たまりば

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2018年08月17日

英語学習と映画 ノッティングヒルの恋人


このお盆休みは、前半はゲリラ雷雨が凄まじく、大気不安定。
後半は晴れてはいるものの風が強く、結局、部屋で映画三昧の毎日でした。
新しい映画ではなく、手元にある古い映画のDVDを見直していました。
そうして、以前、とりつかれたように1つの映画を繰り返し見て、英語がそれ以前と比べて格段に聴き取りやすくなった頃のことを思い出していました。

私が長年教えているのは中高生に向けての受験英語で、つまりは英語の入試問題をどう攻略するかを指導するのが仕事です。
この仕事を始めた頃は今とは随分事情が違い、長文読解は論説文と同じくらい小説も多く、今よりも英文としては難解で、一方、リスニングは今よりずっと簡単でした。
しかし、時代は変わり、入試問題は難解な小説よりも平易で実用的な文章を速読して内容を理解することが主流となり、一方、リスニング問題はボリュームが増え難度も上がっていきました。

仕事を続けていくためには、自分の能力を時代に即してバージョンアップしていかねばなりません。
私はCD付きの単語集やNHKのラジオ講座などでリスニング学習を続けていました。
それは十分に効果があり、生徒にも勧めています。
しかし、塾講師としての立場からは特に勧めないけれど、劇的にリスニング力の上がる方法もあります。

1つは、英語の歌詞の音楽。
ただ、私が良いと思うものを生徒に勧めても意味がありません。
生徒はそれを「音楽」として勧められたと誤解するからです。
だから、つきあいのいい生徒でも、1回試しに聴くくらいのことしかしないでしょう。
しかし、1回や2回聴いたところで効果はありません。
100回、200回のリピートで初めて結果が表れます。
好きでもない音楽をそんなに聴けないですよね。

自分が本当に好きで、早口なのに発音が明瞭な英語の歌詞の音楽。
これは、そうしたものに出会えたときに、初めて可能な学習方法です。
私の場合は、エミネムでした。
抜粋した4曲ほどを延々と繰り返し聴いていました。
これは好きじゃなければ不可能なことです。
エミネムの歌詞は過激で、青少年の健全な育成に貢献するとはとても思えないので、生徒に勧めたことはありません。
音楽的には、わかりやすくポピュラーで、カッコいい。
それでも、趣味というものがありますから、受け付けない人もいるでしょう。

何百回でもリピートできる曲に出会った私は幸運だったのだと思います。
早口で、しかも発音がクリアで、音がシャキシャキと耳に心地良い英語。
それを自分の楽しみとして繰り返し聴くことができました。
やたらとエミネムを聴き込んだ数日後、いつものように勉強のために英語のニュースを聴いたときの衝撃。
何だかニュース英語が間延びして聞こえるほど聴き取りやすくなっていたのです。
センター試験のリスニング問題も、こんなに簡単なら有難いと感じる明瞭な聞こえ方に変わりました。

それまでは、聴き取れるにしても、いわば、自分の脳の英語スイッチを入れて、さらに電圧を上げて、聴くぞ、聴くぞ、というふうにもっていかないと聴き取れなかった細部が楽に聴き取れたのです。
効果は絶大でした。
歌詞ではなく、意味でもなく、英語の音を音として聴き取れるようになったのは、エミネムからだったと思います。

そこで1段階リスニングレベルが上がったところで、さらにもう1段階上がったのは、映画を英語で見るようになったことが大きかったと思います。
英語字幕で、あるいは、字幕なしで映画を見るようになりました。
映画俳優の英語は、エミネムより聴き取りにくいです。
音が不明瞭です。
ほぼ発音していないような音があります。
前の単語の最後の音と、次の単語の最初の音がくっついています。
で、その単語の最初の音と2番目の音との間にポーズがある。
1つの単語の途中にむしろ音の隙間があるのです。
ニュース英語や原稿を読んでいる英語、ラジオ講座の英語のように、聴き取らせるための英語とは次元が違います。

そのときどきで集中して見た映画は色々ありましたが、一番繰り返し見たのは、『ノッティングヒルの恋人』。
これは、日本語対訳付きの脚本集も買いました。
脚本を読む。
字幕なしで映画を見る。
また脚本を読む。
字幕なしで映画を見る。
その繰り返しで、50回は見たと思います。
そうすると、それまで聴き取れなかった音が聴き取れるようになっていきました。

ここからは、ネタバレを含みますので、『ノッティングヒルの恋人』をこれから見ようと思っている人は読まないほうがいいです。
20年も前の映画なので、もうそんなのどうだっていいかもしれませんが。
そういえば、今年、ネタバレは絶対にダメということも含めて評判になっている日本映画がありますが、それに関して、あるラジオパーソナリティーが、
「『猿の惑星』のDVDのパッケージに自由の女神を描くくらいにダメなこと」
と言っていました。(*^^*)
うーん、それは絶対にダメだ。
絶対にダメなことの比喩として、私も使おう。

話がそれました。
『ノッティングヒルの恋人』の中でも好きなシーン。
主人公ウイリアムが、ハリウッド女優アナ・スコットに、新作映画についてインタビューをするはめになり、さらには共演者の少女にもインタビューするシーン。

ウイリアム  Is this your first film?
少女     No. It's my 22nd.
ウィリアム  Of course it is. Any favourites among the 22?
少女     Working with Leonardo.
ウィリアム  Da Vinci?
少女     Di Caprio.
ウィリアム  Of course. And is he your favourite Italian film director?

この、最後のセリフのItalian の「イ」の音が、最初は全く聴き取れなくて、
「このイを発音してないよね、ヒュー・グラント?」
と詰問したいくらいだったのですが、この「イ」は、その前のfavouriteの語尾とほとんど同時に発音されていて、1拍おいて「タ」が発音されるというからくりに気づいて愕然としました。
これが英語のリエゾン。
そんなの聴き取れるわけがない。
しかし、そのからくりがわかると、「イ」が聞こえるようになっていきました。
英語が聴き取れないというのはこういうことだという仕組みもわかってきました。
映画の脚本なんて、内容は中学英語です。
仮定法が使われていることを考えても、せいぜい高校1年の英語。
でも、易しい英語であるにも関わらず聴き取れないのは、日本人が予測している単語として音が聞こえてこないからです。
リエゾンと妙な隙間。
そのからくりと音に慣れることが必要です。

そうして、聴き取れない音を聴き取るようにしておよそ50回も同じ映画を見た後。
英検1級のリスニング問題がクリアに聴こえるのに愕然としました。
聴かせようと努力してくれている人の英語はこんなにも聴き取りやすい。
英語学習らしい英語学習も必要なのですが、回り道の娯楽が実は近道なこともあるのでしょう。

『ノッティングヒルの恋人』は、小道具や複線の1つ1つが回収されていくのが気持ちよく楽しい映画です。
その分、セリフを聞き逃したり、セリフの意味がわからなかったりすると面白さが半減します。

例えば、ウィリアムが同居人スパイクと屋上で会話しているシーン。
 
スパイク  There's something wrong with the goggles.
ウィリアム No,they were prescription, so I could see all the fish properly.

このゴーグルに度が入っていることは、この後に活きてくるのですが、prescription という単語は他と比べて難度が高く、文字で見ても私は意味がわかりませんでした。 
英語圏の一般の人にも難しい単語なのか、魚がはっきり見えると説明して補強しているところに脚本の工夫を感じたりもします。

ハリウッド女優アナがウィリアムの家の屋上でセリフの練習をした後、ウィリアムに感想を求めるシーンも好きです。

アナ     What do you think?
ウィリアム Gripping. It's not Jane Austen, it's not Henry James, but it's gripping.

この映画の監督は、ジェーン・オースティン原作の映画で英国アカデミー賞を取った人で、そういう楽屋落ちもあるのかもしれません。

アナ     You think I should do Henry James instead?
ウィリアム I'm sure you'd be great in Henry James.
 
と、ワクワクした早口で言うウィリアム。かなり文学が好きな様子。
でも、アナの仕事を否定しません。

アナ     They would never say 'inform the Pentagon we need black star cover'.
ウィリアム And I think the book is the poorer for it.

核戦争から世界を救うという内容の映画に出演するアナは、文芸作品なら「ブラックスターカバーが必要だとペンタゴンに知らせて」なんて言わないわよねと自嘲するのですが、ウィリアムは、文芸作品のほうが、だからそれだけ内容が乏しいんだよとジョークで和ませます。
二人の気持ちが通う良いシーンですし、これが、その後、二人は別れたのに、アナはヘンリー・ジェームズ原作の映画に出演することを選ぶという展開につながっていきます。

主演の二人も良いですが、50回も見ると、もう主演なんかほとんど見ていなくて、セリフを聴いている他は、ちょい役の役者さんたちの芝居に見入っていました。
今回、久しぶりに見直しても、そうでした。
ウィリアムの友人たちや妹ではなく、もっともっと脇役。
例えば、ハリウッド女優アナの広報の人らしいのですが、日本人から見てほぼマネージャー的役割の、いかにも仕事が出来そうなアメリカ女性。
一応、カレンという役名があります。
ウィリアムが、アナ・スコットの新作映画に関するインタビューの場に紛れ込んでしまったときに、重要な役割を果たす女性です。
映画に対する予備知識もないのに何人もの俳優にインタビューし、消耗して部屋から出てきたウィリアムに、
Do you have a minute?
と軽快に問いかけ、ウィリアムが疲れ果てて「No」と答えると、眉を寄せるものの意に介さず従わせていく芝居。
アナの意向に添い、おそらく二人の関係も汲み取っているドアの開け方と表情。

あるいは、ウィリアムの家の前に集まる記者たちからアナを庇って車に導くときの、ドアが開いたその一瞬の表情。

アナがヘンリー・ジェームズ原作の映画のロケをしているときにウィリアムに快活に声をかけるのもカレンでした。
カレンは、アナの近くでアナとウィリアムの恋を知っていた唯一の人物なのかもしれません。

もう1人好きな脇役さんは、最後のヤマ場、アナの記者会見の場面で、アナに2回同じ質問をする記者、ドミニク。
1回目の質問は、
How much longer are you staying in UK then?
2回目、同じ質問をするよう請われて、
How long are you intending to stay here in Britain?
と言っています。
これ、最初のうちは、Britainがほとんど「ブ」としか聴き取れなかったのですが、今は聞こえるなあと感慨深いです。
それはともかく、映画は、この2度目の質問へのアナの答えでようやく記者たちは何が起こったか気づいて大団円となります。
このドミニクは、記者の中でも最初にそれに気づいたという設定なのでしょう。
アナの返事を書き留めながら、もう微笑んでいます。
それから、自分の質問がそういうふうにおしゃれに使われたことが嬉しいのもあってか、相好を崩してウィリアムに近づいていきます。
その芝居が上手い。
ドミニクは、この後、うきうきと長文の署名記事を書くだろうね、と思ってしまいます。

事の次第に気づいた2人目の男性記者の表情。
3人目の女性記者の表情。
上品そうな人たちで、ゴシップ誌ではなく、権威ある映画雑誌の記者なのでしょうか。
このあたりはアップになっていますから、説得力のある芝居なのは当然なのですが、それ以外の記者たちも、それぞれ芝居をしています。
His name was Thacker.
と、ご親切にウィリアムに教えた記者の表情もいい。
ウィリアムをじっと見ているくせに、彼こそがMr Thacker だと気づいていない。
やはり、ウィリアムがかつて言った、
Today's newspapers will be linging tomorrow's waste bins.
今日の新聞は、明日にはゴミになる。
という言葉のほうが真実ではないかと思わせてくれる演技です。
だけど、まぬけな記者というのでもなく、アナとドミニクとのやりとりを窺う表情の厳しさと、事実を悟って、うわっと表情が緩む様子がいいんです。
ゴシップ誌の記者なんだろうなあ。
仕事に真剣なのは素敵なことだ。

ウィリアムの友人バーニーに突然キスされた若い女性記者は、その後もニコニコ笑ってバーニーに話しかけていましたから、良いサイドストーリーを聴き取って独自の記事にするかもしれません。
お手柄だね。

そんなことを色々考えるのも、同じ映画を50回も見たからこそ。

『ノッティングヒルの恋人』を見ろという話ではなく、こんなふうに、メインストーリーや主役の芝居に興味がなくなって脇役ばかりに目がいくくらいに繰り返し同じ映画を見ると、英語が聞き取れるようになりますよ、という話。
私の『ノッティングヒルの恋人』は、他の人にとっては全く別の映画だろうと思います。

短大の英文科だと思いますが、半年かけて『ノッティングヒルの恋人』の映像を繰り返し見て音声を聴いて脚本を読み込む授業を受けた人の感想をネットで読んだこともあります。
試験は、脚本をほぼ暗記して受けたそうで、懐かしい思い出になっているようです。
確かに、授業の素材に選ぶ先生がいるのも頷けます。
SF大作やアクション映画よりも、セリフの駆け引きが面白い映画のほうが英語学習に向いているでしょう。

お盆休みのせいか、ちょっと普段と違う内容になってしまいました。

いやあ、映画って本当にいいものですね。(^-^;
  


  • Posted by セギ at 18:19Comments(0)英語

    2018年08月11日

    不定詞の攻略法。まずは中学2年レベル。


    中2の2学期あたりから急に英語の成績が下がっていく子がいます。
    なぜそうなってしまうのか?
    それまで学習していた英文とは語順が異なる文が増えてくるからでしょう。
    実際のところは、それまでと根本の構造は同じなのですが、文法的なアプローチが苦手な子には、全く別の語順の文に見えてしまいます。
    今まで、基本例文を暗唱して、英語は大体こんな順番で単語を並べればいい、と思ってきたことが覆されます。
    また、英文を全て日本語に直して、その文の意味から文法問題を解いてきた子にとっては、どう解いていいのかわからない種類の問題が出てきます。

    典型的なのは、不定詞の三用法の見分けです。

    問題 次の英文のうち、同じ用法のものを選べ。
    (1) I want to play the guitar.
    (2) My hobby is to collect old coins.
    (3) He was the first man to land on the moon.
    (4) You come to school to study.

    答えは(1)と(2)。
    この2つは名詞的用法。
    (3)は、形容詞的用法。
    (4)は、副詞的用法です。

    できるだけ文法用語に触れないで学習を進める場合、この3用法も、「名詞的用法」「形容詞的用法」「副詞的用法」という用語を用いないで説明することになります。
    この用語を正しく定義し説明すれば何もかも上手くいくのですが、それを避けるために大切なことが伝わらず、全てが曖昧になっていくことがあるのです。

    例えば、「名詞的用法」とは、不定詞を名詞として用いる用法です。
    名詞として用いるということは、名詞と同じ働きをするということ。
    すなわち、その文の主語・補語・目的語のいずれかになるということ。
    (1)の to play は、動詞の目的語。
    (2)の to collect は、補語です。
    だから、どちらも、名詞的用法。

    これが文法的な分析ですが、中2は、さすがにそれだけでは理解しづらいので、意味からもアプローチします。
    名詞的用法というのは、動詞が名詞のように使われる用法。
    つまり、「~する」という意味の動詞が、「~すること」という意味になるのが、名詞的用法の不定詞です。
    (1)の直訳は、「私は、ギターを弾くことを欲する」。
    さすがに、何時代の日本語なのだろう?という感じがするので、「私はギターを弾きたい」と訳しますが、構造を意識した直訳は「~すること」です。
    (2)の訳は、「私の趣味は、古い硬貨を集めることです」。
    「~すること」という意味なので、これも名詞的用法。

    文法からと意味からと双方で補強しあえば、名詞的用法は理解できます。
    これが意味から把握するだけですと、want to ~は「~したい」、like to ~は「~するのが好き」と、まるで熟語のように把握しがちで、そういうものが不定詞だと思うようになってしまう子がいます。
    そのあげく、不定詞は「動詞+to」だと、逆転して覚えてしまう子すらいます。
    不定詞は、to+動詞の原形だよ、と説明しても妙な顔をしたりします。

    それでも、名詞的用法は、まだ理解しやすいのです。
    問題は、形容詞的用法。
    形容詞の働きは、名詞を修飾する働きと、補語になる働き。
    しかし、中学生で不定詞を学んでいる間は、補語になる働きのことは無視しましょう。
    名詞的用法と重なる部分があって紛らわしくなりますから。
    不定詞の形容詞的用法は、名詞を修飾する。
    これだけで大丈夫です。

    しかし、これだけでも、文法嫌いな子には、ハードルが高いようです。
    形容詞は、名詞を修飾する。
    これの何を難しく感じるのか?
    「形容詞って何?」
    「だから、名詞を修飾するのが形容詞ですよ」
    「・・・え?」
    名詞を修飾するのが形容詞。そして、形容詞は名詞を修飾する。
    これを堂々巡りのように感じ、よくわからないと思う子がいますが、これは堂々巡りではなく、定義です。
    わかりやすいように少し補足するならば、
    日本語に直すと言い切りの形が「~い」で終わる、性質や状態を表す言葉が形容詞です。
    本当は、「~だ」で終わる日本語の形容動詞も英語では形容詞ですが、そういうことを言い出したらますます難しくなるので、ざっと理解しておきましょう。

    前にも書きましたが、中1の段階で、文の中のどれが動詞でどれが名詞か識別できるようになっていると、少し楽です。
    中2で不定詞を勉強する際に、今度は、形容詞と副詞の働きを理解すれば良いのですから。
    でも、それが上手くできない子が多いのです。

    どれが名詞なのかもよくわからないまま、不定詞の形容詞的用法を学ぶ。
    確かにそれはハードルが高いでしょう。

    He was the first man to land on the moon.

    この文の man が名詞です。
    後ろの to land on the moon は、この man をより詳しく説明しています。
    どんなmanなのか?
    to land on the moon したmanなのです。
    これで、どんな男か、より詳しくなりました。
    言い方を変えると、「男」というだけと比べて、意味が限定されました。
    より詳しく説明する、あるいは意味を限定する。
    これが「修飾する」ということです。
    to land on the moon という不定詞は、man と言う名詞を修飾しています。
    名詞を修飾するのが、形容詞。
    だから、この不定詞は形容詞的用法です。

    形容詞的用法の不定詞の訳し方は何通りかあります。
    「~する」名詞、「~するための」名詞、「~するべき」名詞、などです。
    この訳し分けは日本語の都合で、英語としての違いではありません。
    日本語に訳して自然なものを選ぶだけです。
    不定詞の形容詞的用法を名詞との関係からさらに分類するのは、高校英語になってからです。
    それもそんなに必要なことではないと私は思っていますが。
    「文法のための文法」のような知識は不要。
    でも、理解の助けになる文法は身につける。
    何でも毛嫌いせずに、そのような姿勢で文法を利用すると、難しかった英文の構造がスッキリわかり、意味がスラスラ読み取れるようになります。

    しかし、文法が苦手な子は、「名詞」「形容詞」といった言葉が説明の中に出てきただけで、もう耳を塞いでしまいます。
    はい、もうわからなーい。
    はい、その説明、難しーい。
    頭が、心が、文法を拒絶する様子です。
    そうした子は、文法の力を借りることができず、意味だけで不定詞の三用法を判断することになります。
    そして、形容詞的用法だけで何通りも訳があることに混乱し、不定詞がわからなくなります。
    名詞を修飾しているかどうかだけが判断の基準で、日本語の訳なんか何通りあっても全部同じなのですが。

    形容詞的用法は、乱文整序問題や英作文で混乱する子が多いのも厄介な点です。
    「彼は、子どもたちと遊ぶ時間がない」
    この日本語を英語に直すと、
    He doesn't play to time children.
    といった謎の英文を書いてしまう子は多いです。
    それまで、英語の語順はこういうものと思っていたのとは少し違う語順の文が、不定詞の形容詞的用法の文です。
    名詞の直後に to 動詞。
    文法的に理解していないと確かにこの語順は衝撃的で、自ら進んでこの語順で単語を並べていくには勇気が必要かもしれません。
    今までの語順にこだわっていると、「動詞 to 名詞」の語順で書いてしまうのです。

    主語を書いて、動詞を書いて、目的語となる名詞を書いて、to 不定詞。
    「誰々が」を書いて、「何々する」を書いて、「何々を」を書いて、to 不定詞。
    この呪文を唱えながら、そのナビの通りに英文を書いていけるようになるまで練習すると、段々とこの語順で英文が書けるようになっていきます。
    He has no time to play with his children.


