今週も浅間山公園に行ってきました。2021年5月。

セギ

2021年05月08日 11:24


2021年5月6日(木)、浅間山公園に行ってきました。
人出が気になるゴールデンウィーンも終わった平日、さあ散歩に行こう。
まずは自転車で、武蔵境通りを南下します。
東八道路を右折。
西へ西へと進み、両側に都立野川公園を見て、さらに直進します。
右手には、都立武蔵野公園、そして府中の運転免許試験場。
左手には、多磨霊園。
ずっと自転車レーンが整備されているので、快適です。
前原1丁目交差点で左折。
多磨霊園の外周を反時計回りに南下していきます。
浅間山通りと交差し、今回はそこも直進。
その先、人見街道を左折しました。
「浅間山公園入口」というバス停を通り過ぎると、左手に緑のこんもりした場所が見えてきました。
到着。
浅間山公園駐輪場です。
ここまで約40分。

そんなに広くない駐輪場ですが、人もあまり来ていないので、余裕をもって駐輪できました。
入り口から、木段を上がっていきます。
木段の両側に、もうムサシノキスゲが咲いていました。
想像よりは花の数は少ないかな。
私は、尾瀬ヶ原みたいな感じをイメージしていました。
どこまでも広がる、オレンジ色の花の海。
あれは、本当に特別なことなのでしょう。
自生地がなくなりかけたのを懸命に保全している、都会のムサシノキスゲ。
十分咲いています。
林の奥まで咲いています。
頑張れ、ムサシノキスゲ。

今回は、しっかり駐輪場に自転車を置いたので、気持ちに余裕があります。
時間も十分あります。
隅々まで浅間山公園を楽しもうと思います。

浅間山は、麓を1周する遊歩道が整備されています。
反時計回りに少し行くと、登っていく道があったので、とりあえずそこから登ってみることにしました。

ムサシノキスゲもきれいですが、新緑が目に優しい。
これは、エゴノキかな?
葉の裏側に、白い花がたれさがるように沢山咲いています。
初夏に小さい白い花をつける木は沢山あるから、見分けが難しいなあ・・・。
キンランもまだ咲き残っていました。

木段を上がっていくと、ほどなく山頂。
丸い木のテーブルとベンチがありました。
さすがに先客がいたので、黙礼し、足早に進むと、その少し先に、富士山を見ることのできるスポットがありました。
そこだけ伐採され、ぽっかりと眺望が開けています。
「関東の富士見百景」のプレートと、見える山の図が設置されてありました。
よく晴れている初夏の昼間。
富士山は見えませんが、道志の山々がうっすら見えていました。

さらに歩いていくと、道は下り坂に。
木段が設置されてあるので、歩きやすいですが、登ってきた道よりも、こちらのほうが道のりが長いです。
こちらから登ってくるのは大変そう。
下りきると、麓の外周コースと合流しました。
なるほど。

歩くことが主な目的ですので、時計回りに外周を歩き、再び、最初に登った登り坂に戻りました。
先ほど見たキンランとエゴノキをもう一度眺め、もう一度同じ木段を登り、今度は、山頂から北への道を選びました。
ほどなく下っていき、広場のような地形に。
あずまやもあります。
広場を通過し、木漏れ日の道を歩いていくと、もう1つの山頂に到着しました。
テーブルとベンチが置いてあります。
ここもムサシノキスゲの多いエリアでした。
日向の林の奥で沢山咲いているけれど、写真に撮ってもよくわからないだろうなあ。

この先も、とにくか闇雲に登っては下って、また同じところに出て、を繰り返しました。
通っていない道を選んで歩いても、知っている場所に戻ってしまうのです。
どこに下っても、別の道からまた登り返すと、今登ってきた2つの山頂のどちらかに到着するのでした。
新緑の木漏れ日が気持ちいい。
コンパクトな山道。
好んでやっている道迷い。
浅間山公園彷徨です。

大体わかったから、もう1つの山のほうに移動。
あずまやのある広場に戻り、北へと向かいました。
木段を上っていくと、ここもムサシノキスゲが咲いています。
キンランはまだ咲き残っていたけれど、ギンランの姿はもうありませんでした。
10日間で季節は変わっていきます。
・・・盗掘されたんじゃありませんよね?
堀った跡などはなかったので、大丈夫でしょう。

斜面の奥にムサシノキスゲが沢山咲いています。
この斜面をもっとよく見る道はないのかな?
そう思いながら、とりあえず、浅間神社の社のある山頂に到着しました。
前回来たときは、ここに最初に登りました。

他に道はないかな?
木段を戻り、外周へ続く道を発見。
下からのほうが、斜面のムサシノキスゲがよく見えました。
咲いてる咲いてる。
時計回りに回っていくと、細い登り道があり、登りきると橋が見えてきました。
多磨霊園とをつなぐ橋がかかっています。
キスゲバシと呼ぶらしいです。

