
    それに、マーカーでぬって自力で正答できるようになれば、そのうちマーカーは必要なくなってきます。

    図形問題が苦手な子のもう一つの特徴は、考える時間がひどく短いこと。
    「わからなかったー。教えてくださーい」
    と本人は陽気に宿題を空欄にして持ってきますが、教わって解いた図形問題はすぐに忘れてしまうことが多いです。
    なかなか身につきません。
    テレビのクイズ番組を見ていて、答えがわからない間は気になるけれど、正解を聞けばもう興味がなくなり、番組が終わった頃には何1つ覚えていないのと似ています。
    最終的には解けなかったのであっても、もう少し問題と格闘しなければ記憶に残りません。

    図形問題は、自力で解いた問題の数が多いほど力がついていきます。
    自力で解くには、基本的な知識が頭に入っていていつも使える状態になっている必要があります。

    三角形の内角の和は180°である。
    1直線は180°である。
    正三角形の1つの内角は60°である。
    二等辺三角形の2つの底角は等しい。
    三角形の外角は、隣り合わない内角の和に等しい。
    対頂角は等しい。
    平行線の同位角は等しい。
    平行線の錯角は等しい。
    等しい弧の円周角は等しい。
    円周角は中心角の2分の1である。
    半円の弧の円周角は90°である。
    平行四辺形の対角は等しい。
    平行四辺形の対辺は等しい。
    平行四辺形の隣りあう角の和は180°である。
    円に内接する四角形の対角の和は180°である。

    説明されれば、「知ってるよ、そんなこと」ということばかりですが、図形が苦手な子は問題を解くときにこれらを自分で思い出して使うことができません。
    言われればわかるけれど、本当の知識になっていないのです。

    それは、「理解語彙」と「使用語彙」の違いに似ているのかもしれません。
    言われれば意味のわかる言葉。
    でも、自分では使えない言葉。
    私たちのボキャブラリーは、自分で使える「使用語彙」の周囲に、意味はわかるけれど自発的には使用できない膨大な「理解語彙」があります。

    それと同じで、自分で使える「使用定理」の外側に、言われればわかる「理解定理」があるのかもしれません。
    解答・解説を読めばわかるけれど、自力で図形の問題を解くことができない。
    そういう子の多くは、使用できる定理が少ないのだと思います。

    自分で解いていないから、使用できる定理が少ない。
    使用できる定理が少ないから、自分で解けない。
    負のスパイラルです。
    まずは補助を受けながら、できるだけ自分で解いていくことで、苦手な図形を克服していきましょう。



      


  • Posted by セギ at 22:30Comments(0)算数・数学

    2016年12月08日

    線分の比と面積の比と関数の融合問題。


    さて、「線分の比と面積の比」の話の続きです。
    底辺の比も高さの比も把握できる2つの三角形は、(底辺の比)×(高さの比)で面積の比を求めることができます。
    底辺の比は、見た目そのままなので理解しやすい人が多いようです。
    一方、高さの比のほうは、何でそこを高さの比と見ることができるのかなあ、と感じる子が多いように思います。
    この考えを座標平面上に応用した問題が、都立入試の関数の問題の問3で度々出題されますので、理解できると良いのですが。

    「今、この2つの三角形の共通な底辺は、y軸上にあるでしょう?だから、高さの比は、x軸上で見ることができるんだよ」
    個別指導をする場合、まず、こんな雑な説明をして、様子を見ます。
    図形センスがあり、この種の問題を解いた経験もある子なら、この説明で理解できます。
    手が動き始めたら、まず大丈夫。

    理解できない場合。
    どこでつまずいているか、少しずつ説明を易しくして、様子を見ます。
    下手をすると小学校の「三角形の面積」の学習でつまずいている場合もあります。

    三角形の面積。
    どんなに算数が苦手な子でも、三角形の内側に高さが示されている場合は、公式通りに面積を求めることができます。
    けれど、鈍角三角形がエビぞりしているみたいな向きに図が描かれている場合(わかりますか、この表現?)、高さは三角形の外に示されます。
    その場合、それがその三角形の高さであることを理解できない子がいます。
    なぜ三角形の外側に示されたものがその三角形の高さになるのか理解できないようです。
    高さというのは、その図形の内側にあるものだという固定観念があるのでしょうか。
    どうしても高さを求めるのなら、三角形を立ち上げて本当の高さを測るべきだと思うのかもしれません。
    花の重さで垂れ下がったヒマワリの高さを測るのに、どっこいしょと花を持ち上げて測るような感覚でしょうか。

    そういう子は、三角形の高さの正確な定義を把握できていないのです。
    正確な定義は言葉にすると難しい言い回しになってしまうので、そういう厳密なことは中学生から行うのが普通です。
    小学生には厳密な定義は教えません。
    小学生には複雑な概念を複雑な概念のまま直観的に把握する能力があります。
    それは子どもだけにある特別な学習能力です。
    その能力に期待して学習は進むのですが、把握できない子はやはり把握できません。


    高さが三角形の外側に示されている問題が解けないときに、
    「これが高さだよ」
    と大人に教えられれば、へえ、そんなもんなのかと思って、その問題は解きます。
    しかし、時間をおいて復習すると、やっぱりそのタイプの問題は解けない。
    本当に理解したわけではないから、そうなります。
    そういう問題を理解できないまま三角形の面積の勉強は終わり、小学校を卒業し、中学生になっている子がいます。
    そういう子の場合、三角形から遠く離れたx軸上でその三角形の高さの比を読み取ることは、到底理解できません。

    三角形は、どの辺も底辺と見ることができ、そのそれぞれに高さがある、ということを理解できない子もいます。
    底辺とは、いかにも底辺な向きを向いているものだけが底辺で、そんなに自由自在に動くものではないと思うのでしょうか。 
    簡単に言ってしまえば、そういう子は頭が固いんですが、そういう頭の固さはどうすれば治るのかは難しい問題です。

    しかし、勉強しなければそのままです。
    繰り返し説明しながら、その子の頭の中で閃光の走る瞬間が来るのを待つことが、遠回りのようで唯一の手段であるように感じています。

      


  • Posted by セギ at 14:02Comments(0)算数・数学

    2016年12月01日

    中学三年・高校数A 円に関する問題。



    中学3年生の「円」の学習は、ゆとり教育の時代にほとんどの内容が削られ、その後、新課程になってもあまり復活せず現在にいたります。
    公立中学では、入試に向けてスケジュールが押している学校も多く、「円周角と中心角」の学習だけでほぼ終わることもあり、「円」をあまり難しいと感じない子が増えてきました。
    以前は中学3年生で学習するものだった「円」の内容のほとんどは、現在、高校1年生が学習する数Aに移されています。
    しかし、「円」をきっちり学習する時間があるかというと、数Aは数Ⅰと比べて授業数が少ないこともあり、「円」を含む幾何の学習は割愛されてしまうことがあります。
    夏休みの宿題として自習しておくこと、夏休み明けの課題テストの範囲です、という高校もあります。
    一方、国公立・私立中学では、「円」の学習は旧課程のまま、中2または中3で現在の数Aの内容全てをきっちり学習するところが多いです。
    円周角と中心角。
    三角形の五心。
    接弦定理。
    方べきの定理。
    ・・・・などです。

    どちらが良いのかはわからないですが、数Ⅰ「三角比」の学習の最後、平面図形や空間図形の求積の問題で、三角錐に内接する球の半径を求める典型題を解説すると、全く話が通じないことがあります。
    「この三角錐の底面は正三角形でしょう?正三角形は内心と重心が一致するから、重心からここの線分の長さを求めることができるんですよ」
    「はあ?」
    「正三角形は、内心と重心が一致するんですよ。外心もですよ」
    「そうなんですか?」
    「・・・・重心って何だかわかりますか?」
    「・・・・多分、わからないです」
    「勉強していないんですかね?」
    「・・・・わかりません」
    これは、この状態でいいのかなあ?

    例えば、「五心」。
    三角形の外接円の中心が外心。
    三角形の内接円の中心が内心。
    三角形の各頂点から対辺の中点に引いた直線の交点が重心。
    三角形の各頂点から対辺に引いた垂線の交点が垂心。
    三角形の1つの内角の二等分線と他の2つの外角の二等分線の交点が傍心。
    これらを合わせて、三角形の「五心」と言います。

    「五心がわからない」
    と慌てたように教室に入ってきて訴える私立中学の生徒もいますが、よくよく話を聞くと傍心がわからないだけだったりします。
    傍心なんか定義だけわかっておけば大丈夫ですよ。
    それより、外心や内心、重心に関する典型題は解けますか?
    大切なのはそれです。
    テストに出るのもそれです。

    以前、うちの塾に通う中3の生徒が、五心の個々の名称を答えるだけの問題が定期テストに出たときに、初めは正答を書いたのに、自分の答案を見ているうちに不安になって書き直して全て間違えてしまったことがありました。
    「外心」という自分の文字を見ていたら、円の中心は「点」なのに「心」というのはおかしいのではないかと思い始めたそうなのです。
    そして、全て「外点」「内点」と書き直してしまいました。
    うーむ・・・・。
    知識のゲシュタルト崩壊でも起きたのでしょうか。

    「・・・・中心なんだから、心という字を使うことに何も問題はないと思いますよ。外点なんて言葉に聞き覚えがありますか?」
    「・・・・ありません」
    答案を見ながらのこんな会話もむなしく、後の祭りでした。
    各2点の問題で、これで10点失ったので私の脱力感も大きかったですが、子どもを教えているとこういうことは避けられません。
    相手は機械ではないので、指示した通りの正確な再生はできないこともあります。
    テストになると睡眠時間を削って勉強し、テスト中にふっと睡魔に襲われる子もいます。
    悪い成績を取った経験が尾をひき、テストに対して恐怖心があり、テスト中にパニックが起きているのではないかと想像される子もいます。
    正常な判断ができなくなっています。

    外心は、三角形の各辺の垂直二等分線の交点です。
    各辺の垂直二等分線は3本あります。
    その3本が1点で交わっている。
    これは、凄いことです。
    最初から3本の直線を1点で交わらせようとして描いているわけではありません。
    個々に引いた3本の直線が、必ず1点で交わるんです。

    内心は、三角形の3つの内角の二等分線の交点。
    これも3本あるのに、1点で交わります。
    重心も、垂心も、傍心も、3本の直線が1点で交わっています。

    何て美しいのだろう。
    この美しさは、この世界の美しさである。
    この世界の成り立ちの美しさである。
    古代の学者は、そのように感動したのかもしれません。

    そういう観点で見たとき、「円」はロマンに満ちています。
    幾何は、ロマンあふれる魅力的な分野です。
    嫌いだ、苦手だ、ではなく、少しでも楽しんで学習してくれると良いなあ。
      


  • Posted by セギ at 12:05Comments(0)算数・数学

    2016年11月24日

    三角形の線分の比と面積の比。





    さて、今回は、中学三年生の数学「相似」という単元の中の「三角形の線分の比と面積の比」の話。

    例題 上の図で、AD:DB=2:3、BE:EC=4:1である。△BDEの面積は△ABCの面積の何倍であるか答えなさい。

    この問題には何通りかの解き方がありますが、どれも、高さが等しい三角形は面積の比と底辺の比が一致するという考え方を利用します。
    そのことがまず理解できるかどうかが鍵です。

    上の図で、高さの等しい三角形は、例えば△ADEと△BDEです。
    底辺が同じ直線上にあり、残る頂点が一致していれば、その2つの三角形の高さは等しいです。
    図形の学習の難しさは、このことが理解できない子が少なからず存在するというところにあります。
    2本の平行線の間に三角形を2つ描いて、この2つの三角形は高さが等しいねと説明してあければ理解できる子も、こうした図の中で高さの等しい三角形を自力で発見することができないこともあるのです。
    「三角形の高さ」というものへの認識が漠然としていて、小学生の頃から底辺と斜めの位置の辺の長さも高さとして利用して面積を求める式を立ててしまう子は、上の図の三角形のどこが高さなのか把握できないようです。
    あるいは、三角形が少し斜めになっていたり逆さになっていたりするだけで見えにくくなってしまう子も多いでしょう。

    図形把握力の弱さは、小学生の頃から表れています。
    正方形が斜めになっているだけで正方形に見えなくなる子。
    図形の向きによって、直角三角形と二等辺三角形の識別ができない子。
    三角形の高さをその三角形の外側の位置にしか示せないような形の三角形のときに、高さを把握できない子。
    「では、どうしたら良いのでしょうか」
    と保護者の方から相談されることがあるのですが、弱点というのはそんなに簡単には克服できません。
    問題ごとに「この三角形とこの三角形が高さが等しいのですよ」とマーカーでなぞり、このように見えるものなのだということを教え込んでいくしか方法はないと思います。
    知力がイメージ力を補っていくのを期待しましょう。
    時間は相当かかると思います。

    さて、一応、高さの等しい三角形は把握できるのだとして。
    その先、この問題をどう解いていくかです。

    私立中学を受験した子たちにとっては、この問題は学習済みの内容です。

    教える場合も、正直に言えば、中学受験経験者に対するほうが相似は教えやすいです。
    基本は理解できていますので、実際に解いてもらい、本人の習熟度を判断しながら、本人にわかる解き方で教えていきます。
    同じ中学受験生といっても「相似」という単元に関しては習熟度に大差がありますので、理解できるレベルも個人差が大きいです。

    まず最も基礎的な中学受験算数の解き方としては。
    三角形の高さが等しいならば、底辺の比と面積の比は等しいから、
    △ADE:△BDE=2:3
    この2つを合体させた△ABEを➄とする。
    同様に、
    △ABE:△ACE=4:1
    ➄が4にあたるのだから、それを20と置き換えると、
    △ABEは、20。△ACEは、5。
    △BDEは、12。
    △ABCは、25。
    よって、△BDEは△ABCの12/25倍。

