たまりば

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2017年03月17日

消しゴムやシャーペンの使い方。




もうすぐ新年度。
教科書もテキストも新しくなり、気分も一新されます。
高等部に進学する子たちの高校数学の予習も始まりました。

高校数学の最初の学習内容は、「式の計算」。
まずは、「降べきの順」というルールについて。
次数の高い項から順番に項を書いていくということで、中学生の頃から数学の教科書や問題集は降べきの順で書いてあります。
例えば、 5x2+2x-3 といった形ですね。
そうやって何年もかけて無意識に訴えかけていますので、大体は問題ありません。

ところが、中学生の中に、なぜか降べきの順に逆らって書く子がいます。
問題に 5x2+2x-3 と書いてあるのに、わざわざ -3+2x+5x2 と書き直すんです。
なぜそのように書き直すのか尋ねても、明確な理由を語りません。

「次数の高い項から書いていったほうがいいよ」
「でも、これでも、いいんでしょう?」
「中学生の間は、それでもいいけど」
「・・・・・これでもいいんなら、いいでしょう?」
「いいんだけど、なぜ、わざわざ順番を換えて、そう書くの?問題の通りに順番に書いていったら、そうはならないよね?」
「・・・・・でも、これでも、いいんでしょう?」
「・・・・・いいけどねえ・・・・・」
と、歯切れの悪い会話を交わすことがあります。
本人の中で、「昇べきの順」のほうが気持ちがいいというルールがあるのなら、それは仕方ないのですが、その「本人ルール」が私には読み取れないこともあります。
いつもそのように書くわけではないからです。
そのときどきで順番はバラバラです。

・・・・目についたものから書いているだけなのではないか?
ルールをもって整理しながら書いていくということが、出来ないのではないか?
「ルールをもって順番に」ということが、理解できていないのではないか?
それは、分析力に関わっていくことなので、心配になります。

あるいは。
うっかり書き始めて、消すのが面倒くさいだけなのではないか?
消しゴムを使うのが面倒くさいのではないか?
そんなふうに思えてくることもあります。

消しゴムの使い方1つとっても、個別指導をしていますと心配なことがあるんです。
「この消しゴム、消えない」
と文句を言う子どもがいます。
消し方が汚く、元の文字が残っていて、その上に新しく書いても、何を書いたのかよくわかりません。
玩具みたいな消しゴムを使っている場合は、それは消えないでしょうと思いますが、普通の消しゴムを使っていても、そんなことがあります。
「貸して」
と受け取って、試しに消してみますと、別に何の問題もない消しゴムです。
本人の消し方が悪いんです。
力の入れ方や、丁寧に消すやり方が身についていないのでしょう。

「消しゴム」を使わない勉強方法というのは、あります。
間違えた答案を消して直すのではなく、きちんとバツをつけて、横か下に赤で正答を書き込むという勉強方法です。
間違えた答案をすぐ消して書き直し、赤で堂々と丸をつけて、正答したと自分でも思い込む不可解な子どももいますから、その勉強方法を小中学校の先生が生徒に義務づけるのは理解できます。
でも、書き間違いには消しゴムを使います。
そんなのをいちいち残していたら、答案が汚ならしくて、読み取れないですから。
そんなときに、消しゴムをきれいに使えない子がいます。

なぜ、消しゴムを正しく使えないか。
それは、教わっていないからなんでしょう。
手取り足取り教わらないと、消しゴムの正しい使い方が身につかない子はいます。
大人がやっているのを観察して、見よう見真似で正しい方法を身につけていくということができないようです。
あるいは、消し方を自分なりに少しずつ工夫し、改善していくということもできないのでしょう。
教わらない限り、消しゴムを使ってきれいに消す方法が身につかないのです。

学習能力の根本は、自分で観察し、考え、工夫していくところにあると思うのですが、教わらないと自分では改善できない子は一定数います。
自分で改善しなければならないという発想そのものがないようにも感じます。
そして、自分の技能の低さを無視し、消しゴムのせいにします。

シャーペンもそうですね。
芯を折りまくる生徒は多いです。
バキバキボキボキ、90分間に5回や10回は芯を折っている子がいます。
あげく、シャーペンを詰まらせて、その修理のために授業停止。
(^_^;)

