たまりば

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2012年02月18日

料理の下手な人の特徴


少し前、テレビを見ていたら、料理の下手な人はなぜ下手なのかを分析する番組をやっていて、興味深く見ました。
料理下手にもいろいろなレベルがあります。
包丁の扱いが下手で、切るのが遅い。
切り方が雑。
下ごしらえのやり方知らない。
そういう知識不足・練習不足の場合は、私も含めて、なぜ下手なのか明白です。
けれど、世の中の料理下手には、そのようなレベルではない人たちがいるようです。

市販のカレールーを使って煮たカレーが、まずい。
何か、微妙にまずい。

なんで、そんなことになるんだろう?
調理中ずっとカメラを回して、それを分析した番組でした。

勉強になりました。
その人たちは、下手なのに自分でアレンジするんです。
市販のカレールーですから、箱に書いてある説明通りの分量で煮たら、それなりにおいしく出来上がるのに、余計なものを入れる。
ヨーグルト。
りんご。
はちみつ。
チョコレート。
インスタントコーヒーの粉。
ソース。
白だし。
しょうゆ。
みりん。
何でも鍋にぶちこんで、しかも、味見しないで家族に食べさせてました。

その結果、まずいカレーが出来上がるんですね。
凄いなあ。

なぜ、そのようなことをするのかという質問に、
「隠し味で」
「こうしたらおいしくなると思って」
「勘で」
と、彼女たちは答えていました。
料理に関して何の実績もないのに、なぜ自分の勘でおいしくなると思うのだろう。

1回やって失敗したら懲りて2度とやらないのかというと、そういう人たちは、毎回今度こそと思い、余計なものを入れ続け、まずいカレーを作り続けるようです。

市販のカレーは、そのメーカーに勤務する専門家が、万人が最もおいしいと感じるスパイスの配合を研究して作っているものです。
だから、どんな隠し味を入れるよりも、そのままのほうがおいしく感じる人が最も多い味になっています。
それでも、味覚は、人によりズレがあります。
もっと苦味が欲しい人は、コーヒーの粉を少し入れたら良いでしょう。
和風な味が好きな人は、しょうゆを少し入れたら良いのでしょう。
それは、自分の味覚に責任をもてる人が、責任の範囲で行うことです。
「隠し味を入れたらおいしくなる」という幻想を信じることには、意味がありません。


ああ、でも、これは勉強にも言えることだ、と考え込んでしまいました。
勉強の苦手な子ほど、言われたことを言われた通りにやるということをせず、見ていると不思議なことをやり始めます。
混乱してそうなってしまうのなら、教えれば軌道に戻りますが、ルール通りのやり方を強制されるのが嫌で、何でも自分のやり方でやろうとする子は案外多いです。

自分のやり方でやりたい。
アレンジしたい。
勘で。

そうやって、しっかりした基礎を身につけず、どんどん崩れていきます。
自分のやり方にこだわる子は、それだけ伸びる可能性が低くなり、むしろ長いスランプに陥ります。
勉強のできる子は、そんなところで我を張ったり、無駄なエネルギーを使ったりしません。
最短最速の正確な解き方は、既に法則化されているのだから、それに乗ってやっていけば良いだけ。
素直にそう信じ、さっさと取り入れ、応用問題を分析するほうにエネルギーを注ぎます。

ご存じの方が多いと思いますが、「学ぶ」という言葉は「まねぶ」から派生したとする説が有力です。
学者の素質の第一は、まずは素直にそっくり真似できることであると言います。
先人のやり方をそっくり真似できれば、そこからその先にジャンプできます。

基礎のない者は、個性を活かすことはできません。
基礎のない者の個性は、ただ「間違っている」というだけで終わってしまう場合が大半です。
勘で作ったまずいカレーのように。

でも、気持ちはわかるような気がします。
ある日突然、自分の勘で、おいしいカレーが作れたら、素敵だなあ。
ある日突然、自分の勘で、勉強が出来るようになったら、素敵だなあ。
世の中で正しいとされている型通りのやり方よりも、自分が思いついたやり方のほうが本当は優れていたという大逆転が、起こらないかなあ。
そんな才能が、自分の中に、眠っていないかなあ。

夢を見てダメになる権利も、人にはある。

けれど、目の前の生徒には、そういうわけにはいかないのですよ。
(..)


写真は、名古屋名物、小倉餡トースト。
以前、三鷹に遊びに来た名古屋の友達が、「三鷹には、モーニングがない」と驚いていました。
探せばあると思うけど、朝マックではダメなんですかね。
(*^_^*)
  


  • Posted by セギ at 14:27Comments(2)講師日記