たまりば

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2018年06月20日

英単語をどうやって覚えるか。


単語さえ覚えられれば英語は何とかなるはずなのに、単語が覚えられない。
そういう悩みをもつ高校生は多いです。

ただ、苦言を呈するならば、「覚えられない」とギブアップするほどの努力をしているかというと、大抵はそれほどの努力はしていません。
現実には、ほとんど何もしていない子のほうが多いと思います。
「覚えられない」「覚えられない」と嘆くばかりで、努力が伴わない子が多いのです。
英語が苦手な子ほど、英語にかけている時間は少ないです。
毎日英語を勉強している子はほとんどいないでしょう。
週単位でも、英語の勉強に使っている時間は、週1~2時間ではないでしょうか?
それで「単語が覚えられない」と嘆いているのが現実です。
確かに、それでは覚えられないと思います。
とりあえず、毎日1時間英語を勉強し、しかもその半分にあたる30分は単語暗記に集中するなら、その方法が多少効率の悪いものであっても、今よりは確実に前進するでしょう。

しかし、それがわかっていても、実行に移せない子が多いのです。
英語だけに毎日1時間なんて、そんな時間があるわけがない。
他の科目の勉強もあるのに、そんなバランスの悪いことを言われても・・・。
本人は本気でそう思い、自分が間違っているとは疑いもしません。

スマホをいじる時間を英語の勉強をする時間にスライドするだけで、1時間くらいは作れます。
その他にも、よく考えたら大して面白くない動画を見ている時間、単なる暇潰しでゲームをしている時間など、無駄に使っている時間はすぐに見つけられるはずです。
他の科目の勉強を圧迫せず、新しい時間を1時間作り出し、それを英語の勉強にあてることができます。

しかし、「時間を作る」という話を聞くと、それだけで疲労感を覚える子もいます。
そういう、計画的なきちんとしたことが基本的に嫌いな子もいます。
それは、大人も同じかもしれません。
今、これを読んでいらっしゃるのが、お子さんが英語が苦手で困っている保護者の方であるなら。
お子さんの英語力を伸ばすために、まず自分の英語力を伸ばす、自分が英語を勉強する時間を毎日1時間作るという話を実行に移せるでしょうか?
多種多様な理由づけとともに、その案は「却下」ではないでしょうか?
子どもだって同じこと。
やらない理由はいくらでもあるのだと思います。
なぜやらないのだろうか?
自分がやらない理由を冷静に分析することで、子どもがやろうとしない理由も分析できるかもしれません。
それが解決に役立つかもしれません。


単語暗記ができない子は、上に書いたように、その時間を作っていなかったり、単調な暗記の作業に飽きて長続きしなかったりする場合がほとんどです。
しかし、中には、暗記することが本当に苦手な子もいます。
暗記が苦手な子は、暗記するときに頭にかかる負荷を嫌う傾向があります。
頭に負荷がかかって苦しい、つらい、と言うのです。
「頭を使うと、頭が重くなるから嫌い」
「頭を使うと、脳細胞が潰れている気がする」
暗記が苦手な子がこのように発言するのを私は授業中に幾度が聞いています。
小学生もいましたが、高校生の中にもこの発言をする子がいました。
少し奇異に聞こえる発言です。

そういう子に対して、何て愚かな発言だろう、そんなことだからダメなんだ、と全否定することもできます。
ですが、頭を使うことに対しての発言だから奇異に感じるだけかもしれません。
これが息切れの場合、わりとよくある感覚なのではないかと思うのです。

例えば、ランニングや山歩きなど。
好きな人は大好きなのですが、忌み嫌う人も多いです。
その根本は「息切れ」することへの嫌悪ではないでしょうか。
息切れするのは苦しい。
苦しいことは嫌い。
息が切れると心臓が止まるような気がする。
息切れするようなことをする人の気が知れない。
スポーツが嫌いな人のこういう感覚をそのまま勉強にスライドすると、「頭を使うと脳細胞が潰れる」という発言と同じなのではないかという気がします。

息切れすることが嫌いな人にスポーツを習慣的に行わせることの難しさを思うとき、頭を使うと脳細胞が潰れる気がして頭をフルに使えない子に暗記をさせることの絶望的な難しさが実感できます。
相手は、頭を使うことそのものを恐れています。
しかも、これは幼い小学生の発言ではありません。
高校生がこれを言っているのです。
ものを考えたり暗記したりすると脳細胞が潰れると、高校生が本気で言っているのです。
勉強すると自分の脳はダメージを受けると感じています。
使えば使うほど頭はよくなると言葉で説明しても信用しません。
ちょっと運動するとゼイゼイ息切れして苦しそうな人に、やっていけば慣れるとか、続けることで心肺能力は鍛えられるとか言っても心に響かないのと同じことでしょう。
これは難しい・・・。

身体を動かすことが好きな人は、「息切れするから運動は嫌い」と言う人の気持ちは本当にはわからないと思います。
なぜそんなにも息切れにこだわるのか、まずそこが理解できないと思うのです。
息切れするのがなぜそんなに嫌なの?
そんなことより、スポーツには楽しいことが多いから、息なんか切れても別にいいじゃない?
気にしていることのポイントがおかしくない?
そう感じると思います。

それと同じで、頭を使うことが好きな人は、「考えたり暗記したりすると頭に負荷がかかるから嫌い」という人が、なぜそんなにも頭への負荷にこだわるのか、そこが理解できないでしょう。
頭を使うことは楽しいことだから、頭への負荷なんか別にいいじゃない?
そう思うでしょう。
スポーツと勉強と、結局のところ構造は同じで、それを苦痛に感じている人は、気にしているポイントがズレているのかもしれせん。
でも、本人にとっては実感を伴う、切実なことだとも思うのです。

そこが永遠にわかりあえない壁で終わるのか。
それとも、楽しさ、良さを伝えることができるのか。
本人が楽しさに気づくことができるのか。

振り返ると、私も息切れするのが大嫌いな子どもでしたが、今、毎週のように息を切らして山を歩いています。
人の意識は何かの拍子に簡単に変わります。

とりあえず、少しでも結果が出ることが、楽しさの発見につながるはずです。
結果が出るまで、続けること。
結果が出るまで、諦めないこと。

英単語の暗記は、多少は能率的な覚え方もありますが、結局はかなりの努力が必要です。
市販の単語集は、どれもよくできています。
学校が指定したもので構わないですし、そういうものがないのなら、書店に行って、自分が見やすい、覚えやすそうだと感じる単語集を何でも購入したら良いと思います。
音声教材も併用するほうがいいに決まっていますが、そうすることに対して敷居が高いなら、まず単語集だけでもいいはずです。
とにかく覚える時間を作ることが最初の一歩です。
それをせず、簡単に覚えられる方法ばかり探しているこの1日が無駄に過ぎていくことを惜しみましょう。
手元にあるどんな単語集でも、それを使ってまず覚え始めましょう。
そして、とにかくひと月、毎日続けてください。
毎日30分、ひと月続けて、多少なりとも結果が出ないはずがないと思います。
結果が出ないのは、結果が出る前に途中でやめてしまうからなんです。
  


  • Posted by セギ at 14:45Comments(0)英語

    2018年06月15日

    リスニング力を鍛えるには。




    今日はリスニングの話です。
    リスニングが苦手とひと口に言っても、さまざまな場合が考えられます。

    まずは、そもそも英語を聴いた経験が不足している場合。
    日常の学習であまり英語を聴いていない子です。
    教科書本文を収録したCDを持っていても、封も切りません。
    NHKのラジオ講座が良いと勧められても、聴こうとしません。
    学校の英語の授業で、教科書本文のCDを皆で聴く時間さえ、それを聴いていず、ぼんやりしている子もいます。
    その子の知っている英語は、その子が自分で音読するカタカナ英語が全てになり、本当の英語とは乖離があります。

    そうした生徒は、少し英語を音読してもらうとわかります。
    全て自分の間合いで、知っている単語はハキハキと発音し、読みにくい単語は、その前に長い間を置いて、ためらいながら読みます。
    英語特有の強弱もイントネーションも無視です。
    自分のそうした英語を常に自分が耳にし、フィードバックしている。
    それがリスニング問題で本当の英語を聴き取るのに大きな障害となります。
    本人の頭の中にある英語と本当の英語とは全く違う音のつながりとして聞こえるのです。
    これは発音の悪さとはまた少し違う話です。
    正しい音を聞き分けられてはいるけれど、それを自分で正確に再生できないということは、英語のネイティブでない限り、大なり小なりあります。
    そうではなく、全体のイントネーションとして英語らしい音のつながりを理解しているか。
    英語のイントネーションがわかっているか。
    リスニングには、これが重要です。

    まずは本物の英語を聴くこと。
    教科書本文のCDでも、ラジオ講座でも。
    ところが、ただ聴くだけの学習は、本当に長期間の反復があって初めて効果が得られるものなので、効果を実感できる前に止めてしまう人が大半です。
    ひと月くらいで効果が出ると期待してしまうのでしょう。
    おそらく、ただ聴くだけですと、3年から5年後に、以前よりは英語が聴きとれるようになっていたという程度の効果だと思います。
    他の学習と併用しないと、結果につながりません。

    ただ聴いていると、途中でぼんやり考えごとをしてしまったり、果ては「英語も聴いているからいいでしょう」とスマホをいじりだしたりする子もいます。
    それでは、効果は得られません。
    集中して英語と接するにはどうすればいいか?

    英語の歌に接するのは効果的な方法の1つですが、どんなに効果的な方法も、効果をゼロにする特殊能力を持っているのが英語が苦手な子どもたちです。
    10代が持つ大人への反発心がそれを助長します。
    「うちの英語の先生、ビートルズが好きでさあ。授業中までビートルズをかけるの。バカじゃね?」
    「あー、うちの英語の先生は、カーペンターズ。うぜー(笑)」
    といった会話を幾度聞いたことか。
    私より若い学校の英語の先生たちが、自分が好きだから生徒に押し付けるほどビートルズやカーペンターズが好きだとは正直考えにくいのです。
    私ですらその世代ではありません。
    音楽史的な価値から敬意は抱いていますが、自分が本当に好きな音楽ではない。
    しかし、そんなことは子どもには通じないようです。
    文法や単語が比較的易しい歌詞の英語の歌だから生徒に聴かせているのだと、理解できないのでしょう。
    学校の先生は、少しでも英語に興味を持ってもらえるよう授業の工夫をしているのにまともに聴かず、効果ゼロにしてしまう残念な子は多いです。

    では、リスニングのためにはどんな練習が効果的か。
    「シャドウイング」という方法があります。
    英語の模範音読にあわせて、自分も音読するのです。
    影のように。
    自分がネイティブの英語と違うところで変な間を空けたり、逆に間を空けるべきところで変に急いでいることが、シャドウイングをしてみると実感できます。
    1語を読む長さの違いに気づき、いちいち母音+子音を強調する自分のカタカナ英語とネイティブの英語との根本の違いにも気づくでしょう。
    そもそもネイティブの音読が速くてついていけないということも、やってみて初めて実感できる人もいると思います。
    そうした場合、スピードをゆっくりに変えられる機能を持ったプレイヤーがあるとさらに便利です。
    徐々に慣らして、ネイティブのスピードでシャドウイングできるようにしていくことができます。

    リスニング対策に音読練習?
    そう不思議がられるのですが、英語を聴きとることを阻害していることの1つは、自分の癖の強い音読に凝り固まってしまった英語音声への誤解です。
    癖になって凝り固まっている自分の英語のリズムをシャドウイングによって矯正できます。
    読み方の癖がそのまま聴き取り方の癖になっているのを矯正します。

    「シャドウイングだと、正しい英語の音が自分の声で聴きとれないから発音練習にならない。リピートがいい」
    と、反発し、シャドウイングを行おうとしない人がいるのですが、発音練習が目的ではないのです。
    シャドウイングをしていて、「自分の声が邪魔だ。英語の正しい音が聴きたい」と思ったら、それはまた別に聴けば良いと思います。
    そういう気持ちになり、英語の細部の音を聴こうとする意志が持てたことも、シャドウイングの効果の1つでしょう。
    リピートはリピートで別の効果もありますが、模範音読の真似をしているつもりで、イントネーションの全く異なる読み方をしていてもそのことに気づかないことがあります。
    リピート練習が惰性になってしまっているときは特に。
    シャドウイングは、読み方の間合いが模範と異なることを如実に自覚できるという点で、自学自習に最適の学習方法です。
    誰に指摘されなくても、ズレていることは明らかなのですから。

    そうやって、とにかく英語の音とイントネーションに慣れた上で英語を聴くと、短期間で今までよりも英語を聴きとれるようになります。
    しかし、当たり前ですが、単語力がないと、リスニングは難しいです。
    どんなに英語耳を鍛えても、知らない単語は意味を取れません。
    学校の教科書の英文を読んだときに、新出単語以外でも意味のわからない単語がゴロゴロある状態では、該当学年のリスニング問題は、難しく感じると思います。

    また、文法、すなわち英文の構造が理解できていることも、リスニングには有利です。
    意味のまとまりごとに若干のポーズ(間)が置かれることを実感しながら聴きとることができます。
    ポーズを把握することは、文法学習にも役立ちます。
    相乗効果ですね。


      


  • Posted by セギ at 12:58Comments(0)英語

    2018年06月06日

    be動詞がわからない子は、案外多いのです。


    さて、今回も中学英語の話から。
    英語の学習の順番は、私自身が中学生だった頃と今とあまり変わっていません。
    まずはbe動詞の学習から始まります。
    教科書によって、This is ~. の文から始まるか、I am~.から始まるかは違いますが、正直大差ない。
    要するに、まずはbe動詞を学びます。
    たまに一般動詞から学習する教科書がありますが、やはり教えにくいと感じるのか、採択されないことが多いです。

    中1にいきなり「be動詞」という文法用語を使って教えることはほとんどありません。
    まずは、こういう形の文を覚えなさいという授業になります。
    「~」のところにいろいろな言葉を入れて、どんどん転換練習して、こういう形の文を使えるようにするのが初歩の学習となります。
    ここで誤解する子どもが現れます。

    am, is,areは、日本語の「は」の意味なんだなと思い込むのです。
    それは間違っているとも言い切れないのが微妙なところです。
    be動詞にはイコールの意味は確かに存在します。
    日本語にしたら格助詞「は」に相当することにはなるでしょう。

    I  am a girl.
    私 は 女の子。

    This is  a book.
    これ は 本。

    そういう解釈です。
    そう解釈した子が、次に一般動詞を学習する際に何をやってしまうかというと。
    「私は、野球をする」を英語にすると、
    I am play baseball.
    私 は する 野球。
    という英文を作ってしまうんです。

    いやいや、違うよ、amは要らないよと説明しても、そういう子は首をひねっています。
    play baseball のように、語順が日本語と異なることは百歩譲って理解しても、「は」にあたる言葉がないなんてことは、理解を越えたことなのかもしれません。
    be動詞=日本語の「は」、ととらえたことの弊害の1つでしょう。

    英語と日本語は1対1の対応ではありません。
    文法が全く異なる言語ですから。
    でも、そのことを理解できない子どももいます。

    千年以上も日本と全く交流のなかった外国の言語は、日本語と少しも似ていなくて当然。
    全く異なる文法の言語であるのが当然です。
    しかし、そう説明しても理解しない子もいます。
    世界の全ての言語が日本語と同じ構造だと思いこんでいるようです。
    いや、日本語に構造すなわち文法があることすら意識できていないかもしれません。
    そうした子にとって、日本語は自明の理。
    それだけが正しく、それ以外の構造の言語があるということは想像しにくのでしょう。

    幼い子どもは、世界の中心に自分が存在すると思っています。
    世界の中心は自分ではないと理解し、相対化するには、精神的な成長が必要です。
    中学生になると、そろそろそういう成長は期待できるのですが、言語においてもそうなのだと発想できない子はいて、それが英語と日本語を1対1の対応で覚えようとすることにつながっているのかもしれません。
    言語は全て日本語と同じで、ただ使う単語が違うだけだと思ってしまう様子です。

    文法も異なりますが、1つの語句がカバーする意味合いも、言語によって異なり、日本語と1対1の対応にはなりません。
    例えば、playという動詞は、最初に勉強するときがplay baseball の形だったりしますと、play=「する」と覚えてしまう子がいます。
    だから、「あなたは何をしていますか」といった疑問文でもplayを使ってしまい、
    「playは『する』じゃないの?」
    と訊いてきます。
    「日本語の『する』に一番近いのはdoだね。でも、それも完全に一致するわけじゃないよ」
    と説明しても、首をひねっています。
    「『する』がdoなら、何でdo baseballじゃないの?」
    「日本語と英語の単語は1対1で対応しているわけじゃないから、そういうこともあるでしょう。1つの単語にいくつも意味があって、一部分はかぶるけれど、他はかぶらないということはよくあることだよ」
    「何でそうなるの?」
    「・・・そういうことを本当に心から疑問に思って勉強したいなら、大学の言語学科か英語学科に進みなさい。好きなだけそうした勉強ができるよ」
    「いや、別にいい。そんなに興味ない」
    「・・・・」
    純粋に英語への興味からそうして色々質問してくるのなら良いのですが、言外に、英語への非難がにじんでいることが多く、気になります。
    英語の勉強が嫌で、英語を否定したい、「英語は日本語と違ってこういうところがダメだ」と主張したいという気持ちの表れがそうした疑問となって口をついて出ているようなのです。
    英語を否定したいと思っている時点で、英語と敵対関係にあるのですから、勉強が進まないですね。
    (-_-)

    それはともかく。
    I am play baseball.ではなく、I play baseball.
    それが正しい英語だといったんは理解して、その後、三単現や人称代名詞などを学んだ後、現在進行形の学習に進みます。

    I am playing baseball now.
    私は今野球をしているところです。

    現在進行形のとき、動詞の形は、「be動詞+~ing」。
    am, is, areをまとめてbe動詞と呼ぶことはそろそろ教えても大丈夫な段階ですが、~ingは「現在分詞」と呼ぶということは、中1ではまだ早いので教えません。
    文法の専門用語ばかり出てきて、それを覚えられずにギブアップしてはいけませんから、~ingという形が動詞にはあるんだねとぼやかした形で説明します。
    しかし、なぜこのときbe動詞を使うのかは、初めて現在進行形を学ぶ子どもにとっては理解不能であり、相当な違和感があるのは事実です。
    とはいえ、ここで理屈をこねてもさらに理解不能でしょうから、その違和感を逆手にとり、ここでbe動詞を使うんだね、be動詞って不思議な働きがあるねと説明します。
    「be動詞を忘れると困るから、覚えるときは必ず『be動詞+~ing』とセットで覚えようね」
    と説明し、be動詞のところは節をつけて大声で強調したりもするのですが、そうした授業の工夫も徒労に終わり、be動詞を書き忘れる子は一定数存在します。

    I playing baseball.
    ( ;∀;)

    be動詞を必ず使えと言ったのになあ。
    be動詞+~ing の形で覚えなさいと強調したのになあ。
    何度も復唱したのになあ。
    何で間違えるかなあ・・・。( 一一)

    そういう子がよくする質問があります。
    「be動詞って何?」
    「be動詞とは、am,is,areのことです。色々な働きがありますが、難しいので、それは今は聞かないほうがいいと思う。後になったら嫌でもやるからね。それとも今、聞きたいですか?」
    「別にいい」
    「では、とにかくbe動詞とはam,is,areのことで、かなり特別な働きをする動詞なのだということだけ覚えましょう」

    とにかく、現在進行形は、be動詞+~ing。
    そうして現在進行形の学習がひと通り終わり、それまでの復習問題を解くと、またこんな英文を書く子が現れます。

    I am play baseball.
    ( ;∀;)

    「・・・be動詞と一般動詞原形は一緒には使わないんだよー」
    「be動詞を必ず書けって言った・・・」
    「それは現在進行形のとき。『今~している』の意味のとき。これは現在形」
    「何が違うの?」
    「一般動詞の現在形は、今、行っている動作じゃないんですよ。そういう習慣があると言っているだけで、今野球をしているわけじゃないのです」
    「ちょっと何言ってるかわからない」

    I play baseball every Sunday morning.
    この例文だとわかりやすいと思うのですが、現在形というのは、現在その動作を行っているときに使うものではありません。
    例えば毎週日曜日の朝に野球をする習慣がある、そういうことになっているということを伝えたいときに使うものです。

    現在形は、
    ①現在の習慣
    ②現在の状態
    ③不変の真理
    ④確定的未来
    ⑤時・条件を表す副詞節は未来のことを現在形で表す
    といった主な用法があるのですが、こういうことを体系的にまとめて学習するのは高校生になってからです。
    中1にこんなことをいきなり教えても半分も理解できないでしょう。

    しかし、中1の今はまだそんなことはわからなくてもいいから、というところで逐一壁に突き当たり、英語がわからなくなる子がいます。
    be動詞がわからない、現在形がわからない、と繰り返し言います。
    もやもやしていることがあると、そこから先に勉強が進まないようなのです。
    多くの子は、そんなことはあまり深く考えず、nowが文末についているときは「今~している」なんだからbe動詞+~ingの形にすればいいんでしょうと把握し、それで正解するのですが。

    be動詞が上手く呑み込めないまま、一般動詞の疑問文を作る問題では、
    Do you play baseball ?
    という英文を自力で作れず、
    Are you play baseball ?
    というミスを中2になっても繰り返しては注意されているうちに、be動詞の別の用法を学ぶことになります。
    存在を表す用法です。

    There is a book on the desk.
    机の上に一冊の本があります。

    be動詞には、存在を表す用法があります。
    「ある」「いる」の意味です。
    この文の主語はbookです。
    もともとの形は、
    A book is there.
    だったのが、強調のための倒置が起こり、それが固定化され、構文となったものです。

    be動詞の主な働きは2つ。
    ①A=B の意味を表す。
     すなわち、主語=補語の文を作る。
     補語は、名詞または形容詞。
    ②存在を表す。
     「ある」「いる」の意味。
     There is a book.という構文は、不特定のものが存在するときに用いる。
     特定のもの・人が存在するときは Mary is in the Library. のように表す。

    中2になると、このようにbe動詞の2つの用法は整理され、かなりわかりやすくなってきます。
    そこで開眼してくれると良いのですが、be動詞がわからないという子が、こういうところはスルーすることがあります。
    長年の疑問がようやく整理されたというのに、なぜ、スルー?
    もう英語はわからないものと諦めているからなのでしょうか。
    ('_')

    そうこうするうちに、中2の終わりに「受け身の文」が登場します。
    今度は、be動詞+過去分詞 です。

    Baseball is played by nine people.

