たまりば

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2020年11月13日

高校英語。仮定法過去完了。


今回は、仮定法過去完了です。

例文を見てみましょう。

If I had left home ten minutes earlier, I would have caught the train.
もし10分早く家を出ていたら、その列車に乗れたのだが。

これは、「過去の事実に反する仮定」を表します。
過去にもしこうだったら、こうなっていただろうということを表したいときの文です。
事実としては、「私は10分早く家を出なかったので、その列車に乗り遅れた」のです。
俗に「たら・ればを言っても仕方ないだろう」などと言いますが、仮定法過去完了の文は、どれもこれも、この「たら・れば」ばかりです。

if 節は、「If+主語+過去完了」。
過去完了形とはhad+過去分詞の形です。
英語では、過去形より1つ古い時制にしたいときは、過去完了形にします。
「大過去」を表すときに過去完了形を用いることは、高校英文法のかなり早い時期に時制のところで学習しました。
仮定法は、とにかく時制を本来より1つ古くすることで、それが事実ではなく仮定の話であることを伝えます。

主節は、仮定法過去と同様に、助動詞の過去形を用います。
しかし、その後ろを動詞の原形にしたのでは、仮定法過去と全く同じになってしまいます。
かといって、助動詞の後ろに動詞の過去形を置いたりしては、英語の根本のルールに反します。
助動詞の後ろは動詞は原形にするのが、英語の原則。
根本のルールの1つです。

ではどうするか?
仮定法過去完了の主節は、「主語+助動詞過去形+現在完了」を用います。
現在完了形は、have+過去分詞です。
have は原形なので、「助動詞の後ろは原形」という原則に従っています。
これなら、原則通りです。
動名詞や不定詞の時制を1つ古くしたいときにも、現在完了形を用いるこの方法は活用されています。
完了形の動名詞、完了形の不定詞と呼ばれるものです。
単純な過去形を用いることができないときには現在完了形で代用する。
これが原則です。
英語は、同じルールを他の文法事項でもフル活用するので、大原則を理解しておくと覚えやすいのです。

原則に従ったわかりやすいルールだなあと私は思うのですが、仮定法が嫌いな人には、不評です。
何だか覚えにくいらしいのです。
いや、原則を理解したら、覚えやすいですよ。

「If+主語+過去完了 , 主語+助動詞過去形+現在完了」

仮定法過去完了のこの形をしっかり覚えて、そのルール通りに英文を作っていきましょう。

もう少し例文を見てみましょう。

If I had not broken my leg, I could have gone skiing.
もし足を骨折しなかったら、スキーに行くことができたのだが。

「If+主語+過去完了 , 主語+助動詞過去形+現在完了」
という骨組みがしっかり守られています。

事実としては、「私は足を骨折したので、スキーに行くことができなかった」のです。
まさに「たら・れば」です。

仮定法過去完了の例文や問題文を見ていると、何となくテンションが下がるのは、こうした繰り言が多いからでしょうか。
しかし、それは、仮定法過去完了に責任のあることではなく、語られている内容の問題です。
人は、無駄とわかっていて、こういうことを言いたくなるものだ。
英米の人も、こんなことを言っているんだなあ。
と、そんな感慨を新たにするのも、語学を学ぶ意味の1つなのかもしれません。


If I had voted against him, he would have had to resign.
もし私が彼に反対投票をしたら、彼は辞職しなければならなかっただろう。

これも、同じ構造なのがわかります。
事実としては、「私は彼に賛成投票をしたので、彼は辞職しなかった」ということです。

ところで、この例文になると、仮定法という以前のことで混乱する人がいます。
中3で現在完了を学習した頃から、英語が苦手な人にありがちな奇妙な「癖」として、have の後ろに had というのはおかしいのではないかと思い込み、そういう英文を書けない人がいるのです。
1つの文の中で have を2回使うのはおかしいと思うらしいのです。
この種の「癖」は他にもあります。
enjoying playing のように、ing 形を続けて書いてはいけないのではないか?
to を1つの文の中で2回使うのはおかしいのではないか?
こうした例は、枚挙に暇がありません。
英語が苦手な人に、こういう奇妙な「ルール」を自分で作ってそれに縛られる癖のある人がいます。

文法は苦手な様子なのに、なぜ、こんな変なルールを自分で作って、それに縛られてしまうのでしょう?

それは、正しい文法を覚えられないから、その代わりに、自分で変なルールを発見してしまうのだろうと想像されます。
文法をいくら嫌っても、いくら無視しても、言語を学ぶときに、やはり何かしらの法則というものを考えずにいられないのでしょう。
その結果、どこにも存在しない不可解なルールを発見して、それに縛られてしまうのです。

しかし、それは見方によっては明るい側面かもしれません。
英語を学ぶとき、結局は、ルールが必要なのです。
心の底では、ルールを求めているのです。
ならば、正しいルールを覚えて活用しましょう。
英語を使う上での正しいルール。
それが文法です。

自分が思いこんでいるルールは、正しいものか、それとも単なる幻想か。
それがわからないときは、質問するのが一番です。
「そんなことを質問したら、バカにされるのではないか?」
そんなことを思う必要はありません。

誰かが言っていました。
くだらない質問というものは、この世に存在しない。
くだらない答があるだけだ。

その通りだと思います。

  


  • Posted by セギ at 11:53Comments(0)英語