たまりば

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お知らせ

2024年03月26日

通過算の難問。


さて、今回は、通過算です。
通過算とは、電車の通過に関する問題。
難問、と書きましたが、順番に考えていけば、必ず正解に到達できる問題です。
たとえば、こんな問題。

問題
長さ92mの普通列車が時速57.6kmで走っています。
この列車に、その1.5倍の速さで走る急行列車が追いついてから追い越すまでに27秒かかりました。
普通列車が入り始めてから全部出るまで1分55秒かかるトンネルを、急行列車が入り始めてから全部出るまで、何分何秒かかりますか。

通過算で、基本知識としておさえておきたいことは2つあります。
①速いほうの列車が、遅いほうの列車に追いついてから追い越すまでに、2つの列車の長さの和だけ余計に進んでいるということ。
②電車がトンネルに入り始めてから全部出るまでの道のりは、トンネルの長さ+電車の長さであるということ。

この2つのことに関しては、子どもが自ら気づくことは、塾は要求しない場合がほとんどです。
それは、図に描いて、わかりやすく説明します。
そして、そのことが理解できない子もほとんどいません。
これ以前の、「速さ」の基本は、この通過算を学習する前にもう十分にやっているのも前提です。

さて、それらの知識を踏まえて、この問題をどう解くか。
この問題が解けない子の多くは、この問題文の長さにまず息切れし、最後まで読み通すことができません。
問題の意味がわからない。
長くて、理解する気になれない。
第1段階で止まってしまいます。

第2段階。
解きたい気持ちはある。
最後まで読み通し、意味も一応わかった。
でも、解けない。
そういう子は、細部の分析ができません。
問題を1つのまとまりのままでしか把握できず、分割して考えることができないのです。

だから、あまり意味のないことを考えていることがあります。
「センセイ、この問題、1本の式にしなくちゃダメ?」
「・・・1本の式?」
これを?

「1本の式で答えなさい」という指示は、小学校の算数の問題で、たまにあります。
( )の使い方や、計算のきまりの学習のためです。
あるいは、受験算数でも、複雑な面積や体積の問題は、分配法則を利用して3.14でくくれば計算が簡単になるので、1本の式を立てることを勧めますが、こんな問題を1本式で解けとは、誰も要求しません。

「1本の式にする必要はないよ。部分部分で式を立てていくんだよ」
「ふうん」
問題の構造は把握できていて、あとは1本の式にならないことで悩んでいたのかと思ったら、しかし、その後も手が動きません。
部分的な式すら書けません。
やはり、考えていることがズレているのです。
この問題を自力で解くようになるまでには、まだかなり距離があります。

自分が学んでいることの複雑さが理解できていない様子の子もいます。
問題にある数値をとにかく足したり引いたりかけたりすれば偶然解けるのではないかと期待しているのです。
小学校で習う内容は、確かにそんなのが多いですから。
そういう子は、上の問題で、92×57.6といった、謎の式を立ててしまいます。

「その式、どういう意味?」
と尋ねると、
「知らない」
と言って、慌てて消します。
「意味があるなら説明して?」
「知らない」
「意味のある式を立てるんですよ?」
「・・・」

小学校で習う文章題は構造が単純なので、今は「かけ算」の勉強をしているんだから、かければいいんだろうという判断で式を立てている子がかなりいます。
今は「わり算」を習っているから、大きい数を小さい数で割る式を立てればいい、という判断だけで問題を解いてしまうのが習い性になってしまうのです。
考える習慣がありませんから、中学受験の勉強を始めると、受験算数には歯が立ちません。
小学校の算数はわりとできるほうであるのに、受験算数が全くできない子は、考えて問題を解いていない場合が多いです。
考えて問題を解いたことがないので、問題にまともに対応できないのです。
今まで通りに直観で問題文の数字をかけたり割ったりすれば答が出ることを夢見ていて、それでは正解にならないことに戸惑ってしまうのです。

「考えなさい。考えれば、わかる」
そう声をかけても、人生で考えて算数の問題を解いた経験のない子には、考えるとは何をどうすることかすら、よくわかりません。
そうした子たちにとって、問題は、ぱっと見てわかる問題か、わからない問題か。
その2種類しかないのです。
考えて正解に至った経験がないので、それも仕方ありません。

考えるとは、まずは分析すること。
上のような問題を解くためには、問題を、細部に分割できなければならないのです。
そうした考え方は、解き方をすぐ見てしまったり、教わったりしていては、身につきません。
解き方の手順を覚えて解くのでは、応用が利きません。
同じ形式で数値だけ違う問題しか解けるようになりません。

勉強のスケジュールがあるから。
1日のノルマがあるから。
そうした考えで、わからない問題はすぐに解答解説を見て、解決。
あるいは、親がさっさと教えてしまう。
それでは、結局何も身につかないことがあります。

最悪の場合、今日の勉強はこれ1問でも構わないという覚悟が大人に必要です。

上の問題に戻りましょう。

分析の仕方には2つの方向があります。
①今、何の数値を求めることができるか。
②答を求めるためには、どんな何の数値が必要か。

算数・数学の問題を自力で解くことに慣れている子は、①を自信をもって行うことができます。
今求めるられる数値があるなら、それは必ず後で使う。
だから、求めてしまおう。
そういうことに対して、自信があるのです。

問題を解き慣れていない子は、
「そんなの答じゃないんだから、求めても意味がない。関係ない」
という誤解をしがちです。
あるいは、面倒くさいから、そういうことをやる気がしない子もいるでしょう。
答が出るという確証がない限り、何もしたくないのかもしれません。
算数・数学の問題に対する認識に誤解があるのです。
求められるものを求めていけば、新しい地平が開けて、必ず、正答に至るのですが。

さらに、今、何を求められるのか、それすらわからない、という場合もあるかもしれません。
基礎力不足です。

通過算は、速さに関する問題の応用です。
速さの3公式を使うのが基本です。
「速さ」「時間」「道のり」
この3つの要素のうち、2つがわかっていれば、残る1つを求めることができます。
そのことを、理解しているのが、大前提です。


この問題、まずは、単位がズレでいて、扱いにくいのです。
普通列車の長さは、92m。
時速は、57.6㎞。
追い越すまでに27秒。
これでは、上手くいきません。
扱いやすいように数字を整理しましょう。

どうしましょうか?
使う単位は、㎞と時間ですか?
本当に、それでいいですか?
このあたりは、ひと目で「違う」とわかる子と、そう言われても何のことかわからない子と、多少はセンスの問題が影響します。
以前に他の問題で正解できたときに使った単位は㎞/時だったから、それが好きだ、といったつまらない理由で時速にこだわる子もいます。
そういう子には、説明が必要です。
通過算で使う単位は、mと秒です。
その単位のほうが計算しやすいように問題が作られています。

だとすれば、普通列車の時速を秒速に直しましょう。
この問題は、まず、そうした単位換算ができるかどうかを試しています。
57.6㎞=57600m
1時間で57600m進むのならば、1秒ではどれだけ進むのか?
それが、秒速ということです。
1時間=3600秒 ですから、
秒速を求めるには、
57600÷3600=16(m/秒)
普通列車の速さが、これで随分わかりやすくなりました。
さて、問題によれば、急行列車は、その1.5倍の速さで走ります。
急行列車の速さを求めましょう。
16×1.5=24(m/秒)

問題によれば、急行列車が、普通列車に追いついてから追い越すまでの27秒かかります。
このことから、急行列車の長さを求めることができます。

え?どうやって?
ここで、上に上げた、通過算の基本知識が生きてきます。

急行列車が普通列車に追いついてから追い越すまでに、急行列車は、2つの電車の長さを足した分だけ、普通列車よりも多くの道のりを進んでいるのです。

この場合、「追いつく」とは、急行列車の先頭が、普通列車の最後尾に追いついたことを意味します。
「追い越す」とは、急行列車が普通列車を抜き切った状態。
すなわち、急行列車の最後尾が、普通列車の先頭をまさに離れていく瞬間のことです。
その間、急行列車は、「普通列車の長さ+急行列車の長さ」の分だけ、普通列車よりも頑張っています。
勿論、その間も、それぞれの列車は走っていますから、単純に道のりが「普通列車の長さ+急行列車の長さ」なのではありません。
2つの列車の「道のりの差」が、「普通列車の長さ+急行列車の長さ」なのです。
急行列車は、普通列車が動いている道のりの分は勿論、2つの列車の長さの和の分も、頑張って進んでいるのです。
ここのところが理解しづらい子には、電車の図を描き、さらには、マーカーやペンを電車に見立てて、目の前で動かしてあげながら説明したりします。
考える習慣がなく、頭が錆びていてよく動かない子は、そこで苦しそうに顔を歪めたり頭を抱えたりします。
難しいから、理解するのは嫌だ、となってしまう子が、受験生の中にもいます。
まだ、受験に対して実感がないので、
「難しいことは嫌い」
「嫌いだから、理解しない」
で済ませたいのです。
6年生も秋になると、さすがに、受験した結果が悲惨なものになることに実感が芽生えてきますので、学習も真剣になります。
この時期に伸びる子が多いのはそういう事情です。
逆に言えば、理解しようと思えば、5年生のときでも理解できたはずなのです。
時間を戻せないのが、もどかしい。
大人の目からみると、本当に歯がゆい。
でも、本人はただ一度の人生を初めて生きていますので、仕方ないのです。

問題に戻りましょう。
急行列車の長さをどうやって求めるのか?

ここで「旅人算」の考え方を使うことになりますが、旅人算も、公式の丸暗記で実感のない子は、今は旅人算ではないのだから関係がないと杓子定規に判断してしまいます。
丸暗記しているだけでは、旅人算のテストが終われば公式は忘れてしまう、という残念なことにもなりがちです。
出会いの場合は、速さの和。
追い越しの場合は、速さの差。
それは確かにそうなのですが、そういうことは実感をもって理解していると、使いまわしが利きます。
今回は、列車は同じ方向に走っています。
それなのに、急行列車が追いつき、追い越していくのは、速さに差があるからです。
普通列車もそれなりの速さで頑張っていますが、急行列車がそれ以上の速さで頑張っているからです。
速さの差が重要であることに、そこで気づきます。

普通列車の速さは、16m/秒
急行列車の速さは、24m/秒
24-16=8
速さの差は、1秒あたり8m
この速さの差を使って、少しずつ少しずつ、急行列車は普通列車を追い越したのです。
27秒かけて。
では、2つの列車の道のりの差は、
8×27=216(m) です。

この道のりの差が、2つの列車の長さの和でした。
普通列車の長さは、問題によれば、92m。
では、急行列車の長さは、
216-92=124(m)

慣れてくると、ここまでは何を求めるかなど意識せずに、一直線に求めるようになります。
求められるものは、とりあえず、求めてしまうのです。
それは、必ず使うから。
算数・数学の問題を解くうえでの鉄則です。

繰り返しますが、算数・数学の問題のこうした構造がわかっていない子は、答以外は求めようとしません。
一度で答が求められると思い込み、その式を作ろうとし、そんな式は作れるわけがなく、あきらめてしまいます。
できるはずのないことをやろうとしているから、一歩も先に進みません。
それは、主に経験不足からくるものです。
自力で問題を解いた経験が足りないので、こうした問題は、求められるものをとりあえず求めないと先に進まないということを知らないのです。

さて、普通列車と急行列車の秒速と長さがわかったので、この先はもう何でも求められます。
もう一度、問題を見ましょう。

問題
長さ92mの普通列車が時速57.6kmで走っています。
この列車に、その1.5倍の速さで走る急行列車が追いついてから追い越すまでに27秒かかりました。
普通列車が入り始めてから全部出るまで1分55秒かかるトンネルを、急行列車が入り始めてから全部出るまで、何分何秒かかりますか。

これも繰り返しになりますが、算数・数学の問題は、
「今、何が求められるか?」
「答を求めるために必要な数値は何か?」
この2方向から考えます。
今、何が求められるかがピンときたら、それはとりあえず求めておきます。
そのうえで、ちょっと行き詰まったら、答を求めるために、必要な数値は何かを考えます。
この問題では、最終的に時間を求めます。
それには、道のりと速さの値が必要です。
速さは既に求めてあります。
では、あとは道のりです。
急行列車がトンネルに入り始めから全部出るまでの道のり。
それを求めるには、トンネルの長さが必要です。
列車がトンネルを通過する場合の全体の道のりは、「トンネルの長さ+列車の長さ」だからです。

では、トンネルの長さを求めましょう。
問題によれば、普通列車が入り始めてから全部出るまず1分55秒かかるそうです。
普通列車の速さは、16m/秒
それで1分55秒、すなわち115秒かかるのですから、道のりは、
16×115=1840(m)
そのうち、92mは、列車の長さですから、トンネルの長さは、
1840-92=1748(m)

よし。
トンネルの長さがわかったので、いよいよ、最後の計算に入ります。
急行列車が入り始めてから全部出るまでの、列車の進んだ道のりは、
急行列車の長さが124mでしたから、
124+1748=1872(m)
これを、24m/秒で進んだのですから、かかった時間は、
1872÷24=78(秒)

よって、正解は、1分18秒 です。

ご家庭でお子さんの勉強を見ていらっしゃるお母様から、
「私が教えると喧嘩になってしまって」
という相談をいただくことがありますが、もう1つ、難しいのは、すぐに何でも教えたくなってしまう気持ちをどう抑えるか、ではないでしょうか。
子どもの手が止まっていると、つい、どんどんヒントを出して、結局何もかも教えてしまいます。
子どもは、全部教わって式が立ち、答えが出れば、それでわかったような気になります。
しかし、教わって解いた問題は、それを応用することはできない可能性のほうが高いんです。

今、未消化の問題があるのは、仕方ない。
解けない問題があるのは、仕方ない。
ノルマがこなせないのも、仕方ない。
少しでも、自分で考えた経験を増やすこと。
良問を時間をかけて考えることで、貴重な体験を積んでいけます。


  


  • Posted by セギ at 17:35Comments(0)算数・数学

    2024年03月20日

    誤読のメカニズム。主観で文章を読む子。


    英語長文や国語現代文の読解に苦戦する人は一定数います。
    記述問題で苦戦するのはまだ理解できるのですが、四択問題でも正答できないのです。

    まず、初歩的な課題として、書いてあることが読み取れない子がいます。
    目立つ単語を拾い読みするだけなのです。
    あるいは、斜め読みや、全体を漠然と眺めることしかできない。
    文章を読めないのです。
    英語の場合は、単語力・文法力がないからそういう読み方になってしまうのですが、国語の場合でもそういう人がいます。
    小学生の頃から、文章をしっかり読む習慣がなかったのです。
    読解問題は、本文を読まないで解く。
    傍線の前後しか読みません。
    小学校の低学年の頃、そんな読み方でも正解できたことが癖になっていて、そんなわずかな成功体験にすがっているため、その読み方をやめられないようです。
    句点や読点で意味が切れてしまい、前後のつながりを把握することができない、という子もいました。
    前の文と後の文との関係がつかめないのです。

    大変難しい状況である一方、読解問題を解くことで解決していくこともあります。
    そういう子が、趣味で読書をすることは、まずあり得ない。
    問題文を読むことが唯一の読書経験です。
    つまり、圧倒的に文章を読んだ経験が足りないのです。
    経験を増やすことで、改善される場合があります。
    経験を増やすには、問題を解くこと。
    自分の読み方では正答できないことを理解し、読み方を直しながら、問題を解くこと。
    本を読みなさいと言っても、読むわけがないので、国語の問題を解くことがその代替となります。
    字を読む経験そのものが足りず、字を読むことにある種の苦痛のある子たちが、少なくとも、読むことが以前ほど苦痛ではなくなるまで、読む作業を続けます。
    幼稚な読み方では歯が立たない文章を、傍らで誰かが支えながら読解することが、解決の糸口になることがあります。
    うちの塾に通った、国語が壊滅的に出来なかった子の多くは、それで、人並みの得点は取れるように変わっていきました。


    他の科目の成績はそう悪くないのに、国語や英語の読解だけは苦手な子もいます。
    癖の強い子に見られる傾向です。
    「出題者とセンスが合わない」
    と言ったりしますが、そういう判断そのものが、果たして正しいのかどうか。
    テストというのは、客観的なものですから、正解は1つであり、それはセンスの問題ではないはずです。
    本人に困った読み癖がある可能性のほうが高いのです。

    そういう子は、どんなメカニズムで誤読しているのか?

