たまりば

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2020年11月02日

間違えた問題から学ぶ。

間違えた問題から学ぶ。


中学1年生の場合、2学期は下降傾向が続くことがあります。
1学期の定期テストは80点台だったのに、2学期中間は60点台、期末はさらに下がってしまう、というように。
これは、1学期の成績が良すぎたからであり、2学期以降の成績が本人の実力ということが多いのです。
英語も数学も、中学1年の1学期は、まだ内容も易しく、誰でも高得点を取ることが可能です。
中1の1学期の成績は幻なのです。

ところが、小学校のカラーテストの得点と、中1の1学期の定期テストの得点がよく似た点数のため、そこが地続きであるような印象を本人も保護者の方も抱いてしまうことがあります。
だから、2学期での急落に驚きます。

小学校のカラーテストがほとんど80点台、90点台だったとしても、中学のテストが60点台なのは、よくあることです。
中学生になって急に学力が下がったわけではありません。
テストのレベルや目的が違うのです。

小学校のカラーテストは、基本が身についていることを確認するためのものです。
誰でも100点を取ることが可能なように設計されています。
小学校で得点分布データが示されることはないでしょうが、最頻値は80点台から90点台だったはずです。
一方、中学の定期テストは、学力を測るためのものです。
平均点が65点前後で、中央値と平均値と最頻値がほぼ一致する、美しいヒストグラムが作られるのが理想です。
実際には、なかなかそうはならないのですが。

「うちの子、小学校のテストはいつも80点台か90点台だったし、中1の1学期も80点台だったけれど、2学期の中間テストは60点台、期末テストはさらに下がった・・・」
そのように嘆くのは、ちょっと違います。
むしろ、中学のテストで60点台以下になるだろう学力の子が、小学校のカラーテストで80点、90点を取っていたのだと考えたほうがいいのです。
学力は下がっていません。
変わっていないのです。


では、その得点は、運命なのか?

いいえ。
テストの得点が下がるだけ下がり、実力がわかったところで、そこからが勝負です。
小学生のような気分で勉強していたらダメなことは、もうわかったと思います。
ザルで水をすくうような勉強をしていると、今後も下がります。
中1の3学期は少し持ち直す子が多いですが、中2になると、さらに、中1でも取ったことのないような低い点を取る子もいます。
中2の2学期、悪夢のような「底」の「底」が待っています。

小学生のような勉強。
ザルで水をすくうような勉強。

成績の上がらない子は、勉強のやり方が悪いのです。
彼らの勉強のやり方は、それをやったらダメだというNG集のようです。

例えば、定期テストの範囲である、学校のワークや問題集。
間違えた問題は赤ペンで直して提出。
それは学校から指示されています。
しかし、その指示の本質を理解していないのです。
最初から解答解説を横に開いて、それを見ながら解き、全部丸をつけて提出する子がいます。
自分で解いて間違えてしまった場合も、自分の答は消しゴムで消して書き直し、丸をつけて提出する子もいます。

全部正答したことにして提出するという謎の行動は、真面目に勉強しているように見えるのに成績の上がらない子に多い傾向です。
誤答の多いワークを提出すると、学校の先生に「この子は勉強ができない」と思われてしまうから?
いや、学力は知られていますから、そんなことは気にしなくていいのです。
学校の先生が成績をつける際の、提出物に対する加点は、本人に解答を渡してある場合は、やってあれば全員同じ加点です。
丸が多い子に多くの点を与えるということはないのです。
ワークはバツだらけだが、テストは頑張って得点している。
この子は、努力して勉強している。
そういう子のほうが、むしろ印象が良いのです。
しかし、まだ子どもなので、それを理解できないのでしょう。
うわっ面にこだわってしまいます。

もっとも、さらに勉強が苦手な子になると、学校のワークの解答解説を管理することができず紛失してしまう子もいます。
解答を持っていても、「赤ペンで直して提出」という先生の指示に従うことが上手くできない子もいます。
解いていないところが多かったり。
丸つけをしていないワークを提出したり。
あるいは提出しなかったり。
そうやって、さらに成績を下げてしまうこともあります。
ただ、むしろ、そうした子は、学習上の課題が外からも見えやすいのです。
こうした課題が簡単に解決するとは限らないものの、何が原因であるかは明瞭です。

ワークは全部正答の形で提出し、テストの点数は60点台あるいはそれ以下、という子のほうが、問題の根が深いように思います。
課題が表面化しづらく、保護者の方の目からは、真面目に勉強しているように見えてしまうからです。
真面目に頑張っているのに、何で成績が上がらないのかしら?