    形容詞的用法と比べれば、副詞的用法は、まだ理解しやすいでしょう。
    You come to school to study.
    あなたは勉強するために学校に来るのです。

    中2で学習する副詞的用法の不定詞は、動作の目的を表す用法の1種類だけです。
    文がひと通り終わって、その後、最後に不定詞がくっついている印象なので、構造的にも理解しやすい。
    ただし、意味だけから判断しようとする子は、副詞的用法と形容詞的用法の区別がつかないことが多いです。
    「~するための」と「~するために」が似ているせいで混乱するのでしょう。

    名詞を修飾するのが形容詞。
    名詞以外のものを修飾するのが副詞。

    これを理解するだけで、形容詞的用法と副詞的用法の識別は、完璧にできます。

    三用法の識別。
    基本を理解したうえで、さらに簡単に識別するための目安もあります。
    「動詞 to 動詞」の形のときは、名詞的用法の可能性が高いです。
    勿論、例外はあります。
    He lives to eat.
    この文は、動詞 to 動詞 の形ですが、名詞的用法ではありません。
    この to eat は、lives の目的語ではありません。
    「彼は、食べることを生きている」ではありません。
    「彼は、食べるために生きている」です。
    これは、副詞的用法です。

    「名詞 to 動詞」の形のときは、形容詞的用法の可能性をまず考えてみます。
    ただし、本当にその不定詞がその名詞を修飾しているか、確認が必要です。
    I went to the library to do my homework.
    名詞 to 動詞 の見た目ではあります。
    しかし、この不定詞は、名詞を修飾しているのでしょうか?
    「宿題をやるための図書館」。
    おかしいですよね。
    宿題をやるため専用の図書館?
    そんなもの、あるはずがありません。
    「私は、宿題をやるために図書館に行った」
    これが正しい。
    to do my homework は、went という動詞を修飾しています。
    だから、これは、副詞的用法です。

    意味からも補強するけれど、文法的な把握は問題を解くのにこんなにも助けになる。
    不定詞の三用法は、文法を理解することがどれほど有利かを知ることができる学習内容です。
    文法を理解できる子はここから英語で頭角を表し始め、一方、文法を理解できない子は、徐々に英語がわからなくなってくる境目です。

    文法用語を多用せず、それでも、文法を理解してもらうこと。
    教える側としても、ここからが正念場となります。
      


  • Posted by セギ at 14:39Comments(0)英語

    2018年08月01日

    感覚で英語の問題を解いてしまう子。



    さて、今日は英語の話。
    入試問題でも、英検などでも、英語の4択問題は多いのですが、本来得点源であるこうした問題で見事に外してしまう子がいます。
    機械的に選んでも確率として25%は正答するはずなのに、本人の正答率は25%に達しません。
    ほぼ全て誤答してしまうことすらあります。

    例えば、こんな問題。
    これを、中学3年生が解くとして。
    Yoshihiko works at the hospital near his house. He (  ) people who cannot get out of their beds.
     1. translates  2.promises  3.assists  4.spells

    本人の単語力にもよりますし、学んでいる教科書によっても若干のズレはありますが、普通の中3ですと、はっきり意味のわかる単語は、この中では1つもない場合もあるかもしれません。
    教科書には出てきていた気がする。
    テスト前には覚えたような気がする。
    でも、今は覚えていない。
    そんな子のほうが普通です。
    でも、この問題、正答率はそんなに低くないはずです。

    正答は、3.assists

    これを正答できる生徒の考え方は、こんなふうです。
    英語としては初めて見るような気がするけど、この単語は「アシスト」でしょう?
    「アシストする」のアシストだよね。
    「アシスタント」のアシストだよね。
    「補助する」とか、そういう意味なんじゃないかなあ。
    他の単語の意味はわからないけど、正答はこれだよ。

    そういう判断をする子は、正答できます。
    ところが、そういう判断ができない子もいます。
    知らない単語は、読むこともできないと決めてかかって、目を通しません。
    assistが「アシスト」と読める単語であることを教えると、がく然として、あー、答えられたのに、と悔しがります。
    ローマ字読みで良いからとにかく読んでみれば良かったのに、それをしなかったんですね。
    読んでみたら、もう案外日本語として普通に使っている英単語は多いのですが。

    もっと重症な子になりますと、「アシスト」と読めるとわかっても、その意味がわからない子もいます。
    「アシストするって、日本語として聞いたことがあるでしょう?」
    「知りません」
    「アシスタントって言うでしょう?」
    「言いません」
    そうなると、それは、その子の日本語の語彙が少ないのが根本の問題となってきます。
    あるいは、間違えた問題のことに触れられるのが嫌で、たたき返すように「知りません」「言いません」と言っているだけかもしれませんが。
    その情報がその子の脳を通っていないのです。
    間違えた問題についてあれこれ言われるのが嫌なのでしょう。
    プライドが傷ついてしまうらしいんです。
    一刻も早く忘れたいと思っているのに、「アシストって言うでしょう」「もう、それは日本語でしょう」と言われるのが嫌で、「知りません」「言いません」とたたき返してしまうようです。
    しかし、間違えた問題を分析し原因を確認することができず、忘れたい、ごまかしたいという反応をする子は、また次も同じ間違いを繰り返します。
    この問題が1問できなかったことよりも、もっと根深い問題を抱えています。

    以上のように、さまざまな場合がありますが、正答の3.assistsが正答に見えなかった子は、では、何を選ぶのでしょうか。
    どうも、1. translates(翻訳する) を選んでしまう子が多いようです。
    この間違い方も、いろいろと分析できます。

    まず、transport(輸送する) という単語との混同があった場合。
    「ベッドから出られない人々を輸送する」という表現はどうなのかな?
    大体、どういう仕事なのそれ?
    救急隊員なの?
    救急隊員をそのように表現するかなあ?
    とは思うものの、気持ちはわかります。
    ああ惜しかったね、勉強はしているよね、と声をかけたくなるタイプです。

    一番困ってしまうし、しかし、一番多いのは、
    「何となく、translateが正解のような気がしたから」
    という返答です。
    ・・・・・何となくって、何なんでしょう?
    「なんか、長くて、難しそうな単語だったから」
    長い単語が正解に見えてしまう?
    難しそうな単語が正解に見えてしまう?
    混乱しているときは、そんな判断をしてしまうようなのです。

    以前、うちの塾生の1人が、こんなことを言いました。
    「問題が、魔物に見える」
    間違えて、間違えて、また間違えて。
    どう選んでも間違いが続くと、もう訳がわからなくなる。
    問題が、自分をだます魔物に見えてくる。
    必ず落とし穴があるように見えてくる。
    そういう意味のようでした。
    そういう感覚に陥っていると、自分の知らない単語、一番長くて難しそうな単語が正解だろう、という誤った判断をしてしまうのかもしれません。

    勉強というのは、いくら基礎でも学問なので、感覚で解いていたら、いずれ迷宮に入り込みます。
    にも関わらず、特に英語は自分の感覚に頼ってしまう子が多いように感じます。
    感覚に頼って4択を選び、単語を並べて文らしきものを作り、それで正答になると漠然と夢見ているような勉強をしている子がたくさんいます。

    英語が得意な人たちが「英語は感覚を大切に」などと、誤解されやすい発言をすることも一因です。
    これは良くないと、以前にも書きました。
    その人たちの「感覚」は、本人は「感覚」のつもりでも、実は「理屈」なのです。
    英文法の体系がその人の内にあるのです。
    本人がそれを意識していないだけです。
    長年、勉強が苦手な子たちの「感覚」につきあっていると、「感覚に頼れ」と言う気にはなれません。
    「一番長い単語が正解」というのが、その子の「感覚」かもしれないのです。

    教えて教えて、さまざまな武器を持たせたのに、試験当日、それらの武器を全部放り出して、素手でわあっと突入していってしまう。
    「感覚」に頼る子の試験の受け方はそんなふうで、結果を見て本人も傷つきますが、教えた側の落胆も大きいのです。


    勉強は、推理小説ではありません。
    「一番犯人ではなさそうだった奴が、実は犯人だった」
    なんてことは、ありません。
    一番「犯人」だと思われる奴が、まさしく「犯人」です。
    一番正答らしいものが、正答です。
    証拠がそろっているから「犯人」なのです。
    その証拠をそろえるには、しかし、こちらに知識が必要。
    論理的な判断力が必要。
    知識と判断力があれば、問題は魔物には見えません。

    出題者は、あの知識を確認するために、この問題を出しているのだ。
    こう間違える可能性を予想して、こういう構造の問題を作ったのだ。
    だから、これが正解なのだ。
    そういう判断を繰り返していくことが問題を解くということです。
    それができるようになるには、単語力と文法力をつけ、判断力を養うために、たくさん練習するしかありません。
    ネイティブでもない日本人が、英語を感覚で解くのは不可能です。
    間違った自分の答えばかりが記憶に残り、それの集積がその子の「英語の感覚」であるのは、よくあることです。
    英語の問題を感覚で解くのをやめ、少しでも理屈を考えていこうするのがまず第一歩です。

      


  • Posted by セギ at 11:18Comments(0)英語

    2018年07月18日

    時制に関する問題が苦手。高校生の場合。


    時制の識別の話の続きを。
    前回は中学生の話でしたが、今回は、高校生の話を。
    現行の教育課程では、中学で学ぶ時制は以下のものだけです。
    現在形・現在進行形・過去形・過去進行形・未来の文・現在完了形。
    未来は時制ではない、「未来時制」「未来形」というものはないという説がありますが、初学者にとっては正直そんなのどうでもいいので、私は「未来時制」という言い方は避けますが時制を学ぶ際に未来も加えます。
    ともあれ、上の6つの時制を中学の3年間でゆっくりと学ぶのですが、時制は、まだあと6つあります。
    高校1年でその6つをほぼ同時に学ぶので、混乱する子が多いようです。
    以下、例文とともに整理してみます。

    ◎現在形・・・主に現在の習慣・現在の状態を表す。  
    She lives in Tokyo.
    彼女は東京に住んでいる。

    ◎過去形・・・主に過去の動作・状態を表す。
    She lived in Tokyo five years ago.
    彼女は5年前東京に住んでいた。

    ◎未来の文・・・未来の動作・状態を表す。
    She will live in Tokyo next year.
    彼女は来年東京に住んでいるだろう。

    ◎現在進行形・・・現在行っている動作を表す。
    She is playing the piano now.
    彼女は今ピアノを弾いている。

    ◎過去進行形・・・過去のある時点で行っていた動作を表す。
    She was playing the piano at that time.
    彼女はそのときピアノを弾いていた。

    ◎未来進行形・・・未来のある時点で行っている動作を表す。
    She will be playing the piano at this time tomorrow.
    彼女は明日の今頃ピアノを弾いているだろう。

    ◎現在完了形・・・現在の時点までの完了・継続・経験・結果を表す。
    She has lived in Tokyo for five years.
    彼女は5年間東京に住んでいる。

    ◎過去完了形・・・過去のある時点までの完了・継続・経験・結果を表す。
    She had lived in Tokyo for five years before she went to New York.
    彼女はニューヨークに行くまで5年間東京に住んでいた。

    ◎未来完了形・・・未来のある時点までの完了・継続・経験・結果を表す。
    She will have lived in Tokyo for five years by the time she finishes high school.
    彼女は高校を卒業するまでで5年間東京に住んだことになる。

    ◎現在完了進行形・・・現在のある時点までの動作の継続を表す。
    She has been playing the piano for five hours.
    彼女は5時間ピアノを弾いている。

    ◎過去完了進行形・・・過去のある時点までの動作の継続を表す。
    She had been playing the piano for five hours befor I visited her.
    彼女は、私が訪れるまで5時間ピアノを弾いていた。

    ◎未来完了進行形・・・未来のある時点までの動作の継続を表す。
    She will have been playing the piano for five hours till 15:00.
    彼女は15時までで5時間ピアノを弾いたことになる。

    これらがいきなりドバッと出てきます。
    未来完了進行形など、日常会話ではほとんど使わない時制もあります。
    書き言葉ですね。
    しかし、文法的には存在します。

    高校生になると、さすがに少し精神的成長が見られ、できればこれを覚えたいという意欲を見せる子が多いですが、意欲があっても識別できないことがあります。
    特に勘違いしやすいのが、過去形・現在完了形・過去完了形。
    中学3年生で現在完了形を学んだときは、過去形と混ざってわからなくなる子はそんなにいなかったのですが、過去完了形を学ぶと、この3つの区別がつかなくなり、結果、全て過去完了形を選んでしまう子がいます。

    問題 次の空所に最も適切なものは以下のどれか。

    He (    ) in Osaka since he was a child.

    1.lived  2. has lived   3.had lived  4.had been living

    正解は2の現在完了ですが、これを過去完了の3と誤答してしまう子は多いです。
    過去完了を習いたてなので、何でも過去完了に思えてしまうということもあるでしょう。
    こういう四択問題を理屈で解いたことがなく、全て根拠のない感覚で解いている子もいるでしょう。
    しかし、一応理屈を考えて、それでも間違えてしまう子もいます。

    過去完了は、「過去のある時点までの完了・経験・継続・結果」です。
    視点は過去のある時点にあり、そこからさらに過去を振り返っての完了・経験・継続・結果ということです。
    上の例文の、
    She had lived in Tokyo for five years before she went to New York.
    彼女はニューヨークに行くまで5年間東京に住んでいた。

    で言えば、視点は、「彼女がニューヨークに行った」という過去のときです。
    その過去のある時点までで5年間東京に住んでいたという継続の用法です。
    こうしたときに用いるのが、過去完了です。

    The train had already left when we got to the station.
    私たちがその駅に着いたとき、その列車は既に出発してしまっていた。

    これも過去完了です。
    「私たちがその駅についたとき」というのが、過去の視点。
    そのときには、既に列車は出発してしまっていたという完了の用法です。

    それに対し、上の問題文は、

    He has lived in Osaka since he was a child.
    彼は子どものときから大阪に住んでいる。

    この視点は現在です。
    現在から見て、過去からずっと現在まで大阪に住んでいるという継続の用法です。
    しかし、このsince節を「視点」と間違えてしまうのです。
    このsince節は、「視点」ではなく「起点」です。
    どこの時点に立って過去を振り返っているかの視点ではなく、その状態の起きた始まりを示しているのです。
    ここを混線してしまう人が多く、何を見ても、過去完了を選んでしまうようです。

    「じゃあ、sinceがあったら現在完了?」
    と訊く子がいます。
    sinceが入っていても過去完了のこともあります。
    また、基準となる過去のある時点を明示するため、過去完了の文は1文が長くなりがちです。
    「じゃあ、長いと過去完了?」
    と訊く生徒もいます。
    「そうとは言い切れないです」
    「whenとかbeforeがあれば、過去完了?」
    「・・・そういう安易な見分け方は、本当にやめよう」
    「えー・・・・・」

    現在完了と過去完了の見分け方の基準は、視点が現在なのか過去なのか、です。
    それが、時制の定義にのっとった根本的な見分け方です。 
    しかし、それだけは絶対に受け入れられないというように、他の安易な見分け方を延々と探そうとする子がいます。
    それをやっている間は、時制の見分けはできません。
    whenやbeforeがあれば必ず過去完了であれば本当に楽なのですが、決してそうではないのです。
    ただ、1文が長く、before節がついているときに、これは過去完了の文なのではないかと予測しながら読んでいくのならOKなのですが。


    昔、大手の個別指導塾で講師をしていた頃。
    都立自校作成校に通う高校3年生の数学を担当したことがありました。
    もともと秀才ですので、英語もそこそこ出来ていて、それは高い基準での話だと思うのですが、あるとき、雑談でこんなことを言いました。
    「僕、最近、やっと英語がわかってきたんですよ」
    「え?」
    「学校の参考書ですよ。1回も読んだことがなかったんだけど、あれを読んでみたら、知りたかったことが全部書いてあった」
    「・・・・・え?」
    「いや、マジで」


    現在形と現在進行形の使い分け。
    過去形と過去進行形の使い分け。
    過去形と現在完了形の使い分け。
    現在完了形と過去完了形の使い分け。
    時制の見分けは苦労するところですが、こうしたことは、実は、文法の参考書に詳しく書いてあります。
    疑問に思ったら、参考書を開いて、その部分だけを調べてみるのをお薦めします。
    多くの高校は、教科書やワークブックとともに、文法の参考書を一斉購入していると思います。
    学校の授業で使わないので埃をかぶっている、厚い英文法の本、手元にありませんか?
    例文がズラズラ並んでいて、ちょっと読む気にならないぶ厚い本です。
    実は、あれが物凄く役に立つ本で、よくある疑問には全て答えてくれます。
    教科書の例文と短い説明ではよくわからなかったことが全部書いてあります。

    そんなの学校からもらっていないという人は、大きめの書店に行き、高校参考書コーナーで何冊か見比べて購入すると良いでしょう。
    参考書や問題集は、他人の勧めで購入するものではなく、必ず自分で見て、自分が使い易いものを購入しましょう。
    字体やレイアウトも重要です。
    良い参考書としてネットや通信教育の付録冊子で勧められているものを買っても、買ったことに満足して終わるだけになりかねません。
    開くだけで気持ちの沈むような参考書は、結局開かないです。
    他人の勧める良い参考書は、英文法が好きで、英語の成績も良く、より詳しく知りたい人が読むものかもしれません。
    いわゆる、文法の重箱の隅が載っている本です。
    文法の基本を学ぶのなら、易しい文法の本で十分です。
    カラフルで、イラストなども使われていて、易しい基本を説明している本を自分で選んでみると良いと思います。
    ただし、目次と索引はしっかりしているものを。
    「第一章 5文型」「第二章 時制」「第三章 態」といったように、目次に硬い言葉が並んでいるもののほうが調べものには向いています。
    巻末に索引がついていることも重要です。
    何かを調べるときには、索引を用いるからです。
    柔らかい言葉で書いてある読み物的な文法の本は、調べものの役には立ちません。

    宝物は、手元にあります。
    良い参考書も単語集も。
    そして、ラジオをつければ、良質なリスニング教材が無尽蔵に流れてきます。
    使わない手はありません。


      


  • Posted by セギ at 12:43Comments(0)英語

    2018年07月12日

    時制に関する問題が苦手な子。中学生の場合。



    初級英語は、be動詞の文、一般動詞の文、名詞の複数形、人称代名詞などを学んだ後、時制の学習に集中していきます。

    現在形・三単現・現在進行形・過去形。
    1つの時制を学ぶたびに、それまでの時制と混ぜて問題が出されますので、その見分けが重要になります。

    現在の習慣や現在の状態を表す文は、現在形で表します。
    文末に書いてある「時」の表現としては、every day とか、on Sundays とか。

    今行っている動作を表すのが、現在進行形。
    文末には now がついていることが多いです。
    前後から判断して、現在行っている動作であるときは、nowがついていなくても現在進行形ということはあります。
    それは他の時制でも同様です。
    文脈判断ということですね。

    過去のことならば、過去形。
    文末に yesterday や、last week など、過去を表す言葉がついていることが多いです。

    以前は、この説明で十分でした。
    もちろん、テスト本番になるとうっかりして、三単現のsをつけ忘れたり、過去形の否定文なのに、動詞にedをつけてしまったりと、ミスはいくらでもあるものですが。

    5年ほど前からでしょうか。
    練習しているときに、何だか思うように定着しないなあ、と感じることがあるのです。
    しかし、何回かやると、正解を出すので、わかっているようでもあります。
    時制ミスをしてしまうのは、ケアレスミスなのだろうと。

    しかし、違いました。
    もっと、根本がわかっていない子がいるのです。
    時間には、「過去」と「現在」と「未来」がある。
    そうした時間軸を意識していない子どもがいるのでした。

    初めて遭遇した子は、中学受験をして私立中学に通っている子でした。
    当然、ある程度の学力はありました。
    数学を教えている限りは、さほど違和感は覚えませんでした。
    お母様の話では、小学生の頃から国語が苦手で、だから英語も苦手なのかもしれないということでした。
    だからといって、何で現在形と現在進行形と過去形でこんなに混乱しているのだろう?
    時制の使い分けの問題では、正答率は5割以下でした。

    「yesterday と書いてあるじゃない。この文は過去形でしょう?」
    秀才に対して、単なるケアレスミスを指摘するような感覚で説明しても、話が通じませんでした。
    「yesterday と書いてあったら、過去形なの?」
    「・・・・」
    この反応は、ちょっとおかしいな?
    見分け方のコツを説明すれば済むようなことでないのかもしれないと感じました。
    「過去の動作や状態を述べている文は過去形にするんですよ」
    「え?」
    「日本語でも、そうでしょう?過去形という言い方はしないけれど、過去の文には~た、~だ、をつけるでしょう?」
    「え?」
    「現在本を読んでいるのなら、『読んでいる』でしょう?過去に読んだのなら『読んだ』でしょう?難しく言うと、過去を表す助動詞『た』『だ』をつけることで、日本語の文は過去形になるんだね」
    「え?」
    「・・・知らなかった?」
    「え?何それ?何それ?」
    「・・・・・・」

    その子が、時間をどのように把握していたのかはわかりません。
    昨日と今日は違う日だということことくらいは勿論わかっていたでしょう。
    ただ、日本語が、過去と現在と未来とを分けて語っているということが意識できなかったのだと思います。
    「現在」のことを言うときと、「過去」のことを言うときとでは、日本語でも表現が変わるということに、気がついていなかったのです。
    無意識に日本語を使っていますから、自分が時制を区別して言い分けていることに自覚がなかったのです。
    だから、英語がやたらに現在進行形だの過去形だのと時制を区別するのが理解できなかったのでしょう。
    時制の区別は日本語でも普通のことだと理解できず、区別する基準がわからなかったようなのです。

    驚愕しました。

    能力的には、特に問題はなく、むしろ優秀な部類の子でした。
    しかし、国語が苦手というのは、既にこういう状態のことなのでした。
    現在のことを言うときと、過去のことを言うときとでは、日本語の表現はこう変わる、英語もそうだ、と改めて説明しなければ理解できない子がいます。

    国語の授業で日本語の文法をやるのが意味わかんない、とそういう子は言います。
    日本語は話せるから文法なんか別にいいのにと思っているようです。
    しかし、彼女たちは、本当に日本語をわかっているのでしょうか?
    日常会話は可能でしょうが、本当に、日本語の仕組みを理解しているのでしょうか?
    口語文法に時間をかけるのは、以前は、文語文法を理解する準備のためという意味あいが大きかったと思います。
    今は、本気で口語文法を教えないとちょっとまずい時代のようです。
    勉強が必要な子ほど、口語文法を毛嫌いするのではありますが。


    言語に対する意識が希薄なのが前提ですが、時間に対する意識が希薄だという問題もあるのかもしれません。
    数年前、『君の名は。』というアニメが評判になりました。
    何回も同じ映画を見に行く若者が多かったようですが、自分の好きなシーンを何度でも見るためという普通の目的の他に、意味がよくわからなかったからもう一度見に行ったというつぶやきをTwitterでいくつか見ました。
    地上波で放送されたときには、「これでやっと意味がわかる」や、「1回で意味のわからない人に向けてネタバレ覚悟で説明すると」といったツイートも目にしました。

    あの映画、1回では意味がわからない子がいるのですね。
    時間のからくりがわからないのでしょうか。
    主人公2人の実際の年齢差が理解できないようなのです。
    それは理解力の問題なのか。
    時間に対する認識が薄いせいなのか・・・・。

    現代の若者が全員アホだという話ではありません。
    少し古くなるけれど『時をかける少女』というアニメは、今も熱くひっそりと現代の若者に支持されています。
    時間のからくりで言えば『君の名は。』よりも『時をかける少女』のほうが難しい。
    何より、あの抒情を感じとるにはセンスが必要だと思います。
    時間に抵触する物語に不可欠な、あの抒情。
    抒情という点では『君の名は。』は、ちょっとダサいかなあ。
    ともあれ、『時をかける少女』を理解し推す若者たちがいる限り、若者との共通言語は存在すると感じます。

    時間ということ。
    過去・現在・未来ということ。
    それぞれの時制に応じて表現は変わるということ。
    時間に対する思いが強ければ、時を表す表現が異なることにも気づくのではないでしょうか。
    それとも、それとこれとは別でしょうか。

    情報伝達という意味でも、それが過去のことなのか現在起きていることなのかを区別して語らなければ、正確な情報は伝わりません。
    時制の区別は、必要なことです。
    テストで点差をつけるために文法の隅をつついているというのとは次元の異なることです。

    時間というものへの意識。
    言葉に対する意識。

    過去と現在と未来とは、日本語でも言い分ける。
    英語も、過去と現在と未来とでは、語り方が異なる。
    それを理解していないのに、識別のためのちょっとしたコツである文末の時の表現を丸暗記しようとして覚えきれず、訳がわからなくなっている子はいないでしょうか。

    あまりにも時制の識別ができない子に対しては、そもそも時制ということが本当に理解できているかを確認したほうがいいかもしれません。
    「こんなの、引っ掛け問題だよ!」
    と認識の甘い発言をする子も含めて。
    引っ掛けでも何でもない。
    時制は、言語のど真ん中の問題です。
    引っ掛けだ、と過小評価するから、いつまでもいつまでも時制ミスがなくならないのかもしれません。