    わかりやすいように、今回は、全部日本語で書いてみます。
    例えば、要約するとこんな文章があったとします。

    勤めている会社の給料が10%カットになってしまった。
    マンションを購入したばかりで、そのローンの支払いがあるというのに。
    僕は、落ち込んでいる。

    さて、この文章を読んでの設問

    問 この文章の「僕」は、何をしなければならないか。最も適切なものを選べ。
    ① 転職しなければならない。
    ② 生活を切り詰めなければならない。
    ③ 気持ちを立て直さなければならない。
    ④ マンションのローンを支払わなければならない。

    最も適切な選択肢は?
    正解は、④です。

    「会社の給料が10%カットになった」
    「マンションのローンの支払いがある」
    と読んだだけで、生活が苦しくなるのだろうと勝手な推測をしてしまうと、①や②のような誤った選択肢を選んでしまいます。
    給料が10%カットになっても、マンションのローンは支払えるのかもしれせん。
    十分な貯金ができなくなるだけのことなのかもしれません。
    だから、必ずしも転職しなければならないわけではありませんし、生活を切り詰めなければならないとも限りません。

    このように、勝手に「行間」を読んで、書いてないことを読み取ってしまう人は案外多いのです。
    「行間」とは、この場合、読者の勝手な判断です。
    憶測です。
    しかし、こういう読み方が癖になっている人は、多いです。
    憶測であるにも関わらず、本人は「当然の帰結」だと思っているのです。
    それは、本人の読み癖、あるいは思考の癖で、解説してもなお、なかなか納得しないということも多いです。
    本人は「センス」と思っています。
    自分のほうが深く読み取っていると思っている場合すらあります。

    趣味の読書で勝手に憶測するのは、それも含めて趣味ですから、自由にやったらいいことです。
    しかし、それと国語や英語の読解は違います。

    書いてあることしか読み取らない。
    しかし、書いてあることは、必ず読み取る。
    国語や英語の読解問題は、それが全てです。

    これは、小説などで、例えば荒涼とした自然描写がなされている場合、登場人物の精神状態がその描写に反映されていることを読み取ることとは別次元のことなのですが、それとの混同があるのかもしれません。
    それは「行間」ではないのです。
    露骨に書いてある内容です。
    意味のない描写はないのです。
    書いてあることは、すべて読み取りましょう。
    しかし、書いてないことを読み取ってはいけないのです。

    ③の「気持ちを立て直さなければならない」という選択肢を選びがちな人もいます。
    人には落ち込む権利があるので、こんなことはしなければならないことではないのですが、そのように判断してしまうのです。
    しかし、こういう選択肢を選んでしまう傾向の強い人もいます。
    判断がいちいち「道徳的」なのだろうと思うのです。
    国語や英語の読解と道徳の授業との区別がついていないのかもしれません。
    道徳的なことを書いてある選択肢に引き寄せられてしまう傾向が強いのでしょう。
    国語や英語の文章は、「正しい生き方」を述べているわけではありません。
    作者や筆者の考えが正しいかどうかなど、関係ありません。
    何が書いてあるかを読み取るのが、読解です。
    そこに、自分の判断を加えないことが大切です。

    四択問題で誤答をくり返す場合は、センスの問題に帰結せず、その選択肢はなぜ誤答なのか、納得できるまで確認することで、自分の読み癖に気づいてください。

      


  • Posted by セギ at 10:57Comments(0)英語

    2024年03月12日

    中1数学「正負の数の乗法」。旅人は東を目指す。


    さて、今回は正負の数の乗法。かけ算です。

    (+2)×(+3)=+6
    (+2)×(-3)=-6
    (-2)×(+3)=-6
    (-2)×(-3)=+6

    こうしたかけ算の符合のルールは、作業手順の暗記で済ますタイプの子にとっても、比較的覚えやすいもののようで、かけ算で符号ミスをする子は少ないです。
    ただ、問題は、こうしたかけ算のルールを学んだあと、正負の数の加減に戻ると、符号のルールがぐちゃぐちゃになってしまうことです。

    たとえば、こんなミス。
    (-2)+(+3)=-1
    (-2)+(-3)=+5

    (負の数)+(正の数)=(負の数)
    (負の数)+(負の数)=(正の数)
    と、間違ったルールで計算してしまうのです。
    明らかに、かけ算の符合ルールに引きずられた誤答です。
    作業手順の暗記で済ますタイプの子たちは、ここでつまずきます。

    「違うんですよ。加減の符合ルールと乗除の符合ルールは異なります。混乱しやすいので、符号のルールを暗記するのではなく、加減は、数直線をイメージしましょう。数直線。わかります?」
    「・・・わかります」

    数直線をイメージして解く正負の数の加減は、このブログ内の該当ページをご参照いただけますと幸いです。
    正負の数の加減の符合のルールは、なぜそのルールなのか。
    数直線をイメージすれば、それは当たり前のことで、むしろ、ルールを覚えて解くようなことではないのです。

    とはいえ、その後練習しても、改善は見られないことがあります。
    「・・・数直線をイメージして解くということが、本当にわかっていますか?」
    「・・・わかりません」

    おお・・・。
    わからない、と認めるまでの時間の長さよ。
    本人の中で色々な葛藤があるのでしょう。

    わかっていなければ前に戻ってやっていきます。
    そのような中で、正負の数の乗除については、符号ルールをさらっと説明して、ルールだけ覚えろ、というわけにはいきません。
    こちらも、何かしっかりとした根拠が必要です。
    しかし、
    (正の数)×(正の数)=(正の数)
    (負の数)×(正の数)=(負の数)
    は意味がわかる気がするものの、
    (正の数)×(負の数)=(負の数)
    (負の数)×(負の数)=(正の数)
    とは、どういうことなのでしょうか?
    何だか、実感は伴っていない気がしませんか。

    (負の数)+(負の数)=(負の数)
    なのに、
    (負の数)×(負の数)=(正の数)
    となるのはなぜか?

    この疑問には、答えておく必要があります。

    以降の説明は、別に私のオリジナルではなく、数学関係の本によく載っている解説です。

    冒頭の数直線の図を見てください。
    数直線上を、変な奴が歩こうとしていますね。
    この人は、数直線上を歩く旅人です。
    この旅人の速さと距離で考えていきます。

    まずは、速さについて、ざっくりとおさらい。
    一番簡単な、
    時速×時間=道のり
    で、解説しましょう。
    時速4㎞の人が、2時間歩いたら、道のりは何㎞でしょうか。
    4×2=8 で、8㎞
    これは、大丈夫でしょうか。
    時速4㎞というのは、1時間に4㎞進むことのできる速さだということ。
    それが、2時間分なのだから、
    4×2=8 で、道のりは8㎞ 
    となります。
    速さ×時間=道のり
    という公式は、そういう意味のものです。

    さて、これを利用しましょう。
    今回は、正負の数のかけ算なので、速さに方向がともないます。
    この旅人は、今、数直線上の原点にいて、東へ、すなわちプラスの方向に1時間で2㎞進むとします。
    その速さを、時速+2㎞と表します。
    では、+2時間後には、どこにいるでしょうか?
    (+2)×(+2)=+4
    原点から東へ、すなわちプラス方向に4㎞の地点にいます。

    この旅人は、現在は、原点にいます。
    プラスの方向に時速2㎞で歩き続けている旅人です。
    では、2時間前には、どこにいたでしょうか?
    原点より西、すなわちマイナス方向に4㎞のところにいなかったでしょうか?
    いましたよね?
    2時間前とは、-2時間のことです。
    すなわち、
    (+2)×(-2)=-4

    さて、ここで方向転換。
    別の旅人が登場します。
    上の図とは反対方向に顔を向けている旅人だと想像してください。
    新しい人物は、東から西へ、すなわちマイナス方向に旅をしているのです。
    1時間で2㎞進みます。
    この速さを、時速-2㎞と表します。
    この人は、2時間後、すなわち+2時間後に、どこにいるでしょうか?
    原点から西へ、すなわちマイナス方向に4㎞のところにいますよね?
    すなわち、
    (-2)×(+2)=-4

    さらに、この新しい旅人は、2時間前にはどこにいたでしょうか?
    原点より東に4㎞のところにいたのではないでしょうか。
    すなわち、
    (-2)×(-2)=+4

    数直線上の旅人は、確かに、このように移動します。

    以上をまとめると、
    (+2)×(+2)=+4
    (+2)×(-2)=-4
    (-2)×(+2)=-4
    (-2)×(-2)=+4

    すなわち、
    (正の数)×(正の数)=(正の数)
    (正の数)×(負の数)=(負の数)
    (負の数)×(正の数)=(負の数)
    (負の数)×(負の数)=(正の数)
    は、計算上の虚構ではなく、現実にそうであることが理解できます。

    ルールをただ丸暗記する。
    作業手順を暗記してこなす。
    それに慣れ切っていて、他のやり方を知らない・・・。

    中学数学の最初に、その悪習慣から離脱できれば、道は開けます。

      


  • Posted by セギ at 12:23Comments(0)算数・数学

    2024年03月06日

    考えて問題を解く習慣のない子。


    画像は、ユキワリイチゲ。都立神代植物公園多様性センターにて。

    さて、まずは、こんな問題から。
    これは、受験算数の問題です。単元は、「倍数と約数」。

    問題 5で割ると3あまり、7で割ると4あまる数で、1000にもっとも近い数を求めなさい。

    さて、これは、どう解きましょうか?
    割り切れないし、あまりも一致していません。
    倍数の問題の中では、難しい問題です。
    「いきなり、1000にもっとも近い数を求めるのは難しいですね。1000に近くなくていいから、小さい数で、5で割ると3あまり、7で割ると4あまる数を1つ、探してみましょうか」
    と私が言う間もなく、その子は、即答しました。
    「88!」

    ・・・88?

    確かに、5で割ると3あまり、7で割ると4あまる数です。

    「・・・どうやって求めましたか?」
    「5+3=8で、7+4=11で、8×11=88!」
    「・・・・はい?」

    ・・・何だ、その求め方・・・。
    そんな裏技、あるの?
    聞いたことがないし、意味がわからない・・・。


    この求め方は、正しいのでしょうか?
    問題を少し変えてみましょう。
    5で割ると4あまり、7で割ると2あまる数、だとしたら?
    5+4=9
    7+2=9
    9×9=81
    ・・・いや、そんな数、5で割ると4あまる数でも、7で割ると2あまる数でもありません。
    つまり、この求め方はでたらめです。
    上の88は、偶然当てはまっただけなのでした。

    あー、びっくりした。

    「・・・もっと、地道に探しましょう。5と7なら、7のほうがすぐ大きくなって探しやすいので、7で割ると4あまる数を基準に、1つ1つ見ていきましょう。7で割ると4あまる数で、一番小さい数は?」
    「11!」
    「・・・うん。まあ、いいでしょう」
    4もそうですが、今はそれは考えなくてもいいので、今回は、割愛。
    「11は、5で割ると3あまる数ですか?」
    「ちがうー」
    「そうですね。では、11の次の、7で割ると4あまる数は?」
    「18!」
    「はい。そうですよね。そして、その18は、5で割ると3あまる数ですか?」
    「あ。わかった!」
    「・・・何が?」
    「ぶー」

    その子は、自分のノートに何やら計算を始めました。
    しばらくして、
    「わかった!答は、1800!」
    「・・・どういう計算をしたんですか?」
    「18×1000で1800!」
    「・・・18×1000は、18000です。18000は、1000に近くないので、絶対正解じゃないですね」
    「ぴっぽこぷー」


    11の次の、7で割ると4あまる数は、18であると即答したのは、上出来でした。
    実は、これを答えられない子も、中学受験生の中にいます。
    かけ算の仕組み、割り算とあまりの仕組みが頭の中で構築されていない子は、11の次に7で割ると4あまる数が18であることがわからない。
    このほうが、深刻です。

    「18は、5で割ると3あまり、7で割ると4あまる数ですね。見つけましたね。では、18の次の数で、5で割ると3あまり、7で割ると4あまる数は、何でしょうか」
    「ぺぽ?」
    「あまりは、このままでいきたいので、これに加える分は、5で割っても、7で割っても割り切れるといいですよね」
    「35!」
    「はい。35って、何ですか」
    「5と7の最小公倍数!」
    「そうですね。それなら、5で割っても、7で割っても、35の分は割り切れるので、あまりにズレが生じませんね。18のときのままのあまりでいけます。では、18の次の数で、5で割ると3あまり、7で割ると4あまる数は、いくつでしょうか」
    「わかった!」
    「計算する前に、式を言って」
    「18×35!」
    「何で、かけ算?」
    「・・・」

    もう一度、ゆっくりと説明しました。
    「35なら、5で割っても、7で割っても、35の分は割り切れるので、あまりにズレが生じません。18のときのあまりでいけます。では、18の次の数で、5で割ると3あまり、7で割ると4あまる数は、いくつでしょうか」
    「18+35!」
    「そう!計算して!」
    「43!」
    「繰り上がりミス」
    「44?」
    「違います」
    「53!」
    「そうそう。では、53の次に、5で割ると3あまり、7で割ると4あまる数は、いくつでしょうか」
    「53+35!」
    「そう。それが?」
    「88!」
    「そうです」

    18 , 53 , 88 , ・・・

    「さて、これらの数は、どんな性質の数でしょうか。前の数に35ずつ足しているけれど、35の倍数ではないですね。では、何でしょうか」
    「5で割ると3あまり、7で割ると4あまる数!」
    「それはそうなんですが、そこに戻ってもねえ。一歩先に進んだ性質を見つけられませんかね」
    「ぶー」
    「35で割ると?」
    「35で割ると?」
    「35で割ると?」
    「18あまる数!」
    「その通り!素晴らしい!5で割ると3あまり、7で割ると4あまる数は、35で割ると18あまる数なんですね」
    「へえ」

    「さて、こういう性質の数。つまり、35で割ると18あまる数で、1000にもっとも近い数は、どうすれば、求めることができるでしょうか」
    「イエス・アイ・ドゥー。ノー・アイ・ドーント」
    「はい・・・?」
    「35×1000!」
    「・・・何でかけ算?」

    授業はここで少し停滞。
    私は、その子が通う集団指導塾のテキストを開きました。
    「・・・やっぱり、載っていますよね。基本問題に。『8で割ると3あまる数のなかで、1000にもっとも近い数は何ですか』 この問題はもう解いたんでしょう?これと、考え方は同じですよ」
    「・・・」
    「基本問題は、ただ解いただけじゃ意味がないんですよ。それは、こなしているだけ。解いたという形だけ作っても、学力は伸びないのよ。そこから使えることを吸収しないと」
    その子の目に少し何かのニュアンスが浮かびました。
    「・・・1000÷35!」
    「おお。いいですね。では、その割り算、やってください」
    「こぽこぽー。1000÷35=28あまり20!」
    「いいですね。つまり、1000は、35で割ると、20あまる数なんですよ」
    「ぷー」
    「では、1000に近い数で、35で割ると、18あまる数は、ずばり、いくつでしょうか?」
    「・・・」
    「・・・無理かな?わからない?」
    ようやく、考える表情になりました。
    「20-18=2」
    「いいね。その2をどうするの?」
    「1000-2」
    「はい。では、最終解答は?」
    「998!」
    「正解!」


    1問に、こんなに時間がかかるのか・・・と思う方もいらっしゃるでしょうが、解き方の手順をさっさと全部解説しても、別の問題を解く役には立たないのです。
    実際、基本問題で解いたことをこの問題で使うという発想が、その子にはありませんでした。
    いや、むしろ、考えて算数の問題を解くという発想そのものがない、というほうが正確のような気がしました。
    与えられた数字を適当に組み合わせれば正解が出るのではないかと漠然と夢見ているような、そんな解き方をしていました。
    適当に式を立てるのならば、割り算は面倒なので、かけ算の式を立ててしまうことが多い。
    そこに、意味はないのだと思います。
    ただの思いつきなのでしょう。

    その子に限りません。
    算数・数学の問題を解くときに、「考える」ということをしない子たちは、かなりの割合で存在します。
    考えて問題を解いた経験がなく、考えるということが、何をどうすることなのかすら、よくわからないようです。
    小学校の算数は、考えるまでもなく、問題を見ればぱっと式を思いつくので、それで済んでいるのでしょう。
    小学校のカラーテストはそれでそこそこの点数が取れるので、そのことを反省したり改善したりする必要もないのです。
    しかし、中学受験の勉強を始めると、大きな壁が立ちふさがります。
    受験算数は、考えて問題を解く必要があります。
    思いつきや手順の丸暗記では、上手くいきません。

    「・・・今日、2ページ、終わる?」
    その子は、私に尋ねました。
    集団指導塾から出ている2ページの宿題をここでこなすことが、お母様から要求されている「ノルマ」なのかもしれない、とふと感じました。
    「・・・こなすことだけ考えても、仕方ないですよ。ここで2ページ分の問題を全部教わりながら解いても、テストで類題は解けないと思います。実際、今までそうだったのでしょう?ただ問題をこなすだけでは、これから、成績は下がっていくことはあっても、上がることはないんです。それよりも、1題でも2題でも、本当に自分で考えて解けば、その問題の類題は、テストで正解できますよ。成績はそうやって上がっていくんです」
    「ばぶー」

    それは、不満まじりながら「イエス」の返事であるように、私には聞こえました。
    全ては、一歩ずつ、です。
      


  • Posted by セギ at 13:57Comments(0)算数・数学

    2024年03月06日

    料金改定のお知らせ。2024年度。


    2024年4月分より、諸経費を改訂いたします。
    昨年来の物価高騰の中、何とか踏ん張ってまいりましたが、光熱費・教材費などが軒並み高騰し、この度、授業料と諸経費を改めさせていただきます。
    大変申し訳ありませんが、ご理解ください。
    会員様には、書面にて改めてお知らせいたします。
    改訂は、2024年4月分よりとなります。(3月末までにお支払いいただくものです)

    改定内容。
    ①授業料は90分1コマ、4,500円といたします。
    ②毎月5コマ以上受講されている方は、5コマ以降は、90分1コマ4,000円といたします。
     兄弟姉妹会員の方は、合算で、毎月5コマ以上に該当いたします。
    ③諸経費は、月額4,000円に減額させていただきます。

    お支払いの具体例
    週1コマ受講の方は、
    4,500円×4+諸経費4,000円で、月額2万2000円。
    週2コマ受講の方は、
    4,500円×4+4,000円×4+諸経費4,000円で、月額3万8000円。
    となります。
    これまでより、実質毎月1,000円の値上げとなります。
    これまで通り、消費税はいただいておりません。
    よろしくお願いいたします。

      


  • Posted by セギ at 11:40Comments(0)コース案内

    2024年03月01日

    2024年度入試結果です。


    本日、都立高校の合格発表があり、これで、今年度の入試結果はほぼ出そろいました。
    結果は以下の通りです。
    2024年度入試結果
    ◎中学受験の部
    八女学院 合格

