たまりば

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2022年07月31日

市販の問題集の劣化。



しばらく前、書店に市販の問題集を探しに行ったことがありました。
中3の生徒の歴史の定期テスト問題が、長い問題文の中の空所を補充する形式の問題が多いので、何か良いものはないかと探しに行ったのです。
私自身が中学生の頃といえば、学校からは「A級問題集」を渡されて、それが宿題でもありましたが、それだけでは足りないので、普段の学習には、受験研究社の参考書と問題集を使っていました。
「馬のマークの参考書」というCMソングを覚えている方もいらっしゃるかと思います。
あの頃は、参考書がテレビCMを打っていたんですね。
そういえば、春先には、学生服とか鉛筆のCMもよく見ました。

そんな昔話はともかく。
長い問題文が書いてあって、それに下線が引いてあったり、空所が空いていて語句補充をしたりする。
そういう形式の問題が、昔は、市販の問題集に普通にたくさん載っていました。
テストに出るのだから、生徒にもその形式の問題を解いてもらいたい。
そう思って書店で探したのですが、そんなものが書棚には一切なく、驚きました。
あれ?
A級問題集は、もう世の中から消えたのでしょうか。
5年くらい前まではあったと思うのですが。
受験研究社の問題集も、以前は沢山並んでいました。
しかし、そういったものは、1つもありませんでした。
書棚は、市販の教科書準拠ワークがとにかく幅をきかせていました。
教科書準拠ワークならば、塾用のほうがぶ厚くて内容も濃いのです。
それ以外にあったのは、「5分で完成」などと銘打った、短問短答形式の薄い問題集ばかりでした。
そういうのが欲しいわけじゃない・・・。

中学生向けの歴史の市販の問題集が、薄手でお手軽タイプのものに変質してしまっているということ?

でも、実際の定期テスト問題は、そんなお手軽なものではなく、昔ながらの、まとまった文章の中に下線が引かれ、空所がある、そういうタイプの問題なのです。
昔と変わりません。
定期テストがそうなのだから、それにあわせた形式の問題集を作らなくちゃダメなんじゃないの?
そう考えてさらに気づきました。

そのほうがいいとわかっていても、そういう問題集は売れないから、売っていないのか・・・。

たまたまその書店にそんな問題集しかなかったのかもしれません。
昔ながらのまとまった文章の問題集も、都心のもっと大きな書店に行けばあるのかもしれません。
だから、簡単に言い切れることではないのですが、ちょっとぞっとする事態でした。

短問短答形式の問題も、基礎知識の確認には便利ですから、それはそれでいいのです。
でも、それしかやっていない状態でテストに臨み、いきなり定期テストで文章を読んで問いに答えなくてはならない場合、その違和感から上手く解けないということもあるでしょう。
1行問題で知識を確認したら、その後は、テストと同じ形式の問題も解いておくほうがいいのです。
でも、中学生は、そのことに気づかないのでしょうか。
書店に問題集を買いに行っても、安手のものしか買わない。
長い問題文を社会科の問題集で読む気がしない。
だから、1問1答形式の「5分で完成」と銘打った安手のものしか買わない。

市販されていない塾用の問題集は、文章形式の問題も載っています。
中3から社会もうちの塾で学習するようになった子が、必要なことは1行問題のページで暗記し、その後しっかりした文章の載っている問題を解くようになり、テストの得点は爆発的に上がりました。
そうなると私も欲が出て、その子のためにと久しぶりに市販の問題集を見に行ったら、まるで浦島太郎でした。
日頃、高校生用の参考書は物色することが多いけれど、中学生用の棚に目を向けることがなかったのです。
今までは塾用の問題集ですべて用は足りていたのです。
もっともっと問題がほしいと思って書店に行ったら、塾用の問題集と同レベルのものがありませんでした。
市販の問題集が、塾用の問題集に比べると、非常に劣る。
塾としてはありがたいことですが、教育の平等という点で、どうなのだろうとも思います。

そうは言っても、中学生が買わないのだから、仕方ない。
中学生自身に選ばせると、お手軽で役に立たなそうなものしか、買わない。
そして、いくら良い教材でも、売れないものは、棚には置けない・・・。

高校生向けのものは、昔と変わらず、良い問題集もそれなりに書店に揃っています。
中学生向けの参考書や問題集は、どうしてこんな「痩せた」状態になってしまったのだろう・・・。

この時代、自力で勉強するのは大変な時代なのかもしれません。
良い教材が、そもそも自力では手に入らない。
本人に良い教材を見る目がないから、勉強しても成績が上がらない。
学力の劣化。
それが、こんなふうに目に見える形になっているとは。

私は、歴史は得意科目でした。
重要事項を暗記するだけで、欲しいだけ得点できる、楽な科目でした。
しかし、問題文を繰り返し読み、出来事の流れを理解していたという背景が私にはあったのではないか?
何気なく問題文を読み、問題を解いていただけ。
本当にそれだけで、実は勉強になっていたのかもしれません。

  


  • Posted by セギ at 17:51Comments(0)講師日記

    2022年07月26日

    高校数Ⅰ「連立不等式」。


    高校の数ⅡBを学習するようになった後でなら、
    「数ⅠAはまだ易しかった。あれは、ぎりぎり理解できた」
    と感じるようになり、共通テストも数ⅠAだけならきっと何とかなると頑張れる人が多いです。
    しかし、初めて数ⅠAを学習する際の違和感はやはりなかなかのもののようで、あらゆるところでつまずいて派手に転んでいる人を見かけます。
    数学が苦手でよくわからないという人は、数学に対する向き合い方に根本的な課題があることがあります。

    例えば、こんな問題。

    問題 次の連立不等式を解け。
    2x-3(x-2)≧4(2x-3)  ・・・①
    3(3x+4)+2(x+4)<-24 ・・・②

    数学が苦手といっても、単純な計算ができないわけではありません。
    ①より、
    2x-3x+6≧8x-12
    -9x≧-18
    x≦2 ・・・③

