たまりば

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2022年02月27日

高校英語。否定。few と little


さて、否定の続きです。
今回は、few と little です。
前回の hardly , seldom などは、副詞ですので、動詞を否定していたのですが、few と little は形容詞ですので、名詞を否定します。
だから、位置も働きも異なるのですが、日本語の意味と1対1で覚える人は、どれも「ほとんど~ない」なので、区別がつかなくなるのです。
few と little は、形容詞ですので、名詞の前に置き、その名詞がほとんどないことを表します。

few は、可算名詞(数えられる名詞)に用い、数がほとんどないことを表します。
little は、不可算名詞(数えられない名詞)に用い、量がほとんどないことを表します。

例文を見てみましょう。
He has few faults.
彼は欠点がほとんどない。
He paid little attention to the fact.
彼はその事実にほとんど注意を払わなかった。

few と little の使い分けが覚えられないのも課題ですが、それは一応覚えても、実際に使いわけるには、後ろの名詞が数えられるのか数えられないのかを知識として知っていないといけないことも大きな課題です。
そして、数えられるか数えられないかの感覚は、日本語と同じ場合もありますが、何でそうなるのと思う場合もあり、結局、いちいち覚えていくしかありません。
「注意」が数えられないのはわかる気もするが、「欠点」って、数えられるのかなあ?
1つの欠点、2つの欠点・・・?
それが数えられるのなら、「情報」も数えられる気がするが、imformation は、不可算名詞です。
しかし、「議論」discussion は、可算名詞。
わかるような気もするが、わからないといえば、わからない・・・。
どこからどこまでが、1つの議論なの?
どこで区切って数えるの?

外国語を学ぶことは、その国の人の言語感覚を学ぶことです。
それを面白いと感じられるとよいですね。
「変だなあ?」と思うことも1つの興味。
変だから英語はダメだなどと言うのではなく、日本語と感覚が違っていて面白いなあと思うと、違和感がむしろ覚えるとっかかりになります。
興味をもって覚えてください。

数えられるか数えられないかに関しては、中学英語でも、many と much の使い分けなどで学習していますが、英語が苦手な子は、英語のこういう細かいところに興味がないし、だから覚えられないことが多いです。
例えば、money は、数えられない名詞としてはわかりやすいほうだと思うのですが、間違えてしまう子は多いです。

お金は数えられません。
「自分は、お金を100枚持っている」
と言っても、意味をなしません。
それは、1円玉を100枚なのか?
1万円札が100枚なのか?
お金は単位をつけて表さなければ意味がない。
個数では意味がない。
そういうものは、数えられない名詞です。

ただ、many に関しては、much との使いわけを力説しようにも、生徒の中には、別の課題を抱えている子もいます。
many も some も「多くの」だと覚えてしまっていて、幾度解説し修正しても、時間をおくと、また誤解が復活しています。
some と any の使いわけでモヤモヤし、any と many がスペルが似ているので結びつき、そのあげくに、こういう混乱が常態になったものと思われます。
その子は、日本語でも、「ひじ」と「ひざ」の区別で混乱しますし、「エレベーター」と「エスカレーター」も、一瞬言葉に詰まって半分あてずっぽうで呼んでいる気配を感じます。
気持ちはわからないでもない・・・。
many と much が意味的にはペアだよ、同じmから始まるよ、それ以外の語は、関係ないよと、その都度声をかけ、何とか覚えるとっかかりを作ろうと鋭意努力中ですが、もしかしたら一生治らないかもしれないとも感じています。
一度混乱したものは、なかなか治りません。
最初にしっかり正確に覚えることが大切です。
some , any , many の混乱は、複数の子に表れる症状です。
そういうところで毎回つまずいて派手に転んでいる子に、few と little の使い分けは、ちょっとレベルが高いかもしれません。

しかも、これに、few と a few 、さらに little と a little の使い分けが加わってきます。
同じ可算名詞の前におくのでも、
few ならば、「ほとんど~ない」
a few ならば、「少し~ある」なのです。

例文で確認しましょう。

Few people live to be one hundred.
100歳まで生きる人はほとんどいない。
A few people live to be one hundred.
100歳まで生きる人は少しいる。

He had little time to buy a present for her.
彼は、彼女へのプレゼントを買う時間がほとんどなかった。
He had a little time to buy a present for her.
彼は、彼女へのプレゼンを買う時間が少しあった。


これらをイメージとして理解するには。
few も little も、数直線上では、0にほぼ近い位置に存在します。
ゼロではないけれど、ゼロに近い。
しかし、そこに、a という、存在することを明瞭に表す語が付け加えられた瞬間に、その存在が強調されます。
だから、「少しはある」になるのです。
そういうイメージで覚えてください。

ところで、以下の文の意味はわかりますか?
Quite a few people live to be seventy.

quite は、「かなり」という意味で、very と同様、後ろの語句を強める働きをする副詞だから、quite a few は、「とっても少しの」という意味かな?
そのように誤解する人が多いのですが、これは「かなり多くの」という意味です。
few とは異なり、a few は、その存在が否定されず、肯定的に受け止められている表現です。
それをさらに quite で強めたのですから、これは「かなり多くの」という意味に変わってしまうのです。
上の文は、「かなり多くの人々が、70歳まで生きる」という意味です。

ちなみに、very few ならば「非常に少しの」という意味になります。
これも、a がないからだと思えば、理解できますね。
  


  • Posted by セギ at 13:44Comments(0)英語

    2022年02月10日

    高校英語。否定。hardly と rarely。


    さて、「否定」の学習です。
    今回は、準否定表現の副詞、hardly , scarcely , rarely , seldom を扱います。

    例えば、こんな例文。
    I could hardly listen to him.

    特に長文問題の中にこのような文があったとき、これを、
    「私は、一生懸命彼の言うことを聞くことができた」
    といった意味にとってしまう子がいます。

    しかし、これは、ほぼ逆の意味です。
    実際は、
    「私は、彼の言うことがほとんど聞き取れなかった」
    という意味なのです。

    知識があるか、ないか。
    注意深く英文を読む習慣があるか、ないか。
    それだけで、意味を真逆にとらえてしまう・・・。
    準否定表現の恐ろしさは、そこです。

    否定文は、not や never や no が使われているものだけが否定文ではありません。
    このような準否定表現に注意が必要です。

    hard と hardly は、違う言葉です。
    hard が副詞になったら hardly というわけではありません。
    そもそも、hard は、このまま副詞として使います。
    他の形容詞のように、ly をつけて副詞化する単語ではないのです。
    I study English hard every day.
    といった文は、英語を学習し始めて半年以内には習っていると思います。
    hard で、「一生懸命に」です。
    勿論、
    It's hard day.
    のように、hard には、形容詞としての「大変な」「硬い」といった意味もあります。

    形容詞?
    副詞?

    そこらへんで、頭がぐるぐるーとなってしまう人もいるかもしれません。

    形容詞は、品詞の1種です。
    働きは、
    ①C(補語)になる。
    ②名詞を修飾する。

    副詞も、品詞の1種です。
    働きは、
    名詞以外のものを修飾する。

    ・・・名詞以外のものとは、具体的に何かといえば、
    動詞、形容詞、副詞、文全体などです。


    同じ単語が、形容詞だったり副詞だったりしていいの?

    そのような疑問を持たれる人もいるかもしれませんが、全く問題ありません。
    英語は、その単語をどの位置に置くかでその単語の働きが決定しますので、副詞の位置におけば副詞であり、形容詞の位置におけば形容詞です。

    では、副詞の位置とは?
    普通の副詞は、SVOなどの文の主な要素を言い終わった後に副詞を置きます。
    例えば、SVOの語順は、
    「誰が」「~する」「何を」「どんなふうに」「どこで」「いつ」。
    と、順番が決まっています。
    この「どんなふうに」の部分に副詞がきます。
    面倒くさいことを言いますと、「どこで」「いつ」も副詞、副詞句あるいは副詞節ですが、そんなことは今はどうでもいいですね。

    ところが、そうではない位置にくる副詞があります。
    英語学習の意外に早い時期にすでに学習しています。
    「頻度の副詞」と呼ばれるものです。
    always , usually , often , sometimes などですね。
    これの位置は、一般動詞の前。
    be 動詞や助動詞の後ろ。
    助動詞と be 動詞の両方が使われている文ならば、助動詞の後ろで be 動詞の前。

    この同じ位置に、hardly などの準否定表現の副詞がきます。

    I could hardly listen to him.

    は、助動詞の後ろ、一般動詞の前に hardly が来ていますので、これは普通の副詞ではない、hard とは関係ない、これは準否定表現の副詞だとひと目で気づくのです。

    ・・・助動詞って何?

    先日も、高校生に「仮定法」を教えていて、
    「主節は、まず主語を書いて、助動詞過去形、特に意味がないときも、必ず would は入れます・・・」
    と解説していたら、
    「・・・助動詞って何?」
    と質問され、後頭部にいきなり矢を撃ち込まれたようなショックを受けました。
    目の前が暗くなる、サントワマミー・・・。
    と、歌の一節も聞こえてきましたが、しかし、そこでめげてはいけません。
    英語が苦手な子は、本当に本当に文法用語を覚えない・・・。
    文法用語を記憶することを脳が拒否するように、覚えません。

    用語を覚えることは、その概念を理解すること。
    助動詞という言葉を覚えていれば、助動詞と呼ばれる単語に共通の性質も位置も働きも覚えられます。
    助動詞は、動詞の意味を補助する働きをする語です。
    助動詞+動詞の原形 の形で使用します。
    多くの場合、最初に学習するのは、can。
    その仲間が助動詞です。
    will , must , may , shouldなどですね。


    さて、準否定表現に戻りましょう。
    hardly , scarcely の意味は「ほとんど~ない」。
    程度がほとんどない場合に使用します。

    It hardly rained last summer.
    この前の夏は、ほとんど雨が降らなかった。
    There is scarcely any sugar in this cake.
    このケーキには、砂糖はほとんど入っていない。

    rarely , seldom の意味は「めったに~ない」。
    頻度がほとんどない場合に使用します。

    She is rarely late for school.
    彼女はめったに学校に遅れない。
    Japanese parents seldom go out to dinner without their children.
    日本の親は、子どもを連れないで夕食に出かけることはめったにない。

    つまり、量的に「ほとんど~ない」ならば、hardly , scarcely。
    回数的に「めったに~ない」ならば、rarely , seldom。

    これ、hardly しか覚えないのではなく、4つ全部覚えてください。
    言い換え表現を理解していないと、4択問題で苦労しますから。
    4択問題は、単語を言い換えているのが正解で、本文中の語句をそのまま使っているのはひっかけの選択肢である可能性があります。
    言い換え表現をできるだけ知っておくことが必要です。

    rarely は、rare「まれな」という形容詞に ly がついた、普通の作り方の副詞ですので、覚えやすいと思います。
    「レアな」「レア物」という言い方で、日本語として定着しています。
    レアメタルといった言葉もあります。
    しかし、そのように覚えるための手がかりを説明しても、
    「知らない」
    「言わない」
    とはね返す子は、今も昔もいます。

    「そんなことも知らないの?」
    と言われた気がして、不愉快になってしまうのか?
    本当に知らないのか?
    言葉の意味をいちいち考える習慣がないのか?
    あんたとは使う言葉が違うんだよ、私は若いからと、若さアピールがしたいのか?

    英語が苦手な子の謎言動の1つです。
    そうして、単語を覚える機会を自ら逃していきます。

    しかし、そういう子も、一回腑に落ちる経験があると、それが語彙を増やすのに有効であると理解してくれるようです。
    前述の、高校生なのに助動詞が何なのかわからない子は、文法はそんなふうでまだ遅々たる歩みですが、単語は覚えることができるようになってきました。
    単語テストの度に、
    「これはもう日本語になっていますね」
    と私が言うのを、最初のうちは、「知らない」「言わない」でかわしていたのですが、何かのきっかけで腑に落ちたようなのです。
    その子にとって、「これは確かに日本語だ。この単語は知っている」と納得する経験があったようなのです。
    どの単語がその子にとって腑に落ちる体験になるのかは、その子によって違うので、「知らない」「言わない」は無視して、連射していくしかありません。
    「これは日本語になっているね」
    「日本語でも、こう言うね」
    「もう日本語になっているから、覚えやすいね」
    いつか、的中します。

      


  • Posted by セギ at 14:42Comments(0)英語

    2022年01月30日

    カムカムエヴリバディを見て、映画『あん』を思い出しました。


    2022年1月27日(木)、狭山・境緑道から小金井公園へと歩いてきました。
    狭山・境緑道は、多摩湖自転車歩行者道と一体化しています。
    歩行者専用のゾーンを狭山・境緑道と呼ぶようです。

    入ってすぐ、ロウバイの花が咲いていました。
    かなり大きな木が、1本、また1本。
    明るい青空に、ロウバイの淡い黄色が映えていました。
    少し行くと、梅も1輪・2輪と咲き始めていました。
    春がそこまで来ています。

    片耳イヤホンで、録音したラジオ英語講座を聞いています。
    録音がかなりたまりました。
    いきなり Happy new year! で始まる放送をロウバイを見ながら聞きました。

    それでも、「ラジオで!カムカムエヴリバディ」だけはその日のうちに聞いてしまうんですよね。

    慣れてくると、テキストで扱う内容から、ドラマ本編のストーリーを想像できることもあるようになりました。
    1月26日放送は「安子と稔の結婚式はどんな様子だったか説明してみよう」。
    おお・・・、これは、おそらく、娘のるいが結婚するんだなと予想していたら、ずばり、正解!

    しかし、1月25日放送の「ビートルズ初来日の様子を説明してみよう」は、事前にテキストを見ても、何のことかわかりませんでした。
    まさか、ドラマの登場人物たちがよく聞いている、名物ラジオ・パーソナリティー浜村淳、じゃなくて磯村吟に関係していたとは。
    ビートルズがチャート5位までを独占しているのに反発し、あえてルイ・アームストロングの曲をかけ、それを主役2人がそれぞれ聴いていたというストーリーでした。
    さすがに、それはわからない。

    それはともかく、登場人物たちは、浜村淳、もとい磯村吟のラジオばかり聞いているけれど、あれは関西の民放ラジオですよね?
    早く、NHK第二のラジオ英語講座を聞きなさい。
    そういうドラマでしょう?
    全然関係ない話が続いています。
    英語は?
    ラジオ講座は?
    ・・・どうやら、今週、ついに第三世代ヒロインひなたが子役で登場し、ラジオ英語講座も聞き始めるようで、ひと安心です。

    ところで、ラジオ講座をただ聞いていただけの安子が、あんなにペラペラと英語を喋りだしたことは、少し気になりました。
    聴き取ることはできるようになっていたでしょうが、聴くのと話すのとは別の能力です。
    英語は聴き取れるけれど、話せない。
    多くの日本人が、そこで行き詰まってしまうのではないでしょうか。
    うちの生徒にもいます。
    文法・語法も読解も、英検2級の過去問を初めて解いて、すぐに合格点。
    リスニングも合格点。
    しかし、英作文は、テーマにもよりますが、かなり怪しい・・・。
    そして、スピーキングとなると、質問されたことに英語で応えられない。
    絶句したまま、何も言えずに終わってしまうのです。

    すなわち、インプットは十分だけれど、アウトプットできないのです。
    インプットとアウトプットは関係があるけれど、インプットすればすぐにアウトプットできるというものではありません。
    アウトプットするための練習が必要です。

    和菓子作りもまた同じではないでしょうか。
    るいが、生まれて初めて餡を煮て、いきなり老舗の和菓子屋を凌駕する味を出すのは、さすがに受け入れがたい・・・。
    それで済むなら、修行は要らない。
    作り方は、幼い頃に毎日見ていたので覚えていたでしょうが、見ていたからといって再現できるとは限らないのです。

    見るだけでは、再現はできません。
    レクチャーを受けて、試しにやってみて、最初は失敗して、それでも自分で何度も何度も練習して、ようやく習得するのが普通です。
    努力や修行が必要です。

    安子の英語もそうです。
    難しい単語も構文も使っていませんが、あれくらいに喋れるようになるまでには、毎日英語を話す練習が必要です。
    NHKの英語講座はとても良いものなのですが、放送を聴いているだけでは英語は上達しません。
    聴き終わったら、全文暗唱。
    さらに、日本語訳を見て、全文を書く。
    さらに、学習した内容を使って、自分なりの英語を話したり書いたりする練習。
    それを毎日積み重ねていくならば、ラジオ講座は、最高の英語教材です。

    積極的にアウトプットの練習をすることで、アウトプットできるようになります。
    勿論、インプットしていない人は、アウトプットはできません。
    十分なインプットの後、アウトプットの練習もすることで、できるようになっていきます。
    うちの塾の生徒も、英問英答に絶句し、黙り込むことが続きましたが、繰り返し繰り返し練習すると、口から英語が出てくるようになってきました。
    練習の勝利です。


    「カムカムエヴリバディ」というドラマを見て、映画『あん』を思いだされた方もいらっしゃるのではないかと思います。
    そして、あの映画の壮絶さを思いおこすと、「カムカムエヴリバディ」は、かなり薄っぺらい・・・。
    映画『あん』。
    晩年の樹木希林さんが主演をされた映画です。

    小豆を煮ている間、じっと小豆の声を聞く。
    ここへ来るまでに小豆が見てきたもの。
    陽の光。
    風。
    そうしたものを感じとりながら、湯気の匂いの微かな変化にも神経を払い、餡を完成させるまでに六時間以上も丹念に作業を重ねます。
    五十年間、ひたすらに餡を煮てきたからこそ、小豆の声が聞こえるのです。
    そして、それほどの時間を惜しげもなくかけるのには、理由がありました。
    年老いるまで外に出ることを許されなかった、彼女の人生。

    「私たちは、この世を見るために、聞くために生まれてきた。
    だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ」

    あのセリフは、胸が詰まりました。
    ちょっと覚悟しないと見られない映画で、見終わるとずんと落ち込みますけれど。
    この映画を見て怒っているコメントを読んだことがあります。
    こんな映画だと思わなかった。
    食べ物を扱うのだから、もっと楽しい映画だと思った。
    見て、嫌な気分になった。
    ・・・おそらくとても若い子なのだと思いますが、そういう気持ちもわからなくはない。
    覚悟して見るのでないと、ちょっときつい映画です。

    だから、毎朝見るには、「カムカムエヴリバディ」がちょうどいいのでしょう。
    夢物語を見ているのです。
    ラジオ講座を聞いていただけで、英語を話せる。
    小豆を煮れば、たちまち絶品の餡になり、回転焼き屋は大繁盛。
    それでいいのかもしれません。

    さて、都立小金井公園へ。
    春にはヒナゲシ、秋にはコスモスの咲く花畑も、今は枯れた土がむきだしになっていました。
    冬の柔らかな日差しに、乾いた土。
    人の少ない平日の公園でした。

    山歩きを始めたのは、晩秋の頃でした。
    すっかりはまって、今週はこの山、今週はあの山と毎週歩いたのですが、どの山も冬枯れていました。
    でも、山というのはそういうものだと何となく思っていました。
    歩くだけで面白かったので、他の楽しみを特に求めていなかったのです。
    始めたばかりということもあったのか、時間の流れが遅く、あの年、いつまでもいつまでも冬が続いたような感覚があります。

    そして、突然訪れた春。
    山の桜の絢爛豪華な眺めに、ただただ驚いたことを覚えています。
    山がまるごと、おとぎ話の挿絵のようになっていました。

    去年も一昨年も見られなかった山の桜。
    今年は、見られるといいなあ。

      


  • Posted by セギ at 14:31Comments(0)英語

    2022年01月21日

    もう一度、be 動詞の話。


    be 動詞を誤用するミスは、まず疑問文で多く見られます。

    英語学習の初期の段階で、
    Are you a student?
    などの疑問文をまず学習します。
    そのさい、「be 動詞」といった文法用語を習うことは、ほとんどありません。
    それもあって、
    「ああ、人にたずねるときは、Are you~?という形にすればいいんだな」
    と理解する子は多いです。

    次に、一般動詞の文を学習します。
    そこで、
    Are you play tennis?
    といった間違った文を作ってしまう人は沢山います。

    このミスは、以後長く尾をひきます。
    「ここは、Are you~?ではないらしい」
    と、ぎりぎり理解した後でも、do が出てこないのです。
    Do you play tennis? 
    が出てこない。
    書いてある文、音声として聞こえた文の意味を理解することはできるけれど、自分ではその文を作れません。
    さすがに高校生になると減ってきますけれども、完全に解決がつくわけではありません。

    そもそも肯定文を作っても、
    I am play tennis.
    と書いてしまう人もいます。

    I  am  a student.
    私・は・生徒

    という、英語と日本語の一語一語の対応で英語を理解してしまう傾向のある人は、
    am , is , are は、日本語の「は」にあたる。
    と把握します。
    そうすると、
    I am play tennis.
    私・は・する・テニス
    という英語のほうが、正しいと思ってしまうのでしょう。
    英語と日本語は語順が少し違うのはぎりぎり理解できる。
    でも、日本語の「は」にあたる単語が英語にないというのは、おかしい。
    そう思うのでしょう。
    実際、
    I am a student.
    のときには、「は」にあたる単語が確かにあったのですし。
    ・・・あったりなかったりするのは、変でしょう?
    そういう考えに至っても、必ずしも責められません。

    さらに、次に学習するのが現在進行形であることも、誤解を助長します。

    I am playing tennis now.

