たまりば

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2017年08月26日

文章を読解できない理由。



夏期講習に入り、高校3年生の英語の授業は過去問を使って実践的な演習を始めています。
最近の5~6年の過去問はもう少し入試が近づいてから解きたいので、それ以前のものや受験する可能性のない学校の過去問を、この時期の演習には使用します。
その中で、英語力にそんなに課題があるわけではないのに、共通して解けない問題があるのを発見することがあります。

例えば、ある論説文。
大体、こんな内容です。
若者がイヤホンを使用し電車の中で音楽を聴いている光景も当たり前になった。
他人に迷惑をかけずに電車内で音楽を楽しめるのは良い点ではあるが、彼らは、電車の中という公共の場でも他人と接触することがなく、それぞれに孤立している。

このような文章に関しての、第1問。
「筆者は、電車でイヤホンを使用することの利点は何であると述べているか」
これは四択問題で、正解は、
「他人に迷惑をかけずに音楽を楽しめること」
という選択肢なのですが、この夏、この問題を解いた3人が3人とも間違えて次の選択肢を選んでしまいました。
「電車の中でも他人と接触せずに済む」

( 一一)
筆者はそれをむしろ否定的に書いています。
しかし、生徒たちはそれを利点と感じるせいなのか、そのひっかけに見事に騙されていました。

また別の英文。
それは、仕事と余暇に関する文章でした。
以下のような内容です。
週休2日制が普及し、以前と比べて余暇の時間が増えている。
しかし、余暇の時間を持て余している人も多い。
従来、余暇は仕事をより良いものとするための休息の意味合いが大きかった。
生活において仕事が第一であり、余暇は仕事を能率的にこなすための休息であった。
しかし、近年、生活の中心は家庭であったり趣味であったりとする考え方が生まれている。
そうした考え方においては、余暇は仕事のための休息ではない。
だが、従来の仕事中心の考え方に影響されている人もまだ多い。
そうした人たちは、余暇の時間に遊ぶことに罪悪感を覚えることがある。
だから、余暇を仕事に使ってしまったり、余暇の時間に別の仕事を探してしまったりする。
仕事と余暇とのバランスをもっと考えていくことが必要である。

この文章に対する最後の設問。
「筆者がこの文章で最も述べたかったことは何か」

正解は、
「仕事と余暇とのバランスをもっと考えていくことが必要である」
という選択肢です。
しかし、生徒たちが選んだのは、
「近年、ますます余暇が増えている」
という選択肢でした。

・・・いやいや、それは単なる事実で、筆者が最も言いたかったことではないです。
( 一一)



なぜ、ここを間違えてしまうのでしょうか。
1人正解できない人がいたというだけなら、その子の読解力の問題ですが、さまざまな英語力の3人が3人とも、同じところで間違えるとなると、何か他に理由があるのかもしれません。

これは、国語においても言えることだと思うのですが、彼らは、文脈を正確に追わず、主観で文章を読んでしまったのではないかと思うのです。
イヤホンの件で言えば、筆者が否定的に述べていることが、自分にとっては魅力的なことだったので、否定的にとらえることができなかったのではないでしょうか。
仕事と余暇のバランスに関する文章は、自分の生活や考えとかけ離れていて、筆者の言っていることが理解不能だったので、そこを避け、自分が理解できる選択肢しか選べなかったのかもしれません。


それで思い出したのは、この夏、中3の夏期講習で国語の読解をしていたときに、本文中のいくつかの傍線部を「事実」と「意見」に分けるという比較的単純な問題を正答できない生徒もいたということです。
学力的には問題のない子です。
申し分ない学力の子が「事実」と「意見」を区別できないことに私は内心驚いたのですが、そもそも、そのような観点で文章を読んだことがないのかもしれません。
筆者の意見と自分の意見、あるいは意見と事実とを区別できないまま、曖昧な状態で文章を読んでいるのでしょうか。

もっとテクニック的に、文章中のA内容(世間の常識的な概念)とB内容(筆者の考え)とをサクサク対比して、選択肢をザクザク消してさっさと正解を出していく国語読解法を指導しようと思っていたのですが、ああ、この子たちはもっと手前だと感じました。
文章を読んだ経験がとにかく足りない様子です。

しかし、そういう話になると、「本をもっと読みましょう」という結論になりがちです。
それは勿論悪いことではないのですが、そういうときの「本」は、たいてい物語や小説で、文章の構造そのものが違いますから、上にあげたような論説文は読み慣れないままとなる可能性が高いのです。
小説も読めない子なら、まず小説から読めばいいでしょう。
しかし、学力が高い子は、小説ならまあまあ読解できる子が大半です。
問題は、論説文が読めないこと。
そんな文章、どこで読めばいいのでしょうか?
学校の図書室を探しましょうか。
あれ?
学校の図書室に論説文なんてありましたっけ?
誰が書いたどんなタイトルの本が論説文なんでしょう?

模試や入試に出題される論説文は、新聞や雑誌に掲載されたものが大半です。
評論集としてまとめられているものもあるでしょう。
しかし、生徒はそういうものに触れる機会がほとんどありません。
読もうと思っても、どこに載っているのかわからないのです。
ですから、論説文を読むには、論説文の問題を解くのが一番手軽で確実です。
日常的に国語の論説文問題を読み、解いていくことで、論説文の読解力がついていきます。
普段読んだこともなく、解いたこともないから、たまに模試や入試で解こうとしても、どう読んでいいかわからないのですね。


ところで、国語の場合は物語文は得意だが論説文は苦手という子が多いですが、英語になるとそれが逆転しがちなのも面白い傾向です。
英語の場合、論説文なら読み取れるのに、小説やエッセイになると、何が書いてあるのかわからなくなる子は多いです。
近年、大学入試の英語問題に小説が用いられることは少なく、実用的な英文を読み取れることが第一とされてはいますが、たまに英語で物語文を読むと、ある程度の英語力のある子でも、内容をほとんど読み取れないことがあります。
ユーモラスな文章、ジョークを交えた文章は特に読み取れない様子です。

例えば、こんな文章。
オーストラリア出身の若者が、ロンドンで生活しています。
ガーデニングで庭に穴を掘っていると、近隣の人に声をかけられます。
「プールでも作っているのかい?」
「いや、故郷に帰ろうと思ってね」

問題 この若者の返答の意味を面白さがわかるように説明しなさい。

この問題に正答できた生徒は、今のところ1人も存在しません。
正解を説明してあげても、それの何が面白いんだという顔をしています。

その他にも、英語で書かれた小説やエッセイは、例えばヨットでサルが暴れていたり、日本人なのにネイティブ・アメリカンと間違われ続けたり、屋根裏部屋に幽霊が出たり、頭の中に空洞があることに気づいたりと、生真面目に英文を読んでいる高校生ほど書いてあることが理解不能であるらしく、なかなか正答できない様子です。
英語で書いてあることは真面目なことだと思いこんでいるのかもしれません。
英語で読むだけでもハードルが高いのに、書かれてあることが予想外に突飛な内容だと、自分が正しく読み取れている自信が持てない。
英語はもっとありがちな、環境問題とか、異文化コミュニケーションの大切さとか、そういう教科書に載っているような内容が書いてあるほうが読みやすい。
・・・わかりますけれど、少し頭の硬い考え方だなあとも思います。
結局、それも、英文を読んだ経験が不足していることが最大の原因なのでしょう。

  


  • Posted by セギ at 17:55Comments(0)英語

    2016年11月11日

    英文法が苦手な子。


    高校生と「分詞」の学習をしていたときのことです。
    例えば、下のような( )の語を適切な形に直す問題。

    Do you know the man (sit) on the bench ?

    分詞の限定用法の問題ですね。
    中学では「分詞の形容詞的用法」という言い方で学びます。
    分詞が名詞を修飾する用法です。
    修飾される名詞 man が sit という動作をするのですから、現在分詞 sitting が正解です。

    Ken showed me some pictures (take) by his brother.

    修飾される名詞 pictures は take という動作をされるのですから、過去分詞 taken に直します。

    ここまでは中学の復習。
    その子の学校の教科書の練習問題で復習しても、順調に正解していました。
    そこから先が高校の「分詞」の学習。
    分詞の叙述用法に進みました。
    SVCやSVOCのCに分詞を用いる用法です。

    ここでも現在分詞と過去分詞の使い分けが課題です。
    SVCの場合は、Sが動作主ならばCは現在分詞。
    Sが動作される側ならばCは過去分詞。
    SVOCの場合は、Oが動作主ならばCは現在分詞。
    Oが動作される側ならばCは過去分詞。
    「動作主」という言葉は厳密には古文で使用する用語ですが、便利なので私は英語の授業で使っています。

    文法が得意な子にとっては、明瞭でわかりやすいルールです。
    例外的なことを1つ1つ覚えるのは大変ですが、英語はこういう大きいルールが広く適用されるので学びやすいですね。

    しかし、その子は文法が苦手です。
    説明するだけで覚えるタイプではないので、何度もルールを復唱してもらい、その後、練習問題を解きました。

    He kept (knock) on the door until I opened it.
    その子の答えは knocked でした。

    「・・・・え?何で?」
    文法を正確に復唱できるまで何度も練習したのに、何で?
    「door はノックされるから・・・・」
    「・・・・え?」

    限定用法の話はさっき終わり、叙述用法だよと言ったのに、何でその話に戻るんだろう?
    ( ;∀;)
    door は、直前・直後の名詞ではないから、分詞に修飾される名詞ではありません。
    「・・・・knock の直前の単語は kept だし、knock の直後の単語は on だよ。door は随分離れている。関係ないよ」
    「あ・・・」
    「・・・・knock が door を修飾するんだったら、語順は the knocked door になるよ」
    「・・・・・」

    文法が苦手な子に英文法の授業をしていると、上のようなことが起こりやすいのです。
    教えたことが上手く伝わっていきません。
    上の例は、相手が何をどう誤解したのか明確だったので改善の可能性があり、まだ明るい光は見えているのですが、普段はもっと不可解なミスの繰り返しです。
    ミスの原因を生徒が言語化できない場合が多く、なぜそこを間違えるのか理解できない場合がしばしばあります。

    もう一度その子の学校の教科書に戻り、文法を確認してから教科書の練習問題を解くと、それは全部正解できました。
    「教科書の問題は正解できるね」
    「これは、答えを覚えているから・・・・」
    「え・・・・?答えを覚えている?」
    「復習したっていう意味ですよ」
    「・・・・私は何回解いても、問題の答えなんか覚えないけど?」
    「・・・・・?」
    「何でそんな意味のないことを覚えるの?」

    文法は覚えないのに、何で答えを覚えるの?
    (''Д'')

    愕然として、私は悟りました。
    文法が苦手な子は、そういう勉強をしてしまうのか・・・・。
    なぜ英語が得意にならないのか、その一端が垣間見えた気がするのです。
    いや、英語に限らずなぜ勉強が得意にならないか。
    努力をしているのは伝わってくるのに、なぜ結果が出ないのか。
    その一端が見えた気がしました。

    うちの塾で今、英語が最も得意な子は、90分の授業時間の中で、問題のぎっしり詰まったテキストや確認テストを毎回平均12ページ解いて帰っていきます。
    30分あたり4ページ。
    答え合わせの時間もありますから、1枚解くのに5~6分というところでしょう。

    この春、国立大学に合格した子は、1冊40ページのテキストを丸ごと宿題に出しても翌週全部解いてきていました。

    このあたりがトップクラスの実力です。

    しかし、英語が苦手な子たちのスピードはガクッと下がります。
    上に書いた高校生は、最初にいろいろ説明しなければなりませんし、間違えているとさらに説明する時間も長くなるのですが、演習スピード自体も遅く、90分の中で結局1ページしか解けませんでした。
    そしてその1ページの問題の答えを覚えることが、その子にとっての復習なのだとしたら・・・・。

    12ページと1ページ。
    塾だけで12ページ解く子が、問題の答えを覚えているかといったら、覚えているはずがありません。
    いちいち答えを覚えていられるような量ではありません。
    余程印象的な問題が含まれていたら別でしょうが、翌週同じプリントを渡しても、同じだと気づかず解き終わるかもしれません。
    学習した文法にしたがってサクサク解いているだけだからです。

    教科書の重要例文ならば日本語訳から復元できます。
    そういう練習はしています。
    でも、教科書の問題の答えは覚えていないでしょう。
    何度解いても正答できるでしょうが、それは、答えを覚えているからではないでしょう。

    その子は反論しました。
    答えだけ覚えようという気持ちではない。
    復習すると自然に答えを覚えてしまうのだ。
    それでも、「その勉強のやり方は変えなさい」と言わざるをえません。
    その子は、類題で正答できないのですから。
    教科書の問題の答えは覚えたれど、もっと重要なことを覚えていないのです。
    その問題を解く中で抽出し理解するべき文法を把握できていません。
    答えを覚えてしまうくらいに数少ない問題をねっとり見つめ続けることが文法把握につながっていないのです。

    有効なやり方は正反対のものでしょう。
    教科書の問題の答えは覚えていないけれど、文法は覚えた。
    多くの問題練習でその文法を実践できるようになった。
    だから、教科書の問題は何度解いても正答できる。
    他の問題も正答できる。
    定期テストの問題も正答できる。
    入試問題も正答できる。
    文法の勉強はそういうふうにやっていってほしいです。

    中学で英語が苦手だった男子に多いですが、「英語って文法だよ」「理屈で斬っていけるものだよ」と理解できるとロケット並みの成績上昇を見せることがあります。
    英語のシステムは理解しやすく明瞭で好ましい。
    こういう感覚になれば、あとは単語・熟語さえ覚えればどうにでもなるとわかりますので、覚えることにも抵抗がなくなります。
    そういう方向に転換できるといいなあ。

      


  • Posted by セギ at 14:50Comments(0)英語

    2016年10月24日

    英作文が苦手。


    英検2級の出題内容が今年度から変わりました。
    従来の大問3の乱文整序問題がなくなり、代わって英作文が出題されるようになりました。
    与えられたテーマに沿って、80語から100語の英文を書きます。
    本年度第1回日曜日実施問題のテーマは、オフィス・カジュアルについて。
    第2回日曜日実施問題のテーマは、化学物質を使わない農業について。

    何だか難しそうですが、実際の試験はもっと親切で、色々説明してくれています。
    例えば、第1回の問題では、
    「今日、従業員にジーパンやTシャツのようなカジュアルな服装を許可する会社もあります。
    そうした会社の数は将来増えると思いますか」
    これならイエスかノーかですから、意見が書きやすいですね。
    試験問題は、そう思う理由を2つ書きなさいとも指示されています。
    しかも、参考となるポイントも3つあげられてまいす。
    ビジネス・カルチャー
    快適さ
    ファッション
    このポイントは使っても使わなくても構いません。

    これは、従来からある英検準1級の問題の指定語数が少ないだけです。
    本気で対策したい人は、英検準1級の過去問を買って、指定語数だけ変えて解いて、模範解答を参考にすると良いと思います。
    2級に合格したら次は準1級ですから、無駄になる買い物ではないですし。
    もっと本気で対策したい人は、NHKのラジオ講座「ビジネス英語」はこうした話題を常に扱っていますから勉強になると思います。
    新しいものの考え方を、それをどう英語で表現するかも含めて書いてあるので、テキストを読むだけでも面白いです。

    しかし、本音を言えば、これで合否が決まるわけではないので、そんなに構えなくても大丈夫じゃないかなあというのが私の感想です。
    何か書いておけば部分点は入るので、それでいいんじゃないでしょうか。
    他で得点すれば大丈夫です。
    というのも、英検2級対策を頼まれると、この英作文対策ばかり要求されそうで、でもそういうことじゃないのになあと感じるからです。
    今まで通りの勉強で合格すると思います。

    「英作文が苦手」と言う人は多く、あまりにも苦手なので去年のうちに無理をして英検2級を取った生徒もいます。
    そのほうが余程大変なんですが、「英作文が1題出る」というのはそれほどショックなことなのかもしれません。

    しかし、「英作文が苦手」と言う人が、本当にそんなに英作文が苦手なのかというと、どうもそうではない場合も多いように思います。
    何を書いても△がついて返ってくるテスト答案にショックを受けてしまう。
    そして苦手意識を持ってしまう。
    そういう場合も多いです。
    私は英作文で満点を取ることを目標としたことがないので、そのショックがよくわかりません。
    採点するときに満点をつけたこともありませんし。
    英作文問題は、満点でなくても構わないんです。
    まず、そこから意識を変えられるといいなあと思います。

