誤読のメカニズム。主観で文章を読む子。

セギ

2024年03月20日 10:57


英語長文や国語現代文の読解に苦戦する人は一定数います。
記述問題で苦戦するのはまだ理解できるのですが、四択問題でも正答できないのです。

まず、初歩的な課題として、書いてあることが読み取れない子がいます。
目立つ単語を拾い読みするだけなのです。
あるいは、斜め読みや、全体を漠然と眺めることしかできない。
文章を読めないのです。
英語の場合は、単語力・文法力がないからそういう読み方になってしまうのですが、国語の場合でもそういう人がいます。
小学生の頃から、文章をしっかり読む習慣がなかったのです。
読解問題は、本文を読まないで解く。
傍線の前後しか読みません。
小学校の低学年の頃、そんな読み方でも正解できたことが癖になっていて、そんなわずかな成功体験にすがっているため、その読み方をやめられないようです。
句点や読点で意味が切れてしまい、前後のつながりを把握することができない、という子もいました。
前の文と後の文との関係がつかめないのです。

大変難しい状況である一方、読解問題を解くことで解決していくこともあります。
そういう子が、趣味で読書をすることは、まずあり得ない。
問題文を読むことが唯一の読書経験です。
つまり、圧倒的に文章を読んだ経験が足りないのです。
経験を増やすことで、改善される場合があります。
経験を増やすには、問題を解くこと。
自分の読み方では正答できないことを理解し、読み方を直しながら、問題を解くこと。
本を読みなさいと言っても、読むわけがないので、国語の問題を解くことがその代替となります。
字を読む経験そのものが足りず、字を読むことにある種の苦痛のある子たちが、少なくとも、読むことが以前ほど苦痛ではなくなるまで、読む作業を続けます。
幼稚な読み方では歯が立たない文章を、傍らで誰かが支えながら読解することが、解決の糸口になることがあります。
うちの塾に通った、国語が壊滅的に出来なかった子の多くは、それで、人並みの得点は取れるように変わっていきました。


他の科目の成績はそう悪くないのに、国語や英語の読解だけは苦手な子もいます。
癖の強い子に見られる傾向です。
「出題者とセンスが合わない」
と言ったりしますが、そういう判断そのものが、果たして正しいのかどうか。
テストというのは、客観的なものですから、正解は1つであり、それはセンスの問題ではないはずです。
本人に困った読み癖がある可能性のほうが高いのです。

そういう子は、どんなメカニズムで誤読しているのか?

わかりやすいように、今回は、全部日本語で書いてみます。
例えば、要約するとこんな文章があったとします。

勤めている会社の給料が10%カットになってしまった。
マンションを購入したばかりで、そのローンの支払いがあるというのに。
僕は、落ち込んでいる。

さて、この文章を読んでの設問

問 この文章の「僕」は、何をしなければならないか。最も適切なものを選べ。
① 転職しなければならない。
② 生活を切り詰めなければならない。
③ 気持ちを立て直さなければならない。
④ マンションのローンを支払わなければならない。

最も適切な選択肢は?
正解は、④です。

「会社の給料が10%カットになった」
「マンションのローンの支払いがある」
と読んだだけで、生活が苦しくなるのだろうと勝手な推測をしてしまうと、①や②のような誤った選択肢を選んでしまいます。
給料が10%カットになっても、マンションのローンは支払えるのかもしれせん。
十分な貯金ができなくなるだけのことなのかもしれません。
だから、必ずしも転職しなければならないわけではありませんし、生活を切り詰めなければならないとも限りません。

このように、勝手に「行間」を読んで、書いてないことを読み取ってしまう人は案外多いのです。
「行間」とは、この場合、読者の勝手な判断です。
憶測です。
しかし、こういう読み方が癖になっている人は、多いです。
憶測であるにも関わらず、本人は「当然の帰結」だと思っているのです。
それは、本人の読み癖、あるいは思考の癖で、解説してもなお、なかなか納得しないということも多いです。
本人は「センス」と思っています。
自分のほうが深く読み取っていると思っている場合すらあります。

趣味の読書で勝手に憶測するのは、それも含めて趣味ですから、自由にやったらいいことです。
しかし、それと国語や英語の読解は違います。

書いてあることしか読み取らない。
しかし、書いてあることは、必ず読み取る。
国語や英語の読解問題は、それが全てです。

これは、小説などで、例えば荒涼とした自然描写がなされている場合、登場人物の精神状態がその描写に反映されていることを読み取ることとは別次元のことなのですが、それとの混同があるのかもしれません。
それは「行間」ではないのです。
露骨に書いてある内容です。
意味のない描写はないのです。
書いてあることは、すべて読み取りましょう。
しかし、書いてないことを読み取ってはいけないのです。

③の「気持ちを立て直さなければならない」という選択肢を選びがちな人もいます。
落ち込みたいときは落ち込んだら良いので、こんなことはしなければならないことではないのですが、そのように判断してしまうのです。
こういう選択肢を選んでしまう傾向の強い人もいます。
判断がいちいち「道徳的」なのだろうと思うのです。
国語や英語の読解と道徳の授業との区別がついていないのかもしれません。
道徳的なことを書いてある選択肢に引き寄せられてしまう傾向が強いのでしょう。
国語や英語の文章は、「正しい生き方」を述べているわけではありません。
作者や筆者の考えが正しいかどうかなど、関係ありません。
何が書いてあるかを読み取るのが、読解です。
そこに、自分の判断を加えないことが大切です。

四択問題で誤答をくり返す場合は、センスの問題に帰結せず、その選択肢はなぜ誤答なのか、納得できるまで確認することで、自分の読み癖に気づいてください。


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