2012年05月30日
子どもの頃の豊かな体験
先日、ラジオを聴いていたら、若い頃、子育てしながら忙しく働いていた女性からの投書に、こんなのがありました。
毎日忙しくて、それでも、夜には、子どもたちに絵本を読んで聞かせるのですが、子どもと一緒に横になっていると、睡魔が襲ってくる。
絵本を読みながら、夢うつつになり、絵本の中に現実が入り込んでくる。
気がつくと、半分眠りながら、
「ぐりと ぐらは、 おおきな かごをもって、 ぎんこうに、おかねを おろしに いきました」
と読んでいたりしたそうです。
子どもたちは、絵本の暴走が始まるのを、とても楽しみにしていたらしいですが。
かの、のねずみ2人が、銀行のATMの前で、顔を見合わせている姿が浮かびます。
私の知人は、やはり子どもに本を読み聞かせる習慣を持っていましたが、これは別に眠くなったわけではなく、いつも同じ本で退屈なので、
「昔むかし、あるところに、ハリーとポッターがおりました。ハリーは、山へ柴刈りに、ポッターは、魔法学校へ行きました」
と適当なことばかり読んで、子どもに叱られていたらしいです。
私は数学と英語を教えていますが、どちらの科目にしろ、そもそも国語力の弱い子については、「今はこれが限界か」と感じることがないわけではありません。
数学は、単純な計算問題ならば関係ないものの、応用問題は、当たり前ですが、全て日本語で書いてあります。
見ていると、その読み取りにかなり苦労している子は存在します。
例えば、こんな問題。
ある2ケタの正の整数があります。その数の、一の位の数は、十の位の数より5だけ大きく、一の位と十の位の数字を入れ替えてできる数は、もとの数の2倍より4だけ小さくなります。
ある数をもとめなさい。
または、こんな問題。
1個130円のコップがあります。このコップを1個運ぶと5円もらえる仕事がありますが、もし、運んでいる途中でコップを割ってしまうと、運び賃がもらえないどころが、逆に、コップの代金を弁償しなければなりません。
600個のコップを運んで、1920円もらいました。途中で何個割ってしまいましたか。
こんな問題になりますと、大人は、読んでいて、
「なんで保険をかけていないんだ?」
などと、余計なことまで考えてしまうくらい内容がわかりますけれど、子どもは、何のことやら、何回読んでもさっぱりわかりません、ということがあります。
どう解くのかについては、若干、テクニックが必要ですが、問題文に書いてあることがどういうことであるか、一読で理解できるほうが、有利です。
どう解くか以前に、何が書いてあるかで悩むのでは、正解までかなり距離があります。
英語になりますと、普段の文法練習ならば、短文ですから、まだ何とかなるとして、結局、入試問題の大半は長文読解ですから、読み取れなければどうにもなりません。
日本語も読み取れない子が、英語の長文を読み取れるわけがない。
国語力は大切です。
子どもの頃の読み聞かせ、具体的なデータは知りませんけれども、やらないよりは、やったほうが、いいのかもしれません。
子どもの頃に、心と頭が動いたたくさんの幸せな経験のある子が、知力は高くなるでしょう。
親の作為だけが目立つと、知育玩具でも能力開発でも何でも、10歳を過ぎたら全部消えていくだろうなあと感じ、将来性は特に感じないのですが。
以前も書きましたが、数学が飛躍的に伸びている男子生徒がいます。
その子も、国語が抜群にできます。
1つには、それが伸びの原因だろうと感じます。
最近知った、もう1つの理由。
夜、教室の窓を開けて授業をしていましたら、網戸に、枯葉色の小さな虫が止まっていました。
「虫だ」
と、その子が言うので、虫が嫌なのかと思い、
「大丈夫だよ、網戸の外だから」
と答えますと、その子は、立ち上がり、網戸を開けて、外からその虫を観察し、名称を正確に言いました。
