ケアレスミスをしがちな子に多い傾向。

セギ

2024年05月04日 13:06


ケアレスミスの多い子の中で、教室で私の前で問題を解いているときは、のんびりと、言い換えれば多少だらだらと問題を解く子がいました。
問題をたくさん解かされたら損だ、という損得勘定が働いているのかどうかはよくわかりませんが、学習が主体的ではない子は、普段はそんなにスピーディーに解かないことが多いです。
のろのろと問題を解き、できるだけ勉強したくない気持ちが透けて見えます。

ところが、定期テストは時間制限があります。
スピーディーに解いていかないと最後まで解けないかもしれません。
普段、マイペースでのろのろ解いている子は、テストのときだけ時間に追われ、普段はやらない暗算や答案の省略をやり、そのためにミスをして、どんどん得点を失っていくことがあります。
普段から全力で解いていく習慣があれば、テストのときも普段通りに解けば良いだけなのですが。


ケアレスミスについては、今までも何度も書いてきました。
ケアレスミスが多い子で、これは完全には治らないかもしれないと思われる子もいます。
大きく2通り。

1つは、テストになると過度に緊張し、精神状態が不安定になってしまう子。
「本番に弱い子」たちです。
能力自体は高いのですが、本番でしくじります。
魔に魅入られたようにしくじっていくので、何でそうなるのか、周囲の者にはよくわかりません。

もう1つは、根本的に集中力に欠け、いつも頭の半分は他のことを考えながら問題を解いている子。
1つのことに集中するということが、どうしてもできない様子の子です。
問題を解きながら、私に関係ないことを話しかけてくる。
問題を解きながら、他のことを考えている。
おそらく、テスト中も、他のことが気になって集中できないのでしょう。

どちらも、頭の回転自体は速い子に多いです。
本人が自分の心の問題に正面から向き合い、解決を図らない限りは、解決しないと思います。


そうではないのにケアレスミスの多い子は、本人の精神的な幼さが原因となっている場合が多いです。
防げるミスなのに、防がない。
何度でも同じミスを繰り返します。
アドバイスを受けても、その通りにできないのです。

本人の中で、自分のミスの多さが、解決すべき課題として自覚されていないのが大きな原因かもしれません。
他人に比べれば自分はミスは少ないほうだとすら思っている傾向があります。
「ケアレスミスが多いですよ」
と忠告しても、
「え。先生はそう思っているのですか」
と驚いた顔をしたりします。
いや、この忠告、何度目?
忠告されたことすら記憶から消去するのは、なぜなの?
そのように、むしろこちらが驚くことがあります。

他人のミスは目につきますし、記憶に残るものです。
しかし、自分のミスを直視するのは嫌ですから、忘れようとしますし、実際忘れます。
その繰り返しで、他人のほうがミスが多い、自分はそんなにミスをするほうではない、と思ってしまうのは、よくある心理的傾向です。
ミスが多いのに、ミスが多いと自覚できないのです。
まず自覚があるから直そうという気持ちになるのですが、そもそも自覚がないのですから、直そうとするはずもありません。
無防備にテストを受けて、そしてケアレスミスだらけの答案が返ってきて、そのときはがっかりしますが、的確な反省はできないのです。

あるいは、ケアレスミスを過小評価していることもあります。
「ケアレスミスってどういう意味か知っていますか?」
と尋ねると、
「小さいミス」とか「ちょっとしたミス」と答えます。
「不注意なミスという意味ですよ」
と説明すると、嫌な顔をします。
幼い子は、主観で生きています。
バイアスが強くかかっているのです。
ミスの多い自分を客観的に見ることがまだできないのです。


そうした幼さは、行動にも現れます。

例えば、忘れ物の多い子は、テストでのミスも多いです。
持ってくるべきものを忘れるパターンもありますが、教室に忘れ物をしていく子もいます。
うちの教室の机の下には、棚のようなものが設置してあります。
それは、机の天板に直接膝が当たらないよう保護するためのもの。
引き出しというのには、狭い。
しかし、そこに、テキストを入れて、そして忘れていく子がいます。
見えないところに置けば、忘れる確率は高まります。
だから、
「そこに置くと忘れやすいですよ」
と声をかけます。
なぜそこに置くと忘れるのか、そのメカニズムも解説します。
それで素直にやめてくれる子が今は多いですが、小学生くらいですと、反抗期の子もいます。
そこに置くと忘れると言われれば言われるほど、敢えてそこに置くのです。
そして、忘れていきます。