    「be動詞+過去分詞」とセットで覚えるんだよー。
    be動詞を絶対に忘れないでねー。
    そう強調するのですが、例によって必ず忘れる子がいます。

    Baseball played by nine people.

    「be動詞を入れようよ。これだと、ただの過去形の文ですよ」
    目立つ単語を拾う形でしか文意を取ることができない子も一定数いて、能動態と受動態の文の識別が難しい場合もありますが、そこにbe動詞の有無という例のミスが登場しますから、グチャグチャになってしまう子も多いのです。

    とにかくbe動詞。
    受け身の文はbe動詞。
    be動詞+過去分詞。
    そう強調して定期テストを乗り切った後、それまでの復習をすると、能動態の過去形の文も、

    I was played baseball yesterday.

    と、また不要なbe動詞を書いてしまうミスが復活する子がいます。
    ( ;∀;)

    全ては裏目裏目に出てしまい、be動詞を入れるべきときに入れず、入れてはいけないときに必ず入れる。
    英語が苦手な子のbe動詞の扱いは、完全に裏・裏・裏となっていて、壮絶です。


    なぜそこまでbe動詞がわからないのか?
    1つには最初に書いた通り、be動詞=「は」 という最初の誤解から解放されていないのではないかと想像されます。
    それは、英語の構造は日本語と同じであるはず、という誤解です。
    be動詞が日本語の何にあたるのか、結局、わからない。
    だから、使い方がわからない。
    そういうことなのでしょうか?
    「be動詞が日本語の何にあたるか」という見方がそもそもおかしいので、be動詞はbe動詞という英語固有のものととらえようよと話すのですが、そうしたことは生徒にとって抽象的で、頭に心になかなか届かないもどかしさがあります。

    もっと単純に、be動詞を使うか使わないかといった二択の知識を必ず間違えて覚えてしまうだけという場合も考えられます。
    こういうときは使う、こういうときは使わない。
    この形の知識を覚えることが苦手で、なぜか逆に逆に覚えてしまう子がいます。
    自分で誤用したことは記憶に残りやすく、それが「聞き覚え・見覚えのある英語」として本人の頭の中に蓄積されますから、誤用は強固になるばかりです。
    誤用を上回るインパクトのある覚え方が本人の頭の中に入らない限り、誤用は続くのかもしれません。


    中1・中2レベルの英語でこんなにもつまずくというのは悲観的な要素ですが、しかし、脳の発達時期には個人差があります。
    中1の頃には理解できなかったことも、その後、理解できるようになることがあります。
    数学と英語と両方教えていますと、数学を教えていて、
    「この子は、小学校の算数の解き方をしてしまうなあ」
    「数学の論理体系、数理の根本が形成されていないのかなあ」
    という感想を内心抱いていた子が、中3あたりから急成長することがあります。
    理屈で説明すればスルッと理解してくれるようになるのです。
    英語の場合、文法用語を駆使すればするほど、ダイレクトに理解してくれるようになります。
    文法用語は、抵抗感が強い硬質のものですが、その仕組みを一言で伝えることができるので便利なのです。
    ものごとには全て名前があります。
    名称を把握することで、世界は混沌を脱し、秩序立てられます。
    英語の場合、S・V・O・C・Mと、各品詞の名称と働きを理解すれば、大抵のことはどうにでもなります。
    知識の伝達がスムーズになるのです。


    中1の初めの頃はどうなることかというほどbe動詞の扱いに戸惑っていた子もやがて精神的に成長していきます。
    ある子が高1になったとき、以下のことを説明したことがあります。
    分詞の限定用法・叙述用法の解説をしたときです。
    分詞の限定用法は、名詞を修飾する用法。
    それは形容詞と同じ働きをするということ。
    分詞の叙述用法は、SVCやSVOCのCの用法。
    それは、形容詞と同じ働きをするということ。
    つまり、分詞は動詞が形容詞化したもの。
    分詞は、形容詞なんだね。
    形容詞の前にはbe動詞を置くよね。
    進行形の~ingの前にも、be動詞を置くね。
    受動態の過去分詞の前にも、be動詞を置くね。
    全部、同じだね。
    普通のSVCの分析とはまた違うことだけど、なぜbe動詞を置くのかだけは、納得がいく気がしない?
    「・・・・ああっ」
    悲鳴にも似た声が、その子から上がりました。
    進行形の文、受動態の文で、be動詞を使うこと。
    その構造に別の方向から光が当たって理解できたのでしょう。

    こういう感動を共有できることが英文法を教え学ぶ喜びだと感じます。
    勿論、be動詞の誤用など、その子の場合は2度と起こらなくなりました。
    覚醒したのです。

      


  • Posted by セギ at 13:04Comments(0)英語

    2018年05月31日

    中学生は、英語のどこでつまずくのか。


    本日は中学生の英語の話を。
    英語が苦手という子の中には、単に覚えるのが苦手でなかなか覚えられないけれど、授業はまあまあわかるという、普通に英語が苦手な子も多いです。
    しかし、なかには、大人が想像もしないようなところでつまずいて、その先に進めない子もいます。

    まず、単語のスペルのルールが理解できなくておろおろしている子。
    パソコンを扱える子は、パソコン方式のローマ字の打ち込みはできますから、ヘボン式とは多少異なるとはいえ、英文字と音とのつながりを理解しています。
    ところが、英単語のスペルは、ローマ字とはかなり違います。
    そこで混乱する子がいます。

    英単語のスペルはどんなルールがあるのだろう。
    なぜ、先生は、そのルールを教えてくれないのだろう。
    教える必要もないくらいの常識なのだろうか。
    自分だけが理解できないのだろうか。

    かなり頭の良い子が、こういう混乱を起こすことがあります。
    周囲は、その子の頭の良さを知っていますので、まさかそんなことが原因で英語不振に陥っているとは思ってもいません。
    本人は勉強に関してプライドが高く、自分のそういう悩みを相談できません。
    英語に関するもやもやが晴れず、どんどん英語が苦手になっていきます。

    場当たり的な勉強や丸暗記の勉強は嫌いで、理屈が勝ってしまうタイプの子は、英単語のスペルにもルールを発見しようとし、そして発見できずに挫折してしまうのです。
    他の科目と比べて英語だけ成績が悪く、これはちょっとおかしいという状態の子に、以下のことを説明するだけで、はっと覚醒し、その後、英語も他の科目と同じように理解することがあります。
    英単語のスペルは、本当はルールがあるけれど、とても複雑だし、例外が物凄く多いから、今は、単語1つ1つのスペルを覚えていくといいよ。
    日本語の漢字を覚えるようなものだよ。
    そう助言するだけで、今までの霧が全て晴れ、英語がわかるようになっていくことがあります。


    今は文法を全面に出して英語を教えるのは悪いことであるかのような風潮がありますが、理屈が好きな子には、文法で英語を教えたほうが効果があります。
    文法用語を使わず何の文法事項を扱っているのか伏せた状態で、基本例文というのを暗記させられ、その文の意味を覚えていく学習を中1・中2とやっていくと、英語に対してモヤモヤしてしまう子は多いです。
    そういう子に、例えば中3の「現在完了」などをゴリゴリの文法で解説するとバキッと開眼することがあります。

    I have been in this town for two years.

    ➁She has kown the man since he was a child.

    ➂He has read the book three times.

    ➃I have already finished my homework.

    問題 上の4つの文のうち、同じ用例のものはどれとどれか。

    答えは①と②です。
    文法的にこれをとらえる場合、使われている語句に着目します。
    ➀はfor two years 、➁はsince he was a child と、期間を表す語句が使われています。
    いずれも、現在完了の「継続」の用法であることを示す語句です。
    ちなみに、➂はthree times という回数表現があるので、現在完了の「経験」の用法。 
    ➃はalreadyが使われているので、「完了」の用法です。

    文法的なアクセスができない子は、4つの文をいちいち和訳して解きます。
    ➀私は2年間この町に住んでいます。
    ➁彼女は彼が子どもの頃から彼を知っています。
    ➂彼はその本を3回読んだことがあります。
    ➃私はすでに宿題を終えてしまいました。

    この日本語訳から、同じ用法のものを選ぶのです。
    「完了」「継続」「経験」「結果」という現在完了の4つの用法という観点はなく、日本語の意味から、同じ意味あいのものを選ぶのです。

    ・・・・何てまだるっこしい。(-_-)
    訳し方をちょっと失敗したら、終わりです。
    「同じ意味あい」ってどういうことなのか、かなり曖昧ですし。
    「完了」「継続」「経験」「結果」という、文法事項を正確に指し示すキーワードと、それに付随する語句をセットで覚えればはるかに楽ですし、正確に分析できます。

    理屈が好きな子は、文法で解く解き方を教えると覚醒し、
    「わかりやすい」
    「初めて英語がわかる」
    と感動します。
    成績も急上昇します。

    他の科目もそうですが、英語の問題には、出題者の意図があります。
    何の文法事項を問う問題なのか、その出題意図を見抜けば、答えは楽に出せます。
    そうした出題意図を見抜くためにも文法からの分析は有効です。
    上の問題でいえば、ああ、現在完了の用法の識別だなと把握し、サクサク解けば短時間で終わります。
    しかし、何の問題なのか、何を問われているのかわからないまま、漠然と日本語に直し、何となくこれが答えなんじゃないかと判断して解いている子もいます。
    まさか、そんな、バカな。
    そんなことがわからないはずがない。
    大人はそう思うのですが、文法が苦手ということは、そういうことです。
    英語学習が常に曖昧な状態で進み、英語の問題をどう解いていいかわからず、ぼんやり解いている子は、案外どこにでもいます。

    文法を理解することは、文法問題を解くのに有利なだけではありません。
    英文をいちいち日本語に訳さずに読んでいく癖がつきます。
    英文を英文のまま読んでいくというのはどういうことなのか、言葉で説明してもわからない子は多いのです。
    文法問題のような短文を訳さないで読んでいく習慣が身につくと、長文を読んでいく際にも、訳せと言われない限りはいちいち日本語にしない習慣がついていきます。
    日本語に訳さず、しかし意味のまとまりごとに英文を区切って読んでいくには、文法知識が必要です。

    文法は教えない。
    だが、意味のまとまりに区切って英語のまま理解しろ。
    そんな要求をされた場合、そもそも意味のまとまりに区切る、その区切り方がわかりませんよと生徒が不満を持つのは当たり前のことだと思います。
    文法がわからないと、英文の構造が把握できないので、どこで意味が区切れるのかもわからないのです。
    文法を知れば、意味のまとまりは自明の理です。
    そんなの、S、V、O、C、Mのことなんですから。


    ところが、文法を教えても英語が得意にならない子も確かに存在します。
    「現在完了の見分けがつかない」
    というので、
    ➀完了の用法
    「すでに~してしまった」「ちょうど~したところだ」の意味。
    already,yet,justなどを伴うことが多い。

    ➁経験の用法
    「~したことがある」の意味。
    once,twice,three time,many times,beforeなどの語句を伴うことが多い。

    といった文法事項を説明すると、そんなに覚えることが多いのは嫌だ、もっと簡単に分類できる方法を訊いたのに、と不満を感じる子もいます。
    文法用語に対する拒否感が強いのです。
    覚えることが多いのは苦痛を感じる。
    理屈が好きじゃない。
    もっと簡単で、もっと楽しいことがやりたい。
    そういう要求の強い子は、文法をいくら説明しても、覚えてくれませんし、活用してくれません。
    何を教わっても、1文1文を日本語に訳して意味を取ってからでないと解かないのです。
    出題者の意図を汲み取りなさいといっても、そういう視点を持ったことがない様子で、ぼんやりしています。
    何の文法事項を問われているのか考えてみてと問いかけても、そんなのわからない、と言います。
    全てモヤモヤし、ぼんやりしている中で、意味だけを頼りに解いていこうとし、やがて英文の意味を読み取れなくなり、英語に挫折していきます。

    修飾語句が多くなり日本語に訳すのが難しくなる中2の「不定詞」あたりから、英語がわからなくなっていく子が多いのはそのためでしょう。
    英文の構造が複雑になればなるほど、意味だけで英文を理解していくのは難しくなります。


    文法重視が悪いことのようになってしまうと、文法からアプローチすれば高度な英文も理解できるタイプの子から、その機会を奪うことになります。
    文法が理解できる子には、今まで通り文法を教えるのが最善です。
    勿論、進学校はそれを承知していますので、「過度な文法重視を排し」と言われようがどうしようが、文法をきちんと教えていくと思います。

    問題は、文法に拒否反応が強く、文法をいくら教えても文法を活用しないタイプの子に、どのように英語を教えるか、です。
    教えても活用しないのですから、それこそ「過度の文法重視を排し」ていかなければなりません。
    文法を教えていないふりで、文法を教える。
    文法を教えていないふりで、英文の構造を教える。
    そうした面倒くさい作業が必要となります。
    当然、英語学習の時間を今までより多くし、触れる英文の数を増やさないといけませんし、文法で骨組みを補強できない分だけ語彙力を鍛える必要が生じます。

    それでも、相手によって教え方を変えないと、その子は伸びません。
    その見極めが重要です。

      


  • Posted by セギ at 13:55Comments(0)英語

    2018年05月24日

    高校生の英語力が伸びない理由.


    平成13年に閣議決定された英語到達目標がありました。
    平成17年度までに中学3年生の50%が英検3級程度の英語力をもつこと。
    高校3年生の50%が英検準2級程度の英語力を持つことでした。

    しかし、実際には、平成17年度に、英検3級程度以上のレベルに達した中3は全体の40.7%。
    英検準2級程度以上のレベルに達した高3は39.3%。
    目標達成はなされませんでした。

    高校生に対しては、そもそも低く目標設定されていました。
    英検3級は中学3年生程度の英語力を基準としていますので、学年相当の設定です。
    一方、高校3年生に対する政府目標は英検準2級とされています。
    英検準2級は、高校1~2年生程度の英語力です。
    しかも、その目標を達成できませんでした。

    数値も同じ40%程度ですので、中学3年生のときに英検3級程度の英語力のある子は、高校3年生のときには英検準2級程度の英語力がある、という流れが見えます。
    平成17年度の中3と高3の話で、同じ学年の子どもたちの継続調査ではないのですが、継続調査をしてもその程度ではないでしょうか。
    これを、英検2級で調査したら、当然、もっと数値は低くなるでしょう。
    中3のときにはそれでも学年相当の英語力のあった40%の子たちも、学年が上がるにつれて、学年相当の英語についていけなくなっていると予想されます。

    どうすれば良いのか?
    これは「4技能」の話とはちょっと違うのです。
    「4技能」は、日本人は中学・高校と英語で秀才だった子も実際には英語を話せないという観点から、「話すこと」にも力点を置こうという話です。
    「話すこと」の指導に力を入れれば英語の他の技能も上がる、ということではありません。
    「話すこと」に力点を置けば、話す技能は今までよりは上がるかもしれません。
    しかし、それに伴って「読むこと」「聴くこと」「書くこと」の能力が上がる保証はありません。
    実際、これまでの例で言えば、中学生で英会話教室に通っている子は、「話すこと」「聴くこと」の力は標準よりあるけれど、ペーパーテストに弱いので、成績は「4」は取れても「5」はなかなか取れないのが実状でした。
    高校生で英会話教室に通っている子になると、さらに効果は不明瞭で、高校の英語の授業についていくことができない子もいます。
    でも英会話教室は楽しいらしいのです。
    楽しいのなら何より。
    もうそれはお稽古ごとの領域です。

    ただ、英会話教室も今は多種多様で、昔ながらのネイティブの講師を囲んで数人のグループで会話をする形式のものは少なくなりました。
    毎回自己紹介に授業の半分が費やされるという効果不明のものは淘汰されつつあります。
    各種英語検定合格に特化したもの、大量のリーディングを課し速読力を強化するもの、高校受験・大学受験に対応しているものもあり、それは英会話教室というより英語教室と呼んだほうが良いのでしょう。
    そして、そうした英語教室は「話すこと」が他の技能を伸ばすとは必ずしも考えてはいないのです。
    4技能は、それぞれを伸ばさないと伸びないのです。

    話を戻して。
    中学英語にはまあまあついていけた子が、なぜ高校英語で学年相当の力がつかなくなっていくのか。
    最大の原因は単語力だと思います。
    高1になっても、高2になっても、高3になっても、単語力は中学生レベル。
    そういう子が多いのです。
    たまにわからない単語があるという程度ではなく、1文の文意を決定する単語のほとんどがわからないのです。

    例えばこんな文。
    She possesses a great capacity for overcoming any obstacle.
    文法的にはシンプルです。
    比較的短く、内容をとらえやすい英文です。
    しかし、英語が苦手な高校生は、この文の意味を把握できません。
    単語の意味がわからないのです。
    主に以下の4単語です。
    posess , capacity , overcome , obstacle
    どれも高校レベルの単語です。
    でも、覚えていない子は多いです。
    1文に4つわからない動詞や名詞があったら、意味は把握できないですよね。
    単語の意味がわからない限り、英語は謎の呪文です。
    (-_-)

    英単語はいきなり大量に出てくるものではないので、新出のときにしっかり覚えて2度と忘れないようにすれば、語彙は着実に増えていきます。
    中学生の頃は、それがそこそこ上手くいっている子も多いのです。
    しかし、高校生になると、新出単語を覚えきれなくなっていきます。

    高校の英語の先生は、生徒の単語力不足を気にしていますので、単語集を配布し、週1回テストを課すことが多いです。
    しかし、それも、その単語テストのために一夜漬けで覚えて、テストが終わればすぐに忘れてしまう子が大半です。
    それを防ぐため、学校の先生は、そうした毎週の単語テストの範囲を定期テストの範囲に全て含めることがあります。
    その場合、単語のテスト範囲は「捨てる」という暴挙に出る高校生が多いのです。
    覚える単語数が多すぎるからでしょう。
    他の教科の勉強もあるからと諦めてしまうのです。
    定期テストでは、単語集からの出題はほぼ全滅。
    身についた単語はほとんどありません。
    この繰り返しで、教科書の本文も、テストに出る初見の英文も、わからない単語がどんどん増えていきます。
    高校生で英語が苦手な子の大半は、そういう子ではないでしょうか。

    知っている単語の数がもう少しあれば、文法力や文章の構造把握力でどうにかカバーする方法はあります。
    上の英文で言えば、まずcapacity。
    この単語がわかるとわからないとでは、かなり違ってきます。
    そして、この単語は、半分日本語になりつつある単語です。

    しかし、英語が苦手な子とは、こんな会話になりがちです。
    「キャパシティは、もう半分日本語になっているね。キャパって言うじゃない?」
    「言いません」
    「武道館のキャパ1万2千人。東京ドームのキャパ4万人とか」
    「言いません。知りません」
    「・・・・」

    思い出すヒント、覚えるヒントとしてこうした話を持ち出しているのですが、単語が苦手な生徒ほど、こんな反応になりがちです。
    知らないことを責められていると感じてしまうのでしょうか。
    他にも、
    「ファッション誌に、インポート物とか書いてあるじゃない?」
    「知りません」
    「都知事がよくダイバーシティとか言っているじゃない?」
    「知りません」
    叩き返すような返答です。
    「映画で、ミッション・インポッシブルってあるじゃない?」
    「知りませ・・・あ・・・」
    「・・・・知ってるよね?」
    「知ってますけど、意味とか考えたことありません」
    日本語としてなじみのない音のつながりでも、映画のタイトルだと覚えられたりしますから、それを利用しない手はないですよね。
    ちょっとでも語彙を増やしていく、その気持ちが大切。
    ヽ(^。^)ノ

    単語力をつけたいと思っている人は、1万語をまとめてスルスル覚える方法を求めている様子の人が多いです。
    そのためには3か月単語漬けになるくらいの覚悟が必要ですし、その後もそれを維持するための継続的努力が必要なのですが、その人にその覚悟があるかというと、それはまた別の話。
    一方、身近なところから1つでも2つでも覚えていこうということもない。

    英単語は、覚えられない。
    私は、英単語を覚えるのは苦手だ。
    全然頭に入らない。
    それは仕方ないことだ。
    それを解決できないのは、私の責任ではない。
    楽にスルスル覚えられる方法が開発されたら、やってみないでもないが。
    そういうところで停滞し何も動かないのが、中学英語と高校英語との間に高い壁を作っている一つの原因かなと思います。


