たまりば

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2012年09月24日

尾瀬を歩きました 2012年9月




9月22日(土)セギ英数教室は祝日休校。
なので、土日と連休でしたので、尾瀬を歩いてきました。

2年に1度くらいは尾瀬に行くのですが、たいてい、夜行バスで鳩待峠に入り、早朝から至仏山に登り、そのまま尾瀬笠ヶ岳から湯ノ小屋温泉へと縦走するコースを選んでいました。
至仏山はいつもそこそこの人手ですが、そこから見下ろす尾瀬ヶ原の木道は、人、人、人の大行列。
上から眺めていると、とても尾瀬ヶ原を歩く気にはなれません。
一方、至仏山から尾瀬笠ヶ岳への分岐を曲がれば、湯ノ小屋温泉への縦走路は、そんなピーク時の尾瀬でも、1日、誰にも会わないこともある静かな道です。

でも、昨年、尾瀬は登山客が減ったと聞きます。
やはり、原発事故の影響が大きいのでしょう。
放射能雲は、2011年3月15日、関越道に沿うように南下し、大量に放射線を含む雨を群馬の山々に落としました。
昨年の山岳雑誌に載っていた、山岳地域の放射線量を色分けした地図を見たとき、こんなに明らかなものなのかと私も驚きました。
ただ、山岳地域は、もともと放射線量が高い。
多くは天然のものでしょうし、数日、山で遊んだくらいで、人体に影響が出るような放射線量とも思えません。
放射線量は、そこで一生暮らす人にとって切実な問題で、観光客が自分の心配をするようなレベルのことではない。
今はもう東京と同じくらいの放射線量だという情報も入っています。
風評被害のほうがやはり大きいのだと思います。

今年は、新宿から朝7時20分発の高速バスで大清水に向かいました。
高速道路は、連休で渋滞し、バスは約1時間遅れて12時30分に大清水に到着。
そこからは、一ノ瀬休憩所までは、砂利道の林道です。
「尾瀬」と書かれた大きな看板の下に、「東京電力」の文字。
うーん・・・・・。
とりあえず、イメージが悪い。
尾瀬に行く気がしなくなるのは、あるいは、このせいではないのかというくらい。
これも一種の風評被害でしょうか。

尾瀬の土地の7割は、東京電力が所有していると聞きます。
あの事故があって、現在はどうなっているのか、どうなる予定であるのかは、わかりません。
帰ったら、調べてみようと思いました。
太平洋戦争後の尾瀬のダム開発は、植物学者の武田久吉氏や、長蔵小屋の平野長蔵氏らが、反対運動を起こし、尾瀬の自然は守られました。
その後も、東京電力は土地を所有し、観光開発の一方、尾瀬の自然保護にお金を出すという形をとってきました。
それも、あの事故があってからは、「頼んでもいないのに尾瀬の保護を理由に電気料金に上乗せしやがって」と罵声が飛ぶようなことになってしまいました。

三平橋を過ぎると、登山道です。
尾瀬の登山道は、木道、木段の、よく整備された道ばかり。
そう思って安心して歩いていたら、何だが木道が荒れています。
真ん中で腐り折れてしまっている木道。
踏むとシーソーみたいに動く木道。
抜けおちている木段。
荒れているので通行注意を呼びかける掲示はありましたが、本当に荒れているなあ。

尾瀬の木道が、なぜこんなに荒れているんだろう?
東京電力にお金がなくなったから?

いや、そんなことは、ないでしょう。
考え過ぎ、考え過ぎ。
尾瀬は、広い。
大清水は、マイナーな入山口。
ここまで手がまわっていないだけで、事故の影響ではないのだと思います。
注意して歩けば、別に問題はありません。

三平峠からはゆるい下りになり、尾瀬沼ヒュッテ到着午後3時10分。
ここで手続きをして、尾瀬沼キャンプ場にテントを張りました。
下の写真のように、テン場は、ウッドデッキになっていて、1つのデッキに1つのテントを張るきまり。
なので、テン場は予約制です。
ネットで簡単に予約できて、便利でした。
1晩800円。
今回、高速バスの往復料金が、7000円。
それ以外には、お金を使う必要がありませんでした。
何とも割安な、1泊2日の山旅です。

尾瀬の湿原を守るために、尾瀬では、土の上を歩くことはまれです。
木道と木段を歩くのが尾瀬を歩くということ。
尾瀬にテントを張るということも、そういうことなのだな。
これ、テント泊としては、きわめて便利です。
整地も要らない。
ペグも要らない。
地面からの冷えがしんしんと滲みてくる、ということがないので、秋のテント泊にしては暖かかったですし。



さて、テントも張り終えて、夕食。
水場から水を汲んできて、登山者におなじみ、マルタイの棒ラーメンを煮て、食べ残した昼ご飯のおにぎりとともに、食べました。
頑張って担いできた缶チューハイが、おいしい。
単独行ということもあり、食事に手間をかけることは、ほとんどありません。
何泊もするわけではないので、栄養面も、あまり考えないです。
野菜も肉も、あれば嬉しいですが、それだけザックが重くなります。