    英作文の何が△になってしまうのかというと、大きくは「文法上の誤りやスペルミス」と「内容」に別れます。
    文法上の誤りやスペルミスが多いほど減点されるのは当然で、それは英語力の問題ですから改善したいです。
    単純に、冠詞の有無や時制のミスも多いですが、もう少し根深いミスもあります。

    中学生や、英語があまり得意ではない高校生が、英作文の宿題が出ると辞書を引いて英文を書いてくることがありますが、品詞に対する意識が希薄なので動詞や形容詞を名詞のように主語として使っていたり、接続詞を使わず文と文をつないでいたり、主語がなかったり語順がおかしかったりします。
    「これ、日本語から英語にしたでしょう?しかも、辞書を引きましたね?」
    と指摘すると、本人は努力してそうしたので、そこを非難されるとびっくりしてしまう様子です。
    品詞によって単語を使い分ける文法知識がないと、辞書を引いても正しい英作文はできません。
    英文として読み解くことが困難な、暗号のようになってしまい、
    「これ、何が言いたかったのか、日本語で説明してくれる?」
    と私は質問せざるを得ないのですが、そう質問されると生徒はぶ然とし、なかなか答えてくれなかったりします。
    嫌味で言ってるわけじゃない。
    本当に意味がわからないから訊いているんだよー。
    ( ;∀;)

    例えば「環境問題」を語るのに、「環境問題」を英語で何と言うか、ど忘れした。
    そういうことなら辞書を引いて解決したら良いのですが、日本語の言い回しを辞書を引いて繋げただけの作文は、異形のものです。
    読むほうもつらい。
    本人の努力のわりに報われません。
    そうしたことを繰り返したあげくの挫折感から英作文が嫌いになってしまうのは、勿体ないし、哀しいです。
    もっと平易な、自分が自力で書くことのできる範囲の英語で十分なのです。
    そこから少しずつ書く能力を高めていったら良いのですから。

    そうした英作文への姿勢が直り、自力で英文を書くようになった子にも、さらなる困難はあります。
    そもそも、日本語の作文すら苦手である。
    書くことがない。
    意見がない。
    何も思い浮かばない。
    そういう子も多いです。
    これが「内容」に関する課題です。

    そうした子のためにも英検2級の出題形式は有難いです。
    イエスかノーなら誰でも判断できますし、そう判断した理由も何かあるでしょう。
    そして、もし作文の課題がそういう形式ではなかったら、自分でそういう形式に直したらいい。
    これは、入試の小論文対策などでも、よく言われることです。
    漠然とした課題をイエスかノーかで答えられる問題にする。
    その内容について、イエスかノーかを明示する。
    その理由を述べる。
    それで十分合格点の作文を書くことができます。


    しかし、「内容」に関する問題は、他の側面もあります。

    あるとき、生徒の定期テスト答案を見ると、使役動詞を用いてひと続きの内容の3文を書きなさいという出題がされていました。
    その子の答案は、文法ミスを直して復元すると、このような感じのものでした。
    My parents don't let me use their computer.
    Because it made me play video games for many hours.
    So I am careful not to use it.

    おお。使役動詞を2個も使っている。
    でも、採点した先生の評価は低かったようです。
    第2文、第3文はほとんど直されていました。

    Because I can play video games with it for many hours.
    So I decide not to use it.

    先生の添削では、むしろ使役動詞は使われていません。
    生徒が書いた、
    「コンピュータが私にテレビゲームをさせた」
    「コンピュータを使わないように気をつけます」
    という表現が完全に直されているのが興味深いです。

    1つには、それは英語的な発想ではない。
    論理構造が何かおかしい。
    無生物主語は英語によくあるとは言え、こんな言い方はしないでしょう。
    日本語としても、そういう表現は大人をイラッとさせる気がします。

    コンピュータが私にテレビゲームをさせた、じゃありませんよ。
    あなたが勝手に長時間やったんです。
    コンピュータは強制していません。
    それをコンピュータのせいにする自分の甘さを直視できていますか?

    コンピュータを使わないように気をつけます、じゃありませんよ。
    なぜバシッと「使いません」と言えないんですか。
    何か主体性を感じないなあ。
    どうしてこうも受動的なのかなあ。

    そうした先生の怒りや心配が添削された英作文から感じられて、私には興味深かったのですが、その生徒に学校の先生の気持ちが伝わったかどうかは微妙です。
    本人の感想は、
    「テレビゲームって、ビデオゲームって言うんですね」
    でした。

    そこっ?(''Д'')

      


  • Posted by セギ at 13:50Comments(0)英語

    2016年07月14日

    英訳と和訳と。


    先週、高校生の英語の期末テスト対策をしたときのことです。
    テスト範囲に日本語の詩を英訳されたものがありましたので、ひと通り一緒に読むことになりました。
    私は読んでいて面白い内容だったのですが、生徒は浮かない顔をしています。
    「どうしたの?」
    と問いかけると、
    「私が知っているのと、この訳が違うから、違和感が・・・」
    と言うのです。
    ほお?
    確かに、こんなに有名な詩なら幾通りもの英訳が存在するのかもしれません。
    そのどれか1つを以前に読んだことがあって、それとの違いが気になるのかな。
    それにしても、良い勉強をしているものだなあ。

    私は答えました。
    「英訳は色々な種類があるでしょう。和訳もそうでしょう。最近、『秘密の花園』の新訳が新潮文庫から出たよね。慣れている訳もいいけれど、現代にふさわしい新しい訳も良いね」
    「あ。そうなんですか?出たんですか?」
    とかみ合った会話をしているような印象が最初はありました。
    この子も高校生になり、手応えのある会話ができるようになったなあ。

    しかし、よくよく聞いてみると、その子の言う「私の知っているの」は単に、日本語のもともとの詩のことなのでした。
    自分の知っている日本語が英訳されていることに違和感を感じただけだったのです。
    何だ、そうかあ・・・・。
    思ったよりもずっと子どもっぽい違和感です。
    しかし、それは私が先走りし過ぎただけで、そんなことでがっかりされたら生徒が迷惑ですね。

    英語から日本語に直すときも、それが文学作品ならば、訳す人の言語感覚で色々な訳があり得ます。
    日本語の詩を英語に直す場合も当然そうです。
    そういう話をしているのだと私は思ったのですが、まだまだ高校生はそんな次元でないのも仕方ないでしょう。

    一方、受験英語としての和訳は文法的に正確に訳すことが第一で、文学性は関係ありません。
    とにかく文法的に正しく構造をつかんだ直訳をする。
    それが日本語として不自然な場合にのみ、意訳をする。
    この鉄則で訳していきます。
    小説を読むのが好きな子の中に、自分の和訳がバツになるのは学校の先生とセンスが違うからと誤解している子がたまにいますが、和訳は文学センスの問題ではなく語彙と文法の問題です。
    その子の和訳がバツになるのは、文法的に、主に修飾関係が間違っているからなのですが、そういうことは1つ1つの誤答がなぜ誤答であるか分析してもらえないと把握できないことかもしれません。
    模範解答と自分の解答を見比べても、文意にばかり目がいって、自分の和訳の何が誤答なのか自分では分析できない高校生は多いです。
    「言ってることは同じじゃん!」
    と文句を言うんですね。
    しかし、そういうことではないのですよ。

    ともあれ、面白かった英訳 Strog in the Rain を以下に引用します。
    アメリカ出身のロジャー・バルバース(作家・演出家)の訳です。
    テスト問題としては出題しにくいので、期末テストには出なかったろうと思いますが。

    Strong in the rain
    Strong in the wind
    Strong against the summer heat and snow
    He is healthy and robust
    Free from desire
    He never loses his temper
    Nor the quiet smile on his lips
    He eats four go of unpolished rice
    Miso and a few vegetables a day
    He does not consider himself
    In whatever occurs ... his understanding
    Comes from observation and experience
    And he never loses sight of things
    He lives in a little thatched-roof hut
    In a field in the shadows of a pine tree grove
    If there is a sick child in the east
    He goes there to nurse the child
    If there's a  tired mother in the west
    He goes to her and carries her sheaves
    If someone is near death in the south
    He goes and says, 'Don't be afraid'
    If there are strife and lawsuits in the north
    He demands that the people put an end to their pettiness
    He weeps at the time of drought
    He plods about at a loss during the cold summer
    Everybody calls him Blockhead
    No one sings his praises
    Or takes him to heart...

    That is the kind of person
    I want to be

    そういうものに、私もなりたい。

      


  • Posted by セギ at 13:05Comments(0)英語

    2015年03月06日

    英語教科書と平和教育



    桜便りが待たれる項。
    上の画像は、去年の桜です。

    今日は、英語教科書の文章の話。
    中学や高校の教科書に載っている文章を、改訂される度に私は楽しみに読んでいます。

    記憶に残るもので言えば、
    戦場カメラマンが撮影したベトナム戦争の写真にまつわる話。
    ユダヤ人6000人の「命のビザ」の話。
    メジャーリーグ初の黒人選手の話。
    東京でホームレス生活を体験したことを踏まえて、フードバンク・ビジネスを起業した話。
    新聞や雑誌で話題になったことが、すぐに次の改訂時に取り込まれて興味深いです。

    英語教科書によく載っている話の1つに、地雷にまつわるものがあります。
    これは、何度改訂されても、また同じ話が載っていたりします。
    地雷の被害に遭った現地の人の話。
    ボランティア活動中に被害に遭った人の話。
    同じエピソードが高校生向けに書かれていたり、易しい中学英語に書き直されていたりもします。

    どの話も、戦争の悲惨さを語っています。
    でも、地雷の話は、どうしても遠い世界の出来事という印象があります。
    地雷を自分の問題としてとらえられないのは、私の感性の問題だと言われたら仕方ない。
    でも、私が感じとれないものを、普通の中学生・高校生が感じ取れるとは思えないんです。

    地雷に賛成する気持ちなんて、誰ももたないでしょう。
    地雷は良くない。
    でも、それだけです。
    「地雷は良くないと思います」
    そういう感想を持つだけで、そこからは思考停止です。

    それは、あまりにも、遠い。
    内戦が続いた遠い国の話。
    可哀想だ、ひどい話だ、と思うけれど、そう思うだけで終わってしまうのです。

    いろいろな教科書で別バージョンの同じ話を読むせいもあって、だんだんと、
    「ああ、はい、地雷の話ですね」
    と、事務的に処理してしまう気持ちさえ生まれてきます。
    それはあなたの感覚がおかしいと言われたら、確かにそうなのですが。

    地雷に関しては、1つ重要な情報があり、多くの教科書はそこに踏み込んでいません。
    「遠い国の悲しい話」でただ終わってしまうのは、そのせいもあるのではないかと思います。

    しかし、昨年、ある教科書の文章を読んで、ああ、この踏み込み方は凄いと感じました。

    例えば、地雷によって両脚を失ったカンボジアの男性が日本に立ち寄り、学校や政府に地雷撲滅キャンペーンの支援を求めるところを描いた文。

    His words touched the hearts of people all over Japan , who had not been aware that until that year their own country, too, was one of 50 countries producing and exporting as many as 5 million of these hidden weapons of terror every year.

    「彼の言葉は、日本じゅうの人々の心を打った。日本の人々は、その年まで、自分たち自身の国も、毎年500万個もの、この隠されたテロの武器を作り輸出している50の国々の1つであると、気づいていなかった」

    また、緒方貞子さんの言葉も、そこには引用されています。

    "In my view," she said , "there is little difference between those who use them and those who produce them."She even went so far as to call producing and usig them "a crime against humanity."

    「私の考えでは」と彼女は言った。「地雷を使う人々と、地雷を作る人々との間に、違いはほとんどない」 彼女は、地雷を作り使うことを「人間性に対する犯罪」とまで言った。 

    これは、プログレスという英語教科書です。
    中高一貫校で使われることが多い、文科省は認定していない教科書です。
    学習内容のレベルが高く、文科省のプログラムを無視していますから、最初から認定されることを目的としていません。
    だからこそ、この文が堂々と掲載されているのかもしれません。

    文科省認定を目指している教科書にこの文章が載っていたら、削除を要請されるかもしれません。
    読みようによっては、不穏当ですから。
    地雷問題における日本の責任。
    この文章は、読む生徒たちに、それを突きつけます。

    地雷を日本の会社が作っている?
    どこの会社が作っているの?
    今も作っているの?
    なぜ、そんなものを作るの?
    そもそも、それは本当のことなの?

    そうした疑問を抱くことで、国際社会への目が開かれるかもしれません。
    世界の中での日本の立場や、豊かさとは何かということを考えるフックになりえます。
    たった1つの情報が入るだけで、地雷問題は、遠い国の悲しい話ではなく、私たちの問題になります。
    心が、頭が、動き始めると思うです。
    これは、高校生に読んでほしい。


    とはいえ、現実の高校生とこの文章を読んでいると。
    「・・・・・凄いことが書いてあるねえ」
    感心している私の前で、生徒は頭を抱えます。
    「センセイ、どこがどうなってそういう訳になるのか、わかんない」
    「え?」
    「内容が頭に入ってこない」

    国際問題や平和問題を考えるためにも、まずは英語力を。
    ( ;∀;)

      


  • Posted by セギ at 13:19Comments(0)英語

    2015年02月13日

    何となく英語ができない子。



    錯誤は、学習の過程で起こりやすいものです。

    例えば、先日、ある生徒に「5文型」の指導をしていたときのこと。

    This meat doesn't look fresh.

    という英文を分析せよという問題がありました。

    正解はSVCです。
    SVCとSVOの見分け方は、S(主語)とイコールの関係になっているのが、C(補語)。
    参考書などには大抵そのように書いてありますし、その子も、学校の授業でそう教わったのでした。
    S=C。 S‡O。
    わかりやすい判断の仕方です。
    でも、その子の答えは、「SVO」でした。

    理由を訊くと、
    「だって、This meat は、freshじゃないんだから、イコールじゃあない。S=C、じゃない。だから、SVO」
    「・・・・・・・肯定文が否定文になった途端に文型が変わってどうするの。文型の分析というのは、そういうものじゃないよ」

    錯誤を起こしやすい原因の1つは、文法学習であるのに、英文の意味に頼り過ぎてしまうことにあるのかもしれません。
    なんでも意味から判断しようとしているので、このような錯誤が起こりやすいのでしょう。
    文法が嫌いで、文法なんか必要ない、英語は意味がわかれば何とかなると思っているのでしょうか。
    いや、むしろ、とにかく文法がわからないので、意味から判断しようとしているのかもしれません。

    CとOの識別は、品詞からも判断できます。
    Cになるのは、名詞・代名詞または形容詞。
    あるいは、それと同じ働きをする句や節。
    Oになるのは、名詞・代名詞。
    あるいは、それと同じ働きをする句や節。

    ですから、動詞の後ろに形容詞がある場合、それはCです。
    後ろが名詞の場合は、さらに識別の必要がありますが。

    しかし、文法が苦手な子は、このような話が嫌いで、なかなか理解しようとしてくれません。
    「形容詞」とか「名詞」という言葉を聞いた瞬間に電源オフ。
    そんな子が多いです。

    彼らは、名詞と形容詞の区別がつきません。
    freshの意味を訊くと「新鮮」と答えてしまいます。
    「新鮮な」と正しい形で覚えていることがほとんどありません。
    文法が苦手な子の多くは、単語の意味をほとんど名詞の形で覚えています。
    動詞も名詞の形で覚えています。
    例えば、understndは「理解」。

    英語なんて単語の意味がわかれば何とかなると、そういう子は言いがちです。
    しかし、文が複雑になるにつれて、品詞や文法を把握していない子たちは、文意を読み取れなくなっていきます。
    個々の単語の意味をすべて名詞として理解しているのですからそうなります。
    そういう子にとっては、文は名詞の羅列です。
    それでは、文全体として何を言っているのかは、わからなくて当たり前です。

    別の子の例。
    この子は、「現在完了」を勉強していました。

    I haven't done my homework yet.

    この英文は、「完了」「経験」「継続」「結果」のうちのどの用法か。
    この問いに、彼女は、「継続」と答えました。
    「私は、まだ宿題をやっていない」
    やっていないのだから、完了していない。
    きっと今もやっている。
    だから、「継続」。
    そういう判断でした。
    ここにも、文法と文意の混同が見られました。
    文意だけで判断すると、否定文になった途端、分析できなくなってしまいます。

    「already やyet を使っている現在完了の文は、完了の用法だよ」
    「そうなのお?」
    素っ頓狂に大声を出して驚いてみせるのですが、その話をするのは、もう何度目がわからないのです。
    ちょっとしたことで簡単に分析できるのに、それを覚えようとしません。
    意味から判断しようとします。
    幾度間違えても。

    意味から判断する子は、和訳は得意なのかというと、そうではありません。

    My grandmother sends me a postcard every month.
    「私の祖母は、毎月私に絵手紙を送る」

    この和訳を見たとき、「絵手紙」という言葉に、虚をつかれました。
    絵手紙?
    postcard が、絵手紙?