      


  • Posted by セギ at 12:21Comments(0)英語

    2018年07月06日

    人称代名詞はなぜ覚えにくいのか。


    英語の人称代名詞とは、I  my  me  mine というお馴染みのもののことです。
    厳密に言えば、四番目の形mineは、所有代名詞と呼ばれるもので、人称代名詞とは分けて取り扱うのですが、初学者にとっては正直そんなのどうでもいい。
    英語を学び始めて半年以内には、この人称代名詞の学習が始まります。
    そして、英語学習の最初のつまずきがこの人称代名詞である子は多いです。

    集団指導塾で中学生に英語を教えていたときは、
    「これは暗記しよう。テストに出るよ」
    と言ったところで、暗記してくるのは一部の秀才だけですから、授業時間内で暗記をしました。
    黒板に人称代名詞の一覧表を描き、皆で一度唱和します。
    次に「I」だけ消して、また全員で唱和します。
    次に「my」を消して、また全員で唱和します。
    これを延々と続けて、最後のtheirsが消える頃には、完全に暗唱している子が大半でした。

    しかし、それだけではすぐに忘れてしまいますので、次の授業でも、同じことを繰り返します。
    一度に「I  my」まで消してしまうなど、消すスピードは速くなります。

    その次の授業では、「I  my  me  mine」の全てを1度に消します。
    それでも、大半の子は、暗唱できました。
    そうして、順番通りの暗唱はできるようなっていきます。
    暗記ものが苦手な子の中には、暗記のやり方を知らないだけの子もいます。
    こうした授業は、ものを覚えるというのはこういうふうにやるのだよというデモンストレーションにもなり、賢い子は、同じやり方を他の科目でも活用し、暗記が得意になっていきました。

    通常、それで暗記は大丈夫なのですが、このペースについていくことのできない子もいました。
    多くの子は、機会を作って無理やり覚えさせれば覚えます。
    しかし、他の子と同じペースでは覚えられない子も存在しました。
    途中からは口を開いて何か言っているふりでごまかしていました。
    算数の九九を覚えるのにとても苦労する子がいるように、こうした機械的な暗記が苦手で、他の子と同じペースでは覚えられない子は存在します。

    その場で覚えられなかったのなら、家に帰って自分で練習すればカバーできます。
    しかし、そうした子の多くは、学校で英語学習を始める頃には、もう勉強に対して諦めの気持ちが生まれています。
    やってもどうせできないと思うのか、努力しません。
    「自分はもの覚えが悪いから、他人の倍の努力をしてそれを補う」
    そういう気持ちに本人がなっていれば大丈夫なのですが、思春期の自我でこの境地に至るのは難しいのかもしれません。
    そんなことを認められる人は、強靭な精神の持ち主で、実は自分に自信のある人なのでしょう。
    努力してきた自分に自信があるから、そういうことを認められるのだと思います。
    普通は、覚えられない自分を認められず、他人の倍の努力でそれを補うことなどできず、諦めてしまいます。

    小学校の高学年から中学生のあたりですと、反抗期に入っている子もいて、これも学習の障壁になることがあります。
    どうせ暗記しなければならないものなら皆と一緒にちゃちゃっと覚えられればラッキーなはずです。
    しかし、そう考えて積極的に暗唱に参加するのは、もう精神的に成長している子たちです。
    反抗期真っ盛りで、機会があれば周囲の大人全てに反抗してしまう子は、言われた通りに大きな声で暗唱するなど幼稚なことに思うのか、暗唱に参加しないことがあります。

    つまらない反抗心から暗記の機会を逸し、中3になっても高校生になっても人称代名詞が今一つわからない、何となく苦手という子。
    そうした子に個別指導で何人か遭遇しました。
    能力的に暗記が難しいタイプではありませんでした。
    私と出会ったときにはもう成長していましたので、
    「アホらしい。覚えるべきことは、覚えなければどうしようもないよ。ほら、やるよ」
    とホワイトボードに一覧表を書いて、暗唱しながら1つずつ消す作業をすると、そのときにはよく覚えてくれました。
    いつになってもいいから、どうしても覚えておかなければならないことは曖昧にせずに覚えるしかありません。
    算数の九九も。
    人称代名詞一覧表も。

    個別指導の場合は、他の人と比べてもの覚えがいいとか悪いとか、授業についていけないとか、そういうことはありません。
    本人のペースで、何度でも覚えるまで練習できます。
    「センセイ、待って。まだ、そこを消さないで」
    「え?マジで?」
    本当に覚えられないんだなあと驚くことは確かにあります。
    he の行にさしかかったあたりから、頭を抱えてひどく苦しそうな子もいます。
    しかし、最終的に人称代名詞を覚えきれずに終わってしまう子はいません。

    主格 所有格 目的格 所有代名詞
    I      my       me      mine
    you  your     you     yours
    he    his       him     his
    she  her       her      hers
    it     its        it          -

    we   our       us       ours
    you  your     you     your
    they their     them   theirs

    「主格」「所有格」といった文法用語は難しいので、一応用語として教えますが、その下に「~が」の形、「~の」の形、「~を、~に」の形、「~のもの」の形と説明も加えます。
    大抵の子は、それで用法も理解します。

    heの行とsheの行を見比べるとわかるのですが、人称代名詞は規則的に変化するものではないので、丸暗記するしかありません。
    なぜ、heの行は、所有格と所有代名詞が同じ形で、sheの行は、所有格と目的格が同じ形なのか、理由を考えてもわかりません。
    そういうのは、英語学とか言語学的には面白い題材だと思いますが、それを知ったところで暗記の助けになるわけではなさそうです。

    言語は長年の間に変遷を繰り返しています。
    英語のルールは言語としてかなりシンプルなほうですが、それでも不規則な部分はあります。
    しかし、英語が嫌いな子は、そういうところが英語は嫌だと言います。
    英語は難しくて嫌だ、覚えにくくて嫌だと言います。

    いや、日本語のほうが難しいですよ。
    日本語に比べたら、英語はシンプルなほうです。
    そう言っても納得しない子には、こんな話をします。

    日本語では、「1本」「2本」「3本」のそれぞれ、「本」の発音が違うんだけど、何で?
    何で同じ「本」が「ポン」だったり「ホン」だったり「ボン」だったりするの?
    しかも、物を数えるときの単位は、「本」だけじゃないよね?
    「枚」とか「個」とか「人」とか「匹」とか「頭」とか、いちいち数詞が違うのは何で?
    何でそんなものを全部覚えないといけないの?
    日本語、おかしくない?
    難し過ぎない?
    私が外国人なら、日本語は覚えられない。
    無理だよ、こんな言語。

    素直は子は頷き、そうでもない子は、
    「いや、日本語のほうが簡単だね」
    と特に根拠や実例はないままさらに言い募りますが、とりあえず、それを中休みにして、人称代名詞の暗唱に向けてまた努力できたりします。

    もっと言えば、日本人の若い世代には「1本」「2本」「3本」の読み分けができない子が増えてきているとか。
    そのうちに、全て「いちほん」「にほん」「さんほん」でも許容されるようになるのかもしれません。
    そのように使う人が多くなれば、それが正しくなるのが言語です。
    「2桁」を「ふたけた」と読める子どもはとうに少なくなっていますし。
    「にけた」は「みけた」と似ていてまぎらわしいから、「ふたけた」と読むほうが伝わりやすいということがピンとこないのだと思います。
    ついでに言えば、「2乗」は「じじょう」ではなく「にじょう」と読むのが正しいですが、それは若い世代には逆にかなり普及してきているように感じます。
    「2」をわざわざ「じ」と読む感覚が若い子にはないからでしょうか。
    つまりは、若い子にとっては「2」は全て「に」で、他の読み方を覚える気はないのかもしれません。

    話が逸れました。
    さて、人称代名詞の一覧表を覚えるところまでは最終的には誰でも到達できます。
    こうした機械的な暗記よりも、実際の例文に即して覚えていったほうが良いという考えもあるのですが、そういう英語教育を受けた子が、一人称複数のusを知らないということがたまにあります。
    himだけ知らない、theirを知らないといった不可解なことも起こります。
    いったん一覧表で網羅しないと、頭の中を整理できない子はいます。
    まずは機械的な暗記。
    それから一覧表の活用です。

    活用。
    一覧表を暗記しても、実際には人称代名詞を使い分けられない子がいます。
    どうしてなのでしょうか?

    問題 Tom paints pictures very well. I like (  ) picturs.
    空所に入る適切な語は以下のどれか。
    1. her  2.his  3.him  4.hers

    勿論、答えは2ですが、この問題は中学生にとっては案外難しいのか、正答率はそれほど高くありません。
    1としてしまう誤答もありますが、気になるのは、3という誤答が多いこと。

    あるいは、このような問題を間違える子もいます。

    問題 (  ) mother speaks English.
    1.I  2.My  3.Me  4.Mine

    この答えを1と誤答してしまう子がいます。

    こういうミスは、どこから生じているのでしょうか。
    どうも、空所の位置だけで判断しているようなのです。

    文の先頭なら主格。
    文の後半なら目的格。
    そのような位置把握だけで解いているのではないでしょうか?
    herのときは、所有格と目的格が同じなので、目的格のつもりでherを選んだのに所有格として正解した経験などがあると、さらに混乱が起こるようです。
    自分は同じように判断しているのに、正解のときと不正解のときがある。
    問題がおかしいんじゃないか?
    自我の強い主観的な子は、そんなふうに思うこともあるようです。

    文の主語として使うのが主格。「~が」の形。
    動詞の後ろに置くのが目的格。「~に、~を」の形。
    ただし、名詞の前は、所有格。「誰々の」の形。
    動詞の後ろであることよりも、文頭かどうかよりも、これは優先されること。
    そう何度も説明し、この種類の問題を沢山解くと、やっと定着していきます。
    つまりは、中1の段階で、少なくとも「名詞とは何か」「動詞とは何か」くらいは理解していないと、人称代名詞に関する問題は解けないのです。
    文法的な把握ができず、漠然と( )の位置だけから解こうとしても、正答には至らないのです。

    所有格と目的格って何が違うの?
    そう質問する子もいます。
    かなりモヤモヤしてしまう様子です。
    しかし、S・V・O・C・Mという文の要素や各品詞のことを詳細に説明する時期ではありません。
    「誰々の」の形が所有格。
    「誰々を」「誰々に」の形が目的格。
    日本語は、「を」「に」「の」といった助詞をつけることで使い分けるけれど、英語は単語そのものが違う形になるんだね。
    位置だけでなく意味からも考えれば区別できることなので、今はざっくり理解しておこう。

    そう言っても、納得しない子もいます。
    思うに、彼らは、なぜなのかを知りたいのではないのかもしれません。
    英語に腹を立てているのです。
    「誰々に」の形と「誰々の」の形とが異なることが不愉快なのでしょう。
    そんなことをいちいち区別し、覚えなければならないことが不愉快なのだと思います。
    せっかく位置で簡単に見分けてやろうと思ったのに、それではダメだと言われる。
    もっと簡単であるべきなのに。
    英語なんかクソだな。
    こうしたわがままな感覚で問題を解いているため、ある程度は難しくて当然のことをひどく単純な形で把握しようとし、それほど単純ではないとわかると腹を立ててしまいます。

    難しいことを自分は覚えきれないかもしれない。
    そうした不安もその根底にはあるのだと思います。

    英語は日本語よりははるかにシンプル。
    でも、一国の言語なのだから、ある程度複雑であるのは当たり前。
    英語に限らず全てのことはある程度複雑で、その複雑なことを理解していくのが勉強。
    そして、大丈夫、理解できる。
    これは、理解できることだよ。
    英語で挫折している人へは、ものごとをあまりに単純にとらえることへの戒めとともに、そうした励ましが必要なのだと思います。 
      


  • Posted by セギ at 13:28Comments(0)英語

    2018年06月29日

    なぜ英語を話せるようにならないか。


    先日、Twitterを眺めていたら、こんな意味あいのツイートが流れてきました。

    アメリカで5年暮らして帰国した生徒が準備なしで英検2級を受けたら、面接官の英語の発音が下手過ぎて何を言っているか聴きとれず、二次試験で落ちた。

    私が見た段階でリツイートが3万以上、「いいね」が7万以上。
    いわゆるバズっている状態でした。

    何か心に嫌な引っかかり方をするツイートでした。
    ツイートの最後が「英検2級の難しさを再認識させられた」という嫌味で終わっている点も不愉快だったのです。
    しかし、それだけでなく、このツイートと、それをリツイートしている人たちの心情に違和感を覚えました。

    このツイートをしたのは、予備校の英語講師のようです。
    その人が見聞きした範囲のこととして、それは事実でしょう。
    こんな嘘をついてもしょうがないです。
    5年間アメリカで暮らし、昨年帰国した生徒がいる。
    その子が準備をせず、英検2級を受けた。
    そして、2次試験の面接で落ちた。
    そこまでは、事実だろうと思います。

    私が疑うのは、本当に聴き取れないほど、面接官の英語の発音は悪かったのか?
    その子は聴き取れなかったのかもしれないが、むしろ本物のアメリカ人ならば、面接官の英語を聴きとれたのではないか?
    まずは、この点です。
    というのも、私も「英語が流暢な日本人の英語」は聴き取りに多少の苦痛を感じるからなんです。
    ただ、私は、それは「英語が流暢な日本人」に責任があるのではなく、私に責任のあることだと思っています。

    当たり前のことですが、私が最も聴き取りやすい英語は、リスニング問題の音声です。
    あるいは、教材のCDなどのネイティブの範読の英語。
    ニュース番組の英語。
    英語圏の政治家の発する英語。
    知らない単語が混ざっていれば聴き取れないですが、それでも、音としては聞き取れます。

    少し難度が上がるのは、ドラマや映画の英語。
    モゴモゴ喋られると聴き取りにくいです。
    アメリカの田村正和みたいなものですね。
    さらに聴き取りにくいのがアメリカの一般人の英語。
    人によりますが、かなり聴き取りにくいことがあります。
    音がグチャグチャベタベタしていて、簡単な英語が何でこんなに聴きとりにくいんだろうと感じます。
    明らかに、本人の滑舌の悪さや発音の癖が影響しています。
    「英語が流暢な日本人の英語」は、さらに聴き取りにくいです。
    音の1つ1つが、私が予期しているネイティブの正確な英語の音とは違うのです。
    「正しい英語の音」ではないのに、やたら流暢に喋るので、聴き取りにくい。
    つまりは、正確な音の英語は聴き取りやすく、不正確な音の英語は聴き取りにくい。
    繰り返しますが、「日本人の流暢な英語」を私は聴き取れません。
    本物の英語とどこか違うからなんです。
    NHKのラジオ講座の日本人講師の英語は、ちょっと違和感は覚えつつも聴き取ることができますが、それはかなりスピードを緩め、意味のまとまりごとに大きく区切っているからでしょう。

    やはり私の側の聴き取り能力の問題と考えたほうがいい。
    ネイティブは、「アメリカの田村正和」の英語を当然聴き取れるのですから。
    なまりの強い不正確な音声の英語も聴き取れると思うのです。
    ネイティブは、奇妙な発音の英語もある程度の許容範囲をもって聴き取れるでしょう。

    これは日本語に置き換えてみるとわかりやすいことです。
    外国人向けの「日本語講座」の音声は、明瞭で聴き取りやすいです。
    発音・発声をきっちり訓練しているアナウンサーや役者さんが話している日本語ですから。
    そうした日本語講座で勉強して日本にやってきた外国人は、現実の日本人の日本語にはかなり苦労すると思います。
    滑舌が悪く発音が不明瞭な日本人は沢山います。
    日常会話では、そんなに口をはっきり開いて正しく発音しないです。
    外国人からすれば、何を言ってるか聴き取れないことも多いのではないか?
    一方、我々日本人は、滑舌の悪い人の日本語も、小声過ぎる人のくぐもった日本語も、田村正和の日本語も、外国人のなまりの強い日本語も、聴き取ることができます。
    ネイティブは、音の多少のズレや不明瞭な部分を補正して聴き取ることができるからでしょう。
    ネイティブは、そういう聴き取り能力をもっています。

    だから、日本人の英語は、少しは聞き返されることはあっても、英語のネイティブに通じます。
    基本的には、通じます。
    発音が悪いという英検2級の面接官の英語も、ネイティブの人には通じるのではないでしょうか。
    その程度の有資格者ではあるでしょう。
    それを「わからなかった」と生徒が言うのは、本人の聴き取り能力の問題か、でなければ、底意地悪くコミュニケーションを拒む本人の性格に起因することではないでしょうか。

    5年アメリカで暮らした。
    帰国したら、日本人の英語を聴き取ることができなかった。
    それは、その生徒の聴き取り能力に限界があったということだと思うのです。
    いえ。
    「発音が悪過ぎて」と批判しているところから察するに、相手の発音の悪さをバカにし、聴き取ることを放棄した可能性のほうが高い。
    その子は、英検2級合格よりも、面接官の発音の悪さをバカにすることのほうを優先したのかもしれません。
    これは、面接官の発音よりも、その生徒の性格のほうが悪い。
    コミュニケーションの本質を理解していない。


    とはいえ、こういうツイートに説得されたり、そういうことを嬉しく感じてリツイートや「いいね」をしてしまう日本人は多いのだということでしょう。
    リツーイトや「いいね」をした人たちは、その英検2級の面接官よりも正確な発音の英語を発することができる人たちなのでしょうか?
    そもそも、その人たちは英語を話せるのでしょうか?
    この先は、想像の域を出ないのですが、私の想像は、暗澹たる闇に向かっています。
    英検2級の面接官の発音が悪いというツイートに留飲が下がる。
    信憑性も不確かなそのツイートをリツイートしてしまう。
    日本人の英語の発音の悪さを一番気にしているのは、他ならぬ日本人。
    そういう構図が浮かびます。
    少なくとも、日々英語学習に励み、今日よりも明日はもっと英語が話せるようにと努力している学生や社会人は、こんなツイートはリツイートしないと思うのです。


    とはいえ、こんなツイートが共感を呼んでしまうほど、日本人は、英語の発音に対して劣等感が強く、それが英語を話すことへの大きな抵抗の1つになっていることは否定できません。
    英語を話すのなら、きれいな発音で話さなければならないという強い思いこみのために、むしろ英語を発することができなくなっている人も多いのではないでしょうか。
    日本人の英語を一番バカにしているのは、おそらく日本人自身です。
    日本人の英語が日本語なまりの英語なのは、最終的にはどうにもならないことだと思うんですよ。
    繰り返しますが、「日本人の流暢な英語」を私は聴き取れません。
    やはり本物の英語とどこか違うからなんです。
    でも、英語圏の人は聴き取れるのでしょう。
    だったら、もうそれでいいですよね。

    日本に何十年も暮らし、日本語でジョークを言うこともできるアメリカ人タレントの日本語は、それでもやはり、少しなまっています。
    外国人が日本語の歌を歌うテレビ番組がたまにありますが、発音だけに注目すると、特にアメリカ人は日本語の発音が下手です。
    英語なまりが抜けない。
    英語と日本語は、根本的にソリの合わない言語なのかもしれません。
    事実として、アメリカ人は、どれだけ学習しようとも、正しい日本語の発音ができない。
    だから、逆に、日本人の英語が日本語なまりなのも、大なり小なりあることで、どうしようもないと思います。
    とりあえずカタカナ英語を脱している日本人の発音も、ネイティブの発音とはやはり違うのです。

    昔、テレビ番組で、「日本人歌手の中で、英語の発音が良いのは誰か」を在日外国人が答える企画がありました。
    日本人から見れば英語が上手そうな日本人アーティストはたくさんいますが、そういう人たちは軒並みアウトでした。
    留学経験があっても、帰国子女でも、やはりアウトなのは衝撃でした。
    唯一、外国人から絶賛されたのが、宇多田ヒカル。
    彼女は、子どもの頃からアメリカで暮らしていた、つまりはネイティブです。
    結局、あそこまでいかないと、英語の発音が良いとは言われない。
    努力は続けたほうがいいけれど、何だかもう戦意喪失します。
    ちょっと留学したり外国暮らしをしたくらいでは、根本のところの発音は治らず、ただ、それを正面切って言われないだけのことなんでしょうか。
    五十歩百歩ということですか。
    いや、しかし、それでも、五十歩と百歩は異なると考えて、練習していくわけなのですが。

    一昨年くらいに流行したピコ太郎の『PPAP』も、外国人が特に面白がったのは発音が変だったからだと、日本にいるアメリカ人が分析しているのを目にしました。
    フランスのロケ先で、フランス人の司会者もそんなことを言っていました。
    欧米人には、むしろ、あの発音は真似できないそうなのです。
    あの発音って、どの発音でしょう。
    「アポー」のあたりかな。
    いや、もう全部変か。

    タレントの草なぎ剛さんは、韓国語を流暢に話しますが、韓国人が聞くと、とても可愛らしい韓国語なのだそうです。
    日本人の話す韓国語は、どの人も発音が凄く可愛いのだとか。
    何が正しいのかわからないので、そう言われても、もう全くわかりません。
    でも、バカにして言っているのではないのは伝わってくるのです。

    発音が違うのは、事実としてある。
    でも、それをあざ笑うわけではなく、面白い、好ましいと感じる感覚は、もう世界共通なのではないか?
    だって、外国人が自国の言葉を頑張って覚えて話してくれたら、基本、もうそれだけで好ましいのですから。

    ひるがえって、例えば、コンビニの店員がカタコトの日本語の外国人のとき。
    そのカタコトの日本語をバカにする日本人はいない、とは私も思いません。
    狭量で底意地の悪い人はどこにでもいるから、バカにしたり怒ったりする人もいると思います。
    でも、同じ日本人の目から見て、そういうことをする人は、日本人の中でも劣っている人です。
    本人が心に抱えている問題が現れているのだと思うのです。
    だから、もしも日本人のカタカナ英語をバカにする外国人がいたら。
    その人も、心に何か問題を抱えているのだと思います。
    発音が悪いのは事実であっても。
    欧米人の階級意識やら差別意識やら、難しいことは色々ありますが、そんなことは英語の発音が良くなったところで解消される問題ではありません。

    あなたの英語はわかる。
    聴き取れる。
    十分に。
    ネイティブは、そう思っている。
    私たち日本人が、日本語を話す外国人に対してそう思っているように。
    基本はそう信じれば良いのでしょう。