    このように、両辺を負の数で割るときには、不等号の向きを変えることは覚えているのです。
    続いて、
    ②より、
    9x+12+2x+8<-24
    11x<-44
    x<-4 ・・・④

    ③、④より、
    -4<x≦2

    いえ、これは間違いです。
    こんな誤答をしてしまう子は案外多いのです。

    「違いますよ」
    そう声をかけると、えっと驚いています。
    何か計算ミスをしたのかと確かめようとしますので、
    「③と④はあってますよ。でも、最後が違います」
    そう声をかけると、その先、うんともすんとも言わなくなり、固まってしまうのです。

    これが、もしも、
    x≦2 ・・・③
    x>-4 ・・・④
    ならば、
    -4<x≦2
    で正解です。

    でも、
    x≦2 ・・・③
    x<-4 ・・・④
    の解は、そうではありません。

    「数直線を描いて考えてみたら?」
    と声をかけるまで、数直線を描いてみようという発想がないのが、数学が苦手な子の1つの特徴です。
    促されて数直線を描いてみても、描き慣れていないのが一目でわかる曲がった線に、ろくに情報を書き込んでいない、役に立たない数直線を描いてしまうことが多いです。
    また、色々と補足して、正しい数直線を描いても、それでも解答を読み取れないこともあります。

    一方、数学が得意な子は、数直線でもグラフでも、描くのが上手いし速いです。
    それを描くことで問題が明確になり役に立つことを実感として知っているので、自分で問題を解く際に繰り返し描いていますから、当然上手くなりますし、速くなります。
    頭の中に数直線のイメージがありますので、このくらいの問題なら実際には描かずに解くことも可能です。
    数学が苦手な子は、それができないのです。


    そういう高校生の様子を見ていると、受験算数を勉強している小学生を連想してしまうことが多いです。
    小学生の多くも、図を描くのか下手ですし、そもそも図を描こうとしません。
    「和差算」の線分図と、「つるかめ算」の面積図だけは、それで解くことが固定した知識になっている様子で、図を描きます。
    でも、「相当算」の線分図は、促されない限り描かない。
    「速さ」や「ニュートン算」の問題になると、促されても描かない。

    「描き方がわからない」
    と彼らは異口同音に言います。
    確かに、描き方がわからないのでしょう。
    それは事実だと思います。
    線分図や面積図の根本の意味を理解せず、ただ和差算のときは線分図をこう描いてこう解く、ということを覚えているだけ。
    つるかめ算のときは面積図をこう描いてこう解く、と覚えているだけ。
    図も含めての作業手順として覚えているだけで、意味がわかっていないので、応用がきかないのです。

    高校生にとっての数直線やグラフも同じことです。
    さすがに「描き方がわからない」とは口にしなくなりますが、数直線やグラフを描くことでどうして問題を解けるのか、そこのつながりを理解していません。
    根本的には何も理解していないのではないかと感じることさえあります。

    上の連立不等式で言えば、
    「2本の式を解いて、xを小さいほうの数字と大きいほうの数字で、不等号で挟む」
    という作業手順を覚えているだけなのでしょう。
    連立不等式は全部そうやって解けると思っているのです。
    だから、不等号が同じ向きの問題が解けないのです。

    x≦2 ・・・③
    x<-4 ・・・④

    「xは2以下で、かつ-4より小さいんだって。それはつまり、xは何より小さいんだろう?」
    そのように声をかけ、正しい数直線を描いてみせても、それでも固まってしまい、反応がない・・・。

    連立不等式の作業手順を否定されて、そのショックから全機能停止が続いているのか?
    それとも、数直線を見ても、本当に意味がわからないのか・・・。

    意味を教えてもすぐに作業手順に変換してしまうのは、それこそ小学生の頃から始まっているその子の学習の「癖」なので、一朝一夕で治るものではありません。
    作業手順にしてしまえば、頭の中のメモリをあまり使わなくて済むので、楽なのです。
    小学生の頃、まだ意味のわかる頃からそれを繰り返してきたため、意味は全てそぎ落とされ、算数・数学は、すべて作業手順となってしまっているのでしょう。
    そんな状態で小学校も中学校もやり過ごし、高校数学を学習する頃になって「意味」と直面したところで、今更意味がわかるわけがない・・・。

    意味を抜きにし、作業手順だけで覚えようとする場合、高校数学はパターンがあまりにも多いです。
    作業手順だけで高校数学をやり過ごすには、相当な記憶量と正確な反復が必要でしょう。
    でも、もしも「意味」に戻ることができるのなら、連立不等式の解き方は、何パターンもあるわけではなく、ただ1つなのです。

    x≦2 ・・・③
    x<-4 ・・・④

    「xは2以下で、かつ-4より小さい」
    では、共通部分は、-4より小さい部分です。

    この連立不等式の解は、
    x<-4 
    です。

    しかし、「意味」に戻れない場合、なぜ解答に③の式が全く反映されていないのか、それが理解できない・・・。

    学校のアクティブラーニングは言うに及ばず、塾の授業だって、「意味」を伝えることに全力を投じています。
    それでも、「意味」を「作業手順」にすり替えてしまう子は多いです。
    学力が低いから、そうするしかない子ばかりではありません。
    理解力はあるのに、それでも、作業手順にしたほうが楽だから、それを選んでしまう子は多いのです。

    なぜ高校数学がわからないのか。
    それは、「意味」に戻れないから。

    頭が重くてつらくても、どうか意味に戻ってください。
    最初は下手でもいいから、数直線を描くことをいとわないでください。
    それは、先生が解説のために描いているだけの「挿絵」ではないのです。
    自分自身で問題を解くための武器なのですから。

      