そのとき、私は、何度も訊き返したのですが、うーん、名前を、忘れてしまった。
メモしておくべきだったー。
聞いたことのない種類の虫で、カタカナの音だけ確認できても、あえて漢字で書くならどう書くのか、さっぱりわからなかったものですから。
それはともかく、その子が、虫の名前にそんなに詳しいというのは初耳で、私がびっくりしていますと、さらに他にも虫について饒舌に語りました。
虫を女子に押し付けてからかう嫌な奴をへこませたエピソード。
今でも、ランニングの途中で、カブトムシを確認にいくこと。
部活が大好きなスポーツ少年と思っていたら、こんな才能を隠していたか。
昆虫採集は、五感と身体をフルに使う知的活動。
自然の中で何時間も何かを一心に見つめ、また、本で調べる。
その繰り返し。
何年も何年も、1つのことを好きであり続け、積み重ねていく経験。
こういう経験を持っている子は、それは、飛躍しますよね。
ああ、そういうことか、とようやく腑に落ちました。
あ。
こんなこと勝手に書いたら、本人に怒られるか。
(@_@;)
2012年05月26日
どんな講師が成績を上げるか
個別指導を受けるとして、どんな講師が成績を上げるのか。
今日は、そういう話をしてみたいと思います。
個別指導というと、大半は、学生バイトです。
その中から選ぶのだとして。
まずは、学生バイト全体の良い点から。
若い分だけ、生徒との距離が近い。
良い兄貴分、姉貴分として、面倒を見る。
生徒も、そういう人に教わったほうが学習意欲が増す。
能力的にも、現役学生のほうが、頭が冴えている。
これ、学生講師の良い点として、必ずしも間違った情報ではありません。
特に、中学生になっても反抗期が抜けず、学校の先生とソリが合わない子の中に、こういう学生バイトに個別指導を受けて成績の伸びる子がいます。
しかし、学生バイトにも欠点があります。
学生バイトの欠点。
仕事に対して責任感が低い。
初めのうちは新鮮で、一生懸命教えるが、じきに飽きて、手を抜くようになる。
自分の立場を自覚できていないので、生徒と無駄話をする時間が長い。
子どもにおだてられると、すぐに流され、子どもに都合よくあしらわれる。
入試情報などをよく研究していないので、どの問題が大切か、どれが入試に出るか、定期テストに出るか、わかっていない。
生徒が取ってくるテストの点数は、自分の責任だと思っていない。
生徒の成績が上がれば自分の手柄、成績が上がらないのは生徒が悪い、と平気で考える。
そもそも、生徒に教えるほどの学力がない。
これ、全部の学生バイトに当てはまるわけではありませんよ、もちろん。
頑張っている子は、頑張っている。
ただ、しょせんはアルバイトだということも、保護者の方は知っておいたほうが良いと思います。
長年、学生バイトたちと働いた経験から、わかったこと。
どんな学生講師が人気があるか。
どんな学生講師が実力があるか。
例外はありますが、全体の傾向として。
教え方が上手く、生徒の学力が確実に上がる学生講師は、それほど偏差値の高い大学の学生ではありませんでした。
学生ながら、週に3回はみっちり授業が入っているなんて子の多くは、中堅大学の学生でした。
隣りで聞いていても、生徒の心をつかむことも含めて、なかなか上手い授業をします。
偏差値的には、50台後半。高くても、60台前半。
それくらいのほうが、勉強がわからない生徒に、親身になれるのかもしれません。
特に、小学生・中学生には、このタイプの学生講師が結果を出していました。
あるいは、高校生でも、勉強があまり好きではないタイプの子に、熱心に教え、結果を出していました。
自分もわからなかったこと。
でも、友達に教わったり、塾の先生に教わったり、あるいは、自分で何とか考えて、わかるようになったこと。
