たまりば

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2017年05月17日

関数は小学校から学んでいます。


関数という単元は、本格的な内容に入ってしまえば、案外わかりやすいのに、最初の概念的なことがむしろ難解なのかもしれません。
「変数xとyがあり、xが定まると、それにともなってyがただ1つに定まるとき、yをxの関数という」
これがスパっと頭に入り、うんうん、そうだろうねと感じられたら何も問題ないのですが、そうはならない子は、いつまでもいつまでもこの件を引きずることになります。
以前も書きましたが、こうした定義よりも、
「関数なんか何の役に立つのかわからない」
「やっていることの意味がわからない」
「こんなの必要なくない?」
という感情のほうが先に立って、関数の存在に否定的な子が関数が苦手な子に多いように思います。

中学になって突然「関数」という単元が出てくるから、こうした拒絶反応があるのかというと、そうではなく、「関数」という言葉は使わなくても小学校から関数は学習しています。
そして、この子は将来関数が苦手になりそうだなあという子は、小学生の頃の反応からある程度予想がついたりもします。

関数は、小学校から学習しています。
「ともなって変わる量」とか「数量の関係をあらわす式」といった単元がそうです。
関数という言葉を使わないだけで、学んでいる内容は関数です。
そして、4年生でも、5年生でも、6年生でも、同じようなことを繰り返し学習するわりに定着しない単元でもあります。
△と〇の関係を表す式なんて立てても意味がない。

答えの出ない式なんて意味がない。
こんな式を立てなくても答えは出せる。
使い途がない。
子どもは、そんなふうに考えてしまうのかもしれません。

小学生に、
「今、学校は何をやっているの?」
と質問して、答えが曖昧なときは、たいていこの単元です。
「何かよくわかんないことをやってる」
「ふうん。何という単元?」
「何か、わかんない。本当に、全然わかんないことをやってる」
こういうとき、わからないことに不安を抱いているのではなく、むしろ、そんな訳のわからないことをやらせる学校が悪い、あんなのは意味がないと言いたげな、変に自信満々な表情であることが多いのも、この単元の特徴です。
教科書を持ってきていない子には、テキストの目次でどの単元を勉強しているのかを探させて、「数量の関係をあらわす式」を学習していることを確認し、ああ、やっぱりか、と思います。

「この単元は、中学生になったら『関数』という名前になる単元で、大切な単元だよ。これが理解できると、中学でも数学が得意になれるよ。高校になると勉強することの半分以上は関数だよ。しっかり学習しようね」
「えー」
私は、いつも、これくらい強調します。

小学生でも中学生でもそうですが、関数が役に立たないとか意味がないと思っている子は、関数の意味を理解できない自分に課題があるという考え方ができないのかもしれません。
学び始めたばかりでは関数を何に使うのかよくわからないけれど、これはきっと重要なことで、いずれわかってくるだろうと理解を示すことができないのでしょう。
すぐに全体を鮮明に理解できないと嫌気がさしてしまうのかもしれません。
それでは、数学に限らず、いずれ全ての勉強に嫌気がさしてしまうでしょう。

小学校も高学年になると、xやyを使うようになりますが、最初は、△や〇を使って式を作っていきます。
4+△=〇 とか、
3×△=〇 とか。
問題文からそういう関係を読み取って、△と〇を使った式を立てることができて、その式を利用して具体的に数値を代入し、△が5のときの〇の値や、〇が9のときの△の値を求めることができれば、この単元は身についた、ということになります。

以前、保護者の方から、それに関してこんな話をうかがいました。
「〇から△を求める問題、うちの子に教えたら、移項のときは符号を変えることとか、全然わかっていなくて」
「・・・・・あ、移項で符号を変えるのは、小学生には無理なんです。小学生は、負の数を習っていないんです」
「ええっ、そうなんですか?でも数直線は勉強しているでしょう」
「はい。ただ、小学生の数直線は、0で止まってしまうんです」
「だったら、どうやって解くんですか」
「逆算の式を立てるんです」

小学生は、負の数を知りません。
小学生は、方程式を知りません。

大人が小学生に算数を教えることの難しさの1つは、小学生のこの限界とどう折り合いをつけていくか、ということかもしれません。
そのときも説明したのですが、小学生に算数を教えるときは、まず大人が教科書を読んで、解き方を理解した上で、その通りに教えるのが、一番良い方法です。

小学校の教科書を読むと、大人はつい思ってしまいます。
なんでこんなまだるっこしい解き方をしているんだろう?
しかし、それは、発達段階として必要なまだるっこしさです。
「負の数」や「方程式」という概念は、多くの小学生にとって、抽象的で理解しづらいものです。
該当学年より上の内容をきちんと段階を踏んで順番に学習していくことは、素質のある子どもに対してなら、周囲の大人の責任において好きにやったら良いことだと思いますが、普通の5年生の知識を持っている子どもにいきなり負の数や方程式を教えても、理解できないのは当たり前です。
ここは、大人のほうが「小学生の解き方」を学び直したうえで教えたほうが効果的です。
自分のやり方に子どものほうを合わせようとする大人は案外多く、残念なことです。
まずは教科書や塾のテキストを見て、その通りに教えてあげることが子どもにとっては一番わかりやすいのです。

個別指導塾でも、アルバイト講師などで、本人に中学受験の経験がなく、研修も受けていない人が、小学生を相手に方程式で受験算数を教えてしまうことがあります。
ご家庭で勉強を見てあげる場合でも、数学が得意なお父さんが子どもから文章題を質問されて、無理に方程式で解いてしまうことがあります。
わからなくて苦しまぎれにそうしている場合もあると思うのですが、そうではなく、そうしたほうが良いと思っているのだとしたら、被害をこうむるのは子どもであるという点で罪深いことだと思います。
そこまでの基礎を踏まずに突然教わる「正負の数」や「方程式」は、定着しないからです。
余計な混乱が起こるだけです。
中学校では、「正負の数」「文字式」「1次方程式」を教えるだけで、1学期が終わります。
それだけボリュームのある学習内容です。
その間に「算数」から「数学」への大転換に適応することがこの時期の重要課題でもあります。
ちゃちゃっと教わってすぐ文章題に利用できるような内容ではないのです。

「関係を表す式」の学習に否定的な子どもには、これが中学・高校と学年が進むにつれて学習の中心となっていく「関数」という大切な考え方の基礎であるという観点を示すこと。
解き方がわからず困っている子に、「方程式」や「負の数」のような、その子にはまだ必要ではない解き方を教えて混乱させないこと。
将来の関数嫌いを作らないために、小学生の頃から注意して見守りたいですね。

  


  • Posted by セギ at 13:13Comments(0)算数・数学

    2017年05月14日

    十分条件と必要条件。



    本日は、十分条件と必要条件について。
    「pならばqである」という命題が真であるとき、pをqであるための十分条件、qをpであるための必要条件という。
    それだけのことなのですが、実際に問題を解いてみると、高校生の多くの答えは逆転していて、何だか全然わからないと愚痴を言います。
    1つには、まず、「十分条件」「必要条件」という言葉が似ていて覚えにくいからなのでしょう。
    どっちがどっちでも、同じような意味に感じるのだと思います。

    例えば、「犬であるならば動物である」という命題があるとします。
    「犬であること」は、「動物である」ための十分条件。
    「動物であること」は、「犬である」ための必要条件です。

    でも、
    「え?逆じゃね?逆のほうが正しいっぽくね?」
    そんな疑念が生じて、ごちゃごちゃになってしまう子がいます。

    私の記憶違いでなければ、私の頃の教育課程では、これは中学3年生のときに学習しました。
    そのときの先生の解説が明解で、今でもよく覚えています。
    使われた命題も、この「犬であるならば動物である」でした。

    集合で考えるならば、犬の集合は、動物の集合の部分集合です。
    ベン図で言えば、動物の集合の輪の中に犬の集合がすっぽり入っています。

    目の前にポチという名の生き物がいたとして、その生き物が犬であるならば、その生き物が動物であることは、言うまでもないことです。
    「犬である」という条件を満たせば、「動物である」ということは十分に満たす。
    「犬である」ことは、「動物である」ための十分条件です。

    一方、「動物である」ことは「犬である」ための必要条件。
    こちらのほうが、ちょっとわかりにくいのかもしれません。
    これは否定して考えるとわかります。

    もし、目の前のポチが動物ではないのなら。
    ポチが動物でないのなら、犬であるはずがない。
    動物であることは、犬であるために必要なこと。
    だから、「動物であること」は、「犬である」ための必要条件です。

    とはいえ、この解説、聞いたときは「ほおなるほど」と思っても、またすぐ忘れてしまうらしいです。
    そうして、また混乱し、わからないわからないと言い出す高校生が多いです。
    なので、もういいから、50音順で「十分条件」の「じ」のほうが「必要条件」の「ひ」より先に出てくるから、pのほうが「十分条件」とこじつけて覚えなさいと言っています。
    (^_^;)

    一応理解しても、またわからなくなる高校生が多いのは、「十分条件」「必要条件」の定義と、実際の問題との構造が違うせいもあるでしょうか。
    「pならばqである」という命題が真であるとき、pをqであるための十分条件、qをpであるための必要条件という。
    このように、定義ではpとqを逆にして説明しますが、実際の問題では、pとqの配置は固定されています。
    それで、わからなくなる子も多いです。

    例題
    以下の空欄に「十分」「必要」「必要十分」のいずれかの語句を補充せよ。
    xy≧0は、x≧0 かつ y≧0であるための(  )条件である。

    「xy≧0ならば、x≧0 かつ y≧0である」
    という命題の真偽をまず考えます。
    これは、偽です。(反例 x=-1 , y=-1)
    なので、xy≧0は、x≧0 かつ y=0であるためのの十分条件ではありません。
    次に、逆を考えます。
    「x≧0 かつ y≧0ならば、xy≧0である」
    これは、真です。
    なので、xy≧0は、x≧0 , y≧0であるための必要条件です。
    よって、例題の空所を埋める語句は「必要」となります。

    え、え、え?
    今のどういうこと?
    という声が聞こえてきそうです。(^_^;)

    これ、地図を読むような感覚なのかもしれないと思います。
    方向感覚が狂いやすい人は、この逆転が理解しづらいのかもしれません。
    でも、これは慣れることで習得できます。
    慣れてしまえば、単純作業です。


      


  • Posted by セギ at 12:51Comments(0)算数・数学

    2017年05月12日

    集合と要素の個数


    今回は、「集合」の話。
    「集合」は、私が子どもの頃は、中学1年生の最初に学ぶ内容でした。
    現在は、高校1年生で学ぶ内容になっています。
    数Ⅰでも数Aでも出てくるちょっと特殊な単元です。
    数Aの最初に少しだけ出てくるのは、「集合」の基本的なことを知っておかないと、数A「場合の数と確率」の考え方の中で理解できないことがあるからでしょう。
    数Ⅰでは「命題の真偽」「十分条件と必要条件」「対偶による証明」「背理法による証明」などとともに学習します。

    用語も時代によって改められてきました。
    例えば、A∪Bの、「∪」という記号。
    私が子どもの頃は、「むすび」と読みました。
    「むすび」の「む」の字の形が、∪の文字と似ているので、それで覚えましょうなんて覚え方がありました。
    現在、「A∪B」は、「AカップB」と読むか「AまたはB」と読みます。
    「カップ」と気取って読むと格好いいのですが、意味が伝わってこないので、結局、「∪」と「∩」の区別がつかなくなって混乱する子がいます。
    カップは、マグカップ、大きくてなみなみとたくさん入っているほうだよー、と印象づけて覚えれば何とかなるでしょう。
    「A∩B」は、「AキャップB」あるいは「AかつB」と読みます。
    昔、これは「まじわり」で、「交」という漢字の下の部分と同じ形、というイメージで覚えました。
    今は、キャップは「鉛筆などに使うキャップ。マグカップと比べると狭いほう」というイメージで覚えると良いでしょう。

    集合の基本を学んだ後に学ぶのが、ド・モルガンの法則。
    オーガスタス・ド・モルガン。
    19世紀のイギリスの数学者です。
    ネットで、 ̄(オーバーライン)を文字の上に描く方法がわからないので、かなり伝わりにくい話になりそうですが、できるだけ言葉で説明すれば、

    A∪Bの補集合、つまり「AまたはB」の否定は、
    Aの補集合とBの補集合の共通集合、つまり「AでなくかつBでない」と等しい。

    A∩Bの補集合、つまり「AかつB」の否定は、
    Aの補集合とBの補集合の和集合、つまり「AでないかまたはBでない」と等しい。

    わかりにくいので、言葉で説明すれば、
    全体集合をクラスの生徒全員とした場合、
    Aは「スマホを持っている」人の集合。
    Bは「パソコンを持っている」人の集合。
    とするならば、
    「スマホまたはパソコンを持っている、ということはない」という内容と、
    「スマホも持っていないしパソコンも持っていない」という内容は、等しい。

    「スマホを持っていてかつパソコンを持っている、ということはない」という内容は、
    「スマホを持っていないか、またはパソコンを持っていない」という内容に等しい。

    うん、それはそうですよね。

    個数の少ない簡単な集合なら、ド・モルガンの法則なんか使わなくても、そのままで解けるのですが、個数の多い集合の、その個数を求める問題になると、この法則を使わないと混乱が起こります。

    たとえば、こんな問題。

    U={x|xは100以下の自然数}を全体集合とする。その部分集合を、
    A={x|xは2の倍数} , B={x|xは3の倍数},
    とするとき、「Aの補集合またはBの補集合」の個数を求めよ。

    これをまずはこのままで解こうとすると、
    Aの集合の個数は、100÷2=50。
    すなわちn(A)=50。
    よって、Aの補集合の個数は、100-50=50。
    Bの集合の個数は、100÷3=33あまり1。
    すなわちn(B)=33。
    よって、Bの補集合の個数は、100-33=67。
    それでは、Aの補集合またはBの補集合の個数は?
    単純に50+67=117として良いかというと、全体集合の個数を上回っていることからもわかる通り、これは、Aの補集合とBの補集合の共通部分をダブって数えてしまっています。
    ここから、Aの補集合とBの補集合の共通部分を引かねばなりません。
    Aの補集合とBの補集合の共通部分とは、すなわち、2の倍数でも3の倍数でもない数です。
    2の倍数でも3の倍数でもない数?
    そんなのどうやって計算したら良いのでしょうか?
    試しに1から6までで考えてみましょう。
    1,2,3,4,5,6
    この中で、2の倍数でも3の倍数でもない数は、1と5の2つです。
    今後もこの周期で、2の倍数でも3の倍数でもない数があらわれるでしょう。
    6個に2個。
    100÷6=16あまり4
    16周期あまり4だとわかります。
    1周期に2個だから、
    2×16=32
    最後のあまり4の中にも2の倍数でも3の倍数でもない数が1個ありますから、
    32+1=33
    これで、2の倍数でも3の倍数でもない数は33個とわかりました。
    したがって、Aの補集合またはBの補集合の個数は、
    50+67-33=84
    84個が答えです。

    答えを出せないことはないけれど、面倒くさいです。

    これ、ド・モルガンの法則を使えば、簡単です。
    Aの補集合またはBの補集合は、A∩Bの補集合です。
    まず、A∩Bの個数を求めます。
    これは、100以下の自然数のうちの6の倍数の個数に等しいです。
    100÷6=16あまり4
    つまりn(A∩B)=16
    したがって、それの補集合の個数ですから、
    100-16=84
    答えは、84個です。
    簡単ですねー。ヽ(^。^)ノ

    そんなわけで、ド・モルガン万歳です。
    法則とか公式にアレルギーの強い高校生は、何を教わっても利用しようとせず、地道に解こうとして失敗します。
    法則・公式は使いましょう。
    特に、集合がA、B、Cの3つになったとき。
    n(A∪B∪C)=n(A)+n(B)+n(c)-n(A∩B)-n(B∩C)-n(C∩A)+n(A∩B∩C)
    の公式は、絶大な威力を持っています。
    これを使わず、ベン図にあれこれ書き込んで解こうとすると時間ばかりかかってミスしやすいので気をつけたいですね。




      


  • Posted by セギ at 13:58Comments(0)算数・数学

    2017年05月01日

    不等式の範囲に関する問題。


    さて、今日はこんな問題から。

    問題 次の連立不等式にあてはまるxの値のうち、整数のものが5個あるときの、aの値の範囲を求めよ。
    5x-4≦3x+10
    3x-2a≧3

    「方程式・不等式」の単元でも、関数の単元でも、xやyしか出てこない問題なら解く子が、他の文字、aやmやtが問題文に出てきた途端に、全く手をつけなくなることがあります。
    問題が何を言っているのか、わからないと言うのです。
    xやyに対する認識もふわふわしている場合、他の文字まで対応できないのかもしれません。