    もう何年も前、NHKで『仕事ハッケン伝』という番組がありました。
    タレントが、1週間、別の職業に就いてみて、そこで色々な経験をする様子をカメラが追っていく番組でした。
    あるとき、5か国語に堪能な女性タレントが、長崎ハウステンボスの職員になった回がありました。
    お客様を迎えいれ、さまざまな案内をする仕事です。
    しかし、そのタレントさんは、お客様に話しかけることができないのでした。
    内気で人見知りな性格で、お客様に積極的に声をかけていくことができず、そのことを職員の人に注意され、壁に向かって泣いていました。
    どちらかと言えば、私もそういう気持ちはわかるほうなので、うーん、頑張れと思って見ていたのですが、スタジオでそのVTRを見ていた関西の芸人さんが一言。
    「客に話しかけられんってどういうこと?何のために5か国語を勉強したん?」
    がさつなその発言に、でも、見ていた私も心から笑いました。
    本当にそうです。
    たとえ5か国語に堪能でも、目の前の人に話しかけられないのなら、意味がない。

    言語は何のための学ぶのか。
    他人の発音の悪さを底意地悪く指摘するツイートなんかリツイートしていないで、まず声を出さないと。
    日本人の発音の悪さをバカにするのは、いつも日本人。
    その事実にまず気づくことで変わっていけると思います。

      


  • Posted by セギ at 14:19Comments(0)英語

    2018年06月20日

    英単語をどうやって覚えるか。


    単語さえ覚えられれば英語は何とかなるはずなのに、単語が覚えられない。
    そういう悩みをもつ高校生は多いです。

    ただ、苦言を呈するならば、「覚えられない」とギブアップするほどの努力をしているかというと、大抵はそれほどの努力はしていません。
    現実には、ほとんど何もしていない子のほうが多いと思います。
    「覚えられない」「覚えられない」と嘆くばかりで、努力が伴わない子が多いのです。
    英語が苦手な子ほど、英語にかけている時間は少ないです。
    毎日英語を勉強している子はほとんどいないでしょう。
    週単位でも、英語の勉強に使っている時間は、週1~2時間ではないでしょうか?
    それで「単語が覚えられない」と嘆いているのが現実です。
    確かに、それでは覚えられないと思います。
    とりあえず、毎日1時間英語を勉強し、しかもその半分にあたる30分は単語暗記に集中するなら、その方法が多少効率の悪いものであっても、今よりは確実に前進するでしょう。

    しかし、それがわかっていても、実行に移せない子が多いのです。
    英語だけに毎日1時間なんて、そんな時間があるわけがない。
    他の科目の勉強もあるのに、そんなバランスの悪いことを言われても・・・。
    本人は本気でそう思い、自分が間違っているとは疑いもしません。

    スマホをいじる時間を英語の勉強をする時間にスライドするだけで、1時間くらいは作れます。
    その他にも、よく考えたら大して面白くない動画を見ている時間、単なる暇潰しでゲームをしている時間など、無駄に使っている時間はすぐに見つけられるはずです。
    他の科目の勉強を圧迫せず、新しい時間を1時間作り出し、それを英語の勉強にあてることができます。

    しかし、「時間を作る」という話を聞くと、それだけで疲労感を覚える子もいます。
    そういう、計画的なきちんとしたことが基本的に嫌いな子もいます。
    それは、大人も同じかもしれません。
    今、これを読んでいらっしゃるのが、お子さんが英語が苦手で困っている保護者の方であるなら。
    お子さんの英語力を伸ばすために、まず自分の英語力を伸ばす、自分が英語を勉強する時間を毎日1時間作るという話を実行に移せるでしょうか?
    多種多様な理由づけとともに、その案は「却下」ではないでしょうか?
    子どもだって同じこと。
    やらない理由はいくらでもあるのだと思います。
    なぜやらないのだろうか?
    自分がやらない理由を冷静に分析することで、子どもがやろうとしない理由も分析できるかもしれません。
    それが解決に役立つかもしれません。


    単語暗記ができない子は、上に書いたように、その時間を作っていなかったり、単調な暗記の作業に飽きて長続きしなかったりする場合がほとんどです。
    しかし、中には、暗記することが本当に苦手な子もいます。
    暗記が苦手な子は、暗記するときに頭にかかる負荷を嫌う傾向があります。
    頭に負荷がかかって苦しい、つらい、と言うのです。
    「頭を使うと、頭が重くなるから嫌い」
    「頭を使うと、脳細胞が潰れている気がする」
    暗記が苦手な子がこのように発言するのを私は授業中に幾度が聞いています。
    小学生もいましたが、高校生の中にもこの発言をする子がいました。
    少し奇異に聞こえる発言です。

    そういう子に対して、何て愚かな発言だろう、そんなことだからダメなんだ、と全否定することもできます。
    ですが、頭を使うことに対しての発言だから奇異に感じるだけかもしれません。
    これが息切れの場合、わりとよくある感覚なのではないかと思うのです。

    例えば、ランニングや山歩きなど。
    好きな人は大好きなのですが、忌み嫌う人も多いです。
    その根本は「息切れ」することへの嫌悪ではないでしょうか。
    息切れするのは苦しい。
    苦しいことは嫌い。
    息が切れると心臓が止まるような気がする。
    息切れするようなことをする人の気が知れない。
    スポーツが嫌いな人のこういう感覚をそのまま勉強にスライドすると、「頭を使うと脳細胞が潰れる」という発言と同じなのではないかという気がします。

    息切れすることが嫌いな人にスポーツを習慣的に行わせることの難しさを思うとき、頭を使うと脳細胞が潰れる気がして頭をフルに使えない子に暗記をさせることの絶望的な難しさが実感できます。
    相手は、頭を使うことそのものを恐れています。
    しかも、これは幼い小学生の発言ではありません。
    高校生がこれを言っているのです。
    ものを考えたり暗記したりすると脳細胞が潰れると、高校生が本気で言っているのです。
    勉強すると自分の脳はダメージを受けると感じています。
    使えば使うほど頭はよくなると言葉で説明しても信用しません。
    ちょっと運動するとゼイゼイ息切れして苦しそうな人に、やっていけば慣れるとか、続けることで心肺能力は鍛えられるとか言っても心に響かないのと同じことでしょう。
    これは難しい・・・。

    身体を動かすことが好きな人は、「息切れするから運動は嫌い」と言う人の気持ちは本当にはわからないと思います。
    なぜそんなにも息切れにこだわるのか、まずそこが理解できないと思うのです。
    息切れするのがなぜそんなに嫌なの?
    そんなことより、スポーツには楽しいことが多いから、息なんか切れても別にいいじゃない?
    気にしていることのポイントがおかしくない?
    そう感じると思います。

    それと同じで、頭を使うことが好きな人は、「考えたり暗記したりすると頭に負荷がかかるから嫌い」という人が、なぜそんなにも頭への負荷にこだわるのか、そこが理解できないでしょう。
    頭を使うことは楽しいことだから、頭への負荷なんか別にいいじゃない?
    そう思うでしょう。
    スポーツと勉強と、結局のところ構造は同じで、それを苦痛に感じている人は、気にしているポイントがズレているのかもしれせん。
    でも、本人にとっては実感を伴う、切実なことだとも思うのです。

    そこが永遠にわかりあえない壁で終わるのか。
    それとも、楽しさ、良さを伝えることができるのか。
    本人が楽しさに気づくことができるのか。

    振り返ると、私も息切れするのが大嫌いな子どもでしたが、今、毎週のように息を切らして山を歩いています。
    人の意識は何かの拍子に簡単に変わります。

    とりあえず、少しでも結果が出ることが、楽しさの発見につながるはずです。
    結果が出るまで、続けること。
    結果が出るまで、諦めないこと。

    英単語の暗記は、多少は能率的な覚え方もありますが、結局はかなりの努力が必要です。
    市販の単語集は、どれもよくできています。
    学校が指定したもので構わないですし、そういうものがないのなら、書店に行って、自分が見やすい、覚えやすそうだと感じる単語集を何でも購入したら良いと思います。
    音声教材も併用するほうがいいに決まっていますが、そうすることに対して敷居が高いなら、まず単語集だけでもいいはずです。
    とにかく覚える時間を作ることが最初の一歩です。
    それをせず、簡単に覚えられる方法ばかり探しているこの1日が無駄に過ぎていくことを惜しみましょう。
    手元にあるどんな単語集でも、それを使ってまず覚え始めましょう。
    そして、とにかくひと月、毎日続けてください。
    毎日30分、ひと月続けて、多少なりとも結果が出ないはずがないと思います。
    結果が出ないのは、結果が出る前に途中でやめてしまうからなんです。
      


  • Posted by セギ at 14:45Comments(0)英語

    2018年06月15日

    リスニング力を鍛えるには。




    今日はリスニングの話です。
    リスニングが苦手とひと口に言っても、さまざまな場合が考えられます。

    まずは、そもそも英語を聴いた経験が不足している場合。
    日常の学習であまり英語を聴いていない子です。
    教科書本文を収録したCDを持っていても、封も切りません。
    NHKのラジオ講座が良いと勧められても、聴こうとしません。
    学校の英語の授業で、教科書本文のCDを皆で聴く時間さえ、それを聴いていず、ぼんやりしている子もいます。
    その子の知っている英語は、その子が自分で音読するカタカナ英語が全てになり、本当の英語とは乖離があります。

    そうした生徒は、少し英語を音読してもらうとわかります。
    全て自分の間合いで、知っている単語はハキハキと発音し、読みにくい単語は、その前に長い間を置いて、ためらいながら読みます。
    英語特有の強弱もイントネーションも無視です。
    自分のそうした英語を常に自分が耳にし、フィードバックしている。
    それがリスニング問題で本当の英語を聴き取るのに大きな障害となります。
    本人の頭の中にある英語と本当の英語とは全く違う音のつながりとして聞こえるのです。
    これは発音の悪さとはまた少し違う話です。
    正しい音を聞き分けられてはいるけれど、それを自分で正確に再生できないということは、英語のネイティブでない限り、大なり小なりあります。
    そうではなく、全体のイントネーションとして英語らしい音のつながりを理解しているか。
    英語のイントネーションがわかっているか。
    リスニングには、これが重要です。

    まずは本物の英語を聴くこと。
    教科書本文のCDでも、ラジオ講座でも。
    ところが、ただ聴くだけの学習は、本当に長期間の反復があって初めて効果が得られるものなので、効果を実感できる前に止めてしまう人が大半です。
    ひと月くらいで効果が出ると期待してしまうのでしょう。
    おそらく、ただ聴くだけですと、3年から5年後に、以前よりは英語が聴きとれるようになっていたという程度の効果だと思います。
    他の学習と併用しないと、結果につながりません。

    ただ聴いていると、途中でぼんやり考えごとをしてしまったり、果ては「英語も聴いているからいいでしょう」とスマホをいじりだしたりする子もいます。
    それでは、効果は得られません。
    集中して英語と接するにはどうすればいいか?

    英語の歌に接するのは効果的な方法の1つですが、どんなに効果的な方法も、効果をゼロにする特殊能力を持っているのが英語が苦手な子どもたちです。
    10代が持つ大人への反発心がそれを助長します。
    「うちの英語の先生、ビートルズが好きでさあ。授業中までビートルズをかけるの。バカじゃね?」
    「あー、うちの英語の先生は、カーペンターズ。うぜー(笑)」
    といった会話を幾度聞いたことか。
    私より若い学校の英語の先生たちが、自分が好きだから生徒に押し付けるほどビートルズやカーペンターズが好きだとは正直考えにくいのです。
    私ですらその世代ではありません。
    音楽史的な価値から敬意は抱いていますが、自分が本当に好きな音楽ではない。
    しかし、そんなことは子どもには通じないようです。
    文法や単語が比較的易しい歌詞の英語の歌だから生徒に聴かせているのだと、理解できないのでしょう。
    学校の先生は、少しでも英語に興味を持ってもらえるよう授業の工夫をしているのにまともに聴かず、効果ゼロにしてしまう残念な子は多いです。

    では、リスニングのためにはどんな練習が効果的か。
    「シャドウイング」や「オーバーラッピング」という方法があります。
    英語の模範音読にあわせて、自分も音読するのです。
    自分がネイティブの英語と違うところで変な間を空けたり、逆に間を空けるべきところで変に急いでいることが、やってみると実感できます。
    1語を読む長さの違いに気づき、いちいち母音+子音を強調する自分のカタカナ英語とネイティブの英語との根本の違いにも気づくでしょう。
    そもそもネイティブの音読が速くてついていけないということも、やってみて初めて実感できる人もいると思います。
    そうした場合、スピードをゆっくりに変えられる機能を持ったプレイヤーがあるとさらに便利です。
    徐々に慣らして、ネイティブのスピードで音読できるようにしていくことができます。

    リスニング対策に音読練習?
    そう不思議がられるのですが、英語を聴きとることを阻害していることの1つは、自分の癖の強い音読に凝り固まってしまった英語音声への誤解です。
    癖になって凝り固まっている自分の英語のリズムを矯正できます。
    読み方の癖がそのまま聴き取り方の癖になっているのを矯正します。

    「それだと、正しい英語の音が自分の声で聴きとれないから発音練習にならない。リピートがいい」
    と、反発し、行おうとしない人がいるのですが、発音練習が目的ではないのです。「自分の声が邪魔だ。英語の正しい音が聴きたい」と思ったら、それはまた別に聴けば良いと思います。
    そういう気持ちになり、英語の細部の音を聴こうとする意志が持てたことも効果の1つでしょう。
    リピートはリピートで別の効果もありますが、模範音読の真似をしているつもりで、イントネーションの全く異なる読み方をしていてもそのことに気づかないことがあります。
    リピート練習が惰性になってしまっているときは特に。
    シャドウイングとオーバーラッピングは、読み方の間合いが模範と異なることを如実に自覚できるという点で、自学自習に最適の学習方法です。
    誰に指摘されなくても、ズレていることは明らかなのですから。

    そうやって、とにかく英語の音とイントネーションに慣れた上で英語を聴くと、短期間で今までよりも英語を聴きとれるようになります。
    しかし、当たり前ですが、単語力がないと、リスニングは難しいです。
    どんなに英語耳を鍛えても、知らない単語は意味を取れません。
    学校の教科書の英文を読んだときに、新出単語以外でも意味のわからない単語がゴロゴロある状態では、該当学年のリスニング問題は、難しく感じると思います。

    また、文法、すなわち英文の構造が理解できていることも、リスニングには有利です。
    意味のまとまりごとに若干のポーズ(間)が置かれることを実感しながら聴きとることができます。
    ポーズを把握することは、文法学習にも役立ちます。
    相乗効果ですね。


      


  • Posted by セギ at 12:58Comments(0)英語

    2018年06月06日

    be動詞がわからない子は、案外多いのです。


    さて、今回も中学英語の話から。
    英語の学習の順番は、私自身が中学生だった頃と今とあまり変わっていません。
    まずはbe動詞の学習から始まります。
    教科書によって、This is ~. の文から始まるか、I am~.から始まるかは違いますが、正直大差ない。
    要するに、まずはbe動詞を学びます。
    たまに一般動詞から学習する教科書がありますが、やはり教えにくいと感じるのか、採択されないことが多いです。

    中1にいきなり「be動詞」という文法用語を使って教えることはほとんどありません。
    まずは、こういう形の文を覚えなさいという授業になります。
    「~」のところにいろいろな言葉を入れて、どんどん転換練習して、こういう形の文を使えるようにするのが初歩の学習となります。
    ここで誤解する子どもが現れます。

    am, is,areは、日本語の「は」の意味なんだなと思い込むのです。
    それは間違っているとも言い切れないのが微妙なところです。
    be動詞にはイコールの意味は確かに存在します。
    日本語にしたら助詞「は」に相当することにはなるでしょう。

    I  am a girl.
    私 は 女の子。

    This is  a book.
    これ は 本。

    そういう解釈です。
    そう解釈した子が、次に一般動詞を学習する際に何をやってしまうかというと。
    「私は、野球をする」を英語にすると、
    I am play baseball.
    私 は する 野球。
    という英文を作ってしまうんです。

    いやいや、違うよ、amは要らないよと説明しても、そういう子は首をひねっています。
    play baseball のように、語順が日本語と異なることは百歩譲って理解しても、「は」にあたる言葉がないなんてことは、理解を越えたことなのかもしれません。
    be動詞=日本語の「は」、ととらえたことの弊害の1つでしょう。

    英語と日本語は1対1の対応ではありません。
    文法が全く異なる言語ですから。
    でも、そのことを理解できない子どももいます。

    千年以上も日本と全く交流のなかった外国の言語は、日本語と少しも似ていなくて当然。
    全く異なる文法の言語であるのが当然です。
    しかし、そう説明しても理解しない子もいます。
    世界の全ての言語が日本語と同じ構造だと思いこんでいるようです。
    いや、日本語に構造すなわち文法があることすら意識できていないかもしれません。
    そうした子にとって、日本語は自明の理。
    それだけが正しく、それ以外の構造の言語があるということは想像しにくのでしょう。

    幼い子どもは、世界の中心に自分が存在すると思っています。
    世界の中心は自分ではないと理解し、相対化するには、精神的な成長が必要です。
    中学生になると、そろそろそういう成長は期待できるのですが、言語においてもそうなのだと発想できない子はいて、それが英語と日本語を1対1の対応で覚えようとすることにつながっているのかもしれません。
    言語は全て日本語と同じで、ただ使う単語が違うだけだと思ってしまう様子です。

    文法も異なりますが、1つの語句がカバーする意味合いも、言語によって異なり、日本語と1対1の対応にはなりません。
    例えば、playという動詞は、最初に勉強するときがplay baseball の形だったりしますと、play=「する」と覚えてしまう子がいます。
    だから、「あなたは何をしていますか」といった疑問文でもplayを使ってしまい、
    「playは『する』じゃないの?」
    と訊いてきます。
    「日本語の『する』に一番近いのはdoだね。でも、それも完全に一致するわけじゃないよ」
    と説明しても、首をひねっています。
    「『する』がdoなら、何でdo baseballじゃないの?」
    「日本語と英語の単語は1対1で対応しているわけじゃないから、そういうこともあるでしょう。1つの単語にいくつも意味があって、一部分はかぶるけれど、他はかぶらないということはよくあることだよ」
    「何でそうなるの?」
    「・・・そういうことを本当に心から疑問に思って勉強したいなら、大学の言語学科か英語学科に進みなさい。好きなだけそうした勉強ができるよ」
    「いや、別にいい。そんなに興味ない」
    「・・・・」
    純粋に英語への興味からそうして色々質問してくるのなら良いのですが、言外に、英語への非難がにじんでいることが多く、気になります。
    英語の勉強が嫌で、英語を否定したい、「英語は日本語と違ってこういうところがダメだ」と主張したいという気持ちの表れがそうした疑問となって口をついて出ているようなのです。
    英語を否定したいと思っている時点で、英語と敵対関係にあるのですから、勉強が進まないですね。
    (-_-)

    それはともかく。
    I am play baseball.ではなく、I play baseball.
    それが正しい英語だといったんは理解して、その後、三単現や人称代名詞などを学んだ後、現在進行形の学習に進みます。

    I am playing baseball now.
    私は今野球をしているところです。

    現在進行形のとき、動詞の形は、「be動詞+~ing」。
    am, is, areをまとめてbe動詞と呼ぶことはそろそろ教えても大丈夫な段階ですが、~ingは「現在分詞」と呼ぶということは、中1ではまだ早いので教えません。
    文法の専門用語ばかり出てきて、それを覚えられずにギブアップしてはいけませんから、~ingという形が動詞にはあるんだねとぼやかした形で説明します。
    しかし、なぜこのときbe動詞を使うのかは、初めて現在進行形を学ぶ子どもにとっては理解不能であり、相当な違和感があるのは事実です。
    とはいえ、ここで理屈をこねてもさらに理解不能でしょうから、その違和感を逆手にとり、ここでbe動詞を使うんだね、be動詞って不思議な働きがあるねと説明します。
    「be動詞を忘れると困るから、覚えるときは必ず『be動詞+~ing』とセットで覚えようね」
    と説明し、be動詞のところは節をつけて大声で強調したりもするのですが、そうした授業の工夫も徒労に終わり、be動詞を書き忘れる子は一定数存在します。

    I playing baseball.
    ( ;∀;)

    be動詞を必ず使えと言ったのになあ。
    be動詞+~ing の形で覚えなさいと強調したのになあ。
    何度も復唱したのになあ。
    何で間違えるかなあ・・・。( 一一)

    そういう子がよくする質問があります。
    「be動詞って何?」
    「be動詞とは、am,is,areのことです。色々な働きがありますが、難しいので、それは今は聞かないほうがいいと思う。後になったら嫌でもやるからね。それとも今、聞きたいですか?」
    「別にいい」
    「では、とにかくbe動詞とはam,is,areのことで、かなり特別な働きをする動詞なのだということだけ覚えましょう」

    とにかく、現在進行形は、be動詞+~ing。
    そうして現在進行形の学習がひと通り終わり、それまでの復習問題を解くと、またこんな英文を書く子が現れます。

    I am play baseball.
    ( ;∀;)

    「・・・be動詞と一般動詞原形は一緒には使わないんだよー」
    「be動詞を必ず書けって言った・・・」
    「それは現在進行形のとき。『今~している』の意味のとき。これは現在形」
    「何が違うの?」
    「一般動詞の現在形は、今、行っている動作じゃないんですよ。そういう習慣があると言っているだけで、今野球をしているわけじゃないのです」
    「ちょっと何言ってるかわからない」

    I play baseball every Sunday morning.
    この例文だとわかりやすいと思うのですが、現在形というのは、現在その動作を行っているときに使うものではありません。
    例えば毎週日曜日の朝に野球をする習慣がある、そういうことになっているということを伝えたいときに使うものです。

    現在形は、
    ①現在の習慣
    ②現在の状態
    ③不変の真理
    ④確定的未来
    ⑤時・条件を表す副詞節は未来のことを現在形で表す
    といった主な用法があるのですが、こういうことを体系的にまとめて学習するのは高校生になってからです。
    中1にこんなことをいきなり教えても半分も理解できないでしょう。

    しかし、中1の今はまだそんなことはわからなくてもいいから、というところで逐一壁に突き当たり、英語がわからなくなる子がいます。
    be動詞がわからない、現在形がわからない、と繰り返し言います。
    もやもやしていることがあると、そこから先に勉強が進まないようなのです。
    多くの子は、そんなことはあまり深く考えず、nowが文末についているときは「今~している」なんだからbe動詞+~ingの形にすればいいんでしょうと把握し、それで正解するのですが。

    be動詞が上手く呑み込めないまま、一般動詞の疑問文を作る問題では、
    Do you play baseball ?
    という英文を自力で作れず、
    Are you play baseball ?
    というミスを中2になっても繰り返しては注意されているうちに、be動詞の別の用法を学ぶことになります。
    存在を表す用法です。

    There is a book on the desk.
    机の上に一冊の本があります。

    be動詞には、存在を表す用法があります。
    「ある」「いる」の意味です。
    この文の主語はbookです。
    もともとの形は、
    A book is there.
    だったのが、強調のための倒置が起こり、それが固定化され、構文となったものです。

    be動詞の主な働きは2つ。
    ①A=B の意味を表す。
     すなわち、主語=補語の文を作る。
     補語は、名詞または形容詞。
    ②存在を表す。
     「ある」「いる」の意味。
     There is a book.という構文は、不特定のものが存在するときに用いる。
     特定のもの・人が存在するときは Mary is in the Library. のように表す。

    中2になると、このようにbe動詞の2つの用法は整理され、かなりわかりやすくなってきます。
    そこで開眼してくれると良いのですが、be動詞がわからないという子が、こういうところはスルーすることがあります。
    長年の疑問がようやく整理されたというのに、なぜ、スルー?
    もう英語はわからないものと諦めているからなのでしょうか。
    ('_')

    そうこうするうちに、中2の終わりに「受け身の文」が登場します。
    今度は、be動詞+過去分詞 です。

    Baseball is played by nine people.