    ともかくcapacityは「能力」という意味だと、それはわかっているとして。
    She posseses a great capacity for overcoming any obstacle.
    文法の基本がわかっていれば、わからない英単語は英語のまま、意味を取っていくことができます。
    「彼女はどんなobstacleもovercomeする大きな能力をpossessしている。」
    何のこっちゃわからん、と言うこともできますが、とにかく能力の話なのだとわかります。
    そして、英文というのはこの1文だけポツンと書いてあるのではなく、これは長文の一部分です。
    この文の前後、大抵はその後ろに、その能力についてもっと具体的な描写があるはずです。
    その能力は、どんなobstacleもovercomeする能力だそうですが、その後に具体例が書いてあり、それが読み取れれば、obstacleもovercomeもわからなくても大丈夫でしょう。
    修飾部分ですから。
    具体例のほうがもっとわかりやすく説明してあるはずです。
    逆に、その後ろの具体例が読み取れなくても、あと一語、overcomeの意味がわかるなら、おおよその文意は把握してその先を読み進めることができます。
    「彼女はどんなobstacleも克服する能力をpossessしている」
    ここまでわかれば、ほぼわかったようなものです。
    その後に、何かを克服した具体例が書いてあるのでしょう。

    ただし、こうした読み方はかなりの集中力と推理力を必要とします。
    単語の意味がもっとわかれば、こんなに苦労をしなくて済むものを。
    せめてこの単語の意味だけでもわかれば。
    そうした経験から、1つ1つ増えていくのが生きた語彙です。

    単語集による単語暗記も並行して行う中で、覚えたはずの単語が長文中に出てきて、それなのに意味が取れないとき。
    この単語の意味がわかれば、この文の意味はわかるのに。
    覚えたはずなのに。
    悔しいなあ。
    そうして、その単語の意味を確認し、ああ、そうだった知っていたのにと感じます。
    その単語は自分の語彙になるまで、あともうほんの少しです。
    もう自分の語彙になっているかもしれません。
    単語集の中の単語の羅列が、文章の中で生きた使われ方をした瞬間に、驚くほどすんなり頭に入ってきて忘れないことがあります。
    だから、単語暗記と多読とを並行して行うことが効果的です。
    重要な単語は本当に高い頻度で英文の中に出てきますので、英文を多く読めば読むほど、頭に残ります。

    しかし、英語が苦手な高校生は、単語暗記も多読もしません。
    教科書の英文だけは予習しようとしても、新出単語以外にもわからない単語が多く、いちいち辞書をひくだけで時間がかかります。
    文法も苦手なので、単語の意味は調べられても、1文が長いと構造を把握できません。
    関係代名詞とか分詞とか、学校の授業で説明されても、意味がわからない。
    中学でちょっと勉強して終わると思っていたのに、何で毎回文章に関係代名詞とかいうのが出てくるんだろう?
    全然わかんない。
    教科書の予習だけでも、もう手が回らない。
    そもそも英語にそんなに時間をかけていられない。
    そう考えて、やがて諦めていきます。
    そういう子が多いと思います。

    この状態で、塾で、学校の英語の授業の予習復習を希望し、それ以外のことはやりたくないしやらないとなると、問題の解決はほとんど不可能です。
    わからない単語は辞書を引かなくても教えてもらえるので、コミュ英の予習は一見順調となります。
    教科書の問題を一緒に解いてくれるので、英語表現の予習も順調。
    英語の予習がとりあえず楽になります。
    わかってきたような気がします。
    これなら、定期テストの点数も上がるかなあと本人は期待するのですが、その高校の定期テストが単語集からの出題や初見の英文の出題が多い場合、得点の伸びはあまり期待できないでしょう。
    むしろ、長期的にはじりじり下がっていく可能性のほうが高いと思います。
    自力で英語と対峙する機会がむしろ減っているのですから。

    間口の狭い勉強にこだわっていると英語力は永遠に中学生のままです。
    根本の英語力を鍛えることが必要です。
    まずは単語力。
    学校がせっかく与えてくれている単語集。
    繰り返し繰り返し暗記してみてください。
    学校が指示するよりも早く、何周でもしてください。
    英語学習の間口を広げましょう。

      


  • Posted by セギ at 15:32Comments(0)英語

    2018年04月11日

    英語教育改革はどこまで有効か。


    中学生の好きな科目第1位は、保健体育。
    嫌いな科目第1位は、英語。
    ある通信教育会社の調査結果だそうです。

    嫌いな科目第1位は、数学ではないのですね。
    数学は、案外固定ファンがいるからかなあ。ヽ(^。^)ノ
    などと吞気なことを言っている場合ではなさそうです。
    英語という科目が、中学生にそんなに嫌われていたとは。

    昨年の都立入試の社会科で、日本・中国・韓国の世界競争力順位、英語力のアジア内順位、海外への留学者数を比較して記述をする問題がありました。
    2005年と2011年のデータを比較すると、
    ◎世界競争力の順位
    日本は19位から26位へ。
    中国は29位から19位へ。
    韓国は27位から22位へ。
    ◎英語力のアジア内順位
    日本は28位から28位へと変わらず。
    中国は15位から14位へ。
    韓国は20位から7位へ。
    ◎海外への留学者数
    日本は64,273人から35,731人へ。
    中国は403,527人から650,632人へ。
    韓国は100,800人から127,832人へ。

    2011年のデータではもう古いのかもしれませんが、最新のデータがそれほど改善されている期待も持てないのが現状でしょうか。
    こうしたことを踏まえ、今、英語教育に大ナタが振るわれようとしています。

    とはいえ、このデータを示されてさえ、
    「国がグローバル人材育成戦略を発表した理由を述べよ」
    という記述問題で、
    「日本人は、中国・韓国人よりも英語能力が高く、国際的に活躍している」
    という記述をしてしまう子もいて、ちょっと待て、英語教育より日本語で書かれたデータを正確に読める教育のほうがまず必要だ、と焦ってしまうのですが。
    このデータのどこをどう読むとそういう記述になるの?( ;∀;)


    ともあれ、なぜ中学生は英語が嫌いなのでしょうか?
    小学生では、「外国語活動」は好きな科目・活動の第3位なのだそうです。
    ちなみに、小学生の好きな科目第1位は体育で、これは小学生も中学生も変わりません。

    理由は想像できます。
    小学生の「外国語活動」は、昨年度までは評価の対象ではありませんでした。
    英語で楽しくゲームをしたり会話をしたり歌ったり踊ったりする授業で、特に評価はされません。
    書いたり覚えたり、それをテストされたりすることはなく、「勉強らしさ」がない。
    だから好きなのでしょう。
    しかし、中学に入り、英語は「主要5科目」に位置付けられ、ペーパーテストがあり、評価されます。
    そうすると途端に英語が嫌いな子が激増する・・・。

    英語が小学校高学年で正式科目となり、評価もされる今後は、小学生も英語が嫌いになるかもしれません。
    とりあえず、単語のスペルや簡単な文を覚えることが課せられ、そのペーパーテストが実施されるようになれば、英語が好きな小学生は今よりも減るだろうと予想されます。


    今回の英語の教育改革の目玉は「読む・聴く・話す・書く」の4技能で英語力を測定するという新しい基準が打ち出されたことです。
    それで大学入試も大きく変わると言われています。
    今までのような英語教育は全否定されている風潮すらあります。

    しかし、蓋を開けてみれば、2023年度まではセンター試験に代わる共通テストは相変わらず必須で、民間試験の活用は英語の得点の1割程度に抑える方向とのこと。
    さらに、東大は民間試験を利用しないことを発表しました。
    「聴く」に関しては、もう既に20年以上前からセンター試験には「リスニング」が課せられていますから、教育システムに組み込まれています。
    「読む」「書く」は筆記試験主体の英語教育にとってはむしろ得意とするところ。
    問題は「話す」技能が今後の入試にどう影響していくのか、です。

    これはさすがにネイティブの講師のいる英会話教室の指導が効果的ではないか?
    そういう大宣伝がなされている現状がありますが、大学入試における民間試験の活用が1割未満で、しかも4技能のうち「話す」はその4分の1ですから、「話す」能力が大学入試で問われる比率は、2.5%未満。
    うん
    結局、英語教育改革は、今の小学生は気にしなければならないけれど、中学生・高校生は、あまりそれに踊らされて先走り、読むことを軽視したりすると、むしろ不利になるかもしれません。

    英語の授業の評価基準に「話すこと」がどの程度影響するのかは、推薦入試を目指している人にとっては大切でしょう。
    話す能力が具体的にどのようにテストされ、それが成績にどの程度のウエイトを占めるか。
    高校英語教科書は、今年度から前倒しで新指導要領を踏まえた内容に修正されています。
    とりあえず、新しい「英語表現」の教科書は、過度に文法を強調することを避けるよう文科省から指導されているため、文法事項がまとめられていず散漫で、ゾッとするほど勉強しにくい構成になっています。
    進学校の英語の先生たちがこの教科書をどう扱うか、注目されます。
    今の大学入試は文法事項の重箱の隅をつつく問題は減りつつあり、実用的な英文や現代の評論を速読する能力を問われるものになっています。
    それにあわせ、高校も読解に必要な英文法を教えるようになってきました。
    日常会話レベルではない内容の英文を読み通すには、文法的把握をするほうが速く楽に読めるからです。
    まして、知らない単語がかなり含まれている英文を読むような場合は。
    高校英語の科目の名称が、今の「コミュニケーション英語」「英語表現」と変わったときも、リスニングと英作文で構成される「英語表現」の教科書を真面目にやっていたのは偏差値のそんなに高くない高校が多く、進学校は「英語表現」という名称の英文法の授業を行っていました。
    科目を細分化し、週に1回は「英語表現」の教科書を使ったリスニングと英作文の授業を行い、英文法の授業も独立して行う高校も多かったです。
    読むためにも話すためにも文法は必要だからです。
    入試問題を解くためにも。
    結局、今回も、浮わつかずに文法をしっかり教える高校が進学実績を伸ばすでしょう。
    「話すこと」を学習に加えるのに異論はないのですが。


    以前にもこのブログで書いたことですが、昔、勤めていた集団指導塾では3月に新中1英語準備講座を行っていました。
    10人ほどのクラスでしたが、それでも参加者の英語力はバラバラでした。
    中学受験の勉強に忙しく、英語は小学校の授業で少しやっただけの子。
    中学受験はしなかったけれど、英会話教室に通っていた子。
    中学受験はしなかったし、英会話教室にも通っていなかった子。
    既に身についている能力と、教わったことをすぐに習得できる能力とが、バラバラなのでした。

    当時、小学校の英語は書くことは全くやりませんでした。
    中学入学に際し、最も不安な点はそこです。
    だから、新中1準備講座は、とにかく英語を書いてみることが中心でした。
    まず、アルファベットの大文字を書いてもらいます。
    大文字を正しく書けない学力の子が、存在します。
    次に、アルファベットの小文字を書いてもらいます。
    中学受験生の中にも、小文字があやふやな子は存在しました。
    しかし、彼らは、覚える勉強には慣れていますので、翌週には身につけてきます。
    厄介だったのは、英会話教室に通っていて、英語には得意意識があるのに、小文字を書けない子が一定数いたことでした。
    しかも、そういう子は、書けない文字は翌週も書けないままであることが多かったのです。

    さらに単語のスペルの学習に進みます。
    CDから流れる単語を聴き取って、そのスペルを書く学習でした。
    「トマト」や「ピアノ」ならば、正しく書くことができても、「椅子」や「鳥」は正しく書くことができるようにならない子が存在しました。
    幾度練習しても、スペルを覚えることができないのです。

    中学受験生には、
    「スペルは、本当は規則があるんだけど、その規則自体が複雑だし例外も多いので、今のうちは、1つ1つの単語のスペルをいちいち覚えたほうが早いよ。漢字を覚えるようなつもりで覚えよう」
    と声をかけると、私の言いたいことをすぐ理解してくれて、子どもには不規則に感じるだろうスペルもどんどん書けるようになりました。
    一方、英会話教室に通っていた子たちの表情は、このあたりから暗くなっていきました。
    さらに授業が進み、「これは〇〇です」の文の練習になると、中学受験生は、もう英語学習の流れをつかんだ様子で、楽々と問題を解いていくようになります。
    しかし、英会話教室に通っていた子たちの中には、幾度説明しても冠詞aを書くことが身につかない子が現れます。
    音として聞き取れなくても、冠詞aは確実に言っているのです。
    しかし、そういう無音のタイミングを聴き取れない様子です。
    彼らには文法的にaが存在するはずという視点もありません。
    さらには、「これ」と「あれ」の使い分けができないという問題も発生します。
    英会話教室に3年間も通ったのに、確認テストで0点を取る子もいました・・・。

    そして、新学期。
    学力によって、クラスは2つに分かれます。
    中学受験生は、全員、上位クラスに入りました。
    英会話教室に通っていた子は、上のクラスに入る子もいますが、下のクラスに分けざるを得ない子もいます。
    そして、下のクラスに分けられた子の中には、塾を退会したいと言い出す子が現れます・・・・。
    結局、無理に上のクラスに置くことで退会を思いとどまってもらうしか引き留める方法がありませんでした。

    勉強が上手な子が英会話教室に通っていたのなら、問題ないのです。
    そのまま、中学のペーパーテストでも高得点を取り、発音がいいので英語の先生にほめられ、ALTの先生とも会話が弾みます。
    ますます英語が好きになります。

    でも、どこにでも、不器用な子はいます。

    英会話教室は楽しいのです。
    英語のあいさつ。英語の歌。英語のクイズ。英語のリズム体操。
    デジタルデバイスも沢山触われる。
    英語の動画。
    英語のゲーム。
    とても楽しい。
    ああいうのが、英語。
    楽しいのが、英語。
    小学校の英語の時間も楽しかった。
    クイズやゲームがいっぱいあった。
    ああいうのが英語。
    中学の英語は楽しくない・・・。

    中学校の英語も、勿論、授業中に音読したり聴いたり話したりということは盛り込まれています。
    しかし、テストは筆記試験とリスニングです。
    リスニングの割合は多くて2割。
    8割は筆記試験です。
    単語のスペルが覚えられないようでは、中学の定期テストで良い点は取れません。

    一方、中学校の英語の授業で話すことに力を入れて、「Show and Tell」の授業などをやることもあるのですが、全員にスピーチ原稿を書かせ、その発表会を行っていたら、たちまち1か月経ってしまいます。
    2か月進度に動きのなかった学校もあります。
    結果、学習進度が大幅に遅れ、中3の12月なのに教科書は半分も進んでいなかった学校も昨年度ありました。
    12月なのに、分詞も関係代名詞も学習していない。
    塾に通っている子は、もう夏期講習の頃には中学で学習する英語は終わっていますからいいですけれど、塾に行かずに勉強している子は、12月の段階で入試の英語長文を読むための重要な文法事項を知らないのでした。
    やり方にも問題があるのでしょうが、あれもこれもと「4技能」を詰め込まれても、学校の授業時間数には限りがあります。
    これでは、筆記試験が主体の現在の高校受験で良い結果が出せなくなるかもしれません。
    「話すこと」に踊らされず、それはそれとして、読解と筆記試験の学習をコツコツと深めていく子が高い成績を維持することは変わらないと思います。

    学校の5段階評定に「話すこと」のテストが大きく影響するようになればまた別なのです。
    しかし、実技系4教科のように、英語もペーパーテストよりも実技点のほうが大きく影響するようになるとは想像しにくい。
    「話すこと」の実技テストが加わるとしても、そこで点差が大きく開くことはないでしょう。
    現在の英検の1次試験に合格する子の大半は、2次試験に合格します。
    「話すこと」の評価基準が低いからでしょう。
    あるいは、「読む」「聴く」「書く」がそこそこ出来る子は、少し練習すれば「話す」テストに合格する実力は育っているということでもあります。
    リスニングも、高校受験レベルでは、余程不得意な子を除いて、点差の開かない分野です。
    全体に易しいですから。
    結局、点差が開くのはペーパーテストで、勝負どころはそこです。

    都立高校の英語入試に「スピーキング」が加えられるという情報はありますが、具体的な話はまだ一切見えてきません。
    どのように形で試験するのか、これから議論するという段階です。
    試験的実施すら何年先の話になるのか見当もつきません。
    5年後もまだ完全実施には至っていないかもしれません。
    今の小学生は気にしたほう良いですが、今の中学生・高校生は「4技能」という情報に惑わされて勉強の方向を間違えると、むしろ英語の成績が下がる結果になりかねません。
    今まで通り、英語を読んだり書いたり聴いたりする勉強をコツコツ続けることに加えて、スピーキングも視野に入れていく勉強をしていく必要があると思います。

    時代は変わりました。
    子ども向け英会話教室も、お遊び教室ではなくなっています。
    英検に合格できる英会話教室であることが1つの指標になった感があります。
    英検3級ですらライティングのある時代です。
    英会話教室も、「聴く」「話す」だけでなく、「読む」「書く」の学習に力を入れるようになりました。
    それでも、
    「週2回も英会話教室に通っているのに、成績は4止まり。やっぱり筆記試験に弱い」
    「英検タイプの問題には強いけれど、それに特化しすぎて、学校の定期テストで高い得点が取れない」
    と、今もうちの塾に問い合わせがあります。
    一方、学習塾も、「読む」「聴く」「書く」だけでなく、「話す」学習の強化を行っています。
    うちの塾も、毎回90分の中の一部として、英検の模擬面接を本人の実力にあわせて行っていきます。
    英検受検時には、ライティング対策にも時間をかけています。


    いつから英語を学ぶのか。
    どこで学ぶのか。
    正解は1つではないと思います。

    ただ1つ言えることがあります。
    勉強が好きな子は、英語教育がどう変わろうと今も昔もあまり問題がないのです。
    「先生、英語って簡単じゃね?」
    そんなふうに言います。
    「まあねえ。でも、じきに、泣くほど難しくなるよ」
    「・・・・泣くほどか」
    そう言って、笑っています。

    難しいことは、難しいから、面白い。
    勉強は、勉強すること自体が面白い。
    それを知っている子は、もう、一生大丈夫なんです。
      


  • Posted by セギ at 14:18Comments(0)英語

    2018年02月21日

    大学入試民間試験導入の最新情報と、英語長文を読む力。


    2020年度から大学入学共通テストが始まります。
    そこで導入される英語の民間試験について、国立大学協会がガイドライン案をまとめたとの報道がありました。
    公表は4月頃になるとのことです。

    英語は「読む・聴く・話す・書く」の4技能を測定するため、民間試験に移行することが決まっています。
    今回まとめられたガイドライン案は、この大きな変化を考慮し、2023年度までは、センターが作る「リーディング」「リスニング」テストを全受験生に課すというもの。
    つまり2023年度までは、これまでのセンター試験の「英語」「リスニング」とそんなに違わない共通テストをやはり全員受けるということですか。
    ガイドラインに強制力はないとはいえ、概ねそういうことになりそうです。

    その間、民間試験の扱いはどうなるのかというと、1割弱の加点とのこと。
    すなわち、センターの作る英語の問題が200点満点であるなら、例えば、英検2級合格は+15点の加点、英検準1級合格ならば+20点の加点。
    全体で220点満点になったイメージですね。

    2024年以降はまた違ってくるのでしょうが、スコアを入試にそのまま使用するのではなく、その級に合格すれば加点という形ならば、対策はやりやすそうです。
    受験までの1年間の間に受けた英検2級のスコアを入試の英語得点とするということになると、指導法がこれまでとは変わってきます。

    これまで、英検はとにかく受かれば良いという指導をせざるを得ませんでした。
    多くの生徒が単語力が伴わないのに英検を受けるので、大問1の語彙に関する短問は、50%程度の正答率でも仕方ないのです。
    それ以降の読解問題は、75%は正答しましょう。
    リスニングも75%の正答率が目標です。
    英作文?
    何をどう書いていいかわからないという子が多く、一番不安を感じるようですが、書き方のひな型がありますから大丈夫です。
    合格点は取れます。
    実際、この2年間の受験生は全員、リーディングのスコアよりもライティングのスコアのほうが高かったです。
    案ずるより生むが易しです。

    合格することだけが目標なので、そんな指導でした。
    しかし、スコアがそのまま入試に使用されるとなると、それでは話が済まなくなります。
    英語は得点源ですから、他の科目の凹みの分も英語でガサッと得点したいです。
    これまでのセンター試験では、200点満点のうち最低でも180点を目標としてきました。
    できれば190点を取りましょう。
    取れますよ。
    個々の大学入試問題と比べたら本当に易しいですから。
    そのためには、まず単語力を抜本的に鍛えていきますよー。
    それが終わったら、この課題。
    次はこれ。
    それから、これ。
    そういう指導をしてきました。
    これからは、それを英検2級でもやるんだなあ。
    最短でも結果が表れるまで半年はかかるので、準備も前倒しだなあ。
    なかなか大変だ。
    そう考えていました。

    とはいえ、大学受験のための英検受検なら、生徒のモチベーションが違ってくるから大丈夫なのかもしれません。
    今、高校生で英検2級を受ける子は、どこにモチベーションがあるのか、ちょっとよくわかないことがあるのです。
    英検2級を何に使うという目的もなく、ただ受けるからでしょうか。
    「友達がこの前合格したから、自分もそろそろ」
    「英検2級くらいは、もう受かるかと思って」
    ・・・・受かりませんよ、そんなモチベーションでは。( ;∀;)