    ・・・ほら、やっぱり、am が必要なんだよ!
    そう思うのでしょう。
    これの学習後、一般動詞の現在形の文の復習をすると、また、
    I am play tennis.
    Are you play tennis?
    という間違った文に戻ってしまうのです。
    ついでに言えば、そのミスを解説し、よく復習をした後は、be 動詞を入れてはいけないという記憶が残るのか、今度は現在進行形の文を、
    I playing tennis.
    と書いてしまう子もいます。


    中1くらいですと、本人はそんなのは大したミスではないと思っていることがあります。
    しかし、間違った英文を書いてしまう度にテストでも英作文の課題でも失点・減点が繰り返され、英語の成績が低下していくと、さすがに、本人も「何とかしなければ」と思うようになるようです。
    その頃になれば、「be 動詞」という言葉も耳にしています。
    でも、そういう子は、be 動詞というものが何なのかがよくわからないのです。

    be 動詞の文と一般動詞の文は、違う。

    そのことを強く深く理解しないと、このミスは永遠に続きます。

    少し前、be 動詞が何であるかわからない子が、おそらく検索をかけてこのブログにたどりついた様子でした。
    その人から、長くてよくわからないというコメントをいただきました。

    うん。
    ごめんなさい。

    あなたの読んだそのページは、be 動詞がわからない中学生や高校生に向けてのものではないのです。
    上のような間違いを繰り返すお子さんを不可解に感じる保護者の方に向けてのものなのです。
    保護者の方は、be 動詞は、中学生の頃に理解しています。
    使い方を間違ったりはしません。
    だから、お子さんが、なぜ、
    Are you play tennis?
    といった文を作り続けるのか、理解できない。
    こんなミスを繰り返し、家で英語を見てやっても、ちっとも直らない。
    理解しがたい・・・。

    そうしたメカニズムを解説するための文章だったので、確かに長い。
    そしてくどい。

    そして、もう1つ言えること。
    「be 動詞とは何か」
    を知りたいと思っている中学生や高校生は、大きな誤解をしているのではないかということです。

    「be 動詞とは何か」
    と疑問に思っている人は、つまり、
    「be 動詞は、日本語の何にあたるのか」
    を知りたがっている場合が多いように思うのです。

    しかし、be 動詞は、日本語の何にもあたりません。
    英語と日本語は構造が違うのです。

    それを1対1の対応にしようとするから、be 動詞がよくわからないのです。
    日本語を基準に考えると、英語はよくわからない。
    be 動詞は日本語の何にあたるのか知ろうとすると、それがはっきりしないので、モヤモヤするのです。

    be 動詞は、「be 動詞」というもの。
    日本語でこれに対応するものはありません。

    具体的には、
    原形がbe
    現在形が、am , is , are
    過去形が、was , were
    過去分詞が、been
    現在分詞が、being
    それがbe 動詞のすべてです。

    日本語の感覚からしたら、とても動詞には思えない、なんてことはどうでもいいのです。
    これは英語で、日本語ではないので、日本語の感覚などどうでもいいのです。
    英語では、これは動詞なのです。
    英語では、述語となるものは動詞です。
    動詞が述語です。
    だから、be 動詞も、動詞です。

    他の動詞は全て「一般動詞」と呼びます。
    do をbe 動詞の仲間だと思っている人がいますが、それは違います。
    do は、一般動詞のときもあれば、同じ見た目でも助動詞のときもあります。
    いずれにせよ、be 動詞ではありません。

    be動詞の働きは、大きく分けて2つあります。

    ①イコールの意味を表す。
    S(主語)とC(補語)をイコールで結びます。

    ②存在を表す。
    There is a cup on the table.
    My father was in the kitchen.
    などのように、「ある」「いる」の意味を表します。

    その他、
    進行形は、be 動詞+現在分詞。
    受動態は、be 動詞+過去分詞。
    などの用法があります。

    そういうものだ。
    英語はそういうルールなんだ、と理解するだけです。

    むしろ、
    「be 動詞って何なの?」
    と思っているから、be 動詞を正しく使えるようにならないのかもしれません。
    ルールを覚えて、ただ使うだけです。
    そこが納得できないのは、be 動詞を日本語的に理解したいという、間違った願望のためかもしれません。
    be 動詞はbe 動詞です。
    日本語の何とも対応していません。
    英語のルールです。


    以前にこのブログにも書きましたが、日曜日の朝のラジオで、「子ども電話相談室リアル」という番組をやっていた頃、勉強に関する質問を受け付けるコーナーがありました。
    ある日、
    「何で英語は、主語の次に動詞が来るんですか。日本語は、動詞は文の最後なのに。英語はおかしいと思います」
    という質問が読まれました。
    その日、私は奥多摩の川苔山に登ろうとして鳩ノ巣駅から急坂を歩きながらそのラジオを聴いていました。
    歩きながら、コペルニクス的に頭が回転したのを覚えています。
    日本語と同じではないから英語はおかしいと憤慨している中学生がいるのか・・・。
    ああ。
    英語を学ぶのに苦労している中学生の最初の障壁は、そういうことなのか・・・。
    あの衝撃と、のどかな道の風景とが、セットになって思いだされます。

    子どもは、主観で生きています。
    言語に関する認識も主観的になりがちです。
    文法なんて知らなくても、実際には日本語を話せるので、文法なんかに意味はないと、中学生になっても高校生になっても本気で考えている人がいます。
    日本語に文法があるというのは、学者が後付けでこねくり回しているだけだと思う人もいるでしょう。
    日本語に文法が存在しないと思っているのですから、外国語に文法があることなど、理解できるはずがありません。
    文法が異なる言語があるということが、そもそも理解できないかもしれません。
    すべては、「自分は文法なんかわからなくても日本語が話せる」。
    この主観から出発している間違った認識のせいです。
    日本語だけが自明の理で、それは自然発生的なもので、世界中がそうである。
    そうであるはずだ。
    そういう思い込みのために、英語の語順が理解できない。
    be 動詞が理解できない。

    そういうこともあるのではないかと思います。
      


  • Posted by セギ at 11:55Comments(0)英語

    2022年01月13日

    高校英語。否定文。do not と don't の違い。


    さて、高校英語。本日は「否定」です。
    否定といえば、まずは否定文。
    否定語 not を入れることで、文を否定することができます。

    be動詞の文ならば、例えば、
    I am a student.
    が、肯定文。
    否定文は、
    I am not a student.
    be動詞の後に否定語を置きます。

    次に一般動詞の文。
    I play tennis.
    この否定文は、
    I do not play tennis.
    短縮形は、
    I don't play tennis.


    ところで、do not とdon't は、どう違うのでしょうか。

    もう随分前になりますが、大手の個別指導塾で働いていた頃、担当していた中学生にそれを質問されたことがありました。
    「do not と don't って、何が違うんですか?」
    その子は、正直、そんなに成績の良い子ではありませんでした。
    重要なことは覚えないのに、そういう細かいことを、沢山質問する子でした。
    質問するのが大好きなのでした。
    しかし、質問するだけで満足し、説明されたことを記憶する様子は見られません。
    とにかく質問して答えてもらうのが大好き。
    あるいは、保護者の方に、沢山質問しなさいと言われていたのかもしれません。
    「ゆとりの時代」に多かったタイプの生徒です。
    テスト勉強も要点を外したトンチンカンなものになりがちで、成績はふるいませんでした。

    私は答えました。
    「ああ・・・。同じですよ。問題の空所の数を考えて、do not かdon't か、どちらにするか判断しましょう」

    すると、授業をしている隣りのブースから、くすくすと笑い声が聞こえてきました。
    隣りのブースで授業をしている講師と生徒と両方が笑っているのでした。
    どう考えても、タイミング的に、私の発言を受けてのことでした。
    「・・・なあ、そういう人、いるだろう?」
    「ほんとですね」
    そういった話し声が、次に聞こえてきましたから。

    ・・・へえ。
    私の教えたことを笑ったわけだね?

    do not と don't の違いも理解していない講師がいる。
    僕らは知っているけれどねー。
    そういう嘲笑の笑いでした。

    普通に授業を終えて、私は、何気なく隣りのブースから出てきた講師の顔を確認しました。
    おそらく学生アルバイトと思われる、若い男性講師でした。
    その日の配置表を見て、その講師と生徒の名前も確認しました。
    それで何をするということもありませんが、まあ確認のために。

    確かに、do not と don't は、違います。
    言い方が少し変われば、ニュアンスが異なるのは当然です。
    この場合、do not のほうが、意味が強い。
    do not と、わざわざ分けて発音するのですから、その部分が強調され、意味が明瞭に伝わります。
    それだけ、意味は強くなります。

    I don't like baseball.
    なら、野球に興味がないくらいのニュアンスですが、
    I do not like baseball.
    は、「好きではない」どころの話ではなく、これはほぼ「嫌い」です。
    それくらい、ニュアンスは違ってきます。

    しかし、当時の私はそれを中学生に教えることに抵抗がありました。
    私が教えていたのは、こちらが気を緩めていると、たちまち、
    I am not like baseball.
    という英文を作ってしまう、英語が苦手な中学生でした。
    それでいて、do not と don't はどう違うのかといった質問をするのをやめられない子でした。

    will とbe going to は、どう違うの?
    can と be able to は、どう違うの?

    どう違うの?
    どう違うの?

    そうした質問を繰り返すのに、その翌週、ただ空所に is going to を入れれば良いだけの問題が解けない・・・。
    「えへへへ」
    と頭をかいてみせますが、また授業中には、
    「must と have to はどう違うの?」
    と新しく、どう違うのかを訊いてくるのでした。

    ・・・聞いても、覚えないでしょう、あなたは・・・。
    クイズ番組を見ているようなものなのでしょう?
    答の発表の前にCMに入ると気になるけど、いざCM明けに答が発表されれば、もう興味ないでしょう?
    番組が終わったら、クイズの答は、全部忘れているでしょう?
    そういうのは、勉強とは言わないんですよ・・・。


    しかし、それでは私が正しいのか?
    いいえ。
    確かに私は間違っていたのです。
    違うものは違うのですから、「同じだ」とは言わないほうがいい。
    もしも保護者の方に、
    「子どもの知的好奇心を大切にして教えてあげてください」
    と言われれば、それはもう本当にその通りなのですし。

    しかし、保護者の方は、同時にきわめて現実的です。
    学ぶ喜びを教えあげてほしい。
    知的好奇心を大切にしてほしい。
    その気持ちがないわけではないと思いますが、受験が近づけば、うちの子の定期テストの得点がなぜこの点なのか?
    うちの子の成績はなぜこうなのか?
    どうすれば、テストの点が上がるのか?
    そこに重心が傾いていきますし、受験産業はまさにそこに応えていく産業です。

    基本を理解したうえで、さらにその先のこととして、do not と don't のニュアンスの違いを理解するのが語学です。
    両方同時に学べる余裕のある子なら、それでいい。
    しかし、基本を身につけるだけでいっぱいいっぱいの子は、とにかく、否定文の作り方の基本を理解してほしい。
    そこに集中してほしい。
    質問だけして、その内容は覚えない。
    特に強調して解説した重要なことも覚えない。
    とにかく何も覚えない。
    それでは、困るのです。
    質問が沢山できるから、個別指導は好き。
    でも、成績はなかなか上がらない・・・。

    do not と don't のニュアンスの違いを余談として聞いたことで英語に興味をもつようになり、英語が好きになり、英語の成績も上がる・・・。
    そのような理想的ななりゆきには、なかなか進まない子でした。

    そうは言っても、do not と don't は同じだと教えるのは間違っていました。
    笑われても仕方ありません。
    それ以後は、そういう質問を受けたときには、
    「うーん、本当は細かいニュアンスの違いはあるんだけど、今はそんなことより、どちらでも正しく使えるようになろうね」
    と話すようにしています。


    ところで、私のことを笑った学生講師はその後、どうなったのかというと。
    その後も、隣りのブースになることが多く、関心を持って耳を澄ませていると、大学で学びたての知識を中学生や高校生に教えて悦に入る傾向のある学生アルバイトであることがわかりました。
    ・・・その知識、中学生には必要ないなあ・・・。
    正直、そう思うことが多かったのですが、生徒の中学生はそれを面白く聞いているようでしたし、
    「へえ、すげえ」
    「先生、かっけー」
    などと持ち上げている様子でした。
    上手くいっているのなら、それを私がとやかく言う必要はないのでした。


    ある日、教務に呼ばれ、私は、その学生アルバイト講師が担当していた授業を引き継ぐことになりました。
    その学生アルバイト講師が、留学するので講師をやめたというのです。
    あの講師の後なら、英語関係の余談が豊富なタイプの人がいいだろうに。

    とはいえ、拒否する理由も特にないので、それまで担当していた生徒から離れ、その学生講師が担当していた生徒の授業に入ることになりました。
    同じ時間帯の同じ授業。
    明らかに、あの日の、私を笑ったあの中学生でした。
    本人がそのことに気づいたら、向こうから断ってくるだろうから、私は知らない顔で授業をするだけです。
    おそらく1回きりの生徒。
    一期一会。
    少しでも意味のあるよう、大切な授業にしよう。
    私は、当時使っていた、生徒の実力を確認するためのプリントをその生徒にも解いてもらいました。
    その中の1題。

    問題 次の英文を指示に従い書き換えなさい。
    I bought some books yesterday. (否定文に)
    → I (  ) buy any books yesterday.

    その生徒の答えはこうでした。

    I bought some books yesterday. (否定文に)
    → I (not) buy any books yesterday.

    ・・・マジか・・・。
    その他にも、時制ミス、単数複数のミス、スペルミスなど、随所にミスがあり、その子の得点は、私がそれまで教えていた質問好き中学生よりもさらに低いものでした。
    「・・・きみ、高校の第一志望は?都立?私立?」
    「私立です」
    まだ多くの私立が高校からの生徒を受け入れていた頃で、その個別指導塾は、私立が第一志望の生徒も通っていました。
    「私立は、文法問題も沢山出るから、こういうタイプの問題でしっかり得点することが必要だよ」
    「えっ。そうなんですか?」
    「受験したい高校の過去問をざっとでいいから眺めておくといいよ。まだ解かなくてもいいよ。でも、ざっと眺めて、どういう問題が出るか知っておくと、その方向で受験勉強をすれば、無駄がないでしょう?」
    「・・・」

    don't と、do not のニュアンスの違いを知っているのも大切なこと。
    でも、空所が1つなら、ここは didn't を入れようよ・・・。
    そういうことができないのに、自分は英語のことを色々知っている、英語が得意だ、英語が好きだと思っていても、得意な英語をもっと学べる高校にも大学にも進学できないよ。

    そうは言いませんでした。
    生徒が悪いわけではありません。
    多分、講師にあわせていただけなのです。
    おそらく、自分の英語力の低さを隠すためにも、むしろ過剰に、自信家の講師に話を合わせていたということはあり得ることだと思いました。

    1回だけと思っていたその授業は、結局、私が担当することになりました。
    今も使っている英語上達のメソッドが、そろそろ固まりつつある頃でした。
    ・・・と言うほど、大それたことではありません。
    とにかく、演習が大切。
    市販の問題集では、英文法の問題の数が少なすぎます。
    特に中学生向けの問題集は、各単元が4ページほどで終わってしまう場合がほとんどです。
    それでは、身につかない子のほうが多いのに。
    その生徒にあわせたレベルの問題をいくらでも提示し、ミスの原因を常に観察し、指導し続けるのが私の仕事です。
    長文読解もまた同じです。
    問題は無尽蔵に用意する。
    解いていく中で、その子の長文の読み方の弱点を指摘し、正解をどう導きだすのか解説する。
    英語の成績は、それで必ず上がります。

    結局、その生徒には、大学に合格するまで授業をしました。
    英語を専攻するわけではない学部学科に、しかし、入試では英語を最強の得点源として合格しました。

      


  • Posted by セギ at 12:13Comments(0)英語

    2021年12月10日

    高校英語。動詞を強調したいとき。


    画像は、玉川上水。
    羽村取水堰から、徒歩10分ほどの地点。

    さて、英語です。
    強調構文はかなり使い勝手がよく、主語、補語、目的語、それに修飾語句を強調できました。
    しかし、強調構文では、動詞は強調できません。
    では、動詞を強調したいときは、どうするのか?
    助動詞 do, does, did を用います。

    You say I didn't call you last night, but I did call you.
    あなたは、私があなたに昨夜電話しなかったと言うけれど、私は電話しましたよ。

    「電話した」という動作を強調したい。
    その動作を強く肯定したい。
    そうしたとき、動詞の前に助動詞 do, does, did を適切な時制で使用します。
    助動詞の後ろは時制に関係なく動詞原形です。

    とても簡単な強調の方法なのに、高校生になるまで学習しないのは、この用法、初学者にとっては混乱の種になるからだと思います。

    このブログで度々書いてきましたが、英語が苦手な中学生は、be 動詞と、そしてこの助動詞 do, does, did との使い方を間違えてしまう子が多いのです。

    最初に、

    Are you a student?

    といった英語を学習します。
    be 動詞の文です。
    しかし、英語が苦手な中学生は、be 動詞の文を学んでいるという意識がありません。
    相手に何か訊くときの文は、「Are you ~?」なのだなと把握します。

    そのため、次に一般動詞の文を学ぶときに、

    Do you have a dog?

    といった文を作れません。

    Are you have a dog?

    と、間違えてしまいます。
    しかも、繰り返し繰り返し間違えますので、この英語のほうが、本人にとっては聞き覚え・見覚えの強い文になります。
    だから、さらに、繰り返し繰り返しこの間違いを犯します。
    間違いの拡大再生産が行われ、どちらが本当に正しい英文だったか、高校生になっても悩むことになります。

    そのように、be 動詞と助動詞 do との混同が起こると、学習が進んだときに、こんな混同も起こります。
    過去形を学習する際に、

    Were you a student?

    は、肯定文では、

    You were a student.

    でした。
    そんなふうに、順番を変えればいいだけと把握するからか、

    Did you study English yesterday?

    を肯定文に戻すのに、

    You did study English yesterday.

    としてしまう子がいました。
    その子は、全部このやり方で過去形の文を作っていました。

    こんな混乱をする中学生もいますので、
    「それもそれで実は正しい英語だ」
    なんてことは教えないほうがいい。
    さらなる混乱を招きます。
    高校生になるまで、強調の do は秘密にしておいたほうが、わかりやすいのです。

    You did study English yesterday.

