たまりば

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2012年10月22日

成功体験をこじらせている子


毎週日曜日は模擬試験の会場責任者の仕事が入り、11月半ばまで休日なしです。
次に山に行くときは、低山も紅葉が真っ盛りでしょう。
それを見るのを楽しみに、頑張ります。

さて本題。
小学生から高校生までを長年教えてまいりますと、子どもの成長過程では、小学校から中学校に上がる際の段差がとにかくきつい、と感じます。

私が子どもの頃は、小学生でも、3年生からは5段階相対評価で成績がつきましたから、親も本人も、露骨なくらい学力を把握できました。
この子は、4教科全部「5」をとっているから、中学受験をさせてみようか、みたいな話にもなった一方、成績表に「1」と「2」しか並んでいないということもありました。
自分なんかどうせダメだと、小学生のうちから強い劣等感を抱いてしまう子どもが多かったのは事実だと思います。
自暴自棄になってしまう可能性もあるので、現在、小学校が、よくわからない観点別の絶対評価になっているのは、一概に悪いと言い切れるものではありません。

子どもに自信をもってもらいたい。
成功体験を与えたい。
ほめて伸ばしたい。
小学生のお母さんは、特に、そういう思いが強いのかもしれません。

先日、小学校低学年向けの塾についてのテレビ番組を見て、「何だこれは?」と思ったのですが、その塾は、間違えても、そのことを問題にしないのだそうです。
解き直して、正解できたら、丸。
だから、みんな満点。
みんな花丸。

小学校というところも、ある程度はそうであって、子どもに自信をつけさせたい、という教育方針の先生は多いように感じます。
カラーテストの点数でどうのこうのと評価されるということは、公立の小学校では、あまりないですよね。
授業中の発言も、よく考えた深い意見を発表した子も、表面的で内容のない意見を言った子も、みんな平等です。
発言することが大切だ。

小学生は、まあ、それで仕方ないのかなあ・・・・・・。
運動会の徒競走で順位をつけず、みんなで手をつないでゴールし、「みんな1等賞」みたいなもんかなあ。
しかし、それは、本当に1等賞をとれる子にとっては、苦々しい話です。

「みんな満点」も、勉強で本当に満点がとれる子には、奇異に感じられます。
間違えているやつが、自分と同じ満点をもらって浮かれているのを見たら、多少は腹が立つかもしれません。
違うじゃん。
あいつ、間違えたじゃん。
でも、そういうことを考えては、いけないのかなあ。
秀才は、子どもの頃から「勉強だけ出来てもダメなんだよ」と言われることが多いので、成功体験どころか、満点をとって落ち込むようなことさえあります。

とはいえ、そういう能力があり、プライドも人一倍高い子には、そういう子のための塾がありますから、問題はないんですが。
真剣勝負のテストが毎週、毎月、繰り返される塾。
テストによってあからさまに順位が定まり、クラスが決まります。
スポーツや芸術分野の教室もそうで、本当に能力のある子には、別コースが用意されます。
だから、「できる子」の心配をする必要はない。
できない子にやる気を出させることが大切なのだ。


ただ、現実世界は、「みんな満点」「みんな花丸」ではありません。
小学校の間は通用していたことが、中学になると途端に通用しなくなります。
「みんな満点」の価値観に首までどっぷり浸かっている子どもが、そこから抜け出せず、おいてきぼりをくらうことがあるんです。

本人は、ハキハキしていて、性格も明るく感じられることが多いです。
少なくとも、これまで傷ついてこなかったのですから。
小学校時代は、「授業中、よく発言しています」と褒められていたのかもしれません。
でも、残念なことに、その子の発言の多くは、ピントがズレています。
小学生の頃は、それでも、発言しただけで褒めてもらえました。
1つの大切な意見として、認めてもらえました。
その子の「成功体験」です。
褒めてもらえるのだから、直す必要があるなんて思ったことがありません。

ところが、同じ調子で中学の授業で一生懸命発言しても、進度が気になっている中学の先生に顔をしかめられることがあります。
授業が停滞するだけの、あまり意味のない発言をしているのですから、そうなります。
でも、本人は、そのことが理解できません。
テストの記述問題も、一生懸命答を書くのですが、今まで低いレベルで許されてきたので、日本語としておかしいことが多く、内容も薄いため、得点は期待できません。

数学や英語を勉強していても、そうです。
計算ミスやスペルミス。
それがなければ正解できた問題。
理解は、していたのです。
本人にとっては、今まで通り褒めてもらってもおかしくない出来です。
しかし、中学の定期テストは、はっきり点数化され、度数分布表にされ、学年内のおおよその順位もわかる形で返却されます。
高校入試がひかえていますから、解き直して正解できたら「みんな満点」なんてことは言っていられません。

でも、小学生の頃は、間違えても解き直せば花丸がもらえたので、気をつけて問題を解く習慣がありません。
何か発言すれば、その積極性だけで、発言内容とは関係なく褒めてもらえたので、深く考えた経験もありません。
それで褒めてもらえたのだから、それで良いのだと思っていました。
なのに、中学生になった途端、通用しなくなります。

この段差が越えられない子が、かなりいます。
これまで、低いレベルで褒められてきたので、それが「合格ライン」と思ってきたのに、急に要求されるレベルが高くなっても、何が何だかわかりません。

ついでに言えば、この段差を越えられない保護者も多いのです。
現実の競争社会。
褒めるだけでは、勝ち抜けません。
勝たなくてもいい。負けてもいい。
楽しく生きていってくれれば、それでいい。
私は、この子の在り方を常に全面的に認める。
そこまで思い切れたら問題ないのですが、やっぱり偏差値の高い高校に入ってほしい。
有名大学に入ってほしい。
望む職業について、社会で活躍してほしい。
それが願いである場合、下手をすると、親子でおいてきぼりをくらいます。

褒めるだけでは、子どもは、伸びません。
出来てもいないことを、出来た出来たと褒めると、子どもはたかをくくってしまいます。
低いレベルで褒めてもらえるなら、それ以上に自分を高める必要がありませんから。
そうした、成功体験をこじらせてしまっている子は、中学生になり、悪い成績をとっても、自分をかばってしまいます。
「でも、僕は、僕なりに頑張った」
「僕は、理解はしていた」
周囲が誰も褒めなくなったので、自分で自分を褒めています。
いたいたしい光景です。

褒めてやるのは簡単です。
褒め殺して、情でからめとっていくことは不可能ではありません。
でも、そんなことをしたら、成績は上がりません。
子どもの将来をつぶします。

頑張れ。
本当に出来るようになったら、褒めるから。
私の主観で褒めるのではなく、学校のテストの点数や模試の偏差値で、はっきり形が出たことを称賛するのだから。
実力というものは、他人のあやふやな褒め言葉にすがるものではなく、実績を出して証明していくものなのだから。

本当に満点をとってから、「満点」を喜びましょう。


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