  • Posted by セギ at 20:42Comments(0)算数・数学

    2022年07月23日

    中学数学。1次方程式の文章題の難問。


    方程式の文章題は、そもそも苦手とする人が多いと思いますが、私立高校の入試問題ともなると、さらなる企みが感じられることがあります。
    例えば、こんな問題です。

    問題 ある高校の入学試験を850人が受験し、その30%が合格した。合格者の平均点は不合格者の平均点より40点高く、受験生全体の平均点は55点だった。合格者の平均点は何点だったか。

    平均に関する問題ですが、割合の考え方も含まれています。
    こうした融合問題になると、文章題の解き方を何とか定型のパターンで解決している子も、何をどうしていいのかわからなくなる場合があります。
    そうした中で、一応、式を立てることができるだけで基礎力はあると言えるのですが、この問題は、その程度のことでは容赦しない企みを感じます。

    まずは、一応正しいけれど、もっさりした解き方から。
    そして、立式できる子でも、こういうもっさりした式を立ててしまう子が多いのです。

    合格者の平均点をx点とする。
    255x+595(x-40)=46750

    え?
    これがもっさりした式なの?
    シンプルで良い式じゃない?
    そう思うかもしれませんが、この式、あまり良くないです。

    255とか、595とか46750といった数は、問題文には書いてありません。
    何か下準備の計算をした結果の数なんです。
    方程式の立式の際、こういう式を立ててしまう子は多いです。
    何でそんな下準備の計算をやってしまうのかといえば、問題を解く癖がまだ小学生のままだからなのだと思います。
    小学生は、ちまちました式を立て、その都度答を出して、またその先の式を立てる癖がついています。
    その癖が残っているのです。
    中学生になっても。
    あるいは、高校生になっても。

    この式は、例えば解いた1週間後に、
    「どういう意味の式?」
    と質問すると、立てた本人が説明できないことがよくあります。
    立てた本人に説明できない式は、採点する者にはもっと意味がわかりません。

    計算の結果が合っているのならまだましですが、この段階で計算ミスをしてしまう子も多いです。
    その場合、立式の得点すら入りません。
    せっかく時間をかけて計算した数字を使って式を立てているのに、無駄になります。

    しかも、この式では、この先の計算も筆算の連続です。
    やってみましょう。

    255x+595(x-40)=46750
    255x+595x-23800=46750
    850x=70550
    x=83

    3桁のたし算。
    3桁×2桁のかけ算。
    5桁のたし算。
    5桁わる3桁のわり算、または約分。
    筆算、筆算、また筆算。
    そのうちの1回でも計算ミスをしたら終わりです。
    かなり負荷のかかる計算となり、入試でこれを解いたら、計算ミスをする可能性が高いのです。


    本当は、こんなに面倒な計算過程を踏まなければならない問題ではないのです。
    繰り返しますが、方程式の立式は、なぜそのような式を立てたのか、答案を読む採点者に意味がわからなければなりません。
    いきなり255といった数を使うのは、本来好ましくありません。

    どういう意味の式であるのか明確に伝えるためには、文章題中の数をそのまま使うほうが良いのです。
    つまらない下計算は不要です。
    そのまま式に書いていくほうが、数学の答案として優れています。

    255という数は、どうやって出てきたものなのでしょう?
    これは、割合の考え方を用いたものでしょう。
    「ある高校の入学試験を850人が受験し、その30%が合格した」と問題にあります。
    では、合格者の人数は、850×30/100で求めることができます。
    その計算の結果が、255です。
    だったら、式には、850×30/100と、そのまま書けばよいのです。
    それが、合格者の人数。
    合格者の平均点はx点。
    合格者の総合計得点は、850×30/100x となります。

    不合格者は、850人の70%。
    不合格者の人数は、850×70/100。
    不合格者の平均点はx点より40点低いのですから、(x-40)点。
    したがって、不合格者の総合計得点は、
    850×70/100×(x-40)

    受験生全体の平均点は55点だったのですから、受験生全体の総合計得点は、
    850×30/100x+850×70/100×(x-40)=850×55
    この式のほうが優れています。

    「こんなぐちゃぐちゃした式、嫌だ」
    「こういう式が嫌だから、丁寧に下計算をしているんだ」
    とは言わないでください。
    この式は、すぐにきれいになります。
    各項に、850がある。
    つまり、式全体を850で割ることができるのです。

    850×30/100x+850×70/100×(x-40)=850×55
    両辺を850で割って
    3/10x+7/10(x-40)=55
    両辺を10倍して、
    3x+7(x-40)=550
    3x+7x-280=550
    10x=830
    x=83
    x≧40より、この解は問題に適する。
    よって、合格者平均点は83点。


    一見複雑そうな式が、みるみる整理され、一度も筆算の必要なく、するすると簡単に解けました。
    こういう可能性があることも含め、まずは下準備の計算はせず、式を立ててみることをお勧めします。
    式を立てるときは余計な計算はせず、式を立てることに集中する。
    正しい式を立てたら、その後は、計算の工夫に集中する。
    そのように分割することで、スマートに解いていくことができます。
    上の解き方と下の解き方とでは、計算の負担も解くのにかかる時間もまるで違ってきます。
    私立高校の入試過去問を解くと、50分間では試験問題の半分くらいまでしか解けないという人がいますが、それは一番上のような下準備をした式を立て、面倒臭いたし算やらかけ算やらをしてしまうために、無駄な労力と時間がかかっている場合が考えられます。

    ほんの少しだけ、問題の解き方の習慣を変える。
    式の立て方の癖を変える。
    それだけで、劇的に変わることがあります。
    小学生の算数から、卒業しましょう。


    なお、さらにスマートな考え方になると、最初から850は書かない式もありえます。
    3/10x+7/10(x-40)=55
    という式です。
    比と割合、そして平均に関して、深く理解しているならば立てることが可能な式です。