    受験算数にもう少し習熟している子は、別の解き方をします。
    △DBEと△ABCで。
    底辺の比は、4:5。
    高さの比は、3:5。
    よって、面積の比は、12:25。
    答え 12/25倍。
    (底辺の比)×(高さの比)=(面積の比)
    という「比の積」の考え方が身についている子には、これで話が通じます。
    上の図に一応入れた補助線AEも必要としません。
    ただ、底辺の比の4:5はともかく、高さの比が3:5であることは理解できない子が多いです。
    式そのものは簡単なのですが、自力で使えるかどうかは個人差が大きい解き方です。
    説明を聞けば理解できるのだとしても、試験中に自力で使えなければどんなテクニックも意味がありません。
    「比の積」「比の商」は、中学受験生の中でもかなり受験算数に習熟した子でないと定着していない内容です。
    多少もたついても、一番上の解き方のほうが理解できる子が多いのです。

    一方、中学受験を経験していない子たちは、この問題をどう解くのがベストかというと。
    一番上の解き方は、最小公倍数で揃えることを必要としない問題ならば良いのですが、今回のように「20に揃える」といった要素が出てくると、あまり定着しません。
    〇や△を使って問題を解くことに慣れていないので、作業自体がもたつきますし、〇と△を使い分けることをせず混乱してしまう子がほとんどです。

    そこで、分数を使ったきっちりした式で説明することになります。
    慣れるとこちらのほうがわかりやすい面もあります。
    これは、大きい三角形のほうから分割するように考えていったほうがわかりやすいです。
    まず△ABEは、△ABCを4:1に分けた4つ分のほうですから、
    △ABE=△ABC×4/5
    また、△BDEは、△ABEを3:2に分けた3つ分のほうですから、
    △BDE=△ABE×3/5
         =△ABC×4/5×3/5
         =△ABC×12/25
    よって、△BDEは、△ABCの12/25倍。

    ものの考え方がシャープな子に対しては、2番目の(底辺の比)×(高さの比)=(面積の比)の意味とその考え方を一度きっちり教えます。
    これは公式として覚えなさい、この形の問題を見たら必ずこれで解きなさいと指示します。
    「裏ワザ」的なことが好きな男子生徒は定着率が高いです。


    同じ問題を解くときに、上のような問題は、中学受験の経験者にとっては解き慣れた基本問題ですが、中学で初めて学ぶ子にとっては初めて挑戦する内容だというのは大きな違いです。
    この差は埋まらないことが多いです。
    経験値が違い過ぎます。
    毎日放課後遊べるはずの楽しい小学校時代の数年を受験勉強に注ぎ込むというのは、そういうことです。
    何かを失ったかもしれない。
    でも、得たものも大きい。
    そういうことだと思うのです。

    一番難しいのは、受験算数を勉強したけれど結局マスターできなかった子。
    〇や△の記号を使おうとするけれど記号の使い分けをせず、無関係な比を同じものと誤解して使用し誤答してしまいます。
    曖昧に身につけた技術がアダとなっている印象です。
    他の解き方を教えても、逆に混乱する様子であまり定着しません。
    何を解いても、何度解いても、間違える。
    気持ちも滅入ってきます。

    受験算数で挫折感を深めてしまうと、メンタルの問題としては、数学嫌いをこじらせてしまうことがあります。
    世間一般のレベルから言えば、そんなに数学ができないわけではないのに、本人はそう思っていません。
    苦手意識から、勉強が後回しになり、やがて本当に苦手になっていきます。

    公立小学校・中学校の算数・数学しか知らず、自分は数学はよく出来ると自信を持っているほうが幸せかもしれない、とも感じます。
    自分は数学は得意だ、数学は好きだ、という信念で、コツコツ勉強していったほうが、高校数学がよく身につく場合もあります。

    その子にあった道がある。
    どの道にも良い可能性はある。
    そう思います。
      


  • Posted by セギ at 13:14Comments(0)算数・数学

    2016年11月17日

    中学数学 図形の証明問題。



    さて、今回は証明問題のお話です。
    証明問題が苦手という子は多いです。
    たいていは三角形の合同か相似を証明する易しい証明問題なのですが、生徒の答案を見ると、世の中には証明を書くことに向いていない人がいるのかもしれないと思うほどに、何だかよくわからない答案になっていることがあります。

    証明には、作法があります。
    読む側はその作法で読みますので、書く側もその作法で書く必要があります。
    その作法で書いていない証明は、
    「え?」
    「何で?」
    と読む側は思ってしまいます。
    読む側にそう思われないように作法を守って書けば良いのです。


    最もシンプルな三角形の合同の証明問題の答案の例として、例えばこのようなものが考えられます。

    △ABCと△DCBにおいて
    仮定より
    AB=DC
    ∠ABC=∠DCB
    共通な辺なので
    BC=CB
    2組の辺とその間の角がそれぞれ等しいので
    △ABC≡△DCB

    この程度の易しい証明問題も、書き間違える子は、この1題の中で2か所、3か所と間違えてしまいます。
    AB=DC
    と、対応する頂点を揃えて書かなければならないのに、
    AB=CD
    と書いてしまう。
    ∠ABC=∠CDB
    と書き間違えて、全然違う角を示してしまう。
    同じ角を示しているのであっても、
    ∠DCB=∠ABC
    と、示した角と、最初に提示した三角形の順番が逆になってしまう。

    しかも、自己採点ではそれに〇をつけてきたりするので、私が見直して×をつけることも多いです。
    本人は正解だと思い込んでいます。
    「え。ちゃんと書きましたよ」
    と主張するので、どこが間違っているかを説明する必要があります。

    書き間違いがあまりにも多いので、
    「これは、0点ですね」
    と言っても、
    「え?少し減点くらいでしょう?」
    と気楽に構えている子もいます。
    大体できているんだから大丈夫と思うようです。
    精度に対する意識が低い、ということなのでしょう。
    結果、テストで得点できず、落胆するのは本人です。

    証明というのは相手を説得するために書くものです。
    順番がぐちゃぐちゃで通用するわけがありません。
    自分が書くときには順番がぐちゃぐちゃな子に、私が同じように順番がぐちゃぐちゃな説明をして理解できるかといったら、おそらくできないでしょう。
    私がうっかり言い間違えたり書き間違えたりしたら、生徒はそこで詰まって理解できなくなっ
    てしまいます。
    だから、同じように自分も順番を守って正確に説明しなければならない。
    そう自覚するだけで、証明のどこに気をつけなければならないかわかってくると思います。

    また、根拠を示すことの重要性に対する認識が必要です。
    根拠を示さなければ誰も納得しません。
    何の定理を使ったのか。
    どこに根拠があってそれが言えるのか。
    それを明示しなければ読む人は理解してくれません。
    読む側の立場にたってわかるように書くのが証明の答案です。

    どこに注意を払い、何をどう書いていけば良いのか。
    そのコツさえつかめれば、証明問題は型通りに書いていくだけのものなので、典型題に関してはむしろ得点源とすることが可能です。

    こうした易しい典型題の証明問題なら解けるけれど、もう少し難しい問題が発想できないという人もいます。
    これも人によって様ざまな課題があります。
    まず、考える時間が異様に短い子。
    問題を読んでから「わからない」と言うまで1分もかからないこともあります。
    ものをじっくり考えるという習慣がないようです。
    そういう子にとって、問題は、「ぱっと見てわかる問題」と「わからない問題」の2種類しかないのかもしれません。
    頭の回転自体は速い子にこういうタイプが多く、わかる問題だけ解いていればいい、自分がわからない問題は難しい応用問題だから解かなくていいという意識を持っていることもあり、改善には時間がかかります。
    ものをじっくり考える習慣のない子が考えるようになるには動機が必要です。
    多くは、高校入試を意識するようになってから必要に迫られてようやくそういう方向に気持ちが動き始めます。
    遅過ぎるようですが、何しろ頭の回転自体は速いので、中3の秋から大きく伸びることがあります。
    高校入学後は、身につけた考える力が良い結果を生むようになります。

    もっと不器用なタイプで、一所懸命考えているけれど証明問題が解けない子の場合は、その子に特有の盲点がある場合が多いです。
    例えば、線分で区切られると図形が見えなくなる子。
    区切られた最小の図形しか見えません。
    線分をまたいで大きく図形を把握することができないので、合同な三角形も相似な三角形もその子の視点では存在しないことになります。
    ものの見え方の癖のようなものなのでしょう。
    説明されても見えないのであればもう仕方がないのですが、大抵は知力でカバーできますから、どういう図形が本当は見えるものなのかを繰り返し把握することで少しずつ見えてくるようになります。

    あるいは、特定の定理が使用できない子。
    例えば中2で、
    「2角の等しい三角形は二等辺三角形である」
    という定理を使用できない子。
    あるいは中3で、
    「半円の弧の円周角は90°である」
    という定理を使用できない子は多いです。
    言われれば理解できる定理です。
    何度もそれに気づかないせいで問題が解けなかった経験があるにも関わらず、やはりその定理が使用できず、問題が解けません。
    その定理が使用できる状態で頭の中にない。
    そこが盲点になってしまっています。

    漠然と「応用問題が解けない」ではなく、どういう応用問題が解けなかったのか。
    その応用問題はどういう定理を使用する問題だったのかを自分で分析するようにすれば、傾向は見えてくるはずです。
    そうすれば、その定理は使用できるようになるでしょう。
    間違えた問題にバツをつけることすらやりたくないタイプの子にはこれは難しいことのようですが、正答できた問題よりも間違えた問題、解けなかった問題から多くのことが学べます。

      


  • Posted by セギ at 12:24Comments(0)算数・数学

    2016年11月08日

    放物線と直線に関する問題。



    画像は、センブリの花。ヽ(^。^)ノ

    今回は中3の数学「2乗に比例する関数」または中2「1次関数」についてのお話です。

    放物線と直線の交点からその直線の式を求めたり、座標平面上の三角形の面積を求めたり、その三角形の面積を2等分する直線の式を求めたりするのが、座標平面に関する典型題です。
    しかし、教科書は、こうした応用問題にはあまりスペースを割いていませんし、学校の授業もそればかりやるわけにいきません。
    学校のワークも難しいほうのページに少し載っているだけです。
    そのため、テストに出ないと誤解している生徒もいます。
    関数の問題としてはこちらのほうがむしろメインで、こういう問題を解くために基本作業をまずは学習しているのですが。
    入試は、こういう問題しか出ないのです。
    そのことを自覚し、応用問題をたくさん解いておきたいものです。

    座標平面に関する応用問題は作業過程が長いので、常に意識していないと自分が何のために何を求めているのかふっとわからなくなってしまう子が多いです。
    「2点の座標から直線の式を求めなさい」
    という基本問題なら解けますし、
    「放物線と直線の交点の座標を求めなさい」
    と言われたら、それも求められる子が、座標平面が与えられ、小問が3つくらいある応用問題になると、何をどうしていいか全くわからなくなり、手も足も出なくなります。
    結局、基本問題と同じ作業を組み合わせて解くだけなのですが、自力では発想できない様子です。

    そうした子に、
    「基本作業の組み合わせだよ」
    と説明しても、
    「何をどう組み合わせるのかわからない」
    と言います。
    基本を学習していたときに、その意味が理解できないまま作業手順だけなぞっていた子は、応用問題に対応できなくなります。
    しかし、基本作業の意味はどうにか理解していた子なら、作業の意味をもう一度確認しながら、スムーズに解けるようになるまで補助して、何題でも経験を積んでもらうと、少しずつ頭の中で何かがつながっていく様子が見られます。
    何か回路が作られていく。
    そのように感じることが多いです。
    個別指導が威力を発揮する場面の1つです。

    しかし、「学校ではそんなのあまりやっていない」「多分テストに出ない」などの本人の希望的観測が強いと定着は難しくなります。
    「応用なんか、そんなに出ない」
    と思い込んで、その練習の大切さを理解できていないのです。
    「応用問題は、自分はできなくてもいい」
    と思い込んでいる子もいます。
    応用問題は解かなくても80点はとれる、と小学校のカラーテストのような感覚でいることもあります。
    その子が思う「応用問題」は、実は、座標平面の典型題であることも多いです。
    中学生が独りで勉強していると、情報不足による奇妙な思い込みをしやすいです。

    解こうとしているけれどわからないと本人が言うこともあります。
    しかし、石にかじりついても理解しようという気持ちがあるかといったら、それは疑問です。
    学力的には同じくらいと感じられる中学生でも、「テストにこれを出すぞー」と座標平面の応用問題のプリントを何枚も先生から渡された学校の生徒と、何が出るか知らされず、座標平面の応用問題は多分テストには出ないだろうと思っている生徒とでは、理解度・定着度が全く違ってきます。
    気持ちの問題も大きいのです。

    これはかわいそうだなと感じるのは、問題文と座標平面が書かれているタイプの問題を解いた経験が少ないため、そうした問題を解くことに慣れていない子。
    塾に通わず、独りで勉強している子に、こういう子がいます。
    学校の教科書もワークも市販の問題集も、そういうタイプの問題は紙面を広くとるせいか、数題しか載っていないことが多いのです。
    わからなくて、解けなかった。
    もっと練習したい。
    でも、すぐに問題を使い果たしてしまいます。
    同じ問題を何回も解くといっても、さすがに絶対量が少な過ぎて練習になりません。

    塾用の教材は、出版社のものにしろ、その塾のオリジナル教材にしろ、そういう練習をたくさん出来るように作られています。
    基本作業の練習ページと同じくらい、実際に定期テストや入試に出るタイプの問題に紙面が割かれ充実しています。
    生徒自身の誤った判断によるものではない、必要な学習ができます。
    同じ時間、同じ熱意で勉強するなら、教材の質は大切です。


    意欲もあるし教材も良いのにどうも定着しない子の場合、いくつかの課題が考えられます。
    1つの原因は、問題文を読んでいないこと。
    問題文の中には、直線の式や交点のx座標など重要な情報がたくさん書いてあるのに、読まないんです。
    座標平面ばかり見て、「わからない」「難しい」とつぶやいています。
    「問題文に書いてあるでしょう?」
    と声をかけても、まだダメです。
    「ここに書いてあるでしょう」
    とテキストの該当箇所を指差してあげると、ようやくそちらに視線を動かします。

