たまりば

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2014年06月30日

なぜ英語ができないか


日本人が英語を学ぶのならば、文法的アプローチをしていかなければなりません。
ところが、文法なんか学んではダメだというような極論を口にする人がいます。
しかし、これは、論点がズレているんです。

つまり、大学受験のための英語は身についているのに、英会話となると全く英語が口から出てこない人がいるが、それはなぜなのかという問題と混同されています。

しかし、それは、本人のメンタルの問題が大部分でしょう。

自分の発音が悪いのを気にしている。
通じないんじゃなかと不安なので、もごもごと小声で英語を言う。
相手は聞き取れないから、訊き返す。
「やっぱり、自分の英語は通じない」と傷つく。
余計に、英語が口から出てこなくなる。

正しくて素晴らしい英語を話そうと気負う。
冒頭の「あー」ばかりやけに長く引っ張り、なかなか英語が口から出てこない。

発音の間違いや、文法の間違いは、ネイティブではないのだから、当たり前。
なのに、指摘されると、物凄く傷つく。
メンタルが弱いので、一度傷つくと、二度と英語を話せなくなる。

英語を話すといっても、そもそも英語で伝えたい内容を持っていない。
英語を話さなければならない必然性もない。
なので、そんなに本気で練習もしていない。

それでは、話せるようになるわけがありません。

そして、これらは、文法を学んだからそうなった、というものではないでしょう。
本人に英語力があるのなら、後はこうしたメンタルの課題をクリアすれば良いのです。
英語力そのものがない人よりも、むしろ英語習熟に肉薄しています。


目標が、トラベル英会話に不自由しないことならば、文法ではなく決まり文句を暗唱することで何とかなるかもしれません。
けれど、私が生徒に期待し、また期待されていることは、トラベル英会話の習熟ではなく、大学受験で高い得点を取ることができる英語力です。
すなわち、受験英語です。
スピーキングは、現在のところ、入試にありません。

受験英語は、悪者ではありません。
高い受験英語能力を持って大学に入り、それから大学で、今度は会話の訓練をつめば、鬼に金棒です。
次元の違う英語が話せるようになります。
まずいのは、その2つのことを混同したり、子どもに受験英語を軽視する根拠を提供したりしてしまうことのほうです。
軽視しても、結局、受験英語を習得しなければならないのに。
それでは、軽視した受験英語に報復されてしまいます。

大人でも文法を軽視する人がいるくらいですから、子どもになると、もっとひどいです。
英文法はもちろんですが、国語の文法も、大嫌い。
そういう子は、伝家の宝刀を抜きます。
「なんで国語の文法なんて勉強しなければならないの?文法なんかわからなくても、日本語は話せるよ」

しかし、国語の文法がよくわかっていない子は、英語も苦手なことが多いです。
ある程度まではいけるんですが、英文が長くなると、わからなくなります。
中2の2学期で学ぶ「不定詞」でまずモヤモヤします。
名詞的用法・形容詞的用法・副詞的用法。
そういう文法用語へのアレルギーが強い上に、その使い分けというと、もっとわからない。
意味で区別すればいいじゃん、と安易に考えていると、形容詞的用法の「~のための」と副詞的用法の「~のために」の区別がつかなくなります。
日本語の「の」と「に」の違いがよくわかっていない子に、こんな識別は無理というもの。
そして中3になり、「分詞」や「関係代名詞」を学習するようになると、どういう順番で英語を並べていったらいいのか、全くわからなくなります。

それでも何とか高校生になると、高校の英語のテストには、和訳問題が出題されます。
大学入試に和訳問題が出題されますから。

本人は正答したつもりでいた。
なのに、テストが返ってきたら、和訳問題は、間違いだらけ。
そんなことがあります。
「学校の先生が訳した通りに書いたのに、バツになった。意味わかんない」
へえ・・・、と思いながら、答案を見ると、これは不正解だろう、という答案です。
たとえば、

゛The tofu road ゛that started in China dose not end in Japan  or in Asia.

「豆腐の道」は、中国で始まった。そして、日本やアジアで終わらない。


「・・・本当に、学校の英語の先生は、こんな訳をした?」
「したよ」
「中国で始まった豆腐の道は、日本やアジアで終わらない、と訳さなかった?」
「それ、同じでしょう」
「・・・・なるほど」

それが同じに思える感覚では、和訳問題は、正答できません。
和訳問題は、文法問題です。
文法構造の複雑なところを訳す問題が大半です。
だから、構造が把握できていない和訳は、不正解です。
この文では、that started in China は関係代名詞節で、
The tofu road を修飾しています。
そのことがわかっているとアピールする答案を書かないといけないのに、頭から順番に訳しているだけ。
これは、不正解です。