    その式の横、答案の端に、面積図が描かれていたら。
    その子は、中学受験生だったのでしょう。
    中学受験で培ったものを、「ちまちました式を立ててすぐ計算する」といった方向ではなく、よりシャープに洗練させ、スマートな方程式に昇華させている。
    採点者がふっと微笑み、力を込めて丸をつけたくなる式です。

      


  • Posted by セギ at 14:51Comments(0)算数・数学

    2022年07月20日

    高校英語。「倒置・強調」。AするとすぐにB。


    さて、倒置による強調。
    今回は、「AするとすぐにB」という意味内容の文をまとめます。

    「私がそこに着くとすぐに雨が降り出した」という文を作ってみましょう。
    まず、中学校でも学習する、一番簡単な文から。

    As soon as I arrived there, it began to rain.

    as soon as は、「~するとすぐに」という意味の熟語の接続詞。
    As soon as A, B.
    で、「AするとすぐにB」という内容を表すことができます。
    AもBも節(主語・動詞のある意味のまとまり)です。
    上の例文では、A内容は「私はそこに着いた」、B内容は「雨が降り出した」となっています。

    さて、これよりもやや文語的な表現として、no sooner ~than というものがあります。

    I had no sooner arrived there than it began to rain.

    than が使われていることからもわかるように、これは比較級の文です。
    直訳は、「雨が降り出すよりも早く私がそこに着いたということは、ない」。
    つまり、ほぼ同時だと言いたいのですね。
    だから、「私がそこに着くとすぐに雨が降り出した」と訳します。
    どっちがA内容でどっちがB内容か、ほぼ同時ということもあってそこで迷う人もいるのですが、「A、Bの順番で出てくる」と覚えると何とか覚えられるかと思います。
    そのためにも、基本となる一番上の as soon as の文は、as soon as から始める形でセットしてください。
    A内容を後ろに置く形も可能ですが、そうすると混乱しやすくなります。

    さて、as soon as の文は、どちらも過去形でしたが、no sooner ~than の文は、A内容が過去完了形になることも強く意識して覚えないと間違えやすいです。
    これは、no で否定する前の文の直訳「雨が降り出すよりも早く私がそこに着いた」で考えれば、「私がそこに着いた」というA内容のほうが昔のことなので大過去となり、だから過去完了形を用います。
    no で否定し、ほぼ同時となっても、時制のズレはそのまま残ります。

    ここまでで、もうかなりややこしいのですが、この文は、倒置にすることが可能です。
    すなわち、

    No sooner had I arrived there than it began to rain.

    否定語句の倒置の語順です。
    「否定語・助動詞・主語・動詞」
    何度でも唱えて、この語順を覚えておけば、否定語句の倒置の文は作れます。

    もういい加減嫌になってきたところなのですが、「AするとすぐにB」は、まだ他の表現もあります。

    I had hardly arrived there when it began to rain.

    これの直訳は、「雨が降り始めたとき、私が既にそこに着いていた、ということはほとんどなかった」。
    うん?
    どっちが先?
    つまり、ほぼ同時なんですね。

    これも内容的には、A、Bの順で出てくると把握すると、何とか理解できると思います。
    何しろほぼ同時なので、どっちがAでどっちがBなのかわからなくなるのが一番厄介なのです。
    「AするとすぐにB」は、常にAが先に出てくる。
    そう覚えてこんでしまいましょう。
    そして、この文も、A内容は過去完了、B内容は過去形です。

    ここで、恐ろしい補足。
    うすうす気づいていたと思いますが、hardly は、勿論、scarcely に言い換え可能です。
    英語は常に言い換えて言い換えて言い換えていく言語。
    言い換え表現をないがしろにするわけにはいきません。
    覚えましょう。
    さらに悲しいお知らせ。
    when は、before に言い換え可能です。

    そうなると、この文だけで、4通りの言い方がありうることになります。
    恐ろしいですね。

    さらに恐ろしい補足。
    この文は、倒置も起こります。

    Hardly had I arrived there when it began to rain.

    hardly は「ほとんど~ない」という準否定表現ですから、否定語句の倒置のルール通りの倒置がこれも起こります。
    「否定語・助動詞・主語・動詞」です。
    勿論、上で説明した通り、hardly は scarcely に言い換え可能。
    when は、before に言い換え可能です。
    つまり、この文だけでも、また4通りの言い方があります。


    まとめましょう。
    「AするとすぐにB」の文は、常にA内容を先に置き、

    As soon as I arrived there, it began to rain.
    I had no sooner arrived there than it began to rain.
    No sooner had I arrived there than it began to rain.
    I had hardly 【scarcely】 arrived there when 【before】 it began to rain.
    Hardly 【Scarcely】 had I arrived there when 【before】 it began to rain.

    が、ほぼ同義です。
    覚えましょう。

      


  • Posted by セギ at 12:20Comments(0)英語

    2022年07月15日

    良い質問・悪い質問。


    日曜日の参議院議員選挙の報道番組を見ていて、思い出したことがありました。

    1つには、「ドント方式」にまつわる思い出。
    公立中学の社会科の授業で、比例選挙の「ドント方式」について、やけに具体的に学習し、それがテスト範囲だったことがあったのです。
    A党、B党、C党、D党・・・が、どのような得票数のときに何人当選するか、計算するのです。
    その計算問題が実際にテストに出ました。

    中学の公民で学習すべき内容とは思えませんでした。
    比例選挙はドント方式というもので当選の判断を行っている、という程度の知識でよいはずなのです。
    計算式の意味が理解できず苦悶の表情を浮かべる生徒を見ていると、こんなことを中学生に教える先生に正直腹が立ちました。

