たまりば

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2023年01月29日

受験直前に学力の上がる子と下がる子。


受験生を長年教えていると、冬期講習がピークとなってしまい、その後は学力が下がり続けていく子の多さを感じます。
何だかわからないけれど、受験が近づくと、むしろそれまで出来ていたこともできなくなっていき、ケアレスミスも多くなり、点数がじりじり下がっていくのです。
一方で、受験の朝まで学力の伸びるタイプの子も存在します。

何が違うのか?

受験勉強とは何をどうすることであるかをわかっている子は受験の朝まで伸びます。
これに尽きるのかもしれません。
そもそもの意識が違うので、毎日集中して何時間でも勉強できるのです。
それを苦痛と感じている様子も見られません。
集中して淡々とやるべきことをやっています。

そういう子は問題の消費量も多いです。
「問題数無尽蔵」を標榜する私ですら手渡す問題が尽きそうになり、その子に渡すべき良問を必死に探し、解説できるように私も解きます。
生徒と私のデッドヒートとなり、最後に背中を押して、加速をしていく受験生がゴールテープを切っていく様子を後ろから眺める。
成功する受験において、私の心象風景はそんなふうです。

勿論、そういう子は、問題を解き散らかしているのではありません。
そんな様子が見られれば、私は問題の供給を止めます。
解き散らかすだけで、見直しもしない。
自分が何をどう間違えたのか理解していない。
それならば、繰り返し同じ問題を解いたほうがいいのです。
何度解いても、同じところを同じように間違えるだけなので、その自覚を促したほうが効果があります。

問題を解く中で知識を吸収し続けることが可能な子は伸びます。
勉強とは何をどうすることであるか、体得している子たちです。


しかし、冬期講習が学力のピークとなり、以後はじりじりと下がっていく子のほうが実際には多いです。
下がっていくのは避けられなくても、その下がり方をできるだけ緩くし、何とか受験まで学力がもつようにする。
そんな算段をしなければならないことのほうが多いです。

冬期講習は、塾で学習している時間が長いうえに、家で宿題もしなければなりませんから、実質1日10時間は学習します。
毎日、受験科目を全教科学習できます。
そして、その期間だけは、学習量も学習内容も私が完全に把握できます。

ところが、冬休みが終わると、例えば中3の受験生は、学校の3学期が始まり、1日10時間の学習時間は維持できません。
冬期講習で頑張った分のゆり戻しで、家庭での学習時間がむしろ減ってしまう子が多いです。
だから、冬期講習で身につけたことを忘れていくのでしょう。
積み上げた知識が物凄い勢いで崩壊していきます。
以前はできたことが、できなくなっていく。
以前は正解できた問題の解き方がわからなくなっていきます。

教えても、教えても、忘れていく・・・。
覚えても、覚えても、記憶が消えていく・・・。

中3の受験生なのだから。
永遠のことではなく、受験までなのだから。
あとひと月だけだから。
毎日5教科、1時間ずつ、1日5時間の家庭学習くらい、できるよね?
できるでしょう?

私がそういえばうなずきますが、実際は、1日2時間も勉強できていないのではないか?
しかも、その2時間も、気がつくとぼおっとしてしまっていたり、もたもたと学校の宿題をやっていたりして終わっているのではないか?
まともに受験勉強できていないため、1度は頭に入れた知識を忘れていくのではないか?


それだけではないのかもしれません。
学力が低い子ほどそうした傾向が強く出やすいのは、ワーキングメモリの問題なのだろうかと思ってみたりします。
冬休みは、落ち着いた環境で勉強に集中できます。
しかし、3学期が始まると、勉強することだけに脳を使えません。
学校は、先生、友達、友達じゃない子に1日中ごたごたと揉まれる場所です。
別に学校が嫌いなわけではなく、それなりに楽しいと思っていても、学校は、その場その場で判断しなければならないことが多いです。
どんどん情報が入ってきて、それを処理しなければなりません。
脳が処理しなければらないことが多すぎる。
学校生活でワーキングメモリを使いきってしまい、家に帰って、さて勉強しようとすると、脳は必要だった記憶を勝手に消去してしまっているのではないか?

非科学的なことを言っているかもしれませんが、実感としてはそんなふうにしか説明がつかないようなひどい忘れ方をしていく子がいます。
できたはずのことが、できなくなっていくのです。
だからといって、中学3年生が受験勉強のために学校を休むというのには賛成できませんし。
中3の3学期は、入試までは大した行事もなく、それまではトラブルメーカーだった子たちも比較的静かになり、穏やかな学校生活が送れるはずなのですが、それですら、本当に穏やかで単調で、毎日冬期講習に行って、あとは家で勉強していれば良かった冬休みとは違って、ひどく疲れるものであり、脳を酷使するものであるのかもしれません。
もともと脳に余裕のある子には大きな影響はないけれど、いっぱいいっぱいな子ほど打撃を受けやすいのでしょうか。

本人の自覚の問題もあるでしょう。
幼いので、1度覚えたことはもう大丈夫だと誤解してしまう子もいます。
1度覚えても、反復しなければ忘れるということを、理解できていない子は高校生でもいます。
人間の脳なんてそれくらいポンコツなのだということを理解できていないのです。
人間は、覚えてもすぐに忘れてしまうんです。
記憶なんて、本当に儚い。
何1つ覚えていられない。
でも、そのことをわかっていなくて、1度覚えたから大丈夫と思ってしまう幼い受験生は、重要な知識を端から忘れていきます。
受験日までに、多くのことを忘れていきます。


冬期講習の翌日が受験日ならばなあ。
そんなかなわない望みを抱いても仕方ない。
受験生の知識がこぼれ落ちていくのを少しでも阻止するために奮闘する日々です。

  


  • Posted by セギ at 16:59Comments(0)講師日記

    2023年01月22日

    英検2級という壁。


    文部科学省が、2018年度から2022年度で目指すとした計画を覚えていますか。
    中学3年までで英検3級、高校3年までで英検準2級程度の英語力を、5割以上の生徒が達成する、というものでした。
    まだ、2022年度の結果は出ていませんが、
    21年度の割合は、中3が47.0%。高3が46.1%。
    まあ、近いところまではいっているけれど、達成せず、という結果です。