それを惜しげもなく、生徒に伝授します。
一方、生まれながらの秀才のまま有名大学に進学しました、といった印象の学生の場合、隣りのブースで聞いていても、びっくりするほど説明がわかりづらく、中学生を相手に、自分が習いたての大学での知識も混ぜたりする場合が結構ありました。
人にもよりますが、教え方が上手くない場合は多かったです。
生徒がどこでつまずくか、わかっていないのでしょう。
自分は、そんなところではつまずかないからでしょうか。
説明が通りいっぺんで、のっぺりしていて、何が大切か、さっぱりわからない。
しかも、生徒が理解しないと、不機嫌になる。
若さゆえの脆弱なプライドは、他人を否定することで成り立つ場合があります。
生徒が、悪いんだ。
ボクは、悪くないもん。
・・・・結局、子どもなんです。
中学受験の受験算数は、テキスト通りの定番の解き方が、結局は、生徒にとって一番わかりやすいです。
家に帰って、親が勉強を見る場合も、テキスト通りならばやりやすい。
なのに、本人の勝手な判断で、方程式で教えて、めちゃくちゃにしてしまうのは、きまって偏差値の高い大学の学生でした。
テキストにまとめられている、長年の間に工夫された解き方よりも、自分の思いついた方法のほうが優れていると思ってしまう。
若さゆえの愚かさは、どんな秀才にもつきまといます。
しかし、彼らには、本来、能力があります。
だから、彼らが、本気で講師という仕事に打ち込み、全力であたり、指導技術を高めることを目標にしたら、それは恐ろしい。
プロ講師の怖さはそこです。
ただ、幸か不幸か、学生たちは、講師を本業にしたいとは思っていません。
学生時代だけの、アルバイトなんです。
なので、スキルを磨くことがありません。
ただ、やっぱり、需要はあるので、彼らには、ちょぼちょぼと仕事は入り続けていました。
凄い結果を出したという話は、さっぱり聞かないんだけど、隅っこのほうで少し働いている。
そんな感じの学生が多かったです。
もちろん、例外はあるので、決めつけるわけにはいきませんが。
それに、今は、少し事情が変わってきました。
ゆとり教育と少子化の弊害で、現在の偏差値50台後半は、昔と比べて、かなり学力が低い。
高校入試も大学入試も、推薦入試やAO入試で済ませてしまい、受験勉強をろくにやっていない学生も多いです。
最低でも偏差値60は越していないと、子どもを伸ばすのは難しいかもしれません。
ただ、あまり突き抜けてしまうと、やはり、教える技術が低い場合があるのは、現在も同じでしょう。
教育能力は、共感する能力。
講師にふさわしい能力の学生の幅がさらに狭くなってしまいました。
ですから、講師選びは、慎重に。
第一印象や先入観で決めてしまわず、お子さんに本当に合っている講師を選んでください。
そして、1度決めたら、待ちましょう。
勉強には、タイムラグがあります。
結果が出るのは、早くても、3か月後。
とにかく、半年待ちましょう。
半年待って、結果が出なかったら、講師を替える。塾を替える。
何らかのアクションを起こしてください。
その前に、「今度成績が上がらなかったら、講師の先生を替えるか、塾をやめようね」
と、お子さんに、あらかじめ伝えておく必要があります。
その講師のことが本当に好きなら、講師のために頑張る場合もありますから。
当然ながら、半年待っても大丈夫なほど、アクション開始はお早めに。
受験学年になってから、そんなことで無駄な時間を費やさなくても済むようにしたいですね。
2012年05月21日
テスト前だけあせるのではなく
今朝の金環日食は、面白かったですね。
部分日食で納得するわけではないが、皆既日食を見に遠出するほど熱狂しているわけでもないので、近所の公園で見られる金環日食は、ある意味、生涯に1度のチャンスです。
