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2021年03月08日

はけの道からお鷹の道へと自転車で走ってみました。2021年3月。

はけの道からお鷹の道へと自転車で走ってみました。2021年3月。


2021年3月7日(日)、自転車で出発。
まずは野川公園に向かいました。
武蔵境駅の少し東を南北に走る武蔵境通りから、東八道路へと右折。
自転車レーンを快適に走ると、野川公園です。

前回、野川公園の自然観察園のゲートの前で、散歩コースが案内されている掲示板を見つけました。
地図には、はけの道からお鷹の道までが赤線で示されていました。
そういう散歩コースがあるようです。

はけの道。
お鷹の道。

どちらも聞いたことがあります。
でも、全部、舗装道路じゃないかな?

いつか自転車で行ってみようと思いつき、とりあえず、そのときは地図看板をスマホで撮影しました。
その後、道路地図のコピーも準備して、ようやく本日出発です。

野川公園の北西の端の出口から、道路を渡り、西部多摩川線の高架下のトンネルをくぐると、「はけの道」が始まります。
「はけの道」と大きく書かれた看板も出ていました。
道自体は、制限時速30㎞の普通の細い道路という印象です。
進行方向左手は、野川の土手が広がり、野球場や公園になっていました。
右手は、斜面。
ここは、河岸段丘。
地形を実感できる道でした。
道路よりも、公園内を走ったほうがいいんじゃないかな?
そこも舗装されているし。
コブシの花も咲いているし。
帰り道は、そうしよう。

そんなことを思いながら走っていくと、右手の斜面に公園がありました。
公園をぐるりと囲むように階段が設置されています。
「はけの森97階段」という掲示がありました。
登ってみることにしました。

階段の中央はスロープになっていて、自転車を押して登ることができます。
頂上部分にはベンチがあり、野川方向が見晴らせます。
さらに登ると、はけの道と平行に走る上の道路につながっていました。
いったん道路に出たすぐ先に古いコンクリートの階段があります。
古くて急だけれど、やはり真ん中がスロープになっていて、自転車を引いて降りていくことができ、最初の位置まで戻ってきました。
付近の人が近道として長く利用してきた階段なのでしょう。

地図の通りに「はけの道」を西へと走っていくと、次の目的地は、中村研一記念美術館。
建物の脇に湧水がありました。
はけの道は、国分寺崖線の真下の道。
崖から湧水がしみだしてくるスポットが何箇所かあるようです。

スマホで撮影した散歩道の案内板では、ここで左折し、次の角を右折。
やがて見えてきたのが、小金井神社。
位置を補足できたのは、しかし、そこまででした。

その先、直進したものの、道は突き当たりでした。
道を間違えたのかな?

案内板の赤線通りに行くのは諦めて、いったん南下し、野川沿いの遊歩道を西に進むことにしました。
晩秋に、野川の土手の下、本当に川のほとりを歩きました。
そのときに確認していました。
土手の上はずっと舗装された遊歩道になっています。

野川に沿って、どんどん走ります。
今日は曇っていて肌寒いので、川遊びをしている人はほとんどいないなあ。
途中、小学校が建っていて、野川はいったん暗渠となりますが、細い路地を回り込んでいくと、その先、再び遊歩道が始まります。

その先も、どんどん自転車を走らせていくと、やがて、野川は、コンクリートで固められた細い川となりました。
そこで遊歩道も突き当たり、川沿いの道がなくなってしまいます。
道路を北に少し上がると、公園がありました。
そこから、東西に走る道が再び始まっていました。
しかし、やがて道はまた突き当り、少し南下してはまた西へ。
しばらく行くと、用水路のように姿を変えた野川が見えてきました。
その野川沿いに行こうとしても、また道は途切れました。
少し南下し、また西に向かう繰り返しです。