「このシャーペン、芯がすぐ折れる」
と生徒は言います。
本当にそう思うのなら、シャーペンの先端をよく観察したほうが良いです。
ペン先に微かな凹凸がある場合、それにひっかかって芯が折れやすいということはあると思います。

芯が粗悪品ということも、ないわけではありません。
以前は、100円ショップで購入した芯は、折れやすかったかもしれません。
かなり当たり外れがある印象は、私も持っていました。
でも、最近は、そうでもないような気がします。

多くの場合、芯がすぐ折れるのは、ペンや芯のせいではなく、本人のせいです。
芯を出し過ぎているんです。
出し過ぎた芯で、シャーペンを斜めに持って、高い筆圧で書いたら、それは折れます。
力学的に考えたらわかることです。

自分が何をしているために、どういう結果になっているか。
シャーペン1つのことでも、少し考えて、少し工夫したら、わかること。
どうして何年も何年も、そのことに気づかず、芯を折り続けているのか。
家電ですら学習能力を持つ昨今、そんなことでどうするのか?
どうしてもどうしても芯を折ることを改善できないのなら、芯の折れないシャーペンも発売されていますよ。
(*^_^*)

消しゴムを使うと、よく消えない。
シャーペンを使うと、すぐ折れる。
勉強自体よくわからないのに、勉強の周辺にもストレスがいっぱい。
これは、学習意欲に影響します。
同時に、目の前の課題を解決できないという点において、学習能力が多少表れていると見ることもできます。

シャーペンの芯くらいいいじゃないか、好きなだけ折らせておけば、というのも1つの見解かもしれませんが、何しろ個別指導をしていますで、折れた芯が私の顔に当たることがあります。
さすがに ┐(´д`)┌ヤレヤレ という気持ちになります。
私は眼鏡をかけているから良いですが、他人の目に芯が入る危険もあります。
芯を折っている子は、そういうことに気づかないという点も、私は心配しています。

そういうわけで、自衛の意味もあり、シャーペンの芯をよく折る子には、その指導も行っています。
面白いもので、シャーペンの使い方に改善が見られ、芯を折らなくなる子は、成績も上がっていきます。
細かいことではあるけれど、私が何のために何を言っているのか理解でき、改善できるということは、学習面の他のことも改善可能だからでしょうか。
技術の伝達が可能だということかもしれません。

一方、助言や注意がいちいち耳に逆らう様子の子もいます。
ありのままの自分が最高に素晴らしいことを褒めてほしい。
褒めて伸ばしてほしい。
そういう願望の子どもや保護者の方は最近減ってきました。
褒めるだけでは限界があることが広く知られるようになってきました。
それでも、自分のやり方を直させられることに不満を感じる子も中にはいます。
しかし、その子がスポーツをやっている場合、スポーツになぞらえて説明すると案外理解してくれます。
フォームが悪ければ直すでしょう。
我流の間違ったフォームでどれだけ練習したって、結果なんか出ないでしょう。
逆に、ちょっと直すだけで大きく変わってくることはあるでしょう。
こう言うと、反発せず、耳を澄まして聞いてくれたりします。
腑に落ちる経験があるのだと思います。


私が何か言うまでもなく、成績の良い子は、勉強するための正しい形が小学生でも身についています。
どこをどう直せばさらに良い結果が出るようになるか。
その助言が欲しくて個別指導塾に来ています。

そうした内面だけでなく、見た目も勉強するにふさわしい良い形を身につけている子が多いです。
「姿勢が良い」といっても、変に緊張した姿勢の良さではなく、何時間でも楽にそのままでいられる座り方をしています。
勉強道具は使いやすい大きめのペンケースに必要なものが入っています。
シャーペンの使い方も、消しゴムの使い方も、無駄な動きがなく、安定しています。
使い終わった消しゴムを放り投げるように置いて、机から落として、身をかがめてそれを拾って、といったくだらないストレスとも無縁です。
勉強をたくさんする毎日なので、文房具は友達。
大切に使って失くしませんし、新しい文房具にも興味があり、新製品を私に見せてくれたりします。
(*^_^*)

  


  • Posted by セギ at 14:26Comments(0)講師日記