    「postcardって、葉書という意味だけど?」
    「え?」
    「絵葉書という意味さえないよ。単なる葉書だよ?」
    「えー?これ、間違いになりますか?」
    「この単語の分だけ減点されますね」
    「えー?」

    「祖母」だから「絵手紙」という推量なのでしょうか。
    確かに、絵手紙を趣味とする人は、若い人よりは中高年が多いでしょう。
    確認すると、本人のおばあさんが絵手紙が趣味だというわけではありませんでした。
    なのに、一般論で、そういう推量をしてしまう。
    それが、正しいと思ってしまう。
    かなり面倒くさい誤読の仕方です。

    こうした、わかるようでわからない混線が多いほど、和訳は奇妙なことになっていきます。

    When I saw the picture , I couldn't help thinking of her.
    「その写真は彼女であると、私は思わずにいられなかった」

    これも、不可解な混線を感じる和訳です。
    正しい訳は、「その写真を見ると、私は彼女のことを思わずにいられなかった」です。

    今、一応「写真」と訳しましたが、これは、「絵」である可能性もあります。
    そして、それは彼女の写真や肖像画であるとは限りません。
    何かの風景画かもしれません。
    別の人物の写真かもしれません。
    とにかくそれを見ると、彼女のことを思わずにいられないのです。
    しかし、そういう可能性を全て排除して、いきなり the picture を「彼女の写真」と思い込んでしまうと、これが長文の中の一文であった場合、その前後の読み取りに錯誤や混乱が起こる可能性があります。

    何かを頭の中で推測してしまい、それを和訳に反映させてしまう。
    前の「絵手紙」も、そういうことでしょう。
    これは、英語に限らず、国語の問題を読んでいてもやってしまう可能性のあることです。

    なぜ、書いていないことを読み取ってしまうのでしょう。
    「行間を読め」と言う人がいますが、行間なんか勝手に読んだらダメです。
    書いてないことは、読み取ってはいけません。
    必要なことは、全部書いてありますから。
    書き方が遠回しだったり高度な修辞が用いられていたりして、読み取りが難しい場合があるだけで、読解とは、基本、書いてあることしか読まないことです。
    勝手に行間を読むから妙な和訳になり、誤読につながってしまいます。

    1つ1つのズレは小さいけれど、積もり積もって本来の英文とは全く違うストーリーが頭の中で組み立てられてしまう子がいます。
    英文解釈の苦手な子に多いです。
    単語の意味が全部わかっていても解釈が歪んでしまうのですから、意味のわからない単語もあってそこは推測しながら全体の意味を読み取るとなると、さらにおかしな誤読が始まってしまいます。
    これをただすのは、英語力の問題だけではないので、厄介で時間がかかります。
    繰り返し繰り返し、何をどのように誤読しているか、本人とともに誰かが伴走し、指摘していかなればなりません。
    本人は、誤読を認めたがらないものですからね。

      


  • Posted by セギ at 18:52Comments(0)英語

    2014年11月24日

    小学生と英語。



    英検受検の低年齢化は、前々から一部であったのですが、年々加速し、拡大しているように感じます。

    本来の英検レベルは、
    5級が中1程度
    4級が中2程度
    3級が中3程度
    準2級が高1程度
    2級が高校卒業程度
    準1級が大学程度
    となっています。

    現在も問題のレベルはそのままなのですが、該当学年より上の級をできるだけ早く取ろうとする子が増えています。
    小学生が、英検2級に挑戦する時代。
    それをあおる子ども向けの英語塾も増えてきました。

    語学は、順番に学習を積み重ねていけば、そのレベルに到達できます。
    だから、小学生が英検2級を取得するのは不可能なことではありません。
    ただ、それは、低学年から英語を学び始めて、小学校6年生で2級を取得するというもので、3~4年かかります。
    中1から英語を勉強し始めた子が、英検2級レベルに到達するのに、やはり3~4年かかりますから、同じことです。
    「小学校6年生が英検2級」というと何か凄いことのような気がするだけで、4年もやれば、優秀な子は、それくらいのレベルに到達します。
    小学生であるとか、高校生であるとかは、語学に関しては関係ないのです。

    しかし、4年間英語を学習した全員が2級を取れるわけではありません。
    ある英語塾が公開している情報によれば、小学校6年生で2級を取得できた子は、生徒の1割。

    これを、
    「1割も2級を取れるの?凄い」
    と思うか、
    「9割も落ちこぼしているのか」
    と受け取るかは、微妙な問題です。

    子どもの中には、競争することで無限に伸びる子がいます。
    テストを繰り返し、ランキングし、クラス分けすることで、上のクラスに入った子は、さらに競いあい、伸びていきます。
    その果ての英検2級取得のようです。

    問題は、そうならなかった9割。
    英検3級をどうにか取得する大半の小学生たちの、その後です。

    英検の1次試験は、2級まではすべて記号問題です。
    しかも、リスニングの割合が大きく、全体で7割程度正解できれば合格します。
    合格基準はかなりゆるいです。
    英検3級は取得しているが、中学の英語の成績は「3」か、良くて「4」。
    そういう子は多いです。

    細部に対する意識が低いので、時制ミス、三単現ミスを繰り返す。
    be動詞と一般動詞の区別がつかない。
    日本語の語順で英文を作ってしまう。
    疑問文を作れない。
    そういう学力の子が、英検3級取得者にはたくさんいます。
    それでも、本人は、「自分は英語が得意」と思っています。

    子どもは、主観的ですから、自分が得意なことは価値のあること、自分が苦手なことは価値の低いこと、と思いがちです。
    だから、学校のテストの点数がぱっとしなくても、「英語が得意」というプライドは持ち続けます。
    文法問題は正解できないし、スペルミスは多いけれども、自分はリスニングやスピーキングは得意だし、そのほうが価値があると思っています。
    でも実際は、英文の読み書きがきちんとできる中・高生のほうが、リスニングやスピーキングの能力も高いです。
    「英語が得意」と思っている子のリスニングやスピーキングは、「お子様レベル」から脱却できていないことが多いんです。
    自分が一番褒められていた頃の英語力から、一歩も先に進めないのかもしれません。
    発音は、ちょっと良いんですが。


    近年、うちの塾でも、小学生で英検を受けたいのでその対策をしてほしいという依頼がときどきあります。
    英語教育熱にかられたお母様たちが無理に子どもにやらせているのかというと、どうも違うようです。
    これは、子どもたちの間の流行のようなのです。

    同じクラスの友達が英検3級を取った。
    羨ましいので、自分も取りたくなった。
    子どもに「英検3級を取りたい」と言われると、良い機会だから英語を勉強させようか、とお母様も考え始める。
    そういう流れのようです。

    これが、例えば同じクラスの友達がバイオリンを弾けるのが羨ましいから自分も習いたい、という話ならば、こうはならないのでしょう。
    わずかな練習でその友達と同じくらいにバイオリンが弾けるようになれると本人が思っていたら、周囲の大人は、いやそういうものではないからと言い聞かせるはずです。
    本人も、そういうものではないなと理解できるでしょう。

    しかし、英語の場合、小学校で誰もが一応授業を受けているせいか、他の子が3級を取ると、自分も取れると思ってしまうようです。
    相手が何年も英語を学んでいるという事実をすっ飛ばして、対等な気持ちになってしまうのでしょう。
    特に、他の勉強で負けていない場合は。

    小学生が英検3級を取るまでに、最短でも1年、そのための学習期間が必要です。
    現在、小学校の英語の授業は音声英語が中心です。
    それ以外に特別な勉強をしていない場合、中3レベルの単語はまず読めません。
    文法はそれほどわかっていなくても英検3級は取れますが、さすがに単語が読めず意味がわからない場合は、どうにもなりません。
    そのための1年が必要です。

    しかも、そうやって英検3級に合格したからといって、その後、中学生としてどうなるのかというと、前述のような、「ちょっと面倒くさいプライドをもつ、英語ができない子」になってしまう可能性も高いのです。
    英語を勉強するなら、ちゃんとやりましょう。

    小学生から英語を学ぶことには賛成です。
    ただ、目標は英検ではなく、中学・高校で通用する英語力。
    大学入試に通用する英語力。
    社会人として通用する英語力。
    英検は、そのための目安で、目標ではありません。

    最後に、中学受験で忙しく、英語の早期教育からは一歩引いている小学生たちの場合。
    中学合格の後、最初の半年ほどは、内部進学生の英語力に圧倒されることがあります。
    しかし、英語も学校の教科の1つ。
    勉強ができる子が、結局英語もできるようになります。
    小学生で英検2級を取得した一部の子にはかなわないかもしれません。
    しかし、中途半端に得意意識を持っているだけの子なら、1年以内で射程距離に入ります。
    中学2年になれば、抜き去ることができるんです。

    英語を小3から導入し、小5からは正式科目とする。
    先日、文科相は中央教育審議会にそう諮問しました。
    新指導要領に向けて、英語教育はまた転換点を迎えています。
    しかし、大学入試が変わらない限り、中学・高校の英語の授業は本質的に変わりようがありません。
    今も、入試にリスニング問題すらない私立大学は案外多いです。
    まして、スピーキングを大学入試にどう導入できるのか。
    現在の高校課程で「コミュニケーション英語」と名前を変えても、昔ながらの「リーダー」とほとんど変わっていない現状を、どう転換できるというのか。
    注意深く見守っていきたいと思います。

      


  • Posted by セギ at 14:57Comments(0)英語

    2014年06月30日

    なぜ英語ができないか


    日本人が英語を学ぶのならば、文法的アプローチをしていかなければなりません。
    ところが、文法なんか学んではダメだというような極論を口にする人がいます。
    しかし、これは、論点がズレているんです。

    つまり、大学受験のための英語は身についているのに、英会話となると全く英語が口から出てこない人がいるが、それはなぜなのかという問題と混同されています。

    しかし、それは、本人のメンタルの問題が大部分でしょう。

    自分の発音が悪いのを気にしている。
    通じないんじゃなかと不安なので、もごもごと小声で英語を言う。
    相手は聞き取れないから、訊き返す。
    「やっぱり、自分の英語は通じない」と傷つく。
    余計に、英語が口から出てこなくなる。

    正しくて素晴らしい英語を話そうと気負う。
    冒頭の「あー」ばかりやけに長く引っ張り、なかなか英語が口から出てこない。

    発音の間違いや、文法の間違いは、ネイティブではないのだから、当たり前。
    なのに、指摘されると、物凄く傷つく。
    メンタルが弱いので、一度傷つくと、二度と英語を話せなくなる。

    英語を話すといっても、そもそも英語で伝えたい内容を持っていない。
    英語を話さなければならない必然性もない。
    なので、そんなに本気で練習もしていない。

    それでは、話せるようになるわけがありません。

    そして、これらは、文法を学んだからそうなった、というものではないでしょう。
    本人に英語力があるのなら、後はこうしたメンタルの課題をクリアすれば良いのです。
    英語力そのものがない人よりも、むしろ英語習熟に肉薄しています。


    目標が、トラベル英会話に不自由しないことならば、文法ではなく決まり文句を暗唱することで何とかなるかもしれません。
    けれど、私が生徒に期待し、また期待されていることは、トラベル英会話の習熟ではなく、大学受験で高い得点を取ることができる英語力です。
    すなわち、受験英語です。
    スピーキングは、現在のところ、入試にありません。

    受験英語は、悪者ではありません。
    高い受験英語能力を持って大学に入り、それから大学で、今度は会話の訓練をつめば、鬼に金棒です。
    次元の違う英語が話せるようになります。
    まずいのは、その2つのことを混同したり、子どもに受験英語を軽視する根拠を提供したりしてしまうことのほうです。
    軽視しても、結局、受験英語を習得しなければならないのに。
    それでは、軽視した受験英語に報復されてしまいます。

    大人でも文法を軽視する人がいるくらいですから、子どもになると、もっとひどいです。
    英文法はもちろんですが、国語の文法も、大嫌い。
    そういう子は、伝家の宝刀を抜きます。
    「なんで国語の文法なんて勉強しなければならないの?文法なんかわからなくても、日本語は話せるよ」

    しかし、国語の文法がよくわかっていない子は、英語も苦手なことが多いです。
    ある程度まではいけるんですが、英文が長くなると、わからなくなります。
    中2の2学期で学ぶ「不定詞」でまずモヤモヤします。
    名詞的用法・形容詞的用法・副詞的用法。
    そういう文法用語へのアレルギーが強い上に、その使い分けというと、もっとわからない。
    意味で区別すればいいじゃん、と安易に考えていると、形容詞的用法の「~のための」と副詞的用法の「~のために」の区別がつかなくなります。
    日本語の「の」と「に」の違いがよくわかっていない子に、こんな識別は無理というもの。
    そして中3になり、「分詞」や「関係代名詞」を学習するようになると、どういう順番で英語を並べていったらいいのか、全くわからなくなります。

    それでも何とか高校生になると、高校の英語のテストには、和訳問題が出題されます。
    大学入試に和訳問題が出題されますから。

    本人は正答したつもりでいた。
    なのに、テストが返ってきたら、和訳問題は、間違いだらけ。
    そんなことがあります。
    「学校の先生が訳した通りに書いたのに、バツになった。意味わかんない」
    へえ・・・、と思いながら、答案を見ると、これは不正解だろう、という答案です。
    たとえば、

    ゛The tofu road ゛that started in China dose not end in Japan  or in Asia.

    「豆腐の道」は、中国で始まった。そして、日本やアジアで終わらない。


    「・・・本当に、学校の英語の先生は、こんな訳をした?」
    「したよ」
    「中国で始まった豆腐の道は、日本やアジアで終わらない、と訳さなかった?」
    「それ、同じでしょう」
    「・・・・なるほど」

    それが同じに思える感覚では、和訳問題は、正答できません。
    和訳問題は、文法問題です。
    文法構造の複雑なところを訳す問題が大半です。
    だから、構造が把握できていない和訳は、不正解です。
    この文では、that started in China は関係代名詞節で、
    The tofu road を修飾しています。
    そのことがわかっているとアピールする答案を書かないといけないのに、頭から順番に訳しているだけ。
    これは、不正解です。

    内容把握だけなら、頭から意味をとっていけば良いのです。
    だから、最初の誤訳でも、まあ良いでしょう。
    近年、易しい私立大学では、平易な長文を読んで内容が理解できれば解ける問題が多く、和訳問題はほとんど出ない大学もあります。
    そのため、和訳そのものを古くさいと勘違いしている子もいるのですが、国立大学の二次試験は、無慈悲なくらいに和訳問題が出ます。
    ですから、高校の定期テストも、その高校のレベルによって、無慈悲なくらいに和訳問題が出題されます。


    正確な訳をするためには、両方の言語の文法体系を把握していなければなりません。
    しかし、現代の子どもの日常会話には、そもそも、修飾節など存在しません。

    問題 次の日本語を英語に直しなさい。

    私が、昨日、駅への道を教えた男の子は、少し日本語を話した。

    これのよくある誤答。

    I told a boy the way to the station spoke Japanese a little yesterday.

    駅が、昨日、日本語を話したのかな・・・。
    日本語の順番のまま英単語を並べるだけじゃ、ダメなんだよー。
    ( 一一)

    次に、少し勉強している子の誤答。

    Yesterday I told the way to the station to a boy who spoke Japanese a little.

