たまりば

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2014年04月08日

ミスを減らすために


さて、春期講習も終わり、ようやくブログを更新しています。

それぞれの生徒の春期講習最終日、
「始業式はいつ?」
「入学式はいつ?」
と確認したのですが、多くの生徒の返事は、こんなふうでした。
「えーと・・・。はち」
「はち・・・・?ようか?・・・・はちにち?」
「うん」

多くの子が、「むいか」「なのか」「ようか」「ここのか」が言えません。
小学生だけでなく、中学生も高校生もです。
(^_^;)

その一方、
「英語は、なんでこんな難しいんだよ」
と文句を言うので、
「日本語のほうが難しいですよ」
と言うと、
「嘘だね。日本語なんか簡単だ」
などと言いかえしてきます。
日本語ネイティブでありながら日本語を正しく喋れないことに気がついていません。
日本語の例外的な細則を記憶できないのなら、そりゃあ、英語なんか覚えられないですよね。
(-_-;)

とはいえ、日本語で日付を正確に言えない世代が日本人の過半数を越えれば、こうした読み方は古語となり、歴史の奥に消えていくのでしょう。
「ろくにち」「ななにち」「はちにち」「きゅうにち」で用は足ります。

日付の読み方は、美しい日本語の1つ。
私は好きだけど。


話は変わって。
遅くなりましたが、学年末テストの結果をようやく報告いたします。

数学 90点台 1名(中2)  80点台 1名(中1)
英語 80点台 1名(高2)

いずれも、( )内は、旧学年です。
安定して高い得点を出している生徒もいる一方、やはりケアレスミスがなくなりません。

日曜日は、模試の会場責任者の研修に参加しました。
そこでも、やはりヒューマン・エラーの克服についての話が長くなりました。
どうしてミスがなくならないのか。
どうすればミスは減らせるか。

研修で解決策として出たのは、まずは、作業内容を認識し理解すること。
理解不足ではミスが出ます。

でも、それは、ケアレスミスというものではなく、本当に理解していなくてミスしてしまうもの。
私が、教室で生徒と接していて「課題」と感じるのは、やはりケアレスミスです。
子どもの多くは、「ケアレスミス」という言葉を知ってはいるのですが、意味をよくわかっていないことがあります。
こちらから、
「ケアレスミスって、どういう意味か知ってる?」
と訊くと、
「ちょっとしたミス」「小さいミス」
と応えます。
ミスを重視していない証拠のようにも感じます。
「不注意なミスという意味だよ」
「えー、なんか嫌だ、そういうの」
ケアレスミスをたくさんしていても、自分が不注意であることすら指摘されたくないようです。

特に、女子生徒の計算ミスの多さ。
これは、もう永遠に解決のつかない課題なのでしょうか。

女子生徒、と一概にいっても、計算ミスをしない子はしないのですが、やってしまう子は、相当理解力の高い子でも、計算力は不安定で、日によって4×8が56になったりします。
繰り上がりミス・繰り下がりミスは日常茶飯事。
これは、中学生になっても、高校生になっても、治らない子は、治りません。
むしろ、増えていく傾向さえあります。
高校生になって数学がどんどん苦手になっていく女子生徒の多くは、計算力が不安定です。

それに比べると、男子生徒は、
「僕はひき算が苦手で」
などと情けないことを言っていた子でも、高校生になれば、計算ミスは減る傾向があります。

脳の構造が違うのかなあ。
女の子は、不安定な子が結構いますので、それが影響するのでしょうか。

「いったい何があったの?」
と訊きたいような表情で教室のドアを開ける女子中学生・高校生もいますから。
そのままむっとして口もきかず、両腕と前髪で顔とノートを隠すようにしてクシャクシャ計算しているので、ああ、今日はもう授業にならないかと、天を仰ぐ日もないわけではありません。

ただ、男子生徒でも、そういう子はいます。
ちょっとガラが悪そうに見えるものの、話すと気持ちの優しい子です。
しかし、やはり感情面の安定に欠け、気持ちにムラがあり、数学は苦手な子が多いです。
情緒の豊かさ、他人に共感する力の強さは、1つの強みですが、計算には邪魔かもしれません。
自分の気持ちをコントロールできず、よくわからない感情の波を塾に持ち込んでくるという点で、少し何かを逸脱していると言えないこともないのですし。
そういうことを学んでいる途中なのが中学生・高校生なので、それを受け止めるのも私の仕事ですが。

気持ちの揺れの激しい子の計算ミスは治らない。
ある程度は覚悟も必要かもしれません。


日曜日の研修で解決策として出たもう1つのことは、「ミスに対し、心配と恐れを抱くこと」。
これも、納得しました。
ミスをする子の最大の特徴は、自分がミスをしやすいことを認めないことです。
実際にミスをしても、それをすぐ忘れ、なかったことにします。
そして、同じミスを繰り返します。

1つの有効な方法は、間違えた問題に印をつけることなのですが、それを嫌がる子は多いです。
ケアレスミスは、間違えたうちに入らないというのが、そういう子の感覚。
ケアレスミスした問題にチェックをすることを本当に嫌がります。
私が無慈悲にチェックすると、「ああ」と声を上げます。
解き方がわからなかった問題だけチェックすれば良いと思っています。

ミスしやすい自分を認めてしまうと、負けてしまいそうになると言った子もいました。
劣等感でつぶれそうになるという意味でしょうか。

でも、目をそらしているから、ミスは減らない。
ケアレスミスをしやすい自分を認め、常にそれを心配し、直す努力をすれば、ミスは減っていきます。
人は常にミスをする可能性があると恐れながら、用心しながら問題を解いていけば、ミスは減るのです。

それは、パソコンを開いている机の上に、ペットボトルを蓋を開けたままにして置いておけるかどうかという感覚に近いかもしれません。
平気で置いておける人というのは、大人でも子どもでもいます。
「いや、倒さなければ平気だから」
と言います。
倒れる可能性はゼロではない、これは確率的な問題だからと言っても、
「いや、倒さないから」
と言います。

倒さないという意志の問題ではなく、倒れるかもしれないから、先回りして準備しましょう。
自分で読み間違えるような字は書かない。
筆算はある程度のスペースをとって、上下をそろえることを意識し、桁がズレないように。
繰り上がりの数字を書くのなら、小さい文字で書き、答えの数字と混ざらないように。
どの程度まで正確に暗算できるか、自分の能力を常に把握し、無理なことはしない。

計算ミスをしやすい子は、こういうことが何か1つおかしい場合が多く、そして、注意してもなかなか直しません。
「そういうことをすると計算ミスをするから」
「いや、しないから」
と、意志の問題に置き換えてしまいます。
そうして計算ミスをしても、そのことを認めません。

ミスがあり得ることを認識し、恐れること。
決してゼロにはならないミスと格闘し続けること。
ケアレスミスを減らしていくのには、それしかないのかもしれません。
  


  • Posted by セギ at 13:16Comments(0)講師日記