    根本的に、目が問題文のほうに動いていかない。
    視野の問題なのか。
    小学生の頃からの癖なのか。
    図形が与えられれば図形だけを見てしまう。
    グラフが与えられば、グラフだけを見て解こうとする。
    数行の日本語を読むことに苦痛を覚えるのでしょうか。
    それとも、グラフがあるのだから、それだけ見れば解けると勘違いしてしまうのでしょうか。
    意欲とは別の次元で数学の問題が解けない子がいると感じる昨今です。
    当たり前のことですが、問題文を読まなければ、問題を解くことはできません。
    自分のそうした癖や傾向を意識して改善できるかどうかか鍵となります。

    あるいは、こんな困難も。
     y=ax+b
    これは、1次関数の一般式。
    この式に数値を代入することで、直線の式は求めることができます。
    ところが、この式に数字を代入すると、いつもの方程式とはちょっと違う見た目になってしまいます。
    例えば、
     8=3a+3
    というように。
    これは、3a+3=8、と右辺・左辺を逆にすれば、易しい1次方程式です。
    だから、面倒がらずにひっくり返せばいいのですが、そのことが発想できず固まってしまう子がいます。
    少し見た目が変わると、もう対応できないようです。

    いつもの見た目なら、いつも通りに解くのに、見た目が変わると解き方を忘れ、力ずくで解く子もいます。
     a=-2
    などといきなり書くので、え、何がどうなったらそんな誤答が出るの?と私は慌ててしまいます。

    では、右辺・左辺が逆のままでも解けるように訓練すればいいのかというと、そんな訓練は無駄ですよね。
    中1の1次方程式を解く様子を見ていると、こういう解き方をする子がいました。
     4x+6=2x-2
      6+2=2x-4x
         8=-2x
    と、完全に逆のまま解いていました。
    「何でxの項を左辺に書かないの?」
    と訊くと、
    「前の塾のセンセイが、こういうふうに解いていた」
    と答えるので、嘘だろー?と驚いたことがあります。
    そんなふうに鏡を見ながら解くようなのは頭が疲れるだけです。
    その講師は、右脳が発達しているか何かで、それでも問題なく解けるのかもしれませんが、
    見た目が普段と違うと、普段ならあり得ないミスが出ます。
    例えば、その子はこんなミスをしやすかったのです。
        8=-2x
       10=x
    ・・・・・・え?今、何をやったの?
    昔は絶対なかった驚愕の誤答が飛び出します。
    こんなレベルの計算は、いちいち頭を通す必要もなく、手がスルスル解いていくような感覚のものなのに、七転八倒です。

    私は、1次関数の式を求める問題では、子どもの頃から代入の時点で右辺と左辺を逆にして、
     3a+3=8
    として解いていますが、
     8=3a+3
    と、とりあえずそのまま代入して、次の行は、
     3a=5
    と、いきなり直していける子には、ストップはかけません。
    様子を見ます。
    符号は変えずにクロスさせながら定数項の計算もする。
    それくらいは、安全に出来る子もいるからです。

    ただ、それが自動化された作業になってしまい、その作業の「意味」に戻れなくなった場合、関数の学習が終わった後、冬期講習などで復習すると全く解けなくなっていることがあります。
    作業手順だけになってしまったことは、手順を忘れた途端に何もできなくなってしまうのでしょう。
    もともと、式が、
    8=3a+3
    という見た目になった途端にどう解いていいかわからず戸惑うというのは、かなり不器用だということですし、数学の根幹への理解が怪しい可能性があります。
    そうであるのに簡略化した作業にこだわるのは、危険です。
    作業は意味のわかる定型でやっておいたほうが、いつでも振り返ることができるのです。


      


  • Posted by セギ at 12:52Comments(0)算数・数学

    2016年10月14日

    アナログ時計が読めない。


    もう3年くらい前になりますが、模試責任者の研修を受けていたときに、今の大学生の中にはアナログ時計を読めない子がいるのではないかという話になったことがあります。
    試験監督をするアルバイト学生が模試の終了時間の告知をミスする事例があり、それをどう解決するかという話の中で出てきたことでした。

    そういう子もいるのかもしれないとは思うものの、実例を見たことはなかったのですが、少し前、若いテレビタレントが、トーク番組で自分はアナログ時計を読めないと話していました。
    短い針は数字の通りに読めばいいが、長い針が何分を指すのか読むことができないと言うのです。
    「5倍すればいいって教わったけど、長い針は中途半端なところにいることが多いでしょう?」
    しかし、その話を聞く側は「5倍すればいい」の時点で「?」という顔をしていました。

    例えば、長針が「2」の位置にあるとき、2×5=10で、それは10分を指している。
    「5倍する」とは、そういう意味でしょう。
    しかし、アナログ時計を読める人は、×5の計算などせず、見たままで時刻を読み取っています。
    「2」の目盛りが10分を指すことが頭の中で自動化されています。
    だから、中途半端な位置にある「13分」でも「27分」でも自動的に読み取れます。
    それができないという話なのでした。

    その若いテレビタレントは、俗に言う「おバカタレント」らしいのですが、×5のくだりを聞く限りでは、実はかなり頭が良さそうでした。
    自分は何ができないのか。
    どのようにできないのか。
    原因は何であるか。
    それをこんなに具体的に饒舌に語れるのは大変な言語能力です。
    これだけのアウトプット能力があればインプット能力も高いのが普通です。
    興味がないから勉強せず、だから学校の成績は悪かったというだけで、本来頭の良い子なのだろうなと感じました。
    あるいは、タレントイメージとして隠しているだけで、学校の成績も本当は良かったのかもしれません。

    それはともかく、アナログ時計に話を戻すと、長針を読める人は「2」を「10」と読むことが自動化されています。
    しかし、本来「2」は「10」ではありません。
    「2」を「10」に読み替える。
    あるいは数字がなくても、丸い時計の針の位置で時刻を読み取る。
    大人になってから初めて学ぶのであれば、これは少し難しいことかもしれません。
    教えるとしたらどんなふうになるだろうと想像します。
    1時間あれば、色んな時刻を読む練習をして、一応読めるようになるでしょうか。
    でも、問題は、そのときは読めるようになっても、翌日には忘れてしまう可能性が高いことでしょう。
    繰り返し練習しなければ定着しないと思います。

    「学習する」ということについて、テレビを見ながら考え込んでしまいました。
    学習したから「2」を「10」と読めるのです。
    自分が「2」を「10」と読んでいることを意識しないほど完全に自動化し、定着しているのが、学習が完成した状態でしょう。

    目標はそういうところなのですが、しかし、なかなか厳しいのが現実です。
    教室での授業を振り返ると、それでも過半数の子どもは、学習するとはどういうことなのかを体験的に会得していると思います。
    学習に対しても主体的です。
    「学校でこのプリントをもらって、これの類題がテストに出ると言われたから、そういう演習がしたい」
    と、要求も具体的です。
    私は、それでは、テキストのこの問題を解こうと指示し、演習した結果が誤答の場合は、そこが違うよね、ここはこう解くんだよねと指摘し解説します。
    すると、次に類題を解くときに改善されています。
    授業中には結局改善されなかったことも、テストの答案を後日見ると正答しています。
    失敗から学ぶ。
    ごく当たり前にそれが機能しています。

    自分は何をどう間違えたのか。
    それを分析し、正しい解き方を理解し、次に実践する。
    学習はそうした作業の繰り返しです。
    失敗から学ぶのが、学習能力。
    ほとんど意識することもないでしょうが、多くの子が持っているものです。

    ところが、これが機能していないように感じられる子もいます。
    どうも「学習する」ということを学びそこねてしまったようなのです。

    まずは外側に表れている問題として、復習をしない子。
    このブログにも繰り返し書いていますが、間違えた問題にバツをつけない子です。
    直して赤丸をつけて終わりにします。
    そこを注意し、それでもバツはつけたくないだろうから、直して青丸をつけるように指示すると、ノートはそのように改善されます。
    でも、テキストにチェックを入れません。
    テキストに間違えた印のチェックが入っていない場合、何を復習していいのか本人はわかりません。
    チェックの入った問題だけ解き直せばいいんだよと説明すると「ああっ」と驚いた顔をする子もいます。
    間違えた問題のノートを読み直すだけでも復習になるんだよと説明すると、それも「ああっ」と驚いています。
    勉強のやり方を知らないのですね。
    こうした反復学習の方法が身についていない子は、できないことはできない状態のままテストを受けてしまいます。
    そこを改善できれば成績が飛躍する子はたくさんいます。

    しかし、本当に学習能力の高い子は、間違えた問題の解き直しを必要としないのです。
    間違えた経験がしっかり本人の頭に残っています。
    「復習しなさい」という指示を必要とせず、本人の頭の中でその作業が行われています。
    この、表に出ない部分、外側の行動に表れない部分での「学習」が完璧であるほど、表面的には何も復習していないように見えます。

    問題を1題解く間に、あらゆる分析が無意識に行われています。
    この問題はどの学習事項の問題なのか。
    過去に見たどの例題の類題なのか。
    自分の頭の中にあるどの解き方が有効なのか。
    出題者の意図は何なのか。

    そして答え合わせをして間違えたときには。
    自分は何をどう間違えたのか。
    今後同じミスをしないためにはどうであれば良いのか。
    この問題を1題間違えたことで自分が学んだことは何なのか。

    こうして書くと大袈裟ですが、問題を1題解く過程で常に意識せずに行われているのがこうした「学習」です。
    常に分析的である。
    常に何かしら頭が働いている。
    学習するということは、そういうことだと思うのです。

    それゆえ、学習能力の高い人は、同じ問題の解き直しは本来必要としません。
    一度解く過程で、その問題から学べることは全て吸収するからです。
    それでも解き直すのは、全て吸収したことの確認です。
    解き直したら正解できた。
    確かに、自分は学習した。
    その確認です。

    「学習」はこのように目に見えない形のものですので、学習の形式だけ指示しても、効果が表れない子もいます。
    解き直すという作業だけを真似ても、同じことを同じように間違えるだけで、結果の変わらない子です。
    解き直すことに効果がないように見えます。
    目に見えない「学習」という作業が本人の内側で上手く機能していないのかもしれません。
    何をどうすることが「学習 」なのか、その本質がわかっていないのだと思います。

    時間が経って忘れたということではなく、直後に類題を解いても、同じことを同じように間違えます。
    そうした場合、理解できていないからだろうと思い、私は解説を加えます。
    しかし、その後に類題を解いてもまた同じように間違えます。
    その頃になると本人も多少は危機感を抱いて真剣に解いています。
    しかし、また同じように間違えるのです。
    ようやく、本人から質問が出始めます。
    大抵は、「それがわからないということは、一体いつから数学がわからなくなっていたの?」と内心ぞっとするような質問です。
    不等号の向きが意味することがわかっていなかったなど、かなり初期の段階で学びそこねたことが影響している場合が多いです。

    学習は、自分の内側に向かっていく作業ですが、そういう子の多くは勉強していても他人の目を気にしているのかもしれません。
    自分がどう見えているかを気にしているのでしょう。
    本当にわかることよりも、わかったふりをすることを重視します。
    わからないけれど、わかったふりをする。
    そういう子は、どう見えるかが大切なので、わかって解いている子の頭の中で起こっていることには想像が至らないかもしれません。

    頭の中で常に分析しているんだよ。
    常に改善しているんだよ。
    アップデートを繰り返しているんだよ。
    それが「学習する」ということなんだよ。

    しかし、いくら口で説明しても、そのように頭を働かすということは具体的にどうすることなのかわからない。
    上手く学習できない子の中には、そうした課題を抱えている子もいるように感じます。

    ただ、これは目に見えないことなので、頭の中で本当に何も動いていないのかもしれませんが、何か動いているのかもしれません。
    その見極めは難しいです。


    私は週に1回、スポーツジムでエアロビクスを習っています。
    下手の横好きですので、なかなか難しいです。
    よせばいいのに上級者クラスにいますので、全体に振りつけが速いですし、手の動きと足の動きは異なるリズムを取ることを要求されることもあります。
    よく観察しないと、前回りだとずっと思っていたら、実は後ろ回りだった、という失敗もしがちです。
    何だかタイミングが合わないなあと思い、ああ、後ろ回りなんだと気がついて、直そうとするのですが、もう直りません。
    頭ではわかっているのですが。
    本当にわかっているのですが。
    でも、前回りしてしまうんだなあ。
    何でかなあ。
    脳からの指令に足が上手く反応しないなあ。

    何度も同じところを同じように間違えてしまう子も、そのような状態かもしれません。
    わかっているんだけど、上手く反応できないんだ。
    でも、わかっているんだ。

    そういう場合、あと何度か繰り返せば、出来るようになるかもしれません。
    時間はかかるけれど、学習はしています。
    少なくとも、学習するとはどういうことなのか、わかっています。
    学習するとはどういうことか実感できているのなら、夜明けは近い。
    そう思います。
      


  • Posted by セギ at 16:16Comments(0)算数・数学

    2016年10月09日

    2乗に比例する関数


    「2乗に比例する関数」。
    2次関数のうち頂点が原点にあるもののみを中3で学習し、こう呼びます。
    高校数学になると、2次関数のグラフは頂点が座標平面上のどこにでも位置し、頂点の座標を求めるところから問題を解き始めないといけません。
    しかし、中3のうちはまだ頂点は必ず原点にあります。
    その分、簡単です。

    テストでよく出題されるのは、与えられたxとyの値の組から、2乗に比例する関数の式を求める問題。
    y=ax2 の一般式に代入してaを求めるだけなので、これは比較的易しいです。

    次に、式からグラフを描く問題。
    描き方がわからない子はまずいないのですが、実際に描いてみると不器用な子は放物線のグラフを描くのにかなり難渋します。
    方眼紙に放物線を描くのは私も苦手です。
    放物線はフリーハンドでそんなに上手に描けるものではないので、格子点(xもyも整数値の点)はとにかく正確に通って、方眼紙の終わりではグラフの端が楕円にならないよう直線的にすっと抜けていけば、それでまあ良しとしましょう。
    採点的にもそれ以上は要求されません。

