たまりば

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2018年03月21日

学年末テスト結果集計出ました。2018年3月。




学年末テスト結果集計出ました。

数学 90点台 1人 80点台 2人 70点台 2人 60点台 1人 50点台 1人 40点台 1人
英語 90点台 1人 70点台 1人 

高校の数学は、2科目の平均点を結果としていますが、片方の科目で100点満点を獲得した人もいました。
前回のテストから+23点の人、+14点も人も。
学年末はテスト範囲が広く、得点しづらい範囲であることも多い中、大きな成果が出ています。
さあ、次は新学期です。


さて、着々と結果を出し続けるためにさらに精進しつつ、最近はなお、新学習指導要領とアクティブ・ラーニングのことを考えています。

先日、学者の人がツイッターで、こういうのがアクティブ・ラーニングだと説明しているのを目にしました。

「黒板に先生が文を書く。
『正方形の右に正三角形が2つ並んでいる』
これを表す図を描いてみましょう、はアクティブ。
『隣りの人と絵を交換して、合っているかどうか確認してみよう』
もアクティブ。
『合っているかどうかわからなかったのはある?』
黒板にその図を貼って、みんなで議論。十分アクティブ」

・・・・うわあ・・・。( 一一)

何というか、過去のトラウマに襲われ引きずり込まれるような恐怖感があります。
そうそう。これ。
これが、アクティブ・ラーニングです。
私が中学生の頃、毎日毎日、学校で受けていた授業です。

ツイートはさらに続きました。
「先ほどの問題。
□△▽や◇▽▽について
『間違っている』
『よくわからない』
に手を揚げる子は当然予想されて、
『合っていると思います』
という子と議論になる。
それで『正方形とは何か』『正三角形とは何か』というまさに『定義とは何か』を学ぶことになる」

・・・うわあ。(T^T)
いやだいやだ。

「わあ、面白そう。そういう授業を私も受けたかったなあ」
そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、それは、今、大人として、上のような平易な課題を見るからではないでしょうか。
正しい結論がすぐにわかりますから、議論に参加できそうで「面白そう」と感じるという側面はないでしょうか。
知識も判断力も小学生に戻って、学校でその課題を与えられる幼い自分を想像してみてください。
そのストレスの大きさを想像してほしいのです。
正解がわからない議論に常に参加していくプレッシャー。
何が最終目的なのかわからない課題を積極的に解決していかなければならないプレッシャー。
子どもには、先生の意図や、この学習の真の目的は、見えないのです。
謎解きの喜びと同じだけ、恐怖と困惑を伴う学習です。


そもそも、子どもというのは案外保守的で、固定観念が強いものです。
上の課題が与えられて、◇▽△という、先生が歓喜するような非凡な図を描く子は、ほぼいないと考えたほうが良いでしょう。
賢い子は、「□△△」という平凡な正答の図を描くと思います。
一方、「△□□」などの明らかに間違った図を描いてしまう子も多いかもしれません。
そして、間違った図を描いた子の中で、自分の間違いにすぐに気がついた子は、間違ってしまった恥ずかしさから立ち直るのに時間が必要です。
その精神状態で、後の議論に参加するのは難しいかもしれません。
もっとまずいのは、間違った図を描いて、隣りの子にバツをつけられても、なぜ間違っているのか理解できない子が一定数いると予想されること。
間違いを具体的に指摘されても、なぜ間違いなのか理解できない学力層の子が存在することです。

「△□□」の図が間違っていることに本来議論の余地はないのですが、間違っている子が多ければ、それも議論しないわけにはいきません。
しかし、それは、その授業で予定していた学びとは違うでしょう。
先生はそれを上手く避け、議論をコントロールしなければなりません。
予定していた学びとは異なる、つまらないミスによる間違いに関する議論は手短に行われるでしょう。
間違った図を描いたのに、それのどこが間違っているのか理解できない子は、そこで授業に取り残されます。
その先の議論に参加できません。
その後の議論など耳に入らず、自分の間違った図をぼんやり見つめるだけかもしれないのです。
そして、その子のノートには、△□□という謎の図が残されます。
家庭で、保護者の方が、
「今日は学校で何を勉強してきたの?」
と尋ねても、
「わからない」
以外の応えは返ってこないかもしれません。
ノートを見ても、謎の図しか残っていません。
アクティブ・ラーニングには、そうなる危険性があります。