    まだ受験学年ではないので学習に対して腰が座っていませんから、単語力を根本から変えていく訓練に耐えられそうにありません。
    だから、英検2級にふさわしい単語力がないのを承知の上で、ギリギリ合格する指導を今は行っています。
    そう考えたら、今の英検指導のほうが多くの困難を抱えながら善戦しているのかもしれません。


    単語力さえあれば英文は読み進めていくことができます。
    知っている単語ならばリスニングも聞き取れます。
    大元は単語力です。

    英検の最大の得点源は、リスニングと長文読解。
    しかし、長文読解問題が苦手な人は多いです。
    大半の人は、単語力不足に悩んでいます。
    単語がわからないので、英文を読んでも意味がわかりません。
    1行に1個や2個のわからない単語があっても読み進めることができますが、1行に5個も6個もわからない単語がある文章は、どんなテクニックを使っても読めません。
    そして、文法力。
    わからない単語があっても、その単語の位置から品詞を特定し、見切る力。
    文の構造を把握して大づかみにしていく力。
    ちまちました例外的な文法事項は、文法問題のために覚えるものですが、そうではなく、英文の構造把握のための文法力が読解には必要です。

    単語力がない子が妙な読解テクニックにかぶれて、おかしな読み方をすることがあります。
    いわゆる「類推読み」というもので、極端な話、本文を読まないで問題を解くというところまでいってしまうこともあります。
    単語の意味がわからな過ぎてどうしようもないのはわかるのですが、そういうときには、歯をくいしばって単語力をつける努力をしてほしいです。
    そのほうが、結果的には早道ですから。
    しかし、楽そうな道に逸れてしまう子は多いです。

    以前、こんな誤読がありました。
    乳幼児を持つ親が自分の住んでいる郡の保健所に問い合わせたメールに対する、保健所からの返信を読む問題でした。
    検診はどこで受けられるのか、予防接種は保健所で受けることは可能かといった問い合わせへの返信です。
    ところが、その子はそのメールを、誰かが田舎のデパートにクレームをつけたものへの返信として読んでいたのです。
    「郡」という単語を「田舎」と誤読。
    「部署」を「デパート」と誤読。
    「述べる」を「クレームをつける」と誤読。
    そして、その誤読した3つの単語だけで、文章の大意を類推。
    そのようにして、似ても似つかない内容のものを勝手に頭の中に作り上げて個々の設問を解いていました。
    勿論、全問不正解でした。
    ( ;∀;)

    誤読した3つの単語だけでストーリーを作り上げてしまっては、類推読みを通り越して妄想の域ではないかと思います。
    単語力がないとそのようなことが起こります。
    勿論、英文の隅々までわかるほどには学習は進まない場合もあります。
    だから、意味のわからない単語をある程度カバーする読解テクニックは存在します。

    例えば、主語が人で、意味のわからない動詞があり、その後にthat節が続いている場合、
    「この動詞の意味がわからないから、文の意味がわからない」
    と嘆く受験生に、
    「人が主語で目的語がthat節なら、そんな動詞は大体『言う』か『思う』のバリエーションです。何か意味が添えられているのは確かですが、意味の強弱の範疇のものですよ
    と説明すると、目から鱗が落ちたように驚きます。
    「主張する」も「説明する」も「証明する」も「反論する」も、「言う」ことのバリエーション。
    その単語の意味がわかるに越したことはありませんが、わからなくても何とかなります。
    全体の流れを読んでいく妨げにはなりません。
    こういう類推読みなら有効です。
    しかし、それには、少なくともその前後の内容は理解できていることが必要です。


    真面目すぎる子の中には、1つのわからない単語にとらわれて英文を読み進めることができなくなる子がいます。
    「妄想誤読」も厄介ですが、たった1語にこだわるのも困ったことです。
    特に受験生は、緊張で視野が狭くなってしまうのか、後ろに脚注があることに気づかず、単語の意味がわからなくてパニックを起こすことがあります。
    また、脚注はないのに変に難しい単語や言い回しが使用されている場合、その意味を文章中で説明してくれていることが多いです。
    それが設問の内容だったりもします。
    しかし、パニックを起こして、そのことも判断できなくなってしまうことがあります。

    妄想的な読み方はしない。
    1語の意味にこだわらない。
    こうしたほど良さやバランスを習得するためには、やはり、必要な単語力は身につけた上でたくさんの長文を読み、場数を踏む必要があります。


    単語力も文法力もそれなりにあるのに、妙な誤答を繰り返す子も、ときどきいます。
    たとえば、こんなふうでした。

    I am Akira. I am fifteen. I live in New York. There are five people in my family; my father,my mother,my brother,my sister and me.

    これは中2向けの長文です。
    全てがクリアで、間違うはずがないように見えます。

    問1 How many people live with Akira?

    その子の答えは、 No one dose. でした。

    Five people do.
    と答えるケアレスミスなら、まだわかります。
    なぜ、誰も一緒に住んでいないと誤解したのでしょうか。
    答えの英文は、文法的に正確で、英語力がそれなりのものであるのを感じさせるのに。

    「これは、4人ですよ。お父さんとお母さんとお兄さんとお姉さんの4人と一緒に住んでいます」
    「そうなんですか?」
    と、彼は、心から驚いた顔をしていました。
    「1人で住んでいるんじゃないんですか」
    「なんでそう思うの?」
    「1人でニューヨークに留学しているんじゃないんですか」
    「そんなこと、どこにも書いてないよ」
    「だって、アキラは、日本人だから。日本人がニューヨークにいるんだから、留学でしょう」
    「・・・あなたは、何時代の人なの?」

    誤読しやすい人は、思い込みが強いのだと思います。
    「行間を読め」とよく言いますが、英語でも日本語でも、書いていないことを読んではいけません。
    行間なんか読んだらダメです。
    書いてあることから当然推定できることだけを答えるのが、読解です。

    厳密に言えば、彼がニューヨークで家族と一緒に住んでいると、この英文には書かれていません。
    けれど、独り暮らしならば、この書き方はしないでしょう。
    その場合は、家族は4人いるけれど日本に住んでいて、アキラはニューヨークに住んでいる、という説明があるはずです。
    そして、アキラは、ニューヨークでホームステイをしていますという、ありがちな展開になっているはず。
    それがないのだから、アキラは家族とニューヨークに住んでいるのでしょう。

    段落を変えていないことからも、それはうかがえます。
    1つの段落には1つの内容を書くのが文章のルールです。
    だから、1つの段落の中で語られる家族は「ニューヨークに住んでいる」という情報の中にくくられます。

    英語の長文を読むには、まず単語力が必要です。
    そして文法力。
    わからない単語があっても、その単語の位置から品詞を特定し、見切る力。
    文の構造を把握して大づかみにしていく力。

    でも、それだけではダメで、もう1つの力が必要なのかもしれません。
    書いてあることを正確に読み取る力。
    書いていないことを勝手に読んだりはしない力。
    誤読しない力。
    変な行間を読まない力が必要です。
    それには、多くの英文を読み、誤読の癖があるならそれを客観的に指摘されて自覚しないと直せないでしょう。
    演習量の確保は不可欠です。

      


  • Posted by セギ at 12:18Comments(0)英語

    2018年01月26日

    英語のライティングは英語で発想しましょう。


    英語の4分野の能力、リーディング、リスニング、ライティング、スピーキング。
    英検2級の出題内容が2016年度から変わっています。
    従来の大問3の乱文整序問題がなくなり、代わって英作文が出題されるようになりました。
    与えられたテーマに沿って、80語から100語の英文を書きます。
    2016年度第1回日曜日実施問題のテーマは、オフィス・カジュアルについて。
    第2回日曜日実施問題のテーマは、化学物質を使わない農業について。

    何だか難しそうですが、実際の試験はもっと親切で、色々説明してくれています。
    例えば、第1回の問題では、
    「今日、従業員にジーパンやTシャツのようなカジュアルな服装を許可する会社もあります。
    そうした会社の数は将来増えると思いますか」
    これならイエスかノーかですから、意見が書きやすいですね。
    試験問題は、そう思う理由を2つ書きなさいとも指示されています。
    しかも、参考となるポイントも3つあげられてまいす。
    ビジネス・カルチャー
    快適さ
    ファッション
    このポイントは使っても使わなくても構いません。

    「英作文が苦手」と言う人は多く、あまりにも苦手なので2015年のうちに無理をして英検2級を取った生徒もいました。
    大学に内部進学するのに、英検2級取得が必須なためです。
    中学3年で英検2級を取得するほうが余程大変なんですが、「英作文が出題される」というのはそれほどショックだったのかもしれません。

    しかし、「英作文が苦手」と言う人が、本当にそんなに英作文が苦手なのかというと、どうもそうではない場合も多いように思います。
    学年相応に書く能力があるのに、英作文が苦手だと言う人もいるのです。
    自分の読む英語と比べて自分の書く英語が幼稚で見劣りがするため苦手意識にとらわれているのでしょうか。

    リーディング能力と比べてライティング能力が劣るのは普通のことです。
    母国語に関してもそうです。
    難解な論文も一応は読み通せるが、書く文章はそれより何段階も劣ったものになるのは仕方ないです。
    名文を書こうとしても仕方ない。
    わかりやすい文を書けば良いのです。
    そういうことを理解していることが客観性ということだよ、と思うのです。

    しかし、中学生や高校生はまだなかなか自分の能力について客観性を持てません。
    満点でなければならないという固定観念にとらわれている子もいます。
    だから、何を書いても△がついて返ってくるテスト答案にショックを受けてしまうのでしょう。
    そして苦手意識を持ってしまう。
    そういう場合があります。
    英作文で満点を取ることを目標として委縮し、結局何も書けないのはつまらないことです。
    英作文問題は、満点でなくても構わないんです。
    まず、そこから意識を変えられるといいなあと思います。

    英作文の何が△になってしまうのかというと、大きくは「文法上の誤りやスペルミス」と「内容」に別れます。
    文法上の誤りやスペルミスが多いほど減点されるのは当然で、それは英語力の問題ですから改善したいです。
    中学生や高校生に特に多いのは冠詞の欠落。
    可算名詞は単数形でむき出して使うことはありません。
    必ず冠詞か所有格か指示形容詞がつきます。
    平たく言えば、aやtheやmyやthisなどがつくか、そうでなければ複数形で使用します。
    これは単純な「和文英訳」問題でもミスの多いところです。

    もう少し根深いミスもあります。
    中学生や、英語があまり得意ではない高校生は、英作文の宿題を解くときに、辞書を引いて英文を書いてくることがあります。
    しかし、品詞に対する意識が希薄なので形容詞や副詞を名詞のように主語として使っていたり、接続詞を使わず文と文をつないでいたり、主語がなかったりします。
    何が書いてあるのか全くわからない奇妙な語順の英文を書いてきます。
    「これ、日本語から英語にしたでしょう?しかも、辞書を引きましたね?」
    と指摘すると、本人は努力してそうしたので、そこを非難されるとびっくりしてしまう様子です。
    品詞によって単語を使い分ける文法知識がないと、辞書を引いても正しい英作文はできません。
    日本語の語順・表現のまま英語に直しても、意味は通じません。
    英文として読み解くことが困難な、暗号のようになってしまい、
    「これ、何が言いたかったの?日本語で説明してくれる?」
    と私は質問せざるを得ないのですが、そう質問されると生徒はぶ然とし、なかなか答えてくれなかったりします。
    嫌味で言ってるわけじゃない。
    本当に意味がわからないから訊いているんだよー。
    ( ;∀;)

    例えば「環境問題」を語るのに、「環境問題」を英語で何と言うか、ど忘れした。
    そういうことなら辞書を引いて解決したら良いのですが、日本語の言い回しを辞書を引いて繋げただけの作文は、異形のものです。
    読むほうもつらい。
    本人の努力のわりに報われません。
    そうしたことを繰り返したあげくの挫折感から英作文が嫌いになってしまうのは、勿体ないし、哀しいです。
    もっと平易な、自分が自力で書くことのできる範囲の英語で十分なのです。
    そこから少しずつ書く能力を高めていったら良いのですから。
    お手本となるのは、中学の英語の教科書です。
    あんなに語彙が少なく、文法も易しいのに、環境問題も、戦争の災禍も、異文化コミュニケーションも、もう何でも説明しています。
    あの英文が書けたら、英検2級の英作文は満点でしょう。
    目指すところはあそこです。
    そんなに難しい単語は必要ないのです。
    中学2年・3年の英語の教科書は、だから捨てないで取っておいたほうがいいです。
    勿論、高校の教科書も。

    子どもは、親に「部屋を片付けなさい」と命じられると、真っ先に勉強関係のものを捨てる傾向がありますが、教科書だけはとっておいたほうが良いのです。
    なかには毎年春になると昨年度の教科書・教材を全部捨てる暴挙に出る子どももいますが、受験が終わるまで、教材は捨てるものではありません。
    都立入試のための社会科の勉強をしたいのに、地理の教科書や資料集・地図帳を捨ててしまって持っていない生徒、たまにいます。
    理科の復習をしたいのに、中1・中2の理科の教科書や参考書を捨ててしまって、どう復習していいのかわからなくなってしまう子もいます。
    慌てて受験用のものを買い直すのですが、ざっくりとしか説明していないので、細かいところが何だかよくわからず、モヤモヤとした受験勉強をしている子は多いです。
    わからないところを振り返りたくても、振り返る教材がないのです。
    中学入学の際に、小学生の頃の教科書や教材を捨てるのは、わかります。
    高校入学の際に、中学英語の教科書以外を捨てるのもわかります。
    でも、その途中で教材を捨てるのは、後で困るだけです。
    大学入学の際も、英語の文法参考書・単語集は取っておきましょう。
    大学に入っても、英語はありますから。
    他にも、進む学部学科によって、少し取っておいたほうがよい教材はあると思います。
    子どもに任せておくと本当に何でも捨てますから、部屋の大掃除も助言は必要です。

    話がそれました。
    英作文について。

    英作文への誤った思いこみや姿勢が直り、自力で英文を書くようになった子にも、さらなる困難はあります。
    これは国語の作文でも言えることです。
    そもそも、書くことがない。
    意見がない。
    何も思い浮かばない。
    そういう子も多いです。
    これが「内容」に関する課題です。

    そうした子のためにも英検2級の出題形式は有難いです。
    イエスかノーなら誰でも判断できますし、そう判断した理由も何かあるでしょう。
    そして、もし作文の課題がそういう形式ではなかったら、自分でそういう形式に直したらいい。
    これは、入試の小論文対策などでも、よく言われることです。
    漠然とした課題をイエスかノーかで答えられる問題にする。
    その内容について、イエスかノーかを明示する。
    その理由を述べる。
    それで十分合格点の作文を書くことができます。

    英検2級の英作文課題は、従来からある英検準1級の問題の指定語数が少ないだけです。
    もっと練習したいのに、まだ出題形式が変更されて2年なので、過去問の数が少ないなあと嘆く人は、英検準1級の過去問を買って、指定語数だけ変えて解いて、模範解答を参考にすると良いと思います。
    2級に合格したら次は準1級ですから、無駄になる買い物ではないですし。
    さらにもっと本気で対策したい人は、NHKのラジオ講座「ビジネス英語」はこうした話題を常に扱っていますから勉強になると思います。
    新しいものの考え方を、それをどう英語で表現するかも含めて書いてあるので、テキストを読むだけでも面白いです。


    今はパターンが変わりましたが、以前、子ども向けの英会話教室のラジオCMで、子どもが自分の作った3行の英文を発表する形式のものがよく流れていました。
    将来の夢を語るものが大半でした。
    例えば、
    「私は、将来ツアーコンダクターになりたいです。
    世界中を見てまわりたいです
    いつか、あなたは私の案内で外国を旅行するかもしれませんよ」
    そんな内容のものか幾通りも放送されていました。

    この3行の英作文、何通りもパターンがあったのにほとんど同じ構造なのが気になりました。
    3つ目の英文の変に気の利いた言い回しが、何種類か聞くとむしろテンプレート丸出しでした。
    ひな型に押し込めるだけの幼児英語教育であることを宣伝しているようで、逆効果じゃないのかなあ。
    聞く度にそう感じていました。

    ただ、ひな型が必要な子が多いのも事実です。
    英検2級の英作文も、この2年でたちまち対策がシステム化し、どのように書くかテンプレートが完成しています。
    これもまた大学受験の小論文と同じ流れです。
    受験産業とはそういうもの。
    何も書けない子を、型通りに何か書かせるようにして、受験会場へと背中を押すもの。
    だって、ほおっておくと、日本語を英語に写したままの意味不明の呪文を書いてしまうものなあ・・・。
    1つ目の理由と2つ目の理由と、自由気ままに混ぜこぜで書くからなあ・・・。
    合格点の英作文を書かせるには、書き出しを固定し、ひな形に押し込めるのが手っ取り早いものなあ・・・。
    そうやってテンプレートを教えると、作文の書けない生徒は喜ぶし安心するものなあ。
    ここから始めて、あとは自分の努力で肉づけしていこうね。
    自分の中にない英語は、どうやっても書けないからね。
    語彙を増やし、表現を豊かにするのは、受験のための対策ではなく、一生の勉強だから。
    何か苦いものを感じながらも、そのように思います。


    英作文に関しては、以前、こんなこともありました。
    あるとき、生徒の定期テスト答案を見ると、
    使役動詞を用いてひと続きの内容の3文を書きなさい」
    という出題がされていました。
    その子の答案は、文法ミスを直して復元すると、このような感じのものでした。

    My parents don't let me use their computer.
    Because it made me play video games for many hours.
    So I am careful not to use it.

    おお。使役動詞を2個も使っている。
    でも、採点した先生の評価は低かったのです。
    第2文、第3文は得点がなく、ほとんど直されていました。

    Because I can play video games with it for many hours.
    So I decide not to use it.

    先生の添削では、むしろ使役動詞は使われていません。
    生徒が書いた、
    「コンピュータが私にテレビゲームをさせた」
    「コンピュータを使わないように気をつけます」
    という表現が全て直されているのが興味深いです。

    1つには、それは英語的な発想ではない。
    論理構造がおかしい。
    無生物主語は英語によくあるとは言え、こんな言い方はしないでしょう。
    日本語としても、そういう表現は大人をイラッとさせる気がします。

    コンピュータが私にテレビゲームをさせた、じゃありませんよ。
    あなたが勝手に長時間やったんです。
    コンピュータは強制していません。
    それをコンピュータのせいにする自分の甘さを直視できていますか?
    コンピュータを使わないように気をつけます、じゃありませんよ。
    そのもってまわった言い方は、およそ英語的ではないですよ。

    そうした先生の怒りや心配が添削された英作文から感じられて、私には興味深かったのですが、その生徒に学校の先生の気持ちが伝わったかどうかは微妙です。
    本人の感想は、
    「テレビゲームって、ビデオゲームって言うんですね」
    でした。

    そこっ?(''Д'')


      


  • Posted by セギ at 12:46Comments(0)英語

    2017年12月06日

    受動態と日本語のリーディングスキルテスト。


    新聞やネットでご覧になった方も多いかと思いますが、先日結果の一部が発表された、中高生を対象に行われたリーディングスキルテストは、興味深いものでした。
    国立情報学研究所の研究チームが、2016年4月から2017年7月にかけて、全国の中高生約2万4000人を対象に行ったテストです。
    実際の教科書に載っている文章を生徒が正しく読解できるのかどうかを試すテストでした。

    例えば、こんな問題。

    仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。

    この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

    オセアニアに広がっているのは( )である。
    ①ヒンドゥー教
    ②キリスト教
    ③イスラム教
    ④仏教

    正解②
    正答率 中学生62% 高校生72%

    ほお。結構読解できているじゃないですか。
    ところが、次の問題になるとガクンと正答率が下がっています。

    問題
    メジャーリーグの選手のうち28%はアメリカ合衆国以外の出身の選手であるが、その出身国を見ると、ドミニカ共和国が最も多くおよそ35%である。

    この問題文を読んで、メジャー選手の出身国内訳の正しい円グラフを4つの中から選ぶ問題でした。
    ドミニカ共和国が約9.8%のグラフが正解です。
    正答率 中学生12% 高校生28%

    これは、しかし、読解というより数学力かもしれません。
    「割合」が苦手な中学生は本当に多いですから。
    0.28×0.35=0.098 
    の式をすぐに立て、計算して正答を導く子は少ないと思います。
    割合×割合 という式は、私立中学を受験する小学生でも立てられない子は多いです。
    これは大きな課題です。

    でも、今回、私が驚いたのは、この問題ではありませんでした。
    次の問題を読んでください。

    問題 Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。

    Alexandraの愛称は( )である。
    ①Alex
    ②Alexander
    ③男性
    ④女性

    正答①
    正答率 中学生38% 高校生65%

    あるいは、こんな問題も。

    問題 
    幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。

    上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。異なるか。
    1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。

    正答 異なる。
    正答率 中学生57% 高校生71%

    公開されている問題がまだ限られているので、正確な分析のはずもありませんが、これだけで判断すると、中学生はどうも「受け身」で語られることに弱いのでしょうか。

    どちらがどちらと「呼ばれる」のか、わからない。
    どちらがどちらに「命じられた」のか、わからない。
    受動と能動の区別がつかない。
    もしかしたら、そういう子が多いのではないか?

    英語の「受動態」は中学2年の最後、あるいは中3の最初で学ぶ単元です。
    解説すると、どの子も、大体は理解したような顔をします。
    しかし、その定着はかなり差がつく単元でもあります。

    問題 次の文を受動態に直しなさい。
    Mr.Nakata wrote this letter.