    そして、達成されないまま、文科省は、2027年度までに達成を目指す英語力水準について、
    中3までで英検3級、高校3年までで英検準2級を、6割以上とするそうです。
    5割も達成できなかったのに・・・。
    何か、英語ができない子で、そういう子がいるなあと連想してしまいます。
    英検3級に合格しなかったから、次は英検準2級を受ける、というような。
    無理はしないほうがいいと思うなあ・・・。

    とはいえ、中3で英検3級は順当な目標ですが、高3で英検準2級はそもそも目標が低めです。
    それでも、達成できないのです。
    この先改善されるだろうかと考えても、希望的観測はもてません。
    これは、英語の教育改革が良い効果をもたらしていないのもさることながら、結局、英語力は個人の問題に帰するところが大きいので、そのせいだから仕方ないんじゃないかなあと思うのです。

    英語が出来る子は、特に留学経験などなくても、高校生の間に英検準1級に合格します。
    一方、英語が苦手な子は、昔も今も英語がわかりません。
    新しい傾向もありますが、昔ながらのことが今も続いているのでもあります。

    学校で6年も、あるいは小学校から考えれば8年も英語を勉強しているのに、なぜ英語が身につかないのか?

    この疑問の立て方にそもそも問題があります。
    学校の授業だけで英語が身につくわけがないからです。
    語学というのは、そういうものではありません。
    学校は学ぶべき指針は示してくれます。
    学ぶべき教材も提供してくれます。
    しかし、個人のたゆまぬ努力がどうしても必要なのです。

    何年英語を学習しても中学英語のレベルにとどまり、高校英語レベルに進歩しない子は、多いです。
    その最大の原因は、単語力です。
    中学で学習した単語はそこそこ覚えているのですが、高校で新出の単語を覚えられないのです。
    それは、学校のせいだとは思えないんです。

    高校生の多くは、高校レベルの単語が多く含まれている初見の英文を読めません。
    書いてあることの意味がわからないのですから、正答できません。
    そういう子の英語学習は、学校で毎週行われている単語テストは一夜漬け、あるいはテスト直前だけの即席漬けのことが多いです。
    覚えてもすぐ忘れるので、単語力の蓄積がなく、中学生の単語力のまま、高2になり、高3になります。
    高1の頃は、教科書に出てくる知らない単語は新出単語の場合がほとんどです。
    しかし、高1での新出単語を覚えないまま高2、高3と進級してしまうので、教科書の中で、新出単語ではないのに意味のわからない単語が増えていきます。
    高3の教科書は、1行の中でわからない単語が3つも4つもあるということになります。
    勿論、大学入試の長文問題も。
    英検2級の問題文も。

    この症状はもっと早くに出る子もいます。
    高校の入試問題の英語長文を読み通す英語力がない中学生たちです。
    「ものを覚える」ということが本当に苦手な様子で、単語の意味を覚えるのに苦労していますし、また、忘れるのも早いです。
    単語力の蓄積がなく、都立高校入試の普通の長文も、読み通すことができないのです。
    様子をよく見ていますと、記憶力だけの問題ではなく、文字の解析力にも課題があるようで、似ている単語の区別がつかないのです。
    単語がどれも同じように見えて、そして、どれも意味がわからない・・・。

    語源を意識すれば英単語は覚えやすい。

    それは事実です。
    あるレベルの子たちには有効な情報ですが、そもそも語源が覚えられない、語呂合わせですら覚えられないという、記憶力がきわめて悪い子たちが存在するという事実を忘れてはいけません。
    幼い頃からものを覚えるのが苦手で、ものを覚えようとすると頭が重くなってつらいので、脳を鍛えるということもしてこなかった子たちです。
    英語が苦手な子の多くは、そういう子たちです。
    低学力をなめたらダメです。
    英語だけが苦手なわけじゃないんです。

    そこそこもの覚えはよくて、中学英語くらいはどうにかこなしてきた子たちも、上記のように高校生になれば、爆発的に増えていく新出単語に対応できなくなります。
    これは、性格的なものも影響します。
    もの覚えが悪いわけではないので、中学受験や高校受験は、それなりに成功します。
    そうして始まった楽しい高校生活。
    学校から単語集が配られ、毎週単語テストが行われても、どこまで本気になれるか?
    真面目に努力できる子もいますが、やっつけ仕事になってしまう子も多いです。
    あるいは、単語テストは真面目に備えるとして、その後、繰り返しその単語を復習できるか?
    それが英語を身につけるのには絶対に必要なことだと大人から説明されても、それでもその通りにはできない。
    日々のことに追われて、1度覚えた単語も気がつくと忘れている。
    そんな子のほうが普通です。
    単語が覚えられない。
    語彙が増えない。
    永遠に中学英語のままです。

    英検準2級ならば、それでも高校生の間に何とか取れる可能性はあり、そういう意味では文科省の掲げる目標もまるっきり現実離れしているとは思いませんが、本来は、高校卒業程度という設定である英検2級となると、壁は厚いです。
    どうして、英語が身につかないのか?

    高校の「英語コミュニケーション」の授業の形態は、昔とは違います。
    例えばこんな授業です。
    教科書本文を読む前に、まず本文の内容を音声で聴きます。
    聴き取った内容に対して、まずは易しい四択問題のプリントを解きます。
    次に本文を読み、読み取った内容に関する少し難しいプリントを解きます。
    その答えあわせや解説が終わると、本文の全訳プリントが渡されます。
    その全訳プリントで、重要文を英語に直す反訳練習。
    それで授業は終了。

    本文を読んで訳して、読んで訳して。
    そうした昔ながらの「リーダー」の授業と比べると、上のような英語の授業はすごく進化しているような気がします。
    しかし、英語学習の意欲のない子にとっては、予習しなくて済む好都合な授業形態になっているだけかもしれません。
    本人は授業に参加しているつもりでも、学習内容に全くアクセスできていないということも起こり得ます。
    本人の英語のレベルとは関係のない、雲の上のことが行われているだけ。
    それでも英語を勉強していることに形の上ではなっています。

    勿論、復習もしません。
    予習も復習もしない。
    つまり、家庭で英語を学習しないのです。
    何にもわからないから、勉強のしようもないですし。
    テスト前に全訳プリントを眺めて、こんなお話だったと振り返って、テスト勉強は終了。
    テストは、教科書本文以外からの出題も多いから、テスト勉強してもどうせそんなにいい点は取れないし。
    と、色々と言い訳しやすいシステムにもなっています。