    これが普通の過去形の文であるなら、英語の過去形はずいぶん簡単です。
    不規則動詞も覚えなくて済みます。
    こういうのはピジン・イングリッシュに近いかもしれません。
    英語を母国語としない植民地の人たちが、働くために聞き覚え、使用するようになった、簡略化された英語です。
    ピジン・イングリッシュは、その歴史的背景も含めて記憶されるべきものですが、日本の子どもが、正しい英語を覚えられないからこんな英語を独自に作ってしまうのは、別の意味で悲しい。

    聞き覚え・見覚えといっても、人間は何らかのルールで言葉を組み立てます。
    幼いルールを勝手に作ってしまうのではなく、正しいルールを理解すれば、英語はそんなに難しくないのです。
    文の成分と、各品詞の意味と働き。
    語順。
    時制。
    それを理解するだけで、あとは単語と熟語を学べば、どんな難しい英文も理解できます。
    道筋は明瞭。
    英語学習は、広い1本道です。
    あとはそこをてくてく歩き、進んでいくだけです。
    頑張りましょう。


      


  • Posted by セギ at 13:05Comments(0)英語

    2021年11月19日

    都立小金井公園で紅葉狩り。


    2021年11月16日(火)、都立小金井公園まで散歩してきました。
    高尾山は今、紅葉の見頃。
    平日でも混雑しているでしょう。
    となると、さすがに避けたほうが無難。
    高尾の過去の紅葉は私のスマホの中に。
    それを眺めて済ますことにしよう。

    というわけで、特に期待はなく、いつもの散歩コースの1つとして、都立小金井公園に向かって歩きだしました。
    三鷹駅北口から、玉川上水緑道を、とことこと西へ。
    川べりは朝晩は冷えるので、案外紅葉がきれいなところがありました。
    陽に透かして見ると、さらにきれいです。
    ご近所散歩でも、紅葉は楽しめます。

    片耳イヤホンで、NHK第2放送の英語ラジオ講座を聴くのも、もう散歩の定番となりました。
    「ラジオで!カムカムエヴリバディ」も、週3回放送を毎回聴いています。
    テキストも購入してしまいました。
    テキストの巻末に「日本人と英語講座の100年の歩み」という連載記事があり、これが面白いんです。
    1941年12月8日朝、真珠湾攻撃の直後に「基礎英語講座」が放送されるが、戦前・戦中のラジオ英語講座はそれが最後となり、同日、NHK第2放送は休止。
    ドラマを見ていても、「ひー、嫌だ嫌だ嫌だ」とつぶやいてしまいました。

    まだまだテキスト連載は始まったばかりで、私の知らない時代についての説明が続いています。
    私が中学生のときに聴いた「基礎英語」「続基礎英語」は、講師はどういう方だったんだろう。
    ネイティブ講師は、マーシャ・クラッカワーさんでした。
    これは、放送の冒頭で毎回紹介されていたので、覚えています。
    ・・・いや、日本人講師も毎回名乗っていたと思うけど、なぜか覚えていない・・・。

    当時の「基礎英語」で、あまりにも印象的だったので覚えているのが、name という単語についての話です。
    その日本人講師は、自分が中学生のときにこの単語を初めて見て、「ナメー」と呼んで、日本語と英語は似ている単語があるのだなあと思ったというのです。
    どう理解していいのか困惑し、ラジオを凝視したのを覚えています。
    いつもとても真面目に英語を解説する日本人講師が、突然そんなだじゃれみたいなことを言っても、困惑しますよね。
    しかも、全く面白くないんですから。
    解析不能な違和感は、しかし、記憶に残ります。

    高校生になって、私自身も、そういう英単語を発見することになりました。
    occur は「生じる」ですが、「起こる」という意味で覚えておくと、「オカー」と「起こる」は似ています。
    deny は、「~でなーいと否定する」と覚えれば、一度で覚えられます。

    しかし、授業中にこれを話しても、ほとんど定着しない・・・。
    興味がない、というより、そういうことですら覚えられないようなのです。

    とはいえ、集団指導塾で働いていたあるとき、卒業して1年ぶりくらいに塾に自習に来た高校生の二人連れが、
    「え?deny の意味?否定する、だろ。先生が、言ってたじゃん。~でなーいと否定するって。あれはさすがに一度で覚えた」
    と話していて、ああ、届くときもあるのだと思いました。
    相手の子は、そんなことは全く記憶していなくて、ポカンとしていましたが。

    話が逸れました。
    「ラジオで!カムカムエヴリバディ」のテキストの話。
    ラジオ講座は、毎月15日に、翌月のテキストが発売されます。
    NHK総合の朝の連続テレビ小説と連動しているこの番組。
    そんな早めにテキストを発売して、ネタバレになってはまずいのではないか?
    そう思いながら12月号テキストを開いたら、ドラマの11月分放送のしかも前半のおさらい的な内容ばかりでした。
    色々な意味でよく出来ている、と感心しました。

    多摩湖自転車歩行者道と並走する狭山境緑道をとことこ歩いて、西東京市立の小学校の前の土手を歩き、そこから左折して、都立小金井公園へ。
    コスモス畑は、希望する市民に花束の譲渡を行ったのだそうで、咲き残ったコスモスがわずかに風に揺れていました。
    滑り台の設置された富士見の丘に登って、そこから、こどもの広場へ。
    まだ紅葉は始まったばかりですが、1本、びっくりするほど赤いカエデの木がありました。
    きれいー。

    さらに歩いていくと、これも1本だけ、びっくりするほど黄色く染まっているイチョウが。
    他の木はまだなのに、この木だけ、見事に黄色でした。

    赤と黄色と、予想外に鮮やかな紅葉を堪能し、満足しました。
    山は、紅葉が終わって、静かになったらまた行こう。
    そろそろ、日曜日に出かけてみようかな?
    そう思いながら、青空の下、背の高いコウテイダリアの花を見上げ、都立小金井公園を後にしました。

      


  • Posted by セギ at 12:33Comments(0)英語

    2021年11月11日

    高校英語。強調構文。


    さて、高校英語。
    今回は強調構文です。
    これは構造さえ理解すれば、簡単です。

    例文から。
    It was the hungry bear that the villagers were afraid of.
    村人たちが恐れていたのは、その飢えた熊だった。

    これは、普通の語順の文は、
    the villagers were afraid of the hungry bear.
    です。
    そうした文の中で、「他の何かではなく、その飢えた熊だったんだよ」と強調したい場合、協調したい語句を、It is ~ that のところにはさみ、あとは時制によって is は適切なものにし、that 以降は、強調した語句を除いたものをそのままの順番で続けていけば、それでOKです。
    簡単ですね。

    練習してみましょう。

    問題 次の文を、以下の各部分を強調する強調構文に書き換えよ。
    He seldom drinks tea at home in the morning.

    (1) he を強調して。
    (2) seldom を強調して。
    (3) tea を強調して。
    (4) at home を強調して。
    (5) in the morning を強調して。

    この設問の設定からもわかると思いますが、強調したいものは意味のまとまりで強調します。
    home だけではなく、at home で強調します。
    morning ではなく、in the morning で強調します。
    動詞以外は、何でも強調できます。

    正解は、
    (1) It is he that seldom drinks tea at home in the morning.
    意味は、「午前中に家でめったに紅茶を飲まないのは、彼です」。
    日本語では、強調したいことは最後に述べます。
    なお、このように主語を強調する際は、that ではなく、who を用いることも多いです。
    また、It is の後ろだからでしょうか、he を目的格の him に直す人もいます。
    英語のこういう「揺れ」は、ネイティブが最初は使い間違えて、それで許容されていったんだなあと感じると、理解しやすいと思います。

    (2) It is seldom that he drinks tea at home in the morning.
    意味は、「彼が午前中に家で紅茶を飲むことは、めったにない」。
    このように、副詞も強調できます。
    seldom は、準否定表現の副詞です。
    否定のところでまたまとめますが、この副詞を使用することで、文全体は弱い否定文になります。
    hardly , scarcely が、「ほとんど~ない」。
    seldom , rarely が、「めったに~ない」。
    ここで、「めったに」という日本語を日本人なのに知らない、という事態が、高校生の場合はしばしば起こります。
    知らないのは仕方ない。
    覚えましょう。
    自分の知らない語句を「死語」と決めつけるのは、やめましょう。
    大人の社会では普通に使われている語句です。

    ところで、「ほとんど~ない」と「めったに~ない」はどう違うのか?
    日本語のニュアンスはまだ違うと思いますが、英語で、hardly , scarcely と、seldom , rarely はどう違うのか?
    hardly , scarcely は程度が少ない場合に使われ、seldom , rarely が頻度が少ない場合に使われます。
    だから、
    I hardly know about him.
    I seldom meet him.
    のように使い分けられます。
    「知っている」は程度、「会う」は頻度だからです。

    (3) It is tea that he seldom drinks at home in the morning.
    意味は、「彼が午前中に家でめったに飲まないのは、紅茶だ」となります。
    動詞の目的語は、勿論、このように強調構文で強調できます。

    (4) It is at home that he seldom drinks tea in the morning.
    意味は、「彼が午前中にめったに紅茶を飲まないのは、家でだ」となります。

    (5) It is in the morning that he seldom drinks tea at home.
    意味は、「彼が家でめったに紅茶を飲まないのは、午前中だ」です。

    ここで、少し難問。
    「彼が午前中に家でめったに飲まないものは、何なのだ?」
    と、「何」を強調する強調構文を作ってください。

    tea がわからなくて訊いているのですね。
    では、疑問詞 what を使えばいいでしょう。
    では、
    It is what that he seldom drinks at home in the morning.
    でよいのでしょうか?

    惜しい。
    これは、疑問文ですから、疑問文の語順にしましょう。
    疑問文の語順。
    しかも、疑問詞で始まる疑問文の語順です。

    中1の最初から、これでつまずく人が多いですが、疑問詞で始まる疑問文の語順は、
    「疑問詞+疑問文の語順」です。
    となれば、先頭はwhat。
    そして、is がit よりも前に出てきます。

    すなわち正解は、
    what is it that he seldom drinks at home in the morning?
    です。

    強調構文で難しいのは、これくらいで、あとは、大体大丈夫と思います。
      


  • Posted by セギ at 17:27Comments(0)英語

    2021年10月21日

    「遠山顕の英会話楽習」最終回を聴きながら、都立小金井公園へ。2021年10月。


    2021年10月20日(水)、今週は都立小金井公園まで散歩をしました。
    3時間ほど歩ける定番散歩コースは、この1年で4通りに固まりました。
    そろそろ、コスモスがきれいに咲いている頃ではないか?
    というと、都立小金井公園コースがいいですね。

    のんびりと、12時に出発。
    三鷹駅北口から、玉川上水緑道の左岸、未舗装の歩道を歩き始めました。
    交差点を渡って、さらに緑道をたどり、境の浄水場の横を淡々と歩き、その先で右折。
    ここは舗装された歩道を歩き、次の交差点で左折。
    井の頭通り沿いに、細い公園が整備されていて、未舗装の道を歩いていけます。
    前回歩いたときの大量のドングリ。
    少しは拾われた様子ですが、踏まれて壊れたドングリがまだ沢山落ちていました。
    山の動物がこの付近にはいないから無理ないのですが。
    鳥は、ドングリは食べないのかなあ。

    片耳イヤホンで、NHK第二放送を聴きながら歩いています。
    12:15~12:25は、「英会話タイムトライアル」。
    易しい日常会話ですが、とにかく瞬発的に声に出して英語を言う練習ができる番組です。

    都立高校は、2023年度入試から、英語スピーキングテストが導入されるとのこと。

    本気なんでしょうか?
    誰も反対しないのでしょうか?
    大学入試改革のときのように、ぎりぎりのところで反対の声が上がり、中止にならないものでしょうか?
    採点を1つの民間企業が一手に引き受け、しかも、外国で採点されるという・・・。
    外国の、誰に?
    そんな大量の採点、しかも、1年に1回きりのことですから、アルバイトを雇って処理するしかないでしょう?
    それで本当に公正な採点が行われるのでしょうか?
    都立高校の男女別定員制よりも、余程透明性がなく、ヤバい案件だと思うのだけれど・・・。

    スピーキングテストの20点がぽこんと付け加えられて、都立入試は1020点満点になるとのことです。
    疑いを抱きつつも、今のところそうなる予定であるならば、スピーキングの練習を塾に導入しないわけにいきません。
    テスト内容はそう難しいものではなく、簡単な会話と、英文音読と、4コマ漫画の筋を英語で説明するというもの。
    英検3級の2次試験対策がそうであるように、基礎力のある子なら半月で合格レベルに到達するでしょう。
    ただ、こういうのは、英語力とは別の次元で不利な生徒たちがいます。
    50分という時間内でのペーパーテストなら、他の生徒と互角に英語力を示していくことができるけれど、咄嗟に英語が口から出てくることはあまり期待できない子たちです。
    日本語もすぐには出てこないですから・・・。

    何か問いかけても、むうっと黙り込むので、わからないのかなあと思い、さらにヒントを出そうとすると、私の声と重なるようにして喋りだす子たちは、一定数存在します。
    考えている時間が、「常識」より長いのです。
    しかも、その間、むうっと不機嫌そうなのです。
    学校の実技系科目の成績が予想外に低い原因の1つも、それではないかと思うのです。
    授業態度が悪い。
    反抗的だ。
    何か文句があるのか?
    そんなふうに思われている可能性はないのだろうか?
    言葉がすぐに出てこないだけなのだけれど・・・。
    同様に、態度もきびきびはしていないし、何をするにも時間がかかるので、それも低評価の原因だろうか・・・。
    でも、できないのではなく、ただ、時間がかかるだけなのです。

    機械に録音するスピーキングテスト。
    話し始めるまでの準備時間は30秒と定められています。
    瞬発力のない子たちが好成績を残すことは、あまり期待できません。
    これは、20点のハンデを他で何とか取り返すことも考えないと・・・。
    勿論、スピーキング練習はしますけれども。
    厄介なことになりました・・・。

    むうっと黙り込む時間が長いタイプではない子ならば、「英会話タイムトライアル」は、スピーキング練習のための良い番組だと思います。
    とにかく、とっさに何か英語で言う練習ができます。
    ただ、こうした番組を勧め、せっかくラジオ講座を実際に聴いてくれても、「声を出す」ことをしない子もいます。
    ただ聴いているだけなのです。

    「ラジオ英会話」を聴くといいよと勧めたら、嬉しいことに、本当に聴いてくれている高校生がいます。
    しかし、
    「自分で英語を言ってみる時間のときは、本当に声を出して、自分で英語を言ってみるんだよ。ラジオ講座はそういう活用をしましょうね」
    と話したところ、
    「えーっ」
    と驚いていました。
    そんなこと、考えてみたこともなかった様子でした。
    ラジオ講座の受け応えさえ、自分が実際にやるとは考えてみたことがない。
    本当にただ聴くだけなのです。
    同じ教材を与えられても、活用できない子と活用できる子がいます。
    勉強が下手とはどういうことか、そんなときに実感します。

    耳元で流れるラジオ放送は、その「ラジオ英会話」が始まりました。12:25~12:40。
    その日に学習した文法事項を使って、内容を指定された英文を自分で口に出して言ってみるコーナーが充実しています。
    本文をただべったりとリピートする時間は存在しません。
    そんなのは、あとで本人が自主的にやればいい。
    番組内では、もっとやりたいことがある。
    聴く・読む・話す・書く。
    4領域をまんべんなく伸ばしたい。
    その方向で、NHKの英語講座は進化してきました。

    その後は、「ラジオビジネス英語」。12:40~12:55。
    今は、4月の再放送をやっています。
    9月の最終回の終わり方が、何だか本当にこれで終わるみたいなニュアンスだったけれど、来年度はどうなるのだろう?

    さらに、「ニュースで英語術」12:55~13:00。
    英語の音声ニュースを明瞭に音読し直し、わかりやすく訳してから、本物の英語の音声ニュースを聴く、5分番組です。
    扱われるニュースは2週間前くらいのもので、英語学習のタイムラグとしては短いほうだと思います。
    ただ、この番組の訳し方には癖があります。
    簡単な例でいえば、
    I have a ball.
    を、
    「私が持っているのは、ボールです」
    と訳すのです。
    ニュース英語としては、SVOのOが that 節など長いものであるのは普通のことで、いちいち順番を日本語的に直しているとかえって意味がとりにくい。
    それはわかるのですが、さすがに文法的に間違っているので、この番組を生徒には勧めにくいのです。
    「私は持っています。ボールを」
    と訳してくれたらいいのになあ。
    だから、この番組は、そういう訳し方を、それはそれとして、額面通りには受け取らない英語力と常識のある人が聴くべき番組だと思います。
    それ以外は、本当に良い番組なんですよ。

    昼の英語学習ゴールデンタイムが終わったので、ポータブルラジオレコーダーで午前中に録音した番組を聴き始めました。
    「遠山顕の英会話楽習」。10:30~10:45。
    今日が最終回でした。
    来週も、今週の再放送が流れますが。


    思いおこせば、1990年代。
    今と同じように英語も数学も私は教えていました。
    受験算数・中学数学・高校数学を教えることができる女性講師ということで、講師としての需要はありましたが、英語の仕事ももっとやりたいと考えていました。
    ただ、20世紀の学生だった私は、中学時代に英検3級を取ったままでした。
    高校時代は、受験勉強のほうが忙しく、英検受験など考えたこともありませんでした。
    周囲にも、英検を受けている子などいませんでした。
    大学時代も同様。
    就職に英検やTOEICが必要な世代ではなかったのです。
    そんなわけで、「英検3級」という、履歴書には書かないほうがむしろ良い資格の状態で、英語を教えていました。

    一方で、英語教育は変革の時代を迎えていました。
    他の科目は、教科書が改訂される度に易しくなっていた時代。
    しかし、英語だけは、難しくなっていく・・・。
    いや、難しくなっていくというよりも、昔のように小説や随筆の読解ではなく、現代の評論を読むのが主流に変わってきていました。
    しかも、リスニングが重視され、音声英語が必要とされている・・・。

    英語力をブラッシュアップしないことには、やがて英語を教えることができなくなる。
    原点回帰。
    私は、中学生の頃それで勉強していたように、NHKのラジオ英語講座を聴き始めました。
    まずは、手当たり次第に3つの講座を。
    それが、遠山顕先生の「英会話入門」。
    そして、大杉正明先生の「ラジオ英会話」。
    さらに、杉田敏先生の「やさしいビジネス英語」でした。
    試しに聴いてみたら、どの番組も良かったので、3つともテキストを購入しました。
    それぞれ順番に、水色の表紙、赤色の表紙、薄茶色の表紙。
    今も、表紙の色をよく覚えています。

    「英会話入門」は、今の「英会話楽習」と基本構造が同じだったことに、今さらながら驚きます。
    オープニングとエンディングの挨拶も、ほぼ同じでした。
    既に、形式は確立されていたのです。
    日本人講師である遠山顕先生と、外国人講師二人との距離が近い。
    とにかく、とても楽しそうに英語で会話している番組でした。
    「get rid of ナニナニ」
    「take ダレダレ to ドコドコ」
    など、ネイティブの外国人講師が遠山先生の真似をするのも新鮮で楽しく、ラジオ英語講座の新たな胎動を感じました。
    この人は、英語講座に革命を起こす。
    時代が変わるぞと感じさせる番組でした。

    大杉正明先生の「ラジオ英会話」は、スキットの内容が面白く、英語学習と同時に、アメリカ文化やアメリカの歴史に触れられるのが興味深い番組でした。
    その年は、年間を通して、アメリカ人の青年とその恋人の日本人女性が、アメリカに引っ越し、アメリカに触れていく物語がつづられていました。
    ネイティブアメリカン、フラワームーブメント、エイズ・・・。
    ラジオドラマのような構成で、感情がこめられたセリフのやりとりに、何度か聴くだけで新しい単語がどんどん記憶に定着していきました。

    杉田敏先生の「やさしいビジネス英語」は、主人公宮川輝行、通称テルが、レインフォレストという自然派化粧品会社のロサンゼルス本社で働き、同僚たちと様々な社会問題を語っているビニェットが何より魅力的でした。
    今と違い、英文とその和訳が番組内容の中心でした。
    和訳はテキストを見ればわかるので、近年はそういうものは省略し、英語表現について英語で解説する時間が増えました。
    そういう意味では、当時の番組は少し古いタイプの英語講座でした。
    でも、魅力があったのは、ビニェットのレベルの高さ。
    大学入試の現代英語を読んだり教えたりする際に、どれほど役に立ったかしれません。
    小説や随筆の読み取り中心の英語学習からの完全な脱却を図ることができました。

    3番組を聴き流すだけで、まずは英検2級に合格。

    翌年、私は聴く番組を「やさしいビジネス英語」1つに絞りました。
    その分、ただ聞き流すのではなく、知らない単語・熟語、覚えたい表現などを含む文を暗唱したり書いたりする練習を加えました。
    その年、英検準1級合格。
    履歴書にしっかりそれを記入し、私は転職しました。
    職種は同じ塾講師でしたが。

    その後も、聴くのは杉田敏先生の「ビジネス英語」のみ。
    番組タイトルから「やさしい」が外れ、テキストの表紙が薄茶色から紺色に変わっても。
    そして、ビニェットの全文暗唱と、日本語訳を見てその英文を書いてみる練習を自分に課しました。
    ビニェットのテーマに沿って、登場人物の誰かの意見を自分の意見のように口頭でまとめたり、また書いてみる練習も繰り返しました。
    他にも英検用の単語集と過去問を繰り返し勉強。
    無事、英検1級に合格しました。

    以後の私は、むしろ、英語学習が惰性になっていたかもしれません。
    全文暗唱や書写をしなくなりました。
    仕事がさらに忙しくなったこともあり、ただ聴くだけのことが多くなり、長い年月が過ぎました。
    大杉正明先生が「ラジオ英会話」を引退されて、別の冠番組を持ったこと。
    代わりに遠山顕先生が「ラジオ英会話」の講師になったこと。
    番組表で知っていましたが、実際に聴くことはありませんでした。
    そうして、その遠山顕先生も「ラジオ英会話」を引退。
    別の冠番組が始まりました。
    それが「遠山顕の英会話楽習」でした。


    生徒に勧めるよいラジオ講座はないか?
    そう思って杉田敏先生の「実践ビジネス英語」以外の番組を聴くようになったのは、この2~3年です。
    英語関係の全番組を一度は聴いてみて、好みの番組をピックアップし、山を歩きながら、あるいは散歩をしながら聴くようになりました。
    「遠山顕の英会話楽習」は、30年近く経って聴いたとき、声が年を取っていることに驚きました。
    ずっと聴き続けていたら、多分そうは感じなかったのかもしれません。
    民放ラジオの名物パーソナリティーみたいになっていて、その風格にびっくりしました。
    新進気鋭の先生が、気がつけばもう70代。
    時は流れました。
    高校生が聴く英語講座ではなさそうだと感じ、聴き続けることはありませんでした。

    昨年度で、杉田敏先生の「実践ビジネス英語」が終了しました。

    そして、今回、「遠山顕の英会話楽習」も終わりました。


    英語を勉強したい。
    そう思った、若かった遠い日に、
    遠山顕先生の「英会話入門」。
    大杉正明先生の「ラジオ英会話」。
    杉田敏先生の「やさしいビジネス英語」。
    その3つがそろっていました。
    その3番組を浴びるように毎日聴くことができたこと。
    私は本当に幸運でした。
    あの年の英語番組がつまらなかったら、私は、英語講師を続けることを諦めていたかもしれません。


    それにしても、変な時期に番組が終わるものだ・・・。
    そう思ったら、後番組は、大杉正明先生の「ラジオでカムカムエヴリバディ」。
    NHK総合の朝ドラと連動した番組なんだそうです。
    嘘。
    大杉先生が復活するんですか?
    はあ?
    だったら、別の時間帯に復活してくださいよ。
    遠山顕先生の番組も続けてくださいよ。
    私にとって神3なんですから。
    何ですか、それは。

    ・・・私は混乱しています。

    多摩湖自転車歩行者道と並走する狭山境緑道をとことこ歩き、土手の途中、銀色の道しるべを左折。
    畑の中の道を行き、横断歩道を渡ると、すぐ、都立小金井公園です。
    思った通り、コスモス畑が広がっていました。
    春にはヒナゲシ畑だったところです。
    天気もよく、涼しくなったので、平日でも小金井公園を散歩している人がちらほら見られました。

    風に揺れるコスモス。

    戦後すぐの「カムカム英語」の通称で親しまれた英語講座を、私は知りません。
    その講師の名前も知りません。
    でも、きっと、ある世代の人にとって、その名前とそのテーマ曲と、オープニングの挨拶は、特別な意味のあるものなのだろうと思うのです。

    戦争が終わって、好きな英語を好きなだけ学べる時代が来た。
    それは、どれほど幸せなことだったろう。
    同時に、戦争で傷つき、肉親を失い、財産を失い、運命をねじ曲げられた多くの人にとって、英語を学ぶということは、どういうことだったのだろう?
    そうしたことを丁寧に描く番組であることを願います。

    Keep listening.
    Keep practicing.
    And keep on smiling.
    Bye!

