たまりば

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2020年01月08日

中1の壁。算数と数学。

中1の壁。算数と数学。


小学校は、基本的なことのみ学習しますので、大多数の生徒は、自分は学校の勉強についていけていると感じています。
「学校では勉強ができるほうである」と感じている小学生が過半数かもしれません。
しかし、過半数が勉強ができるほう、というのは明らかに事実とは異なります。
易しいカラーテストと、好意的な絶対評価の成績によって、事実誤認が起きている・・・。
冷酷な言い方をすれば、そういうことになります。

しかし、学習に自信をもって取り組むのは良い効果のあることで、大半の生徒は、中学入学後もしばらくの間は、自分は学校の勉強についていけていると感じ、意欲的に学習を続けます。
むしろ、「学校では勉強ができるほうである」と感じる生徒も、中1の1学期までは多いのです。
心配していた英語も数学も、1学期の成績は「5」。
ああ、大丈夫だ、とさらに自信を深めます。

しかし、それは、英語や数学では人生で最初で最後の「5」だった・・・。
以後は下がり続け、やがて「3」になった。
そういう人も、多いのです。

その意味で、「中1の壁」は1学期にあるのではなく、2学期、3学期にあります。

中1の1学期の数学のテスト範囲である「正負の数」や「文字式」は、解き方を丸暗記した子が高得点を取ることのできる単元であり、それでたまたま「5」になってしまうのです。
計算自体は、1桁や2桁の計算ばかりで、小学校の計算ドリルよりもむしろ簡単です。

英語も、現行の教育課程では、中1の1学期ですと、アルファベットや、易しい単語を書くことができれば大丈夫です。
文法は、be動詞の肯定文、疑問文、否定文だけです。
その後、Do you~?がどうしても身につかず、何でも Are you~?としてしまう人も、名詞の複数形や動詞の三単現のことを毎度うっかり忘れてしまう人も、1学期の間は、英語はミスする原因が少なく、楽勝です。

中1の1学期の成績は、その後を保証するものではありません。
中1の1学期で「5」を取って、その後普通に勉強していれば、中学生の間はおそらく「2」にはならないだろう・・・。
その程度の保証しかできません。
2学期で「4」、3学期で「3」と下がっていくのは、むしろ、よくあることです。
こういう成績表はよく見ます。

中1の1学期の成績は、幻です。
中1の壁は、2学期・3学期にあります。

特に数学。
中1の2学期は、「方程式の利用」「比例・反比例」を学習します。
数学的な考え方を問われるようになるのですが、ここで、小学校の算数から脱却できない子、すなわち壁を乗り越えられない子が現れます。

小学校の算数と中学の数学と、何がそれほど違うのか?
文章題で考えてみると、その違いが明瞭です。


算数の文章題は、答えを求めるための式をたてます。
しかし、数学は、文字xを使って、数量の関係を表す方程式をたて、それを解いて答えを求めます。
文章で書かれてあることを方程式に翻訳する作業をすることになります。
あとは、式が自動的に答えを出してくれる。
方程式は、とても便利なものです。

そんなに便利なものなら、小学生のときから方程式を教えればいいじゃないか。
途中で突然切り換えるから、そこで気持ちがついていけなくなって、数学が苦手になるのでは?

そういう思いもわかるのですが、子どもには発達段階があります。
小学生の脳は、方程式を理解できるほどには発達していないことが多いのです。
個人差はありますが、小学生が自ら方程式を立式し文章題を解くのは不可能に近い。
それが私の実感です。
大人から見たら、
え、何でこの程度の簡単なことが理解できないの?
小学生でも、これくらいのことは、ちゃんと説明すれば、わかるでしょう?
と思うようなことが、小学生には、全く理解できないことがあります。