    ◎高校受験の部
    都立調布北高校 合格

    ◎大学受験の部
    星薬科大学薬学部(公募推薦) 合格

    横浜薬科大学薬学部 合格
    帝京平成大学薬学部 合格
    日本薬科大学薬学部 合格

    明治大学法学部 合格
    法政大学法学部 合格
    成蹊大学法学部 合格

    明治大学政治経済学部 合格
    中央大学経済学部 合格
    成蹊大学経済学部 合格
    東洋大学経済学部 合格
    東洋大学経営学部 合格

    なお、前年度までの合格実績も以下に記します。

    ◎大学受験の部
    2023年度 受験生在籍者なし

    2022年度 明治大学政治経済学部

    2021年度 東京外国語大学言語文化学部
      
    2020年度 東京電機大学工学部      

    2019年度 東京外国語大学言語文化学部  

    2018年度
    早稲田大学政治経済学部 
    中央大学経済学部  
    成蹊大学経済学部 
    東洋大学経済学部  
    デジタルハリウッド大学(推薦入試)


    ◎高校受験の部
    2023年度 都立松ケ谷高校外国語コース 

    2022年度 都立蘆花高校

    2021年度 都立神代高校

    2020年度 都立調布北高校 

    2019年度 都立新宿高校

    2018年度 
    都立西高校   
    都立南平高校 
    女子美術大学付属高校(推薦入試)

    2017年度・2016年度 
    受験生在籍者なし

    2015年度
    都立神代高校 (推薦入試)
    都立調布南高校

    2014年度
    都立青山高校
    都立豊多摩高校 (推薦入試)
    都立杉並高校


    ◎中学受験の部
    2023年度 受験生在籍者なし
     
    2022年度 明治学院中学校

    2020年度 東京電機大学中学校 

    2018年度 恵泉女学院 


    息つく間もなく、新年度の受験指導が始まっています。
    新入生を募集しています。

    現在の成績は、問いません。
    未来の秀才を求めています。
    小さな個別指導塾ですが、1人1人の成績を確実に上げることを目標に、実績を上げています。
    担当は、受験指導30年のベテラン。
    「上手な授業」を行うパフォーマーもいいですが、受け持った生徒の成績を本当に上げることが目的の「学習トレーナー」です。
    必要な時期に必要な学習内容を提示します。

    大学受験英語は、受験科目の中でも最大の得点源として、筆記・リスニングで高得点を取るための授業を行っています。
    英語は常に得意科目でありたい。
    他の科目の少しの失敗は楽にカバーできる英語得点力を実現しています。

    大学受験数学は、得意な人は得点源としてのびのびと能力を伸ばし、また、苦手な人は、他の科目に迷惑をかけない得点を必ず確保することを目標に、入試の出題傾向にあわせた、演習中心の実戦的な授業を行っています。
    数学は苦手だが大学受験にどうしても必要な人、歓迎します。

    高校入試においては、数学・英語は勿論、5教科すべての指導を行っています。
    こちらも入試問題の出題傾向に焦点を絞り、必要な知識を身につけた上での実戦的な入試対策を行っています。
    都立入試の数学・英語は得点源。
    さらに、他の各科目も、得意科目なら90点以上を。
    苦手科目でも、80点を。
    そうした形で入試の朝を迎えることを毎年の目標とし、成果を上げています。
    また、私立入試・都立自校作成校入試は、英語・数学ともに学校で学ぶ内容だけでは不足があります。
    早くから志望を定めている方には、定期テスト対策で内申を確保しつつ、学校のカリキュラムを離れて入試に向けた発展的な学習を計画的に指導しています。

    中学受験は、受験算数をメインとした指導を行っています。
    他科目の受講もご相談に応じます。
    当塾だけで入試対策をする方も、他の塾の補習の形で活用される方も歓迎です。

    受験生が卒業し、現在、授業コマに空きがあります。
    新規の生徒を募集しています。
    塾は3月が新学期。
    春は塾選びの時期です。
    パソコン画面に変更の上、緑色のお問合わせボタンから、ご連絡ください。
    まずは無料体験授業を受けてください。
    ご連絡、お待ちしております。



      


  • Posted by セギ at 11:27Comments(0)講師日記コース案内

    2024年03月01日

    春期講習空きコマ状況。2024年。


    2024年春期講習、空きコマ状況のお知らせです。
    3月28日現在

    3月30日(土)
    10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 16:40~18:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30

    4月1日(月)
    10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 16:40~18:10

    4月2日(火)
    10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 16:40~18:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30

    4月3日(水)
    11:40~13:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30

    4月5日(金)
    13:20~14:50 , 16:40~18:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30

      


  • 2024年02月25日

    質問しても、しなくても、大丈夫。


    勉強が上手いか下手かというのは、ほんのちょっとした差です。

    相変わらず、私は、NHKラジオ講座「ラジオ英会話」を聴き続けています。

    番組の中で、例えば、look という動詞についての解説があります。
    look という動詞の意味は「見る」。
    何を見るのか、見る対象を点としてとらえているから、look at。
    だから、at という前置詞をつける。

    また、見ながら後をついていくというイメージだから、look after は、「世話する」「面倒をみる」。
    まさに、幼児がよちよち歩いていくのを後ろからずっと見ているようなイメージです。
    熟語の語感や成り立ちを大切にすることで、簡単に暗記ができます。

    うん。
    わかりやすい。
    面白い。

    でも、こういう授業を個別指導でやると、失敗することもあります。
    ラジオ講座は、一方向のもの。
    言いっぱなしで済みます。
    聴いた側が、「面白い。理解した」と思えばそれでいい。
    それで聴き手がその熟語を1つでも覚えられたら、それで良いのです。

    しかし、個別指導は、双方向性のものです。
    質問が返ってくる可能性があります。

    「じゃあ、同じ世話をするという熟語でも、take care of は、何で of なんですか?」
    「look for という熟語はなんで for なんですか?」
    「look to という熟語はありますか?」
    「look on は?」
    「look in は?」
    怒涛のように質問してくる子が、個別指導の場合は、存在します。
    何かが頭の中に浮かぶと、すぐに何でも質問してしまうのです。

    生徒が知的好奇心旺盛なのは良いことです。
    だから、個別指導において、生徒の質問にはできるだけ答えます。
    しかし、あれこれ何でも質問した翌週、その子は、覚えてほしかった重要熟語 look after の意味を覚えているかというと。
    残念ながら、その可能性は低いのです。
    余計な質問を沢山する子は、大事なことを覚えていないことがあります。
    余計な質問をし過ぎたために、印象が薄れてしまうのでしょうか。
    沢山質問したのに、大切なことを覚えていない。
    質問をいっぱいできて楽しかった記憶はある。
    でも、質問の回答は何1つ覚えていない。
    そんな、5歳児みたいな子も、います。
    思いつきの質問をとにかく沢山することが「良い学習態度」だと、おそらく就学前か小学生の頃に間違って「学習」してしまったのかもしれません。


    これは私の説明の癖ですが、順番に根拠を示し、理由から話し始めることがあります。
    AだからBで、BだからCで、CだからDになるんですよ。
    そのように解説するとき。
    私が結論を話し終わるのを待っていたかのようなタイミングで、
    「なぜですか?」
    と尋ねてくる子がかつていました。
    皆で一斉にそう発声することがお約束であるような、独特の抑揚でした。

    「・・・今、説明しましたよね?」
    「え・・・」
    積極的に質問したから当然褒められるはずなのに、変な顔をされた・・・。
    その子は、明らかに、驚いていました。
    「では、もう一度説明しますね」
    「・・・」
    入塾して半年ほどの間は、そうしたことが繰り返され、その子の成績は上がりませんでした。

    そういう観点で振り返ると、小学生が国語の授業で読む説明文には、「なぜかというと」という語句が使われているものが結構あります。
    いかにも幼稚な文章ですが、それを書かないと、以降は理由の説明部分であるということが、わからない子が多いからでしょう。
    小学生は、まだ読解力が低いですから。
    「なぜかというと」が合図で、その後に理由が説明されている・・・。
    しかし、そのように学習すると、中学に進学して以降、そのような構造ではない、大人の読む評論をほとんど読解できない子が現れます。
    大人の評論は、理由を説明していても、「から」や「ため」という語すら使っていないこともあります。
    それでも、理由は説明しています。
    文脈を読めば、どこが理由の説明かは、わかるのですが、そういう読解を要求されても、できない子たちがいます。
    小学生の読解テクニックで大人の文章を読もうとしても無理があるのですが、小学生の頃に成功した受験テクニックを捨てられないのかもしれません。

    いずれにせよ、文章でも、口頭でも、結論が先に述べられて、その後に理由を説明されることに、慣れている。
    理由から話し始めても、何の話をされているのか把握できない子たちがいます。
    理由を言うときには、「なぜかというと」というふうに、「今から理由を説明しますよー」と合図を送らないと、理解できない・・・。

    私も話し方に気をつけるようになり、一方、その子も、説明し終わった後で「なぜですか?」と訊いてくるような頓珍漢なところは減っていきました。
    それは、
    「なぜですか?」
    と抑揚をつけて質問することに一所懸命になる必要がなくなったことも一因のような気がします。
    何か質問しなければならない、という妙な思い込みがなくなり、黙って聞いていていいんだ、聴くことだけに集中していいんだと理解した頃から、説明を一度で理解できるようになっていったように思います。
    以後、その子から質問を受けることはほとんどありませんでしたが、対話は可能でした。
    私からの問いかけには答えられたので、理解していることが把握できました。
    成績は徐々に上がっていきました。


    しかし、わからないことは、質問するのが最善です。
    それができない子もいました。
    わからないのに、わかったふりをします。
    わからないままなので、宿題を解こうとしても、わからない。
    だから、宿題は、親に訊いて解いている様子でした。
    宿題は、ほとんど正解。
    「宿題について、質問はありますか」
    と尋ねても、
    「ありません」
    という返事。

    これは、保護者の方が、宿題の面倒を見ることをもう止めたいと思わないでいてくださったので、何とか上手くいきました。
    無論、本当はわかっていないことを、教える側も知っていることが前提です。
    本当は、わかっていない。
    でも、それを言えないらしい。
    では、もっと丁寧にやっていこう。
    前回の授業の復習から、ゆっくりやっていこう。
    質問できない子は、質問しなさいと叱っても、質問はできないままのことが多いです。
    「質問できない子」は「質問する必要のない子」に変わっていけるように、教える側が注意を払っていくことが必要になります。


    質問は一切しないけれど、頭の中は疑問でいっぱい、という子もいます。
    最近は、そういう子のほうが多いかもしれません。
    私が、上のように look after の説明をしたとします。
    しかし、本人は、そこで、look for のことを連想し、それについて考えています。
    なぜ、for なのだろう?
    それをずっと考えているのですが、質問はしません。
    個別指導を受けている途中でも、独りで考えています。
    当然、その後の授業は聞いていません。
    あるいは、その後の授業に集中できません。
    ならば、質問すればいいのに、それもしません。

    「何か質問がありますか?」
    とこちらから尋ねれば解決するのか?
    多くの場合、そうではありません。
    そういうときも、首を横に振り、質問はしないのです。
    でも、本人は、look for のことが気になって、その後の学習に集中できないのです。

    「look for のことを考えていますか?」
    と、ここまで具体的にこちらが気がついて質問すれば、表情が輝きます。
    以後は、質問をしてくれるようになるかもしれません。
    講師は、人の心が読めるわけではないので、なかなかそこまで気づかないですが・・・。

    まだ十代なので、人間関係への過剰の期待もあるのでしょう。
    心で思っているだけでは、相手には伝わらない。
    言葉にしないと、無理なんですよ。
    そんなことも、十代のうちは、それでも、言葉にしなくても伝わる関係に憧れる、ということもあるのかもしれません。

    ともあれ、その翌週。
    look after の意味を、その子は、覚えていない・・・。
    その後の授業に集中できないほど考えていたのだから、覚えていてもいいはずなのに、覚えていない・・・。
    不器用というのは、そういうことなのかもしれません。



    質問に良い質問も悪い質問もない。
    回答に良い回答とくだらない回答があるだけです。

    これは、私の座右の銘です。

    勿論、質問することは、良いこと。
    ただ、
    「沢山質問しなさい」
    と教えられているのみで、質問して得た回答をどう活用するかを教わっていないと、質問も回答も無駄に終わってしまうことがあります。
    むしろ、質問することを探すのに必死で相手の話をよく聞いていないという本末転倒なことすら起こります。
    「積極的に質問する」とは、何をどうすることなのか。
    それを理解していなければ、助言を誤解し、間違ったことをやり続けてしまいます。
    学習するということの本質を体得していない限りは、そうなります。
    思いつきの質問をいくらしても、それで学力が伸びることはないのです。

    思いつきではなく、本心からの根本の問いとして、例えば、
    「なぜ、三単現のときは、動詞にsをつけるんですか」
    という問いかけを、もしも生徒がしてきたなら。
    その問いこそが、その子にとって英語がよくわからない根本だったなら。
    私がそれに応えることができたら、何かが変わる。
    それをきっかけに、爆発的に英語力が伸びる可能性があります。





      


  • Posted by セギ at 14:59Comments(0)講師日記英語

    2024年02月18日

    図形問題の攻略。


    来年度からは、大学入試共通テストも新課程となり、数ⅠAに関しては、選択問題はなくなります。
    全問必答です。
    これまでは、数Aの3つの単現「場合の数と確率」「図形」「整数の性質」のそれぞれから出題される3問から2問を選択して答える形でした。
    この3問からどの2問を選択するか?
    結局、どの単元も苦手な人が多いのですが、一番苦手なのは図形だからと、図形を真っ先に除外する人が多かったように思います。
    高校側も、特に私立中高一貫校は、中3内容の数学を学習している時期に、「チェバの定理」「メネラウスの定理」「方べきの定理」などを学習してしまうということもあって、数Aでは、「図形」の単元はやらない、あるいは、夏休みに自習することにして終わり、というところもありました。
    だから、図形はそもそも嫌いだし、高校でもあまり学習しなかった、という人が多かったかもしれません。
    しかし、新課程では、「整数の性質」は、「数学と人間の活動」という、漠然とした単元名に変わり、内容も薄くなり、共通テストの大問からは消えます。
    一方、図形は、共通テスト数ⅠAで必須単元に格上げです。
    これは、攻略しないとまずいです。

    そうはいっても、図形が苦手な子が多いです。
    なぜ多いのか?
    小学生の頃から苦手な子も勿論いますが、やはり本格的には、中学数学で挫折する子が多いように思います。
    それも、まずは、学習の入り口の段階で。

    1つには、小学校で学習してきた図形と、中学で学習する図形が、かなり印象の異なるものであること。
    だから、何を学習しているのか理解できない子が一定数現れます。
    中学で学習する図形は、まず、基礎の基礎から学習が始まります。
    つまり、用語と記号の定義から学習が始まるのですが、それへの違和感が強くて、混乱するようです。

    「算数・数学は、何か式を立てて、計算して、答を出すもの」
    という思い込みの強い子にとっては、図形問題というのは、三角形の面積を求めたり、角度を求めたりするものだという固定観念があります。
    そういう固定観念の強い子にとって、中学の幾何の冒頭は、確かにわかりづらいでしょう。

    直線とは何か。
    線分とは何か。

    2点A、Bを通る直線を、直線ABと呼ぶ。
    直線は、どちらの方向にも無限に伸びる。
    特定の点を使わずに、直線 ℓ と表すこともある。

    そんなところから学習が始まるので、何の話なのかわからない・・・。
    そこに、本人の多少ののみ込みの悪さが加わると、さらに大変です。

    例えば、角の表し方。
    △ABCの頂点Aのところの内角を、どう表すか?
    ∠A と表すことも可能ですが、3点を用いて表すならば、
    ∠BAC です。
    ∠CAB でも構いません。
    これがなかなか身につかない子が、います。

    Aのところの角なのだからでしょうが、どうしても、Aから始めてしまうのです。
    ∠ABC
    と言ってしまいます。
    「うーん、違います。角の表し方は、折れ線みたいなイメージで、まず、全然関係ないところの点を言って、そして、曲がり角の、つまり言いたいところの点を言って、それから、また全然関係ないところの点を言うと、その角を表せるんですよ」
    「・・・?」
    「わかります?」
    「・・・」

    これは、一度間違った思い込みをしますと、かなり尾を引くミスです。
    角を正しく指摘できないのですから、その後の図形学習の遅れが大きくなります。
    問題で指定している角がどこの角なのかわからない、という課題も生じます。


    そもそも、問題が何を要求しているのかよくわからない、という場合もあります。
    例えば、図が与えられていて、図中の角をどう表すかに関する問題。

    問題 右図のア~ウの角を、図中のA~Hの記号を用いて表しなさい。

    アの角は∠BAC、イの角は、∠EBA などと答えれば正解の問題です。
    そこで、

    ∠ア 、∠イ

    といった誤答をしてしまう子もいて、混乱に拍車をかけます。
    「いや。違います。そういうことじゃないんです。そういう問題じゃないんですよ」

    とはいえ、角を表す記号「∠」を使えているから、その点は、一歩前進しているのか?
    角アを∠アと表して、何がいけないのか?
    いやいやいや、でも、この問題の趣旨はそういうことではないんだけど。
    問題文を読む習慣がないのかな?
    うーん。
    そもそも、数学なのにやたらとアルファベットが出てくることだけでも、実はストレスで、それで無意識に避けて誤答してしまうのだろうか?
    教える側も、そんなふうにいろいろ考えて過ぎてナーバスになってしまったりもします。

    △という記号も、慣れるまでは時間のかかる子もいます。
    △ABCを、
    「さんかくABC」
    と読む子もいます。
    「うっ。いや、それは、三角形ABCです。『形』をつけてください。そこは省略しないです」
    そういえば、この子は、「×」の記号も「かけ」と省略して読むけど、何でなのかなあと、そんなことも思ったりします。
    「±」も、おそらく、「ぷらまい」と読むようになるんだろうなあ。
    何でちゃんと読まないのかなあ。
    いや、伝わるからいいんだけど。
    でも、さすがに「さんかく」はちょっとなあ・・・。

    ・・・と、学習の本質とは関係ないところで教える者も考え込んでしまったりもします。

    正しい用語、正しい定義、正しい記号。
    中1の最初の幾何は、土台を作っている段階なのです。
    今後、語ることになる様ざまな定理。
    そこで使うことになる用語に誤解があってはならない。
    用語に対して共通認識がなければ、話が通じない。
    しかし、教わる者にとっては、まだ入口にたったばかりで、先のことなどわかりません。
    用語の定義などされても意味不明で、何のために何をしているのか全くわからないのでしょう。

    前にも書きましたが、この土台を学校の独自テキストで学習すると、さらに違和感が強く、何を学習しているのか全くわからなくなる子が増えます。
    生徒にしてみれば、感覚はまだ小学生。
    面積や体積の計算をするのが図形問題、という感覚です。
    それなのに、直線がどうの角がどうの、平行がどうの、垂直がどうのと延々やっているので、意味がわからない・・・。
    だから、入口でつまずいてしまう子が多く現れます。

    そうして、初めて学習する者にとっては意味のわからない定義と用語の確認の後、何が始まるのかというと、学習はいきなり飛躍します。
    平行移動、対称移動、回転移動。
    半分以上は小学校の復習なのですが、小学校で学習したことなど全部忘れている強者も多いので、どの線分とどの線分の長さが等しいとか、ここの角の大きさはどうなるかとか言われても、ついていけない・・・。
    そして、そもそも、何で図形を移動させるのか、その根本がわからない・・・。
    図形を移動させるって、どういうこと?
    この学習は、何のために、何をやっているの?