    30年変わらなかったのだろう挨拶を最後も繰り返して、遠山顕先生の番組は明るく終わりました。
    ラジオ講座を変革させた人。
    この方がいなかったら、今の大西先生の「ラジオ英会話」など、存在が許されるはずもないのです。
    ふざけているのかっ・・・で終わっていたでしょう。
    ラジオ英語講座は、さらなる進化を遂げていく。
    いつか、大西先生も年をとり、また新しい才能が立ち上がる。
    大西先生が大御所となり引退し、冠番組を持つようになっても、まだ、私はラジオ英語講座を聴き続けたい。
    そう思います。

      


  • Posted by セギ at 15:47Comments(0)英語

    2021年10月11日

    高校英語。無生物主語。


    無生物主語。
    突然出てくるこの言葉にまず違和感を抱く人がいて、それでわかりにくくなってしまう側面があります。
    「無生物主語」というのは、生物ではないもの、すなわち「無生物」が主語となっている表現ということです。

    高校になると古文で学習しますが、昔の日本語は、無生物が動作主となることは、基本的にありえなかったのです。
    動作をするのは、生物だけ。
    しかし、現代では、日本人の多くが英語を学びますから、無生物主語を見慣れています。
    だから、無生物主語の文を、普通の文だなあと感じる人もいるかもしれません。

    The bad weather made us cancel the trip.

    直訳は、「悪天候が私たちに旅行をキャンセルさせた」。
    意味をとるだけなら、この直訳のままの把握で十分なのです。

    make は、「~させる」という意味の使役動詞。
    文型はSVOCで、Cは原形不定詞(動詞の原形)を用います。
    上の文では、cancel が、「キャンセルする」という意味の動詞で、それが原形不定詞として使用されています。

    とはいえ、「悪天候が私たちに旅行をキャンセルさせた」と、日本語の日常会話で言うかといえば、そんな言い方は、今もしないです。
    悪天候のせいで、私たちは旅行をキャンセルした。
    日本語ではこのように表現します。
    人や動物が動作主として存在しているときに、あえて無生物主語の文は使いません。
    日本語と英語の大きな違いの1つです。
    だから、無生物主語の問題でむしろ難しいのは、日本語を英語に直す英作文問題です。
    無生物を主語にする発想がないために英作文できないという事態が起こりやすくなります。

    問題 次の日本語を英語に直しなさい。
    (1) 悪天候のせいで、私たちは旅行をキャンセルした。(make を用いて)
    (2) この薬を飲めば、気分がよくなるでしょう。(make を用いて)
    (3) 彼は自尊心が強いので、その申し出を受け入れなかった。(prevent を用いて)
    (4) このバスに乗ると駅に着きます。(take を使って)
    (5) その歌を聴くと、私は母を思い出す。(remind を使って)

    良いことでも悪いことでも、原因となることを無生物主語として文を作っていけば、わりと素直に英文になるのですが、日本語にこだわり、日本語の構造のまま英文にしようとすると、苦労することになります。

    (1) 悪天候のせいで、私たちは旅行をキャンセルした。(make を用いて)
    これを、
    We canceled the trip because of the bad weather.
    と、英文にする能力はあるものの、make の使いどころがわからず、困惑してしまう人もいると思います。
    make を用いてという指示があるので、使っていなければ誤答となります。
    無生物主語を使うのだとピンとくれば、簡単に解決します。

    (2) この薬を飲めば、気分がよくなるでしょう。(make を用いて)
    If you take this medicine, you will feel better.
    という文なら作れるのに、make を使えと言われて、しぶしぶ、
    If you make this medicine, you will feel better.
    とか、
    If you take this medicine, you will make better.
    といった残念な誤用をしてしまう人もいます。
    ある程度の英語力はあるのに、もったいないです。
    正解は、
    This medicine will make you feel better. です。

    (3) 彼は自尊心が強いので、その申し出を受け入れなかった。(prevent を用いて)
    prevent は、無生物主語がテスト範囲なら出題される可能性の高い問題ですが、何となく苦手意識があって、むしろそこを曖昧にしてしまう人がいます。
    正解は、
    His pride prevented him from accepting the offer.
    です。
    prevent は「妨げる」という意味の動詞。
    主語+prevent+目的語+from ~ing の語順をしっかり覚えておけば大丈夫です。
    prevent の他、keep や stop も、同じ意味、同じ構造の文で使います。
    後ろのfom~ing のところを覚えていなければ、正しい文を作れない。
    こういうのは、テストに出るに決まっています。
    何だか覚えにくいとき、「こういう細かいことは、どうせテストに出ない」と考え、結果、がっつりテストに出ていて後悔する・・・。
    この繰り返しからの脱却を図りましょう。

    (4) このバスに乗ると駅に着きます。(take を使って)
    Take this bus and you will get to the station.
    これは、正解。
    別解として文句のつけようがありません。
    出題者の意図した正解は、
    This bus takes you to the station.
    だと思いますが。

    (5) その歌を聴くと、私は母を思い出す。(remind を使って)
    正解は、
    The song reminds me of my mother.
    主語+remind+目的語+of+名詞(動名詞)
    この構造を覚える必要があるので、これもよくテストに出ます。
    前置詞が使われているとき、その前置詞に神経を払う習慣をつけましょう。
    そういうところがテストに出ます。

    とにかく、覚えて使うだけ。
    理解して、覚えて、活用する。
    それがわかっている人は、特に苦労しないところです。
    しかし、学校の英文法のテキストの左側の解説ページで例文をよく確認したにも関わらず、右側の練習問題のページでそれを全く使わず、自分の感覚で問題を解く人が案外多いのです。

    何を学んでも、それはそれとして、問題は自分の感覚で解く・・・。
    理解して、覚えて、活用する。
    それが学習のサイクルですが、そういうサイクル自体を知らない子がいます。
    確かに、表だってそんなことを教わることはほとんどないのかもしれません。
    小学校の頃から、そんなことは教わらなかった。
    だから、そういうサイクルがあることをそもそも知らず、理解はするけれど、覚えないし、活用しない・・・。
    理解したら、覚えて、活用しなければならない、ということを体得していない。
    勉強が苦手な子には、そういう「そもそも」のところがわかっていない子がいます。
    理解したら、もう活用できると思っている子。
    理解しても、それはそれとして、活用しない子。

    自分が何を学んでいるのか、何を要求されているのか、ピンときていないようなのです。
    「無生物主語」の学習をしているのですから、とにかく無生物の主語をまず考えれば、そこから何か続けていけると思うのですが、その発想がない人がいます。

    例えば、上の問題で、
    (2) この薬を飲めば、気分がよくなるでしょう。(make を用いて)
    この文は、今は中学生でも学習します。
    そんなに難しい問題ではありません。
    しかし、全くわからないと白紙にしてきてしまう子は高校生でも多いです。
    「そうか・・・。じゃあ、主語から考えてみましょうか。この文の主語は何でしょうか」
    「make?」
    「うん?それは動詞ですよ。主語は?」
    「・・・get?」
    「いや、主語を訊いているんですよ」
    「・・・」
    「・・・」

    主語という言葉の意味が、わかっていない。
    高校生になっても、わかっていない。
    というよりも、考えることと他人の話を聞くこととを同時にできなくて混乱してしまう人もいるのかもしれません。
    会話をするとき、基本動揺していて、相手の言うことがよく理解できず、勘で答えてしまう。
    では、一方的に解説を聞く授業なら落ち着いて聴き取れるのかというと、あまり理解できない。
    何が大事であるか、話を聞くだけではよくわからない・・・。

    ここを突破していくのが、個別指導です。
    上の会話では終わらないのです。
    「主語です。主語。わかりますか?言ってみて。リピート。『主語』と言ってみましょう」
    「・・・主語?」
    「そう。主語です。主語ですよ。主語という意味、わかる?」
    「・・・」
    「文の中の、誰々はとか、何々がという部分です。主語。わかりますか?」
    「・・・(黙ってうなずく)」
    「この文の主語は、何でしょうか?」

    私が何を問いかけているか、とにかくそれを理解できるまで、会話を続けます。
    ホワイトボードにも書きます。
    勉強が苦手な子の中には、音声を聴き取るのが苦手な子がいます。
    耳が悪いということではなく、音声の意味を把握するのが苦手のようです。
    しかも、聴き取れていないのに、理解したふりをすることに慣れています。
    理解できなくても仕方ないと半分諦めているのかもしれません。
    理解しなくても大丈夫だと、自分の都合のよいように解釈している可能性もあります。
    それで会話がトンチンカンなものになると、「バレた」と思うのか、突然動揺します。

    逆に言えば、そうした子は、ここを突破すれば、理解できます。
    「無生物主語を勉強しているのだから、無生物を主語にする」
    ホワイトボードに大書して、生徒に声を出して読ませ、この文の意味がわかるか、問いかけたことがあります。
    沈黙の続く生徒に、続いて私は語りました。
    「今は、無生物主語を勉強しているのだから、無生物主語を使えば正解になるように問題が作られています」
    「・・・あ!そういうことか!」

    何でそれに気づかないのだろう・・・というようなことに、気づいていない生徒は案外多いのです。
    深い霧の中で闇雲に勉強しています。

    理解して、覚えて、活用する。
    この学習サイクルを身につけましょう。

      


  • Posted by セギ at 11:59Comments(0)英語

    2021年09月08日

    散歩しながら聴くラジオ英会話。2021年9月。


    2021年9月7日(火)、ようやく涼しくなり、長雨もやんだので、2か月ぶりに散歩をしてきました。
    足が向くのは、たっぷり歩ける、玉川上水緑道から井の頭公園へのコースです。
    三鷹駅南口から、玉川上水の左岸を行きます。
    最後に歩いたときはノカンゾウが盛りでしたが、今は、ツルボが沢山咲いていました。
    上の画像がそれです。
    ピンク色の優しげな花。
    秋の訪れを感じます。

    歩くだけでは退屈なので、片耳イヤホンでラジオを聴くのが習慣です。
    NHK第2のラジオ英語講座。
    昼の12時台は、「英会話タイムトライアル」「ラジオ英会話」「ビジネス英語」「ニュースで英語術」と、英語番組が連続します。

    「英会話タイムトライアル」は、もう4~5年聴いていますが、10分という短い時間の中でも、自分が英語を話すことが多い構成の番組なので、飽きずに聴き続けられます。
    聴く・読む・話す・書くの4領域の中で、「話す」に特化した番組です。
    現代アメリカの口語英語は、今、こんなふうなんだと知ることができます。
    例えば、食べ物が「おいしい」ときはdelicious は少しおおげさ。
    それはすごくおいしいときの表現。
    good が普通。
    知ったところで、私は学校英語に即して教えるのが使命。
    生徒が作文に delicious と書いていても、何も言いません。
    生徒にうっかりそんな知識を披露して、それを生徒がまた聞きで学校の英語の先生に、
    「普通は、delicious なんて言わない。good って言うんだよ」
    などと余計なことを言うのを避けるためにも、余計なことは一切言いません。
    そもそも、学校の先生だって、そんなことは百も承知なんです。
    生徒が英作文で good と書いてあるのをバツにしたりはしないから、それで大丈夫なんです。


    話は逸れて、数学のことになりますが、中学生に数学を教えていて、毎回大幅にズレた直線のグラフを描いてしまう子に、
    「・・・うーん。これ、学校のテストでは、バツになりますよ。中学では、1ミリずれたらバツになるんですよ」
    と教えたところ、その子は、学校の先生に確認を取り、
    「1ミリずれていても、点をぐりぐり大きく描いて、そこを通っていれば大丈夫だって言ってた」
    と言うので、頭を抱えたことがありました。

    わかった、私が悪かった。
    学校の採点基準のせいにしたのがいけなかった。
    方眼の格子点から1ミリずれた直線を描いて、それで作業終了と思ってしまう、その考え方を改めてください。
    私の採点基準として、そんなものは、正解ではない。

    格子点から1ミリずれていても、平気。
    円をコンパスで描いて、蚊取り線香みたいになっていても、平気。
    見た目が明らかに直角ではないのに、「垂線の描き方」に沿って垂線を描いたんだから、平気。

    ・・・なぜ、それで平気なのか、私にはわからない・・・。
    私は、神経質なほうではありません。
    各種リモコンがテーブルの淵とちゃんと平行になっていないと気持ち悪いとか、そんなことはありません。
    でも、格子点から1ミリずれている直線は、ダメだと思います。
    それを、点をぐりぐり大きく描いてそこを通っていれば可とするのもダメだと思います。
    そもそも、点をぐりぐり直径3ミリほどにも描く小学校からの習慣を、まず否定してほしいです。
    点に直径なんか存在しないんですから。
    ぐりぐり描いていたら、それは、「黒い円」でしょう?

    とはいえ、これまで30年以上、中学生にグラフを描く指導をしていて、
    「1ミリずれていたらバツ」
    というルールを否定されたのは初めてでしたので、これは衝撃でした。
    この条件で採点することができないほど、現代の公立中学の生徒は、定規で直線を引く能力が衰えているのでしょうか。
    確かに、字を書くのも遅くたどたどしく、道具を上手く使えない子が多いのは認めますが。


    そんな中、この夏、例によって中学3年生と国語の入試問題を読んでいたときのこと。
    便利な道具を使うことによって、人間は能力を失うといった内容でした。
    例えば、ナイフで鉛筆を削れない。

    それは確かに私の世代でもそうで、手動の鉛筆削り、さらには電動鉛筆削りを当たり前に使っていましたから、ナイフで鉛筆を削れと言われたら、今もかなり苦労すると思います。
    赤鉛筆などは芯が柔らかく、鉛筆削りで削ると、削っても削っても芯のない状態で鉛筆削り機から出てきてしまうので、仕方なくナイフで削りましたが、あまり好きな作業ではなかったです。

    だから、この評論の読解は、論説部分は少し難解だけれど具体例が身近でわかりやすいので、きっと読解できるだろうと思ったら、その子は内容をほとんど理解できなかったようでした。
    え?
    こんなにわかりやすいのに?
    便利な道具は、人間の能力を奪いますよね?

    色々話してわかったことは、その子は、ナイフで鉛筆が削れるのでした。
    できるようになっておいたほうがいいと保護者に言われ、ナイフで鉛筆を削ってきたとのこと。
    ・・・良い教育をされています。
    とはいえ、自分はナイフで簡単に鉛筆を削れるので、それができない人のことがわからず、便利な道具が人間の能力を奪うということの意味が理解できないというのは、しかし、頭を抱えました。

    ナイフを使えること。
    火を起こせること。
    飲み水を作れること。
    サバイバル能力が見直され、それが定着したのは、自然災害が毎年のように起こっていることと関係があるのかもしれません。
    DIYも変わらず人気です。
    その一方で、定規で線を引くと、1ミリ以上ずれてしまう子は多い・・・。
    道具が上手く使えない。
    そして、それが許容されます。

    高校生になれば、方眼紙にグラフを描くことがそもそもなくなり、フリーハンドでグラフを描いていくことになりますから、大きな問題ではないのかもしれません。
    フリーハンドで描くグラフには、また、そのルールがあります。
    繰り返し助言しても、x軸、y軸を示す、「x」、「y」の文字を書き込まず、原点の「0」も記入せず、y切片は書き込むけれど、x切片のことなど気にしない子が続出します。
    このグラフ、傾きが読み取れないですよと言われても、何を注意されているかよく理解できない様子の子は多いです。
    グラフは、概念図であっても、そのグラフから、式を復元できなければならないんですよ、それが根本ルールですよと話しても、そもそも、グラフから式を読み取ることができると思っていないので、何の話かわからないのも無理はないのです。
    個別指導で丁寧に丁寧に指導していくことが必要となります。
    こちらのほうが、やはり重大問題でしょうか。



    「英会話タイムトライアル」が終わる頃、万助橋の信号を渡って、玉川上水緑道はいよいよ土の道に入りました。
    入り口が相変わらず鬱蒼として暗い。
    目が慣れるまで、足元の水たまりもわからないくらいです。
    セミしぐれ。
    長雨の間は静かにしていたセミも、また騒がしく鳴き始めました。

    続いて番組は「ラジオ英会話」。
    この番組は「ハートでつかめ英語の極意」という副題にあるように、英文法をわかりやすく解説しようと努力しています。
    ラジオ英会話は、NHK語学番組の中でも看板番組。
    何年でも継続して聴き続けるリスナーが多い番組です。
    歴代の講師が、リスナーから絶大な人気を得てきました。
    今の講師も、とても人気があるのがうかがえます。
    10月からはEテレの英語番組にも出演するそうです。

    話の端々から、本当は物凄く細かい専門的な知識のある人なのだとわかります。
    熟語解説や前置詞の働きなどの解説は、参考になることが本当に多いです。
    しかし、その日その日のメイン解説は、むしろ曖昧で、首をひねることが多いのです。
    例えば、修飾語の位置についての解説。
    「指定ルール」。指定語は前に置く。
    「説明ルール」。説明は後に置く。

    私のハートは、「指定」と「説明」の違いをつかめません。

    どんなリンゴなのかを指定する。
    赤いリンゴでも、黄色いリンゴでもなく、青いリンゴと指定する。
    だから、「青い」という語は、指定ルールでリンゴの前に置く。

    どんな場所なのかを説明する。
    「彼と初めて会った」場所。
    説明しているから、場所の後ろに置く。

    ・・・これ、「指定」と「説明」を逆に使っても、全く問題ないと思いませんか?
    だって、修飾語って、そういうことですから。
    指定することは、説明することです。
    それが修飾するということ。
    赤いリンゴでもなく、黄色リンゴでもなく、青いリンゴなのだと説明する。
    他のどんな場所でもなく、彼と初めて会った場所なのだと指定する。

    「指定ルール」と「説明ルール」。
    それは、わかりやすく説明しようと努力し過ぎた末の、まやかしということは、ないのかな。

    1語の修飾語は前から。
    2語以上の意味のまとまり、すなわち修飾句や修飾節は後ろから。
    その説明で何がいけないのだろう?