    中学の社会科は、こういうことがときどき起こります。
    歴史をやけに詳しく教えてしまう先生もいます。
    教科書に載っていないような歴代の総理大臣の名前まで詳しく詳しく教えてしまい、しかも、それがテストに出るのです。
    詳しいことで生徒が興味をもって楽しく学べるのなら良いのですが、負担が増えて歴史が嫌いになっているだけだったら、つらいです。
    詳しいことは高校で学べば良いので、中学の歴史は、もっとざっくりと出来事の流れや因果関係が理解できれば良いと思うのですが。
    もっとも、私の立場としては、都立入試に出ないことをそんなに詳しく教えていないで、早く公民の授業に入ってほしいという気持ちが強いせいもあるかもしれません。
    中三の2学期になっても歴史の授業が終わらない。
    そうして慌てて終わるから、直近30年の現代史が手薄。
    それは都立入試に出るのに。
    何かバランス悪いなあ。
    つい、そんなふうに考えてしまいます。


    そして、もう1つ、思い出したことがありました。

    神奈川選挙区は、本来は定員4。
    しかし、今回は補選があるので、定員が5になりました。
    ただし、第5位で当選した人は、補選の分として、任期は3年。
    なるほど。
    よくできた仕組みです。

    参議院議員は、任期が6年。
    3年ごとに定員の半分ずつ改選する。

    大手個別指導塾で教えていたあるとき、6年生の女の子が、私のその説明を聞いて固まってしまいました。
    「固まる」という描写を大げさに感じる方もいらっしゃると思いますが、子どもの中には、説明が理解できないと文字通り固まってしまう子がいます。
    本人の中で何か納得できないことがあると、表情も手の動きもすべて停止し、凝固します。
    だから、固まっていることは見ればすぐにわかるのですが、問題は、なぜ固まってしまったのか、です。

    参議院議員は、任期が6年。
    3年ごとに定員の半分ずつを改選する。

    この説明のどこに固まってしまう理由があるのだろう?
    半分ずつ改選する仕組みがわからないのだろうか?
    確かに、その子は算数も苦手でした。
    そこで、3年ごとに互い違いに改選する仕組みを図に描いて説明したのですが、その子は凝固したままでした。

    何か間違って覚えていて、自分の覚えたことと違うので混乱しているのだろうか?
    そのように考え、
    「どこか疑問な点がある?」
    と声をかけても、その子は固まったまま何も言わないのでした。

    自分の疑問や自分の考えを言葉にするのに時間がかかる。
    あるいは、言葉で説明することがうまくできず、諦める。
    そういう子は、自分の疑問を説明するのは諦めても、疑問について考えることは諦めないことが多いです。
    疑問を口にせず自力で解決しようとするので、凝固を解くのに長い時間かかります。
    「どこがわからない?」
    と声をかけても、黙り込んで、独りで考えてしまうのです。
    学習スケジュールが押しているときなどは、私もつい内心で、
    「わからないことは、さっさと口にしてくれないかなあ。さくさく解決しようよ」
    と思ってしまうのですが、まあ、大人の思うようには動かないです。

    疑問をなかなか口にしない子は、前述のように、自分の疑問をうまく説明できないことが何より大きいと思いますが、疑問を口にして大人に褒められた経験があまりないのだろうとも想像されます。
    質問するまでに時間がかかるので、それまでに大人がかなりイライラしている状態のなかで、ためにためて発する問いの内容が、ピント外れであることが多いからです。
    何を言っているの、この子は?と感じさせる。
    そういうことが、多いんですね。
    その成り行きを経験として知っているから、子どもはますます質問できない。
    だから自力で解決しようとするが、解決するわけもない。
    全身で固まってしまい、先に進めない。


    良い質問、悪い質問、というものは存在しない。
    良い説明と悪い説明があるだけだ。

    教える者として、常に心に刻む言葉ではありますが、そうした信条を横から張り倒すほどに予想外の質問もあります。
    長時間黙り込んだその子からようやく聞き取った疑問の内容は、
    「3年ごとに改選するのなら、最初のときはどうだったの?」
    というものでした。

    ・・・え?

    それ、こんなに時間をかけて固まってしまうほどのこと?
    何でそんなことに疑問を抱くの?
    そんなこと、どうでもよくない?
    重要なことは、そういうことではないよ。

    そうは思いましたが、そういうことの連続でその子が傷つき、なかなか質問できないようになっていたのだろうと想像されました。

    私自身、小学校の頃から繰り返し参議院議員選挙の仕組みについて学び、そして繰り返し教えてもきましたが、そんなことに疑問を抱いたことはありませんでした。
    そんな疑問を口にした生徒もそれまでいませんでした。
    まさに、あさっての方向からの突風でした。

    「・・・それは、最初の参議院選挙のときは、半分の人は3年の任期だったんだろうね」
    「3年の人と6年の人がいたの?」
    「そうだろうね」
    「そうなんだ」
    「詳しく知りたいなら、大きな図書館に行って調べてみるといいよ」

    正直、これ以上は突っ込まれたくない。
    私はそう思いました。
    その子は、それで3年ずつ互い違いの図が頭の中で動きだした様子で、すっきりした表情を見せました。
    「わかった」

    ・・・え?
    そんなことでいいの?

    まだ、世の中にスマートフォンというもののなかった時代の話です。
    今は、こんなことも検索すれば一度で解決します。

    「第1回参議院議員選挙」で検索すると、すぐに出てきました。

    1947年4月20日に行われた。
    定員 
    地方区制150
    全国区制100
    改選数250(うち125は任期3年)
    当選者を当選順位に基づいて上位当選者と下位当選者の125人ずつに分け、上位当選者の任期は6年、下位当選者の任期は3年とした。

    なるほどー。
    苦し紛れの私の説明は間違っていなかったようで、良かったです。

    あれ以来、同じ質問をする子は一度も現れていません。
    こんな質問をしない子のほうが、社会科の成績は良かったりします。
    勉強は、何が重要で何が些末なことかをさっと判断できて、重要なことをさくさく覚える子のほうが、良い成績が取れるのも事実です。

    でも、今になって思うと、あれは面白い質問だったと思います。
    テストには出ませんけれども。

    質問に、良い質問、悪い質問というものは存在しません。
    良い説明と悪い説明があるだけ。
    やはり、そうだなと思うのです。

      


  • Posted by セギ at 11:28Comments(0)講師日記

    2022年07月12日

    三者面談と誤解と夏期講習。


    大手の個別指導塾に勤めていた頃の話です。
    夏期講習で、小6の女の子を新しく担当することになりました。
    私立の小学校に通っている子で、中学は内部進学が決定していました。
    その子に、中1レベルの数学を教える仕事でした。

    小6女子に、中1数学を教える?
    なんで?

