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2018年09月24日

相模湖与瀬神社から奥高尾を歩きました。2018年9月。

相模湖与瀬神社から奥高尾を歩きました。2018年9月。

2018年9月23日(日)、今週も奥高尾を歩きました。
前日までは、富士山の見える山に行こうと計画していたのですが、朝になったら予報よりずっと雲が多く、こんな日に富士山の見える山に遠出するのは何だか勿体ない。
でも、山を歩くのに問題のある天候ではない。
となると、奥高尾ですね。

今回は久しぶりに、相模湖から登ることにしました。
中央快速・中央線と乗り継いで、相模湖駅下車。
相模湖駅のトイレは、一番線のホームにあり、いつも混雑しています。
改札を抜け、駅構内のベンチで山支度。
ふと見ると、更衣室がありました。
山から戻ってきて着替えたい人に向けてのものでしょうか?
更衣室を作るスペースがあるなら、トイレにしてくれたら良かったのに。
今からでも、トイレに改築してくれないかなあ。

さて出発。8:35。
まずは、ロータリーから甲州街道に出て、右折。
そのまま、舗道をてくてく歩いていきました。
もうすぐ舗道が尽きて、しかも坂道になりますけど?
というところまでまっすぐ歩いていくと、ようやく与瀬神社。
舗道に面して、与瀬神社の長い石段が始まっています。
明王峠・景信山を示す道しるべもありました。
苔むした石段は風情があり、晩秋に歩いたらもっと良いでしょうね。
途中、広い踊り場。
高速道路の上を越えるための踊り場です。
ここは極めて人工的で、情緒のかけらもありません。
そこから見ると、甲州街道に面していない裏道からの階段が見えました。
甲州街道を歩いても舗道がついていますからストレスはありませんが、裏道があるなら、そのほうがいいかもしれません。

そこから、ヒガンバナが満開の墓地を左手に見ながら、さらにまっすぐ石段を登っていきました。
石段の段差が大きく、バランスを崩したら転落の危険を感じないでもありません。
右手に、少し遠回りな形で段差の小さな石段も設置されていました。
与瀬神社本堂。
向かって左手に道しるべがあり、細い登山道が始まります。
あまり人の来ない道なので、クマ鈴をつけて、さて出発。

本日の最高気温28度。
そんなに高い数字ではないのですが、それまで数日涼しかったせいか、暑さが堪えます。
しばらく登りが続き、大量の発汗。
展望地。9:25。
相模湖が見晴らせる場所で、ベンチが設置されていました。
ここで大休止。
風が通るので、しばらく休めば身体も冷えてくるでしょう。

休んでいると、ぽつぽつと人が登ってきました。
全て、男性の単独登山者でした。
山慣れた様子の中高年。
短パンに高機能タイツの若者。
ここは歩く人が少ないから、歩く人が少ない道を歩きたい人が好んで歩くのでしょう。
今日は3連休の中日で、天気予報では唯一の晴天の日。
奥多摩の人気コースはどんなことになっているか、あまり想像したくありません。

急な登りはそこまでで、あとは緩やかな登りや平坦な道が続きました。
花が増えてきました。
キバナアキギリ。
シモバシラ。
ガンクビソウ。
サラシナショウマ。
見慣れた秋の花々を足元に見ながら歩いていて、足が止まりました。
・・・・あれ?ギンリョウソウ?
梅雨時の花だと思ったけれど。

季節を間違えて咲いてしまったのかな?
そうも思いましたが、ポケット植物図鑑で調べると、アキノギンリョウソウという花もあるのだそうです。
アキノギンリョウソウは、ギンリョウソウに似ているが、シャクジョウソウの仲間。ほお。

大平。10:30。
小さな売店のような建物があり、ベンチがあります。
売店は閉まっていましたが、鋸で何か作っている人がいました。
以前に来たときよりもベンチやら手製の道しるべやらが増えていて、気持ちのよい場所になっています。

売店を過ぎると、ツリフネソウが増えてきました。
花盛りの緩やかな道を辿りながら、中学校で習った短歌を思い出しました。

葛の花 踏みしだかれて色あたらし この山道を行きし人あり

山道を歩くことにとんと興味がなく、しかも葛の花というのも具体的なイメージがなかったですが、何だか不思議と覚えている短歌です。
この山道を行きし人あり。
そういう気持ちになることがあります。
そんな人の少ない山道を歩くのが好きです。
今日この山道を行きし人が沢山いることは朝のうちにわかっていますし、その後もときどき道を譲っていますが。