    「修飾語」「修飾句」「修飾節」という文法用語を用いただけで意味がわからなくなる子は多いです。
    「名詞」「形容詞」「副詞」というだけで、もうわからなくなる子もいます。
    何度説明を聞いても、なぜか品詞名が一切覚えられないのです。
    文法アレルギーの強い子は多いです。

    そういう子は、「指定ルール」「説明ルール」なら理解できるのでしょうか。
    そんなふわふわした曖昧な言葉で、本当に理解できるのでしょうか。
    理解したつもりになることだけでも、大切ということでしょうか。
    拒絶反応があると、使うことが全くできないですから。
    感情的に嫌なことは、率先的に忘れていきますし。

    実際に英語を話す、あるいは書くつもりになったとき、その立場から考えると、さっさと指定してしまいたい修飾語は名詞の前にもう言ってしまい、名詞を言い終わった後、さらに説明したいことがあるときには、それは1単語では済まない内容のことがそもそも多いので、後ろに付け加えていく。
    そういう話し手の「気分」のことを言っているのでしょうか。
    「文法」と「気分」。
    それは共存するような気もすれば、しない気もします。
    文法はハートでつかめるものなのか。
    頭で理解するほうが速く正確ではないのか。
    難しい課題です。


    文法を理解できると、英語力はロケット発射のように上昇します。
    何人も、そうした生徒に出会ってきました。

    英語学習の方法として、毎回、基本文が示され、その基本文の形を真似て使ってみましょうといった、漠然としたやり方はあると思います。
    例えば、
    I want to ~.
    の文を使ってみよう、作ってみよう、という練習をしますが、「不定詞」という文法用語は一切使わない指導です。
    「to の後ろは動詞の原形」という説明すらしないこともあります。
    文法的な解説はしない学習方法です。
    示された基本文が、どういう文法事項のどういう文であるかは説明しないのです。
    ただ、それを真似てみる。
    使う単語を変えて、別の文を作ってみる。
    そのように、単発的でふわふわした英語学習は、初歩の英語学習では特にありがちです。
    そうした学習が合わず、英語不振に陥ってしまう子は多いです。
    全体の展望が開けないので、上手く学習できないのです。
    自分が何のために何をやっているのか、今学習していることは何と結びついているのか、よくわからない。
    そうした子には、文法の骨組みをしっかり教えると、見違えるように英語の成績が上がっていきます。
    文法を文法用語で正確に理解した子は、あとは単語・熟語を覚えるだけで、どんな複雑な英文も前からどんどん意味を取って読んでいけます。

    個人の好み、学習の癖というものがありますから、一長一短なのでしょう。

    とはいえ、「ラジオ英会話」。
    私は、go on a trip の on は何であるのかといった細かい知識に興味があり、そういう解説部分が好きです。
    on は細い線状のものの上を移動する意味があるそうです。
    起点と終点のあることを行う場合、go on になるとのこと。


    玉川上水緑道は、ツルボの花盛り。
    街の散歩をするようになって、もうすぐ1年。
    やがて季節もひと巡りします。

    ラジオは、「ビジネス英語」が始まりました。
    昨年までの「実践ビジネス英語」を長年聴いていてファンだったので、最初は抵抗があったのですが、慣れてくると良い内容であると感じられるようになってきました。
    内容があまりにもビジネス英語なので、高校生に勧められないのが残念。
    でも、木曜日・金曜日のインタビューは、お勧めです。
    「生の英語が聞き取れない」という人すべてにお勧めでもあります。
    今月は、バリ島で「バイバイ・プラスティック・バッグ」という活動を行った十代の少女へのインタビュー。
    三鷹市で採択されている現行の中3の英語教科書にも、彼女たちの活動が載っています。


    今年からの新課程の英語教科書は、扱う単語数が爆発的に増え、高校の学習内容だったことがいくつか中学に下りてきました。
    全体に難しいのですが、三鷹市が採択した教科書はその中でも特に教えにくいと感じます。
    今に始まったことではなく、三鷹市は英語教科書採択のセンスが悪い気がするのですが。
    実際に教えてみると評判が悪かったからか、毎回、次の採択では別の出版社の教科書になり、そしてまた失敗しています。
    前回の東京書籍は、それでも、そんなに悪くなかったけれど。
    そうしたなかで、三省堂のクラウンだけは決して採択しないけれど、なぜなんでしょうね?

    個別指導の性質上、生徒ごとに教科書も異なるので、いくつかの教科書を並行して教えていますが、クラウンは抜群に教えやすいと感じます。
    文法事項をひとまとめに1つのレッスンにしていることが大きいです。
    「接続詞」を学習するのなら、1つのレッスンで接続詞だけ整理して学習。
    「不定詞」を学習するのなら、1つのレッスンで3用法を整理して学習。
    そのような学習のしやすさと教えやすさを重視しています。

    今の三鷹市採択の教科書は、1つのレッスンのパート1は接続詞の if のみ、パート2は不定詞の形容詞用法だけ、パート3は、また別の文法事項といった構成で、バラバラで関連性がなく、極めて教えにくいです。

    三省堂のクラウンを採択をしている市や区は、ずっとそれを継続していることが多いので、教えやすいから変えないでほしいという要望が現場で高いのではないかと思うのですが、どうなんでしょう。


    いつものように、大きな通りでUターンして、玉川上水緑道をてくてく戻り、井の頭公園へ。
    2か月前、わさわさ生えていたヤブミョウガは、青黒い実をつけていました。
    ここも、ツルボが花盛り。
    人も少なく、のんびり歩くことができました。

      


  • Posted by セギ at 14:33Comments(0)英語

    2021年09月03日

    「夜ごはん」という言葉と、英語教育の変化と。


    長くこの仕事をしておりますと、生徒の言葉の変化に気づくことがあります。
    日常の言葉遣いは、本人の話したいように話したらいいと思っていますが、勉強に関係のあることの場合、訂正が必要になります。
    英語を教えていると、どのように日本語に訳すかというのは、ある時期までは重要な問題でした。
    テストに和訳問題が多く出題されていたからです。
    テストで減点されたら、困る。
    私が門番となり、生徒の日本語をチェックしなければならない場面は多くありました。

    I eat dinner at seven every day.

    中学1年生に、こうした英文を訳してもらうと、以下のような訳をする子は、30年前からいました。
    「私は毎日7時に夜ごはんを食べます」

    ・・・夜ごはん?

    30年前、「夜ごはん」という言葉を用いる子は、学力の低い子が多かったように思います。
    個別指導をしていて、「夜ごはん」という訳を見ると、うーん、やはり、この子は、英語能力というよりも、まず日本語能力に課題があるのかもしれないと感じていました。
    その言葉だけでそう感じたのではなく、日頃から感じていたことが「夜ごはん」という言葉に集約された印象でした。
    そんな言葉は、日本語にないよ?
    朝ごはん。
    昼ごはん。
    だから、夜ごはん?
    それは、「夕ごはん」または「晩ごはん」と言うのです。
    「ゆう」の意味が音としてよくわからないから、「朝」「昼」なので「夜」と類推して使っていたのでしょうか。
    周囲の大人の使う言葉をよく聞いていないから、そういう類推となり、それを訂正する能力が本人の中にない。
    言葉を注意深く聴く力が弱く、本もあまり読まないから、そういうことになるのかもしれない・・・。

    20年前も、集団指導塾で、そのような訳をする子のことを、秀才たちが失笑していたのを記憶しています。
    「朝ごはん」という訳には特別反応していなかったので、「夜ごはん」という言い方がおかしかったのでしょう。
    中学生ともなれば、秀才たちは、そもそも「夕ごはん」という訳し方もしませんでした。
    子どもっぽいと感じたからでしょうか。
    「朝食」「昼食」「夕食」。
    食事を訳すときは、そのように硬い漢語を使うのが普通でした。


    英文をどのように日本語に訳すか。
    どうすれば、減点されないか。
    それに対する感覚は総じて古くさく、なかなか改定されないことが昔は多かったことも影響していたと思います。

    He is a chef at the French restaurant.
    彼は、そのフランス料理屋の料理長だ。

    そんな模範解答が、ほんの10年くらい前まで、当たり前のように、テキストの解答集に掲載されていたのです。
    「彼は、そのフレンチ・レストランのシェフだ」
    という訳では、英語を日本語に訳したことにならないと判断された時代がありました。
    いや、実際にはそんなことでは減点されなかったのかもしれませんが、万が一されると怖いので、訳し方は徹底して保守的であるほうが良いとされたのです。
    むしろ、日本語として違和感があるくらいに、全て日本語に直さなければならない時代がありました。


    といっても、言葉には流行があります。
    「料理長」という言葉は、以前ほど古い語感の言葉ではなくなっているようにも思います。
    料理人への尊敬が世間に広まり、特に和食の場合は、「シェフ」と呼ぶわけにもいきません。
    大きな店の「料理長」、ホテルの「総料理長」といった、その職場での役職を日常で耳にするようになると、「料理長」という言葉は新しくなりました。
    むしろ「シェフ」という言い方のほうが軽々しく感じられるということもあるようです。

    英語をどこまで日本語に訳すべきか。

    My father has been cooking in the kitchen since this morning.
    私の父は今朝からキッチンで料理をしています。

    「キッチン」は、「台所」と訳すべきなのかどうか?
    今の一般家庭にあるのは、「キッチン」で、「台所」ではないのではないか?
    「キッチン」と「台所」は、もう指す対象が異なる言葉になってしまっていないか?
    十代の感覚はまた別かもしれませんが、「キッチン」よりも「台所」のほうが、本質的に良い場所であるような語感が私にはあります。
    使いこまれて清潔な道具が揃い、調理のベテランが腕をふるう場所が「台所」。
    おいしい和食の作られる場所が「台所」。
    だから、「キッチン」は「キッチン」と訳して構わないのではないか?

    しかし、生徒本人の言語感覚と、テストの採点者の言語感覚との両方を想像し、その橋渡しをするのが塾講師で、私自身の言語感覚はあまり関係ないのでした。
    その訳で、減点されるか、どうか?
    判断基準はそれだけでした。



    この10年で、英語教育は激変しました。
    英文を日本語に訳す問題が、まず中学で消滅しました。
    高校入試に和訳問題がないからです。
    さらに高校でも、消えつつあります。
    大学入試に和訳問題が消えつつあるからです。

    英文を、1段落ずつ、または1文ずつ、生徒に音読させ、訳させる授業が、消えていこうとしています。
    アップデートされた高校コミュニケーション英語の授業は、例えばこんなふうです。
    まず、音源によるか、または教師による本文の音読が行われます。
    生徒は、文字は見ず、まずその音声を聴きます。
    その後、聴き取った内容に関する簡単な問いのプリントを解きます。
    その答えあわせと、解説。
    そして、本文を読みます。
    またも、その内容に関する問いのプリントがあり、それを解きます。
    その答えあわせと、解説。
    文法的に重要な文や重要語句があれば、それも解説。
    その後、全訳プリントが配られ、それを逆に英文に直す練習。

    新しい授業は、これまでの授業と異なり、英語の先生の授業準備が授業内容のすべてを左右するほどに重要となります。
    ある程度は指導用の教材もあるでしょうが、本文の内容に関する四択問題を沢山作らねばなりません。
    英問英答形式にするとしても、プリントを作るためには、そのタイピングと印刷だけでも作業量は膨大です。
    全訳プリントの作成もあります。

    しかも、そこまでの労力を使っても、生徒の英語力がそれで向上するとは限らないのです。
    深く学ばず、プリントを解き散らかすだけの子。
    全訳を読んで、何が書いてあるかわかれば、それで勉強した気になってしまう子。
    単語を覚えないので、徐々に自力で英文を読むことができなくなり、学年相当の英語力から遅れていく子。
    「何かよくわからないまま授業が進んでいく。何も教えてくれない」
    と不満をもらす子。

    「読んで訳す」だけの授業を受けてきた世代にとっては夢のような授業も、生徒にとっては、新しい不満の種となっていくようです。
    個別指導で、生徒に1文ずつ読んで訳してもらい、訳せないときに、単語のいちいちの意味を教え、英文の構造を解説すると、
    「そういうことだったんだ。やっとわかった」
    と言う子もいます。

    では、昔ながらのそういう授業のほうが本当は良いのでしょうか。
    そういうことでもないと思うのです。

    新しい英語の授業は、先生の準備が重要なのと同じくらい、生徒の復習が重要。
    一度読んだ英文を繰り返し繰り返し読み、全訳を英文に復元する練習も自主的に繰り返す。
    口で言うだけでなく、書いてみる。
    昔のようなノート作りを強制されない分、形に残らないそうした練習を繰り返し、余った時間で、単語暗記も繰り返す。
    さらに自主的に教科書以外の英文を読んだり、英検などの長文読解問題を解いたり。
    できることは沢山あり、そうしたことをやっている人は学年以上の英語力を身につけ、それをしない人は、気がつくと永遠に中学英語レベルのまま、取り残されていくのです。

    テストに和訳問題が出題されることは少なくなりました。
    昔ながらの、ノートの左半分に教科書英文を書き写し、ノートの右半分にその和訳を書いていかなければならないノート作りとその提出も、強制されることは少なくなりました。
    全訳は、授業時に渡されます。
    要求されているのは、初めて聴いた英語の内容を大体聴き取れること。
    さらに、初めて読む英文の内容を把握できること。
    常にその練習をするのが、新しいコミュニケーション英語です。

    和訳はどこまで日本語に直すべきかなんて、もうどうでもいいのです。


    さて、そこで「夜ごはん」問題。

    近年、dinner を「夜ごはん」と訳す子は、学力の低い子だけとは限らなくなっています。
    朝ごはん。
    昼ごはん。
    夜ごはん。
    食事時間が、夕方ではなく、完全に夜に移行したことも大きいのでしょう。
    今、夕食の時間は、7時台、あるいは8時台の家庭も多いと思います。
    それは、「夕ごはん」と呼べる時間帯ではなくなってきています。

    その一方、では、漢語としてはどうなのか?
    朝食。
    昼食。
    ・・・夜食?
    それは、夜遅くまで勉強したり働いたりする人が、夜更けに食べる軽い食事を指す言葉なのでは?
    漢語では、今も、「朝食」「昼食」「夕食」「夜食」でしょう。
    そして、この漢語を正しく言えるかどうかは、今も基礎学力と多少関係があるように思います。
    国語が苦手な子は、特に「昼食」が言えません。
    「昼」を「ちゅう」と読むことをそもそも知らない様子です。
    しかし、便利な言葉があります。
    「昼食」が言えない子は、「ランチ」と言うことが多いです。

    そんなことを考えていたら、最近、ファストフードのCMで、
    「お母さん、夜ごはんは」
    と堂々と言い出したので驚きました。
    時代は、ここまで来た。
    「夜ごはん」という言葉がついに市民権を得た。
    辞書に載る日も近い。
    いや、もう載っているのかもしれません。

    一方、NHKの料理番組は今もなお「夕ごはん」という言葉を使っています。

    言葉は、どれが正しいとか間違っているとかいうことはありません。
    使う人が多くなれば、その言葉が認知されていきます。
    「夜ごはん」「夕ごはん」の攻防は、なかなかに興味深いです。
      


  • Posted by セギ at 14:07Comments(0)英語

    2021年08月14日

    映画で英語を学びましょう。『ボヘミアンラプソディー』。


    生の英語を聴き取る力を鍛えるには、ドラマや映画を英語音声で見るのが楽しくもあり、勉強もできて一石二鳥です。
    しかし、あまりにも早口だと聴き取りづらく、何にも楽しくありません。
    適度にゆっくりで、単語も平易で、聴き取りやすい映画。
    これまでの私のイチオシは『ノッティングヒルの恋人』だったのですが、それを上回る易しく聴き取りやすい映画を見つけました。
    『ボヘミアンラプソディ』です。

    日本人の耳には、アメリカ英語よりもイギリス英語のほうが聴き取りやすいです。
    この映画は、ハリウッド俳優が頑張ってイギリスのアクセントで話そうとしているので、未曽有の聴き取りやすさを実現しています。
    人間、不自然なことをやると、口調はゆっくり正確になります。

    地上波でも放映されたので、ブルーレイが値下がりし、お求めやすくなっています。
    フルーレイなら、英語音声でわからない部分は、英語字幕で確認できます。
    それを繰り返すことで、字幕なしでも英語が聴き取れるようになっていきます。

    この映画は、2018年晩秋に公開され、口コミで評判が広がり、若いクイーン・ファンが増え、ちょっとした社会現象になりました。
    普通に洋楽が好きで、クイーンと同時代を生きたおじさん・おばさんにとっては、嬉しいけれど何だかちょっと話がズレたりもしました。
    「ウエンブリースタジアムのライブ?1986年の?」
    「違いますよ。1985年のライブエイド。世界最大規模のライブだったんでしょう?」
    「・・・でも、フレディ・マーキュリーのこのポーズは、86年のウエンブリースタジアムのライブCDのジャケットじゃないの?」
    「違います」
    「・・・そう?」

    何しろ昔のことなので、こちらの記憶違いもあるし、若い子の突然の熱量がよくわからないし。

    いや、そんな個人的戸惑いはどうでもいい。
    大切なのは、映画の中で語られる英語。
    英語学習に適した英語がたくさん話されています。

    まずは、ボーカルが脱退した直後の、ブライアンとロジャーの会話から。
    ブライアンのセリフ。

    There was room for improvement.
    改善の余地はあった。

    room は、「部屋」という意味だけを覚えるのではなく、このような漠然とした「空間」としての意味を理解すると、英語理解の幅が広がります。
    それは、現実の空間のこともあれば、上の文のように抽象的な空間のこともあります。
    空間は数えられないので、冠詞 a はつきません。
    動詞 improve とその名詞形 improvement は、長文問題によく出てくる基本単語なので、絶対に覚えたい。
    何かもう、冒頭から英語学習的にわくわくします。

    続いては、ちょっと離れた場所のライブに出演するために車で移動中、その車が故障かパンクかして道路で立ち往生している場面。
    ジョンが修理をしているところに、ブライアンが声をかけます。

    It's counterclockwise.
    反時計回りだよ。

    この単語は、長文に必出というわけではなく、使い道もそんなにないけれど、聴き取れると何だか嬉しい。
    この映画では明瞭に聴き取れます。

    さらに同じ場面での、ロジャーのセリフ。

    We sold out every pub and uni south of Glasgow and I'm stuck in the middle of nowhere, eating a ham sandwich.
    南グラスゴーのあらゆるパブと大学でチケットは完売なのに、自分は、どこでもない中にはまって、ハムサンドを食べている。

    英語というのは、本当に事実を直截に語る言語だなあとこんな文を見ると思います。
    直訳しましたが、後半は、「こんなところで足止めされて」などと訳したほうがニュアンスが伝わると思います。
    近年、和訳問題の出題される大学は減ってきています。
    国立大学の二次試験でも、傍線部を正確に訳す問題よりは、本文から読み取れることを100字程度の日本語にまとめる問題が見られるようになってきました。
    逐語訳にこだわるよりも、本当に内容を理解できているかが重要。
    和訳問題特有の「日本語に訳す際の作法」みたいなものを教える必要がなくなり、直訳で意味をダイレクトに把握できればそれでよくなってきました。
    意味不明な直訳はダメですが。
    うちの塾の授業では、和訳から逆に英文を復元する練習をします。
    その練習のためにも、生徒に和訳を渡すときには、直訳気味にすることが増えてきました。
    高校の定期テストでも和訳問題は激減していますので、直訳を生徒に渡しても、その直訳をそのまま答案に書いたら減点された、といったクレームの心配がなくなり、助かります。

    さて上の文ですが、「be stuck in ~にはまる」という重要表現が含まれているのも嬉しいですが、何よりも、これは分詞構文です。
    分詞構文は、従属節の接続詞と主語を省略し、それらを省略した証拠に、動詞をing形にしているもの。
    省略されている接続詞の種類によって、分詞構文の意味は5通りに分けられます。
    「時・理由・条件・譲歩・付帯状況」
    これはもう、お経のように丸暗記しておくと便利です。
    その中で、主節の後ろにつけられているものは、大抵、付帯状況です。
    そして、長文問題でも、分詞構文が使われている場合、多くは主節の後ろに置かれてあり、意味は付帯状況です。
    上のセリフもそうですね。
    どこでもない中にはまってしまっていることと、ハムサンドを食べていることは、同時動作。
    付帯状況とは、「同時動作・連続動作・1つの動作が他の動作の一部である場合」など。
    同時に起きている動作や状況を説明するときに分詞構文を使えばよいのです。
    ざっくり理解すればかえってわかりやすいのが分詞構文です。

