たまりば

地域と私・始めの一歩塾 地域と私・始めの一歩塾三鷹市 三鷹市

2018年04月30日

水根沢から石尾根を縦走しました。2018年4月。


2018年4月29日(日)、水根沢林道から石尾根縦走路を奥多摩まで歩きました。
ホリデー快速奥多摩1号、三鷹6:59。
今日は歩く距離が長いので、いつもより1本早いホリデー快速に乗車。
電車は満員でした。
御嶽駅で多くの人が下りるはずなので、そこからは座れないかと期待したのですが、それも無理でした。
奥多摩駅は、警察官が駅に立つほどの混雑ぶり。
東日原行きのバスに乗る人の行列が蛇行して駅前を塞いでいるので、余計に人の流れが悪くなっていました。
奥多摩むかし道のウォーキングイベントも開催されている様子です。
何とか混雑を離れ、道路を渡ると、奥多摩湖行きのバスが停まっていました。
ここもバス停は大行列でしたが、多くの人は鴨沢西行きのバスを待っている様子です。
奥多摩湖までの人はこちらのバスにという誘導があり、無事に奥多摩湖行きのバスに乗車。
バスの中も立ちっぱなし。
ゴールデン・ウイーク、さすがに混雑しています。

終点の1つ前、水根で下車。8:57。
今日は水根から水根沢林道を歩く予定です。
以前にこの道を歩いたのは、2004年7月。
もう14年前です。
登山記録によれば水根沢林道から鷹ノ巣山に登り、稲村岩尾根を下っています。
そのときは、水根バス停前の大きな地図看板でまず混乱していました。
その場で立って見たときに、感覚的に上下左右が逆で、もう全然わからなかったようです。
今は実感と一致した地図が掲示されていました。
地図の通りに、まずは奥多摩むかし道の道しるべに従って歩いていきます。
目の前の三叉路の道路がややこしいのですが、奥多摩むかし道を歩く人のために横断歩道が設置されていますから、その通りに順番に横断歩道を渡っていくと、道しるべがありました。
まずは舗装された坂道を登っていきます。9:15。
しばらく行くと分岐があり、奥多摩むかし道とは別れ、鷹ノ巣山の道しるべに従って左へ。
舗装された道の途中から、道しるべの通りに右の木段を登りました。
14年前とは、登山口の様子が随分変わり、わかりやすくなっていました。
あのときは、迷ったあげくに水根沢を遡行する沢登りの入り口に行きつきました。
どんな迷い方、それ?
(-_-)

斜面を登っていくと、道しるべの下に「通行注意」の掲示がかけられていました。
「通行注意。道せまい」
うわあ、わざわざ「道せまい」と書くくらいに道が狭いのかー。
( ;∀;)
しかし、14年前、私は靴底のすり減った滑りやすい軽登山靴を履いていて、そのことは失敗だったと登山記録に書いているのですが、ドン引きするほど道が狭くて怖かったといった記述はないのです。
靴底のすり減った靴でヒヤッとした程度なら、ダブルストックの本日は楽勝?
しかし、それは甘かった。
道幅は30㎝から50㎝。
沢がはるか下に見える切れ落ちた谷の崖っぷちが延々と続きました。
それでも、50㎝の幅があれば、かなり楽なんです。
ダブルストックで安定性は確保されているし、登り基調なので、落ち着いて歩いていけました。
やはり、ときどき現れる30㎝幅が厄介です。
こわっ。( ;∀;)
先週歩いた檜原都民の森から月夜見山への道は、しかしもっと怖かったので、まあこれくらいなら大丈夫と自分を励ましながら歩いていきました。
前にも後ろにも人は誰もいません。
マイナーな登山道は、ゴールデンウィークの喧騒とは無縁でした。

こんな細い道がなぜ「水根沢林道」と呼ばれているのだろう?
林道というと、舗装の有無はともかく、車一台は通れる歩きやすい道という印象があります。
そもそも林道とは何か?
辞書を引いたら「山で切った材木などを運ぶために作られた道。数え方は一本」とありました。
そうか。
運搬用に作った道が林道で、道幅の問題ではないのですね。
この水根沢林道は、道を支える崖の部分に石垣を積んで補強してあり、なるほど人工的に作った道であることがうかがえます。
石垣は、沢の上流のほうまで続いていました。

一つ目の木橋。10:30。
4本の丸太の上に板を一定の間隔で張ってある、山によくあるタイプの木橋でした。
広いとは思わないけれど、細過ぎるとも思わない、絶妙な幅の木橋です。
ダブルストックを頼りに、一歩ずつ丁寧に通過。
その前に桟道もありましたが、またかと気持ちが暗くなるほどの数ではありません。
沢は、いったん登山道とほぼ水平になり、またはるか下に位置を変えていきました。

下山してくる人が現れました。
人のあまりいない険しい道を歩いているときに特有ですが、下山してくる人は、登ってくる私を見つけると嬉しそうです。
この道で大丈夫なのか、本当に麓に通じているのだろうかと少し不安になっているときなので、登ってくる人の存在にほっとするのでしょう。
そのうちの1人の男性に尋ねられました。
「上の道しるべに、通行注意と書いてあったんですが、何かありましたか?」
「いえ、特に・・・。道幅が狭いだけです」
「迷いやすい箇所とかは?」
「そういうのはないです。ただ道幅が狭いです。ときどき道幅が30㎝くらいになります。沢のすごく上のほうを高巻く道で」
「はあ。崖の?」
「はい」
狭い道幅がどれくらいストレスになるかは、その人の経験や技術によるので、具体的な道幅を説明する以上のことはできないのが、こうした説明の難しいところです。

2つ目の木橋を渡り、まだしばらく細い道が続きましたが、やがて、登山道はジグザグの急登で沢と別れました。
そこからは、尾根の急坂です。
道幅は十分で、ここからは普通の登山道の印象でした。

道しるべ。11:30。
ここは三叉路でした。
道しるべの後ろに、屋根とおぼしきものと、ベンチとおぼしきものが設置されています。
両方とも古く、廃屋のようです。
ここは見覚えがありました。
14年前は、ここでまた道を間違えたのでした。
道しるべの前に先行者が立っていたこともあり、小屋の裏の道が見えなかったのです。
踏み跡の明瞭な右の道を選んだら、だんだん下って行き、沢を遡行してきた人がここから登山道に入るのだろうというポイントにたどりついてしまいました。
沢登りの起点と終点をコンプリート。
いやいや、そんなことをして何になるの?('_')
あのとき、この分岐まで戻ると、廃屋の前には、字の読み取れない古い小さな道しるべと赤テープが道に落ちていたと、登山記録にあります。

今は、しっかりした道しるべが立っています。
道しるべの通りに、廃屋のような休憩舎をまわり込んで急坂を登っていきました。

登っていくと、やがて左手に鷹ノ巣山が見えてきました。
その向こうに七ツ石山。
どちらも広い防火帯が見えます。
倉戸山からの登山道と合流すると、歩いている尾根はさらに広く、緩やかになりました。
林の中を散策している印象です。
麓の沢の周辺は鮮やかな新緑でしたが、ここまで上がってくるとまだ早春で、緑も萌えだしたばかりの薄い色合いです。
カラマツの薄黄緑の若葉。
ブナの若葉。
春霞の青空。
ときおり吹き抜ける風が冷たい。
広がる林の美しさに、倒木の1つに座り、長い休憩を取りました。12:30。
時間に余裕があれば鷹ノ巣山まで往復しようかと思っていましたが、もうそれは無理そうです。
石尾根縦走路。12:45。
といっても、ここは尾根道ではなく、まき道のほうです。
ここから尾根道に合流するには、西のほうの道をたどる場合、かなり鷹ノ巣山方向に登らなければなりません。
このまま石尾根縦走路を東に進み、将門馬場から尾根道と合流しようかな。
道が狭いかもしれないことに不安はありました。
雲取山から鷹ノ巣山まで石尾根を縦走した際に、巻き道の細さを実感していました。
ときどき、崩落地でかなり道の悪いところもありました。
ここも、あれの繰り返しだろうなあ。
しかし、もう疲れて尾根に登る気になれません。
知らない道を歩いて確かめてみたい気持ちもあります。
石尾根縦走路の巻き道を行ってみることにしました。

すぐに後悔しました。( ;∀;)
道が細いっ。
やはり道幅30㎝から50㎝の崖っぷちの道がずっと続きました。
平坦な道ならそれでも何とかなるのですが、アップダウンがあります。
木の根のからんだ段差などもあります。
落ち葉が大量に降り積もっている箇所もありました。

いつもの石尾根縦走路との合流点。13:40。
ほっとしましたー。ヽ(^。^)ノ
ここから、道は急に幅が広くなり、歩きやすくなりました。
気持ちのよい林の中の道をまわり込み、いったん下っていくと、六ツ石山分岐への緩い登り道。
今日は一度もピークを踏んでいないので、ちょっと寄ってみることにしました。
分岐から見えている坂のてっぺんがもう六ツ石山です。
予想通り、例の御影石もどきの慰霊碑みたいな山頂標識が立っていました。13:45。
雲取山や鷹ノ巣山に立っているのとお揃いです。
六ツ石山の山頂には石がいくつかゴロンと置いてあります。
その石は、昔、歩荷訓練をした人が山頂に置いていった多摩川の河原石なのだそうです。
それも1つの自然破壊。
あるべきものはあるべき場所に。
とは言いながら、その石の1つに座って休憩しました。
座るのには便利です。(^-^;

あとはお馴染みの石尾根縦走路の道です。
六ツ石山を下りてしばらくは歩きやすいまき道。
まわり込んでいくと、広い尾根の大急下降。
ブナの新緑の隙間から、まずは大岳山の肩の張った姿が見えてきます。
さらに下ると、次に御前山が惣岳を伴って見えてきます。
そこから緩くくだっていき、いつもの登山道が深くえぐれて泥がたまった道は、脇の樹林帯を通過。
やがて登山道と合流し、落ち葉が踏まれて粉になり歩きやすくなっている道をたったか下っていきました。
幅の広い緩い下りの歩き易さを実感し、どんどん下っていくと、あたりは植林帯に。
三ノ木戸からの道をあわせ、一段下ってV字に戻るように進んでいくと、桟道。15:50。
その手前のちょっと通過しにくい段差も含め、ここも苦手ポイントです。
用心してゆっくり桟道を通過し、あとはもう見知った楽な登山道です。
廃屋のような小さな小屋の前を通り、「奥多摩駅」という字がもうかすれてしまった小さな道しるべに従って右折。
ジクザグに降りていくと、林道出合。16:00。
ここからは舗装された林道です。
いつもなら、途中で林道をショートカットする近道に入るのですが、その道しるべを見逃したようです。
丁寧に林道をたどってしまいましたが、時間はそんなに変わりませんでした。
いつもの羽黒三田神社を通過する必要はないのかもしれません。
最後の近道はきちんと見つけて階段を下りていくと、いつも温泉の帰りに寄るコンビニの横に出ました。
ここから、橋を渡り、ビジターセンターのある交差点からもえぎの湯へ。

もえぎの湯。16:50。
ここも本日は大混雑で整理券が配られていました。
待っている人たち・温泉の中にいた人たちの大半が若い子でした。
20代の若い子は、こういうときにマナーの良い子が多いですね。
混雑しているときは、脱衣所ではロッカー前を塞がない。
洗い場を長時間独占しない。
長湯しない。
そういうことが当たり前に身についているようです。
入るまでは整理券による順番待ち、中に入ってからも、洗い場は行列で順番待ちでしたが、意外に早く自分の順番が回ってきました。
温泉を楽しむというよりも、とにかく汗だくでこれでは電車に乗れないので、入浴してさっぱりした服に着替えられるだけで有難い。
奥多摩町は、ふるさと創生1億円を本当に良いことに使ってくださった。
にこにこと温泉を出ると、今日はまだ時間が早いので、交差点のスーパーも開いていました。

  


  • Posted by セギ at 14:41Comments(0)

    2018年04月27日

    場合の数と確率。組合せの公式と活用。



    「組合せ」は、例えば、こんな問題です。

    問題 4人の生徒の中から3人を選ぶ選び方は何通りあるか。

    まずは「順列」で考えてみます。
    4人から3人を選んで並べる順列は?
    樹形図をイメージして、
    4・3・2・1=24
    という式で求めることができます。
    でも、これは順列。
    組合せは、順番は関係ありません。
    上の式で求める答えは、同じ選び方で順番が異なるものを何度も繰り返しカウントすることになります。
    それは、3人を並べる順列の数だけ繰り返しカウントしているでしょう。

    わかりにくいと思うので、4人に記号を与えましょう。
    A君、B君、C君、D君の4人です。
    上の24通りを全て書きだしてみましょう。
    (A、B、C)、(A、C、B)、(B、A、C)、(B、C、A)、(C、A、B)、(C、B、A)
    (A、B、D)、(A、D、B)、(B、A、D)、(B、D、A)、(D、A、B)、(D、B、A)
    (A、C、D)、(A、D、C)、(C、A、D)、(C、D、A)、(D、A、C)、(D、C、A)
    (B、C、D)、(B、D、C)、(C、B、D)、(C、D、B)、(D、B、C)、(D、C、B)

    順列としては、上の24通りですが、よく見ると、選び方としては、横に1列になっているものは、全て同じ選び方ではないでしょうか。
    選ぶだけなら、順番はどうでも良いのですから、同じ選び方です。
    同じ選び方を横一列、それぞれ6回カウントしていることがわかります。
    この「6」という数字は何でしょうか?
    それは、A、B、Cならその3つの文字の並び方、すなわち順列の数ではないでしょうか?
    ということは、まずは4個から3個を並べる順列で、4×3×2とした上で、それを、3個のものを並べる順列 3×2×1で割れば、組合せの数が計算できるのでは?