    しかし、上の問題の場合、とにかくやれることがありそうなのですが、それもやろうとしないのは残念です。
    無論、単純な計算問題ではありませんから思考力は問われますが、見ただけで諦めている様子の子が多いのです。
    子どもは、解き方の最後まで見通せないと、1行も答案を書きださないことがあるんですが、そんなことをやっていたら応用問題は解けるようになりません。
    とにかく、今できることは何かを考えましょう。
    1つ目の不等式は、aを含んでいないので、普通に解けることに気づくはずです。
    できることをまずやってみると、問題がほぐれてきます。

    5x-4≦3x+10
    2x≦14
    x≦7

    さて、次にどうしましょうか?
    下のほうの式も、解けるだけ解いてみたらどうでしょうか?
    3x-2a≧3
    3x≧2a+3
    x≧2/3a+1

    よって、xの範囲は、
    2/3a+1≦x≦7
    とわかります。

    最初の問題文に戻ると、xの整数値は5個あるとなっています。
    具体的には、3,4,5,6,7がその整数値でしょう。
    ということは。
    2/3a+1という上の左辺を1つの数ととらえたとき、その数が2であったら、xの整数値に2が含まれてしまいます。
    ですから、左辺は2よりは大きいことが必要です。
    また、左辺が3より大きくなってしまうと、xの整数値に3が含まれなくなってしまいます。

    ゆえに、上の不等式から、
    2<2/3a+1≦3
    という新しい不等式を導くことができます。
    これを解いて、
    1<2/3a≦2
    3/2<a≦3

    これが解答です。

    応用問題への姿勢は、子どもによって大きく違ってきますが、代表的なのは2つのタイプです。
    1つ目は、応用問題を見た途端に、もう解くことは諦めてしまう子。
    小学生からそういう傾向は表れます。
    文章題となると、もう全く解かないし、解かなくてもいいと思っている子がときどきいます。
    文章題を解かなくても、計算問題だけ解けば、小学校のカラーテストなら70点から80点くらいは取ることができます。
    あるいは、以前に何度も書きましたが、
    「今はかけ算を勉強しているんだから、かけときゃいいんでしょう?」
    という判断で式を立て、それで正解しているだけの子もいます。
    それで、そこそこ算数はできると満足しています。

    保護者の方も、その点数で「まあまあできているんじゃないの」と思ってしまい、中学受験を考えて塾に入れたりしますと、ここから悲劇が始まります。
    中学受験の受験算数は、入試に出る計算問題は2題程度です。
    あとは、全て文章題です。
    「1行問題」と呼ばれる易しい典型題さえ、そういう子にとっては、難解な応用問題です。
    だから、塾から出される宿題は、ほとんど解けません。
    また宿題をやっていないと怒られたって、わからないんだから解きようがない。
    なんで自分に解けと言うのか、意味がわからない。
    ちょうど反抗期と重なっていることもあり、大人の言うことには内心で全部反抗しています。
    結果、塾に3年通っても、線分図の描き方1つマスターできない子もいます。

    「わからない」と本人は言いますが、わかろうとしているかどうかは、かなり怪しいです。
    受験が近づくと、さすがに入試に落ちるのは嫌だと思うからなのか、以前は解かなかった問題を解くようになりますから。
    わかろうと努力すればわかることも、実はかなりあるということでしょう。
    意欲の問題が大きいのです。
    わかるのなら、最初からこれくらいの意欲で3年間学習すれば良かったのにね、と思うのですが、後悔先に立たずは子どもの常です。

    これは「カラーテストの点数が80点では中学受験は無理」というような単純な話ではありません。
    その80点の取り方の話です。
    問題を解く本人の姿勢の問題です。
    応用問題は、自分には解けないもの。
    そういう限界を決めていない子なら、今がどうであれ伸びていく可能性はあります。

    応用問題への態度としてよくある、もう1つのタイプ。
    これは、応用問題の典型題ならば解けるタイプです。
    応用問題も、教科書や参考書の例題として解説されているものは典型題です。
    典型題として認識し、解法パターンを記憶すれば、解けるようになる子は多いです。
    そういう子は、よく勉強し、努力もしているので、中学生ならば、定期テストの成績は良いことが多いです。

    しかし、入試問題はそのような典型題ばかりとは限りません。
    私立の学校では、学校の方針として、あえて典型題ばかりで入試問題を構成し、努力しているかどうかを評価する場合もありますが、見たことのないタイプの応用問題を入試に出す学校も多いです。
    本当はそれも典型題を2~3種類組み合わせた問題であり、全く新しい問題というわけではないのですが、子どもが「この問題は前に解いたことがある」と感じる種類の問題ではありません。
    高校入試でも、都立自校作成校の数学の問題は、後半は全てそのような問題になります。
    見たことのある問題、解いたことのある問題しか解けないタイプの秀才は、都立自校作成校の問題にはほとんど歯が立ちません。
    もっとも、都立自校作成校の数学の過去問は100点満点で30点から40点しか取れないとしても、合格の可能性がないわけではありません。
    他の受験生も大半がそんなものだからです。
    とにかく高い内申を取ることと、他の科目で取れる点を確実に取ることを実行できれば、数学が30点でも自校作成校に合格は可能です。

    しかし、それは数学的には敗北しているということです。
    上のよくある2パターンではなく、第3のパターンに進みたいですね。
    「初見の応用問題を自力で解くことができる」
    そういう、本物の学力を持ちたいものです。

    そのためには、普段から応用問題への姿勢を変えていく必要があります。
    解法をすぐ見て、解き方を覚えるのではなく、まずは考えてみたいです。
    自分で何とかしようとすることが大切です。
    上の問題で言えば、与えられた連立不等式のうち、1本はすぐ解けるのだから、とにかく解いてみること。
    2本目もどうなるかわからなくても、とりあえず解いてみること。
    解けないのかもしれなくても、試行錯誤をしてみること。
    やれることをとりあえずやってみると、その先のステージに進むことができ、そこから何ができるかを考えることができます。
    途中で詰まってその先に進めないことも多いかもしれません。
    でも、いつかは最後までたどりつけます。
    そういう姿勢で練習を繰り返すことで、初見の応用問題を解けるようになっていきます。

    解き方がわからないと、全く手が動かない。
    最後まで解ける見通しがないと、1行も答案を書かない。
    答案は白紙で、何もやった跡がない。
    解説を聞いて納得し、同じ問題は解けるようになるが、また別の応用問題には立ち往生。
    毎回、その繰り返し。
    それでは、入試問題を解けるようにはならないと思います。

    「だって、どうやるのか、本当に全くわからない」
    そういう声も聞くのですが、そういう子は、何かを考えている様子が見られないことが多いです。
    考えている様子はなく、ただ困っているようです。
    そして、私がしびれを切らして説明するのを待っています。
    そんなふうに見えてしまうことが多いのです。
    できることの選択肢が頭の中にザッと並び、それを取捨選択している気配が目の色にうかがえないのです。
    これは感覚的なものなのですが、目が意識の内側を向いているように見えるとき、この子は本当に考えているという手応えを得ることがあります。
    全く動きはないが、この子は考えている。
    分析と判断を、今、繰り返している。
    そういう表情というのは、確かにあります。
    考えているふりをしているときの表情とは本質的に異なるものです。
    「考えているふり」の表情を作っても、せいぜい1分しかもちませんし。
    人間、本気で考えている場合、5分なんてすぐに過ぎますし、本人の体感ではそんなのは30秒にもならないのですから。


    「何をどう考えていいのか、わからない」
    これももっともな話なのですが、まず「今、何ができるか」を考えることから始めてみましょう。
    応用問題を解ける人は完全に最終解答まで見通して問題を解いている。
    そのように誤解している子は多いですが、解き方を知っている問題を解くのでない限り、そんなことはほとんどありません。
    最後までは見通せないまま解きだしている場合が多いのです。
    とにかく、できることをやってみる。
    整理できることは整理する。
    どうゴールするかを考えるのではなく、とにかくスタートすることから始めてほしいと思います。
    上の問題で言えば、まず1つ目の不等式を解いてみることを発想できるかどうか、だと思うのです。



      


  • Posted by セギ at 12:56Comments(0)算数・数学

    2017年04月20日

    1次不等式の文章題。



    不等式。
    昔は中学2年生で学習する内容でしたが、「ゆとり教育」の時代に高校の学習内容に移り、新課程になってもそのまま高校数Ⅰの学習内容となっています。
    高校数学としては易しいと思うのですが、ケアレスミスのなくならない単元でもあります。
    例えば、こんな計算問題です。

    2-3x>2x-8
     -5x>-10
        x<2

    両辺を-5で割るので、不等号の向きが逆になります。
    負の数の絶対値の大小関係からそうなるのですが、何で逆になるのかよく理解できないまま「そういうものだ」と丸暗記して、結果、すぐ忘れてしまうミスが目立つところです。

    さらに難しいのは、文章題。
    苦手な人が多いです。
    たとえば、こんな問題です。

    ある商品をA店で購入すると、1個につき10%値引きしてくれます。同じ商品をB店で購入すると、最初の1ダースは定価ですが、それより多い個数については、1個につき17%値引きしてくれます。何個以上購入するとき、B店で購入するほうが安くなりますか。

    x個購入するとして、不等式を立てます。
    (A店での購入金額)>(B店での購入金額)
    という式になれば良いですね。
    しかし、ここで困るのは、1個あたりの定価がわからないこと。
    そういうときは、それも文字にしてみると関係がスッキリします。
    多分、その文字は2行目で消える。
    慣れてくるとそういうことも判断できますが、その判断ができなくても、とりあえずやってみることが大切です。

    1個あたりの定価をa円とします。
    A店では10%値引きしてくれるので、1個0.9a円となります。
    それをx個買うので、購入総額は、0.9ax円。
    いっぽうB店は、1ダースまでは定価です。
    たまに、ダースという単位を知らない高校生がいます。
    1ダースは12個です。
    ダースやカートンは普段使わない単位なので、仕方ない面もありますね。
    ダースは鉛筆で、カートンはタバコでしか使わないイメージが私にもあります。
    流通業界では、きっと今も高い頻度で使っているのだと思うのですが。

    とりあえず、1ダース分の購入金額は、12a円。
    全部でx個買うのですから、値引きされる個数は(x-12)個となります。
    17パーセント値引きされるので、1個の金額は0.83a円。
    よって、値引き分の購入金額は、0.83a(x-12)円。
    したがって、B店での購入総額は、12a+0.83a(x-12)円。
    これで不等式を立てることができます。
    0.9ax>12a+0.83a(x-12)   
    予想通り、全体をaで割れば、aを消すことができます。
    0.9x>12+0.83(x-12)
    あとは、これを解くだけです。
    全体を100倍して、
    90x>1200+83(x-12)
    90x>1200+83x-996
    7x>204
    x>204/7
    x>29+1/7
    よって、30個以上買えばB店のほうが安くなります。

    以前、この問題を解説していて、興味深い質問を受けたことがあります。
    x個買うのではなく、x個以上買うのだから、式で使う個数はx個と決めつけるわけにはいかないのではないかというのです。
    (x+1)個かもしれないし、(x+2)個かもしれないのに、x個と決めることはできない。
    でも、そうすると、左辺・右辺の値が場合によって変わる気がする。
    どうやって、不等式が立てられるんですか。
    その子は、そう言うのでした。

    「x個以上買う」のではなく、「x個買う」のです。
    不等式を解いた結果、xの範囲が不等式で表れて、何個以上買えばよいかわかるのですよ。
    そう説明しても、スッキリした顔はしていませんでした。

    その子の論はいわゆる「詭弁」でしょう。
    アキレスと亀に代表される、あれですね。
    数学よりも哲学の匂いがします。
    面白いなあと思いました。

    数学が苦手な子の多くは、なぜわからないのかを語る言葉を持ちません。
    だから、たまにこういう刺激を受けると、私はわくわくします。
    ただ、こうした詭弁に取り付かれてしまった子に正しい解き方を理解してもらうのは、まっさらな状態の子に教えるよりも数倍難しいのですが。

    これも昔、大人の方で、就職関係の試験に数学があるのに数学がとても苦手で、過去問を入手したけれど答しか載っていなくて解き方がわからないというご連絡をいただき、1回きりの個別指導をさせていただいたことがあります。
    その方は、計算問題ならば自力で解けるのですが、文章題で苦戦されていました。

    「8%の食塩水と14%の食塩水を混ぜて、12%の食塩水を300g作ります。8%の食塩水を何g混ぜれば良いですか」

    連立方程式で解いても良いのですが、xとyと、2種類も文字が出てくると、その計算方法から練習しないといけなくなります。
    xだけの1次方程式で解こうと私は判断し、説明を始めました。
    「求めたい8%の食塩水をxgとします。そうすると、14%の食塩水は、(300-x)gと表すことができますね」
    「えっ、何でですか?」
    「えっと・・・・・・」
    「300って、どこから出てきたんですか?」
    「ああ。混ぜたら300gと、問題に書いてあるので、それを使っています」
    「あっ。だったら、8%の食塩水も、(300-x)gじゃないんですか?」
    「あ。そのときは、14%の食塩水のほうをxgとしていますよね。今は、8%の食塩水をxgとしています」
    「え?」
    「どちらも、(300-x)gとしてしまうと、じゃあ、xは何なんだという話になりますよね?」
    「え?そうですか?」
    「うーん・・・・・」

    こういう対話をしているとき、私は、内心でワクワクしています。
    面白いなあ、と感じています。

    子どもの多くは、文章題が苦手です。
    立式できません。
    でも、何が頭の中で詰まっているのか、教えていてよくわからないことがあります。
    「何がわからない?何で困っている?」
    と問いかけても、子どもの多くは、黙り込んでしまいます。
    思っていることを口にして、バカにされないか。
    叱られないか。
    そういう迷いもあるかもしれませんが、何よりも、子どもは自分が思っていることを表現する力が足りません。
    多くの場合、何をどう考えているか説明する言葉を持っていないのです。

    自明の理のように感じられることのどこに誤解の要素があるのだろう。
    そのことを照らし出してくれるのは本当にありがたいです。

    また別の問題で、
    「ある商品の3割の値段と書いてありますから、定価×0.3となります」
    と説明しますと、
    「えっ。3割は、×0.7じゃないんですか」
    「あ。それは、3割引きの場合です。今は、ある商品の3割の値段となっていますから、×0.3なんです」
    「えっ。3割って、0.7のことじゃないんですか」
    「あー・・・・・・」
    「ああ、そうか。いつもいつも3割引きって計算しているから、もうそこが頭の中でつながってるんだ」
    「ああ、そうかもしれません」

    こういう1つ1つの誤解が、本当に面白くて、忘れがたい90分でした。
    私自身が、すごく勉強になったと感じました。

      


  • Posted by セギ at 14:18Comments(0)算数・数学

    2017年04月13日

    対称式の計算と、数学の成績がなかなか上がらない理由。


    対称式の計算について、まずは考えてみましょう。
    対称式とは、文字を入れ替えても値の変わらない式のことです。
    例えば、x+y。
    xとyを入れ替えても、値は変わません。
    x2+3xy+y2
    などもそうです。
    その中で、x+yとxyの2つを特に基本対称式と呼びます。
    この2つを利用した計算問題は、高校数学の各単元で繰り返し出てきます。

    問題 x+y=5、xy=3のとき、x2+y2の値を求めよ。

    x+y=5
    これをまずは2乗してみます。
    (x+y)2=25
    これを展開すると、
    x2+2xy+y2=25
    xy=3を代入して、
    x2+6+y2=25
    よって、
    x2+y2=19

    答案としては、
    x2+y2=(x+y)2-2xy
    として一気に代入して計算してOKです。

    そんなに難しくないはずなのですが、高校生の中に、これを、
    「わからない」
    「わからない」
    と言い続ける子がいます。

    勝手に(x+y)を2乗して、2xyを引くことで辻褄を合わせるやり方に納得がいかないのでしょうか。
    存在しないものを勝手に足して、その上で同じものを勝手に引いて、ほら解けた、というやり方が釈然としないのでしょうか。
    存在しないものは勝手に足してはいけない、そんなやり方はありえない、という思い込みが他の人より強いのかもしれません。

    もう1つのタイプは、理解できないことはないけれど、自分で実際に解くときにそのやり方を使える自信がない。
    存在しないものを思いつける気がしない。
    そうした未来への不安に襲われ、わかるんだけどわからない、となってしまう子でしょうか。
    説明したことがわからないのかと私は思い、もう1度説明するのですが、解決はつきません。

