たまりば

地域と私・始めの一歩塾 地域と私・始めの一歩塾三鷹市 三鷹市

お知らせ

2024年01月01日

冬休みなので難問を。正四面体を2色で塗る問題。


明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、冬休みなので、恒例のちょっとした難問を。

問題1 正四面体の各面を2色の絵の具で塗る方法は何通りあるか。ただし、正四面体を回転させて一致する塗り方は同じとみなす。また、使わない色があってもよく、隣り合う面が同じ色であってもよいものとする。

さて、自分で考えたい人は、ここでいったん閉じて、考えてみてください。

この問題。簡単そうに見えて、意外に難しいのです。

うーん?
4つの面に1から4の番号を振って、考えればいいのかな?
1つの面の塗り方は、2通り。
4つの面では、塗り方は、2×2×2×2=16(通り)?
でも、これでは、回転すると同じになる塗り方のことを考えていない・・・。
では、回転すると同じになるのは何通りあるのか、考えればいいのかな?
どの面を底面でとらえるかで、4通り?
じゃあ、4で割って、答は、4通り?
いや、円順列的なことも考えないとダメかな?
じゃあ、4で割って、さらに底面以外の3面を円順列で考えると、2!だから、
結局、8で割って、2通り?
え?
塗り方が、2通りしかないなんてことある?
具体的に考えたって、全部同じ色で塗る塗り方だけで、もう2通りなんだけど・・?
じゃあ、底面も含めての円順列で考えて、16通りを、3!で割る?
16÷(3×2×1)
え?
答が自然数にならないんですけど・・・?

この考え方の何がいけないのか?
どのように色を塗っているのかによって、回転すると同じになる塗り方は違ってくるのです。
だから、全部ひっくるめて、4×2!で割るとか、まして、3!で割るとかでは、正しい答は出ないのです。


さて、ここからは解決編。
面を基準に考えていたのでは、上のようにわからなくなります。
これは、色の塗り方を基準に場合分けすると、比較的簡単に解けます。
もっと簡単な解き方もあるかもしれませんが、わかりやすく場合分けする方法で解説します。

(1) 4つの面をすべて同じ色で塗る場合。
塗る色の選び方は2通り。

(2) 4つの面のうち、3つの面を同じ色で塗り、残る1面を別の色で塗る場合。
3面を塗る色の選び方は2通り。
残る1面の塗り方は、残る色に自動的に決定。
よって、2通り。

(3)4つの面のうち、2つの面を同じ色で塗り、残る2面を別の色で塗る場合。
これは、1通りしかありません。
2面対2面で対等だからです。
それはどの面を底面にして回転しても、同じ塗り方になります。

(4)4つの面のうち、1つの面を1色で塗り、残る3面を別の色で塗る場合。
これは、(2)と同じ塗り方なので、数える必要はありません。

よって、(1)~(4)より、
2+2+1=5
答は、5通り です。


さて、少し応用をやってみましょう。

問題2 正四面体の各面を3色の絵の具で塗る方法は何通りあるか。ただし、正四面体を回転させて一致する塗り方は同じとみなす。また、使わない色があってもよく、隣り合う面が同じ色であってもよいものとする。

さて、上の考え方ならば、もう簡単でしょうか。
以下は、解答です。

(1) 4つの面をすべて同じ色で塗る場合。
塗る色の選び方は、色の数だけありますから、
3通り。

(2) 4つの面のうち、3つの面を同じ色で塗り、残る1面を別の色で塗る場合。
3面を塗る色の選び方は3通り。
そのそれぞれに対し、残る1面の塗り方は、残る色の2通り。
よって、3×2=6 で
6通り。

(3)4つの面のうち、2つの面を同じ色で塗り、残る2面を別の色で塗る場合。
2面対2面で対等。
それはどの面を底面にしても、同じ塗り方になるのは、問題1と同じです。
あとは、2色の選び方です。
3色から2色を選ぶので、組み合わせの公式で考えて、
(3×2)÷(2×1)=3 で、
3通り。

(4)4つの面のうち、2つの面を同じ色で塗り、1つの面を別の1色、残る1つの面をさらに別の1色で塗る場合。
2面を塗る色の選び方は3通り。
そのそれぞれで、残る1面ずつの色の選び方は1通りに決まります。
これは、その2色の順番を考える必要はありません。
回転させれば同じ色の塗り方だからです。
よって、3通り。

この他に色の塗り方はありません。

よって、(1)~(4)より、
3+6+3+3=15
答は、15通り です。

さらに応用。

問題3 正四面体の各面を4色の絵の具で塗る方法は何通りあるか。ただし、正四面体を回転させて一致する塗り方は同じとみなす。また、使わない色があってもよく、隣り合う面が同じ色であってもよいものとする。

もう簡単だと思いますよね?
しかし、これは、落とし穴が待っています。
気をつけて。

以下が解答です。

(1) 4つの面をすべて同じ色で塗る場合。
塗る色の選び方は、色の数だけありますから、
4通り。

(2) 4つの面のうち、3つの面を同じ色で塗り、残る1面を別の色で塗る場合。
3面を塗る色の選び方は4通り。
そのそれぞれで、残る1面の塗り方は、残る色の3通り。
よって、4×3=12 で
12通り。

(3)4つの面のうち、2つの面を同じ色で塗り、残る2面を別の色で塗る場合。
2面対2面で対等。
それはどの面を底面にしても、同じ塗り方になるのは、問題1と同じです。
あとは、2色の選び方。
4色から2色を選ぶので、組み合わせの公式で考えて、
(4×3)÷(2×1)=6 で、
6通り。

(4)4つの面のうち、2つの面を同じ色で塗り、1つの面を別の1色、残る1つの面をさらに別の1色で塗る場合。
2面を塗る色の選び方は4通り。
残る2面の色の選び方は、残る3色から2色を選ぶので、3通り。
よって、4×3=12 で、
12通り。

(5)4つの面を、1色ずつ別の色で塗り分ける場合。
これは、1通り・・・?
・・・いいえ。
ここが、落とし穴です。

一番上の図を見てください。
雑に描いた図なので、汚くてすみません。
正四面体の展開図に、A、B、C、Dと書き込んであります。
それぞれが、A色、B色、C色、D色だと思ってください。
この展開図を組み立てます。
上に描いた、2枚の展開図。
組み立ててみると、この2枚は、色の配置が異なるのです。
どう回転させても、左の展開図の正四面体は、右の展開図の正四面体とは色の配置が異なるのです。
真ん中のA色を底面として考えるとわかりやすいと思います。
側面が、右回りにB色、C色、D色となっているものと、左回りにB色、C色、D色となっているものは、どの向きに回転させても、決して重なりません。

したがって、この塗り分け方は、2通り。

この他に色の塗り方はありません。

よって、(1)~(5)より、
4+12+6+12+2=36
答は、36通り です。


うん?
なぜ、問題3で左回り・右回り、と色分けを区別しなければならなかったことが、問題2では出てこなかったのか?
問題2では、2色に塗った面どうしを入れ替えた位置に回転させた場合に、左回りの配置が右回りの配置となって現れるので、考えなくて良かったからなのです。
3色での塗り分けならば、回転すれば同じ塗り方が現れます。
4色で塗り分けると、回転しても一致しない塗り方が現れるのです。
このあたりのことは、頭の中で正四面体を回転するイメージ力が必要になります。
わかりにくかったら、紙で正四面体を作って、具体的に色を塗り分けて回転させてみてください。

さて、これがわかれば、あとはもう何色でも大丈夫です。
例えば、10色の場合の塗り方は何通りあるでしょうか。
これも、上の解き方で計算できます。
答は、925通り です。

  


  • Posted by セギ at 14:32Comments(0)算数・数学

    2023年12月25日

    問題の意味を考えることと、もう一度、「ひとりで解いた問題」。


    たとえば、小学生と、このような問題を解いているとき。

    問題 冷蔵庫に入っていたジュースの4/9を飲んだところ、350mL残りました。はじめに冷蔵庫に入っていたジュースは何mLですか。

    大人から見ると比較的単純な構造の割合の問題なのですが、受験勉強をしていない小学生でこれを解ける子は限られています。
    多くの場合は、
    350÷4/9 という式を立ててしまうのです。
    それは間違っていると言われると、混乱し、もうその先に進むことはできない子が多いです。

    「350mLというのは、残っているジュースです。4/9は、飲んだ分です。そこがズレていると『比べられる量÷割合=もとにする量』という公式にあてはめても、答は出ないですよ」
    そのように解説しても、目に光はやどりません。
    線分図を描いて解説しても、ポカンとしています。
    「4/9を飲んだのなら、残っている350mLは、最初にあったジュースの何分のいくつにあたるのでしょうか」
    そう声をかけても、日本語が通じていないのではないかというほどに反応がない子が多いです。

    実際、そういう説明をしているとき、私の日本語は、その子に通じていないのだと思います。
    思考体系が異なる宇宙人に解説しているような違和感をそんなとき覚えるのですが、それは、子どもにとっても同じことなのでしょう。

    では、その子は、どういう思考体系で算数の問題を見ているのでしょうか。
    おそらく、
    「割合の単元の問題は、かけ算か、わり算」
    そのような見方でこの問題をとらえているのだと思うのです。
    わり算が違うと言われたら、じゃあかけ算なのか?
    でも、こういう問題は、かけ算ではなかったような気がするけれど・・・?

    考えているのは、そんなふうなことではないのかと私は想像します。

    「冷蔵庫に入っていたジュースの全体①から、4/9 飲んだので、残りは、1-4/9=5/9 です。だから、350mLは、全体の5/9。
    もとにする量を求めるには、350÷5/9=630。答は、630mLです」
    そのように解説しても、霧の晴れた表情になることは、ほとんどありません。
    1-4/9 という式が、理解できないのでしょう。

    何でひき算?
    割合の問題なのに、ひき算?
    そもそも、1って何?

    ここが理解できない子は、中学受験生の中にもいます。

    もとにする量の割合は、➀。
    割合は、もとにする量を1と見たときに、比べられる量はどんな数で表すことができるか、それを示したもの。
    だから、割合は、たし算もひき算もできる。
    大人は、理解しています。
    例えば、3割引きの商品を見れば、つまり、それは、もとの値段の7割ということ。
    普通に、もとにする量➀、すなわち10割から3割を引いて考えます。

    しかし、子どもは、そのことが、当たり前のこととして理解できる子と、全く理解できない子に、大きく分かれます。
    そのように「割合」という単元を把握したことがないからだと思います。
    「くらべられる量」と「もとにする量」と「割合」が、頭の中に無関係に存在している子は、「もとにする量」を1と見ているということが、そもそも理解できません。
    もとにする量を➀ととらえたときに、比べられる量がどの程度であるのかを示した数字が「割合」であるということを理解していないのです。
    つまりは、割合をというものを、何も理解していないに等しいのです。

    それは、根本の定義を忘れて、解き方だけ覚えようとすることと関係があるのでしょう。

    割合の定義の最初に戻って考えましょう。
    例えばあるサッカーの試合で、Aさんは5本シュートし、3本ゴールしました。
    Aさんがゴールした割合は分数で言うと、どれだけですか?

    これは、割合がわからない子でも、答えられます。
    3/5です。
    では、全部ゴールできたのなら、その割合は?
    これは、5/5になります。
    すなわち、これがもとにする量➀なのです。
    普通のことです。

    この「普通のこと」が、頭の中でつながった瞬間、その子の目に光が宿ります。
    割合って、そういうことかっ!
    だから、「割合」という言葉なんだ。
    そもそも、そうなんだ!

    割合は、根本はこうした分数です。
    そして、分数は、式に直すと、わり算です。
    分子÷分母の式になります。
    比べられる量÷もとにする量=割合
    という公式は、このように、分数をわり算の式に直しただけのものです。
    そして、割合の式で、意味を伴っているのは、その式だけです。
    あとは、使い勝手がいいように、この式を逆算で変形した式があと2本あるのですが、それは逆算で変形しただけの式なので、意味は伴っていません。
    もとにする量×割合=比べられる量
    に関しては、ぎりぎり意味を理解することもできなくはないですが、
    比べられる量÷割合=もとにする量
    という式に、意味なんかありません。
    変形しただけだからです。
    これらの式をまとめて「割合の3用法」と呼ぶのは、変形しただけだからです。
    「3公式」ではなく、「3用法」。
    単に用法の問題で、別の公式ではないのです。

    ですから、割合は、意味をしっかり理解するところと、意味なんか関係ないとするところのメリハリが必要となります。
    そこが、常に逆に逆に作用してしまうタイプの子は、「割合」という単元で苦労します。
    意味を考えなくていいところで、意味でつまずく。
    一方、意味を考えなければならないところで、作業手順だけでやろうとしてしまうのです。


    もう何度も書いてきましたが、算数の問題は、この単元はかけ算、こういう問題はわり算、と解き方と手順だけ覚える子が多いのです。
    意味に戻って考えることがありません。
    そうした習慣が、小学校の低学年でついてしまい、そして、高校生になってもそのままである子も少なくありません。
    高校数学になってから急に「数学を理解したい」と思っても、理解するための基盤が、その子にないのです。
    小学校の算数を理解することを、してきてこなかったからです。

    意味に関して覚醒してくれれば、数学は得意科目になります。
    目を覚ませ。
    算数・数学の問題の解き方は、そういうものじゃないよ。
    手順を覚えるんじゃなく、なぜそうやって解くのか、理解しよう。
    意味に戻れるようにしましょう。
    そのように声をかけ、問いかけ、その子の脳が動き出すのを私は待っています。

    しかし、意味に戻って考えるというのは、本人の中に余程の動機がないと、なかなか始まらない作業でもあります。
    そんなとき、思い出す物語があります。

    それは、私が小学生の頃の国語の教科書に載っていた物語でした。
    教科書の終わりのほうにあった読み物で、実際の授業では扱われないまま終わりました。
    国語の教科書なのに、内容は算数の問題を解く話なので、扱わないのももっともだ、という内容なのですが、読んでいて、とても面白かった記憶があります。

    このブログで、もう10年以上前に書きましたが、もう一度改めて。
    人は、どんなときに、ものを考え、意味を考える動機を得るのか。
    そのヒントにもなると思うのです。

    物語のタイトルは、確か『ひとりで解いた問題』というものでした。
    大体、こんなふうな内容でした。
    随分昔の話ですから、細部には記憶違いもあると思いますが。

    主人公は、小学生の男の子。
    ある日、弟から算数の問題を質問されますが、解くことができません。
    しかし、「わからない」と言ったら、兄の立場が揺らぎます。
    そこで、「今は忙しい。あとで教えてやる」と言って、家を出て、時間を稼ぎます。

    問題は、こんなふうなものでした。
    「全部で24個のキャンディを、姉が妹の2倍の個数をもらうように分けました。姉と妹は、それぞれ何個もらいましたか」

    受験算数としては、易しい。
    でも、昔も今も、小学校で習う文章題ではありません。
    解き方を知っていれば簡単ですが、そうでないなら、思考力が必要になります。

    兄は、必死に考えます。
    まず、24個のキャンディを半分に分ける。それが姉の分。
    24÷2=12
    妹は、その半分。
    12÷2=6
    わかった。姉が12個で、妹が6個だ。

    ところが、弟に教えるにあたって、決して間違えてはならない兄は、ここで検算をします。
    姉が12個で、妹が6個。
    12+6=18
    あれ?
    何で24個に戻らないんだ?

    行き詰まった兄は、この問題を考えながら、歩き続けます。
    何度考えても、この考え方では、同じ式、同じ答え。
    何が違うのか、わからないけれど、検算して戻らないのだから、違うことだけは、確実。

    混乱のあれこれが、田園の風景とともに描写されていたと思うのですが、そこはもう覚えていないので割愛します。

    立ち止まって、兄は、地面に木の枝で絵を描きます。
    なぜ、姉は、妹の2倍のキャンディをもらったのだろう。
    エプロンドレスを着た、2人の女の子の絵を描いて、考えこみます。

    そして、思いつくのです。
    そうだ。
    姉は、ポケットを2つ持っていたから、妹の2倍のキャンディをもらえたんだ。
    そう考えて、姉のエプロンにポケットを2つ、妹のエプロンには、ポケットを1つ描きます。

    ポケットは、全部で3つ。
    だから、式は、
    24÷3=8
    8×2=16
    姉が16個。妹が8個。
    たして、24個。
    絶対、これが正解だ。

    素朴なこのお話、小学生の私は、なんだかとても気にいって、何回も読みました。
    今読んでも、面白いかもしれません。

    そして、今、作業手順でしか算数数学をとらえない勉強をしている子どもたちに、この兄のようであってほしいと思うのです。

    この兄の危機感。
    この問題が解けなかったら、兄としての立場を失う。
    こういう危機感があるときに、人間は、想像以上の力を出せるのでしょう。
    でも、本当は、その力は、いつでも出すことができる力です。

    1問の意味をとことん考える。
    わからなかったら、図を描いてみる。
    受験算数を体系的に学んでいる子は線分図を描きますが、この兄の描いた、エプロンドレスの女の子の絵は、とてもチャーミングでした。

    諦めないで、歩きながらでも、考え続ける。
    1問を、わかるまで、考える。
    なんて貴重な経験なんだろう。
    なんて贅沢な時間の使い方だろう。
    この兄は、そんなに算数ができるとは思えない設定で、だから、最初は、ありがちな失敗をしているのですが、そういう子が自力で正解にたどりつくところが素敵です。
    そして、その力は、本当は誰もが持っている力だと思うのです。

    『ひとりで解いた問題』
    自分だけの力で発想を得て正解にたどりついた問題は、決して忘れないと思います。
      


  • Posted by セギ at 12:39Comments(0)算数・数学

    2023年12月14日

    証明とは、何をどう書いていくことなのか。


    今回は、三角形の合同と、それを利用した証明の進め方の話。

    証明問題は、中学生が最も苦手とするところです。
    何をどう書いていいのか、わからない子は多いです。
    証明には書き方のスタイルがあります。
    それさえ理解できれば、基本の証明問題は誰でも書いていけるはずなのですが、何かを理解しそこねて、まったく証明が書けないまま高校生になってしまっている子もいます。

    例えば、三角形の合同の証明で、こんな答案を書いた子がいました。

    △ABC≡△EFG
    AB=EF 
    BC=FG
    ∠B=∠F 
    △ABC≡△EFG 

    その子は、中学3年生からうちの教室に通い始めた子でした。
    私立の生徒で、中学数学はもう終了し、学校では、高校数学ⅠAの学習をしていました。
    とはいえ、学校の夏休みの宿題は、中学数学の復習でした。
    宿題を解いたノートを見て、私は愕然としました。

    上の5行が、その子の書いた、三角形の合同の証明のすべてだったのです。

    公立中学の子は、高校入試を控えています。
    都立高校入試は、証明問題が毎年必ず出題されます。
    空所補充形式ではなく、自力で1行目から最後まですべて書いていく、完全な証明問題です。
    そのため、学校でもかなり練習しますし、塾でも練習します。
    簡単な証明問題は、数学の成績が5段階で「3」以上の子ならば書くことができます。
    成績が「2」の子でも、ある程度は書くことができる子が多いです。

    ところが、私立中学に通う子の中に、上のように、証明をほとんど書けない子たちが存在します。
    1人だけではありません。
    何人か、出会ってきました。

    学力が極端に低いというわけではありませんでした。
    ただ、証明問題に対して、何か根本的な誤解がある様子でした。

    その子たちは、高校数学の記述答案を書いていくことにも、何か誤解があるようでした。
    図形問題に限らず、方程式でも、関数でも、答案がひどく貧弱なのです。
    解き方の過程を書いていくということがない。
    意味不明のメモの他は、答しかノートに残っていないのです。

    それは、それまでの人生の中で一番頑張って勉強した受験算数が、「答案」というものを要求されなかったことが影響しているのかもしれません。
    答案重視の入試問題を作る中学校もありますが、私立中学の入試問題の多くは、答さえ合っていればそれでいい形式です。
    途中式など、書きません。
    そんな勉強をやりこんだせいで、価値観がそれで凝り固まってしまったのだろうか?
    そう思わせるほど、数学の答案を書くということが理解できない様子の子がいます。
    方程式を解く場合ですら、途中を書きません。
    与式の次は、
    x=・・・
    と平気で書いてしまいます。
    しかも、それではいけない、ということが、理解できない様子でした。
    繰り返し繰り返し説明しても、話が通じない・・・。
    彼らの価値観と私の説明に接点がないのです。

    彼らの中では、「答」がすべてなのかもしれません。
    答が合っていれば、それでいいのです。
    その固定観念で証明問題を見ているから、何を書けばいいか全くわからないのかもしれません。

    証明問題は、結論は与えられているのです。
    ならば、本来、もう書くことは、何もない。
    それなのに、何か書け、と言われる。
    それで混乱してしまうのかもしれません。

    私立の子に、数学の記述答案が書けない子たちがいる。
    私立中学でも、そのことを意識し、定期テストは中学数学から完全記述方式の学校もあります。
    完全記述方式のテストの平均点は、中学数学と思えないほど低い。
    なぜ、中学数学のテストの学年平均点が40点台なのだろう?
    公立中学のテストと比べて、特に難しいというわけでもないのに。

    一方、一種の救済措置なのか、テスト問題の半分以上は、答だけ書けばいい形式の中学もあります。
    完全記述方式にすると、数学でほとんど得点できない生徒が多く現れるからでしょう。
    その温情が、ますます、記述ができない生徒を生んでいく・・・。