    さて、映画では、自費レコーディングをしているところをレコード会社の人が見かけたことをきっかけに、クイーンのデビューが決まります。
    マネージャーが、4人に問いかけます。

    So tell me what makes Queen any different from all the other wannabe rock stars I meet?
    では、私が出会う他のロックスター志望者とクイーンは何が違うのか、教えてくれ。

    SVOOの文です。
    ただし命令文なので、Sである you は隠されていて存在しません。
    tell がV、me がO。
    そしてその後ろの間接疑問文がもう1つのOです。
    さらに、その間接疑問文の構造は、SVOC。
    疑問詞である what がS、makes がV、Queen がO、different がCです。
    「何がクイーンを他のロックスター志望者との違いを作っているのか」が直訳です。
    そして、その all the other wannabe rock stars をさらに関係代名詞節 I meet が修飾しています。
    複雑な構造の文のように感じますが、前からどんどん意味を取っていけば、ごく自然に内容を理解できます。

    ただし、和訳することに慣れていない子は、こういう文を訳すことができないことが多いのです。
    和訳がテストに出る学校でなくても、塾の授業で和訳はしてもらいます。
    それは、本当に英文の意味を取れているかどうかを確認するためです。
    日本語として自然であることは求めていません。
    前から順番に部分的に訳せば良いと言っています。
    しかし、それができない子もいます。
    「私に教えて・・・クイーンが・・・違いが・・・ロックが・・・私が会う・・・」
    それきり、沈黙してしまうのです。
    訳そうとして、ここはあとまわし、ここもあとまわし、あとまわし、あとまわし、としているうちに混乱し、黙り込んでしまう・・・。

    日本語と英語の構造的な違いを意識しているならまだよいのですが、英語本文と和訳の順番が違うことの理由がわかっていない子もいます。
    「訳すときは順番を変えるらしい」とだけ認識しているのです。
    その理由も、どう変えるのかも、理解していません。
    意味のわかる単語を拾って、何となく組み合わせれば訳したことになると漠然と夢見ているような子は、案外たくさんいます。
    どの子も、学年が上がると、どんどん英語不振に陥っていきます。
    英文の意味がわからないのです。
    自力で英文を読む手立てがありません。
    個々の単語の意味がすべてわかっても、それでも訳せない。
    そういう意味では、和訳問題は文法問題です。
    だから、和訳できる子は、単語力も文法力も兼ね備えています。
    英語力があります。
    そういう旧来の考え方も理解できるのです。
    英語を日本語に訳せる子は、英語がわかっています。
    それは間違いないことです。

    ただ、逐語訳へのこだわりが強く、それでいちいち減点されたり、直訳してよいか意訳すべきかといった入試テクニック的なところに集約されてしまうのが、和訳問題のつまらないところです。

    かなり場面は飛んで、映画は後半へ。
    フレディの取り巻きであるポールと、フレディとの最後の会話のシーン。
    ポールは、フレディを独占したい思いが強く、他のメンバーとフレディとの間に亀裂を走らせた人物です。
    長い間には、そういう人の1人や2人は現れるものだから、複数の人間を集約させたのだと思っていたら、実在する人物でした。
    他のメンバーを遠ざけ、フレディの永遠の恋人メアリーを遠ざけ、誠実なマネージャーを遠ざけ、フレディを独占しました。
    フレディを心配するメアリーが遠路ミュンヘンまで訪れ直言することで、そのことにようやく気づいたフレディとポールの会話。

    フレディ
    Why didn't you tell me about Live Aid ?
    なぜ、ライブエイドについて話さなかった?

    ポール
    It'll be an embarrassment.
    恥さらしだ。
    I didn't wanna waste your time.
    時間を無駄にしてほしくなかった。

    wanna は、英語の教科書には全く出てこないですが、want to の口語表現です。
    waste 「無駄にする」は覚えてほしい重要単語です。

    クイーンがライブエイドに出演することを「恥さらし」と言うポールに、フレディは既に暗澹たる思いですが、さらに言います。

    フレディ
    You should have told me.
    言うべきだった。

    これは、高校の英語表現「助動詞」の学習の中でも必出の文法事項です!
    助動詞+have+過去分詞です。
    過去の出来事についての現在の判断を述べる文です。
    You should tell me.ならば、「私に言うべきだ」という意味です。
    現在の事実について現在の判断をしているだけです。
    しかし、「過去に言うべきだったのに、あなたには言わなかったね」と言いたいとき。
    You should told me.
    では、間違いです。
    助動詞の後ろは、動詞は原形にしなければなりません。
    だから、助動詞の後ろを現在完了形にします。
    このことで、過去の出来事に対する現在の判断を示します。

    そのフレディの言葉に対するポールの返事も、文法的に熱い。

    ポール
    Of course I did.
    勿論話したよ。
    You forgot.
    忘れたんだね。
    You're always forgetting things.
    君は、いつも忘れてばかりいる。

    うわー、嘘をつき始めた。
    ポール、最悪。

    それはともかく、文法的に熱い箇所は、
    You're always forgetting things.
    です。
    「時制」がテスト範囲のときは、この文法事項はテスト必出です。
    現在進行形は、基本的には、現在の時点での動作を表します。
    しかし、他にも意味があります。
    まず、近い未来の予定。
    特に、出発や到着の意味の動詞で用いられることが多いです。
    さらに、上の文のような意味。
    always とともに用いられることが多いです。
    「いつも~してばかりいる」という意味です。
    話し手・書き手の何らかの感情が付加されていて、非難であることが一番多いです。

    さて、ポールとしては、自分の言葉がフレディを説得できていないと気づいたからか、今度は脅迫してきます。

    ポール
    After everything we're been through ?
    何もかも経験した後で?
    Just think of the photos I have.
    僕が持っている写真のことを考えろ。
    I know who you are , Freddie Mercury.
    僕は、君が何者であるか知っている、フレディ・マーキュリー。

    be through は「経験する」。
    think of ~は、「~について考える」。
    I know who you are.
    これも、間接疑問文。

    英語学習的に熱いですが、言っている内容は、最低だ、ポール。

    これに対するフレディの返事がとても良い。

    Do what you like with your photographs and your stories.
    写真でも文章でも、好きにしろ。
    But promise me one thing that I never see your face again.
    でも、1つ約束しろ。2度と顔を見せるな。

    関係代名詞が効いてる!
    関係代名詞 what は、中学では学習せず、高校で突然出てくるせいか、全く理解しないまま高校を卒業していく子もいます。
    中学英語でキャパオーバーとなったのだろうか・・・。
    高校の英文法は、質・量ともに多いですから、気持ちはわかるのですが、本人の中に、中学英語までが大切な英語で、高校英語は難しいから実際は使わないんじゃないかという誤解があるようにも感じます。
    ・・・めちゃめちゃ使いますよ。
    2つ目の文の that は、同格の that。
    「1つのこと」の内容を具体的に説明しています。

    その後、本当に暴露本を出してしまうポールには空いた口がふさがらないわけですが、そのポールがテレビ出演しているのをしっかり見ているフレディも、なかなか凄い。
    そして、ポールが自分を「パキスタン人の少年」と称したのを見て、本当に何1つ自分のことを理解していない相手だったと思い知ります。
    表情だけでそれが伝わる、良いシーンでした。
    映画冒頭、飛行場で働くフレディに「落としたぞ!パキスタン人!」と怒鳴る男にフレディが抗議する場面が、伏線として効いています。

    そのテレビ番組を見ながら、フレディはマネージャーに電話します。
    その電話を受けたときの、マネージャーの、
    Freddie, how are you ?
    は、ぜひとも原語で聴いてほしいところ。
    もうその一言だけで、マネージャーがどんなにフレディを好きか、どんなに尊重しているか、だだもれです。
    このマネージャー、最初はクイーンの法律関係のことを担当するために雇われた弁護士で、ロックなんか興味ない人のようでしたが、どんどんクイーンに魅了されていく様子が、映画の中で丁寧に描かれています。
    実際、クイーンにとって良い存在だったのだろうと思います。
    ただ、この映画のプロデューサーの1人だという事実を知ったときは、ちょっと笑ってしまいました。
    勿論、好意的な笑いです。
    いいぞ、頑張れ、ジム・ビーチ!

    とはいえ、相談なくソロアルバムの契約をし、メンバーを罵って去ったフレディに対し、他のメンバーが激怒していることもよく承知しているマネージャーです。
    クイーンとしての契約よりも、フレディ1人の契約のほうが高額という事実もメンバーとしてショックならば、フレディが、誰も必要ないと言い切ったのも、バンドとして絶望的な状況です。
    フレディが、バンドに戻りたいと言うのに対し、マネージャーは、

    Freddie, they don't want anything to do with you.
    フレディ、彼らは、君とは関わりたくないよ。

    と答えます。
    この to do with の使い方、覚えておくと得ですよー。
    長文でよく出てきますよー。
    have noting to do with ~で、「~とは関係ない」といった表現も多く出てきます。

    とはいえ、ここまでは、映画はゴキゲンに聴き取りやすかったのですが、フレディと他のメンバーが、マネージャーのオフィスで久しぶりに会った際の会話は、びっくりするくらい聴き取れなくて、え、と思いました。
    例によって、私は、「英語での悪口」の語彙が弱い。
    罵倒の言葉の意味があまりよくわかっていない。

    学校英語の弱点かもしれません。
    学校英語には、学校英語の課題があります。

    一方、今は、学校でよりも外部で英語を学んでいる子が多くなり、その方面での課題もあります。
    YouTube で英語を学んでいるという生徒がうちの塾にいます。
    学校のテスト対策として、週1回、うちの塾でも英語を学んでいますが、英語を学ぶ軸足はYouTubeにあるようです。
    そうなると、どうなるか?
    発音は、とても良いのです。
    文法問題の宿題の解答を読み上げるのもスムーズです。
    しかし、文法ミスが異様に多いのです。
    特に、前置詞と冠詞は、存在すら知らないのではないかと疑いたくなるほど、身についていません。

    本人の解答に前置詞と冠詞がないことを、私は解答の音読を聴いていて気づくのです。
    前置詞や冠詞は、発音する際にそんなに強調されるところではありません。
    音声としてはほぼ聴き取れないです。
    しかし、ネイティブは、前置詞や冠詞の存在を意識して発声しています。
    日本人の耳には聴き取れなくても、そこに、「本来その音が存在するための隙間」は存在します。
    その子の解答の音読にはそれがないのです。
    前置詞や冠詞がそもそも答案に書かれていないことは、解答の音読を聞けばわかります。
    私でもわかることに、ネイティブが気づかないはずがありません。
    本人は英語、特に音声英語が得意なつもりでいるのに・・・。
    このままでは、一生、カタコト英語の人です。

    前置詞や冠詞が全く存在しない英文でも、勿論、ネイティブの人は理解してくれるでしょう。
    それは、助詞がほぼ存在しない日本語を外国人が話しても、日本人がそれを理解するのと同じです。
    それでいいなら、それでいい。
    私が教えているのは、しかし、受験英語です。
    この先、例えば定期テストや英検のライティングで、あるいは、入試の英作文で。
    前置詞や冠詞の存在しない英文しか書けないとなると、どれほど減点されることになるか。
    本人は英語が得意なつもりでいるのに、英語が得意科目として通用しなくなる近い将来に向け、繰り返しその話はしているのですが、改善はなかなか難しいです。

    話が逸れました。
    私がほとんど聴き取れず、英語字幕を熟読することになったセリフは、以下のものです。
    フレディがメンバーに向けて語るセリフでした。

    I've been hideous.
    I know that and I deserve your fury.
    I've been conceited …selfish.
    Well, an asshole basically.

    うーん。
    selfish はわかるし、状況からみて、フレディが反省の弁を述べているのもわかるから、まあ映画を見ているうえでの不都合はないのですが。
    そして、文字としてみると、音として聞くよりは、わかります。
    I deserve your fury.
    deserve は、「~に値する・受けるに足りる」という意味の動詞。
    「おまえたちの激怒を受けるにたりる」という意味ですね。
    全体の訳は、
    「おれはずっと嫌な奴だった。おまえたちが激怒するのは当然だとわかっている。ずっと自惚れていて、利己的だった。基本的に、クソだ」

    ともかく、そんな反省の弁では全く心を動かさないメンバーたちに向け、フレディは言います。

    What's it gonna take for you all to forgive me ?
    どうすれば、許してくれるのか。

    これに対するブライアンのセリフは、心が一瞬で冷えるものでした。

    Is that what you want, Freddie ?
    それが望んでいることか、フレディ。
    I forgive you.
    おまえを許す。
    Is that it ?
    それでいいか。
    Can we go now ?
    もう帰っていいか。

    さすが知性派ブライアン。
    これほどの断絶はありません。
    メンバーが激怒した理由は、フレディの言動がクソだったからではない。
    そんなのは、ずっとそうでした。
    メンバーが心底怒った理由は何だったのか?

    フレディは、ここで頑張ります。
    ミュンヘンでソロアルバムを作った経験を語り始めます。

    I went to Munich.
    俺はミュンヘンに行った。
    I hired a bunch of guys.
    大勢の人間を雇った。
    I told them exactly what I wanted them to do.
    彼らに何をしてほしいかを正確に話した。
    And the problem was …they did it.
    問題は、・・・彼らがそれをやることだ。
    No pushback from Roger.
    ロジャーの反発がない。
    None of your rewrite.
    ブライアンの書き直しがない。
    None of his funny looks.
    ジョンのしかめ面がない。
    I need you.
    おまえらが必要だ。

    こんなに簡単な英語で、こんなに深いことが語れる。
    凄い。


    以前も書きましたが、英作文が苦手な生徒に、何を書きたいのか日本語で説明してみてというと、その日本語が難しいことが多いのです。
    その日本語の直訳である英単語を知らない。
    その日本語をどのような構造の文で語ればよいか、わからない。

    例えば、「ファストフードをよく利用することについてあなたは賛成か反対か」といった平易な課題でも、何も書けなくなってしまう子はいます。
    本人は、ファストフードの利用に反対の意見を述べたい。
    それは賛成でも反対でも構わないのです。
    問題は理由です。
    「栄養面の偏りが気になる」
    というのです。
    そして、それを英語にできずに困っているのでした。

    「・・・それは、『ファストフードは、野菜が少ない』と説明すれば十分なのでは?」
    そう助言しても、えー、そんなのでいいのかなあ、自分はそんなのではない英語で説明したいなあと暗い顔をしてしまうのです。
    「栄養」という単語すら知らないんだから、仕方ないのですが。
    その子の望む直訳の英語を教えてあげれば、顔を輝かせてそれをノートに書き取り、「良い授業を受けた」と喜ぶのかもしれませんが、自力で合格点のライティングを書けるようにはなりません。
    差し迫った英検の期日までに、今の語彙力で、合格点の英作文を書けるようにするには、言いたいことを平易な英語に言い換える発想の転換が必要となります。

    難しい単語を知っているから偉いんじゃない。
    易しい言葉で難しいことを語れるほうが凄いんですよ。
    そして、映画の脚本は、易しい単語で難しいことを語る宝庫です。

    映画はここから佳境に入りますが、今回はここまで。


      


  • Posted by セギ at 13:21Comments(0)英語

    2021年07月25日

    高校英語・名詞構文。動詞と名詞の組み合わせ。


    さて今回は、動詞+動詞の名詞形の形の表現です。

    例えば、
    Let me look at the photo.
    その写真を見せてください。

    というように、普通に動詞を用いればよいところで、

    Let me have a look at the photo.

    と表現することがあります。
    have a look は、普通の look と比べてニュアンスが少し違うとされていますが、全体として大差ない。
    これもまた、英語を学習中の高校生をうんざりさせてしまうところかもしれません。

    「look だけでいいじゃん。何でわざわざ have a look とかいうの?」
    「よそ様の言語に対して、そういう文句を言っても・・・。そのように言うんだから、仕方ないですよ」
    「これ、覚えるんでしょう?」
    「・・・できれば」
    「ほんと、迷惑」
    「・・・こういうのは、覚えられればでいいんです。言われたとき、読んだときに意味がわかれば大丈夫です。自分でも使いたいなと思ったら、覚えてください」

    have a look のように、本来の動詞を名詞化し、それを目的語とする動詞を前につけて、熟語とする表現があります。
    前につけられる動詞は、have , take , make , get など。
    それぞれ、どの動詞がどの名詞と結びつくかは決まっています。

    have a look  見る
    have a wait 待つ
    have a wash 洗う
    have a stretch 伸ばす
    have a chat おしゃべりをする
    have a talk 話す
    have a jog ジョギングをする
    have a drink 一杯やる
    have a walk 散歩する

    take a slide 滑る
    take a breath 呼吸する
    take a hold 握る

    make a bow おじぎをする
    make a wish 願う
    make a turn 曲がる
    make a visit 訪れる
    make a choice 選択する

    give a call 電話する
    give a cry 叫ぶ
    give a push 押す
    give a brush ブラシをかける
    give a kiss キスをする

    これですべてではありません。
    このうち、実は他の動詞でもいい場合も多いです。
    4つの基本動詞の使い分けがもっと明瞭ならばいいのですが、この4つの基本動詞の持つ意味は広く、互いに重なり合っています。


    しかし、こういう単なる暗記事項を問う「重箱の隅」のような問題は大学入試では激減しています。

    問題 次の( )に入れるのに最も適切な語を次から選べ。
    She (  ) a look at me then.
    1.had 2.took 3.made 4.gave

    そもそもこの問題は、別解が多すぎる。
    have a look でも、 take a look でも、 give a look でも、大丈夫です。
    そんな問題に意味はありません。

    「この動詞しか入らない」という熟語の問題だとしても、こんなことに正解できることが英語力ではない、という考え方が今は大学入試のスタンダードです。
    入試問題の大部分は長文問題で、文法問題の比率は年々低くなっています。
    標準的な難度の、しかしかなり長い英文を速読できること。
    複数の英文を比較しながら情報を読み取れること。
    内容を正確に理解すること。
    そして、ある程度まとまった内容を英語で記述できること。
    国立も私立も、そうした問題が主流となってきています。
    文法は、英文を読解するためのもの。
    自分の考えを、読み手に伝わる正しい英語で表現するためのものです。
    文法・語法問題の重箱の隅をつついて、それで受験生の学力を判断するなど、むしろ愚かなことです。
    重箱の隅が嫌いな私にとっては、いい世の中になったと感じます。

    高校の英語表現の定期テストが、今も、文法の四択問題が多いのは、学習した文法事項の定着を確認するには、その出題形式が便利だからです。
    減ってきたとはいえ、私大ではそうした出題形式がまだ確実に存在するのも大きな理由でしょう。
    基本的な文法事項がわかっていれば解ける問題が大半で、重箱の隅のような問題は、高校の定期テストではほとんど見かけません。
    それを「重箱の隅」と感じるのは判断基準の目が粗いからで、もう少しきめ細かく学習すれば、何を問われている何の問題なのかわかるようになります。


    とはいえ、なお、いまだに発音問題やアクセント問題を定期テストに出題する学校もあり、それには閉口します。
    リスニング問題があるのに、それは必要ないのでは?
    コミュニケーション英語の定期テスト問題に本文の和訳ばかり並んでいて、鬱陶しいテストだなあと思うこともあります。
    問題を作る先生が、大学入試の今の傾向を把握せず、アップデートしていないのか?
    今までの英語のテストの作り方を漫然と継承しているだけか?
    いや、これこそが英語力だという信念があるのか?