    惜しい。
    それの和訳は、「私は、昨日、日本語を少し話す男の子に、駅への道を教えた」です。

    「同じじゃん!」
    口に出すにしろ、目で訴えてくるにしろ、そういう反応の子は多いです。

    「私が、昨日、駅への道を教えた男の子は、少し日本語を話した」
    「私は、昨日、日本語を少し話す男の子に、駅への道を教えた」

    確かに、事実は、同じです。
    しかし、この2つの文は、伝えたいことが異なる文です。
    ですから、日本文が異なりますし、当然、英文も異なります。
    日本語を見て、主語は「男の子は」であると分析できないと、この日本語を正確に英訳することはできません。
    主語を分析する作業は、本人が身につける気になれば、難しいことではありません。
    しかし、文法を軽視する子は、幾度その話をしても、その分析をせず、与えられた日本語の冒頭から英訳してしまいます。
    そして、
    「だって、主語なんてわからないもん」
    と泣き言を言います。
    必ずわかるから、難しいことじゃないから、と幾度説明しても、心理的な拒絶反応が大きい。
    私が見ている間はその作業をしても、宿題やテストでは、また感覚で書いてしまいます。
    文法的な分析をしなければ正答できないということが、理解できないようなのです。
    文法なんかわからなくても正しい英文は書けると、いつまでも夢見ています。

    言語能力の高い子は、瞬時に主語を分析します。
    それが、まるで分析などしていないように見えるのかもしれません。
    本当は、しているんです。
    本人すら無意識の場合もありますが。
    我々は、日本語を話す場合に、文法を意識していません。
    でも、文法を用いて話しています。
    そのことを理解できない子は多いです。
    英語には文法学習など必要ないという大人も、そういう人なのかもしれません。

    中学生の日常会話は、主語がどうの修飾語がどうのと分析しなければならないような構造のものではありません。
    そのことも影響しているのでしょう。

    上の文を中学生との会話で再現するなら、こんなふうになるでしょうか。
    「昨日さー」
    「うん」
    「歩いててさー」
    「うん」
    「外人がさー」
    「・・・・どんな外国人?」
    「子どもー」
    「男の子?女の子?」
    「おとこー」
    「どこの国の人?」
    「知らね。アメリカ人じゃね?」
    「・・・英語を話していたの?」
    「日本語しゃべってんだよ。うけるー」
    「・・・いや、彼にしてみたら、私たちの英語のほうが、マジうけるかもしれないよ。・・・・で、その日本語を話す外国人の男の子が、どうしたの?」
    「駅はどこですかあ、とか言うからさー」
    「・・・で、教えたの、駅への道を」
    「教えたー」

    かなりひどい。
    しかし、大人と、このレベルの会話ができる子は、別に頭が悪いわけではありません。
    性格が悪いわけでもないでしょう。
    大人に、これだけの情報を伝達できれば上出来なほど、言葉の痩せている子は多いです。
    むしろ、こうした会話を交わしたとき、その子が、私に本当に語りたかったことを想像する能力が私に求められている。
    外国人と会話をした喜び。
    親切なことをした嬉しさ。
    それを読み取れるかどうか、私の能力こそが試されるんだ、と感じます。

    それはともかく、こういう会話をする子は、自分の母国語である日本語でも、
    「私が、昨日、駅への道を教えた男の子は、少し日本語を話した」
    という文は組み立てられないです。
    まして、それを英語で表現することは難しいでしょう。

    本人の国語能力を超える外国語は、習得できません。
    中学生のお子さんが、国語の文法がよくわからないと言い始めたり、実際にテストの得点が低かった場合、いずれ、英語の成績も伸び悩む可能性があります。

      


  • Posted by セギ at 15:09Comments(0)英語

    2013年10月31日

    英語の苦手な子の特徴、その後


    先日の生徒募集は、おかげさまで決定いたしました。
    次の募集は、冬期講習の外部生募集となります。
    ご応募、よろしくお願いいたします。
    冬期講習の詳細は、また後日お知らせいたします。

    さて、少し前、このブログで、「英語の苦手な子の特徴」について書きました。
    今回は、その後の話を。

    私のブログに度々出てくる、英語が苦手な高校生。
    これ、1人のイメージで読んでいらっしゃる方が多いと思います。
    言葉遣いなどは、1人の生徒をもとにしていますが、実は、2人います。
    2人とも、高校生の男子です。
    性格その他は全く違う2人ですが、英語に関しては、同じ問題をほとんど同じように間違えます。
    これは、でも、その2人に限ったことではなく、英語が苦手な子は、大体同じところを同じように間違えてしまうんです。
    英語に限ったことではなく、どの教科でも、勉強の苦手な子は、「ここを間違えるだろうな」と、こちらが予想するところを、実際に、その通りに間違えます。
    何か独特なつまずきやすさがあるのでしょう。


    この夏からセギ英数教室に通い始めた中1の子もそうです。
    たとえば、こんな英作文。

    「彼女は、日曜日は、学校に行きません」

    Her isn't go to the school Saturday.

    うわあー、やっちゃってるなー。
    この英作文を見たときは、さすがに、これはフルコースだなと感じました。
    この子は、中学受験生で、英語は中学に入ってから本格的に勉強を始めました。
    1学期の間、自分で勉強していたら、こういうことになってしまったようです。

    中1の学習内容は、易しいようでいて、英語の根幹を学ぶものです。
    ここでモヤモヤしてしまうと、その後、何年もたたります。

    上の英作文の冒頭から順番に分析するなら、
    まず第一に、人称代名詞。
    教科書によってパラパラ出てくるにしろ一気に出てくるにしろ、中1の生徒は、人称代名詞で混乱する子が多いです。
    しかも、このことの重大さにあまり気がついていません。
    身についていないまま、何となく中2、中3になってしまいます。
    特に、she her her hers 。
    主語にherを使ってしまうのは、her motherなどの主語を見慣れたせいで、それでいいと誤解してしまうからでしょうか。
    逆に、所有格をshe'sと書いてしまう子も多いです。
    Tom'sなどの名詞の所有格との混同でしょう。

    人間の脳は、関係ない2つのものを関連づけてしまう性質がある。
    また、人間の脳は、複雑なものを、自分が理解できるようになるべく単純なものに変えてしまう性質がある。

    正確に教わっていかないと、勘違いしたまま覚え込んで、固定化してしまいます。


    次に、be動詞と一般動詞を同時に使ってしまう件。
    これは、日本語からの類推なのだろうと想像されます。
    最初にbe動詞を学ぶとき、be動詞は、日本語の助詞「は」に相当するものなのだと、そういう子は把握します。
    だから、一般動詞の文にも、be動詞を用います。
    「私・は・勉強する」
    I am study.
    日本語と英語が1対1の対応だと思いこんでいます。
    単語の対応も、文法も、日本語と英語は同じであると誤解しています。

    もしそうなら、幕末の日本人にとって、エゲレスもメリケンも、そんなに恐ろしい相手ではなかったと思うぞ。
    (^_^;)

    少し前、中2の生徒に1回だけ英語を教えたときも、be動詞と一般動詞を並べて書いていました。
    「学校の先生が、be動詞はどの文にも必ず書きなさいと言った」
    と、訳のわからないことも言っていました。
    1人で学んでいると、こんな聞き違いを本気で信じていたりします。
    おそらく、
    「1つの文に動詞は必ず1つ書きなさい」
    を聞き間違えたのでしょう。

    「動詞のない文を、どうしようもない文と申しまして」
    などと、寒いシャレを、私は飛ばすのですが、
    「寒過ぎて、記憶する気になれない」
    と、生徒には不評です。

    つまり、一般動詞が見当たらない文ならば、とりあえば、be動詞を入れときましょう。
    逆に言えば、その2つは一緒に使うものではありません。


    それから、go to the school の件。
    「学校へ行く」は、go to school です。
    冠詞 the は不要です。
    go to bed もそうですね。
    難しく言えば、機能を指し示す名詞に冠詞はつけない、ということなのですが、そんなことを中1に言っても、首をひねるだけかもしれません。

    君たちは、学校という建物に行くわけではない。
    先生がいて君たちがいる。
    そこは、建物がなくても、定まった土地がなくても、青空の下でも、学校なのだ。
    学校は、機能なのだ。
    こんな高尚なこと、わからないですよね。
    (^_^;)

    だから、とにかく、最初に間違えず、正く覚えてしまうに限ります。
    go to school
    go to bed
    丸暗記して、慣れてしまうのが一番です。


    そして、曜日と前置詞の件。
    その子は、ケアレスミスではなく、日曜日は Saturday だと信じていました。
    なぜ、そのような誤解を?

    でも、最近、カレンダーでも手帳でも、日曜日始まりのものと月曜日始まりのものとがあって、土曜と日曜はまぎらわしくなっているかなあ。
    どうせどちらも学校は休みだしなあ。
    これに関しては、新たな間違い方の出現と感じました。
    以後、教えるときに気をつけないと。

    学校の進度が速いこともあって、その子は、曜日・月名・基数・序数などの基本的な単語のスペルがまだ完全には書けません。
    これは、今後は小学校でしっかりやっておいてくれると助かる内容です。
    中1でいきなりドバッと出てきて、覚えきれない子が多いです。
    易しめの私立高校は、この手の単語のスペルか書けるかどうかを入試問題に出すことが多いです。
    せめて、このくらいのことは努力していてくれる生徒が欲しいのでしょう。

    日曜日が Sunday であることは理解できたとして。
    でも、「日曜日に」は、on Sunday。
    こうした前置詞も、中1から出てくるけれど把握しにくく、モヤモヤする内容です。

    冠詞と前置詞は、高校生になっても使えない子が多いです。
    どこに何を使って、どこに何を使わないのか、わからないのでしょう。
    でも、高校の英文法の授業で習う「冠詞」「前置詞」は、そういう子たちが知りたいレベルのことをはるかに越えた細則ばかり。
    基本的なことが身についていないと、もっとわからなくなります。
    中1のときから、「こういうときはこれを使う」と逐一習っていったほうが楽なんです。

    以上。
    人称代名詞・動詞・冠詞・前置詞・基本単語。
    こうしたものが全て一気に出てくる中1の英語学習は、誰かが支えていないとかなりの確率でつまずきます。

    今、セギ英数教室に通う、英語の苦手な2人の高校生も、中1のときは、塾に通っていませんでした。
    かなりこじらせた状態で入会し、目の前の定期テストをこなし、入試をこなし、そうした中で、1つ1つ解説してはいたのですが、全部聞き流して、現在に至っている生徒です。

    中1の英語が身についていない子も、学年相当の内容を勉強します。
    その中で、特に乱文整序問題や英作文の問題を解くと、本人の課題はすぐに見つかりますから、その都度解説していきます。
    現在の中3生は、そのやり方で、かなり実力がついてきています。

    はっきり中1に戻ることは、多くの場合、本人のプライドを傷つけます。
    高校生の2人のうちの1人も、中3のテキストをもう1度持ってくるように言っただけで、
    「オレは、そんなレベルなのか」
    と言ったことがあり、さかのぼり学習は無理だなと判断していました。


    しかし、2人から、ほぼ同時に面白い反応がありました。
    私のブログを読んだからなのか、それとも単なる偶然なのかは、よくわかりません。

    1人は、「中1からやり直したい」と言い出し、今週、90分かけて、中1の内容を復習しました。
    今日の授業はよくわかった、と納得して帰っていきました。
    しかし、正直に言えば、1度ついた癖は、そんなに簡単には治らないと思います。
    簡単に治せる子なら、学年相当の内容を学習しながらでも治せるんです。
    今後、中2、中3と復習をしていく中で、身についてしまった癖が足をひっぱり始めることは容易に想像できます。
    やっぱり英語はわからない、ということになるでしょう。
    しかし、わからなくなったときが勝負です。
    それにどこまで耐えきれるか、どう克服できるか、本人の忍耐力にかかっています。

    もう1人は、
    「僕は、秋休みに、中1の初めからやり直すことにしました」
    と私に宣言しました。
    「授業でやりたいなら、テキストをあげるけど?」
    と私が言うと、
    「あ。いいです。テキストは買いますから。買って、ガアーッてやりますから」
    「ふーん」

    これは、前述の子よりも、さらに挫折の可能性が高い。
    それでも、やり直す気持ちになっただけ、有難いです。

    結果は、またいずれお話しします。
      


  • Posted by セギ at 13:10Comments(0)英語

    2013年10月15日

    英語が苦手な子の特徴



    小学生のお子さんをもつお母様に、こんな質問をいただくことがあります。
    「英語は、やっぱり、小学生の頃から習わせたほうがいいんでしょうか」

    これ、私には少し答えにくい質問です。
    全然そんな必要ないですよーと答えたら、子ども向け英会話スクールに対して失礼です。
    だからといって、絶対必要ですよーと答えるには、そうでもない事例をたくさん見ています。

    英語も、結局、学校で勉強する教科の1つなので、勉強の得意な子が英語もできるようになります。
    中学受験で忙しく、英語は小学校の授業以外では勉強していなかった子が、最初は不器用なつまずきを見せることがあっても、結局、英語でも秀才になることは多いです。

    一方、幼い頃から英語を習い、小学生のうちに英検3級を取った子が、けれども、それが限界で、中学生になっても英検準2級は合格できず、悔しいからそれは飛び越えて、高校生になって2級を取ろうとして、それも不合格、ということもあります。
    「英検なんて意味ない」
    と否定するようになり、別の資格に挑戦しますが、そのスコアは、初心者レベルのまま動きません。

    結局、ピアノなどのお稽古事と同じなのでしょう。
    「ピアノは、子どもの頃から習わせたほうがいいんでしょうか?」
    という質問と同じなのだと思います。
    それは、習わせないよりは習わせたほうがいいでしょうが、習わせたからといって、必ずしもピアニストになれるわけではありません。

    しかし、中学1年生からは、英語は学校以外でもどこかで習ってほしいです。
    うちの教室に通え、という宣伝ではなく、もうどこでもいいんです。
    集団指導の塾でもいいし、英会話スクールでもいいから、とにかく、どこかに通ってほしいです。
    音声英語だけではなく、書く英語や文法をしっかり教えてくれるところなら、どこでもいいです。
    中2、中3になって、英語に関して相当にこじらせた状態でようやく塾に通うことにした生徒と接する度にそう思います。

    こちらも全力を尽くしますし、本人も頑張っています。
    無論、通塾前よりは、成績は上がっています。
    しかし、何か手応えが違う。
    こうじゃないんだけどなあ。
    中1から通ってくれれば、決してこのようなことにはならないのに。
    そう思うことが多いんです。

    先日、高校生と動名詞の練習をしました。
    「彼女は、そのときラジオを聴いて楽しんでいました。」
    She was (  )(  ) to the radio at that time.
    この問題、正解は、
    She was enjoying listening to the radio at that time.
    です。

    ところが、英語が苦手なその子は、正答を聞いても、納得しません。
    何かおかしい、と首をひねっています。
    その子の答えは、
    She was enjoy listen to the radio at that time.

    もう何回目かの解説を、私はその子にしました。
    「・・・・・・・be動詞の後に、動詞の原形は、来ないよ」
    「be動詞って何?」
    その子のその質問も、もう何回目かわからないほどです。
    「wasが、be動詞だよ」
    「オレ、いつもわかんないんだよ。be動詞って、何なんだよ」
    「am、is、are、 was、 were、がbe動詞。原形は、be。過去分詞は、been。現在分詞は、being。それ以外はないから、覚えよう」
    「そんなに覚えらんねえよ」
    「動詞は、一般動詞とbe動詞に分けられるんだよ。be動詞以外は、全部、一般動詞だよ。be動詞さえ覚えれば、残りは、全部、一般動詞なんだから」
    「・・・・・・」
    「be動詞の主な働きは2つ。説明しようか?」
    「・・・・・・いい」

    この話、既にどこか噛みあっていないのです。
    塾に通わない子の多くが、中1の英語学習が「一般動詞」に入った直後に、最初の混乱をきたします。
    それまでの、「be動詞の文」は、それでも、そこそこ理解できていたのです。

    I am a girl. 「私・は・女の子」
    You are Mr Yamada. 「あなた・は・ミスター・ヤマダ」

    なんだ、英語なんて簡単じゃねえか。
    疑問文は、
    Are you Mr Yamada?
    あー、はいはい。
    areを最初に書けば、疑問文になるんだな。

    こういう把握をしている子は、一般動詞の疑問文を、こう間違えます。
    Are you study English?
    この間違いをやっていた期間が長ければ長いほど、もう一生治らないのではないかというくらいに、治りません。
    それは違う、そうじゃないと何回教えても、Do you ~?を自力で思い出すことができません。
    そのときは理解しても、1週間経つと、また元の書き方が復活しています。
    be動詞とdoとの混同は、その後、何年も尾をひくことになります。
    逆に「be動詞を入れて」と指示すると「do」と書いたります。
    be動詞とdoを、なぜか逆に逆に使ってしまいます。
    間違いは、習慣として定着する前に直さないと、何回教わっても、本人の中で、本当に正しいのはどちらなのか、わからなくなるようです。
    学習する度に混乱が深くなっていく様子すら見え、頭の中で整理されません。

    使ってはいけないところでbe動詞を使って疑問文を作ったりする一方、使わなければならないところでbe動詞を書き忘れるのも、英語が苦手な子の特徴です。

    動詞がらみの中1の2つ目の混乱は、2学期。
    「現在進行形」の学習のときです。
    あー、はいはい。動詞にingをつければいいんだな。
    簡単じゃねえか。
    I studyng English.