    このあたりで、もう図形は「意味のわからないもの」になってしまいます。

    初めて学習することは、違和感が強いものです。
    主観でものをとらえやすい子ほど、抵抗感が強くなります。
    算数から数学への壁は厚く、高い。
    結局、中1の図形内容は、何をやっているのか全くわからなかった・・・。
    そんなこともあります。

    でも、大丈夫です。
    繰り返し学習していくなかで、違和感は徐々に薄らいでいきます。
    最初はどうなることかと思った子も、中2の図形内容である「三角形」「四角形」を学習する頃には、角の呼び方がおかしいというような基本ミスはほぼなくなります。
    焦らないこと。
    そして、諦めないことです。

    そして、本当の困難は、ここから始まるのです。
    中2の図形内容は、定理が次々と登場します。
    これを使えないと問題を解けないのですが、定理を覚えられないし活用できない子が多く現れます。

    それは、高校まで尾を引きます。
    例えば、
    「二等辺三角形の頂角の二等分線は、底辺を垂直に二等分する」
    という定理は、中2の数学内容ですが、図形が苦手な高校生でこの定理を使える子は少ないです。
    高校レベルの図形問題の中で用いる定理のうち、中学で学習するものとしては、これと三平方の定理がツートップではないかと思うほど使用頻度が高いのですが、不可解なほど忘れている子が多いです。
    使うべき定理を使えないから、図形問題が解けないのです。
    「二等辺三角形の定理で、覚えているものを言ってみてください」
    「2辺が等しい」
    「それは、定義です。2辺が等しい三角形を二等辺三角形というんです。定理は、何か覚えていないですか?」
    「あれだ。角で、何かあった」
    「・・・なるほど」
    要するに、嫌いだから勉強しない。
    勉強しないから、覚えていない。
    覚えていないから、問題が解けない。
    問題が解けないから、嫌い。
    そのスパイラルが起こっています。

    センター試験の時代から今年の共通テストにおいても、図形問題は、他の単元に比べれば問題文を読解すべき要素が少なく、使う定理も想像がつくので、図形が得意な子にとっては得点源です。
    共通テストの図形問題で使う定理は、多く見積もっても20程度。
    どうせ、大半は、内心・外心・重心・垂心・傍心か、相似か、チェバかメネラウスか、方べき。
    それに三角比の知識と、あとは、中学の図形の知識を使うだけ。
    練習次第で習得できます。

    とはいえ、もう1つ課題があります。
    問題文に書いてある通りの図を描けない人が多いのです。
    描く図が小さすぎて、問題が進むにしたがって、書き加えた線分が重なって、訳がわからなくなる。
    平行線ではないものが、平行に見えてしまう。

    そうした課題の解決法としては。
    当たり前のことですが、もう少し大きい図を描きましょう。
    最小でも5センチ四方の図を描くようにすれば、かなり見やすくなります。
    大きい図を描く習慣を持つだけで変えていけることがあります。
    あるいは、線がごちゃごちゃしてきたら、新たに図を描き直しましょう。
    気軽に図を描くことができず、頭の中で処理しようとすると、図形問題は難しいです。
    また、本当は鈍角三角形なのに鋭角三角形を描いているから、その先の辻褄が合わなくなる、ということもあります。
    「それ、△ABCは鈍角三角形ですよ」
    「・・・どうして、鈍角三角形だとわかるんですか?」
    「問題に、cos∠BAC<0 と書いてあるからです」
    「・・・!」

    使うべき知識を使えないので、問題が見えないのです。
    すべての知識を使えるようになればいいだけです。
    身につけるべき知識の総量は明確です。
    どこまでいっても、さらに限界を超えたような応用問題が出てくる他の単元と比べると、図形問題は穏当です。
    苦手意識を持たないこと。
    苦手意識を捨てること。
    コツをつかめば学習しやすいのが、図形問題です。

    諦めずに、挑戦し続けましょう。


      


  • Posted by セギ at 17:25Comments(0)算数・数学

    2024年02月13日

    勉強を自分でどう進めていくか。


    生徒から家庭学習のやり方について質問されたことがあります。
    今は何をやっているのか尋ね返すと、学校から配布された問題集をこつこつ解いているということでした。
    間違えた問題はチェックして、翌日、3日後、10日後に解き直していると言います。
    そう聞く限り、何も問題はないので、
    「それでいいと思いますよ」
    と応えると、
    「・・・こなしているだけじゃないかという気がして」
    というのです。

    ・・・いや、それをこなせるのは、それだけで凄いですが・・・。

    本人がやると決めたテキストなのに、まるでこなせない。
    宿題も、まるでこなせない。
    そういう子たちと七転八倒してきた経験のほうが多いものですから、つい、夢物語を聞いているような気分になってしまい、その子が本当に問いたいことは何だったのか、上手く把握できませんでした。

    では、自分のこととしてはどうか?
    何かを学ぶ際に、私はそれを学ぶのに最適な教材をこなしていけば、それで学力が上がった経験を重ねています。
    教える側の人間は、大体そうなのかもしれません。
    しかし、誰もがそうとは限らないのも知っています。
    同じ学習をしていても、ただこなしているだけになり、身につかない人もいます。
    一方、上のような丁寧な解き直しなどしなくても、問題を1回解くだけで深い学習が可能な人もいます。

    間違えた問題を、解き直す。
    その際に、何回解き直しても、同じことを同じように間違えてしまったり、解き方を忘れてしまって、やっぱり解けなかったり。
    そういうことが表層に出てしまう場合はむしろ、課題が明瞭です。
    その問題は、身についていません。
    反復しましょう。
    理解を深めましょう。
    身につけましょう。

    困るのは、解き直したら正解できる場合。
    正解できるのだから大丈夫なのかというと、類題は解けないのです。
    どれが何の類題であるか気づかないほどに、理解が浅い。
    でも、解き直しはやっている。
    同じ問題の解き直しなら、正解できる。
    これを指して「こなしているだけ」というのなら、確かにそれはそうなのです。

    1つの問題を解く中で、吸収できる事柄の質は、人によって異なります。
    本当に表層的に、その問題の解き方しか吸収できない人。
    その問題を解いた、あるいは解けなかったことを通して、言語化できないほどに深い本質まで吸収できる人。
    それが学習能力というものなのでしょう。
    そして、学習能力を鍛えるというのは、最も行わなければならないことでありながら、最も難しいことです。


    例えば、こんな問題。

    問題 4sinθ+3cosθ=5 のとき、sinθの値を求めよ。

    簡単に解ける人もいる一方で、これはハマると全く解けない種類の問題です。
    数Ⅱ「三角関数」まで学習すると、とにかく公式が多い。
    そのどれを使うのか、判断できないことがあります。

    何をどうしていいか、全くわからない・・・。
    そういう人もいると思います。
    こんな問題は解いたことがない。
    学校の教科書や問題集をパラパラとめくってみても、ありそうでない問題です。
    例題にはない。
    典型題ではない・・・。
    シンプルな1行だけの問題なのに、厄介です。

    問題を分析できる人もいます。
    sinθ を求めよというのだから、サインだけの式を作ればいいんだ。
    コサインをサインに変えればいいんだ。
    そういう発想は持てる人。
    それだけ、学習能力は高い人です。

    さて、そこで、何を使うか?
    ここで、思いつくのが、三角関数の合成。
    サインとコサインの式をサインだけにまとめるものです。
    数Ⅱの内容です。

    やってみましょう。
    4sinθ+3cosθ
    =√(16+9)sin(θ+α)
    =5sin(θ+α)
    ただし、sinα=3/5 , cosα=4/5

    あれ・・・。
    αが、暗記している角度ではない・・・。
    3辺の比が3:4:5の、見慣れた直角三角形の角ではあるけれど、角の大きさは知らない・・・。

    じゃあ、加法定理?

    5sin(θ+α)=5 より
    sin(θ+α)=1
    加法定理を用いて、
    sinθcosα+cosθsinα=1
    sinα=3/5 , cosα=4/5 を代入して、
    sinθ×4/5+cosθ3/5=1
    4sinθ+3cosθ=5

    ・・・え?
    元に戻った・・・。

    ここで行き詰まってしまいます。

    三角関数の合成や加法定理を身につけているのですから、それなりに勉強しているのですが。
    例題通りの基本問題ならば、解けるのですが。
    でも、この問題は、解けない・・・。


    コサインをサインに変える方法・・・。

    これを自力で発想するのは、実際のところ難しいと思います。
    しかし、この類題を解いたことがあり、そこから吸収したものが頭の中に残っている人ならば、解くことができます。

    やってみましょう。
    4sinθ+3cosθ=5
    まず、これをcosθについて解きます。
    3cosθ=-4sinθ+5
    cosθ=-4/3sinθ+5/3 ・・・①

    これをどうするのか?
    これを公式に代入するのです。
    sin^2 θ+cos^2 θ=1 ・・・②
    という、たいていの人は覚えている、数Ⅰで学習した基本公式に。

    ①を②に代入して、
    sin^2 θ+(-4/3sinθ+5/3)^2=1
    sin^2 θ+16/9sin^2 θ-40/9sinθ+25/9=1
    25/9sin^2 θ-40/9sinθ+16/9=0
    25sin^2 θ-40sinθ+16=0
    (5sinθ-4)^2=0
    sinθ=4/5

    解き方を知ってしまえば、とても簡単。
    でも、自力では発想できないことが多い問題です。


    私たちは数学者ではないので、無から有を生み出すことは、できない場合が多いです。
    数学において、ゼロから1を発想することは、多分、できない。
    知っている公式と知っている解法との組み合わせで、入試問題を解けばいい。
    受験勉強は、そのための準備をすればいい。
    つまり、上の解法パターンが頭の中にあればいいのです。
    sin^2 θ+cos^2 θ=1
    という基本公式の使い方を知っていればいい。
    新しい問題を見たときに、この解法パターンが使えるのではないかと、発想できればいいのです。

    この問題を解くことで、それを吸収し、全く関係のない別の場面でそれを思い出して使えるのが、学習能力。
    学習能力の高い人は、問題の解き直しをしなくても、この問題をまずは自分なりに解こうとして苦しみ、解けずに解説を読んで愕然とし、でも、以後、それを忘れずに頭の中に入れておいて適宜使います。
    1回では無理ならば、何回でも解き直すことで身につける場合もあるでしょう。
    それが、翌日に解き直し、3日後に解き直し、10日後に解き直す、というやり方なのだと思います。

    ただ、それが、その問題の解き方を覚えるだけで終わるのか、他の場面で応用が効くのかは、未知数です。
    できるのかもしれない。
    できないのかもしれない・・・。
    本人の学習能力次第です。

    さらに言えば、一人で勉強していると、この解法パターンを把握できない可能性があります。
    この問題の焦点は、sin^2 θ+cos^2 θ=1 という基本公式の使い方です。
    しかし、そのことを把握できず、全体に何だか混乱したまま、何がどうなのか分析もよくできないのに解き方だけ丸暗記する、という学習の仕方をしてしまう人もいます。
    そうした人は、一度解いたことのある個々の問題は解けるけれど、応用が効かないのです。

    個別指導は、そこを補助できます。
    この問題で吸収すべき要点は何なのか。
    どういう発想のものなのか。
    それを幾度も強調し、何をどう理解し頭に入れておけばいいのかを明瞭にします。
    どういうときに、どういう発想をすればいいのか。
    そこをシステム化すると、数学が苦手だった子も、数学で得点できるようになります。
    学習とは、何をどうすることであるかの、言語化、システム化。
    とても難しいことではあるのですが。

    だから、家庭学習で何をどのようにやればいいのかという質問に、私は上手く答えられないのかもしれません。
    何をどんな量で、どんなやり方でやれば必ず学力が上がる、ということはないからです。
    勿論、ある程度の量はこなす必要があります。
    そして、宿題は解いてくること。
    その宿題で授業をするから。
    そうとしか言えないのです。

    上の問題で、sin^2 θ+cos^2 θ=1 を用いる発想を、どの類題で、どのように思いつくのか。

    これは、感覚的には、空中から突然現れるようなものです。
    問題を正面から考え、行き詰まったら後ろから考えていると、わからないところの距離が縮まる。
    距離が縮まった瞬間に放電する。
    その電気は、空中から突然現れます。
    通電し、すべてがつながります。
    そんな言い方しかできないうちは、私もまだ、言語化できていないのかもしれませんが。

      


  • Posted by セギ at 21:51Comments(0)講師日記算数・数学

    2024年02月12日

    生徒を募集しています。2024年3月。



    現在の成績は問いません。
    未来の秀才を求めています。
    小さな個別指導塾ですが、1人1人の成績を確実に上げることを目標に、実績を上げています。
    担当は、受験指導30年のベテラン。
    「上手な授業」を行うパフォーマーよりも、受け持った生徒の成績を本当に上げることが目的の「学習トレーナー」です。
    必要な時期に必要な学習内容を提示します。
    高校受験は、毎年全員が第一志望校に合格しています。
    大学受験も、毎年、大きな成果を出しています。
    詳しくは、合格発表のページをご覧ください。


    ◎時間   
    1回の授業は90分です。
    月曜日から土曜日までの各曜日 
    16:40~18:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30

    ◎現在空いている時間帯 
    2024年3月
    月曜日 16:40~18:10 , 20:00〜21:00
    火曜日 20:00〜21:00
    水曜日 20:00〜21:00
    金曜日 18:20~19:50 , 20:00〜21:00
    土曜日 18:20~19:50

    ◎授業形態   
    1対1の完全個別指導です。

    ◎指導科目 
    中高一貫校受験 算数・国語
    私立受験算数・国語
    一般算数

    中学各学年の数学・英語
    中高一貫校 数学
    中高一貫校 英語
    高校受験 数学
    高校受験 英語
    高校受験 国語
    高校受験 理科・社会 
    (理・社は都立受験の中3限定で、90分で2科目も可能)

    高校生各学年の数学・英語
    大学受験 数学
    大学受験 英語
    内部進学・推薦入試向けの内申重視の数学・英語も承ります。
    英検など各種英語検定対策も行っております。

    ◎費用 
    週1回 受講で、月額22,000円
    週2回 受講で、月額38,000円
    (内訳 90分1コマ4,500円、月5コマ以上受講される場合は、5コマ目以降は1コマ4,000円。諸経費・教材費月額4,000円。)
    他に入会金を10,000円いただきます。

    ◎所在地   
    三鷹市下連雀3-33-13 三鷹第二ビル305
    三鷹駅南口から徒歩5分。赤鳥居通りにある、春の湯の斜め前のビルです。1階がセブンイレブンです。

    ◎入会までの流れ
    まず、無料体験授業をお受けください。
    左の「お問い合わせ」ボタンを押し、必要事項をご記入のうえ、送信してください。
    スマートフォンでご覧の方は、画面を一番下までスクロールし、「パソコン画面に切り替える」を押しますと、パソコン画面が表示されます。
    緑色の「お問い合わせ」ボタンを押してください。
    返信に数日かかることがあります。ご了承ください。
    以下の内容をご記入いただけますと、以後のやりとりがスムーズです。
    ①お子様の学校名
    ②学年
    ③性別
    ④ご希望の通塾曜日・時間帯
    ⑤ご希望の体験授業日時
    ⑥希望科目
    ⑦体験授業の希望内容
    (例 「1次関数」 など)

    受験生の健康に留意し、講師との距離は2メートルを保ち、毎時間、換気と机・椅子の消毒を行っております。
    授業時は、受講生全員にマスクの着用をお願いしております。
    オンライン授業も承ります。

    お問い合わせ、お待ちしております。





      


  • 2024年02月12日

    春期講習のお知らせ。2024年。


    2024年度春期講習のお知らせです。
    詳細は、書面にしてお渡しいたします。
    メール・LINEまたは申込書でお申込みください。
    なお、この期間、通常授業はありませんので、いつもの時間帯の授業を希望される方も改めてお申込みください。
    外部生の募集もいたします。