興味深く議論の題材になるような非凡な図を生徒が描く可能性は低いです。
賢い子たちは、□△△という、わかりやすい正解の図を描くでしょう。
しかし、それでは、議論になりません。
ですから、先生は、あらかじめ用意していた図を黒板に貼ることになるでしょう。
▽△ の図です。
さて、これは正しい図でしょうか?
「正方形の右に正三角形が2つ並んでいる」
この図は、それを正しく示しているでしょうか?
正しいと思う人と思わない人に分かれて、議論が始まります。

この図を「間違っている」と考え、しかも積極的に議論に参加してくれる生徒は、この授業にとって貴重な存在です。
この図を間違っていると思う生徒の学力評価が下がることはありません。
むしろ、議論の途中で思考が深まり、劇的に考えが変わっていくなら、先生は特にその子を高く評価する可能性があります。
しかし、秀才たるもの、最初からこんなことはわかっていることを周囲に示したい。
最初から、正しい答えを選びたい。
間違った判断は最初からしたくない。
そんなこと、本当は誰も気にしていないのに、それを気にして立ち回り、疲れ果ててしまう子もいるでしょう。
こうした学習が、秀才にとってストレスであるのは、そうした点です。

繰り返しますが、大人にとっては、□も◇も正方形、△も▽も正三角形であることは自明の理です。
正解がわかり、道筋がわかるから、この議論に参加するのは楽しいことに思えます。
□も◇も正方形であることを理解することから、正方形の定義というものに考えが至り、さらには定義とは何かまで学習を深めていくのだ。
凄いなあ。
楽しいだろうなあ。
アクティブだなあ。
アクティブ・ラーニングっていいなあ。
そんな授業、私も受けたかったなあ。
そう思うかもしれません。

しかし、高等数学で、イエス・ノーの課題を与えられ、意見を言えと要求される自分を想像してみてください。
恐怖しませんか?
それがアクティブ・ラーニングだ、新しい学習なのだと言われる自分を想像してみてください。
トラウマになりそうじゃありませんか?
小学生にとっては、上の課題はそういう可能性を含んでいないでしょうか?
の課題から「定義とは何か」にまで学習を深めることができる子は、少数です。
限られた少数の秀才の学力を飛躍的に伸ばすために、大多数の子を置き去りにする可能性があります。

私は国立大学教育学部の附属中学校に通っていました。
授業はこういう実験授業が大半でした。
結局、日本の教育はこの40年、ここから一歩も先に進んでいないのかもしれません。
私は、こうした授業でよく発言していましたし、そうした議論を当時は楽しんでいました。
あれは、面白い授業でした。
成績も良かったです。
当時の深い学びが、今の自分につながっていると、言えば言えるのかもしれません。
それでも、ある種ぞっとする感じがつきまとうのです。
深い霧の中で目的も定まらず、ただ生き残るために全神経を張り詰めるサバイバルゲームを常に続けていたような。
自分は闘いたくはないのに、常に闘いを強いられていたような。
そして、その授業でほとんど意見を言うことはなく、
「勉強がわからない」
「学校がつまらない」
と言っていたクラスメートたちの顔が浮かぶのです。