たっぷり鑑賞しました。
さて、昨日は、模擬試験の会場責任者として1日働いていました。
塾から申し込みの生徒さんについて、受けに来ているかどうか、塾からの問合せ電話がありました。
伝えて良いのかどうか本部に確認の上、OKとのことで「受けに来ていない」と伝えると、塾の教務の方のがっかりしたため息。
体調などが原因で欠席の可能性ももちろんあります。
しかし、偏差値や志望校の合格判定がはっきり出る大きな模試は、棄権する生徒や、初めから申し込もうとしない生徒がいます。
現実と直面するのが嫌なのかもしれません。
高校受験の場合もそうです。
せめて秋以降の模擬テストは、9月・10月・11月と最低でも月に1度ずつ3回は受けてくれないと、志望校を決めることも併願推薦校を決定することも難しくなるというのに、何だかんだと言い訳して、11月になってもまだ1度も模試を受けないという生徒が現れます。
以前に働いていた集団指導塾の、学力別の下位クラスの生徒にこの傾向が強く、苦労しました。
もう少し勉強してから。
もう少し勉強すれば、良い成績が取れるかもしれないから、それから受ける。
そんな言い訳も聞かれました。
出来ないなら出来ないで、その現実と直面できない子には、そこからの逆転も、ないんだけどなあ。
自惚れと劣等感のシーソーゲームを繰り返している10代には、明確なデータが何よりの指針ですから。
ダメならダメで、ダメな現実をまず把握するために、模試は、受けてください。
受けることで、意識が変わりますから。
模試は、そうやって逃げることができる。
でも、定期テストは、逃げられません。
毎日の学習をきちんとしていない子にとっては、定期テストも心理的負担が大きいようです。
セギ英数教室は、英語と数学の塾。
この2科目、基本的には、テスト前に勉強することは少ない科目なんです。
テストの1週間前は、理科や社会といった覚えることの多い科目の勉強のほうが忙しい。
英語や数学にはそれほど時間をかけたくありません。
数学は、模擬テスト的に範囲の単元のまとめ問題を解くくらい。
英語も、準拠ワークで、重要表現や新出単語を確認すればいい。
数学と英語は、普段みっちりやっておく科目です。
テスト前にちょろちょろやって得点が急に上がるような科目ではありません。
たとえば高校英語の、教科書の英文しかテストには出ない場合のような狭い範囲だけマスターする勉強なら効果が表れますが、それも、応用問題として初見の英語長文が1題出るとなったら、その子の実力次第です。
でも、多くの子は、学習意欲にムラがあり、テストが終われば手を抜いて、学習スピードが落ち、テスト前になると数学や英語の勉強まで抱え込んであせります。
それを改善できれば、成績は上がっていくんだけどなあ。
勉強にはタイムラグがあります。
今勉強している英語や数学が実力となって表れるのは、早くて2か月後。
目の前の中間テストには、間にあいませんよー。
塾は、テストが終わって、のんびりしている時期の子どもに、ガンガン宿題を出し、先へ先へと進みます。
差がつくのは、その時期だから。
2012年05月17日
89点が好きですか
さて、中間テストシーズンです。
入塾時の成績を問わないセギ英数教室。
入塾直前の定期テストの結果を記入していただくと、こういっては失礼ですが、おっとっとーな点数が記入されるのは、普通のことです。
成績が良かったら、塾なんて来ませんものね。
最初が低ければ低いほど、上がり幅も大きい。
大丈夫。
何も問題ない。
そうやって続けてきて1年経ちました。
とはいえ、最近、壁を感じ始めていました。
入塾時と比較すれば、何十点と上がっています。
でも、90点を越えることができない。
多くの子から見せてもらうテストが、89点、87点、86点・・・・・。
何だろう、この点数は?
