たまりば

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2016年10月14日

アナログ時計が読めない。

アナログ時計が読めない。

もう3年くらい前になりますが、模試責任者の研修を受けていたときに、今の大学生の中にはアナログ時計を読めない子がいるのではないかという話になったことがあります。
試験監督をするアルバイト学生が模試の終了時間の告知をミスする事例があり、それをどう解決するかという話の中で出てきたことでした。

そういう子もいるのかもしれないとは思うものの、実例を見たことはなかったのですが、少し前、若いテレビタレントが、トーク番組で自分はアナログ時計を読めないと話していました。
短い針は数字の通りに読めばいいが、長い針が何分を指すのか読むことができないと言うのです。
「5倍すればいいって教わったけど、長い針は中途半端なところにいることが多いでしょう?」
しかし、その話を聞く側は「5倍すればいい」の時点で「?」という顔をしていました。

例えば、長針が「2」の位置にあるとき、2×5=10で、それは10分を指している。
「5倍する」とは、そういう意味でしょう。
しかし、アナログ時計を読める人は、×5の計算などせず、見たままで時刻を読み取っています。
「2」の目盛りが10分を指すことが頭の中で自動化されています。
だから、中途半端な位置にある「13分」でも「27分」でも自動的に読み取れます。
それができないという話なのでした。

その若いテレビタレントは、俗に言う「おバカタレント」らしいのですが、×5のくだりを聞く限りでは、実はかなり頭が良さそうでした。
自分は何ができないのか。
どのようにできないのか。
原因は何であるか。
それをこんなに具体的に饒舌に語れるのは大変な言語能力です。
これだけのアウトプット能力があればインプット能力も高いのが普通です。
興味がないから勉強せず、だから学校の成績は悪かったというだけで、本来頭の良い子なのだろうなと感じました。
あるいは、タレントイメージとして隠しているだけで、学校の成績も本当は良かったのかもしれません。

それはともかく、アナログ時計に話を戻すと、長針を読める人は「2」を「10」と読むことが自動化されています。
しかし、本来「2」は「10」ではありません。
「2」を「10」に読み替える。
あるいは数字がなくても、丸い時計の針の位置で時刻を読み取る。
大人になってから初めて学ぶのであれば、これは少し難しいことかもしれません。
教えるとしたらどんなふうになるだろうと想像します。
1時間あれば、色んな時刻を読む練習をして、一応読めるようになるでしょうか。
でも、問題は、そのときは読めるようになっても、翌日には忘れてしまう可能性が高いことでしょう。
繰り返し練習しなければ定着しないと思います。

「学習する」ということについて、テレビを見ながら考え込んでしまいました。
学習したから「2」を「10」と読めるのです。
自分が「2」を「10」と読んでいることを意識しないほど完全に自動化し、定着しているのが、学習が完成した状態でしょう。

目標はそういうところなのですが、しかし、なかなか厳しいのが現実です。
教室での授業を振り返ると、それでも過半数の子どもは、学習するとはどういうことなのかを体験的に会得していると思います。
学習に対しても主体的です。
「学校でこのプリントをもらって、これの類題がテストに出ると言われたから、そういう演習がしたい」
と、要求も具体的です。
私は、それでは、テキストのこの問題を解こうと指示し、演習した結果が誤答の場合は、そこが違うよね、ここはこう解くんだよねと指摘し解説します。
すると、次に類題を解くときに改善されています。
授業中には結局改善されなかったことも、テストの答案を後日見ると正答しています。
失敗から学ぶ。
ごく当たり前にそれが機能しています。

自分は何をどう間違えたのか。
それを分析し、正しい解き方を理解し、次に実践する。
学習はそうした作業の繰り返しです。
失敗から学ぶのが、学習能力。
ほとんど意識することもないでしょうが、多くの子が持っているものです。

ところが、これが機能していないように感じられる子もいます。
どうも「学習する」ということを学びそこねてしまったようなのです。

まずは外側に表れている問題として、復習をしない子。
このブログにも繰り返し書いていますが、間違えた問題にバツをつけない子です。
直して赤丸をつけて終わりにします。
そこを注意し、それでもバツはつけたくないだろうから、直して青丸をつけるように指示すると、ノートはそのように改善されます。
でも、テキストにチェックを入れません。
テキストに間違えた印のチェックが入っていない場合、何を復習していいのか本人はわかりません。
チェックの入った問題だけ解き直せばいいんだよと説明すると「ああっ」と驚いた顔をする子もいます。
間違えた問題のノートを読み直すだけでも復習になるんだよと説明すると、それも「ああっ」と驚いています。
勉強のやり方を知らないのですね。
こうした反復学習の方法が身についていない子は、できないことはできない状態のままテストを受けてしまいます。
そこを改善できれば成績が飛躍する子はたくさんいます。