・・・いや、上がるわけがないです。

テスト勉強というと、解答解説を見ながらワークを解くこと。
そうして、それに全部丸をつけて、正答したかのような形にしてしまう。
あとは、教科書や学校の授業ノートをきれいに書き写しただけのノート作り。
市販の問題集があれば、それも解答解説を見ながら解く。
それが、テスト勉強の全て。
それ以外に、何をしたらよいか、わからない・・・。
そんな勉強で、成績が上がるわけがありません。

仕方ないのです。
小学校のカラーテストのための勉強も、何をしたらよいかよくわからなかったはずです。
教科書準拠の市販のワークを持っている子は、漫然とそれを解いたり。
通信添削をやっている子は、漫然とそれを解いたり。
それだけで、でも、結構良い点が取れたと思います。
小学校の学習内容は易しいので、ザルですくうような学習でも、ザルに結構引っかかるのです。
家庭学習のやり方を自分で考えて実行しなくても、大丈夫だったのです。
中学に入って、急に学習方法を考えろと言われても、何をどうしていいかわかるわけがありません。

彼らは「学習する」ということの本質を理解していないのです。
そして、それはあまりにも本質であるため、言語化しにくく、それがわからない子には、なかなか伝わらないことなのです。

勉強が得意な人に勉強法を尋ねたら、標準的な答は、
「テスト勉強?まず、教科書や参考書や授業ノートを読んで、公式や重要事項を覚えて、それから問題を解く。間違えた問題は、赤ペンで答を直して、印をつけて、後で解き直すといいんじゃないかな」
といったものではないでしょうか?
その返答は、何も間違っていない。
しかし、勉強のやり方を知らない子にとっては、それは表面的な「作業」の伝達でしかなく、本質は伝わっていかないのです。

勉強が得意な子は、間違えた問題、解けなかった問題から多くのことを学び取ります。
自分がミスをしやすい箇所に気づく。
解き方のパターンや法則を把握する。
公式や定理の活用の仕方を把握する。
発想法を学ぶ。
無言で解答解説を読んたり書き写したりしているだけに見える作業の中に「学習」の本質があります。

学校の先生が、ワーク・問題集は丸つけをして赤ペンで直しなさいと要求していることの本質は、そういうことです。
間違えた問題は解き直しなさい、と要求していることの本質も、そういうことです。

しかし、それを理解していない子どもたちがいます。
わからないとすぐ解答を見ているようでは、「考える」とか「発想する」ということが何をどうすることなのかを学ぶことができません。
数学では、立式するまでが最重要であるのに、そこまでは解答を写し、その先の計算だけ自分でやって、勉強した気になってしまうのです。
理解したからいいだろう、これは自分で解いた問題だと、丸をつけてしまいます。
そして、テスト当日、自分が何も解けないことに愕然とする・・・。
公式だけは丸暗記しても、使い方を知らないことに、テスト当日になって気づくのです。

「赤ペンで直しなさい」という作業の意味を理解していない子は多いです。
そうした子にとって、正答を書き写すことは、本当にただ書き写すことなのです。
正答の内容を理解しようとか、自分が間違えた原因は何かとか、何が大事なことなのか、といったことは考えていません。
そんなふうだから、自分の誤答を書き直して丸をつけ、間違えたという事実を消してしまうという暴挙に出るのでしょう。
間違えた問題の価値をわかっていないからそうするのです。
間違えたことを、自分の記憶の中ですら消してしまいます。
そうして、大切な学習の機会を自ら失っていきます。

塾の授業でも同じです。
「あなたは、前回も、こういう問題のここのところを間違えていましたよ」
と私が指摘すると、何て嫌なことを言う人だろうと驚いた顔をするか、ごまかし笑いをするか、全く身に覚えがないのできょとんとした顔をするか、です。
そして、同じような問題の同じようなところを同じように間違い続けます。
自らの学習能力を封印しているかのように。

自分は何が出来、何が出来ないのか。
自分の課題は何か。
この問題から学ぶべきことは何か。

勉強が得意な子は、それを自力で分析し、改善します。
そうすることが学習の本質だとわかっているのです。
しかし、勉強が苦手な子は、間違えた問題から何かを学ぶということが上手くできません。
間違えた問題を解き直す習慣も持っていません。
自分の答を書き直し、丸をつけるだけです。