    図形の証明問題が解けないのは、別に構わないのではないか?
    大学の入試問題に、図形の証明問題が出題されることはほとんどないし・・・。

    そう思うこともありますが、中学数学で、図形や整数の性質に関する証明問題の答案、あるいは、連立方程式の答案をしっかり書いていけるようになっておくことは、高校数学の答案を書いていくための、準備です。
    何をどう解いているのか。
    どの定理を用いているのか。
    根拠を示し、式を書く。
    どのように解いたかを、読む人に伝わるように書いていく。
    中学で記述の基礎を理解した子は、高校数学に進んでも、順調に階段を上っていけます。

    一方、中学数学で記述答案の基礎を学びそこねた子は、高校数学で急に記述答案を要求されても、何も書けないのです。
    高校数学の定期テストの得点が目に見えて下がっていきます。
    高校数学のテストでは、記述答案を書いていくことが必要なことは、さすがに理解し始めます。
    でも、何を書かねばならないのか、その根本を理解できないようなのです。

    いちいち根拠を書かねばならない意味が理解できない子。
    ものの考え方が主観的な子は、そのような状態に陥りやすいのでしょう。

    どんな定理を使ったのか、答案を読む先生にはわかるはずだ。
    そもそも、この解き方を教えたのは、先生なんだから。
    テストを作ったのも先生なんだから、どう解いたか、わかるはずだ。
    だから、そんなもの、書く必要はないだろう。
    ・・・そう思っているのだろうか?
    そんなふうに推察します。


    もう1つ。
    証明がわからない原因の1つは、教わったスタイルの悪さかもしれません。
    生徒のためを思ってなのか、ものすごく簡略化した証明の書き方を教える数学の先生がいます。

    どんなスタイルか。
    たとえば、こんな書き方です。

    △ABCと△EFGにおいて
    AB=EF (仮定)
    BC=FG (仮定)
    ∠B=∠F (対頂角)
    よって
    △ABC≡△EFG (2辺夾角相当)

    これの何がいけないのか?
    このスタイルは、( )の中に根拠を書いていくのですが、根拠が常にこれほどシンプルとは限らないのです。
    また、証明は、3段論法などで、段階を踏んで説明していかなければならない場合も多いです。
    長々と書かなければならないときに、( )の中にどのように書いていいのか、生徒はわからなくなります。

    これで書けないときは、別の書き方で書くんだぞ、という話が授業中にされていると思うのですが、そういう話は、たいていの場合、生徒は聞いていないです。
    2種類のスタイルを学ぶのも、大変です。
    やはり、いつも同じスタイルで書くほうが、学びやすい。

    △ABCと△EFGにおいて
    仮定より
    AB=EF
    BC=FG
    対頂角は等しいので
    ∠B=∠F
    2辺とその間の角がそれぞれ等しいので
    △ABC≡△EFG

    根拠を文の形で説明していくこのスタイルならば、どれだけ長文で説明することになっても、論理的で、正確であれば良いのですから、書きようがあります。

    3段論法。
    すなわち、間に、もう1つの要素をかませて、それで等しいことを証明する場合。
    例えば、AB=CDをであることを言いたいときに、
    AB=AC
    AC=CD
    よって
    AB=CD
    という形で論を進めていかなければならないとき。

    これは、番号を振っていくことで、簡単に解決します。
    AB=AC・・・①
    AC=CD・・・②
    ①、②より
    AB=CD・・・③
    として、最終的には、これのうちの③のみを使用します。
    この書き方をマスターすれば、複雑な証明問題も楽に書いていけるようになります。

    これは、
    AB=AC
    AC=CD
    よって
    AB=CD・・・①
    として、証明に使うものだけに番号を振るというやり方もあり、これでも大丈夫です。
    この場合は、今話題にしている内容は一気に書いてしまうこと。
    途中で別の要素を挟んでしまうと、論理が伝わりません。
    別の要素を挟まざるをえないときは、やはり番号を振って明確に示します。

    そして、これは、一番上のような簡略化した証明の書き方では、書くのが難しいのです。


    証明問題を学びにくいのには、もう1つの原因もあります。
    自分の答案のどこがどのように間違っているのか、問題集の模範解答を見ても、わからない子がいます。
    自分に甘い子は、何でもマルをつけてしまいます。
    自分に自信がない子は、少し言葉遣いが違うだけで、バツをつけてしまいます。
    採点基準がわからない。
    証明問題は、特にそうです。

    数学の基礎は身についていて、数学センスもあり、ただ証明問題だけが苦手なのだという生徒を教える場合、1題、本人に解いてもらって様子をみれば、大体わかります。
    何が抜けているから減点されるのか。
    証明を書くためのルールの何を誤解しているのか。
    書き方のちょっとしたコツの中の何を理解できていないのか。
    そこを調整していけば、証明は、たちまち得点源になります。


      


  • Posted by セギ at 12:19Comments(0)算数・数学

    2023年12月02日

    言葉が通じない若者というけれど。


    画像は三鷹跨線橋。

    さて、説明が通じにくい生徒がいることは、常に課題です。
    そんなこともあって、その類のネット記事を見つけたらつい読んでしまうのですが、先日読んだ記事にはがっかりしました。

    若者に「船をこぐ」という言葉を使ったら、通じなかった、という例があげられていたのです。
    船をこぐって・・・。
    それは慣用表現です。
    私も意味はわかるけれど、自分で使ったことは一度もないです。
    それは、確かに通じないだろうけれど、「若者に言葉が通じない」というのは、そういうことじゃないんだけどなあ・・・。
    若者が知らない言葉を使ったら、それは、伝わらないです。

    一方、別のネット記事の、
    語彙がひどく貧しく、何に対しても、
    「くそが」「やばい」
    といった言葉、あるいはここには書けないもっと直截な言葉を深い感情はなく連発する子がいたという話は興味深かったです。
    その隣りの席の子が、不登校になってしまったというのです。
    何が原因で不登校になったのか、その子も自分の気持ちを表現する言葉をもっていないのでなかなか理由がつかめなかった・・・。
    実は、隣りの子の強い言葉遣いにストレスを感じていた・・・。
    といった話には、これだ、こういうのを読みたかったのだ、と思いました。


    とはいえ、この話は、現実に起きている事象として極めて示唆的ではあるけれど、私の周りのこととしては、逆にこれではないのだろうとも思います。
    私が「生徒に伝わらない・・・」と感じている場合、それは結局「船をこぐ」のような言葉を使ってしまっているからなのでしょう。
    慣用表現は使わないけれど、数学でも英語でも、特有の用語は使います。
    相手が高校生ならば、特にそうなりがちです。

    例えば、数学の授業で、
    「この放物線の、頂点の座標を答えてください」
    と私が尋ねると、
    「2・・・」
    としか答えない子がいました。
    その問題の頂点の座標は、(-1 , 1) だったので、既に間違っていたのですが、頂点の座標と言われて「2」しか答えないことにも、かなりの課題がありました。
    「えーとですね。座標というのは、(x , y) というように、x 座標と y 座標とセットで答えるんです。もう一度答えてください。この放物線の頂点の座標は?」
    「x , y」
    「・・・え?」

    また別のとき。
    高校数Ⅱ「軌跡と領域」の単元で、領域を図示する問題を演習したのですが、領域を理解するはるか手前、境界線のグラフを正しく描くことができませんでした。
    座標平面に直線は描いてあるのですが、数字は何も書き込んでいないのです。
    放物線のときも、ただ、座標平面上に放物線が描いてあるだけでした。

    「直線のグラフを描くときは、そのグラフから直線の式を復元できるような情報が書いてあれば、正解なんです。グラフから式を復元できること。それが原則。何をどう書いたらいいのか迷ったら、そこに戻って考えてください。具体的には、x 切片と y 切片が書き込んであれば、傾きを計算できますから、式を復元できます」
    「・・・」
    「では、放物線の場合は、グラフを描くときは、何を書いておけば、式を復元できるでしょうか?」
    「・・・x と y・・・」
    「・・・え?」
    「あ・・・。傾き?」
    「・・・え?」

    全く授業内容が伝わっていない・・・。
    高校数Ⅱを学習していても、その子は、直線のグラフを正しく描くことすらできませんでした。
    私の言葉を理解できないのに、理解しているふりをしようとし、とにかく何か反応しようとするから、どんどん頓珍漢な反応になっていくのでした。
    学校の授業も真面目に受けているのでしょうに、ほぼ毎回、間違った内容を覚えてきてしまい、塾で、その修正をしなければなりませんでした。

    私は、相手が高校生であるという固定観念を捨てることにしました。
    上の私の説明。

    「直線のグラフを描くときは、そのグラフから直線の式を復元できるような情報が書いてあれば、正解なんです。グラフから式を復元できること。それが原則。何をどう書いたらいいのか迷ったら、そこに戻って考えてください。具体的には、x 切片と y 切片が書き込んであれば、傾きを計算できますから、式を復元できます」

    直線のグラフ。
    直線の式。
    復元。
    情報。
    正解。
    原則。
    具体的。
    x切片。
    y切片。
    傾き。
    傾きを計算する。

    こうした言葉が、その子には、聴き取れない、あるいは意味がわからないのかもしれない、と気づきました。

    「〇〇〇〇を描くときは、その〇〇〇から〇〇〇を〇〇できるような〇〇が書いてあれば、〇〇なんです。〇〇から〇を〇〇できること。それが〇〇。何をどう書いたらいいのか迷ったら、そこに戻って考えてください。〇〇には、x 〇〇と y 〇〇が書き込んであれば、〇〇を〇〇できますから、式を〇〇できます」

    このようにしか聞き取れないのだとしたら?
    それは、数学がわかるとかわからないとか、そういう話ではなくなります。
    少し硬い熟語と数学用語、あるいは英語ならば文法用語が理解できないのに授業を受けるというのは、そういうことなのでした。

    若者に対して「船をこぐ」という慣用表現を使って、それが伝わらないと嘆く大人と、数学用語や英語の文法用語を使って説明して、生徒が理解してくれないと嘆くのは、同じことなのだと思います。

    これは、その子の学力によります。
    上のような説明でガンガン授業が進み、どんどん成績が上がっていく子もまた多いのです。
    数学用語は、正しく使えば使うほど、最適な形で内容が伝わります。
    複雑な内容が一言で伝わります。
    「・・・そこは、相加平均・相乗平均でしょう?」
    とか、
    「・・・なぜ、そこで置換積分をしなかったのですか?」
    といった一言で、ダイレクトに伝わり、
    「うわ。今解きますから、ちょっと待ってください」
    と言う子も多いのです。
    しかし、同じ授業を別の生徒にして、成功するとは限りません。
    これは話が通じていない・・・と感じたら、相手が高校生であろうとも、小学生に話すように話すこと。
    数学というものを一切学習したことのない小学生に、一から数学を教えるように解説すること。
    直線のグラフを描けないということは、実際そういうことでした。
    中学で学んだことも、高校数ⅠAで学んだことも、すべて忘れてしまった高校生は、高校生の姿をしていても、数学的には小学生だったのです。

    何で中学数学を忘れてしまったのかなあ・・・という嘆きとは別に、それでも伝わる授業をすること。
    幾度説明しても、「直線の傾き」という言葉の意味を覚えてくれないなあと思うけれど、それでも何度でも説明すること。
    「船をこぐ」といった言葉は、使いたい人はどんどん使ったらいいけれど、私が授業で使う必要はない。
    相手に伝わらない言葉は、使っても意味がない。
    生徒の語彙や聴き取る力を正確に把握することが、教える側に必要な能力なのだと思います。


    さて、話は変わりますが、最近、別々のラジオ番組で別々に話題になったのが、「1時間弱」とは、何分くらいを指すか、という話。
    私くらいの年代ですと、それは当然、
    55分くらい?
    といった語感の言葉だと思うのですが、今の20代は、「1時間弱」を、65分くらい、ととらえている、というのです。
    1時間のほうが弱いという観点からそうなるのか?
    1時間と、あと、弱い時間、という意味なのか?
    などの分析がされていて、面白いですが、これも若者に使うときは気をつけるべき言葉のようです。

    とはいえ、私は、生徒にそのような曖昧な言葉を使うことはないので、それもどこか他人事ではあります。

    子どもを相手に事務的な話をするときは、特に気を遣います。
    「それでは、授業を『ようか』に振り替えましょう。『ようか』、はちにち、8日ですよ?」
    と念を押します。
    いつか、むいか、なのか、ようか、がわからない可能性があるからです。

    数学の「確率」でトランプの問題が出ているときも、そうです。
    トランプはどんなカードが何枚あるのか、知らない子も増えてきました。

    問題 ジョーカーを除く52枚のトランプからカードを1枚ひく。そのカードが絵札であるとき、それがハートのカードである確率を求めよ。

    「トランプのマークは何種類あるか、知っていますか?」
    「・・・8種類くらいですか?」
    「・・・いや、マークというのは、ハートとか、ダイヤとか、そういうのですよ?」
    「ああ・・・。ええと・・・」
    「トランプをやったことが、あまりないですか?」
    「ないですね。でも、修学旅行ではやりました」
    「ああ。盛り上がりますものね。大貧民とか」
    その子は、にやっと笑いました。
    「今は、大富豪というんですよ」
    「・・・うるさいわ」

    トランプは知らないようですが、言葉は十分に通じる子もいます。


      


  • Posted by セギ at 12:36Comments(0)講師日記

    2023年12月01日

    冬期講習空きコマ状況。2023年度。



    冬期講習空きコマ状況です。
    1月5日現在

    なお、1月8日(月)より通常授業です。

      


  • 2023年11月24日

    「覚える」ということが、何をどうすることか、わからない。


    画像は、都立小金井公園のコスモス。

    さて、一度で理解して以後二度と忘れない子。
    何回解説してもほとんど覚えない子。
    個別指導の特徴なのでしょうが、その中間という子は少なく、生徒はどちらかに偏ります。

    英語が苦手、と漠然と言いますが、英語が苦手な子は、まず単語を覚えていない子が大半です。
    そして、文法を覚えていません。
    英語が苦手の子の多くは、覚えることが苦手な子たちです。

    小学生の頃から、そして中学入学後も、英語がきわめて苦手な子たちの場合。
    初めて英語を学び始めた段階で、曜日や月の名称、数字のスペルなどの基本を覚えられないことが多いです。
    名詞を複数形にするルールも覚えられません。
    人称代名詞も覚えられません。
    3単現のルールも覚えられません。
    一般動詞の疑問文の作り方を覚えず、何でも Are you ~?としてしまうことをやめられません。
    とにかく、覚えない、覚えない、覚えない。

    覚えれば済むのに、何でこうも覚えないのか?
    本人は「覚えたくても覚えられないんだ」と言う場合が多いです。
    しかし、本当にそうなのでしょうか?

    あるいは、中学英語はそこそこ出来た子たち。
    英検3級は合格し、英検準2級も何とか合格します。
    でも、その先には、永久に進めない子たちがいます。
    高校で英語が急速に苦手になっていく子たちです。
    もう何度も書いてきましたが、そうした子たちは、高校で学習する英単語を覚えないのです。
    高校で学習する英文法も覚えません。
    中学生の英語力のまま、高2になり、高3になり、大学受験を迎えます。

    しかし、本人は、それなりに英語を勉強している気でいる場合が多いです。

    なぜ、こうまで覚えられないのだろうか?

    小学生の頃、九九を覚えられなくて苦労した。
    今でも、七の段はちょっと厳しい・・・。
    そういう子の場合は、わかります。
    本当にものを覚えるのが苦手なのだと思うのです。
    でも、九九はそこそこ問題なく覚えられたという場合は、記憶力のせいではないのではないか?
    「覚える」ということが何をどうすることなのか、あまりよくわかっていないのではないか?
    そう感じることがあるのです。

    小学生の頃は、身につけなければならない知識もそんなに多くはないので、小学校の授業中や宿題で何度か練習しているうちに大抵覚えてしまいます。
    その経験があるので、「覚える」というのは、そういうふうに苦もなく自然に覚えることを指すと、思い込んでいるのではないでしょうか。

    覚えるためには、覚えるための作業と反復が必要になります。
    それは、基本的に、つらくてつまらない作業です。
    それをせず、自然に覚えられるものだと誤解しているため、「覚えられない」と言っている子もいるのではないかと思うのです。

    もう1つは、覚えるときに脳にかかる負荷が嫌いな子。
    頭が重くなって、つらくて嫌なので、ものを覚えるのが嫌いな子たちがいます。
    覚えられないのではなく、つらいから、嫌で、避けているのです。

    幾度も唱え、反復し、自分にテストを繰り返し、大脳に刻みつける作業。
    そういうことはしたくない。
    覚えるというのは、自然に頭に入ってくるものであってほしい。
    でも、自然に頭に入ることだけを期待していても、中学・高校と学年が進むにつれ、学習量は爆発的に増えていきます。
    自然に覚えるには、量が多いです。
    だから、人工的に、意図的に、無理をして覚える作業が必要になるのです。
    それをしないでいると、本人の生来の能力に応じて、中学で、あるいは高校で、停滞していくのです。


    2~3度眺めるだけで覚えられるわけがないのです。
    楽をして自然に覚えたい、という気持ちはわかるけれど、それは、無理な望みなのです。
    金儲けをしたい人が、それができるかのような宣伝をしていることがありますが、罪深いことだと思います。
    そんなものにお金を払っても、楽をして自然に覚えることは、結局できません。
    だって、文科省だってそんなにバカじゃないんですから、そんな方法があるなら、学校の正規のカリキュラムに導入しますよ?
    楽して自然に覚える方法は、ないんです。
    覚えようと強く意識し、大脳に刻み込むように、覚える、覚える、覚える。
    大脳に負荷がかかるように、覚える、覚える。
    そうやって暗記するのだということを、あきらめて、悟ってください。

    でも、好きなことなら楽しく覚えられます。
    ゲームやアニメのキャラクターの名前。
    好きなアイドルグループ全員の名前とメンバーカラー。
    好きなアニメの全サブタイトル。
    そういうことなら、いくらでも覚えられる。
    それなら、生来の暗記力はあるはずです。

    その能力を使って、好きではないことも、覚える。
    必要なことだから、覚える。
    そういうふうに意識を変えてほしいんです。

    英語を好きになれれば良いけれど、ある程度英語ができるようにならない限り、好きにはなれないと思います。
    まず、できるようになることが先です。
    それには、好きじゃないけれど暗記する、つまらないけれど暗記する、そういう作業が必要です。
    暗記したことが反映されて、英語がわかるようになれば、好きになります。
    基本、自分が上手くできることには、人は良い感情を持ちますから。


    暗記はしないけれど、英語を完全に捨ててしまっているのかというとそうでもなく、今学校で学習していることはそれなりに勉強する子は多いです。
    学校の教科書の英語の本文の重要事項を解説すると、そういうことは熱心に聞いています。

    けれど、テストで間違えるのは、習いたての文法事項ではありません。
    空所補充問題や和文英訳問題で、以前に習っている単語のスペルを正しく書くことができなかったり。
    名詞を複数形にすることや、冠詞を書くことを忘れたり。
    今回のテスト範囲の文法事項をクリアできても、上に書いたようなところを間違えていたらテストでは逐一減点されますから、本人が達成感を味わえるような得点にはなりません。
    本人なりに頑張っているつもりでも成績に変化がないので嫌気がさし、ますます学習意欲が下がっていく・・・。
    英語という科目に起こりやすいことです。

    本人の脳の癖なのかもしれませんが、新しいことを学習する度、古いことを頭の中から一掃する人もいます。
    1つ覚えると、1つ忘れる。
    何も積みあがっていかないのです。
    新しいことを学習しても、それと同時に、英語学習の初期に習った時制の使い分けや、曜日や月名のスペルは永遠に必要な知識です。
    しかし、脳にそんな容量はないと思い込んでいることも手伝い、びっくりするほどあっさりと記憶を捨てていくタイプの人がいます。
    そして、せっかく学習した新しい内容も、定期テストが終わると、すっぱりと忘れていきます。

    もともと脳は、不要な記憶をどんどん消していきます。
    それにストップをかけ、「あ、これは消去したらダメな記憶なんだ」と脳に悟らせるには、反復です。
    他人よりも記憶が消えるのが速いなと感じたら、自分の脳にストップをかけましょう。
    本来、10代の記憶は、一生消えないものになるのです。
    ストップをかけていないのは、本人の意思も入っていると思います。
    テストが終わったら、後は要らない記憶と思い、忘れるままにしていないでしょうか。

    本来、10代で得た知識の多くは、一生消えません。
    そういう人は多いと思います。
    今では役に立たない妙な記憶が残っている、そういう大人は多いと思います。
    大人の人と話す機会があったら、
    「中学や高校の頃に暗記したことで、今でも妙に覚えていること、ありますか」
    と話を振ってみてください。
    変な暗記事項を披露してくれる人は多いと思います。
    徳川十五代の名前を全部言える人。
    中国の王朝名を順番に言える人。
    なかには、私のように「ソ連のコンビナート」という、本当にそれは何なんだという使えない記憶を披露してくれる人もいるかもしれません。

    3日前の昼ご飯に何を食べたかはもう忘れたけれど、10代の頃に勉強した記憶は、消えない。
    記憶とは、そういうものです。
    10代のうちに、せめて英単語は最大限頭に入れておけば良かった・・・と後悔している大人は多いと思うのです。
    あの頃ならば、今よりもずっと暗記は楽だった、と。
    それでも、何歳になっても、それなりに、やりようはありますが。

    脳は大容量です。
    無制限に何でも記憶し、保存できます。
    それを信じ、全てため込みましょう。
    また、脳にどれほど負荷がかかっても、それで脳細胞がつぶれてダメになったりはしません。
    負荷をかけると、むしろ頭は良くなります。
    筋肉と同じです。
    筋肉は、ダメージから回復した後のほうが強くなります。
    だから、負荷をかけ、アイシングして、休む。
    脳も同じです。
    まず、脳に負荷をかける方向に自分の気持ちをもっていってください。
    脳に負荷をかけた後、リラックスして、そしてよく寝る。
    これを繰り返すことで、脳は強くなります。