    「違うよ。I am studying English.だよ。進行形は、be動詞+~ing。be動詞を忘れやすいから、むしろ『be動詞』のほうを大声出して力を入れて覚えよう」
    「・・・・・」
    そんな話も、もう10回以上した記憶があるのですが、定着しません。

    進行形にbe動詞を使うことが意識にないのですから、最初に書いた、
    She was (  )(  ) to the radio.
    の最初の空所に、enjoyingを入れることは、思い浮かぶわけがないのです。

    中1から塾で文法を学んでいる子は、問題を解く際に文法的な分析をしますから、wasを手がかりに、enjoyをどのような形にしていくか判断していきます。
    しかし、何年間か自己流の英語学習をしていた子は、文法的な分析をする習慣がなく、問題を解くときは、勘を働かせて解いてしまうようです。
    しかし、「勘」というのは、本人の感覚です。
    それは、本人の頭の中の「誤答の集合体」からの判断に過ぎません。
    間違った英語を何年も書いてきた、その経験が頭の中に定着し、間違った英語が本人の中での「英語らしい英語」になっているのです。
    誤答の拡大再生産が繰り返されます。

    本人も、何とかしたいという気持ちはあるのです。
    質問は、積極的です。
    「enjoyingはわかったけど、何でその後ろが、listening?そんなのおかしいだろ」
    「・・・・・おかしくないけど。メガフェプスダのエだよね。enjoyは」
    「はあ?」
    「メガフェプスダ。目的語に動名詞をとる動詞。そうやって覚えましょう。この話も、3回はしています」
    「そうだっけ?」
    「この呪文、今はもっと長いんだよ。年々長くなっているんだよ。裏をかいて、別の動詞を入試問題に出す大学があるからねえ。でも、そんな重箱の隅はいいから、とにかく、メガフェプスダをまず覚えて」
    「・・・・・でも、おかしくね?~ingの後に~ingって」
    「enjoying listening が、ですか?」
    「おかしいだろ」
    「別におかしくないです。~ingを2回続けて書いてたらダメというルールは、英文法にはありません」
    「そうなの?」

    これもまた、英語が苦手な子の特徴の1つです。
    英文法にはアレルギーがある様子なのに、変なルールを自分で作って、その英語はおかしい、と決めてしまうことがあります。
    例えば、
    He wanted to go to the park.
    という文を見て、
    えー、こんな文、おかしい。
    toを、1つの文に2回使っていいの?
    そんなことを訊いてきたりします。

    重要なルールが覚えられない一方、妙なルールを読み取って空回りする。
    独りで勉強してきた子ほど、その傾向があります。
    中1の基本から、文法的なアプローチをしている子は、そういう点でも安定しています。

    「でも、やっぱり、She was enjoying listen to the radio.が正解だろ」
    まだ続きます。
    「なんで?」
    「to があるじゃん。toなら原形だろ」
    「・・・・・to不定詞のtoは、動詞原形の前に書くんだよ。listen toじゃなくて、 to listenが不定詞。この文のtoは、単なる前置詞のto」
    「でも、to じゃん」
    「語順を意識しよう。動詞の前だろうが後だろうがtoを書いときゃいいだろう、不定詞だろうってわけにはいかないんだよ。それに、listenの後ろにはtoという前置詞が必要だったよね」
    「知らね」
    「・・・・・・・」

    単語を覚えていないわけではない。
    意欲がないわけでもない。
    なのに、どうにもこうにも英語が形になっていかない。

    「文法なんか嫌いだ」
    と、英語が苦手な子はよく口にしますが、だからといって、文法を全否定するわけではないのです。
    さすがに高校生になれば、文法の授業が学校でもあります。
    でも、問題を解くときに、習った文法事項を利用する様子がありません。
    問題を解くと、我流の変な英語を書いてしまいます。
    文法を習うことと、それを利用して問題を解くことが、結びつかないようです。

    何年も何年も、感覚で英語を並べてきたのです。
    その習慣が抜けず、理屈で英語を並べていくことができません。
    そこが、どうにも結びつかない。
    私の目の前で解いていてさえ。

    故ブルース・リーには悪いですが、私は叫びたい。

    Don't feel ! Think !


    あるいは、「そんなことを言うなんて、彼女は疲れていたに違いない」という、乱文整序問題。
    とりあえず、Sheから書き出すことはできます。
    「はい。主語を書いたね。次は何を書くの?」
    「such」
    「え。なんで?」
    「そんなは、suchだから」
    「いや、日本語の順番と英語の順番は違うよ。文法的に考えよう。英語では、主語を書いたら、次は何を書くの?」
    「知らね」
    「動詞だよ」
    「動詞?tired?」
    「tiredは、動詞じゃないよ」
    「動詞じゃん。疲れるって」
    「・・・・形容詞なんだよ。もともとは過去分詞。edがついてるでしょう?過去分詞が形容詞として固定化したの。分詞は形容詞であるって、前に話したよね?難しかったら、tiredは形容詞って覚えよう。それはともかく、形容詞の前には、何を書くの?」
    「知らね」
    「be動詞だよ」
    「何だよ、be動詞って。またbe動詞かよー。わかんねえよ」
    「・・・・・・」

    数学もそうですが、英語も、勉強が苦手な子は、誰もが、同じところを同じように間違えます。
    同じところで同じ誤答をします。
    何か独特なつまずきやすさがあるようです。
    誤答のメカニズムはよくわからないのですが、ここで間違えるというところは予想がついています。
    だから、先回りして、「ここは間違える」「ここをこのように間違えるから気をつけて」と教えることが可能です。

    英語の根幹をなす大切なことは、ほとんど中学1年生で学習します。
    どうか、中学1年生から、塾に来てください。
    たくさん間違えて、誤答が頭の中に定着してからではなく、最初から、誤答を頭に残さないことが大切です。
    頭の中に正しい英語しかない状態を作りましょう。
    間違った英語感覚や英語学習が習慣化する前に、塾に来てください。

    それでも、今、英語が苦手になってしまっているのは、仕方がない。
    今いる高校生に、中1から通ってくれればこんなことにはならなかったのにと愚痴るだけでは何も変わらない。

    継続こそが万能です。
    諦めてはいけない。
      


  • Posted by セギ at 13:16Comments(0)英語

    2013年09月15日

    問題が魔物に見える子


    みなさま、三連休、いかがお過ごしですか。
    セギ英数教室は、第5月曜日のある月のハッピーマンデーは、お休みをいただいております。
    あるいは、夏期講習・冬期講習などの近づいている月の連休にも、事前に断ってお休みをいただくことがあります。
    定期テスト前に迷惑をかけないよう配慮はしているのですが、最近、テスト時期が学校によって本当にバラバラで、常にテスト前なので、その辺は、苦慮しているところです。
    ともあれ、この日曜日・月曜日は連休で、昨年同様に尾瀬に行くつもりでいたのですが、台風と見事にぶつかり、部屋でのんびりしております。

    さて、今日は、英語の話。
    入試問題でも、英検などでも、英語の4択問題は多いのですが、得点源となるこうした問題で、見事に外してしまう子は多いです。
    機械的に選んでも確率として25%は正答するはずなのに、本人の正答率は、25%にいきません。
    ほぼ全部といっていいほど誤答してしまいます。

    例えば、こんな問題。
    これを、中学3年生が解くとして。
    Yoshihiko works at the hospital near his house. He ( ) people who cannot get out of their beds.
     1. translates  2.promises  3.assists  4.spells
    本人の単語力にもよりますし、学んでいる教科書によっても若干のズレはありますが、普通の中3ですと、はっきり意味のわかる単語は、この中では1つもない場合もあるかもしれません。
    教科書には、出てきていた気がする。
    テスト前には、覚えたような気がする。
    でも、今は、覚えていない。
    そんな子のほうが普通です。
    でも、この問題、正答率は、そんなに低くないはずです。
    正答は、3.assists

    これを正答できる生徒の考えは、たとえば、こんなふうです。
    英語としては、初めて見るような気がするけど、この単語は、「アシスト」でしょう?
    「アシストする」のアシストだよね。
    「アシスタント」のアシストだよね。
    「補助する」とか、そういう意味なんじゃないかなあ。
    他の単語の意味はわからないけど、正答は、これだよ。

    そういう判断をする子は、正答できます。

    わりと難しい単語が並んでいる場合、正答だけが、期待される学力レベルの単語で、その意味がわかれば、他の単語の意味はわからなくても正答できることがあります。
    ところが、そういう判断ができない子は多いです。
    知らない単語は、読むこともできないと決めてかかって、目を通しません。
    assistが、「アシスト」と読める単語であることを教えると、がく然として、あー、答えられたのに、と悔しがります。
    ローマ字読みで良いからとにかく読んでみればよかったのに、それをしなかったんですね。
    読んでみたら、もう案外日本語として普通に使っている英単語は多いのですが。

    もっと重症な子になりますと、「アシスト」と読めるとわかっても、その意味がわからない子もいます。
    「アシストするって、日本語として聞いたことがあるでしょう?」
    「知りません」
    「アシスタントって言うでしょう?」
    「言いません」
    そうなると、それは、その子の日本語の語彙が少ないのが根本の問題となってきます。

    あるいは、間違えた問題のことに触れられるのが嫌いで、たたき返すように「知りません」「言いません」と言っているだけかもしれません。
    その情報がその子の脳を通っていない可能性もあります。
    間違えた問題について、あれこれ言われるのが嫌いなのでしょう。
    プライドが傷ついてしまうらしいんです。
    一刻も早く忘れたいと思っているのに、「アシストって言うでしょう」「もう、それは日本語でしょう」と言われるのが嫌で、「知りません」「言いません」とたたき返してしまいます。
    しかし、間違えた問題の分析をし、原因を確認することができず、忘れたい、ごまかしたいという反応をする子は、また次も同じ間違いを繰り返します。
    この問題が1問できなかったことよりも、もっと根深い問題を抱えています。

    以上のように、さまざまな場合がありますが、正答の3.assistsが正答に見えなかった子は、では、何を選ぶのでしょうか。
    どうも、1. translates(翻訳する) を選んでしまう子が、多いようです。
    この間違い方も、いろいろ分析できます。

    まず、transport(輸送する) という単語との混同があった場合。
    「ベッドから出られない人々を輸送する」という表現はどうなのかな、大体、どういう仕事なのそれ?救急隊員なの?救急隊員をそのように表現するかなあ、と思うものの、気持ちはわかります。
    ああ、惜しかったね、勉強はしているよね、と声をかけたくなるタイプです。

    一番困ってしまうし、しかし、一番多いのは、
    「何となく、translateが正解のような気がしたから」
    という返答です。
    ・・・・・何となくって、何なんでしょうね?
    「なんか、長くて、難しそうな単語だったから」
    長い単語が正解に見えてしまう。
    難しそうな単語が正解に見えてしまう。
    混乱しているときは、そんな判断をしてしまうようです。
    気持ちは、わからなくもありません。

    最近、うちの塾生の1人が、こんなことを言いました。
    「問題が、魔物に見える」
    間違えて、間違えて、また間違えて。
    どう選んでも間違いが続くと、もう訳がわからなくなる。
    問題が、自分をだます魔物に見えてくる。
    必ず落とし穴があるように見えてくる。
    そういう意味かもしれません。
    そういう感覚に陥っていると、一番長くて難しそうな単語が正解だろう、という誤った判断をしてしまうのかもしれません。

    勉強というのは、いくら基礎でも学問なので、感覚で解いていたら、いずれ迷宮に入り込みます。
    そうであるにも関わらず、特に英語は、いつまでも自分の感覚に頼ってしまう子がいます。
    感覚に頼って4択を選び、単語を並べて文らしきものを作り、それで正答になると漠然と夢見ているような勉強をしている子がたくさんいます。
    頭の良い人たちが、「感覚で解け」などと、誤解されやすい発言をすることも一因です。
    これは良くないと、以前にも書きました。
    頭の良い人たちの「感覚」は、本人は「感覚」のつもりでも、実は、「理屈」で解いています。
    本人がそれを意識していないだけです。
    30年間、勉強が苦手な子たちの「感覚」につきあっていると、「感覚に頼れ」なんて、言う気になれません。
    「一番長い単語が正解」というのが、その子の「感覚」かもしれないんですから。

    教えて教えて、さまざまな武器を持たせたのに、試験当日、それらの武器を全部放り出して、素手でわあっと突入していってしまう。
    「感覚」に頼る子の試験の受け方は大体そんなふうで、結果を見て本人も傷つきますが、教えた側の落胆も大きいです。


    勉強は、推理小説ではありませんから、
    「一番犯人ではなさそうだった奴が、実は犯人だった」
    なんてことは、ありませんよね。
    一番「犯人」だと思われる奴が、まさしく「犯人」です。
    一番正答らしいものが、正答です。
    証拠がそろっているから、「犯人」です。
    その証拠をそろえるには、しかし、こちらに知識が必要。
    論理的な判断力が必要。
    知識と判断力があれば、問題は魔物には見えません。

    ・・・・・ああ、出題者は、あの知識を確認するために、こう間違える可能性を予想して、こういう構造の問題を作ったのかあ、なるほど、と解いていくことができるようになります。
    そして、そういう判断ができるようになるには、単語力と文法力をつけ、判断力を養うために、たくさん練習するしかないんですよね。

    もっとも遠回りに見えることが、もっとも近道だと、やっぱり思うんですよ。

      


  • Posted by セギ at 15:56Comments(0)英語

    2013年07月18日

    言語における新しさとは



    さて、来週からの夏期講習に向けて、準備に忙しいこの頃、皆様は、いかがお過ごしでしょうか。
    少し前に書きました、「仮定法」を理解する意欲を示さない高校生も、期末テストが返却されました。
    「仮定法」の問題は全問正解できたと嬉しそうです。
    80点には届きませんでしたが、中間テストと比べれば、得点が激増しました。
    そうなると急に学習意欲がわくのが、子どもの常。
    学校の教科書とノートをきっちり持ってきたりするのですが、こちらは、期末テストが終わったので、ようやく学校の縛りから解法され、前からやりたいと思っていた文法の総復習に着手できると、てぐすねひいています。
    「いや、教科書は、しばらくやらないから」
    「なんで?教科書やりたい」
    「だから、テストの点数が上がったら、今度は教科書の勉強しかやりたくないとか、そういうの、やめようよ」
    「教科書やりたい」
    「・・・・・受験勉強しようね。指定校推薦で大学行くんじゃないんだから、受験勉強しよう」
    点数が上がっても、会話は若干不毛です。
    (^_^;)


    自分の思うようにならなかったからか、彼は、それまで言わなかったことを言い出しました。
    それがちょっと興味深い内容でした。

    仮定法の基本は理解できたようなので、「仮定法未来」の解説をしている途中で。
    「そうだ。学校の先生が、言ってた。今は、もう were とか使わないんだって」
    「・・・・は?」
    「だから、仮定法で、were とか使わなくて、was のほうが正しいんだって」
    「なんで?」
    「were なんて、古い言い方なんだって」
    「・・・・・・学校の先生が、そう言う根拠は、何なのかな」
    「だから、古いんだって」
    「・・・・古い新しいは、根拠じゃないよ。古いとする根拠は、何だ?文献を読んだのか?読んだとしたら、何年に誰が書いた、何というタイトルの文献だ?それとも、ネイティブから聞いたのか?どんな教養の、どんな年齢の、どういう立場のネイティブだ?根拠というのは、そういうものだよ」
    「・・・・・知らね」

    「古い・新しい」という言い方が絶対だと思っている生徒は、常に一定の割合で存在します。
    子どもは、経験でも知識でも、大人に勝てないです。
    唯一の長所は、若いこと。
    新しいこと。
    だから、自分たちの強みを過大評価します。
    新しいことが常に正しいと思いがちです。
    それは、強い自己肯定の気持ちからきているので、仕方がない側面もあるのですが、危険もあります。
    「こっちのほうが新しいんだ」と断定されると、根拠も確かめず、信じ込んでしまうことがあります。


    数年前にも、ありました。
    ある市立中学の英語の先生が、関係代名詞の授業のときに、生徒に向かって、
    「whom なんて古い。whom なんて、今はもう使わない」
    と断定したんです。
    ゆとり教育になって、中学英語の教科書からは、関係代名詞 whom が消えました。
    先行詞が人である場合の目的格の関係代名詞は、that で学習します。

    「関係代名詞」は、中3の2学期の学習内容ですが、たいていの子は、塾の夏期講習で学習します。
    教科書から whom は消えましたが、私立高校の入試から whom が消えたわけではありません。
    当然、塾では、whom を教えます。
    そんなわけで、自分は教えていないのに、生徒が知っている、whom。
    その学校の先生は、それが気に入らなかったのかもしれません。
    でも、塾生からそれを初めて聞かされたときは、唖然としました。
    生徒の多くは、「古い」という言葉にだまされ、その先生の言うことをほぼ信じていましたから。

    はたして、whom は古いのか?
    古いから、教科書から消えたのか?
    今は、もう使わないのか?