    「中田さんはこの手紙を書いた」という文です。
    受動態は、
    This letter was written by Mr.Nakata.
    「この手紙は、中田さんによって書かれた」となります。

    しかし、これを、
    Mr.Nakata was written by this letter.
    と書いてしまう子は、一定の割合で存在します。
    「いやいや。意味を変えないで書き直そう。その英語だと、中田さんはこの手紙によって書かれたという意味になって、気味わるいでしょう?」
    と説明しても、そういう子は、ポカンとしています。
    「・・・え?どういうことですか?」
    「だから、目的語と主語を入れ替えないと、同じ意味にならないでしょう?」
    「・・・え?この単語とこの単語を入れ替えればいいんですか?」
    「・・・・」
    入れ替えればいいという言い方は、単に操作上の確認をしているだけのように聞こえるのです。
    自分の誤答の何が問題なのか、本質がわかっているのかなあと不安になることがあります。

    問題の指示が不親切なのだという意見もあるかもしれません。
    「次の文を、文意を変えずに受動態に直しなさい」
    とすべきである、と。
    でも、わかる子は、わかるのです。
    出来上がった文が意味をなさない奇妙なものになるのを避けたい子は、正解します。
    なぜ、それを考えず、ただ機械的に受動態にする子がいるのだろう。
    英語の学習をしていて、文の意味というものを考えているのだろうか?
    言われた通りに単語を並べているだけなのか?
    そういう疑問を感じてしまいます。

    しかし、今回、リーディングスキルテストの問題の一部を見て、ああ、能動と受動の意味の違いを把握できない子が相当数いるのだと気づいて、目から鱗が落ちました。
    じゃあ、奇妙な受動態を機械的に作っても仕方ないかもしれません。
    意味が変わっていることに本人は気づかないのですから。
    能動も受動も、その子にとっては同じ意味で、おそらく、能動の意味しか把握できないのだと思うのです。

    母国語で区別がついていないものを、英語で理解できるわけがない。
    だから困難が生じる。
    そういうことなのかもしれせん。

    ただ、それならばなおさら、英語で受動態をしっかり学習することで、日本語にも受動の文があることを理解できる可能性はあるのだとも思うのです。
    日本語の文法を学習する意味も理解できるかもしれません。

    国語で文法を学習していて「そんなの知らなくても日本語は話せるし」と言う中学生は多いです。
    そういう子の多くは、日本語の文の主語・述語すら指摘できません。
    そのことは、英作文の能力に影響しています。
    「クラスの多くの男の子たちがやっているスポーツは野球です」
    という日本語を英文に直すとき、
    Class から書きだそうとし、その後が全く続かず万事休すという子に、私は問いかけます。
    「日本語で考えてみよう。この文の主語は?」
    「え?あ?男の子ですか?」
    「違います。主語は『スポーツは』だよ」
    「ええっ」

    日本語で主語が把握できると、英作文は易しいのです。
    上の文の書き出しは、The sport です。
    逆に、国語の文法がわかっていないと、構造の複雑な英文は上手く作れないんです。


    日本語の主語の見つけ方。
    まず、日本語の述語は、倒置法などの例外を除いて文末にあります。
    だから、述語はすぐに見つかります。
    そこから主語を判断します。
    日本語の文型は、主に、
    「何がどうする」(述語に動詞を使った文)
    「何がどんなだ」(形容詞・形容動詞を使った文)
    「何が何だ」(名詞・代名詞を使った文)
    の3通り。
    その文型から判断すれば、「何が」にあたる主語は見つかります。
    主語を見つけたら、英文は、その主語から始まります。
    あとは冠詞や前置修飾の修飾語の存在を判断して書きだしていくだけです。

    日本語の文法の知識が、英語の文法の理解を助ける。
    そして、英語の文法の理解が進むと、日本語の文法がわかってくる。
    その相乗効果はあると思うのです。

    ただ、上のようなことを、
    「理屈が通っていてわかりやすい。スカッとする。やっと英語がわかった」
    と感じてくれて、英語がグングンできるようになる子も多い一方、上のような話をしている限り、その先一歩も英語ができるようにならない子もいます。
    文法に対して信じられないほどの拒否反応のある子たちは、上のような話が大嫌いで、頭に残らないようなのです。
    文法なんかわからなくても、英語ができるようになる方法はきっとあるはず。
    そう考え、彷徨い始めます。

    上のような「ゴリゴリ、ガチガチの文法」を、文法なんか教えていない顔で教える方法を考えるべきなのか。
    理屈の嫌いな子に向けて。
    文法からアプローチできれば、英語は簡単なんだけどなあ。
    (*^^)v

      


  • Posted by セギ at 13:49Comments(0)英語

    2017年08月26日

    文章を読解できない理由。



    夏期講習に入り、高校3年生の英語の授業は過去問を使って実践的な演習を始めています。
    最近の5~6年の過去問はもう少し入試が近づいてから解きたいので、それ以前のものや受験する可能性のない学校の過去問を、この時期の演習には使用します。
    その中で、英語力にそんなに課題があるわけではないのに、共通して解けない問題があるのを発見することがあります。

    例えば、ある論説文。
    大体、こんな内容です。
    若者がイヤホンを使用し電車の中で音楽を聴いている光景も当たり前になった。
    他人に迷惑をかけずに電車内で音楽を楽しめるのは良い点ではあるが、彼らは、電車の中という公共の場でも他人と接触することがなく、それぞれに孤立している。

    このような文章に関しての、第1問。
    「筆者は、電車でイヤホンを使用することの利点は何であると述べているか」
    これは四択問題で、正解は、
    「他人に迷惑をかけずに音楽を楽しめること」
    という選択肢なのですが、この夏、この問題を解いた3人が3人とも間違えて次の選択肢を選んでしまいました。
    「電車の中でも他人と接触せずに済む」

    ( 一一)
    筆者はそれをむしろ否定的に書いています。
    しかし、生徒たちはそれを利点と感じるせいなのか、そのひっかけに見事に騙されていました。

    また別の英文。
    それは、仕事と余暇に関する文章でした。
    以下のような内容です。
    週休2日制が普及し、以前と比べて余暇の時間が増えている。
    しかし、余暇の時間を持て余している人も多い。
    従来、余暇は仕事をより良いものとするための休息の意味合いが大きかった。
    生活において仕事が第一であり、余暇は仕事を能率的にこなすための休息であった。
    しかし、近年、生活の中心は家庭であったり趣味であったりとする考え方が生まれている。
    そうした考え方においては、余暇は仕事のための休息ではない。
    だが、従来の仕事中心の考え方に影響されている人もまだ多い。
    そうした人たちは、余暇の時間に遊ぶことに罪悪感を覚えることがある。
    だから、余暇を仕事に使ってしまったり、余暇の時間に別の仕事を探してしまったりする。
    仕事と余暇とのバランスをもっと考えていくことが必要である。

    この文章に対する最後の設問。
    「筆者がこの文章で最も述べたかったことは何か」

    正解は、
    「仕事と余暇とのバランスをもっと考えていくことが必要である」
    という選択肢です。
    しかし、生徒たちが選んだのは、
    「近年、ますます余暇が増えている」
    という選択肢でした。

    ・・・いやいや、それは単なる事実で、筆者が最も言いたかったことではないです。
    ( 一一)



    なぜ、ここを間違えてしまうのでしょうか。
    1人正解できない人がいたというだけなら、その子の読解力の問題ですが、さまざまな英語力の3人が3人とも、同じところで間違えるとなると、何か他に理由があるのかもしれません。

    これは、国語においても言えることだと思うのですが、彼らは、文脈を正確に追わず、主観で文章を読んでしまったのではないかと思うのです。
    イヤホンの件で言えば、筆者が否定的に述べていることが、自分にとっては魅力的なことだったので、否定的にとらえることができなかったのではないでしょうか。
    仕事と余暇のバランスに関する文章は、自分の生活や考えとかけ離れていて、筆者の言っていることが理解不能だったので、そこを避け、自分が理解できる選択肢しか選べなかったのかもしれません。


    それで思い出したのは、この夏、中3の夏期講習で国語の読解をしていたときに、本文中のいくつかの傍線部を「事実」と「意見」に分けるという比較的単純な問題を正答できない生徒もいたということです。
    学力的には問題のない子です。
    申し分ない学力の子が「事実」と「意見」を区別できないことに私は内心驚いたのですが、そもそも、そのような観点で文章を読んだことがないのかもしれません。
    筆者の意見と自分の意見、あるいは意見と事実とを区別できないまま、曖昧な状態で文章を読んでいるのでしょうか。

    もっとテクニック的に、文章中のA内容(世間の常識的な概念)とB内容(筆者の考え)とをサクサク対比して、選択肢をザクザク消してさっさと正解を出していく国語読解法を指導しようと思っていたのですが、ああ、この子たちはもっと手前だと感じました。
    文章を読んだ経験がとにかく足りない様子です。

    しかし、そういう話になると、「本をもっと読みましょう」という結論になりがちです。
    それは勿論悪いことではないのですが、そういうときの「本」は、たいてい物語や小説で、文章の構造そのものが違いますから、上にあげたような論説文は読み慣れないままとなる可能性が高いのです。
    小説も読めない子なら、まず小説から読めばいいでしょう。
    しかし、学力が高い子は、小説ならまあまあ読解できる子が大半です。
    問題は、論説文が読めないこと。
    そんな文章、どこで読めばいいのでしょうか?
    学校の図書室を探しましょうか。
    あれ?
    学校の図書室に論説文なんてありましたっけ?
    誰が書いたどんなタイトルの本が論説文なんでしょう?

    模試や入試に出題される論説文は、新聞や雑誌に掲載されたものが大半です。
    評論集としてまとめられているものもあるでしょう。
    しかし、生徒はそういうものに触れる機会がほとんどありません。
    読もうと思っても、どこに載っているのかわからないのです。
    ですから、論説文を読むには、論説文の問題を解くのが一番手軽で確実です。
    日常的に国語の論説文問題を読み、解いていくことで、論説文の読解力がついていきます。
    普段読んだこともなく、解いたこともないから、たまに模試や入試で解こうとしても、どう読んでいいかわからないのですね。


    ところで、国語の場合は物語文は得意だが論説文は苦手という子が多いですが、英語になるとそれが逆転しがちなのも面白い傾向です。
    英語の場合、論説文なら読み取れるのに、小説やエッセイになると、何が書いてあるのかわからなくなる子は多いです。
    近年、大学入試の英語問題に小説が用いられることは少なく、実用的な英文を読み取れることが第一とされてはいますが、たまに英語で物語文を読むと、ある程度の英語力のある子でも、内容をほとんど読み取れないことがあります。
    ユーモラスな文章、ジョークを交えた文章は特に読み取れない様子です。

    例えば、こんな文章。
    オーストラリア出身の若者が、ロンドンで生活しています。
    ガーデニングで庭に穴を掘っていると、近隣の人に声をかけられます。
    「プールでも作っているのかい?」
    「いや、故郷に帰ろうと思ってね」

    問題 この若者の返答の意味を面白さがわかるように説明しなさい。

    この問題に正答できた生徒は、今のところ1人も存在しません。
    正解を説明してあげても、それの何が面白いんだという顔をしています。

    その他にも、英語で書かれた小説やエッセイは、例えばヨットでサルが暴れていたり、日本人なのにネイティブ・アメリカンと間違われ続けたり、屋根裏部屋に幽霊が出たり、頭の中に空洞があることに気づいたりと、生真面目に英文を読んでいる高校生ほど書いてあることが理解不能であるらしく、なかなか正答できない様子です。
    英語で書いてあることは真面目なことだと思いこんでいるのかもしれません。
    英語で読むだけでもハードルが高いのに、書かれてあることが予想外に突飛な内容だと、自分が正しく読み取れている自信が持てない。
    英語はもっとありがちな、環境問題とか、異文化コミュニケーションの大切さとか、そういう教科書に載っているような内容が書いてあるほうが読みやすい。
    ・・・わかりますけれど、少し頭の硬い考え方だなあとも思います。
    結局、それも、英文を読んだ経験が不足していることが最大の原因なのでしょう。

      


  • Posted by セギ at 17:55Comments(0)英語

    2016年11月11日

    英文法が苦手な子。


    高校生と「分詞」の学習をしていたときのことです。
    例えば、下のような( )の語を適切な形に直す問題。

    Do you know the man (sit) on the bench ?

    分詞の限定用法の問題ですね。
    中学では「分詞の形容詞的用法」という言い方で学びます。
    分詞が名詞を修飾する用法です。
    修飾される名詞 man が sit という動作をするのですから、現在分詞 sitting が正解です。

    Ken showed me some pictures (take) by his brother.

    修飾される名詞 pictures は take という動作をされるのですから、過去分詞 taken に直します。

    ここまでは中学の復習。
    その子の学校の教科書の練習問題で復習しても、順調に正解していました。
    そこから先が高校の「分詞」の学習。
    分詞の叙述用法に進みました。
    SVCやSVOCのCに分詞を用いる用法です。

    ここでも現在分詞と過去分詞の使い分けが課題です。
    SVCの場合は、Sが動作主ならばCは現在分詞。
    Sが動作される側ならばCは過去分詞。
    SVOCの場合は、Oが動作主ならばCは現在分詞。
    Oが動作される側ならばCは過去分詞。
    「動作主」という言葉は厳密には古文で使用する用語ですが、便利なので私は英語の授業で使っています。

    文法が得意な子にとっては、明瞭でわかりやすいルールです。
    例外的なことを1つ1つ覚えるのは大変ですが、英語はこういう大きいルールが広く適用されるので学びやすいですね。

    しかし、その子は文法が苦手です。
    説明するだけで覚えるタイプではないので、何度もルールを復唱してもらい、その後、練習問題を解きました。

    He kept (knock) on the door until I opened it.
    その子の答えは knocked でした。

    「・・・・え?何で?」
    文法を正確に復唱できるまで何度も練習したのに、何で?
    「door はノックされるから・・・・」
    「・・・・え?」

    限定用法の話はさっき終わり、叙述用法だよと言ったのに、何でその話に戻るんだろう?
    ( ;∀;)
    door は、直前・直後の名詞ではないから、分詞に修飾される名詞ではありません。
    「・・・・knock の直前の単語は kept だし、knock の直後の単語は on だよ。door は随分離れている。関係ないよ」
    「あ・・・」
    「・・・・knock が door を修飾するんだったら、語順は the knocked door になるよ」
    「・・・・・」

    文法が苦手な子に英文法の授業をしていると、上のようなことが起こりやすいのです。
    教えたことが上手く伝わっていきません。
    上の例は、相手が何をどう誤解したのか明確だったので改善の可能性があり、まだ明るい光は見えているのですが、普段はもっと不可解なミスの繰り返しです。
    ミスの原因を生徒が言語化できない場合が多く、なぜそこを間違えるのか理解できない場合がしばしばあります。

    もう一度その子の学校の教科書に戻り、文法を確認してから教科書の練習問題を解くと、それは全部正解できました。
    「教科書の問題は正解できるね」
    「これは、答えを覚えているから・・・・」
    「え・・・・?答えを覚えている?」
    「復習したっていう意味ですよ」
    「・・・・私は何回解いても、問題の答えなんか覚えないけど?」
    「・・・・・?」
    「何でそんな意味のないことを覚えるの?」

    文法は覚えないのに、何で答えを覚えるの?
    (''Д'')

    愕然として、私は悟りました。
    文法が苦手な子は、そういう勉強をしてしまうのか・・・・。
    なぜ英語が得意にならないのか、その一端が垣間見えた気がするのです。
    いや、英語に限らずなぜ勉強が得意にならないか。
    努力をしているのは伝わってくるのに、なぜ結果が出ないのか。
    その一端が見えた気がしました。

    うちの塾で今、英語が最も得意な子は、90分の授業時間の中で、問題のぎっしり詰まったテキストや確認テストを毎回平均12ページ解いて帰っていきます。
    30分あたり4ページ。
    答え合わせの時間もありますから、1枚解くのに5~6分というところでしょう。

    この春、国立大学に合格した子は、1冊40ページのテキストを丸ごと宿題に出しても翌週全部解いてきていました。

    このあたりがトップクラスの実力です。

    しかし、英語が苦手な子たちのスピードはガクッと下がります。
    上に書いた高校生は、最初にいろいろ説明しなければなりませんし、間違えているとさらに説明する時間も長くなるのですが、演習スピード自体も遅く、90分の中で結局1ページしか解けませんでした。
    そしてその1ページの問題の答えを覚えることが、その子にとっての復習なのだとしたら・・・・。

    12ページと1ページ。
    塾だけで12ページ解く子が、問題の答えを覚えているかといったら、覚えているはずがありません。
    いちいち答えを覚えていられるような量ではありません。
    余程印象的な問題が含まれていたら別でしょうが、翌週同じプリントを渡しても、同じだと気づかず解き終わるかもしれません。
    学習した文法にしたがってサクサク解いているだけだからです。

    教科書の重要例文ならば日本語訳から復元できます。
    そういう練習はしています。
    でも、教科書の問題の答えは覚えていないでしょう。
    何度解いても正答できるでしょうが、それは、答えを覚えているからではないでしょう。

    その子は反論しました。
    答えだけ覚えようという気持ちではない。
    復習すると自然に答えを覚えてしまうのだ。
    それでも、「その勉強のやり方は変えなさい」と言わざるをえません。
    その子は、類題で正答できないのですから。
    教科書の問題の答えは覚えたれど、もっと重要なことを覚えていないのです。
    その問題を解く中で抽出し理解するべき文法を把握できていません。
    答えを覚えてしまうくらいに数少ない問題をねっとり見つめ続けることが文法把握につながっていないのです。

    有効なやり方は正反対のものでしょう。
    教科書の問題の答えは覚えていないけれど、文法は覚えた。
    多くの問題練習でその文法を実践できるようになった。
    だから、教科書の問題は何度解いても正答できる。
    他の問題も正答できる。
    定期テストの問題も正答できる。
    入試問題も正答できる。
    文法の勉強はそういうふうにやっていってほしいです。

    中学で英語が苦手だった男子に多いですが、「英語って文法だよ」「理屈で斬っていけるものだよ」と理解できるとロケット並みの成績上昇を見せることがあります。
    英語のシステムは理解しやすく明瞭で好ましい。
    こういう感覚になれば、あとは単語・熟語さえ覚えればどうにでもなるとわかりますので、覚えることにも抵抗がなくなります。
    そういう方向に転換できるといいなあ。

      


  • Posted by セギ at 14:50Comments(0)英語

    2016年07月14日

    英訳と和訳と。


    先週、高校生の英語の期末テスト対策をしたときのことです。
    テスト範囲に日本語の詩を英訳されたものがありましたので、ひと通り一緒に読むことになりました。
    私は読んでいて面白い内容だったのですが、生徒は浮かない顔をしています。
    「どうしたの?」
    と問いかけると、
    「私が知っているのと、この訳が違うから、違和感が・・・」
    と言うのです。
    ほお?
    確かに、こんなに有名な詩なら幾通りもの英訳が存在するのかもしれません。
    そのどれか1つを以前に読んだことがあって、それとの違いが気になるのかな。
    それにしても、良い勉強をしているものだなあ。

    私は答えました。
    「英訳は色々な種類があるでしょう。和訳もそうでしょう。最近、『秘密の花園』の新訳が新潮文庫から出たよね。慣れている訳もいいけれど、現代にふさわしい新しい訳も良いね」
    「あ。そうなんですか?出たんですか?」
    とかみ合った会話をしているような印象が最初はありました。
    この子も高校生になり、手応えのある会話ができるようになったなあ。

    しかし、よくよく聞いてみると、その子の言う「私の知っているの」は単に、日本語のもともとの詩のことなのでした。
    自分の知っている日本語が英訳されていることに違和感を感じただけだったのです。
    何だ、そうかあ・・・・。
    思ったよりもずっと子どもっぽい違和感です。
    しかし、それは私が先走りし過ぎただけで、そんなことでがっかりされたら生徒が迷惑ですね。

    英語から日本語に直すときも、それが文学作品ならば、訳す人の言語感覚で色々な訳があり得ます。
    日本語の詩を英語に直す場合も当然そうです。
    そういう話をしているのだと私は思ったのですが、まだまだ高校生はそんな次元でないのも仕方ないでしょう。

    一方、受験英語としての和訳は文法的に正確に訳すことが第一で、文学性は関係ありません。
    とにかく文法的に正しく構造をつかんだ直訳をする。
    それが日本語として不自然な場合にのみ、意訳をする。
    この鉄則で訳していきます。
    小説を読むのが好きな子の中に、自分の和訳がバツになるのは学校の先生とセンスが違うからと誤解している子がたまにいますが、和訳は文学センスの問題ではなく語彙と文法の問題です。
    その子の和訳がバツになるのは、文法的に、主に修飾関係が間違っているからなのですが、そういうことは1つ1つの誤答がなぜ誤答であるか分析してもらえないと把握できないことかもしれません。
    模範解答と自分の解答を見比べても、文意にばかり目がいって、自分の和訳の何が誤答なのか自分では分析できない高校生は多いです。
    「言ってることは同じじゃん!」
    と文句を言うんですね。
    しかし、そういうことではないのですよ。

    ともあれ、面白かった英訳 Strog in the Rain を以下に引用します。
    アメリカ出身のロジャー・バルバース(作家・演出家)の訳です。
    テスト問題としては出題しにくいので、期末テストには出なかったろうと思いますが。

    Strong in the rain
    Strong in the wind
    Strong against the summer heat and snow
    He is healthy and robust
    Free from desire
    He never loses his temper
    Nor the quiet smile on his lips
    He eats four go of unpolished rice
    Miso and a few vegetables a day
    He does not consider himself
    In whatever occurs ... his understanding
    Comes from observation and experience
    And he never loses sight of things
    He lives in a little thatched-roof hut
    In a field in the shadows of a pine tree grove
    If there is a sick child in the east
    He goes there to nurse the child
    If there's a  tired mother in the west
    He goes to her and carries her sheaves
    If someone is near death in the south
    He goes and says, 'Don't be afraid'
    If there are strife and lawsuits in the north
    He demands that the people put an end to their pettiness
    He weeps at the time of drought
    He plods about at a loss during the cold summer
    Everybody calls him Blockhead
    No one sings his praises
    Or takes him to heart...