    結局、説明はわかっているんです。
    あとは精神的なもので、未来に自分で使えるかどうかなんて、今考えても仕方がないことに不安になって「わからない」と言われても、それは私もわかりません。
    とにかく練習してみましょう、練習して様子を見ましょう、手を動かしてみなければ何も始まりませんよと私は言うのですが、そういうタイプの子は、失敗するのが嫌いなのか、完全に出来ると確信してからでないと練習しようとしないのです。
    他人の前で間違えたくない、失敗したくないというプライドがあるのかもしれません。
    励ましたりなごませたり、いろいろと別のアプローチが必要となってきす。

    高校数学は、多くの子どもにとって気持ちの負担なのだと感じることは多いです。
    中学まではそれなりに理解できたのに、高校数学になって全くわからなくなる子がいます。

    1つには、練習量の問題があるのでしょう。
    数学が得意な子が5分で解く問題。
    しかし、計算の遅い子は、1問に15分くらいかかってしまいます。
    計算過程が複雑なので、計算力に不足のある子は、高校数学になるとかなりもたつくようになるのです。
    ノートを覗き込んで確認すると、何でこんな面倒なやり方をわざわざ選んでいるんだろうと首をひねらざるを得ない、遠回りで計算ミスをしやすいやり方を選んで計算している場合が多いです。
    約分、通分、計算の簡略化、( )をいつ開くか、全てにおいて、計算のセンスが少しずつ悪いのです。
    どうでも良いところをもたもた丁寧に書いていくのに、そこを省略したらミスをしやすいでしょうというところで暗算したりもします。
    遠回りでも正解ならまだ良いのですが、バランスの悪いやり方をしていますから、どこかで計算ミスをしてしまいます。
    それの直しに、また15分くらいかかります。
    結局、数学が得意な子が5分で解く問題に、合計30分かかります。
    1問に6倍の時間です。

    ということは。
    数学が得意な子が週に3時間勉強するとして、同じ量の勉強をするために、数学が苦手な子は6倍の18時間必要となります。
    1週間に18時間、数学を勉強する。
    理屈では可能ですが、現実には無理でしょう。
    他の科目の勉強もありますし、やりたいこともあります。
    でも、1週間に18時間勉強していかない限り、数学の得意な子との差は、どんどん開いていくばかりです。
    数学が得意な子が週に3時間勉強している学習量をそうしないとこなせないということなのですから。

    数学が苦手な子がどんどん数学がわからなくなっていくのは、このように端的に学習量が足りないことに原因があります。
    解いている問題数が、定着するには足りないのです。
    反復もほとんどできないですから、覚える量より忘れる量のほうが多いでしょう。
    数学がわからないのは、理解力がないからではなく、前提となる既習の知識を忘れてしまっているからという場合は少なくありません。

    計算力のない高校生は、学校から渡されている教科書準拠の問題集をテスト前に1回解くだけで精一杯で、余力がありません。
    学習量を増やすために、「塾は塾のテキストを宿題に出しますよ」と言っていると、テスト前になって、学校の問題集が終わっていない、テスト当日に提出しなければならないのに、と生徒に言われて頭を抱えてしまうことがあります。
    毎週の塾の宿題は締め切りがあるので、とにかくそれを優先した結果、定期テスト前が提出期限の学校の問題集は手つかずのまま放置されてしまうのです。
    学校の問題集と、塾のテキストと、復習用に自分で買った問題集と、3つくらい並行して解くのが当たり前でしょう、なんて言っても通用しません。

    18時間は無理でも、最善を目指しましょう。
    やっているうちに、少しずつ速くなります。
    少しずつ能率が上がります。
    計算のやり方で助言されたことを実行に移し、改善していくことも必要です。
    テクニック1つで激変することもありますからね。

    短い時間で効果的な学習。
    そんなことが良く言われますが、それは、現在既に能率の良い学習が可能な場合の話でしょう。
    不器用な子は、どうしても時間がかかります。
    現在の自分はどうにも不器用だと自覚したら、時間をたっぷり投じる覚悟をしましょう。
    耳ざわりの良い情報に惑わされて、人生を無駄にしないでください。
    時間をかけなければ結果はついてこないこともあると思います。

      


  • Posted by セギ at 14:54Comments(0)算数・数学

    2017年04月07日

    絶対値の難しさ


    絶対値は、中学1年の最初の単元、「正負の数」で学習する内容です。
    しかし、正しく把握している子はわずかです。
    「絶対値って何だっけ?」
    と質問したときに、多くの中学生はこう答えます。
    「数字の符号のないやつ」
    まあ、何も答えられないよりは、そんなことでも答えられるほうがずっといいのですが。

    絶対値の定義はこうです。
    「数直線上の原点からの距離をその数の絶対値という」
    距離は負の数ではないので、だから、絶対値は全て正の数です。

    この説明で覚醒し、目を輝かせる子もいるのですが、「数直線」と聞くとむしろ顔が曇る子も多いです。
    「数直線、嫌い」
    と言うのですが、何で数直線がそんなに嫌いなのかは謎です。

    1つには、小学校で学習する線分図と混同しているせいかもしれません。
    受験算数の線分図は洗練されたわかりやすいものですが、小学校の教科書に載っている「線分図もどき」は、わかりやすいことをむしろわかりにくくしているような印象があり、私もあまり好きではありません。
    あんな図を使わなくても解けますし。
    数量を線の長さで表すというのは1つの抽象化で、その仕組みが一度で理解できれば理解の助けになるでしょうが、そうでない場合、問題の数量関係を理解するためにさらにハードルを上げるだけの結果になりかちです。

    受験算数の線分図は、挿絵ではなく、あれが解き方そのものです。
    線分図を使わなければ解けない問題で線分図を使うことで、初めてその良さがわかるものです。
    そうでなければ、良さがわからないのは仕方ないことだと思います。

    しかし、数直線はそもそも線分図とは関係ありません。
    数直線は、むしろ、関数と関係の深いものです。
    数直線は、関数のx軸だけが描かれているものと考えることができます。

    高校生になると、その学校の学力レベルによっては、絶対値の学習は省略します。
    絶対値を含む方程式・不等式。
    絶対値を含む関数とそのグラフ。
    易しい内容だけを学習する高校は、それらは全て省略することがあります。
    どれだけかみくだいて説明しても、理解できる可能性は少ない。
    そういう判断だと思います。

    根本の単純な話で言えば、
    a<0のとき、0<-a 
    これが理解できないことが、絶対値の理解を阻む主な要因でしょう。
    こんな書き方もできます。
    a<0のとき、a<-a
    これに対し、
    「え?」「え?」「え?」
    と全員がなってしまうと予想される場合、この学習内容は省略しますよね・・・。
    -aは、負の符号がついているから、負の数だ。
    そんなことを言い張る高校生と30分話し合い、どうにも解決がつかなかったことが私にもあります。

    そういう混乱の芽は中1の頃からあります。
    a+b、a-b、abなどの値の正負から、aの正負、bの正負を判定していく問題があります。
    その中で、aが負の数だとわかると、「-a」とメモする中学生がときどきいます。
    「それは違うよ。aが負の数なら、-aは正の数になるんだよ」
    と説明しても、直さない子がいます。
    「でも、こう書いたほうがわかりやすい」
    「文字自体に符号が含まれているんだよ」
    「わかってる」
    「わかっていたら、そういう書き方はしないよ」
    「大丈夫」
    こんな会話を交わした子が何人かいましたが、どの子も、高校生になると数学がどんどんわからなくなっていきました。

    文字が数を表すことにそもそも違和感があり、その文字が符号を含んでいることには思い至らないのかもしれません。
    符号と計算記号との関係が理解できていないため、全ての数字が符号を含んでいるのだと理解できていない場合もあるでしょう。
    理由はいろいろ考えられますが、小学校の算数から中学の数学への移行がスムーズに行かなかったことが原因となっている子は多いです。
    素質のある子が思いがけない誤解をしている場合があります。
    中学数学の最初は特に丁寧に勉強を見てあげてください。
      


  • Posted by セギ at 14:39Comments(0)算数・数学

    2017年02月16日

    数学と男女差。


    以前、何となくテレビを眺めていましたら、ある脳科学者が、数学は男女別の教育が有効だという話をしていました。
    それを補足する形で、
    「男子は数学を知識で解き、女子は数学を計算で解く」
    と言うので、え、どういう意味だろう、もっと詳しく聞きたい、と思ったのですが、そういうことをより詳しく語るよりも、笑いに変えて終わるバラエティ番組でしたので、その件はそれっきりで終わってしまいました。

    うーん、どういうことだろう。
    それ以上の情報がないので、発言者の真意は謎のままですが、そこから色々と考えてしまいました。

    絶対にそうだと言えることではないですが、傾向としては、学校で習うものよりワンランク上の公式や裏ワザは、男子のほうが好きかもしれません。
    例えば、中学レベルの関数の、放物線と交わる直線の傾きを求めるための式。

    放物線 y=ax2 と直線との2つの交点のx座標がそれぞれp、qであるとき、その直線の傾きは、a(p+q) である。

    というものです。
    これの説明はそんなに難しいものではありません。

    放物線 y=ax2 と直線との交点をA、Bとします。
    Aのx座標がpならば、Aは放物線上の点でもあるのですから、y座標はap2です。
    同様に、Bのx座標がqならば、y座標はaq2です。
    直線の傾きの定義は、yの増加量/xの増加量 ですから、それに当てはめれは、この直線の傾きは、(aq2-ap)/(q-p)
    この分子を因数分解すると、
    aq2-ap2
    =a(q2-p2)
    =a(q+p)(q-p)
    これは、分母と約分できます。
    よって、傾きは、a(q+p)=a(p+q) となります。

    この公式は、学校では学習しませんが、学校の教科書やワークの発展問題にチラッと出てくることがあります。
    全員が理解する必要はない内容です。
    これを教えると喜んで使うのは秀才男子です。
    一方、秀才女子は、
    「それ、普通に解いてもいいんでしょう?」
    と訊いてくることがあります。
    「普通に解いてもいいけど、計算式が必要になるよね。この公式なら暗算で出るね」
    と説明しても、
    「でも、普通に解いてもいいんですよね?」
    という反応になりがちです。

    秀才だけの話ではなく、勉強が苦手な子たちにもこの傾向はあるように感じます。
    先日、小学生の男子に算数を教えていたときのことです。

    80×25×4を工夫して計算しなさい

    という問題で、その子は、800という答えだけを書いていました。
    「ん?どういうこと?」
    と問いかけると、その子は、
    「昔、とてもいい先生がいて、25×4は100だって教えてくれたんです」
    と応えました。
    「・・・・・はあ。で、『工夫して計算しなさい』と書いてある問題なのに途中式を書かないのは、なぜ?」
    「・・・・」
    「しかも、その答え、間違っています」
    「え・・・・」

    何よりまず与式を書き写しなさいと指示しながら、内心私が感じていたのは、25×4=100を先に計算するという工夫を教えただけで「とてもいい先生」と呼ばれるなんて羨ましいなあということでした。
    (^-^;
    いや、それは、順番が逆なんでしょう。
    「とてもいい先生」が教えてくれたことだから、その子の心に残ったのだと思います。
    一方、うちに入塾して以来、基礎訓練を繰り返し、あらゆることを改善して、テストの得点は倍増しているのですが、おそらく、この子は私を「とてもいい先生」とは思っていない。(笑)
    だからといって、あなたの言う「とてもいい先生」は、九九を正しく覚えることやノートの書き方は教えなかったんですかね、と嫌味を言うのは、あまりにも器が小さいですし。
    というよりも、こういう状況になると、何か自分の立場がおかしくて苦笑してしまいます。
    損な役回りだとしみじみ笑う。
    ヽ(^。^)ノ

    基礎学力にブレのある子は、計算の工夫を使い間違えたり、結局、暗算でミスをしたりすることが多いのですが、それでも、男の子は計算の工夫や裏ワザが好きなのかもしれません。
    一方、女の子は、中学受験生であっても、0.25=1/4と一発変換できず、25/100=5/20=1/4と約分することをやめられない子もいます。
    0.25=1/4、0.125=1/8 程度のことをいちいち計算するので、解き方はわかっているのに時間内に解けず、テストが終わってしまいます。
    困ったもんです。

    計算の工夫や発展的な公式が定着しないのは、男女差の問題ではなく、ただその子のキャパが限界に来ているのだろう、と考えることもできます。
    新しい公式を覚えて活用できなくなりつつある兆候です。
    発展的な公式や工夫に対して消極的な反応だった子は、中学までは数学も他の教科と同様によく出来ていても、高校数学に入ると新しい公式を消化しきれなくなる場合があるように感じます。
    問題を1題解くのに時間がかかるようになり、内容を理解しきれていないことからくる精神的な負担や動揺からか、つまらない計算ミスも増えます。
    計算ミスをすると、その直しにまた時間がかかるので、本人は数学の勉強に時間を割いているつもりでも、実際に解いている問題の数は少なく、演習不足に陥り、どんどん数学が苦手になっていきます。
    そうなってしまうのは、男子よりもやはり女子が多いかもしれません。

    もしかしたら、公式が覚えられないのではないのかもしれません。
    小中学校で学ぶ公式は、どうしてそれで求められるのか、すぐにその意味を把握することができるものが大半です。
    しかし、高校数学の公式は、パッと見ただけでは意味を把握しにくいものがほとんどです。
    証明を聞けばまあそうなのかもしれないとは思うものの、使うことに居心地の悪さや不安を感じるのが女子の傾向ということかもしれません。
    実感を伴わないものを使うことに対する居心地の悪さでしょうか。
    そんなものを使うくらいなら、地道に計算で解きたい。
    そういうことかもしれません。

    もう1つ例をあげれば、2次方程式の解の公式。
    これは、xの係数が偶数の場合の公式もあります。
    2次方程式 ax2+bx+c=0
    の解の公式は、普通のものは、
    x=(-b±√b2-4ac)/2a
    ですが、bが偶数のときは、1/2b=b'として、
    x=(-b'±√b'-ac)/a
    の公式を使うことができます。
    このほうが、最終的に約分をする手間も省けますし、扱う数字が小さいので計算自体も楽です。
    特に a=1のときは、解はいきなり分数ではなくなるので、計算過程は2行で終わります。

    ただ、解の公式を覚えたばかりで、それすらあやふやな子にこの2番目の公式を同時期に教えるのはむしろ混乱を招くのです。
    普通の解の公式に対しても気持ちがネガティブで、
    「学校でやったでしょう?」
    と確認しても、
    「あー、そんなのやった気がする。使わなくていいんでしょう?」
    などと言う子もいますから。
    解の公式を使わなければ解けない問題もあることがわかると、ため息をつきながらしぶしぶ練習を始める中学生は珍しくありません。
    だから、公立の中学校では2本目の公式は教えません。
    解の公式そのものが「ゆとり教育」の時代は指導内容から除外されていたのですし。
    まずは普通の解の公式をしっかり利用できるようになるだけで十分です。

    中学時代はそれでいいのですが、高校数学に入ると、この公式は2次方程式を解くとき以外にも部分的によく使います。
    解の公式のルートの部分、すなわち b2-4ac。
    判別式ですね。
    D=b2-4ac
    これは、「2次関数」でも「2次不等式」でも、ちょっと難しいと感じる問題ほどよく使う重要な式です。
    これも、先ほどのb'を用いて、
    D/4=b'2-ac
    とすることが可能で、こちらのほうが計算が楽です。

    高1で2次関数や判別式を学習する時点で、中3で解の公式を学習してからほぼ1年経っています。
    b'の式を覚えて使うことは可能です。
    もう混ざらないはずです。
    しかし、数学が苦手な子は、これを覚えないのです。
    特に女子は、中学時代は数学が得意だったはずの子も、なかなか覚えないし使わず、
    「使わなくてもいいでしょう?」
    と訊いてきます。
    「使います。学校の教科書に載っているでしょう?学校の授業でやったでしょう?複雑な計算になるほうの公式を使うと計算ミスをしやすいですよ」
    と助言しても、宿題はやはり使わないで解いてきて、計算ミスをしています。

    計算で解くからいいと言うけれど、計算力があるとは限りません。
    効率的な公式を使えないから計算で解く。
    計算力がないから間違える。
    そうなりがちです。

    計算ミスをしたときにスパッと思い切ることができないのも深刻な課題です。
    私がb'を使った式で解説しても納得せず、非効率なbを使った式のどこで自分が計算ミスをしたかにこだわり、ノートにごちゃごちゃ解き直します。
    しかし、結局、自分で計算ミスを見つけることができない子は多いです。
    仕方なく、煩雑になるほうの式で私が解いてみせるまで、その件は解決しません。
    無駄な時間が過ぎていきます。
    その子が遠回りな解き方をしたための計算ミスを直すことで90分の授業時間のほとんどが費やされてしまう場合、成績が上がる可能性はほぼ絶たれてしまいます。

    そして、そういう時間の使い方をしてしまう子は、やはり女子が多いです。

    公式が覚えられない。
    煩雑な計算をせざるを得ない。
    でも、計算ミスをする。
    ・・・・・それは、結局、女子のほうが男子と比べて数学ができないという話で終わってしまうのでは?

