たまりば

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2020年06月28日

山に行けないので、山の本を読みました。

山に行けないので、山の本を読みました。

山に行けない日々が続いています。
行こうと思えば行けるのですが、山へ向かう休日の朝の電車やバスというのは独特の空間です。
特にバスは、おしゃべりが車内にワンワンと反響し、次の停留所を伝えるアナウンスすら聞こえないこともあります。
周囲がうるさいので、自分の声を通そうとしてさらに大声で喋る人たちが多くなり、ますますうるさくなる。
恐ろしいスパイラル。
それが、山へ向かう朝のバスです。
マスクをすり抜けたマイクロ飛沫が飛び交う空間。
混雑した通勤電車よりもリスクが高いと思います。

・・・いや、静かなときは静かなのです。
こんな時期ですから、マナーを守って、乗り物の中では沈黙している人のほうが多いだろうとも思います。
でも、世の中の人全員に、同じマナー、同じ意識を期待するのは難しい。

先日、ネットを見ていたら、何かの記事のコメント欄に、
「珠算教室の先生が、自粛明けに教室が再開したら人が変わったように神経質になっていて、小言や愚痴が多くなったので、うちの子は嫌気がさしてやめた」
といったものがあり、ゾッとしました。
今の時期は、もうコロナ禍は去ったような気分でいる人と、3月・4月の用心深さのままでいる人とが、同じ社会で生きていかねばならないので、軋轢も摩擦も多いと思います。
注意は勉強のことだけにしたいのに、本当にくだらないことを注意しなければならないときは、私自身、気が滅入ります。
もっと机の端に寄り、2メートルの距離を保ちましょう、とか。
ノートなどの手渡しのため接近するときには無言でお願いします、とか。
それを「人が変わったように神経質」と呼ぶ人もいるかもしれません。
気をつけないと。


とりあえず、山へ行くのはもう少し保留することとして、休日は部屋の片づけをしたり、山の本を読んだりしています。
先日購入し、あっという間に読み終わったのが、山田哲哉著『奥多摩 山、谷、峠、そして人』です。
山岳雑誌『山と渓谷』に今年の1月号まで連載されていたエッセイをまとめた本です。

このブログのタイトルから想像される通り、私は、山岳雑誌は『山と渓谷』派で、年間購読しています。
雑誌が届くと、まずは最初の特集記事からパラパラとめくり、あ、面白そう、あとで読もうと先送りにし、結局、一番最初に読むのが、この連載でした。
雑誌の巻末近くの地味なエッセイ。
最初はそうした印象で、読まなかった回もあったと思うのですが、何しろ知っている山・歩いたことのある山のことが沢山出てくるのです。
笠取山。棒ノ折山。浅間尾根。小河内峠。生藤山。三国峠。三頭山。雲取山。川苔山。飛竜山。御前山。高水三山。笹尾根。天平尾根。蕎麦粒山。鷹ノ巣山。雁峠。馬頭刈尾根。大岳山。
自分が歩いたことのある山のことを読むのは何でも面白く、だから、私のつたない山の記録でも読んでくださる方がいらっしゃいます。
それが、この本に記されているのは、今から50年ほど前の、著者が中学生から高校生だった頃の思い出の山歩きなのです。

1954年武蔵野市生まれの著者の中学生から高校生の頃の山歩き。
60年代後半から70年代前半の奥多摩。
今の奥多摩の、植林の中の暗い山道ではなく、カヤトの原の広がる道。
鹿の食害がなく、季節ごとにアツモリソウ、オダマキ、ヤナギラン、マツムシソウの花々が咲き乱れる奥多摩。

地形を知っている山の、でも、今は残っていない風景。
それを思い描きながら、遠い昔の山を、自分も歩いた気持ちになれる本です。
私の持っている一番古い奥多摩の登山地図には、鷹ノ巣山の山頂直下に「お花畑」と記されてあります。
今は何も咲かないあの急な坂道。
あそこは、ヤナギランのお花畑だったのだそうです。
それを読むと、広い石尾根の防火帯に咲くヤナギランの中を歩いたことがあるような気がしてきます。

いや、しかし、思い出の山というだけなら、途中で飽きてしまったのかもしれません。
結局、その頃の奥多摩を、私は知りません。
挿しはさまれる現代の奥多摩の描写が、さらに興味深いのです。

この数年、奥多摩にはさまざまなことがありました。
例えば、2014年2月半ばの大雪。
山梨県周辺は未曽有の大雪で電車も高速道路上の車も立ち往生となり、大変な数日を過ごされた方が多かったと思います。
奥多摩も雪に閉じ込められ、全てが不通となりました。
20代の小屋番が1人で留守番をしていた雲取山荘は、ひと月ほど孤立したそうです。
3月になってようやく青梅警察署の山岳救助隊が丸2日をかけて雲取山荘にやってきたとのこと。