    4・3・2
    3・2・1

    =4

    答えは4通りです。

    一般化するならば、n個のものからr個を選ぶ組み合わせの個数は、

    n(n-1)(n-2)×・・・×(n-r+1)
        r!

    これが、組合せの公式です。

    ところで、上の一覧に戻り、左端の( )にだけ着目していくと、(A、B、C)は、Dを選んでいないもの。
    (A、B、D)は、Cを選んでいないもの。
    (A、C、D)は、Bを選んでいないもの。
    (B、C、D)は、Aを選んでいないもの。
    と見ることもできます。
    何を選んだかということは、何を選ばなかったかということと同じこと。
    したがって、選ばないものは4通りあるので、答えは4通り。
    そのように考えることもできます。
    もう少し数字を大きくしてみると、この考え方はとても便利だとわかります。

    問題 15人から12人を選ぶ選び方は何通りあるか。

    公式通りに書くと、

    15×14×13×12×11×10×9×8×7×6×5×4
    12×11×10× 9 ×8 ×7×6×5×4×3×2×1

    この2行は、上が分子、下が分母の分数だと思ってください。
    これ、分母と分子に同じ数が多いので、かなり約分できますね。
    約分した結果は、

    15×14×13
    3× 2× 1

    あれ?
    この式は、15個のものから3個を選ぶ組み合わせの式と同じなのでは?

    そうです。
    15個から12個を選ぶ組合せと、15個から3個を選ぶ組合せは、同じ数となります。
    これは数字上のことだけではなく、意味の上からもそうなります。
    15個から12個を選ぶということは、15個から3個を選ばないということ。
    ならば、その選ばない3個を「選ぶ」と考えても、同じことである。

    しかし、ここは授業が停滞しやすいところです。
    ここがわかりにくいのは、数字上の問題ではなく、表現上の問題なのかもしれません。
    「15個から12個を選ぶ」ことを「15個から3個を選ぶ」ことにすり替える。
    それが、同じことであるはずがない。
    だから「わからない」と言う子が多いのかもしれません。

    そうです。
    意味上は、同じことではないのです。
    でも、「15個から12個を選ぶ」ことと「15個から3個を選ばない」ことは同じこと。
    だから選ばない3個を先に選んで除外しましょうということなのです。

    問題 15人にうち、特定の5人から3人だけを選び、特定の5人以外の10人から9人を選ぶ方法は何通りあるか。

    うーむ、何だこのえこひいきは?
    いや、そもそも15人から12人を選ぶこと自体がおかしい。
    12人選ぶくらいなら、もう全員にすればいいのに。
    そうツッコみながら、楽しく解いていきましょう。
    まずは、特定の5人から3人を選ぶ組合せを考えます。

    これは公式を使って簡単に解いていけますね。

    5×4×3
    3×2×1 
    =10
    です。
    ちなみに、組合せは「コンビネーション」の頭文字Cを用いて、5C3と表します。
    5C3で、5個から3個を選ぶ組合せ、という意味です。
    5C3=10 です。

    次に、残る10人から9人を選びます。
    先ほどの考え方を用いて、
    10C9=10C1=10 となります。

    さて、この2つをどうするのか?
    足すのか?
    かけるのか?
    この2つは同時に起こる事柄です。
    5人から3人を選んだ組合せの1つ1つに対して、10人から9人を選んだ組合せが対応します。
    だから、かけ算をします。
    これを「積の法則」と呼びます。
     
    5C3・10C1
    =100
    100通りが、この問題の答えです。

    問題 15人のうち、特定の2人を含まずに12人を選ぶ選び方は何通りあるか。

    どうせ含まないのですから、特定の2人は最初から除外しましょう。
    15人から12人を選ぶのではなく、13人から12人を選ぶのです。
    よって式は、13C12=13C1=13
    答えは、13通り です。

    ここで、
    「その特定の2人を選ぶ方法を考えなくていいんですか?」
    と高校生によく質問されます。
    ですが、問題に「特定の2人」と書いてあるとき、その時点でその特定の2人は確定しているので、問題を解く我々がその2人が誰であるかを選ぶ必要はないのです。
    という説明が、これまで高校生にこのことを説明してきて、まだしも理解しやすい説明だと思います。
    それでも納得してくれない子とは、延々と不毛な論争をすることになります。
    そういう子の論理は循環して、トリックアートのようになっています。
    階段を下りているつもりがいつの間にか登っている、有名な絵画のようなものですね。
    そこに切り込んで、循環した論理を粉砕するのは意外に難しいです。
    本来存在しない論理の筋道が本人の頭の中だけではつながっているので、何を言われても自分の誤解に気づけなくなるようなのです。

    「場合の数と確率」という単元は、その人の思考の癖や文章の読み取りの癖が出やすい単元です。
    「自分の考え方の何が悪いのか」
    を突き詰めようとしても、もうそれが見つからず、教えてくれる人が何を言っているのかもわからなくなったときは、答えを全て書きだす作業を1度行うと良いと思います。
    少なくとも、正解が自分の出した答えとは異なることは納得できるはずです。
    自分の考え方のほうが正しいのではないかという思いを捨てきれないから、間違った循環から脱出できない場合もあるでしょう。
    自分の答えが明らかに正解ではないと理解することができれば、一歩先に進めます。
    自分の考えを捨てて、
    「正しい考え方はどういう構造のものであるのか」
    を学ぼうとできると思うんです。


    問題 15人から12人を選ぶとき、特定の2人のうち少なくとも1人を選ぶ選び方は何通りあるか。

    さて、これが一番の難問です。
    計算自体は非常に楽なのですが。
    問題文に「少なくとも」と書かれているときは、その反対を考えると楽に解けることが多いです。
    確率で言う「余事象」というものです。
    「特定の2人のうち少なくとも1人を選ぶ」ことの反対とは何か?
    それは、「特定の2人を選ばない」ことになります。
    もう少し具体的に考えてみましょうか。
    例えば、ここで特定の2人をAさんとBさんと名付けましょう。
    この2人の選び方は、以下の4通りあります。
    「AさんもBさんも選ぶ」
    「Aさんを選ぶ。Bさんは選ばない」
    「Aさんは選ばない。Bさんを選ぶ」
    「AさんもBさんも選ばない」
    他の選び方はないですよね?
    さて、ここで、2人のうち少なくとも1人を選んでいるのは、どの選び方か?
    上から3つ目までがそうです。
    最後の4つ目だけが、それとは異なる選び方となります。

    だから、「特定の2人のうち少なくとも1人を選ぶ」ことの反対は、「特定の2人を選ばない」ことになります。
    ということは、上で求めた、何の条件もない選び方455通りから、特定の2人を選ばない選び方13通りを引けば、この問題の答えとなります。
    よって、455-13=442
    442通りが答えです。

    この考え方を、スパンと理解して、
    「あー!場合の数、面白い!」
    と言う高校生と、
    「それ全然わかんない」
    という高校生と、はっきり分かれます。

    例として出したAさんとBさんが、むしろ悪影響を及ぼすこともあります。
    「では、CさんとDさんの場合はどうなるんですか?」
    という質問を受けることがあります。
    ・・・・いや、AさんとBさんだけが特定の2人です。
    「特定の2人」と問題に書いてあるので、その2人にAさん・Bさんと名付けたのです。
    CさんやDさんは、特定の2人になることはありません。
    「他の場合もあるんじゃないんですか?」
    ・・・・ありません。
    他の場合とは、では、どんな場合があるの?
    「何かありそうな気がする」
    ・・・・それは、気の迷いでしょう。

    このやりとりで高校生に納得してもらえることのほうが実は少ないのです。
    そして、こうした質問に対し、具体的に全ての場合を書いていくには、442通りは、あまりにも数が多い。

    「場合の数と確率」という単元は、思考のサーフィン。
    上手く波に乗れると楽しくて大好きになる単元ですが、どうしても波に乗れないこともあるようです。
    場合の数の考え方の何かが肌に合わない、ということなのかもしれません。
    ここは、一種の思考訓練と考えましょう。
    自分の考え方のどこが間違っているかを究明しようとして迷宮を彷徨うよりも、自分の知らない新しい考え方を理解することに専念することをお勧めします。
    それは「数学的思考」というものへの道を開く鍵かもしれません。
    どうか頭を柔らかく。

      


  • Posted by セギ at 12:53Comments(0)算数・数学

    2018年04月25日

    円順列の考え方。円卓は平等なんです。


    順列は順番が重要です。
    小学校でも「並べ方と組み合わせ方」という単元で学習しますし、中学でも「場合の数と確率」で学習するのですが、何回学習しても、結局、順列とは何であるか曖昧になってしまう子がいます。
    順列だけ考えてもよくわからないので、組み合わせとの違いを意識するとわかりやすくなります。

    例 30人の生徒のうちから学級委員と副学級委員を選ぶ方法は何通りあるか。

    樹形図をイメージしながら考えます。
    まず、学級委員を選ぶ方法は、30人いますから、30通りあります。
    その30通りについて、それぞれ、副学級委員を選ぶ方法は、学級委員に選ばれた1人を除いた29通りあります。
    1人の学級委員から、29本の枝が広がる樹形図がイメージできます。
    よって、式は、30×29=870
    870通りが答えです。
    これが順列です。
    学級委員にA君が選ばれ、副学級委員にB君が選ばれた場合と、学級委員にB君が選ばれ、副学級委員にA君が選ばれた場合とは、異なるものとなります。
    順番が重要。
    それが順列です。

    例 30人の生徒のうちから学級委員を2名選ぶ方法は何通りあるか。

    今度は、学級委員が2名で、その2名に「正」「副」はありません。
    ならば、学級委員にA君とB君を選んだ場合と、B君とA君を選んだ場合は、同じものとなります。
    順番は関係ない。
    これが組み合わせです。
    式は、(30×29)÷(2×1)となりますが、この話はまたいずれ。


    例 5人でリレーをするとき、走る順番は何通りあるか。

    これは順番が重要ですから順列ですね。
    樹形図をイメージしながら式を書いていくと、まず第1走者は5通り。
    そのそれぞれに対して、第2走者の候補は、4通り。
    そのそれぞれに対して、第3走者の候補は、3通り。
    そのそれぞれに対して、第4走者の候補は、2通り。
    そのそれぞれに対して、第5走者の候補は、1通り。
    樹形図は規則的に広がっていきます。
    式は、5×4×3×2×1。
    これを「5!」と書き、「5の階乗」と読みます

    ところで、上の説明では「それぞれ」と書きましたが、教科書や参考書によっては、「おのおの」と書いてあります。
    最近、「おのおの」とか「めいめい」という日本語がわからないという高校生も多く、説明を読んでも理解できないことがある様子です。
    「そんな言葉、知らなーい」
    と高校生は気軽に言いますし、知らないことが若さの象徴であると思うのか、なぜか自慢げな様子さえ見られます。
    自分の知らない言葉は古い言葉、「死語」だと思うようなのです。
    しかし、それは自分が知らないだけかもしれません。
    そういう客観性は持っていたほうが良いでしょう。
    わからない言葉があったらそれをかみくだいて説明するのも私の仕事ですが、「おのおの」や「めいめい」は死語ではなく、書き言葉です。
    意味を覚えたほうが国語の読解などに役立つので、頑張って覚えましょう。
    「知らない言葉=死語」と思っていたら、語彙が増えないです。

    ここでもう1つ困るのが、最後の ×1 を省略したがる子。
    「こんなの無駄だ」
    と思うのか、省略して書かない子がいます。
    計算に影響しないけれど意味のあることだから書きなさいと促しても、書こうとしません。
    目先の面倒くささに書くのを省略しているだけですと、あとで本人が困ることがあります。
    自分の書いている式の意味がだんだんわからなくなり、組み合わせの学習に進んだときに、分母と分子の釣り合いが取れていない妙な式を書いても自分のミスに気がつかなくなることがあるのです。
    学習が先に進み、難しくなってくると、理解できなくなってしまう。
    それは、基礎の段階で本人が王道と外れたことをやってしまっているのが原因のことがあります。
    何千年の歴史のある数学において、現代まで残っているやり方には何か意味があるでしょう。
    「自分なりのプチ工夫」はやめたほうが良いでしょう。
    独創性や創造性は、そういうことではないと思うのです。
    むしろ、数学ができなくなる原因を自分が作っているだけかもしれません。

    話は戻って。
    樹形図をイメージすることで順列の公式の意味が理解できていれば、順列の基本問題は簡単です。
    しかし、「円順列」と「じゅず順列」は、それだけではよくわからないことがあるようです。

    冒頭の板書をご覧ください。

    例 5人が円卓を囲む方法は何通りあるか?