内容把握だけなら、頭から意味をとっていけば良いのです。
だから、最初の誤訳でも、まあ良いでしょう。
近年、易しい私立大学では、平易な長文を読んで内容が理解できれば解ける問題が多く、和訳問題はほとんど出ない大学もあります。
そのため、和訳そのものを古くさいと勘違いしている子もいるのですが、国立大学の二次試験は、無慈悲なくらいに和訳問題が出ます。
ですから、高校の定期テストも、その高校のレベルによって、無慈悲なくらいに和訳問題が出題されます。


正確な訳をするためには、両方の言語の文法体系を把握していなければなりません。
しかし、現代の子どもの日常会話には、そもそも、修飾節など存在しません。

問題 次の日本語を英語に直しなさい。

私が、昨日、駅への道を教えた男の子は、少し日本語を話した。

これのよくある誤答。

I told a boy the way to the station spoke Japanese a little yesterday.

駅が、昨日、日本語を話したのかな・・・。
日本語の順番のまま英単語を並べるだけじゃ、ダメなんだよー。
( 一一)

次に、少し勉強している子の誤答。

Yesterday I told the way to the station to a boy who spoke Japanese a little.

惜しい。
それの和訳は、「私は、昨日、日本語を少し話す男の子に、駅への道を教えた」です。

「同じじゃん!」
口に出すにしろ、目で訴えてくるにしろ、そういう反応の子は多いです。

「私が、昨日、駅への道を教えた男の子は、少し日本語を話した」
「私は、昨日、日本語を少し話す男の子に、駅への道を教えた」

確かに、事実は、同じです。
しかし、この2つの文は、伝えたいことが異なる文です。
ですから、日本文が異なりますし、当然、英文も異なります。
日本語を見て、主語は「男の子は」であると分析できないと、この日本語を正確に英訳することはできません。
主語を分析する作業は、本人が身につける気になれば、難しいことではありません。
しかし、文法を軽視する子は、幾度その話をしても、その分析をせず、与えられた日本語の冒頭から英訳してしまいます。
そして、
「だって、主語なんてわからないもん」
と泣き言を言います。
必ずわかるから、難しいことじゃないから、と幾度説明しても、心理的な拒絶反応が大きい。
私が見ている間はその作業をしても、宿題やテストでは、また感覚で書いてしまいます。
文法的な分析をしなければ正答できないということが、理解できないようなのです。
文法なんかわからなくても正しい英文は書けると、いつまでも夢見ています。

言語能力の高い子は、瞬時に主語を分析します。
それが、まるで分析などしていないように見えるのかもしれません。
本当は、しているんです。
本人すら無意識の場合もありますが。
我々は、日本語を話す場合に、文法を意識していません。
でも、文法を用いて話しています。
そのことを理解できない子は多いです。
英語には文法学習など必要ないという大人も、そういう人なのかもしれません。

中学生の日常会話は、主語がどうの修飾語がどうのと分析しなければならないような構造のものではありません。
そのことも影響しているのでしょう。

上の文を中学生との会話で再現するなら、こんなふうになるでしょうか。
「昨日さー」
「うん」
「歩いててさー」
「うん」
「外人がさー」
「・・・・どんな外国人?」
「子どもー」
「男の子?女の子?」
「おとこー」
「どこの国の人?」
「知らね。アメリカ人じゃね?」
「・・・英語を話していたの?」
「日本語しゃべってんだよ。うけるー」
「・・・いや、彼にしてみたら、私たちの英語のほうが、マジうけるかもしれないよ。・・・・で、その日本語を話す外国人の男の子が、どうしたの?」
「駅はどこですかあ、とか言うからさー」
「・・・で、教えたの、駅への道を」
「教えたー」

かなりひどい。
しかし、大人と、このレベルの会話ができる子は、別に頭が悪いわけではありません。
性格が悪いわけでもないでしょう。
大人に、これだけの情報を伝達できれば上出来なほど、言葉の痩せている子は多いです。
むしろ、こうした会話を交わしたとき、その子が、私に本当に語りたかったことを想像する能力が私に求められている。
外国人と会話をした喜び。
親切なことをした嬉しさ。
それを読み取れるかどうか、私の能力こそが試されるんだ、と感じます。

それはともかく、こういう会話をする子は、自分の母国語である日本語でも、
「私が、昨日、駅への道を教えた男の子は、少し日本語を話した」
という文は組み立てられないです。
まして、それを英語で表現することは難しいでしょう。

本人の国語能力を超える外国語は、習得できません。
中学生のお子さんが、国語の文法がよくわからないと言い始めたり、実際にテストの得点が低かった場合、いずれ、英語の成績も伸び悩む可能性があります。




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