この記述を読んで、私はこの直後に雲取山に登ったことを思い出しました。
3月5日(水)、奥多摩~丹波間のバスが復旧。
3月7日(金)、警察関係者30名ほどが訓練のため山に入り、雲取山の鴨沢コースにトレースがついた。
山の情報サイトでそれを知って、私は3月9日(日)・10日(月)に登りました。
あれは訓練ではなく、山岳救助だったんだ・・・。
ちらっと『山と渓谷』の記事で読んだことはあったのです。
雲取山荘の小屋番からのSOSは、まず小屋関係者に届きました。
しかし、鴨沢コースは登山口に行くことすら困難。
そこで、三峰神社から小屋関係者が登ろうとしたけれど、胸までの雪に断念。
その後、警察が出動した。
そうした経緯を記事で読んでいました。
やはり、訓練ではなく、本番だったんですね。
訓練を兼ねて小屋番の様子を見に行こう、ということだったのかもしれませんが。
本当に緊急のことなら、ヘリで救助したでしょうから。
雲取山まで、30人規模で交替でラッセルしても2日がかりだったそうです。

あのとき、七ツ石山手前から雲取山の山頂までは、青空の下、素晴らしく広いトレースが続いていました。
あの雪道は楽しかったと今も思い出します。
雲取山荘に宿泊しましたが、スタッフも何人もいて、客が少ない以外は、普段通りの雲取山荘でした。
警察関係者と一緒に、スタッフも登ったのかもしれません。

2014年3月の終わりに、私は川苔山も歩きましたが、それでもまだ凄い雪で、山頂の道しるべは、文字板のすぐ下が雪に埋まっていました。
鳩ノ巣駅からの一番易しいコースで登っても、やはり人が少なく、静かな山でした。
あの年、川乗橋からの谷沿いのコースは、木橋が崩落し、また雪崩の恐れもあり、長く通行禁止でした。

あの大雪で多くの鹿が死に、その年の春は、奥多摩にも珍しい花がぽつぽつと見られたそうです。
鹿は、雪が深いと歩くことができず、死んでしまうのだそうです。

読み進めていくと、ここ数年の山のことが思いだされます。
自分の体験と本の記述とがしばしばオーバーラップします。

そういえば4月に雪が降った年がありました。
街でも毎朝氷点下になった冬もありました。
午前中は給湯器が凍結して、お湯が出なくて困りましたっけ。
ここ数年のことなのに忘れかけていたことが、よみがえってきます。

2014年の大雪。
そして、2019年の台風。

自然の猛威により登山道は崩落し、しばしば通行止めとなりました。
それでも、人気のある登山道はその都度修復されていきました。
しかし、修復が難しいこともあるようです。

道だけでなく、さまざまなことが変わりました。
2019年、奥多摩町が、老朽化した奥多摩小屋の撤去に伴う予算を計上したとの記述があります。
鴨沢から雲取山へと向かう登山道の中でも広く歩きやすく風景が圧巻の場所に立つ奥多摩小屋がもう機能していないのだそうです。
では、テント場も、使用禁止となるのでしょうか?
管理人がいない場所でのテント泊は禁じられることが多いのです。
今は若い人を中心にテント泊が流行しています。
コロナ禍が収束しない限り山小屋泊りは難しいですから、1人用テントで泊まる計画を立てている人は多いと思います。
あそこが使用できないとなったら、どうなるのでしょう。
私自身は、雲取山に登るときには毎回雲取山荘に泊まっていましたが、いつか、春秋の気候の良いときに奥多摩でテント泊をしたいと思っていました。
そんなに困難な計画でもないので、老後の楽しみのような気持ちでいました。
そのときのテント場は奥多摩小屋前と決めていたのですが。

奥多摩小屋で「仙人」と呼ばれた名物管理人のことも、この本には書かれています。
登山者の様子をよく見ている人だったのだと短い記述でも感じます。
私は小屋前を通りかかったときに作業中のその人と目があって挨拶した思い出があります。
明らかに雲取山荘に泊まって下山する時間帯に小屋の前を通り、普通のサイズのザックに普通の山服で普通に歩いている登山客に対しては、会釈もしてくれなかったですが。
しかし、興味を持たれなかったのは、この場合、良いことだと思っています。
登山客として問題なかったということですから。

以前、奥多摩の警察関係者の方の書いた本で読んだのですが、この仙人は、管理人を辞めた後、奥多摩の山中に独りで小屋を建ててひっそり暮らしていたとのこと。
でも、それが関係者に見つかって、また行方がわからなくなったとのことでした。
知り合いに対してすら、それなりに気難しい・・・。

この方が管理人を辞めて以後の奥多摩小屋のことを、この本で初めて読み、つらい気持ちになりました。
でも、また何か新しい動きが起こらないかな。
あのテント場は、奥多摩町にとっても貴重なもののはずだから。
そんな少しの希望も抱いて、本を読み終えました。




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