    円卓は、上座下座が存在しません。
    アーサー王と円卓の騎士』も、上下関係がないという意味で円卓が登場しますね。
    日本の内閣の閣議も円卓で行われます。
    いや、本当に上下関係はないのかなあと、ちょっと心がざわつく面がないわけではないですが、まあそれはさておき。
    一番上の画像をご覧ください。
    円卓は、図の上とか右とか左といった位置に意味はありません。
    重要なのは、互いの位置関係です。
    誰の隣りに誰がいて、その隣りに誰がいるのか。
    そういうことが並べ方として重要となります。
    画像にあるように、全体を少し回転させただけで位置関係が同じになってしまいます。
    それは、同じ並べ方ですす。
    ですから、普通の順列のように、5!で計算すると、同じ並べ方を何回もダブって計算してしまうことになります。

    では、その計算方法では同じ並べ方を何回カウントしてしまうのか?
    Aの位置に着目して考えれば、5個の席の分だけ、つまり、5回同じ並べ方をカウントしていることになります。
    だから、5!÷5 で本当の並べ方の数が計算できます。

    一般化すると、n個の円順列なら、n!÷n です。
    それはつまり、一番初めのnを最初からかけなければ良い話。
    ですから、公式は、(n-1)!です。

    「円順列」の解説にはもう1通りあって、Aを回転させると同じ並べ方が何回も出てくることになるので、Aは位置を固定させます。
    そのAの周囲に、どのように人を配置するかで、円卓を囲む方法はダブらずに数えることができます。
    それは、Aを覗いた4人の順列で良いでしょう。
    だから、求め方は、4!
    公式は、(n-1)!

    この2つの解説のうち、理解しやすいほうで理解すればよいです。
    いずれにせよ、公式としては同じです。

    続いて、「じゅず順列」。
    円卓を囲む方法は、裏返したものは別の並べ方となります。
    人間が全員、足を上に向けて裏返ったテーブルを囲むということはありえないですから。
    しかし、じゅずや首飾りとなりますと、簡単に裏返せます。
    そして、裏返したからといって、その玉の並び方が急に別の並び方になるはずがありません。
    すなわち、じゅずや首飾りは、裏返した並べ方も同一のものとみなします。
    表と裏で、2通り。
    だから、円順列で求めたものをさらに2で割ります。
    これが、「じゅず順列」です。ヽ(^。^)ノ
      


  • Posted by セギ at 11:32Comments(0)算数・数学

    2018年04月23日

    檜原都民の森から御前山で道に迷いました。2018年4月。


    2018年4月22日(日)、奥多摩の三頭山登山口の都民の森から御前山を縦走しました。
    予報では今日の最高気温は28度になるとか。
    麓から登る低山では、体温が上がって動けなくなるかもしれません。
    そんなわけで、標高1000mから出発できる三頭山登山口から御前山を縦走することにしました。初めて歩くコースです。

    ホリデー快速あきがわ3号で終点武蔵五日市駅下車。
    駅前から数馬行きのバスで出発。9:00。
    4台同時発車ですが、そんなに混雑せず、立っている人はまばらでした。
    途中の登山口で下りていく人が多く、終点数馬まで乗ったのは10人ほど。
    バスが乗客で満員のときは、そのバスのまま都民の森まで上がってくれるのですが、この人数ですと、それぞれのバスの乗客が1台のバスに集まり、都民の森へ。
    数馬から都民の森までのバスは無料です。

    都民の森。10:10。
    支度をして出発。
    入口からまずは森林館まで歩いていきました。
    ガイドブックには「木材工芸センターの先で、右の生活の森外周コースへ入る」とあります。
    この道かなあと思って、右手の斜面の登山道を上がっていくと、その道は都民の森の入り口に繋がっていました。
    戻ってどうする。

    もう一度、森林館に戻り、奥多摩の登山地図の裏側にある檜原都民の森の詳細図を見直して、出発。
    鞘口峠への分岐を見送って少し直進すると小屋が。
    これが炭焼き小屋かな?
    そこに「里山の路」を示す掲示がありました。
    これだー。ヽ(^。^)ノ
    里山の路の登山道は、斜面をジクザグに登っていきます。
    かなり高度を上げたところでようやく「至 風張峠」の掲示がありました。
    それでも何となく不安がぬぐえません。
    トウゴクミツバツツジの濃いピンク色が鮮やかな新緑に映える、明るい初夏の山なのですが。
    ジクザグ道が終わり、山頂も近いことが感じられるようになった頃、登山道の左側に道しるべがありました。
    しかし、道しるべは「鞘口峠」を示すのみです。
    風張峠へは、どう行くのだろう?
    とりあえず、道しるべは無視して登っていくと、砥山山頂。11:15。
    小さな山頂標識だけがポツンと立っているピークでした。
    ここからどう行くのか、道しるべはありません。

    ガイドブックには「鞘口峠からの道をあわせた所が砥山。狭い尾根道を緩やかに下り、倉掛尾根への道を右に分けて・・・」とあります。
    試しに、そのまま尾根を直進しますと、道は急な下りにさしかかりました。
    降りられないほどの下りではありませんが、ガイドブックにある「緩やかな下り」がこれを差すのでしょうか。
    この道じゃないのかな?
    再び、檜原都民の森詳細図を見ました。
    登ってきた「里山の路」は、赤字で記されていますが、砥山と思われるピークの手前でV字に曲がっています。
    その後、再びV字に、すなわち逆Zを描いて、風張峠につながっているのでした。
    これは、あの道しるべのあった下りの道が正解なのか?

    砥山山頂から、あの道しるべまで再び戻り、下っていくと、確かにここは緩やかな下りでした。
    そして、Z字に戻るポイントを発見。
    そこには「風張峠」を示す掲示がありました。
    ちょうど通りかかった男性登山者がいたので、道を譲りました。
    都民の森で大勢の登山客と別れて以来、初めて見かけた登山者です。
    先行者がいると、ほっとします。
    とはいえ、その道は崖っぷちの巻き道でした。
    道幅30㎝から40㎝。
    ときどき、足1つ分しかないところもあります。
    歩けないわけではないのですが、ストレスが強いです。
    一番嫌いなタイプの道が延々と続きます。
    こんなに険しいとは想像していなかった・・・。
    今回の道の危険個所は、小河内峠から惣岳山までの痩せ尾根のみと思っていたのに、何でしょう、この険しさは?

    崖っぷちの巻き道に右から尾根が合流しました。
    これは、先程、違うだろうと思って降りるのを止めた尾根なのでは?
    あっちを歩いても、同じところに合流できたのなら、尾根の急坂を下ったほうが良かったのかもしれません。
    とりあえず、崖っぷちではなくなった分、道幅が確保され、少し歩き易くなりました。
    ここは、ハセツネのコースだと思うのですが、大半の人がここを通るのは夜中です。
    夜中にこんな道を歩くのですか・・・。
    さすがにレース中最大の難所と呼ばれるだけのことはあります。

    道路が近いので、下からはバイクの音が上がってきているのですが、道は相変わらず険しいままです。
    また崖っぷちです。
    帰って、別のガイドブックで確認したら「悪路。転落注意」と書いてありました。
    知らなかった。(;゜0゜)
    先程、道を譲った男性が戻ってきました。
    え?なんで?
    少しの隙間で何とかすれちがいました。
    不安が増します。
    私も戻りたいなあ。
    でも、戻るには、もう一度あの道を歩かねばなりません。
    怖いなあ。

    風張峠は、どこがそれなのかよくわからないまま、奥多摩周遊道路を下に見る登山道が始まりました。
    ここがまた案外険しいのでした。
    下の道路に降りたほうが楽なのでは?
    少し岩がちだったり道幅が狭かったりする道を歩いていきます。
    いったん車道に出て、しばらく行くと、また道しるべに従って山道に戻ります。
    樹林帯の斜面をトラバースしていく道です。

    ここで、道に迷ったのです。
    どこかで、V字に戻るように斜面を上がっていくポイントがあったのだと思います。
    私は気づかず、直進してしまったのでしょう。
    あたりは木の根で土が固く、踏み固められている印象があり、登山道を外れていることに気づきませんでした。
    歩きにくいです。
    でも、それまでの道もそんなに歩きやすかったわけではないので、道から逸れてしまったことに気づきませんでした。
    どんどん道が悪くなります。
    何でこんなに険しいんだろう?
    ここは本当に登山道なのかな。
    そして、崩落個所まで直進してしまい、もうその先を歩くのは危険と判断せざるを得ませんでした。
    ああ、ここは道ではなかったんだ。
    どうしよう?
    今の道、ひき返すのも怖いなあ・・・。
    ひき返すのもまた勇気。
    いや、それはそんな意味ではありません。

    とりあえず尾根に上がることにしました。
    樹林帯ですので、足許は木の根に固められた地盤で、登っていくのに不都合はありません。
    比較的楽に尾根に上がることができました。
    尾根は広くなだらかで、踏み跡もありました。
    ここは、月夜見山の尾根に間違いないでしょう。
    少し下っているようなのは気になりましたが、とりあえず今までと同じ方向に進んでみました。
    しばらく歩いていくと、道しるべが。
    「月夜見第一駐車場」を示す道しるべでした。
    「月夜見山」を示す矢印は、逆方向。
    知らないうちに山頂を過ぎていたんだ・・・・。

    広い尾根を戻っていくと、程なく月夜見山山頂がありました。12:40。
    眺望のない、樹木に囲まれた山頂ですが、標識とベンチがあるだけで、ほっとします。
    わあ、ここは普通の登山道だ。
    ああ、良かった。

    予定時刻より1時間も遅くなっていました。
    しかし、来た道を戻るのは本当に嫌です。
    でも、周遊道路に降りてもバス便はないし。
    御前山まで行けば、下山は奥多摩都民の森の道を行く予定だから。
    歩いたことはないけれど、都民の森なのだから、そんなに険しくはなさそうです。
    暗くなる前に下山できそうなので、予定通り御前山に行くことに決めました。

    月夜見山から周遊道路までの下りは、今までと比べれば歩きやすい道でした。
    いや、先刻は登山道ではないところを歩いていたので、比べる対象がおかしいのでしょう。
    最後の木段を降りていくと、周遊道路。
    登山道から月夜見第二駐車場は見えていたので、自信を持って道路を右に。

    月夜見第二駐車場。12:50。
    そんなに広くなく、舗装もされていない駐車場でした。
    道しるべに従い、まずは小河内峠へ。
    明るく広い斜面を降りていきました。
    上の画像は振り返って撮影したものです。
    どんどん降りていくと、その後は小ピークが繰り返されました。
    ガイドブックに「どのピークにも巻き道がある」と書いてあったので、安心して巻き道へ。
    崖っぷちの道ではありますが、今までと比べれば道幅も十分あります。
    砥山から月夜見山までの道は、あれは本当に狭かった・・・。
    ときどき、御前山から下山してくる人がいます。
    もうそんな時刻ですよね。

    小河内峠。13:25。
    全て巻き道を歩いたこともあり、随分早く着きました。
    ベンチもあり、眺めも良かったので、ここでおにぎりを1個。
    若葉の向こうに、雲取山と奥多摩湖が見えます。
    しかし、おにぎりが呑み込めません。
    やはり、かなり暑さにやられていました。
    怖さのほうが先に立ち、暑さは苦にならなかったのですが。
    水分補給は意識して多めにしていたのと、怖くて速く歩けなかったので体温上昇が少なかったのも幸いしていたのでしょう。