    「be動詞+過去分詞」とセットで覚えるんだよー。
    be動詞を絶対に忘れないでねー。
    そう強調するのですが、例によって必ず忘れる子がいます。

    Baseball played by nine people.

    「be動詞を入れようよ。これだと、ただの過去形の文ですよ」
    目立つ単語を拾う形でしか文意を取ることができない子も一定数いて、能動態と受動態の文の識別が難しい場合もありますが、そこにbe動詞の有無という例のミスが登場しますから、グチャグチャになってしまう子も多いのです。

    とにかくbe動詞。
    受け身の文はbe動詞。
    be動詞+過去分詞。
    そう強調して定期テストを乗り切った後、それまでの復習をすると、能動態の過去形の文も、

    I was played baseball yesterday.

    と、また不要なbe動詞を書いてしまうミスが復活する子がいます。
    ( ;∀;)

    全ては裏目裏目に出てしまい、be動詞を入れるべきときに入れず、入れてはいけないときに必ず入れる。
    英語が苦手な子のbe動詞の扱いは、完全に裏・裏・裏となっていて、壮絶です。


    なぜそこまでbe動詞がわからないのか?
    1つには最初に書いた通り、be動詞=「は」 という最初の誤解から解放されていないのではないかと想像されます。
    それは、英語の構造は日本語と同じであるはず、という誤解です。
    be動詞が日本語の何にあたるのか、結局、わからない。
    だから、使い方がわからない。
    そういうことなのでしょうか?
    「be動詞が日本語の何にあたるか」という見方がそもそもおかしいので、be動詞はbe動詞という英語固有のものととらえようよと話すのですが、そうしたことは生徒にとって抽象的で、頭に心になかなか届かないもどかしさがあります。

    もっと単純に、be動詞を使うか使わないかといった二択の知識を必ず間違えて覚えてしまうだけという場合も考えられます。
    こういうときは使う、こういうときは使わない。
    この形の知識を覚えることが苦手で、なぜか逆に逆に覚えてしまう子がいます。
    自分で誤用したことは記憶に残りやすく、それが「聞き覚え・見覚えのある英語」として本人の頭の中に蓄積されますから、誤用は強固になるばかりです。
    誤用を上回るインパクトのある覚え方が本人の頭の中に入らない限り、誤用は続くのかもしれません。


    中1・中2レベルの英語でこんなにもつまずくというのは悲観的な要素ですが、しかし、脳の発達時期には個人差があります。
    中1の頃には理解できなかったことも、その後、理解できるようになることがあります。
    数学と英語と両方教えていますと、数学を教えていて、
    「この子は、小学校の算数の解き方をしてしまうなあ」
    「数学の論理体系、数理の根本が形成されていないのかなあ」
    という感想を内心抱いていた子が、中3あたりから急成長することがあります。
    理屈で説明すればスルッと理解してくれるようになるのです。
    英語の場合、文法用語を駆使すればするほど、ダイレクトに理解してくれるようになります。
    文法用語は、抵抗感が強い硬質のものですが、その仕組みを一言で伝えることができるので便利なのです。
    ものごとには全て名前があります。
    名称を把握することで、世界は混沌を脱し、秩序立てられます。
    英語の場合、S・V・O・C・Mと、各品詞の名称と働きを理解すれば、大抵のことはどうにでもなります。
    知識の伝達がスムーズになるのです。


    中1の初めの頃はどうなることかというほどbe動詞の扱いに戸惑っていた子もやがて精神的に成長していきます。
    ある子が高1になったとき、以下のことを説明したことがあります。
    分詞の限定用法・叙述用法の解説をしたときです。
    分詞の限定用法は、名詞を修飾する用法。
    それは形容詞と同じ働きをするということ。
    分詞の叙述用法は、SVCやSVOCのCの用法。
    それは、形容詞と同じ働きをするということ。
    つまり、分詞は動詞が形容詞化したもの。
    分詞は、形容詞なんだね。
    形容詞の前にはbe動詞を置くよね。
    進行形の~ingの前にも、be動詞を置くね。
    受動態の過去分詞の前にも、be動詞を置くね。
    全部、同じだね。
    普通のSVCの分析とはまた違うことだけど、なぜbe動詞を置くのかだけは、納得がいく気がしない?
    「・・・・ああっ」
    悲鳴にも似た声が、その子から上がりました。
    進行形の文、受動態の文で、be動詞を使うこと。
    その構造に別の方向から光が当たって理解できたのでしょう。

    こういう感動を共有できることが英文法を教え学ぶ喜びだと感じます。
    勿論、be動詞の誤用など、その子の場合は2度と起こらなくなりました。
    覚醒したのです。

      


  • Posted by セギ at 13:04Comments(0)英語

    2018年05月31日

    中学生は、英語のどこでつまずくのか。


    本日は中学生の英語の話を。
    英語が苦手という子の中には、単に覚えるのが苦手でなかなか覚えられないけれど、授業はまあまあわかるという、普通に英語が苦手な子も多いです。
    しかし、なかには、大人が想像もしないようなところでつまずいて、その先に進めない子もいます。

    まず、単語のスペルのルールが理解できなくておろおろしている子。
    パソコンを扱える子は、パソコン方式のローマ字の打ち込みはできますから、ヘボン式とは多少異なるとはいえ、英文字と音とのつながりを理解しています。
    ところが、英単語のスペルは、ローマ字とはかなり違います。
    そこで混乱する子がいます。

    英単語のスペルはどんなルールがあるのだろう。
    なぜ、先生は、そのルールを教えてくれないのだろう。
    教える必要もないくらいの常識なのだろうか。
    自分だけが理解できないのだろうか。

    かなり頭の良い子が、こういう混乱を起こすことがあります。
    周囲は、その子の頭の良さを知っていますので、まさかそんなことが原因で英語不振に陥っているとは思ってもいません。
    本人は勉強に関してプライドが高く、自分のそういう悩みを相談できません。
    英語に関するもやもやが晴れず、どんどん英語が苦手になっていきます。

    場当たり的な勉強や丸暗記の勉強は嫌いで、理屈が勝ってしまうタイプの子は、英単語のスペルにもルールを発見しようとし、そして発見できずに挫折してしまうのです。
    他の科目と比べて英語だけ成績が悪く、これはちょっとおかしいという状態の子に、以下のことを説明するだけで、はっと覚醒し、その後、英語も他の科目と同じように理解することがあります。
    英単語のスペルは、本当はルールがあるけれど、とても複雑だし、例外が物凄く多いから、今は、単語1つ1つのスペルを覚えていくといいよ。
    日本語の漢字を覚えるようなものだよ。
    そう助言するだけで、今までの霧が全て晴れ、英語がわかるようになっていくことがあります。


    今は文法を全面に出して英語を教えるのは悪いことであるかのような風潮がありますが、理屈が好きな子には、文法で英語を教えたほうが効果があります。
    文法用語を使わず何の文法事項を扱っているのか伏せた状態で、基本例文というのを暗記させられ、その文の意味を覚えていく学習を中1・中2とやっていくと、英語に対してモヤモヤしてしまう子は多いです。
    そういう子に、例えば中3の「現在完了」などをゴリゴリの文法で解説するとバキッと開眼することがあります。

    I have been in this town for two years.

    ➁She has kown the man since he was a child.

    ➂He has read the book three times.

    ➃I have already finished my homework.

    問題 上の4つの文のうち、同じ用例のものはどれとどれか。

    答えは①と②です。
    文法的にこれをとらえる場合、使われている語句に着目します。
    ➀はfor two years 、➁はsince he was a child と、期間を表す語句が使われています。
    いずれも、現在完了の「継続」の用法であることを示す語句です。
    ちなみに、➂はthree times という回数表現があるので、現在完了の「経験」の用法。 
    ➃はalreadyが使われているので、「完了」の用法です。

    文法的なアクセスができない子は、4つの文をいちいち和訳して解きます。
    ➀私は2年間この町に住んでいます。
    ➁彼女は彼が子どもの頃から彼を知っています。
    ➂彼はその本を3回読んだことがあります。
    ➃私はすでに宿題を終えてしまいました。

    この日本語訳から、同じ用法のものを選ぶのです。
    「完了」「継続」「経験」「結果」という現在完了の4つの用法という観点はなく、日本語の意味から、同じ意味あいのものを選ぶのです。

    ・・・・何てまだるっこしい。(-_-)
    訳し方をちょっと失敗したら、終わりです。
    「同じ意味あい」ってどういうことなのか、かなり曖昧ですし。
    「完了」「継続」「経験」「結果」という、文法事項を正確に指し示すキーワードと、それに付随する語句をセットで覚えればはるかに楽ですし、正確に分析できます。

    理屈が好きな子は、文法で解く解き方を教えると覚醒し、
    「わかりやすい」
    「初めて英語がわかる」
    と感動します。
    成績も急上昇します。

    他の科目もそうですが、英語の問題には、出題者の意図があります。
    何の文法事項を問う問題なのか、その出題意図を見抜けば、答えは楽に出せます。
    そうした出題意図を見抜くためにも文法からの分析は有効です。
    上の問題でいえば、ああ、現在完了の用法の識別だなと把握し、サクサク解けば短時間で終わります。
    しかし、何の問題なのか、何を問われているのかわからないまま、漠然と日本語に直し、何となくこれが答えなんじゃないかと判断して解いている子もいます。
    まさか、そんな、バカな。
    そんなことがわからないはずがない。
    大人はそう思うのですが、文法が苦手ということは、そういうことです。
    英語学習が常に曖昧な状態で進み、英語の問題をどう解いていいかわからず、ぼんやり解いている子は、案外どこにでもいます。

    文法を理解することは、文法問題を解くのに有利なだけではありません。
    英文をいちいち日本語に訳さずに読んでいく癖がつきます。
    英文を英文のまま読んでいくというのはどういうことなのか、言葉で説明してもわからない子は多いのです。
    文法問題のような短文を訳さないで読んでいく習慣が身につくと、長文を読んでいく際にも、訳せと言われない限りはいちいち日本語にしない習慣がついていきます。
    日本語に訳さず、しかし意味のまとまりごとに英文を区切って読んでいくには、文法知識が必要です。

    文法は教えない。
    だが、意味のまとまりに区切って英語のまま理解しろ。
    そんな要求をされた場合、そもそも意味のまとまりに区切る、その区切り方がわかりませんよと生徒が不満を持つのは当たり前のことだと思います。
    文法がわからないと、英文の構造が把握できないので、どこで意味が区切れるのかもわからないのです。
    文法を知れば、意味のまとまりは自明の理です。
    そんなの、S、V、O、C、Mのことなんですから。


    ところが、文法を教えても英語が得意にならない子も確かに存在します。
    「現在完了の見分けがつかない」
    というので、
    ➀完了の用法
    「すでに~してしまった」「ちょうど~したところだ」の意味。
    already,yet,justなどを伴うことが多い。

    ➁経験の用法
    「~したことがある」の意味。
    once,twice,three time,many times,beforeなどの語句を伴うことが多い。

    といった文法事項を説明すると、そんなに覚えることが多いのは嫌だ、もっと簡単に分類できる方法を訊いたのに、と不満を感じる子もいます。
    文法用語に対する拒否感が強いのです。
    覚えることが多いのは苦痛を感じる。
    理屈が好きじゃない。
    もっと簡単で、もっと楽しいことがやりたい。
    そういう要求の強い子は、文法をいくら説明しても、覚えてくれませんし、活用してくれません。
    何を教わっても、1文1文を日本語に訳して意味を取ってからでないと解かないのです。
    出題者の意図を汲み取りなさいといっても、そういう視点を持ったことがない様子で、ぼんやりしています。
    何の文法事項を問われているのか考えてみてと問いかけても、そんなのわからない、と言います。
    全てモヤモヤし、ぼんやりしている中で、意味だけを頼りに解いていこうとし、やがて英文の意味を読み取れなくなり、英語に挫折していきます。

    修飾語句が多くなり日本語に訳すのが難しくなる中2の「不定詞」あたりから、英語がわからなくなっていく子が多いのはそのためでしょう。
    英文の構造が複雑になればなるほど、意味だけで英文を理解していくのは難しくなります。


    文法重視が悪いことのようになってしまうと、文法からアプローチすれば高度な英文も理解できるタイプの子から、その機会を奪うことになります。
    文法が理解できる子には、今まで通り文法を教えるのが最善です。
    勿論、進学校はそれを承知していますので、「過度な文法重視を排し」と言われようがどうしようが、文法をきちんと教えていくと思います。

    問題は、文法に拒否反応が強く、文法をいくら教えても文法を活用しないタイプの子に、どのように英語を教えるか、です。
    教えても活用しないのですから、それこそ「過度の文法重視を排し」ていかなければなりません。
    文法を教えていないふりで、文法を教える。
    文法を教えていないふりで、英文の構造を教える。
    そうした面倒くさい作業が必要となります。
    当然、英語学習の時間を今までより多くし、触れる英文の数を増やさないといけませんし、文法で骨組みを補強できない分だけ語彙力を鍛える必要が生じます。

    それでも、相手によって教え方を変えないと、その子は伸びません。
    その見極めが重要です。

      


  • Posted by セギ at 13:55Comments(0)英語

    2018年05月24日

    高校生の英語力が伸びない理由.


    2013年に閣議決定された英語到達目標がありました。
    2017年度までに中学3年生の50%が英検3級程度の英語力をもつこと。
    高校3年生の50%が英検準2級程度の英語力を持つことでした。

    しかし、実際には、2017年度に、英検3級程度以上のレベルに達した中3は全体の40.7%。
    英検準2級程度以上のレベルに達した高3は39.3%。
    目標達成はなされませんでした。

    高校生に対しては、そもそも低く目標設定されていました。
    英検3級は中学3年生程度の英語力を基準としていますので、学年相当の設定です。
    一方、高校3年生に対する政府目標は英検準2級とされています。
    英検準2級は、高校1~2年生程度の英語力です。
    しかも、その目標を達成できませんでした。

    数値も同じ40%程度ですので、中学3年生のときに英検3級程度の英語力のある子は、高校3年生のときには英検準2級程度の英語力がある、という流れが見えます。
    2017年度の中3と高3の話で、同じ学年の子どもたちの継続調査ではないのですが、継続調査をしてもその程度ではないでしょうか。
    これを、英検2級で調査したら、当然、もっと数値は低くなるでしょう。
    中3のときにはそれでも学年相当の英語力のあった40%の子たちも、学年が上がるにつれて、学年相当の英語についていけなくなっていると予想されます。

    どうすれば良いのか?
    これは「4技能」の話とはちょっと違うのです。
    「4技能」は、日本人は中学・高校と英語で秀才だった子も実際には英語を話せないという観点から、「話すこと」にも力点を置こうという話です。
    「話すこと」の指導に力を入れれば英語の他の技能も上がる、ということではありません。
    「話すこと」に力点を置けば、話す技能は今までよりは上がるかもしれません。
    しかし、それに伴って「読むこと」「聴くこと」「書くこと」の能力が上がる保証はありません。
    実際、これまでの例で言えば、中学生で英会話教室に通っている子は、「話すこと」「聴くこと」の力は標準よりあるけれど、ペーパーテストに弱いので、成績は「4」は取れても「5」はなかなか取れないのが実状でした。
    高校生で英会話教室に通っている子になると、さらに効果は不明瞭で、高校の英語の授業についていくことができない子もいます。
    でも英会話教室は楽しいらしいのです。
    楽しいのなら何より。
    もうそれはお稽古ごとの領域です。

    ただ、英会話教室も今は多種多様で、昔ながらのネイティブの講師を囲んで数人のグループで会話をする形式のものは少なくなりました。
    毎回自己紹介に授業の半分が費やされるという効果不明のものは淘汰されつつあります。
    各種英語検定合格に特化したもの、大量のリーディングを課し速読力を強化するもの、高校受験・大学受験に対応しているものもあり、それは英会話教室というより英語教室と呼んだほうが良いのでしょう。
    そして、そうした英語教室は「話すこと」が他の技能を伸ばすとは必ずしも考えてはいないのです。
    4技能は、それぞれを伸ばさないと伸びないのです。

    話を戻して。
    中学英語にはまあまあついていけた子が、なぜ高校英語で学年相当の力がつかなくなっていくのか。
    最大の原因は単語力だと思います。
    高1になっても、高2になっても、高3になっても、単語力は中学生レベル。
    そういう子が多いのです。
    たまにわからない単語があるという程度ではなく、1文の文意を決定する単語のほとんどがわからないのです。

    例えばこんな文。
    She possesses a great capacity for overcoming any obstacle.
    文法的にはシンプルです。
    比較的短く、内容をとらえやすい英文です。
    しかし、英語が苦手な高校生は、この文の意味を把握できません。
    単語の意味がわからないのです。
    主に以下の4単語です。
    posess , capacity , overcome , obstacle
    どれも高校レベルの単語です。
    でも、覚えていない子は多いです。
    1文に4つわからない動詞や名詞があったら、意味は把握できないですよね。
    単語の意味がわからない限り、英語は謎の呪文です。
    (-_-)

    英単語はいきなり大量に出てくるものではないので、新出のときにしっかり覚えて2度と忘れないようにすれば、語彙は着実に増えていきます。
    中学生の頃は、それがそこそこ上手くいっている子も多いのです。
    しかし、高校生になると、新出単語を覚えきれなくなっていきます。

    高校の英語の先生は、生徒の単語力不足を気にしていますので、単語集を配布し、週1回テストを課すことが多いです。
    しかし、それも、その単語テストのために一夜漬けで覚えて、テストが終わればすぐに忘れてしまう子が大半です。
    それを防ぐため、学校の先生は、そうした毎週の単語テストの範囲を定期テストの範囲に全て含めることがあります。
    その場合、単語のテスト範囲は「捨てる」という暴挙に出る高校生が多いのです。
    覚える単語数が多すぎるからでしょう。
    他の教科の勉強もあるからと諦めてしまうのです。
    定期テストでは、単語集からの出題はほぼ全滅。
    身についた単語はほとんどありません。
    この繰り返しで、教科書の本文も、テストに出る初見の英文も、わからない単語がどんどん増えていきます。
    高校生で英語が苦手な子の大半は、そういう子ではないでしょうか。

    知っている単語の数がもう少しあれば、文法力や文章の構造把握力でどうにかカバーする方法はあります。
    上の英文で言えば、まずcapacity。
    この単語がわかるとわからないとでは、かなり違ってきます。
    そして、この単語は、半分日本語になりつつある単語です。

    しかし、英語が苦手な子とは、こんな会話になりがちです。
    「キャパシティは、もう半分日本語になっているね。キャパって言うじゃない?」
    「言いません」
    「武道館のキャパ1万2千人。東京ドームのキャパ4万人とか」
    「言いません。知りません」
    「・・・・」

    思い出すヒント、覚えるヒントとしてこうした話を持ち出しているのですが、単語が苦手な生徒ほど、こんな反応になりがちです。
    知らないことを責められていると感じてしまうのでしょうか。
    他にも、
    「ファッション誌に、インポート物とか書いてあるじゃない?」
    「知りません」
    「都知事がよくダイバーシティとか言っているじゃない?」
    「知りません」
    叩き返すような返答です。
    「映画で、ミッション・インポッシブルってあるじゃない?」
    「知りませ・・・あ・・・」
    「・・・・知ってるよね?」
    「知ってますけど、意味とか考えたことありません」
    日本語としてなじみのない音のつながりでも、映画のタイトルだと覚えられたりしますから、それを利用しない手はないですよね。
    ちょっとでも語彙を増やしていく、その気持ちが大切。
    ヽ(^。^)ノ

    単語力をつけたいと思っている人は、1万語をまとめてスルスル覚える方法を求めている様子の人が多いです。
    そのためには3か月単語漬けになるくらいの覚悟が必要ですし、その後もそれを維持するための継続的努力が必要なのですが、その人にその覚悟があるかというと、それはまた別の話。
    一方、身近なところから1つでも2つでも覚えていこうということもない。

    英単語は、覚えられない。
    私は、英単語を覚えるのは苦手だ。
    全然頭に入らない。
    それは仕方ないことだ。
    それを解決できないのは、私の責任ではない。
    楽にスルスル覚えられる方法が開発されたら、やってみないでもないが。
    そういうところで停滞し何も動かないのが、中学英語と高校英語との間に高い壁を作っている一つの原因かなと思います。


    ともかくcapacityは「能力」という意味だと、それはわかっているとして。
    She posseses a great capacity for overcoming any obstacle.
    文法の基本がわかっていれば、わからない英単語は英語のまま、意味を取っていくことができます。
    「彼女はどんなobstacleもovercomeする大きな能力をpossessしている。」
    何のこっちゃわからん、と言うこともできますが、とにかく能力の話なのだとわかります。
    そして、英文というのはこの1文だけポツンと書いてあるのではなく、これは長文の一部分です。
    この文の前後、大抵はその後ろに、その能力についてもっと具体的な描写があるはずです。
    その能力は、どんなobstacleもovercomeする能力だそうですが、その後に具体例が書いてあり、それが読み取れれば、obstacleもovercomeもわからなくても大丈夫でしょう。
    修飾部分ですから。
    具体例のほうがもっとわかりやすく説明してあるはずです。
    逆に、その後ろの具体例が読み取れなくても、あと一語、overcomeの意味がわかるなら、おおよその文意は把握してその先を読み進めることができます。
    「彼女はどんなobstacleも克服する能力をpossessしている」
    ここまでわかれば、ほぼわかったようなものです。
    その後に、何かを克服した具体例が書いてあるのでしょう。

    ただし、こうした読み方はかなりの集中力と推理力を必要とします。
    単語の意味がもっとわかれば、こんなに苦労をしなくて済むものを。
    せめてこの単語の意味だけでもわかれば。
    そうした経験から、1つ1つ増えていくのが生きた語彙です。