    そんなことは、ないでしょう。
    こちらは入試問題に出てくるから教えているんです。
    易しい英会話で whom を使う機会は少ないかもしれない。
    whom は、省略可能、というより、たいてい省略してしまうでしょう。
    でも、書き言葉として、whom は、そう簡単には消えません。
    使ってあるほうが、読み取り易い場合は多いからです。
    しかも、これは高校英語ですが、to whom 、 with whom 、by whom などの、「前置詞+関係代名詞」という用法があり、これは、who や that では代用できません。
    「その言い方が、堅苦しくて、古い」
    と言われても、論理的で複雑な文章ほど、この書き方をされたほうが読み取り易いことがあります。
    だから、実際に使われています。
    それは、「古い」のではなく、「言語レベルが高い」ということではないでしょうか?

    日本語に置き換えてみると、わかりやすいです。
    「君は、何をもって、そのように断言するのか?」
    この言い方、新しいか古いかと言われたら、古い、でしょう。
    では、通じないのか?
    使うと違和感があるのか?

    でも、国語の苦手な、ちょっとおバカさんな若い子は、言うかもしれません。
    「えー、意味わかんないー。そんな言い方、今しないしー」
    本人が国内でそんなことを言っているだけならいいですが、それを外国に向けて発信されたらたまらない。
    後ろから羽交い絞めにして、口を塞がないと。

    そして、「whom は古い」「仮定法の were は古い」という情報が、もしもそのレベルの情報であるなら、そんなものを鵜呑みにするわけにはいきません。

    言語には、レベルがあります。
    それは、日本語でも、英語でも。
    書き言葉なのか話し言葉なのかにもよりますが、一番大きいのは、話し手・書き手の教養です。
    日本語の「らぬき言葉」は、許容の範囲ではありますが、しかし、使っている人が若干無教養に見えることは、今も否定できません。
    生徒の多くは助詞を使わない話し方をしますが、それが新しく正しい日本語なのではなく、本人たちが助詞の使い分けができないだけです。

    英語にも、そういうことは、あるでしょう。
    英語を使う国は、日本よりも格差社会であり、階級社会であることが多いです。
    そのことは、使用する英語に、どう影響しているのか。
    外国語として英語を学ぶ者に、そのニュアンスは、どの程度理解できるのか。

    私たちの多くが、使えるようになりたいと思い、生徒に使えるようになってほしいと思う英語は、例えば、アメリカの大都市で有能なビジネスマンが使用する英語ではないでしょうか。
    彼らが話し、書き、聞き、読む英語。
    彼らが、whom をどう使い、were をどう使うか。
    ファンキーでおバカちゃんな若い子たちの使う「新しい英語」を学びたいわけではありません。

    そして、その手前として、生徒たちは受験英語を身につけなくてはなりません。
    アメリカの「今の英語」よりも、入試でその文法事項がどう扱われるかを意識しないと。


    whom の件は、
    「〇〇中学の英語の先生に、whom は今は使わないと言う先生がいるそうですが、それは誤りです」
    と生徒に伝え、実際に whom が文法問題や長文問題に使用されている近年の例を1つ2つ挙げることで、解決しました。
    「ただ、学校で習っていないのだから、学校のテストでは、whom は使用しないこと」
    世の中には裏と表があることを中学生に語るような、あまり好ましくない状況ですが、仕方ありません。
    他の学校の先生の中には、教科書には載っていなくても積極的に whom を教える先生もいて、そうなると、生徒たちは、whom を教える先生のほうが上なんじゃないかなあ、いいなあと言い出しました。
    whom を否定した先生を、むしろバカにする動きが生まれました。
    あまり極端なことを言うと、揺り戻しがあって、かえって損をするという例かもしれません。

    その先生の言いたかったことは、実は、方向として間違っていたわけではないとも思います。
    ただ、断定は避けたほうが良かったですね。

    英語も、日本語と同じように揺れています。
    言語の変化は、常に誤用から始まります。
    最初は間違った表現だったものが、使う人が増えれば、それも許容されます。
    whom と who の使い分けのできない人が増えてくれば、目的格でも who を使って良いことになっていきます。
    whom を使う機会は、ますます減っていきます。
    実際、高校英語の教科書の中には、whom の代わりに who を用いても良いとされている教科書が増えてきました。

    仮定法の場合、were の代わりに was を用いても良いということは、これはかなり以前から、ほぼ全ての教科書に書かれてあります。
    今後、ますますwas に傾いていくことは、容易に想像できます。
    しかし、「was を使っても良い」と「was を使わなければならない」の間の距離は、そう簡単に飛び越せるものではないと思います。
    あるいは、話し言葉としては、もうかなり was に傾いているとしても、文章というものは、長期的に残るものです。
    当然、were が使われています。
    目に触れる英語として、were は、消えていません。
    そのような状況下で、なぜ、その先生は、そんな断言をしたのでしょう。
    根拠が知りたいです。

    上のようなことをいろいろ話した上で、
    「根拠を聞いてきてよ」
    とその子に言うと、
    「嫌だ」
    と言われてしまいました。
    「なんで?」
    「根拠はなんだと食い下がって、怒らせたら、成績を下げられる」

    おいおい。
    そんなことをやりかねない印象のある先生の言うことなんか、最初から信じるなー。
      


  • Posted by セギ at 14:28Comments(0)英語

    2013年06月20日

    スマホ・デビューしました。



    6月18日(火)、携帯をスマホに機種変更しました。
    本当は、そんなのまだまだ先のつもりだったのですが、使っていたガラケーの調子が悪くなりました。
    電波状態は常に悪いし、電池切れは早いし、画面はときどき変だし。
    仕事に関わることなので、このままではまずい。
    先日、教室を開いて2年経ち、教室の賃貸契約を更新したばかりで、今は、金銭的に厳しい時期です。
    この上、携帯まで壊れるか、と頭を抱えました。
    でも、今は、本当に切り換え時期なんですね。
    びっくりするほど費用が安くて、驚きました。

    NHKで、『趣味Do楽・なるほど便利!くらしで使えるスマホ&タブレット』という番組が、4月・5月に放映されました。
    電源の入れ方と切り方からスマホの使い方を教えてくれる番組で、全部見て、録画保存もしておいたので、それで少しスマホとの心理的距離は縮まっていました。
    とはいえ、やっぱり、初めて持つと抵抗が大きいです。
    悪戦苦闘し、「疲れた。息抜きに携帯をいじりたい」と思い、その度、もう自分にはこのスマホしかないと気づく。
    その喪失感は、なかなかのものです。
    何がわからなかいかって、自分が何がわからないのかも、わからない。
    だから、質問のしようがない。
    買った初日の夕方には、ネットもメールもつながらなくなりました。
    私は何をしてしまったのだろう。
    (@_@;)

    しかし、こういうとき、生徒の気持ちを実感できます。

    このところ、もう1か月も、仮定法の理解に悪戦苦闘している高校生がいます。
    いや、悪戦苦闘しているのは私だけで、本人は、そんなもん理解する必要はないと決めてかかっているような印象すらあります。

    「私にもっとお金があったら、その車を買うことができたのだが」
    こうした仮定法の例文にアレルギーがあるのは、理解できます。
    言ってることは、「たら・れば」の本当にくだらないことばかりです。
    言っても仕方がないだろう、そんなことは。
    だから、仮定法なんか、必要ない。
    自分は、覚えない。
    そんなことばかり言う子です。

    しかし、仮定法的な発言内容をくだらないと思うことと、仮定法を理解しようとしないことは、違うことです。
    生徒に対しては、「それは違うよ」と言えるのですが、スマホを前にした自分は、もしかしたら似たような反応をしているかもしれません。

    携帯でゲームなんかしないし、映画を見たり音楽を聴いたりもしない。
    楽しいアプリがありますよ、と言われても、どうせ使わない。
    だから、スマホを覚える必要はない。

    感情的に抵抗感があると、理解や習得は著しく遅れます。
    必要性を実感し、何としても身につけようと思えば、複雑なこともきっと理解できるのに。
    生徒が文法を理解しない原因の大半は、これだと思います。

    理解しにくいものを目にする。
    自分には、理解できないかもしれない。
    不安になる。
    プライドが傷つきそうになる。
    だから、感情的な防御をします。
    「そんなものは、必要ない」

    スマホも仮定法も必要なものですし、理解しようと思えば、理解できますよね。
    自分の中の変な劣等感に負けないことだ。

    習得の第一の壁が自分の中の劣等感や感情的な防御だとすれば、第二の壁は、「何がわからないのかわからないので、質問もできない」ということだろうと思います。
    「何か質問はありますか?」
    と訊かれても、何を質問していいのか、わからない。

    生徒の中にもいます。
    「わかった?何かわからないことはある?」
    「全部わからない」
    「なにー?」
    仮定法が理解できない子とは、度々こんな会話を交わしてきました。
    「最初からもう1度説明しようか?」
    「いや、いい」
    「なにー?」

    ふざけているのかと思うこともあるけれど、案外本音なんでしょう。
    とにかく本当にわからないし、もう1度説明を聞いたってきっとわからないから、聞く気がしない。

    ところが、私がスマホの習得に悪戦苦闘中のまさに今週、その子から画期的な質問が飛び出しました。
    「仮定法過去と仮定法過去完了と違うっていうけど、同じじゃね?どっちも、hadを使う」
    「・・・・・・・え?」

    私は驚いて、テキストの例文に目を落としました。

    仮定法過去の例文。
    If I had a lot of money, I could buy that car.

    仮定法過去完了の例文。
    If she had been there, she would have helped you. 

    「・・・・・仮定法過去のhadは、『持っている』という意味の一般動詞で、仮定法過去完了のhadは、完了形を作る助動詞のhadだよ」
    「全然わからない。一般動詞とか、助動詞とか、何だよそれ」
    「ああ・・・・・・」

    そうだ。
    私が、Wi-Fi とか Bluetooth とか言われても、全然わからないのと同じだなあ。
    1つ1つの言葉の意味をそのとき教えてもらっても、それでもやっぱり、何だかわからない。
    それが、何に必要な何であるのか、何だが腑に落ちない。
    どう説明してもらえればわかるようになるのかも、よくわからない。
    自分はそういうのを説明するのが上手いと思っている人が、したり顔で説明してくれたところで、多分、説明のピントはズレているでしょう。
    私の知りたいことは、それではない、と叫びたい気持ちになる。
    でも、じゃあ何がわからないのか、と言われると、やっぱり、それがわからない。

    教えることの究極の課題がここにあります。

    さて、スマホを購入した翌日、またもドコモショップに行き、30分待って、ようやく質問できました。
    対応してくれたのは、若い男性。
    「あのー、昨日、ここでスマホを買ったんですが」
    「ありがとうございます」
    「えーと、省電力モード、ですか?そういうのにしたら、ネットもメールもつながらなくなったんです」
    「はあ」
    と、ここからは、私は、スマホで実際に操作しながら、
    「それで、こうやって、『設定』のところを見たら、『モバイルネットワーク設定』のところの『モバイルデータ通信』のチェックが入っていなくて、それでチェックを入れようとしたら、追加の料金がかかる的なこういう画面になったんですけど、料金的には大丈夫なもんなんでしょうか」
    「・・・・・あ、それは、携帯で言う『パケホーダイ』のようなものにご加入いただいているはずですから、大丈夫と思いますが」
    と、店員さん、パンフレットを開いてくれました。
    おお、確かに、昨日加入したものだ。
    「あ、大丈夫なんですね」
    「はい。大丈夫です」
    「ええと、それと、私、ツイッターをやっているんですが」
    「はい」
    「こっちの地球儀みたいなアイコンのほうからツイッターに入れますけど、あの、アプリというのもあるじゃないですか?この2つは、何が違うんですか?」
    「ああ、はい。こちらのほうは、つまりインターネットそのもので、パソコンと同じなんです。アプリというのは、インターネット画面を携帯用の画面に変換するものなんです」
    「・・・・・・ああ!」
    私は、アプリについての説明で、これよりわかりやすいものを、今まで聞いたことがありません。

    実はツイッターはわりとどうでもよく、もう1つ、一刻も早く入りたいサイトがありました。
    インターネット画面から自分の記事を読んだり書いたりはできますが、友達の記事を読んだりコメントを入れたりができませんでした。
    友達が待っているのに、入れない。
    苦労していたのですが、それが私の頭の中で劇的につながりました。
    アプリだ。
    アプリを探してインストールすれば、きっと入れる。
    もう、店内で「ウォーター」と叫びたいくらいでした。

    幾度も頭を下げ、お礼を言って去る私に、店員さんも、プラス1回頭を下げて応えてくれました。
    教わる者と教える者との幸福なひとときでした。
    私も、このような時間をもっともっと生徒と共有できないだろうかと考える帰り道でした。

    さて、本日でスマホは3日目。
    少しずつ慣れてきていますが、まだ、メールを打つにも少しストレスがあり、文面が短くぶっきらぼうになりがちです。
    しばし、お許しいただけますと幸いです。
      


  • Posted by セギ at 14:12Comments(0)英語

    2013年03月20日

    英語が苦手な子の特徴


    さて、もうすぐ春期講習。
    準備に追われる毎日です。

    本日は、英語の話。
    どの教科の成績も悪く、英語も他の教科と同様に悪い、という場合はまた話が違ってくるのですが、5教科の成績が科目によってガタガタで、なかでも英語がパッとしない、という人がときどきいます。
    科目によっては、5段階で「4」あるいは「5」をとっているのに、英語の成績は悪いというのは、明らかに、勉強の仕方が悪いです。
    何か、本人の中で、英語に関して、あるいは、英語学習に関して誤解があり、間違った勉強をしている可能性があります。

    以前も書きましたが、1つの原因は、小学校時代の「お楽しみ英語」の授業に慣れていて、そこから脱皮できなかったのかもしれません。
    カタコトのお買いものごっこをALTの先生とやって、わあ、英語が通じた、楽しいなー、といったレベルのことが、英語の勉強であるという認識で中学校に入り、そのまま意識を転換できないと、ペーパーテストでの得点力は、どんどん下がっていきます。
    英語との幸福な出会いとして、そういうことは大切なことなのですが、楽しいと、そのレベルに安住し、そのままというのが、子どもにはありがちです。
    永遠に、英語と、ただ出会っているだけで、何も深まりません。
    英語ともっと深い関係を構築しましょう。

    英語学習が地道な訓練であるという意識がない子は、地道な練習を嫌います。
    そういうことをする必要があるとも思っていません。
    なので、中1レベルの英語が身についていません。
    土台が揺らいでいます。

    単語のスペルを正しく書けない。
    三単現のs、esをしばしばつけ忘れる。
    名詞の複数形を正しく書けない。
    人称代名詞を正しく使い分けられない。
    英語の語順が理解できていない。
    名詞・動詞・形容詞・副詞・前置詞といった文法用語に正しく反応できない。

    これらのことは、全部、中1で学ぶことです。

    特に、英語の語順に関しては、たくさん聴いたりしゃべっているうちに自然にわかってくると誤解している人もいるのですが、それは、無意識に理屈を把握する能力のある人の話で、一般的には難しいです。
    そういうことが誰でも可能なのは、10歳未満までだと言われています。
    幼児には、周囲の大人の話す言葉から、その言語の文法体系を把握する能力があります。
    周囲の大人の言い間違いや、文法的に正しくない口語表現も含めて、つまりエラー込みで体系を把握するのですから、それは、もの凄い能力です。
    その能力があるから、子どもは、母国語を話せるようになります。
    しかし、そうした能力は、4歳を過ぎると急激に衰えるそうです。
    中学生が、たくさん英語を読んだりしゃべったりしたからといって、英語の語順の正しい理解に直結するとは思わないほうが良さそうです。
    多少は可能だとしても、それはとても無駄の多い学習方法となります。

    英文法を体系的に学べば、英語の語順は理屈で理解できます。
    最短で正しい英語を身につけるには、文法からのアプローチが有効です。

    数か月前、日曜日に山を歩きながら、ラジオ「子ども電話相談室リアル」を聞いていましたら、中学生から、こんな相談が寄せられていました。
    「英語は、何で、主語の後にすぐ動詞を言うんですか。日本語は、述語は最後です。なんで英語はそうじゃないんですか。おかしいと思います」
    ・・・・・若い世代は、我々よりもグローバルに物事を見ることが出来るだろうというのは幻想に過ぎないと、こういう中学生の発言を聞くと感じます。
    若いだけ愚かであり、若いだけ主観的な場合も多いです。
    自分が慣れ親しんでいるものごとが常に正しいのだという思い込み。
    日本語の語順のほうが、むしろ、世界全体では珍しいのではないかと、なぜ考えないのかなあ。
    でも、日本語と英語と語順が違うことに気がついているだけで、中学生としては、上出来なのかもしれません。

    英語を和訳してもらうと、おかしな訳をしてしまう子は結構います。
    例えば、

    Yesterday I played baseball . 