    問題形式をアップデートしてくれないかなあと思う一方、生徒の側に課題がないわけでもありません。
    普段から英語を聴いていれば、発音問題・アクセント問題で全問不正解ということはないはずです。
    日本人の耳には同じ音にしか聞こえない音の発音問題(オウかオーかといったレベル)で誤答するのはわかるけれど、まるで違う音や、ましてアクセント問題で間違ってしまうのは、いかに英語音声に触れていないかの証拠です。
    スペルを暗記すること中心で、patient を「パティエント」と覚えているような、古くさい高校生は今もいます。
    音声教材のある単語集で学習すると良いのになあと思います。

    また、和訳問題に関しては、英文の構造と単語の意味を把握できていれば、和訳しろと言われれば訳せるんです。
    文句を言いたい気持ちもわかるけれど、これはこれで英語力を測れるのも事実です。

    まあ仕方ない。
    縁があって入った高校です。
    頑張りましょう。
     
      


  • Posted by セギ at 15:19Comments(0)英語

    2021年07月17日

    高校英語。名詞構文。名詞構文とは何か。


    さて、今回は名詞構文です。
    こういう単元になると、
    「今、学校で何をやっているの?」
    と質問しても、
    「よくわからない」
    という答が返ってくることがあります。
    不定詞、分詞、関係代名詞などの学習なら、単元名をスパンと答えられる子でも、
    「今は名詞構文をやっています」
    とスパンと答えることができないのです。
    単元の名前を覚えていない。
    教科書も持ってきていない。
    何を学習しているのか、当人もよく理解していない。
    塾の授業としては八方ふさがりとなりかねません。

    非常に困ってしまうのではありますが、状況としては理解できます。
    名詞構文というものが、何なのか、わかりづらい。
    例文を見ても、何を学習しているのか、ピンとこない。
    ピンとこないので、単元名も覚えられない。
    そういうことのようです。

    名詞構文とは、
    「動詞または形容詞が名詞化されて文に組み込まれた構文」
    というのが定義です。


    まずは名詞構文ではない話から。
    英語というのは、わりと気楽に名詞を動詞化して使う言語です。
    S・V・Oといった文の成分の位置が確定している言語ですから、Vの位置におけば動詞っぽく見えるので、意味が伝わります。

    例えば、
    I will water the plants.
    私はその植物に水をやるつもりだ。

    water は通常「水」という名詞ですが、この位置に置けば、どう考えても動詞なので、これは「水をやる」という意味なのだなと理解できます。

    I will friend him.
    私は彼と(SNSで)友達になるつもりだ。

    friend は、ここでは「ネット上の友達になる」という意味。
    日本の学校英語・受験英語に慣れた身には違和感がありますが、この言い回しが定着してきているそうです。

    どんな名詞でもそのまま動詞として使っていいかというと、そうではありません。
    言語は生き物です。
    その使い方に何だか魅力があり、使う人が多くなると、それが正しい表現になります。
    1つの言い回しが流行し、定着していきます。

    日本語の場合は、熟語や外来語の名詞に「する」をつければ名詞化するという便利なルールがあります。
    「運転」は名詞。
    「運転する」は動詞。
    「ツイート」は名詞。
    「ツイートする」は動詞。
    英語のことをとやかくいえない。
    これもかなり安易なルールかもしれません。


    英語の話に戻ります。
    このように、名詞は、そのままの形で動詞になることがあります。
    では、その逆、動詞を名詞化したいときは、どうするのでしょうか。

    動詞を名詞化したいときは?

    ・・・別にそんなに難しいことではないのです。
    中学で学習しています。
    to 不定詞にする。
    動名詞にする。
    この2つのやり方で、簡単に動詞は名詞化されます。
    このやり方にはパワーがありますので、動詞を動詞の原形のまま主語の位置や目的語の位置に置くことで動詞を名詞化するということは、普通行われません。
    主語の位置に動詞の原形を置いたら、命令文だと思われかねません。
    動詞の原形は、どこに置いても動詞としての意味が強い。
    相手に自分の意図がうまく伝わりません。
    to 不定詞や動名詞にすれば簡単に伝わります。


    ところで、「名詞構文」というのは、そういう話でもないのです。
    実は、動詞や形容詞には、名詞形があるものが多いのです。
    それを用いているのが、今回学習する名詞構文です。

    例えば、まずは名詞構文ではない文から。

    I hope that you will recover quickly.
    あなたが早くよくなりますように。

    これはこれで、正しい英語ですが、これを名詞構文で表現することが可能です。
    名詞に変えるのは、従属節の動詞 recover です。
    recover の名詞形は、recovery。
    それを使うと、

    I hope for your quick recovery.

    となります。
    意味は上の文と同じです。
    これが、名詞構文です。

    元の文と比較とするとわかると思いますが、名詞構文は、動詞の名詞形さえ使えばよいというものではありません。
    もともとは従属節だった内容を名詞句に変えています。
    だから、名詞化された動詞には、もともとは主語だったものや修飾語だったものが、修飾語として付随しています。
    you will recover quickly は、your quick recovery に転換されます。

    えー?
    つまり、動詞の名詞形をいちいち覚えなければならないということ?
    面倒くさっ。
    動詞なんだから、to 不定詞や動名詞にすればいいのに。
    I hope for you to recover quickly.
    じゃダメなんですか?

    それはそれで、正しい英語だと思います。

    えー?
    じゃあ、それでいいじゃないですか。

    表現は何通りあってもいいんです。
    ネイティブがそれをやり、その表現が魅力的なら、広く使われるようになり定着します。
    ネイティブではない人が使った英語がチャーミングで、広がっていくこともあります。
    日本のスポーツ選手が、「緊張して口から心臓が飛び出しそう」と英語でインタビューに応え、その表現が面白くて広がった例があります。
    その表現が魅力的かどうか、ですね。
    あとは、文法的に間違っていても、それを使う人が多くなれば、それが正しい表現になります。
    言語は生き物です。

    例えば頻度の副詞、often , sometimes などや、それと同じ位置に置く already など。
    頻度の副詞は一般動詞の前、助動詞・be動詞の後ろ。
    日本の学校で、それをくどいほど正確に丁寧に学習し、それを含んだ乱文整序問題の3番目と6番目の語句を正しく選ぶ問題などを頑張って正解してきても。
    実際の英語では、ネイティブは、頻度の副詞も already も平気で文末に置きます。
    そんなものです。
    分詞による修飾は、単独の分詞ならば名詞の前に。分詞句ならば、名詞の後に。
    それを一所懸命学習してきたというのに、ネイティブは、全部後置修飾。
    ネイティブって、バカなの?
    正しい英語を使えないの?
    ・・・そんなものです。
    日本人も、そんなに正しい日本語を使っていませんし。
    言語はそれを母国語とする人たちによって変わっていくものなのだから、それでいいんだと思います。
    そうは言っても、わざわざ間違った英語を学ぶ必要はないので、まずは正しい英語を学ぶことにも意味はありますし。


    もう1つ名詞構文の例文を。
    まずは普通の文から。
    I noticed that he was absent from the meeting.
    私は、彼がそのミーティングに出ていないことに気づいた。

    これを名詞構文にすると、
    I noticed his absence from the meeting.
    となります。

    形容詞 absent の名詞形は、absence。
    このように、形容詞も名詞化し、主語や修飾語だったものをそれに付随させて、従属節を名詞句に置き換えることができます。
    これが名詞構文です。

      


  • Posted by セギ at 12:39Comments(0)英語

    2021年07月08日

    高校英語。話法。重文・複文の伝達。


    深大寺のソバの花です。
    さて、話法の転換も今回が最終回です。
    今回は、伝達内容が重文または複文の場合。
    そもそも、話法というのが複文であるのに、その中でさらに重文・複文を伝達する場合にどうするか?

    その前に、「重文」「複文」というのは何であるかから、確認しましょう。
    この用語は、国文法でも英文法でも共通の文法用語です。

    「重文」は、主語・述語のある意味のまとまり(英語でいえば節)が、対等な関係で並んでいる文です。
    接続詞 and , but などを使っている文が基本です。

    I did my homework and then I played video games.
    私は宿題をやり、それから、テレビゲームをした。

    前半と後半と、どちらかがメインということがなく、対等に並んでいます。
    こういうのが、重文です。

    それに対して、

    I think (that) you are doing your best.
    あなたは最善を尽くしていると私は思う。

    という文の場合、「あなたは最善を尽くしている」という内容は、主節の動詞 think の目的語です。
    think している内容が、主語・述語のある意味のまとまりになっているので、こういう構造になっています。

    これが複文の1種です。

    この that 節は、中学2年で学習しますが、ここら辺でつまずき始める中学生は多いです。
    そもそも本人の使う日本語が痩せているので、このように複雑な構造の文を日本語でも作ったことがないのが一因かもしれません。
    母国語で語れないものを英語で語ろうというのですから、難度は高めです。

    もう1つの原因は、英語に対する間違った思い込みでしょうか。
    小学校から学んでいる英語が「正しい英語」という感覚が本人の中にあるようなのです。
    まだ初級にも至らない、初歩英語しか知らないというのに「英語というのはこういうもの」という感覚が本人の中に育っています。
    当然、そういう英語は、主語は1つ、動詞も1つです。
    She is a pretty girl. とか、I like tennis very much. といったレベルの英語が正しい英語。
    英語はすべて、そういう語順。
    それ以外は正しくない英語。
    ・・・そんなバカな、と思うようなことが、子どもの頭の中では起こっているようなのです。
    そういう子にとっては、SVOCの文や、不定詞を用いた文などは、あり得ない語順の文なので、繰り返し繰り返し、本人は正しいと思っている間違った語順の英文を作り続けます。
    複文の英文を組み立てることも、できません。
    上の、
    I think (that) you are doing your best.
    という文の場合、
    I think doing your best.
    という英文を作ってしまいます。
    主語はもう言ったので、もう1度言うのはむしろ間違っているという感覚が優先されてしまうのだろうと想像されます。
    I think that is doing your best.
    という誤答もあります。
    主語を2つ入れることはぎりぎり許容したとしても、2つめの主語は that であると誤解してしまうようです。

    こういう間違いは、本人が自分の間違いを理解して訂正していけるようなら何でもないことです。
    しかし、英語学習では、自分の誤答が記憶に強く残り、それが頭の中に堆積されて「自分の中の英語の感覚」を補強していくという最悪の状態に陥ることがあります。
    文法に対して抵抗感が強く、繰り返し説得しても文法的に英語を把握することがなく、感覚で英文を作ろうとする子は多いです。
    そうした子にとっての「英語の語順はこんなふう」という感覚の大半は、本人の間違った英語の堆積で形成されてしまう場合があります。
    英語が得意になる可能性は、その先にはありません。


    最近、私はNHKラジオ講座「ラジオ英会話」を楽しく聞いているのですが、その番組の講師は、「音読100回」を推奨しています。

    音読100回?
    ・・・時間の無駄じゃないの?
    私が中学生・高校生なら、絶対にそんなことはしません。
    どんなに尊敬する先生に薦められても、私はやりません。
    私なら、日本語訳を見ながら英文を言ってみる練習と、さらに書いてみる練習をします。
    英文の構造をつかむには、それが最速最善だからです。
    使われている文法事項と重要表現、新出単語の把握を一度でできます。
    ベタに100回音読するだけの練習なんて、散漫です。
    もっと時間を節約し、ぎゅっと有効な学習を私はやりたい。
    発音練習という意味なら、自分の癖のついた音読を100回繰り返すよりも、正しい英語を聴きながらのシャドーイングのほうが効果的でしょう。
    それを100回やるのなら、まだわかります。
    単なる音読100回に、意味があるとは思えません。

    ただし、それは、私が文法が好きだからなのだと思います。
    文法的に英語を把握することで、英語は簡単に理解できます。
    あとは単語・熟語を覚えるだけで、どんなレベルの英文も読み取れるし、聴き取れます。
    最速の学習法はそれです。

    しかし、どんなに口をすっぱくして英文法の必要性を説いても、抵抗感が強くて、文法的把握をしない子もいます。
    文法的な説明に、わかったふりはしますが、それはそれとして、乱文整序問題も空所補充問題も英作文も、「自分の中の英語の感覚」で解いてしまうのです。
    当然のことながら、そうした子たちは、学年が上がるにつれて、英語が苦手になっていきます。
    本人の中の英語の感覚が、小学生のごく単純な英語と、本人が間違って解いた「誤答の堆積」なのですから、初歩の英語から脱皮できないのです。
    何度でも、同じ誤答を再生します。

    ・・・そうした子にとっては、「音読100回」は意味のある学習なのではないか?

    100回も読めば、本人の中の「英語の感覚」が少しは変わるかもしれません。
    誤答の記憶をかき消して、正しい英文の記憶が残るかもしれません。
    回り道なやり方で時間の無駄だと私は思うけれど、英語が身につかないよりはましです。

    ラジオ番組自体は、文法的な把握を前面に押し出している内容なのですが、それでは身につかない人が多いことも、講師の人は実感しているのかもしれません。
    文法を教わっても、それはそれとして、実際には自分の中の幼い英語感覚と誤答の堆積で英文を作ってしまう子たちは多い。
    音読100回は、そうした人たちにとっての、最後の希望です。

    いや。
    ・・・100回も音読しなくても、文法的に把握すれば、英語は、もっと楽に理解できるんですよー!
    常に、文法的に英語の構造を把握することで、英語はわかるようになるんです。
    日本に住む日本生まれの日本人が、「正しい英語の感覚」なんかもっているわけがないのです。
    そんなものは、何年経っても、生まれません。
    もし、日本語を学んでいる外国人が「自分の日本語感覚ではこうだ」などと言い出したら、どうかしていると思うでしょう?
    自分がそれをやってしまっているのです。


    話を戻します。
    that 節を含む文は、複文の1種です。
    メインである主節がまずあります。
    that 節は、主節の成分の一部をなす従属節です。

    あるいは間接疑問文が、主語・補語・目的語といった文の成分になっている場合も、全体は複文です。

    その他に、1つの文が、もう1つの文の修飾語になっている場合もあります。
    関係代名詞節などがその代表です。
    関係代名詞節は、what 節を除き、主節の主語・補語・目的語になることはありません。
    関係代名詞節は、基本的には、修飾語です。
    主節の中の語句(先行詞)を修飾します。
    だから、関係代名詞が使われている文も、複文です。

    また、when 節やif 節のように、主節の動詞や主節全体を修飾する副詞節になっているものもあります。
    これも、複文です。

    1つの節が、もう1つの節の成分になっているにしろ、修飾語になっているにしろ、主節というメインと、従属節というサブの違いが明瞭である。
    対等な関係ではない。
    こういう構造の文が複文です。

    それに対し、主語・動詞が1組しかない文が、単文です。


    今までの話法の転換は、伝達内容はすべて単文でした。
    重文を伝達する場合は、ではどうなるのでしょうか?
    まずは、直接話法から。

    The teacher said, " Time is up and you must stop writing."
    先生は言った。「時間です。書くのをやめなさい」

    伝達内容は、接続詞 and で対等に結ばれています。
    重文ですね。
    これを、間接話法にすると、

    The teacher said that time was up and that we must stop writing.

    何か単文のときとあまり変わらない・・・と思うかもしれませんが、これは、said の直後の that は省略可能だが、and の後ろの that は省略できないというルールがあります。
    そうしないと、どこまでが伝達内容なのかがわからず、異なる意味にとられることがあるのです。

    The teacher said that time was up and we must stop writing.
    のように、and の後ろの that が省略されていると、接続詞 and はその直前までと直後からを対等に結んでいるように見えます。
    そうすると、意味は、
    「先生が時間だと言ったので、私たちは書くのをやめなければならなかった」
    という意味に変わります。
    状況としては似たようなものですが、伝えたいことが変わってしまいます。
    and の後ろに that が入ると、接続詞 and は、that 節どうしを対等に結んでいるのだということが明瞭に伝わります。

    ちなみに、主節が過去時制なので、伝達内容も時制の一致で過去にすべきだから、must は had to にしたほうが良いのではないかという疑問を抱いた方もいらっしゃると思います。
    実は、助動詞 must は過去形も must なので、書き換えなくても大丈夫です。
    勿論、書き換えてもいいです。
    主節で用いる場合は、had to を使うほうが過去時制であることが伝わりやすいですが、今回は、時制は主節の動詞で伝わりますので、must で時制を判断する必要がありませんから、どちらでも大丈夫です。


    次に、複文を見ていきましょう。
    直接話法から。

    He said to me, " Do you know which is the cup you used ?"
    彼は私に言った。「君の使ったカップはどちらか、わかるかい」。

    伝達内容は、まず間接疑問文が動詞 know の目的語となっているという意味でも複文であり、しかも、その間接疑問文の中の cup を先行詞として、関係代名詞節 you used が続いています。
    ここでの関係代名詞 which は、目的格なので省略されています。
    これを間接話法にすると、

    He asked me if I knew which was the cup I had used.

    となります。
    伝達動詞を変えること。
    人称代名詞を変えること。
    時制を変えること。
    これまで学習した基本に忠実に転換していけば、大丈夫です。
      


  • Posted by セギ at 12:44Comments(0)英語

    2021年06月22日

    高校英語。感嘆文の確認と、話法での伝達。


    感嘆文の伝達。
    でも、その前に感嘆文の基本をおさえておく必要があるかもしれません。
    感嘆文とは、「何て~なのだろう!」と感動を表す文です。
    はるか昔は、中学の学習内容でした。
    「ゆとり教育」の時代に、中学の学習内容から外されました。
    ゆとり教育が終わって、中学の学習内容にさりげなく戻りましたが、文法事項として扱うのではなく、まるで慣用表現であるかのように、ただ決まり文句として覚えるだけでした。
    How cool!
    といったように、主語・動詞は省略した形でしか出てきません。
    それは、今回の新指導要領でも基本的にはそうなのですが、学校の先生の判断で、文法事項として正面から扱っている学校もあります。

    感嘆文の学習はその後どうなるのかというと。
    高校では、英語表現の「文の種類」という学習で、まるで既習事項であるかのように出てきます。
    肯定文・疑問文・否定文・命令文・感嘆文。
    そのように、文の種類を整理する単元です。

    ところが、高校生にとっては、「感嘆文」は、新しい学習内容です。
    そこで不幸な誤解が起こることがあります。
    「文の種類」という学習をしているのではなく、「感嘆文」の学習をしているのだ、という誤解です。
    そうなると、次の「時制」の学習は、12種類の時制の意味と用法を整理しているということが理解できず、新しく出てきた「過去完了」などを学習しているのだ、と誤解します。
    学習のピントがここでズレてしまうのです。
    一緒に出てくる他の時制は復習をしているだけなのだと思ってしまいます。
    そうなると、テスト勉強は「感嘆文」と「過去完了」の学習が中心となります。
    しかし、テストは、そういう目的で作られているものではありません。
    感嘆文や過去完了の問題など、ほんの数問しか出ません。
    出題意図のよくわからない問題が大量に並んでいて、中学の復習なのかなあと思いながら何となく解いて不正解ばかり、となってしまうことがあります。

    どういう文法事項を学習しているのか、もっと明確にすれば、こうした誤解は避けられると思うのです。
    しかし、今は何しろ「過度に文法を重視した学習」は避けろと言われている時代。
    指示があいまいなので、生徒の誤解は増すばかりです。

    まずは、全体を俯瞰で見ているのです。
    文にはどんな種類があるか。
    文型にはどのようなものがあるか。
    時制にはどのようなものがあるか。

    決して、「感嘆文」の学習をしているのでも、「過去完了」の学習をしているのでもないのです。

    とはいえ、感嘆文は初めて学習する内容なので、基本の形はおさえておきたいのも事実です。
    ということで、まずは感嘆文の学習から。

    感嘆文は、how で始まるものと what で始まるものがあります。

    How boring it is !
    それは何て退屈なんだろう。
    How beautifully she sings !
    彼女は何てきれいに歌うのだろう。

    「How+形容詞または副詞+主語+動詞!」が基本構造です。

    What a beautiful flower this is !
    これは、何てきれいな花なのだろう。
    What an interesting book you have !
    あなたは何て面白い本を持っているのだろう。

    「What+形容詞+名詞+主語+動詞!」が基本構造です。

    ここで、「a , an があるときはwhat」という、本質から外れた覚え方をする人がいます。
    そういう人は、

    (  ) beautiful flowers these are !
    といった空所補充問題で、
    「a がないから、how だ」
    と間違った判断をして、誤答してしまいます。
    この分は、複数形だから a がない。
    冠詞 a , an の有無は、本質ではないのです。

    どういうことでしょうか?