    さて、ここから道は急な登りに。
    さらに、ガイドブックにも明記してある危険個所が現れます。
    痩せ尾根が続く道です。
    奥多摩湖側が特に切れ落ちているので、注意を呼びかける看板などもありました。
    しかし、ここの痩せ尾根は、常識的な範囲の痩せ尾根でした。
    道幅は1メートルはありました。
    登り道ということもあり、拍子抜けして通過。

    痩せ尾根が終わると道は2つに別れました。
    左の道は岩がちの直登。
    右は巻き道。
    ここも巻き道を選択。
    崖っぷちの道が嫌なら、巻き道を選ばなければ良いのですが、道は確実に良くなってきていましたので、大丈夫そうでした。
    予想通り、ここも常識的な道幅の巻き道でした。
    足許には、ヒトリシズカやカタクリ。
    そう言えば、来た道の足元には常にスミレやフデリンドウが咲いていました。
    花を愛でる余裕すらなかったなあ・・・

    巻き道が終わると、カタクリの咲く急登の道。
    暑さが堪えますが、カタクリに心が和みます。
    一歩一歩進みました。
    惣岳山。14:35。
    やっと、見覚えのあるところに来ました。
    はあ、大変だった。
    ここからは、両側を柵で保護されたカタクリの道です。
    大半は木段で、最後の登りを行きます。
    御前山まで案外距離があるし、高低差もあるので、焦りは禁物です。
    木段にまではみ出して咲くカタクリを眺めながらゆっくり登っていきました。

    御前山。14:55。
    山頂は無人。
    御前山に人がいないなんて初めてです。
    こんな時刻だから無理ないのですが。
    下山口の境橋のバスは、16:29の次は、17:21。
    これには間に合うでしょう。
    山頂でゼリー飲料を飲んで、さて出発。

    来た道とは反対側へとまずは木段を降りていきました。
    途中、鋸山方面への道と別れ、御前山避難小屋の前を通過。
    水場は飲料不可とのことですが、きれいな避難小屋でした。
    このあたりは奥多摩都民の森。
    散策道なども交差していますが、各ポイントに地図が掲示され、ここはどこかを記されているのでわかりやすいです。
    道しるべも完備されています。
    ときどき急坂もありますが、トレッキングポールがあれば楽に下れる程度の急坂です。
    基本は整備された緩やかなS字の道で、どんどん下山できました。
    やはりこの道を下山路に選んで良かった。
    舗装された遊歩道を横切り、道しるべの通りに登山道を降りて行くと、だんだん道が細くなり、湿った感じになってきました。
    沢が近いのでしょう。
    広い舗装道路に出ました。16:00。

    道の脇には「滑りやすいので注意」という看板が立っているのですが、舗装されているので滑るはずもありません。
    あまりにも滑りやすいから舗装したのでしょうか。
    歩きやすくて良かったとどんどん下っていくと、分岐が。
    左は、このまま舗装道路。
    右は沢沿いの登山道。
    登山コースとしては、沢沿いの登山道が示されています。
    しかし、いったん舗装道路に出たので気持ちが切れて、沢沿いの登山道を行くのは気が進みません。
    でも、登山地図を見ると、舗装道路はかなり回り道です。
    うーん、としばらく考えて、沢沿いの登山道を選びました。
    しかし、この道がまた険しかった。( ;∀;)

    沢沿いですから、石がゴロゴロしています。
    段差の大きい岩の下りもあります。
    岩がちな道なので踏み跡が残りにくいため、ピンクのテープを良く見て歩いていかなければなりません。
    木橋で幾度も沢を渡ります。
    桟道も多いです。
    ひとつひとつはそんなに難しくはなく、桟道も木橋も十分な幅があるのですが、最後の最後にこの道は気持ちが疲れました。
    いつまで続くのー?( ;∀;)
    ただ、随所に滝など風光明媚な箇所があり、清涼な沢にワサビ田もありました。
    気持ちに余裕のあるときに歩いたら面白い道だと思います。

    やっと道の先にカーブミラーが見えてきて、ポンと道路に出ました。16:50。
    もう何があっても驚かない。
    境橋の道路に出るために吊り橋があったとしても、驚かない。
    そう思っていましたが、舗装道路を淡々と下っていくと、普通にバス道路につながっていました。
    境橋はトンネルとトンネルに挟まれた青い橋。
    そこにバス停がありました。17:05。
    左右をよく見て道路を渡り、バス停のベンチに座って、ようやく安堵。
    17:21のバスのために時間を見て下山をしてくる人が多いのか、すぐにバス停は行列になりました。
    こんなに多くの人が私の後ろを歩いていたのですね。
    誰にも会わず、本当に静かな山と思っていたけれど。
    バスは増発便がほぼ定刻にやってきました。
    さあ、奥多摩駅で下りたら、もえぎの湯に行こう。

      


  • Posted by セギ at 13:13Comments(0)

    2018年04月18日

    自宅では勉強しない主義?


    数年前、高校3年生の女子生徒が、とにかく授業を増やしたい、空いているコマに全部入りたいと言い出したことがありました。
    そのとき、コマは全て埋まっていましたので、そもそも無理な話ではあったのですが、違和感もあり、よくよく話を聞いてみると、『ビリギャル』に影響を受けてのこととわかり、さらに複雑な気持ちになってしまいました。

    学年ビリのビリギャルが、偏差値30上昇して有名大学に合格した話。
    そういえばそんなのがあったなあ、と思い出される方も多いと思います。
    の舞台となった塾は、講師を何人も抱えている個別指導塾のようです。
    システムの詳細はわかりませんが、自習ブースが沢山あり、そこで勉強して疑問点があると講師に質問したり、自習の前後に、あるいは途中に講師と学習内容を打ち合わせたり確認したりする様子です。
    つきっきりの完全1対1の個別指導ではないようでした。
    その自習が「授業」ということで、1コマあたりの授業料が設定されているのですが、年間200万円払うと通い放題なんだとか。
    彼女は、その「通い放題」に憧れたようなのです。

    「また、ビリギャルですか」
    ため息をついた私に、彼女は言いました。
    「ビリギャルはお母さんが200万円出してくれたんだよ。いいなあ。うちなんか・・・」
    「あの本を読んだ最終的な感想が、それですか?」
    「別に、それだけじゃないけどさ・・・。家だと勉強できないんだよ」

    ビルギャルの本に影響を受けて、自分も頑張ればできるようになると思ってくれるのは良い影響です。
    しかし、200万円で塾に通い放題なら自分も勉強ができるようになると思うようでは、がっかりしてしまいます。
    200万円出してくれたお母さんは、良いお母さん。
    あれは、そういう話なんでしょうか?

    その子は、私の提示する英単語暗記1週間分を塾に来る30分前に慌ててやっていました。
    当然、ほとんど暗記できず、
    「無理だ」
    を連発していました。
    家で勉強できないなら、確かにそういう結果になるのです。
    しかし、なぜ家で勉強できないのでしょう?


    今年、高校3年生の女子生徒が、コマを20:00からのに変更したい、空いていないかと問いあわせてきました。
    20:00からのコマは、部活のある中高生に人気の時間帯で、そのコマからほぼ埋まっていきますから、そのときは空いていませんでした。
    それにしても、高校3年生ならもう部活もないので、むしろ夕方明るいうちのコマに変更しても良いと思うし、今までの高校3年生はその方向で時間帯を変更することが多かったのです。
    なぜ夜遅くのコマに変更したいのかと問うと、学校が8時まで自習可能なので、できるだけ学校に残って自習し、その後で塾のほうが都合が良いというのでした。

    学校が夜8時まで自習可能・・・・。
    生徒がそんな時間まで学校に残っているということは、学校の先生たちもそんな時間まで残っているということ。
    学校の先生たちの労働条件はどうなっているのだろうと心配になってしまうのですが、それはともかく、ここでも、自分の家で勉強できず外で勉強する今の高校生の一端が見えたような気がしました。
    そういえば、「自分の部屋では勉強するな」とアドバイスをしている受験マンガもあります。

    図書館などに行って勉強する習慣というのは、私が高校生の頃からありましたから、そのこと自体は特別新しいことではありません。
    私も気分を変えて図書館に行くことはありましたが、そうやって外で勉強するのはイベント感が強く、たまにやることで、普段は自分の部屋で勉強していました。
    中学生くらいまではリビングで勉強したりもしましたが、高校生になると、自室で集中したい。
    正直、私は自分の部屋で勉強するのが一番集中できます。
    外で勉強するのは、どうしても時間が限定されますし。
    自分の部屋で集中できるなら、時間は無尽蔵です。
    受験のために毎日5時間勉強するのだとしたら、学校の図書室や自習室で2時間プラス自分の部屋で3時間くらいが良いバランスと感じます。
    自分の部屋では勉強できないとなると、学習時間の総量がどうしても減ってしまう懸念があります。
    外だけで毎日5時間は確保しづらいです。
    それに、自分の部屋はいろいろと便利です。
    わからない問題があったとき、これはあの参考書に類題が載っていた気がすると、すぐに手を伸ばして調べられます。
    自分の部屋以外で勉強するときは、手元には持ち運べる分の勉強道具しかありません。
    重い辞書の変わりに電子辞書を使うようになったりと、勉強道具はかなり軽量化されたけれど、良い参考書は今も重いし、使う参考書は1冊ではありません。
    自室は誘惑が多いとはいうけれど、誘惑にそんなに毎度毎度負けないでしょう?
    目標があるとき、人間は、そんなに負けないです。

    とはいえ、そういう精神論で済む話でもないのでしょう。
    どうも、近年の高校生は自室では勉強に集中できないらしいのです。
    どういうことだろう?

    それで思い出したことがあります。
    数年前、高校生の男子生徒に授業をしていたときのこと。
    定期テスト直前の授業だったのですが、英語のテスト範囲をその子は把握していませんでした。
    人なつっこい性格で、学校でも人気のある子だろうと想像されましたし、数学は抜群にできたのですが、そういう雑なところもある子でした。
    テスト範囲がわからない?
    どうするの?
    と問いかけると、その子は、ちょっと待ってと言って、メールを打ち始めました。
    そして数分後、テスト範囲の詳細を記した返信が届いたのです。
    ともかくテスト範囲がわかったので、その範囲の勉強を始めました。
    「コミュニケーション英語」の本文の和訳で、学校の先生はここをどう訳していたの?と私が問いかけると。
    その子はまたメールを送り、数分して、該当部分の授業ノートを撮影した画像が届きました。
    女の子のきれいな文字で記されたノートでした。
    こうしたことが日常で行われているのだとしたら、これは・・・。

    テスト前ですから、その女の子も勉強していたでしょう。
    それでも、その男子生徒からのメールに最優先で応じていました。
    その時間、彼女は自分の勉強を放棄しています。
    これは、ちょっと問題だぞ・・・。
    そういうことはやめなさいと注意し、以後、私の前でそれをすることはなかったのですが、何が問題であるのか、その男子は問題の根本を理解したかどうか・・・。
    「えー?邪魔なら、無視すればいいじゃん」
    要求するほうは、その程度の気軽さなのです。

    そのことと考えあわせると、例の「200万円通い放題」をうらやましがる女の子から、そういえば以前こんな話を聞いたことがあったのも思い出しました。
    毎朝、Twitterで「おはよう」とフォロワー全員に挨拶するのに20分かかるというのです。
    Twitterって、朝の挨拶が必要なツールでしたっけ?
    インターネットの利用の仕方は、世代によって全く異なります。
    身近な友人や知り合いよりも、顔も名前も知らないネット上のつながりのほうが優しくて切実で他に変え難いところもあると、わからないわけでもないのです。
    でも、それは幻想でもあります。
    青い鳥の寓話を待つまでもなく、幸せは身近なところにあるよ。
    本当にあなたを心配している人は、あなたの近くにいるよ。
    そのことも含めて、ネットにのめり込む子は心配になります。
    しかも、その子がやっているのはTwitterだけではありませんでした。
    LineはLineで、現実の顔見知りと、もっと頻繁な、ほぼ1日中のコミュニケーションが必要とのこと。
    つまり、1日中、スマホに触わっているのが日常なのでした。
    塾での授業中も、机の上にスマホを置き、返信まではしないものの、誰かから連絡が入る度に確認することはやめられない様子でした。