    引き続き、教室ではマスク着用をお願いいたします。
    感染対策を万全に行い、安心して学習できる環境を整えております。

    以下は、春期講習募集要項です。

    ◎期日
    3月25日(月) ~4月6日(土)
    ただし日曜日は休校といたします。

    ◎時間帯
    10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 13:20~14:50 , 15:00~16:30 , 16:40~18:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30

    ◎形式 
    完全1対1の個別指導となります。

    ◎費用
    1コマ90分4,000円×受講回数

    ◎指導科目
    小学生 一般算数・受験算数・英語
    中学生 数学・英語
    高校生 数学・英語



      


  • 2024年02月03日

    アクティブラーニングはどうなったのか。


    セツブンソウが、都立野川公園で咲き始めました。
    上の画像がそれです。
    今週はまだぽつぽつと咲き始めたところでした。

    さて、共通テストは、今年も難しかったですが、全体の平均点はむしろ年々上がっていると聞きます。
    ということは、生徒の学力が上がっているということなのか?
    どうも、そうではなさそうです。
    学力がおもわしくない層は、もうそもそも共通テストを受けなくなった可能性が高いのです。
    学校推薦や総合型選抜という形で、自分の成績で入れる大学に進学する子が過半数。
    それもありますが、それだけでもなさそうです。

    本来、共通テストは、国公立大学を受ける子にとって必須なだけでなく、私立志望の子も、受けることがあります。
    私立大学が、共通テスト利用枠を用意しているからです。
    個々の大学入試を受けなくても、共通テストの得点で、合否を判断される枠です。

    ただ、勿論、一般受験と比べて合格人数が少なく、倍率は高い。
    共通テストは、昔のセンター試験とは違って癖が強いので、そのための準備をしなければなりません。
    準備せずに受けても、いい点は取れないので、合格しないから、意味がない。
    国公立大学が第一志望の人たちは、共通テスト対策も十分なので、「別の勉強」をする必要がなく、私立大学の滑り止めを確保する。
    そういう人たちで、共通テスト枠の合格者は上から埋まっていきます。
    ならば、私立志望の人は、受けても意味のない共通テストのために中途半端に勉強するよりも、志望校の出題傾向に合わせた勉強をしたほうがいい。
    そのように考える受験生が増えているのかもしれません。

    共通テストはセンター試験とどう違うのか?
    もう、十分わかっている人が多いと思いますが、あえて簡単に説明すれば、問題文が長いのです。
    数学ですら、読解力が必要となります。
    一方、国語や英語でも、分析力や思考力が必要となります。
    しかも、問題量が多い。
    時間内に全問解くには戦略が必要です。
    厄介です。

    すべては教育改革の一環。
    センター試験が共通テストに変わったのと同じ頃、盛んに言われるようになったのが、アクティブラーニングでした。
    しかし、今、学校では、アクティブラーニングは以前ほどは言われなくなったような気がします。
    やっても、そんなに効果があるわけではないからでしょうか。
    最初の頃は、文科省の意向を汲んで、形だけやってみた。
    効果がないのを確認して、なし崩しに、以前の授業の形式に戻った。
    そんなこともあるような気がします。
    プリントによるグループ学習の形では残っているようですが、討論の形は、すたれつつあるように思います。

    共通テストと、アクティブラーニングは、同じものを目指しています。
    思考力を問う。
    ただの暗記ではない学力を養う。
    あるいは、そういう学力を試す。

    では、そうした「新しい学習」の恩恵を生徒全員が受けたのかというと、実際はそうではなく、むしろ格差が開いた、と感じることのほうが多いのです。
    共通テストに歯が立つ子は、限られています。
    そして、そうした子たちならば、アクティブラーニングで学習を深めることもできるのだと思うのです。


    アクティブラーニングが盛んに言われた当時、それを推奨する学者がツイッターで、こういうのがアクティブ・ラーニングだと説明しているのを目にしたことがあります。

    「黒板に先生が文を書く。
    『正方形の右に正三角形が2つ並んでいる』
    これを表す図を描いてみましょう、はアクティブ。
    『隣りの人と絵を交換して、合っているかどうか確認してみよう』
    もアクティブ。
    『合っているかどうかわからなかったのはある?』
    黒板にその図を貼って、みんなで議論。十分アクティブ」

    ・・・・うわあ・・・。

    何というか、過去に引きずり込まれるような嫌悪感がありました。
    確かに、これが、アクティブ・ラーニング。
    私が中学生の頃、毎日毎日、学校で受けていた授業です。
    私は、国立大学教育学部の附属中学に通っていました。
    新しい形の授業を、有能な先生たちが実験的に行う。
    私たちは、その実験台でした。

    ツイートはさらに続きました。
    「先ほどの問題。
    □△▽や◇▽▽について
    『間違っている』
    『よくわからない』
    に手を揚げる子は当然予想されて、
    『合っていると思います』
    という子と議論になる。
    それで『正方形とは何か』『正三角形とは何か』というまさに『定義とは何か』を学ぶことになる」

    ・・・うわあ。
    いやだいやだ。

    上のツイートを見て、
    「わあ、面白そう。そういう授業を私も受けたかったなあ」
    そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。
    でも、それは、今、大人として、上のように平易な課題を見るからだと思うのです。
    正しい結論がすぐにわかりますから、議論に参加できそうで「面白そう」と感じるという側面はないでしょうか。
    知識も判断力も小学生に戻って、学校でその課題を与えられる幼い自分を想像してみてください。
    そのストレスの大きさ。
    正解がわからない議論に常に参加していくプレッシャー。
    何が最終目的なのかわからない課題を積極的に解決していかなければならないのです。
    子どもには、先生の意図や、この学習の真の目的は、見えないのです。
    謎解きの喜びと同じだけ、困惑と負荷の伴う学習です。


    そもそも、子どもというのは案外保守的で、固定観念が強いものです。
    上の課題が与えられて、◇▽△という、先生が歓喜するような非凡な図を描く子は、ほぼいないと考えたほうが良いのです。
    賢い子は、「□△△」という平凡な正答の図を描くと思います。
    一方、「△□□」などの明らかに間違った図を描いてしまう子も多いでしょう。
    凡庸な正解と、ただの不正解。
    それしか現れない可能性があります。

    間違った図を描いた子の中で、自分の間違いにすぐに気がついた子は、間違ってしまった恥ずかしさから立ち直るのに時間が必要です。
    その精神状態で、後の議論に参加するのは難しいかもしれません。
    もっとまずいのは、間違った図を描いて、隣りの子にバツをつけられても、なぜ間違っているのか理解できない子が一定数いると予想されることです。
    間違いを具体的に指摘されても、なぜ間違いなのか理解できない学力層の子が存在します。
    「△□□」の図が間違っていることに本来議論の余地はないのですが、間違っている子が多ければ、それも議論しないわけにはいきません。
    しかし、それは、その授業で予定していた学びとは違うでしょう。

    先生はそれを手短に終わらせるよう、議論をコントロールしなければなりません。
    予定していた学びとは異なる、つまらないミスによる間違いに関する議論は、深い学びにはつながらないからです。

    間違った図を描いたのに、それのどこが間違っているのか理解できない子は、そこで授業に取り残されます。
    その先の議論には参加できないと思います。
    その後の議論など耳に入らず、自分の間違った図をぼんやり見つめるだけでしょう。
    そして、その子のノートには、△□□という謎の図だけが残されます。

    家庭で、保護者の方が、
    「今日は学校で何を勉強してきたの?」
    と尋ねても、
    「わからない」
    以外の応えは返ってこないかもしれません。
    ノートを見ても、謎の図しか残っていません。
    アクティブ・ラーニングには、そうなる危険性があります。

    興味深く議論の題材になるような非凡な図を生徒が描く可能性は低いです。
    賢い子たちは、□△△という、わかりやすい正解の図を描きます。
    それでは、議論になりません。
    ですから、先生は、あらかじめ用意していた図を黒板に貼ることになるでしょう。
    ◇▽△ といった図です。
    さて、これは正しい図でしょうか?

    「正方形の右に正三角形が2つ並んでいる」
    この図は、それを正しく示しているでしょうか?
    正しいと思う人と思わない人に分かれて、議論始をめるための図です。

    この図を「間違っている」と考え、しかも積極的に議論に参加してくれる生徒は、この授業にとって貴重な存在です。
    この図を間違っていると思う生徒の学力評価がそれで下がることはありません。
    むしろ、議論の中で思考が深まり、劇的に考えが変わっていくなら、先生は特にその子を高く評価する可能性があります。

    しかし、秀才たるもの、最初からこんなことはわかっていることを周囲に示したい。
    最初から、正しい答えを選びたい。
    間違った判断は最初からしたくない。
    そんなこと、本当は誰も気にしていないのに、それを気にして立ち回り、疲れ果ててしまう子もいるでしょう。
    こうした学習が、秀才にとってもストレスであるのは、そうした点です。

    繰り返しますが、大人にとっては、□も◇も正方形、△も▽も正三角形であることは自明の理です。
    正解がわかり、何のための授業であるのか、その道筋もわかるから、この議論に参加するのは楽しいことに思えます。
    □も◇も正方形であることを理解することから、正方形の定義というものに考えが至り、さらには定義とは何かまで学習を深めていくのだ。
    凄いなあ。
    楽しい授業だろうなあ。
    アクティブだなあ。
    アクティブ・ラーニングっていいなあ。
    そんな授業、私も受けたかったなあ。
    そう思うかもしれません。

    しかし、好きでも得意でもない高等数学で、課題を与えられ、多様な解き方を示されて、どれが正しい解き方かを議論することを要求される自分を想像してみてください。
    恐怖しませんか?
    どれが正しい解き方か、どの解き方が一番合理的かなど、見てもわからないのだとしたら。
    議論に参加できる可能性がゼロなのだとしたら。
    そんなのはいいから、正しくて簡単な解き方を1つ教えてくれ、それを覚えるから、となりませんか?
    小学生にとっては、上の課題はそういう課題です。
    「定義とは何か」にまで学習を深めることができる子は、少数です。
    一握りの秀才の学力は飛躍的に伸びますが、大多数の子を置き去りにする可能性があります。

    新しい学習のように言うけれど、私が中学生の頃と何も変わりません。
    結局、日本の教育はこの40年、ここから一歩も先に進んでいないのかもしれません。
    私は、そのような授業でよく発言していました。
    あれは、面白い授業でした。
    当時の深い学びが、今の自分につながっていると、言えば言えるのかもしれません。
    それでも、ある種ぞっとする感じがつきまとうのです。
    深い霧の中で目的も定まらず、ただ生き残るために全神経を張り詰めるサバイバルゲームを常に続けていたような。
    自分は闘いたくはないのに、常に闘いを強いられていたような。
    そして、その授業でほとんど意見を言うことはなく、
    「勉強がわからない」
    「学校がつまらない」
    と言っていたクラスメートたちの顔が浮かぶのです。

    この仕事をするようになって、国立大学の附属中学に通う生徒の個別指導を受け持つ機会が幾度かありました。
    私の頃と同様に、そうした学校では実験授業が行われていました。
    アクティブ・ラーニングです。
    「学校の授業は、何をやっているのかわからない」
    「学校の授業は、勉強のできる何人かと先生が話しあっているだけ」
    同じような感想を異口同音に聞きました。

    そういう学校は、授業は難解でも、定期テストは、特別難しい問題が出題されるわけではありません
    前半は易しい基本問題、後半にいくにしたがって、難度を増していく、良問ぞろい。
    実験授業を行っている先生たちは有能ですから、テストもほれぼれするような構成になっていることが多かったのです。
    しかし、私が個別指導をすることになった子たちは、そのテストの基本問題さえ正解できていませんでした。
    単なる1次方程式や連立方程式の計算問題が解けないのでした。
    普通の公立中学に通っている数学が「2」の子だって、それくらいは正解するのに。

    国立の附属中学校は、私立の中高一貫校のように進度を速めた授業をしているわけでもありません。
    学年相当の普通のことを学んでいました。
    ただし、実験的な手法で。
    アクティブ・ラーニングで。
    学校の授業で何をやっているのかわからないので、家でも何を学習して良いのかわからず、テストに何が出題されるのか、わからないというのです。

    その子たちにも原因はあります。
    せめて、家に帰ったら、コツコツと基礎的学習をしたら良かったのです。
    そうした学校は、普通の教科書に沿った普通の教科書準拠ワークを生徒に配布していました。
    それをコツコツ解いたら良かったのです。
    学校で何をやっているかわからないから勉強しない、というのは言い訳です。
    学校の授業を口実に勉強しないでいるだけです。

    私が個別指導を担当した、学校の授業内容がわからず成績不振に悩んでいる子たちは、学習習慣が身についていない子ばかりでした。
    塾で基本を丁寧に教え、それについて復習するだけの宿題を出しても、解いてきませんでした。
    1週間後、塾に来る直前になって慌てて手をつけ、上手く解けず、もう忘れた、わからなくなったと言い訳することが多かったのです。
    宿題を解いてくるようになるまでが、まず第一関門。
    錆びついた巨大な機械に油を差し、動きだすようにするまでには、大変な時間と労力が必要でした。

    でも、その子たちだけを責めて、切り捨てるのは、いかがなものか。
    学習目標を明確に提示し、何を覚え何ができるようになれば良いかを示された授業で懇切丁寧に教えてもらえていれば、彼らはそれほどの学業不振にはならなかったでしょう。
    アクティブ・ラーニングは、両刃の剣です。

    もう一つ言うならば。
    ◇が正方形に見えない子、▽を正三角形と認識できない子は、いつの時代にもいます。
    学校でのクラス全体の議論や、グループ・ディスカッションには参加できず、学校でどのよう結論が出されようとも、◇は正方形ではない、これはひし形だ、と心の中で思っている子はいます。

    そうした子が何をどのように誤解しているのか、それを明らかにしていくことでしか解決のつかないことがあります。
    時間はかかるかもしれませんが。

      


  • Posted by セギ at 18:11Comments(0)算数・数学

    2024年01月24日

    中1数学「正負の数」。正負の数の加法・減法。


    もう4年前になりますが、中1の生徒の数学の宿題の答が、こんなふうだったことがあります。

    (+3)+(+5)
    =(+3)-(-5)
    =-2

    当時は、コロナ禍が始まったばかり。
    学校が突然休校になり、卒業式もなく小学校を卒業したその子は、中学に入学後も登校する機会は限られていました。
    私も、リモート授業を導入した時期です。
    生徒にとっては、とにかく、学習する機会が少ない。
    中学の最初の学習を、自習しなければならない。
    大変なハンデでした。

    そうした数々の困難があったとはいえ、しかし、この宿題の出来は、ありえないんじゃないか?
    これは、小学校の1年生で学習する
    3+5
    と同じなのに。
    答は、当然、8なのに。

    そう思う人もいるでしょう。
    特に保護者の方ならば、この答案を見たら貧血を起こしそうになるかもしれません。
    しかし、これは、そう珍しい現象ではありません。
    学習の初期に、こうなってしまう中学生は、います。
    そして、このまま、正負の数が全くわからなくなるのかというと、そういうことはありません。


    ただ、そのままでは課題があるのも事実です。

    中1「正負の数」は、数学の学習の中で、もっとも簡単なようでいて、教えるのは難しいものの1つです。
    基本中の基本になるほど、それを「わからない」という子に説明するのは困難を極めます。
    一応わかったのだろうと安心するのは禁物です。
    「正負の数」の単元の終わりに復習すると、
    (+3)+(+5)=-2
    といった答案を再び目にし、愕然としました。

    何で?
    それは、小学校1年生で学習した、3+5よ?
    答は8に決まっているでしょう。
    なぜ、中学に入ったら-2になると思うの?
    なるわけないでしょう?

    といった「常識の押し付け」は、しかし、教える者と教わる者、両者にとって不幸です。

    それは、「正負の数」の体系が、その子の中に形成されていないということなのです。
    いや、むしろ、算数・数学の基盤が形成されていなかったのです。
    算数の学習が、小学校の低学年からやり方の丸暗記に終始していたのかもしれません。
    だから、その子にとっては、やり方をちょっと間違ったためにそんな答になっただけで、深い意味はないのでした。
    そして、それは、小学校の低学年から延々と続いてきた学習習慣で、そう簡単には改められなかったのです。

    (+3)+(+5)
    =(+3)-(-5)
    =-2

    ところで、この答案の2行目は、数学的には間違っていません。
    そんなことをする必要がないのにそんなことをしているから、正答が出ないだけです。
    (+3)+(+5)
    =(+3)-(-5)
    は、正しい変換です。


    「正負の数」は、まず、正負の数の意味から学習が始まります。
    正の数と負の数が存在することは、大半の子が理解できます。
    寒暖計の目盛りの-10℃など、負の数の存在は、幼い頃から目にしています。
    そういうものが存在することは知っているのです。

    しかし、次の段階で早くもつまずく子が現れます。
    あることがらを、正負の数を用いて言い表す問題です。

    問題 次のことがらを正の数を用いて表せ。
    (1)-20㎏の増量
    (2)-30万円の収入
    (3)-1万人の減少
    (4)-4分の遅れ

    正解は、
    (1)+20㎏の減量
    (2)+30万円の支出
    (3)+1万人の増加
    (4)+4分の進み

    言葉遊びのようですが、後に正負の数の減法を理解するための全てがここに詰まっています。
    この言い換えが理解できないと、正負の数の減法の符号の操作は、理解できないのです。
    しかし、この問題の重要性どころか、その意味すら理解できずに通りすぎていく子は多いです。

    そうした子の誤答の例としては、
    (1)+20
    (2)+30
    (3)+1万
    (4)+4
    と、符号を+に変えただけで、㎏といった単位もついていなければその後に続く言葉も書いていない場合があります。
    問題の意味を理解していません。

    「いや。そういうことではないんですよ。その後に続く言葉も含めて、このことがら全体を正の数で言い表すんですよ」
    と説明しても、書き直したものは以下のような誤答ということもあります。
    (1)+20㎏の増量
    (2)+30万円の収入
    (3)+1万人の減少
    (4)+4分の遅れ
    後ろにつく言葉を言い換えていないのです。

    「-20㎏の増量と、+20㎏の増量は、意味が反対だと思わない?それでは、同じことを言い表したことにならないよね?」
    「え?同じことを表すの?」
    「・・・そうですよ」

    ・・・何だと思っていたの?