まだわかっていない数値を式の中に利用して式を立てることなど、絶対にできない。
だって、その数値はわかっていないのだから。

そういう思いが強いのです。
抽象思考ができず、全て具体的に考えないとダメなので、具体的にわかっていないことは式の途中では扱えないのです。

中学受験をする受験算数の特殊算の多くは、方程式を使えば解けます。
それなのに、方程式を使わず、線分図だの面積図だの公式だの、訳のわからない方法で解く。
あれは、おかしいんじゃないか、と思う人もいると思います。
受験をするくらいだから、学力は標準以上なのだろう?
教えれば、方程式も理解できるんじゃないか?
塾のアルバイト学生講師の中には、本人が秀才である分、不遜な人もいます。
テキストの指導法や解説を無視し、小学生に方程式を教えてしまうことがあります。
小学生に方程式を教えないのには教えないだけの理由があると考えられず、自分だけが新しい教え方を発見した気になって、方程式を教えてしまうのです。

若くて自信たっぷりな先生に、子どもは迎合しがちです。
「どうだ。このやり方なら、どんな問題でも解けるんだぞ」
「うわあ。先生、すごいねえ」
大手の個別指導塾で教えていた頃、私が授業している隣りのブースから、そんな声が聞こえてきて、まずいなと感じたことは幾度かありました。
しかし、私は、それを報告する立場にありませんでした。
報告しても、教務につまらない密告をする嫌なヤツになるだけでした。
教務も、そんな密告は、余計な仕事が増えるだけなので聞きたくないのです。
教務は保護者からクレームがあればすぐに動きます。
しかし、関係ない講師の関係ない進言への反応は鈍いのが普通です。
生徒は、喜んでいる。
生徒がその講師を指名している。
保護者からのクレームもない。
なら、それでいいのです。
その子の受験勉強に大きく影響する、たいへんなことが起きている。
それは、わかっていたのですが。

大手の個別指導塾では、「成績が上がらない」と保護者からクレームがきた場合に、では、講師を替えて仕切り直しましょう、というクレーム処理の方法をとることが多いです。
室長に呼ばれ、クレームのきている子なのでよろしく頼むといわれ、その子の授業に入ってみると、前任者が方程式を教えていた、ということもありました。
特殊算の公式も、線分図や面積図の描き方も教わっていない。
かと言って、方程式を立てられるわけでもない。
その子の頭の中は、ぐちゃぐちゃになっていました。

方程式を教えたところで、子どもの立てる方程式は、
70-25÷5=x
といったものになりがちです。
xを使う意味がありません。
わからないものをわからないままxとおき、関係を表す式をたてる。
方程式のそうした構造は、子どもには理解しづらいのです。

小学校でも、6年生になれば少しだけ「文字を使った式」の学習は行うのですが、
x-40=120 とか、x×38+5=81
といったレベルの易しいものだけです。
文章題からその式を立てさせる場合は、本当に構造の易しいものに、しかも最大限の補助をして、ようやく式が立てられるというレベルです。
ここまで易しいと、方程式にする意味がないので、小学生には不評です。
なんで、この単元のときだけは、120+40という式をたてたらいけないんだろう?
なぜ、x-40=120 というわかりにくい式をわざわざ立てるのだろう?
子どもたちは首を傾げ、その単元が終われば、もう文字を使った式のことは忘れ、2度と方程式は立てません。
方程式のことが気に入り、以後ずっと使う子は、特別に数学センスのある子だけです。

小6で学習する「文字を使った式」という単元の目的は、文字を使った式に少し慣れるというだけのことなのでしょう。
中学で学習することのちょっとした予告編だよと子どもには伝えています。
中学生になったときに、「そういえば、昔、これに似たことを少しだけやった」という記憶があれば、それでいい。
それで、小学校から中学への橋渡しになる。
その程度のことだと思うのです。