舗装された林道といったん交差して、また登山道を少し登っていくと、石投げ地蔵。
石が沢山積まれた塚があり、説明の看板が立っていました。
「明王峠・石投げ地蔵
景信山と明王峠の山稜を結ぶ間に堂所山という小峰がある。その昔、武田信玄が北条と合戦のとき、鐘によって敵の情報を知らせるための鐘つき堂のあった跡でその名が付けらた。
また明王峠は武田不動尊を祀り武運を祈願したと伝えられる。
この峠の山頂に上り詰める一歩手前の道筋に小石を積み重ねた小塚があるのが目につく。伝説に塚の由来を記すが、時は天正年間、甲斐の武田一族の姫君が常陸の国佐竹家に嫁したが、不幸にして離縁となり幼女を残して生国の甲斐へと戻された。その後幾とせ、残された幼女は美しい姫となった。ある日、乳母より実母のことを聞かされ、次第にまだ知らぬ母に思慕の念がつのるようになった。やがて秋も深まろうとする頃、母と対面する好機が訪れ乳母とともに母の消息を尋ねたいと父に懇願し、許しを得て従士三人乳母ら五人で甲州に旅立つことになった。何分にも当時は戦国乱世の時、旅は決して楽なものではなく、敵方の難を逃れるため間道や峰道を通らねばならなかった。あるときは木の実を食し、沢の水で空腹を満たすほど殆ど不眠不休の旅であった」

看板の説明は、そこで終わっていました。
・・・・・え?
その話とこの小塚との関係は?
むしろ、この説明板が面白いので一見の価値ありです。
昔はもう1枚あったのかなあ?

その先、しばらく行くと、長い木段。
木々の隙間から空が見えます。
きっとあそこが明王峠。
それを励みに一歩一歩木段を登っていきました。

明王峠。11:20。
本日は売店も営業中。
周りの沢山のベンチがほぼ埋まる盛況でした。
ひと休みして、あとはいつもの奥高尾主脈を行きます。
雨上がりの泥んこ道が続きました。
まき道、まき道と選び、景信山。12:40。

木陰のベンチは風がよく通ります。
カエデの緑の葉が風に揺れています。
誰かの食べているカップラーメンのカレーの匂いが鼻腔をくすぐります。
夏の山で食べるカップラーメンは、カレー味の占有率がやはり高い。

景信山、小仏峠を通って、小仏城山。13:45。
今日も暑いので、かき氷がよく売れています。
私は、本日はコーラを1本購入。

さて、高尾山へ。
木段を降りていくと、前を行くお母さんが、女の子を叱っていました。
「ほら、急いでっ。あんたの足じゃ高尾山までに夕方になっちゃうじゃないの!」
お母さんは、繰り返し子どもを急かしています。
私自身が母親に叱られるとかなり凹む子どもだったので、山で子どもが叱られているのを見ると、この子、山が嫌いにならないかなあと心配になります。
休日、観光地に遊びに行って、結局、親に叱られてしまうのは切ない。
観光地では、危険なことをしたときや他人に迷惑をかけそうなとき以外は叱らないであげて・・・。
どうせ登山道は渋滞気味で、急いだところでそんなに変わらないのだから。
女の子は、渋滞の中、前の人を追い越そうとしました。
お母さんが引き留めます。
「ダメ。渋滞のときは追い越したらダメ」
いや、お母さんが急かすからそういう行動をとったんだと思うけど、でも、ルールを教えるのは良いことです。
しばらく行くと、木段の狭い部分で、登る人が立ち止まって道を譲ってくれていました。
礼を言って通り過ぎた後、お母さんは、
「本当は、登り優先といって、下る人のほうが道を譲るの。下る人は石を蹴ってしまったりする危険もあるから、立ち止まって、登る人を優先させるの」
山のルールを女の子に説いていました。
かなり山好きなお母さんのようです。
「え?日本のきまり?」
女の子のこの質問に、聞いていた私は虚をつかれました。
お母さんもそうだったと思います。
「・・・・・え?日本っていうか・・・」
世界共通のルールなのかどうか、そんなの私も知りません。
すると女の子が一言。
「アメリカのきまりだね」
・・・・何で?
ぷっと笑った声が聞こえてしまったのでしょうか、女の子は振り向き、私をじっと見ました。
「ラジオ、何聞いてるの?」
人見知りしない子だなあ。
ともあれ、凹んでいなくて良かった。

「登り優先」のルールは、そんなに厳密なものではなく、確かに落石の危険のあるような場所では下る人のほうが待つのが良いと思いますが、あとは適宜、待つ場所があるほうの人が立ち止まったら良いと私は思います。
3メートルも手前で下りの人に立ち止まられると、こちらは急いで登らなくてはならず、苦しいので勘弁してくれと思わないでもないですから。
むしろ「立ち止まるのは1メートル以内」ルールを私は広めたい。
余程その先の道が細く、手前で立ち止まったほうが良い場合を除いて、あまり手前で立ち止まらないでほしい。
昔、山岳ガイドに聞いたのですが、大学の山岳部同士など、相手の力量を信頼できる者がすれ違うときは、互いに立ち止まらなかったそうです。
細い道で横幅の広いキスリングを互いに担いでいても、スルスルとすれ違いあう。
そうしてすれ違った後、「あいつら、なかなかやるな」と健闘をたたえたとのこと。

さて、今日も紅葉台は巻いて、高尾山下。14:45。
高尾山も巻いて、トイレのところの分岐から、今日は琵琶滝コースを下りました。
ここはいつも湿っていますから、雨上がりで観光客が避けたのでしょう、むしろいつもより空いていて、楽に下っていけました。
下山。15:50。
今日も1日、楽しかった。ヽ(^。^)ノ



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