    「論理・表現」の授業も、難しくて諦めてしまう子が多いです。
    文科省認定の「過度の文法事項を排した」ふわふわした内容の教科書を実際に使用する高校は少ないです。
    生徒にそういう教科書も渡してはありますが、実際に使うのは副読本のほうです。
    英文法のテキスト、参考書、ワークブックを、多くの高校が生徒にしっかり渡しています。
    しかし、英語が苦手な高校生は、そうした文法学習は何のために何をやっているのか、よく理解できないのです。
    国語の文法も苦手で、文法なんか意味がないと、文法を敵視しているような子が一定数います。
    国語の文法がわからなくても日本語を話せるように、英語の文法なんかわからなくても英語は話せるはずだ、と誤解しているのです。 
    英文法なんて意味ない。
    こういうのじゃない英語を勉強したい。
    と、変なことを夢想します。
    あるいは、そこまで強気ではなくても、何を勉強しているのかとにかくわからなくて困ってしまう子もいます。
    英文法の問題を漠然と解いていても、それがどういう意図の問題で、何が問われているのか、よくわからないようです。
    全部、熟語の問題だと思って解いていた子もかつていました。
    文法がわからない子は、自分が何を学んでいるのか、わからないのです。

    文法学習をしているということは自覚していても、文法用語を覚えられない子も多いです。
    「時・条件を表す副詞節は未来のことを現在形で表す」
    たったこれだけの内容を、何度反復しても理解できない子もいますし、理解した顔をしてもすぐに忘れてしまう子もいます。
    副詞とは何か。
    節とは何か。
    常にそこに戻って説明しても、次のときには、全部忘れています。
    心のどこかで文法の価値を認めていないからかもしれませんし、単純に覚えられないだけかもしれません。
    英文法の宿題は解きますが、文法を理解せずに解いているので、あてずっぽうで解いているだけで、そんなのは勉強ではありません。
    そして、学校で宿題の答えあわせと解説の授業を受けても、意味がわからないので、復習もできませんし、しません。

    また、文法を、英文を読むとき、書くとき、話すときに使うのだということを理解していない子は多いです。
    文法の勉強は受け入れても、それはそれとして、長文を読むときにはそんなのは全部忘れて我流で読んでしまうのです。
    短い文なら何とかなっても、複雑な構造の英文は意味が取れません。
    英文中の単語をいくつか拾って意味を想像するような読み方しかできないのです。
    単語の意味がわからないことが、それに拍車をかけます。
    それで英文を読めるわけがありません。


    そんな英語学習をしているのに、いや、本質的には英語学習と呼べるものを全くしていないのに、英検を受けるのです。
    いやいや・・・・。
    そんな英語力じゃないでしょう?
    そんな勉強をしていないでしょう?
    単語力が全く足りないでしょう?
    長文をまともに読めないでしょう?


    否定的なことばかり書いてきましたが、要するに上と反対のことをやっていれば、英語力がつくのです。
    まずは1日最低1時間は英語を勉強すると決めましょう。
    これが大切。
    やる気だけあっても、具体的にいつ英語を勉強するか決めていない人は、実行できません。

    「英語コミュニケーション」は、
    まずは、教科書の音声を聴きながら、それにあわせて音読してみましょう。
    次に、本文を見ないで、音声にあわせて言ってみるシャドーイング。
    こういう練習の効果を信じない子は多いですが、読めない英語は身につきません。
    英文読解が、暗号解読みたいになってしまうのは、読めない単語の羅列を読んでいかなければならないからです。
    そして、読めない英語は聞こえない。
    これはリスニング対策でもあるのです。

    さらに、教科書全訳を見て、それを英文に直す練習。
    大体直せるようだったら、全訳を見て、ノートに英文を書いてみる練習。
    スペルミスがあったら、単語練習。

    学校の単語集は、テスト範囲にこだわらず、繰り返し繰り返し反復練習しましょう。
    赤シートをかけて、常に自分にテストをしてください。
    単語集の音源も積極的に活用します。
    今はその単語集の出版社のサイトで音源を無料で利用できることもあります。

    高校から配布された単語集を1冊丸ごと覚えれば、英検2級くらいはどうにでもなります。
    しかし、学校の単語テストにあわせて、その範囲を覚えただけでは、1冊終わった頃には最初のほうの単語は忘れています。
    幾度も自分で反復することが必要です。
    大人なら、そんなの当たり前だとわかっているのですが、記憶というものについて、高校生は案外わかっていない子がいます。
    「1回覚えたのに、何ですぐ忘れてしまうの?こんなの、覚えても無駄じゃん」
    と、訳のわからないことを平気で言ったりします。

    人間は忘れるものです。
    脳は不要な記憶を消去することに一所懸命なんですから。
    脳に「このことは大事だから覚えておけ」と指令を出さなければなりません。
    それには反復・反復・反復。
    幾度も反復すると、脳は「あれ?これ、消去する記憶じゃないの?」と気づいて、長期記憶に組み替えてくれます。


    また、「論理・表現」の学習は、学校で使うメインテキストだけの勉強になりがちですが、厚い参考書が配られていたら、それも必ず読みましょう。
    知りたかったことが全部書いてあって、目からウロコがぽろぽろ落ちます。
    それで文法が面白くなったという英語秀才は多いです。
    さらに、学校の文法のテキストやワークに答を直接書き込むような愚挙だけは絶対に避けてください。
    解き直せなくなるからです。
    ノートにしっかり解いて、学校の授業で正解を確認したら、それを正答集として、繰り返し解き直しましょう。

    そして、上のようなことをやっても、毎日1時間の英語の学習時間が余るなあと感じたら。
    そこからは、何をやるか、自分で決めていきましょう。
    NHKのラジオ講座をやるもよし。
    市販の英語教材を購入してやってみるもよし。
    英検の過去問もいいですね。

    塾に来てくれれば、教材はいくらでもあります。
    英語の初歩の初歩から大学入試問題まで。
    無尽蔵にあります。

      


  • Posted by セギ at 18:04Comments(0)英語

    2023年01月15日

    三角錐の体積。三平方の定理、三角比、あるいはベクトルを利用して。


    問題 OA=OB=OC=8、AB=BC=CA=6である三角錐OABCの体積を求めよ。

    これは、空間図形の計量に関する問題です。
    例によって、この問題にまつわるエピソードをここから延々と書きますので、そういうことには興味ない、解き方だけ知りたいという方はずっと後ろに飛んでください。

    生徒に、この問題を解いてもらったときのことです。
    何段階かの過程を踏まないと体積が求められないという点では難しいですが、例題を参考に解いていける基本問題です。
    大丈夫だろうと思って様子を見ていると、生徒のペンが全く動かないので不審に感じました。

    「・・・どうしました?わからないですか?」
    生徒はうなずきました。
    「では、まず図を描いてみましょう」
    「・・・」
    「どうしました?」
    「図が描けない」
    「・・・え?」

    図が描けない?
    三角錐の見取り図を描けない?
    どういうこと?