    最もよく出題されるのが、xの変域からyの変域を求める問題です。
    これは都立入試で毎年出題されていますので、中学校の定期テストにも必ず出ます。

    例題 y=2x2 で-3≦x≦5のときのyの変域を求めなさい。

    この問題を、1次関数のときのように、x=-3のときy=18、x=5のときy=50。
    よって、18≦y≦50 
    と答えてしまう子が多いのです。
    xの変域が0をまたぐときは、y=0の値が変域の中にあります。
    放物線をイメージすればすぐわかることですが、yの値はいったん小さくなり、0になってから再び大きくなっていくのです。
    よってyの最小値は0です。
    では最大値は?
    x=-3の値とx=5の値と両方を実際に計算しないとわからないでしょうか?
    いいえ、これも放物線をイメージすれば、xの値の絶対値が大きいほどyの値が大きくなることがわかりますね。
    だから、-3と5を比べて、絶対値の大きいx=5のほうだけ計算します。
    したがって、答えは、 0≦y≦50 です。

    ここを間違えないように生徒に強調して解説し、さて練習問題を解いてみます。
    しかし、練習問題は、2<x≦5 や、-7≦x≦-2 のように、0をまたいでいないものから始まります。
    そうして(5)くらいでついに -3≦x≦5 の問題が出てきて、その頃には解説されたことなどすっかり忘れて、やったらダメだよと強調したことをそっくりやってしまう生徒は多いです。
    ( ̄ー ̄)

    一度間違えても、その失敗の経験から二度と同じ轍は踏まないのであれば良いのです。
    でも、幾度間違えても翌日にはまた同じ失敗をしてしまう子も多いです。
    「学習能力」というのは、失敗から学ぶ能力。
    理解力はあるのですが、この学習能力の弱い子が課題だなあとつくづく思います。
    何度同じ問題を解き直しても同じことを同じように間違えてしまうのです。
    学習するということの根本が何だか上手く機能していないのを感じます。
    解き直すときに以前の失敗を意識して改善していくのだということを意識していないようなのです。
    「学習する」ということを学びそこねているのかもしれません。
    そういう子には「間違えた問題は解き直しなさい」という指示だけでは学力に変化は起こりません。
    同じように間違えるだけです。
    もっと手取り足取りの指導が必要となります。

    ところで、この答え「0≦y≦50」はどう読むでしょうか?

    これは「0小なりイコールy小なりイコール50」と読みます。
    「<」の読み方が「小なり」です。
    学校でこれを習っている子は答えあわせもすんなりいきますし大小関係の把握もスムーズであることが多いのですが、学校の先生の中にはこの読み方を教えない人もいます。
    「小なり」という読み方が古臭いことは私も否定しません。
    学会で正式に認められた読み方である保証もありません。
    でも、この読み方を知らない子に答えを読ませると頭の中で1度日本語に翻訳する作業が必要となります。
    「yは0以上50以下」
    読む順番が元の不等式とは異なります。
    「以上」「以下」だけならまだましですが、「<」の符号の読み方はさらに難しくなります。
    0<y<50
    の読み方は、「yは0より大きく50未満」。
    不等式を見てこの読み方を瞬時にできる子は言語能力がかなり発達している子でしょう。
    まあ大抵はぐちゃぐちゃで、宿題の答えあわせは普段の3倍の時間がかかります。
    書いてある通りに読むだけの「小なり」の読み方のほうが、覚えてしまえばその後が楽で正確です。
    ちなみにこの「小なり」の読み方は、パソコンでその通りに打ち込めば「<」の記号が出てくる、一般に普及した読み方です。

    読み方を間違えているだけなら良いのですが、不等号の右と左のどちらが小さいのか理解できていない子もいます。
    他のことはわかっているのに、そこだけ知識が陥没している子もひっそりと存在します。
    小学校の頃に学びそこねたのでしょう。
    最初に間違えて逆に覚えてしまい、どちらが正しいかいつまで経ってもあやふやになっているようです。
    そのまま高校生になってしまい、高校数学で苦労する子もいます。


    変域の次に学ぶのが変化の割合に関する問題。

    この後に学ぶ放物線と直線の交点に関する問題に含まれる内容でもあるので、「変化の割合」として独立して出題されることは少ないです。
    2乗に比例する関数の場合、グラフは放物線ですので、変化の割合は一定ではありません。
    どの点からどの点までの変化の割合なのか、与えられた条件にそって、yの増加量/xの増加量 の計算をして求めていきます。

    問題 関数y=3x2で、xが-2から3に変化するときの変化の割合を求めなさい。

    与えられた式に代入すると、x=-2のときy=12、x=3のときy=27です。
    このときは「いったん0を通る」などと考える必要はありません。
    よってxの増加量は5、y増加量は15。
    したがって変化の割合は15/5=3です。

    これには裏ワザがあります。
    比例定数がaの2乗に比例する関数で、xがpからqへと変化するときの変化の割合は、
     a(p+q)
    で求めることができます。
    上の問題では、3(-2+3)=3と一度で答えが出てきます。

    これは公式です。
    この公式の証明は、それほど難しくありません。
    x=pのときy=ap2、x=qのときy=aq2
    よってxの増加量はq-p。
    yの増加量はaq2-ap2=a(q2-p2)=a(q+p)(q-p)。
    よって変化の割合は、a(q+p)(q-p)/q-p=a(q+p)。

    これが使えますと、放物線と交わる直線の式なども簡単に求められます。
    しかし、この公式は、公立中学校では教えません。
    教科書準拠のワークの発展問題にこの関連問題が1題載っている程度です。
    進学塾でも上位クラスの生徒だけに教える内容です。

    なぜ教えないのかと言えば、この公式は見た目はシンプルですが何を意味しているのかぱっと見た限りではよくわからないからでしょうか。
    言い方を変えれば、実感を伴わない公式です。
    こういう公式は数学が苦手な子には定着しません。
    中途半端に使ってかえって混乱する可能性のほうが高いです。
    そうなるくらいなら、時間はかかっても意味のよくわかる作業をして求めてもらいたい。
    教える側にはそういう気持ちが働きます。
    だから、数学が苦手な子は教わることがなく、地道に解くことになります。

    数学が苦手な中学生は教わらない裏ワザや公式は、このようにたくさんあります。
    多くは高校で学ぶ内容を先取りして、中学生のうちに使ってしまうものです。
    それらの公式は使えればスピーディに問題を解くことができます。
    手間を省いているので途中の計算ミスの危険性も減ります。
    だから、数学が得意な子はますます速く正確に問題を解いていけます。
    何というか、「数学格差」とでもいうものが広がっていく気がします。

    ただ、数学のテストというのは十分な時間がありますので、裏ワザなんか知らなくてもしっかり解いていけば良い結果を出すことができます。
    裏ワザや公式を振り回すわりに何だか得点が安定しない子も多いのです。
    それよりは、基本に忠実にしっかり得点を重ねていくほうが良いでしょう。
    単なる作業手順にせずに、1問1問理解して問題を解いてほしいです。

    高校数学になれば、理解していなければ解けない問題が増えてきます。
    作業手順として覚えるには複雑すぎ、多岐に渡り過ぎて、暗記などできなくなります。
    自分がやっていることの意味を理解して解いていくことのほうが大切です。

      


  • Posted by セギ at 17:13Comments(0)算数・数学

    2016年09月23日

    方程式の文章題の立式。


    「方程式の利用」すなわち、文章題の立式が苦手な子は多いですが、その立式を見ていると、簡単なことを難しくしている場合が多いと感じます。
    例えば、こんな問題。

    ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。ある数を求めよ。

    問題に書いてある通りに立式するだけなので、易しい問題のはずです。
    ある数をxとします。
    一般的にこういう問題では文中にある「は」が=の合図です。
    だから、その前が左辺です。
    すなわち、「ある数に4を加えて2倍した数」が左辺ですから、
    (x+4)×2。
    方程式らしく書くと、
    2(x+4)
    それは、「もとの数の4倍よりも2小さい」。
    これが右辺。
    4x-2
    ですから方程式は、
    2(x+4)=4x-2
    問題文の通りに立てるだけなので、とても簡単ですね。

    しかし、簡単なはずのこうした問題でもかなり苦戦する子もいます。
    そういう子の立てる式は、こんなふうであることが多いです。

    2(x+4)-4x=2

    この式はそもそも間違っているのですが、その前に、どうしてこういう式を立ててしまうのかを解決したいものです。
    考えられることの1つは、小学校で習ったことをいまだに引きずっていて、中学の数学、特に方程式の学習ということに上手く移行できていないのではないかということ。
    小学校の算数の文章題は、問題文を読み取って関係をつかんだうえで、答えを求める式を立てます。
    そのために問題にある「加える」「引く」を頭の中で転換する作業が必要になります。
    逆算の発想で、問題文で加えているんだから引く式を立てなくちゃ、かけているから割る式を立てなくちゃと考えなくてはなりません。
    その癖がついてしまい、中学生になってもそのように考えてしまうんでしょうか。

    方程式はそのようなものではありません。
    等しい数量の関係を表す式。
    方程式はそのように言われることもありますが、ここで重要なのは「関係を表す」ではなく、「等しい数量」ということです。
    問題文の中に、何かの数量が2通りの方法で表されていて、それを=で結んだものが方程式です。
    つまり、方程式は必ず何かの数量を表しています。

    しかし、文章題が苦手な子に、
    「あなた書いた方程式は何の数量を表しているの?」
    と質問すると、たいてい黙りこんでしまいます。
    私の様子からどうせ間違っているんだろうと察して黙ってしまうのもあるでしょうが、何より、書いた本人が何の数量を表しているかを意識していないのではないかと感じます。
    「何の数量を表しているのかがわかれば、この方程式は手直しできるよ。だから訊いているんだよ?」
    と重ねて問いかけると、
    「ある数」
    と答えたりします。
    気持ちはわかるけれど、言葉が足りない。
    あるいは、そこに混同があって、式が歪んでしまうのかなあ。
    そんなふうに感じます。

    数に関する問題では、何の数量を表しているのかは自覚しにくいのは事実です。
    しかし、これが「速さ」に関する問題になって
    「あなたの式は、何の数量を表しているの?距離?時間?」
    と質問しても、文章題が苦手な子はほとんど答えられません。
    食塩水の問題でも、
    「この式は何の数量を表しているの?食塩水の量?食塩の量?」
    この問いかけにも、その質問を予期したことがない、考えたことがないという表情をする子が多いのです。
    これはきわめて重要なことなのに、それを意識しないで立式しているから、式が途中で歪むんじゃないでしょうか。

    方程式は何かの数量を表しているということを意識したことがない子は多いようです。
    左辺も右辺も同じ何かの数量を表しているのです。
    それを明確に意識できれば、方程式の立式は小学校の算数の文章題の立式よりも簡単です。

    ある数に4を加えて2倍した数は、もとの数の4倍よりも2小さい。
    2(x+4)=4x-2
    この方程式が表している数量は、「ある数」ではありません。
    「ある数に4を加えて2倍した数」です。
    それが、「もとの数の4倍よりも2小さい」というので、右辺では同じ数量を言われた通りに別の表現で表しているのです。

    しかし、このように説明しても上手く通じないことが多いです。
    言葉の表面は、問題文をなぞっているだけのようなものだからでしょう。
    だから、何を言われているのか、根本的には理解できない。
    そういう子が多いのだろうと感じます。

    ある数に4を加えて2倍した数は、その数の4倍よりも2小さい。
    これを、
    2(x+4)-4x=2
    と間違った立式をしてしまう子は学力が低いわけではありません。
    問題文を読み、大小関係を把握しようと努めているのです。
    むしろ才能が眠っています。
    ただ、才能の使い途を間違えています。

    差が2であることを表す式をどうしても立てたいのなら、
    4x-2(x+4)=2
    となります。
    この式を教えてあげるとそういう子の表情はぱっと輝くのですが、正解がわかって嬉しかった記憶が残るのは困るなあと私は内心感じています。
    そもそも、こんな式は立てないでほしいのです。
    「大小関係を正確につかんで立式しましょう」
    反省材料がそんなことになってしまっては困るのです。
    方程式はそういうものではないのです。

    こういう発想をする子の式のバリエーションはいろいろで、同じ問題でも、
    2(x+4)+2=4x
    という立式をする子もいます。
    この式も間違ってはいません。
    何でこの問題文からこの立式になるんだろう、何を複雑なことを考えているんだろう、とは思うのですが、式として間違ってはいないのです。
    しかし、これも、
    2(x+4)-2=4x
    と、間違った式を立ててしまうリスクが高い。
    大小関係を概観してから立てる式は難しいのです。
    そんなことをしなくても、問題に書いてある通りに、書いてある順番に書いてけば、正しい式になります。
    大きいならプラス、小さいならマイナス。
    問題に書かれていることと式のブラス・マイナスも一致します。
    難しいことを考え過ぎるから、むしろ間違えるのです。

    以上のことは大人の方なら理解していただけると思うのですが、子どもに伝えるのは本当に難しいことの1つです。
    先ほども書きましたが、かなり抽象的で概念的なことなのです。
    1回で子どもに伝わることはありません。

    何回でも何回でも伝える。
    同じ間違いをする度に伝える。
    「あなたの立てた式は何の数量を表しているの?」
    と、その子の胸に届くまで訊き続ける。
    そうしたことが必要です。
    そして、それは自学自習でも集団指導でも実現しにくいこと。
    個別指導が高い可能性を持っていることだと思います。

      


  • Posted by セギ at 13:39Comments(0)算数・数学

    2016年09月15日

    2次方程式の文章題


    単純な計算問題は解けるけれど、文章題は苦手という中学生は多いです。
    それは中3になって「2次方程式の利用」の問題を解くようになっても同じです。
    私は大人のための数学教室も開いていて、大人の方からも「文章題は苦手」とよく聞くのですが、そう言いながら、大人は文章題の立式はスムーズにできる場合がほとんどです。
    子どもと何が違うのか?
    やはり経験の違いが大きいのだと思います。

    子どもにとって特に難しいのが「割合」の問題。
    大人の場合、「1200円の8パーセント引きはいくらか」と言われたらすぐ以下のように立式できます。

    1200×92/100
    (上の 92/100 は、分数として読んでください。)