    いやいや、計算で解こうとする女子をいかに説得して公式を使わせるか、そこのところの指導技術が男子と女子とでは異なるべきだ。
    そういう話なのでしょう。
    数学が苦手な高校生の女子は、公式に対する意識を変えることが大切です。

    もう1つ言えば、解法テクニックを例題で理解すると、それが頭の中に知識として入り、別の問題でスパッと使える子は男子に多いように感じます。
    全体の傾向として、それはあるかもしれません。
    「チャート式数学」は、そういう意味で、男子に向いている問題集でしょう。
    あれは例題集・テクニック集ですから。
    女子は、もっと物語性のある参考書を読んで、何のために何をやっているのか、全体の構造を理解し納得したほうが良いのかもしれません。
    気持ちの上で納得し、公式や解法テクニックに対して親しい気持ちになることで解決のつくことがあるような気がします。

    しかし、ここまで述べたことは全て、個人差を無視した話です。
    うちの塾で今、最も数学のできる高校生は女の子です。
    定着していないだろうと私が勝手に推測していた解法テクニックを自ら次々繰り出して問題を解きます。
    私が、
    「さて、そろそろ終わりますよ」
    と声をかけると、
    「えっ。もう90分経ちましたか?」
    とびっくりして、半分夢を見ているような顔で顔を上げ、そして帰っていきます。
    自分が普通の2倍以上の問題を消化していることに気がついていないようです。
    彼女の様子を見ていると、無心という言葉を思い出したりします。
      


  • Posted by セギ at 14:25Comments(0)算数・数学

    2017年02月08日

    関数が苦手な子。


    中高一貫校は、中3でもう高校数学に入ります。
    一般的なスケジュールよりちょうど1年早い学校も多いですが、半年くらい早いカリキュラムの学校もあり、今は、数Ⅰの「2次関数」を勉強している子もいます。
    中3の「2乗に比例する関数」の放物線は、原点を通るものしか学習しませんが、高校数学の放物線は原点を通るとは限らず、座標平面上の色々なところに位置します。
    難しそうですが、原点を通る放物線からどのように平行移動したものであるかという発想で、その放物線の形を把握し、グラフを描いていくことができます。
    すなわち、
    y=a(x-p)2+q
    のグラフは、
    y=ax2
    のグラフをx軸方向にp、y軸方向にqだけ平行移動したものです。

    このことは、説明をしっかり聞けば理解できることですが、図や表を多用しますので、ここでは省略します。

    上のように、
    y=a(x-p)2+q
    の形に式を整理することを「平方完成する」と言います。

    ここで数学が苦手な子が陥りやすいのは、与えられた2次関数の式を平方完成することを忘れてしまうこと。
    大半の問題はとにかく平方完成してみないと何も始まらないのですが、その最初の一歩を忘れてしまうのです。

    高校数学の問題の中には、1行で終わるものも少なくありません。
    4行も5行もズラズラと書いてある中学の文章題に苦しんだタイプの子は、しかし、ここで気づくのです。
    1行しか書いていない問題のほうが怖い。
    何をどうしていいのか、全くわかりません。

    2次関数 y=2x2-ax+6 (-2≦x≦8) の最大値・最小値を求めよ。

    教科書や問題集の例題を常に見て、その通りになぞる形で類題を解いて、それでわかったつもりでいる子は、テストになって、たった1行のこの問題を見たときに、問題が何を要求しているのかわからず、呆然としてしまうことがあります。

    何をどうしたらいいのかわからない。
    そもそも、何を答えろと言われているのかわからない。
    関数の「最大値・最小値」って、何?


    「関数」に対するアレルギーの大きい子は多いです。
    中学生の頃から、「関数」についてモヤモヤしたものを抱いています。
    中1の「比例・反比例」も、中2の「1次関数」も、機械的な作業としてやり方だけ覚え、テスト前だけ何とか身につけてやり過ごし、結局、何だかよくわからなかったようです。
    問題が解けないわけではありません。
    宿題も、それなりに解いてきます。
    でも、わからないと言います。
    勉強がかなり進み、関数の利用に入った頃に訊いてきます。
    「関数って何?」
    「・・・・・・」

    「変数xとyがあるとする。xの値を決めると、yの値がただ1つに決まるとき、yをxの関数という」
    これが関数の定義です。
    しかし、こんな定義は、そういう子の前では無意味です。
    不快そうに顔をしかめてさらに訊いてきます。
    「そんなのどうでもいいから、関数って何?」

    そこで、一時期よく使われたブラックボックスの図を使って説明します。
    私自身も中学生のときに数学の先生から実際にその授業を受けました。
    70年代最新の教育技術だったようです。
    80年代に入り、『金八先生』でも、ブラックボックスの授業が行われた回がありました。
    国語教師である金八先生が、数学の先生の授業内容に口を出し、その先生の前で数学の授業をやってみせるという筋に、私は少し抵抗感がありましたけれど。
    金八先生の国語の授業は、教科書を読み聞かせては教師本人が感動して感想を述べるだけのものでしたので、
    「他人のことより、自分の授業の質を何とかしなさいよ」
    と感じていましたから。

    それはともかく、ブラックボックスの授業とは。
    ボードに箱の絵を描きます。
    あるいは、本当に黒い箱を用意すると、生徒はさらに興味を示します。
    例えば、この箱は、ある数を入れると、その数を2倍して3を足すという機能を持った箱。
    この箱の入口に、今、4という数字を入れると、出口から、11という数字がポロンと出てくる。
    この箱の機能が関数です。

    こういう実演型の授業は、ただ口で説明するだけ、ボードに書くだけでは興味を示さない子が、そこから関心を持ってくれる場合があります。
    私自身、数十年のときを経ても自分の受けた中学の関数の授業を覚えているということ1つとっても、印象の強さがわかります。
    とにかく、わかった気になるだけでも大切ですね。
    そこから全てが始まります。

    関数に関心を持たせるには、他にもいろいろ方法があります。
    英語で、関数は、function。
    それは、本来、「機能」という意味の英語です。
    「ほら、パソコンでFキーってあるよね。あれは、functionキー。機能キーというでしょう。あのfunctionだよ」
    こういう情報を、理解のとっかかりになるように付け加えます。
    自分の身近に、これから学ぶことが既に存在していたというのは、ちょっと印象に残りますよね。
    秀才ほど、そういう情報をつかんで、そこで記憶を深めるのが上手です。
    しかし、勉強の苦手な子がこういう場合にとる反応は主に2種類。

    ①また先生が知ってることだけしゃべってる、と思って聞き流すタイプ
    何でそういう見方をするのかわからないのですが、大人が知識を披露すると、知ってることをしゃべりたくて仕方ないんだなあと聞き流す子がいます。
    学校の先生でも、塾の講師でも、自分の知っていることをとにかくしゃべりたいタイプの人はむしろ少なく、生徒の知識の定着の助けになればと余談に関しても目的をもって話しているのですが、そういうことが理解できない子がたまにいます。
    大人に対して、うがった見方をしたいのかもしれません。
    授業の工夫を無にしてしまい、他の子が記憶しているのにその子だけ覚えていず、損をするタイプの子です。

    ②先生が言ったことをきっかけに思いついたことをしゃべりまくるタイプ
    「あ、Fキー、知ってる知ってる。あれがさあー」
    と、自分が経験したこと、知ってることをとにかくしゃべりまくる子。
    おしゃべりが好きな子に多いです。
    自分が話したいことをたくさん話して満足し、関数の話はどこかにふっとんで終わります。
    勉強が下手な子は、あらゆる場面で勉強が上手な子とちょっとずつ違うんです。

    話を戻して、関数についてのいろいろな説明を聞いて。
    それで理解できる子もいるのですが、わからない子はわからないままです。
    「関数って何?」

    質問がつたないので、よく伝わらないのですが、おそらく、そういう子は関数が何であるかを知りたいのではないのでしょう。
    「関数なんて、何の役に立つの?」
    質問の本当の形は、それかもしれません。
    自分が上手く理解できないものは役に立たないものであるとしたい心理も働いているのかもしれません。
    関数なんて無意味だから理解しなくて良いのだということにしてしまいたいのでしょうか。

    でも、それは間違っています。
    関数は数学の中でも実生活に直結している分野です。
    「関数は、役に立つものだよ。いろいろなことが関数で一発解決だよ」
    「嘘だ。関数なんか使わないよ」
    「使いますよ。エクセルは関数でしょう?」
    「何、それ」
    「・・・・・エクセルを知らないの?」

    うーむ。
    子どもの使うソフトではないかもしれませんね。


    「電卓だって、パソコンだって、広い意味で関数だよ」
    「は?何言ってんの?」
    だんだん機嫌が悪くなってきます。
    「そうして、予想通りのあなたの反応も、私の中では、関数だよ」
    「・・・・・腹立つー」


    さて、話がかなりそれましたが、「関数」にモヤモヤした違和感を抱いている子が理解できていないこと。
    それは、
    「yをxの関数という」
    ということ。
    すなわち、関数の最大値・最小値とは、yの値の最大値・最小値です。
    これ、わかっている人には、ごく当たり前のことなのですが、数学が苦手な子にくどいほどこのことを説明しても、なかなか定着しないのです。
    最大値・最小値に関する宿題を繰り返し出しても、
    「問題の意味がわからなかったー。関数の最大値って何ですかー?」
    と、翌週にこにこして白紙のノートを持ってきます。
    「・・・・せめて、平方完成をしてこようか?」
    「平方完成って何ですか?」
    「・・・・・うーん。とりあえず、そういう数学用語を覚えて、指示された内容を理解できるようになろうか?」

    数学が得意になるまでの道は長く険しいのです。

      


  • Posted by セギ at 13:47Comments(0)算数・数学

    2017年02月05日

    数学が苦手になる分岐点。


    今回も、「三平方の定理」の話から。
    三平方の定理そのものはそんなに難しくないのですが、実際の計算になると、平方根の計算に戸惑う子もいます。
    わからないのなら復習したら良いのですが、集団指導の場合は、そういうことに異様にプライドをぶつける子もいますね。

    例えば、こんな場面。
    三平方の定理を学習します。
    思ったよりも簡単です。
    久しぶりに数学でわかることが出てきた。
    そう思って機嫌よく解きだすと、しかし、平方根の計算が必要だということに気づきます。
    以前にやったことは身についていません。
    それでも苦心して何とか解いて、答えは、√32。
    それを見た先生に言われます。
    「平方根を整理して」
    ・・・・・何だよ、整理って。
    「a√bの形に整理して」
    「いいじゃん、これでも」
    「いや、これだと正解にはならないんだよ」
    「・・・・・なんでだよ!これでいいだろ!」
    そこで先生が、整理の必要性や整理の方法を説明しても、感情的になっていることもあって、もう耳に入りません。
    「わかんねえよ。だから数学なんか嫌いなんだよ」
    そうしてふてくされ、あとは寝たふり。
    机に突っ伏して、何もしようとしません。
    心の中では泣いているのかもしれません。

    やる気になったときに、早々に「もう取り返しはつかない」と感じるのは痛手です。
    本当は取り返しはつくのですが、しかし、それには忍耐が必要です。
    取り返すためには、かなりの年月努力しなければなりません。
    数学の場合、少し結果が見えてくるまででも半年から1年かかります。
    問題は、結果が出るまでの時間に耐えられるかどうかです。
    努力しているのに結果の出ない長い時間を耐えるのは、大人でも難しいのですから。

    「中2くらいから急に数学がわからなくなった」
    そう言って入塾する子は多いですが、本当に中2が分岐点だったのかというと、多くの場合は、それ以前に重大な分岐点を迎えています。
    しかも、本人が、それに気づいていない場合が大半です。

    小学校の算数の「割合」や「速さ」がわからなかったのに、ごまかしてやり過ごした。
    分数の四則混合計算ができないのに、小学校のテストにはそんなに出ないからあまり練習しなかった。
    実は九九で曖昧なところがある。
    こうした分岐点は、本人も保護者も把握している場合が多いです。

    むしろ、怖いのは中学入学時の数学です。
    中1の最初の数学で根本を理解できないまま、本人もそのことに気づかずやり過ごし、やがて学習に詰まってしまう場合があります。
    まずは「正負の数」、そして「文字式」。
    例えば、こんな問題です。

    2(4x-1)-6(5x-2)

    特に難しいものではありません。
    =8x-2-30x+12
    =-22x+10
    となりますね。

    しかし、中1の1学期に塾に通っていず、大人に途中式をきちんと見てもらった経験のない子の計算過程は、間違っているのではないのですが、微妙な違和感があることがあります。
    (8x-2)-(30x-12)
    と、まず、このように計算するのです。
    そして、その後、8xから30xを「ひく」のだから-22xで、-2から-12を「ひく」のだけど、それって、どうなるかというと、うーん、うーん、・・・・難しい。
    という計算過程を踏んでいます。
    つまり、
    2(4x-1)-6(5x-2)
    という式の真ん中の-符号を、「-6」という負の数と読んでいないのです。
    2(4x-1)と6(5x-2)との「ひき算」に見えているのです。
    中学生になっても、「プラス」「マイナス」という読み方が定着せず、「たす」「ひく」と言い続けている子にその可能性が高いです。
    中学生になったから恰好つけて「プラス」「マイナス」と英語で読んでいると誤解しているのかもしれません。
    読み方が変わったのには、重大な意味があるのです。

    2(4x-1)と6(5x-2)とのひき算ではありません。
    これは、2(4x-1)と-6(5x-2)とのたし算なのです。
    全てのひき算は、負の数のたし算として処理します。
    だから、「ひく」という言葉は使わないのです。
    そのように把握することによって、符号の決定はいちいち頭を通してうんうん考える必要のない、自動化した作業になります。

    どっちだっていいじゃないか、同じ答えが出るんだし、という感想もあるかもしれませんが、この把握ができていないと、計算に無駄な時間がかかる上に符号ミスが増えます。
    さらに、高校数学で、絶対値を含む方程式・不等式を解く際に、符号の処理を正しくできず、何を説明されても意味がわからない場合があります。

    中1の1学期の数学はさらに「方程式」という難関をくぐらなければなりません。
    以前にも書きましたが、方程式の発想は、小学校の文章題の発想とは異なります。
    小学校の文章題は、答えを求めるための式を立てます。
    しかし、方程式は、求めたいものをxとして、関係を表す式を立てます。
    式全体は、xではない他の数量を表しています。
    勘の良い子はこの違いを理解しますが、これが理解できず、方程式の文章題が全く解けない子が現れます。

    何とか式を立てることができる子も、その式の見た目が奇妙な場合があります。
    例えば、こんなふうです。
    3  ×  (   2   x   -   1   )  -  (   5   x   +   2   )  ×
    (   2   x    +   1   )   =   5   8   8
    6年生までマス目のノートを使っていた影響か、1つ1つの数字の間隔が空いていて1文字ずつが大きいため、方程式が2行にわたってしまう子がいます。
    右辺と左辺が明瞭でないため、この見た目では解くことができません。
    かけ算の記号を省略するのは「文字式」の単元の問題ならばできるのですが、自分で立てる方程式でも省略するということが理解できていず、×の記号だらけの式を書き、普通の方程式と見た目が違うために解けない子もいます。
    不器用な子は、大人から見ると非常にばかばかしいこうしたことで、数学の問題が解けなくなります。
    小学校の算数から中学の数学へとスムーズに移行できないのです。

    こうなった後に塾に来ても、答案の書き方にこうした妙な癖がつき、しかも、それを治すことができない子は多いのです。
    やっと治ったと安心していると、他の単元をしばらく学習した後に復習したらまた元に戻っている場合も少なくありません。
    むしろ、中1の最初の半年だけでも塾に通ってほしいです。
    ここが一番補助が必要なところです。

    中2で急に数学が出来なくなるわけではありません。
    その前に、兆候は必ず表れています。

      