    そのように「覚えるぞ!」という意欲をもつことが第一。
    そのうえで、英単語の暗記には、いくつかコツがあると思います。

    例えば、よくある暗記のダメな例。
    1日10個ずつ英単語を覚える。
    次の日は、別の10個を覚える・・・。
    しかし、そんなやり方では、翌日にはもう前日の10個は忘れています。
    何1つ頭に残らないのですが、それを称して「単語暗記はやっている」、「でも、覚えられない」としてしまうのは、残念です。
    それは、覚えられないやり方をわざわざ選んでいるのです。

    ちょっと苦しくても、頑張って、1日100個覚える。
    翌日も、同じ100個を覚える。
    その翌日も、同じ100個を覚える。
    覚えているかどうか、毎日自分にテストをして、覚えていなかったら覚え直す。
    そうして、最低でも1週間、同じ100個を繰り返します。

    翌週は、新しい単語を1日100個覚える。
    ついでに、先週の100個のテストをして、覚えていなかったら覚え直す。
    翌日、同じ100個を覚える。
    ついでに、先週の100個のテストをして、覚えていなかったら覚え直す。

    これを繰り返します。


    あるいは、覚えるべき英単語が1つの例文や文章中にぎゅうぎゅうに詰まっているタイプの単語集を購入し、それの音声もスマホなどの機器にダウンロードしておきます。
    これを繰り返し聴きます。
    あるときは、文字を見ないで聴く。
    あるときは、文字を見ながら聴く。
    慣れてきたら、その音声にあわせて、文字は見ないでシャドーイング。
    そして、また、文字を見ながら聴く。
    毎日1時間、これをやり続けます。
    上のやり方よりも効率は悪いのですが、長い目で見れば、いつの間にか知っている単語が増えています。
    時間はかかりますが、比較的負荷の少ない方法です。

    日本語と英語が交互に繰り返されるタイプの音声も、自分にテストをするのに向いています。
    英語が先の場合は、日本語が流れる前に、自分で先に日本語を言う。
    日本語が先の場合は、英語が流れる前に、自分で先に英語を言う。
    そのように、常にテストを繰り返します。

    聞き流すだけでは、ダメなのです。
    日本人は、英語を音楽のように聞き流す習慣が脳についている場合が多く、意味などわからなくても平気なのです。
    聞き流していたら、ある日突然、意味を伴って英語が聞こえてくる、ということはありません。
    英語の抑揚がちょうどいい感じに脳から α 波でも出す様子で、心地よく眠くなることすらあります。
    英語をBGMとして、快適に別のことを集中して考えたりもします。
    だから、聞き流すだけでは、何も身につきません。
    自分からアクションを起こすようにして聴かないと、音声教材は身につきません。
    そして、回数も、「え?そんなに?」と驚くほどの回数を聴く必要があります。
    2~3回では覚えられないのです。
    100回聞いたら、そのうちの1つ2つは自然に覚えている単語があるかもしれないね、という程度です。
    基本は、1,000回以上聴くことが必要です。
    それくらいの反復が必要だと、知ってください。

    それも、上の1日100単語ずつ意図的に覚えることと並行して行えば、1,000回までいかなくても、かなりの単語を覚えられます。

    普通にしていれば覚えられないのは、誰でもそうです。
    苦労して覚えることをしているかどうか、だと思うのです。
    つらくても頑張ることが、必要なときも、あるのです。
    その作業は、必ず実を結び、良い結果につながります。
    初見の英文を普通に読むことができ、テストの得点も上がり、模試も苦痛ではなくなります。
    英語が楽しくなります。


      


  • Posted by セギ at 12:15Comments(0)英語

    2023年11月19日

    高校数学と計算力。


    数学の場合、本人の理解力の他に、計算力という課題があります。

    説明されたことは理解できる。
    ああ、そういうことだったのか。
    疑問が晴れた。
    これなら数学がわかる。
    成績はきっと上がる。

    そう思って頑張り始めた子の前に、すぐに壁が立ちはだかります。
    正しい式を立てることができても、その後の計算が上手くいかないのです。

    例えば、ある問題で、
    -x^2+4kx+4k=0
    という正しい式を立てることができたとします。
    これを x について解くことができれば、もう正解なのです。
    しかし、それが上手くいかないのです。

    あるとき、

    x=-2±√(16+16k)

    という生徒の答を見て、私は首を傾げました。
    その子は、中高一貫校に通う子で、高校生になってから、うちの教室に通い始めました。
    2次方程式の解の公式の学習は入塾する1年も前に、すでに終わっていました。

    「・・・解の公式の、2本目のほうを使っていますか?」
    「2本目?」
    「x の係数が偶数の場合の、b' を使う公式です」
    「ああ・・・。使っていません」
    「あれは使ったほうがいいですよ?」
    「D/4は使ってますけど、あっちは別に・・・」

    あっちは別に、意味はないから覚えなかったし、使ったことがない・・・。
    そういうことのようでした。

    数学が苦手になってから塾に通い始める子の1つの傾向として、使うべき公式を使っていないために計算がもっさりしてしまう、ということがあります。

    しかし、もっさりしていても、正確に計算すれば同じ答が出ます。
    まずはもっさりと正しく計算してみましょう。

    -x^2+4kx+4k=0
    両辺に-1をかけて、
    x^2-4kx-4k=0
    解の公式を用いて、
    x=4k±√(16k^2+16k) / 2
    =4k±4√(k^2+k) / 2
    =2k±2√(k^2+k)

    しかし、その子の誤答は x=-2±√(16+16k)

    ノートを見ると、ミスの原因がわかりました。

    -x^2+4kx+4k=0
    x=-4±√(16+16k) / 2
    =-4±√(16+16k) / 2
    =-2±√(16+16k)


    「・・・これ、式の両辺に-1をかけていないのですね」
    「え?」
    「x^2の係数が負の数のとき、まず、因数分解できるかどうかを見るため、両辺に-1をかけて、x^2の係数を正の数にしますが、それをやっていますか?」
    「やってません。必要ですか?」
    「・・・絶対に必要なわけではないんですが、x^2の係数は、正の数のほうが、扱いやすいと思いますよ。そういうことをしたことがない?」
    「ありません」

    中学の頃からうちの教室に通っている子では見ることのない種類のミスでした。
    学校の授業でも注意はされていると思うのですが、そういう細かい注意は、口頭でなされるので、ノートに残らないことが多いです。
    そのため、身につかなかったのでしょう。
    あるいは、「そんなのはどうでもいい」と判断してしまったのか・・・。
    それで間違えなければ別に構わないのですが、今回の符号ミスの原因は明らかにそれでした。
    すべての符号を変えないまま計算しているのに、分母を-2 とするのを忘れたのだと思うのです。

    方程式ならばまだましですが、2次不等式の場合は、x^2の係数が負の数のまま、その都度、放物線が上に凸か下に凸かあれこれと頭をひねって解いている子を見たこともあります。
    簡単なことを複雑にしてしまっています。
    どうでもいいようなことですし、それをやらなくても正解は出せるけれど、やったほうがミスはしにくいのです。
    常に同じ計算方法を行うことで、計算は安定し、速くなります。

    また、明らかに、xの1次の項の係数-4kの「k」が飛んでしまっていました。
    解の公式を使うときに、x以外の文字はすべて係数なのですが、見落としてしまうのは、よくあるミスです。

    さらに問題は、√ の中身の整理。
    √ の中身を外に出す方法を知らなかったのか、それとも、うっかり忘れたのか。
    間違った式とはいえ、せめて、
    √(16+16k)=4√(1+k)
    と直したい。
    正しくは、√(16k^2+16k)=4√(k^2+k)
    √16=4ですから、その部分は√ の外に出すことができるのです。
    丁寧に書いていくならば、
    √(16k^2+16k)
    =√16・√(k^2+k)
    =4√(k^2+k)
    となります。
    平方根を深く理解していないと、平方根が出てくる度に計算ミスをしてしまう、ということが起こります。

    また、分母を払うならば、分子の2つの項は平等に2で約分しなければならないのですが、整数の部分のみ約分し、√ のほうは放置してしまっていました。
    このあたりも、間違えてしまう子が多いです。

    中学1年生の計算問題で言えば、

    4+3a / 8
    =1+3a / 2

    というように、4と8だけ約分し、3aはそのままにしてしまうミスをする子は多いです。
    解説するとそのときはわかった顔をするのですが、「作業手順」として覚えようとするだけで、なぜそうしてはいけないのか、本質は理解しなかった様子で、しばらく経つとまた同じミスをしてしまうのです。

    前にも書きましたが、小学校の頃だけ計算重視の塾に通っても、中学で十分に計算練習をしなかったため、小学校では学習しない種類の計算に弱い子は多いです。

    上のような文字式の約分。
    文字式の通分。
    負の数の計算。
    式の変形。
    指数計算。
    平方根の計算。

    中学で学習する計算内容に習熟していないと、高校の数学で計算力不足が大きく足を引っ張ります。
    そもそも小学生の頃から計算が苦手という場合もありますが、
    中高一貫校の生徒で、中学進学後に気持ちが緩んで、あまり勉強しなかったために、中学数学がよく身についていず、正しい計算ができない、という場合も多いです。

    特に指数計算は深刻で、2^3=6 としてしまう癖が、なかなか治らない・・・という子がいます。
    累乗が理解できないほど理解力のない子ではないのですが、学習した最初に間違えて覚えてしまったため、その記憶を修正するのが難しく、直しても、直しても、少し時間が経つとまた誤解が復活していました。
    時間が経つと、またふっとわからなくなるのです。
    指数に対するその認識で、高校数学の「数列」や、「指数関数・対数関数」を学習するのは、本当に大変でした。

    小学生のときだけでなく、中学の時期にも、数学的に重要なことを学ぶのですが、高校受験がないので定着しない・・・。
    これは、中高一貫校の最大の欠点で、意識して練習しないと、数学で浮上できなくなります。
    中1・中2とずっと勉強をさぼって、中3になってから、そろそろ・・・と重い腰を上げたものの、そうやって高校数学を学び始めても、中学数学の基礎がないので、何をやっても脆弱な計算力が障害となるのです。
    数学は、積み上げ科目なので、中学受験に成功したと気を抜いていると、後で苦しむことになります。

    「わかる」ことと「できる」ことは違うことです。
    解き方が理解できても、自分で実際に正答できるとは限りません。

    やり方がわかるだけで済むのなら、例えば誰でもピアノは弾けるでしょう。
    やり方は、見ていればわかります。
    鍵盤を叩けばいいんでしょう?

    スポーツだってそうです。
    バスケなら、ボールを持ったままにしないように注意しながら、シュートすればいいんでしょう?
    やり方は、見ていれば、わかります。

    でも、そんなものではない。

    わかっていても、できないのです。
    芸術やスポーツに限りません。
    勉強もまたそうです。
    わかるだけでは無理なんです。
    できるようになるには、練習が必要です。

    しかし、そのことに対して無自覚な人は多いです。
    勉強だけは、「わかれ」ばすぐ「できる」と思ってしまうようなのです。

    「わかる」ことを「できる」ことに変えるためには、練習が必要です。
    素晴らしい授業を聞けば魔法のように成績が上がる、というわけにはいきません。
    授業を聞く時間の何倍も自分で努力する時間が必要となります。

    高校生になって、数学が苦手になって、塾に来る。
    さて、そのときに、それでも、「わかる」ことだけを重視して「わからない難しい問題」の解説だけを聞きたいのか?
    それとも、スポーツ的に言えば、「フォーム」を改良し、数学答案の書き方と計算処理の合理的なやり方を身につけ、さらには問題文の分析の仕方、何をどのように考えるかを学ぶか?
    前者ではダメなことは、冷静に考えれば理解できると思うのです。

    幸い、そのことを理解してくれる生徒は、順調に成績が上がっています。
    本人が何年も続けてきた、もっさりした計算を改良するのは、癖になってしまっている分だけ難しいです。
    最初からスマートな計算方法を身につけるよりも大変です。

    さらに、何でも作業手順で暗記しようとする癖。
    複雑なことを単純化しようとする癖。

    こうした癖は、高校数学の問題を解く際に、大きな障壁となります。

    しかし、改善していくことは、不可能ではないのです。

      


  • Posted by セギ at 14:07Comments(0)算数・数学

    2023年11月16日

    冬期講習のお知らせ。2023年度。


    2023年度冬期講習のご案内です。
    詳細は、11月末の授業時に書面をお渡しいたします。
    お申込み受付は、12月1日(金)からとなります。
    メール・LINEまたは申込書でお申込みください。
    12月1日(金)になりました深夜から、先着順で承ります。
    申し込み受付完了の返信は、12月1日の午後となりますのでご了承ください。
    12月1日22:00を過ぎても受付完了の返信がない場合は、再度お問い合わせください。
    なお、この期間、通常授業はありませんので、いつもの時間帯の授業を希望される方も改めてお申込みください。
    初めての方は、このブログの「お問い合わせ」ボタンから、お問い合わせください。
    以下は、冬期講習募集要項です。

    ◎期日
    12月25日(月)~12月30日(土)、1月4日(木)~1月7日(日)

    なお、12月31日(日)~1月3日(水)は、休校とさせていただきます。

    ◎時間帯
    10:00~11:30 , 11:40~13:10 , 13:20~14:50 , 15:00~16:30 , 16:40~18:10 , 18:20~19:50 , 20:00~21:30

    ◎費用
    1コマ90分4,000円×受講回数

    ◎指導科目
    小学生 一般算数・受験算数・英語
    中学生 数学・英語(中3受験生のみ、国語・社会・理科)
    高校生 数学・英語

      


  • 2023年11月12日

    手段と目的が転倒する人。


    少し前の画像ですが、都立野川公園のヒガンバナ。
    今年は花が少なかったかもしれません。

    さて、本題。
    学校の問題集を解くのは、生徒に任せていますが、そうすると、数学の問題集をため込む生徒がいないわけではありません。
    「学校の進度にあわせてこつこつ解いておくと楽ですよ」
    と話すと、
    「範囲がまだ発表されていないから」
    という反応が返ってくることがあります。
    定期テスト当日の朝に、テスト範囲の問題集を解いたノートを提出という学校は多いです。
    テスト範囲は、年度の最初に一覧表にしてある学校もありますが、テスト1週間前に発表という学校もあります。
    「でも、テスト範囲は、前のテスト範囲の後から、学校の授業が進むまでなんですから、毎日の復習も兼ねてやっておくといいんですよ」
    「偶数番号の問題だけのときもあるので」

    ・・・え?

    「・・・それは、ノート提出するのは偶数番号だけなのに、奇数番号まで解いてしまったら、損だということですか?」

    まだ子どもなので仕方ないのですが、そういうことを言っているから、数学の力が群を抜いて伸びていくという感じにならないのです。
    そこそこできる、でとどまってしまうんです。
    奇数番号まで解いたほうが、勉強になる。
    むしろ、そのほうが得なのです。

    学校の問題集は、学習の手段なのですが、それがノート提出という目的になってしまうと、上のようなことが起こります。

    とはいえ、子どものそうした考え方を非難ばかりもできません。
    大人でも、目的と手段が転倒してしまう人はいます。


    授業に使うので、私はコンビニでコピーを取ることが多いです。
    ある日も、コピーを取りに行ったところ、先客の男性がいました。
    その人は、何か書籍のコピーを取ろうとしていました。
    該当ページを開いて、コピー機の鏡面に乗せると、それから、コピー機の蓋をして、コピーを開始していました。
    傍で見てもそれとわかるほど、手を離した途端に、書籍は鏡面から浮き上がり、そして、蓋をした瞬間に本の位置はズレていました。
    出来上がったコピーはピンボケで位置のズレた、ろくでもない仕上がりになったと思います。
    ところが、その人は、機械から吐き出されたコピーの仕上がりは確認せず、本をめくって、次のページのコピーを始めました。
    また同じように、書面と鏡面の間に空間ができてピンボケになり、位置もズレただろうコピーを取り続けたのです。
    うわあ・・・。
    使えないコピーをせっせと取っている・・・。

    「コピーを取る」
    という作業が、目的化していて、コピーを取るという手段を通じて何がしたいのかが置き去りにされたのだと思うのです。
    コピーをとることだけが目的。
    仕上がりに興味はない・・・。
    読めないコピー、使えないコピーを何枚取っても、意味はないのに。

    もう1つ考えられることは、
    「コピー機は蓋をするものだ」
    という思い込みがあったのかもしれません。
    それは、固定観念、といえるかもしれません。
    蓋をしないとコピーが開始されないと誤解している人もいるのでしょう。
    蓋などしなくてもコピーはできます。
    勿論、薄い書類をコピーするときは、蓋をしたほうがきれいにコピーできますが、書籍をコピーする場合、コピー機の蓋はせず、書籍をしっかり鏡面に押し付けてコピーを取るほうが、文字をきれいにコピーできます。
    書籍が閉じた状態に戻ろうとすると、鏡面から浮き上がるので、コピーはピンボケになってしまうのです。
    蓋で上から押しつければ大丈夫?
    それでは、書籍の位置がズレてしまう可能性が高いです。

    コピー機の放つ光は目にあまり良くないですが、別にあれは放射線が出ているわけではありません。
    強い光なので、直視はしないほうがいいというだけです。
    すぐに閉じようとしがちな製本の書籍をコピーするときは、自分の手で書籍を鏡面に押さえつけて、目を背けてコピーする。
    そうすれば、きれいなコピーが取れます。

    しかし、コピーの取り方に誤解のある人は、その男性だけではありません。
    以前、うちの生徒にも、そういう高校生がいました。
    受験校の過去問、いわゆる「赤本」は、すべて塾で買うとなると高価です。
    都立高校の過去問や、大学入試共通テストの過去問は、使いまわしが効きますので、塾の費用で購入しますが、個々の過去問は生徒に購入してもらい、それを貸していただいて、コピーを取って授業をしています。

    ある年、その生徒は、赤本を自分で購入するのは嫌だったようで、高校の進路指導室の赤本を借りて利用することにしたのでした。
    1年古いものだったりするけれど、それで構わない。
    そう考える生徒でした。
    それは、本人の判断なので、別に構いません。

    高校の進路指導室の赤本は、そんなに長期の貸し出しはできません。
    その子が学校から借りて、それを私が又借りして、1週間後の次の授業に返すとなると、貸出期限は切れてしまう・・・。
    そういうわけで、過去問は、その生徒がコピーして持ってきてくれることになりました。

    不安がなかったわけではありません。
    高校生がコピーをきちんと取れるかなあ・・・。

    え?
    高校生なら、取れるでしょう?

    そう思う方も多いと思います。
    きれいにコピーを取れる高校生もいるとは思います。
    しかし、その子は、取れないタイプでした。
    手段と目的が転倒するタイプだったのです。
    大人でもそういう人がいるのですから、仕方ないです。

    持ってきてくれたコピーは、もともと解像度の低い家庭用コピー機で取ったものでした。
    その上、案の定、赤本を開いて鏡面に乗せた後、蓋をしてコピーした様子で、すべてピンボケでした。
    小さい文字はほぼ読み取れませんでした。
    ときどき本がズレて、問題が途中で切れて読めなくなっているページもありました。
    なげやりになったのか、ページが折れた状態でコピーされているものもありました。

    とにかく「コピーを取ればいい」。
    それが目的になり、そのコピーを何に使うのかを考えていない。
    そういうコピーでした。

    どうすれば使えるコピーを取れるのか、それを考えない。
    そういう発想がない。
    自分が取ったコピーを確認することもなく、ただコピーをするだけ。
    言われた通りにコピーを持ってくれば、それでいいと思ってしまう・・・。
    役に立たない数十枚のコピーを見たときの私の衝撃は、大きかったです。
    その子の学力がなかなか伸びない根本の原因が、形になって表れているようでした。

    何のために何をやっているのか。
    これをやれば、どういう効果があるか。
    そういうことを考えながら勉強すれば、役に立たないコピーを取り続けるような無駄なことにはならない。
    必ず結果が表れると思うのです。
    少なくとも、学校から出されている宿題や、学校が設定してくれている単語テストを、一番無駄な方法で浪費してしまうようなことは避けられると思います。

    今年。
    生徒にコピーを取ってきてもらうことには、上のような経験から用心が働き、どうしてもコピーを取ってきてもらわなければならないときには、あれこれと細かく注意をしがちです。
    その注意が細かすぎて、受け止めきれなかったのか、頼んだコピーをなかなか取ってきてくれない子がいました。
    もうギリギリの時期でもあり、保護者の方にメールで頼んだところ、数日後に、レターパックが届きました。

    そこに入っていたコピーは、
    指数も、指数の指数も、クリアに読み取れる、完璧な解像度。
    各大学の問題と解答解説が個々にクリップで止められ、入試日の一覧表も添付されていました。
    それは、オフィスワークの経験のある人の、プロの仕事でした。

    久しぶりに「大人の仕事」を見て、身が引き締まりました。
    私自身の仕事は、「大人の仕事」になっているか?
    役に立たないコピーを取り続けるような仕事をしていないか?
    と、我が身を省みずにいられないほどの、「仕事」を見た気がしました。

    大丈夫。
    効果は上がっている。
    テストの得点は上がっている。
    過去問の得点も上がっている。
    ともすれば、役にたたないコピーを取り続けるような勉強をしてしまう子をカバーして、それでも結果を出してもいる。
    でも、さらに、今以上の結果を。

    そうした思いを強くしました。

      


  • Posted by セギ at 15:47Comments(0)講師日記

    2023年11月03日

    高校数B 数学的帰納法の問題を解きながら。


    数学的帰納法。
    数学B「数列」の単元の最後に登場するのが、これです。

    問題
    数学的帰納法を用いて、すべての自然数nについて、
    1+2+3+・・・+n=1/2n(n+1)
    が成り立つことを証明せよ。


    かつて、この問題を見つめたまま凝固していた子がいました。
    「どうですか?」
    と声をかけても、無言。
    「何がわからないですか?」
    と問いかけても、やはり、無言。
    言葉が上手く出てこない子で、わからないことがどのようにわからないのか、説明できないようでした。
    それでも、辛抱強く聞き取って、その子の疑問がわかりました。
    その式は、今まで普通に使ってきたものなのに、なぜ証明しろと言われるのか、まずそれがわからない・・・。
    その違和感に凝固していたのでした。

    公式や定理を使って何か別のことを証明する問題と、公式や定理そのものを証明する問題と。
    中学生の頃から、そのあたりでモヤモヤしてしまう子は多いです。
    公式や定理を証明しなければならないのなら、証明の中で公式や定理を使ってはいけないのではないか?
    でも、解答を見ると、普通に定理を使っている証明問題も多い。
    じゃあ、何で、定理の証明をする必要があるのだろう?
    そういう、わかるようなわからないような迷宮に迷い込んでしまうのです。
    定理は一度、しっかり証明する。
    証明できた定理は、その後は、別の証明問題で、普通に使っていいんですよ。
    そう解説するとすんなり理解する子も多いのですが。

    上の問題は、初項1、公差1の等差数列の和の問題とみれば、等差数列の和の公式を使って簡単に右辺のように整理できます。
    それをなぜ今さら証明しろと言うのか?