    That is the kind of person
    I want to be

    そういうものに、私もなりたい。

      


  • Posted by セギ at 13:05Comments(0)英語

    2015年03月06日

    英語教科書と平和教育



    桜便りが待たれる項。
    上の画像は、去年の桜です。

    今日は、英語教科書の文章の話。
    中学や高校の教科書に載っている文章を、改訂される度に私は楽しみに読んでいます。

    記憶に残るもので言えば、
    戦場カメラマンが撮影したベトナム戦争の写真にまつわる話。
    ユダヤ人6000人の「命のビザ」の話。
    メジャーリーグ初の黒人選手の話。
    東京でホームレス生活を体験したことを踏まえて、フードバンク・ビジネスを起業した話。
    新聞や雑誌で話題になったことが、すぐに次の改訂時に取り込まれて興味深いです。

    英語教科書によく載っている話の1つに、地雷にまつわるものがあります。
    これは、何度改訂されても、また同じ話が載っていたりします。
    地雷の被害に遭った現地の人の話。
    ボランティア活動中に被害に遭った人の話。
    同じエピソードが高校生向けに書かれていたり、易しい中学英語に書き直されていたりもします。

    どの話も、戦争の悲惨さを語っています。
    でも、地雷の話は、どうしても遠い世界の出来事という印象があります。
    地雷を自分の問題としてとらえられないのは、私の感性の問題だと言われたら仕方ない。
    でも、私が感じとれないものを、普通の中学生・高校生が感じ取れるとは思えないんです。

    地雷に賛成する気持ちなんて、誰ももたないでしょう。
    地雷は良くない。
    でも、それだけです。
    「地雷は良くないと思います」
    そういう感想を持つだけで、そこからは思考停止です。

    それは、あまりにも、遠い。
    内戦が続いた遠い国の話。
    可哀想だ、ひどい話だ、と思うけれど、そう思うだけで終わってしまうのです。

    いろいろな教科書で別バージョンの同じ話を読むせいもあって、だんだんと、
    「ああ、はい、地雷の話ですね」
    と、事務的に処理してしまう気持ちさえ生まれてきます。
    それはあなたの感覚がおかしいと言われたら、確かにそうなのですが。

    地雷に関しては、1つ重要な情報があり、多くの教科書はそこに踏み込んでいません。
    「遠い国の悲しい話」でただ終わってしまうのは、そのせいもあるのではないかと思います。

    しかし、昨年、ある教科書の文章を読んで、ああ、この踏み込み方は凄いと感じました。

    例えば、地雷によって両脚を失ったカンボジアの男性が日本に立ち寄り、学校や政府に地雷撲滅キャンペーンの支援を求めるところを描いた文。

    His words touched the hearts of people all over Japan , who had not been aware that until that year their own country, too, was one of 50 countries producing and exporting as many as 5 million of these hidden weapons of terror every year.

    「彼の言葉は、日本じゅうの人々の心を打った。日本の人々は、その年まで、自分たち自身の国も、毎年500万個もの、この隠されたテロの武器を作り輸出している50の国々の1つであると、気づいていなかった」

    また、緒方貞子さんの言葉も、そこには引用されています。

    "In my view," she said , "there is little difference between those who use them and those who produce them."She even went so far as to call producing and usig them "a crime against humanity."

    「私の考えでは」と彼女は言った。「地雷を使う人々と、地雷を作る人々との間に、違いはほとんどない」 彼女は、地雷を作り使うことを「人間性に対する犯罪」とまで言った。 

    これは、プログレスという英語教科書です。
    中高一貫校で使われることが多い、文科省は認定していない教科書です。
    学習内容のレベルが高く、文科省のプログラムを無視していますから、最初から認定されることを目的としていません。
    だからこそ、この文が堂々と掲載されているのかもしれません。

    文科省認定を目指している教科書にこの文章が載っていたら、削除を要請されるかもしれません。
    読みようによっては、不穏当ですから。
    地雷問題における日本の責任。
    この文章は、読む生徒たちに、それを突きつけます。

    地雷を日本の会社が作っている?
    どこの会社が作っているの?
    今も作っているの?
    なぜ、そんなものを作るの?
    そもそも、それは本当のことなの?

    そうした疑問を抱くことで、国際社会への目が開かれるかもしれません。
    世界の中での日本の立場や、豊かさとは何かということを考えるフックになりえます。
    たった1つの情報が入るだけで、地雷問題は、遠い国の悲しい話ではなく、私たちの問題になります。
    心が、頭が、動き始めると思うです。
    これは、高校生に読んでほしい。


    とはいえ、現実の高校生とこの文章を読んでいると。
    「・・・・・凄いことが書いてあるねえ」
    感心している私の前で、生徒は頭を抱えます。
    「センセイ、どこがどうなってそういう訳になるのか、わかんない」
    「え?」
    「内容が頭に入ってこない」

    国際問題や平和問題を考えるためにも、まずは英語力を。
    ( ;∀;)

      


  • Posted by セギ at 13:19Comments(0)英語

    2015年02月13日

    何となく英語ができない子。



    錯誤は、学習の過程で起こりやすいものです。

    例えば、先日、ある生徒に「5文型」の指導をしていたときのこと。

    This meat doesn't look fresh.

    という英文を分析せよという問題がありました。

    正解はSVCです。
    SVCとSVOの見分け方は、S(主語)とイコールの関係になっているのが、C(補語)。
    参考書などには大抵そのように書いてありますし、その子も、学校の授業でそう教わったのでした。
    S=C。 S‡O。
    わかりやすい判断の仕方です。
    でも、その子の答えは、「SVO」でした。

    理由を訊くと、
    「だって、This meat は、freshじゃないんだから、イコールじゃあない。S=C、じゃない。だから、SVO」
    「・・・・・・・肯定文が否定文になった途端に文型が変わってどうするの。文型の分析というのは、そういうものじゃないよ」

    錯誤を起こしやすい原因の1つは、文法学習であるのに、英文の意味に頼り過ぎてしまうことにあるのかもしれません。
    なんでも意味から判断しようとしているので、このような錯誤が起こりやすいのでしょう。
    文法が嫌いで、文法なんか必要ない、英語は意味がわかれば何とかなると思っているのでしょうか。
    いや、むしろ、とにかく文法がわからないので、意味から判断しようとしているのかもしれません。

    CとOの識別は、品詞からも判断できます。
    Cになるのは、名詞・代名詞または形容詞。
    あるいは、それと同じ働きをする句や節。
    Oになるのは、名詞・代名詞。
    あるいは、それと同じ働きをする句や節。

    ですから、動詞の後ろに形容詞がある場合、それはCです。
    後ろが名詞の場合は、さらに識別の必要がありますが。

    しかし、文法が苦手な子は、このような話が嫌いで、なかなか理解しようとしてくれません。
    「形容詞」とか「名詞」という言葉を聞いた瞬間に電源オフ。
    そんな子が多いです。

    彼らは、名詞と形容詞の区別がつきません。
    freshの意味を訊くと「新鮮」と答えてしまいます。
    「新鮮な」と正しい形で覚えていることがほとんどありません。
    文法が苦手な子の多くは、単語の意味をほとんど名詞の形で覚えています。
    動詞も名詞の形で覚えています。
    例えば、understndは「理解」。

    英語なんて単語の意味がわかれば何とかなると、そういう子は言いがちです。
    しかし、文が複雑になるにつれて、品詞や文法を把握していない子たちは、文意を読み取れなくなっていきます。
    個々の単語の意味をすべて名詞として理解しているのですからそうなります。
    そういう子にとっては、文は名詞の羅列です。
    それでは、文全体として何を言っているのかは、わからなくて当たり前です。

    別の子の例。
    この子は、「現在完了」を勉強していました。

    I haven't done my homework yet.

    この英文は、「完了」「経験」「継続」「結果」のうちのどの用法か。
    この問いに、彼女は、「継続」と答えました。
    「私は、まだ宿題をやっていない」
    やっていないのだから、完了していない。
    きっと今もやっている。
    だから、「継続」。
    そういう判断でした。
    ここにも、文法と文意の混同が見られました。
    文意だけで判断すると、否定文になった途端、分析できなくなってしまいます。

    「already やyet を使っている現在完了の文は、完了の用法だよ」
    「そうなのお?」
    素っ頓狂に大声を出して驚いてみせるのですが、その話をするのは、もう何度目がわからないのです。
    ちょっとしたことで簡単に分析できるのに、それを覚えようとしません。
    意味から判断しようとします。
    幾度間違えても。

    意味から判断する子は、和訳は得意なのかというと、そうではありません。

    My grandmother sends me a postcard every month.
    「私の祖母は、毎月私に絵手紙を送る」

    この和訳を見たとき、「絵手紙」という言葉に、虚をつかれました。
    絵手紙?
    postcard が、絵手紙?

    「postcardって、葉書という意味だけど?」
    「え?」
    「絵葉書という意味さえないよ。単なる葉書だよ?」
    「えー?これ、間違いになりますか?」
    「この単語の分だけ減点されますね」
    「えー?」

    「祖母」だから「絵手紙」という推量なのでしょうか。
    確かに、絵手紙を趣味とする人は、若い人よりは中高年が多いでしょう。
    確認すると、本人のおばあさんが絵手紙が趣味だというわけではありませんでした。
    なのに、一般論で、そういう推量をしてしまう。
    それが、正しいと思ってしまう。
    かなり面倒くさい誤読の仕方です。

    こうした、わかるようでわからない混線が多いほど、和訳は奇妙なことになっていきます。

    When I saw the picture , I couldn't help thinking of her.
    「その写真は彼女であると、私は思わずにいられなかった」

    これも、不可解な混線を感じる和訳です。
    正しい訳は、「その写真を見ると、私は彼女のことを思わずにいられなかった」です。

    今、一応「写真」と訳しましたが、これは、「絵」である可能性もあります。
    そして、それは彼女の写真や肖像画であるとは限りません。
    何かの風景画かもしれません。
    別の人物の写真かもしれません。
    とにかくそれを見ると、彼女のことを思わずにいられないのです。
    しかし、そういう可能性を全て排除して、いきなり the picture を「彼女の写真」と思い込んでしまうと、これが長文の中の一文であった場合、その前後の読み取りに錯誤や混乱が起こる可能性があります。

    何かを頭の中で推測してしまい、それを和訳に反映させてしまう。
    前の「絵手紙」も、そういうことでしょう。
    これは、英語に限らず、国語の問題を読んでいてもやってしまう可能性のあることです。

    なぜ、書いていないことを読み取ってしまうのでしょう。
    「行間を読め」と言う人がいますが、行間なんか勝手に読んだらダメです。
    書いてないことは、読み取ってはいけません。
    必要なことは、全部書いてありますから。
    書き方が遠回しだったり高度な修辞が用いられていたりして、読み取りが難しい場合があるだけで、読解とは、基本、書いてあることしか読まないことです。
    勝手に行間を読むから妙な和訳になり、誤読につながってしまいます。

    1つ1つのズレは小さいけれど、積もり積もって本来の英文とは全く違うストーリーが頭の中で組み立てられてしまう子がいます。
    英文解釈の苦手な子に多いです。
    単語の意味が全部わかっていても解釈が歪んでしまうのですから、意味のわからない単語もあってそこは推測しながら全体の意味を読み取るとなると、さらにおかしな誤読が始まってしまいます。
    これをただすのは、英語力の問題だけではないので、厄介で時間がかかります。
    繰り返し繰り返し、何をどのように誤読しているか、本人とともに誰かが伴走し、指摘していかなればなりません。
    本人は、誤読を認めたがらないものですからね。

      


  • Posted by セギ at 18:52Comments(0)英語

    2014年11月24日

    小学生と英語。



    英検受検の低年齢化は、前々から一部であったのですが、年々加速し、拡大しているように感じます。

    本来の英検レベルは、
    5級が中1程度
    4級が中2程度
    3級が中3程度
    準2級が高1程度
    2級が高校卒業程度
    準1級が大学程度
    となっています。

    現在も問題のレベルはそのままなのですが、該当学年より上の級をできるだけ早く取ろうとする子が増えています。
    小学生が、英検2級に挑戦する時代。
    それをあおる子ども向けの英語塾も増えてきました。

    語学は、順番に学習を積み重ねていけば、そのレベルに到達できます。
    だから、小学生が英検2級を取得するのは不可能なことではありません。
    ただ、それは、低学年から英語を学び始めて、小学校6年生で2級を取得するというもので、3~4年かかります。
    中1から英語を勉強し始めた子が、英検2級レベルに到達するのに、やはり3~4年かかりますから、同じことです。
    「小学校6年生が英検2級」というと何か凄いことのような気がするだけで、4年もやれば、優秀な子は、それくらいのレベルに到達します。
    小学生であるとか、高校生であるとかは、語学に関しては関係ないのです。

    しかし、4年間英語を学習した全員が2級を取れるわけではありません。
    ある英語塾が公開している情報によれば、小学校6年生で2級を取得できた子は、生徒の1割。

    これを、
    「1割も2級を取れるの?凄い」
    と思うか、
    「9割も落ちこぼしているのか」
    と受け取るかは、微妙な問題です。

    子どもの中には、競争することで無限に伸びる子がいます。
    テストを繰り返し、ランキングし、クラス分けすることで、上のクラスに入った子は、さらに競いあい、伸びていきます。
    その果ての英検2級取得のようです。

    問題は、そうならなかった9割。
    英検3級をどうにか取得する大半の小学生たちの、その後です。

    英検の1次試験は、2級まではすべて記号問題です。
    しかも、リスニングの割合が大きく、全体で7割程度正解できれば合格します。
    合格基準はかなりゆるいです。
    英検3級は取得しているが、中学の英語の成績は「3」か、良くて「4」。
    そういう子は多いです。

    細部に対する意識が低いので、時制ミス、三単現ミスを繰り返す。
    be動詞と一般動詞の区別がつかない。
    日本語の語順で英文を作ってしまう。
    疑問文を作れない。
    そういう学力の子が、英検3級取得者にはたくさんいます。
    それでも、本人は、「自分は英語が得意」と思っています。

    子どもは、主観的ですから、自分が得意なことは価値のあること、自分が苦手なことは価値の低いこと、と思いがちです。
    だから、学校のテストの点数がぱっとしなくても、「英語が得意」というプライドは持ち続けます。
    文法問題は正解できないし、スペルミスは多いけれども、自分はリスニングやスピーキングは得意だし、そのほうが価値があると思っています。
    でも実際は、英文の読み書きがきちんとできる中・高生のほうが、リスニングやスピーキングの能力も高いです。
    「英語が得意」と思っている子のリスニングやスピーキングは、「お子様レベル」から脱却できていないことが多いんです。
    自分が一番褒められていた頃の英語力から、一歩も先に進めないのかもしれません。
    発音は、ちょっと良いんですが。


    近年、うちの塾でも、小学生で英検を受けたいのでその対策をしてほしいという依頼がときどきあります。
    英語教育熱にかられたお母様たちが無理に子どもにやらせているのかというと、どうも違うようです。
    これは、子どもたちの間の流行のようなのです。

    同じクラスの友達が英検3級を取った。
    羨ましいので、自分も取りたくなった。
    子どもに「英検3級を取りたい」と言われると、良い機会だから英語を勉強させようか、とお母様も考え始める。
    そういう流れのようです。

    これが、例えば同じクラスの友達がバイオリンを弾けるのが羨ましいから自分も習いたい、という話ならば、こうはならないのでしょう。
    わずかな練習でその友達と同じくらいにバイオリンが弾けるようになれると本人が思っていたら、周囲の大人は、いやそういうものではないからと言い聞かせるはずです。
    本人も、そういうものではないなと理解できるでしょう。

    しかし、英語の場合、小学校で誰もが一応授業を受けているせいか、他の子が3級を取ると、自分も取れると思ってしまうようです。
    相手が何年も英語を学んでいるという事実をすっ飛ばして、対等な気持ちになってしまうのでしょう。
    特に、他の勉強で負けていない場合は。

    小学生が英検3級を取るまでに、最短でも1年、そのための学習期間が必要です。
    現在、小学校の英語の授業は音声英語が中心です。
    それ以外に特別な勉強をしていない場合、中3レベルの単語はまず読めません。
    文法はそれほどわかっていなくても英検3級は取れますが、さすがに単語が読めず意味がわからない場合は、どうにもなりません。
    そのための1年が必要です。

    しかも、そうやって英検3級に合格したからといって、その後、中学生としてどうなるのかというと、前述のような、「ちょっと面倒くさいプライドをもつ、英語ができない子」になってしまう可能性も高いのです。
    英語を勉強するなら、ちゃんとやりましょう。

    小学生から英語を学ぶことには賛成です。
    ただ、目標は英検ではなく、中学・高校で通用する英語力。
    大学入試に通用する英語力。
    社会人として通用する英語力。
    英検は、そのための目安で、目標ではありません。

    最後に、中学受験で忙しく、英語の早期教育からは一歩引いている小学生たちの場合。
    中学合格の後、最初の半年ほどは、内部進学生の英語力に圧倒されることがあります。
    しかし、英語も学校の教科の1つ。
    勉強ができる子が、結局英語もできるようになります。
    小学生で英検2級を取得した一部の子にはかなわないかもしれません。
    しかし、中途半端に得意意識を持っているだけの子なら、1年以内で射程距離に入ります。
    中学2年になれば、抜き去ることができるんです。

    英語を小3から導入し、小5からは正式科目とする。
    先日、文科相は中央教育審議会にそう諮問しました。
    新指導要領に向けて、英語教育はまた転換点を迎えています。
    しかし、大学入試が変わらない限り、中学・高校の英語の授業は本質的に変わりようがありません。
    今も、入試にリスニング問題すらない私立大学は案外多いです。
    まして、スピーキングを大学入試にどう導入できるのか。
    現在の高校課程で「コミュニケーション英語」と名前を変えても、昔ながらの「リーダー」とほとんど変わっていない現状を、どう転換できるというのか。
    注意深く見守っていきたいと思います。

      


  • Posted by セギ at 14:57Comments(0)英語

    2014年06月30日

    なぜ英語ができないか


    日本人が英語を学ぶのならば、文法的アプローチをしていかなければなりません。
    ところが、文法なんか学んではダメだというような極論を口にする人がいます。
    しかし、これは、論点がズレているんです。

    つまり、大学受験のための英語は身についているのに、英会話となると全く英語が口から出てこない人がいるが、それはなぜなのかという問題と混同されています。

    しかし、それは、本人のメンタルの問題が大部分でしょう。

    自分の発音が悪いのを気にしている。
    通じないんじゃなかと不安なので、もごもごと小声で英語を言う。
    相手は聞き取れないから、訊き返す。
    「やっぱり、自分の英語は通じない」と傷つく。
    余計に、英語が口から出てこなくなる。

    正しくて素晴らしい英語を話そうと気負う。
    冒頭の「あー」ばかりやけに長く引っ張り、なかなか英語が口から出てこない。

    発音の間違いや、文法の間違いは、ネイティブではないのだから、当たり前。
    なのに、指摘されると、物凄く傷つく。
    メンタルが弱いので、一度傷つくと、二度と英語を話せなくなる。

    英語を話すといっても、そもそも英語で伝えたい内容を持っていない。
    英語を話さなければならない必然性もない。
    なので、そんなに本気で練習もしていない。

    それでは、話せるようになるわけがありません。

    そして、これらは、文法を学んだからそうなった、というものではないでしょう。
    本人に英語力があるのなら、後はこうしたメンタルの課題をクリアすれば良いのです。
    英語力そのものがない人よりも、むしろ英語習熟に肉薄しています。


    目標が、トラベル英会話に不自由しないことならば、文法ではなく決まり文句を暗唱することで何とかなるかもしれません。
    けれど、私が生徒に期待し、また期待されていることは、トラベル英会話の習熟ではなく、大学受験で高い得点を取ることができる英語力です。
    すなわち、受験英語です。
    スピーキングは、現在のところ、入試にありません。

    受験英語は、悪者ではありません。
    高い受験英語能力を持って大学に入り、それから大学で、今度は会話の訓練をつめば、鬼に金棒です。
    次元の違う英語が話せるようになります。
    まずいのは、その2つのことを混同したり、子どもに受験英語を軽視する根拠を提供したりしてしまうことのほうです。
    軽視しても、結局、受験英語を習得しなければならないのに。
    それでは、軽視した受験英語に報復されてしまいます。

    大人でも文法を軽視する人がいるくらいですから、子どもになると、もっとひどいです。
    英文法はもちろんですが、国語の文法も、大嫌い。
    そういう子は、伝家の宝刀を抜きます。
    「なんで国語の文法なんて勉強しなければならないの?文法なんかわからなくても、日本語は話せるよ」

    しかし、国語の文法がよくわかっていない子は、英語も苦手なことが多いです。
    ある程度まではいけるんですが、英文が長くなると、わからなくなります。
    中2の2学期で学ぶ「不定詞」でまずモヤモヤします。
    名詞的用法・形容詞的用法・副詞的用法。
    そういう文法用語へのアレルギーが強い上に、その使い分けというと、もっとわからない。
    意味で区別すればいいじゃん、と安易に考えていると、形容詞的用法の「~のための」と副詞的用法の「~のために」の区別がつかなくなります。
    日本語の「の」と「に」の違いがよくわかっていない子に、こんな識別は無理というもの。
    そして中3になり、「分詞」や「関係代名詞」を学習するようになると、どういう順番で英語を並べていったらいいのか、全くわからなくなります。

    それでも何とか高校生になると、高校の英語のテストには、和訳問題が出題されます。
    大学入試に和訳問題が出題されますから。

    本人は正答したつもりでいた。
    なのに、テストが返ってきたら、和訳問題は、間違いだらけ。
    そんなことがあります。
    「学校の先生が訳した通りに書いたのに、バツになった。意味わかんない」
    へえ・・・、と思いながら、答案を見ると、これは不正解だろう、という答案です。
    たとえば、

    ゛The tofu road ゛that started in China dose not end in Japan  or in Asia.