    ところが、子どもは、まず「く・も・わ」の図を描いて、ええと、ええと、1200円が「もとにする量」で、8パーセントが「割合」だから、と考え込んだ結果、
    1200×8
    という式を立ててしまったりします。
    これは、それほど数学ができない子の話ではありません。
    5段階で「4」をとる子の中にもこういう子は多いです。

    以前も書きましたが、「割合」は子どもの感覚や固定観念からは逸脱した内容です。
    比べる量÷もとにする量=割合
    という式だけは実感を伴いますし意味の明解なものですが、残る2本は逆算の考え方で変形しただけの式ですので、その式自体に感覚的な裏付けはありません。
    もとにする×割合=比べる量
    という式に大人が何の疑問も抱かず、実感から言ってもそうだろうと思うのは、何年も何年もその式を当たり前に使って慣れているからです。
    「もとにする量に割合をかけると比べる量になる」
    ということを初めて知る子どもには何の実感もありません。
    それを「何でこんなこともわからないのっ。当たり前のことでしょう!」
    と怒っても、子どもにとっては当たり前のことではないのです。
    実感は何もありません。
    まして、
    比べる量÷割合=もとにする量
    となると、彼らの実感ではこんな式は絶対に立ててはいけない種類の式でしょう。
    子どもの感覚ではわり算をすると答えはもとの数より小さくなのですから。
    実感で式を立ててもダメなんだよと余程言わないと定着しません。

    「ははあ、これは実感とは随分違うな。でも、理屈はそうなんだな。面白いな」
    というふうに頭の働く子は、「割合」を楽々と身につけていきます。
    比べる量を割合で割るともとにする量に戻る。
    いったん縮めたものに力を加えるとポンッと元に戻るみたいで、面白いなあ。
    そう思えるとこの公式は楽しいです。

    そうではない場合は、とにかく公式を正確に覚えて、文章中の「比べる量」「もとにする量」「割合」を分析して機械的に立式するのが早道です。
    常に正確に解くことを繰り返し、その中で割合に関する「実感」を作っていくことが必要となります。
    「割合」が苦手な子は、そうした手順を省略し、自分の感覚に固執して式を立て、正答したり間違ったりを繰り返すために、「割合」について正しい実感を形成できずにいることが多いです。

    しかし、大人になると、割合の考え方は仕事でも買い物でも当たり前に使うことになります。
    もとにする量×割合=比べる量
    の式は、日常でよく使うものです。
    そうした中で、じわじわと実感が形成されていきます。
    大人の方は、「私は文章題は苦手で」とおっしゃっても、実際には立式に失敗することはほとんどありません。
    子どもの頃は文章題が苦手で、その記憶が残っていらっしゃるだけなのかもしれません。

    ここに希望があると感じます。
    今、私の目の前で「百分率」や「歩合」という言葉にすら眉を寄せため息をついている子も、大人になればきっと百分率や歩合は自在に扱えるようになる。
    一生わからないままということはないでしょう。
    それは理解力の問題ではなく、理解しようとする意志の問題であり、練習量の問題ですから。
    使えば覚えるレベルのことなのです。


    さて、ここからは、2次方程式にしぼって具体的に問題を見ていきましょう。
    例えば、こんな問題.

    原価10000円の品物に x% の利益を見込んで定価をつけたが、売れなかったので、x% 引きで売ったところ、400円の損失となった。
    x の値を求めなさい。

    原価・定価・売値・利益・損失。
    子どもの場合、こうした言葉に対する拒絶反応が強いのも特徴です。
    わからないのは仕方ないのですが、嫌いだから知りたくないという顔をされるのは困りものです。
    都市生活を行っていて商業に関わらずに生きていくことはできないんだぞー。
    (´_ゝ`)

    それはともかく、立式。

    10000(1+x/100)(1-x/100)=10000-400

    文章題から立式した方程式は、このように普通の計算問題より解きにくいものとなりがちです。
    桁が大きいので、やたらとゼロが多い。
    さらに、中学生の場合、上の式を自分で立てると、

    10000×(1+x/100)×(1-x/100)=10000-400

    と書いてしまうことがあります。
    小学生だった頃の癖が出て、かけ算の記号を省略できないんです。
    しかし、中学生になってからはかけ算の記号を含んでいる方程式を解いたことがないので、自分の立てた式に戸惑い、何をどうして良いのかわからなくなる子がいます。
    作業手順は身についているけれど根本を理解していない場合、そうなりがちです。

    それを一番上の式のように書き直してあげると、普通の方程式だということはわかって解こうとします。
    しかし、それでも、さらなる困難が待っています。
    例えば、上の式を、こんなふうに変形をしてしまう子は多いです。

    1000000(100+x)(100-x)=10000-400

    右辺がほったらかしなのは、ケアレスミスでしょう。
    むしろ左辺のミスが深刻です。
    かけ算でつながっているひとまとまりを100倍したいなら、1か所だけ100倍すればいいということは、数学が苦手な子に説明してもなかなか定着しないことの1つです。
    全ての数字に逐一×100をしてしまうミスが繰り返されます。
    そのときだけわかった様子を見せるのですが、別の場面でまた同じことをしてしまうのです。
    数字の桁に関する感覚や因数分解的な感覚が成熟していないのだろうと思います。
    小学校で「小数のかけ算・わり算」を学習したときに意味を理解して桁移動をしたか、意味がわからず作業手順として身につけたかの違いが、こういう際に表れてしまうようにも感じます。
    単純な例で言えば、
    0.37×2500=37×25
    ということを計算の過程で自力で利用できるかどうかということです。
    数字の桁に関する感覚は意味を説明するとかなり抽象的なことなので、幼い頃に理解できなかった子は後になってもなかなか理解しづらい様子です。
    10進法の根幹を理解するようなものだからでしょうか。
    幼い子どもは抽象的なことを直感で理解する能力があり、数学に関する基盤を頭の中に築くのですが、それらを直観で理解できなかった子は、かけ算・わり算の意味さえ本当にはわかっていないように感じることがあります。
    経験を重ねれば理解できることも多い一方、幼い時期に理解できないと後から理解するのは相当に難しいこともある。
    矛盾しているようですが、長年数学を教えている中での私の実感でもあります。

    そもそも、今回の式は、全体を100倍などせず、スマートに、

    (100+x)(100-x)=10000-400

    と整理したいところです。

    これを自力でできるか。
    式を提示されたら意味は理解できるか。
    式を見ただけではわからないが説明されたら理解できるか。
    説明されても理解できないか。
    それぞれにステージが異なると感じます。
    数学が得意になるには、究極、このステージを上げなければなりません。

      


  • Posted by セギ at 14:11Comments(0)算数・数学

    2016年08月04日

    頭を柔らかく。


    小学生が中学受験のために勉強する受験算数の中には、大人が解いてもなかなか歯ごたえのある問題があります。
    今日は、そんな問題をご紹介しましょう。
    連日の猛暑の中、エアコンの効いた涼しい部屋で、頭の体操をどうぞ。
    まずは上の図をご覧ください。

    ∠C=∠D=90°の台形ABCDの対角線ACとBDの交点をE、EからBCに下ろした垂線とBCとの交点をFとします。
    BC=9cm、CD=8cm、BF=4cmです。
    三角形ABEの面積を求めなさい。
    ただし、相似比を利用してはいけません。

    これは小学5年生の問題なので、まだ相似は学習していません。
    もちろん、平方根も三平方の定理も知りません。
    さあ、どう求めましょう?

    この問題、大人は、三角形ABCから三角形EBCを引くという考え方をしてしまうことが多いと思います。
    相似比を利用すれば、三角形EBCの高さEFも計算できます。
    でも、それをしてはいけないとしたら?
    他の求め方はないでしょうか?

    この問題は等積変形を利用します。
    三角形ABCと三角形DBCは、どちらも底辺9cm、高さ8cm。
    面積の等しい三角形です。
    この2つの三角形は、三角形EBCという共通部分をもっています。
    したがって、それを引いた残りの三角形ABEと三角形DCEの面積も等しいことがわかります。
    三角形DCEの面積は?
    底辺をCD=8cmと見たら、高さはCF=9cm-4cm=5cm。
    よって、面積は、8×5÷2=20。
    20平方cmです。

    相似比を使って求めるよりもずっと簡単に求めることができますね。
    ちょっと面白くありませんか?
    (*^^)v


    さて、もう1問。
    上の図は私が手書きしたので歪んでいますが、半径6cmの円の中心Oと円周上の点A、Bを結んだ三角形OABがあります。∠OAB=15°です。
    この三角形OABの面積を求めなさい。
    これも小学5年生が解きますので、平方根や三角比は利用できません。
    ただし、三角定規の三角形の角度と辺の長さの比は利用できます。
    この問題、答えは9平方cmです。
    さて、どうやって9平方cmという答えを導くのでしょうか?
    これは、パズルのつもりで、皆さん楽しんでください。
    (*^^)v

    さて、セギ英数教室は、8月7日(日)から8月14日(日)まで夏期休業をいただきます。
    この間、電波の届かないところにいることがあります。
    メール・電話は通じませんので、ご了承ください。
      


  • Posted by セギ at 19:44Comments(0)算数・数学

    2016年06月09日

    平方根の計算 その2


    中学3年生で学習する平方根の計算は、高校数学でも延々と使うことになるものです。
    しかし、子どもは案外このことをわかっていません。
    こういうことは他の単元でもよくあることです。

    例えば、小学生は「分数の計算」を学習しても、それが今後ずっと出てくるものであることを理解していないことがあります。
    分数は苦手だから勉強しない。
    それで済むと思っていることがあり、後の単元でも分数を使おうとせず、何でも小数で計算しようとし、その限界にやがて気づいて青ざめます。
    平方根の計算も同様で、苦手だからやらないでおくと今後の単元には全て平方根が使用されるので訳がわからなくなります。

    あわせて、平方根のスマートな解き方も出来れば身につけたいところです。
    しなくてもよいかけ算をして、わざわざ大きい数字にした後、素因数分解して整理する。
    1つ1つにそんなことしていたら時間がかかってしょうがない。
    でも、そんな解き方をする子もいます。

    簡単な例を1つ。
    例えば、√8×√72
    これを、√8×√72=√576 と筆算して、それから素因数分解して解く子がいます。
    でも、下のように計算すれば、3桁の数字は出てきません。
    √8×√72
    =2√2×6√2
    =2×6×2
    =24

    どちらでも正解は出せますが、この先、2次方程式も2次関数も三平方の定理も、そして高校数学も、計算はルートまみれです。
    できるだけ筆算の必要のない、楽で正確に解ける解き方を身につけてほしいところです。
    筆算で計算ミスをしてしまう危険を回避したいです。

    しかし、以前、中3の女子生徒にこういう話をし、こう解くほうが楽なんだよと説明しましたら、その子にこう言われました。
    「√72は、どうして6√2だとわかるの?」
    「72=36×2=6×6×2 だから、6√2と、暗算で直せるんだよ」
    「・・・・私は、直せない」
    「え?」
    「私は、√72も、素因数分解しなければ、6√2に直せない。だから、同じことだと思う」

    厳密にはそれは同じことではありません。
    ただ、2桁でも3桁でもどうせ暗算できないのだから、いつも同じ解き方で解いていくほうが混乱しないという気持ちはわからなくはありません。
    解き方を手順として覚えたい子は、解き方はできるだけ単純であるほうが良いのでしょう。
    ただ、72を素因数分解するよりも、576を素因数分解するほうがミスをする可能性が高くなります。
    避けたいのは、計算ミスです。

    前にも書きましたが、高校数学になると、基本的な計算問題でも計算過程は複雑です。
    数学が得意な子でも、1題解くのに5分はかかる問題も珍しくありません。
    ただ、それで正解が出れば、5分で片付く問題なのでもあります。
    計算が苦手な子は、解くだけでまず2倍の10分はかかってしまいます。
    しかも、途中で計算ミスし、誤答します。
    この直しに時間がかかります。
    どこで計算ミスをしたのか。
    解答解説集と首っ引きで確認することになりますが、解説の途中で省略しているような単純な過程でミスをしてしまうことも多いので、その発見に時間がかかります。
    やっとミスがわかって、そこから自分で解き直す。
    しかし、そこからまた計算ミスをする。
    また誤答する。
    解き直す。
    そんな繰り返しで、1題解決するのに30分かかることも珍しくありません。
    数学が得意な子が5分で解く問題に30分かかる。
    同じ時間だけ数学を勉強しても、6分の1の量の問題しか解けません。
    これでは演習不足となり、もともと苦手な数学がさらに苦手になっていきます。
    高校生で数学が苦手の子の回復が難しいのは、演習量の確保ができない段階にきていることが主な原因です。

    それでも逆転したいのなら、まずは6倍の学習時間の確保をすること。
    最低でも、数学が得意な子と同じだけの演習量を確保すること。
    そうしたことが必要となります。

    勿論、計算力だけあっても発想力がないと、数学は少し難しい面があります。
    しかし、そもそも計算力がないと何を解いても正答が出ないので、数学の勉強をしていても時間ばかりかかって先に進みません。
    計算力があることは数学が得意であるための必要条件。
    十分条件ではない。
    そういうことだと思います。

    ところで、√8×√72の計算は、上記2つの他に、もっと楽な方法があります。
    √8×√72
    =√8×√8×√9
    =8×3
    =24

    同じ数学の問題を解くのでも、実は何段階ものステージがある。
    別のステージに立っている者が同じ問題を解いている。
    中3くらいからは、そういう印象が強くなります。
    一緒に上のステージに上がりましょう。

      


  • Posted by セギ at 13:34Comments(1)算数・数学

    2016年06月03日

    平方根の計算


    平方根とは何でしょうか?
    「2乗するとaになる数をaの平方根という」
    これが定義です。
    2乗すると4になる数は、2と、-2。
    すなわち、±2が4の平方根です。

    簡単なことのようなのですが、子どもには難しい内容です。
    小学生に平方根に関する問題を出すとその難しさがよくわかります。
    勿論、「平方根」という言葉は使いません。
    例えば、こんな問題です。