なぜそのような行動をとってしまうのかといえば、結局、理由は「勉強が苦手だから」なのでしょう。
勉強が苦手なことを隠したい。
認めたくない。
そうした気持ちが強いので、間違えた問題にバツをつけたり印をつけることさえできないのだと思います。
印をつけなさいと言われると、恥をかかされた、罰を受けた、と感じるのか、表情の歪む子もいます。
「間違えた問題は印をつけて、後で解き直すと力がつきますよ」
そのように、なぜ印をつけるのかを説明しますが、私が言わないと印をつけることが習慣にならない子が、勉強が苦手な子には多いです。
そして、言われたとおりに印をつけたとしても、助言通りに家に帰って解き直しをしているのかどうか・・・。
あるいは、言われた通りに解き直しているのだとしても、それは意味のある解き直しになっているのかどうか・・・。
同じことをまた同じように間違えているだけなのではないか?


先日、遅ればせながら『鬼滅の刃』を見ました。
味わい深いと思ったのは、主人公が同期の仲間に「全集中の呼吸・常中」という技を教える場面でした。
「肺をこう。こうやって大きくするんだ。血が驚いたら、骨と筋肉がブオンブオンて言ってくるから、留めるんだ」

・・・何を言っているのか、さっぱりわからない・・・。
奥義というものは、言葉にしても、本質が伝わりません。

学習能力も、それを会得していない子にとっては、同じようなものなのかもしれません。
勉強が得意な子は、数学の問題を1題間違えた際、解答解説を読み取る中で、そこで使われている公式もテクニックも発想法も習得します。
英語の問題を1題間違えた際、そこで扱われている文法事項や重要表現の何をどう自分が間違えたのか、習得します。
だから、類題を解くときには、習得した内容を活用して、今度は正答します。

しかし、勉強が苦手な子は、類題を解いても、同じことを同じように間違えてしまいます。
「同じことを同じように間違えている」と指摘されても、何がどう同じなのかわからないのかもしれません。
自ら学べないだけでなく、何をどう間違っているかを解説されても、習得できないことすらあります。
その後に類題を解いても、また同じことを同じように間違えてしまうのです。

間違えた問題から学ぶ。
それが学習の奥義です。
「間違えた問題があったら、解答解説を読むんだ。そうすると、大事なところがパッとわかるから、それを脳に入れると、他のこととブワンブワンとつながって、次に同じような問題を見たら解けるんだ」
・・・勉強が苦手な子にとっては、こんな説明を聞いても、訳がわからないと思います。
何をどうすることなのか、わからない・・・。
解答解説を読んでも、大事なところなどわからない。
次に同じような問題を見ても同じだとわからないし、解けない。
奥義にアクセスすることができないのです。

そうするうちに、学習した当初は自力で解いていた基本問題も解き方がわからなくなって解けなくなっていく子も多いです。
勉強が苦手な子は、間違えた問題だけを解き直していても、学習は完成しません。
もう一度、その単元の最初から解き直してみると、解けなくなっている問題が多いのです。
学習した当初は例題をなぞって正解した問題も、記憶にとどめていないので、時間が経過すれば解けなくなっています。
重要なことを識別し長く脳に留めておくという技術を身につけていないのでしょう。
勉強した内容はすぐに忘れてしまいます。

脳の空き容量を常に大きくしておくことが最優先であるかのように。

脳の使い方が違う。

脳の出来が違うのではないと思います。
脳の使い方が違うのです。

それを教えるのが個別指導です。
入会当初は自分の誤答を書き直して丸をつけるような暴挙に出ていた子に、不毛に感じるほどに繰り返し繰り返し間違えた問題には印をつけさせ、解き直すように指示します。
あわせて、類題を宿題に出します。
同じような問題が同じように解けないときも繰り返し繰り返し説明し、なぜ正答が増えないか、本人が開眼するのを辛抱強く待ちます。
生徒が把握できないことは私が把握し、学習を設計し、テスト直前まで、解ける問題と解けない問題を区別し続け、何が出来、何が出来ないか、何が課題かを説明し続けます。
何が重要で、何をどう考えて問題を解くのかを教え続けています。
自立して学習できるようになるまで。

中1の2学期、あるいは中2の2学期、「底」を見た生徒が、これまでも多く入会してくれました。
入会時は40点台。
いったん底を見たところから、今は80点台に上がった人もいます。
次のテストではまた下がるかもしれません。
しかし、40点台になることは、もうないでしょう。
ザルで水をすくうような勉強は、もうしていないですから。
他の子も、それぞれに回復を図り、今回のテストでは40点台はなくなりました。




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