  • Posted by セギ at 13:26Comments(0)算数・数学

    2017年01月26日

    三平方の定理と三角形の面積、さらに三角比、ヘロンの公式。


    中3で学習する「三平方の定理」の中でも、これは応用問題です。
    例えば、こんな問題です。

    問題 上の図で、AB=20、BC=21、CA=13です。△ABCの面積を求めなさい。

    まずは、三平方の定理までしか学習していない中3として、この問題をどう解くか考えてみましょう。
    三角形の面積は、1/2×底辺×高さ で求めることができます。
    底辺をBCと見るなら、高さは、AH。
    まずは、AHを求めることに集中します。
    AHを挟んで、左右に2つの直角三角形があります。
    ここで三平方の定理を利用できそうです。
    BH=x とおくと、CH=21-x 。
    △ABHにおいて三平方の定理より、 AH2=AB2-BH2
    △ACHにおいて三平方の定理より、 AH2=AC2-CH2
    (文字の後ろにある半角の2は指数として読んでください)
    よって、AB2-BH2=AC2-CH2
    202-x2=132-(21-x)2
    400-x2=169-(441-42x+x2)
    400-x2=169-441+42x-x2
    -42x=-672
    x=16
    ゆえに、BH=16です。
    ここから、AHを求めます。
    △ABHにおいて三平方の定理より、
    AH2=AB2-BH2 
    AH2=202-162
    AH2=400-256
    AH2=144
    AH>0 より
    AH=12
    これで高さがわかりました。
    よって、
    △ABC=1/2×21×12
         =126
    面積は、126とわかりました。

    ここで難しいのは、計算過程が何段階にもわたるので、BHを求めている間に、それが高さだと勘違いしてしまう子が出やすいこと。
    あるいは、AHを求めたところで満足して、それを最終解答としてしまう子もいます。
    「何を求めるんでしたっけ?」
    と私が問いかけても、
    「え?何を求めるんだっけ?」
    と私の顔を見返すばかりで問題に目を戻そうとしない子は、解き方は理解できても、自力で正答に至るのはなかなか難しいです。
    何を求めるのか。
    求めるものの単位は何か。
    こうした最終確認をする癖がついていると良いですね。


    さて、中3は上の解き方がベストなのですが、高校1年生になると「三角比」を学習します。
    三角比の基本から、正弦定理、余弦定理と学習が進んだ先に、三角形の面積も三角比を利用して求めます。
    三角比を利用した三角形の面積の公式は、
    S=1/2ab・sinC=1/2bc・sinA=1/2ca・sinB
    Sは面積です。
    a、b、cとは、それぞれ、角A、B、Cの対辺(向いあう辺)を指します。
    簡単なイメージで言えば、2辺とその間の角のサインをかけて1/2すればいいというのが、この公式の構造ですね。

    なぜ、その公式で面積を求めることができるのか。
    上の図を用いて簡単に説明します。
    sinB=AH/AB です。
    これはサインの定義がそうであるからなので、「なぜ?」と疑問を挟む余地はありません。
    この両辺にABをかけると、
    AB sinB=AH。
    すなわち、
    AH=AB sinB
    三角形の面積は、1/2×底辺×高さですから、
    S=1/2・BC・AH
     =1/2・BC・AB sinB
     =1/2ac・sinB
    公式の通り、2辺とその間の角のサインをかけて1/2すれば良いとわかります。

    さて、それでは、この公式を用いて、同じ三角形の面積を求めてみましょう。
    AB=20、BC=21はわかっていますが、sinBがわかりません。
    だから、まず、sinBを求めます。
    サインだから正弦定理かなあと考えがちですが、どこか1つの角の大きさがわかっていないと、正弦定理は使えません。
    3辺の長さから求めることができるのは、コサインのほうです。
    だから、余弦定理を用いて、まずコサインを求めます。
    今回は、余弦定理はもうご理解いただいている前提で進めます。
    わからないけれど興味のある方は、検索されるか、書店で数Ⅰの参考書などを読んでみてください。

    △ABCにおいて余弦定理より、
    cosB=(c2+a2-b2)/2ca
        =(202+212-132)/2・20・21
        =(400+441-169)/2・20・21
        =672/2・20・21
        =4/5

    コサインからサインを求めるには、三角比の相互関係の公式を利用します。
    sin2B+cos2B=1
    という公式です。
    これは、よく使うので絶対に忘れてはいけない公式ですね。
    これに代入して、
    sin2B+(4/5)2=1
    sin2B=1-16/25
    sin2B=9/25
    0°<B<180° より sinB>0 だから、
    sinB=3/5
    これでようやく、sinBがわかりました。

    さて、面積の公式に代入しましょう。
    S=1/2ca・sinB
     =1/2・21・20・3/5
     =126

    一番上の解き方と同じ答えが出ました。
    ヽ(^。^)ノ

    ところで、この解き方、間違ってはいないけれど、何だか遠回りで面倒くさいですね。
    こんな解き方では、一番上の三平方の定理を利用する解き方と作業の煩雑さでは大差ないです。
    ここで登場するのが、「ヘロンの公式」です。
    3辺の長さがわかっているときに、いきなりその数値を代入して三角形の面積を求める公式です。

    s=(a+b+c)/2 とする。
    S=√s(s-a)(s-b)(s-c)
    これがヘロンの公式です。

    sとSが紛らわしいのが難点なのと、こういう公式は本当に便利なのに、高校1年生ともなると数学の公式アレルギーが悪化して、新しい公式はもう何1つ頭に入らないという子も出てきて、なかなか定着しない公式の1つです。
    公式を覚えないから、煩雑な計算をするしかない。
    煩雑な計算をするから、計算ミスをする。
    そういう残念な答案が高校生の数学答案には多いです。

    ヘロンの公式の証明は、代入と式の変形を繰り返していくもので、分数と指数まみれなので、ここに書いても読みづらいと思います。
    興味のある方は、「ヘロンの公式 証明」で検索すればすぐに出てきますから、ご覧になってください。

    では、ヘロンの公式を使って解いてみましょう。
    △ABCにおいてヘロンの公式より、
    s=(20+21+13)/2=54/2=27
    S=√27(27-20)(27-21)(27-13)
     =√27・7・6・14
     =7・3・3・2
     =126

    やはり、1番上の解き方と同じ答えになりました。
    これが使えると一番楽なのも、実感できるかと思います。
    ヽ(^。^)ノ


      


  • Posted by セギ at 12:04Comments(0)算数・数学

    2017年01月13日

    三平方の定理と暗記


    中学3年生が今の時期に学習する「三平方の定理」。
    定理そのものは、それほど難しいものではありません。
    「相似」で悪戦苦闘した後ですと、むしろ易しく感じるのではないでしょうか。

    そんな中で、少し厄介なのが特別な比の三角形でしょう。
    三角定規になっている、2種類の三角形です。
    その角度は、小学校で覚えます。
    そして中3になると、辺の比を覚えることになります。

    この「覚える」という作業が、算数・数学とはなじまないと感じる子がいて、
    「数学って、考えるものでしょう?何で覚えるの?」
    と、一応もっともなことを言ったりします。
    意味のわからないことを覚えろと言っているのではないので、最低限、理解したことは覚えないと、その先の問題は何1つ解けなくなってしまうのですが、覚えるのが本当に嫌いな子はいます。

    特別な比の直角三角形は、3:4:5や、5:12:13のような、覚えておけば便利という程度のものもありますが、三角定規の三角形の辺の比は、覚えないとどうにもなりません。
    1辺の長さから他の2辺の長さを求める問題が当たり前に出題されます。
    これは、比を覚えていないと解けません。
    内角が45°、45°、90°の直角三角形の辺の比は、1:1:√2。
    内角が30°、60°、90°の直角三角形の辺の比は、1:2:√3。
    絶対に覚えなければならないのが、この2つです。
    (*^_^*)

    1:1:√2 のほうはまだわかりやすいのですが、1:2:√3 は、2にあたる辺と√3にあたる辺を取り違える子が多く、ミスの出やすいところです。
    あの直角三角形は、背中合わせに並べると、1つの正三角形になります。
    そのイメージさえもっていれば、2にあたる辺がどちらであるかを間違えることはないのですが、機械的に暗記しているだけだと、しばしば間違えます。
    また、この三角形の学習に慣れてしまった後、角度が明示されていない普通の直角三角形にこの辺の比を誤用してしまう子も現れます。
    「何か似ているから、使っていいと思った」
    と言うのです。
    見た目が少し似ていても、30°とか60°とか、角度が明示されていない直角三角形にこの辺の比を利用してはいけないんだよ、違う三角形なのだからと説明しても、へえ、そんなものなのかあ、何でかなあという顔をしています。


    高校の「三角比」も「三角関数」も、この比をガンガン使います。
    というよりも、ほとんどこればかりです。
    この比は非常に重要です。
    しかし、以前、中3の生徒にその話をしたとき、どうにも話が通じなかったことがあります。
    「まあ、そのうち覚えます」
    という返事で、なかなか覚えないんです。
    覚えるか覚えないかを判断するのは自分であると言いたげな妙な「ゆとり」が口調から感じられ、あまりにも話が通じなくて困惑しました。
    (^_^;)
    長くつきあってみると、その子は、ものを覚えるのが本当に苦手で、でも、そのことを悟られまいとして、人をくったような偉そうな物言いになってしまい、損をしている子だったのでした。


    数学は暗記科目ではないというけれど、覚えなければならないことはあります。
    そもそも、「暗記科目」というくくりが本当は妙なので、歴史でも地理でも、興味を持って勉強している子は、「暗記しなければ」という自覚は特になく、重要なことは自然に覚えてしまいます。
    そういう子にとっては、歴史も地理も「暗記科目」ではありません。
    単なる知識が重要なのではなく、1つのことが他のことに波及していくその関係、その大きな流れが読みとれるから歴史や地理は面白いと、そういう子は知っています。

    興味があることに関しては、覚えることは苦になりません。
    勉強以外のことを例にするもっとわかりやすいと思います。
    私より下の世代の人たちは、子どもの頃にポケモンのゲームで遊んだり、アニメが好きだったりしたので、出てくるモンスターの名前をほぼ全部覚えている人が多いです。
    去年の夏にスマホゲームになって、その衰えない人気が証明されましたね。
    ポケモンが好きな人にとっては、モンスターの名前を覚えることは苦行でも何でもなく、当たり前に覚えられることです。
    暗記しようと努力したわけではないでしょう。
    そしてその記憶は、今後もずっと維持されて、彼らは老人になってもポケモンの名前は忘れないでしょう。

    でも、ゲームに興味のない私がポケモンの名前を覚えなければならないとしたら、これは苦行です。
    (^_^;)
    全く興味がないので、かなり努力しないと覚えられないでしょう。

    ファッションもそうですね。
    ブランド名などは、私はほとんど覚えられません。
    興味がないものは頭に残らないのです。
    必要ないから記憶に残さないようにしている傾向もあります。
    どんなことでもとにかく努力して覚えたら、その先に面白いことが待っているんだろうなあとも感じるのですが、他に覚えなければならないことが沢山あるからなあといつも後回しにしてしまいます。

    数学が暗記科目ではないというのも、同じ意味だと思います。
    数学に興味がある人は、公式や定理は意味を理解すれば自然に覚えてしまいます。
    だから「数学は暗記科目ではない」と言います。
    でも、実際には、興味がなかったら覚えられません。
    そういう意味では、数学も、歴史や地理と同じです。
    興味がないので無理をしなければ公式を暗記できない子は、とにかく意味を理解したら無理に暗記して、使えるようになりましょう。
    使えるようになって、正解を出せるようになって、苦手意識がなくなっていけば、「大きな流れ」とか、他のこととの関係とか、興味がわいてくると思います。
    「公式だから」とあきらめて使っていたことの本当の意味に、ある日気がついて、衝撃的な開眼をする日も来るかもれしません。


    「ゆとり教育」の影響はそろそろ薄れてきていますが、それでも「暗記」を軽視する子は減りません。
    覚えることが苦手で、新しい公式や定理をなかなか暗記せず、教科書を開いて単に代入して問題を解き、それで勉強は完了したような勘違いをしてしまう子は多いです。
    理解することが勉強の全てになっていて、公式を覚えていないのです。
    テスト本番で、自力では全く解けないことに気づき、呆然とテスト用紙と向き合うことになってしまっています。


    数年前、小学4年生に確認テストを解いてもらっている間、その子の算数の教科書をパラパラめくっていたら、面白いことが載っていました。
    「大きな数」のページでした。
    大きな数の単位としては、小学校で理解しなければならないのは、千兆の位までです。
    子どもの中には、数の単位を唱えさせると、
    「一、十、百、千、万、十万、百万、一億、一兆」
    と、謎の跳び方をする子がいます。
    千兆の位までの数を算用数字でも漢数字でも正しく書けて読めて、位取りの関係が理解できることがこの単元の学習目標です。

    ゆとり教育の頃は、「大きな数」について学校で学んできた子が、なぜか自慢げに、兆より大きい数について私に教えてくれることが何度かありました。
    「センセー、千兆の次の位を知ってる?」
    「京だねえ」
    「その次は?」
    「垓」
    「その次は?」
    「何だっけ。聞いたことあるんだけど、覚えていないなあ」
    「知らないのー?無量大数って言うんだよー」
    「・・・・・・え?早くない?」
    「無量大数って言うんだよ。学校で覚えさせられたもん」
    「・・・・・・へえ」
    こうした会話を、ゆとり教育の時代に複数の生徒と交わしています。
    現実問題としては、京より大きな桁の数は、10の累乗を用いて表すのが普通なので、あまり使い道のない知識ですが、しかし、「垓」の次がすぐ「無量大数」というのは、あっけないですね。
    大きな数の桁の名称は、もっとあるでしょう。

    新課程の教科書には、大きな数の桁の一覧が載っています。

    京 けい 
    垓 がい 
    禾予 じょ 
    穣 じょう  
    溝 こう 
    澗 かん  
    正 せい  
    載 さい  
    極 ごく   
    恒河沙 ごうがしゃ
    阿僧祇 あそうぎ
    那由他 なゆた
    不可思議 ふかしぎ
    無量大数 むりょうたいすう

    全ての新課程教科書がそうなのかどうかはわかりません。
    これは発展的内容で、絶対に覚えるべきことではありません。
    でも、何だか見ているだけでワクワクしました。
    高校で学ぶ指数や対数は、言わばデジタル表記なので、自分の扱っている数字がどれほどの大きさなのか、計算しているのに実感できないことがほとんどです。
    この大げさな桁の名称は、大きな数の大きさを実感させます。
    そして、私自身、実はそんなに知らなかったこの大きな数の知識が、この一覧表を見ているだけでスルスル頭に入ってきました。
    覚える覚えないは好き好きですが、これは私にとっては魅力的な知識なんだなあと改めて感じた経験でした。

      


  • Posted by セギ at 12:09Comments(0)算数・数学

    2017年01月10日

    図形が苦手な子の特徴。





    算数・数学について、計算分野はそんなに嫌いではないけれど、図形は嫌いだという子は多いです。

    そういう子が問題を解く様子を見ていると、問題をわかりやすくするための書き込みの下手な子が多いなあと感じます。
    「等しい角や線分に、等しい印を入れてみようよ」
    と声をかけると、一応手は動くのですが、図の大切な部分が隠れてしまうような雑な書き込みをしてしまうのです。
    丁寧で緻密な作業をすることが習慣になっていず、勉強が基本的に「やっつけ仕事」になっている子は、図の書き込みは下手ですし、図形問題を時間をかけて考える集中力も養われていない場合が多いように感じます。

    性格的に全てにおいて雑な子というのではなく、数学の図形分野になると突然雑になる子もいます。
    問題を解くための大切な書き込みをしている意識がなく、命じられたから仕方なくやっているからなのかもしれません。
    その書き込みがあるから自力で解けたという経験を幾度がすれば、もっと自分で見やすい書き込みをするようになるのでしょう。
    汚い書き込みは助けにならず、むしろ図を見る邪魔になるのですから。

    私の子ども時代を思い出すと、算数・数学の図なら丁寧に書き込んでいましたが、図工・美術は、今思うと作業がかなり雑でした。
    例えば人物画を描くとき、顔は丁寧に描くけれど、着ている服や背景は一色でささっと塗っておしまいにしていました。
    雑です。
    でも、当時は、それではダメだということがわかっていませんでした。
    そこを丁寧にやる必然が私の中になかったからでしょう。
    それと同じで、数学において図に丁寧に書き込みをする理由が本人の中にない限りは、いくら注意しても根本的には解決しないのかもしれません。