    本人にも自覚はあり、勉強に集中するためにTwitterはやめるLineをやめるとアカウントを消すのですが、ひと月も経つと復活しているのでした。
    一種の依存症だったのかもしれません。
    スマホの習慣性の怖さ、それで失われる時間の長さについては近年よく言われるようになりましたが、他人事でなく、ごく身近に迫っている課題となっています。
    顔も名前も知らないTwitterのフォロワーに朝の挨拶をするのに毎日失われる20分。
    それは、本当に必要な人間関係なのだろうか・・・・。
    それが必要な人もいると思います。
    世界とのつながりがそれしかない人もいるでしょう。
    それが命綱の人もいると思います。
    大切な人間関係かもしれません。
    しかし、彼女は果たしてそうなのだろうか・・・。

    スマホのことをあわせて考えてみると、高校生が自分の部屋で集中して勉強できないのは、つい勉強以外のことをしてしまうというだけのことではなさそうです。
    何より、スマホが集中の妨げになっているのかもしれません。

    勉強を始める。
    数分で友達からLineに連絡が入る。
    スマホを手に持つ。
    友達に返信する。
    それだけでは済まず、つい、Twitterやインスタグラムなどひと通り見て回る。
    勉強しなくちゃと思い、再び勉強をする。
    友達からLineに連絡が入る。
    その返信をする。
    つい、Twitterやインスタグラムをひと通り見て回る。
    あまり時間が経っていないので大きな変化はない。
    物足りないので、ついでに動画を見てしまったり、ゲームをしたり。
    ひと通りやって、勉強しなくちゃと思い、再び勉強をする。
    友達からLineに連絡が入る・・・。
    この無限ループにはまって、自分の部屋では勉強できなくなっている高校生はいないでしょうか?
    いや、これは大人もそうかも・・・。

    学校の自習室や塾の最大の利点は、そこがスマホ禁止だからでしょうか。
    スマホの電源を切り連絡を絶つ大義名分があるから。
    人間関係を壊さずにスマホから離れることが可能です。
    実際、テスト前の貴重な時間に、テスト範囲がどうのノートがどうのと問い合わせを受け続けて自分の勉強ができない、お人好しで真面目な女の子は、スマホから避難せざるを得ない状況があると思います。
    問い合わせではなくても「勉強してる?」といったどうでもいいLineの会話にもつきあわなければならないでしょう。
    勉強しているのにいちいち集中を削がれる。
    これはかなり問題です。

    賢い子は、そのあたりも上手にさばいているかもしれません。
    でも、上手くさばけない子も、いるでしょう。

    それを早めに察した保護者の方は、高校生にもスマホは与えず、インターネットに接続できない設定にしたガラケーしか持たせない場合も目にするようになりました。
    インターネットは、タブレットやパソコンを親の管理下で使用。
    自室には持ち込ませない。

    親の独断でそれを行うと反発される場合も多いでしょうが、お人好しの高校生で、友達に何かと重宝され、見方によれば善意を「搾取」されている子は、もしかしたら、自分からは言い出せないだけで、スマホを手放すことを望んでいるかもしれません。
    「親に取り上げられた」
    と友達に言い訳できるのなら、むしろそのほうがいい。
    そのほうが自宅での自分の時間を有効に使えます。

    一方、人間関係はそれで大丈夫なのか、不安もあります。
    1日中Lineでつながっているというのは、凄まじい相互依存です。
    それは、相手への依存なのかスマホへの依存なのか、既に判然としませんが、一方的に断ち切った場合、その後の人間関係に影響しないわけがありません。
    高校3年生になって、既にこの人間関係はあと1年。
    お互い、自分の進路のことで頭がいっぱいで、つまらないゴタゴタには関心が薄くなっている。
    人間関係が切れたら切れたで、それまでのこと。
    そう思いきれる時期でないと難しい決断かもしれません。

    スマホを長時間使用する子の成績は全体に低く、スマホの使用をやめればそうした子の成績は上がっていくという調査結果も出ています。
    スマホのせいで睡眠不足になるといった要因よりも、学習時間の質がスマホのせいで悪化しているのが何より大きいというのです。
    スマホがある限り集中して勉強できないのですから、それも自然なこと。
    塾などのために夜は音信不通になるのが常態の子のほうが、依存症になりにくいと言えるかもしれません。

    とはいえ、便利なはずなのに、生きにくい時代になったものです・・・。

      


  • Posted by セギ at 14:36Comments(0)講師日記

    2018年04月13日

    約数の個数に関する問題。



    数A「場合の数」の問題の1パターンとして、約数の個数に関する問題があります。
    これは、数A「整数の性質」でも、再度出てくる問題なので、どちらかで1回学習するという学校も多いと思います。
    例えば、こんな問題です。

    例題
    400の正の約数の個数を求めなさい。

    約数というのは、その整数を割り切ることのできる整数のことです。
    この問題は、「倍数・約数」の学習を終えれば小学生でも解けます。
    400でしたら、全部書いていってもそんなに手間のかかることではありません。

    約数の勉強を初めて行う小学生がよくやってしまうのが、小さい約数から順に書いていって、だんだんわからなくなって大きい約数を書きもらしてしまうこと。
    大きいほうの約数は、とびとびに出てくるので、考えていくのがだんだん面倒になって、もれてしまうのです。

    でも、これには解決策があります。
    400÷2=200
    のように「2」という約数
    を見つけたら、商である200も、400の約数です。
    だから、割る数と商とをセットで見つけていきます。
    すなわち、
    1と400
    2と200
    4と100
    5と80
    8と50
    10と40
    16と25
    20と20  あ、ここでつながった。
    だから、正の約数は、全部で15個です。
    こうすれば、書きもらしがありません。

    中学生や高校生に向けて言うのならば、400÷2=200 の2も200も400の因数です。
    400=2×200 と書いたほうがわかりやすいでしょうか。
    積の形で表される2も200も、400の約数です。
    しかし、この説明を当たり前のことと受け止める子もいれば、わり算がかけ算に書き換えられたことに驚いて、何がどうなったのかわからず混乱する子もいます。
    その子にとっては、わり算とかけ算は全く無関係のもので、頭の中でつながっていないようなのです。

    わり算とかけ算とは表裏一体のもの。
    こうしたことは、小学校の算数のどこかの単元でしっかり学習するというよりも、計算をしている間に本人が気づいているはずの概念なのですが、わり算とかけ算との関係について全く気付かず、中学生になり高校生になってしまう子も存在します。
    計算をしている間に、そうしたことに頭をめぐらせるということが一切なかったのかもしれません。
    計算しろと言われたら、ただ機械的にその作業をするのみで、その作業を通じて何かを考えることがないのでしょう。
    思考力の欠如とは、そういうことなのかもしれません。
    しかし、逆に、気づかない子にとっては「何でそんなことに気がつくと?」ということなのかもしれません。

    こうした数学的な規範は、誰に教わったということもなく、漠然と理解していることが多いです。
    十進法の仕組みなどもそうですね。
    十進法は、説明しようとすると、言葉遣いも難しくなる複雑な概念です。
    2進法や3進法が上手く理解できない子は、十進法を本質的には理解できていない可能性があります。
    一方、小学生でも理解している子は理解していて、だから小学生でも2進法や3進法の問題を解くことはできます。
    他にも、例えば、たし算とひき算との関係。
    かけ算とわり算との関係。
    たし算とかけ算との関係。

    こうしたことに気づかないまま中学生・高校生になると、数学でやっていいことと悪いことの判断が自力ではできず、思考の幅が狭くなるのかもしれません。
    方程式の計算を学ぶときも、なぜそれで計算できるのかを上手く理解できないまま、ただやり方だけ覚えて使うようになります。
    本来、自然に気づくはずのこと。
    自力で考えをめぐらせるはずのこと。
    それに気づかない子に「考えろっ」と命じて考えるようになるとは思えません。
    思考力を育てるというのは並大抵のことではないと思う日々です。


    話を400の約数に戻して。
    約数を全部書きだす問題ならば、小さいもの順になるように、両端からそれぞれのセットを書いていきます。
    書いていく段階では、約数の個数が何個あるのかわかりません。
    だから、解答欄の思い切り両端から書いていき、結局、真ん中に空白が出来たりします。
    それは仕方ないですよね。
    正解するためには、こうしたほうが、小さいものから順番に見つけていくよりも速く正確ですから。

    でも、小学生の中には、そういうことが気になって不機嫌になる子もいます。
    「あーあ、こんなに空いた!」
    と腹を立てて、ぐしゃぐしゃと消して、また1から書き直したりします。
    そして、結局、書きもらしてしまいます。
    ( ;∀;)

    重要なことは何であるか。
    優先事項は何か。
    そういう判断が少しズレてしまう子はそうなってしまいます。

    答案に隙間が出来るのがどうしても嫌なら、まずメモをとって、それを解答欄に書き写せば良いのですが、それはそれで面倒だから嫌だと拒絶します。
    結果、約数を全て書きだしていく基本問題ですら正答できるかどうかわからない、薄氷を踏むようなことになる子がいます。

    きれいな答案を書くことが最優先な子は、もう仕方ないので、小さい順に約数を書いていきましょう。
    しかし、いつでも商を意識して、
    400÷20=20
    と、約数と商が一致、あるいはその間に他の約数はないと確認したら、その先は、これまで出た約数で割った商を順番に書いていくように指導します。
    すなわち、
    1,2,4,5,8,10,16,20まで来たら、
    次は、16で割った商の25。
    次は、10で割った商の40。
    次は、8で割った商の50。
    というふうに逆流するように考えて書いていけば、もれなく書いていけるでしょう。
    同じ計算を2回することにはなりますが、折衷案として有効です。

    とはいえ、どんなやり方でも、400の約数16は、書きもらしやすいものです。
    25のほうが思いつきやすいので、16をとばしてしまった自分の答案を見直して、
    あれ?25がないのは何でだ?
    あ、400÷25=16かー。
    16があったー。
    と気がついて修正できれば上出来です。

    このように、人間のやることにはどうしてもミスがつきまといます。
    高校数学の「場合の数」は、「全て書きだしていく」のは万策尽きたときに行うことで、計算できるものなら計算で求めたいです。
    では、約数の個数は、どうやったら計算で求められるのか。
    それが高校数Aで学習する「約数の個数の求め方」です。

    400=1・400
    400=2・200
    と、かけ算の形にしてみると、約数というのはその数の因数なのだと気づきます。
    ならば、素因数分解をしてみれば、何かわかるのではないか?
    というわけで、400を素因数分解してみると、
    400=24・52
    (全角の数字の後ろに書いた半角の数字は指数です)

    これらの素因数を使ったり使わなかったりする組み合わせで、全ての約数は表されるのではないか?
    2や5を1回も使わない場合、それは「1」とします。
    実は、2の0乗や5の0乗が1なのですが、それは、数Ⅱ「指数関数」の学習をする際に、また詳しく勉強します。
    2や5を1回も使わない場合が、20・50=1×1=1。
    2を1回、5は0回使うのなら、2・50=2×1=2
    2を2回、5は0回使うのなら、22・50=4×1=4
    このようにして、縦に5を使用する回数、横に2を使用する回数を書いた表を作り、その縦横の積として、400の約数が全て表されます。
    ということは、表のマス目の数だけ約数があるということです。
    縦は、5の0乗、5の1乗、5の2乗の3列。
    横は、2の0乗、2の1乗、2の2乗、2の3乗、2の4乗の5行。
    したがって、3×5=15(個) の約数があることがわかります。
    すなわち、素因数分解したときの各素因数の指数に+1をしたもの同士をかけたら良いのですね。
    5は2乗なので、2+1の3。
    2は4乗なので、4+1の5。
    その3と5をかけます。
    +1をするのは、0乗の分があるからです。
    こうやって計算で求めたら、数えもらしの心配がありません。
    これが約数の個数を計算で求める方法です。
    400の正の約数の個数は、3×5=15で15個です。
    ヽ(^。^)ノ
      


  • Posted by セギ at 12:32Comments(0)算数・数学

    2018年04月11日

    英語教育改革はどこまで有効か。


    中学生の好きな科目第1位は、保健体育。
    嫌いな科目第1位は、英語。
    ある通信教育会社の調査結果だそうです。

    嫌いな科目第1位は、数学ではないのですね。
    数学は、案外固定ファンがいるからかなあ。ヽ(^。^)ノ
    などと吞気なことを言っている場合ではなさそうです。
    英語という科目が、中学生にそんなに嫌われていたとは。