    これを、「昨日、私がやったのは、野球です」と訳してしまうんです。
    意味的には、大体そういうことなんですけど、その日本語は、英語に直すと、別の英語になります。

    It was baseball that I played yesterday.

    強調構文ですね。

    英訳問題の答案も、おかしい子がいます。
    「私は、テストのために、一生懸命英語を勉強しました」

    I for the test hard studied English.

    冗談ではなく、こんな英語を書く中学生・高校生は、たくさんいます。
    (^_^;) 

    「主語を書いたら、すぐ動詞。前置詞から始まる句は、修飾句だから、被修飾語の後で書く」
    こういう助言をしても、文法用語が理解できていないと、何を言われたか理解できず、本人は、ぽかんとしています。
    なので、主語とは何か、動詞とは何かを説明することになるのですが、文法が嫌いな子は、こういう話を1分以上聴き続けることができない場合が多いです。
    嫌なんでしょうね。
    嫌なことは、無理に聴いても、頭に残りません。
    なので、いつまでもいつまでも、上のような英文を書き続け、自分が何をどう間違えているのか、理解できません。

    これらのことが身についていなかったら、学年が進むにつれて、英語はどんどんわからなくなり、テストで得点できなくなっていきます。
    高校生になって、巻き返そうと思い、自分で英語の参考書を買っても、書いてあるのは、文法用語を駆使した説明ばかりなので、参考書が参考になるどころか、呪文が書いてあるようにしか思えなくなります。

    それでも、子どもは、文法を否定したがります。
    文法なんか学ばなくても英語が身につく魔法がどこかにあると、思いたいのでしょうか。

    一方、海外に語学留学した人から話を聞くと、日本に戻ってきて、改めて文法を勉強し始めた人が多いですね。
    自分に足りなかったのは文法力だったと、留学して、ようやく理解したそうです。
    だって、英語力がそんなにないのに留学するから、入れるのは語学学校の基礎クラスで、そこでは、「知っている形容詞を皆で挙げてみましょう」といった授業を受けるんですから。
    たくさん挙がった形容詞を使って、次には例文をたくさん考えて、結論として、形容詞は、補語になるか、名詞を修飾しますね、なんてことを、わざわざ留学して学ぶことになります。
    その授業が英語で行われるから、何か意味があるような気がするけれど、よく考えたら、基本的な英文法を学んでいるだけです。
    そして、留学先でネイティブの先生に言われて、ようやく、文法的なアプローチが語学習得の近道なんだと納得するんです。

    そんなこと、日本にいるうちに、気づきましょう。
    (^_^;)

    英語力とは、文法力と単語力。
    その両輪のどちらかが欠けていると、英文は、読めません。
    聴いても、理解できません。

    地道に頑張りましょう。
      


  • Posted by セギ at 20:59Comments(0)英語

    2013年03月02日

    英語の早期学習


    さて、ようやく昨日、確定申告が終わりました。
    今年は、2月早々から、体験授業、入会が立て続けにあり、その意味でもバタバタしております。

    現在、空いている時間枠は、
    土曜日15:00〜16:30
    の1コマとなりました。
    この1コマで通塾可能な方のお問合せ、お待ちしております。
    (*^_^*)

    保護者の方からの面談希望の重なる時期でもあり、いろいろとお話をうかがっていると、小学生の保護者の方から、英語の勉強はどうしたら良いかというご相談を2件続けていただきました。
    通っている小学校が英語教育に力を入れ、低学年から英語の授業があるような場合は、それはもうやらなければならないのですが、特にそういうことではない場合、英語の早期学習は必要かどうかと問われますと、一概にどうこう言えることではない、と感じます。

    2年ほど前にもこのブログで書いたことですが、この時期になると、以前勤めていた集団指導塾では、新中1英語準備講座というのをやっていました。
    それは、高3受験生を教えるときよりもかえって気をつかう、かなり難しいものでした。

    中学受験の勉強に忙しく、英語は小学校で少しやっただけの子がいます。
    中学受験はしなかったけれど、英会話教室に通っていた子がいます。
    中学受験はしなかったし、英会話教室にも通っていなかった子がいます。
    まるでレベルが違います。

    個別指導なら、一人ひとりに合わせればよいので問題ないですが、集団指導の場合、かなり厄介です。
    けれど、実際に中学生活が始まれば、問題は薄らいでいきます。
    中1の秋頃には、レベルがそろってきます。
    結局、勉強の出来る子が、英語も出来る。
    そういうところに落ち着いてしまう場合が大半です。

    だからこそ、なのですが。
    3つのグループのうち、一番厄介なのは誰か。
    英会話教室に通っていた子たちなんです。

    勉強が上手な子が英会話教室に通っていたのなら、問題ありません。
    そのまま、中学のペーパーテストでも高得点を取り、発音がいいので、英語の先生にほめられ、ALTの先生ともちょっと会話が弾んだりします。
    ますます英語が好きになります。
    中学で英検2級や準1級を取ったりするのは、そういう子ですね。

    でも、どこにでも、不器用な子はいます。

    英会話教室は楽しい。
    英語のあいさつ。英語の歌。英語のゲーム。英語のクイズ。英語のリズム体操。
    とても楽しい。
    ああいうのが、英語。
    楽しいのが、英語。
    小学校の英語の時間も楽しかった。
    クイズやゲームがいっぱいあった。
    ああいうのが英語。
    中学の英語は、楽しくない。
    これは、英語じゃない。

    手を使って書くのが好きではない子は、練習をしない理由を作り上げます。
    スペルなんて、どうでもいい。
    文法なんて、細かいことは、どうでもいい。
    英語は、話せなければ、意味がない。
    学校の英語なんて、意味がない。
    練習する必要はない。

    中1のときは、皆が英検5級を受けるのを余裕で眺めています。
    自分は、小学校のときに3級を取っていますから。
    周りがすごいね、とほめてくれる。
    自分はすごいんだ。
    英語が得意なんだ。
    学校の英語の成績は「3」だけど、そんなのは関係ない。

    中2になって、準2級を受けたら、落ちちゃった。
    中1からやっと本格的に英語を勉強し始めた子が合格したのに。
    なぜだろう。

    中3になって、高校は国際高校か英語で定評のある私立の付属を受けたいと担任に言ったら、考え直せと言われた。
    塾の先生に相談したら、すごくレベルの低い高校を勧められた。
    なぜだろう。

    自分は英語が好きなのに。
    英語が得意なのに。

    中3の夏や秋になって、親子でこうした相談にくる方がときどきあります。
    お母さんは、涙声で言います。
    「小学校2年生から英会話教室に通わせたのに」
    私には、かける言葉がありません。

    そういう子が「英語が好きだ」というのは、本当は、嘘です。
    その子は、楽しそうなことが好きなだけで、英語が好きなわけではありません。
    本当に英語が好きな子は、無味乾燥な英語の長文を読んでいても楽しい。
    全く興味のもてない話題の英語のCDを聴いているだけでもうれしい。
    英語に触れているだけで、幸せなんです。
    英語が好きだから、細部まで理解したい。
    スペルも正確に覚えたい。
    文法も知りたい。
    英語の細部がいとおしい。

    最初は、楽しそうだから、で構いませんが、楽しくなくても、苦しくても、続けていくのが、本当に好きだということですよね。

    でも、それを言っても仕方ありません。
    「あなたは、本当は英語なんか好きじゃないのよ」
    と宣告しても、事態は変わりません。
    その子のプライドに見合うだけの英語力をつけてあげること。
    解決方法は、それしかありません。
    難しいことですが。

    でも、不可能ではないんです。
    英語なんて、何歳から始めたって、本気になれば出来るようになるんですから。
    変なプライドを捨てて、真摯に努力すれば。

    小学生の中には、英語が主要科目であることを知らない子がいます。
    高校入試科目に英語があることを知りません。
    中学で英語のテストがあることさえ知らない子もいました。
    英語のテスト?
    何をテストするの?
    英語って、遊びじゃないの?
    小学校の英語は、遊びだよ。
    そんな調子でした。
    そして、中学英語が遊びではないとわかると、英語が嫌いになっていきます。

    中学受験をした子は、それまで英語の勉強をほとんどしていなくても、実はあまり問題がないんです。
    「先生、英語って簡単じゃね?」
    そんなふうに言います。
    「まあねえ。でも、じきに、泣くほど難しくなるよ」
    「・・・・泣くほどか」
    そう言って、笑っています。

    難しいことは、難しいから、面白い。
    それを知っている子は、もう、一生大丈夫なんです。
      


  • Posted by セギ at 00:21Comments(0)英語

    2012年07月10日

    「間違え」は間違いですね



    私自身、うっかり変な言葉を使ってしまうので、これは自戒をこめての話です。
    「全然平気」なんて、全然使っちゃいますしねー。
    って、ダメでしょう、それでは。
    (^_^;)

    ネットで、「禿同」など目にすると、ちょっと笑ってしまいますし。

    わかって使っているのだから、まあいいじゃないの。

    でも、本気で間違えているのを見ると、ちょっと気になることがあります。
    テレビのテロップに「全然」が「全々」と出たりすると、気になります。
    「できることから少しづつ」というのも、最近、ちょっと気になります。
    「できることから少しずつ」が、正しいです。
    (^_^;)

    もう1つ、最近ときどき目にするのが、「間違え」という名詞。
    「自分の間違えに気づく」という使い方をときどき目にします。
    これ、正しくは、「間違い」だと思います。

    もとになる動詞が2種類あるところからきている誤解かもしれません。
    五段活用動詞「間違う」と、下一段活用動詞「間違える」。
    その名詞形は、五段活用動詞「間違う」から派生した「間違い」が正しい。

    しかし、最近、「間違う」よりも、「間違える」を使う人のほうが多いように思いますから、それで、「間違え」が名詞形だと誤解している人も増えてきているのでしょうか。

    ところで、「間違う」と「間違える」は、使い方はどう違うのでしょう。
    「間違う」は自動詞だけれど、他動詞としても使える。
    「間違える」は、他動詞。

    ニュアンスの違いは何なんだろう。
    「あなたは、間違っている」
    というのと、
    「あなたは、間違えている」
    というのとは、何が違うだろう。

    「あなたは、間違っている」というのは、「あなた」を否定しているニュアンスが強いかな。
    「あなたは、間違えている」だと、「あなた」は今、何かを間違えているだけであって、あなたを否定しているわけではないという感じがあるかなー。

    あるいは、「間違えている」という表現自体、昔はなかったもので、違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれません。
    こういうニュアンスの違いがあるので、「間違っている」よりは「間違えている」という表現を私も選んでしまいます。

    たとえ日本語ネイティブでも、こういう細かいところになると、やはり難しいです。
    難しくて、面白い。


    中学生に英語を教えていると、例外的な場合を教えるときに、ものすごく嫌な顔をされる場合があります。
    たとえば、不規則動詞の過去形。
    これを覚えないで、何でも ed を付けて済ます子、います。
    「こうやっておけば、大体、〇になるでしょう?」
    なりませんよ。
    よく使う動詞には、不規則動詞が多いんですから。
    (^_^;)

    覚えることが増えると、やる気がなくなるようで、英語について文句を言い始めます。
    何でこんなに難しいんだ。
    もう、英語なんか嫌いだ。

    英語は、歴史のある言語。
    例外があったり、複雑なルールがあるのは、当たり前。
    言語の中では、まだ単純なほう。
    覚えやすい言語です。

    私が外国人だったら、日本語を学ぶことは、早々に諦めるかもしれません。
    あまりにも複雑だ。
    全ての動詞をいちいち活用して使わなければならない。
    しかも、活用の種類は何種類もある。
    そんな言語、覚えられません。
    (^_^;)

    日本人に生まれて良かった。
    勉強しなくても、日本語が使える。


    だからといって、私の言葉遣いが正確かというと、そんなことはないんですが。

    最近、よく宣伝している映画『グスコーブドリの伝記』が気になっています。
    もう大昔の話だけれど、『銀河鉄道の夜』は、素晴らしかった。
    映画館で見た、数少ない映画の1つです。
    面白いのなら映画館に見に行きたいので、ネットで評判や感想を検索すると、今のところ評価は真っ二つ。
    褒めている人は、「映像がきれい」「感動して泣けた」という評価が大半。
    けなしている人は、「声優に人気俳優を使うな」「原作を改悪するな」という意見が大半。
    人気俳優の件はともかく、ストーリーに改悪がなされていると聞くと、さて、どうなのかなあ、と悩みます。
    どこがどう改悪されているのだろう。
    原作のファンからは、そういう反応は当然出るものだし。
    家族離散と自己犠牲というテーマは、原作と共通らしいけれど?

    そんなふうな内容のメールを、先日、遠くに住む友人に送りました。
    私はいつも長いメールを送るのですが、彼女の返信は、常に、おそろしく短い。
    今回は、たった1行でした。

    ×家族離散→〇一家離散

    (^_^;)

    しかし、私は、彼女のこういう反応がほしくて無駄に長いメールを送り続けているような気がします。
    私の長いメールをきちんと読んでくれている感じがあるのです。
      


  • Posted by セギ at 15:50Comments(4)英語

    2012年06月11日

    発音とアクセント


    私が教えているのは英会話ではなく、受験英語です。
    本質的に英語が使えるなら、どちらでも同じだと感じる方もいると思いますが、受験英語は、ペーパーテストで減点されないことに重点が置かれます。
    冠詞のaやtheが抜けていないか、複数形や三単現のsやesが正確か、そんな隅々に気をつかってやっていくことが必要になります。
    ネイティブ講師ばかりの英会話スクールに多い傾向として、日本人のブロークンな英語をあまり訂正せず、それよりも、とにかく話そうとする意欲をほめる指導をします。
    結果、会話に対して臆病ではないし、トラベル英語などで不自由はないだろうけれど、学校の英語のペーパーテストで得点できない子が出来上がってしまいます。
    そういうのとは、受験英語は、やはり違ってきます。

    英語の問題の正解をいちいち板書していたら時間の無駄。
    かといって、あまり上手に英語を読み上げると、日本の中学生には聞き取れない。
    だから、受験英語の指導者は、正解を読み上げるとき、冠詞や語尾を強調する不自然な英語で正解を言っていくことになります。
    私など、もともと英語の発音は上手くない。
    それが不自然な読み方で30年。
    もうボロボロです。(*^_^*)

    でも、実際には、通じますし。
    おそらく、「日本人の話す英語」というカテゴリー内ではOKなんでしょう。
    もうそれでいいかな、と感じます。

    これは、逆の立場で考えるとよくわかる話です。
    外国人の話す日本語は、正直言って下手くそな場合が多いですが、それを笑う日本人は、今は少ないですよね。
    特に、英語圏の人の日本語の訛り方は、これはもう一生治らないだろうなあと感じますが、それをバカにする人は、ほとんどいません。
    どれだけ発音が悪くても、言っていることは理解できる。
    外国人の言葉に、言い間違いや、よくわからないところがあっても、そこを何とか理解しようと努力する日本人が多いと感じます。
    相手が努力して日本語を話しているだけで、もう十分。
    相手の日本語の発話能力のつたなさは、こちらの日本語の理解力でカバーする。
    それは、人として、普通のこと。
    昭和の頃には、日本語を話す外国人タレントの、話し方そのものを笑った時代もあったので、少なくとも、そういう点でグローバル・コミュニケーションは進んでいる気がします。