    証明方法は他にもあるけれど、数学的帰納法という新たに学習した証明方法で、この公式を証明する問題なのです。
    これは、そういう問題です。

    そう説明すると、一応は理解したのか、笑顔を見せたのですが、やはり少し難しかったようでした。
    例題の模範解答を見ながら書いた、その子の答案は、以下のようなものでした。

    1+2+3+・・・+n=1/2n(n+1) ・・・①
    [1] n=1のとき
    左辺=1+2+3+・・・+1
    右辺=1
    よって、①は成り立つ。
    [2] n=kのとき、
    1+2+3+・・・+k=1/2k(k+1)
    n=k+1のとき、
    1+2+3+・・・+k+1=1/2n(n+1)
    よって、①は成り立つ。
    [1]、[2]より、①は成り立つ。


    数学の答案の「形骸化」というものを生徒の答案から感じることがあります。
    何をどのように解いているのか、意味はわからないけれど、例題の模範解答を真似て何か書いてみる。
    しかも、例題の模範解答は、解説が多めだと感じるので、そこは本人の判断で適宜省略する。
    そうした結果、上のような形骸化した答案が出来上がるのでしょう。

    この答案、1行目から、大きな課題を感じます。
    1行目に、結論を書いてしまっているのです。
    本人は、問題に書いてある「与式」をそのまま書き写しただけのつもりだと思うのですが、証明ではそれはまずいのです。
    この式は、まだ証明していない式。
    これから証明する式。
    だから、結論をするっと書いてはいけないのです。

    1+2+3+・・・+n=1/2n(n+1) ・・・① を証明する。

    このように書けば、読む者に、これが結論であることが伝わります。

    しかし、そうした証明文の「文脈」を、理解しない子たちがいます。
    言われていることの意味がわからないようなのです。

    あるいは、
    「そんなことは、どうでもいいことだ」
    と思ってしまうのかもしれません。
    書いて何が悪いのか?
    いつもは与式を書け書けとうるさいのに、こういうときだけ書くなと言う。
    見やすいように書いただけで、それ以外の意味はないんだから、文句言うな。

    ・・・という気持ちなのかあ?と想像します。
    本人は、それほど重要なことだとは感じていないので、するっと書いてしまいます。
    なぜ書いてはいけないのかと、反論してくるわけでもない。
    指摘されれば、笑顔でうなずきます。
    しかし、宿題は、また全部同じように書いてきてしまいます。
    定期テストでも、同じように書いてしまい、学校の先生に赤ペンで指摘されてしまいます。
    答案を見ながら、
    「これは、何回も注意しましたよね?」
    と悲しい気持ちで私が言うと、防衛的な笑顔を見せます。
    この子の笑顔は、一種の拒絶なのかもしれない・・・。

    次に、[1] の部分。

    [1] n=1のとき
    左辺=1+2+3+・・・+1
    右辺=1
    よって、①は成り立つ。

    1+2+3+・・・+n
    という左辺は、nが十分大きいときの書き方です。
    nが1ならば、この左辺は、1です。
    ここでは関係ありませんが、n=2ならば、左辺=1+2=3となります。
    1+2+3+…と、順番に n までたしていくのが左辺なので、n=1ならば、1だけで終わるのです。
    でも、そのことが、呑み込めないのでした。
    説明すると笑顔でうなずくのですが、
    左辺=1+2+3+・・・+1
    と、何度でも書いてしまうのです。

    そのように書いたら、左辺は最低でも、7より大きくなりますよ?
    それでは、左辺=右辺にはならないですね。

    そう問いかけても、反応はありません。
    そのことには疑問はないようなのです。
    いや、正確には、そんなところは気にしていないので、本人にとっては、どうでもいいのかもしれません。
    模範解答を真似て書いているだけなので、左辺=右辺になってもならなくても、知ったことではない。
    でも、例題ではイコールになっているのだから、なるんでしょう?
    そんな、他人ごとのような感じが漂います。

    左辺は、変な代入をしているのに、右辺は、
    右辺=1
    と、やけにシンプルなのも不可解です。
    これは、
    1/2n(n+1)に、n=1を代入し、暗算したのだろうと思います。
    こういう代入のときは、なぜか暗算するのもその子の特徴でした。
    右辺=1/2・1・2=1
    と書いていくことがありません。

    高校数学がほとんどわかっていないのではないかと思われる子の中に、そのように、暗算だけはやたらとする子たちがいます。
    暗算する力があることに、プライドがあるのかもしれません。
    そこが拠り所になっていて、高校数学の成績が悪いのは、今たまたまそうなのであり、本当は自分は数学はできるのだと思いたい気持ちが強いのだろうかと想像してみることがあります。
    暗算を褒められた小学生の頃は、それだけで算数が得意のような気が自分でもしたし、他人もそう思ってくれた。
    だから、今も、暗算できるときは、すぐやってしまう・・・。
    ほとんどは、中学受験をした、中高一貫校の生徒です。

    しかし、それだけではないのかもしれません。
    単純に、文字を書くことに抵抗が強いので、できるだけ字を書きたくない。
    暗算で済むところは、暗算で済ませたい・・・。
    そういうことなのかもしれません。

    数学的帰納法をよく理解している子が、

    左辺=1
    右辺=1
    よって、n=1のとき、①は成り立つ。

    と書いている場合は、わかっているのだろうから、まあいいかと、実は私もスルーしがちです。
    だとしたら、数学が苦手な子に、どうでもいいところでケチをつけているだけなのだろうか?

    いいえ。
    そうではないのです。

    左辺=1+2+3+・・・+1

    と変なことを書いてしまっているため、わかっていないことがバレてしまっているのです。
    明らかに1より大きい左辺を書いていながら、
    左辺=右辺で、①は成り立つ、と書いてしまったら、それは、バレます。
    イコールの意味をそもそも理解していないのではないか?と疑われます。
    そのため、右辺に関しても、何だろうな、これはと、採点者は注目してしまうのです。

    さて、上の答案の続きを見ます。
    [2] n=kのとき、
    1+2+3+・・・+k=1/2k(k+1)
    n=k+1のとき、
    1+2+3+・・・+k+1=1/2n(n+1)
    よって、①は成り立つ。
    [1]、[2]より、①は成り立つ。

    何を書いているのか、本人にもわからないし、読む者にもわからない・・・。
    例題の模範解答をかいつまんでまとめてみました、という答案になっています。
    数学的帰納法が、本当に本当にわからないのだなあと悲しく感じます。
    説明したのだけれど。
    その子は、笑顔で聞いていたのだけれど。
    この断絶は、どうすれば解決するのだろうか?
    突破口はどこにあるのだろうか?

    数学的帰納法による自然数に関する等式の証明問題は、ほぼすべて同じ構造です。
    まず、[1] で、n=1のときに証明したい式が成り立つことを示します。
    それは、単純に代入して、左辺=右辺になることを示すだけで大丈夫です。

    次に、[2] で、n=kのときに、証明したい式が成り立つと仮定します。

    え?
    何で?

    ここの違和感が強いようなのですが、後でわかってきますから、ここはとにかく、n=kのときに、成り立つと仮定しましょう。
    その次に、その仮定を使えば、n=k+1のときも、その式が成り立つことを示します。
    ここが頑張りどころです。

    n=kのときに成り立つならば、n=k+1のときも必ず成り立つことを示せたら、
    n=1のときに実際に成り立っていたのですから、それより1大きいn=2のときにも成り立つことを示せたことになります。
    n=2のときに成り立つのですから、n=3のときにも成り立つことを示せます。
    ここは芋づる式です。
    そのようにして、すべての自然数で成り立つことを示せるのです。

    この理屈が、わかるかどうか・・・。
    数学的帰納法が理解できるかどうかは、そこにかかっています。

    実はそんなに難しい理屈ではありません。
    でも、話の通じにくい子はいます。
    論理的な話が、理解できない。
    音声は耳を素通りし、意味をなさないようなのです。
    文字なら理解できるのかというと、それは目が滑る様子で、やはり理解できない・・・。
    その子が、理屈を理解するすべがないのです。

    おそらくは小学生の頃から、音声による説明が上手く理解できなかったのだと思うのです。
    文字による説明も、うまく読み取れなかった。
    そこで、本人は、とにかく作業手順を真似るという方法を編み出した。
    それは案外上手くいき、受験算数すら、反復を重ねることでクリアできた。
    しかし、意味はわかっていない。
    論理にアクセスする手段がない・・・。
    それでは、高校数学はわからない。
    もう、無理なのか?

    無理なら無理で、もう仕方ないのでは?
    数学を使って受験しなければいいのだから。
    少なくとも、数ⅡBを使わなければいいのだから。
    高校数学なんかわからなくても生きていける。

    そう思うこともありますし、そういう選択をする子もいます。
    しかし、その子は、そういう選択をしませんでした。
    こんなにも数学がわからないのに。
    それでも、数ⅡBまでが試験科目にある学部を一般受験したい。

    それも、推薦入試などでは面接試験があるので、それが嫌だったからなのかもしれません。
    あるいは、進路について考えること自体が嫌で、自分で調べたり学校の先生に相談したりするのを後回しにし続けた結果、一般受験をするしかなくなったのかもしれません。

    高校三年生の秋。
    受験校の過去問をやってみましょうと話すと、その子の表情に明らかな拒絶が浮かびました。
    「え?過去問をやりたくないの?」
    私が問いかけると、うつむいてしまいました。
    「・・・過去問をやっても、合格点を取れる気がしないから、やりたくないんですか?」
    「やった・・・」
    「やった?過去問をもう解いたの?全部?」
    「1回」
    「1回分だけ?1年分だけ?」
    その子はうなずきました。
    「・・・それが最悪だったということ?」
    それにも、その子はうなずきました。

    仕方ないじゃありませんか。
    今まで逃げてきたんだから。
    理解することから逃げ、考えることから逃げ、頭を使うことから逃げ、逃げて逃げて、ここまで来たんだから。

    そう思わないでもありませんでしたが、
    ここより始まる。
    そうも思いました。

    もう逃げられない。
    逃げ場はもうどこにもない。
    それを理解したら、この子は、どうするのだろう?


    問題
    数学的帰納法を用いて、すべての自然数nについて、
    1+2+3+・・・+n=1/2n(n+1)
    が成り立つことを証明せよ。

    その子の受験校の1つの過去問に、数学的帰納法による証明問題が出題されていました。
    最初にそれを解いたときは、またも上のような答案でした。
    しかし、実際に出題された過去問に対しては、意欲や粘りが違ってきます。
    数学的帰納法とは何をどうすることであるか、その子は、私の解説を真剣に聞いていました。
    話を理解しようと思えば理解できる子なのか?
    首を傾げ、考え込み、長い時間をかけた後、その子は納得した様子でうなずいたのです。
    その類題として、上の問題を宿題に出したところ、以下の答案を書き上げてきました。

    [1] n=1のとき
    左辺=1
    右辺=1
    よって、成り立つ。
    [2] n=kのとき、
    1+2+3+・・・+k=1/2k(k+1) が成り立つと仮定する。
    n=k+1のとき、
    1+2+3+・・・+k+(k+1)
    =1/2k(k+1) +(k+1)
    =(k+1)(1/2k+1)
    =1/2(k+1)(k+2)
    =1/2(k+1){(k+1)+1}
    よって、成り立つ。
    [1]、[2]より、成り立つ。

    かなりきわどい省略もされていますが、後半、式の変形の部分で、本当に理解して答案を書いているのが感じられます。
    仮定を利用して、式の一部をまず置き換えて。
    それを、証明したい式の右辺に、似せていく努力をする。
    その流れを理解している答案でした。

    ついに覚醒した。
    数学は、本当に必要に迫られた子が、受験までもうギリギリの時期に、突然覚醒することがあります。
    考えることを拒絶していた子が、考えることを始めると、頭の中でこれまでのすべてがつながるのかもしれません。
    待って、待って、待った甲斐があった。
    ついに来た。
    「正解ですよ。凄いです」
    感心する私に、相変わらず言葉は少ないものの、その子は防衛的ではない笑顔を見せました。

      


  • Posted by セギ at 14:36Comments(0)算数・数学

    2023年10月25日

    みたか太陽系ウォーク、コンプリートしました。2023年。


    先週の金曜日から始まった、「みたか太陽系ウォーク2023」、昨年に続き、今年も参加しました。
    昨年から、アプリを用いたウォーキングイベントになった、この太陽系ウォーク。
    昨年に参加した方はご存じと思いますが、アプリの不具合が頻発し、目的地のGPSはなかなかアプリに反応せず、ウォーキングイベントというよりも障害物走に近い印象がありました。
    それだけに、コンプリートの感慨はひとしおでしたが。

    今年は、スタンプポイントが、98か所。
    昨年は136か所だったと記憶しているので、かなり減って、シンプルになりました。
    昨年は市内全域にスタンプポイントが広がり、どうやっても、一筆書きでコンプリートは不可能。
    私は参加がほぼ10年ぶりで不慣れだったこともあって、三鷹市内を5周くらいした印象があります。
    今年は、随分周りやすく計画されたポイント設置と感じました。

    さて、10月20日(金)、イベント初日。
    仕事終わりに、まず三鷹駅周辺を回ることにしました。
    駅周辺は、微弱なフリーWi-Fiがそこら中からあふれて、スマホの動きが遅く、アプリの反応も遅いので、夜のほうがいい。
    これは、昨年学んだ知恵です。
    ところが、三鷹駅の真ん前でアプリを開いても、何の反応もない!
    昨年から引き続き、削除もせずにスマホの第1面に鎮座する「ミイね!」アプリは、普段は観光案内、市内の商店街案内的なアプリです。
    この時期だけは、太陽系アプリに変貌します。

    どういうことだ?
    「設定」を見て、「ガイド自動切替」がOFFになっていたので、試しにONにすると、たちまち「三鷹駅」その他2か所の反応が!
    「設定」画面の3つのものはすべてONにしておかないと、アプリが普通に動かないのです。
    うーん、これは昨年にはなかったことだ。

    さて、初日は、「三鷹駅」の他、昨年苦戦した、
    4.三鷹ヒロクリニック南口本院
    5.第一ゼミナール駅前スタジオ教室
    を早めにクリアすることに決めました。
    この2か所は、どこにあるか、わかりにくいんです。
    アプリ内のデジタル地図を最大に拡大しないと、場所を特定できない。
    しかし、拡大しすぎているせいで、全体の地理把握がうまくできない。
    三鷹駅の南西側の道は、意外に入り組んでいて、普段あの辺りを歩かない者にとっては、一瞬で方向感覚がおかしくなる妙な感じがあります。
    なぜ、この道を直進したら、ここの交差点に出るんだろう?というような、ぐらっと来る感覚があるのです。
    道が垂直に交わってはいないからですね。
    それでも、クリニックは、昨年、ビルの外観を覚えたので、わりとすぐにクリア。
    学習塾のほうは、結局、発見できないまま、電波だけは何とか拾うことができました。


    10月21日(土)
    さて、この日も、仕事終わりに、三鷹駅付近のポイントをまとめて集めていくことにしました。
    三鷹中央通り商店街で、スタンプを順調にゲット。
    途中で、さくら通りに移動。
    さらに、
    47.みたか井心亭
    28.山本有三記念館
    そこから、三鷹通りに移動しました。
    これだけで大量にスタンプをゲット。
    三鷹駅付近は、効率がいいです。

    帰宅して、道路地図のコピーを取り、ポイントを書き込みながら戦略を練りました。
    昨年度、国立天文台などの大沢方面から、新川のほうに大移動したのは、効率が悪いうえに大変でした。
    道に迷ってしまったのも大きかったです。
    坂の上り下りも多く、三鷹の地形の複雑さも実感しました。
    三鷹も、河岸段丘があるんですね。
    この2か所は行く日を分けたほうがいい。
    明日は、新川方面を中心に。
    そして、大沢方面は、また別の日に。


    10月22日(日) 秋晴れ
    絶好の太陽系ウオーキング日和です。
    朝から出発。
    三鷹通りを行きます。
    まずは、大成高校付近のポイントを集め、さらに、三鷹図書館本館へ。
    そこから、東八道路に出て、
    84.元気創造プラザ へ。
    こういう大きな施設は、電波も強く発信されているかと思うとそうでもなく、道路からはキャッチできませんでした。
    裏手に回り、建物の入口にて、ようやく受信。
    隣りの、
    83.JA東京むさし三鷹緑化センター
    も、道路からは受信できず。
    敷地内に入っていき、ようやく受信できました。

    さて、ここからは失敗できない新川エリア。
    泣く泣くまた戻るのは嫌です。

    ここで、問題発生。
    94.wata 焼き菓子
    が、見つからないのです。

    地図を拡大し、杏林大学の東側、ファミリーマート三鷹杏林前店の近くにあるのは確認したのですが、その付近でアプリを立ち上げても、気配ゼロ。
    ぐるぐる周囲を巡っても、お店が見当たらない・・・。
    焼き菓子のお店が、路面店でないということは、あり得るのだろうか?
    もしかしたら、デジタル地図が間違っているのだろうか・・・?
    こういう場合、アプリを立ち上げたまま、10㎝ずつ移動するしかありません。
    ほんの一瞬、アプリが反応して、すばやくつかまえました。
    ああ、良かった。
    これだけで、30分ほどかかりました。
    ここは、「また来ればいいや」とはならない遠い場所なのです。
    なお、これを書いている今(10月25日)、確認のためにデジタルマップを開いたら、
    94.wata 焼き菓子
    は、東八道路より北に位置することになっています。
    いや、さすがにそこじゃないと思う・・・。
    移動する店。
    謎です。

    さて、あとは、
    98.セブンイレブン三鷹新川1丁目店 
    まで順調にスタンプをゲットして行きました。
    ここが、今年は唯一の「冥王星」エリアです。

    さて、新川エリアにもれはないか、2度確認して、そこから、
    78.東部図書館
    に向かいました。
    天神山通りは、わかりやすい一本道で、歩道も広く、農園などの緑も多くて快適な道でした。
    うん、楽しい。

    さて、東部図書館。
    「お1人15冊まで」という図書館の掲示を二度見しました。
    そんなに借りられるの?
    子ども向けの絵本は、それくらい1度に借りたい人もいるのでしょう。
    図書館前には木陰のベンチがあり、ここで昼食を取りました。
    秋晴れの日曜日の図書館。
    ときおり人が入ったり出たりするのもほどよい感じです。
    いい雰囲気です。

    さて、東八道路に出て、東へ。
    目的地は、
    80.花と緑の広場
    ここは、東八道路からキャッチできましたが、良さそうな雰囲気だったので、入ってみました。
    花がたくさん咲いている公園でした。
    コスモスが風に揺れていました。

    さて、そこから三鷹台駅方面へ。
    ここも、そんなに気軽にまた来ようとはならない場所。
    慎重に、スタンプ帳を確認。

    さらに、井の頭公園駅付近へ移動。
    ここは、私が学生時代に住んでいたアパートがあった町です。
    71.栗原ストアー
    は、毎日のように買い物をした店でした。
    懐かしいなあ。
    そして、今年は、なぜか記憶がクリアで、迷うことなく昔住んでいた場所を探しあてました。
    感慨深く、建物を見上げました。
    無論、建て替えられていますが。

    そこから、井の頭公園へ。
    46.三鷹の森ジブリ美術館
    その通りをどんどん南下。
    ここで難関は、
    52.有限会社太田ふとん店
    昨年もそうでしたが、大通りに面している店ではないので、どこにあるのかよくわからないのです。
    付近をゆっくりと巡って、何とかキャッチ。

    連雀通りへ曲がって西へ。
    ここで、今年の最難関に遭遇。

    57.日産東京販売株式会社三鷹店

    こんなに大きな店舗の、しかも入口に立っても、アプリに反応がない!
    向かいの小さなラーメン屋さんはアプリに表示されているのに。
    5分待っても、反応がない。
    周囲を回って、方角を変えてアプリを開いても、反応がない。
    これは、元からOFFなのでは?