    昨年の都立入試の社会科で、日本・中国・韓国の世界競争力順位、英語力のアジア内順位、海外への留学者数を比較して記述をする問題がありました。
    2005年と2011年のデータを比較すると、
    ◎世界競争力の順位
    日本は19位から26位へ。
    中国は29位から19位へ。
    韓国は27位から22位へ。
    ◎英語力のアジア内順位
    日本は28位から28位へと変わらず。
    中国は15位から14位へ。
    韓国は20位から7位へ。
    ◎海外への留学者数
    日本は64,273人から35,731人へ。
    中国は403,527人から650,632人へ。
    韓国は100,800人から127,832人へ。

    2011年のデータではもう古いのかもしれませんが、最新のデータがそれほど改善されている期待も持てないのが現状でしょうか。
    こうしたことを踏まえ、今、英語教育に大ナタが振るわれようとしています。

    とはいえ、このデータを示されてさえ、
    「国がグローバル人材育成戦略を発表した理由を述べよ」
    という記述問題で、
    「日本人は、中国・韓国人よりも英語能力が高く、国際的に活躍している」
    という記述をしてしまう子もいて、ちょっと待て、英語教育より日本語で書かれたデータを正確に読める教育のほうがまず必要だ、と焦ってしまうのですが。
    このデータのどこをどう読むとそういう記述になるの?( ;∀;)


    ともあれ、なぜ中学生は英語が嫌いなのでしょうか?
    小学生では、「外国語活動」は好きな科目・活動の第3位なのだそうです。
    ちなみに、小学生の好きな科目第1位は体育で、これは小学生も中学生も変わりません。

    理由は想像できます。
    小学生の「外国語活動」は、昨年度までは評価の対象ではありませんでした。
    英語で楽しくゲームをしたり会話をしたり歌ったり踊ったりする授業で、特に評価はされません。
    書いたり覚えたり、それをテストされたりすることはなく、「勉強らしさ」がない。
    だから好きなのでしょう。
    しかし、中学に入り、英語は「主要5科目」に位置付けられ、ペーパーテストがあり、評価されます。
    そうすると途端に英語が嫌いな子が激増する・・・。

    英語が小学校高学年で正式科目となり、評価もされる今後は、小学生も英語が嫌いになるかもしれません。
    とりあえず、単語のスペルや簡単な文を覚えることが課せられ、そのペーパーテストが実施されるようになれば、英語が好きな小学生は今よりも減るだろうと予想されます。


    今回の英語の教育改革の目玉は「読む・聴く・話す・書く」の4技能で英語力を測定するという新しい基準が打ち出されたことです。
    それで大学入試も大きく変わると言われています。
    今までのような英語教育は全否定されている風潮すらあります。

    しかし、蓋を開けてみれば、2023年度まではセンター試験に代わる共通テストは相変わらず必須で、民間試験の活用は英語の得点の1割程度に抑える方向とのこと。
    さらに、東大は民間試験を利用しないことを発表しました。
    「聴く」に関しては、もう既に20年以上前からセンター試験には「リスニング」が課せられていますから、教育システムに組み込まれています。
    「読む」「書く」は筆記試験主体の英語教育にとってはむしろ得意とするところ。
    問題は「話す」技能が今後の入試にどう影響していくのか、です。

    これはさすがにネイティブの講師のいる英会話教室の指導が効果的ではないか?
    そういう大宣伝がなされている現状がありますが、大学入試における民間試験の活用が1割未満で、しかも4技能のうち「話す」はその4分の1ですから、「話す」能力が大学入試で問われる比率は、2.5%未満。
    うん
    結局、英語教育改革は、今の小学生は気にしなければならないけれど、中学生・高校生は、あまりそれに踊らされて先走り、読むことを軽視したりすると、むしろ不利になるかもしれません。

    英語の授業の評価基準に「話すこと」がどの程度影響するのかは、推薦入試を目指している人にとっては大切でしょう。
    話す能力が具体的にどのようにテストされ、それが成績にどの程度のウエイトを占めるか。
    高校英語教科書は、今年度から前倒しで新指導要領を踏まえた内容に修正されています。
    とりあえず、新しい「英語表現」の教科書は、過度に文法を強調することを避けるよう文科省から指導されているため、文法事項がまとめられていず散漫で、ゾッとするほど勉強しにくい構成になっています。
    進学校の英語の先生たちがこの教科書をどう扱うか、注目されます。
    今の大学入試は文法事項の重箱の隅をつつく問題は減りつつあり、実用的な英文や現代の評論を速読する能力を問われるものになっています。
    それにあわせ、高校も読解に必要な英文法を教えるようになってきました。
    日常会話レベルではない内容の英文を読み通すには、文法的把握をするほうが速く楽に読めるからです。
    まして、知らない単語がかなり含まれている英文を読むような場合は。
    高校英語の科目の名称が、今の「コミュニケーション英語」「英語表現」と変わったときも、リスニングと英作文で構成される「英語表現」の教科書を真面目にやっていたのは偏差値のそんなに高くない高校が多く、進学校は「英語表現」という名称の英文法の授業を行っていました。
    科目を細分化し、週に1回は「英語表現」の教科書を使ったリスニングと英作文の授業を行い、英文法の授業も独立して行う高校も多かったです。
    読むためにも話すためにも文法は必要だからです。
    入試問題を解くためにも。
    結局、今回も、浮わつかずに文法をしっかり教える高校が進学実績を伸ばすでしょう。
    「話すこと」を学習に加えるのに異論はないのですが。


    以前にもこのブログで書いたことですが、昔、勤めていた集団指導塾では3月に新中1英語準備講座を行っていました。
    10人ほどのクラスでしたが、それでも参加者の英語力はバラバラでした。
    中学受験の勉強に忙しく、英語は小学校の授業で少しやっただけの子。
    中学受験はしなかったけれど、英会話教室に通っていた子。
    中学受験はしなかったし、英会話教室にも通っていなかった子。
    既に身についている能力と、教わったことをすぐに習得できる能力とが、バラバラなのでした。

    当時、小学校の英語は書くことは全くやりませんでした。
    中学入学に際し、最も不安な点はそこです。
    だから、新中1準備講座は、とにかく英語を書いてみることが中心でした。
    まず、アルファベットの大文字を書いてもらいます。
    大文字を正しく書けない学力の子が、存在します。
    次に、アルファベットの小文字を書いてもらいます。
    中学受験生の中にも、小文字があやふやな子は存在しました。
    しかし、彼らは、覚える勉強には慣れていますので、翌週には身につけてきます。
    厄介だったのは、英会話教室に通っていて、英語には得意意識があるのに、小文字を書けない子が一定数いたことでした。
    しかも、そういう子は、書けない文字は翌週も書けないままであることが多かったのです。

    さらに単語のスペルの学習に進みます。
    CDから流れる単語を聴き取って、そのスペルを書く学習でした。
    「トマト」や「ピアノ」ならば、正しく書くことができても、「椅子」や「鳥」は正しく書くことができるようにならない子が存在しました。
    幾度練習しても、スペルを覚えることができないのです。

    中学受験生には、
    「スペルは、本当は規則があるんだけど、その規則自体が複雑だし例外も多いので、今のうちは、1つ1つの単語のスペルをいちいち覚えたほうが早いよ。漢字を覚えるようなつもりで覚えよう」
    と声をかけると、私の言いたいことをすぐ理解してくれて、子どもには不規則に感じるだろうスペルもどんどん書けるようになりました。
    一方、英会話教室に通っていた子たちの表情は、このあたりから暗くなっていきました。
    さらに授業が進み、「これは〇〇です」の文の練習になると、中学受験生は、もう英語学習の流れをつかんだ様子で、楽々と問題を解いていくようになります。
    しかし、英会話教室に通っていた子たちの中には、幾度説明しても冠詞aを書くことが身につかない子が現れます。
    音として聞き取れなくても、冠詞aは確実に言っているのです。
    しかし、そういう無音のタイミングを聴き取れない様子です。
    彼らには文法的にaが存在するはずという視点もありません。
    さらには、「これ」と「あれ」の使い分けができないという問題も発生します。
    英会話教室に3年間も通ったのに、確認テストで0点を取る子もいました・・・。

    そして、新学期。
    学力によって、クラスは2つに分かれます。
    中学受験生は、全員、上位クラスに入りました。
    英会話教室に通っていた子は、上のクラスに入る子もいますが、下のクラスに分けざるを得ない子もいます。
    そして、下のクラスに分けられた子の中には、塾を退会したいと言い出す子が現れます・・・・。
    結局、無理に上のクラスに置くことで退会を思いとどまってもらうしか引き留める方法がありませんでした。

    勉強が上手な子が英会話教室に通っていたのなら、問題ないのです。
    そのまま、中学のペーパーテストでも高得点を取り、発音がいいので英語の先生にほめられ、ALTの先生とも会話が弾みます。
    ますます英語が好きになります。

    でも、どこにでも、不器用な子はいます。

    英会話教室は楽しいのです。
    英語のあいさつ。英語の歌。英語のクイズ。英語のリズム体操。
    デジタルデバイスも沢山触われる。
    英語の動画。
    英語のゲーム。
    とても楽しい。
    ああいうのが、英語。
    楽しいのが、英語。
    小学校の英語の時間も楽しかった。
    クイズやゲームがいっぱいあった。
    ああいうのが英語。
    中学の英語は楽しくない・・・。

    中学校の英語も、勿論、授業中に音読したり聴いたり話したりということは盛り込まれています。
    しかし、テストは筆記試験とリスニングです。
    リスニングの割合は多くて2割。
    8割は筆記試験です。
    単語のスペルが覚えられないようでは、中学の定期テストで良い点は取れません。

    一方、中学校の英語の授業で話すことに力を入れて、「Show and Tell」の授業などをやることもあるのですが、全員にスピーチ原稿を書かせ、その発表会を行っていたら、たちまち1か月経ってしまいます。
    2か月進度に動きのなかった学校もあります。
    結果、学習進度が大幅に遅れ、中3の12月なのに教科書は半分も進んでいなかった学校も昨年度ありました。
    12月なのに、分詞も関係代名詞も学習していない。
    塾に通っている子は、もう夏期講習の頃には中学で学習する英語は終わっていますからいいですけれど、塾に行かずに勉強している子は、12月の段階で入試の英語長文を読むための重要な文法事項を知らないのでした。
    やり方にも問題があるのでしょうが、あれもこれもと「4技能」を詰め込まれても、学校の授業時間数には限りがあります。
    これでは、筆記試験が主体の現在の高校受験で良い結果が出せなくなるかもしれません。
    「話すこと」に踊らされず、それはそれとして、読解と筆記試験の学習をコツコツと深めていく子が高い成績を維持することは変わらないと思います。

    学校の5段階評定に「話すこと」のテストが大きく影響するようになればまた別なのです。
    しかし、実技系4教科のように、英語もペーパーテストよりも実技点のほうが大きく影響するようになるとは想像しにくい。
    「話すこと」の実技テストが加わるとしても、そこで点差が大きく開くことはないでしょう。
    現在の英検の1次試験に合格する子の大半は、2次試験に合格します。
    「話すこと」の評価基準が低いからでしょう。
    あるいは、「読む」「聴く」「書く」がそこそこ出来る子は、少し練習すれば「話す」テストに合格する実力は育っているということでもあります。
    リスニングも、高校受験レベルでは、余程不得意な子を除いて、点差の開かない分野です。
    全体に易しいですから。
    結局、点差が開くのはペーパーテストで、勝負どころはそこです。

    都立高校の英語入試に「スピーキング」が加えられるという情報はありますが、具体的な話はまだ一切見えてきません。
    どのように形で試験するのか、これから議論するという段階です。
    試験的実施すら何年先の話になるのか見当もつきません。
    5年後もまだ完全実施には至っていないかもしれません。
    今の小学生は気にしたほう良いですが、今の中学生・高校生は「4技能」という情報に惑わされて勉強の方向を間違えると、むしろ英語の成績が下がる結果になりかねません。
    今まで通り、英語を読んだり書いたり聴いたりする勉強をコツコツ続けることに加えて、スピーキングも視野に入れていく勉強をしていく必要があると思います。

    時代は変わりました。
    子ども向け英会話教室も、お遊び教室ではなくなっています。
    英検に合格できる英会話教室であることが1つの指標になった感があります。
    英検3級ですらライティングのある時代です。
    英会話教室も、「聴く」「話す」だけでなく、「読む」「書く」の学習に力を入れるようになりました。
    それでも、
    「週2回も英会話教室に通っているのに、成績は4止まり。やっぱり筆記試験に弱い」
    「英検タイプの問題には強いけれど、それに特化しすぎて、学校の定期テストで高い得点が取れない」
    と、今もうちの塾に問い合わせがあります。
    一方、学習塾も、「読む」「聴く」「書く」だけでなく、「話す」学習の強化を行っています。
    うちの塾も、毎回90分の中の一部として、英検の模擬面接を本人の実力にあわせて行っていきます。
    英検受検時には、ライティング対策にも時間をかけています。