    これは、日本語の話なのですが、先日ラジオを聴いていて、非常に驚いたことが1つ。
    ある30代の男性アナウンサーが自分の番組の中で、先輩女性アナウンサーの書いた文章のことをちょっとけなしたんです。
    同じ局の同僚ですし、それは、単なる冗談で済むレベルのこと。
    面白いので、けなされた先輩女性アナウンサーが、アシスタントを務めている別のラジオ番組でどう反応するか、リスナーは、ツイッター上でわいわい騒いで楽しみにしていました。
    さて、放送当日。
    その先輩女性アナウンサーは、おっとり返すだけでしたが、その番組のメインパーソナリティーである、年配の男性アナウンサーが、ここで皮肉。
    先輩女性アナウンサーの文章を批評した、30代の男性アナウンサーの「自転車」という単語のアクセントが間違っていることを指摘したんです。
    面白がっていたリスナーの1人である私は、ぞっとしました。
    名前は出さない遠回しな指摘。
    最近、「自転車」のアクセントを間違えている奴が多いよね、程度の指摘です。
    でも、アナウンサー本人は、わかったはず。
    これは、アナウンサーとして致命傷のように私は感じ、ぞっとしたんです。

    年端もいかない新人タレントの話ではありません。
    局の看板アナウンサーが、アクセントを間違えている。
    これは、致命傷ではないのか。
    先輩をからかったことに、お灸をすえた?
    そもそも、そんなくだらないことで、自分の番組のペースを乱されたことが不愉快?
    あるいは、そういう皮肉を言いながら、うひゃひゃひゃと笑って面白がっている?
    さすがに老獪です。
    (*^_^*)

    東京アクセントは、80年代頃より平板化が進み、「自転車」のアクセントも、何が正しいかというのは微妙な問題です。
    でも、アナウンサーは、昔ながらのアクセントを要求される仕事。
    古くからの「正しい」アクセントは、「じてんしゃ」の「て」にアクセントがあります。
    その30代アナウンサーが、先輩女子アナウンサーの文章を批判する少し前、自転車にまつわる話をしていて、何度もその単語を発語していたんです。
    全て、平板アクセントでした。
    どう考えても、この勝負、アシスタントの女性アナウンサーを飛び越えて、年配アナウンサーの圧勝。
    怖い、怖い、と思いながら、ツイッターを眺めると。
    そのことに触れているツイートがありません。
    その、「自転車」のアクセントを間違えた30代アナウンサーのファンは、負けを感じていない。
    その次の週の番組で、そのことに何も触れなかったことを「スルー」と称し、単に相手をしなかった、ととらえている様子です。
    ファンは、負けたという感覚がないようなのです。

    これは、どういうことなのか。

    その30代のアナウンサーがもっとも尊敬しているのが、その年配アナウンサーであることは、度々公言していることなので、さほどファンではない私でも知っています。
    もしも、その年配アナウンサーが、まだ同じ会社にいてくれて、直属の先輩だったなら、僕の気持ちをわかってくれるのではないかと、テレビ番組で泣きながらしゃべっているのを見たこともあります。
    アナウンサーが、テレビで泣きながら自分の気持ちをしゃべっている、というのも凄い話なのですが、何かそういうことが許される独特なキャラクターのアナウンサーです。
    しかし、彼は、アナウンサーです。
    何を言われたか、ファンは気がつかなくても、本人は、わかったはず。
    以後、その件に触れないのは、もう冗談で返せる話ではないからだろう。
    私は、そう感じました。
    尊敬する大先輩に叱られたことが、嬉しいか、悔しいかは、本人の問題ですが。

    その30代アナウンサーが、その件をどう判断しているかについては、それ以上の興味はわかないんです。
    この次、彼が「自転車」を発語するときに、それはわかること。
    アクセントを直すか、前のまま、平板アクセントか。
    直さないのだとしたら、今は平板アクセントの人が増えている、という立場から、あえてそのアクセントを選ぶということでしょう。
    それは、それで、1つの考えですし。


    興味があるのは、私と同じリスナーが、それをどう判断しているのか。

    そのアナウンサーのファンは、そのアナウンサーと同世代か年下が多い様子です。
    ツイッターを駆使する世代でもあります。
    彼らが、今回の件をどう判断しているのか。
    アクセントの間違い?
    でも、自分たちは、そのアナウンサーの話す内容と表現の仕方が好きなのだ。
    アクセントなんて関係ない。

    そういうことなのかもしれません。
    あるいは、批判が遠回しだったため、皮肉があったことに気がついていない平和なリスナーも多いのかもしれません。
    アナウンサーがアクセントを間違えるのは、職業の根本に関わる重大事だと感じる私の感覚が、少し古いかな。

    うまく判断できないまま、また、その30代のアナウンサーのラジオ番組を聴きながら、ツイッターを眺めていると。
    1人のファンから、その日のゲストの話し方に対する批判のツイートがありました。

    否定表現から入る返答。かぶせ気味に自分の話したいことだけ話す。

    ほお。
    言葉について、そういう敏感さを持っている人がいる。
    アクセントや発音よりも、言葉の選び方。
    そういうことが気になるようです。
    でも、そのゲストの話をよく聞くと、否定表現のようで、実は、アナウンサーの言うことを肯定していて、ただ、接続詞が足りないので、何でも否定しているような印象があるのです。
    そのゲストは、タレントではなく文化人なのだから、許しても良いことのように感じます。
    話の内容は、興味深いものでしたし。

    それでも、話の内容よりも、否定的な話し方が気にさわるのだろうか。
    肯定的に話してあげないと、心に届かないのか。
    厄介だな。

    まだ、何も判断はつかないのですが、この頃、こんなことに興味があります。
    自分の仕事につながる気がしています。
      


  • Posted by セギ at 16:04Comments(1)英語

    2012年06月05日

    英語のテスト結果


    中間テスト、英語の結果も出ました。
    セギ英数教室で、英語を受講している中学生・高校生の得点結果です。

    90点以上が、2人。
    内訳は、中1が1人。中2が1人。

    80点台は、1人。
    中2です。

    公立中学の中で日程が早めの学校は、もう来週が期末テストです。

    英語は、特に中学1年生の場合、得点の下がる子は、もの凄い落差で下がっていきます。
    最初のテストが簡単過ぎて、油断するんでしょうか。
    英語なんか、勉強しなくても、わかる。
    そんなふうに思ってしまうのでしょうか。
    不幸なことに、ちょうどその頃から、英語は難しくなっていきます。
    2学期になれば、さらに。
    名詞・代名詞の複数形。
    三単現。
    人称代名詞。
    細則と例外の多い単元ばかりです。
    細部を丁寧に正確に勉強していくことが出来ないと、たちまち、得点が下がります。
    そして、その不安定な基礎が、学年が進むにつれ深刻化し、テスト範囲とは直接関係ないところでの失点で得点が伸び悩む結果を招きます。

    今年度から、英語も新しい教科書になりました。
    予想通り、中1のwarm up のページを丁寧にやっていると、もう6月なのに、まだwarm up という学校もあり、それも不安材料です。
    去年までなら、もうbe動詞の文はひと通り終わり、一般動詞もテスト範囲の一部に入るかという時期です。
    なのに、まだ、warm up。
    ゆとり教育時代より、勉強が遅れてしまっています。

    これでは、リスニング問題が難しくなる可能性も、なくはない。
    テストに出すことが他にないので、warm up と同様のリスニング問題になりかねないですが、あの会話、難しいですよね。
    数字や曜日や日付を聴き取るのは、それは、中2だったら、できなければいけないことだけれど、中1の1学期に要求することかなあ。
    そういう意味では、やはり、もうゆとり教育ではない。

    書くタイプの問題は、アルファベット以外は、単語のスペルでしょうか。
    warm up に出てくる単語のスペルは、中1の1学期に全部覚えるのは、かなりきつい。
    1から100までの数字。
    日曜日から土曜日まで。
    1月から12月まで。
    こんなもの、中3でも、書けない子は、たくさんいます。
    だから、中1の1学期にそこまでは要求しない、と思うのですが。
    しかし、そう思い込んでいると、出題されて、目の前真っ暗という可能性もあります。
    何を出題するか、どういう勉強をすれば良いか、ある程度、授業中に学校の先生から話があるはずですが、生徒がちゃんと聞いてメモを取ってくるかどうか。

    さらに、こういうテスト範囲では、これまでとは違う、妙な出題も、あり得ます。
    不器用なタイプの秀才が、大失敗してしまう危険をはらんでいます。
    今のところ、小学生から英会話スクールに通っていて英語慣れしている子が有利かもしれません。

    いつまでもそのままのわけはなく、長期的には心配ないのですが、中1の1学期の英語のテストで失敗すると、秀才ほどショックが大きく、保護者の方の驚愕も大きいので、頭の痛いところです。

    私の心配しすぎでしょうか。
    でも、これは、単に悲観的ということではないのです。
    あらゆる可能性を考慮にいれないと、結果は出せません。

    「何となく、大丈夫だと思った。それはテストにそんなに出ないと思ったから」
    と、テスト範囲の大事なところを勉強しなかった理由を述べる子どもたちと30年つきあっていると、こんなふうになります。
    (*^_^*)

    いえ、もともとの性格なのかもしれませんが。
      


  • Posted by セギ at 13:18Comments(0)英語

    2012年05月11日

    他人の話を聴く力


    GWは、時間に少し余裕があったので、昔のDVDの整理などしました。
    塾講師をしていますと、ゴールデンタイムに家にいることはないので、見たい番組は、録画して見るのが普通です。
    それがまだ残っていました。
    「トリビアの泉」という番組を録画したものが数本残っていて、見たら、驚きました。
    あの番組、スタジオ部分では、ずっと水音がしているんです。
    皆様、ご存じでしたか?
    確かに、セットの背後には泉がある。
    ずっと水が流れています。
    でも、その水音が気になったことは、当時は1度もなかったのですが、今回見たら、びっくりするくらいよく聞こえます。
    外で雨が降り出したのかなと思うくらいに。
    これは、当時の私が迂闊だったのか?
    あるいは、テレビ受像機の進歩により、音声がクリアになったせいなのか。
    モスキート音が突然聞こえ始めたくらいの衝撃でした。
    聴き取るというのは、やはり難しいものですね。
    (^_^;)

    さて、本日は、英語のリスニングの話です。
    英検や高校入試が近づいてきますと、生徒から、「リスニングで得点できない」という相談を受けることがあります。
    地力はついている子に対しては、1回か2回の授業で、リスニングのちょっとしたコツを伝授すれば、ぐっと得点が上がります。
    しかし、そもそも地力がない場合、目前の試験に間に合うようにリスニング力を上げていくのはかなり困難な作業です。

    では、地力とは何なのか?
    英語を聴いた経験が圧倒的に不足している子の場合、その子の知っている英語は、その子が自分で音読するカタカナ英語ですから、本当の英語との乖離が激しく、聴き取るのに大きな障害となります。
    本物の英語を、聴いてください。
    教科書本文のCDでも、ラジオ講座でも。
    毎日聴くのが理想ですが、最初は、週に1度でもいいです。
    英語を聴く習慣が全くなかった子の場合、週に1回聴くようになるだけでも、ひと月でかなり効果が表れます。
    そうやって耳を作っていけば、さほど努力した感覚もなく、簡単にリスニング力は上がります。

    もう1つ。
    当たり前ですが、単語力がないと、リスニングは難しいです。
    どんなに英語耳を鍛えても、知らない単語は聴き取れません。
    学校の教科書の英文を読んだときに、新出単語以外でも意味のわからない単語がゴロゴロある状態では、該当学年の英検の級のリスニング問題は、かなり難しく感じると思います。
    まず聴き取れません。

    ここまでは、英語力に関する問題なのですが、実は、もっと根本的にリスニングで得点するのが難しい子がいます。
    そもそも、他人の話を聴く力の弱い子の場合です。

    たとえば英検3級のリスニング問題を全部日本語に訳して、全部日本語で朗読して、全部日本語の選択肢から選ばせるとしたら。
    該当学年である中学3年生の正答率は、どれくらいでしょう。
    リスニング問題は、全部で30問。
    全問正解できるのは、おそらく、全体の3分の1程度でしょう。
    1問か2問、ケアレスミスしてしまう子が、全体の2分の1。
    そして、残る6分の1は、何でこんなに間違えるの?とあきれ果てるような得点になるんじゃないかと思います。

    「テキストの〇ページを開いて」と言っても、その指示を聞き落とす。
    「問3を見て」と指示しても、とんでもないところを見ている。
    これ、集団授業だけではありません。
    個別指導で、1対1でも、聞いていない子は、聞いていません。
    私が言った通りのページを開いているか確認した後、説明する問題を指さしてあげないと、指示したとおりのところを、まず見ていない子は、います。
    集団授業では、そのまま修正されず、トンチンカンなところを見たまま、授業を受けてしまいます。
    なので、説明が全くわからない。
    不思議なことに、そういう子は、自分が間違っていることに気づくのが遅い傾向があります。

    他人の話を聞かない子。
    子どもの頃から、他人の話を聞き流す習慣がついているのでしょうか。
    他人が話している間、別のことを考えています。
    まだらにしか聞いていません。
    能力自体が低いのではなく、むしろ、潜在能力はあり、本人のセルフイメージも、案外肯定的なことが多いです。
    ただ、他人の話を聴くことが、できない。
    聴いてくれという合図に気がついても、聴く態勢になれない。
    聴き始めても、すぐ飽きて、他のことを考えてしまう。

    英語は、特有の抑揚があるので、聴いていると眠くなります。
    ますます集中力が途切れます。
    英検のリスニングは、平均約30分間。
    とても最後までもちません。
    リスニング問題だけは集中して聴くつもりでも、普段やっていないことは出来ません。
    後半は、頭がぼおっとし、内容が頭に入ってこなくなり、正答率がガタガタに下がっていきます。

    まずは、日本語からですね。
    (*^_^*)
      


  • Posted by セギ at 16:37Comments(0)英語

    2012年05月09日

    どうやったら単語を覚えられるのか


    本日は、英語の話。

    初見の英文を読んでいくために、受験生には、パラグラフ・リーディングを教えます。
    パラグラフ・リーディングとは、要するに、段落読み。
    1つの段落には、1つの内容しか書いていない。
    それを利用する読み方です。
    これならば、文法的にわからない部分があっても、知らない単語があっても、読み通していけます。
    これは、英語でも、国語でも使えます。

    しかし、それを教わることでグンと伸びるのは、やはり、最低限の基礎は身についている子に限られてきます。
    いくらなんでも、この程度の単語力はほしい。
    いくらなんでも、この程度の文法力はほしい。
    そういう最低ラインがあります。
    でも、現実問題としては、その最低ラインをクリアできない子が多いです。

    特に単語力は深刻。
    中学レベルの単語まではかろうじて覚えられた子も、高校で湯水のように出てくる新出単語に、ほとんどの場合、ギブアップしてしまいます。
    定期テストの範囲の単語だけは何とか覚える。
    テストが終われば忘れる。
    結局、知っている単語の合計に変化がない。
    そのまま、高3までいってしまう子が多いです。

    どうやったら単語を覚えられるのか。
    1つには才能があって、語学の才能の第一は、単語を覚えられる才能だと思います。
    単語を覚えるのが得意な人は、1度2度見たら、覚えられるらしいので、才能とは恐ろしい。
    そういう人が、「どうしたら英語ができるようになるか」といった本で、「とにかく単語を覚えてしまえば何とかなる」という、ほとんど暴言に近い発言をするようになるのかもしれません。
    大半の人が、そのレベルで苦しんでいるのですが。

    そういう才能は自分にはないと感じた場合。
    当たり前の話ですが、音声を伴わない英語学習は、いつか壁に突き当たります。
    進学塾で音声学習に時間を割くことはできません。
    それは、自宅で、自分でやるべきこと。
    音声教材のついている単語集で単語を覚えるのが最善です。
    そのほうが覚えやすいですから。
    単語集とは別の音声教材、例えばラジオ講座なども併用すると、さらに効果的です。
    しかし、難点が1つ。
    つまらない。
    よほど強い意志がないと、英語の音声教材を聴き続けることはできません。
    つまらないですから。
    教材を作っている人は、精一杯工夫して、面白くしようと努力しています。
    それでも、やっぱりつまらない。
    勉強ですから、面白いといっても、限界があります。
    勉強を面白いと思える感覚がなかったら、どんな英語教材も、結局、つまらない。
    自然と、聴かなくなります。

    それでも、続けられるのは、単語力をつけたいという意志が強い場合のみ。
    継続への強い意志。
    聴いて、書いて、自分でテストして。
    毎日毎日、その繰り返しです。

    1つのデータでは、英検1級合格者の4割は、NHKのラジオ講座で勉強した人たちだそうです。
    夢のような勉強方法がどこかにあるわけではない。
    実は誰でも知っている方法が最善で、ただ続かないだけなんです。

      


  • Posted by セギ at 22:51Comments(0)英語