    単語集による単語暗記も並行して行う中で、覚えたはずの単語が長文中に出てきて、それなのに意味が取れないとき。
    この単語の意味がわかれば、この文の意味はわかるのに。
    覚えたはずなのに。
    悔しいなあ。
    そうして、その単語の意味を確認し、ああ、そうだった知っていたのにと感じます。
    その単語は自分の語彙になるまで、あともうほんの少しです。
    もう自分の語彙になっているかもしれません。
    単語集の中の単語の羅列が、文章の中で生きた使われ方をした瞬間に、驚くほどすんなり頭に入ってきて忘れないことがあります。
    だから、単語暗記と多読とを並行して行うことが効果的です。
    重要な単語は本当に高い頻度で英文の中に出てきますので、英文を多く読めば読むほど、頭に残ります。

    しかし、英語が苦手な高校生は、単語暗記も多読もしません。
    教科書の英文だけは予習しようとしても、新出単語以外にもわからない単語が多く、いちいち辞書をひくだけで時間がかかります。
    文法も苦手なので、単語の意味は調べられても、1文が長いと構造を把握できません。
    関係代名詞とか分詞とか、学校の授業で説明されても、意味がわからない。
    中学でちょっと勉強して終わると思っていたのに、何で毎回文章に関係代名詞とかいうのが出てくるんだろう?
    全然わかんない。
    教科書の予習だけでも、もう手が回らない。
    そもそも英語にそんなに時間をかけていられない。
    そう考えて、やがて諦めていきます。
    そういう子が多いと思います。

    この状態で、塾で、学校の英語の授業の予習復習を希望し、それ以外のことはやりたくないしやらないとなると、問題の解決はほとんど不可能です。
    わからない単語は辞書を引かなくても教えてもらえるので、コミュ英の予習は一見順調となります。
    教科書の問題を一緒に解いてくれるので、英語表現の予習も順調。
    英語の予習がとりあえず楽になります。
    わかってきたような気がします。
    これなら、定期テストの点数も上がるかなあと本人は期待するのですが、その高校の定期テストが単語集からの出題や初見の英文の出題が多い場合、得点の伸びはあまり期待できないでしょう。
    むしろ、長期的にはじりじり下がっていく可能性のほうが高いと思います。
    自力で英語と対峙する機会がむしろ減っているのですから。

    間口の狭い勉強にこだわっていると英語力は永遠に中学生のままです。
    根本の英語力を鍛えることが必要です。
    まずは単語力。
    学校がせっかく与えてくれている単語集。
    繰り返し繰り返し暗記してみてください。
    学校が指示するよりも早く、何周でもしてください。
    英語学習の間口を広げましょう。

      


  • Posted by セギ at 15:32Comments(0)英語

    2018年04月11日

    英語教育改革はどこまで有効か。


    中学生の好きな科目第1位は、保健体育。
    嫌いな科目第1位は、英語。
    ある通信教育会社の調査結果だそうです。

    嫌いな科目第1位は、数学ではないのですね。
    数学は、案外固定ファンがいるからかなあ。ヽ(^。^)ノ
    などと吞気なことを言っている場合ではなさそうです。
    英語という科目が、中学生にそんなに嫌われていたとは。

    昨年の都立入試の社会科で、日本・中国・韓国の世界競争力順位、英語力のアジア内順位、海外への留学者数を比較して記述をする問題がありました。
    2005年と2011年のデータを比較すると、
    ◎世界競争力の順位
    日本は19位から26位へ。
    中国は29位から19位へ。
    韓国は27位から22位へ。
    ◎英語力のアジア内順位
    日本は28位から28位へと変わらず。
    中国は15位から14位へ。
    韓国は20位から7位へ。
    ◎海外への留学者数
    日本は64,273人から35,731人へ。
    中国は403,527人から650,632人へ。
    韓国は100,800人から127,832人へ。

    2011年のデータではもう古いのかもしれませんが、最新のデータがそれほど改善されている期待も持てないのが現状でしょうか。
    こうしたことを踏まえ、今、英語教育に大ナタが振るわれようとしています。

    とはいえ、このデータを示されてさえ、
    「国がグローバル人材育成戦略を発表した理由を述べよ」
    という記述問題で、
    「日本人は、中国・韓国人よりも英語能力が高く、国際的に活躍している」
    という記述をしてしまう子もいて、ちょっと待て、英語教育より日本語で書かれたデータを正確に読める教育のほうがまず必要だ、と焦ってしまうのですが。
    このデータのどこをどう読むとそういう記述になるの?( ;∀;)


    ともあれ、なぜ中学生は英語が嫌いなのでしょうか?
    小学生では、「外国語活動」は好きな科目・活動の第3位なのだそうです。
    ちなみに、小学生の好きな科目第1位は体育で、これは小学生も中学生も変わりません。

    理由は想像できます。
    小学生の「外国語活動」は、昨年度までは評価の対象ではありませんでした。
    英語で楽しくゲームをしたり会話をしたり歌ったり踊ったりする授業で、特に評価はされません。
    書いたり覚えたり、それをテストされたりすることはなく、「勉強らしさ」がない。
    だから好きなのでしょう。
    しかし、中学に入り、英語は「主要5科目」に位置付けられ、ペーパーテストがあり、評価されます。
    そうすると途端に英語が嫌いな子が激増する・・・。

    英語が小学校高学年で正式科目となり、評価もされる今後は、小学生も英語が嫌いになるかもしれません。
    とりあえず、単語のスペルや簡単な文を覚えることが課せられ、そのペーパーテストが実施されるようになれば、英語が好きな小学生は今よりも減るだろうと予想されます。


    今回の英語の教育改革の目玉は「読む・聴く・話す・書く」の4技能で英語力を測定するという新しい基準が打ち出されたことです。
    それで大学入試も大きく変わると言われています。
    今までのような英語教育は全否定されている風潮すらあります。

    しかし、蓋を開けてみれば、2023年度まではセンター試験に代わる共通テストは相変わらず必須で、民間試験の活用は英語の得点の1割程度に抑える方向とのこと。
    さらに、東大は民間試験を利用しないことを発表しました。
    「聴く」に関しては、もう既に20年以上前からセンター試験には「リスニング」が課せられていますから、教育システムに組み込まれています。
    「読む」「書く」は筆記試験主体の英語教育にとってはむしろ得意とするところ。
    問題は「話す」技能が今後の入試にどう影響していくのか、です。

    これはさすがにネイティブの講師のいる英会話教室の指導が効果的ではないか?
    そういう大宣伝がなされている現状がありますが、大学入試における民間試験の活用が1割未満で、しかも4技能のうち「話す」はその4分の1ですから、「話す」能力が大学入試で問われる比率は、2.5%未満。
    うん
    結局、英語教育改革は、今の小学生は気にしなければならないけれど、中学生・高校生は、あまりそれに踊らされて先走り、読むことを軽視したりすると、むしろ不利になるかもしれません。

    英語の授業の評価基準に「話すこと」がどの程度影響するのかは、推薦入試を目指している人にとっては大切でしょう。
    話す能力が具体的にどのようにテストされ、それが成績にどの程度のウエイトを占めるか。
    高校英語教科書は、今年度から前倒しで新指導要領を踏まえた内容に修正されています。
    とりあえず、新しい「英語表現」の教科書は、過度に文法を強調することを避けるよう文科省から指導されているため、文法事項がまとめられていず散漫で、ゾッとするほど勉強しにくい構成になっています。
    進学校の英語の先生たちがこの教科書をどう扱うか、注目されます。
    今の大学入試は文法事項の重箱の隅をつつく問題は減りつつあり、実用的な英文や現代の評論を速読する能力を問われるものになっています。
    それにあわせ、高校も読解に必要な英文法を教えるようになってきました。
    日常会話レベルではない内容の英文を読み通すには、文法的把握をするほうが速く楽に読めるからです。
    まして、知らない単語がかなり含まれている英文を読むような場合は。
    高校英語の科目の名称が、今の「コミュニケーション英語」「英語表現」と変わったときも、リスニングと英作文で構成される「英語表現」の教科書を真面目にやっていたのは偏差値のそんなに高くない高校が多く、進学校は「英語表現」という名称の英文法の授業を行っていました。
    科目を細分化し、週に1回は「英語表現」の教科書を使ったリスニングと英作文の授業を行い、英文法の授業も独立して行う高校も多かったです。
    読むためにも話すためにも文法は必要だからです。
    入試問題を解くためにも。
    結局、今回も、浮わつかずに文法をしっかり教える高校が進学実績を伸ばすでしょう。
    「話すこと」を学習に加えるのに異論はないのですが。


    以前にもこのブログで書いたことですが、昔、勤めていた集団指導塾では3月に新中1英語準備講座を行っていました。
    10人ほどのクラスでしたが、それでも参加者の英語力はバラバラでした。
    中学受験の勉強に忙しく、英語は小学校の授業で少しやっただけの子。
    中学受験はしなかったけれど、英会話教室に通っていた子。
    中学受験はしなかったし、英会話教室にも通っていなかった子。
    既に身についている能力と、教わったことをすぐに習得できる能力とが、バラバラなのでした。

    当時、小学校の英語は書くことは全くやりませんでした。
    中学入学に際し、最も不安な点はそこです。
    だから、新中1準備講座は、とにかく英語を書いてみることが中心でした。
    まず、アルファベットの大文字を書いてもらいます。
    大文字を正しく書けない学力の子が、存在します。
    次に、アルファベットの小文字を書いてもらいます。
    中学受験生の中にも、小文字があやふやな子は存在しました。
    しかし、彼らは、覚える勉強には慣れていますので、翌週には身につけてきます。
    厄介だったのは、英会話教室に通っていて、英語には得意意識があるのに、小文字を書けない子が一定数いたことでした。
    しかも、そういう子は、書けない文字は翌週も書けないままであることが多かったのです。

    さらに単語のスペルの学習に進みます。
    CDから流れる単語を聴き取って、そのスペルを書く学習でした。
    「トマト」や「ピアノ」ならば、正しく書くことができても、「椅子」や「鳥」は正しく書くことができるようにならない子が存在しました。
    幾度練習しても、スペルを覚えることができないのです。

    中学受験生には、
    「スペルは、本当は規則があるんだけど、その規則自体が複雑だし例外も多いので、今のうちは、1つ1つの単語のスペルをいちいち覚えたほうが早いよ。漢字を覚えるようなつもりで覚えよう」
    と声をかけると、私の言いたいことをすぐ理解してくれて、子どもには不規則に感じるだろうスペルもどんどん書けるようになりました。
    一方、英会話教室に通っていた子たちの表情は、このあたりから暗くなっていきました。
    さらに授業が進み、「これは〇〇です」の文の練習になると、中学受験生は、もう英語学習の流れをつかんだ様子で、楽々と問題を解いていくようになります。
    しかし、英会話教室に通っていた子たちの中には、幾度説明しても冠詞aを書くことが身につかない子が現れます。
    音として聞き取れなくても、冠詞aは確実に言っているのです。
    しかし、そういう無音のタイミングを聴き取れない様子です。
    彼らには文法的にaが存在するはずという視点もありません。
    さらには、「これ」と「あれ」の使い分けができないという問題も発生します。
    英会話教室に3年間も通ったのに、確認テストで0点を取る子もいました・・・。

    そして、新学期。
    学力によって、クラスは2つに分かれます。
    中学受験生は、全員、上位クラスに入りました。
    英会話教室に通っていた子は、上のクラスに入る子もいますが、下のクラスに分けざるを得ない子もいます。
    そして、下のクラスに分けられた子の中には、塾を退会したいと言い出す子が現れます・・・・。
    結局、無理に上のクラスに置くことで退会を思いとどまってもらうしか引き留める方法がありませんでした。

    勉強が上手な子が英会話教室に通っていたのなら、問題ないのです。
    そのまま、中学のペーパーテストでも高得点を取り、発音がいいので英語の先生にほめられ、ALTの先生とも会話が弾みます。
    ますます英語が好きになります。

    でも、どこにでも、不器用な子はいます。

    英会話教室は楽しいのです。
    英語のあいさつ。英語の歌。英語のクイズ。英語のリズム体操。
    デジタルデバイスも沢山触われる。
    英語の動画。
    英語のゲーム。
    とても楽しい。
    ああいうのが、英語。
    楽しいのが、英語。
    小学校の英語の時間も楽しかった。
    クイズやゲームがいっぱいあった。
    ああいうのが英語。
    中学の英語は楽しくない・・・。

    中学校の英語も、勿論、授業中に音読したり聴いたり話したりということは盛り込まれています。
    しかし、テストは筆記試験とリスニングです。
    リスニングの割合は多くて2割。
    8割は筆記試験です。
    単語のスペルが覚えられないようでは、中学の定期テストで良い点は取れません。

    一方、中学校の英語の授業で話すことに力を入れて、「Show and Tell」の授業などをやることもあるのですが、全員にスピーチ原稿を書かせ、その発表会を行っていたら、たちまち1か月経ってしまいます。
    2か月進度に動きのなかった学校もあります。
    結果、学習進度が大幅に遅れ、中3の12月なのに教科書は半分も進んでいなかった学校も昨年度ありました。
    12月なのに、分詞も関係代名詞も学習していない。
    塾に通っている子は、もう夏期講習の頃には中学で学習する英語は終わっていますからいいですけれど、塾に行かずに勉強している子は、12月の段階で入試の英語長文を読むための重要な文法事項を知らないのでした。
    やり方にも問題があるのでしょうが、あれもこれもと「4技能」を詰め込まれても、学校の授業時間数には限りがあります。
    これでは、筆記試験が主体の現在の高校受験で良い結果が出せなくなるかもしれません。
    「話すこと」に踊らされず、それはそれとして、読解と筆記試験の学習をコツコツと深めていく子が高い成績を維持することは変わらないと思います。

    学校の5段階評定に「話すこと」のテストが大きく影響するようになればまた別なのです。
    しかし、実技系4教科のように、英語もペーパーテストよりも実技点のほうが大きく影響するようになるとは想像しにくい。
    「話すこと」の実技テストが加わるとしても、そこで点差が大きく開くことはないでしょう。
    現在の英検の1次試験に合格する子の大半は、2次試験に合格します。
    「話すこと」の評価基準が低いからでしょう。
    あるいは、「読む」「聴く」「書く」がそこそこ出来る子は、少し練習すれば「話す」テストに合格する実力は育っているということでもあります。
    リスニングも、高校受験レベルでは、余程不得意な子を除いて、点差の開かない分野です。
    全体に易しいですから。
    結局、点差が開くのはペーパーテストで、勝負どころはそこです。

    都立高校の英語入試に「スピーキング」が加えられるという情報はありますが、具体的な話はまだ一切見えてきません。
    どのように形で試験するのか、これから議論するという段階です。
    試験的実施すら何年先の話になるのか見当もつきません。
    5年後もまだ完全実施には至っていないかもしれません。
    今の小学生は気にしたほう良いですが、今の中学生・高校生は「4技能」という情報に惑わされて勉強の方向を間違えると、むしろ英語の成績が下がる結果になりかねません。
    今まで通り、英語を読んだり書いたり聴いたりする勉強をコツコツ続けることに加えて、スピーキングも視野に入れていく勉強をしていく必要があると思います。

    時代は変わりました。
    子ども向け英会話教室も、お遊び教室ではなくなっています。
    英検に合格できる英会話教室であることが1つの指標になった感があります。
    英検3級ですらライティングのある時代です。
    英会話教室も、「聴く」「話す」だけでなく、「読む」「書く」の学習に力を入れるようになりました。
    それでも、
    「週2回も英会話教室に通っているのに、成績は4止まり。やっぱり筆記試験に弱い」
    「英検タイプの問題には強いけれど、それに特化しすぎて、学校の定期テストで高い得点が取れない」
    と、今もうちの塾に問い合わせがあります。
    一方、学習塾も、「読む」「聴く」「書く」だけでなく、「話す」学習の強化を行っています。
    うちの塾も、毎回90分の中の一部として、英検の模擬面接を本人の実力にあわせて行っていきます。
    英検受検時には、ライティング対策にも時間をかけています。


    いつから英語を学ぶのか。
    どこで学ぶのか。
    正解は1つではないと思います。

    ただ1つ言えることがあります。
    勉強が好きな子は、英語教育がどう変わろうと今も昔もあまり問題がないのです。
    「先生、英語って簡単じゃね?」
    そんなふうに言います。
    「まあねえ。でも、じきに、泣くほど難しくなるよ」
    「・・・・泣くほどか」
    そう言って、笑っています。

    難しいことは、難しいから、面白い。
    勉強は、勉強すること自体が面白い。
    それを知っている子は、もう、一生大丈夫なんです。
      


  • Posted by セギ at 14:18Comments(0)英語

    2018年02月21日

    大学入試民間試験導入の最新情報と、英語長文を読む力。


    2020年度から大学入学共通テストが始まります。
    そこで導入される英語の民間試験について、国立大学協会がガイドライン案をまとめたとの報道がありました。
    公表は4月頃になるとのことです。

    英語は「読む・聴く・話す・書く」の4技能を測定するため、民間試験に移行することが決まっています。
    今回まとめられたガイドライン案は、この大きな変化を考慮し、2023年度までは、センターが作る「リーディング」「リスニング」テストを全受験生に課すというもの。
    つまり2023年度までは、これまでのセンター試験の「英語」「リスニング」とそんなに違わない共通テストをやはり全員受けるということですか。
    ガイドラインに強制力はないとはいえ、概ねそういうことになりそうです。

    その間、民間試験の扱いはどうなるのかというと、1割弱の加点とのこと。
    すなわち、センターの作る英語の問題が200点満点であるなら、例えば、英検2級合格は+15点の加点、英検準1級合格ならば+20点の加点。
    全体で220点満点になったイメージですね。

    2024年以降はまた違ってくるのでしょうが、スコアを入試にそのまま使用するのではなく、その級に合格すれば加点という形ならば、対策はやりやすそうです。
    受験までの1年間の間に受けた英検2級のスコアを入試の英語得点とするということになると、指導法がこれまでとは変わってきます。

    これまで、英検はとにかく受かれば良いという指導をせざるを得ませんでした。
    多くの生徒が単語力が伴わないのに英検を受けるので、大問1の語彙に関する短問は、50%程度の正答率でも仕方ないのです。
    それ以降の読解問題は、75%は正答しましょう。
    リスニングも75%の正答率が目標です。
    英作文?
    何をどう書いていいかわからないという子が多く、一番不安を感じるようですが、書き方のひな型がありますから大丈夫です。
    合格点は取れます。
    実際、この2年間の受験生は全員、リーディングのスコアよりもライティングのスコアのほうが高かったです。
    案ずるより生むが易しです。

    合格することだけが目標なので、そんな指導でした。
    しかし、スコアがそのまま入試に使用されるとなると、それでは話が済まなくなります。
    英語は得点源ですから、他の科目の凹みの分も英語でガサッと得点したいです。
    これまでのセンター試験では、200点満点のうち最低でも180点を目標としてきました。
    できれば190点を取りましょう。
    取れますよ。
    個々の大学入試問題と比べたら本当に易しいですから。
    そのためには、まず単語力を抜本的に鍛えていきますよー。
    それが終わったら、この課題。
    次はこれ。
    それから、これ。
    そういう指導をしてきました。
    これからは、それを英検2級でもやるんだなあ。
    最短でも結果が表れるまで半年はかかるので、準備も前倒しだなあ。
    なかなか大変だ。
    そう考えていました。

    とはいえ、大学受験のための英検受検なら、生徒のモチベーションが違ってくるから大丈夫なのかもしれません。
    今、高校生で英検2級を受ける子は、どこにモチベーションがあるのか、ちょっとよくわかないことがあるのです。
    英検2級を何に使うという目的もなく、ただ受けるからでしょうか。
    「友達がこの前合格したから、自分もそろそろ」
    「英検2級くらいは、もう受かるかと思って」
    ・・・・受かりませんよ、そんなモチベーションでは。( ;∀;)

    まだ受験学年ではないので学習に対して腰が座っていませんから、単語力を根本から変えていく訓練に耐えられそうにありません。
    だから、英検2級にふさわしい単語力がないのを承知の上で、ギリギリ合格する指導を今は行っています。
    そう考えたら、今の英検指導のほうが多くの困難を抱えながら善戦しているのかもしれません。


    単語力さえあれば英文は読み進めていくことができます。
    知っている単語ならばリスニングも聞き取れます。
    大元は単語力です。

    英検の最大の得点源は、リスニングと長文読解。
    しかし、長文読解問題が苦手な人は多いです。
    大半の人は、単語力不足に悩んでいます。
    単語がわからないので、英文を読んでも意味がわかりません。
    1行に1個や2個のわからない単語があっても読み進めることができますが、1行に5個も6個もわからない単語がある文章は、どんなテクニックを使っても読めません。
    そして、文法力。
    わからない単語があっても、その単語の位置から品詞を特定し、見切る力。
    文の構造を把握して大づかみにしていく力。
    ちまちました例外的な文法事項は、文法問題のために覚えるものですが、そうではなく、英文の構造把握のための文法力が読解には必要です。

    単語力がない子が妙な読解テクニックにかぶれて、おかしな読み方をすることがあります。
    いわゆる「類推読み」というもので、極端な話、本文を読まないで問題を解くというところまでいってしまうこともあります。
    単語の意味がわからな過ぎてどうしようもないのはわかるのですが、そういうときには、歯をくいしばって単語力をつける努力をしてほしいです。
    そのほうが、結果的には早道ですから。
    しかし、楽そうな道に逸れてしまう子は多いです。

    以前、こんな誤読がありました。
    乳幼児を持つ親が自分の住んでいる郡の保健所に問い合わせたメールに対する、保健所からの返信を読む問題でした。
    検診はどこで受けられるのか、予防接種は保健所で受けることは可能かといった問い合わせへの返信です。
    ところが、その子はそのメールを、誰かが田舎のデパートにクレームをつけたものへの返信として読んでいたのです。
    「郡」という単語を「田舎」と誤読。
    「部署」を「デパート」と誤読。
    「述べる」を「クレームをつける」と誤読。
    そして、その誤読した3つの単語だけで、文章の大意を類推。
    そのようにして、似ても似つかない内容のものを勝手に頭の中に作り上げて個々の設問を解いていました。
    勿論、全問不正解でした。
    ( ;∀;)

    誤読した3つの単語だけでストーリーを作り上げてしまっては、類推読みを通り越して妄想の域ではないかと思います。
    単語力がないとそのようなことが起こります。
    勿論、英文の隅々までわかるほどには学習は進まない場合もあります。
    だから、意味のわからない単語をある程度カバーする読解テクニックは存在します。

    例えば、主語が人で、意味のわからない動詞があり、その後にthat節が続いている場合、
    「この動詞の意味がわからないから、文の意味がわからない」
    と嘆く受験生に、
    「人が主語で目的語がthat節なら、そんな動詞は大体『言う』か『思う』のバリエーションです。何か意味が添えられているのは確かですが、意味の強弱の範疇のものですよ
    と説明すると、目から鱗が落ちたように驚きます。
    「主張する」も「説明する」も「証明する」も「反論する」も、「言う」ことのバリエーション。
    その単語の意味がわかるに越したことはありませんが、わからなくても何とかなります。
    全体の流れを読んでいく妨げにはなりません。
    こういう類推読みなら有効です。
    しかし、それには、少なくともその前後の内容は理解できていることが必要です。


    真面目すぎる子の中には、1つのわからない単語にとらわれて英文を読み進めることができなくなる子がいます。
    「妄想誤読」も厄介ですが、たった1語にこだわるのも困ったことです。
    特に受験生は、緊張で視野が狭くなってしまうのか、後ろに脚注があることに気づかず、単語の意味がわからなくてパニックを起こすことがあります。
    また、脚注はないのに変に難しい単語や言い回しが使用されている場合、その意味を文章中で説明してくれていることが多いです。
    それが設問の内容だったりもします。
    しかし、パニックを起こして、そのことも判断できなくなってしまうことがあります。

    妄想的な読み方はしない。
    1語の意味にこだわらない。
    こうしたほど良さやバランスを習得するためには、やはり、必要な単語力は身につけた上でたくさんの長文を読み、場数を踏む必要があります。


    単語力も文法力もそれなりにあるのに、妙な誤答を繰り返す子も、ときどきいます。
    たとえば、こんなふうでした。

    I am Akira. I am fifteen. I live in New York. There are five people in my family; my father,my mother,my brother,my sister and me.