後ろのほうの応用問題も解いてあるのに。
わからない問題は、ないのに。
そこら中で失点。
1点、2点と失い続け、結局、80点台。
1人の子がその壁にぶつかっているとなると、その子の限界と考えることもできます。
しかし、複数の生徒がこの状況。
これは、私が悪いのか。
ケアレスミスも、実力のうち。
結局は、そういうことか。
大人になれば、「ミスの多い人=能力の低い人」。
ミスはあるけど、他人にはない能力が、なんて夢物語がそうそう通用するものではない。
昔、大手の個別指導塾に通っていた頃、やはりケアレスミスが多く、90点の壁と常に闘っている女の子がいました。
ただ、その子は、90点台に何とか乗ることが多かったです。
1つには、意識が違ったのかもしれません。
80点台を取ると、その子のお母様の怒りがすさまじかった様子です。
お母様の気持ちも、わかります。
むしろ、30点のテストを見たら、怒る気にはなれない。
どうやって励まそうかと、そちらに頭が働きます。
でも、86点のテストは、腹が立ちます。
あともう少し、何とか出来るだろう。
能力的な限界なら、仕方ない。
でも、不注意な、つまらないミスは、治せるだろう。
だから、親としては、イラッとしてしまうのだと思います。
買い物に来たデパートの前で、テストの点数のことでお母さんにきついことを言われて、泣いてしまったという話を本人から聞いたことがあります。
外を歩いていて中学生が泣くほどの激越な攻撃。
そりゃあもう、80点台なんか取っている場合ではありませんよね。
けれど、それは、それでOKだった親子の話で、誰にでも通用する話ではありません。
まして、他人の私が怒って意識が変わるとも思えない。
そう。
問題は意識。
90点以上を取る気でテストを受けているかなあ、という意識の問題。
取れると思っていないんじゃないかなあ、という問題。
そんなの無理だと思っていないかなあ。
閉塞感の中、中間テスト対策期間に突入しました。
事情があって、3学期の期末テスト以来休会していた子が、ようやく復帰しました。
3学期末のテストの点数もまだ確認していませんでした。
聞いてびっくりの90点台突破。
学年末の成績は、10段階評価で、9。
(@_@;)
内心おたおたしていると、立て続けに他にも2人から、月に1度の小テストで90点台を越えたとの報告が入りました。
そうか。
90点台を取れないと諦めていたのは、むしろ私だったかもしれません。
最近の数回の80点台は、足固めに必要な停滞だったのか。
そして、やっぱり1度でも90点を取ると、その子の表情が変わります。
意識が変わります。
良い点を取れると、勉強は面白い。
学校の先生との距離も縮まります。
直接褒めてもらえるのでなくても、言葉の端に秀才への信頼が感じられる。
嫌なことを言われる心配がないので、話しやすい。
学校生活も楽しそうです。
(*^_^*)
今回の中間テストで、90点台が取れるかどうかは、私には正直、わからない。
でも、もう永久に取れないのかもしれないとは思わなくなりました。
壁は、自分が作ってしまうもの。
少なくとも、私が壁を見てしまうのは、もうよそうと思います。
2012年05月14日
奥多摩御前山2012 年5月
昨日は晴れ晴れとした気持ちのいい日曜日でした。
奥多摩の御前山に行ってきました。
御前山に以前に登ったのは、2003年の秋。
もう9年も前の話です。
今回も、前回と同じ大ブナ尾根を登りました。
奥多摩駅からバスに乗り、奥多摩湖で下車。
バスを降りた身体の向きのまま、すぐ左手の奥多摩湖の周囲を巡っていく遊歩道に入り、どんどん歩いていくと、車道と合流します。
道は広くなり、さらにどんどん歩いていくと、山に突き当ります。
ぱっと見た感じでは、そこにある門をくぐり、さらに遊歩道を歩いていく以外に道がないように見えるのですが、左手に一段高くなっている公園のようなものがあり、そこが登山口に通じる道になっていました。
公園のようなのものに上がると、やっと最初の道しるべが見えてきます。
これは、結構わかりにくい。
ちょっと周囲をうろうろしました。
9年前の私は、何でわかったんだろう?
9年前は、こんな公園のようなものは、なかったのかもしれません。
道の記憶がほとんどないものの、登山口からすぐ、ロープにつかまって登る急坂があったことは記憶していました。
そこが朝から渋滞していましたから。
けれど、今回、登山口は全て階段になっていました。
この公園状のものと階段は、この9年で造られたのでしょうか。
安全に歩けるようにたくさん整備したのかなあと思うと、すぐに始まる急登。
さほど整備されていません。
岩がちな急登と、少しだけ平坦な道。
その繰り返しが果てしなく続きます。
道は明瞭ですが、道しるべがほとんどない。
山慣れていない人は不安を感じるかもしれません。
そして、木が大きい。
ブナの古木がそこかしこに。
新緑の木漏れ日の下を息を切らして登っていくと右側が開け、枝の向こうに富士山が見えました。
眺望のために木を伐採する山が増えている中で、そんなつもりは全くない様子。
首をのばしたりひっこめたりして、何とか富士山を見ました。
写真に撮ろうとしましたが、どうしても枝にピントが合ってしまい、撮影は無理でした。
眺望を意識しない。
ここは観光地ではないのだから、という意志を感じる山。
いいなあ。
『日本百名山』を書いた深田久弥は、別の本の中で、「山頂標識は必要ない」と書いていたと記憶しています。
その山の名を心に刻んで登ってきた者に、どうして山頂標識が必要だろう。
途中の道しるべも、その他の人工物も、特に必要と感じていなかったでしょう。
何より、山の観光地化を嫌った。
深田久弥は、そういう登山者だったようです。
近年、多少はブームが落ち着いてきた様子ですが、中高年がまるでスタンプラリーのように日本百名山に登り、また、百名山完登を果たした人を称える傾向があります。
「あの人、百名山は終わっているのよ」
というのが褒め言葉であり、「あの人は、山のベテランよ」という意味で言っている人は、今もいます。
他人が選んだ百の山を登ることに、何の意味があるのか?