    やり方しか暗記しない子の多くは、また、問題文をほぼ読まないという、もう1つの習慣を持っていることがあります。

    さて、問題の指示する内容がわかったとして。
    ここでまた「やり方だけ暗記する」という悪い習慣を発動する子がいます。

    -20㎏の増量は、+20㎏の減量と言い換えれば正答らしい。
    ははあ、数字の符号を反対にして、言葉を反対にすればいいだけか。

    そのように「やり方」を把握し、それでさっさと処理する子が現れます。
    正解は出せるのですが、意味はわかっていません。
    こんなことを、なぜ学習したのか?
    なぜこんな問題が出題されるのか?
    それは、理解していません。

    意味を理解すると、これは面白いのです。
    -20㎏の増量は、+20㎏の減量。
    確かにそうだなあ。
    じゃあ、体重が1㎏増えたときは、「-1㎏減りました」って言えばいいんだ。
    1万円赤字のときは、「-1万円の黒字です」って言うんだ。
    面白い。
    ひねくれた言い方で、面白い。
    そうした言い換えを面白く感じ、頭に沁みていくなら、それが頭の中の数理の体系に静かに組み込まれていきます。

    とはいえ、
    「-5㎏の減量」=「+5㎏の増量」
    ということが、理解しづらい様子の子もいます。
    説明してもポカンとしてしまいます。
    それは、すんなりイコールではないのではないか?
    そうとは限らない、何か余白の部分のようなものがあるのではないか?
    そう感じるのかもしれません。
    これが、面白い、わかる、という子と。
    意味がわからない子と。
    その差は、確かに大きいのです。

    このことが、正負の数の減法に大きく影響してきます。


    でも、まずは、「正負の数の加法」、すなわち、たし算の学習に進みましょう。

    正負の数のたし算の考え方の基本は、数直線上の移動です。
    正の数は、原点よりも右に移動した点。
    負の数は、原点よりも左に移動した点、で表される。

    (+3)+(+5)
    これは、数直線上の原点から、まず右へ3移動した+3の位置から、さらに右へ5移動することを意味します。
    右へ3移動し、さらに5移動。
    だから、答は、+8。

    (+3)+(-5)
    これは、数直線上の原点から、まず右へ3移動した+3の位置から、左に5移動することを意味します。
    右に3移動した後、左に5移動。
    結局、原点から左に2だけ移動したことになります。
    だから、答は、-2。

    (-3)+(+5)
    これは、数直線上の原点から、まず左に3移動した-3の位置から、右に5移動することを意味します。
    左に3移動した後、右に5。
    だから、答は、+2。

    (-3)+(-5)
    これは、数直線上の原点から、まず左に3移動した-3の位置から、さらに左に5移動することを意味します。
    左に3移動後、さらに左に5。
    だから、答えは、-8。


    これを理解できない子は、ほとんどいません。
    教科書や問題集に書かれた数直線上にペン先を立てて、一所懸命右へ左へと移動させて、答を導いていきます。

    そして、これが加法の本質であり、私は今もそれを頭の中でやっています。
    頭の中の数直線で数を移動させています。
    いちいち数直線を描いたり、数直線の目盛りを数えたりはしないだけで、頭の中に数直線のイメージは常にあります。
    やり方だけ暗記する子は、おそらく、頭の中に数直線のイメージがないのだと思うのです。

    なぜ、頭の中に数直線のイメージがないのか?
    次の学習段階で、この計算方法のルールをまとめてしまうことも一因かもしれません。
    (+3)+(+5)=+8
    (+3)+(-5)=-2
    (-3)+(+5)=+2
    (-3)+(-5)=-8

    これからわかるルールは?
    同符号のたし算の答は、その符号で、絶対値の和。
    異符号のたし算の答は、絶対値の大きいほうの符号で、絶対値の差。

    このルールの整理は、頭の中の数直線上の移動を円滑にするための補助に過ぎないのですが、これが学習のメインになってしまう子も多いのです。
    このルールを丸暗記し、そのルール通りの操作で以後は計算しようとします。
    そして、まだこの段階では、大きな問題は起こらないのです。


    さて、いよいよ正負の数の減法に入ります。
    ひき算です。
    (+3)-(+5)
    さきほど出てきた「言葉遊び」がここで生きてきます。
    「+5をひく」ことは、「-5をたす」ことと同じです。
    よって、
    (+3)-(+5)
    =(+3)+(-5)
    =-2

    (-3)-(-5)
    「-5をひく」ことは、「+5をたす」ことと同じです。
    よって、
    (-3)-(-5)
    =(-3)+(+5)
    =+2

    正負の数の減法は、すべて加法に置きかえて計算します。
    この世にひき算は存在しない。
    全て、たし算なのだ。
    そのように意識を切り替えるのです。

    理解していれば、何も問題はないのです。
    しかし、丸暗記で済ませている子にとっては、そろそろ重荷が増してきています。
    上のような符号の操作も、丸暗記で済まそうとします。
    -+は、+-に書き換える。
    --は、++に書き換える。
    というように。

    だから、ミスが絶えません。
    (+3)-(+5)
    =(+3)-(-5)
    =(+3)+(+5)
    =+8
    という謎の二度手間の誤答をする子もいます。
    (-3)-(-5)
    =(-3)+(-5)
    =-8
    というミスも多いです。
    やり方を丸暗記しようとして暗記できずに起こった操作ミスです。
    意味がわかっていたら、こんな誤答はしないのですが。

    冒頭の宿題の誤答は、この時期に起こりやすいミスです。
    減法を学んだ後で加法の復習をすると、全部、減法のように符号を変えるのだと勘違いしてしまうのです。
    (+3)+(+5)
    =(+3)-(-5)
    これ自体は確かにイコールで結ばれる正しい変換ですが、こんなことをする必要はありません。
    もともと、与式が加法なのですから、そのままで計算できます。
    でも、減法の記憶が強く、加法も減法のように符号を変えてしまったのでしょう。
    ただの操作手順でやっているから、そういうミスが起こります。

    こんな簡単な正負の数の計算で誤答していると、多くの大人はこれを見て驚いてしまいます。
    でも、その驚きは不毛です。
    誤答しているから驚いているだけではないかと思うのです。
    単なる手順の丸暗記で解いていても、正答していれば、驚かない。
    手順をミスしているから、驚く。
    それだけのことかもしれないからです。
    やり方だけ覚えて正しい答が出せればそれでいいのなら、そんなのは、大抵の子は、いずれ出来るようになります。
    中3になっても、正負の数の計算でしくじる・・・という子は少数です。
    やり方だけなら、いずれ身につきます。
    4年前の子も、すぐにそんなミスはなくなりました。

    ただ、意味を理解する学習は、その後も本当に大変でした。
    意味がわかっていないまま、ただ手順を暗記しようとしていると感じる度に、それを阻止し、意味に戻りました。
    それでも、本人は、作業手順を暗記するだけのほうが楽なので、どうしてもそちらのほうに行こうとしました。
    先回りして、それを阻止する。
    その繰り返しでした。
    意味がわかっていないのに、正答だけ出ていても、それではダメです。
    高校数学に進めば、確実に挫折します。
    それは、
    (+3)+(+5)
    =(+3)-(-5)
    =-2
    と誤答してしまう状態と、そんなに違わない、と私は思うのです。


    数学は、丸暗記で済ませているといずれ限界がきます。
    意味を理解しなければ、先はありません。
    「正負の数」という単元で、何よりも学んでほしいのは、このことです。
    意味を理解して学んでください。
    頭の中に常に数直線をイメージし、実感で計算してください。


      


  • Posted by セギ at 12:51Comments(0)算数・数学

    2024年01月16日

    共通テストで失敗したと感じたら。2024年1月。



    さて、共通テストが終わりました。
    共通テスト、あるいはその前のセンター試験の思い出といえば、生徒が英語で失敗したことです。
    うちの塾で英語も数学も学習していた子と、数学のみだった子と、2人、時期は違いますが、それぞれ東京外語大に進学した子たちがいます。
    どちらも、英語は得意だったのですが、なぜかセンター試験、あるいは共通テストの英語でしくじっていました。

    ・・・何で?

    2日目の数学で起死回生の挽回を図り、二次試験も頑張って、無事に志望校に合格していきましたので、めでたしめでたし。
    だから、あまり気にしなかったのですが、よく考えたら不思議な話でした。

    模試でも、過去問を解いても、9割以上は得点していた子たちでした。
    それが、なぜ、センター試験・共通テストで失敗したのか?
    そして、なぜ、そんなに得意ではない数学で挽回したのか?

    考えてみて、ようやく気づいたのは、その子たちは、共通テスト前の2週間ほど、苦手科目ばかり勉強していたのかもしれない、ということでした。
    得意科目は、得意だから、もう大丈夫。
    苦手科目のほうがどうしても気になる。
    苦手科目で、どうしても、あと10点ほしい。
    そして、苦手科目のほうが、科目数も多い・・・。
    暗記教科は最後まで気になるし・・・。
    そこで、ついつい、英語の学習が後回しになったのではないか・・・?

    どれほど得意科目でも、2週間も放置したら勘が鈍ります。
    スピードも、解析力も、微妙に下がって、何より、そのことに本人が動揺します。
    語学は、継続以外に力を持続できる方法はないのです。

    考えてみたら簡単なことでした。
    注意を喚起し、声をかけるべきでした。
    それに気づかなかったのは、私はそういう勉強のやり方はしないからでしょうか。
    得意科目も苦手科目も、順番にまんべんなくやるタイプだったのです。
    1週間の予定表を立て、1科目を1時間勉強したら、ノートに描いた棒グラフをひとマス分塗っていました。
    何かの影響で、あまり勉強していない科目があれば、予定を立て直し、同じ時間になるように調整しました。
    何でそういうふうにしていたのか?
    これは性格的なことでしょう。
    それで問題が生じなかったから・・・としか説明のしようがありません。

    むしろ、そんなやり方のほうが、「何で?」と思われるのだろうと思いますし、そこまで厳密に学習時間を同じにしなくていいと思います。
    そして、直前に苦手科目ばかりに時間をかける人の気持ちも、わかるのです。
    得意科目は、もう93点が94点になるかどうかの話で、これ以上の伸びはないだろう。
    でも、苦手科目なら、直前に頑張れば、あと10点、もしかしたら20点、伸びるかもしれない。
    また、苦手というわけではなくても、暗記科目は、直前に時間をかけたい。
    考えれば、その気持ちは、わかります。

    でも、気づいてほしいのです。
    得意科目は、長期間放置しておくと、93点が73点に下がってしまう可能性があることに。
    特に、英語は。

    とはいえ、この助言は、たとえ事前に行ったとしても、聞き入れてもらえる種類のものではないのかもしれません。
    自分で失敗して、ようやく理解できることなのだと思うのです。

    ただ、だからといって入試自体の失敗に結びつくものでもない。
    希望は濃いのです。
    本質的には得意科目なのですから、二次試験までに立て直し、得意科目にも力を入れれば、問題はありませんでした。
    共通テストの得点なんて、合否判定では圧縮されます。
    93点も、73点も、圧縮されれば大差ありません。
    二次試験は科目数も減ります。
    ここで、得意科目がどれほど得意科目であるか、披露してみせればいい。
    そうやって、みんな合格していきました。


    さて、一方、苦手科目は?
    数学が苦手科目という人は多いです。
    たとえ得意科目で失敗しても、それを挽回できるくらいに、数学は、得意ではなくても苦手ではないというところまでは仕上げたい。
    とはいえ、数学の苦手を苦手でなくすのは、英語以上に難しいことです。
    数学が苦手になるに決まっているコースを、本人が小学生の頃から見事に歩んでいる、という場合が多いからです。
    しかも、本人自身の選択で。

    小学校低学年で、算数は、理解するよりも暗記するようになってしまう子が多いのは、これまでも繰り返し書いてきました。
    この単元は、かけ算。
    こういう問題なら、わり算、というように解き方を覚えてしまうのです。
    公式を覚えて、それに当てはめるだけ。
    意味を考えないで、それをやってしまうのです。
    問題文をろくに読まないで式を立てて解いてしまうようになります。
    何の実感もなく。
    小学校の低学年から。

    そして、中学受験をします。
    受験算数もまた、暗記、暗記、暗記。
    典型題の解法の丸暗記。
    それしか、勉強のやり方を知らないのです。
    そのやり方では、受験算数は難しくて、苦手意識ばかりが募ります。

    とはいえ、第一志望とはいかないものの、中学に合格する子が大多数です。
    算数は苦手なままだったけれど、他の科目でカバーして、合格します。
    さて、その後・・・。
    この先も、数学が苦手になる一本道が待ち構えている場合があります。
    これも、もう何度も書いてきました。

    私立は、そもそも、学校の進度が速い。
    中学1年生の1年間で、中1・中2の数学を終えます。
    それも、「代数」「幾何」の2科目に分けて一気に進んでいきます。
    学校の教科書は、文科省認定のものではなく、『体系数学』などの、ハイレベルなもの。
    問題集も、『体系問題集・発展編』などの、ハイレベルなもの。
    定期テストは、学年平均点が40点台。
    数学は得点が低いのが当たり前となり、それに慣れてしまいます。
    できなくて当然の科目になるのです。
    問題集のレベルが本人に合っていないため、易しい問題ですら混乱して、わからなくなっていきます。
    しかも、まずいことに、本人は受験がやっと終わって遊びたい気持ちが強いので、学習意欲が低い。
    あっという間に数学がわからなくなります。

    さらに、困難は続きます。
    幾何の教科書が、学校の独自テキストの場合があり、これがわかりにくいのです。
    素人がパソコンで編集しました、というようなレイアウトなので、つまらないし、見にくい。
    実は、幾何は、普通のことを普通の順番で学習しているだけなのに、テキストが独自なため、何か特殊なことを学習しているように本人が誤解し、「だから普通の参考書などでは勉強できないので、もう仕方ない」と思ってしまう・・・。
    幾何は勉強のやりようがないと思い込んで、捨ててしまいます。

    しかし、私立中学側も、企業努力をしないわけではないので、上のような点はこの10年ほどでかなり改善されました。
    幾何の学校独自テキストは、激減しました。
    諸悪の根源だったので、これが何よりありがたい。
    『体系数学』などの難解な教科書を採択する学校も随分減りました。
    あるいは、使ったとしても、中学数学の内容までの学校が多いです。
    高校数学は、文科省認定の数学の教科書を使用するのです。
    問題集も、ごく普通です。
    むしろ、都立高校で採択されているものよりも易しい問題集を採択している私立高校も多いです。
    無理をしない。
    無理をさせない。
    数学に苦手意識を持たせない。

    定期テスト問題も、易しくなりました。
    私立の数学のテストは、正直言って、公立の数学のテストよりも簡単なことがあります。
    結構有名な進学校で、ここに入れたら大喜びだろう私立の数学のテストがこんなに易しいのか・・・と驚くことがあります。
    本当に基本中の基本問題、そして、応用問題ならこれが出ると予想される典型題が、丁寧に出題されています。

    そうやって保護して保護して、数学ができるような気分にさせて、何とか大学受験に向かわせる。
    必ずしも間違ってはいない。
    良い教育姿勢だと思います。
    10年前までの、大多数が数学が嫌いになるような数学スパルタ教育がされていた頃とは時代が変わりました。
    過半数は、推薦入試か総合型選抜で大学に行くので、それで大丈夫なのですし。
    一般受験をするにしても、大学入試問題も、数学は年々易化しています。
    英語の爆発的難化とは対照的です。

    しかし、そうであってすら、数学が苦手な子は存在します。
    それは、小学生の頃から、本質を理解する学習をしてこなかった子たちです。
    意味を考えない学習を、ずっとやってきた子たちです。

    あまりにも算数がわからなくて、そうやってやり過ごすしかなかったからなのか。
    理解しようと思えばできたのに、理解せずに覚えたほうが楽だと判断して、それが習い性になってしまったのか。

    その結果。
    中学数学になると。
    数直線がわからない・・・。
    座標平面がわからない・・・。
    関数がわからない・・・。
    意味を理解せずにやり方だけ覚えてきた子たちは、数学そのものにアクセスできないので、苦手が長引きます。

    数直線上の2点間の距離を一目で把握できず、例えば、-2-(-4)といった式を立てて解くしかなく、それで符号ミスをしてしまい、距離が-2になっても、自分が間違えていることに気づかない子。
    高校生になっても、y軸上の点のy座標はゼロだと思ってしまう子。
    イコールの意味がわかっていないので、3/4x+6/5xといった、係数が分数の文字式全体を何倍かして分母を払ってしまう子。
    y=-2x-4 のグラフは、感覚的に、途中から y がプラスになって大きくなっていきそうに思えて、グラフが直線だと言われても納得できず混乱する子。

    数学オンチとでも呼ぶべき、そういう「感覚」のおかしさは、数学的な基盤がないことからくるのだろうと思うのです。
    そして、その基盤は、本当は小学生の頃に言語化されないレベルで頭の中に蓄積されているものなのですが、学習のやり方が悪かったために、それが行われなかったのだと思います。

    それを改善していくための対話。
    そして、意識を改革していくための暗記ではない学習。
    正しい情報の脳への刷り込み。
    そうしたものが必要です。

    数学が好きかどうかは別として、数学がわかるようになってください。
    共通テストで、あなたを救うのが、予想もしなかった数学であることは、案外あるかもしれないのですから。



      


  • Posted by セギ at 14:24Comments(0)算数・数学英語

    2024年01月01日

    冬休みなので難問を。正四面体を2色で塗る問題。


    明けましておめでとうございます。
    本年もよろしくお願い申し上げます。
    さて、冬休みなので、恒例のちょっとした難問を。

    問題1 正四面体の各面を2色の絵の具で塗る方法は何通りあるか。ただし、正四面体を回転させて一致する塗り方は同じとみなす。また、使わない色があってもよく、隣り合う面が同じ色であってもよいものとする。

    さて、自分で考えたい人は、ここでいったん閉じて、考えてみてください。

    この問題。簡単そうに見えて、意外に難しいのです。

    うーん?
    4つの面に1から4の番号を振って、考えればいいのかな?
    1つの面の塗り方は、2通り。
    4つの面では、塗り方は、2×2×2×2=16(通り)?
    でも、これでは、回転すると同じになる塗り方のことを考えていない・・・。
    では、回転すると同じになるのは何通りあるのか、考えればいいのかな?
    どの面を底面でとらえるかで、4通り?
    じゃあ、4で割って、答は、4通り?
    いや、円順列的なことも考えないとダメかな?
    じゃあ、4で割って、さらに底面以外の3面を円順列で考えると、2!だから、
    結局、8で割って、2通り?
    え?
    塗り方が、2通りしかないなんてことある?
    具体的に考えたって、全部同じ色で塗る塗り方だけで、もう2通りなんだけど・・?
    じゃあ、底面も含めての円順列で考えて、16通りを、3!で割る?
    16÷(3×2×1)
    え?
    答が自然数にならないんですけど・・・?