    そんなバカなと思った瞬間、別の生徒のことを思い出しました。
    その別の生徒は中1でしたが、以下のような問題を見つめて呆然としていました。
    やはり、文が1行書いてあるだけの問題でした。

    問題 半径6㎝、中心角135°のおうぎ形の周りの長さを求めなさい。

    おうぎ形の孤の長さを求める公式を解説し、その利用の練習をした直後でした。
    テキストの上部には例題解説があり、太字で公式が書いてあります。
    困る要素は何1つないと思ったのに、その子は呆然としていたのです。

    「・・・どうしました?公式を忘れたのなら、上の例題を見ていいですよ」
    「意味がわからない」
    「何の?」
    「問題の意味がわからない・・・」
    「え?」

    こんなシンプルな基本問題のどこでつまずいているのだろう・・・。
    こういうとき、言葉がとっさに出てこなくて長く黙り込む子もいますが、その子はカタコトでも何か発するタイプの子でした。
    これは、教える者として非常に助かります。
    「図が・・・」
    「うん?」
    「図・・・」
    「うん・・・?」

    ・・・どういうことだろう?

    「問題に、図がないということ?」
    「はい」
    「ああ。なるほど。なければ、自分で図を描きましょう」
    「えっ。・・・ああ、そういうことかっ!」

    その子は驚愕し、そして、私はむしろそのことに驚愕していました。

    その子は、図がない問題など存在しないと思い込んでいたのです。
    そう思って見直せば、その直前の問題には、確かにおうぎ形の図が添えられていました。
    また、小学生向けのテキストは、図形問題ならば図が添えられていることが多いのです。
    そういうものを見慣れていたその子は、問題に図が添えられていないということ自体が理解できず、混乱していたのでした。

    その子の抱えていた課題もあったと思います。
    文章を読むことが極端に苦手な子でした。
    文字を1文字ずつ丹念に読むということが物理的にできないのだろうかと感じるほど、斜め読みや飛ばし読みをしていました。
    助詞・助動詞の働きを理解できず、目立つ単語を拾って意味を想像しているだけのようでした。
    中学生になっても、図やグラフが添えられている問題を解くときには、問題文など無視していました。
    問題文の中に重要な情報があることに気づかず、図やグラフだけを見て、首をひねってしまうことの多い子でした。

    しかし、そういう傾向は、大なり小なり多くの子に見られます。
    図があるなら、そっちを見てしまう。
    本を読むのが嫌いな子、文字を読むことにちょっとした苦痛のある子は、そうなりがちです。

    そして、そんな傾向があるといっても、多くの子は、図が添えられていない問題ならば、諦めて問題文を読みます。
    頭の中で図をイメージして考えます。

    まさか、図がないことに呆然としてしまう子がいるとは。
    図がない問題があることを理解していない子がいるとは。


    そうした中1の子のことを思い出しながら、目の前の生徒に、私は言いました。
    「まず、三角錐の図を描きましょう」
    「描けない・・・」
    「描けない?」

    ・・・どういうことだろう?

    空間把握能力が低く、立体的な絵を描くことができないのだろうか?
    例えば小学生に直方体の見取り図を描いてもらうと、空間の歪みを感じる不気味な図を描いてしまう子がいますが、そこから成長していないということなのでしょうか。
    それを克服する練習をしてこなかった。
    だから、三角錐を描けない・・・。
    ただ、そのテキストには上に例題があり、三角錐の図が描いてあるのでした。

    「テキストの同じページに例題の図があるじゃないですか。例題は正四面体で、全ての辺の長さが等しいですが、図は描いた者勝ちな面がありますから、そっくりな図をノートに描いて、辺の長さだけ、8とか6とか違う数字を書き込んでも、問題を解くのに影響はありませんよ」
    「ああ・・・」

    しかし、様子を見ていると、その子は、ノートに自分で三角錐を描くことはせず、テキストの例題の正四面体の図に、8や6といった長さを、書き込んでいました。
    自分では描かず、テキストの図をそのまま利用することにしたのです。

    その合理性がわからないわけではない・・・。
    でも、そういうことをやっているから、いつまで経っても、三角錐を自力で描くことができないのではないのか?
    できないことは練習したらいいのに、自覚があっても、なお、練習もしない。
    しなくて済む方法を見つけてしまう・・・。

    これまで、何度か書いてきましたが、勉強ができない子は、地頭の悪い子とは限らないのです。
    むしろ、抜け道を見つけるのが上手いタイプの子に、学年が上がるにつれて成績が下がっていく子がいます。
    「わり算は、問題文の中の大きい数字を小さい数字で割ればいい」
    小学校低学年の頃に、誰に教わったわけではないのにそんなルールを自力で発見し、問題文を読まずに式を立てるようになります。
    勉強がすべてそんなふうに抜け道の発見と作業手順の丸暗記になっていくので、気がつくと、数理の原則、数学的基盤がその子の中に存在しないのです。
    数学において、何をしてよくて、何をしたらダメなのか、本人の中に判断基準がないのです。
    子どもには自分の進む道の先が見えないので、その道が行き止まりであることに気づかないのです。

    「・・・三角錐は自力で描けたほうがいいですよ」
    「・・・」
    「練習すれば、三角錐は描けるようになります。練習すればいいだけです。できないことは、できるようにすればいいだけです」
    「・・・」

    高校数学は、自分で図を描かなければならない問題も多いです。
    例えば、以下のようなベクトルの問題です。

    問題 四面体ABCDにおいて、線分BDを3:1に内分する点をE、線分CEを2:3に内分する点をF、線分AFを1:2に内分する点をG、直線DGが3点A、B、Cを含む平面と交わる点をHとする。DG : GHを求めよ。