それは、深田久弥が最も嫌ったことではないのか?
登りたい山を選ぶところから、登山は始まります。
山を選び、道を調べ、道具を揃え、技術と体力を駆使して登る。
その人なりの山選びがあり、山への向き合い方がある。
他人が選んだ百の山を登ることに何の意味があるだろう。
まして、技術が伴わない中高年が無理に登るために遭難が絶えず、その結果、安全のために山を過剰に整備することになり、麓も含め開発も行われています。
深田久弥が生きていたら、何と言うだろう?
今の日本百名山を、もう一度名山として選ぶだろうか?
日本百名山は、高い山大きい山が多いので、近郊の低山しか歩いたことがないのと比較すれば、確かに登れば体力はつきます。
しかし、今の日本百名山は、整備され過ぎて、10座歩いても100座歩いても技術的な進歩はないと思います。
百名山を完登しても、それだけでは初級者のままです。
スタンプラリーは面白いから、そういう意味でやりたい人はやればいいんだけれど。
そんなことを考えながらどんどん登っていくと、奥多摩湖がはるか下に見え、あえぐこと3時間で御前山到着。
GWの翌週、しかも母の日ということもあるのか、登山者は少なめでした。
そこからは、大ダワ経由で鋸尾根へ。
どんどん下って、林道にいったん出て、そこから登り返します。
そこの道しるべが雑。(*^_^*)
階段を登る道と、平坦なまき道と2つあるけど、鋸尾根に乗るのはどっちだっけ?
こんなところで悩んだ記憶はないんだけど。
このまき道は、新しく作られたものかな?
道しるべが雑なときは、大体、どっちでも行けるときですが、まあ、無難に地形の印象から判断して階段を登りました。
大岳山に行くときも御前山に行くときも、この鋸尾根を使うと直接奥多摩駅に降りられるので便利ですが、道は多少険しいです。
途中に、「鎖場コース」という道しるべ。
そんなもの、昔、あったかなあ。
とりあえず、下山が目的なので、鎖場コースには行かず、無難に普通の下山路を選ぶと、鎖場コースとの合流地点にすぐに着きました。
そういえば、昔、1枚岩に貼られた小さな鎖場があった気がします。
そして、今回、鎖場はなかった。
つまり、昔の普通のコースが今は鎖場コースとなり、別のより安全な登山道が造られたのでしょうか。
昔の鎖場で崩落か何かがあり、危険度が増したのかもしれません。
9年前の記憶では、どうにも判断がつきませんが。
その先は、小さな祠と天狗の石像が2体あるピーク。
その前後は特に岩がちです。
そこも過ぎると、道はどんどん歩き易くなり、いったん、林道に出ます。
道しるべでは、奥多摩駅に行く道は2つありますが、直進して、愛宕神社へ。
ここまで来て神社の石段を登るのはかなり足にくるのですが、奥多摩駅へはこれが近道のようです。
本堂には登らず右手の道に入り、そこからまた下りです。
そして、また林道に出て、また山道。
最後にまた神社のようなところに出て、そこが下山口。
道路を左に行き、昭和橋を渡ると、奥多摩駅はもうすぐです。
時間があったので、もえぎの湯に寄りました。
登山客だけでなく、車で来る一般客も多いので、いつも休日は混雑しています。
男性は、時間制限の上、整理券が配られる盛況。
幸い、女性はすぐに入れました。
昔、竹下内閣の頃、ふるさと創生1億円で造った温泉施設。
駅から徒歩で行ける温泉施設です。
風呂上り、さっぱりした木綿のTシャツと短パンに着替えて、川沿いの新緑を眺めながら、駅までのんびり歩きました。
途中、スーパーで、ビールを購入。
駅に着くと、ちょうど、ホリデー快速が入ってきました。
三鷹まで1本。ラッキーでした。
2012年05月11日
他人の話を聴く力
GWは、時間に少し余裕があったので、昔のDVDの整理などしました。
塾講師をしていますと、ゴールデンタイムに家にいることはないので、見たい番組は、録画して見るのが普通です。
それがまだ残っていました。
「トリビアの泉」という番組を録画したものが数本残っていて、見たら、驚きました。
あの番組、スタジオ部分では、ずっと水音がしているんです。
皆様、ご存じでしたか?