    これは中2向けの長文です。
    全てがクリアで、間違うはずがないように見えます。

    問1 How many people live with Akira?

    その子の答えは、 No one dose. でした。

    Five people do.
    と答えるケアレスミスなら、まだわかります。
    なぜ、誰も一緒に住んでいないと誤解したのでしょうか。
    答えの英文は、文法的に正確で、英語力がそれなりのものであるのを感じさせるのに。

    「これは、4人ですよ。お父さんとお母さんとお兄さんとお姉さんの4人と一緒に住んでいます」
    「そうなんですか?」
    と、彼は、心から驚いた顔をしていました。
    「1人で住んでいるんじゃないんですか」
    「なんでそう思うの?」
    「1人でニューヨークに留学しているんじゃないんですか」
    「そんなこと、どこにも書いてないよ」
    「だって、アキラは、日本人だから。日本人がニューヨークにいるんだから、留学でしょう」
    「・・・あなたは、何時代の人なの?」

    誤読しやすい人は、思い込みが強いのだと思います。
    「行間を読め」とよく言いますが、英語でも日本語でも、書いていないことを読んではいけません。
    行間なんか読んだらダメです。
    書いてあることから当然推定できることだけを答えるのが、読解です。

    厳密に言えば、彼がニューヨークで家族と一緒に住んでいると、この英文には書かれていません。
    けれど、独り暮らしならば、この書き方はしないでしょう。
    その場合は、家族は4人いるけれど日本に住んでいて、アキラはニューヨークに住んでいる、という説明があるはずです。
    そして、アキラは、ニューヨークでホームステイをしていますという、ありがちな展開になっているはず。
    それがないのだから、アキラは家族とニューヨークに住んでいるのでしょう。

    段落を変えていないことからも、それはうかがえます。
    1つの段落には1つの内容を書くのが文章のルールです。
    だから、1つの段落の中で語られる家族は「ニューヨークに住んでいる」という情報の中にくくられます。

    英語の長文を読むには、まず単語力が必要です。
    そして文法力。
    わからない単語があっても、その単語の位置から品詞を特定し、見切る力。
    文の構造を把握して大づかみにしていく力。

    でも、それだけではダメで、もう1つの力が必要なのかもしれません。
    書いてあることを正確に読み取る力。
    書いていないことを勝手に読んだりはしない力。
    誤読しない力。
    変な行間を読まない力が必要です。
    それには、多くの英文を読み、誤読の癖があるならそれを客観的に指摘されて自覚しないと直せないでしょう。
    演習量の確保は不可欠です。

      


  • Posted by セギ at 12:18Comments(0)英語

    2018年01月26日

    英語のライティングは英語で発想しましょう。


    英語の4分野の能力、リーディング、リスニング、ライティング、スピーキング。
    英検2級の出題内容が2016年度から変わっています。
    従来の大問3の乱文整序問題がなくなり、代わって英作文が出題されるようになりました。
    与えられたテーマに沿って、80語から100語の英文を書きます。
    2016年度第1回日曜日実施問題のテーマは、オフィス・カジュアルについて。
    第2回日曜日実施問題のテーマは、化学物質を使わない農業について。

    何だか難しそうですが、実際の試験はもっと親切で、色々説明してくれています。
    例えば、第1回の問題では、
    「今日、従業員にジーパンやTシャツのようなカジュアルな服装を許可する会社もあります。
    そうした会社の数は将来増えると思いますか」
    これならイエスかノーかですから、意見が書きやすいですね。
    試験問題は、そう思う理由を2つ書きなさいとも指示されています。
    しかも、参考となるポイントも3つあげられてまいす。
    ビジネス・カルチャー
    快適さ
    ファッション
    このポイントは使っても使わなくても構いません。

    「英作文が苦手」と言う人は多く、あまりにも苦手なので2015年のうちに無理をして英検2級を取った生徒もいました。
    大学に内部進学するのに、英検2級取得が必須なためです。
    中学3年で英検2級を取得するほうが余程大変なんですが、「英作文が出題される」というのはそれほどショックだったのかもしれません。

    しかし、「英作文が苦手」と言う人が、本当にそんなに英作文が苦手なのかというと、どうもそうではない場合も多いように思います。
    学年相応に書く能力があるのに、英作文が苦手だと言う人もいるのです。
    自分の読む英語と比べて自分の書く英語が幼稚で見劣りがするため苦手意識にとらわれているのでしょうか。

    リーディング能力と比べてライティング能力が劣るのは普通のことです。
    母国語に関してもそうです。
    難解な論文も一応は読み通せるが、書く文章はそれより何段階も劣ったものになるのは仕方ないです。
    名文を書こうとしても仕方ない。
    わかりやすい文を書けば良いのです。
    そういうことを理解していることが客観性ということだよ、と思うのです。

    しかし、中学生や高校生はまだなかなか自分の能力について客観性を持てません。
    満点でなければならないという固定観念にとらわれている子もいます。
    だから、何を書いても△がついて返ってくるテスト答案にショックを受けてしまうのでしょう。
    そして苦手意識を持ってしまう。
    そういう場合があります。
    英作文で満点を取ることを目標として委縮し、結局何も書けないのはつまらないことです。
    英作文問題は、満点でなくても構わないんです。
    まず、そこから意識を変えられるといいなあと思います。

    英作文の何が△になってしまうのかというと、大きくは「文法上の誤りやスペルミス」と「内容」に別れます。
    文法上の誤りやスペルミスが多いほど減点されるのは当然で、それは英語力の問題ですから改善したいです。
    中学生や高校生に特に多いのは冠詞の欠落。
    可算名詞は単数形でむき出して使うことはありません。
    必ず冠詞か所有格か指示形容詞がつきます。
    平たく言えば、aやtheやmyやthisなどがつくか、そうでなければ複数形で使用します。
    これは単純な「和文英訳」問題でもミスの多いところです。

    もう少し根深いミスもあります。
    中学生や、英語があまり得意ではない高校生は、英作文の宿題を解くときに、辞書を引いて英文を書いてくることがあります。
    しかし、品詞に対する意識が希薄なので形容詞や副詞を名詞のように主語として使っていたり、接続詞を使わず文と文をつないでいたり、主語がなかったりします。
    何が書いてあるのか全くわからない奇妙な語順の英文を書いてきます。
    「これ、日本語から英語にしたでしょう?しかも、辞書を引きましたね?」
    と指摘すると、本人は努力してそうしたので、そこを非難されるとびっくりしてしまう様子です。
    品詞によって単語を使い分ける文法知識がないと、辞書を引いても正しい英作文はできません。
    日本語の語順・表現のまま英語に直しても、意味は通じません。
    英文として読み解くことが困難な、暗号のようになってしまい、
    「これ、何が言いたかったの?日本語で説明してくれる?」
    と私は質問せざるを得ないのですが、そう質問されると生徒はぶ然とし、なかなか答えてくれなかったりします。
    嫌味で言ってるわけじゃない。
    本当に意味がわからないから訊いているんだよー。
    ( ;∀;)

    例えば「環境問題」を語るのに、「環境問題」を英語で何と言うか、ど忘れした。
    そういうことなら辞書を引いて解決したら良いのですが、日本語の言い回しを辞書を引いて繋げただけの作文は、異形のものです。
    読むほうもつらい。
    本人の努力のわりに報われません。
    そうしたことを繰り返したあげくの挫折感から英作文が嫌いになってしまうのは、勿体ないし、哀しいです。
    もっと平易な、自分が自力で書くことのできる範囲の英語で十分なのです。
    そこから少しずつ書く能力を高めていったら良いのですから。
    お手本となるのは、中学の英語の教科書です。
    あんなに語彙が少なく、文法も易しいのに、環境問題も、戦争の災禍も、異文化コミュニケーションも、もう何でも説明しています。
    あの英文が書けたら、英検2級の英作文は満点でしょう。
    目指すところはあそこです。
    そんなに難しい単語は必要ないのです。
    中学2年・3年の英語の教科書は、だから捨てないで取っておいたほうがいいです。
    勿論、高校の教科書も。

    子どもは、親に「部屋を片付けなさい」と命じられると、真っ先に勉強関係のものを捨てる傾向がありますが、教科書だけはとっておいたほうが良いのです。
    なかには毎年春になると昨年度の教科書・教材を全部捨てる暴挙に出る子どももいますが、受験が終わるまで、教材は捨てるものではありません。
    都立入試のための社会科の勉強をしたいのに、地理の教科書や資料集・地図帳を捨ててしまって持っていない生徒、たまにいます。
    理科の復習をしたいのに、中1・中2の理科の教科書や参考書を捨ててしまって、どう復習していいのかわからなくなってしまう子もいます。
    慌てて受験用のものを買い直すのですが、ざっくりとしか説明していないので、細かいところが何だかよくわからず、モヤモヤとした受験勉強をしている子は多いです。
    わからないところを振り返りたくても、振り返る教材がないのです。
    中学入学の際に、小学生の頃の教科書や教材を捨てるのは、わかります。
    高校入学の際に、中学英語の教科書以外を捨てるのもわかります。
    でも、その途中で教材を捨てるのは、後で困るだけです。
    大学入学の際も、英語の文法参考書・単語集は取っておきましょう。
    大学に入っても、英語はありますから。
    他にも、進む学部学科によって、少し取っておいたほうがよい教材はあると思います。
    子どもに任せておくと本当に何でも捨てますから、部屋の大掃除も助言は必要です。

    話がそれました。
    英作文について。

    英作文への誤った思いこみや姿勢が直り、自力で英文を書くようになった子にも、さらなる困難はあります。
    これは国語の作文でも言えることです。
    そもそも、書くことがない。
    意見がない。
    何も思い浮かばない。
    そういう子も多いです。
    これが「内容」に関する課題です。

    そうした子のためにも英検2級の出題形式は有難いです。
    イエスかノーなら誰でも判断できますし、そう判断した理由も何かあるでしょう。
    そして、もし作文の課題がそういう形式ではなかったら、自分でそういう形式に直したらいい。
    これは、入試の小論文対策などでも、よく言われることです。
    漠然とした課題をイエスかノーかで答えられる問題にする。
    その内容について、イエスかノーかを明示する。
    その理由を述べる。
    それで十分合格点の作文を書くことができます。

    英検2級の英作文課題は、従来からある英検準1級の問題の指定語数が少ないだけです。
    もっと練習したいのに、まだ出題形式が変更されて2年なので、過去問の数が少ないなあと嘆く人は、英検準1級の過去問を買って、指定語数だけ変えて解いて、模範解答を参考にすると良いと思います。
    2級に合格したら次は準1級ですから、無駄になる買い物ではないですし。
    さらにもっと本気で対策したい人は、NHKのラジオ講座「ビジネス英語」はこうした話題を常に扱っていますから勉強になると思います。
    新しいものの考え方を、それをどう英語で表現するかも含めて書いてあるので、テキストを読むだけでも面白いです。


    今はパターンが変わりましたが、以前、子ども向けの英会話教室のラジオCMで、子どもが自分の作った3行の英文を発表する形式のものがよく流れていました。
    将来の夢を語るものが大半でした。
    例えば、
    「私は、将来ツアーコンダクターになりたいです。
    世界中を見てまわりたいです
    いつか、あなたは私の案内で外国を旅行するかもしれませんよ」
    そんな内容のものか幾通りも放送されていました。

    この3行の英作文、何通りもパターンがあったのにほとんど同じ構造なのが気になりました。
    3つ目の英文の変に気の利いた言い回しが、何種類か聞くとむしろテンプレート丸出しでした。
    ひな型に押し込めるだけの幼児英語教育であることを宣伝しているようで、逆効果じゃないのかなあ。
    聞く度にそう感じていました。

    ただ、ひな型が必要な子が多いのも事実です。
    英検2級の英作文も、この2年でたちまち対策がシステム化し、どのように書くかテンプレートが完成しています。
    これもまた大学受験の小論文と同じ流れです。
    受験産業とはそういうもの。
    何も書けない子を、型通りに何か書かせるようにして、受験会場へと背中を押すもの。
    だって、ほおっておくと、日本語を英語に写したままの意味不明の呪文を書いてしまうものなあ・・・。
    1つ目の理由と2つ目の理由と、自由気ままに混ぜこぜで書くからなあ・・・。
    合格点の英作文を書かせるには、書き出しを固定し、ひな形に押し込めるのが手っ取り早いものなあ・・・。
    そうやってテンプレートを教えると、作文の書けない生徒は喜ぶし安心するものなあ。
    ここから始めて、あとは自分の努力で肉づけしていこうね。
    自分の中にない英語は、どうやっても書けないからね。
    語彙を増やし、表現を豊かにするのは、受験のための対策ではなく、一生の勉強だから。
    何か苦いものを感じながらも、そのように思います。


    英作文に関しては、以前、こんなこともありました。
    あるとき、生徒の定期テスト答案を見ると、
    使役動詞を用いてひと続きの内容の3文を書きなさい」
    という出題がされていました。
    その子の答案は、文法ミスを直して復元すると、このような感じのものでした。

    My parents don't let me use their computer.
    Because it made me play video games for many hours.
    So I am careful not to use it.

    おお。使役動詞を2個も使っている。
    でも、採点した先生の評価は低かったのです。
    第2文、第3文は得点がなく、ほとんど直されていました。

    Because I can play video games with it for many hours.
    So I decide not to use it.

    先生の添削では、むしろ使役動詞は使われていません。
    生徒が書いた、
    「コンピュータが私にテレビゲームをさせた」
    「コンピュータを使わないように気をつけます」
    という表現が全て直されているのが興味深いです。

    1つには、それは英語的な発想ではない。
    論理構造がおかしい。
    無生物主語は英語によくあるとは言え、こんな言い方はしないでしょう。
    日本語としても、そういう表現は大人をイラッとさせる気がします。

    コンピュータが私にテレビゲームをさせた、じゃありませんよ。
    あなたが勝手に長時間やったんです。
    コンピュータは強制していません。
    それをコンピュータのせいにする自分の甘さを直視できていますか?
    コンピュータを使わないように気をつけます、じゃありませんよ。
    そのもってまわった言い方は、およそ英語的ではないですよ。

    そうした先生の怒りや心配が添削された英作文から感じられて、私には興味深かったのですが、その生徒に学校の先生の気持ちが伝わったかどうかは微妙です。
    本人の感想は、
    「テレビゲームって、ビデオゲームって言うんですね」
    でした。

    そこっ?(''Д'')


      


  • Posted by セギ at 12:46Comments(0)英語

    2017年12月06日

    受動態と日本語のリーディングスキルテスト。


    新聞やネットでご覧になった方も多いかと思いますが、先日結果の一部が発表された、中高生を対象に行われたリーディングスキルテストは、興味深いものでした。
    国立情報学研究所の研究チームが、2016年4月から2017年7月にかけて、全国の中高生約2万4000人を対象に行ったテストです。
    実際の教科書に載っている文章を生徒が正しく読解できるのかどうかを試すテストでした。

    例えば、こんな問題。

    仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。

    この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

    オセアニアに広がっているのは( )である。
    ①ヒンドゥー教
    ②キリスト教
    ③イスラム教
    ④仏教

    正解②
    正答率 中学生62% 高校生72%

    ほお。結構読解できているじゃないですか。
    ところが、次の問題になるとガクンと正答率が下がっています。

    問題
    メジャーリーグの選手のうち28%はアメリカ合衆国以外の出身の選手であるが、その出身国を見ると、ドミニカ共和国が最も多くおよそ35%である。

    この問題文を読んで、メジャー選手の出身国内訳の正しい円グラフを4つの中から選ぶ問題でした。
    ドミニカ共和国が約9.8%のグラフが正解です。
    正答率 中学生12% 高校生28%

    これは、しかし、読解というより数学力かもしれません。
    「割合」が苦手な中学生は本当に多いですから。
    0.28×0.35=0.098 
    の式をすぐに立て、計算して正答を導く子は少ないと思います。
    割合×割合 という式は、私立中学を受験する小学生でも立てられない子は多いです。
    これは大きな課題です。

    でも、今回、私が驚いたのは、この問題ではありませんでした。
    次の問題を読んでください。

    問題 Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。

    Alexandraの愛称は( )である。
    ①Alex
    ②Alexander
    ③男性
    ④女性

    正答①
    正答率 中学生38% 高校生65%

    あるいは、こんな問題も。

    問題 
    幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。

    上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。異なるか。
    1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。

    正答 異なる。
    正答率 中学生57% 高校生71%

    公開されている問題がまだ限られているので、正確な分析のはずもありませんが、これだけで判断すると、中学生はどうも「受け身」で語られることに弱いのでしょうか。

    どちらがどちらと「呼ばれる」のか、わからない。
    どちらがどちらに「命じられた」のか、わからない。
    受動と能動の区別がつかない。
    もしかしたら、そういう子が多いのではないか?

    英語の「受動態」は中学2年の最後、あるいは中3の最初で学ぶ単元です。
    解説すると、どの子も、大体は理解したような顔をします。
    しかし、その定着はかなり差がつく単元でもあります。

    問題 次の文を受動態に直しなさい。
    Mr.Nakata wrote this letter.

    「中田さんはこの手紙を書いた」という文です。
    受動態は、
    This letter was written by Mr.Nakata.
    「この手紙は、中田さんによって書かれた」となります。

    しかし、これを、
    Mr.Nakata was written by this letter.
    と書いてしまう子は、一定の割合で存在します。
    「いやいや。意味を変えないで書き直そう。その英語だと、中田さんはこの手紙によって書かれたという意味になって、気味わるいでしょう?」
    と説明しても、そういう子は、ポカンとしています。
    「・・・え?どういうことですか?」
    「だから、目的語と主語を入れ替えないと、同じ意味にならないでしょう?」
    「・・・え?この単語とこの単語を入れ替えればいいんですか?」
    「・・・・」
    入れ替えればいいという言い方は、単に操作上の確認をしているだけのように聞こえるのです。
    自分の誤答の何が問題なのか、本質がわかっているのかなあと不安になることがあります。

    問題の指示が不親切なのだという意見もあるかもしれません。
    「次の文を、文意を変えずに受動態に直しなさい」
    とすべきである、と。
    でも、わかる子は、わかるのです。
    出来上がった文が意味をなさない奇妙なものになるのを避けたい子は、正解します。
    なぜ、それを考えず、ただ機械的に受動態にする子がいるのだろう。
    英語の学習をしていて、文の意味というものを考えているのだろうか?
    言われた通りに単語を並べているだけなのか?
    そういう疑問を感じてしまいます。

    しかし、今回、リーディングスキルテストの問題の一部を見て、ああ、能動と受動の意味の違いを把握できない子が相当数いるのだと気づいて、目から鱗が落ちました。
    じゃあ、奇妙な受動態を機械的に作っても仕方ないかもしれません。
    意味が変わっていることに本人は気づかないのですから。
    能動も受動も、その子にとっては同じ意味で、おそらく、能動の意味しか把握できないのだと思うのです。

    母国語で区別がついていないものを、英語で理解できるわけがない。
    だから困難が生じる。
    そういうことなのかもしれせん。

    ただ、それならばなおさら、英語で受動態をしっかり学習することで、日本語にも受動の文があることを理解できる可能性はあるのだとも思うのです。
    日本語の文法を学習する意味も理解できるかもしれません。

    国語で文法を学習していて「そんなの知らなくても日本語は話せるし」と言う中学生は多いです。
    そういう子の多くは、日本語の文の主語・述語すら指摘できません。
    そのことは、英作文の能力に影響しています。
    「クラスの多くの男の子たちがやっているスポーツは野球です」
    という日本語を英文に直すとき、
    Class から書きだそうとし、その後が全く続かず万事休すという子に、私は問いかけます。
    「日本語で考えてみよう。この文の主語は?」
    「え?あ?男の子ですか?」
    「違います。主語は『スポーツは』だよ」
    「ええっ」

    日本語で主語が把握できると、英作文は易しいのです。
    上の文の書き出しは、The sport です。
    逆に、国語の文法がわかっていないと、構造の複雑な英文は上手く作れないんです。


    日本語の主語の見つけ方。
    まず、日本語の述語は、倒置法などの例外を除いて文末にあります。
    だから、述語はすぐに見つかります。
    そこから主語を判断します。
    日本語の文型は、主に、
    「何がどうする」(述語に動詞を使った文)
    「何がどんなだ」(形容詞・形容動詞を使った文)
    「何が何だ」(名詞・代名詞を使った文)
    の3通り。
    その文型から判断すれば、「何が」にあたる主語は見つかります。
    主語を見つけたら、英文は、その主語から始まります。
    あとは冠詞や前置修飾の修飾語の存在を判断して書きだしていくだけです。

    日本語の文法の知識が、英語の文法の理解を助ける。
    そして、英語の文法の理解が進むと、日本語の文法がわかってくる。
    その相乗効果はあると思うのです。

    ただ、上のようなことを、
    「理屈が通っていてわかりやすい。スカッとする。やっと英語がわかった」
    と感じてくれて、英語がグングンできるようになる子も多い一方、上のような話をしている限り、その先一歩も英語ができるようにならない子もいます。
    文法に対して信じられないほどの拒否反応のある子たちは、上のような話が大嫌いで、頭に残らないようなのです。
    文法なんかわからなくても、英語ができるようになる方法はきっとあるはず。
    そう考え、彷徨い始めます。