    問題 面積が16平方cmの正方形の1辺の長さを求めなさい。

    多くの小学生は、この問題を正しく解くことができません。
    16÷2=8
    答え 8cm としてしまいます。

    「うん?もしも1辺が8㎝なら、面積は8×8=64となってしまうよ?」
    そう説明すると、それは理解できるのですが、ではどうやって求めたら良いかはやはりわからず呆然としてしまいます。

    □×□=16
    この式を立ててあげると、
    「そんな式、立てていいの?」
    と驚き、
    「どうやって解くの?」
    と言います。
    □を求めるための式が必要だという固定観念がある様子です。
    何重もの壁に阻まれ、答えを求められないのです。

    □を求めるための式は必要ではない。
    上の式の次は、□=4でいいんだよ。
    たし算でもひき算でもかけ算でもわり算でもないから、式は必要ない。
    □×□=16となる数を頭の中で探すんだよ。
    そう説明しても、腑に落ちない様子の子は多いです。

    こうした問題は、中学受験のための受験算数で出題されます。
    普通の小学生が学ぶ内容ではありません。
    でも、受験生でも上のような反応になり、正解が出せないことが多いのです。

    子どもの脳は日に日に成長していきますから、小学生の間は理解できなかったことも、中3になると多くの子は理解します。
    しかし、「平方根の利用」の学習に進むと、やはり理解が表面的だったのかなあと思うことも多いです。

    例えば、こんな問題。

    √20nが整数となるような自然数nを小さいものから順に3つ答えよ。

    この問題に関しては、何回説明を聞いてもわからない、何の話をしているのかさっぱりわからないという子も、かなりの割合で存在します。

    20を素因数分解すると、20=2×2×5
    したがって、20の中に既に2の2乗が存在します。
    あとは、5の処理。5も2乗になればいい。
    nが、20の中にある5にとってのペアであればいい。
    だから、nが5であれば、√20nは、整数になることができます。

    ここまでは、何とか理解できないこともない。
    しかし、その後の「小さいものから3つ」が難解です。

    答えは、5しかないでしょう?
    他に何があるの?
    固定観念にとらわれると、もうそれ以上は出てこなくなります。

    √20nが整数になる場合のnは、無限に存在します。
    確かに、nは、5でもいい。
    でも、5×2×2=20でもいい。
    5×3×3=45でもいい。
    20nが全体として何かの2乗になればいいのですから、nの中にも、何かの2乗が含まれていて良いのです。

    これが「何の話をしているのか、さっぱりわからない」という中学生の場合、作業として平方根の計算を身につけていても「平方根とは何か」の根本が揺らいでいる可能性が高いです。
    だから、何で2乗にするのかがわからないのでしょう。
    2乗にするためのペア探し?
    何の話をしているの?
    何で素因数分解するの?
    そんな状態である場合が多いように感じます。

    もう1つ。
    答えが1つに決まらないことが理解できない。
    理解できなくてイライラする。
    そんなもの求めて何になるのと言い始める。
    だから、数学は嫌いなんだと言う。

    「わかる」「わからない」の話を、「好き」「嫌い」の話にすりかえてしまいます。
    中学生が勉強をする際に困難なのは、そういうところもあります。

    わかれば、面白い。
    わかるから、できるから、好きだ。
    子どものそういう気持ちも共感できます。
    でも、わからないことの、そのわかりにくさが好きだ。
    簡単にわかるようじゃ、面白くない。
    難しいから、面白いんだ。
    なかなか上達しないから、続けるんだ。
    そういうことを、子どもたちに実感してもらいたいなあと思います。
      


  • Posted by セギ at 11:55Comments(0)算数・数学

    2016年05月26日

    計算の工夫。


    中学3年生の数学は、「因数分解」の学習が終わるとその利用の学習が始まります。
    因数分解を利用して筆算しないで計算問題を解く問題などがあります。
    例えば、こんな問題です。
    98×102 を工夫して計算しなさい。

    この程度なら、筆算したって大した手間ではないのですが、因数分解を利用して、
    98×102
    =(100−2)(100+2)
    =10000−4
    =9996
    というふうに計算できます。
    ただ、これを便利と感じるか、かえって面倒くさいと感じるかは微妙なところです。
    こういう問題は、因数分解を利用するために人工的に作られた問題という印象が強いですね。
    普段の計算の際には、気がついたのならやったら良いけれど、別に普通に筆算しても良さそうです。

    しかし、計算ミスをしないために必要な計算の工夫というものもあります。
    そして、計算ミスをしやすい子は、計算ミスをしやすい過程を踏む傾向があります。
    なぜ、よりによってその過程を選ぶのか?
    それでも解けるけれど面倒くさくないか?
    見ていると不思議なほどに面倒くさいほうを選んでしまうのです。
    例えば、こんなふうに。

     4×4×5
    =16×5

    いえ、それでも、答えは出ます。
    でも、16×5の暗算ができないので、渋い顔をしてわざわざ筆算しています。
    計算の苦手な子の中には、そこで筆算ミスをしてしまう子もいます。
    そうした子に、
    「後ろの4×5を先に計算して、4×20として解くと楽だよ」
    と説明すると、
    「そういうやり方があるんだ!」
    と驚愕しています。
    計算は頭から順番にやるものと決めつけているので、交換法則を利用できることに気づかないのでしょう。

    こういうちょっとした計算センスが出やすいのが、連立方程式。
    特に、3元1次方程式です。
    例えば、こんな問題です。

    4a+2b+c=0  ・・・・①
    25a+5b+c=0 ・・・・②
    a+b+c=−2    ・・・・③

    文字が3種類ありますので、式全体を足したり引いたりして1つの文字を消去し、文字が2種類だけの2本の式を新たに作りだして解きます。
    どうやって作るか。
    cの係数はどれも1です。
    これが一番消しやすい。
    係数が違うと式全体を何倍かしなければならなくなり、それだけ面倒くさくなります。
    だから、cを消します。

    ②−①で
    21a+3b=0 ・・・④
    ①−③で
    3a+b=2   ・・・⑤
    ④−⑤×3で
    12a=−6
      a=−0.5

    本当は分数で表記したいのですが、分数表記の1/2はどうも見にくいので、今回は小数で表記してみました。
    それはともかく、こんなふうに解いていけば、あとは芋づる式にbの値もcの値も出てきます。

    ところが、計算が苦手な子ほどなぜか別の方法で解く傾向があります。
    aを消そうとするんです。
    aを消すとなったら、例えば③×25とか③×4をしなければなりません。
    そして、途中で計算ミスをおかします。
    右辺の定数項を何倍かするのを忘れるミスは特に多いです。

    1人2人の話ではありません。
    私が出会った計算が苦手な子は、たいていそうでした。
    なぜ、cを消そうと思わないのか?
    最初の文字がaだから何も考えずにaを消すのでしょうか。
    結局、何の工夫もしないで算数・数学の問題に対してきた結果が計算力の差につながります。
    ちょっとの工夫で劇的に計算は楽になるので、この発想ができると良いのになあ。
    私は、そう思っていました。

    ですが、ここ1年ほど、
    「あれ?これは?」
    と感じる生徒の入会が続き、別の側面も考えるようになりました。
    どう表現したら適切なのかよくわからないのですが、「変な工夫をする」子たちの存在を感じるようになったのです。

    例えば、わり算の筆算。
    78÷13 の筆算をするとき、普通は割られる数の78をまず書き、それに「屋根」をつけ、それから割る数の13をその左に書きます。
    ところが、これを13から書く子たちがいるのです。
    そして、それをする子たちは、割る数と割られる数の混同を起こしやすく、78÷13の計算をしなければならないのに、13÷78の計算をしてしまうミスが多いのです。
    それはそうですよね。
    式の見た目と異なることを自分の判断でやっているのですから。
    そのうち混同します。
    そして一度混同すると、どちらが正しいかわからなくなり、一生混乱し続ける可能性があります。
    そのミスを発見する度に注意しているのですが、なかなか治りません。
    もう治らないのかもしれないと感じるほどです。

    そもそも何でその子は割る数から書くようになったのでしょうか。
    横書きのノートは左から文字を埋めていくもの。
    そこからの発想だったのでしょうか?
    つまり、本人としてはそれはノートをきれいに埋めていくための「工夫」だったのでしょうか。
    その工夫を始めたとき、それが後に自分をどれほど苦しめることになるか、本人にはわからなかったのです。

    そうした子たちのわり算の筆算を行う過程も、常識とは順番が異なることがあります。
    まっとうな手順を踏みません。
    1桁ずつ商を立てて、かけて、ひいて、上から次の桁の数を下ろしてきて、という作業手順を踏まず、見ていてヒヤヒヤするような危うい作業手順でわり算を進めます。
    割れないとわかると、上からまとめて2桁おろしてきたり。
    横線をひくのが面倒なのか、後でまとめてひいたり。
    単に手順が理解できていないと見ることもできます。
    ただ、もしかしたら「同じ作業はまとめてやったほうが合理的」と考えているのではないかと筆算の様子を見ていて感じることがあるのです。
    筆算で同じ作業をまとめてやるのは、合理的どころか自らミスを誘い込むことです。
    くだらない工夫を筆算に持ち込むから桁に対する認識が薄れ、商に0を立てることができず、どの桁に商を立てるかさえわからなくなり、答えは大抵桁がズレています。


    その子たちにもう1つ共通するのは、分数を分子から書いてしまうこと。
    これも注意しても治らず、翌週の授業ではまた同じことをやってしまいます。
    一度癖がつくとなかなか治らないのです。
    ノートは上から書くものだというルールからそうしているのでしょうか。
    わり算の筆算のときと同じルール、ある意味合理的な「工夫」が働いているのでしょうか?
    どうも、ノートの見た目にある種のこだわりがあるように感じます。
    低学年まで使っていたマス目のノートに1文字ずつ数字を埋めていくことへのこだわりが高学年になっても残っているのかもしれません。
    上から、あるいは左からきちっと埋めていかないと、変な余白が生まれてしまう・・・・。
    それは避けなればならないというこだわりでしょうか。

    こちらは実害は少ないのですが、口頭で、
    「これは4分の1でしょう?」
    などと説明すると、彼らは4/1とノートに書いてしまうことがあり、その点に注意を払う必要があります。

    自分の中での工夫にこだわり、自らに変な癖をつけてしまい、しかもそれを直せないのだとしたら、それはやはり学力が低いということかなあ・・・・・。


    一般的に、算数の苦手な子には、例えば「円とおうぎ形の面積」の単元で計算の工夫を教えるのは難しい場合が多いです。

    8×8×3.14÷4-4×4×3.14÷2
    =(8×8÷4-4×4÷2)×3.14
    =(16-8)×3.14
    =8×3.14

    こうした工夫をして計算すれば、×3.14の計算は1回で済む
    そのように教えても、算数が苦手な子たちは、うまく呑み込めないようで実行できません。
    一番最初に書いた、4×4×5=16×5と解く子たちは、こうした工夫が苦手です。
    ひどく混乱し、やがて意地を張った顔になり、
    「私は普通に解きたいの!」
    と怒り出すこともあります。
    ですから、私は、わり算の筆算や分数が逆になってしまう子たちにも、計算の工夫は教えませんでした。

    その日も、その子は、計算しながらため息をつき、時計ばかりチラチラ見ていました。
    計算で正答できることが少ないせいか、彼らはそもそも計算が嫌いです。
    子どものそんな態度には慣れている私はそうしたサインは一切無視して彼の手元を見ていました。
    すると、彼は、うんざりしたように、
    8×8×3.14÷4-4×4×3.14÷2
    =3.14×(16-8)
    と書いたのです。
    「・・・・・・え?今、何をしたの?」
    それに対してものも言わず消しゴムで消そうとする彼を止め、
    「いや、消さないで。合ってるから。正しいから」
    しかし、慌てて消したので、本当に消したかったところではなく、別の問題の式を消してしまっている・・・・。

    それはともかく、その次の問題でも彼は交換法則・分配法則を利用した計算の工夫が出来ました。
    ×3.14の計算は間違えてしまうので、正解は出せないのですが・・・・。

    このバランスの悪さは何だろう?
    ともあれ、この子は、工夫ができる。
    算数の苦手な子はこの工夫ができない、という今までの私の中の判断を覆す事態でした。

    私の知る算数・数学が苦手な子というのは、単純に言えば数学センスのない子たちでした。
    一方で、数学の問題の解き方を作業手順として覚え込み、言われたことを言われた通りに再現することはできる可能性がありました。

    数学に対してそういう学習態度のため、高校生になれば数学は消化試合、ただ単位を取るだけの科目となってしまうのですが・・・・・。

    今、偶然にもうちの塾に複数いるこの子たちは、数学センスがないというのとは違う。
    普通に数学が苦手な子よりも今はテストの点数は低いかもしれないけれど、数学センスがないというのとは違う。
    これは、回復可能なのだろうか?
    もう何年も計算手順を間違えて、それが癖になっている。
    それを治すことは可能だろうか。

    このところ、そんなことを考えていることが多いです。
      


  • Posted by セギ at 15:47Comments(0)算数・数学

    2016年04月22日

    場合の数と確率 グループ分けの問題




    「場合の数と確率」という単元は、公立中学では基本的には全て書きだせる範囲の問題が出題されます。
    しかし、国公立・私立中学では、順列・組合せの公式を学習しますので、かなり発展的な問題も演習することになります。
    それは、高校数学の「場合の数と確率」の基本問題のレベルと重なります。
    今回は、そのような問題について見てみましょう。

    例題1
    12人の生徒がいます。A君とB君は必ず別のグループにするとして、5人と7人のグループに分ける方法は何通りありますか。

    この問題は、まず5人のグループだけに着目しましょう。
    両方のことを一度に考えるとむしろ混乱します。
    5人のグループに入らなかった人たちが自動的に7人のグループに入ります。

    5人のグループにA君が入ると固定して考えてみます。
    残りの4人をA君B君を除く10人から選びます。
    10人から4人を選ぶ組合せです。
    公式通りに、
    10×9×8×7/4×3×2×1=210
    210通り。
    しかし、5人グループにB君が入る場合もあります。
    A君が入るところ全てにB君が入る場合があるのですから、
    210×2=420
    420通りが答えとなります。

    ここで、5人グループを選んだ後、さらに7人グループを選ばなければならないと勘違いをしてしまうことがあります。
    5人グループを選べば、そこに選ばれなかった人たちが自動的に7人グループに入る。
    そのことがピンとこないようなのです。
    選ばないのだから、選んだことにならない。
    そういう不可解な論争を指導中にしなければならないことが今までもありました。
    そういう場合、選ばなかった残る7人から7人グループのメンバーを「選ぶ」のだと説明すると意外とすんなり理解を得られることがありました。
    7人から7人を選ぶ方法は1通りです。
    420×1=420
    ×1をしても結果は変わらないから、以後はやらなくて良いですよね?
    その説明ならわかるという子は案外多いです。

    例題2
    12人の生徒がいます。A君B君は必ず別のグループに入るとして、6人ずつの2つのグループに分ける方法は何通りありますか。

    一見、例題1と同じようです。
    まず、1つ目の6人のグループにA君が入ると固定して考えます。
    A君B君を除いた10人からそのグループに入る5人を選びます。
    組合せの公式を用いて、
    10×9×8×7×6/5×4×3×2×1=252
    それを2倍して・・・・
    ストップ、ストップ!
    この問題、2倍する必要はないのです。
    どちらも6人グループなので、A君をB君に入れ替えたものは252通りの中に既に出てきています。
    正解は、252通りです。

    この話も理解しづらいことのようです。
    何で6人6人になると急にそんなことになるの?