    これは、「ベクトル」の典型題です。
    勿論、図など添えられていません。
    自分で図を描くところから、空間ベクトルの問題を解く過程が始まります。
    だから、図を自力で描けなければ、「空間ベクトル」の問題を解くことのできる可能性は、ほぼなくなります。
    三角錐を自力で描けないということは、そういうことです。

    図を描けないということは、絵画に関する才能がないということではないと思います。
    別に下手でもいいので、とにかく描けばいいだけですから。
    私も絵の才能はありませんが、数学の図は描けます。
    空間把握能力が影響しているとは思いますが、それだけでもなさそうです。
    その2人の生徒に共通していたのは、文字で描かれている情報と視覚的イメージが頭の中で結びついていないことだったかもしれません。
    もともと、問題文を読むことが苦手で、図に頼る傾向があるのでした。
    図がないと問題を解けないのです。
    それは、文章だけでは映像をイメージできないということでもあるのかもしれません。
    文字の読み取りが苦手なので、文字で書かれている内容を映像的に頭の中でイメージできない。
    頭の中に映像のイメージがないので、それを描きおこすこともできない。
    それは、やはり、読解力の問題であるような気がします。

    これは、特別に低学力な子の話、というのではありません。
    むしろ、本人は自分は日本中の同学年の中では学力上位層と思っているかもしれません。
    その誤解を現実に変えていくのが私の仕事です。

    そうなると、できることは、三角錐の見取り図を描く練習です。
    「はい、まず左側に三角形を描きましょう。三角形というと正三角形か二等辺三角形か直角三角形と思い込んだらダメですよー。底辺を水平に描いてもダメですよ。こういうふうに。わかる?こういうふうに斜めに描くんですよ」
    本当は、そんな練習は自力でできるのです。
    しかし、自分でお手本の図を真似て三角錐を描くという過程のどこかに欠落があり、自力では練習できないとなれば、それをやるのが個別指導です。


    さて、お待たせしました。
    ここからは、問題の解答編です。

    もう一度、上の問題を見てみましょう。

    問題 OA=OB=OC=8、AB=BC=CA=6である三角錐OABCの体積を求めよ。

    この問題は、三平方の定理を学習した中3ならば、高校数学の知識がなくても解くことができます。
    まずは、その解き方から。

    まず、図を描きましょう。
    △ABCが底面で、点Oがその真上に置かれた頂点であるようなイメージで描くのが、一番描きやすく、解きやすいと思います。
    底面である△ABCは、1辺が6の正三角形。
    他の辺はすべて8。
    これは、正三角錐です。
    実際に描くか、頭の中でイメージしてください。

    三角錐の体積を出すには、底面積と高さの値が必要です。
    まずは高さを求めましょう。
    頂点Oから△ABCに垂線OHを下ろします。
    そのOHの長さが、この立体の高さです。
    どうやって、OHの長さを求めましょうか?
    この線分OHを1辺にもつ直角三角形があればいいのです。
    △OHCが、直角三角形です。
    OC=8と問題にありますから、あとは、CHの長さがわかれば、三平方の定理を利用できます。
    ここで、底面が正三角形であることは、とてもありがたいですね。
    正三角形ならば、外心・内心・重心が一致します。
    点Hは、この三角形の重心です。
    それを利用しましょう。
    辺ABの中点をMとします。
    線分CMは、この三角形の中線となります。
    点Hは重心ですから、この中線CM上にあります。
    重心ですから、CHは、CMの2/3の長さです。
    では、中線CMの長さは?
    これも、△ABCが正三角形であることで楽に求めることができます。
    中線CMで区切ったことで表れた△CAMは、直角三角形です。
    しかも、30°、60°、90°の特別な比の直角三角形です。
    CA=6ですから、AM=3、CM=3√3。
    CHはその2/3ですから、CH=2√3。

    これで、△OHCで三平方の定理を利用できます。
    OH=√(8^2-2√3^2)=2√13
    これで、三角錐の高さを求めることができました。
    あとは、底面積です。
    これも、CMを求めてありますので、簡単です。
    △ABC=1/2・6・3√3=9√3

    よって、OABCの体積は、
    1/3・9√3・2√13=6√39
    これが答です。


    以上が中3レベルの解答です。
    続いて、数Ⅰ的な解答に進みます。
    数Ⅰを学習していても、上の解答でも十分ですし、手順もそれほど変わりません。
    数Ⅰならば三角比の公式を多少使ってみましょうか、というだけです。

    頂点Oから△ABCに垂線OHを下ろすところまでは同じです。
    上では、点Hを△ABCの重心として解きましたが、今回は、点Hを外心として解いてみましょう。
    外心ならば、正弦定理が使えます。
    あとは、上の答案では、点Hが△ABCの重心であるのは自明の理のようにして解いていましたが、高校数学ですので、外心である根拠も少し示してから解いてみます。

    頂点Oから△ABCに垂線OHを下ろす。
    したがって、△OAHは直角三角形である。
    直角三角形で斜辺と他の1辺がそれぞれ等しいので、
    △OAH≡△OBH≡△OCH
    合同な図形の対応する辺は等しいので、
    AH=BH=CH
    よって、点Hは△ABCの外接円の中心である。

    △ABCにおいて正弦定理より、
    2AH=6/sin60°=4√3
    よって、AH=2√3

    △OAHにおいて三平方の定理より、
    OH=√(8^2-2√3^2)=2√13

    底面積も、数Ⅰの公式を利用して求めましょう。
    △ABC=1/2・6・6・sin60°=9√3

    よって、求める体積は、
    1/3・9√3・2√13=6√39

    はい。同じ答となりました。


    ついでに、ベクトルでこの問題を解いてみましょう。
    ベクトルを使っても、計算はそんなに簡単にはなりませんので、今回はベクトルの無駄遣いかもしれません。

    もう1つ問題があり、ベクトルには→がつくのですが、このブログ上で、文字の上に→をつける方法が見つかりません。
    そこで、ベクトルなのに→がついていないという、気持ち悪いことになります。
    どうか、以下の線分らしき表記の全てには上に→があり、ベクトルなのだと思ってお読みください。
    また、上で解説したように、点Oから△ABCに垂線OHを下ろします。

    OA=a、OB=b、OC=c とおく。
    点Hは△ABCの重心であるから、
    OH=1/3a+1/3b+1/3c
    よって、
    |OH|^2
    =|1/3a+1/3b+1/3c|^2
    =1/9|a|^2+1/9|b|^2+1/9|c|^2+2/9a・b+2/9b・c+2/9c・a

