たまりば

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2015年04月06日

考えることを避ける子


先日、中学生に英語の「分詞」の授業をしました。
分詞の形容詞的用法(限定用法)は、
「英語って、大体こんな順番でしょう?」
という感覚的な判断は通用しません。
前置修飾か、後置修飾か。
現在分詞か、過去分詞か。
理屈を積み上げ、語句を並べていくことが必要となります。

論理的なことの好きな子は一度で理解します。
でも、理屈が嫌いな子、感覚で済まそうとする子は、なかなか身につかないのが「分詞」です。
「頭を使いなさい」
「理屈で判断しなさい」
と再三声をかけても、全く進歩しない子もいます。

理解できないのなら仕方がないのですが、多くの場合、理解できないのではなく、理屈を理解し利用することに価値を認めていないように感じます。
英語なんて、文法を覚えるより、感覚を身につけるほうが大切でしょう?
そんなふうに考えているように見えるんです。
問題を解くときに、教わった理屈を利用する姿勢が見られません。

英語に対する感覚を身につける?
日本で生まれ育ち、英語を使うのは英語の授業のときだけなのに、それで英語の感覚を身につける?

無理に決まっています。
無理だから、文法を学ぶのです。
文法で理解すれば、最短最速で英語を学べます。

しかし、「感覚派」は、いつの時代もいます。
そして、感覚では把握できないレベルの英文に進むと挫折するのです。
中1の頃は英語は好きな科目だったのに、高校英語では、教科書の英文をまともに訳せなくなる子は多いです。

勉強をしているのに、なぜ理屈を重視せず、感覚に頼るのでしょう?
勉強って、理屈を学ぶものでしょう?
そもそもが、感覚に頼るものではないのです。

彼らは、頭を使うことを恐れているのではないかと、ときどき感じます。
自分の能力の限界まで頭を使い知恵を振り絞ることが怖くて、そこを避けているように感じるのです。

小学生の女の子が、
「頭を使うと、頭が重くなるから嫌い」
と言うのを聞いたのは、もう10年も前のことです。
中学受験をする女の子でしたので、さすがに天を仰ぎましたが、その頃から、そういう子は存在しました。

先日、「分詞」を学習中に、ある中学生の女子が言いました。
「こんなことしてたら、脳細胞が潰れる」
「・・・・・・はあ?」
「脳細胞が」
「・・・・・・使わなかったら、もっと潰れるでしょう。使っていないところから、あなたの頭の中で静かに潰れているでしょう」
「やめてー」
「脳だって、筋肉と一緒です。負荷をかけなきゃ動くようになりませんよ」

ものを考えるとき特有の頭の重さが怖い子は、一定数存在するのかもしれません。
しかし、それを脳細胞が潰れると表現する子には、初めて会いました。

苦しいことは嫌い。
考えることは嫌い。
努力するのは嫌い。
感覚で判断してスパっと正解できる天才肌の自分でありたい。

そういう誤った価値観にとらわれ、潜在能力は高いのに中学の中盤くらいから成績が急降下する子は多いです。
子どもの頃から目端が効き、頭の回転が速く、家庭学習なんかしなくてもテストはそれなりの点が取れていた子が、中2の2学期くらいから成績が大きく下がっていくのを幾度も見てきました。
一方、現代において、中3、そして高校に入ってからも秀才でいられる子の多くは、不器用で、どちらかと言えば理解も遅くて、でも、真面目に努力する子たちです。
潜在能力の高い子が努力すれば、当然、そういう子たちよりも結果を出せるでしょう。
でも、小器用な子の多くは、努力できないのです。

秀才でいられるかどうかは、生まれつきの頭脳よりも、努力できる性格かどうかによるところが大きい。
そう思います。

前述の「分詞」の子は、あまりにひどかったので授業中に追い込みをかけました。
「脳細胞が潰れるー」
「潰れません」
「胃が痛くなってきたー」
「それくらいの神経の払い方でいつも勉強しなさい」
というやり取りを繰り返すうちに、全く正答できなかったのが、ほぼ全問正答できるところまで、短時間で変貌しました。
使わなかった頭を使えば、すぐに出来るようになる見本、と感じました。

  


  • Posted by セギ at 12:52Comments(0)講師日記