    こういうときは人数を減らして、実際に全ての場合を書きだして確認するのが近道です。
    6人の生徒を3人3人のグループに分けることにしましょう。
    A、B、C、D、E、Fの6人の生徒で、A君、B君は必ず別のグループに入るとします。
    (A、C、D)と(B、E、F)
    (A、C、E)と(B、D、F)
    (A、C、F)と(B、D、E)
    (A、D、E)と(B、C、F)
    (A、D、F)と(B、C、E)
    (A、E、F)と(B、C、D)
    分け方は、以上の6通り。
    AをBに置き換えた場合を考えても、例えば、
    (B、C、D)という分け方は、上の分け方の一番下に同じものがありますね。
    人数が同じグループに分ける場合、2つのグループの見分けはつきませんから、全ての分け方が後半のグループに既に出てきているのです。
    公式による計算では、これは、4人から2人を選ぶ組合せとなりますから、
    4×3/2×1=6
    やはり、2倍しなくてもこれが答えとなることがわかります。

    例題3
    12人の生徒がいます。A君B君を班長として「鶴の間」「亀の間」に6人ずつ宿泊します。泊まり方は何通りありますか。

    人数は6人6人。
    だったら、例題2と同じ252通り?
    いいえ。
    これは、252×2=504 で、504通りです。
    この問題は、「鶴の間」にA君が泊まる場合とB君が泊まる場合は別の泊まり方になるからです。
    同じ6人ずつでも、そのグループに名称がついていて区別がつく場合は、2倍する必要が生じます。

    グループ分けに関する問題は、大きく分けてこの3通り。
    問題のパターンが見分けられるようになると、以後は簡単ですね。
      


  • Posted by セギ at 13:54Comments(0)算数・数学

    2016年03月03日

    平行四辺形の定義や定理と、数学における暗記について。




    中学2年生の場合、四角形まで学習が進みますと、もはや図形への苦手意識は深刻過ぎて、何がわからないのかそれすらわからない、という状態になっていることがあります。

    2組の対辺が平行な四角形を平行四辺形という。

    これが平行四辺形の定義です。
    平行四辺形というのは、定義としては、向かいあう辺が平行であることしか決めていません。
    しかし、そこから言えることがいくつもあります。
    それが定理です。

    定理というのは、証明できる事柄のうち、重要なこと。

    平行四辺形の2組の対辺は等しい。
    平行四辺形の2組の対角は等しい。
    平行四辺形の対角線は、それぞれの中点で交わる。

    凄いです。
    平行であることしか決めなかったのに、長さが等しくなっちゃうんです。
    角が等しくなっちゃうんです。
    対角線が、ちょうど真ん中で交わるんですよ。
    凄いですよ、これ。
    しかも、なぜそうなるのか全部証明できるんです。
    凄いですよ。
    このことに感動してほしいんです。
    そうしたら図形は楽しくなるのになあ。

    二等辺三角形の2つの底角が等しいことを証明する学習のあたりでは、なんでそんなわかりきったことを先生は必死に証明しているんだろう、バカみたい、こんな授業は意味がない、と斜に構えていた中学生は、平行四辺形に関する証明が始まると、授業で何をやっているのかわからなくなってきます。
    定義で決めたことと、定理として証明できることとの区別に対する意識が低く、「バカみたい」と思っていたためか、証明の根拠として使えることと使えないこととの区別がつかなくなってしまうようです。
    いったん定理として証明すれば、それは次からの証明問題に当然のように使います。
    ぼんやりしていると、使っていいことと使ってはいけないことが区別できなくなります。
    定理の証明と、証明問題に定理を使うこととの混同が深刻で、区別できない子は多いです。

    もう1つは、「数学は暗記科目ではない」という呪縛があるのかもしれません。
    暗記科目ではないのだから、暗記してはいけないと思うのでしょうか。
    確かに、意味もわかっていないのに作業手順だけ覚えても仕方ありません。
    けれど、大切な定義や定理を暗記していなかったらどうにもなりません。
    頭の引き出しに入っていないことは、出して使えません。

    証明には、これまで証明してきた全ての定理を使います。
    平行四辺形に関する定理だけでなく、二等辺三角形の定理もあれば、平行線の錯角や同位角の定理もあります。
    これらの全てを証明で使うということが意識できず、解答解説を読めば理解できるけれど自分で証明の答案は書けないという子は多いです。

    理解したら暗記することは、必要なことです。
    「数学は暗記科目ではない」という人がいますが、その人が定理や公式を暗記していないわけではないんです。
    本人は、何の苦労もなく意識もせずに暗記しているんです。
    本人は数学が大好きなので、「理解すること」と「暗記すること」が完全に一致しているのでしょう。
    理解するだけでスラスラ覚えられるんです。
    そして、自分がそうなので、他人もそうだと思ってしまうのかもしれません。

    それは、脳が特殊ということではなく、好きな分野では普通に起こることです。
    好きなミュージシャンの新曲の歌詞は、2~3回聞いたら覚えられるでしょう?
    好きなマンガ家の作品のタイトルは無理に暗記しなくても全部言えるでしょう?
    ファッションが好きな人は、新しいブランドの名前やスタイルの名称を次々と覚えられるでしょう?
    好きなことなら「理解すること」=「暗記すること」=「活用すること」なんです。

    でも、多くの人にとって、数学では「理解すること」と「暗記すること」と「活用すること」との間には、それぞれ深い溝があります。
    大変な距離があります。
    その溝を、その距離を、努力で埋めなければなりません。

    だったら、数学に興味をもてばいい。
    正直面白くないと思っていても、自分に嘘をついても、興味があることにしたらいいと思います。
    数学で良い成績を取ることが自分に必要なことなら、そういう方向に気持ちをもっていきましょう。
    数学の成績を上げたいと思っているくせに「嫌いな勉強をやらされている」という被害者意識で勉強していると、頭に入りにくいですよね。

      


  • Posted by セギ at 12:58Comments(0)算数・数学

    2016年02月15日

    二等辺三角形の定理と、情報の読み方。


    中2の単元に「三角形」というものがあります。
    三角形の合同条件を学び、合同の証明に慣れた後で次に学ぶのが、二等辺三角形。
    二等辺三角形の定義と定理を学びます。

    二等辺三角形の定義は「2辺が等しい三角形を二等辺三角形という」です。
    これは、「なぜ?」とか「何でそうなるの?」とか、そういう疑問を持つことに意味はありません。
    そのように呼ぶと決めたのであって、そのことに理由はないからです。
    別の名前でもいいわけですが、二等辺三角形というのは、わかりやすい良い名前ですよね。

    一方、二等辺三角形の定理は、例えば「二等辺三角形の2つの底角は等しい」というもの。
    これは、決めたことではありません。
    2辺を等しくしたら、2角も自動的に等しくなります。
    絶対に等しくなります。
    これは証明できます。
    このように証明できる事柄のうち重要なものを「定理」といいます。

    中学生の場合、このあたりから数学好きかどうかはっきりしてきます。
    小学校の頃は、二等辺三角形を折って重ねて、ほら正しいじゃないのと半強制的に納得させられたこと。
    それを、こんなにきれいに証明できる。
    そのことに目をキラキラさせる子は、数学好きな子。

    一方、こうした授業に不満を持つ子もいます。
    二等辺三角形の2つの底角が等しいことは、小学生でも知っていること。
    「そんなの小学校で習ったじゃん。何でわざわざ証明してんの。バッカじゃないの」
    と斜に構えてしまいます。
    この学習の目的が理解できていないんです。
    本人は大人ぶっているつもりで、逆に幼稚なんですよ。

    話は飛びますが、たとえばインターネットの情報。
    インターネットは、誰でも自由に発信できます。
    個人が自由に発信できる情報というのは、当たり前ですが個々の情報の質に大きな差があります。
    嘘も多く、主観的で間違っている情報も多いのです。
    ところが、「テレビでは伝えられない本当のこと」という言葉に弱い人は、インターネットで発信されていれば本当だと思ってしまうことがあります。
    裏で語られることは全部正しいと思ってしまうのでしょうか。
    若い子ほどこの傾向は強いようです。

    テレビや新聞で報道されていることというのは、当然フィルターにかけられた情報です。
    世界的には「報道の自由度ランキング」が急降下している我が国。
    テレビや新聞で語られていることが全てではないことを多くの人が知っています。
    だからといって、ネットで語られていることが全て本当だと信じるの愚かなこと。
    個々の情報の真偽を判断する能力が個人に問われています。

    数学的態度・数学的思考というのは、数字に強くなるためだけのものではないでしょう。
    ものごとの真偽を厳密に見分けるために必要な態度だと思います。
    根拠のないことは信じない。
    それがテレビで発信されたものであれ、インターネットで発信されたものであれ、まず情報の根拠を問う。
    論理に整合性があるか常に考える。
    感情や感覚で決めつけないで、よく考える。

    そういう態度をもって見るなら、二等辺三角形の2つの底角が等しいことは、
    「小学校で習ったから正しいこと」ではなく、
    「証明できるから正しいこと」となります。
    当たり前に思えることも、1つ1つ証明し、確認していく。
    中学の幾何でまず学んでいることは、そういうことです。

    現代において、こうした数学的態度は必須のものだと思います。
    そして、この視点がないため、数学の授業で勉強していることが何なのかよくわからなくてぼんやりしてしまう子が多いようです。
    当たり前のことを何かくどくどやっているなあと思っていたら、急に難しい証明問題になって、意味がわからない。
    証明問題って、そもそも何のために何をやっているのか、よくわからない。
    そう思ってしまう子は、大前提である学習の目的がよくわかっていないのかもしれません。

      


  • Posted by セギ at 15:00Comments(0)算数・数学

    2015年12月23日

    暦に関する問題


    今年もおしつまってまいりました。
    暖冬のせいか、あまり実感がないのですが、もう年末。
    23日、24日はお休みをいただいて雪山に行くつもりでいましたが、前線が通過するので山に行けませんでした。
    八ヶ岳の初級者コースで足ならしをするだけのつもりでも、雪山は案外遠い。
    というわけで、画像は2年前の北八ヶ岳高見石小屋の入り口です。

    新しいカレンダーを眺めていると、受験算数の暦に関する問題をふと連想します。
    一番易しいのは、こんな問題です。
    易しいといっても、子どもの中には、必ず1日分だけ曜日がズレてしまう子も多いです。
    考える上で特定の癖があるならそれを訂正すれば正解できるようになるのですが、毎回多様にミスをして1日ズレてミスの展示会みたいになる子もいます。

    問題1
    ある年の9月22日は火曜日でした。その年の12月31日は何曜日ですか?

    1週間は7日で曜日が繰り返されます。
    この問題は「周期算」であることに気づくのが第一段階です。
    9月22日から12月31日までに、1周期7日の周期が何周期あって、あまりが何日なのか?

    月ごとに考えましょう。
    9月22日から30日までは、30-21=9。
    10月は31日。
    11月は30日。
    12月は31日。
    だから、全部で、9+31+30+31=101(日)
    これを7日で割ると周期がわかります。
    101÷7=14あまり3
    このあまり3は、第15周期が始まってその途中までということです。
    火曜日から始まっている周期なので、火・水・木。
    答えは木曜日です。

    易しい周期算ですが、1つ知識として必要なのが、月ごとの日数。
    大の月と小の月を知識として覚えておくこと。
    「にしむくさむらい」で覚えなさいと言っても、その「にしむくさむらい」が覚えられないのが今どきの子ども。
    ものを覚えるということが苦手な昨今の小学生には、これがなかなかの難題です。
    げんこつを作った手の甲で、「1月」「2月」とやっていますが、「7月」と「8月」の操作を失敗してズレてしまう子は多いです。
    そのあたりの努力を怠らずきちんと受験勉強してきたかを問いたい学校は、今も1行問題としてこのタイプの問題を出題します。

    でも、最近の日暦算はこの程度までにとどまり、これ以上の難問はあまり出題されなくなったと感じます。
    これ以上の難問というのは、例えばどんな問題なのか?