小学生に本格的に方程式を教える場合は、その子の発達段階をよく見極めて教える必要があります。
また、方程式の学習の前に、まずは正負の数の学習が必要です。
負の数がわかっていないと、方程式は、解けるものと解けないものが出てしまいます。
さらに、逆算との違いをこんこんと解き、出来るようになるまで常に補助していく必要があります。
方程式は、逆算ではありません。
式の両辺に何かをたす、ひく、かける、割る、という作業を行うことで、式を解きほぐしていく。
xについて解くとはそういうことだいうことを、理解できるまで解説し続ける必要があります。
逆算して求めているのではないのだ。
xについて解いているのだ。
この大きな転換は、中学生でも理解できない子は理解できないのです。
作業手順として暗記するだけで、意味はわかっていない子は中学生でも多いのです。

もしも小学生に方程式を学ばせたいのなら、低学年の頃から算数は先取り学習をし、何でも早め早めに学ばせ、その子に数学的才能があると確信できた場合に、その子の肉親が、信念をもって教え通す。
小学生だけの解き方という「雑音」が入らない状況を作り、毎日教え続ける。
それくらいの覚悟がいることだと思います。


小学生の間は方程式は絶対に理解できない。
一方、中学生になれば、誰でも方程式は理解できる。

そのように単純なことではありません。
個人差、ということをここでもう一度考える必要があります。
小学生でも、方程式を理解できる子も存在します。
一方、本当は、中学生になっても、方程式を理解できる発達段階に至っていない子も多いのです。
方程式の計算は、手順として覚えます。
学校で学習する内容ですし、周囲の皆がそれに従ってやっているのですから、本人も作業手順は覚えるのです。
何で中学に入ったらこのやり方に変わったのかはわからないけれど、逆らっても仕方ない。
移項すると符号が変わる理由はよくわからないけれど、それはそういうもの、皆がそれでやっているのだから仕方ない、覚えるだけ、と諦めて解いていきます。

しかし、そういう子たちは、文章題を読んで、方程式を自ら立てることは、できません。
何を要求されているのか、わからないのだと思います。
その子たちは、内心、
急にどうしたの?
何で文字を使って式を立てなければいけない?
何でそんなことをしなければならないの?
と思っているのかもしれません。

そして、小学生と同様に、
「わからない数値は、わからないのだから、そんなものを式の途中に使うことはできない」
「式というのは、答えを出すために立てるものだ。関係を表す式とか訳のわからないことを言われても、意味がわからない」
と思っているのかもしれません。

あるいは、
「自分は、小学生のときから文章題は苦手だった。文章題は、自分は解けない。でも、計算はできる。基本はできるから、それでいいでしょう?はい、それで終わり」
と心に決めてしまって、まともに問題を読むこともしない子も多いと思います。

ここの壁は厚いです。

しかも、中1の2学期には、その先に、もっと恐ろしい「関数」が待っています。
y=3x だなんて、xもyも結局定まらない。
比例だの何だと言っているが、何のために何を勉強しているのか、本当にわからない。
これは何に使うの?
何の役に立つの?
数学の根本がわからない子は、関数がわからないことが多いのです。
関数がなぜ存在しているのか、何のためにこんなことを大事そうに学ぶのか、意味がわからないのです。
本質が全く理解できないのです。
小6でも「比例・反比例」は学習しているのですが、そのときも、何のために何をしているのか全くわからず、困惑したままその単元の学習が終わっていく子は多いです。
むしろ、算数・数学は意味がわかったことは一度もないし、意味を考えたことも一度もない、言われた作業を覚えた手順でやるだけさ、という子のほうが抵抗感は少ないのかもしれません。
しかし、言われた作業を覚えた手順でこなすだけにしては、関数は複雑です。
文章題への利用のあたりで、ブラックアウトとなりがちです。


2学期に成績が下がって。
中1の3学期になって重い腰を上げて塾にやってくる。
作業手順を覚えるだけの勉強をやめられない子は、そのままかもしれません。
しかし、その中に原石が存在することも、私は知っています。
考えるとは、何をどうすることであるか。
作業手順の暗記ではない数学の勉強とは、どういうことか。
表面上は普通のテキストを普通に解いていくだけの授業の中にある、数学的な「対話」。
本質的な「理解」。
そうしたものがあれば、時間がかかっても、必ず成績は上向いていきます。
数学力がついていきます。




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