    この考え方の何がいけないのか?
    どのように色を塗っているのかによって、回転すると同じになる塗り方は違ってくるのです。
    だから、全部ひっくるめて、4×2!で割るとか、まして、3!で割るとかでは、正しい答は出ないのです。


    さて、ここからは解決編。
    面を基準に考えていたのでは、上のようにわからなくなります。
    これは、色の塗り方を基準に場合分けすると、比較的簡単に解けます。
    もっと簡単な解き方もあるかもしれませんが、わかりやすく場合分けする方法で解説します。

    (1) 4つの面をすべて同じ色で塗る場合。
    塗る色の選び方は2通り。

    (2) 4つの面のうち、3つの面を同じ色で塗り、残る1面を別の色で塗る場合。
    3面を塗る色の選び方は2通り。
    残る1面の塗り方は、残る色に自動的に決定。
    よって、2通り。

    (3)4つの面のうち、2つの面を同じ色で塗り、残る2面を別の色で塗る場合。
    これは、1通りしかありません。
    2面対2面で対等だからです。
    それはどの面を底面にして回転しても、同じ塗り方になります。

    (4)4つの面のうち、1つの面を1色で塗り、残る3面を別の色で塗る場合。
    これは、(2)と同じ塗り方なので、数える必要はありません。

    よって、(1)~(4)より、
    2+2+1=5
    答は、5通り です。


    さて、少し応用をやってみましょう。

    問題2 正四面体の各面を3色の絵の具で塗る方法は何通りあるか。ただし、正四面体を回転させて一致する塗り方は同じとみなす。また、使わない色があってもよく、隣り合う面が同じ色であってもよいものとする。

    さて、上の考え方ならば、もう簡単でしょうか。
    以下は、解答です。

    (1) 4つの面をすべて同じ色で塗る場合。
    塗る色の選び方は、色の数だけありますから、
    3通り。

    (2) 4つの面のうち、3つの面を同じ色で塗り、残る1面を別の色で塗る場合。
    3面を塗る色の選び方は3通り。
    そのそれぞれに対し、残る1面の塗り方は、残る色の2通り。
    よって、3×2=6 で
    6通り。

    (3)4つの面のうち、2つの面を同じ色で塗り、残る2面を別の色で塗る場合。
    2面対2面で対等。
    それはどの面を底面にしても、同じ塗り方になるのは、問題1と同じです。
    あとは、2色の選び方です。
    3色から2色を選ぶので、組み合わせの公式で考えて、
    (3×2)÷(2×1)=3 で、
    3通り。

    (4)4つの面のうち、2つの面を同じ色で塗り、1つの面を別の1色、残る1つの面をさらに別の1色で塗る場合。
    2面を塗る色の選び方は3通り。
    そのそれぞれで、残る1面ずつの色の選び方は1通りに決まります。
    これは、その2色の順番を考える必要はありません。
    回転させれば同じ色の塗り方だからです。
    よって、3通り。

    この他に色の塗り方はありません。

    よって、(1)~(4)より、
    3+6+3+3=15
    答は、15通り です。

    さらに応用。

    問題3 正四面体の各面を4色の絵の具で塗る方法は何通りあるか。ただし、正四面体を回転させて一致する塗り方は同じとみなす。また、使わない色があってもよく、隣り合う面が同じ色であってもよいものとする。

    もう簡単だと思いますよね?
    しかし、これは、落とし穴が待っています。
    気をつけて。

    以下が解答です。

    (1) 4つの面をすべて同じ色で塗る場合。
    塗る色の選び方は、色の数だけありますから、
    4通り。

    (2) 4つの面のうち、3つの面を同じ色で塗り、残る1面を別の色で塗る場合。
    3面を塗る色の選び方は4通り。
    そのそれぞれで、残る1面の塗り方は、残る色の3通り。
    よって、4×3=12 で
    12通り。

    (3)4つの面のうち、2つの面を同じ色で塗り、残る2面を別の色で塗る場合。
    2面対2面で対等。
    それはどの面を底面にしても、同じ塗り方になるのは、問題1と同じです。
    あとは、2色の選び方。
    4色から2色を選ぶので、組み合わせの公式で考えて、
    (4×3)÷(2×1)=6 で、
    6通り。

    (4)4つの面のうち、2つの面を同じ色で塗り、1つの面を別の1色、残る1つの面をさらに別の1色で塗る場合。
    2面を塗る色の選び方は4通り。
    残る2面の色の選び方は、残る3色から2色を選ぶので、3通り。
    よって、4×3=12 で、
    12通り。

    (5)4つの面を、1色ずつ別の色で塗り分ける場合。
    これは、1通り・・・?
    ・・・いいえ。
    ここが、落とし穴です。

    一番上の図を見てください。
    雑に描いた図なので、汚くてすみません。
    正四面体の展開図に、A、B、C、Dと書き込んであります。
    それぞれが、A色、B色、C色、D色だと思ってください。
    この展開図を組み立てます。
    上に描いた、2枚の展開図。
    組み立ててみると、この2枚は、色の配置が異なるのです。
    どう回転させても、左の展開図の正四面体は、右の展開図の正四面体とは色の配置が異なるのです。
    真ん中のA色を底面として考えるとわかりやすいと思います。
    側面が、右回りにB色、C色、D色となっているものと、左回りにB色、C色、D色となっているものは、どの向きに回転させても、決して重なりません。

    したがって、この塗り分け方は、2通り。

    この他に色の塗り方はありません。

    よって、(1)~(5)より、
    4+12+6+12+2=36
    答は、36通り です。


    うん?
    なぜ、問題3で左回り・右回り、と色分けを区別しなければならなかったことが、問題2では出てこなかったのか?
    問題2では、2色に塗った面どうしを入れ替えた位置に回転させた場合に、左回りの配置が右回りの配置となって現れるので、考えなくて良かったからなのです。
    3色での塗り分けならば、回転すれば同じ塗り方が現れます。
    4色で塗り分けると、回転しても一致しない塗り方が現れるのです。
    このあたりのことは、頭の中で正四面体を回転するイメージ力が必要になります。
    わかりにくかったら、紙で正四面体を作って、具体的に色を塗り分けて回転させてみてください。

    さて、これがわかれば、あとはもう何色でも大丈夫です。
    例えば、10色の場合の塗り方は何通りあるでしょうか。
    これも、上の解き方で計算できます。
    答は、925通り です。

      


  • Posted by セギ at 14:32Comments(0)算数・数学

    2023年12月25日

    問題の意味を考えることと、もう一度、「ひとりで解いた問題」。


    たとえば、小学生と、このような問題を解いているとき。

    問題 冷蔵庫に入っていたジュースの4/9を飲んだところ、350mL残りました。はじめに冷蔵庫に入っていたジュースは何mLですか。

    大人から見ると比較的単純な構造の割合の問題なのですが、受験勉強をしていない小学生でこれを解ける子は限られています。
    多くの場合は、
    350÷4/9 という式を立ててしまうのです。
    それは間違っていると言われると、混乱し、もうその先に進むことはできない子が多いです。

    「350mLというのは、残っているジュースです。4/9は、飲んだ分です。そこがズレていると『比べられる量÷割合=もとにする量』という公式にあてはめても、答は出ないですよ」
    そのように解説しても、目に光はやどりません。
    線分図を描いて解説しても、ポカンとしています。
    「4/9を飲んだのなら、残っている350mLは、最初にあったジュースの何分のいくつにあたるのでしょうか」
    そう声をかけても、日本語が通じていないのではないかというほどに反応がない子が多いです。

    実際、そういう説明をしているとき、私の日本語は、その子に通じていないのだと思います。
    思考体系が異なる宇宙人に解説しているような違和感をそんなとき覚えるのですが、それは、子どもにとっても同じことなのでしょう。

    では、その子は、どういう思考体系で算数の問題を見ているのでしょうか。
    おそらく、
    「割合の単元の問題は、かけ算か、わり算」
    そのような見方でこの問題をとらえているのだと思うのです。
    わり算が違うと言われたら、じゃあかけ算なのか?
    でも、こういう問題は、かけ算ではなかったような気がするけれど・・・?

    考えているのは、そんなふうなことではないのかと私は想像します。

    「冷蔵庫に入っていたジュースの全体①から、4/9 飲んだので、残りは、1-4/9=5/9 です。だから、350mLは、全体の5/9。
    もとにする量を求めるには、350÷5/9=630。答は、630mLです」
    そのように解説しても、霧の晴れた表情になることは、ほとんどありません。
    1-4/9 という式が、理解できないのでしょう。

    何でひき算?
    割合の問題なのに、ひき算?
    そもそも、1って何?

    ここが理解できない子は、中学受験生の中にもいます。

    もとにする量の割合は、➀。
    割合は、もとにする量を1と見たときに、比べられる量はどんな数で表すことができるか、それを示したもの。
    だから、割合は、たし算もひき算もできる。
    大人は、理解しています。
    例えば、3割引きの商品を見れば、つまり、それは、もとの値段の7割ということ。
    普通に、もとにする量➀、すなわち10割から3割を引いて考えます。

    しかし、子どもは、そのことが、当たり前のこととして理解できる子と、全く理解できない子に、大きく分かれます。
    そのように「割合」という単元を把握したことがないからだと思います。
    「くらべられる量」と「もとにする量」と「割合」が、頭の中に無関係に存在している子は、「もとにする量」を1と見ているということが、そもそも理解できません。
    もとにする量を➀ととらえたときに、比べられる量がどの程度であるのかを示した数字が「割合」であるということを理解していないのです。
    つまりは、割合をというものを、何も理解していないに等しいのです。

    それは、根本の定義を忘れて、解き方だけ覚えようとすることと関係があるのでしょう。

    割合の定義の最初に戻って考えましょう。
    例えばあるサッカーの試合で、Aさんは5本シュートし、3本ゴールしました。
    Aさんがゴールした割合は分数で言うと、どれだけですか?

    これは、割合がわからない子でも、答えられます。
    3/5です。
    では、全部ゴールできたのなら、その割合は?
    これは、5/5になります。
    すなわち、これがもとにする量➀なのです。
    普通のことです。

    この「普通のこと」が、頭の中でつながった瞬間、その子の目に光が宿ります。
    割合って、そういうことかっ!
    だから、「割合」という言葉なんだ。
    そもそも、そうなんだ!

    割合は、根本はこうした分数です。
    そして、分数は、式に直すと、わり算です。
    分子÷分母の式になります。
    比べられる量÷もとにする量=割合
    という公式は、このように、分数をわり算の式に直しただけのものです。
    そして、割合の式で、意味を伴っているのは、その式だけです。
    あとは、使い勝手がいいように、この式を逆算で変形した式があと2本あるのですが、それは逆算で変形しただけの式なので、意味は伴っていません。
    もとにする量×割合=比べられる量
    に関しては、ぎりぎり意味を理解することもできなくはないですが、
    比べられる量÷割合=もとにする量
    という式に、意味なんかありません。
    変形しただけだからです。
    これらの式をまとめて「割合の3用法」と呼ぶのは、変形しただけだからです。
    「3公式」ではなく、「3用法」。
    単に用法の問題で、別の公式ではないのです。

    ですから、割合は、意味をしっかり理解するところと、意味なんか関係ないとするところのメリハリが必要となります。
    そこが、常に逆に逆に作用してしまうタイプの子は、「割合」という単元で苦労します。
    意味を考えなくていいところで、意味でつまずく。
    一方、意味を考えなければならないところで、作業手順だけでやろうとしてしまうのです。


    もう何度も書いてきましたが、算数の問題は、この単元はかけ算、こういう問題はわり算、と解き方と手順だけ覚える子が多いのです。
    意味に戻って考えることがありません。
    そうした習慣が、小学校の低学年でついてしまい、そして、高校生になってもそのままである子も少なくありません。
    高校数学になってから急に「数学を理解したい」と思っても、理解するための基盤が、その子にないのです。
    小学校の算数を理解することを、してきてこなかったからです。

    意味に関して覚醒してくれれば、数学は得意科目になります。
    目を覚ませ。
    算数・数学の問題の解き方は、そういうものじゃないよ。
    手順を覚えるんじゃなく、なぜそうやって解くのか、理解しよう。
    意味に戻れるようにしましょう。
    そのように声をかけ、問いかけ、その子の脳が動き出すのを私は待っています。

    しかし、意味に戻って考えるというのは、本人の中に余程の動機がないと、なかなか始まらない作業でもあります。
    そんなとき、思い出す物語があります。

    それは、私が小学生の頃の国語の教科書に載っていた物語でした。
    教科書の終わりのほうにあった読み物で、実際の授業では扱われないまま終わりました。
    国語の教科書なのに、内容は算数の問題を解く話なので、扱わないのももっともだ、という内容なのですが、読んでいて、とても面白かった記憶があります。

    このブログで、もう10年以上前に書きましたが、もう一度改めて。
    人は、どんなときに、ものを考え、意味を考える動機を得るのか。
    そのヒントにもなると思うのです。

    物語のタイトルは、確か『ひとりで解いた問題』というものでした。
    大体、こんなふうな内容でした。
    随分昔の話ですから、細部には記憶違いもあると思いますが。

    主人公は、小学生の男の子。
    ある日、弟から算数の問題を質問されますが、解くことができません。
    しかし、「わからない」と言ったら、兄の立場が揺らぎます。
    そこで、「今は忙しい。あとで教えてやる」と言って、家を出て、時間を稼ぎます。

    問題は、こんなふうなものでした。
    「全部で24個のキャンディを、姉が妹の2倍の個数をもらうように分けました。姉と妹は、それぞれ何個もらいましたか」

    受験算数としては、易しい。
    でも、昔も今も、小学校で習う文章題ではありません。
    解き方を知っていれば簡単ですが、そうでないなら、思考力が必要になります。

    兄は、必死に考えます。
    まず、24個のキャンディを半分に分ける。それが姉の分。
    24÷2=12
    妹は、その半分。
    12÷2=6
    わかった。姉が12個で、妹が6個だ。

    ところが、弟に教えるにあたって、決して間違えてはならない兄は、ここで検算をします。
    姉が12個で、妹が6個。
    12+6=18
    あれ?
    何で24個に戻らないんだ?