    いつから英語を学ぶのか。
    どこで学ぶのか。
    正解は1つではないと思います。

    ただ1つ言えることがあります。
    勉強が好きな子は、英語教育がどう変わろうと今も昔もあまり問題がないのです。
    「先生、英語って簡単じゃね?」
    そんなふうに言います。
    「まあねえ。でも、じきに、泣くほど難しくなるよ」
    「・・・・泣くほどか」
    そう言って、笑っています。

    難しいことは、難しいから、面白い。
    勉強は、勉強すること自体が面白い。
    それを知っている子は、もう、一生大丈夫なんです。
      


  • Posted by セギ at 14:18Comments(0)英語

    2018年04月09日

    生藤山から奥高尾を縦走しました。2018年4月。


    2018年4月8日(日)、生藤山と奥高尾を歩いてきました。
    今回のコースは、18年ぶりです。
    三鷹発8:04、高尾で乗り換えて、藤野着。9:02。
    陣馬山一ノ尾根を歩くときのいつもの電車です。
    改札を出るとすぐに階段を下りて、バス停へ。
    相模湖行きのバスの右奥に和田行きのバス停がありました。
    既に大行列。
    相模湖行きのバスが出発すると、和田行きのバスが入ってきました。
    1台では到底乗り切れず、待機していた「回送」と表示されていたバスがバス停に入ってきました。
    私は2台目に座れてラッキーでしたが、2台目もすぐに満員。
    1台目にも追加で客をぎゅうぎゅうに乗せてもまだ乗り切れず、バス停に残ってしまった人たちがいました。
    あれから、バスは増発されたのでしょうか。
    こんなに混雑するとは、バス会社も予想していなかったのでしょう。
    桜の季節だし晴天だしで、お花見登山客でぎゅうぎゅう満員のバスは出発。
    陣場山一ノ尾根に登るときは歩いていくトンネルをバスで通過。
    その先も徒歩でいくときと同じ道です。
    バスは速いなあ。

    鎌沢入口下車。9:35。
    私の他にも大勢の登山客が下りました。
    ここは人気の登山口のようです。
    支度をして出発。9:40。
    生藤山へと登っていく林道につながる橋の工事中で、車は通れなくなっていました。
    歩行者用の何だか足許がふわふわする臨時の橋を渡って、まずは林道歩き。
    舗装された坂道を登っていきます。
    通りかかった近隣の方に、
    「行ってらっしゃい」
    と笑顔で挨拶され、足が弾みます。
    足許には、スミレ・ムラサキケマン・ミヤマキケマン・西洋タンポポ・オオイヌノフグリ・ヒメオドリコソウ。
    道の脇にはヤマブキ。
    見上げれば桜。
    花盛りの春の里山の道です。
    民家の庭先の花も色とりどり。
    目に染みるほど白いユキヤナギ。
    赤紫色のモクレン。
    鮮やかなピンク色のミツバツツジ。
    お茶畑が広がり、何だかいい匂いがします。
    お茶畑と桜の木と、後ろに里山。
    舗装されていて歩きやすいとはいえ大変な急坂が続きましたが、花を見て写真を撮りながらの道なのでさほど苦になりません。

    鎌沢休憩所。10:15。
    あずまやが1つとトイレが1つ。
    トイレは男女共有で1つなので、あまりここをあてにしないほうが良さそうです。
    トイレット・ペーパーもないので、紙のご用意も。
    巨木を形どったトイレは、でも面白く、雰囲気の良い休憩所でした。

    さらに登っていくと、ほどなく山道が始まりました。
    若い竹林から木漏れ日が差す明るい登山道を行きます。
    歩きやすい山道が続きました。
    初心者でも安心して歩ける、楽しい山道です。
    道の両脇ににょきにょき飛び出している、奇妙な形のミミガタテンナンショウ。
    木陰にそっと咲く、ヒトリシズカ。
    少し急登があると、また緩い登りになり、あまり息も切れずに甘水草分岐。11:05。

    ここは、桜並木があるのですが、桜の木が病気になり、花が咲かなくなったとの看板がありました。
    けれど、看板は古いものなのか、桜はつぼみをつけていました。
    病気は治ってきているのかな。
    頑張れ、桜。
    このあたりの桜は、来週が見頃でしょうか。

    三国山。11:25。
    まだお昼前なので、山頂はそれほど混雑していず、ベンチの1つに座ることができました。
    富士山は、山頂の一部に雲をまとい、ぼんやり見えました。
    桜は5分咲き。
    見頃はこれからの様子です。

    さて、ここから陣馬山へと縦走します。
    まずは生藤山。
    岩がちの登りを登っていくと、ほどなく山頂です。11:35。
    狭い山頂を越えて、本日一番の難所の急な下り。
    靴底がすり減ってきていて、砂地でグリップが効かないので余計怖さがまします。
    ここ、単純な岩場ならば、大した傾斜ではないのですが、砂の急傾斜でホールドが少ないのが難度を増しているんです。

    何とか通過し、そこからは歩きやすい気持ちの良い道がしばらく続きました。
    茅丸はまき道で通過。
    連行峰の分岐のベンチでちょっと休憩。
    そこから、道は少し険しくなってきます。
    鎖場などはないのですが、何となく急な下りが増えてきます。
    滑りやすい土や砂地のS字の下り。
    落ち葉の積もった木段の道。
    落ち葉の底に木の枝があり、乗ったら「石車」ならぬ「枝車」となってツルンと転んでしまうんです。
    落ち葉が多いのは、昨日までの強風の影響なのでしょう。
    岩がちな下りもときどき現れます。
    生藤山の人気と比べて、この辺りを歩く人が少ない理由は、この道の何となく険しいこの感じにあるのでしょうか。
    山の神からは再び登り坂も増えてきますが、登って下りて、また登って。
    気持ちも疲れてきます。

    醍醐丸。13:05。
    眺望はないけれどベンチがあるので、ここでいったん昼食にしました。
    おにぎりを1個食べ、さて出発。
    再び、岩がちな道を降りたり、また登り坂を上がったりを繰り返しますが、下に林道が見えてきて、この道の終わりを予感します。
    最後はジクザグの緩い下りから林道へ。
    林道を右に歩いていくと、和田峠。13:45。
    ここは林道なので、自転車やバイクの人が大勢休憩していました。
    茶店でひと息ついて、陣馬山へと木段を登っていきます。
    いったん木段を登り切り、春の里山の眺望を堪能し、また木段。
    少し平坦な道を行き、また木段。
    途中に「首都圏自然歩道改修工事」の看板が出ていました。
    平成30年3月下旬までとありましたから、もう終わっている工事なのでしょう。
    なるほど、木段がところどころ新しいものに変わっています。
    その看板、専門用語で書いてあるのが興味深かったです。
    土居木階段 35.0段。
    ・・・・どう読むのでしょう。「どきょぼく」?
    路面板 52.0段 
    デッキ状階段 19.0段
    擬木丸太ステップ 27.0段

    普段、「木段」と呼んでいるものそれぞれに、専門用語があるのだなあ。
    どれがどれに当たるのだろう。
    有効数字が小数第1位までなのが、ぞくぞくしますね。
    などと考えているうちに、陣馬山の広い山頂に到達しました。14:10。
    陣馬山の桜は種類によって満開。
    木段周辺の桜は、まだこれからの様子でした。
    富士山はまだ薄く見えていました。
    奥多摩の大岳山はくっきり。
    歩いてきた生藤山もくっきり。
    あそこから歩いてきたんだなあ。
    朝、鎌沢で下りて、何て遠回りをしてここまで来たのだろう。
    売店でコーラを購入し、また1つおにぎりを食べました。
    元気が出て、さて、ここから奥高尾の歩き慣れた道の縦走です。
    時間も遅いので、巻いて巻いていきます。
    明王峠。15:00。
    ここの桜はまだ5分咲き。

    景信山は巻きました。
    景信山の直下は眺望が開けます。
    若葉と桜に淡くこんもりとした山々の姿。
    明日などないように咲く桜の巨木から、はらはらと舞い落ちる花びら。
    思わず足が止まってしまう眺めでした。
    城山も巻いて、下から尾根道の桜を見上げました。
    城山付近の桜は満開の様子です。
    ようやく尾根道に戻ると、一丁平の桜も満開。
    ここは下り道から眺める桜並木が圧巻です。
    さすがに体力が尽き、紅葉台も巻きましたが、ミツバツツジが満開なのを下から見上げました。
    高尾山下。17:20。
    ここからも、ケーブル駅までが意外に長いのです。
    薬王院はもう閉まっていて、夜間通路を行きました。
    売店ももう大半は閉まっていました。
    男坂をたったか降りて、ケーブル駅へ。
    18:00発のケーブルに間に合いました。
    ケーブルの最終は、18:30です。

      


  • Posted by セギ at 12:27Comments(0)

    2018年04月04日

    場合の数と確率。順列について。



    初夏を思わせる陽気が続いていますので、涼を呼ぶ雪景色を。

    さて、今回は、高校数Aレベルの「場合の数と確率」の話です。

    問題 0,1,2,3,4,5の6個の数字を一度ずつ用いて4桁の数を作る。
    (1) 4桁の数は何個できるか。

    この問題は、0を含んでいるので注意が必要です。
    4桁の数の千の位には0を用いることができません。
    千の位が0の数は、4桁の数ではないからです。
    それは3桁の数となってしまいます。
    したがって、千の位に置くことができる数字の候補は、0を除く5通り。
    その先は、樹形図をイメージしながら式を立てていきます。
    千の位の5通りの候補それぞれに対して、百の位に置くことができる数字の候補は、千の位に使った数字を除きますが、0は用いていいので、同じく5通り。
    十の位は、既に使った2個の数字を除いて、4通り。
    一の位は、既に使った3個の数字を除いて、3通り。
    したがって、式は、5×5×4×3となります。

    これを順列の記号Pを用いて表すならば、
    最初の千の位の選び方として5P1。
    残る3桁の選び方として、5P3。
    よって、5P1・5P3となります。

    上の5×5×4×3ならばよく理解できる子が、5P1・5P3という式を見た途端にうろたえて、「わからない」「わからない」「わからない」とつぶやき始めることがあります。
    それが、「場合の数」の学習の恐ろしさの第一段階。
    同じことを別の表し方をしただけなので、わからないことは何1つないはずなのですが、一度わからないと思い込んでしまうと、何もかもわからないと感じ始めるようなのです。

    5P1とは、「5つのものから1つを選んで並べる順列」という意味です。
    半角の数字は、実際はもっと小さく、Pの下半分の位置に書きます。
    5P1は、千の位の数字の選び方を表しています。
    次に、そのそれぞれに対して、残る5個の数字の中から百の位の数、十の位の数、一の位の数の3個を並べていきます。
    「5つのものから3つを選んで並べる順列」となります。
    それが、5P3です。
    5P3=5×4×3 となります。

    ところで、「場合の数」の学習では、このようにかけ算をやたらと繰り返すようになり、「×」の記号を書くことが鬱陶しくなってきます。
    もともと、文字xと紛らわしかったので、そろそろ何とかしたい。
    中学の数学では、「÷」の記号が消えました。
    わり算は分数で表すようになりました。
    高校数学になると、「×」の記号が消えます。
    「×」の代わりに、「・」と書くようになります。
    したがって、5×5×4×3は5・5・4・3と書きます。
    書き易くて便利です。
    リズミカルに書いていけます。

    次の問題。
    (2)4桁の偶数は何個できるか。

    さらに難度が上がりました。
    この問題は、まず「偶数」という条件を考えます。
    偶数というのは、どういう数のことだろう?
    その性質を考えるのがコツです。
    一の位が偶数であればその数全体は偶数です。
    他の位の数は奇数でも偶数でも構わないのです。
    そういう知識が頭の引き出しに入っていて、すぐに活用できれば大丈夫です。
    この問題をスラスラ解ける子は、自力で解き方を発想しているというわけではありません。
    一度解いた問題の解法を記憶しているのです。
    それは、解き方を丸暗記している、というのとは少し違います。
    考え方が頭の中にストックされているのです。
    思考力といっても、ゼロから何かを生み出すことは不可能です。
    素晴らしい定理を発見した天才数学者は、その定理の前提となる知識は身に付けていたから偉大な定理を発見できました。
    知識ゼロの素人の思い付きが素晴らしい定理の発見につながったわけではありません。
    知識は発見の泉。
    知識のない状態で思考力は育ちません。