    図の本当の線が見えなくなるほど、ぐりぐり何度も鉛筆でなぞってしまう子もいます。
    私は、いつも生徒と向き合って教えていますので、逆さからその図を見て、一緒に問題を解くことがあります。
    汚いなぞり書きをされると逆さからでは本当にわからなくなるので、うめき声を上げてしまいます。
    私がわからないだけでなく、汚いなぞり書きは、本人もわからなくなる原因です。
    「ぐりぐり塗らないと、わからない」
    と言う子もいますが、図中の線を鉛筆でぐりぐりなぞる子で図形問題の得意な子は少ないです。
    塗らないとわからない、というのは悪い習慣です。
    一回丁寧になぞって線を少し太くするくらいならばいいのですが、ぐりぐり何度もなぞって角を丸くしてしまうようなのはやめたほうがいいです。
    どうしてもわからないという子には、私はマーカーの使用を薦めています。
    マーカーは下の実線が透けて見えるので便利です。
    薄い色のマーカーで重要な部分をなぞって見た目をわかりやすくするだけで、問題が易しく思えてきます。
    「だって、テストのときには出来ない」
    と不満を言う子もいますが、やりたかったらテスト用紙もマーカーでぬったらいいんです。
    テストは、マーカーで図をなぞることは禁止していないと思います。
    それに、マーカーでぬって自力で正答できるようになれば、そのうちマーカーは必要なくなってきます。

    図形問題が苦手な子のもう一つの特徴は、考える時間がひどく短いこと。
    「わからなかったー。教えてくださーい」
    と本人は陽気に宿題を空欄にして持ってきますが、教わって解いた図形問題はすぐに忘れてしまうことが多いです。
    なかなか身につきません。
    テレビのクイズ番組を見ていて、答えがわからない間は気になるけれど、正解を聞けばもう興味がなくなり、番組が終わった頃には何1つ覚えていないのと似ています。
    最終的には解けなかったのであっても、もう少し問題と格闘しなければ記憶に残りません。

    図形問題は、自力で解いた問題の数が多いほど力がついていきます。
    自力で解くには、基本的な知識が頭に入っていていつも使える状態になっている必要があります。

    三角形の内角の和は180°である。
    1直線は180°である。
    正三角形の1つの内角は60°である。
    二等辺三角形の2つの底角は等しい。
    三角形の外角は、隣り合わない内角の和に等しい。
    対頂角は等しい。
    平行線の同位角は等しい。
    平行線の錯角は等しい。
    等しい弧の円周角は等しい。
    円周角は中心角の2分の1である。
    半円の弧の円周角は90°である。
    平行四辺形の対角は等しい。
    平行四辺形の対辺は等しい。
    平行四辺形の隣りあう角の和は180°である。
    円に内接する四角形の対角の和は180°である。

    説明されれば、「知ってるよ、そんなこと」ということばかりですが、図形が苦手な子は問題を解くときにこれらを自分で思い出して使うことができません。
    言われればわかるけれど、本当の知識になっていないのです。

    それは、「理解語彙」と「使用語彙」の違いに似ているのかもしれません。
    言われれば意味のわかる言葉。
    でも、自分では使えない言葉。
    私たちのボキャブラリーは、自分で使える「使用語彙」の周囲に、意味はわかるけれど自発的には使用できない膨大な「理解語彙」があります。

    それと同じで、自分で使える「使用定理」の外側に、言われればわかる「理解定理」があるのかもしれません。
    解答・解説を読めばわかるけれど、自力で図形の問題を解くことができない。
    そういう子の多くは、使用できる定理が少ないのだと思います。

    自分で解いていないから、使用できる定理が少ない。
    使用できる定理が少ないから、自分で解けない。
    負のスパイラルです。
    まずは補助を受けながら、できるだけ自分で解いていくことで、苦手な図形を克服していきましょう。



      


  • Posted by セギ at 22:30Comments(0)算数・数学

    2016年12月08日

    線分の比と面積の比と関数の融合問題。


    さて、「線分の比と面積の比」の話の続きです。
    底辺の比も高さの比も把握できる2つの三角形は、(底辺の比)×(高さの比)で面積の比を求めることができます。
    底辺の比は、見た目そのままなので理解しやすい人が多いようです。
    一方、高さの比のほうは、何でそこを高さの比と見ることができるのかなあ、と感じる子が多いように思います。
    この考えを座標平面上に応用した問題が、都立入試の関数の問題の問3で度々出題されますので、理解できると良いのですが。

    「今、この2つの三角形の共通な底辺は、y軸上にあるでしょう?だから、高さの比は、x軸上で見ることができるんだよ」
    個別指導をする場合、まず、こんな雑な説明をして、様子を見ます。
    図形センスがあり、この種の問題を解いた経験もある子なら、この説明で理解できます。
    手が動き始めたら、まず大丈夫。

    理解できない場合。
    どこでつまずいているか、少しずつ説明を易しくして、様子を見ます。
    下手をすると小学校の「三角形の面積」の学習でつまずいている場合もあります。

    三角形の面積。
    どんなに算数が苦手な子でも、三角形の内側に高さが示されている場合は、公式通りに面積を求めることができます。
    けれど、鈍角三角形がエビぞりしているみたいな向きに図が描かれている場合(わかりますか、この表現?)、高さは三角形の外に示されます。
    その場合、それがその三角形の高さであることを理解できない子がいます。
    なぜ三角形の外側に示されたものがその三角形の高さになるのか理解できないようです。
    高さというのは、その図形の内側にあるものだという固定観念があるのでしょうか。
    どうしても高さを求めるのなら、三角形を立ち上げて本当の高さを測るべきだと思うのかもしれません。
    花の重さで垂れ下がったヒマワリの高さを測るのに、どっこいしょと花を持ち上げて測るような感覚でしょうか。

    そういう子は、三角形の高さの正確な定義を把握できていないのです。
    正確な定義は言葉にすると難しい言い回しになってしまうので、そういう厳密なことは中学生から行うのが普通です。
    小学生には厳密な定義は教えません。
    小学生には複雑な概念を複雑な概念のまま直観的に把握する能力があります。
    それは子どもだけにある特別な学習能力です。
    その能力に期待して学習は進むのですが、把握できない子はやはり把握できません。


    高さが三角形の外側に示されている問題が解けないときに、
    「これが高さだよ」
    と大人に教えられれば、へえ、そんなもんなのかと思って、その問題は解きます。
    しかし、時間をおいて復習すると、やっぱりそのタイプの問題は解けない。
    本当に理解したわけではないから、そうなります。
    そういう問題を理解できないまま三角形の面積の勉強は終わり、小学校を卒業し、中学生になっている子がいます。
    そういう子の場合、三角形から遠く離れたx軸上でその三角形の高さの比を読み取ることは、到底理解できません。

    三角形は、どの辺も底辺と見ることができ、そのそれぞれに高さがある、ということを理解できない子もいます。
    底辺とは、いかにも底辺な向きを向いているものだけが底辺で、そんなに自由自在に動くものではないと思うのでしょうか。 
    簡単に言ってしまえば、そういう子は頭が固いんですが、そういう頭の固さはどうすれば治るのかは難しい問題です。

    しかし、勉強しなければそのままです。
    繰り返し説明しながら、その子の頭の中で閃光の走る瞬間が来るのを待つことが、遠回りのようで唯一の手段であるように感じています。

      


  • Posted by セギ at 14:02Comments(0)算数・数学

    2016年12月01日

    中学三年・高校数A 円に関する問題。



    中学3年生の「円」の学習は、ゆとり教育の時代にほとんどの内容が削られ、その後、新課程になってもあまり復活せず現在にいたります。
    公立中学では、入試に向けてスケジュールが押している学校も多く、「円周角と中心角」の学習だけでほぼ終わることもあり、「円」をあまり難しいと感じない子が増えてきました。
    以前は中学3年生で学習するものだった「円」の内容のほとんどは、現在、高校1年生が学習する数Aに移されています。
    しかし、「円」をきっちり学習する時間があるかというと、数Aは数Ⅰと比べて授業数が少ないこともあり、「円」を含む幾何の学習は割愛されてしまうことがあります。
    夏休みの宿題として自習しておくこと、夏休み明けの課題テストの範囲です、という高校もあります。
    一方、国公立・私立中学では、「円」の学習は旧課程のまま、中2または中3で現在の数Aの内容全てをきっちり学習するところが多いです。
    円周角と中心角。
    三角形の五心。
    接弦定理。
    方べきの定理。
    ・・・・などです。

    どちらが良いのかはわからないですが、数Ⅰ「三角比」の学習の最後、平面図形や空間図形の求積の問題で、三角錐に内接する球の半径を求める典型題を解説すると、全く話が通じないことがあります。
    「この三角錐の底面は正三角形でしょう?正三角形は内心と重心が一致するから、重心からここの線分の長さを求めることができるんですよ」
    「はあ?」
    「正三角形は、内心と重心が一致するんですよ。外心もですよ」
    「そうなんですか?」
    「・・・・重心って何だかわかりますか?」
    「・・・・多分、わからないです」
    「勉強していないんですかね?」
    「・・・・わかりません」
    これは、この状態でいいのかなあ?

    例えば、「五心」。
    三角形の外接円の中心が外心。
    三角形の内接円の中心が内心。
    三角形の各頂点から対辺の中点に引いた直線の交点が重心。
    三角形の各頂点から対辺に引いた垂線の交点が垂心。
    三角形の1つの内角の二等分線と他の2つの外角の二等分線の交点が傍心。
    これらを合わせて、三角形の「五心」と言います。

    「五心がわからない」
    と慌てたように教室に入ってきて訴える私立中学の生徒もいますが、よくよく話を聞くと傍心がわからないだけだったりします。
    傍心なんか定義だけわかっておけば大丈夫ですよ。
    それより、外心や内心、重心に関する典型題は解けますか?
    大切なのはそれです。
    テストに出るのもそれです。

    以前、うちの塾に通う中3の生徒が、五心の個々の名称を答えるだけの問題が定期テストに出たときに、初めは正答を書いたのに、自分の答案を見ているうちに不安になって書き直して全て間違えてしまったことがありました。
    「外心」という自分の文字を見ていたら、円の中心は「点」なのに「心」というのはおかしいのではないかと思い始めたそうなのです。
    そして、全て「外点」「内点」と書き直してしまいました。
    うーむ・・・・。
    知識のゲシュタルト崩壊でも起きたのでしょうか。

    「・・・・中心なんだから、心という字を使うことに何も問題はないと思いますよ。外点なんて言葉に聞き覚えがありますか?」
    「・・・・ありません」
    答案を見ながらのこんな会話もむなしく、後の祭りでした。
    各2点の問題で、これで10点失ったので私の脱力感も大きかったですが、子どもを教えているとこういうことは避けられません。
    相手は機械ではないので、指示した通りの正確な再生はできないこともあります。
    テストになると睡眠時間を削って勉強し、テスト中にふっと睡魔に襲われる子もいます。
    悪い成績を取った経験が尾をひき、テストに対して恐怖心があり、テスト中にパニックが起きているのではないかと想像される子もいます。
    正常な判断ができなくなっています。

    外心は、三角形の各辺の垂直二等分線の交点です。
    各辺の垂直二等分線は3本あります。
    その3本が1点で交わっている。
    これは、凄いことです。
    最初から3本の直線を1点で交わらせようとして描いているわけではありません。
    個々に引いた3本の直線が、必ず1点で交わるんです。

    内心は、三角形の3つの内角の二等分線の交点。
    これも3本あるのに、1点で交わります。
    重心も、垂心も、傍心も、3本の直線が1点で交わっています。

    何て美しいのだろう。
    この美しさは、この世界の美しさである。
    この世界の成り立ちの美しさである。
    古代の学者は、そのように感動したのかもしれません。

    そういう観点で見たとき、「円」はロマンに満ちています。
    幾何は、ロマンあふれる魅力的な分野です。
    嫌いだ、苦手だ、ではなく、少しでも楽しんで学習してくれると良いなあ。
      


  • Posted by セギ at 12:05Comments(0)算数・数学

    2016年11月24日

    三角形の線分の比と面積の比。





    さて、今回は、中学三年生の数学「相似」という単元の中の「三角形の線分の比と面積の比」の話。

    例題 上の図で、AD:DB=2:3、BE:EC=4:1である。△BDEの面積は△ABCの面積の何倍であるか答えなさい。

    この問題には何通りかの解き方がありますが、どれも、高さが等しい三角形は面積の比と底辺の比が一致するという考え方を利用します。
    そのことがまず理解できるかどうかが鍵です。

    上の図で、高さの等しい三角形は、例えば△ADEと△BDEです。
    底辺が同じ直線上にあり、残る頂点が一致していれば、その2つの三角形の高さは等しいです。
    図形の学習の難しさは、このことが理解できない子が少なからず存在するというところにあります。
    2本の平行線の間に三角形を2つ描いて、この2つの三角形は高さが等しいねと説明してあければ理解できる子も、こうした図の中で高さの等しい三角形を自力で発見することができないこともあるのです。
    「三角形の高さ」というものへの認識が漠然としていて、小学生の頃から底辺と斜めの位置の辺の長さも高さとして利用して面積を求める式を立ててしまう子は、上の図の三角形のどこが高さなのか把握できないようです。
    あるいは、三角形が少し斜めになっていたり逆さになっていたりするだけで見えにくくなってしまう子も多いでしょう。

    図形把握力の弱さは、小学生の頃から表れています。
    正方形が斜めになっているだけで正方形に見えなくなる子。
    図形の向きによって、直角三角形と二等辺三角形の識別ができない子。
    三角形の高さをその三角形の外側の位置にしか示せないような形の三角形のときに、高さを把握できない子。
    「では、どうしたら良いのでしょうか」
    と保護者の方から相談されることがあるのですが、弱点というのはそんなに簡単には克服できません。
    問題ごとに「この三角形とこの三角形が高さが等しいのですよ」とマーカーでなぞり、このように見えるものなのだということを教え込んでいくしか方法はないと思います。
    知力がイメージ力を補っていくのを期待しましょう。
    時間は相当かかると思います。

    さて、一応、高さの等しい三角形は把握できるのだとして。
    その先、この問題をどう解いていくかです。

    私立中学を受験した子たちにとっては、この問題は学習済みの内容です。

    教える場合も、正直に言えば、中学受験経験者に対するほうが相似は教えやすいです。
    基本は理解できていますので、実際に解いてもらい、本人の習熟度を判断しながら、本人にわかる解き方で教えていきます。
    同じ中学受験生といっても「相似」という単元に関しては習熟度に大差がありますので、理解できるレベルも個人差が大きいです。

    まず最も基礎的な中学受験算数の解き方としては。
    三角形の高さが等しいならば、底辺の比と面積の比は等しいから、
    △ADE:△BDE=2:3
    この2つを合体させた△ABEを➄とする。
    同様に、
    △ABE:△ACE=4:1
    ➄が4にあたるのだから、それを20と置き換えると、
    △ABEは、20。△ACEは、5。
    △BDEは、12。
    △ABCは、25。
    よって、△BDEは△ABCの12/25倍。

    受験算数にもう少し習熟している子は、別の解き方をします。
    △DBEと△ABCで。
    底辺の比は、4:5。
    高さの比は、3:5。
    よって、面積の比は、12:25。
    答え 12/25倍。
    (底辺の比)×(高さの比)=(面積の比)
    という「比の積」の考え方が身についている子には、これで話が通じます。
    上の図に一応入れた補助線AEも必要としません。
    ただ、底辺の比の4:5はともかく、高さの比が3:5であることは理解できない子が多いです。
    式そのものは簡単なのですが、自力で使えるかどうかは個人差が大きい解き方です。
    説明を聞けば理解できるのだとしても、試験中に自力で使えなければどんなテクニックも意味がありません。
    「比の積」「比の商」は、中学受験生の中でもかなり受験算数に習熟した子でないと定着していない内容です。
    多少もたついても、一番上の解き方のほうが理解できる子が多いのです。

    一方、中学受験を経験していない子たちは、この問題をどう解くのがベストかというと。
    一番上の解き方は、最小公倍数で揃えることを必要としない問題ならば良いのですが、今回のように「20に揃える」といった要素が出てくると、あまり定着しません。
    〇や△を使って問題を解くことに慣れていないので、作業自体がもたつきますし、〇と△を使い分けることをせず混乱してしまう子がほとんどです。

    そこで、分数を使ったきっちりした式で説明することになります。
    慣れるとこちらのほうがわかりやすい面もあります。
    これは、大きい三角形のほうから分割するように考えていったほうがわかりやすいです。
    まず△ABEは、△ABCを4:1に分けた4つ分のほうですから、
    △ABE=△ABC×4/5
    また、△BDEは、△ABEを3:2に分けた3つ分のほうですから、
    △BDE=△ABE×3/5
         =△ABC×4/5×3/5
         =△ABC×12/25
    よって、△BDEは、△ABCの12/25倍。

    ものの考え方がシャープな子に対しては、2番目の(底辺の比)×(高さの比)=(面積の比)の意味とその考え方を一度きっちり教えます。
    これは公式として覚えなさい、この形の問題を見たら必ずこれで解きなさいと指示します。
    「裏ワザ」的なことが好きな男子生徒は定着率が高いです。