    何だかよくわからないまま、教務から指定されたテキストで、「正負の数」を教えました。
    ブラスとマイナスの符号がつくだけで、計算自体は、ひとケタ、あるいはふたケタの整数の計算が主ですから、小6で勉強していることよりむしろ易しいくらいの単元で、本人は楽しんで勉強していました。
    でも、なぜこの子が、小6の夏休みに中1の数学を勉強しなければならないのか、私には理由がわかりませんでした。
    特に算数が得意な子ではない。
    特に算数が好きな子でもない。
    中1数学の予習は、2月か3月、小学校の卒業が近づいてからやればいいことです。
    それより前にやっても、継続しなければ忘れてしまいます。

    夏期講習というのは、生徒も講師も普段より人数が多く、ゴタゴタしています。
    一方、教務は正社員ですので、交替で夏休みをとりますから、なかなか落ち着いて教務と話をすることができない期間です。
    それでもようやく、彼女の担当教務と話をする機会があり、なぜ、小6の夏休みに中1の数学の予習をするのかを訊いてみました。
    「それは、お母さんからの要望だよ。学校の先生が、夏前の個人面談で、夏休みは、中学入学の準備のための勉強をしましょう、と言ったんだって」

    中学入学の準備のための勉強・・・?

    受験をしない小6の子が、夏休みに行う、中学入学の準備のための勉強というのは、中1の「正負の数」の予習ではないのではないか?
    もっと根本的に、中学に入って困らないように、分数の四則計算を自在にこなせるようにしておくこととか、方程式の文章題でよく使う、割合や速さの単元を復習しておくこととか、中学の図形分野の知識がすんなり頭に入るように、面積・体積の公式をしっかり身につけておくくこととか、そういうことではないのかなあ。
    学校の先生は、そのつもりで言ったと思うけどなあ。

    それを私が説明しますと、教務は、そんなことはわかっていてしらばっくれたのか、それとも、そのとき初めて気がついて、あっ、と思ったからなのか、急に不機嫌になり、もう返事をしてくれなくなりました。

    指導内容の変更の指示も出ないので、その先も、私は、その小6の女の子に、中1数学の「正負の数」を教え続けました。
    保護者からの依頼内容が中1の予習だったのなら仕方ないのかもしれません。
    保護者が、学校の先生の言葉をそのように受け取り、そのように依頼してきたとき、それは違うんじゃないですかとは、塾として、なかなか言いにくいことですし。
    だけど、やっぱり、何かおかしい。
    本人も保護者も納得しているのだから、どこからも文句は出ませんでしたが。
    仕事とは、そういう面もあるものですが。

    これは、学校の先生の言い方が悪いとばかりも言えないことです。
    学校の先生だって、そんなに意味のあることばかりしゃべり続けることはできませんから、ときどき、ものすごく適当なアドバイスをして、言った本人も覚えていなかったりするのですが、保護者によっては、それを、大切に受け止めてしまいます。

    昨今、学校の先生の言うことはオブラートでくるまれ、ますます遠回しになっていますし。

    また別の年の夏。
    中3の受験生を担当することになりましたが、授業内容は学校の夏休みの宿題に限定、と教務からの指示がありました。
    9月初めの夏休み課題テストの範囲なので、とにかく宿題を徹底的に教えてほしいというのです。
    しかし、中3受験生ですから、夏休み課題テストよりももっと重要なテストが秋にいくつも控えています。
    2学期の中間テストと期末テストで何とか得点アップできるよう、2学期の予習をすることも重要ですし、9月から本格的に始まる校外模試の対策として、より実践的な演習もしなければならない時期です。
    学校の宿題だけの限られた勉強をしている場合ではありません。

    これも、本人から話をきくと、三者面談での学校の担任の先生の言葉を誤解しているのではないか、と思われるふしがありました。
    その子は、1学期の成績から考えれば、志望校が高すぎるのでした。
    しかし、学校の担任の先生は、「そこは無理だから、諦めろ」とは言えなかったのだと思います。
    1学期の内申で換算すると、5科の入試で平均90点以上取れれば合格するね、という言い方をしたようです。
    内申の素点を1学期より10上げた場合は、入試で平均80点以上取ると合格するね、とも言ったそうです。
    その子の学力では、入試当日で平均90点を取ることも、内申を10上げることも、正直言って現実的ではありませんでした。

    担任の先生は、要するに、言外に「無理だ」と言ったのです。
    データで、それを示した。
    また聞きですが、私には、そう聞こえました。
    けれど、本人と保護者は、そうは思わなかったのです。
    「合格するには、どうしたらいいでしょう」と先生に尋ねたといいます。
    担任の先生は、困ったと思います。
    2学期は、学習内容も難しくなるから、定期テストで得点を上げるのは難しいですね。
    そう答えたそうです。

    これは、もう相当はっきりと無理だと言っている、と私には聞こえました。
    ところが、それでも、本人と保護者の耳には届きませんでした。
    「では、どうしたら、いいのでしょう?」
    担任の先生は、本当に困ったと思います。
    とりあえず、夏休みの宿題を頑張って、課題テストで良い点を取ることを目標としてみましょう。
    そう言ったそうです。