    しかし、今年から、みたか太陽系ウォークのアプリには新たな機能が搭載されたのです。
    店頭に貼られたポスターのQRコードからも、スタンプがゲットできるのでした。
    おそらく、昨年度の参加者の要望から生まれたものなのでしょう。
    反応が悪いとき、代替手段があるのはありがたいです。

    よし、ここでQRコードを使おう。
    と思ったら、画面が真っ黒で、カメラが起動しません。
    今年度最悪の苦闘が始まりました。

    アプリに反応がない。
    QRコードも読み取れない。

    これでは、スタンプをゲットできない。
    コンプリートできない。
    私が悪戦苦闘する間にやってきた人たちは、皆、やはりアプリを開いても反応しないようで、首を傾げていましたが、QRコードでさっとゲットして、次のポイントに移動していきました。
    うらやましい。
    なぜ、私のアプリだけ、画面が真っ黒で読み取れないのか?
    そこで気持ちを落ち着かせて、「アプリ利用でお困りの方」をクリック。
    「カメラが起動しない」
    というページがあり、「アプリにカメラアクセスを許可していないことが原因と思われます」と書かれていました。
    操作方法も。
    その通りにしたら、カメラが起動しました。
    そして、何とか、QRコードから、スタンプをゲット。
    30分以上のタイムロスをしましたが、諦めなくて良かった。
    頑張った、自分。
    あとは、連雀通りを西へ移動しながら、順調にスタンプをゲットしていきました。


    10月24日(火) 秋晴れ
    本日はコンプリートを目指し、自転車で大沢方面へ。
    山中通りを西へと進みながら、まだ回れていなかった箇所を順調にゲットしました。
    そして、
    95.国立天文台
    いったん、東八道路に戻って、
    96.西部図書館
    さらに、
    97.大沢の里古民家

    大沢の里古民家は、野川沿いの遊歩道に面しているので、馴染みのある場所です。
    しかし、昨年も反応が悪くて、苦戦した場所でした。
    昨年は中に入り、建物の前でようやく反応したのです。
    ところが、今年は、建物に通じる入口が閉じられていました。
    火曜日は定休日なのかな?

    アプリに反応はない。
    建物の入口に掲示してあるのだろうポスターにQRコードが書いてあるとしても、そこに近づく方法がない。
    これは・・・。
    日産以上の大惨事が、ここにきて勃発か?

    入口は閉じられていますが、迂回して、雁木坂を登っていく細い道があることを、以前に歩いて知っていました。
    そこのどこかで、反応するかもしれない。
    それしか、望みがありません。
    アプリを立ち上げたまま、一歩ずつゆっくりと雁木坂を登っていきました。
    全く反応がない・・・。
    観光名所なので、いくつかの音声ガイドの目次が画面に現れます。
    これらが妨害しているのかもしれません。
    もう無理か?
    そう思った一瞬、反応がありました。
    竹林の中で、スタンプをゲットしました。

    やった。
    ついにコンプリートです。
    このとき見上げた空が、一番上の画像です。

    さて、いったん家に帰り、教室に行くついでに、三鷹ネットワーク大学へ。
    10月24日(火)から、もう景品交換が始まりました。
    これも、昨年は景品交換の開始が遅く、その前にスタンプ帳が消えるという惨事が起こった人がいたことをふまえての措置かもしれません。
    私も心配なので、コンプリート当日、すぐに交換に行きました。

    ケプラー賞 スタンプ30個以上 クリアファイル
    林忠四郎賞 スタンプ50個以上 ハンドタオル
    古在由秀賞 スタンプ80個以上 定規
    コンプリート賞 ノート・記念シール

    すべていただきました。
    下が、その画像です。
    今年のクリアファイルは、オレンジ色で、可愛いです。
    画像では、裏側になっていますが、本当にきれいなオレンジ色です。
    去年のクリアファイルも勿体なくてまだ使っていないけれど、今年のも、可愛くて使えないなあ。
    ハンドタオルは、ミニタオルで、散歩中にポケットに入れておくのに便利なサイズ。
    定規は、使い勝手はそんなに良くなさそうですが、デザインは好きです。
    ノートは、去年と同じデザインですが、オレンジ色が濃くなっています。赤に近い。
    記念シールは、来年の手帳の表紙に貼ろう!

    今年も、本当に楽しかった。
    あっけなく終わって、勿体なかったかもしれません。


      


  • Posted by セギ at 13:14Comments(0)講師日記

    2023年10月20日

    英語長文読解。具体例から論理を推理する。


    ホトトギス。都立野川公園にて。
    さて、辞書を引くことができない状態で英語長文読解問題を解かねばならない機会は多いです。
    入試に辞書持ち込みが許可されている大学も少数ながらありますが、いちいち辞書を引いていたら時間が足りないのが現実。
    学校の定期テストや英語検定となると、辞書は持ち込めませんし。
    自分の知っている単語だけで勝負していかなければなりません。
    どこまで頑張っても、わからない単語が1行に1個くらいあるのは覚悟の上。
    それでも英文の意味を取っていくことが必要となります。

    そもそも単語力がなくて、1行にわからない単語が3つも4つもある場合、それはさすがに読み取りは無理なので、単語を覚えましょう。
    それは、大前提です。
    単語の覚え方については、過去にも幾度となく書いてきましたが、毎日1時間、単語を覚える時間を作って、それを半年続けて、それでも何も効果がない、ということはありえないです。
    毎日1時間、半年続ける。
    それさえやれば、人生が変わります。
    多くの人は、それができないだけなのです。
    高校の英語の授業の、週1回の単語テストのために、前日か当日にちょろちょろっと単語暗記したことを、「努力している」と誤解している人は多いです。
    「やってるもん!」と口をとがらせます。
    しかし、私は、それは「何もやっていない」のカテゴリーに入れます。
    だって、それでは効果が表れないですから。
    単語暗記は、反復するしかないのです。
    覚えても、覚えても、覚えても、忘れていく。
    頑張っているのに、何で覚えられないのだろう?と自分をのろい、頭を抱え、涙を流して。
    それでも諦めずに頑張った人だけが、気がつくと違う地平に立っているのです。
    即効性など期待できません。
    まず、半年努力する。
    頑張りましょう。

    さて、そうやって、わからない単語は1行に1単語程度になったとして。
    それで、もう楽々と長文読解問題の正答率を上げていく人もいれば、それでも、何だか英文の意味が取れない・・・という人もいます。

    以下の文を読んでみましょう。
    まずは、文章全体の冒頭の1文です。

    Work expands so as to fill the time available for its completion.

    英文の冒頭を読むとき、読みにくいなあと感じるのは、話題の見当がつかないからです。
    それは、英文をかなり読み慣れてもそうなので、ここで諦めないことです。

    「わからない単語はありますか?」
    「あります・・・」
    「どれが?」
    「completion」
    「・・・complete の意味は?」
    「完成する」
    「では、それの名詞形ですよ。どういう意味になりますか?」
    「完成すること」
    「・・・はい。『完成』ですね」
    「ああ・・・」
    「あとは大丈夫?so as to の意味は?」
    「~するために」
    「うん。available の意味は?」
    「利用可能な」
    「うん。よく覚えていますね。では、1文目を訳してみて」
    「仕事は、その完成のために利用可能な時間を満たすために拡大する」
    「はい」
    「・・・どういう意味ですか?」
    「そうね・・・」

    日本語に直してはみたものの、意味がわからない・・・。
    英文には、そういうことがあります。
    まして、文章の冒頭となると、何が言いたいのか、本当にわからない、ということは当然あります。

    こういう、作者の「論」を述べている文は、このようにとかく抽象的で意味がわかりにくいのです。
    しかし、その後に具体例を述べて、わかりやすくしてくれているのが普通です。
    英文は、(そして、日本文もそうですが)、1段落に1つの内容しか述べないことになっています。
    だから、1つの段落のどこかで意味を理解できれば、そこから全てが氷解する、ということがあります。

    続く2文目。

    General recognition of this fact is shown in the proverbial phrase "It is the busiest man who has time to spare."

    「わからない単語はありますか?」
    「proverbial」
    「proverb の意味は?」
    「ことわざ?」
    「そうです。それの形容詞形ではないですか?『ことわざ的な』という意味では?」
    「ああ・・・」

    単語暗記をそれなりに頑張っても、英文の読めない子の1つの特徴として、派生語を把握できない、ということがあります。
    1文字違うと、もう把握できない。
    頭が固い、と言ってしまえばそれまでですが、派生語についての理解がないということもあるかもしれません。
    それは、品詞に対する知識がないことも、1つの原因かもしれません。
    同じ単語の動詞形、名詞形、形容詞形、副詞形というものがあっても当然だ。
    そのような認識で英文を読めば、理解できる単語は爆発的に増えます。

    「他にわからない単語は?」
    「ぷれーず?」
    「ぷ?phrase ですね」
    「ああ」

    その前のプロバービアルの読みに引きずられたのだろうとは思うのですが、ph は f の音、と把握できていると読むのが楽になります。
    スペルを覚えるためにローマ字読みを優先してきた「ペーパーテスト系の子」に、このように、もう既に日本語になっている英単語の存在に気づかない子がいます。
    これは、「フレーズ」。
    「句」という意味です。
    「あの歌の歌詞はいいフレーズが多いよね」
    などと、日本語でも使います。
    もう日本語になっている英単語は多いので、それを認識できると理解できる単語はさらに増えます。

    「では、訳してください」
    「この事実の一般的な認識は、ことわざ的なフレーズに示される。『それは、割く時間を持っている最も忙しい男だ』」
    「・・・意味、わかりますか?」
    「わかりません」

    "It is the busiest man who has time to spare."

    「it の中身は何ですかね?」
    「the proverbial phrase ?」
    「でも、この文はSVCですから、it =the busiest man の構造ですよね。だったら、it の中身は人間のはずです」
    「ああ・・・」
    「これは、強調構文なんですよ」
    「ああっ」
    「では、日本語にしてみて」
    「割く時間を持っているのは、もっとも忙しい男だ」
    「わかりますか?」
    「わかりません・・・」
    「では、続きを読んでみましょう」

    さらに具体例が続きます。

    Thus, an elderly lady of leisure can spend the entire day in writing and dispatching a postcard to her niece in London. An hour will be spent in finding the postcard, another in hunting for spectacles, half an hour in a search for the address, an hour and a quarter in composition, and twenty minutes in deciding whether or not to take an umbrella when going to the mailbox in the next street.

    お気づきの方も多いと思いますが、この文章、書かれたのが20世紀なので、今のジェンダー平等的な観点からいえば、言葉遣いに難があります。
    人間のことを man と呼ぶのは、今の英語ではありえない。
    悪い例に「おばあさん」と性別を指定するのもダメです。
    今、イギリスの新聞にこんなエッセイが掲載されたら炎上するでしょう。
    いや、そもそも掲載されないと思います。
    しかし、長文読解問題としては解く価値のある英文なので、遺憾ながら使用しています。
    具体例から、著者の「論」を推理する基本問題として、良い英文なんです。
    ちょっと古いともう価値がないと誤解する今どきの高校生をなだめながら。

    勿論、それと並行して、最新の大学入試過去問も使用していますが、Facebook やAmazon の経営者の言動がやたらと出てくるだけで、あまり読む価値のない文章もあります。
    新しい文章であることは間違いないのですが。
    アップデートしているイメージを保つため、そして生徒の興味を引くためには有効。
    1種の息抜き問題と言えるかもしれません。

    それはともかく。
    さて上の例は、言葉遣いも易しいので、上記の生徒も内容をよく読み取れました。
    「このおばあさんの行動を、簡単に述べてください。正確な訳でなくて構いませんから。ざっくりと」
    「おばあさんが、姪に、ハガキを送る」
    「うんうん」
    「まず、ハガキを探すのに1時間かけて」
    「はい」
    「眼鏡を探すのに、1時間。住所を探すのに30分。文章を書くのに、1時間15分。ポストに入れるために外出するのに傘を持っていくか決めるのに、20分」
    「素晴らしい。よく意味が読み取れています」

    Work expands so as to fill the time available for its completion.

    ここで、この冒頭の英文に戻りました。
    「仕事は、利用可能な時間を満たすために拡大する。この意味がわかりましたか?」
    「・・・わかりません」

    "It is the busiest man who has time to spare."

    「割く時間があるのは、もっとも忙しい人だ。この意味がわかりましたか?」
    「わかりません」

    ・・・うーん。

    ということで、その次の文を読んでみます。

    The total effort that would occupy a busy man for three minutes all told may in this fashion leave another person prostrate after a day of doubt, anxiety, and toil.

    さて、設問は、この文に下線が引かれてあり、これとほぼ同じ意味の英文を選ぶ4択問題になっていました。
    この英文を解釈するのは、単体では、難しいかもしれません。
    でも、今までのところを理解していれば、大体の意味は取れるので、正解できるのです。

    「さあ、この文で、第1段落が終わります。今まで著者が言っていたことを繰り返しているだけです」
    「わからないです」
    「・・・何が?」
    「all told とか、in this fashion とか、prostrate とか、toil とか、わからない・・・」
    「大丈夫ですよ。些末なところは無視しましょう。和訳しろと言われているわけじゃないんです。文意が取れればいいんです。大体どういう意味ですか?」
    「わからない・・・」

    細かいところがわからないと、不安になって、意味がとれない。
    高校生としては十分な単語力がもうついているのですが。

    ここからは、独学では難しい領域です。
    独学では、ここで全訳を見てしまい、何だそういう意味かと安心して、終わってしまうのです。
    all told 、in this fashion 、prostrate、toil の意味をそれで覚えるのなら、それもまた何か少しは意味があるでしょうが、大学受験にはそれでは間に合わない。
    それらの単語・熟語がわからなくても、設問には正解できる。
    そういう学力が必要なのです。
    それが実践力です。

    もう一度、英文を見てみましょう。
    The total effort that would occupy a busy man for three minutes all told may in this fashion leave another person prostrate after a day of doubt, anxiety, and toil.

    「訳せるところだけ、訳してみて。わからない部分は英語のままでいいし、無視してもいいよ」
    「・・・忙しい男に3分を占領させる全体の努力が、別の人は1日。疑って、疲れて」
    「素晴らしい!それで十分。つまり、どういう意味?」
    「・・・わからない・・・」
    「第1文に戻りましょう。『仕事は拡大する』。次の文は、『割く時間があるのは、もっとも忙しい人だ』。どういうことでしょうか?」
    「・・・わからない・・・」
    「どんな人と、どんな人が比較されていますか?」
    「忙しい人と、別の人」
    「別の人。例えば?」
    「おばあさん」
    「そうそう。忙しい人と、おばあさん。ここで例として出されている仕事の内容は?」
    「・・・ハガキを書くこと」
    「その仕事にかかる時間は?忙しい人は?」
    「3分」
    「おばあさんは?」
    「1日」
    「そう。つまり、仕事は、膨張する」
    「・・・わからない・・・」
    「大丈夫。もうわかっています。選択肢を読んでみて。答がわかったら、言って」

    選択肢を日本語に訳すと。
    1 . 暇な人は、1つの仕事を、さまざまに考慮して丁寧に行う。
    2 . 仕事は時間をかけただけの効果がある。
    3 . 同じ仕事が、人によってかかる時間が違う。
    4 . 忙しい人に仕事を頼むのは、その人をわずらわせることだ。

    「答は?」
    「3?」
    「はい、正解」
    「えー・・・。あ。ああ!そういうことか!」
    「はい。読解とは、そういうことなんですよ」

    下線を引いてある英文は、難しい文だから引いてあるのです。
    そして、重要だから、引いてあることも多いです。
    その2つを兼ね備えているこの設問の作り方は、惚れ惚れするようです。
    そして、下線部に多少わからない単語・熟語があっても、そこまで読み進めることができたのなら、正解できるのです。
    良問です。

    論でわからないことは、具体例で読み取る。
    少しくらいわからない単語があっても、わかる部分をしっかり読んでいく。
    つまりどういうことなのか、常に考えながら読んでいく。
    1つの段落には、1つのことしか書かれていない。
    その1つを読み取るだけでいいのですから。
    そういう読み方は、体得するまでには補助が必要です。
    そのように文章を読んだことのない子が、自力で体得するのは、相当に難しいと思います。

    「仕事は、忙しい奴に頼め」
    日本でも、そのようなことわざ的なものは存在しますね。
    暇な人間に、暇だからできるだろうと仕事を頼んでも、いつになっても出来上がらない。
    忙しい人のほうが、時間を捻出して、さっとやってくれる。
    仕事の質も高い。
    そういう考え方があります。
    高校生にはなじみのない考え方かもしれません。
    それを知るという意味でも、現代に通用する良問だと思います。

    私見を言えば。
    悪い例として出ている、姪に葉書を書き送るのが1日仕事になっているおばあさん。
    私は、何だかチャーミングだなあと思うのです。
    そして、忙しい人が3分で送信したメールは、受け取った姪は読み終わって返信したら消去するかもしれないけれど、おばあさんの1日仕事の葉書は、しばらくボードにピンで止めておき、後には文箱に保管すると思うのです。

    ラジオで聴いた好きなエピソードがあります。
    あるラジオパーソナリティが、久しぶりに帰省したら、新聞から顔を上げたおじいさんが言ったというのです。
    「恐ろしいことだよ。朝刊を読んでいると、もう夕刊が届くんだよ」

    タイパもいいですけれど、ゆったり時間を使うことの中にも、価値のあることがきっとある。
    そんなことも考えてしまうのです。
    私自身は、今年度、大学受験生が今までで最多の人数になり、タイトなスケジュールの中、過去問分析に時間を使い果たす日々なのですが。

      


  • Posted by セギ at 13:13Comments(0)英語

    2023年10月13日

    数Ⅱ「高次方程式」。ωの計算。


    画像はワレモコウ。都立野川公園で撮影しました。
    ようやく秋ですね。
    さて、今日は、ω の話。
    まずは問題から。

    問題 x^3=1の虚数解の1つを ω とするとき、以下の式の値を求めよ。
    (1) ω^12+ω^6+1
    (2) ω^10+ω^5+1
    (3) ω^7+ω^8

    高次方程式に関する問題の1種です。
    しかし、混乱する高校生が多いのが、この ω に関する問題です。
    あまりにも唐突に出てきて、違和感が強すぎる。
    意味がわからない、ということのようです。
    そもそも、読み方すらわからない、という声さえ聞きます。
    間違えて「シグマ」と読む子もいます。
    シグマは Σ。
    「数列」の学習で出てくる記号です。

    ω は「オメガ」と読みます。
    ギリシャ文字です。
    数学にギリシャ文字が出てくることに違和感があり、迷惑に感じる高校生もたまにいるようです。
    α、β 程度でも、慣れない様子で、a , b と読み間違えてしまう子もいます。
    覚えることが1つ加わって、ハードルが高くなってしまうようです。

    以前も書きましたが、
    「文字を沢山使っているのは、数学としては邪道。傍流の問題。計算問題こそが、数学の本流」
    という謎の思い込みの強い子もいます。
    おそらく、小学生の頃から、計算問題こそが算数・数学だという謎の思い込みをしていて、そして、計算は比較的得意だったのでしょう。
    自分が得意なものの価値が目減りしていくのは、確かにつらいですよね。
    文字が含まれると、答が1つにはっきり定まらないことがあるので、
    「こんなのは、数学じゃない。こんなのではない数学の問題を解きたい」
    という気持ちが強くなってしまう子もいます。
    しかし、数学は、高度なものになればなるほど、文字ばかりです。
    計算すら正しくできないのは論外だが、計算だけ出来ても仕方ない。
    そういうふうになっていきます。
    そこへの気持ちの切り替えがまず必要です。

    とはいえ、ギリシャ文字は、普段使わない文字なので、その違和感は理解できます。
    書き慣れていないので、書きにくいですし。
    ω は小文字で、大文字は Ω です。
    Ω は、「オームの法則」で有名な、電気抵抗の単位を表す記号です。
    この説明をすると、高校生の顔が微妙に和らいだりします。
    Ω は許容範囲なのでしょう。
    要するに、慣れの問題なのだと思います。

    さて、本題。
    x^3=1 の虚数解の1つが ω です。

    ところが、ω=1であるという誤解をして、上の問題を異様に簡単に解いている子がいました。
    (1) ω^12+ω^6+1=1+1+1=3
    (2) ω^10+ω^5+1=1+1+1=3
    (3) ω^7+ω^8=1+1=2

    というふうに単純に解いていました。
    これ、解き方は間違っているのですが、実は、答だけなら、(1)は正解です。
    そのことが、その子の誤解をさらに深めてしまったのかもしれません。
    たまたま答が当たっていたことで、
    「何だやっぱり自分のやり方で正しいんじゃないか」
    と自信をもってしまったのでしょう。
    わざわざ面倒なことをしなくても、ω=1を代入すれば正解が出ると誤解したのだと思います。
    そうするうちに、「虚数解」という言葉は吹き飛び、1の3乗根 ω=1、という誤解が固まったのでしょう。

    その子は、ものごとをひどく単純化してしまう癖がありました。
    複雑なものごとをまるっと丸めてしまうのです。
    そんなに簡単にできるのならば、最初から簡単に説明します。
    そうはいかないから、こうして複雑なままなのですよ?
    そう話すと、にこにこ笑ってやり過ごす。
    またその次には、まるっと丸めて、誤答。
    そういうことを繰り返してしまう子でした。

    しっかり教えたはずなのに。
    授業中は正解していたのに。
    学校でも授業を受けているはずなのに。
    宿題は、全て、ω=1で解いて、大半は不正解となっていました。

    多くのことを勝手にまるっと丸めてしまう子は、こういうことの繰り返しです。
    一歩進んで、三歩後退。
    そして、次の授業で二歩前進。
    さらに次の授業でやっと一歩前進。
    習得まで、他の子の3倍の時間と手間がかかります。