    と、ここまで解いて、内積の値が必要だとわかります。
    ここで、△OAB≡△OBC≡△OCAより、
    a・b=b・c=c・a
    では、内積を求めるために、コサインの値を求めましょう。
    △OABにおいて余弦定理より、
    cos∠AOB=(64+64-36)/2・8・8=23/32
    よって、a・b=|a||b|cos∠AOB=8・8・23/32=46
    すなわち、a・b=b・c=c・a=46

    よって、
    |OH|^2
    =1/9・64+1/9・64+1/9・64+2/9・46+2/9・46+2/9・46=52
    ゆえに、
    |OH|=√52=2√13

    さて、底面積も、ベクトル的に求めましょうか。
    こちらは、ベクトルの旨味がたっぷりありそうです。
    △ABCは1辺が6の正三角形ですから、
    点A(0 , 0)、点B(6 , 0)、点C(3 , 3√3)とおくことができます。
    よって、
    △ABC=1/2|6・3√3-0・3|=9√3

    したがって、求める体積は、
    1/3・9√3・2√13=6√39

    同じ答となりました。

      


  • Posted by セギ at 16:59Comments(0)算数・数学

    2023年01月09日

    下位クラスの子の成績が上がらない理由。


    集団指導塾は、学力別にクラスが分かれていることが多いです。
    そして、下のクラスになるほど、そこから学力を上げていくのは難しいことが多いのです。
    なぜそうなってしまうのでしょうか?

    私が以前勤めていた集団指導塾は、面倒見が良いことで評判の地域密着型の学習塾でした。
    集団指導塾としては小規模な塾で、学年ごとに成績別に2つのクラスに分けるのがやっとでした。
    成績上位クラスは、意欲のある生徒が多く、そういう子たちがクラスの雰囲気を作っていましたので、自覚のなかった子もひきずられ、意欲が増していくのが手に取るようにわかりました。
    だから、宿題も、どんどん量を増やしていくことができました。
    1週間に問題集10ページ以上の宿題。
    受験生ともなれば、そんな量でも1日か2日でやり終えてしまう子もいて、
    「センセー、なんかプリントほしいー」
    と、自習に来ます。
    1人がもらいにくれば、他の子も、
    「オレもオレも」
    ともらいに来て、競争で解いていました。
    そういう子たちについては、担任から、
    「あいつは、志望校には内申が少し足りないんだけれど、どう思う?」
    と訊かれても、
    「あの子は、受験日の朝まで伸びますよ」
    と、自信をもって答えることができました。

    しかし、成績下位クラスの意欲は全体に低調でした。
    宿題を出しても、やってこない子も多かったのです。
    あるいは、やっていても、当日に慌てて解いたやっつけ仕事。
    他の子がやってこないと、それにひきずられ、やってこない子が増えます。
    成績は低迷していました。

    上のクラスの子たちは、ほぼ全員、志望校に合格していきました。
    上位クラスの半数は都立自校作成校を受験し、合格。
    他の生徒たちも、自校作成校に続く地域の一番校に合格しました。

    一方、下位クラスの子の半数以上は、都立高校に落ちました。

    これは、しかし、あの塾だけに特徴的なことではなく、集団指導塾ではよくあることのように思います。
    そもそも塾は、都立高校の合格率を公表できない場合が多いのです。
    「〇〇高校に何名合格!」
    「定期テスト30点アップ!」
    などの宣伝文句を使いますが、合格率は公表できません。
    不合格の子が多いからです。

    そういう事情に気づかず、宣伝文句につられて、自分の子も有名高校に合格できるような気がして通わせても、入れるクラスは下位クラス。
    そのクラスの合格率は、とても公表できる数字ではない。
    そんなこともあります。
    でも、集団指導塾で友達ができると、子どもは、そこを辞めたがらないのです。
    宿題もやらなくていい雰囲気のクラスならば特に。
    周りも自分と同じで、学習意欲のない子たちばかり。
    ぬるま湯は、快適です。

    その塾は、私立高校とつながりがありました。
    非公式ですが、「塾推薦」という形で、内申が1つ2つ足りなくても併願優遇のOKが取れることがありました。
    なぜそんなことが可能だったのか?
    すべり止めのその私立高校に、多くの生徒が実際に通ったからです。
    都立に落ちた子たちが、その私立高校に実際に通いました。
    私立高校としては、しっかり通ってくれる生徒を沢山紹介してくれる、良い塾だったのです。
    生徒が都立に落ちれば落ちるほど、私立高校と塾とのつながりは深くなり、多少のことは融通がきく。
    一方、上位クラスの子たちが併願優遇を取る高校とのつながりはほとんどありませんでした。
    上位クラスの子たちは、都立に合格していきますので、私立高校と塾との間に実績がなかったからでしょう。
    勿論、進路指導主任が塾向けの私立高校説明会などに一所懸命参加していましたので、一応話は聞いてもらえますが、内申が足りないのに無理が通るのは、実際に生徒が通うことになってしまった高校でした。
    下位クラスの子たちの、すべり止めの高校です。

    それは、塾の力として誇っていいことだったのだろうか?
    進路指導主任の努力を否定するつもりはありませんが、それは、それだけ生徒が都立高校に落ちていた証拠だったのではないか?
    私が勤務するようになるずっと前から。
    それに気づくと私は暗たんたる思いにとらわれました。

    とはいえ、塾は、私立高校とのつながりのために生徒に都立高校に落ちてもらっていたわけではありません。
    都立高校には合格してほしかったのです。
    でも、下位クラスの子の多くは、合格しませんでした。
    なぜだったのか?