この仕事をするようになって、やはり国立大学の附属中学に通う生徒の個別指導を受け持つ機会が幾度かありました。
私の頃と同様に、そうした学校では実験授業が行われていました。
アクティブ・ラーニングです。
「学校の授業は、何をやっているのかわからない」
「学校の授業は、勉強のできる何人かと先生が話しあっているだけ」
同じような感想を異口同音に聞きました。
そういう学校は、授業は難解でも、定期テストは、特別難しい問題が出題されるわけではありません。
前半は易しい基本問題、後半にいくにしたがって、難度を増していきます。
実験授業を行っている先生たちは有能ですから、テストもほれぼれするような構成になっていることが多いのです。
しかし、私が個別指導をすることになった子たちは、そのテストの基本問題さえ正解できていませんでした。
単なる1次方程式や連立方程式の計算問題が解けないのです。
市内の公立中学に通っている数学が「2」の子だって、それくらいは正解するのに。
国立の附属中学校は、私立の中高一貫校のように進度を速めた授業をしているわけでもありません。
学年相当の普通のことを学んでいます。
ただし、実験的な手法で。
アクティブ・ラーニングで。
学校の授業で何をやっているのかわからないので、家でも何を学習して良いのかわからず、テストに何が出題されるのか、わからないというのです。

その子たちにも原因はあります。
授業中、ぼんやりしていないで、とにかく議論に加わったら良いのです。
授業中の発言をバカにされることはありません。
あまりにも意味のない発言、議論を後退させるだけの発言は、スルーされる可能性はありますが、恥をかいてもいいから議論に参加したら良いのです。
そして、家に帰ったら、コツコツと基礎的学習をしたら良いでしょう。
学校は、普通の教科書に沿った普通の教科書準拠ワークを配布しています。
それをコツコツ解いたら良いのです。
学校で何をやっているかわからないから勉強しない、というのは言い訳です。
学校の授業を口実に勉強しないでいるだけです。
私が個別指導を担当した、学校の授業内容がわからず成績不振に悩んでいる子たちは、学習習慣が身についていない子ばかりでした。
塾で基本を丁寧に教え、それについて復習するだけの宿題を出しても、解いてきませんでした。
1週間後、塾に来る直前になって慌てて手をつけ、上手く解けず、もう忘れた、わからなくなったと言い訳することが多かったのです。
宿題を解いてくるようにするまでが、まず第一関門。
錆びついた巨大な機械に油を差し、動きだすようにするまでには、大変な時間と労力が必要でした。

でも、その子たちだけを責めて、切り捨てるのは、いかがなものか。
学習目標を明確に提示し、何を覚え何ができるようになれば良いかを示された授業で懇切丁寧に教えてもらえていれば、彼らはそれほどの学業不振にはならなかったでしょう。
アクティブ・ラーニングは、両刃の剣です。

学校が基礎を丁寧に教え込む役割を担ってくれなくなるならば、家庭と塾が渾身のフォローをしていきましょう。
ゆとり教育の再来だけは避けなければ。
そう思います。

もう一つ言うならば。
◇が正方形に見えない子、▽を正三角形と認識できない子は、いつの時代にもいます。
学校でのクラス全体の議論や、グループ・ディスカッションには参加できず、学校でどのよう結論が出されようとも、◇は正方形ではない、これはひし形だ、と心の中でずっと思っている子はいます。
そうした子と、対話を繰り返すことで学習を深めることが可能なのが、個別指導です。
とても時間はかかりますが。
そして、それもアクティブ・ラーニングだとは、私も思うのです。




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    この記事へのコメント
    やはりそうですか。
    結局は幼稚な世界観の問題が根底にあるのでしょう。個々の能力は千差万別で大きな差がある。世界って不平等で残酷なものです。その所与の条件の中で、トップの1%を対象にソクラテスの対話編の世界をイメージするのか?それとも生まれながらの不平等を前提として、平均を目安に世界を認識するのか?そもそもトップの0.1%はどんな環境(ゆとり教育だろうがactive learningであろうが)であれ、先に進んでいくものなのです。その0.1%を前提として、社会をidealisticにdesignしnightmareに帰結する、こんな蛮勇はよほどの愚者でなければ思いつかないな。
    Posted by recluse at 2018年03月27日 09:18
    コメントありがとうございます。
    ゆとり教育の失敗を認めず、夢よもう一度と願う人がいるのでしょうか。
    また失敗しないと良いのですが。
    Posted by セギセギ at 2018年04月02日 21:05
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