    あるクラスの生徒は30人で、教室の掃除当番は、出席番号順に6人ずつ1班から5班の5つの班に分かれて、当番は1日ずつ1班、2班、・・・・・5班、1班、2班・・・・、とくり返して進みます。9月1日(火)始業式の日の掃除当番は1班でした。12月24日(木)終業式の日の掃除当番は出席番号が何番から何番の人でしょうか。ただし、土曜日・日曜日・祝日は学校はお休みで、掃除当番はないものとします。なお、この年の秋分の日は9月23日でした。

    これは、なかなか面倒くさいですね。
    丁寧に解いていきましょう。
    まず、9月1日から12月24日まで、何週間と何日あるのか計算します。
    9月は30日。10月は31日。11月は30日。12月は24日まで。
    だから、30+31+30+24=115
    全部で115日となります。
    それが何週間と何日であるかを調べるために、7で割ります。
    115÷7=16あまり3
    16週間と3日であるとわかりました。
    火曜日から始まる周期で計算しているので、あまりの3日は、火曜日・水曜日・木曜日です。
    学校は、土日を除く週5日。
    16週間とあまり3日で学校へ行く日は、
    5×16+3=83
    83日。
    ここから、祝日を除いていけば、学校に行く日が正確にわかります。
    ただ、ここで問題があります。
    祝日と日曜日が重なった場合は振替休日がありますが、祝日と土曜日が重なった場合には振替休日はありません。
    だから、この年の祝日が土曜日と重なっていないか、逐一調べなければなりません。

    9月からいきましょう。
    9月の第3月曜日は敬老の日。
    これはいつでも月曜日なので問題なし。
    9月23日が秋分の日。
    この日は何曜日なのか?
    23÷7=3あまり2
    問題によれば、9月1日が火曜日です。
    火曜日から始まる周期の第4周期の2日目だから、水曜日だとわかります。
    これも、土曜日と重なっていません。

    10月の祝日はどうでしょう。
    10月第2月曜日は体育の日。
    これも土曜日と重なるわけがありません。

    11月の祝日は?
    11月3日は文化の日。
    これは何曜日でしょうか。
    9月1日から数えると、
    30+31+3=64
    64÷7=9あまり1
    第10周期の1日目。これは火曜日。
    土曜日と重なっていません。
    11月23日は勤労感謝の日。
    30+31+23=84
    84÷7=12
    第12周期がちょうど終わった日ですから、月曜日。
    これも土曜日とは重なりません。

    12月の祝日は?
    12月23日が天皇誕生日。
    これは何曜日でしょうか?
    30+31+30+23=114
    114÷7=16あまり2
    火曜日から始まる周期の第17周期の2日目。
    だから、水曜日です。
    これも土曜日とは重なりません。

    したがって、9月1日から12月24日までで、祝日は、6日。
    これらは全て土曜日とは重なっていませんでしたので、先ほど仮に計算した、学校に行く日83日からさらに6日を引けば、本当に学校に行く日数となります。
    83-6=77
    学校に行く日は77日。
    掃除当番は、5班で回していますから、1周期5の周期算となります。
    77÷5=15あまり2
    第16周期の2日目。
    すなわち、12月24日は、第2班の担当となります。
    出席番号順に1班6人ずつだから、第2班の出席番号は、7番から12番まで。
    やったー。解けたー。

    ・・・・・・いいえ、これは正解ではありません。
    何がいけなかったのか?

    9月の祝日をもう一度見直してみましょう。
    敬老の日は、9月第3月曜日。
    それは何日なのでしょう?
    9月1日が火曜日ですから、第1月曜日は、9月7日。
    第2月曜日は、9月14日。
    第3月曜日は、9月21日。この日が敬老の日です。
    そして、秋分の日は、9月23日。ここが重要。
    祝日と祝日にはさまれた日は、国民の祝日となります。
    よって、9月22日も祝日です。
    だから、祝日は全部で7日。
    83-7=76
    76÷5=15あまり1
    掃除当番は、第17周期の1番目。
    すなわち、出席番号1番から6番が正解です。

    ・・・・・・何だそれ?
    こんな問題、得点を与えるつもりがあるとは思えない。
    (+_+)
    こんなの算数でも何でもないよ。
    ひっかけだよー。

    感覚としては、ハッピーマンデー法が制定されたあたりから、この種の問題は急速にすたれていった気がします。
    大の月と小の月に関する知識まではともかく、祝日に関する知識をここまで問う問題は算数と言えるのか?
    そういう疑問があるからかもしれません。
    現代の子どもは、こちらがびっくりするほど祝日のことを覚えていないということもあるでしょうか。
    学校が休みになる楽しい日なのに、彼らは祝日を覚えないですね。
    やはり、ものを覚える習慣がないことが影響しているのでしょうか。

    上の曜日設定、実は、今年のカレンダー通りでした。
    今年は、上のような理由で9月の連休が長かったですね。
    「シルバーウィーク」というもの、言葉だけは聞いたことがありましたが、初めて実感した連休でした。
    来年のカレンダーを見ると、シルバーウィークと呼べるような連休はもう存在しません。

    でも、来年から新しい祝日が登場。
    8月11日は、山の日です。
    ちょっと楽しみです。
    (*'▽')

      


  • Posted by セギ at 12:57Comments(0)算数・数学

    2015年12月10日

    数学の応用力をつけるには。




    「数学の応用問題はどうしたら解けるようになるんですか」
    と質問されることがあります。
    でも、その答えは、質問者が誰によるかで違ってきます。

    その子のテストの答案を見ればわかることですが、前半の基本問題でぽろぽろ失点しているにも関わらず「応用がー」「応用問題がー」と思っている子は、応用問題のことよりも、まずは基礎固めの重要性に目を向けたほうがよいのです。
    その基礎力では、現時点で応用問題を解くことは難しい。
    公式や定理の定着が曖昧なままでは応用問題は解けないのです。
    応用問題というのは、結局、基本的な定理を組合せて利用するものだからです。

    しかし、もう基礎力は身についていて、本当に後は応用力だという段階の子の場合、応用問題はどうしたら解けるようになるのかは大きな課題です。

    ひと口に応用問題と言いますが、大きく分けて2種類あります。
    応用問題の中での典型題と、類題があまりない本物の応用問題です。
    応用問題の典型題とは、学校の教科書や準拠ワークに1題ずつ載っているような問題です。
    難しそうに見えますが、パターンは決まっている定型の問題です。
    その1題を自力では解けず、解説を聞いただけで学習が終わってしまい、テストに類題が出たけれどやはり解けなかったという人は、真面目な秀才の中にもいると思います。
    塾に通えば応用の典型題は類題をたくさん練習しますから、本人に理解力があればそういうものは確実に解けるようになります。

    では、典型題でない、本物の応用問題を自力で解けるようになるには、どうしたら良いのか。
    国公立・私立の中学入試や高校入試、そして大学入試は、そういう問題が出題されます。
    どうすれば、そういう問題を解けるようになるのか。

    受験算数や数学の成績アップで成功している塾のやり方に、こういうものがあります。
    大切なことは3つ。
    ①良質の難問を考え抜かせる。何時間でも。解き方は教えない。
    ②解いた子にしか正答を教えない。
    ➂解いた子を皆の前で褒め、何問解けたかで順位をつけるなど競争の仕組みを作り上げ、生徒同士を競わせる。

    勝気な子が、これに乗らないわけがありません。
    目の前に解く価値のある難問がある。
    解けば仲間内での立場が圧倒的に上がり、自分の能力の高さを周知させることができる。
    この勝負に負けるわけにはいきませんから意地でも全力を出します。
    考えて考えて考え抜きます。
    当然、学力は飛躍的に向上します。

    数学の応用問題を解く力を養うには、この「全力で考えて考えて考え抜いた過程」が必要です。
    知っている定理や公式を頭の中でどう組み合わせるか。
    何をどのように発想するか。
    それは、経験をつまなければ身につきません。

    問題の最初から考え、詰まったら今度は最後から考えて、わからないことの距離が縮んだ瞬間に火花が散って、通電する。
    全てがつながる。
    それを自分で経験することが重要です。

    あるいは、この問題はこのパターンに近いから、このやり方である程度まではいくはずだと推測する。
    だから、そこまでやってみる。
    その先に、新しい展開があり、その問題の真の姿が見えてくる。
    どの定理を使うか、頭の中で精査する。
    どれを使うか自力で発見できたときの充実感。

    そういう経験を積まなければ、自力で応用問題を解けるようにはなりません。
    逆に言えば、基礎はあっても応用問題の解けない子は、この経験が不足しています。
    応用問題を解こうとして、ちょっとわからないと、すぐ諦める。
    諦めて解答を見る。
    他人に教わって済ます。
    本気で考えたことがなく、1題も自力で解いたことがない。
    応用力のない子の多くがそうです。

    そういう子に、考え抜く学習を勧めても、
    「でも、数学にばかりそんなに時間はかけられない」
    「能率が悪い」
    など小理屈をこねます。
    まず実行しません。
    自力でこの環境を作り出すのは難しいのです。
    強い意志が必要です。

    うちの塾でも、このレベルに進める子は限られています。
    難しい問題を宿題にしても解いてきません。
    教わればいいと思ってしまうのでしょう。
    レベルアップを図るためテキストを難しいものに変えると、保護者を通じて「解答集をください」と連絡が入ることもあります。
    応用力をつけるための最大の障害は、たいてい本人なのです。
    難しい問題も歯をくいしばって解いてきた子のみが、大きな成果を上げています。

    良質の難問を与える。
    解いた子にのみ正解を教える。
    これを実践している中学校があります。
    もちろん、教科書準拠の問題集は解答つきで渡され、基本問題のプリントなども時間を置いて解答を渡されるので、基礎的な学習はそれでしっかりできます。
    その上で、プリント1枚に1問しか載っていない応用問題が配られています。
    これは、解いた子にしか解答が渡されません。
    解答は渡されないが、定期テストの範囲であると言われるようです。
    授業の度に、プリントをノートに貼って解いて提出しろと言われるとも聞いています。
    解いていないのに提出すると「再提出」のハンコが押されて返ってきます。
    先生は、プレッシャーのかけ方が上手い。
    さて、どうしたものか?

    うちの塾生の1人が、その中学の生徒なんです。
    そのプリントは自分で考えなさいと繰り返し言っているのですが、それでもときどき塾に持ってきます。
    私はその度に説得します。
    自分で考えなければ意味ないよ。
    え?でも、テスト範囲だから教えてほしい?
    テスト範囲なんて言うけれど、テストには出ないじゃない?
    え?最後のチャレンジ問題に出たことがある?
    あれは、100点満点+アルファのボーナス問題でしょう?
    あなたはあれに気を取られるけれど、あれ以外のテスト問題は易しい基本問題と応用の典型題だけなんだから、それをしっかり解けばいいんだよ。
    このプリントは、自力で解くことが大切で、教わって解いても意味がないんだよ。
    解けないなら解けないで、仕方ないよ。
    え?ノートに再提出のハンコを押された?
    でも、私が解いたのを書き写して辻褄を合わせても仕方ないでしょう。
    私の学力がグングン上がっちゃうだけでしょう?

    それでも、どうしてもと言われると、定期テストの後など比較的スケジュールに余裕のあるときは私が解くこともあるのですが、予想を越えた難問ばかりです。
    問題が漢文で書いてあるものもあります。
    江戸時代の算額なんでしょう。

    計算を始めると、その過程も企みに満ちていることにさらに驚かされます。
    例えば、計算の過程で√1681なんていう数字が出てきます。
    これを整数に直せないと、その後の計算は煩雑を極め、行き詰ります。
    そりゃあ、算額ですからそうですよね。
    算術の腕自慢が互いに「どうだ、この問題を解けるか」と作ったり解いたりして楽しんでいたものなのですから、ある種の「悪意」が問題中にこもっているのは当然です。

    解き方を解説し、私も解きながら本人にも解いてもらうのですが、生徒は早い段階で計算ミスをして、行き詰ってしまいます。
    こんなふうでは、この難問をスラスラ解いて提出するほうが印象が悪いのでは?
    誰かに教わったか写したのが丸わかりです。
    そういうことは、本人が思うよりずっと、大人は気がつくものです。
    証拠があるのないのと水掛け論になるのが嫌で先生は口にしないでしょうが、心証は最悪です。
    むしろ平常点に影響するでしょう。
    自分で考えて、自力で解けた問題だけ提出したほうが良いのです。
    やはり、塾でこのプリントを解くのは、良くない・・・・・・。
    解く度に、結局反省します。


    もしも、私が中学生だったときに、数学の先生からそういうプリントが定期的に渡されるようだったら、私はどうしたかなあと想像します。
    昔も今もあまり社交的なほうではないので、とりあえず1人で解こうとし、解けたり解けなかったりしていたと思います。
    友達から教えてくれと言われれば、解けた問題は教えたでしょう。
    友達から友達へ、情報は伝わっていく。
    「あいつが、あの問題を解いた」
    3クラス135人しかいない中学で、そのうち3分の2は小学校からの内部進学ですから、全員が顔見知り。
    そういう情報は広がるのが速いです。
    「答を教えてくれ。自分はこっちの問題を解いたよ」
    普段話したこともない他のクラスの数学好きが、ある日やってくる。
    そして、教えあうゆるい共謀関係の相手が1人2人と現れ、増えていくと思います。
    教えあうことで楽をしようとしているのかというと、しかし、この場合、一方的に教わるだけでは体面が保てません。
    競争心もありますから、今度の問題は絶対に自分が一番に解いてやる、という方向に進んていくと思います。
    本気で解きますから、解ける問題が増えていくでしょう。
    そんな中で、あの当時個別指導塾はなかったけれど、家庭教師のついている子はいたから、そういう子が家庭教師から教わって解いたという情報が入ってきたら、私はどうしたかなあ。
    誰にも解けない問題がもしあったら、それについては有難く情報を活用しただろうけれど、それでいてその情報源の子を尊敬する気持ちはもたなかったんじゃないかなあ。
    むしろ、軽視したんじゃないかなあ。
    あいつ、家庭教師に教わったのか。
    自分では1題も解けないくせにねと、失笑した気がします。
    すいません。
    プライドばっかり高くて残酷で。
    でも、中学時代の私なら、そうだったろうなあ。


    応用力をつけるには、応用問題を解くこと。
    自力で解くこと。
    考えて考えて考え抜くこと。
    プライドをかけて臨むこと。
    テクニックより何より、まずそれが前提として必要だと思います。
    考えて考えてそれでもわからなくて教わった1問の中のテクニックは、悔しさとともに自分の血肉となります。
    安易に教わった問題は、安易に忘れます。
    定着しないのです。

      


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