    1つには、その塾だけの独特な理由がありました。
    過去問の扱いです。
    生徒に、12月の個人面談までには都立の過去問を全部解かせていました。
    その点数を一覧表にして提出させ、それで志望校を決めていたのです。
    模試の結果も参考にしていたのですが、一番見ていたのは、過去問の実際の点数でした。

    それは、わかります。
    模試は、どんなに「都立そっくり模試」とうたっていても、問題の書き方がシンプルで、わかりやすいのです。
    都立入試特有の、どこから突っ込まれても大丈夫なようにくどくどと全部説明していて問題が非常に読みにくい、ということがありません。
    模試の問題文はすっきりしていて読みやすいです。
    問題文が読みにくい都立過去問で、実際に何点取れるのか?
    私も、それは重視します。
    ただし、そのデータが、信用できるものであることが条件です。

    その塾の下位クラスの子は、過去問を、解答を見ながら解く癖があったのです。
    だから、実際に取れる点数よりもはるかに高い得点を自己申告していました。
    そのため、合格できるはずのない高校を受けることになってしまっていました。
    当然、落ちます。
    私は1年目でそれに気づきましたが、他の講師たち、特に塾長が、それを認めませんでした。
    生徒たちが持っていないもっと古い過去問を授業中に解かせたときの得点と、生徒たちが解答つきで持っている過去問の得点とに20点以上の差がある。
    そのデータを見せても、それでも、信用しませんでした。
    生徒は、嘘をつかない。
    自分には、嘘をつかない。
    そのように信じ込んでいるところのある塾長でした。
    私の見せるデータよりも、生徒の自己申告を信じたのです。

    20点も上乗せしたら、いくら何でも気づくのでは?
    いえ。
    これは、都立過去問の場合、起こります。
    過去問の実際の得点が40点なのを60点にしていることに、気づかない。
    20点を40点にしていることに気づかない。
    そういうことは、起こります。
    見る側が、まさかそこまで低いと予想していないからです。

    そんなことをしてはダメだ。
    解答を見て過去問を解いて、良い点を塾に申告して、高い志望校を受験しても、合格しない。
    毎年、その話を生徒にしました。
    私の話を理解した子もいたと思います。
    それでも、理解しない子たちは、取れるはずのない得点を自己申告し、受かるはずのない高校を受けて落ちていきました。

    下位クラスの生徒たちには、そもそも都立の過去問を見ても、何をどのように解くのか見当もつかないのだろう学力の子たちが含まれていました。
    国語や英語は、問題文を読み通すことかできないので、設問だけ読んで、適当に答を選ぶだけ。
    理科や社会は、知識を頭に入れていないので、これも勘で選択肢を選ぶだけ。
    数学は、計算問題だけは何とか解くことができるが、計算ミスが多い。
    そんなふうでも、都立は四択問題が多いので、勘で答を埋めることはできます。
    勘で解いているのが常態なのですから、解答解説を見てその後に選択肢を見て解くことに罪悪感は抱かなかったのかもしれません。

    あるいは、これも勉強ができない子に特徴的なことですが、解答を見て解いても「自分で解いた」と思い込み、記憶をそのようにすり替える子もいたと思います。
    ちょっと解説をヒントにしただけだから。
    考えたのも計算したのも自分だから。
    調べものをしたのと同じことだから。
    そのように考えてしまうのでしょうか。
    解答解説を見ることに、罪悪感がないのです。
    そんなことよりも、低い得点を自己申告するのは恥ずかしい。
    それなりの得点を取っているように見せかけたい。
    そんなふうに考えていたのでしょうか。

    都立の入試問題は、問題文はくどくて長いですが、難問ばかり並んでいるというわけではありません。
    どの科目も、難しい問題も多少ありますが、基礎的な問題が大半です。
    基礎的な問題を丹念に正解していければ、得点は整います。
    その塾の下位クラスの生徒は、それができない子が多かったのです。

    下位クラスの子が都立入試問題を解けなかった理由は、きわめて単純でした。
    勉強していなかったからです。
    授業を聞いて理解した気になっても、それはそれだけのこと。
    「解説を聞いてわかる」ことと「問題が解ける」ことは、似ているけれど別のこと。
    宿題をやってこない。
    あるいは、塾に来る直前にやっつけ仕事で宿題を解くだけ。
    日頃から、学習姿勢が受け身でした。
    勉強のこと。
    成績のこと。
    将来のこと。
    嫌なこと、恐ろしいことからは、目を背け、考えないようにしている。
    そんなふうに見えました。


    今年度のうちの塾の中三の受験生を見ていると、あの頃の下位クラスの子たちのことを思い出します。
    うちの塾では、例年、都立の社会や理科は簡単に70点、80点台に上がります。
    「これとこれを覚えて。テキストのここのページは全部覚えて。それから、これとこれをやって。これを解き直して」
    例年、そのように指示を出せは、簡単に成績が上がりました。
    都立の社会と理科はもっとも楽に挽回可能な得点源。
    私はそのように把握してきました。
    それが、今年は、全く伸びませんでした。
    そして、表情が、あの頃の下位クラスの子たちによく似ているのです。

    「毎日、勉強していますか?」
    「しています」
    「毎日、何時間?」
    「1時間半くらい・・・」
    「・・・受験生が?」

    また、あるとき。
    「昨日は理科をやりました」
    「え・・・?昨日は理科しかやらなかったの?」
    「え」
    「1日に1科目しか勉強しないの?1科目の勉強なんてそんなに集中力が続かないから、長くて1時間ちょっとくらいですか?それで、1週間の平日に1科目ずつ5教科勉強して、土曜日は塾の土曜教室で、日曜日は模試を受けるか、そうでなければ模試の復習。そういうスケジュールですか?」
    「まあ・・・」
    「あなた、大丈夫ですか?」
    「・・・」
    「1週間に1回ずつ1科目を勉強するだけですか。それで、1学期にはわかっていたはずの平方根の記憶が全部消えてしまって、何をどうしていいか、今わからなくなってしまったんですよね」
    「・・・」
    「理科も社会も、覚えなさいと言ったことを何1つ覚えていないですよね。1週間に1回では、覚えたこともすぐ忘れて、何も残っていないですね?」
    「覚えようとしているけれど、覚えられないんです」
    「1週間に1回しか勉強しないからじゃないんですか?」


    かなり遅いとはいえ、冬期講習前にこうしたことがわかって良かったです。
    こんなひどいやり方をしていながら、本人はしっかり受験勉強をしている気でいたのです。
    個別指導をしていてすら、こんなにも遠い。
    生徒が実際に家で何をやっているのかは、わからない部分があります。
    勉強のできる子たちは、勉強のやり方を知っています。
    しかし、勉強が苦手な子たちは、勉強のやり方そのものを知らないのです。
    あるいは、教えられても、そのやり方には忍耐が必要で、頭が重くなって苦しくて嫌なので、避けてしまうのです。