電柱の住所表示は、国分寺東元町。
国分寺は造成地ではなく、歴史に名を残す古い町です。
道は碁盤の目のようではありません。
道なりに進むと方向感覚を失います。
突き当たりも多いです。
トラップに満ちています。

国分寺東元町。
国分寺南町。

電柱に表示された地名は、見知ったものでした。
国分寺の集団指導塾で働いていた頃、生徒の住所でよく見た地名です。
国分寺駅周辺に来ていることはわかっていました。
しかし、家庭訪問をするわけではなかったので、土地勘がありません。

見当をつけて進んでいくと、車通りの多い道路に出てしまいます。
この道路、渡って大丈夫かな?
また戻って、別の道から進んでも、また同じ道路に出ます。

道に迷ってはいるのですが、途中、きれいな枝垂れ梅を見上げたり、気持ちの良い坂道を、自転車を押して登ったり。
何だか面白くなってきました。
そうするうちに、再び細い野川を発見。
その先は、街路樹とベンチの並ぶ、レンガふうに型取った建材を敷き詰めた道に出ました。
・・・ここ、何?
何だか雰囲気の良い場所でした。
古い山門のようなものが保存されているのですが、案内板は見当たりませんでした。
史跡なのかもしれないのですが、何も説明していません。

幾度かのトライの後、意を決して、車通りの多い道路を渡り、自転車を押して坂道を登っていくと、左手に、柵に囲まれた広い庭園が見えてきました。
ここは、もしかしたら・・・?
坂を上がると、再び、車通りの多い道。
左折して、正門を確認。
都立殿ヶ谷戸庭園。
ああ、やっぱり。

都立殿ヶ谷戸庭園は、国分寺の塾で働いていた頃、通勤途中にあった庭園です。
国分寺駅南口から東へ徒歩5分の場所にある庭園です。
一度だけ出勤前に入り、散策しました。
竹林があったり、秋の七草がまとめて植えてあるエリアがあったり、雰囲気の良い庭園でした。
あまりに身近にあったのと、外からでも桜や紅葉は見えたので、それきりになったなあ。
紫陽花もきれいでした。

庭園をそのまま外周し、西側を下っていくと、マンション内の公園から、急な下り坂の道路に出ました。
自転車に乗って下ると、ブレーキがもしも壊れていたら大惨事になりそうな下り坂の道路です。
その先は、車の交通量の多い道路と交差していました。
わあ、危ない。

上り坂も下り坂も急。
国分寺は坂が多い。

・・・いや、自分で回り道をしているだけです。
わざわざ国分寺崖線を行ったり来たりしていたのです。

ともかく、ブレーキが壊れていたら大惨事になる交差点、一里塚交差点まで自転車を降りて下り、そのまま道路を渡って少し南下すると、ついに「お鷹の道」の道しるべを発見しました。
しかし、この道しるべ、立っている位置が微妙なため、その矢印は道のどちらを指しているのか、判断しかねるものでした。
わかっている人なら、「え?何がわからないの?この通りじゃない?」と思うのだろう矢印。
しかし、どう行くのか判断しかねている者にとっては、このまま南下するようにも、西に曲がるようにも、どちらともとれる矢印なのでした。
とりあえず、歩行者用の橋で小川を渡ってから右折するのが正解。
この小川は、野川から分かれた、元町用水。
道路地図のコピーでそれを確認し、進みました。

野川本流は、国分寺にある日立の研究所の敷地内が源流。
「タモリ倶楽部」か「ブラタモリ」のどちらかで放送していた記憶があります。
研究所の敷地に許可を得て入り、撮影していました。
武蔵野の自然が保存されている場所でした。
あれは良い番組だと思ったけど、私は、録画は保存していないかなあ。

その先は道しるべが随所にあり、その通りに自転車を走らせていくと、ついに到着しました。
お鷹の道です。

え?
自転車はどこに置くの?
駐輪場がどこにもないので、自転車をひいて、中に入りました。

道は石畳ふうに整備されてあり、右手を浅い用水が流れていました。
左手前方に赤い鳥居。
あとでいただいたパンフレットで、そこは「真姿の池湧水群」と呼ばれる場所だとわかりました。
ここも野川の源流の1つです。

