たまりば

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2012年11月29日

くらべないで


期末テスト前の対策授業。
それなのに、授業中、集中できていない。
先日、そんな中学生に、
「うちの塾に通う中学生で、この前の中間テストで80点取れなかったのは、あなたと、もう1人の、合計2人だけでしたよ。原因はどこにあるか、わかりますか」
と言いました。

そういうことを聞くだけでお腹が痛くなる子もいますので、これはかなり危険なことです。
言う相手は、選ばなければならない。

でも、その子には良い刺激になったようです。
期末テストが終わるとすぐ、問題を塾に持ってきて、
「答えを教えて。80点とれたかな?」
と気にしていました。
本人いわく、「こんなさびれた塾」に、そんなに成績の良い子がいるわけないと思っていたそうです。
中間テストの点数では、自分がビリから2番目と知って、驚いたらしいです。

こんなさびれた塾って、個別指導なんだから、いつ来ても私以外に人の気配がないのは当たり前なのですが。
会社のオフィスみたいな内装にするには、その分を授業料に上乗せすることになります。
もう1つ言えば、個別指導なんだから、範囲のあるテストで80点取るくらいのクオリティは当たり前なんですよー。
(^_^;)


まあしかし、これは、誰にでもやって良いことではなく、基本、非常に危険なこと。
今回の場合は、顔も名前も知らず、永久に会うことのない人たちと比較されたので、傷つく要素は少なかったと思いますが。

比べられる場合、ごく狭い範囲の、目の前の相手と比べられるのが、逃げ場がなく、もっともつらいかもしれません。
兄弟姉妹と比べられてつらいと言う子は、昔も今もいます。

個別指導塾に勤めていたあるとき、新しく入って来た男の子が、
「センセイ、〇〇って知ってる?」
といきなり言うので、驚いたことがあります。
それは、その子の兄の名前でした。
卒業した誰それの弟だという話は、もちろん事前の情報として入っていましたが、どうでもいいことなので、念頭にありませんでした。
でも、本人にとっては、それはどうでもいいことではなかったようです。
誰もそのことに触れないのに、わざわざそれを自分から口に出すほど、意識していました。
その後も、ことあるごとに、兄の名前を口に出します。
授業態度が悪いので注意すると、
「〇〇は、違ったか」
わざわざ自分から、兄の名前を出して、どうせ比較して言っているんだろう、と決めつけてきます。
自分がきちんとできないのは、兄が優秀だからだ。
自分はむしろ被害者なのだ。
そう思っているのではないかと感じられることさえありました。

兄弟で、どちらかが成績優秀で、もう1人がそうでもない。
もし、そんなことがあったとしても、今の時代、それをとやかく言う親は、現実にはほとんどいないと思います。
それは、比べてはいけないこと。
そういう常識は、もう十分普及しています。
だから、親がその子を比べて傷つけたことは多分ないのに、なぜ、そんなに気にしていたのだろう。

親は比べないけれど、他人が比べていたのでしょうか。
「あなたは、いつもお兄さんの名前を口に出すけど、本当に、あなたとお兄さんのことを比べてあなたのことを批判する人が、いるの?」
あるとき、そう訊くと、その子は、顔をそむけました。
「みんな、比べてる」
「みんなって、誰?」
「・・・・・・」
「あなたのお父さん?お母さん?おじいさん?おばあさん?親戚の人?近所の人?学校の先生?誰?」
「・・・・・・」
明確な答えはありませんでした。
「本当は、比べて何か言う人は、誰もいないんじゃないの?」

学校の先生や塾の講師が、「兄弟だから」という、単なる血縁関係を理由に生徒を比べる可能性はほとんどありません。
こういう仕事をしている場合、ベテランになればなるほど、何百人、何千人という生徒を見ています。
それは、一種のデータベース。
そのデータベースの中での生徒の比較ならば、常に行っています。
この時期に、この学力で、この学習習慣・性格傾向の子。
どこまで伸びるか。
どこに進学できるか。
さらに伸ばすには、どのような指導が効果的か。
それは、結局、これまで教えてきた多くの生徒たちとの比較から判断しています。

兄弟なんて、むしろ、性格が違う場合のほうが多いので、比較対象になりません。
比べても意味がないので、比べようという気すら起こりません。
目の前の生徒は1人1人独立しているので、兄弟の誰それを念頭において何かを考えることもありません。
本人が口に出すので、ああ、そういえば、君のお兄さんは、〇〇君でしたね、という感覚なのが、ほとんどの学校の先生や塾講師だと思います。

ただ、面白いもので、保護者のほうは、自分は比べたことなど1度もないのに、他人が比べるので子どもが傷ついている、という把握をされている場合があります。
自分は気をつけているのに、他人が安易に比べるので、子どもが傷ついてしまう、と感じているようです。

真実はともかく、傷ついている子は現実にいます。
他人に比べられるかどうかよりも、やはり、家庭内のことのほうが、子どもには重いでしょう。
本当は、「どちらが優れているか」ではなく、「どちらがより多く親に愛されているか」という問題なのですから。
勉強が出来る真面目な兄貴のほうが、親に信頼され、愛されていると、弟は思っている。
勉強をさぼって悪さして、それでも何だかんだ、結局、親に甘やかされ愛されているのは弟のほうだと、兄は思っている。
親は、むろん、平等に愛しているつもりです。
でも、平等にしようと努力していることが、すでに不平等であることまで、肌で感じ取るのが子どもです。

親の愛情に差なんてあるはずがない、子どもを愛さない親はいない、と思うのと。
親だって人間なんだから、ソリの合う子もいれば合わない子もいるさ、と思うのと。
今、苦しんでいる子どもには、どちらが慰めになるのだろう。


昔、親が学校の先生である友人から聞かされた話で印象的だったことがあります。

親が教員なんて、ろくなことがない。
でも、それは、教師の子なら勉強ができて当たり前、と言われるからではない。
そんな無神経なことを言う他人は、たまにしかいない。
一番嫌だったのは、親が、うんざりするくらい現実をわかっていること。
私のテストや成績表を見るときの目つきが嫌だった。
志望校を決めるときも、こんなもんだろう、と何の夢も見ていない判断をされた。
うちの親は、私も生徒の1人のように思っていた。
家の中にいても、親じゃなくて、教師なんだよ。

普通の保護者は、子どもに夢を見ます。
こちらが「えっ?」と思うような高い志望校を口にする保護者も多くいらっしゃいます。
受験が近づき、何回も模試を受け、データを見て、夢と現実をすり合わせていきます。
でも、保護者が教師である場合、模試の結果を見るまでもなく、学校の成績やテストの答案を見ている段階で、高い精度で現実が見えています。
それは、子どもにとって、楽なことばかりではないのでしょう。
根拠のない比較をされているのではありません。
膨大なデータベースの中での精度の高い比較を、実の親にされている現実。

根拠なんかなくていいから、一緒に夢を見てよ。
そんな気持ちになることもあったのかもしれません。

子どもと一緒に甘い夢を見て、子どもと一緒に落胆して。
でも、また、一緒に夢を見る。
そういう親も、また良い親であると、私も思います。



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