    ω は、1の3乗根のうちの、虚数解です。
    ω といういう文字で表していますが、虚数単位 i を用いて表すことも可能です。
    試しに、3次方程式として、解いてみましょう。

    x^3=1
    x^3-1=0
    因数分解の公式を使えます。
    (x-1)(x^2+x+1)=0
    x^2+x+1=0 のとき、
    x=-1±√1-4 /2
     =-1±√3i /2
    共役な2つの複素数の解が得られました。

    え?それのどっちが ω なの?
    と高校生に質問されることがあるんですが、結論としては「それはどっちでもいい」となります。
    ここも高校生には理解しづらいところのようです。
    どっちでもいいわけないだろうと思うらしいのです。
    でも、本当にどっちでもいいのです。
    解答に影響しないのです。
    上の問題では、x^3=1の複素数の解の1つを ω とする、としてあるだけです。
    どちらと限定していません。
    それは、どちらでも同じ結果が得られるからです。

    ω=-1+√3i /2 としてみましょう。
    ω^2=(-1+√3i /2)^2
      =1-2√3i+√3^2i^2 /4
      =1-2√3i-3 /4
      =-2-2√3i /4
      =-1-√3i /2
    お?
    ω^2 は、ω と共役の複素数、-1-√3i /2 となりました

    今度は、ω=-1-√3i /2 としてみましょう。
    ω^2=(-1-√3i /2)^2
      =1+2√3i+√3^2i^2 /4
      =1+2√3i-3 /4
      =-2+2√3i /4
      =-1+√3i /2
    あ。
    やはり、ω^2 は、ω と共役の複素数、-1+√3i /2 となりました。
    つまり、ω が1の3乗根ならば、ω^2 も1の3乗根なのです。

    なぜω^2 にそんなこだわって説明しているか?
    上のx^3=1に戻って考えましょう。
    x3-1=0
    (x-1)(x^2+x+1)=0
    でした。
    x-1=0 のとき、x=1。
    これは、1の3乗根の1つが1であることを表します。
    そして、もう1つの( )の中身、すなわち、X^2+x+1=0 の解 が、x^3=1の虚数解 ω です。
    すなわち、x=ω を代入すると、
    ω^2+ω+1=0
    この式は、ω^2 と ω を入れ替えても、関係は変わりません。
    どちらがどちらでも、同じことなのです。
    そして、上のような問題を解くときに、この式は使い道が多いのです。

    ここまでのところをまとめます。
    ω は1の3乗根ですから、
    ω^3=1 です。
    そして、
    ω^2+ω+1=0
    この2つのことを使って、問題を解いていきます。

    (1) ω^12+ω^6+1の値。
    ω^3=1ですから、
    ω^12+ω^6+1
    =(ω^3)^4+(ω^3)^2+1
    =1+1+1
    =3

    (2) ω^10+ω^5+1の値。
    ω^10+ω^5+1
    =(ω^3)^3・ω+ω^3・ω^2+1
    =ω+ω^2+1
    =0

    (3) ω^7+ω^8 の値。
    ω^7+ω^8
    =(ω^3)^2・ω+(ω^3)^2・ω^2
    =ω+ω^2

    うん?
    これは、これで終わり?
    いいえ。
    ω^2+ω+1=0 より
    ω^2+ω=-1
    よって、
    ω^7+ω^8=-1 
    です。

    ω がどちらの虚数解であるかは、やはり何も影響しませんでした。
    ω に関する問題は、このような知識を利用するだけの問題。
    わかってみれば得点源です
    もしもテスト中に忘れたら、x^3=1 を自分で解き直せば、ω^2+ω+1=0の式は復元できます。

      


  • Posted by セギ at 13:06Comments(0)算数・数学

    2023年10月04日

    小数のわり算から読み取れる数学力。


    小学生の算数の習熟度を見る1つの目安に、小数のわり算があります。
    もちろん、筆算の必要な小数のわり算です。
    多くのご家庭では、子どもに算数のことを質問されてから教えます。
    「子どもの勉強を見ること」=「わからないところを教える」
    になりがちです。
    そして、たいてい、子どもの質問は文章題です。
    しかし、そもそも計算が上手くできていないということがありえます。
    子どもは、計算問題については親に質問しません。
    答が間違っていても、計算ミスをしただけだろうと、親も子どもも思ってしまいます。

    文章題も心配だとは思いますが、まずは、子どもが計算している様子をじっくり見てあげてください。
    とんでもないことが起きている可能性があります。

    例題 11.985÷1.7 を計算しなさい。

    ただ計算しなさいとだけ書いてある場合は、これは、割り切れるのでしょう。
    割り切れるまで、割り進めます。

    小数点を移動させることは、たいていの子どもは覚えています。
    ただ、その意味は、理解していないかもしれません。
    わり算は、わる数とわられる数の両方を10倍しても、商、すなわちわり算の答は変わりません。
    例えば、
    10÷5=2
    100÷50=2
    1000÷500=2
    また、逆に、わる数とわられる数の両方を10分の1にしても、商は変わりません。
    1÷0.5=2

    こうした性質を利用して、わり算の筆算を行います。
    11.985÷1.7の商と、119.85÷17の商は同じです。
    そのことを利用して、わり算の筆算を行います。

    ここまでは、まずクリアできたとして。

    私が教えてきた生徒の中で、一番困った状態だった子は、筆算のわる数とわられる数を逆に書いてしまう子でした。
    119.85÷17 の場合に、119.8を左端に書き、わり算の「がんだれ」のようなものの中に、17を書いてしまうのでした。

    おそらく、わり算の筆算を最初に学習した頃は、正しく書くことができたのだと思うのです。
    多分、ノートをきれいに書くことを優先してしまったのでしょう。
    算数のノートは、左端から詰めて書いていきたい。
    だったら、わる数から書いたほうがいい。
    最初は、そうやって自分なりの工夫でやっていたことが、そのうちに、どちらをどちらに書くか、わからなくなってしまった・・・。
    そういうことのようでした。

    ノートを左端から詰めて書いていくことなんて、どうでもいいことなのに・・・。
    式に書いてある順番通りに、わり算の「がんだれ」の中にわられる数を書いていくことを常に優先していたら、こんな混乱は起こらなかったのに。
    本人の記憶では、わられる数のほうを左端に書くことになっていたはずのようで、それは間違いだと言われて混乱し、頭の中でその折り合いがつかない様子でした。
    そのようなことも後々起こりえますから、子どもがわり算の筆算をしている様子は、ときどき見て、何か不自然なことをしていたら助言したほうがいいと思います。
    算数・数学が後々苦手になる子ほど、不自然な「本人なりの工夫」をすることがあります。
    優先するべきことが違うのです。

    さて、筆算の準備は正しくできたとして。
    次に、どこに商が立つかを理解できること。
    1の中に、17は1つもない。
    11の中に、17は、1つもない。
    119の中に、17は、いくつかある。
    よし、9の上に数字が立つぞ!

    しかし、わり算の筆算の最大の課題は、商の数字がなかなか立てられないことでしょう。
    スパンと一度で「7」が立つと気持ちいいですが、「9」から立て始めて、消して、「8」を立てて、消して、それで不安になって、「6」を立ててしまう不器用な子、案外多いです。
    商の立て方が余程わからなかったのか、どのわり算でもまず「5」を立てて、そこから1ずつ上げたり下げたりして調整している小学生を見たこともあります。

    必要なのは、17×1ケタのかけ算の暗算をする能力。
    その技を伝達しなければなりません。

    17×〇のかけ算の場合、7がかなり大きい数なので、繰り上がりで、上の桁に大きい数が上がってきます。
    そのことを考えあわせていく力が必要となります。
    そして、それができない子が、現実には多いのです。
    17×いくつが、119に限りなく近くなるのか?
    17×7=119 です。
    これがスパンと暗算で求められると、わり算は速くなり、そして楽しくなります。

    次に、正確にひき算をする能力。
    今回は簡単ですが、くり下がりのあるひき算が難しいこともあります。
    ミスをしやすいところです。

    そして、もう一度、次のケタの商を立てましょう。
    この作業を忘れていて、1回で終わらせてしまう子を見たこともあります。
    わり算は一度で終わると誤解していて、その後、どうしたらいいのか、わからなくなってしまっていました。

    さて、連続して商を立てるということは理解していたとして。
    この問題は、難しいです。

          7. 
    1.7 ) 11.985
        119

    このひき算で、余りは、桁を無視すれば、85・・・。
    ここで、8の上に「0」の商を立てられない子は、多いです。
    8の中に17はないので、0を立てる。
    そして、85の中に17はいくつかあるから、5の上に何か商を立てる。
    そのことを理解していないのです。
    理屈を理解していないので、注意されたときは「0」を立てるけれど、次のときにはまた忘れてしまう・・・。
    作業手順で筆算しているだけで、意味を理解して筆算していないので、そういうことになってしまうのだと思うのです。
    そうかと思うと、関係ないときに「0」を立てたりもします。
    手順の簡略化にばかり意識がいっているので、おかしなことをやり始めます。
    桁に関する感覚が育っていないのかもしれません。
    「8の中に17はないので、0を立てる」
    こうした作業を丁寧にやっていくことができない様子です。

    8の上に0を立てて。
    そして、85の中に17は5個あるので、5の上の5を立てる。
    よし、答が出ました。
    11.985÷1.7=7.05 です。


    さて、さらに難しくなります。

    例題 11.986÷1.7 の商を四捨五入して10分の1の位まで求めなさい。

    これは、わり切れないわり算です。
    「商を四捨五入して10分の1の位まで求めなさい」が重要。
    計算力だけでなく「問題文を読む力」が問われることになります。
    そもそも、そうした問題文の指示を読んでいないので、間違える子。
    あるいは、読んでいるけれど、意味がわからない子。

    どこで、筆算をやめたらいいのか?
    「四捨五入して10分の1の位まで求めなさい」
    とあるのですから、100分の1の位まで求めて、そこで四捨五入します。
    そのことを、きちんと意味から理解している子は、2度と忘れないし、以後は自力で解いていけます。
    しかし、作業手順で覚えようとする子は、しばらくやっていないとすぐ忘れます。
    なぜ、この問題文の意味が理解できないのかは、大人にはそれこそ「理解不能」ということもあります。
    なぜ、こんな簡単なことの意味が理解できないのか?

    本当に理解できない場合は少ないです。
    ただ、算数を「理解」する習慣がない子もいます。
    低学年の頃から、作業手順の丸暗記で済ませてきたので、算数を「理解する」ということを、そもそもやったことがないし、どうすればいいのか、わからない。
    今は、こういう子が多いように感じます。

    なぜ、そうなってしまうのか?
    なぜ、理解しないで、手順を覚える方向に逃げてしまうのか?
    教えると、
    「あ、わかったわかった」
    と慌てて理解したふりをする子もいます。
    しかし、作業手順を思い出しただけなのです。
    そのまま、中学生になり、高校生になると、数学は全くわからなくなります。
    高校数学の「作業手順」は、複雑です。
    高校生になっても、作業手順でやっていけると思い込み、しかも複雑な作業を簡略化しようとするので、まるで小学生が高校数学を見よう見真似で解いているように見えてしまう子もいます。
    仕方のないことですが、そうした子の答案は頓珍漢で、加点要素がありません。
    そうした子も、理解力がないわけではない。
    ただ、数学を理解する道筋が、高校生になっても見えていないのです。

    何度も書きましたが、「理解」するのは、頭のメモリを沢山使ってしまいます。
    そんなことは無駄なので、作業手順だけ覚えて、テストが終われば忘れてしまう子たちがいます。
    また、ものを考えると、頭が重くなって、つらくなる子たちもいます。
    脳細胞にダメージが与えられている、肉体的な痛みがある、と把握してしまうのです。
    考えることが、肉体的な苦痛なのです。
    だから、深く考えることができません。

    小学校の算数は、手順だけ覚えたほうが楽かもしれません。
    表面的には、理解しても、手順だけ覚えても、結果は変わりません。
    手順だけ覚えたほうが楽だ。
    頭のメモリもそんなに使わずに済む。
    そうやって、低学年のうちに横道にそれてしまったのだろうと、私は想像します。

    頭の回転がある意味速くて、小学校の算数をなめてしまった子。
    あるいは、ものを考えるのが苦手で、わかったふりをするしかなくて、手順を覚えることで済ませてきた子。
    どちらの場合もあるのだろうと思います。

    ただ、何がどうであろうと考える方向に進む子もいます。
    斜め読みでも立式できるような簡単な文章題でも、文字が書いてある限り、それをしっかり読まずにいられない子。
    読まないで解くという発想がない。
    「手順だけ覚える」と考えたことがない。
    「わり算は、問題文の大きい数を小さい数でわればいい」といった、子どもが発見してしまいがちな誤った手順に対し、
    「そんな薄気味悪いことはできない。意味のわからないことはできない」
    と踏みとどまれる子も、また多いのです。

    11.986÷1.7 の商を四捨五入して10分の1の位まで求めなさい。
    この計算は、7.05・・・まで求め、5を四捨五入します。
    答は、7.1です。


    さて、次の問題。
    問題 11.986÷1.7 の商を100分の1の位まで求め、あまりも答えなさい。

    問題の意味が理解できても、ここで、あまりの小数点はどこでしょう?
    計算を簡単にするために、小数点を移動して筆算しますが、実際の計算は、あくまでも、11.986÷1.7です。
    あまりまで、10倍するわけにはいきません。
    したがって、あまりに関しては、元の小数点が復活します。

    答は、7.05あまり0.001 です。

    小数のわり算は、奥深い。
    計算している様子を見ているだけで、その子の課題が見えてきます。

    小学生のうちに課題に気づくことは意味のあることです。
    作業手順でない算数・数学の解き方とは、何をどうすることなのか?
    生まれてから1度もやったことのないことに挑戦することになります。
    考えるとは何をどうすることなのか?
    それがわからない・・・。
    何をどうすることかわかりかけても、頭が重くなってつらくて、脳細胞が潰れそうな気がするので、考えることをすぐやめてしまう・・・。

    そうした課題が見えてきたときに、その子を支え、励ます力が必要になります。
    一人では、多分、乗り越えられないと思うのです。


      


  • Posted by セギ at 12:47Comments(0)算数・数学

    2023年09月23日

    100a+10b+cの意味。十進法が、わからない。


    まずは、問題。

    問題 3桁の整数がある。その数の百の位の数と一の位の数を入れ換えて整数を作る。もとの数から、入れ換えて作った整数を引いた差は、9の倍数であることを示しなさい。

    典型題です。
    まずは、正解から。

    百の位の数をa、十の位の数をb、一の位の数をcとおくと、
    もとの数は、
    100a+10b+c
    百の位の数と一の位の数とを入れ換えて作った数は、
    100c+10b+a と表される。
    よって、その差は、
    (100a+10b+c)-(100c+10b+a)
    =99a-99c
    =9(11a-11c)
    11a-11cは整数だから、9(11a-11c)は9の倍数である。
    よって、もとの整数と入れ換えて作った整数との差は、9の倍数である。


    特に問題ないはずなのですが、もとの数を、
    100a+10b+c
    と表すことから、既にわからない・・・、という子もいます。

    もっと以前の、中1の「文字式」の学習で、
    「百の位の数がa、十の位の数がb、一の位の数がcである3桁の整数の大きさを文字を使って表しなさい」
    という問題も、当然、解けなかったのでしょう。

    そういう子の答は、
    a+b+c
    となっていることが多いです。
    「うーん。違いますよ」
    と私が言うと、あわてて、
    「abc」
    と直したりします。
    なぜ、aではなく100a、bではなく10bとしなければならないのか、わからないのです。

    位取りの感覚、あるいは十進法の感覚が、その子の中で育っていない。
    あるいは、その子の中で眠っていて、問題を解く際に結びついてこない。
    そういうことのように思います。

    位取りの感覚がその子の中で眠っているだけの場合、小学校の算数の問題に戻って考えると、覚醒することがあります。
    小学校の算数では、新しい桁の学習に進む度に、以下のような問題を解いています。
    例えば、千の位の数を初めて学習する際には、

    次の( )にあてはまる数をこたえなさい。

    2435=1000×( )+100×( )+10×( )+1×( )

    あるいは、本質は同じで、見た目が異なる問題としては、

    2435は、1000が( )つ、100が( )つ、10が( )つ、1が( )つ、集まってできた数です。

    逆に、

    1000が2つ、100が4つ、10が3つ、1が5つ集まってできた数は、(    )です。

    という問題も見たことがあると思います。

    いずれにしても、これを答えられない小学生はほとんどいないのですが、この問題が何の理解を確認しているのかについては、わかっていない子のほうが多いのかもしれません。
    自動的に答を出してしまい、問題の意図を理解していないのです。
    「大きな数を勉強するときに最初に必ず出てくる簡単な問題」
    「つまらない問題」
    「どうでもいい問題」
    として自動的に処理している子が多いと思うのです。

    でも、これこそが、桁の概念の根本、十進法の根幹を確認している問題なのです。

    頭の回転がある意味速く、その分だけ、頭の歯車がうわ滑りする傾向のある子は、こういう問題は、問題文をろくに読まずにちゃちゃっと解いてしまいます。
    一方で、中学生になって、
    「百の位の数がa、十の位の数がb、一の位の数がcである整数の大きさを文字を使って表しなさい」
    という問題を解く際に、その正解が、
    100a+10b+c
    であることの意味がわからない。
    なぜ、a+b+cではなく、100a+10b+cなのかが、わからない・・・。

    そういう子に、
    「小学校でこういう問題を解いたでしょう?」
    と、問いかけ、

    435=100×( )+10×( )+1×( )
    の正解が、
    435=100×4+10×3+1×5

    であることを確認した後で、
    100a+10b+c
    と見比べさせると、
    「ああっ!」と覚醒することがあります。
    小学校のときに何度も解かされた「アホみたいな問題」の本当の意味に気づいたのです。


    しかし、これでもまだ覚醒しないこともあり、ここからが、私と生徒との格闘の始まりです。
    小学校で数理の基盤を身につけてこなかったツワモノが相手の格闘となります。

    「例えば、432円の買い物をするときに、お金はどんな払い方をするかな?」
    百円玉を4枚、十円玉を3枚、一円玉を2枚。

    これが期待する模範解答なのですが、まあ、そんな答は返ってきません。
    「お金はお母さんが払う」
    「・・・ええと、自分で払うことは、ないのかな?お小遣いはもらっていないの?」
    「もらってない。ほしいものは、お母さんと一緒に買う」
    「・・・なるほど。お母さんはどういうお金の払い方をしているかな」
    「カードかスマホ」
    「・・・ですよねえ」

    中1くらいですと、こういうことはよくあることです。
    そして今後は、現金払いのさらなる衰退とともに、現金に対する実感から算数の基本を理解するということは、もっと難しくなっていくだろうと想像されます。
    百円玉1枚と、一円玉1枚とでは価値が違う。
    それは、桁が違うから。
    1円玉が10枚集まると、それは十円玉1枚と同じ価値になり、十円玉が10枚集まると、それは百円玉1枚と同じ価値になる。
    十進法の具象化として、これほどわかりやすい話はなく、子どもの頃に脳の奥までしみ込むはずのことが、何もしみ込まずに終わるのです。
    何でもお金にたとえてものを考えるのも何だかなあとは思いますか、お金にたとえても何もイメージできないというのも残念な話です。
    お金も、デジタル的な数字の羅列となり、実感を伴わない・・・。


    これとは少し違う話ですが、アナログ時計が読めない子。
    それどころか、アナログ時計を読めない大人もいます。
    アナログ時計の凄いところは、針の回転が時間の進行を表すという「置き換え」を頭の中で行っているという点です。
    時間の流れというものを、針の「回転」で表しています。
    アナログ時計が読めない人は、その根本を理解していないため、
    「短い針は意味がわかるけど、長い針が3のところにあるときに3分じゃないのが、意味がわからない」
    と言ったりします。
    それに対して、「5倍すればいいんだよ」というアドバイスをする人もいるようですが、それもまた何だか怖い会話と感じます。
    双方がデジタルでものを言っているという気がするのです。
    アナログ時計は、そういうことではなく、針の回転で時間の流れを把握するのです。
    針が1回転するときの時間の流れを全体と見たとき、今、どの割合で時間が進行しているかを、針の回転で読み取ることが可能です。
    だから、5倍しなくても、ぱっと見ただけで、時間がわかるのです。

    時間の流れを針の回転に置き換える。
    この置き換えが頭の中で自然なものになっている場合、例えば、中学受験の受験算数で、「数量を線分や面積に置き換える」ということも特に違和感なく理解しやすいと思います。
    子どもは抽象思考が苦手なので、小学生に方程式を教えても理解できない場合が大半です。
    だから、数量を目に見える形にします。
    それが線分図です。
    しかし、数量を線分で表すという根本を理解できない場合、線分で説明されても、何をやっているのか全く理解できない可能性があります。
    なぜ、仕入れの値段を線分で表すのか?
    本のページ数全体を線分で表すのか?
    値段もページも、線じゃないのに・・・。
    線ではないものを線で表す意味がわからない・・・。
    そういう状態の場合、自分で線分図を描いて問題を解くことなど、できるはずがありません。


    さて、十進法の話に戻りますと、十進法が理解できないと、高校数学で「n進法」を学習しても、怖いくらいに意味がわからないということになります。
    そもそも、自分が普段使っている数が十進法だということがわからないのです。
    2進法とか3進法とか言われても、意味がわかるわけがないのです。
    以前も書きましたが、ある高校生が、
    「普段使っている数は、十進法じゃない。だって、10の次は11で、次は12で、数は無限に続いていくんだから、十進法じゃない」
    と私に言ったことがあります。
    十進法が当たり前になりすぎて、かえって理解できなくなっているのでした。
    ここを覚醒させるのは、本当に大変でした。


    しかし、デジタル表記がすべて悪いとは限りません。
    デジタル表記を活用すれば簡単に解ける問題もあります。
    以下は、「場合の数」の問題。

    問題 0、1、2、3、4の5種類の数字を用いて表すことのできる4桁以下の自然数は全部で何個あるか。ただし、同じ数字を何回用いても良いものとする。

    4桁、と限定されたらむしろ簡単なんだけれど、4桁以下、と言われると難しい・・・。
    4桁の場合、3桁の場合、2桁の場合、・・・と場合分けして求めないとダメなのかなあ?