確かに、セットの背後には泉がある。
ずっと水が流れています。
でも、その水音が気になったことは、当時は1度もなかったのですが、今回見たら、びっくりするくらいよく聞こえます。
外で雨が降り出したのかなと思うくらいに。
これは、当時の私が迂闊だったのか?
あるいは、テレビ受像機の進歩により、音声がクリアになったせいなのか。
モスキート音が突然聞こえ始めたくらいの衝撃でした。
聴き取るというのは、やはり難しいものですね。
(^_^;)
さて、本日は、英語のリスニングの話です。
英検や高校入試が近づいてきますと、生徒から、「リスニングで得点できない」という相談を受けることがあります。
地力はついている子に対しては、1回か2回の授業で、リスニングのちょっとしたコツを伝授すれば、ぐっと得点が上がります。
しかし、そもそも地力がない場合、目前の試験に間に合うようにリスニング力を上げていくのはかなり困難な作業です。
では、地力とは何なのか?
英語を聴いた経験が圧倒的に不足している子の場合、その子の知っている英語は、その子が自分で音読するカタカナ英語ですから、本当の英語との乖離が激しく、聴き取るのに大きな障害となります。
本物の英語を、聴いてください。
教科書本文のCDでも、ラジオ講座でも。
毎日聴くのが理想ですが、最初は、週に1度でもいいです。
英語を聴く習慣が全くなかった子の場合、週に1回聴くようになるだけでも、ひと月でかなり効果が表れます。
そうやって耳を作っていけば、さほど努力した感覚もなく、簡単にリスニング力は上がります。
もう1つ。
当たり前ですが、単語力がないと、リスニングは難しいです。
どんなに英語耳を鍛えても、知らない単語は聴き取れません。
学校の教科書の英文を読んだときに、新出単語以外でも意味のわからない単語がゴロゴロある状態では、該当学年の英検の級のリスニング問題は、かなり難しく感じると思います。
まず聴き取れません。
ここまでは、英語力に関する問題なのですが、実は、もっと根本的にリスニングで得点するのが難しい子がいます。
そもそも、他人の話を聴く力の弱い子の場合です。
たとえば英検3級のリスニング問題を全部日本語に訳して、全部日本語で朗読して、全部日本語の選択肢から選ばせるとしたら。
該当学年である中学3年生の正答率は、どれくらいでしょう。
リスニング問題は、全部で30問。
全問正解できるのは、おそらく、全体の3分の1程度でしょう。
1問か2問、ケアレスミスしてしまう子が、全体の2分の1。
そして、残る6分の1は、何でこんなに間違えるの?とあきれ果てるような得点になるんじゃないかと思います。
「テキストの〇ページを開いて」と言っても、その指示を聞き落とす。
「問3を見て」と指示しても、とんでもないところを見ている。
これ、集団授業だけではありません。
個別指導で、1対1でも、聞いていない子は、聞いていません。
私が言った通りのページを開いているか確認した後、説明する問題を指さしてあげないと、指示したとおりのところを、まず見ていない子は、います。
集団授業では、そのまま修正されず、トンチンカンなところを見たまま、授業を受けてしまいます。
なので、説明が全くわからない。
不思議なことに、そういう子は、自分が間違っていることに気づくのが遅い傾向があります。
他人の話を聞かない子。
子どもの頃から、他人の話を聞き流す習慣がついているのでしょうか。
他人が話している間、別のことを考えています。
まだらにしか聞いていません。
能力自体が低いのではなく、むしろ、潜在能力はあり、本人のセルフイメージも、案外肯定的なことが多いです。