とはいえ、この自転車はどうすればいいの?
少し戻って、石畳の道を曲がり、自転車を引いて歩いていくと、右手に湧水園や資料館が見えてきました。
そして、左手の「おたカフェ」と呼ばれる建物を曲がった先に、駐輪場を発見。
良かった。
これで安心して見学できます。

ようやく身軽になって、散策開始です。
「お鷹の道」は、江戸時代、尾張徳川家の御鷹場だったことから名付けられた道だそうです。
整備された遊歩道の脇に、緑の繁茂する細い用水が続きます。
夏にはホタルも見られるそうです。
歩いて5分もかからない長さの散策道です。
こじんまりとして、良い雰囲気の場所でした。

再び、真姿の池湧水群まで戻ってくると、その先は、コンクリートの階段で上に上がれるようになっていました。
雑木林の中の階段を上っていくと、そこから、土の道が始まりました。
フェンスの向こうは、今登ってきた崖。
わかりやすい国分寺崖線です。
雑木林に囲まれた道を時計回りに歩いていくと、やがて広い公園に出ました。
そこは、都立武蔵国分寺公園でした。
ふわー、ここの公園も広いなあ。

来た道を戻って。
せっかくここまで来たのですから、武蔵国分寺跡まで歩いてみることにしました。

武蔵国分寺跡。

国分寺の塾では、社会科も教えていました。
結局、5教科すべてを教えられるオールラウンダーが求められるのがこの業界。
その中で、特にどの科目を主力としてやっていくかは、講師本人の意志もあれば、塾側の要請もあります。
それはともかく、中学3年生に社会科を教えたときのこと。

奈良時代の授業の中で、何しろ国分寺にある塾でしたから、余談として、
「ほら、国分寺って、この街のことだよ。国分寺だよ。国分寺跡という史跡があるでしょう?」
と問いかけると、しかし、国分寺の子どもたちは、首をひねっていました。
そんなの知らない、というのです。
「いやいやいや、あるでしょう?もうお寺は残ってないんじゃないかな。広い史跡が残っているはずだよ」
すると、秀才の1人が、ようやく思い出した様子で、
「あー。あそこか。何にもないよ」
と言うのでした。
「え?どこどこ?」
と生徒たちが、私の知らない場所を、彼らとしてのランドマークとして語り合い、所在地を確認しあうのは、興味深い眺めでした。
そして、総意として、
「うん。あそこは、何もない」
と言うのでした。

名良いお寺は国分寺。
741年、聖武天皇、全国に国分寺・国分尼寺建立の詔。
当時の日本は、大地震、飢饉、疫病に襲われ、聖武天皇は仏教により世がおさまることを願った。
今の日本とも重なる気がします。

武蔵国分寺跡。
行ってみると、そこは、本当に何もありませんでした。
だだっ広く、何もない。
基礎工事だけ行い、それで放置されてしまった現場のようです。
子どもたちがその基礎工事の土台の上に乗って遊んでいました。
寝転んでいる子もいます。
それで構わないのでしょう。
むしろ、それが良いのかもしれません。
非常に貴重な国指定文化財が、幼い頃の遊び場だった。
それは、古い歴史を持つ土地で生まれた子の特権です。

説明版は勿論ありました。
上の画像がそれです。

何にもないことで、むしろ悠久のときを感じさせる、良い史跡でした。
何もないのが、すがすがしい。

さて、そろそろ帰ろう。
帰りは、お鷹の道のさらに南を東西に走る元町通りから、東元町三丁目交差点を通り過ぎたあたりで、今度はできるだけ北へ北へと野川に近づいていき、坂道に苦労することなくやがて野川と合流できました。




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