    「豆腐の道」は、中国で始まった。そして、日本やアジアで終わらない。


    「・・・本当に、学校の英語の先生は、こんな訳をした?」
    「したよ」
    「中国で始まった豆腐の道は、日本やアジアで終わらない、と訳さなかった?」
    「それ、同じでしょう」
    「・・・・なるほど」

    それが同じに思える感覚では、和訳問題は、正答できません。
    和訳問題は、文法問題です。
    文法構造の複雑なところを訳す問題が大半です。
    だから、構造が把握できていない和訳は、不正解です。
    この文では、that started in China は関係代名詞節で、
    The tofu road を修飾しています。
    そのことがわかっているとアピールする答案を書かないといけないのに、頭から順番に訳しているだけ。
    これは、不正解です。

    内容把握だけなら、頭から意味をとっていけば良いのです。
    だから、最初の誤訳でも、まあ良いでしょう。
    近年、易しい私立大学では、平易な長文を読んで内容が理解できれば解ける問題が多く、和訳問題はほとんど出ない大学もあります。
    そのため、和訳そのものを古くさいと勘違いしている子もいるのですが、国立大学の二次試験は、無慈悲なくらいに和訳問題が出ます。
    ですから、高校の定期テストも、その高校のレベルによって、無慈悲なくらいに和訳問題が出題されます。


    正確な訳をするためには、両方の言語の文法体系を把握していなければなりません。
    しかし、現代の子どもの日常会話には、そもそも、修飾節など存在しません。

    問題 次の日本語を英語に直しなさい。

    私が、昨日、駅への道を教えた男の子は、少し日本語を話した。

    これのよくある誤答。

    I told a boy the way to the station spoke Japanese a little yesterday.

    駅が、昨日、日本語を話したのかな・・・。
    日本語の順番のまま英単語を並べるだけじゃ、ダメなんだよー。
    ( 一一)

    次に、少し勉強している子の誤答。

    Yesterday I told the way to the station to a boy who spoke Japanese a little.

    惜しい。
    それの和訳は、「私は、昨日、日本語を少し話す男の子に、駅への道を教えた」です。

    「同じじゃん!」
    口に出すにしろ、目で訴えてくるにしろ、そういう反応の子は多いです。

    「私が、昨日、駅への道を教えた男の子は、少し日本語を話した」
    「私は、昨日、日本語を少し話す男の子に、駅への道を教えた」

    確かに、事実は、同じです。
    しかし、この2つの文は、伝えたいことが異なる文です。
    ですから、日本文が異なりますし、当然、英文も異なります。
    日本語を見て、主語は「男の子は」であると分析できないと、この日本語を正確に英訳することはできません。
    主語を分析する作業は、本人が身につける気になれば、難しいことではありません。
    しかし、文法を軽視する子は、幾度その話をしても、その分析をせず、与えられた日本語の冒頭から英訳してしまいます。
    そして、
    「だって、主語なんてわからないもん」
    と泣き言を言います。
    必ずわかるから、難しいことじゃないから、と幾度説明しても、心理的な拒絶反応が大きい。
    私が見ている間はその作業をしても、宿題やテストでは、また感覚で書いてしまいます。
    文法的な分析をしなければ正答できないということが、理解できないようなのです。
    文法なんかわからなくても正しい英文は書けると、いつまでも夢見ています。

    言語能力の高い子は、瞬時に主語を分析します。
    それが、まるで分析などしていないように見えるのかもしれません。
    本当は、しているんです。
    本人すら無意識の場合もありますが。
    我々は、日本語を話す場合に、文法を意識していません。
    でも、文法を用いて話しています。
    そのことを理解できない子は多いです。
    英語には文法学習など必要ないという大人も、そういう人なのかもしれません。

    中学生の日常会話は、主語がどうの修飾語がどうのと分析しなければならないような構造のものではありません。
    そのことも影響しているのでしょう。

    上の文を中学生との会話で再現するなら、こんなふうになるでしょうか。
    「昨日さー」
    「うん」
    「歩いててさー」
    「うん」
    「外人がさー」
    「・・・・どんな外国人?」
    「子どもー」
    「男の子?女の子?」
    「おとこー」
    「どこの国の人?」
    「知らね。アメリカ人じゃね?」
    「・・・英語を話していたの?」
    「日本語しゃべってんだよ。うけるー」
    「・・・いや、彼にしてみたら、私たちの英語のほうが、マジうけるかもしれないよ。・・・・で、その日本語を話す外国人の男の子が、どうしたの?」
    「駅はどこですかあ、とか言うからさー」
    「・・・で、教えたの、駅への道を」
    「教えたー」

    かなりひどい。
    しかし、大人と、このレベルの会話ができる子は、別に頭が悪いわけではありません。
    性格が悪いわけでもないでしょう。
    大人に、これだけの情報を伝達できれば上出来なほど、言葉の痩せている子は多いです。
    むしろ、こうした会話を交わしたとき、その子が、私に本当に語りたかったことを想像する能力が私に求められている。
    外国人と会話をした喜び。
    親切なことをした嬉しさ。
    それを読み取れるかどうか、私の能力こそが試されるんだ、と感じます。

    それはともかく、こういう会話をする子は、自分の母国語である日本語でも、
    「私が、昨日、駅への道を教えた男の子は、少し日本語を話した」
    という文は組み立てられないです。
    まして、それを英語で表現することは難しいでしょう。

    本人の国語能力を超える外国語は、習得できません。
    中学生のお子さんが、国語の文法がよくわからないと言い始めたり、実際にテストの得点が低かった場合、いずれ、英語の成績も伸び悩む可能性があります。

      


  • Posted by セギ at 15:09Comments(0)英語

    2013年10月31日

    英語の苦手な子の特徴、その後


    先日の生徒募集は、おかげさまで決定いたしました。
    次の募集は、冬期講習の外部生募集となります。
    ご応募、よろしくお願いいたします。
    冬期講習の詳細は、また後日お知らせいたします。

    さて、少し前、このブログで、「英語の苦手な子の特徴」について書きました。
    今回は、その後の話を。

    私のブログに度々出てくる、英語が苦手な高校生。
    これ、1人のイメージで読んでいらっしゃる方が多いと思います。
    言葉遣いなどは、1人の生徒をもとにしていますが、実は、2人います。
    2人とも、高校生の男子です。
    性格その他は全く違う2人ですが、英語に関しては、同じ問題をほとんど同じように間違えます。
    これは、でも、その2人に限ったことではなく、英語が苦手な子は、大体同じところを同じように間違えてしまうんです。
    英語に限ったことではなく、どの教科でも、勉強の苦手な子は、「ここを間違えるだろうな」と、こちらが予想するところを、実際に、その通りに間違えます。
    何か独特なつまずきやすさがあるのでしょう。


    この夏からセギ英数教室に通い始めた中1の子もそうです。
    たとえば、こんな英作文。

    「彼女は、日曜日は、学校に行きません」

    Her isn't go to the school Saturday.

    うわあー、やっちゃってるなー。
    この英作文を見たときは、さすがに、これはフルコースだなと感じました。
    この子は、中学受験生で、英語は中学に入ってから本格的に勉強を始めました。
    1学期の間、自分で勉強していたら、こういうことになってしまったようです。

    中1の学習内容は、易しいようでいて、英語の根幹を学ぶものです。
    ここでモヤモヤしてしまうと、その後、何年もたたります。

    上の英作文の冒頭から順番に分析するなら、
    まず第一に、人称代名詞。
    教科書によってパラパラ出てくるにしろ一気に出てくるにしろ、中1の生徒は、人称代名詞で混乱する子が多いです。
    しかも、このことの重大さにあまり気がついていません。
    身についていないまま、何となく中2、中3になってしまいます。
    特に、she her her hers 。
    主語にherを使ってしまうのは、her motherなどの主語を見慣れたせいで、それでいいと誤解してしまうからでしょうか。
    逆に、所有格をshe'sと書いてしまう子も多いです。
    Tom'sなどの名詞の所有格との混同でしょう。

    人間の脳は、関係ない2つのものを関連づけてしまう性質がある。
    また、人間の脳は、複雑なものを、自分が理解できるようになるべく単純なものに変えてしまう性質がある。

    正確に教わっていかないと、勘違いしたまま覚え込んで、固定化してしまいます。


    次に、be動詞と一般動詞を同時に使ってしまう件。
    これは、日本語からの類推なのだろうと想像されます。
    最初にbe動詞を学ぶとき、be動詞は、日本語の助詞「は」に相当するものなのだと、そういう子は把握します。
    だから、一般動詞の文にも、be動詞を用います。
    「私・は・勉強する」
    I am study.
    日本語と英語が1対1の対応だと思いこんでいます。
    単語の対応も、文法も、日本語と英語は同じであると誤解しています。

    もしそうなら、幕末の日本人にとって、エゲレスもメリケンも、そんなに恐ろしい相手ではなかったと思うぞ。
    (^_^;)

    少し前、中2の生徒に1回だけ英語を教えたときも、be動詞と一般動詞を並べて書いていました。
    「学校の先生が、be動詞はどの文にも必ず書きなさいと言った」
    と、訳のわからないことも言っていました。
    1人で学んでいると、こんな聞き違いを本気で信じていたりします。
    おそらく、
    「1つの文に動詞は必ず1つ書きなさい」
    を聞き間違えたのでしょう。

    「動詞のない文を、どうしようもない文と申しまして」
    などと、寒いシャレを、私は飛ばすのですが、
    「寒過ぎて、記憶する気になれない」
    と、生徒には不評です。

    つまり、一般動詞が見当たらない文ならば、とりあえば、be動詞を入れときましょう。
    逆に言えば、その2つは一緒に使うものではありません。


    それから、go to the school の件。
    「学校へ行く」は、go to school です。
    冠詞 the は不要です。
    go to bed もそうですね。
    難しく言えば、機能を指し示す名詞に冠詞はつけない、ということなのですが、そんなことを中1に言っても、首をひねるだけかもしれません。

    君たちは、学校という建物に行くわけではない。
    先生がいて君たちがいる。
    そこは、建物がなくても、定まった土地がなくても、青空の下でも、学校なのだ。
    学校は、機能なのだ。
    こんな高尚なこと、わからないですよね。
    (^_^;)

    だから、とにかく、最初に間違えず、正く覚えてしまうに限ります。
    go to school
    go to bed
    丸暗記して、慣れてしまうのが一番です。


    そして、曜日と前置詞の件。
    その子は、ケアレスミスではなく、日曜日は Saturday だと信じていました。
    なぜ、そのような誤解を?

    でも、最近、カレンダーでも手帳でも、日曜日始まりのものと月曜日始まりのものとがあって、土曜と日曜はまぎらわしくなっているかなあ。
    どうせどちらも学校は休みだしなあ。
    これに関しては、新たな間違い方の出現と感じました。
    以後、教えるときに気をつけないと。

    学校の進度が速いこともあって、その子は、曜日・月名・基数・序数などの基本的な単語のスペルがまだ完全には書けません。
    これは、今後は小学校でしっかりやっておいてくれると助かる内容です。
    中1でいきなりドバッと出てきて、覚えきれない子が多いです。
    易しめの私立高校は、この手の単語のスペルか書けるかどうかを入試問題に出すことが多いです。
    せめて、このくらいのことは努力していてくれる生徒が欲しいのでしょう。

    日曜日が Sunday であることは理解できたとして。
    でも、「日曜日に」は、on Sunday。
    こうした前置詞も、中1から出てくるけれど把握しにくく、モヤモヤする内容です。

    冠詞と前置詞は、高校生になっても使えない子が多いです。
    どこに何を使って、どこに何を使わないのか、わからないのでしょう。
    でも、高校の英文法の授業で習う「冠詞」「前置詞」は、そういう子たちが知りたいレベルのことをはるかに越えた細則ばかり。
    基本的なことが身についていないと、もっとわからなくなります。
    中1のときから、「こういうときはこれを使う」と逐一習っていったほうが楽なんです。

    以上。
    人称代名詞・動詞・冠詞・前置詞・基本単語。
    こうしたものが全て一気に出てくる中1の英語学習は、誰かが支えていないとかなりの確率でつまずきます。

    今、セギ英数教室に通う、英語の苦手な2人の高校生も、中1のときは、塾に通っていませんでした。
    かなりこじらせた状態で入会し、目の前の定期テストをこなし、入試をこなし、そうした中で、1つ1つ解説してはいたのですが、全部聞き流して、現在に至っている生徒です。

    中1の英語が身についていない子も、学年相当の内容を勉強します。
    その中で、特に乱文整序問題や英作文の問題を解くと、本人の課題はすぐに見つかりますから、その都度解説していきます。
    現在の中3生は、そのやり方で、かなり実力がついてきています。

    はっきり中1に戻ることは、多くの場合、本人のプライドを傷つけます。
    高校生の2人のうちの1人も、中3のテキストをもう1度持ってくるように言っただけで、
    「オレは、そんなレベルなのか」
    と言ったことがあり、さかのぼり学習は無理だなと判断していました。


    しかし、2人から、ほぼ同時に面白い反応がありました。
    私のブログを読んだからなのか、それとも単なる偶然なのかは、よくわかりません。

    1人は、「中1からやり直したい」と言い出し、今週、90分かけて、中1の内容を復習しました。
    今日の授業はよくわかった、と納得して帰っていきました。
    しかし、正直に言えば、1度ついた癖は、そんなに簡単には治らないと思います。
    簡単に治せる子なら、学年相当の内容を学習しながらでも治せるんです。
    今後、中2、中3と復習をしていく中で、身についてしまった癖が足をひっぱり始めることは容易に想像できます。
    やっぱり英語はわからない、ということになるでしょう。
    しかし、わからなくなったときが勝負です。
    それにどこまで耐えきれるか、どう克服できるか、本人の忍耐力にかかっています。

    もう1人は、
    「僕は、秋休みに、中1の初めからやり直すことにしました」
    と私に宣言しました。
    「授業でやりたいなら、テキストをあげるけど?」
    と私が言うと、
    「あ。いいです。テキストは買いますから。買って、ガアーッてやりますから」
    「ふーん」

    これは、前述の子よりも、さらに挫折の可能性が高い。
    それでも、やり直す気持ちになっただけ、有難いです。

    結果は、またいずれお話しします。
      


  • Posted by セギ at 13:10Comments(0)英語

    2013年10月15日

    英語が苦手な子の特徴



    小学生のお子さんをもつお母様に、こんな質問をいただくことがあります。
    「英語は、やっぱり、小学生の頃から習わせたほうがいいんでしょうか」

    これ、私には少し答えにくい質問です。
    全然そんな必要ないですよーと答えたら、子ども向け英会話スクールに対して失礼です。
    だからといって、絶対必要ですよーと答えるには、そうでもない事例をたくさん見ています。

    英語も、結局、学校で勉強する教科の1つなので、勉強の得意な子が英語もできるようになります。
    中学受験で忙しく、英語は小学校の授業以外では勉強していなかった子が、最初は不器用なつまずきを見せることがあっても、結局、英語でも秀才になることは多いです。

    一方、幼い頃から英語を習い、小学生のうちに英検3級を取った子が、けれども、それが限界で、中学生になっても英検準2級は合格できず、悔しいからそれは飛び越えて、高校生になって2級を取ろうとして、それも不合格、ということもあります。
    「英検なんて意味ない」
    と否定するようになり、別の資格に挑戦しますが、そのスコアは、初心者レベルのまま動きません。

    結局、ピアノなどのお稽古事と同じなのでしょう。
    「ピアノは、子どもの頃から習わせたほうがいいんでしょうか?」
    という質問と同じなのだと思います。
    それは、習わせないよりは習わせたほうがいいでしょうが、習わせたからといって、必ずしもピアニストになれるわけではありません。

    しかし、中学1年生からは、英語は学校以外でもどこかで習ってほしいです。
    うちの教室に通え、という宣伝ではなく、もうどこでもいいんです。
    集団指導の塾でもいいし、英会話スクールでもいいから、とにかく、どこかに通ってほしいです。
    音声英語だけではなく、書く英語や文法をしっかり教えてくれるところなら、どこでもいいです。
    中2、中3になって、英語に関して相当にこじらせた状態でようやく塾に通うことにした生徒と接する度にそう思います。

    こちらも全力を尽くしますし、本人も頑張っています。
    無論、通塾前よりは、成績は上がっています。
    しかし、何か手応えが違う。
    こうじゃないんだけどなあ。
    中1から通ってくれれば、決してこのようなことにはならないのに。
    そう思うことが多いんです。

    先日、高校生と動名詞の練習をしました。
    「彼女は、そのときラジオを聴いて楽しんでいました。」
    She was (  )(  ) to the radio at that time.
    この問題、正解は、
    She was enjoying listening to the radio at that time.
    です。

    ところが、英語が苦手なその子は、正答を聞いても、納得しません。
    何かおかしい、と首をひねっています。
    その子の答えは、
    She was enjoy listen to the radio at that time.

    もう何回目かの解説を、私はその子にしました。
    「・・・・・・・be動詞の後に、動詞の原形は、来ないよ」
    「be動詞って何?」
    その子のその質問も、もう何回目かわからないほどです。
    「wasが、be動詞だよ」
    「オレ、いつもわかんないんだよ。be動詞って、何なんだよ」
    「am、is、are、 was、 were、がbe動詞。原形は、be。過去分詞は、been。現在分詞は、being。それ以外はないから、覚えよう」
    「そんなに覚えらんねえよ」
    「動詞は、一般動詞とbe動詞に分けられるんだよ。be動詞以外は、全部、一般動詞だよ。be動詞さえ覚えれば、残りは、全部、一般動詞なんだから」
    「・・・・・・」
    「be動詞の主な働きは2つ。説明しようか?」
    「・・・・・・いい」

    この話、既にどこか噛みあっていないのです。
    塾に通わない子の多くが、中1の英語学習が「一般動詞」に入った直後に、最初の混乱をきたします。
    それまでの、「be動詞の文」は、それでも、そこそこ理解できていたのです。

    I am a girl. 「私・は・女の子」
    You are Mr Yamada. 「あなた・は・ミスター・ヤマダ」

    なんだ、英語なんて簡単じゃねえか。
    疑問文は、
    Are you Mr Yamada?
    あー、はいはい。
    areを最初に書けば、疑問文になるんだな。

    こういう把握をしている子は、一般動詞の疑問文を、こう間違えます。
    Are you study English?
    この間違いをやっていた期間が長ければ長いほど、もう一生治らないのではないかというくらいに、治りません。
    それは違う、そうじゃないと何回教えても、Do you ~?を自力で思い出すことができません。
    そのときは理解しても、1週間経つと、また元の書き方が復活しています。
    be動詞とdoとの混同は、その後、何年も尾をひくことになります。
    逆に「be動詞を入れて」と指示すると「do」と書いたります。
    be動詞とdoを、なぜか逆に逆に使ってしまいます。
    間違いは、習慣として定着する前に直さないと、何回教わっても、本人の中で、本当に正しいのはどちらなのか、わからなくなるようです。
    学習する度に混乱が深くなっていく様子すら見え、頭の中で整理されません。

    使ってはいけないところでbe動詞を使って疑問文を作ったりする一方、使わなければならないところでbe動詞を書き忘れるのも、英語が苦手な子の特徴です。

    動詞がらみの中1の2つ目の混乱は、2学期。
    「現在進行形」の学習のときです。
    あー、はいはい。動詞にingをつければいいんだな。
    簡単じゃねえか。
    I studyng English.