    それでも求められますが、もっと簡単な求め方があります。
    これは、デジタル表記で考えたらいいのです。
    たとえば、「0123」という数は、実際には3桁の数123だ、ととらえればいいのです。
    この場合、一番大きな桁にも0を用いていいということになります。

    では、千の位に使用できる数字の種類は、0を含めて、5通り。
    百の位も同様に、5通り。
    十の位も5通り。
    一の位の5通り。
    したがって、5×5×5×5=625
    ただし、この中には、すべてが0である「0000」、すなわち0が含まれています。
    0は、整数ですが、自然数ではありません。
    これを除きます。
    625-1=624
    答は、624個です。

    デジタル表記を活用するからこそ、簡単に解くことができました。


      


  • Posted by セギ at 14:22Comments(0)算数・数学

    2023年09月19日

    They say that ~. の受動態


    They say that ~. という文の解説をするのは、昔は随分楽でした。
    その昔、ゴダイゴというバンドの『ガンダーラ』という曲がありました。
    『西遊記』というドラマのエンディングテーマでした。
    この曲は、ヒットした直後だけでなく、後の世代の子も知っていて、この歌詞を例にとって説明すると、この英文は少し身近なものになるようでした。
    サビの部分の歌詞ですね。

    ガンダーラ、ガンダーラ。
    They say it was in India.

    ガンダーラという国はインドの北西部に実在したようですが、この歌の中でのガンダーラは、そういうことではなく、三蔵法師たちが心に思い描いた仏教の理想郷、幻の国なのでしょう。
    ちなみに、「天竺」というのはインド全体のことで、これは普通に実在し、三蔵法師は到達しています。

    そんな話はともかく、英文、英文。
    They say it was in India.
    このThey は、一般の人々の they。
    特定の誰かではなく、一般の人々を指すとき、英語ではthey を使います。
    ちなみに、聞き手、読み手を含むときは、you。
    自分を含むときは、we。
    こういう、特定の誰かではない主語というものが英語にはあります。
    英語は、基本的には主語のない文はあり得ないので、こういう主語が必要になります。
    したがって、これを日本語に訳すとき、theyを「彼ら」と訳すのはむしろ不自然なので、訳しません。
    「彼らは、それはインドにあったと言う」
    とうっかり訳してしまうと、
    「彼らって誰?」
    とつっこまれてしまいます。

    今の時代、英文は意味がわかっていればいいので、学校の授業などでは、
    「人々は、それはインドにあったと言う」
    で大丈夫です。
    しかし、大学入試の和訳問題の場合、この和訳は審議にかけられるかもしれません。
    多分大丈夫だとは思いますが。
    では、入試的正解の訳は?
    「それは、インドにあったと言われている」
    と受け身の文であるかのような訳をすると、むしろ日本語としては自然になります。

    「それはインドにあったと言われている」
    日本語では、そもそも受動態。
    では、この日本語を英語に直すのだとしたら、どうなるでしょうか。
    上の文のように、能動態の英文にしても、勿論正解です。
    They say it was in India.

    そして、勿論、受動態の英文にすることも可能です。
    では、この英文を受動態にすると、どうなるでしょうか?

    They say it was in India.
    は、接続詞 that が省略されている表現です。
    省略されている that を補うならば、
    They say that it was in India.
    となります。
    さて、この英文を受動態にするには?

    まず、能動態のこの文の成分を分析すると、
    they はS(主語)、sayはV(動詞)、そしてthat 節全体がO(目的語)です。
    受動態は、能動態でOだったものがSになります。
    こういう話を聞くだけで、意識が遠のくというのか他のことを考え始め、書いてあるものなら目がすべって読み飛ばす人がいますが、これが、英語が得意になるかならないかの分かれ道なんです。
    SVOCMの分析さえできれば、英語はとても簡単なのです。
    文法を忌避するために英語ができない子が大量にいます。
    そうした中で、文法をしっかり理解すれば、英語力はゴボウ抜き的上昇が可能なのです。
    本当に、ちょっと考え方を変え、英語に対する見方と学習姿勢を変えるだけなのです。

    というわけで、OだったものをSに変えて、動詞部分は、be 動詞+過去分詞の形にする。
    それが、受動態の作り方。
    その通りにやってみると、
    That it was in India is said.
    うーん。
    これでは、不自然ですね。
    主語が長過ぎて頭でっかちな文は意味がとりにくい。
    何がどうなのか、まずスパッと言ってしまうのが英語です。
    that 節を形式主語 it に置き換えます。
    そして、文がひと通り終わった後で、形式主語 it の中身を語ります。
    It is said that it was in India.
    うん。
    it が2回も入っているので、わかりにくいと感じるかもしれませんが、これが正しい英文です。
    この程度の it の乱発は、大学入試レベルの英文にはよくあること。
    このそれぞれの it の中身を問う問題を出題できるので、ちょうどいい。

    とはいえ、上の文の2個目の it はガンダーラを指しますので、わかりやすく、2個目の it はガンダーラにしてみます。
    It is said that Gandhara was in India.
    わかりやすくなりました。
    これが、「ガンダーラはインドにあったと言われている」
    という英文です。

    さて、ここから、さらに少し難しい話をします。
    せっかく、that 節に Gandhara という名詞があるのだから、これを主語にして受動態を作れないのか?
    だって、ガンダーラが言われているんだから、ガンダーラが主語でも構わないでしょう?
    というわけで、英文を作ってみましょう。
    Gandhara is said that Gandhara was in India.
    ・・・くどいな、これは。
    何で2回もガンダーラを言うの?

    それでは、どうするのか?
    that 節の主語を、文全体の主語に使ってしまったら、that 節の主語はもう使えない。
    節というのは、SとVのある意味のまとまりのこと。
    Sがなくなったら、それは節ではなくなります。
    では、どうするのか?
    Sのない、意味のまとまりがありましたよね。
    そうです。
    句です。
    句には、色々な句があります。
    動名詞句、分詞句などなど。
    でも、ここで使うのは、to 不定詞です。
    すなわち、

    Gandhara is said to have been in India.

    不定詞は、そのまま to be の形で使ってしまうと、文全体の時制になってしまいます。
    Gandhara is said to be in India.
    ガンダーラはインドにあると言われている。
    これは、ガンダーラが現在インドに存在しているという意味の文になります。
    いいえ。
    ガンダーラは、ガンダーラ美術などで今も有名ですが、現存しない国です。
    時制をずらさなければなりません。
    こういうときに使うのが、不定詞の完了形。
    「to have+過去分詞」の形で、文全体の動詞より1つ古い時制であることを示します。

    まとめましょう。
    They say that Gandhara was in India.
    It is said that Gandhara was in India.
    Gandhara is said to have been in India.

    どれも「ガンダーラはインドにあったといわれている」という文です。

    では、練習問題。

    次の日本語を3通りの英文で表せ。
    「13は縁起が悪いと信じられている」
    時制がズレていないので、ガンダーラの文より易しいです。
    能動態の主語は they でいいですし、 people なども可能です。
    動詞は、今回は、「信じられている」なので、believe を使います。

    正解は、
    They believe that thirteen is unlucky.
    It is believed that thirteen is unlucky.
    Thirteen is believed to be unlucky.

    say , believe の他に、seem という動詞を用いる問題もよく出題されます。
    まとめてマスターしてください。

    このように、『ガンダーラ』の歌詞から授業をすると、昔は、「わかりやすい」「面白い」と言ってもらえたのですが、今は、何しろ『ガンダーラ』という歌を知らない高校生が増えました。
    『ハチミツとクローバー』という漫画の中で、自転車で旅する若者の頭にエンドレスで『ガンダーラ』が流れる場面があるので、あの時代までは生きていた知識だったのだと思うのです。
    あの漫画が完結したのが、2005年。
    古いなあ、さすがに・・・。

    他にも、誰でも知っている歌詞で英語の説明をするのに便利だったものといえば、『ラヴ・イズ・オーヴァー』。
    このタイトルだけで、 be over が「終わる」という意味だと伝えることができました。
    覚えやすかったと思います。

    こういう便利なものは、今は存在しないのだろうか・・・。
    個人の好みも細分化しています。
    私でも知っているのだから、このグループの歌は知っているだろうと思っても、
    「聞いたことがない」
    と高校生に一蹴される可能性が高いです。
    アニメソングなら大丈夫かなと思っても、
    「僕はアニメは見ないので」
    と一蹴されます。
    見ているものも、聴いているものも、ひとりひとり違うのは、良い時代でもあるのですが。

      


  • Posted by セギ at 13:49Comments(0)英語

    2023年09月12日

    クールな計算のできる子は伸びます。


    数学力をどのように判断するか、さまざまな観点があると思いますが、「思考力」「計算力」の2点だけで見ても、
    思考力も計算力もある子。
    思考力に乏しいが、計算力のある子。
    思考力はあるが、計算力に乏しい子。
    思考力も計算力も乏しい子。
    の4つのタイプに分かれます。
    それもそれぞれどの程度なのか、グラデーションのある話ではありますが。

    思考力に乏しいが計算力のある子は、数学的思考のやり方に本人が気づくことさえできれば学力が飛躍します。
    中1の段階では数学の成績は「3」で、言うことも何だかトンチンカンだけれど、計算ミスはほとんどない。
    計算する様子を見ていると、地道でもっさりしたやり方ではなく、クールな計算方法を身につけている。
    暗算するところと、しっかり書いていくところのメリハリがある。
    こういう子は、いずれ大バケする可能性があります。
    問題を解く過程で対話を繰り返しながら、いずれ伸びると呑気に構えていると、予想通りに中3では「5」になった。
    そんな子を、今まで何人も見てきました。
    計算を正しくできるというのは、やはり数学的には何らかの達成を見せているのだと思います。
    計算をする際に使っている論理を思考に生かせていないだけで、思考力がないわけではなかったのだ、ということかもしれません。

    「クールな計算方法」を身につけているのが鍵です。
    計算をこのように論理的にこなしているのに、問題を解く際になぜその思考力を使わない?
    そのように感じる子は、いずれどこかの回線がつながって何とかなるだろうという予感がするのです。

    反対に「地道でもっさりした計算」というのは、しかし、多くの子がやってしまう計算です。

    例えば、25000×5000 といった計算。
    これは、25×5を計算して(暗算もできるはずです)、それに0を6個つけたらいいですね。
    小学校でも教えている計算方法です。
    習ったときは、誰でもできます。
    しかし、その単元が終わると、それをコロッと忘れて、以後ずっと、0の大行進的な筆算をしてしまう子がいます。
    そして、桁がズレてしまい、誤答します。
    そういう計算をしているのを発見する度に助言しますが、しばらく経つと、また同じ0の大行進を行ってしまう子は多いです。
    つまりは、なぜそれで計算できるのか、本質を理解していないのだと思います。
    そういう解き方があることを習ったときだけそのように計算しますが、根本を理解できていないのです。

    10進法と桁に関する感覚が脆弱なのだと思うのです。
    10個たまると、次の桁に上がる。
    10倍すると、次の桁に上がる。
    そういう感覚が育っていないのです。
    さらに、交換法則が理解できていないのです。

    25000×5000
    =25×5×1000×1000
    =125000000

    数字を上のように分解した上で、さらに交換法則・結合法則を利用して計算するのが、この計算方法の意味です。
    やり方だけ覚えるのではなく、その意味がわかっている子は、学習した後は、ずっとこの計算方法で計算します。
    意味がわかっていない子は、やり方をすぐ忘れてしまい、このやり方を自分のものとすることができないのです。

    また、例えば、312×205 といった計算。


      312
     ×205
     1560
    624
    63960

    といった筆算をすれば良いのですが、

      312
     ×205
     1560
     000
    624
    63960

    といった余計な1行を書かずにいられない子もいます。
    これも、省略するよう小学校で教えられているのですが、それを省略できることをすぐに忘れ、型通りに計算してしまうのです。

    また、例えば、25000÷5000 といった計算。
    割られる数と割る数とに、それぞれ同じ数をかけても、あるいは同じ数で割っても、商は同じです。
    だから、
    25000÷5000
    =25÷5
    =5
    と暗算できます。
    慣れてくれば、0がついたままの状態でも桁を読むことで暗算できます。
    しかし、これも、0が3個ついたまま、もっさりした筆算をする子は多いです。
    25000÷5000=25÷5 であることは、小数のわり算を行うためにも重要な考え方です。
    例えば、2.5÷0.5 をなぜ小数点を移動して計算するのかは、上の考え方がもとになっています。
    小数点の移動は、すなわち、割られる数と割る数とをそれぞれ10倍して、25÷5 として筆算しているのです。
    しかし、そのことを理解せず、ただ筆算のやり方だけを覚えている子は多いです。
    計算は意味を失い、ただの作業手順となっています。

    これは学校教育が悪いのではありません。
    学校の授業でも、教科書でも、このことは強調されているのです。
    ただ、本人が、やり方しか覚えない。
    小学校でやり方しか覚えなかったため、中学生・高校生になって、論理的思考についていけなくなってしまうのです。
    どれだけ意味を説明されても、それをまだるっこしいと感じて、
    「やり方だけ教えて」
    「やり方だけ知りたい」
    となってしまうのです。

    頭の回転が速いように見える子に、案外このタイプが多いので、苦慮するところです。
    本人の頭の働かせ方の癖なのでしょう。
    一方で、どんなに小さなことでも、意味を知りたいタイプの子もいます。
    そして、意味を知っている子は、時間が経っても、25000÷5000 といった計算では、同じ論理を利用し、スマートに計算します。
    算数・数学が統一された論理で動いていることを実感しています。
    数理の根本がわかっているというのは、そういうことだと思います。
    中学や高校の数学で、何をして良くて、何をしたらダメなのか、自分で判断できなくなるのは、やり方だけ覚えてきたけれど意味を理解していなかったからなのです。

    また、例えばこんな計算。
    -27+18-33+26
    中1の最初に学習する「正負の数」の計算です。
    これも、同符号の計算をまとめてやれば楽であることを学校で指導されています。
    =-60+44
    =-16
    というように。
    しかし、これを、
    -27+18-33+26
    =-9-33+26
    =-42+26
    =-16
    と、順番通りに計算しなければ答えが出せない中学生もいます。

    順番通りでなければ計算できないと思っているのか?
    数字の前にある符号は、計算記号ではなく、その数のもつ正負の符号であることを、学習が終わると忘れてしまうのか?
    つまり、その子にとって上の式は、小学校からお馴染みのたし算と引き算の式のままで、中学で新しく学習した、
    (-27)+(+18)+(-33)+(+26)
    と見ることができないのではないかと思うのです。
    「正負の数」の学習の最初は、このように(  )がついています。
    省略して書くことができるというだけで、(  )は常に存在すると思って計算して良いのです。
    全てたし算ですから、交換法則も結合法則も利用できます。
    そのことを、忘れてしまう。
    あるいは、最初から理解していない。
    だから、法則が使えることがわからない。
    「え?ひき算って、順番変えたらダメなんじゃないの?」
    という小学生の感覚に戻ってしまうのだと思います。

    -27+18-33+26
    =-9-33+26
    =-42+26
    =-16
    という順番で正確に計算している子は、計算力はあるのではないか?
    確かに「人間電卓」的な計算力はあると思います。
    しかし、論理的思考力を感じさせるものではないのです。

    交換法則も結合法則も分配法則も、桁移動の仕組みも、全ては小学校で学習しています。
    大切なことは小学校で学んでいるのです。
    しかし、大切なことを学んでいることに気づかない。
    大切なことを、大切なことだと認識できず、記憶の中からあっさり消して、筆算のやり方や公式の丸暗記のみ行う子は、計算の過程にそれが表れます。
    答は合っているけれど、もっさりした計算です。
    そうではないクールな計算方法を身につけている子は、数学的思考が可能な子、いずれ大バケする子、と感じるのです。

    一方、思考力はあるが計算ミスの多い子というのも存在します。
    計算のやり方がわからないわけではありません。
    ただ、雑なのか、正確さを保てないのか、計算の正答率はかなり低い。
    計算問題を正答できるかどうか五分五分ということもあります。
    しかし、理解力や思考力があるので、座標平面と図形の問題、動点に関する問題、図形の証明問題、円と三角形の相似に関する問題のような、数学嫌いな子が避けたがる問題も自力で解いていくことができます。
    ただ、計算は合わないことが多いです。

    なぜケアレスミスをそれほど繰り返すのか?
    特定の計算でミスをしやすいのならそこを改善すれば良いのですが、多種多様なミスをその都度新たに繰り出してくるタイプの子が多いのも特徴です。
    ある日は数字を書き間違い、ある日はひき算なのにうっかり足してしまい、ある日は符号を書き忘れる・・・。
    考えることに夢中で、手元がおろそかになっているのか?
    式を書いている間に、他のことを考えているのではないか?
    思考力はあるが、集中力が足りないのか?
    さまざまな理由が考えられますが、受験を機に解消される子と、それでは解消されないまま高校生になってしまう子とがいます。

    ケアレスミスをしやすい傾向は、残念ですが非常に直りにくいものです。
    計算ドリルを何冊解いても、目立った改善は見られないことがあります。
    あとは、ミスしやすい自分と折り合いをつけながら、それを含み込んで点数を読んでいく。
    複雑な計算過程を踏まないよう、ミスしなくて済む解き方を選ぶ。
    そういうことで対応していくしかない場合もあります。

    多少の改善はみられても根本的には直らない。
    どうにも精度が低く、自分でミスに気づいて直すリカバーの力も乏しい。
    この計算力を前提としてやっていくしかない、と感じることもあります。
    本人が一番嫌な思いをしているのですから、自覚すれば直るというものではないのです。
    まして、それを叱ったりしても、直りません。
    誰にも苦手はあります。
    その代わり、思考力を伸ばすだけ伸ばす。
    基本問題でも失点してしまう分、テストの後半の応用問題で部分点を取る。
    そういう得点の取り方を考えていくのが現実的ではないかと思います。
    また、そうやってあまり思いつめないようにしていると、前よりは改善されていることもあります。

      


  • Posted by セギ at 18:33Comments(0)算数・数学

    2023年09月05日

    SVOCを理解できれば、英語学習は楽になります。



    高校生と「分詞」の学習をしていたときのことです。
    例えば、こんな問題。

    問題 ( )の語を適切な形に直せ。
    (1) Do you know the man (sit) on the bench ?

    分詞の限定用法の問題です。
    中学では「分詞の形容詞的用法」という言い方で学びます。
    分詞が名詞を修飾する用法です。
    修飾される名詞 man が sit という動作をするのですから、現在分詞 sitting が正解です。

    (2) Ken showed me some pictures (take) by his brother.

    修飾される名詞 pictures は take という動作をされるのですから、過去分詞 taken に直します。

    ここまでは中学の復習。
    その子も、順調に正解していました。


    そこから先が高校の「分詞」の学習です。
    分詞の叙述用法に進みました。
    SVCやSVOCの、Cに分詞を用いる用法です。
    解説をして、練習を開始しました。

    He kept (knock) on the door until I opened it.

    その子の答えは knocked でした。

    「・・・・え?何で?」
    解説したばかりなのに、何で?
    「door はノックされるから・・・・」
    「・・・・え?」

    ここからは叙述用法、新しく学ぶ用法と明言し、解説したばかりなのに、何で限定用法に戻るのだろう?
    door は、分詞の直前・直後の名詞ではありません。
    分詞に修飾される名詞ではありません。

    文法が苦手な高校生に英文法の授業をしていると、上のようなことが起こりやすいのです。
    教えたことが上手く伝わっていきません。

    1つには、高校英語を学んでいるのに、中学英語の知識で乗り越えていこうとする点。
    何でも、ただ1つの解き方で解決しようとします。
    分詞ならば、すべて、限定用法で解決しようとします。


    もう一度、叙述用法の解説をした後、今度は、乱文整序問題を解きました。

    問題 次の日本語を以下の語句を並べ変えて英文にせよ。
    私は電車のドアに指をはさまれた。
    had , I , in , doors , fingers , the , train , my , caught .

    その子の答は。
    I had caught my fingers in the train doors.