    あの頃、下位クラスの子たちは、受験前の秋から冬に、何をやっていたのでしょうか。
    本人は勉強しているつもりで、勉強の周りをふわふわ回っているだけのような、意味のないことを繰り返していたのでしょうか。
    勘で問題を解き、丸つけするだけ。
    教科書を眺めるだけ。
    教科書や参考書を丸写しするきれいなノートを作るだけ。
    何1つ頭に残らない「作業」を「勉強」と称していたのでしょうか。
    あるいは、それすらできず、1日1日を無駄に過ごしてしまったのでしょうか。
    そうして、そのまま、受験当日を迎え、詐称した自己申告の得点ならば合格できるはずだった高校を受けて、当たり前だけれど落ちて・・・。

    都立に合格することだけが成功ではありません。
    行くことになった私立高校には併設の短大もあり、そこで資格を得て、今は立派に働いている。
    そういう卒業生も多いと思います。
    一方的に憐れむのは、むしろ私のおごりというものでしょう。

    でも、あのときに戻れるのなら。
    あの子たちに言えることが他にあったのではないか?
    それを、今、私は目の前の生徒に言えているか?
    できることをしているか?

    そうしたことを繰り返し思う冬期講習でした。

      


  • Posted by セギ at 14:34Comments(0)講師日記塾選び

    2023年01月01日

    お正月なので難問に挑戦。


    明けましておめでとうございます。
    本年もよろしくお願い申しあげます。
    さて、いきなり問題です。

    問題 上の図の四角形ABCDは長方形で、AB=15、BC=12、CE=9です。DFの長さを求めなさい。

    さて、お正月ですから、じっくり考えるパズル系の難問を。

    じっくり考えたい人は、ここで上の図をメモにとってください。
    少し後ろのほうに解決編を書きます。

    この問題、もしヒントを聞けば、
    「あ、わかる!待って待って!」
    と言う人も多いと思います。
    最初の発想さえわかれば、後は案外簡単なのです。
    しかし、その最初の一歩が踏めない。

    そうです。
    算数・数学は、最初の発想が一番難しい。
    その一歩さえ踏めれば、後は解けることが多いのです。
    最初の一歩をどう発想するか。
    それが課題です。

    1つには場数を踏むこと。
    このような問題を前に解いたことがあり、「ああ、あれだ」と思い出すことができること。
    だから、記憶力は、数学にも必要な力です。
    学んだことがすべて頭の中に入っていて、いつでも使うことができること。

    簡単なことのようで、これが結局一番難しいのだと思います。
    学習したことが、頭の中に残らない。
    新しいことを学ぶと、1つ前に学んだことは忘れてしまう。
    脳が、記憶を消去していく。
    本人が覚えていたいと思っていても、脳が、とにかく消去していく。
    ものを覚えておくことができない・・・。

    あるいは。
    言われれば「あー、知ってる」と思うのだけれど、自力で使うことができない。
    使える知識として脳に入っていない。
    以前から繰り返し書いてきていますが、それは言葉の「理解語彙」と「使用語彙」に似ています。
    私たちは母語である日本語においても、聞けば、あるいは読めば理解できる理解語彙は膨大ですが、自分で実際に使える「使用語彙」はそれよりはずっと少ないのです。
    使える言葉が少ない。
    意味は知っているけれど自分では使えない言葉がたくさんあります。
    数学においても同様で、定理を聞けば、
    「あー、そんなのあった」
    と思い出すことができるけれど、自発的に使用できない定理が多いのです。
    それを増やすこと。
    知っている定理を使えるようにすること。
    それには、問題を多く解き、どの定理をどのように使うのかを把握しておくことが必要になります。
    常に出し入れしていると、さすがに少しは使えるようになってきます。
    言葉もそうですね。

    そして、数学の「応用問題」は、それです。
    定理を応用する問題を「応用問題」と呼びます。
    全く新しいことを自力で発想することは要求されていません。
    そんなのは数学者のやることです。


    さて、解決編です。
    これは、学校では、中3「相似」の単元で学習する問題です。
    相似を利用するのだとわかれば、案外簡単です。
    図の中に、相似な三角形がありますね。
    △DEF∽△CEB
    相似比は?
    DE=15−9=6 だから、
    相似比は、
    6:9=2:3
    ということは、
    DF:CB=2:3
    すなわち、
    DF:12=2:3
    DF=8
    これが答です。
    気がつけば、簡単です。


    別の解き方もあります。
    等積変形を利用するというヒントで、これも、
    「あ、わかる!待って待って!」
    と言う人もいらっしゃるかもしれません。

    等積変形。
    「底辺と高さがそれぞれ等しい2つの三角形の面積は等しい」
    それを利用して、三角形を面積が等しいまま変形することです。
    底辺が一致しているとき、底辺の対角にある頂点が底辺と平行に移動するならば、移動後の三角形の面積は等しい。
    底辺と高さは等しいままですから、当然、面積も等しいままです。
    それを等積変形と呼びます。

    上の問題では、DFの長さを求めよと言われているので、DFを底辺に持つ三角形を考えてみます。
    四角形ABCDは長方形だから、
    AD∥BC
    すなわちDF∥BC
    よって、
    △DFB=△DFC

    ちなみに、合同ではなく、面積が等しい三角形を上のようにイコールで結びます。

    △DFCの面積がわかれば、高さはDC=15ですから、底辺を求めることができます。
    ということは、△DFBの面積がわかればいいということです。

    うん?
    でも、△DFBの面積もわからないぞ?

    ここで、等積変形を学習した際に解いたことのある練習問題を思い出せると楽です。
    面積が等しい2つの三角形が、重なっている部分、すなわち共通部分を持っているとき、残りの面積どうしも等しくなります。
    △DFBと△DFCは、△DEFの部分が重なっています。
    したがって、重なった部分を引いた残りも等しい。
    つまり、
    △BDE=△CEF
    です。
    そして、△BDEのほうは、面積を求めることができます。

    図より、DE=15-9=6
    よって、
    △BDE=6×12×1/2=36
    すなわち、
    △CEF=36

    わかりました!
    △CEFの底辺をCE=9と見たときの、高さは、求めたかったDFです!
    よって、
    9×DF×1/2=36
    9DF=72
    DF=8


    いかがでしょうか。
    大人は、「なあんだ、そうかあ」と楽しんでくださればいいのですが、小学生・中学生の皆さんは、こうした解き方を頭の中に入れておきましょう。
    問題の解き方の作業手順ではなく、発想を覚えてください。

      


  • Posted by セギ at 11:31Comments(0)算数・数学