    同じ問題を解くときに、上のような問題は、中学受験の経験者にとっては解き慣れた基本問題ですが、中学で初めて学ぶ子にとっては初めて挑戦する内容だというのは大きな違いです。
    この差は埋まらないことが多いです。
    経験値が違い過ぎます。
    毎日放課後遊べるはずの楽しい小学校時代の数年を受験勉強に注ぎ込むというのは、そういうことです。
    何かを失ったかもしれない。
    でも、得たものも大きい。
    そういうことだと思うのです。

    一番難しいのは、受験算数を勉強したけれど結局マスターできなかった子。
    〇や△の記号を使おうとするけれど記号の使い分けをせず、無関係な比を同じものと誤解して使用し誤答してしまいます。
    曖昧に身につけた技術がアダとなっている印象です。
    他の解き方を教えても、逆に混乱する様子であまり定着しません。
    何を解いても、何度解いても、間違える。
    気持ちも滅入ってきます。

    受験算数で挫折感を深めてしまうと、メンタルの問題としては、数学嫌いをこじらせてしまうことがあります。
    世間一般のレベルから言えば、そんなに数学ができないわけではないのに、本人はそう思っていません。
    苦手意識から、勉強が後回しになり、やがて本当に苦手になっていきます。

    公立小学校・中学校の算数・数学しか知らず、自分は数学はよく出来ると自信を持っているほうが幸せかもしれない、とも感じます。
    自分は数学は得意だ、数学は好きだ、という信念で、コツコツ勉強していったほうが、高校数学がよく身につく場合もあります。

    その子にあった道がある。
    どの道にも良い可能性はある。
    そう思います。
      


  • Posted by セギ at 13:14Comments(0)算数・数学

    2016年11月17日

    中学数学 図形の証明問題。



    さて、今回は証明問題のお話です。
    証明問題が苦手という子は多いです。
    たいていは三角形の合同か相似を証明する易しい証明問題なのですが、生徒の答案を見ると、世の中には証明を書くことに向いていない人がいるのかもしれないと思うほどに、何だかよくわからない答案になっていることがあります。

    証明には、作法があります。
    読む側はその作法で読みますので、書く側もその作法で書く必要があります。
    その作法で書いていない証明は、
    「え?」
    「何で?」
    と読む側は思ってしまいます。
    読む側にそう思われないように作法を守って書けば良いのです。


    最もシンプルな三角形の合同の証明問題の答案の例として、例えばこのようなものが考えられます。

    △ABCと△DCBにおいて
    仮定より
    AB=DC
    ∠ABC=∠DCB
    共通な辺なので
    BC=CB
    2組の辺とその間の角がそれぞれ等しいので
    △ABC≡△DCB

    この程度の易しい証明問題も、書き間違える子は、この1題の中で2か所、3か所と間違えてしまいます。
    AB=DC
    と、対応する頂点を揃えて書かなければならないのに、
    AB=CD
    と書いてしまう。
    ∠ABC=∠CDB
    と書き間違えて、全然違う角を示してしまう。
    同じ角を示しているのであっても、
    ∠DCB=∠ABC
    と、示した角と、最初に提示した三角形の順番が逆になってしまう。

    しかも、自己採点ではそれに〇をつけてきたりするので、私が見直して×をつけることも多いです。
    本人は正解だと思い込んでいます。
    「え。ちゃんと書きましたよ」
    と主張するので、どこが間違っているかを説明する必要があります。

    書き間違いがあまりにも多いので、
    「これは、0点ですね」
    と言っても、
    「え?少し減点くらいでしょう?」
    と気楽に構えている子もいます。
    大体できているんだから大丈夫と思うようです。
    精度に対する意識が低い、ということなのでしょう。
    結果、テストで得点できず、落胆するのは本人です。

    証明というのは相手を説得するために書くものです。
    順番がぐちゃぐちゃで通用するわけがありません。
    自分が書くときには順番がぐちゃぐちゃな子に、私が同じように順番がぐちゃぐちゃな説明をして理解できるかといったら、おそらくできないでしょう。
    私がうっかり言い間違えたり書き間違えたりしたら、生徒はそこで詰まって理解できなくなっ
    てしまいます。
    だから、同じように自分も順番を守って正確に説明しなければならない。
    そう自覚するだけで、証明のどこに気をつけなければならないかわかってくると思います。

    また、根拠を示すことの重要性に対する認識が必要です。
    根拠を示さなければ誰も納得しません。
    何の定理を使ったのか。
    どこに根拠があってそれが言えるのか。
    それを明示しなければ読む人は理解してくれません。
    読む側の立場にたってわかるように書くのが証明の答案です。

    どこに注意を払い、何をどう書いていけば良いのか。
    そのコツさえつかめれば、証明問題は型通りに書いていくだけのものなので、典型題に関してはむしろ得点源とすることが可能です。

    こうした易しい典型題の証明問題なら解けるけれど、もう少し難しい問題が発想できないという人もいます。
    これも人によって様ざまな課題があります。
    まず、考える時間が異様に短い子。
    問題を読んでから「わからない」と言うまで1分もかからないこともあります。
    ものをじっくり考えるという習慣がないようです。
    そういう子にとって、問題は、「ぱっと見てわかる問題」と「わからない問題」の2種類しかないのかもしれません。
    頭の回転自体は速い子にこういうタイプが多く、わかる問題だけ解いていればいい、自分がわからない問題は難しい応用問題だから解かなくていいという意識を持っていることもあり、改善には時間がかかります。
    ものをじっくり考える習慣のない子が考えるようになるには動機が必要です。
    多くは、高校入試を意識するようになってから必要に迫られてようやくそういう方向に気持ちが動き始めます。
    遅過ぎるようですが、何しろ頭の回転自体は速いので、中3の秋から大きく伸びることがあります。
    高校入学後は、身につけた考える力が良い結果を生むようになります。

    もっと不器用なタイプで、一所懸命考えているけれど証明問題が解けない子の場合は、その子に特有の盲点がある場合が多いです。
    例えば、線分で区切られると図形が見えなくなる子。
    区切られた最小の図形しか見えません。
    線分をまたいで大きく図形を把握することができないので、合同な三角形も相似な三角形もその子の視点では存在しないことになります。
    ものの見え方の癖のようなものなのでしょう。
    説明されても見えないのであればもう仕方がないのですが、大抵は知力でカバーできますから、どういう図形が本当は見えるものなのかを繰り返し把握することで少しずつ見えてくるようになります。

    あるいは、特定の定理が使用できない子。
    例えば中2で、
    「2角の等しい三角形は二等辺三角形である」
    という定理を使用できない子。
    あるいは中3で、
    「半円の弧の円周角は90°である」
    という定理を使用できない子は多いです。
    言われれば理解できる定理です。
    何度もそれに気づかないせいで問題が解けなかった経験があるにも関わらず、やはりその定理が使用できず、問題が解けません。
    その定理が使用できる状態で頭の中にない。
    そこが盲点になってしまっています。

    漠然と「応用問題が解けない」ではなく、どういう応用問題が解けなかったのか。
    その応用問題はどういう定理を使用する問題だったのかを自分で分析するようにすれば、傾向は見えてくるはずです。
    そうすれば、その定理は使用できるようになるでしょう。
    間違えた問題にバツをつけることすらやりたくないタイプの子にはこれは難しいことのようですが、正答できた問題よりも間違えた問題、解けなかった問題から多くのことが学べます。

      


  • Posted by セギ at 12:24Comments(0)算数・数学

    2016年11月08日

    放物線と直線に関する問題。



    画像は、センブリの花。ヽ(^。^)ノ

    今回は中3の数学「2乗に比例する関数」または中2「1次関数」についてのお話です。

    放物線と直線の交点からその直線の式を求めたり、座標平面上の三角形の面積を求めたり、その三角形の面積を2等分する直線の式を求めたりするのが、座標平面に関する典型題です。
    しかし、教科書は、こうした応用問題にはあまりスペースを割いていませんし、学校の授業もそればかりやるわけにいきません。
    学校のワークも難しいほうのページに少し載っているだけです。
    そのため、テストに出ないと誤解している生徒もいます。
    関数の問題としてはこちらのほうがむしろメインで、こういう問題を解くために基本作業をまずは学習しているのですが。
    入試は、こういう問題しか出ないのです。
    そのことを自覚し、応用問題をたくさん解いておきたいものです。

    座標平面に関する応用問題は作業過程が長いので、常に意識していないと自分が何のために何を求めているのかふっとわからなくなってしまう子が多いです。
    「2点の座標から直線の式を求めなさい」
    という基本問題なら解けますし、
    「放物線と直線の交点の座標を求めなさい」
    と言われたら、それも求められる子が、座標平面が与えられ、小問が3つくらいある応用問題になると、何をどうしていいか全くわからなくなり、手も足も出なくなります。
    結局、基本問題と同じ作業を組み合わせて解くだけなのですが、自力では発想できない様子です。

    そうした子に、
    「基本作業の組み合わせだよ」
    と説明しても、
    「何をどう組み合わせるのかわからない」
    と言います。
    基本を学習していたときに、その意味が理解できないまま作業手順だけなぞっていた子は、応用問題に対応できなくなります。
    しかし、基本作業の意味はどうにか理解していた子なら、作業の意味をもう一度確認しながら、スムーズに解けるようになるまで補助して、何題でも経験を積んでもらうと、少しずつ頭の中で何かがつながっていく様子が見られます。
    何か回路が作られていく。
    そのように感じることが多いです。
    個別指導が威力を発揮する場面の1つです。

    しかし、「学校ではそんなのあまりやっていない」「多分テストに出ない」などの本人の希望的観測が強いと定着は難しくなります。
    「応用なんか、そんなに出ない」
    と思い込んで、その練習の大切さを理解できていないのです。
    「応用問題は、自分はできなくてもいい」
    と思い込んでいる子もいます。
    応用問題は解かなくても80点はとれる、と小学校のカラーテストのような感覚でいることもあります。
    その子が思う「応用問題」は、実は、座標平面の典型題であることも多いです。
    中学生が独りで勉強していると、情報不足による奇妙な思い込みをしやすいです。

    解こうとしているけれどわからないと本人が言うこともあります。
    しかし、石にかじりついても理解しようという気持ちがあるかといったら、それは疑問です。
    学力的には同じくらいと感じられる中学生でも、「テストにこれを出すぞー」と座標平面の応用問題のプリントを何枚も先生から渡された学校の生徒と、何が出るか知らされず、座標平面の応用問題は多分テストには出ないだろうと思っている生徒とでは、理解度・定着度が全く違ってきます。
    気持ちの問題も大きいのです。

    これはかわいそうだなと感じるのは、問題文と座標平面が書かれているタイプの問題を解いた経験が少ないため、そうした問題を解くことに慣れていない子。
    塾に通わず、独りで勉強している子に、こういう子がいます。
    学校の教科書もワークも市販の問題集も、そういうタイプの問題は紙面を広くとるせいか、数題しか載っていないことが多いのです。
    わからなくて、解けなかった。
    もっと練習したい。
    でも、すぐに問題を使い果たしてしまいます。
    同じ問題を何回も解くといっても、さすがに絶対量が少な過ぎて練習になりません。

    塾用の教材は、出版社のものにしろ、その塾のオリジナル教材にしろ、そういう練習をたくさん出来るように作られています。
    基本作業の練習ページと同じくらい、実際に定期テストや入試に出るタイプの問題に紙面が割かれ充実しています。
    生徒自身の誤った判断によるものではない、必要な学習ができます。
    同じ時間、同じ熱意で勉強するなら、教材の質は大切です。


    意欲もあるし教材も良いのにどうも定着しない子の場合、いくつかの課題が考えられます。
    1つの原因は、問題文を読んでいないこと。
    問題文の中には、直線の式や交点のx座標など重要な情報がたくさん書いてあるのに、読まないんです。
    座標平面ばかり見て、「わからない」「難しい」とつぶやいています。
    「問題文に書いてあるでしょう?」
    と声をかけても、まだダメです。
    「ここに書いてあるでしょう」
    とテキストの該当箇所を指差してあげると、ようやくそちらに視線を動かします。

    根本的に、目が問題文のほうに動いていかない。
    視野の問題なのか。
    小学生の頃からの癖なのか。
    図形が与えられれば図形だけを見てしまう。
    グラフが与えられば、グラフだけを見て解こうとする。
    数行の日本語を読むことに苦痛を覚えるのでしょうか。
    それとも、グラフがあるのだから、それだけ見れば解けると勘違いしてしまうのでしょうか。
    意欲とは別の次元で数学の問題が解けない子がいると感じる昨今です。
    当たり前のことですが、問題文を読まなければ、問題を解くことはできません。
    自分のそうした癖や傾向を意識して改善できるかどうかか鍵となります。

    あるいは、こんな困難も。
     y=ax+b
    これは、1次関数の一般式。
    この式に数値を代入することで、直線の式は求めることができます。
    ところが、この式に数字を代入すると、いつもの方程式とはちょっと違う見た目になってしまいます。
    例えば、
     8=3a+3
    というように。
    これは、3a+3=8、と右辺・左辺を逆にすれば、易しい1次方程式です。
    だから、面倒がらずにひっくり返せばいいのですが、そのことが発想できず固まってしまう子がいます。
    少し見た目が変わると、もう対応できないようです。

    いつもの見た目なら、いつも通りに解くのに、見た目が変わると解き方を忘れ、力ずくで解く子もいます。
     a=-2
    などといきなり書くので、え、何がどうなったらそんな誤答が出るの?と私は慌ててしまいます。

    では、右辺・左辺が逆のままでも解けるように訓練すればいいのかというと、そんな訓練は無駄ですよね。
    中1の1次方程式を解く様子を見ていると、こういう解き方をする子がいました。
     4x+6=2x-2
      6+2=2x-4x
         8=-2x
    と、完全に逆のまま解いていました。
    「何でxの項を左辺に書かないの?」
    と訊くと、
    「前の塾のセンセイが、こういうふうに解いていた」
    と答えるので、嘘だろー?と驚いたことがあります。
    そんなふうに鏡を見ながら解くようなのは頭が疲れるだけです。
    その講師は、右脳が発達しているか何かで、それでも問題なく解けるのかもしれませんが、
    見た目が普段と違うと、普段ならあり得ないミスが出ます。
    例えば、その子はこんなミスをしやすかったのです。
        8=-2x
       10=x
    ・・・・・・え?今、何をやったの?
    昔は絶対なかった驚愕の誤答が飛び出します。
    こんなレベルの計算は、いちいち頭を通す必要もなく、手がスルスル解いていくような感覚のものなのに、七転八倒です。

    私は、1次関数の式を求める問題では、子どもの頃から代入の時点で右辺と左辺を逆にして、
     3a+3=8
    として解いていますが、
     8=3a+3
    と、とりあえずそのまま代入して、次の行は、
     3a=5
    と、いきなり直していける子には、ストップはかけません。
    様子を見ます。
    符号は変えずにクロスさせながら定数項の計算もする。
    それくらいは、安全に出来る子もいるからです。

    ただ、それが自動化された作業になってしまい、その作業の「意味」に戻れなくなった場合、関数の学習が終わった後、冬期講習などで復習すると全く解けなくなっていることがあります。
    作業手順だけになってしまったことは、手順を忘れた途端に何もできなくなってしまうのでしょう。
    もともと、式が、
    8=3a+3
    という見た目になった途端にどう解いていいかわからず戸惑うというのは、かなり不器用だということですし、数学の根幹への理解が怪しい可能性があります。
    そうであるのに簡略化した作業にこだわるのは、危険です。
    作業は意味のわかる定型でやっておいたほうが、いつでも振り返ることができるのです。


      


  • Posted by セギ at 12:52Comments(0)算数・数学

    2016年10月14日

    アナログ時計が読めない。


    もう3年くらい前になりますが、模試責任者の研修を受けていたときに、今の大学生の中にはアナログ時計を読めない子がいるのではないかという話になったことがあります。
    試験監督をするアルバイト学生が模試の終了時間の告知をミスする事例があり、それをどう解決するかという話の中で出てきたことでした。

    そういう子もいるのかもしれないとは思うものの、実例を見たことはなかったのですが、少し前、若いテレビタレントが、トーク番組で自分はアナログ時計を読めないと話していました。
    短い針は数字の通りに読めばいいが、長い針が何分を指すのか読むことができないと言うのです。
    「5倍すればいいって教わったけど、長い針は中途半端なところにいることが多いでしょう?」
    しかし、その話を聞く側は「5倍すればいい」の時点で「?」という顔をしていました。