    冠詞はどこに使うのでしょう?
    冠詞は、名詞の前におくものです。
    つまり、重要なのは、冠詞の有無ではなく、その後ろにある名詞の有無です。
    what で始まる感嘆文は、感嘆内容が名詞で終わっているのです。
    一方、how で始まる感嘆文は、感嘆内容が、形容詞または副詞で終わっています。
    感嘆内容とは、感嘆している意味のまとまり、すなわち、主語の始まる直前までのところのことです。

    名詞の有無。
    英語の品詞を覚えなければならない理由は随所にあります。
    こういうところでも、結局、必要なのは文の構造と品詞の知識なのです。


    基本を理解すればよい人は、ここまで。
    ここからは重箱の隅の知識です。
    実は、感嘆内容に名詞があっても、how を用いることができます。
    しかし、語順が少し異なります。

    What a beautiful flower this is !
    これを、 how を用いて、
    How beautiful a flower this is !
    とするなら、それは正しい英文です。
    マイナーで発展的な知識なので、教えない学校が多いです。
    中高一貫校向けの、検定ではない英語教科書に小さい字で掲載されていたりします。
    こんなことまで覚えると混乱しますので、学校で学習したのでなければ覚えなくていいです。


    と、感嘆文の学習はここまで。
    ここからは、感嘆内容を伝達する話法の転換について確認しましょう。

    I said, " What a clever idea !"
    私は言った、「何て名案なんだ!」

    感嘆文はしばしば後ろの主語・動詞を省略します。
    日常会話では省略されることが多いです。
    これを間接話法に変えるならば、例えば、

    I exclaimed that it was a very clever idea.
    となります。
    I said what a clever idea it was.
    などもありえます。

    動詞は、say のままでもいいですし、文意から判断して、exclaim(叫ぶ)、cry(叫ぶ)、shout(叫ぶ)、complain(不満を言う)などに変えることも可能です。
    伝達内容は、感嘆文のままでもよいですし、平叙文に戻すことも可能です。
    ただし、間接話法では、主語・動詞は復元します。

    感嘆文というのは、そのセリフを言っている人が、どのような気持ちでその発言をしたのかによって、書き換え方も多様です。
    状況をよく判断して、それにふさわしい書き換えが必要となります。


    ところで、exclaim の名詞形が、exclamation。
    exclamation mark とは、感嘆文でおなじみの感嘆符(!)のことです。
    ちなみに、「感嘆符」が日本語での正式名称。
    「ビックリマーク」は俗称です。

    ! という記号は数学でも用います。
    6!のように使います。
    6!=6・5・4・3・2・1のこと。
    「6の階乗」と読みます。

    これを、「6ビックリ」と読んでいる子がいました。
    「うん。6の階乗ね」と私はその都度訂正していたのですが、いつもスルー。
    「階乗」という言葉を使うのが面倒くさくてそのように言っているだけなのだと思っていたら、テストで「整数の階乗を用いて表せ」という問題文の指示が理解できず解けなかったという悲しい出来事がありました。
    三角関数の弧度法の「ラジアンで表せ」という言葉の意味がわからなくて答えられなかった子とともに、印象深いです。
    正しい用語を知っておくことは、大切なことです。

    数学用語も、英語の文法用語も。
      


  • Posted by セギ at 19:07Comments(0)英語

    2021年05月24日

    高校英語。話法。提案・勧誘の伝達。


    話法の転換。今回は、勧誘・提案の伝達です。
    まずは、直接話法から。

    My father said to me, "You should read many books."
    父は私に、「多くの本を読むべきだ」と言った。

    これを、
    My father told me to read many books.
    と言い換えられないことはないと思いますが、ちょっと tell という動詞の意味が強いように思います。
    助動詞 should は、便宜上「べきだ」と訳していますが、命令的な意味ではなく、「そうしたほうがいいよ」程度の意味です。
    だとするならば伝達動詞は tell よりも、提案や忠告を意味する動詞を使ったほうがより良いでしょう。

    My father advised me to read many books.
    父は私に多くの本を読むよう助言した。

    このくらいでちょうどいいと思います。

    さて、次は、

    She said to me, "Let's discuss it later."
    彼女は私に「それは後で議論しよう」と言った。

    これはどうでしょうか。
    文の意味から考えて、これは「助言」というのとは違います。
    これは、「提案」ですね。
    提案するという動詞を使ったほうがいいでしょう。

    She proposed to me that we should discuss it later.

    もう1つ「提案する」という意味のSで始まる動詞がありますが、どういうわけが、このブログでは、その動詞を書くことができません。
    その動詞を書くと、反映されなくなります。
    そんなに不穏な意味の動詞ではないと思うのだけれど。

    ところで、要求・命令・提案の動詞の後の that 節は、助動詞 should を用いるのでした。
    省略してもいいけれど、動詞は原形のままにするのでした。
    仮定法現在で学習した内容です。


    ああ、ますます混乱してきた。
    だから、英文法なんて嫌い・・・。
    そんな声が聞こえてきそうです。


    でも、英文法って、そんなに悪いものではないんですよ。
    英文法の知識があれば、それがむしろ地図やナビの働きをして、英語学習がやりやすくなることも多いのです。

    繰り返しここにも書いてきましたが、「過度に文法を強調した英語学習」は避けるようにと文科省から言われている時代です。
    そういう方針なので、高校の英語表現の検定教科書は、何の文法事項を学習しているのかよくわからない・・・というものが多くなりました。
    教科書の見開き1ページごとに学習内容が異なり、タイトルも何だかふわっとしていて、何を学習しているのか、よくわからない・・・。

    使いにくいので、英語表現の授業中に検定教科書を使用しない高校の先生は多いです。
    プリント演習が中心だったり。
    検定教科書ではない文法テキストを、授業でのメインテキストとしたり。

    しかし、プリント中心の授業を受けている高校生は、テスト範囲を私に正確に伝達できないことがあります。
    「テスト範囲は?」
    「Lesson1から3」
    「・・・それは、どういう単元?」
    「・・・」
    「文の種類?平叙文とか疑問文とか否定文とか感嘆文とか」
    「・・・」
    「5文型?SとかVとか」
    「・・・」
    「時制?現在形とか過去形とか現在完了とか」
    「・・・」
    「・・・今、学校のプリントを持っている?」
    「・・・ない」
    「・・・」

    これは、その高校生が悪いとは限らないのです。
    文法事項を変にぼかすから、学習内容が生徒に伝わっていないのです。
    何を学習しているのかわからないまま、漠然と問題を解いて、正解だったり不正解だったりという学習をしてしまうのです。

    過度に文法を重視した学習は、確かにやめたほうがいい。
    重箱の隅をつつくような大学入試問題なんて、なくなったほうがいい。
    けれど、普通の文法は普通に単元名を強調して学習しないと、生徒が何を学んでいるのかわかっていないということが起こります。

    何を学習しているのかわからない、とならないように、塾では、テキストごとに「文型」などと表紙に学習内容をでかでかと書いています。
    今は5文型の学習をしていますよ、文の要素と文型について学んでいるんですよ、と毎回念を押しています。
    あえて文法用語を使うことで、学校で名称を伏せて学習している内容が端的に何であるのか、生徒が判断できるようにしています。
    そうしないと、特に高校英文法の最初は、中学の復習をしているだけのように感じる子が多いのです。

    復習をしているわけではない。
    今まで学習した内容を使って、文の種類や文型という観点から整理しているのだとわかれば、学習姿勢が違ってきます。
    そういう学習をしているのだとわかれば、問題を解くときの観点が変わります。
    何を学習しているのかわからないまま、何となく問題を解いていて、英語力が上がるとは思えない。
    文法事項を明確にしたほうが、生徒の理解は深まります。

    ある意味不器用なタイプの秀才が、そうしたことが原因で高校入学後、成績不振に陥ったことがありました。
    高校で学習している内容は、すべて構文か語法・句法の類で、丸暗記するしかないと思ってしまったようなのです。
    その高校も、私がテキストやプリントを見ると、ごく普通に「文の種類」「5文型」「時制」と普通の順番で学習を進めているだけだったのですが、そのことが本人には伝わっていませんでした。

    塾では、何の文法事項を学習をしているか強調し、各単元ごとの冊子テキストを、1回の授業で1冊ずつ仕上げていきました。
    それだけのことで、成績は回復しました。
    普通の文法学習は重要です。


    何を学習しているのかを伏せがちで、学習のポイントがあやふやになっているわりに、今の高校英語のテスト問題は総じて難しいです。
    これも大きな課題です。
    何冊も配られているテキストや問題集のどこかに載っているのだろうけれど、どこに載っていたの?というような、多岐に渡る出題。
    検定教科書からの出題なのか、文法テキストからの出題なのか、ワークブックからか、薄い文法冊子からか、それとも、単語集や熟語集からの出題なのか、勉強不足の子には、判断がつきません。
    さらに、初見の問題がテスト問題の半分以上である場合も多くなりました。
    何より、問題数が多く、配点は1問1点の問題が大半というテストもあります。

    出題形式も複雑です。
    例えば、乱文整序問題で、5番目と9番目の単語の記号を答える形式。
    5番目と9番目?
    どんなに長い文を乱文整序させているか、それだけでわかると思います。

    その他、日本語を英語に直す問題も多いです。
    それも、重文・複文だらけです。

    さらに50語程度の課題英作文が2題もあることも。
    それだけの労力を要する課題英作文で、配点は3点だったりします。
    全体の問題数が多いため、それ以上の配点ができないのでしょう。


    生徒から、定期テスト問題を見せてもらう度に、ここまで大量の問題を50分で解かせることにどういう意味があるのだろう、と思います。
    「・・・これ、平均点は?」
    「43点」
    「・・・でしょうねえ」

    平均点が40点台にしかならない。
    最後まで解き切るだけでも大変な問題数です。
    スピード重視の知能テスト的問題。
    英語は、とにかく、フルスピードで解くことが重要。
    そういうことでしょうか。

    「過度に文法重視」もダメだろうけれど、「過度にスピード重視」の現代の傾向も、疑問です。

    学校の先生たちは、何に追われてこのようなテスト問題を作っているのでしょう。
    この出題形式ならば、確かに、能力の差が拡大されて表れます。
    直前のテスト勉強だけで乗り切ろうとする生徒を振り切り、真に英語力のある生徒だけに高い成績を取らせたいということなのでしょうか。

    いや、しかし、それは英語力ではなく、情報処理能力です。
    普段、自分のペースでゆっくり問題を解いている生徒にとっては、かなり厳しい。
    英語の理解は進んでいても、情報処理能力で負けてしまうのです。

    共通テストのボリュームに対する配慮から、そのようにテストの問題数を多くしている、ということはあるのかもしれません。
    共通テストは、80分で10個ほどの長文を読まねばなりません。
    普通に英語力を高めていけば、特別な裏技など使わなくても時間内に読める量ではありますが、センター試験の頃より多いのは事実。
    英語に対する情報処理能力を鍛えておくに越したことはありません。

    要求されていることを実現させていかなければ。
    情報処理能力が問われているのなら、そのように。

    頑張るしかありませんね。
    何の文法事項を問われているのかをパッと判断して、サクサク解く。
    文法の理解は、問題を解くスピードを上げるためにも役立つのです。

      


  • Posted by セギ at 18:52Comments(0)英語

    2021年05月11日

    高校英語。話法。依頼の伝達。


    話法。
    今回は、依頼の伝達です。
    直接話法はこんな文です。

    His secretary said to me, "Please call back."
    彼の秘書は「電話をかけ直してください」と私に言った。

    伝達内容に please がついているとき。
    あるいは、

    His secretary said to me, "Will you call back?"

    のように、依頼の意味の助動詞 will を用いた疑問文になっているとき。

    これを前回のように tell を使って、
    His secretary told me to call back.
    とすると、彼の秘書が私に命令した意味になってしまいます。
    tell という動詞を使うから、命令の意味が強く出る。
    これは、伝達動詞を変える必要があります。
    彼の秘書は、私に命令したのではなく、頼んだのです。
    使う動詞は、「頼む」という意味の ask または beg です。

    His secretary asked me to call back.
    彼の秘書は、私に電話をかけ直してくれるように頼んだ。

    これも、中学で学習した英語ですね。

    主語+tell+人+to 不定詞。
    主語は、人に、~するように言う。

    主語+ask+人+to 不定詞。
    主語は、人に、~するよう頼む。

    主語+want+人+to 不定詞。
    主語は、人に、~してもらいたい。


    上の不定詞を用いた3通りの文の中では、特に ask を用いた文の定着が悪いのです。
    「『頼む』は、英語で何というの?」
    と問いかけて、ask という返答が返ってくる子は、かなり英語力のある子です。
    ask という動詞を知らないわけではない。
    でも、それは、「質問する」という意味だけで記憶しているのです。
    英単語の意味を1つしか覚えないのも、英語が苦手な子に多い傾向です。

    よく言われることですが、英単語は、日本語との1対1対応ではなく、根幹のイメージで把握したほうが理解を深めることができます。
    「尋ねる」も「頼む」も、相手に何かを求めている点では同じです。
    問いかけに対する答を相手に求めているのが「尋ねる」。
    何か動作をしてくれることを相手に求めているのなら「頼む」。
    何か物ごとを相手に求めているのなら、ask for 「要求する」。
    根本は同じです。

    しかし、そういう「イメージ」の話を聞いても、ちっとも1つのイメージに統一されない、その感覚がよくわからない、という子がいるのも事実です。
    感覚的なことは、他人に押し付けても、上手くいかないことがあります。
    イメージの押し付けは、上手くハマれば儲けもの、です。
    ask の意味の「尋ねる」と「頼む」を統一イメージで把握できるのならそれもよし。
    ダメなら、2つの意味として覚えたらいいと思います。

    英文の意味を何となく理解するだけなら、1つのぼんやりとしたイメージで単語の意味を把握しているだけでも、英文の意味はほぼ読み取れます。
    しかし、日本語を英語にする場合は、「頼む」という日本語と ask が同時に頭に浮かぶようでなければ、英文を作ることができません。
    ぼんやりとした語感を把握しているだけでは、自分で使うことはできないのです。
    ネイティブではないので、ask という単語を ask のまま把握して使用するというのは、いつか到達したい高いレベルの理想です。
    何百回と使って初めてそのような回路が脳内に生まれるものなので、日本に住む日本育ちの日本人は、「頼む」→ask という変換を瞬時に行うことで対応するほうが普通でしょう。

    英作文の問題は、日本文が最初にあり、「次の日本語を英語に直しなさい」という形式のもの。
    日本語ありき、なのです。
    日本語を英語に直すのです。

    ところが、その「日本語ありき」の英語学習ではダメなのでは、という風潮もあり、英作文問題もちょっと形式が変わってきています。
    例えば、このような問題です。

    問題 次の場合、あなたは英語でどのように言いますか。
    (1) 図書館で何をしているのかを相手にたずねるとき。

    これを、
    When you ask
    と書いて、その先、どうしたらいいのかわからず困っていた子がいました。

    「・・・なぜ when で始めたの?」
    「とき、と書いてあるから」
    「・・・」

    「とき」を見たら when だという判断をする子にとっては、この形式の英作文問題はハードルが高いのです。
    「あなたは図書館で何をしているのですか」
    という日本語を単純に英語に直すよりも、問題文を分析する能力が問われます。
    そして、それは、「日本語ありき」の英語学習の回避というよりも、より日本語の読解力を問われるようになっただけのように思うのです。


    こうしたことを回避するには、日本語によって説明された内容を英文にするのではなく、もっと大きなテーマを与えた課題英作文のほうが良い。
    そのように考えてのことでしょう、入試は、今は、課題英作文が主流です。
    テーマと、文の数あるいは単語数を指定されて、自分で英文を書きます。
    こうなると、日本語力というよりも、論理的に文章を書いていく力そのものが問われるようになり、さらにハードルが上がります。

    例えば、「弁当と給食と、あなたはどちらか良いと思うか」というテーマで3つの文を書きなさいという課題を生徒に解いてもらったときのこと。

    I like boxed lunch better than school lunch.
    This is because I can bring my favorite foods.

    中学生でこれくらい書ければ、上出来です。
    しかし、その子は、その2文で終わってしまい、3文目が書けずに困っていました。
    都立型英作文で3文目が書けない子は多いです。

    「うーん。あと1文。もう1つ理由を書くか、この理由1つで押すか。もう1つ何か理由はある?」
    そう助言しましたが、その子は、首を横に振りました。
    「うん。では、この理由に関しての具体例を書きましょう。好きな食べ物は何なの?それを具体的に書きましょう」

    その子は、うなずき、時間をかけて書きあげた3文目は。

    I like to eat boxed lunch under cherry trees.

    ・・・はい?

    「私は、給食よりも、弁当が好きです。
    好きな食べ物を持ってくることができるからです。
    私は、桜の木の下で弁当を食べるのが好きです」

    ・・・え?

    なぜ、桜の木の下で弁当を食べることに話が飛んだのだろう。
    「好きな食べ物」の話だったのに、なぜ「どこで食べるか」に話が変わったのだろう。
    そのほうが格好いいと思ったのでしょうか。
    「ゆで玉子とハンバーグが好きです」と書くのは幼稚なので、「桜の木の下で食べる」のほうが、それより大人っぽいという判断だったのでしょうか。

    いやいやいや。
    それでは話が変わってしまうのです。
    そこは、どんなに子どもっぽくても、「私はハンバーグが好きです」とか、「お弁当にハンバーグが入っていると、とてもうれしいです」と書くべきところなんです。
    それが、論理的な構成です。

    「桜の木の下で食べるのが好き」と変えると、弁当と給食とどちらか良いと思うかという話とは論点がズレるのです。
    だって、給食を桜の木の下で食べることも可能じゃないですか。

    給食だと持ち運びがしにくい?
    ・・・それならば、それは弁当のほうが良いと思う別の理由でしょう。
    だとしたら、弁当のほうが好きな理由は、「持ち運びに便利だから」で、そこから「自分は桜の木の下で弁当を食べるのが好きだ」につなければよいのです。
    それが、論理です。

    英語を教えるのではなく、論理を教えなくてはならない。
    それは、日本語でも論理的に物事を語れない子に、英語で論理的に物事を語れと要求することであり、ハードルの高さは棒高跳びレベルとなります。
    論理よりも情緒や感覚を優先する子は多く、上の英作文の何がどう悪いのか、説明を聞いても理解できない、ということもあります。
    何だか一見いい作文のような気がするのでしょう。
    採点する先生が、スルッと読み流してくれたら、あるいは良い点が取れるかもしれません。
    しかし、英語の先生の多くは、見逃してくれないでしょう。
    3文目の違和感に採点の手が止まり、なぜこの3文目に違和感があるかを考えると思うのです。


    と、なぜかどんどん話がズレていくので、今回はこの辺で。
    このブログのほうが、むしろ論理的構成になっていないじゃないかという話ですね。

    ともあれ、ask には「頼む」という意味がある。
    このブログで、そのことだけでも覚えていただければ幸いです。

      


  • Posted by セギ at 14:24Comments(2)英語

    2021年05月02日

    高校英語。話法。命令文の伝達。


    話法。今回は、命令文の伝達です。
    まずは、直接話法から。

    My mother says to me, " Do your best."
    私の母は私に「最善を尽くしなさい」と言います。

    これを、間接話法に変えるには?

    日本語にすると、
    「私の母は私に最善を尽くすように言う」
    となります。

    あれ?
    これは、中学で学習した英語ですね。

    My mother tells me to do my best.

    中3で学習した、不定詞を用いた文です。
    「主語+tell+人+to 不定詞」で、「主語は、人に、~するように言う」という意味の文になるのでした。

    2つの話法を並べて比較してみましょう。
    My mother says to me, " Do your best."
    =My mother tells me to do my best.

    主語は勿論同じ。
    動詞は、say から tell に変える。
    伝達内容は不定詞にする。
    これで書き換えOKです。

    中3で学習した内容だから大丈夫なはずなのですが、to 不定詞を使うことを発想できない人が多いところです。
    伝達内容によって、書き換えパターンが変わるので、覚えきれない・・・。
    そのような悩みや不満をよく聞きます。

    覚えきれない・・・。

    それは事実の場合もあるかもしれません。
    記憶力が甚だしく悪い人というのが存在しないとは言いません。
    ただ、多くの場合は、気持ちの問題のほうが大きいように思います。
    やろうと思えばできるのです。
    ただ、そんなことはやりたくない。
    努力はしたくない。
    覚えることは少なくしてほしい。
    こんなに色々あったら、覚えきれない・・・。

    「話法」は、慣用表現がないので覚えることが少なく、機械的にサクサク変換すれば済むだけの話なので、秀才にはおおむね好評な単元です。
    秀才は、この程度の暗記量なら何でもないと思っています。
    それは、単に記憶力の差もあるかもしれません。
    物事を整理して覚えて活用するのが、上手い。
    それは事実でしょう。
    しかし、それだけではないと思うのです。
    秀才は、暗記すべきことを暗記した場合に、どんな良いことがあるか、実感として知っているのです。
    これさえ覚えてしまえば、宿題もサクサク解けるし、テスト問題もサクサク解ける。
    良い成績が取れる。
    報酬がよくわかっている。
    だから、多少の努力は苦にならない。
    努力だとすら思っていない。
    そういうことのように思います。

    同時に、与えられた情報を分析し記憶する能力が発達している。
    ルールを把握する能力に長けている。
    それをどう生かすか、その能力を体得している。
    そうした学習の本質が理解できている。
    つまり、学習能力が発達しているのです。

    勉強が上手いか下手かというのは、ほんのちょっとした差です。


      


  • Posted by セギ at 14:06Comments(0)英語