    行き詰まった兄は、この問題を考えながら、歩き続けます。
    何度考えても、この考え方では、同じ式、同じ答え。
    何が違うのか、わからないけれど、検算して戻らないのだから、違うことだけは、確実。

    混乱のあれこれが、田園の風景とともに描写されていたと思うのですが、そこはもう覚えていないので割愛します。

    立ち止まって、兄は、地面に木の枝で絵を描きます。
    なぜ、姉は、妹の2倍のキャンディをもらったのだろう。
    エプロンドレスを着た、2人の女の子の絵を描いて、考えこみます。

    そして、思いつくのです。
    そうだ。
    姉は、ポケットを2つ持っていたから、妹の2倍のキャンディをもらえたんだ。
    そう考えて、姉のエプロンにポケットを2つ、妹のエプロンには、ポケットを1つ描きます。

    ポケットは、全部で3つ。
    だから、式は、
    24÷3=8
    8×2=16
    姉が16個。妹が8個。
    たして、24個。
    絶対、これが正解だ。

    素朴なこのお話、小学生の私は、なんだかとても気にいって、何回も読みました。
    今読んでも、面白いかもしれません。

    そして、今、作業手順でしか算数数学をとらえない勉強をしている子どもたちに、この兄のようであってほしいと思うのです。

    この兄の危機感。
    この問題が解けなかったら、兄としての立場を失う。
    こういう危機感があるときに、人間は、想像以上の力を出せるのでしょう。
    でも、本当は、その力は、いつでも出すことができる力です。

    1問の意味をとことん考える。
    わからなかったら、図を描いてみる。
    受験算数を体系的に学んでいる子は線分図を描きますが、この兄の描いた、エプロンドレスの女の子の絵は、とてもチャーミングでした。

    諦めないで、歩きながらでも、考え続ける。
    1問を、わかるまで、考える。
    なんて貴重な経験なんだろう。
    なんて贅沢な時間の使い方だろう。
    この兄は、そんなに算数ができるとは思えない設定で、だから、最初は、ありがちな失敗をしているのですが、そういう子が自力で正解にたどりつくところが素敵です。
    そして、その力は、本当は誰もが持っている力だと思うのです。

    『ひとりで解いた問題』
    自分だけの力で発想を得て正解にたどりついた問題は、決して忘れないと思います。
      


  • Posted by セギ at 12:39Comments(0)算数・数学

    2023年12月14日

    証明とは、何をどう書いていくことなのか。


    今回は、三角形の合同と、それを利用した証明の進め方の話。

    証明問題は、中学生が最も苦手とするところです。
    何をどう書いていいのか、わからない子は多いです。
    証明には書き方のスタイルがあります。
    それさえ理解できれば、基本の証明問題は誰でも書いていけるはずなのですが、何かを理解しそこねて、まったく証明が書けないまま高校生になってしまっている子もいます。

    例えば、三角形の合同の証明で、こんな答案を書いた子がいました。

    △ABC≡△EFG
    AB=EF 
    BC=FG
    ∠B=∠F 
    △ABC≡△EFG 

    その子は、中学3年生からうちの教室に通い始めた子でした。
    私立の生徒で、中学数学はもう終了し、学校では、高校数学ⅠAの学習をしていました。
    とはいえ、学校の夏休みの宿題は、中学数学の復習でした。
    宿題を解いたノートを見て、私は愕然としました。

    上の5行が、その子の書いた、三角形の合同の証明のすべてだったのです。

    公立中学の子は、高校入試を控えています。
    都立高校入試は、証明問題が毎年必ず出題されます。
    空所補充形式ではなく、自力で1行目から最後まですべて書いていく、完全な証明問題です。
    そのため、学校でもかなり練習しますし、塾でも練習します。
    簡単な証明問題は、数学の成績が5段階で「3」以上の子ならば書くことができます。
    成績が「2」の子でも、ある程度は書くことができる子が多いです。

    ところが、私立中学に通う子の中に、上のように、証明をほとんど書けない子たちが存在します。
    1人だけではありません。
    何人か、出会ってきました。

    学力が極端に低いというわけではありませんでした。
    ただ、証明問題に対して、何か根本的な誤解がある様子でした。

    その子たちは、高校数学の記述答案を書いていくことにも、何か誤解があるようでした。
    図形問題に限らず、方程式でも、関数でも、答案がひどく貧弱なのです。
    解き方の過程を書いていくということがない。
    意味不明のメモの他は、答しかノートに残っていないのです。

    それは、それまでの人生の中で一番頑張って勉強した受験算数が、「答案」というものを要求されなかったことが影響しているのかもしれません。
    答案重視の入試問題を作る中学校もありますが、私立中学の入試問題の多くは、答さえ合っていればそれでいい形式です。
    途中式など、書きません。
    そんな勉強をやりこんだせいで、価値観がそれで凝り固まってしまったのだろうか?
    そう思わせるほど、数学の答案を書くということが理解できない様子の子がいます。
    方程式を解く場合ですら、途中を書きません。
    与式の次は、
    x=・・・
    と平気で書いてしまいます。
    しかも、それではいけない、ということが、理解できない様子でした。
    繰り返し繰り返し説明しても、話が通じない・・・。
    彼らの価値観と私の説明に接点がないのです。

    彼らの中では、「答」がすべてなのかもしれません。
    答が合っていれば、それでいいのです。
    その固定観念で証明問題を見ているから、何を書けばいいか全くわからないのかもしれません。

    証明問題は、結論は与えられているのです。
    ならば、本来、もう書くことは、何もない。
    それなのに、何か書け、と言われる。
    それで混乱してしまうのかもしれません。

    私立の子に、数学の記述答案が書けない子たちがいる。
    私立中学でも、そのことを意識し、定期テストは中学数学から完全記述方式の学校もあります。
    完全記述方式のテストの平均点は、中学数学と思えないほど低い。
    なぜ、中学数学のテストの学年平均点が40点台なのだろう?
    公立中学のテストと比べて、特に難しいというわけでもないのに。

    一方、一種の救済措置なのか、テスト問題の半分以上は、答だけ書けばいい形式の中学もあります。
    完全記述方式にすると、数学でほとんど得点できない生徒が多く現れるからでしょう。
    その温情が、ますます、記述ができない生徒を生んでいく・・・。



    図形の証明問題が解けないのは、別に構わないのではないか?
    大学の入試問題に、図形の証明問題が出題されることはほとんどないし・・・。

    そう思うこともありますが、中学数学で、図形や整数の性質に関する証明問題の答案、あるいは、連立方程式の答案をしっかり書いていけるようになっておくことは、高校数学の答案を書いていくための、準備です。
    何をどう解いているのか。
    どの定理を用いているのか。
    根拠を示し、式を書く。
    どのように解いたかを、読む人に伝わるように書いていく。
    中学で記述の基礎を理解した子は、高校数学に進んでも、順調に階段を上っていけます。

    一方、中学数学で記述答案の基礎を学びそこねた子は、高校数学で急に記述答案を要求されても、何も書けないのです。
    高校数学の定期テストの得点が目に見えて下がっていきます。
    高校数学のテストでは、記述答案を書いていくことが必要なことは、さすがに理解し始めます。
    でも、何を書かねばならないのか、その根本を理解できないようなのです。

    いちいち根拠を書かねばならない意味が理解できない子。
    ものの考え方が主観的な子は、そのような状態に陥りやすいのでしょう。

    どんな定理を使ったのか、答案を読む先生にはわかるはずだ。
    そもそも、この解き方を教えたのは、先生なんだから。
    テストを作ったのも先生なんだから、どう解いたか、わかるはずだ。
    だから、そんなもの、書く必要はないだろう。
    ・・・そう思っているのだろうか?
    そんなふうに推察します。


    もう1つ。
    証明がわからない原因の1つは、教わったスタイルの悪さかもしれません。
    生徒のためを思ってなのか、ものすごく簡略化した証明の書き方を教える数学の先生がいます。

    どんなスタイルか。
    たとえば、こんな書き方です。

    △ABCと△EFGにおいて
    AB=EF (仮定)
    BC=FG (仮定)
    ∠B=∠F (対頂角)
    よって
    △ABC≡△EFG (2辺夾角相当)

    これの何がいけないのか?
    このスタイルは、( )の中に根拠を書いていくのですが、根拠が常にこれほどシンプルとは限らないのです。
    また、証明は、3段論法などで、段階を踏んで説明していかなければならない場合も多いです。
    長々と書かなければならないときに、( )の中にどのように書いていいのか、生徒はわからなくなります。

    これで書けないときは、別の書き方で書くんだぞ、という話が授業中にされていると思うのですが、そういう話は、たいていの場合、生徒は聞いていないです。
    2種類のスタイルを学ぶのも、大変です。
    やはり、いつも同じスタイルで書くほうが、学びやすい。

    △ABCと△EFGにおいて
    仮定より
    AB=EF
    BC=FG
    対頂角は等しいので
    ∠B=∠F
    2辺とその間の角がそれぞれ等しいので
    △ABC≡△EFG

    根拠を文の形で説明していくこのスタイルならば、どれだけ長文で説明することになっても、論理的で、正確であれば良いのですから、書きようがあります。

    3段論法。
    すなわち、間に、もう1つの要素をかませて、それで等しいことを証明する場合。
    例えば、AB=CDをであることを言いたいときに、
    AB=AC
    AC=CD
    よって
    AB=CD
    という形で論を進めていかなければならないとき。

    これは、番号を振っていくことで、簡単に解決します。
    AB=AC・・・①
    AC=CD・・・②
    ①、②より
    AB=CD・・・③
    として、最終的には、これのうちの③のみを使用します。
    この書き方をマスターすれば、複雑な証明問題も楽に書いていけるようになります。

    これは、
    AB=AC
    AC=CD
    よって
    AB=CD・・・①
    として、証明に使うものだけに番号を振るというやり方もあり、これでも大丈夫です。
    この場合は、今話題にしている内容は一気に書いてしまうこと。
    途中で別の要素を挟んでしまうと、論理が伝わりません。
    別の要素を挟まざるをえないときは、やはり番号を振って明確に示します。

    そして、これは、一番上のような簡略化した証明の書き方では、書くのが難しいのです。


    証明問題を学びにくいのには、もう1つの原因もあります。
    自分の答案のどこがどのように間違っているのか、問題集の模範解答を見ても、わからない子がいます。
    自分に甘い子は、何でもマルをつけてしまいます。
    自分に自信がない子は、少し言葉遣いが違うだけで、バツをつけてしまいます。
    採点基準がわからない。
    証明問題は、特にそうです。

    数学の基礎は身についていて、数学センスもあり、ただ証明問題だけが苦手なのだという生徒を教える場合、1題、本人に解いてもらって様子をみれば、大体わかります。
    何が抜けているから減点されるのか。
    証明を書くためのルールの何を誤解しているのか。
    書き方のちょっとしたコツの中の何を理解できていないのか。
    そこを調整していけば、証明は、たちまち得点源になります。


      


  • Posted by セギ at 12:19Comments(0)算数・数学

    2023年12月02日

    言葉が通じない若者というけれど。


    画像は三鷹跨線橋。

    さて、説明が通じにくい生徒がいることは、常に課題です。
    そんなこともあって、その類のネット記事を見つけたらつい読んでしまうのですが、先日読んだ記事にはがっかりしました。

    若者に「船をこぐ」という言葉を使ったら、通じなかった、という例があげられていたのです。
    船をこぐって・・・。
    それは慣用表現です。
    私も意味はわかるけれど、自分で使ったことは一度もないです。
    それは、確かに通じないだろうけれど、「若者に言葉が通じない」というのは、そういうことじゃないんだけどなあ・・・。
    若者が知らない言葉を使ったら、それは、伝わらないです。

    一方、別のネット記事の、
    語彙がひどく貧しく、何に対しても、
    「くそが」「やばい」
    といった言葉、あるいはここには書けないもっと直截な言葉を深い感情はなく連発する子がいたという話は興味深かったです。
    その隣りの席の子が、不登校になってしまったというのです。
    何が原因で不登校になったのか、その子も自分の気持ちを表現する言葉をもっていないのでなかなか理由がつかめなかった・・・。
    実は、隣りの子の強い言葉遣いにストレスを感じていた・・・。
    といった話には、これだ、こういうのを読みたかったのだ、と思いました。


    とはいえ、この話は、現実に起きている事象として極めて示唆的ではあるけれど、私の周りのこととしては、逆にこれではないのだろうとも思います。
    私が「生徒に伝わらない・・・」と感じている場合、それは結局「船をこぐ」のような言葉を使ってしまっているからなのでしょう。
    慣用表現は使わないけれど、数学でも英語でも、特有の用語は使います。
    相手が高校生ならば、特にそうなりがちです。

    例えば、数学の授業で、
    「この放物線の、頂点の座標を答えてください」
    と私が尋ねると、
    「2・・・」
    としか答えない子がいました。
    その問題の頂点の座標は、(-1 , 1) だったので、既に間違っていたのですが、頂点の座標と言われて「2」しか答えないことにも、かなりの課題がありました。
    「えーとですね。座標というのは、(x , y) というように、x 座標と y 座標とセットで答えるんです。もう一度答えてください。この放物線の頂点の座標は?」
    「x , y」
    「・・・え?」

    また別のとき。
    高校数Ⅱ「軌跡と領域」の単元で、領域を図示する問題を演習したのですが、領域を理解するはるか手前、境界線のグラフを正しく描くことができませんでした。
    座標平面に直線は描いてあるのですが、数字は何も書き込んでいないのです。
    放物線のときも、ただ、座標平面上に放物線が描いてあるだけでした。

    「直線のグラフを描くときは、そのグラフから直線の式を復元できるような情報が書いてあれば、正解なんです。グラフから式を復元できること。それが原則。何をどう書いたらいいのか迷ったら、そこに戻って考えてください。具体的には、x 切片と y 切片が書き込んであれば、傾きを計算できますから、式を復元できます」
    「・・・」
    「では、放物線の場合は、グラフを描くときは、何を書いておけば、式を復元できるでしょうか?」
    「・・・x と y・・・」
    「・・・え?」
    「あ・・・。傾き?」
    「・・・え?」

    全く授業内容が伝わっていない・・・。
    高校数Ⅱを学習していても、その子は、直線のグラフを正しく描くことすらできませんでした。
    私の言葉を理解できないのに、理解しているふりをしようとし、とにかく何か反応しようとするから、どんどん頓珍漢な反応になっていくのでした。
    学校の授業も真面目に受けているのでしょうに、ほぼ毎回、間違った内容を覚えてきてしまい、塾で、その修正をしなければなりませんでした。

    私は、相手が高校生であるという固定観念を捨てることにしました。
    上の私の説明。

    「直線のグラフを描くときは、そのグラフから直線の式を復元できるような情報が書いてあれば、正解なんです。グラフから式を復元できること。それが原則。何をどう書いたらいいのか迷ったら、そこに戻って考えてください。具体的には、x 切片と y 切片が書き込んであれば、傾きを計算できますから、式を復元できます」

    直線のグラフ。
    直線の式。
    復元。
    情報。
    正解。
    原則。
    具体的。
    x切片。
    y切片。
    傾き。
    傾きを計算する。

    こうした言葉が、その子には、聴き取れない、あるいは意味がわからないのかもしれない、と気づきました。

    「〇〇〇〇を描くときは、その〇〇〇から〇〇〇を〇〇できるような〇〇が書いてあれば、〇〇なんです。〇〇から〇を〇〇できること。それが〇〇。何をどう書いたらいいのか迷ったら、そこに戻って考えてください。〇〇には、x 〇〇と y 〇〇が書き込んであれば、〇〇を〇〇できますから、式を〇〇できます」

    このようにしか聞き取れないのだとしたら?
    それは、数学がわかるとかわからないとか、そういう話ではなくなります。
    少し硬い熟語と数学用語、あるいは英語ならば文法用語が理解できないのに授業を受けるというのは、そういうことなのでした。

    若者に対して「船をこぐ」という慣用表現を使って、それが伝わらないと嘆く大人と、数学用語や英語の文法用語を使って説明して、生徒が理解してくれないと嘆くのは、同じことなのだと思います。

    これは、その子の学力によります。
    上のような説明でガンガン授業が進み、どんどん成績が上がっていく子もまた多いのです。
    数学用語は、正しく使えば使うほど、最適な形で内容が伝わります。
    複雑な内容が一言で伝わります。
    「・・・そこは、相加平均・相乗平均でしょう?」
    とか、
    「・・・なぜ、そこで置換積分をしなかったのですか?」
    といった一言で、ダイレクトに伝わり、
    「うわ。今解きますから、ちょっと待ってください」
    と言う子も多いのです。
    しかし、同じ授業を別の生徒にして、成功するとは限りません。
    これは話が通じていない・・・と感じたら、相手が高校生であろうとも、小学生に話すように話すこと。
    数学というものを一切学習したことのない小学生に、一から数学を教えるように解説すること。
    直線のグラフを描けないということは、実際そういうことでした。
    中学で学んだことも、高校数ⅠAで学んだことも、すべて忘れてしまった高校生は、高校生の姿をしていても、数学的には小学生だったのです。

    何で中学数学を忘れてしまったのかなあ・・・という嘆きとは別に、それでも伝わる授業をすること。
    幾度説明しても、「直線の傾き」という言葉の意味を覚えてくれないなあと思うけれど、それでも何度でも説明すること。
    「船をこぐ」といった言葉は、使いたい人はどんどん使ったらいいけれど、私が授業で使う必要はない。
    相手に伝わらない言葉は、使っても意味がない。
    生徒の語彙や聴き取る力を正確に把握することが、教える側に必要な能力なのだと思います。


    さて、話は変わりますが、最近、別々のラジオ番組で別々に話題になったのが、「1時間弱」とは、何分くらいを指すか、という話。
    私くらいの年代ですと、それは当然、
    55分くらい?
    といった語感の言葉だと思うのですが、今の20代は、「1時間弱」を、65分くらい、ととらえている、というのです。
    1時間のほうが弱いという観点からそうなるのか?
    1時間と、あと、弱い時間、という意味なのか?
    などの分析がされていて、面白いですが、これも若者に使うときは気をつけるべき言葉のようです。

    とはいえ、私は、生徒にそのような曖昧な言葉を使うことはないので、それもどこか他人事ではあります。

    子どもを相手に事務的な話をするときは、特に気を遣います。
    「それでは、授業を『ようか』に振り替えましょう。『ようか』、はちにち、8日ですよ?」
    と念を押します。
    いつか、むいか、なのか、ようか、がわからない可能性があるからです。

    数学の「確率」でトランプの問題が出ているときも、そうです。
    トランプはどんなカードが何枚あるのか、知らない子も増えてきました。

    問題 ジョーカーを除く52枚のトランプからカードを1枚ひく。そのカードが絵札であるとき、それがハートのカードである確率を求めよ。

    「トランプのマークは何種類あるか、知っていますか?」
    「・・・8種類くらいですか?」
    「・・・いや、マークというのは、ハートとか、ダイヤとか、そういうのですよ?」
    「ああ・・・。ええと・・・」
    「トランプをやったことが、あまりないですか?」
    「ないですね。でも、修学旅行ではやりました」
    「ああ。盛り上がりますものね。大貧民とか」
    その子は、にやっと笑いました。
    「今は、大富豪というんですよ」
    「・・・うるさいわ」

    トランプは知らないようですが、言葉は十分に通じる子もいます。


      


  • Posted by セギ at 12:36Comments(0)講師日記

    2023年12月01日

    冬期講習空きコマ状況。2023年度。



    冬期講習空きコマ状況です。
    1月5日現在

    なお、1月8日(月)より通常授業です。