    それを受けての、個別指導塾通い。
    内容は、学校の宿題限定。
    とにかく、これだけを徹底的にやってほしい。

    これも、教務に相談したのですが、解決はつきませんでした。
    講師である私は、保護者と直接連絡を取ることはできません。
    生徒本人は、その夏初めて会ったばかりで、私の言うことを理解してくれる様子はあまり感じられませんでした。
    学校の宿題を見てほしいから個別指導を申し込んだのに、
    「そんなのじゃ受験勉強にならないよ」
    とゴリゴリ押してくる講師なんて、怖いですよね。
    その講師の言うことに耳を傾けるよりも、
    「講師を変えてください」
    と言いたくなりますよね。
    それが予想できたので、私も強い主張はできませんでした。
    学校の夏休みの宿題は、一応、受験勉強らしい内容でしたから、全く無駄ということはなかったのですが、他の受験生は、学校の宿題だけでなく、2学期の予習も、入試問題の対策もやっていました。
    秋には、さらに学力差が開く可能性のほうが高かったのです。

    誰が悪いのか。
    何が悪いのか。
    今も後悔が残ります。

    今は個人塾ですので、私の考えていることを直接保護者の方に伝えることができます。
    夏期講習で、何をするべきか。
    何をすれば、効果が上がるのか。
    一人一人にその計画を練っています。


      


  • Posted by セギ at 14:36Comments(0)講師日記

    2022年07月08日

    子どもの覚え違い。



    以前に勤めていた塾で、中3に社会を教えていたとき、1人、とても頑固な女の子に出会ったことがあります。
    もともと社会が苦手な子で、記憶違いが多かったのですが、間違いをなかなか認めないのでした。

    たとえば、「バブルって、高度経済成長のことだよ」と主張していました。
    21世紀を生きる中学生には、これは案外多い誤解ですが、訂正すれば納得するのが普通です。
    しかし、彼女は、頑固にそう思い込んでいて、譲歩しませんでした。
    むしろ、それを違うものだと説明する私のほうが間違っていると思い込んでいるような表情でした。
    高度経済成長は1960年代で、バブル経済は1980年代後半、と時代の違いを説明しても、私が説明する間、彼女からは表情が消え、全く理解する様子を示しません。
    理解を拒む目の色でした。
    年表を見せても、首を傾げ、納得できない表情のまま一応黙る、という様子でした。
    どこかで記憶違いをしたのでしょうが、自分が覚え間違えたことを認めないのは、どういう心理によるものなのか、私にはよく理解できず、彼女の社会の成績も、なかなか向上しませんでした。

    それでも、彼女は、学力別の下位クラスの中では成績はトップで、上のクラスに上がることができました。
    上のクラスでの社会の授業で、彼女は、また妙なことを言い始めました。
    「台湾って朝鮮のことでしょう」
    上のクラスでは、そんな勘違いをしているのは、さすがに彼女1人です。
    一瞬おいて、上のクラスの生徒たちは失笑し、その笑い声を聞くと、彼女は、すぐに認めたのです。
    「違うの?」
    教室の壁に貼ってある世界地図で、私は、朝鮮半島と台湾の位置を彼女に説明しました。
    彼女の目は、表情を失わず、地図を見ていました。
    「あ。そうなんだ。知らなかった」

    ・・・え?

    同じ中学生が違うと言えば、すぐに認めたのです。
    そういう年頃なのでしょう。
    大人の言うことはなかなか信用しない。
    でも、同じ年の子の言うことはすぐに信じるのです。

    そのクラスで、数学を教えたときのこと。
    彼女は、また不思議なことを言い始めました。
    「1立方メートルって、1万立法センチメートルだよね?」
    「・・・いや。それは、面積のときです。1平方メートルなら、1万平方センチメートル。1立方メートルは、100万立法センチメートル」
    「でも、面積って、体積だから」
    「・・・・え?」
    教室は、大爆笑となりました。

    私の説明を聞いた後、彼女は言いました。
    「面積と体積は、同じものだと思ってた。1立方メートルが、1万立法センチメートルだったり、100万立法センチメートルだったりするのは、先生が、間違えているんだと思ってた」
    「そうか・・・・・。小学生の頃から、ずっと?」
    「うん」

    彼女が聞いたら怒るかもしれませんが、私は、彼女の発言から、「勉強ができない」ということは、どういうことなのか、また理解を深めた気がしました。

    1つには、似ていることを混同しやすいこと。
    もう1つ。
    1度思いこむと、間違いを修正できないこと。
    そして、悲しいことに、大人を信用していないこと。

    でも、彼女のように主張する子は、問題のありかをとらえやすく、いつかは解決します。
    黙ったまま、誤解を続け、勉強ができないままの子が、案外多い気がするのです。


    自分の思いを口にしない子。
    語彙が不足し、自分の考えを言葉にして言ったり書いたりすることが自由にできないので黙っている子もいるかもしれません。
    相手の説明も、少し複雑で論理的なものになると、うまく理解できない。
    音声による説明は耳がついていかないし、教科書などの文字で書いてある説明は、文字を正確に読む習慣がないので、理解できない。
    理解できないまま、誤解している・・・。

    あるいは、大人を根本的に信用していない子もいるでしょう。
    反抗期がなくなったといいますが、それは、反抗するほど大人を信用していないだけかもしれません。
    逆らえば、大人はすぐに見切りをつけ、自分を見捨てるだろう。
    逆らってくる相手をそれでも愛するほど大人の懐が深いとは思えない。
    だから、逆らわない。
    逆らわないが、信用していない。

    あるいは、反対意見を言ったり相手の言うことを訂正して相手とギスギスするのが心理的に耐えられず、とにかく穏やかに過ごしたい子も今は多いと思います。
    何ごとにおいても、もめたくない。
    とにかくメンタルが弱い。
    それを自覚しているので、メンタルに打撃を受けたくない。
    そういう子もいるのかもしれません。