しかし、本当に学習能力の高い子は、間違えた問題の解き直しを必要としないのです。
間違えた経験がしっかり本人の頭に残っています。
「復習しなさい」という指示を必要とせず、本人の頭の中でその作業が行われています。
この、表に出ない部分、外側の行動に表れない部分での「学習」が完璧であるほど、表面的には何も復習していないように見えます。

問題を1題解く間に、あらゆる分析が無意識に行われています。
この問題はどの学習事項の問題なのか。
過去に見たどの例題の類題なのか。
自分の頭の中にあるどの解き方が有効なのか。
出題者の意図は何なのか。

そして答え合わせをして間違えたときには。
自分は何をどう間違えたのか。
今後同じミスをしないためにはどうであれば良いのか。
この問題を1題間違えたことで自分が学んだことは何なのか。

こうして書くと大袈裟ですが、問題を1題解く過程で常に意識せずに行われているのがこうした「学習」です。
常に分析的である。
常に何かしら頭が働いている。
学習するということは、そういうことだと思うのです。

それゆえ、学習能力の高い人は、同じ問題の解き直しは本来必要としません。
一度解く過程で、その問題から学べることは全て吸収するからです。
それでも解き直すのは、全て吸収したことの確認です。
解き直したら正解できた。
確かに、自分は学習した。
その確認です。

「学習」はこのように目に見えない形のものですので、学習の形式だけ指示しても、効果が表れない子もいます。
解き直すという作業だけを真似ても、同じことを同じように間違えるだけで、結果の変わらない子です。
解き直すことに効果がないように見えます。
目に見えない「学習」という作業が本人の内側で上手く機能していないのかもしれません。
何をどうすることが「学習 」なのか、その本質がわかっていないのだと思います。

時間が経って忘れたということではなく、直後に類題を解いても、同じことを同じように間違えます。
そうした場合、理解できていないからだろうと思い、私は解説を加えます。
しかし、その後に類題を解いてもまた同じように間違えます。
その頃になると本人も多少は危機感を抱いて真剣に解いています。
しかし、また同じように間違えるのです。
ようやく、本人から質問が出始めます。
大抵は、「それがわからないということは、一体いつから数学がわからなくなっていたの?」と内心ぞっとするような質問です。
不等号の向きが意味することがわかっていなかったなど、かなり初期の段階で学びそこねたことが影響している場合が多いです。

学習は、自分の内側に向かっていく作業ですが、そういう子の多くは勉強していても他人の目を気にしているのかもしれません。
自分がどう見えているかを気にしているのでしょう。
本当にわかることよりも、わかったふりをすることを重視します。
わからないけれど、わかったふりをする。
そういう子は、どう見えるかが大切なので、わかって解いている子の頭の中で起こっていることには想像が至らないかもしれません。

頭の中で常に分析しているんだよ。
常に改善しているんだよ。
アップデートを繰り返しているんだよ。
それが「学習する」ということなんだよ。

しかし、いくら口で説明しても、そのように頭を働かすということは具体的にどうすることなのかわからない。
上手く学習できない子の中には、そうした課題を抱えている子もいるように感じます。

ただ、これは目に見えないことなので、頭の中で本当に何も動いていないのかもしれませんが、何か動いているのかもしれません。
その見極めは難しいです。


私は週に1回、スポーツジムでエアロビクスを習っています。
下手の横好きですので、なかなか難しいです。
よせばいいのに上級者クラスにいますので、全体に振りつけが速いですし、手の動きと足の動きは異なるリズムを取ることを要求されることもあります。
よく観察しないと、前回りだとずっと思っていたら、実は後ろ回りだった、という失敗もしがちです。
何だかタイミングが合わないなあと思い、ああ、後ろ回りなんだと気がついて、直そうとするのですが、もう直りません。
頭ではわかっているのですが。
本当にわかっているのですが。
でも、前回りしてしまうんだなあ。
何でかなあ。
脳からの指令に足が上手く反応しないなあ。

何度も同じところを同じように間違えてしまう子も、そのような状態かもしれません。
わかっているんだけど、上手く反応できないんだ。
でも、わかっているんだ。

そういう場合、あと何度か繰り返せば、出来るようになるかもしれません。
時間はかかるけれど、学習はしています。
少なくとも、学習するとはどういうことなのか、わかっています。
学習するとはどういうことか実感できているのなら、夜明けは近い。
そう思います。



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    Posted by セギ at 16:16│Comments(0)算数・数学
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