    「どうやったら数学ができるようになるの?」
    と根本的な問いかけをされることがたまにありますが、そういう質問をする子の頭の中には、数学的な考え方があまりストックされていないのかもしれません。
    「偶数」という条件が問題にあるときに、偶数とはどのような性質のものであるかを考えるための素材が頭の中にないのです。
    そうした考えるための素材を頭の中にストックするには、本人の意志が必要です。
    頭の中に残りかけた数学的知識を定期的に「ゴミ箱」に移し、消去を繰り返していないでしょうか。
    そうしないと頭がスッキリしない?
    他のことが記憶できない?
    ・・・・人間の脳はそんなに容量の小さなものではないから、数学の知識は画面トップに散らばっていても大丈夫です。

    必要のない知識を、脳はこまめに消去してしまいます。
    それは本人の意志に反して脳が勝手にやっています。
    ただし、脳に対して「それは消したらダメな記憶だよ」と指令を出すことはできます。
    反復すれば良いのです。
    反復すると、脳は「これはまた使用する記憶らしい」と判断し、保存するようになります。
    「覚えられない 」「もう無理」と本人が思っていて、反復もしないのであれば、脳はきれいさっぱり記憶を消していきます。
    脳に「違う」「残せ」と指令を出し続けましょう。
    o(^o^)o

    問題に戻りましょう。
    さて、一の位が偶数となると、その候補は、0、2、4の3通り。
    ここで、一の位に0を使った場合と、2か4を使った場合とではその後の計算が違ってくることが予想できれば、もうほとんど正解したようなものです。
    一の位に0を使ってしまえば、もう千の位のことを心配する必要がありません。
    一方、一の位が2か4である場合、千の位に0は使えないことを気にしなくてはなりません。
    ここで場合分けをして計算をします

    〔1〕一の位が0の場合
    残る5個の数から、千の位、百の位、十の位の数を決めていくだけです。
    したがって、式は、5P3=5・4・3 となります。
    〔2〕一の位が2か4の場合
    一の位の候補は2通り。
    そのそれぞれに対して、千の位は、0と、一の位に選んだ数を除いて、候補は4通り。
    百の位は、0を使ってもいいので、一の位と千の位に使った数を除いて、候補は4通り。
    十の位は3通り。
    したがって式は、2・4・4・3
    Pを用いた式を書くのなら、
    2P1・4P1・4P2
    となりますが、無理にPを使う必要はないので、なぜその式なのか適宜言葉で説明していきながら答案を完成させれば大丈夫です。

    生徒の中には、一の位の次に千の位を決めることが理解できず、
    「そんなことしていいの?」
    と質問する子がいます。
    あるいは、そんなことは絶対に許されないと思うのか、何があっても一の位は最後に決めようとして混乱する子もいます。
    かけ算なんだから、どこからかけても一緒だよ。
    どの桁から決めていっても構わないんだよ。
    そうした説明がピンとくる子と、全く理解できない子とがいます。
    頭が硬いのかなあ・・・・。
    なぜ千の位から数字を決めなければならないと思うのだろう。
    そのことに何の根拠もないことに気づくと、思考の自由度が増します。
    あるいは、そういうことをしていいのか悪いのか、そういう「数学的規範」というものが本人の中にないため、いつも不安で、かえって不可解なルールに縛られてしまうのかもしれません。

    解答としては、〔1〕〔2〕は同時には起こらないので、和の法則が適用されます。
    5・4・3+2・4・4・3
    =60+96
    =156
    答えは156個となります。
      


  • Posted by セギ at 14:19Comments(0)算数・数学

    2018年04月02日

    筑波山を歩いてきました。2018年4月。


    2018年4月1日、筑波山を歩いてきました。
    三鷹8:00、秋葉原8:28。
    秋葉原からつくばまで電車1本で行けます。
    つくばエクスプレスです。
    私が最後に筑波山に行ったのは2002年。
    その頃は、土浦駅まで電車に乗り、そこから筑波までバスに乗り、筑波からまたバスを乗り換えて筑波山神社まで行くというかなり面倒なことをしなければなりませんでした。
    今は電車でつくばまで行けます。
    便利になりましたねー。
    とはいえ、つくばエクスプレスには初めて乗るので、どこから乗るのかわからず、うろうろと駅で迷いました。
    JRではないので、いったん改札を出るのはわかっていたのですが、その後の案内掲示が初めての者にはわかりにくーい。
    矢印の意図が読み取れないのです。
    矢印がUターンしていたり、半ターンしていたり。
    一体どうしろと?
    それでも何とか地下深く、さらに深い、つくばエクスプレス秋葉原駅ホームへと降り立ちました。
    ホームには大きな荷物をコロコロ転がしているリクルート・スーツ姿の人が何人も。
    つくば研究都市で新人研修に参加するのでしょうか。


    さて、秋葉原8:45、終点つくば9:38。
    エスカレーターで地上に上がり、ロータリーで1番線バスを待ちました。
    シャトルバス「筑波山神社・つつじヶ丘行き」です。
    ICカードが使えましたが、電車・バス料金がセットになり、お土産物の割引もある「筑波登山切符」というのもあるようです。
    バス出発。10:00。
    つくばは研究学園都市として整備された街なので、車窓からの眺めも人工的です。
    新しいビル。
    広い道路。
    広い公園。
    桜満開の並木道。
    やがて郊外に出て、桜の向こうに筑波山が見えてきました。
    若葉が芽吹き、山腹に桜が咲いています。
    日本むかし話の絵本に出てくる春の里山のような景色です。
    淡い緑の中にこんもりと桜色。
    明るくのどかな眺めでした。

    筑波神社入口。10:40。
    観光客の後ろをついて、大きな大きな朱色の鳥居をくぐり、まずは筑波神社へ。
    境内ではガマの油売りの口上が行われていました。
    本殿に参拝し、左へ行くとトイレがあります。
    あとは、ケーブル駅の道しるべのとおりに進みました。
    ケーブル駅前から登山道が始まりました。10:55。

    16年ぶりの筑波山ですが、その年までは毎年来ていました。
    バスを乗り換える不便で遠い筑波山に私はなぜ毎年来ていたのだろう。
    どこが良かったのだろう。
    今となっては、登山道の見覚えもなく、なぜこのような観光化された山に遠路はるばる来ていたのか見当がつきません。

    木の根のつくる段差の多い道をゆっくりゆっくり上り、最初のベンチで休憩。
    気温が上がってきて、早くも汗だくです。
    そこから、傾斜はさらに急になり、木段の他に段差の大きい露岩も多く現れました。
    ふう。これは疲れる。
    きつい登りなのですが、周囲は観光客が多数。
    ジャージやデニムならましなほうで、え、その服で山に来ますか?という何かヒラヒラした服に手提げカバンの人が下ってきます。
    ケーブルで上り、歩いて下山ということなのでしょう。
    しかし、ヒラヒラの服で下るには筑波山の山道はちょっと手強く、皆さん難渋している様子でした。

    岩の段差が大きかったり小さかったりするところを上るので、歩くリズムが崩れがちで息が切れます。
    はあ、参ったなあ、と立ち止まり、ふと右の草地を見るとカタクリ。
    え、こんなに?というほど無造作に沢山咲いていました。
    その中に、キクザキイチゲも混じっています。
    うわあ、凄い。
    夢中で写真を取るうちに呼吸も戻り、さて再び急登を行きます。

    傾斜が少し緩んで、男女川。
    つくばねの峰より落つる男女川。
    源流はちょろちょろ落つる男女川。
    手を洗うと冷たくて気持ちよく、また元気が出ました。

    延々と続く登りに立ち止まる人が多く、ついに渋滞が発生しましたが、それに助けられた面もあり、ゆっくりと御幸ケ原に到着。12:20。
    ここは大きな広場になっていて、電波塔が立ち、売店・食堂・トイレなどが並んでます。
    ああ、ここの記憶は鮮明です。
    ここでもガマの油売りの口上が行われていました。

    筑波山は男体山と女体山の双耳峰です。
    御幸ケ原から男体山へは、さらに木段と岩がちの道を15分。
    狭い山頂には小さな奥院が立っていました。
    狭すぎてレジャーシートを広げるスペースなどはなく、少し下ったベンチで昼食。
    はあ暑かった。
    おにぎり1個がなかなか喉を通りません。

    さて、御幸ケ原に戻り、そこから女体山へと縦走します。
    途中にカタクリ園地。
    ここも柵からはみ出すほどにカタクリが咲いていました。
    岩がちの道を登っていくと、ガマ石。
    巨大な蛙に似た姿の岩です。
    ああ、これも見覚えがある。
    その先はすぐ女体山への登りでした。

    女体山。13:30。
    山頂は柵のない岩場でした。
    なかなかの露出感と高度感です。
    春霞で遠望は全く効きませんが、これから降りていくつつじヶ丘の駐車場がよく見えました。
    随分遠いなあ。

    さて下山。
    岩場を降りて、道しるべの通りに右に降りて行くと、岩場の急な下りが始まりました。
    そんなに難度は高くなく、鎖も張られていませんが、傾斜はなかなか急です。
    岩場をガンガン下ります。
    ああ、この道、記憶にあります。
    そうだ、この道だ。

    思い出しました。
    私が遠路はるばる筑波山まで毎年春に来ていたのは、カタクリが咲いていることと、この岩場の下りが面白かったからです。
    ああ、そうだった。

    急な岩場の下りなのですが、相変わらず前後には観光客がいます。
    女体山はロープウェイで登れますので、それで登ってきて、歩いて下ろうという観光客が多いようです。
    いや、この岩場、観光客は危ないでしょう。
    手提げ鞄にスニーカーでこの道は、怖いでしょう。

    しかし、人は、危ない場所は用心して歩くので、案外大丈夫なようでした。
    ただ、その後、少し平坦な道で気を抜くとやばいのです。
    徒然草の「高名の木登り」の話のようなものですね。
    私の少し前を歩いていた手提げ袋を下げた老人の足がもつれ、派手に転倒したのです。
    うわっ。
    ちょうど登ってきた若い登山客が駆け寄りました。
    「大丈夫ですか?」
    「大丈夫、大丈夫」
    老人は起き上がりました。
    「足、大丈夫ですか?くじいてないですか?スプレーありますよ」
    「いや、大丈夫」
    親切な若い子です。
    いや、老人が転んでいるのをほおっておけるものではありませんが。

    岩下りは延々と続きました。
    その間に奇岩があり、この辺りは奇岩巡りとなっています。
    大仏岩。
    屏風岩。
    胎内巡り。
    弁慶七戻り岩。
    上の画像は弁慶七戻り岩です。
    今にも上の岩が落ちてきそうな奇岩です。
    岩場が終わり、道はかなり歩きやすくなってきました。
    石畳のような石が敷かれた道が続きます。
    前を行く、紙袋を提げた高齢の女性
    に挨拶して追い抜きました。
    石畳みも終わり、土の道になり、歩きやすいので、その女性も私のすぐ後ろをそんなに遅れず、数メートル後ろをついてきていました。
    背後でズザザっという音がして、振り返ると、その人は転倒し、なお止まらず、横転していました。
    うわあっ。
    これも、ちょうど私とすれ違ったばかりの若い登山客が、
    「大丈夫ですかっ!」
    と駆け寄りました。
    「大丈夫」
    「怪我はないですか?」
    「うん。たちくらみがしたの。しばらく座っていくから大丈夫」
    私だけでなく、若い登山客もその場に留まり、座っているその人の様子を見ていました。
    「本当に大丈夫ですから、先に行ってください」
    とその人が言うまで。
    若い子、偉い。

    やっぱり、ロープウェイで登ったら、ロープウェイで降りたほうがいいですね。
    2人も目撃ということは、この山は、1日で何人転倒しているかわからないです。
    高尾山なら1号路があるので観光客でも歩いて下山できるのですが、筑波山には歩きやすい下山道はないのですね。

    とことこ降りて行くと、駐車場。
    バス停はどこだろう?
    2002年当時は、つつじヶ丘には駐車場はあっても公共交通機関はなく、ここへ下山することはできなかったのですが、今はシャトルバスの終点となっています。
    直進していくと、ロープウェイ駅の前にバス停がありました。
    15:00バス発車。
    ここから一気につくば駅へ。

    桜やカタクリがきれいな山。
    登山道が面白い山。
    この山の良さを思い出しました。
    また来たいと思う山でした。
      


  • Posted by セギ at 20:59Comments(0)