    そのように、理由は色々と推測できますが、いずれにしろ、恐ろしいのは、誤解しているのに、それを口にせず、自分の誤解が正しいと信じ込んでいる場合があることです。
    何か矛盾を感じても、先生が間違っているんだがそれを指摘してはいけない、と本人が勝手に判断し、誤解している。

    そうして、間違った知識を使って問題を解くので、いつになっても正答できないのです。


    最近も、「国際連盟」を「国際同盟」と覚えてしまっていた子がいました。
    学校は、アクティブラーニング。
    グループ学習で、同じ班の子が「国際同盟」と言っていたというのです。
    この場合、その同じ班の子が間違っていた可能性もあれば、本人が聞き間違えたり覚え間違えた可能性もあります。
    いずれにせよ、私が訂正しても、その子は、「国際同盟」のほうが正解なのではないかと、首を傾げていました。

    そういえば、アクティブラーニングの良い点の1つは、先生から教わるよりも同級生から教わるほうが理解が深く、定着しやすいということがあるのだそうです。
    確かに、間違ったことが、こんなにしっかりはっきり定着する。
    アクティブラーニング、恐るべし・・・。

    本人は自信ありげなので、ネットで検索しましたが、「国際連盟」を「国際同盟」と言い換える動きは世の中に起こっていませんでした。
    国際連盟は、英語で the League of Nations
    「同盟」と訳すことは不可能ではないですが、日本では、ずっと「国際連盟」と訳してきました。
    今更それを変更する理由がありません。
    理科で学ぶ遺伝の「優性・劣性」を「顕性・潜性」と訂正したような妥当性がありません。

    日本語の「同盟」は、alliance と変換されることのほうが多いと思います。
    日独伊三国同盟なら、Patto tripartito
    イタリア語が、固有名詞化しています。
    英語で説明するのなら、the alliance of Japan , Germany and Italy

    塾に通っていなかったら、その子は「国際同盟」のまま覚えていたかもしれません。

    いろいろと多難な時代。
    もの言わぬ子たちが何を誤解しているか、よりいっそう、耳を澄ましていかなければならないと感じます。


      


  • Posted by セギ at 14:27Comments(0)講師日記

    2022年07月05日

    高校英語。否定・倒置。「Aして初めてBする」



    「Aして初めてBする」という形の文の構造を今回は考えてみます。
    まずは基本の形。

    I didn't know he was homesick until I talked with him.
    私は、彼と話すまで、彼がホームシックだと知らなかった。

    上のは直訳で、別にそれで不自然ではないのですが、これは、
    「私は彼と話して初めて、彼がホームシックだとわかった」
    と訳しても、同じ意味です。
    そして、この訳し方をすることが和訳の慣例となっています。

    「Aして初めてBする」という構造で考えた場合、A内容は、until 節です。
    「私は彼と話した」という内容になります。
    B内容は、主節。
    「私は彼がホームシックだとわかった」という内容になります。
    この場合、否定語を切り離して、A内容、B内容を肯定文として把握してください。

    これをまずは、強調構文にします。
    強調構文というのは、強調したい内容を、It is ~that で挟むやり方です。
    今回、強調したい内容は、 until I talked with him というuntil 節です。
    ただし、元は否定文なので、否定文で挟みます。
    すなわち、
    It was not until I talked with him that I knew he was homesick.

    こちらのほうが、A内容が先、B内容が後なので、「Aして初めてBする」の訳にあてはめやすいと思います。
    全体が否定文なので、It was not ~that で強調することだけ忘れなければ、作りやすいと思います。
    これで、「私は彼と話して初めて、彼がホームシックだとわかった」という意味です。

    これだけなら良いのですが、言いたいことを強調する方法は、強調構文だけではありません。
    倒置によって強調することも可能です。
    これも、否定語 not を先頭に立てます。
    すると、否定語句の強調のルールの通りの倒置が起こります。
    倒置には、文型によって様々な倒置のパターンがありますが、否定語句の強調による倒置は倒置の中でも花形ですので、特に力を入れて覚えましょう。
    「否定語・助動詞・主語・動詞」
    この順で並べます。
    すなわち、
    Not until I talked with him did I know he was homesick.
    「私は彼と話して初めて、彼がホームシックだとわかった」

    Not until I talked with him までが否定語句。
    次は、助動詞。
    一般動詞の文で、助動詞が用いられていない場合は、do,does,did を助動詞として用います。
    今回は過去の文なので、did を用いました。
    次は、主語 I。
    先ほどの did が過去の意味を背負ってくれたので、その後の動詞は原形に戻っています。


    整理しましょう。
    B until A. の元の形の文。(ただしBは否定文で、直訳は「AするまでBしない」)
    It was not until A that B. の強調構文。
    Not until A did B. の否定構文。

    「Aして初めてBする」の文は、この3通り。
    どれからどれへの書き換えも可能にしておくと、楽になります。
    本来Bについていたはずの否定語 not が、強調するとA内容を否定しているように見えることに違和感があり、覚えられない人が多いかもしれません。
    また、このあたりのことを学習するのが学年末であることが多く、高校の先生も大急ぎで授業するため、特にわかりにくいところであるのにあまり時間をかけて教えてもらえないという悲劇も起こりやすいです。
    自分で意識して、3通りの文を言えて書けるようになっておいてください。
    例文の丸暗記をするのも1つの手ですが、その場合、品詞と構造に注意を払って、他の意味の文への転換が可能な形で暗記してください。
    その文しか復元できない、お経のような丸暗記はあまり役に立ちません。
    あるいは、上のように文法的な把握から、3通りの文を論理的に復元できるようにしておくのもよいと思います。


      


  • Posted by セギ at 12:19Comments(0)英語