    上のような「ゴリゴリ、ガチガチの文法」を、文法なんか教えていない顔で教える方法を考えるべきなのか。
    理屈の嫌いな子に向けて。
    文法からアプローチできれば、英語は簡単なんだけどなあ。
    (*^^)v

      


  • Posted by セギ at 13:49Comments(0)英語

    2017年08月26日

    文章を読解できない理由。



    夏期講習に入り、高校3年生の英語の授業は過去問を使って実践的な演習を始めています。
    最近の5~6年の過去問はもう少し入試が近づいてから解きたいので、それ以前のものや受験する可能性のない学校の過去問を、この時期の演習には使用します。
    その中で、英語力にそんなに課題があるわけではないのに、共通して解けない問題があるのを発見することがあります。

    例えば、ある論説文。
    大体、こんな内容です。
    若者がイヤホンを使用し電車の中で音楽を聴いている光景も当たり前になった。
    他人に迷惑をかけずに電車内で音楽を楽しめるのは良い点ではあるが、彼らは、電車の中という公共の場でも他人と接触することがなく、それぞれに孤立している。

    このような文章に関しての、第1問。
    「筆者は、電車でイヤホンを使用することの利点は何であると述べているか」
    これは四択問題で、正解は、
    「他人に迷惑をかけずに音楽を楽しめること」
    という選択肢なのですが、この夏、この問題を解いた3人が3人とも間違えて次の選択肢を選んでしまいました。
    「電車の中でも他人と接触せずに済む」

    ( 一一)
    筆者はそれをむしろ否定的に書いています。
    しかし、生徒たちはそれを利点と感じるせいなのか、そのひっかけに見事に騙されていました。

    また別の英文。
    それは、仕事と余暇に関する文章でした。
    以下のような内容です。
    週休2日制が普及し、以前と比べて余暇の時間が増えている。
    しかし、余暇の時間を持て余している人も多い。
    従来、余暇は仕事をより良いものとするための休息の意味合いが大きかった。
    生活において仕事が第一であり、余暇は仕事を能率的にこなすための休息であった。
    しかし、近年、生活の中心は家庭であったり趣味であったりとする考え方が生まれている。
    そうした考え方においては、余暇は仕事のための休息ではない。
    だが、従来の仕事中心の考え方に影響されている人もまだ多い。
    そうした人たちは、余暇の時間に遊ぶことに罪悪感を覚えることがある。
    だから、余暇を仕事に使ってしまったり、余暇の時間に別の仕事を探してしまったりする。
    仕事と余暇とのバランスをもっと考えていくことが必要である。

    この文章に対する最後の設問。
    「筆者がこの文章で最も述べたかったことは何か」

    正解は、
    「仕事と余暇とのバランスをもっと考えていくことが必要である」
    という選択肢です。
    しかし、生徒たちが選んだのは、
    「近年、ますます余暇が増えている」
    という選択肢でした。

    ・・・いやいや、それは単なる事実で、筆者が最も言いたかったことではないです。
    ( 一一)



    なぜ、ここを間違えてしまうのでしょうか。
    1人正解できない人がいたというだけなら、その子の読解力の問題ですが、さまざまな英語力の3人が3人とも、同じところで間違えるとなると、何か他に理由があるのかもしれません。

    これは、国語においても言えることだと思うのですが、彼らは、文脈を正確に追わず、主観で文章を読んでしまったのではないかと思うのです。
    イヤホンの件で言えば、筆者が否定的に述べていることが、自分にとっては魅力的なことだったので、否定的にとらえることができなかったのではないでしょうか。
    仕事と余暇のバランスに関する文章は、自分の生活や考えとかけ離れていて、筆者の言っていることが理解不能だったので、そこを避け、自分が理解できる選択肢しか選べなかったのかもしれません。


    それで思い出したのは、この夏、中3の夏期講習で国語の読解をしていたときに、本文中のいくつかの傍線部を「事実」と「意見」に分けるという比較的単純な問題を正答できない生徒もいたということです。
    学力的には問題のない子です。
    申し分ない学力の子が「事実」と「意見」を区別できないことに私は内心驚いたのですが、そもそも、そのような観点で文章を読んだことがないのかもしれません。
    筆者の意見と自分の意見、あるいは意見と事実とを区別できないまま、曖昧な状態で文章を読んでいるのでしょうか。

    もっとテクニック的に、文章中のA内容(世間の常識的な概念)とB内容(筆者の考え)とをサクサク対比して、選択肢をザクザク消してさっさと正解を出していく国語読解法を指導しようと思っていたのですが、ああ、この子たちはもっと手前だと感じました。
    文章を読んだ経験がとにかく足りない様子です。

    しかし、そういう話になると、「本をもっと読みましょう」という結論になりがちです。
    それは勿論悪いことではないのですが、そういうときの「本」は、たいてい物語や小説で、文章の構造そのものが違いますから、上にあげたような論説文は読み慣れないままとなる可能性が高いのです。
    小説も読めない子なら、まず小説から読めばいいでしょう。
    しかし、学力が高い子は、小説ならまあまあ読解できる子が大半です。
    問題は、論説文が読めないこと。
    そんな文章、どこで読めばいいのでしょうか?
    学校の図書室を探しましょうか。
    あれ?
    学校の図書室に論説文なんてありましたっけ?
    誰が書いたどんなタイトルの本が論説文なんでしょう?

    模試や入試に出題される論説文は、新聞や雑誌に掲載されたものが大半です。
    評論集としてまとめられているものもあるでしょう。
    しかし、生徒はそういうものに触れる機会がほとんどありません。
    読もうと思っても、どこに載っているのかわからないのです。
    ですから、論説文を読むには、論説文の問題を解くのが一番手軽で確実です。
    日常的に国語の論説文問題を読み、解いていくことで、論説文の読解力がついていきます。
    普段読んだこともなく、解いたこともないから、たまに模試や入試で解こうとしても、どう読んでいいかわからないのですね。


    ところで、国語の場合は物語文は得意だが論説文は苦手という子が多いですが、英語になるとそれが逆転しがちなのも面白い傾向です。
    英語の場合、論説文なら読み取れるのに、小説やエッセイになると、何が書いてあるのかわからなくなる子は多いです。
    近年、大学入試の英語問題に小説が用いられることは少なく、実用的な英文を読み取れることが第一とされてはいますが、たまに英語で物語文を読むと、ある程度の英語力のある子でも、内容をほとんど読み取れないことがあります。
    ユーモラスな文章、ジョークを交えた文章は特に読み取れない様子です。

    例えば、こんな文章。
    オーストラリア出身の若者が、ロンドンで生活しています。
    ガーデニングで庭に穴を掘っていると、近隣の人に声をかけられます。
    「プールでも作っているのかい?」
    「いや、故郷に帰ろうと思ってね」

    問題 この若者の返答の意味を面白さがわかるように説明しなさい。

    この問題に正答できた生徒は、今のところ1人も存在しません。
    正解を説明してあげても、それの何が面白いんだという顔をしています。

    その他にも、英語で書かれた小説やエッセイは、例えばヨットでサルが暴れていたり、日本人なのにネイティブ・アメリカンと間違われ続けたり、屋根裏部屋に幽霊が出たり、頭の中に空洞があることに気づいたりと、生真面目に英文を読んでいる高校生ほど書いてあることが理解不能であるらしく、なかなか正答できない様子です。
    英語で書いてあることは真面目なことだと思いこんでいるのかもしれません。
    英語で読むだけでもハードルが高いのに、書かれてあることが予想外に突飛な内容だと、自分が正しく読み取れている自信が持てない。
    英語はもっとありがちな、環境問題とか、異文化コミュニケーションの大切さとか、そういう教科書に載っているような内容が書いてあるほうが読みやすい。
    ・・・わかりますけれど、少し頭の硬い考え方だなあとも思います。
    結局、それも、英文を読んだ経験が不足していることが最大の原因なのでしょう。

      


  • Posted by セギ at 17:55Comments(0)英語

    2016年11月11日

    英文法が苦手な子。


    高校生と「分詞」の学習をしていたときのことです。
    例えば、下のような( )の語を適切な形に直す問題。

    Do you know the man (sit) on the bench ?

    分詞の限定用法の問題ですね。
    中学では「分詞の形容詞的用法」という言い方で学びます。
    分詞が名詞を修飾する用法です。
    修飾される名詞 man が sit という動作をするのですから、現在分詞 sitting が正解です。

    Ken showed me some pictures (take) by his brother.

    修飾される名詞 pictures は take という動作をされるのですから、過去分詞 taken に直します。

    ここまでは中学の復習。
    その子の学校の教科書の練習問題で復習しても、順調に正解していました。
    そこから先が高校の「分詞」の学習。
    分詞の叙述用法に進みました。
    SVCやSVOCのCに分詞を用いる用法です。

    ここでも現在分詞と過去分詞の使い分けが課題です。
    SVCの場合は、Sが動作主ならばCは現在分詞。
    Sが動作される側ならばCは過去分詞。
    SVOCの場合は、Oが動作主ならばCは現在分詞。
    Oが動作される側ならばCは過去分詞。
    「動作主」という言葉は厳密には古文で使用する用語ですが、便利なので私は英語の授業で使っています。

    文法が得意な子にとっては、明瞭でわかりやすいルールです。
    例外的なことを1つ1つ覚えるのは大変ですが、英語はこういう大きいルールが広く適用されるので学びやすいですね。

    しかし、その子は文法が苦手です。
    説明するだけで覚えるタイプではないので、何度もルールを復唱してもらい、その後、練習問題を解きました。

    He kept (knock) on the door until I opened it.
    その子の答えは knocked でした。

    「・・・・え?何で?」
    文法を正確に復唱できるまで何度も練習したのに、何で?
    「door はノックされるから・・・・」
    「・・・・え?」

    限定用法の話はさっき終わり、叙述用法だよと言ったのに、何でその話に戻るんだろう?
    ( ;∀;)
    door は、直前・直後の名詞ではないから、分詞に修飾される名詞ではありません。
    「・・・・knock の直前の単語は kept だし、knock の直後の単語は on だよ。door は随分離れている。関係ないよ」
    「あ・・・」
    「・・・・knock が door を修飾するんだったら、語順は the knocked door になるよ」
    「・・・・・」

    文法が苦手な子に英文法の授業をしていると、上のようなことが起こりやすいのです。
    教えたことが上手く伝わっていきません。
    上の例は、相手が何をどう誤解したのか明確だったので改善の可能性があり、まだ明るい光は見えているのですが、普段はもっと不可解なミスの繰り返しです。
    ミスの原因を生徒が言語化できない場合が多く、なぜそこを間違えるのか理解できない場合がしばしばあります。

    もう一度その子の学校の教科書に戻り、文法を確認してから教科書の練習問題を解くと、それは全部正解できました。
    「教科書の問題は正解できるね」
    「これは、答えを覚えているから・・・・」
    「え・・・・?答えを覚えている?」
    「復習したっていう意味ですよ」
    「・・・・私は何回解いても、問題の答えなんか覚えないけど?」
    「・・・・・?」
    「何でそんな意味のないことを覚えるの?」

    文法は覚えないのに、何で答えを覚えるの?
    (''Д'')

    愕然として、私は悟りました。
    文法が苦手な子は、そういう勉強をしてしまうのか・・・・。
    なぜ英語が得意にならないのか、その一端が垣間見えた気がするのです。
    いや、英語に限らずなぜ勉強が得意にならないか。
    努力をしているのは伝わってくるのに、なぜ結果が出ないのか。
    その一端が見えた気がしました。

    うちの塾で今、英語が最も得意な子は、90分の授業時間の中で、問題のぎっしり詰まったテキストや確認テストを毎回平均12ページ解いて帰っていきます。
    30分あたり4ページ。
    答え合わせの時間もありますから、1枚解くのに5~6分というところでしょう。

    この春、国立大学に合格した子は、1冊40ページのテキストを丸ごと宿題に出しても翌週全部解いてきていました。

    このあたりがトップクラスの実力です。

    しかし、英語が苦手な子たちのスピードはガクッと下がります。
    上に書いた高校生は、最初にいろいろ説明しなければなりませんし、間違えているとさらに説明する時間も長くなるのですが、演習スピード自体も遅く、90分の中で結局1ページしか解けませんでした。
    そしてその1ページの問題の答えを覚えることが、その子にとっての復習なのだとしたら・・・・。

    12ページと1ページ。
    塾だけで12ページ解く子が、問題の答えを覚えているかといったら、覚えているはずがありません。
    いちいち答えを覚えていられるような量ではありません。
    余程印象的な問題が含まれていたら別でしょうが、翌週同じプリントを渡しても、同じだと気づかず解き終わるかもしれません。
    学習した文法にしたがってサクサク解いているだけだからです。

    教科書の重要例文ならば日本語訳から復元できます。
    そういう練習はしています。
    でも、教科書の問題の答えは覚えていないでしょう。
    何度解いても正答できるでしょうが、それは、答えを覚えているからではないでしょう。

    その子は反論しました。
    答えだけ覚えようという気持ちではない。
    復習すると自然に答えを覚えてしまうのだ。
    それでも、「その勉強のやり方は変えなさい」と言わざるをえません。
    その子は、類題で正答できないのですから。
    教科書の問題の答えは覚えたれど、もっと重要なことを覚えていないのです。
    その問題を解く中で抽出し理解するべき文法を把握できていません。
    答えを覚えてしまうくらいに数少ない問題をねっとり見つめ続けることが文法把握につながっていないのです。

    有効なやり方は正反対のものでしょう。
    教科書の問題の答えは覚えていないけれど、文法は覚えた。
    多くの問題練習でその文法を実践できるようになった。
    だから、教科書の問題は何度解いても正答できる。
    他の問題も正答できる。
    定期テストの問題も正答できる。
    入試問題も正答できる。
    文法の勉強はそういうふうにやっていってほしいです。

    中学で英語が苦手だった男子に多いですが、「英語って文法だよ」「理屈で斬っていけるものだよ」と理解できるとロケット並みの成績上昇を見せることがあります。
    英語のシステムは理解しやすく明瞭で好ましい。
    こういう感覚になれば、あとは単語・熟語さえ覚えればどうにでもなるとわかりますので、覚えることにも抵抗がなくなります。
    そういう方向に転換できるといいなあ。

      


  • Posted by セギ at 14:50Comments(0)英語

    2016年07月14日

    英訳と和訳と。


    先週、高校生の英語の期末テスト対策をしたときのことです。
    テスト範囲に日本語の詩を英訳されたものがありましたので、ひと通り一緒に読むことになりました。
    私は読んでいて面白い内容だったのですが、生徒は浮かない顔をしています。
    「どうしたの?」
    と問いかけると、
    「私が知っているのと、この訳が違うから、違和感が・・・」
    と言うのです。
    ほお?
    確かに、こんなに有名な詩なら幾通りもの英訳が存在するのかもしれません。
    そのどれか1つを以前に読んだことがあって、それとの違いが気になるのかな。
    それにしても、良い勉強をしているものだなあ。

    私は答えました。
    「英訳は色々な種類があるでしょう。和訳もそうでしょう。最近、『秘密の花園』の新訳が新潮文庫から出たよね。慣れている訳もいいけれど、現代にふさわしい新しい訳も良いね」
    「あ。そうなんですか?出たんですか?」
    とかみ合った会話をしているような印象が最初はありました。
    この子も高校生になり、手応えのある会話ができるようになったなあ。

    しかし、よくよく聞いてみると、その子の言う「私の知っているの」は単に、日本語のもともとの詩のことなのでした。
    自分の知っている日本語が英訳されていることに違和感を感じただけだったのです。
    何だ、そうかあ・・・・。
    思ったよりもずっと子どもっぽい違和感です。
    しかし、それは私が先走りし過ぎただけで、そんなことでがっかりされたら生徒が迷惑ですね。

    英語から日本語に直すときも、それが文学作品ならば、訳す人の言語感覚で色々な訳があり得ます。
    日本語の詩を英語に直す場合も当然そうです。
    そういう話をしているのだと私は思ったのですが、まだまだ高校生はそんな次元でないのも仕方ないでしょう。

    一方、受験英語としての和訳は文法的に正確に訳すことが第一で、文学性は関係ありません。
    とにかく文法的に正しく構造をつかんだ直訳をする。
    それが日本語として不自然な場合にのみ、意訳をする。
    この鉄則で訳していきます。
    小説を読むのが好きな子の中に、自分の和訳がバツになるのは学校の先生とセンスが違うからと誤解している子がたまにいますが、和訳は文学センスの問題ではなく語彙と文法の問題です。
    その子の和訳がバツになるのは、文法的に、主に修飾関係が間違っているからなのですが、そういうことは1つ1つの誤答がなぜ誤答であるか分析してもらえないと把握できないことかもしれません。
    模範解答と自分の解答を見比べても、文意にばかり目がいって、自分の和訳の何が誤答なのか自分では分析できない高校生は多いです。
    「言ってることは同じじゃん!」
    と文句を言うんですね。
    しかし、そういうことではないのですよ。

    ともあれ、面白かった英訳 Strog in the Rain を以下に引用します。
    アメリカ出身のロジャー・バルバース(作家・演出家)の訳です。
    テスト問題としては出題しにくいので、期末テストには出なかったろうと思いますが。

    Strong in the rain
    Strong in the wind
    Strong against the summer heat and snow
    He is healthy and robust
    Free from desire
    He never loses his temper
    Nor the quiet smile on his lips
    He eats four go of unpolished rice
    Miso and a few vegetables a day
    He does not consider himself
    In whatever occurs ... his understanding
    Comes from observation and experience
    And he never loses sight of things
    He lives in a little thatched-roof hut
    In a field in the shadows of a pine tree grove
    If there is a sick child in the east
    He goes there to nurse the child
    If there's a  tired mother in the west
    He goes to her and carries her sheaves
    If someone is near death in the south
    He goes and says, 'Don't be afraid'
    If there are strife and lawsuits in the north
    He demands that the people put an end to their pettiness
    He weeps at the time of drought
    He plods about at a loss during the cold summer
    Everybody calls him Blockhead
    No one sings his praises
    Or takes him to heart...

    That is the kind of person
    I want to be

    そういうものに、私もなりたい。

      


  • Posted by セギ at 13:05Comments(0)英語

    2015年03月06日

    英語教科書と平和教育



    桜便りが待たれる項。
    上の画像は、去年の桜です。

    今日は、英語教科書の文章の話。
    中学や高校の教科書に載っている文章を、改訂される度に私は楽しみに読んでいます。

    記憶に残るもので言えば、
    戦場カメラマンが撮影したベトナム戦争の写真にまつわる話。
    ユダヤ人6000人の「命のビザ」の話。
    メジャーリーグ初の黒人選手の話。
    東京でホームレス生活を体験したことを踏まえて、フードバンク・ビジネスを起業した話。
    新聞や雑誌で話題になったことが、すぐに次の改訂時に取り込まれて興味深いです。

    英語教科書によく載っている話の1つに、地雷にまつわるものがあります。
    これは、何度改訂されても、また同じ話が載っていたりします。
    地雷の被害に遭った現地の人の話。
    ボランティア活動中に被害に遭った人の話。
    同じエピソードが高校生向けに書かれていたり、易しい中学英語に書き直されていたりもします。

    どの話も、戦争の悲惨さを語っています。
    でも、地雷の話は、どうしても遠い世界の出来事という印象があります。
    地雷を自分の問題としてとらえられないのは、私の感性の問題だと言われたら仕方ない。
    でも、私が感じとれないものを、普通の中学生・高校生が感じ取れるとは思えないんです。

    地雷に賛成する気持ちなんて、誰ももたないでしょう。
    地雷は良くない。
    でも、それだけです。
    「地雷は良くないと思います」
    そういう感想を持つだけで、そこからは思考停止です。

    それは、あまりにも、遠い。
    内戦が続いた遠い国の話。
    可哀想だ、ひどい話だ、と思うけれど、そう思うだけで終わってしまうのです。

    いろいろな教科書で別バージョンの同じ話を読むせいもあって、だんだんと、
    「ああ、はい、地雷の話ですね」
    と、事務的に処理してしまう気持ちさえ生まれてきます。
    それはあなたの感覚がおかしいと言われたら、確かにそうなのですが。

    地雷に関しては、1つ重要な情報があり、多くの教科書はそこに踏み込んでいません。
    「遠い国の悲しい話」でただ終わってしまうのは、そのせいもあるのではないかと思います。

    しかし、昨年、ある教科書の文章を読んで、ああ、この踏み込み方は凄いと感じました。

    例えば、地雷によって両脚を失ったカンボジアの男性が日本に立ち寄り、学校や政府に地雷撲滅キャンペーンの支援を求めるところを描いた文。

    His words touched the hearts of people all over Japan , who had not been aware that until that year their own country, too, was one of 50 countries producing and exporting as many as 5 million of these hidden weapons of terror every year.

    「彼の言葉は、日本じゅうの人々の心を打った。日本の人々は、その年まで、自分たち自身の国も、毎年500万個もの、この隠されたテロの武器を作り輸出している50の国々の1つであると、気づいていなかった」

    また、緒方貞子さんの言葉も、そこには引用されています。

    "In my view," she said , "there is little difference between those who use them and those who produce them."She even went so far as to call producing and usig them "a crime against humanity."

    「私の考えでは」と彼女は言った。「地雷を使う人々と、地雷を作る人々との間に、違いはほとんどない」 彼女は、地雷を作り使うことを「人間性に対する犯罪」とまで言った。 

    これは、プログレスという英語教科書です。
    中高一貫校で使われることが多い、文科省は認定していない教科書です。
    学習内容のレベルが高く、文科省のプログラムを無視していますから、最初から認定されることを目的としていません。
    だからこそ、この文が堂々と掲載されているのかもしれません。

    文科省認定を目指している教科書にこの文章が載っていたら、削除を要請されるかもしれません。
    読みようによっては、不穏当ですから。
    地雷問題における日本の責任。
    この文章は、読む生徒たちに、それを突きつけます。

    地雷を日本の会社が作っている?
    どこの会社が作っているの?
    今も作っているの?
    なぜ、そんなものを作るの?
    そもそも、それは本当のことなの?

    そうした疑問を抱くことで、国際社会への目が開かれるかもしれません。
    世界の中での日本の立場や、豊かさとは何かということを考えるフックになりえます。
    たった1つの情報が入るだけで、地雷問題は、遠い国の悲しい話ではなく、私たちの問題になります。
    心が、頭が、動き始めると思うです。
    これは、高校生に読んでほしい。


    とはいえ、現実の高校生とこの文章を読んでいると。
    「・・・・・凄いことが書いてあるねえ」
    感心している私の前で、生徒は頭を抱えます。
    「センセイ、どこがどうなってそういう訳になるのか、わかんない」
    「え?」
    「内容が頭に入ってこない」

    国際問題や平和問題を考えるためにも、まずは英語力を。
    ( ;∀;)

      


  • Posted by セギ at 13:19Comments(0)英語