ただ、他人の話を聴くことが、できない。
聴いてくれという合図に気がついても、聴く態勢になれない。
聴き始めても、すぐ飽きて、他のことを考えてしまう。
英語は、特有の抑揚があるので、聴いていると眠くなります。
ますます集中力が途切れます。
英検のリスニングは、平均約30分間。
とても最後までもちません。
リスニング問題だけは集中して聴くつもりでも、普段やっていないことは出来ません。
後半は、頭がぼおっとし、内容が頭に入ってこなくなり、正答率がガタガタに下がっていきます。
まずは、日本語からですね。
(*^_^*)
2012年05月09日
どうやったら単語を覚えられるのか
本日は、英語の話。
初見の英文を読んでいくために、受験生には、パラグラフ・リーディングを教えます。
パラグラフ・リーディングとは、要するに、段落読み。
1つの段落には、1つの内容しか書いていない。
それを利用する読み方です。
これならば、文法的にわからない部分があっても、知らない単語があっても、読み通していけます。
これは、英語でも、国語でも使えます。
しかし、それを教わることでグンと伸びるのは、やはり、最低限の基礎は身についている子に限られてきます。
いくらなんでも、この程度の単語力はほしい。
いくらなんでも、この程度の文法力はほしい。
そういう最低ラインがあります。
でも、現実問題としては、その最低ラインをクリアできない子が多いです。
特に単語力は深刻。
中学レベルの単語まではかろうじて覚えられた子も、高校で湯水のように出てくる新出単語に、ほとんどの場合、ギブアップしてしまいます。
定期テストの範囲の単語だけは何とか覚える。
テストが終われば忘れる。
結局、知っている単語の合計に変化がない。
そのまま、高3までいってしまう子が多いです。
どうやったら単語を覚えられるのか。
1つには才能があって、語学の才能の第一は、単語を覚えられる才能だと思います。
単語を覚えるのが得意な人は、1度2度見たら、覚えられるらしいので、才能とは恐ろしい。
そういう人が、「どうしたら英語ができるようになるか」といった本で、「とにかく単語を覚えてしまえば何とかなる」という、ほとんど暴言に近い発言をするようになるのかもしれません。
大半の人が、そのレベルで苦しんでいるのですが。
そういう才能は自分にはないと感じた場合。
当たり前の話ですが、音声を伴わない英語学習は、いつか壁に突き当たります。
進学塾で音声学習に時間を割くことはできません。
それは、自宅で、自分でやるべきこと。
音声教材のついている単語集で単語を覚えるのが最善です。
そのほうが覚えやすいですから。
単語集とは別の音声教材、例えばラジオ講座なども併用すると、さらに効果的です。
しかし、難点が1つ。
つまらない。
よほど強い意志がないと、英語の音声教材を聴き続けることはできません。
つまらないですから。
教材を作っている人は、精一杯工夫して、面白くしようと努力しています。
それでも、やっぱりつまらない。
勉強ですから、面白いといっても、限界があります。
勉強を面白いと思える感覚がなかったら、どんな英語教材も、結局、つまらない。
自然と、聴かなくなります。
それでも、続けられるのは、単語力をつけたいという意志が強い場合のみ。
継続への強い意志。
聴いて、書いて、自分でテストして。
毎日毎日、その繰り返しです。
1つのデータでは、英検1級合格者の4割は、NHKのラジオ講座で勉強した人たちだそうです。
夢のような勉強方法がどこかにあるわけではない。
実は誰でも知っている方法が最善で、ただ続かないだけなんです。