    これも誤答です。
    この文を日本語にすると、
    「私は、電車のドアの中で、自分の指をつかまえてしまった」
    となってしまいます。
    なぜ、突然過去完了形?
    今は、分詞の叙述用法を学習しているのであって、had+過去分詞の学習をしているのではないのに・・・。

    しかし、その子だけのミスではなく、乱文整序でこういう英文を作ってしまう高校生は多いです。
    have または had と、過去分詞が存在したら、それは完了形の文、と思い込んでしまうようなのです。
    それもまた、やり方は1つだけ、中学で勉強したことだけ、という解決方法です。

    正解は、
    I had my fingers caught in the train doors.
    です。

    これは、「受身・被害の have 」と呼ばれる have の文です。
    第5文型をとります。
    英語は、語順がすべて。
    どの語句をどの順番に並べていくか。
    それが、英文法です。
    S、Vときたら、次はO。そしてCです。
    そのルールを覚えれば、あとは単語・熟語を覚えるだけ。
    日本語のように、「その語句は、ここに置いていいし、そこに置いてもいいけど、そこには置いたらダメ」といった、緩くてわかりにくいルールはありません。
    カチッと語順が決まっているので、英語は学習しやすいのです。

    ところが、英語が苦手な子は、5文型を理解しない。
    語順を理解しない。
    というより、無視する傾向があります。
    そういう概説的でよくわからなかったことは、どうでもいい、としてしまうようなのです。
    特に、第5文型SVOCは、
    「そんな不自然な語順はこの世に存在しない」
    と、心の中で消し去っている気配すら感じます。

    S、V、O、C、Mといった文の成分の話や、形容詞、副詞などの品詞の話を嫌う。
    何回説明しても覚えない子が多いです。
    目先の定期テストに出ないからかもしれません。
    これはCですかOですか、とか、この単語の品詞は何ですかといった問題は、確かにテストには出ないです。
    でも、テストに直接問われることはないけれど、その知識がないから問題が解けないのに・・・。
    そういうことを説明しても、その説明も耳を素通りしていくようです。

    SVCやSVOCの語順が理解できていないと、分詞の叙述用法は、理解できません。
    根本がわからないし、根本を覚えないから、結局、その上の文法知識は何も載っていかない・・・。

    SVOCの基本は、中3で学習しています。
    She named the dog Pochi.
    彼女は、その犬をポチと名付けた。

    こういう文を学習したことは、かろうじて覚えている子が多いです。

    しかし、
    Her parents let her study abroad.
    彼女の両親は、彼女が外国で学ぶことを許した。

    この文も、中学で学習しているのですが、それについては記憶がない子が大半です。
    新課程で、使役動詞 let も、高校の文法事項が中学に降りてきたのですが、なぜかそれだけをぽつんと学習することもあり、記憶に残らない様子です。

    SVOCのCが、名詞や形容詞の文は、かろうじて記憶に残る。
    しかし、Cが原形不定詞だった文は、記憶に残らない・・・。
    それは、1つのヒントかもしれません。
    その子の頭の中での「あるべき英語」は、中1レベルの英語であり、それより複雑な文や、そうではない語順の文は、異常な文として、記憶からシャットアウトするのではないか?
    主語+be動詞+補語。
    主語+一般動詞+目的語。
    その語順は、許容できる。
    しかし、その後に、また動詞の原形が出てくる文など、許容できない。
    そういうのは「よくない英語」として記憶から除去してしまうのではないか?
    少なくとも、本人が自力でその語順で英文を組み立てることは、できないのです。

    原形不定詞や to 不定詞の部分をCとしてよいかどうか。
    このあたりは、正確な英文法では否定的かもしれません。
    テキスト等で明示しないことが多いです。
    しかし、ここはゆったりざっくりと、SVOCととらえてしまえば、結局全部同じ語順として把握できる英文が多いのです。
    私は正しい英文法を修めたいわけではなく、受験に役立つ実用的な英語を教えたい。

    SVOCととらえれば、
    She named the dog Pochi.
    Her parents let her study abroad.
    Her parents allowed her to study abroad.
    I had my fingers caught in the train doors.
    I saw a duck cross the river.
    I saw a duck crossing the river.

    Cの位置にくるのは、名詞と形容詞の他に、原形不定詞、to不定詞、過去分詞、現在分詞。
    これらは、すべて、同じ構造の英文として把握できます。
    あとは、Cに何を用いるのかのルールを学べばいいだけ。
    それは、その文のVの種類と、OとCとの関係。
    根本の語順は、SVOCで変わらない。

    この教え方で劇的に高校英語がわかるようになる子もいます。
    何だかこまごまとして覚えにくかった英文法が、大きくまとまりますから。
    私の「S・V・O・C!」のかけ声で語句を並べる練習を繰り返して、SVOCの語順をマスターしています。
    不定詞や分詞の学習でちらちらと出てきてモヤモヤしてしまうのに、文法テキストのまとめ問題や模試問題にはよく出てくる問題。
    結局、いつもいつも何だかよくわからずに終わってしまうことが、大きな原則で整理できるのです。

    それでも、英語が苦手な子たちは、そうではない奇妙な語順の英語を、しかし、そのほうが正しい語順の気がするからという理由で並べ続けます。
    そういう英語のほうが正しい気がする。
    明らかに間違っているのですが、本人の中では、自分の誤答の堆積すらも、英語としての記憶なので、同じ誤答を繰り返します。


    「学校で、もう学習した内容ですよね?学校の文法のテキストを出してみて。ほら、そこに載っているでしょう、叙述用法」
    そうして、もう一度解説しました。
    その後、学校の文法テキストの見開き右側ページの練習問題を解くと、それは全部正解できました。
    SVC、SVOCのCにあたる分詞を正しい形で使用できたのです。

    「教科書の問題は正解できますね」
    と私が言うと、その生徒は、奇妙なことを言いだしました。
    「これは、答を覚えているから・・・・」
    「え・・・・?答を覚えている?」
    「復習したという意味ですよ」
    「え?」
    「・・・・」
    「・・・・私は何回解いても、答なんか覚えないけど?」
    「・・・・・?」
    「何でそんな意味のないことを覚えるの?」


    文法は覚えないのに、何で答を覚えるの?


    愕然として、私は悟りました。
    そういう勉強をしてしまうのか・・・・。
    なぜ英語が得意にならないのか、その一端が垣間見えた気がするのです。
    いや、英語に限らずなぜ勉強が得意にならないか。
    努力をしているのは伝わってくるのに、なぜ結果が出ないのか。
    その一端が見えた気がしました。

    うちの塾で、歴代でも最も英語が得意だった子は、90分の授業時間の中で、問題のぎっしり詰まったテキストや確認テストを毎回平均12ページ解いて帰っていきました。
    30分あたり4ページ。
    答え合わせの時間もありますから、1枚解くのに5~6分というところでしょう。
    決して速すぎるわけではありません。
    後に国立大学に合格したその子は、1冊40ページのテキストの残りのページを丸ごと宿題に出しても翌週全部解いてきていました。

    しかし、英語が苦手な子たちのスピードはガクッと落ちます。
    上に書いた高校生は、最初にいろいろ説明しなければなりませんでしたし、間違えているとさらに説明する時間も長くなるのですが、演習スピード自体も遅く、90分の中で結局1ページしか問題を解けないことが多かったのです。
    そしてその1ページの問題の答えを覚えることが、その子にとっての復習なのだとしたら・・・・。

    12ページと1ページ。
    塾だけで12ページ解く子が、問題の答えを覚えているかといったら、覚えているはずがありません。
    いちいち答えを覚えていられるような量ではありません。
    余程印象的な問題が含まれていたら別でしょうが、翌週同じ問題を渡しても、同じだと気づかず解き終わるかもしれません。
    学習した文法にしたがってサクサク解いているだけだからです。

    英語コミュニケーション教科書の重要文を日本語訳から復元するための暗唱はしていました。
    単語の暗記もやっていました。
    そういう暗記はするのです。
    でも、文法テキストの問題の答えは覚えない。
    何度解いても正答できましたが、それは、答えを覚えているからではなかったでしょう。


    復習すると自然に答えを覚えてしまうのだ。
    そういう反論はあるかもしれません。
    それでも、「その勉強のやり方は変えなさい」と言わざるをえません。
    類題は正答できないのなら、なおのこと。
    問題の見た目が変わると、自分はどうも解けなくなるんだなあ・・・。
    何の文法事項の問題なのか、わからないし・・・。
    そういう自覚があるのなら、それは、勉強のやり方に課題があるのです。

    教科書の問題の答えは覚えても、もっと重要なことを覚えていないのです。
    その問題を解く中で抽出し理解するべき文法を把握できていません。
    答えを覚えてしまうくらいに数少ない問題をねっとり見つめ続けているのに、それが文法把握につながっていないのです。

    有効なやり方は正反対のものです。
    教科書の問題の答えは覚えていないけれど、文法は覚えた。
    多くの問題練習でその文法を実践できるようになった。
    だから、教科書の問題は何度解いても正答できる。
    他の問題も正答できる。
    定期テストの問題も正答できる。
    入試問題も正答できる。
    文法の勉強はそういうふうにやっていってほしいです。


    「英語って文法だよ」
    「SVOCMの位置に、単語をぽんぽんぽんと入れていくだけだよ」
    「慣用表現以外は、理屈だよ」
    という私の説明が理解できると、ロケット並みの成績上昇を見せる子がいます。
    英語のシステムは理解しやすく明瞭で好ましい。
    こういう感覚になれば、あとは単語・熟語さえ覚えればどうにでもなるとわかりますので、覚えることにも抵抗がなくなります。

    有効な学習方法を体得できれば、その後は、速いのです。
    ただ、そこまでが長く、苦しい。
    いつまでも、いつまでも、SVOCという文型の存在を把握できない子は多いです。
    そのような語順の英文があることを発想できず、空所補充問題も乱文整序問題も、すべて間違えます。
    SVOCのCに、to 不定詞を入れるか、原形不定詞を入れるか、現在分詞か、過去分詞か。
    そのような文法問題の典型題が、その子にとっては、そのような切り口には全く見えない。
    熟語問題か何かにしか見えていないのだと思うのです。
    1つの英文を作るとき、「まず主語は?」とシステム的に考えず、「これと似た英文を前に見たことはなかっただろうか?」と自分の記憶をたぐりよせようとします。
    だから、乱文整序や和文英訳で誤答した後の解説で、私が、「まず、この文の主語は?」と問いかけると、その発想自体がなかったかのように絶句します。

    文法的には10個未満の例文把握で済むことを、何千もの英文を丸暗記することでカバーしていくしかない・・・。
    それが、その子にとっての英語学習なのかもしれません。
    でも、普通は、そのような暗記力はないのです。
    だから、英語ができるようにならない・・・。

    そして、それは、英語だけの話ではなく、他の科目でも、学力が伸びない根本に、そういうことがあるのだと思うのです。
    根本のルール、根本の理屈を理解せず、表面だけ追って、表面の解き方だけ丸暗記して、そして、すぐに忘れていく・・・。

    本質に手が届けばいいのです。
    本質に意識が届けば、後は速いのです。

    だから、私は繰り返し繰り返し、S・V・O・Cと生徒に声をかけ続けます。
    いつか、その意味が、その子の脳に届くことを信じて。

      


  • Posted by セギ at 12:21Comments(0)講師日記英語

    2023年08月26日

    自分のミスを自分で修正する力。


    生徒と大学入試共通テストの模試問題を解いていたときのことです。
    英語力のある子ですので、共通テストの英語リーディングなら、100点満点のうち90点以上は取りたい。
    共通テストは、易しい英文を80分で大量に読まなくてはなりません。
    そういう意味で、ペース配分の難しさはありますが、大問1の最初の英文などは、中学生でも読めるものです。
    その模試も、最初の英文は、非常に易しい内容でした。
    それは、学校の掲示板に貼られていた英文という設定でした。
    日本語に訳してみます。

    ぼくは、1年間ここで学ぶためにロンドンから来ました。
    ぼくの日本語の能力は基本的なものですが、みなさんの助けで、すぐに向上できると思います。
    ぼくは新しいロックバンドを作るために仲間を探しています。
    ぼくは故郷で日本の音楽を沢山聴きました。
    そして、去年、有名な日本のミュージシャンの素晴らしいコンサートにいくつか行きました。
    すごくかっこいいと思いましたが、歌の意味がわかりませんでした。
    そういうわけで、ぼくは日本語を学び始め、ここに来ることに決めました。
    ぼくは、自分たちのバンドが日本語と英語でパフォーマンスをするのを望みます。
    そうすれば、あなたの英語もきっと上達するでしょう。


    高校三年生が読む英文としては、非常に易しい。
    ところが、英語秀才が、この英文をなかなか読み取れなかったのです。
    状況と人間関係がよくわからない、というのです。
    設問の大半にはかろうじて正答していましたが、難しかったし時間がかかったというのです。

    こんなシンプルな英文のどこに落とし穴があるのでしょう?

    実は、この告知文の上には、短い英文が載っていました。

    You visited your school bulletin board where students often share information.
    あなたは、生徒たちがよく情報を共有する学校の掲示板を訪れた。

    ここで、難しい単語はただの1語「bulletin」ですし、これは読解の妨げにはならないと思います。
    こんな1語くらい、意味がわからなくても、前後から推測できます。
    「生徒たちが情報を共有する」bulletin board。
    それは、掲示板でしょう。
    内容から考えても、これは学校の掲示板に貼られた文章です。

    ところが、その子は、bulletin を、Britain と読み間違えたのです。

    私が、生徒のその誤読に気づくまで、本当に時間がかかりました。
    そんな誤読、起こるわけがない。
    大文字で始まっていないし、スペルもかなり異なるのだし。
    そもそも、そんな勘違いをするような学力の子ではないのに、なぜ?

    でも、どんな誤読も、起こるときは起こるのです。

    school Briten board って、何?
    そもそも、その言葉が奇妙なので、そこで自分の誤読に気づいても良さそうなのですが、誤読しやすい子は、そこで引き返さないのです。
    「これは、イギリスの掲示板」
    と、そこは断定してしまうのが、誤読のメカニズムです。
    そうなると、この告知を書いた少年は、イギリスにいて、イギリス人の生徒たちに向けて告知しています。
    この少年がイギリスにいると断定したうえで、上の文章をもう一度読んでください。
    わかりにくいです。
    矛盾に満ちています。
    この少年は、いったい何を言っているんだろう?
    ロンドンから、イギリスのどこか他の町に、やって来たのだろうか?
    それで何で日本語がどうとか言っているのだろう?
    どういうこと?
    それで、バンドを結成する?
    バンドを結成するために、この町に来たの?
    日本語と英語の両方を使うバンドを、イギリスで?
    この少年は、誰に向かって何を言っているの?

    この意味不明な状況を、論理的に飲み込もう、何とか辻褄を合わせようとして読むので、ひどく読みにくく、意味をつかみにくい英文になったようなのです。
    いや、そんな無理な辻褄合わせをするより、最初に戻って、自分の誤読に気づけばいいだけなのに・・・。

    こんな誤読のため、大問1の読解に時間がかかってしまい、焦りが生じて、あとはドミノ倒し。
    得意な英語でこの子がなぜこんな出来なんだろう、という得点になってしまっていました。


    一般に、英語は、スペルの似た単語が多いです。
    例えば、through , thought , though などは、よく似たスペルの語です。
    ただ、これらの単語は、英文の中で出てくる場所が異なります。
    意味も大きく異なるので、文脈上、どの単語であるか特定しやすい。
    だから、本来、誤読する可能性は低いのです。
    英語が得意な人は、これらの語のスペルが似ていると感じたことすらないかもしれません。
    それぞれ、全く別の単語として認識できますので、紛らわしくないのです。

    ところが、誤読する子もいます。
    まず、音読できません。
    訳も、意味を取り違えて変な訳をしてしまいます。

    一つには、個々の単語を把握できていない、ということがあるかもしれません。
    thought という単語が、何かの過去分詞だったのは、ぼんやりと覚えている。
    一方、through という前置詞や、though という接続詞は、その存在を把握していない。
    何度も教科書その他の英文に出てきている単語なのですが、前置詞や接続詞を無視する心理的傾向があるようで、覚えられない。
    前置詞といえば、on , at , in , to , from くらいしかイメージにない。
    それも、言われればわかるけれど、自分では書き忘れる。
    接続詞といえば、and , but , because くらいしかわからない。
    それ以外のものもあると言われると、何となく不愉快で、嫌な気分になる。
    もやもやと、似ているものがあったようだという印象しか残らない・・・。
    英語が苦手な子の典型的な状態です。

    これは、基礎力不足なので、誤読が大きな課題、というわけではないと思います。
    根本の問題は、英語力不足です。
    英語学習にそれなりの時間をかけて、努力をして脱出してほしいです。


    気になるのは、そうではない誤読。
    十分な力があるのに、なぜ、ふっと奇妙な誤読をしてしまうのか?
    それもまた英語力の一種なのだといってしまえばそれまでなのですが、それでは可哀相です。
    努力しているのに、なぜ、そうなってしまうのか。

    振り返ると、私も、生徒の前で音読するときなどに単語を読み間違うことがあります。
    でも、すぐに気づいて、読み直します。
    すぐに、あ、間違えた、違う単語だと気づくのです。

    間違えることは、ある。
    でも、自分で気づく。
    自分が間違える可能性を想定しているからです。

    一方、誤読をしやすい人は、自分が誤読をしたことに気づかず、そのまま突き進んでしまう傾向が強いです。
    自分が何か読み間違えているんじゃないかと思うことがないようなのです。

    誤読しやすい人は、自分が間違える可能性を想定していないのではないか?
    何かおかしいと感じたときに、そのままの方向で辻褄合わせをしてしまい、後戻りできない。
    自分のやったことを点検する機能が働いていない。
    先ばかり見てしまい、視野が狭い。
    では、なぜ、視野が狭いのか?
    それは、経験値が足りないからでしょうか。

    そうなのだとすれば。
    本番の前に、できるだけ失敗しておくことです。
    そして、自分が誤読しやすいことを、自覚しておくこと。
    自分の特徴、特性を知っておくことは、最大の武器です。

      


  • Posted by セギ at 14:02Comments(0)英語

    2023年08月19日

    夏休みなので難問を。数Ⅰ三角比と三角形の面積の最大値。


    夏休みなので、難問を。

    問題 △ABCにおいて、BC=6、tan A=4/3 である。△ABCの面積の最大値を求めよ。

    さて、まずは自分で解いてみたいという方は、問題を書き写し、ここでブログを閉じてください。
    こういう、情報の少ない問題は、簡単そうに見えて、意外に難しいですね。


    さて、ここからは、解答・解説です。

    底辺だけわかっていても、高さが無限に伸びるのだから、この三角形の面積に最大値なんてないんじゃないの?

    と、一瞬思ってしまいそうですが、この三角形は、∠Aの大きさは決定しているのです。
    tan A=4/3 ですから。

    三角比は、それぞれの角の大きさに固有のものです。
    「直角三角形の辺の比」という感覚から意識が拡張されていないと気づきにくいことですが、サイン・コサイン・タンジェントの値は、角の大きさによって決まっています。
    三角比の表を見てもわかります。
    角度ごとに、サイン・コサイン・タンジェントの値は定まっていて、それが一覧表になっています。
    今回の問題でも、タンジェントの値が定まっていますので、∠Aの大きさも決定しています。

    それならば、△ABCの形は、1つに定まるのか?

    いや、そうではないですよね。
    ∠Aの大きさと、その対辺であるBCの長さが決まっているだけでは、△ABCは、色々な形をとることができます。
    でも、共通な性質というのはあるはずです。

    どんな性質?

    ここで発想の飛躍ができると、もうこの問題は解けたも同然。
    辺BCの長さは決定している。
    ∠Aの大きさも決定している。

    ・・・あれ?
    この三角形は、色々な形をとるけれど、どれも、1つの円に内接する三角形なのでは?
    なぜなら、辺BCを弦ととらえ、その弧BCの円周角が∠Aだと考えるならば、等しい弧の円周角は等しいですから、頂点Aが、その円周上のどこにあっても、∠Aは一定です。

    では、円を描き、辺BCを底辺として見やすい位置に描きこんでみましょう。
    頂点Aは、円周上のどこでもいい。
    だとすれば、△ABCの面積が最大になるのは、頂点Aがどこにあるときでしょうか?



    雑に描いたので、本当に下手な絵ですみません。
    △ABCは、上の図の黒い三角形でも、他に描いた赤い三角形でも、BC=6、tan A=4/3を満たします。
    では、この中で、もっとも面積の大きい三角形は?
    頂点Aと底辺BCとの距離が大きいほど、三角形の面積は大きくなります。
    ここで、辺BCを水平に描いたことが功を奏すると思います。
    どこに頂点Aを描けば、辺BCからもっとも遠いか?
    それは、てっぺんの位置。
    円を1つの時計と見立てるならば、12時の位置。

    そして、頂点Aがてっぺんの位置にあるのだとすれば、この△ABCは、AB=ACの二等辺三角形です。
    点Aが、てっぺんから少しでも下がれば、AB=ACではなくなりますよね。

    よし、わかった!

    二等辺三角形の頂角の二等分線は、底辺を垂直に二等分します。
    底辺BCの中点をMとし、線分AMを描きましょう。
    このAMが、△ABCの高さです。

    さて、△ABMは、直角三角形です。
    三平方の定理を使えば、AMを求めることができます。
    それには、他の2辺の長さが必要。
    BMは、BCの半分ですから、6×1/2=3
    それでは、ABは?

    ここで、tang A=4/3 が生きてきます。
    三角比は、サイン・コサイン・タンジェントのどれかの値がわかれば、残る2つの値を計算で求めることができます。
    タンジェントから、公式を使ってコサインの値を求められます。

    三角比の相互関係の公式を用います。
    1/cos^2 A=1+tang^2 A
    =1+(4/3)^2
    =1+16/9
    =25/9
    よって、
    cos^2 A=9/25

    ここで、0°<A<180° 
    tan A>0、sin A>0 より、
    cos A>0
    よって、
    cos A=3/5

    よし、これで、辺ABの長さを求めることができます。
    AB=AC=x とおくと、
    △ABCにおいて、余弦定理より、
    6^2=x^2+x^2-2x・x・cos A
    36=2x^2-2x^2・3/5
    2x^2-6/5x^2=36
    4/5x^2=36
    x^2=36×5/4
    x^2=45
    x>0より、
    x=3√5

    よって、AB=3√5。
    そして、先ほど求めた通り、BM=3 ですから、
    △ABMにおいて三平方の定理より、
    AM^2=(3√5)^2-3^2
    =45-9
    =36
    AM>0より
    AM=6

    これで△ABCの高さの最大値は6とわかりました。

    よって、△ABCの面積の最大値は、
    1/2・6・6=18

    面積の最大値は、18です。
      


  • Posted by セギ at 14:21Comments(2)算数・数学