食後は、コーヒーを飲んで、のんびり。
尾瀬は、今も、携帯が通じません。
ラジオは、NHKのみ。
民放局は、私の小型ラジオでは、雑音が大き過ぎて、ダメでした。
でも、山にはNHKがよく似合う。
気象情報を頻繁に伝えてくれるのも嬉しいです。
ラジオを低くかけながら、暮れゆく林を眺め、コーヒーを飲む。
オオカメノキが、赤い実をつけている。
後で、写真に撮ろう。

さらにラジオを聴きながら、就寝。
雨が降り出しました。
各地の大雨洪水警報もラジオから流れます。
しかし、尾瀬は、それほどではなく、静かな雨でした。
テントを打つ雨の音を聞きながら、眠りにつきました。

翌朝。5時起床。
強い雨の音に、二度寝。
(^_^;)
晴れたら、燧ケ岳に登るつもりでしたが、中止しました。

燧ケ岳は、初めて尾瀬に行ったときに歩きました。
山歩きを始めて、1年目でした。
金曜の夜行列車に乗って、ほぼ徹夜で、早朝から登り始め、へろへろで下山。
頂上は、ガスで何も見えませんでした。
山小屋で一泊し、翌日は、尾瀬が原を散策する予定だったのですが、私は何を思ったか、もう一度、燧ケ岳に登りました。
ガスで何も見えなかったことが、納得できなかったんでしょうか。
2日続けて、同じ山に登る。
今では、信じられないことだ。
バカじゃないの?
でも、2回目の燧ケ岳は快晴で、素晴らしい眺望でした。
帰り道は、もう電車で座っていることさえ苦痛なほどグダグダに疲れていましたけど。
体力もなかったですね。

雨の音を聞きながら、テントの中で過ごしていても良かったのですが、それでは家にいるのと変わらないので、ゆっくり朝ごはんを食べて、尾瀬沼の周りを散策。
オゼトリカブトとエゾリンドウの濃い紫の花が縁どる木道を歩いていきました。
やはり、尾瀬のメインストリート。
木道も、よく整備されて、歩き易いです。
紅葉の始まりの尾瀬。
金色に輝く草もみじ。
写真に撮ったら、あまり良い色に映っていなかったのが、残念です。
肉眼では、もっときれいでした。


夏が来れば思い出す
はるかな尾瀬
遠い空

   作詞 江間章子

夏でもないのに、やはり思い出すのは、この歌。
2005年、山と渓谷社から発売された「尾瀬ブック」という本に、栗田和彦という方が寄稿をされています。
少し長くなりますが、引用します。


江間章子さんに作詞を依頼したのは、『ラジオ歌謡』の担当者。当時は、尾瀬の地名はあまり知られていなかったため、その担当者が尾瀬とはどんなところなのかと、江間さんに尋ねたという。
「『そこは、一般のひとには、なんの関係もない場所だと思います。ただ湖沼学とか、地質学の学者にとって、そして植物学でもまれに見る貴重な地域のようです。そのへんに地図がありませんか』
彼は席を離れて、日本地図を持って来た。
『尾瀬がありました・・・・』
ありがとうございました、と彼から言われた気もする。それは「尾瀬」を識ったゆえの『有難う』であったか、私が締切日までに詩を書いたことへの『有難う』であったか」(「夏の思い出 その思いのゆくえ」江間章子)
(中略)
ところが、一般には知られていない尾瀬を歌ったこの歌は、敗戦から間もなく、貧しい生活を強いられていた人々の心に広く染み込んだ。『ラジオ歌謡』では、毎年暮れにその年に評判のよかった歌を10曲ほど再放送するのが恒例だったが、『夏の思い出』も選ばれている。
『夏の思い出』は、尾瀬を世間に知らしめた歌であると同時に、戦争で傷ついた日本人の心を慰めた歌でもあったのだ。
(中略)
尾瀬を有名にした江間さんは、その後、尾瀬の自然が破壊される状況を悲しみ、創作活動のかたわら、環境保護運動にも尽力されてきた。
それでも2000年の朝日新聞社からのインタビューでは、「夏の思い出を書いてよかったのかどうか、複雑な思いでいっぱいです」と話している。


江間章子さんは、2005年に、91歳で亡くなっています。
生きていらっしゃったら、2011年3月以降の、今の尾瀬のことを、どう思うのだろう。

でも、取り返しのつかないことは、尾瀬には起きていない。
尾瀬は、今も、尾瀬だ。
私は、そうも思うのですが。


尾瀬は、日帰りで入山する人が多いので、雨の日は、人影が少ない。
常に、木道の遠くに人の姿が見えていて、不安にならない静けさが気持ちいい。
良い尾瀬でした。

11時30分、重いザックを再び担いで下山。
古い木道・木段は濡れるとぬめっと滑り易いので、ゆっくり歩いていきました。
午後2時、大清水到着。
午後3時発の高速バスに乗ると、雨は小降りになり、午後5時過ぎ、高速道路からは、大きな二重の虹が見えました。



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