    例えば、長針が「2」の位置にあるとき、2×5=10で、それは10分を指している。
    「5倍する」とは、そういう意味でしょう。
    しかし、アナログ時計を読める人は、×5の計算などせず、見たままで時刻を読み取っています。
    「2」の目盛りが10分を指すことが頭の中で自動化されています。
    だから、中途半端な位置にある「13分」でも「27分」でも自動的に読み取れます。
    それができないという話なのでした。

    その若いテレビタレントは、俗に言う「おバカタレント」らしいのですが、×5のくだりを聞く限りでは、実はかなり頭が良さそうでした。
    自分は何ができないのか。
    どのようにできないのか。
    原因は何であるか。
    それをこんなに具体的に饒舌に語れるのは大変な言語能力です。
    これだけのアウトプット能力があればインプット能力も高いのが普通です。
    興味がないから勉強せず、だから学校の成績は悪かったというだけで、本来頭の良い子なのだろうなと感じました。
    あるいは、タレントイメージとして隠しているだけで、学校の成績も本当は良かったのかもしれません。

    それはともかく、アナログ時計に話を戻すと、長針を読める人は「2」を「10」と読むことが自動化されています。
    しかし、本来「2」は「10」ではありません。
    「2」を「10」に読み替える。
    あるいは数字がなくても、丸い時計の針の位置で時刻を読み取る。
    大人になってから初めて学ぶのであれば、これは少し難しいことかもしれません。
    教えるとしたらどんなふうになるだろうと想像します。
    1時間あれば、色んな時刻を読む練習をして、一応読めるようになるでしょうか。
    でも、問題は、そのときは読めるようになっても、翌日には忘れてしまう可能性が高いことでしょう。
    繰り返し練習しなければ定着しないと思います。

    「学習する」ということについて、テレビを見ながら考え込んでしまいました。
    学習したから「2」を「10」と読めるのです。
    自分が「2」を「10」と読んでいることを意識しないほど完全に自動化し、定着しているのが、学習が完成した状態でしょう。

    目標はそういうところなのですが、しかし、なかなか厳しいのが現実です。
    教室での授業を振り返ると、それでも過半数の子どもは、学習するとはどういうことなのかを体験的に会得していると思います。
    学習に対しても主体的です。
    「学校でこのプリントをもらって、これの類題がテストに出ると言われたから、そういう演習がしたい」
    と、要求も具体的です。
    私は、それでは、テキストのこの問題を解こうと指示し、演習した結果が誤答の場合は、そこが違うよね、ここはこう解くんだよねと指摘し解説します。
    すると、次に類題を解くときに改善されています。
    授業中には結局改善されなかったことも、テストの答案を後日見ると正答しています。
    失敗から学ぶ。
    ごく当たり前にそれが機能しています。

    自分は何をどう間違えたのか。
    それを分析し、正しい解き方を理解し、次に実践する。
    学習はそうした作業の繰り返しです。
    失敗から学ぶのが、学習能力。
    ほとんど意識することもないでしょうが、多くの子が持っているものです。

    ところが、これが機能していないように感じられる子もいます。
    どうも「学習する」ということを学びそこねてしまったようなのです。

    まずは外側に表れている問題として、復習をしない子。
    このブログにも繰り返し書いていますが、間違えた問題にバツをつけない子です。
    直して赤丸をつけて終わりにします。
    そこを注意し、それでもバツはつけたくないだろうから、直して青丸をつけるように指示すると、ノートはそのように改善されます。
    でも、テキストにチェックを入れません。
    テキストに間違えた印のチェックが入っていない場合、何を復習していいのか本人はわかりません。
    チェックの入った問題だけ解き直せばいいんだよと説明すると「ああっ」と驚いた顔をする子もいます。
    間違えた問題のノートを読み直すだけでも復習になるんだよと説明すると、それも「ああっ」と驚いています。
    勉強のやり方を知らないのですね。
    こうした反復学習の方法が身についていない子は、できないことはできない状態のままテストを受けてしまいます。
    そこを改善できれば成績が飛躍する子はたくさんいます。

    しかし、本当に学習能力の高い子は、間違えた問題の解き直しを必要としないのです。
    間違えた経験がしっかり本人の頭に残っています。
    「復習しなさい」という指示を必要とせず、本人の頭の中でその作業が行われています。
    この、表に出ない部分、外側の行動に表れない部分での「学習」が完璧であるほど、表面的には何も復習していないように見えます。

    問題を1題解く間に、あらゆる分析が無意識に行われています。
    この問題はどの学習事項の問題なのか。
    過去に見たどの例題の類題なのか。
    自分の頭の中にあるどの解き方が有効なのか。
    出題者の意図は何なのか。

    そして答え合わせをして間違えたときには。
    自分は何をどう間違えたのか。
    今後同じミスをしないためにはどうであれば良いのか。
    この問題を1題間違えたことで自分が学んだことは何なのか。

    こうして書くと大袈裟ですが、問題を1題解く過程で常に意識せずに行われているのがこうした「学習」です。
    常に分析的である。
    常に何かしら頭が働いている。
    学習するということは、そういうことだと思うのです。

    それゆえ、学習能力の高い人は、同じ問題の解き直しは本来必要としません。
    一度解く過程で、その問題から学べることは全て吸収するからです。
    それでも解き直すのは、全て吸収したことの確認です。
    解き直したら正解できた。
    確かに、自分は学習した。
    その確認です。

    「学習」はこのように目に見えない形のものですので、学習の形式だけ指示しても、効果が表れない子もいます。
    解き直すという作業だけを真似ても、同じことを同じように間違えるだけで、結果の変わらない子です。
    解き直すことに効果がないように見えます。
    目に見えない「学習」という作業が本人の内側で上手く機能していないのかもしれません。
    何をどうすることが「学習 」なのか、その本質がわかっていないのだと思います。

    時間が経って忘れたということではなく、直後に類題を解いても、同じことを同じように間違えます。
    そうした場合、理解できていないからだろうと思い、私は解説を加えます。
    しかし、その後に類題を解いてもまた同じように間違えます。
    その頃になると本人も多少は危機感を抱いて真剣に解いています。
    しかし、また同じように間違えるのです。
    ようやく、本人から質問が出始めます。
    大抵は、「それがわからないということは、一体いつから数学がわからなくなっていたの?」と内心ぞっとするような質問です。
    不等号の向きが意味することがわかっていなかったなど、かなり初期の段階で学びそこねたことが影響している場合が多いです。

    学習は、自分の内側に向かっていく作業ですが、そういう子の多くは勉強していても他人の目を気にしているのかもしれません。
    自分がどう見えているかを気にしているのでしょう。
    本当にわかることよりも、わかったふりをすることを重視します。
    わからないけれど、わかったふりをする。
    そういう子は、どう見えるかが大切なので、わかって解いている子の頭の中で起こっていることには想像が至らないかもしれません。

    頭の中で常に分析しているんだよ。
    常に改善しているんだよ。
    アップデートを繰り返しているんだよ。
    それが「学習する」ということなんだよ。

    しかし、いくら口で説明しても、そのように頭を働かすということは具体的にどうすることなのかわからない。
    上手く学習できない子の中には、そうした課題を抱えている子もいるように感じます。

    ただ、これは目に見えないことなので、頭の中で本当に何も動いていないのかもしれませんが、何か動いているのかもしれません。
    その見極めは難しいです。


    私は週に1回、スポーツジムでエアロビクスを習っています。
    下手の横好きですので、なかなか難しいです。
    よせばいいのに上級者クラスにいますので、全体に振りつけが速いですし、手の動きと足の動きは異なるリズムを取ることを要求されることもあります。
    よく観察しないと、前回りだとずっと思っていたら、実は後ろ回りだった、という失敗もしがちです。
    何だかタイミングが合わないなあと思い、ああ、後ろ回りなんだと気がついて、直そうとするのですが、もう直りません。
    頭ではわかっているのですが。
    本当にわかっているのですが。
    でも、前回りしてしまうんだなあ。
    何でかなあ。
    脳からの指令に足が上手く反応しないなあ。

    何度も同じところを同じように間違えてしまう子も、そのような状態かもしれません。
    わかっているんだけど、上手く反応できないんだ。
    でも、わかっているんだ。

    そういう場合、あと何度か繰り返せば、出来るようになるかもしれません。
    時間はかかるけれど、学習はしています。
    少なくとも、学習するとはどういうことなのか、わかっています。
    学習するとはどういうことか実感できているのなら、夜明けは近い。
    そう思います。
      


  • Posted by セギ at 16:16Comments(0)算数・数学

    2016年10月09日

    2乗に比例する関数


    「2乗に比例する関数」。
    2次関数のうち頂点が原点にあるもののみを中3で学習し、こう呼びます。
    高校数学になると、2次関数のグラフは頂点が座標平面上のどこにでも位置し、頂点の座標を求めるところから問題を解き始めないといけません。
    しかし、中3のうちはまだ頂点は必ず原点にあります。
    その分、簡単です。

    テストでよく出題されるのは、与えられたxとyの値の組から、2乗に比例する関数の式を求める問題。
    y=ax2 の一般式に代入してaを求めるだけなので、これは比較的易しいです。

    次に、式からグラフを描く問題。
    描き方がわからない子はまずいないのですが、実際に描いてみると不器用な子は放物線のグラフを描くのにかなり難渋します。
    方眼紙に放物線を描くのは私も苦手です。
    放物線はフリーハンドでそんなに上手に描けるものではないので、格子点(xもyも整数値の点)はとにかく正確に通って、方眼紙の終わりではグラフの端が楕円にならないよう直線的にすっと抜けていけば、それでまあ良しとしましょう。
    採点的にもそれ以上は要求されません。

    最もよく出題されるのが、xの変域からyの変域を求める問題です。
    これは都立入試で毎年出題されていますので、中学校の定期テストにも必ず出ます。

    例題 y=2x2 で-3≦x≦5のときのyの変域を求めなさい。

    この問題を、1次関数のときのように、x=-3のときy=18、x=5のときy=50。
    よって、18≦y≦50 
    と答えてしまう子が多いのです。
    xの変域が0をまたぐときは、y=0の値が変域の中にあります。
    放物線をイメージすればすぐわかることですが、yの値はいったん小さくなり、0になってから再び大きくなっていくのです。
    よってyの最小値は0です。
    では最大値は?
    x=-3の値とx=5の値と両方を実際に計算しないとわからないでしょうか?
    いいえ、これも放物線をイメージすれば、xの値の絶対値が大きいほどyの値が大きくなることがわかりますね。
    だから、-3と5を比べて、絶対値の大きいx=5のほうだけ計算します。
    したがって、答えは、 0≦y≦50 です。

    ここを間違えないように生徒に強調して解説し、さて練習問題を解いてみます。
    しかし、練習問題は、2<x≦5 や、-7≦x≦-2 のように、0をまたいでいないものから始まります。
    そうして(5)くらいでついに -3≦x≦5 の問題が出てきて、その頃には解説されたことなどすっかり忘れて、やったらダメだよと強調したことをそっくりやってしまう生徒は多いです。
    ( ̄ー ̄)

    一度間違えても、その失敗の経験から二度と同じ轍は踏まないのであれば良いのです。
    でも、幾度間違えても翌日にはまた同じ失敗をしてしまう子も多いです。
    「学習能力」というのは、失敗から学ぶ能力。
    理解力はあるのですが、この学習能力の弱い子が課題だなあとつくづく思います。
    何度同じ問題を解き直しても同じことを同じように間違えてしまうのです。
    学習するということの根本が何だか上手く機能していないのを感じます。
    解き直すときに以前の失敗を意識して改善していくのだということを意識していないようなのです。
    「学習する」ということを学びそこねているのかもしれません。
    そういう子には「間違えた問題は解き直しなさい」という指示だけでは学力に変化は起こりません。
    同じように間違えるだけです。
    もっと手取り足取りの指導が必要となります。

    ところで、この答え「0≦y≦50」はどう読むでしょうか?

    これは「0小なりイコールy小なりイコール50」と読みます。
    「<」の読み方が「小なり」です。
    学校でこれを習っている子は答えあわせもすんなりいきますし大小関係の把握もスムーズであることが多いのですが、学校の先生の中にはこの読み方を教えない人もいます。
    「小なり」という読み方が古臭いことは私も否定しません。
    学会で正式に認められた読み方である保証もありません。
    でも、この読み方を知らない子に答えを読ませると頭の中で1度日本語に翻訳する作業が必要となります。
    「yは0以上50以下」
    読む順番が元の不等式とは異なります。
    「以上」「以下」だけならまだましですが、「<」の符号の読み方はさらに難しくなります。
    0<y<50
    の読み方は、「yは0より大きく50未満」。
    不等式を見てこの読み方を瞬時にできる子は言語能力がかなり発達している子でしょう。
    まあ大抵はぐちゃぐちゃで、宿題の答えあわせは普段の3倍の時間がかかります。
    書いてある通りに読むだけの「小なり」の読み方のほうが、覚えてしまえばその後が楽で正確です。
    ちなみにこの「小なり」の読み方は、パソコンでその通りに打ち込めば「<」の記号が出てくる、一般に普及した読み方です。

    読み方を間違えているだけなら良いのですが、不等号の右と左のどちらが小さいのか理解できていない子もいます。
    他のことはわかっているのに、そこだけ知識が陥没している子もひっそりと存在します。
    小学校の頃に学びそこねたのでしょう。
    最初に間違えて逆に覚えてしまい、どちらが正しいかいつまで経ってもあやふやになっているようです。
    そのまま高校生になってしまい、高校数学で苦労する子もいます。


    変域の次に学ぶのが変化の割合に関する問題。

    この後に学ぶ放物線と直線の交点に関する問題に含まれる内容でもあるので、「変化の割合」として独立して出題されることは少ないです。
    2乗に比例する関数の場合、グラフは放物線ですので、変化の割合は一定ではありません。
    どの点からどの点までの変化の割合なのか、与えられた条件にそって、yの増加量/xの増加量 の計算をして求めていきます。

    問題 関数y=3x2で、xが-2から3に変化するときの変化の割合を求めなさい。

    与えられた式に代入すると、x=-2のときy=12、x=3のときy=27です。
    このときは「いったん0を通る」などと考える必要はありません。
    よってxの増加量は5、y増加量は15。
    したがって変化の割合は15/5=3です。

    これには裏ワザがあります。
    比例定数がaの2乗に比例する関数で、xがpからqへと変化するときの変化の割合は、
     a(p+q)
    で求めることができます。
    上の問題では、3(-2+3)=3と一度で答えが出てきます。

    これは公式です。
    この公式の証明は、それほど難しくありません。
    x=pのときy=ap2、x=qのときy=aq2
    よってxの増加量はq-p。
    yの増加量はaq2-ap2=a(q2-p2)=a(q+p)(q-p)。
    よって変化の割合は、a(q+p)(q-p)/q-p=a(q+p)。

    これが使えますと、放物線と交わる直線の式なども簡単に求められます。
    しかし、この公式は、公立中学校では教えません。
    教科書準拠のワークの発展問題にこの関連問題が1題載っている程度です。
    進学塾でも上位クラスの生徒だけに教える内容です。

    なぜ教えないのかと言えば、この公式は見た目はシンプルですが何を意味しているのかぱっと見た限りではよくわからないからでしょうか。
    言い方を変えれば、実感を伴わない公式です。
    こういう公式は数学が苦手な子には定着しません。
    中途半端に使ってかえって混乱する可能性のほうが高いです。
    そうなるくらいなら、時間はかかっても意味のよくわかる作業をして求めてもらいたい。
    教える側にはそういう気持ちが働きます。
    だから、数学が苦手な子は教わることがなく、地道に解くことになります。

    数学が苦手な中学生は教わらない裏ワザや公式は、このようにたくさんあります。
    多くは高校で学ぶ内容を先取りして、中学生のうちに使ってしまうものです。
    それらの公式は使えればスピーディに問題を解くことができます。
    手間を省いているので途中の計算ミスの危険性も減ります。
    だから、数学が得意な子はますます速く正確に問題を解いていけます。
    何というか、「数学格差」とでもいうものが広がっていく気がします。

    ただ、数学のテストというのは十分な時間がありますので、裏ワザなんか知らなくてもしっかり解いていけば良い結果を出すことができます。
    裏ワザや公式を振り回すわりに何だか得点が安定しない子も多いのです。
    それよりは、基本に忠実にしっかり得点を重ねていくほうが良いでしょう。
    単なる作業手順にせずに、1問1問理解して問題を解いてほしいです。

    高校数学になれば、理解していなければ解けない問題が増えてきます。
    作業手順として覚えるには複雑すぎ、多岐に渡り過ぎて、暗記などできなくなります。
    自分がやっていることの意味を理解して解いていくことのほうが大切です。

      


  • Posted by セギ at 17:13Comments(0)算数・数学