物事の整理が苦手な子もいます。
私が見た中で一番驚いたのは、教室に来ると、机の上にカバンを置き、その上にノートやテキストを載せて、ぐちゃぐちゃと解き始める子でした。
デイパックのポケット部分の凹凸があるのに、その上にノートやテキストを開いて問題を解くことを何とも思っていないのでした。
「整地」という言葉を使いたくなるほど、何だかそういうことへの意識が低い。
まずは平らな場所にテキストとノートを開かなかったら、そりゃあミスが増えます。
書きにくいので、そこに意識が逸れますから、それだけ集中力を奪われます。
そのことに、そもそも気がついていないのでした。
毎回、カバンは片付けましょうと声をかけない限りはそのスタイルで解いてしまうのです。

整理整頓ということが、絶望的に身についていない子は、答案も整理整頓できないです。
宿題も、やろうとしたときに、塾用のノートが見当たらず、適当なノートに解いてしまう。
そして、そのノートを忘れてきてしまう・・・。
そんなことを繰り返して、ノートが何冊もあり、どこに解いたのか本人もわからなくなってしまう。
そんなこともあります。

テキストを右に、ノートを左にして解いている子もいました。
右利きでそれでは、テキストを見にくいし、ノートも書きにくい。
ノートをテキストの上に置き、問題を常に隠してしまう状態にしている子もいました。
問題を書き写すとき、ノートを少し横にずらして、ちらちら見ては、またノートを元に戻して書くのです。
問題の書き写し間違いや、大問1の(3)を解いた次に大問2の(4)に飛んでしまうことが多い子でした。
原因の1つがテキストとノートの配置にあることは明らかでしたが、それが原因であると本人は自覚できないのでした。

計算問題をノートに書き写すときに、上下の問題を混ぜてしまう書き写し間違いをする子もいました。
テキストの該当箇所を左手で指さして、どこを写しているのか確認しながら写せば、そのようなミスは防げます。
しかし、そう助言したとき、その子は心底びっくりしたような顔をしていました。
「え?左手をどうするんですか?」
バカにしているのかしら、と一瞬思いましたが、何をどうするのか、本当にわからなかったのでした。
中学生になっていても、そんな知恵が身についていないこともあります。
この情報化社会は、求めていかない限り、情報が得られない社会。
空洞に落ち込んだように、情報を得ていない子は多いです。

子どもは万能感が強いので、その程度のことで自分のパフォーマンスが落ちるとは思わないのかもしれません。
その程度のことでミスを多発するのが人間なのですが、子どもなので、それがわからないのです。
人間なんて、ミスばかりする生き物なのに。
ついでに言えば、機械も変なミスや故障を起こします。
完璧なものなんて存在しません。
そのことを理解し、精度とスピードの両立を慎重に判断し、ダブルチェックも行う。
それが大人の理性というもの。

こういうことの1つ1つは些末なことです。
こんなことばかり注意していたら、「小言おばさん」です。
生徒が窮屈に感じたり嫌気がさしたりしても学習効果が薄れるので、見るに見かねたとき以外はあまり言わないようにしています。
小学生の低学年のうちに、ミスを減らすやり方が習慣として身についていると、本人も周囲も楽だろうと思います。
後になってから直すのは大変です。
小学校の高学年以降になると、何がミスを誘発しているか、本人が強く自覚しない限りは、直らないかもしれません。
それには、本人の精神的成長を待たなければなりません。
何が何でも得点を上げたいと本気で思ったとき、些末なミスの原因は本人が排除していきます。
受験が1つの機会ですが、中学受験は中途半端な時期で、それ以前に直しておくか、それ以後を待つか、ということになりがちです。

高校受験。
あるいは、大学受験が好機です。
問題を解いていて自分が解きにくい、何だかミスしそうで不安だと感じたときに、それを改善する方法が耳に届くようになります。
年齢が上がるにつれ脳が発達し、集中力が増していくこととの相乗効果も期待できます。

まだ精神的に幼く、言われたことをすぐに治せるほど素直でもなく、見るからに隙だらけでケアレスミスが多い子は、具体的な改善点は多いですが、まだ直せる時期ではない、ということもあります。
成長を待ちましょう。


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