    「違うよ。I am studying English.だよ。進行形は、be動詞+~ing。be動詞を忘れやすいから、むしろ『be動詞』のほうを大声出して力を入れて覚えよう」
    「・・・・・」
    そんな話も、もう10回以上した記憶があるのですが、定着しません。

    進行形にbe動詞を使うことが意識にないのですから、最初に書いた、
    She was (  )(  ) to the radio.
    の最初の空所に、enjoyingを入れることは、思い浮かぶわけがないのです。

    中1から塾で文法を学んでいる子は、問題を解く際に文法的な分析をしますから、wasを手がかりに、enjoyをどのような形にしていくか判断していきます。
    しかし、何年間か自己流の英語学習をしていた子は、文法的な分析をする習慣がなく、問題を解くときは、勘を働かせて解いてしまうようです。
    しかし、「勘」というのは、本人の感覚です。
    それは、本人の頭の中の「誤答の集合体」からの判断に過ぎません。
    間違った英語を何年も書いてきた、その経験が頭の中に定着し、間違った英語が本人の中での「英語らしい英語」になっているのです。
    誤答の拡大再生産が繰り返されます。

    本人も、何とかしたいという気持ちはあるのです。
    質問は、積極的です。
    「enjoyingはわかったけど、何でその後ろが、listening?そんなのおかしいだろ」
    「・・・・・おかしくないけど。メガフェプスダのエだよね。enjoyは」
    「はあ?」
    「メガフェプスダ。目的語に動名詞をとる動詞。そうやって覚えましょう。この話も、3回はしています」
    「そうだっけ?」
    「この呪文、今はもっと長いんだよ。年々長くなっているんだよ。裏をかいて、別の動詞を入試問題に出す大学があるからねえ。でも、そんな重箱の隅はいいから、とにかく、メガフェプスダをまず覚えて」
    「・・・・・でも、おかしくね?~ingの後に~ingって」
    「enjoying listening が、ですか?」
    「おかしいだろ」
    「別におかしくないです。~ingを2回続けて書いてたらダメというルールは、英文法にはありません」
    「そうなの?」

    これもまた、英語が苦手な子の特徴の1つです。
    英文法にはアレルギーがある様子なのに、変なルールを自分で作って、その英語はおかしい、と決めてしまうことがあります。
    例えば、
    He wanted to go to the park.
    という文を見て、
    えー、こんな文、おかしい。
    toを、1つの文に2回使っていいの?
    そんなことを訊いてきたりします。

    重要なルールが覚えられない一方、妙なルールを読み取って空回りする。
    独りで勉強してきた子ほど、その傾向があります。
    中1の基本から、文法的なアプローチをしている子は、そういう点でも安定しています。

    「でも、やっぱり、She was enjoying listen to the radio.が正解だろ」
    まだ続きます。
    「なんで?」
    「to があるじゃん。toなら原形だろ」
    「・・・・・to不定詞のtoは、動詞原形の前に書くんだよ。listen toじゃなくて、 to listenが不定詞。この文のtoは、単なる前置詞のto」
    「でも、to じゃん」
    「語順を意識しよう。動詞の前だろうが後だろうがtoを書いときゃいいだろう、不定詞だろうってわけにはいかないんだよ。それに、listenの後ろにはtoという前置詞が必要だったよね」
    「知らね」
    「・・・・・・・」

    単語を覚えていないわけではない。
    意欲がないわけでもない。
    なのに、どうにもこうにも英語が形になっていかない。

    「文法なんか嫌いだ」
    と、英語が苦手な子はよく口にしますが、だからといって、文法を全否定するわけではないのです。
    さすがに高校生になれば、文法の授業が学校でもあります。
    でも、問題を解くときに、習った文法事項を利用する様子がありません。
    問題を解くと、我流の変な英語を書いてしまいます。
    文法を習うことと、それを利用して問題を解くことが、結びつかないようです。

    何年も何年も、感覚で英語を並べてきたのです。
    その習慣が抜けず、理屈で英語を並べていくことができません。
    そこが、どうにも結びつかない。
    私の目の前で解いていてさえ。

    故ブルース・リーには悪いですが、私は叫びたい。

    Don't feel ! Think !


    あるいは、「そんなことを言うなんて、彼女は疲れていたに違いない」という、乱文整序問題。
    とりあえず、Sheから書き出すことはできます。
    「はい。主語を書いたね。次は何を書くの?」
    「such」
    「え。なんで?」
    「そんなは、suchだから」
    「いや、日本語の順番と英語の順番は違うよ。文法的に考えよう。英語では、主語を書いたら、次は何を書くの?」
    「知らね」
    「動詞だよ」
    「動詞?tired?」
    「tiredは、動詞じゃないよ」
    「動詞じゃん。疲れるって」
    「・・・・形容詞なんだよ。もともとは過去分詞。edがついてるでしょう?過去分詞が形容詞として固定化したの。分詞は形容詞であるって、前に話したよね?難しかったら、tiredは形容詞って覚えよう。それはともかく、形容詞の前には、何を書くの?」
    「知らね」
    「be動詞だよ」
    「何だよ、be動詞って。またbe動詞かよー。わかんねえよ」
    「・・・・・・」

    数学もそうですが、英語も、勉強が苦手な子は、誰もが、同じところを同じように間違えます。
    同じところで同じ誤答をします。
    何か独特なつまずきやすさがあるようです。
    誤答のメカニズムはよくわからないのですが、ここで間違えるというところは予想がついています。
    だから、先回りして、「ここは間違える」「ここをこのように間違えるから気をつけて」と教えることが可能です。

    英語の根幹をなす大切なことは、ほとんど中学1年生で学習します。
    どうか、中学1年生から、塾に来てください。
    たくさん間違えて、誤答が頭の中に定着してからではなく、最初から、誤答を頭に残さないことが大切です。
    頭の中に正しい英語しかない状態を作りましょう。
    間違った英語感覚や英語学習が習慣化する前に、塾に来てください。

    それでも、今、英語が苦手になってしまっているのは、仕方がない。
    今いる高校生に、中1から通ってくれればこんなことにはならなかったのにと愚痴るだけでは何も変わらない。

    継続こそが万能です。
    諦めてはいけない。
      


  • Posted by セギ at 13:16Comments(0)英語

    2013年09月15日

    問題が魔物に見える子


    みなさま、三連休、いかがお過ごしですか。
    セギ英数教室は、第5月曜日のある月のハッピーマンデーは、お休みをいただいております。
    あるいは、夏期講習・冬期講習などの近づいている月の連休にも、事前に断ってお休みをいただくことがあります。
    定期テスト前に迷惑をかけないよう配慮はしているのですが、最近、テスト時期が学校によって本当にバラバラで、常にテスト前なので、その辺は、苦慮しているところです。
    ともあれ、この日曜日・月曜日は連休で、昨年同様に尾瀬に行くつもりでいたのですが、台風と見事にぶつかり、部屋でのんびりしております。

    さて、今日は、英語の話。
    入試問題でも、英検などでも、英語の4択問題は多いのですが、得点源となるこうした問題で、見事に外してしまう子は多いです。
    機械的に選んでも確率として25%は正答するはずなのに、本人の正答率は、25%にいきません。
    ほぼ全部といっていいほど誤答してしまいます。

    例えば、こんな問題。
    これを、中学3年生が解くとして。
    Yoshihiko works at the hospital near his house. He ( ) people who cannot get out of their beds.
     1. translates  2.promises  3.assists  4.spells
    本人の単語力にもよりますし、学んでいる教科書によっても若干のズレはありますが、普通の中3ですと、はっきり意味のわかる単語は、この中では1つもない場合もあるかもしれません。
    教科書には、出てきていた気がする。
    テスト前には、覚えたような気がする。
    でも、今は、覚えていない。
    そんな子のほうが普通です。
    でも、この問題、正答率は、そんなに低くないはずです。
    正答は、3.assists

    これを正答できる生徒の考えは、たとえば、こんなふうです。
    英語としては、初めて見るような気がするけど、この単語は、「アシスト」でしょう?
    「アシストする」のアシストだよね。
    「アシスタント」のアシストだよね。
    「補助する」とか、そういう意味なんじゃないかなあ。
    他の単語の意味はわからないけど、正答は、これだよ。

    そういう判断をする子は、正答できます。

    わりと難しい単語が並んでいる場合、正答だけが、期待される学力レベルの単語で、その意味がわかれば、他の単語の意味はわからなくても正答できることがあります。
    ところが、そういう判断ができない子は多いです。
    知らない単語は、読むこともできないと決めてかかって、目を通しません。
    assistが、「アシスト」と読める単語であることを教えると、がく然として、あー、答えられたのに、と悔しがります。
    ローマ字読みで良いからとにかく読んでみればよかったのに、それをしなかったんですね。
    読んでみたら、もう案外日本語として普通に使っている英単語は多いのですが。

    もっと重症な子になりますと、「アシスト」と読めるとわかっても、その意味がわからない子もいます。
    「アシストするって、日本語として聞いたことがあるでしょう?」
    「知りません」
    「アシスタントって言うでしょう?」
    「言いません」
    そうなると、それは、その子の日本語の語彙が少ないのが根本の問題となってきます。

    あるいは、間違えた問題のことに触れられるのが嫌いで、たたき返すように「知りません」「言いません」と言っているだけかもしれません。
    その情報がその子の脳を通っていない可能性もあります。
    間違えた問題について、あれこれ言われるのが嫌いなのでしょう。
    プライドが傷ついてしまうらしいんです。
    一刻も早く忘れたいと思っているのに、「アシストって言うでしょう」「もう、それは日本語でしょう」と言われるのが嫌で、「知りません」「言いません」とたたき返してしまいます。
    しかし、間違えた問題の分析をし、原因を確認することができず、忘れたい、ごまかしたいという反応をする子は、また次も同じ間違いを繰り返します。
    この問題が1問できなかったことよりも、もっと根深い問題を抱えています。

    以上のように、さまざまな場合がありますが、正答の3.assistsが正答に見えなかった子は、では、何を選ぶのでしょうか。
    どうも、1. translates(翻訳する) を選んでしまう子が、多いようです。
    この間違い方も、いろいろ分析できます。

    まず、transport(輸送する) という単語との混同があった場合。
    「ベッドから出られない人々を輸送する」という表現はどうなのかな、大体、どういう仕事なのそれ?救急隊員なの?救急隊員をそのように表現するかなあ、と思うものの、気持ちはわかります。
    ああ、惜しかったね、勉強はしているよね、と声をかけたくなるタイプです。

    一番困ってしまうし、しかし、一番多いのは、
    「何となく、translateが正解のような気がしたから」
    という返答です。
    ・・・・・何となくって、何なんでしょうね?
    「なんか、長くて、難しそうな単語だったから」
    長い単語が正解に見えてしまう。
    難しそうな単語が正解に見えてしまう。
    混乱しているときは、そんな判断をしてしまうようです。
    気持ちは、わからなくもありません。

    最近、うちの塾生の1人が、こんなことを言いました。
    「問題が、魔物に見える」
    間違えて、間違えて、また間違えて。
    どう選んでも間違いが続くと、もう訳がわからなくなる。
    問題が、自分をだます魔物に見えてくる。
    必ず落とし穴があるように見えてくる。
    そういう意味かもしれません。
    そういう感覚に陥っていると、一番長くて難しそうな単語が正解だろう、という誤った判断をしてしまうのかもしれません。

    勉強というのは、いくら基礎でも学問なので、感覚で解いていたら、いずれ迷宮に入り込みます。
    そうであるにも関わらず、特に英語は、いつまでも自分の感覚に頼ってしまう子がいます。
    感覚に頼って4択を選び、単語を並べて文らしきものを作り、それで正答になると漠然と夢見ているような勉強をしている子がたくさんいます。
    頭の良い人たちが、「感覚で解け」などと、誤解されやすい発言をすることも一因です。
    これは良くないと、以前にも書きました。
    頭の良い人たちの「感覚」は、本人は「感覚」のつもりでも、実は、「理屈」で解いています。
    本人がそれを意識していないだけです。
    30年間、勉強が苦手な子たちの「感覚」につきあっていると、「感覚に頼れ」なんて、言う気になれません。
    「一番長い単語が正解」というのが、その子の「感覚」かもしれないんですから。

    教えて教えて、さまざまな武器を持たせたのに、試験当日、それらの武器を全部放り出して、素手でわあっと突入していってしまう。
    「感覚」に頼る子の試験の受け方は大体そんなふうで、結果を見て本人も傷つきますが、教えた側の落胆も大きいです。


    勉強は、推理小説ではありませんから、
    「一番犯人ではなさそうだった奴が、実は犯人だった」
    なんてことは、ありませんよね。
    一番「犯人」だと思われる奴が、まさしく「犯人」です。
    一番正答らしいものが、正答です。
    証拠がそろっているから、「犯人」です。
    その証拠をそろえるには、しかし、こちらに知識が必要。
    論理的な判断力が必要。
    知識と判断力があれば、問題は魔物には見えません。

    ・・・・・ああ、出題者は、あの知識を確認するために、こう間違える可能性を予想して、こういう構造の問題を作ったのかあ、なるほど、と解いていくことができるようになります。
    そして、そういう判断ができるようになるには、単語力と文法力をつけ、判断力を養うために、たくさん練習するしかないんですよね。

    もっとも遠回りに見えることが、もっとも近道だと、やっぱり思うんですよ。

      


  • Posted by セギ at 15:56Comments(0)英語

    2013年07月18日

    言語における新しさとは



    さて、来週からの夏期講習に向けて、準備に忙しいこの頃、皆様は、いかがお過ごしでしょうか。
    少し前に書きました、「仮定法」を理解する意欲を示さない高校生も、期末テストが返却されました。
    「仮定法」の問題は全問正解できたと嬉しそうです。
    80点には届きませんでしたが、中間テストと比べれば、得点が激増しました。
    そうなると急に学習意欲がわくのが、子どもの常。
    学校の教科書とノートをきっちり持ってきたりするのですが、こちらは、期末テストが終わったので、ようやく学校の縛りから解法され、前からやりたいと思っていた文法の総復習に着手できると、てぐすねひいています。
    「いや、教科書は、しばらくやらないから」
    「なんで?教科書やりたい」
    「だから、テストの点数が上がったら、今度は教科書の勉強しかやりたくないとか、そういうの、やめようよ」
    「教科書やりたい」
    「・・・・・受験勉強しようね。指定校推薦で大学行くんじゃないんだから、受験勉強しよう」
    点数が上がっても、会話は若干不毛です。
    (^_^;)


    自分の思うようにならなかったからか、彼は、それまで言わなかったことを言い出しました。
    それがちょっと興味深い内容でした。

    仮定法の基本は理解できたようなので、「仮定法未来」の解説をしている途中で。
    「そうだ。学校の先生が、言ってた。今は、もう were とか使わないんだって」
    「・・・・は?」
    「だから、仮定法で、were とか使わなくて、was のほうが正しいんだって」
    「なんで?」
    「were なんて、古い言い方なんだって」
    「・・・・・・学校の先生が、そう言う根拠は、何なのかな」
    「だから、古いんだって」
    「・・・・古い新しいは、根拠じゃないよ。古いとする根拠は、何だ?文献を読んだのか?読んだとしたら、何年に誰が書いた、何というタイトルの文献だ?それとも、ネイティブから聞いたのか?どんな教養の、どんな年齢の、どういう立場のネイティブだ?根拠というのは、そういうものだよ」
    「・・・・・知らね」

    「古い・新しい」という言い方が絶対だと思っている生徒は、常に一定の割合で存在します。
    子どもは、経験でも知識でも、大人に勝てないです。
    唯一の長所は、若いこと。
    新しいこと。
    だから、自分たちの強みを過大評価します。
    新しいことが常に正しいと思いがちです。
    それは、強い自己肯定の気持ちからきているので、仕方がない側面もあるのですが、危険もあります。
    「こっちのほうが新しいんだ」と断定されると、根拠も確かめず、信じ込んでしまうことがあります。


    数年前にも、ありました。
    ある市立中学の英語の先生が、関係代名詞の授業のときに、生徒に向かって、
    「whom なんて古い。whom なんて、今はもう使わない」
    と断定したんです。
    ゆとり教育になって、中学英語の教科書からは、関係代名詞 whom が消えました。
    先行詞が人である場合の目的格の関係代名詞は、that で学習します。

    「関係代名詞」は、中3の2学期の学習内容ですが、たいていの子は、塾の夏期講習で学習します。
    教科書から whom は消えましたが、私立高校の入試から whom が消えたわけではありません。
    当然、塾では、whom を教えます。
    そんなわけで、自分は教えていないのに、生徒が知っている、whom。
    その学校の先生は、それが気に入らなかったのかもしれません。
    でも、塾生からそれを初めて聞かされたときは、唖然としました。
    生徒の多くは、「古い」という言葉にだまされ、その先生の言うことをほぼ信じていましたから。

    はたして、whom は古いのか?
    古いから、教科書から消えたのか?
    今は、もう使わないのか?

    そんなことは、ないでしょう。
    こちらは入試問題に出てくるから教えているんです。
    易しい英会話で whom を使う機会は少ないかもしれない。
    whom は、省略可能、というより、たいてい省略してしまうでしょう。
    でも、書き言葉として、whom は、そう簡単には消えません。
    使ってあるほうが、読み取り易い場合は多いからです。
    しかも、これは高校英語ですが、to whom 、 with whom 、by whom などの、「前置詞+関係代名詞」という用法があり、これは、who や that では代用できません。
    「その言い方が、堅苦しくて、古い」
    と言われても、論理的で複雑な文章ほど、この書き方をされたほうが読み取り易いことがあります。
    だから、実際に使われています。
    それは、「古い」のではなく、「言語レベルが高い」ということではないでしょうか?

    日本語に置き換えてみると、わかりやすいです。
    「君は、何をもって、そのように断言するのか?」
    この言い方、新しいか古いかと言われたら、古い、でしょう。
    では、通じないのか?
    使うと違和感があるのか?

    でも、国語の苦手な、ちょっとおバカさんな若い子は、言うかもしれません。
    「えー、意味わかんないー。そんな言い方、今しないしー」
    本人が国内でそんなことを言っているだけならいいですが、それを外国に向けて発信されたらたまらない。
    後ろから羽交い絞めにして、口を塞がないと。

    そして、「whom は古い」「仮定法の were は古い」という情報が、もしもそのレベルの情報であるなら、そんなものを鵜呑みにするわけにはいきません。

    言語には、レベルがあります。
    それは、日本語でも、英語でも。
    書き言葉なのか話し言葉なのかにもよりますが、一番大きいのは、話し手・書き手の教養です。
    日本語の「らぬき言葉」は、許容の範囲ではありますが、しかし、使っている人が若干無教養に見えることは、今も否定できません。
    生徒の多くは助詞を使わない話し方をしますが、それが新しく正しい日本語なのではなく、本人たちが助詞の使い分けができないだけです。

    英語にも、そういうことは、あるでしょう。
    英語を使う国は、日本よりも格差社会であり、階級社会であることが多いです。
    そのことは、使用する英語に、どう影響しているのか。
    外国語として英語を学ぶ者に、そのニュアンスは、どの程度理解できるのか。

    私たちの多くが、使えるようになりたいと思い、生徒に使えるようになってほしいと思う英語は、例えば、アメリカの大都市で有能なビジネスマンが使用する英語ではないでしょうか。
    彼らが話し、書き、聞き、読む英語。
    彼らが、whom をどう使い、were をどう使うか。
    ファンキーでおバカちゃんな若い子たちの使う「新しい英語」を学びたいわけではありません。

    そして、その手前として、生徒たちは受験英語を身につけなくてはなりません。
    アメリカの「今の英語」よりも、入試でその文法事項がどう扱われるかを意識しないと。


    whom の件は、
    「〇〇中学の英語の先生に、whom は今は使わないと言う先生がいるそうですが、それは誤りです」
    と生徒に伝え、実際に whom が文法問題や長文問題に使用されている近年の例を1つ2つ挙げることで、解決しました。
    「ただ、学校で習っていないのだから、学校のテストでは、whom は使用しないこと」
    世の中には裏と表があることを中学生に語るような、あまり好ましくない状況ですが、仕方ありません。
    他の学校の先生の中には、教科書には載っていなくても積極的に whom を教える先生もいて、そうなると、生徒たちは、whom を教える先生のほうが上なんじゃないかなあ、いいなあと言い出しました。
    whom を否定した先生を、むしろバカにする動きが生まれました。
    あまり極端なことを言うと、揺り戻しがあって、かえって損をするという例かもしれません。

    その先生の言いたかったことは、実は、方向として間違っていたわけではないとも思います。
    ただ、断定は避けたほうが良かったですね。

    英語も、日本語と同じように揺れています。
    言語の変化は、常に誤用から始まります。
    最初は間違った表現だったものが、使う人が増えれば、それも許容されます。
    whom と who の使い分けのできない人が増えてくれば、目的格でも who を使って良いことになっていきます。
    whom を使う機会は、ますます減っていきます。
    実際、高校英語の教科書の中には、whom の代わりに who を用いても良いとされている教科書が増えてきました。

    仮定法の場合、were の代わりに was を用いても良いということは、これはかなり以前から、ほぼ全ての教科書に書かれてあります。
    今後、ますますwas に傾いていくことは、容易に想像できます。
    しかし、「was を使っても良い」と「was を使わなければならない」の間の距離は、そう簡単に飛び越せるものではないと思います。
    あるいは、話し言葉としては、もうかなり was に傾いているとしても、文章というものは、長期的に残るものです。
    当然、were が使われています。
    目に触れる英語として、were は、消えていません。
    そのような状況下で、なぜ、その先生は、そんな断言をしたのでしょう。
    根拠が知りたいです。

    上のようなことをいろいろ話した上で、
    「根拠を聞いてきてよ」
    とその子に言うと、
    「嫌だ」
    と言われてしまいました。
    「なんで?」
    「根拠はなんだと食い下がって、怒らせたら、成績を下げられる」

    おいおい。
    そんなことをやりかねない印象のある先生の言うことなんか、最初から信じるなー。
      


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