そこから、普通に山頂に行くのもつまらないので、中腹をめぐる細い道を見つけて、そこに挑戦。
ここは、木段は整備されていなくて、まさに山道でした。
今日履いているのは、山靴ではなくスニーカー。
下り道との分岐に出ましたが、この道は少し急で、下り道でスニーカーはまずいかも。
上を目指そう。
靴底をフラットに地面につけて、無事に社のある山頂に戻りました。
ちょっとピンチでしたね。

小学生の頃は、登山遠足もスニーカーで行きました。
大人になって、軽登山靴やトレイルランニングシューズで歩くのが当たり前になっていると、スニーカーで歩く山道は、怖いなあ。

登山遠足。
小4は弥彦山。
小5は角田山。
小6は五頭山。
行き先が決まっていました。
今と違い、体操服は木綿だし、足元は運動靴だし、水筒は子ども用の小さいのを斜めにかけていました。
リュックサックは、当時流行のナイロン製。
何だか固くてごわごわしていたけれど軽くて、蛍光色のような黄色いリュックが結構気に入っていました。

角田山のときだったか、五頭山だったか、下山時に雨に降られ、びしょ濡れになりました。
持っていた雨具は、ビニール製の、今でもコンビニで売っているような簡素な雨具でしたから、本気の雨に降られたら、たちうちできません。
下山後、旅館だったか銭湯だったかに急遽寄ったのを覚えています。
先生の采配だったのでしょうけれど、余計な費用のかかることをぱっと決断して実行していたんだなあと、今になるとちょっと感心します。

中学生のときは、夏休みの初めに学校行事で登山をしました。
学校が何だか力を入れている行事で、登山用品の販売も学校で行われました。
飯盒とか、食器とか。
ザックや登山靴も。
携行品に乾パンや氷砂糖、缶詰などが「登山のしおり」に記載されていました。
それまで、「乾パン」「氷砂糖」という食べ物がこの世に存在することも知りませんでした。
今スーパーで売られているスナック菓子などのロングセラーのものは、大体もう発売されていた時代です。
先生たちの中に、若い頃にがっつり登山にはまった人がいて、そのセンスで「登山のしおり」が作られていたのだと思います。
母は、
「乾パンに氷砂糖?戦争中みたいね。そんなの売っているのかしら」
と首をかしげていました。
以前も書きましたが、母の言う戦争中は、食べ物が案外豊富です。
乾パンや氷砂糖が手に入る「戦争中」はかなり恵まれている気がします。
しかし、それを私が母に言うのも変な話なので、そういうときは黙っているのですが。

ともかく母とスーパーに行くと、それでも棚の隅に乾パンも氷砂糖もありました。
山に登った記憶よりも、結局全く手を付けなかった乾パンと氷砂糖をその後長い時間をかけて家で食べたことのほうが思い出深いです。
乾パンも氷砂糖も、非常食として、今ならその価値がわかります。
「ザ・非常食」という安心感。
心の支えになります。
案外おいしいですし。
でも、やっぱり、今買うなら、カロリーメイトとアルファ米かな。
あ。
棚の奥のアルファ米、賞味期限はどうなっていたかなあ。

中学で登ったのは、笹ヶ峰のキャンプ場からの妙高山でした。
中学生が、学校登山で妙高山。
そりゃあ、1度で山が嫌いになります。
あの山は、大人になって再び登りましたが、岩がごろごろと登山道を塞いでいて、歩くリズムをつかめず、かなりしんどい思いをしました。
何でしょう、あの謎の歩きにくさは。
北アルプスや南アルプスを歩いたときも、あんなに疲れたことはなかった。
人を疲労に追い込む悪夢の登山道でした。
山頂付近の池塘の点在する眺めは、まさに別天地でしたが。

もう本当に山なんか大嫌いと思ってその後の十代・二十代を過ごしたのに、大人になると山歩きが好きになる。
妙なものです。

そして今、山には行けない。
公共交通機関を使っても、必ずしも感染するとは限らない。
行こうと思えば行けないことはありません。
けれど、あえてリスクを背負うことはない。
ワクチンを打ったら行けるかなあと思うのですが、高齢者もなかなかワクチンを打てない現状で、私はいつ打てるだろう?
来年くらいですか?

木漏れ日の下で、とりとめのない考えごとをしながら、休憩。
そこからはおとなしく木段を下り、広場から舗装された遊歩道を通って、駐輪場に戻りました。
楽しかった。

人見街道を自転車で走るのは、若干ストレスがあるので、帰り道は、人見街道を通らずに済む道を模索しました。
浅間山公園の外側の児童公園にも、ムサシノキスゲが咲いていました。
ジャーマンアイリスと並んで咲いています。
ありえない光景がそこにある不思議。

季節を変えてまた来よう。
来年も同じ季節に来よう。
さあ、帰って、支度をして、授業です。


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