たまりば

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2013年03月31日

勉強は何のためにするか


この3月から、1人、中学生の男子が入会しました。
学力面もそうですが、学習意欲という面で、より心配の多い子です。
小学校の高学年くらいから、学校の授業を全く聞いていないようです。
頭は、そんなに悪くない印象です。
知能はかなり高いと感じる手応えがあります。
でも、現時点で、学力は、びっくりするくらい低い。
そういう生徒です。

その彼が言います。
「勉強して、何になるんですか。意味がないと思うんですよね。どうせ、サラリーマンになって、かちゃかちゃパソコン打つだけでしょう?数学なんて、使わないですよ」
「・・・・・・・サラリーマンの仕事って、パソコンを打つだけじゃないよ?」
「だって、下っ端サラリーマンなんて、会議に出られるわけでもないし、パソコン打つくらいしか仕事がないんじゃないですか?」
「いや、下っ端でも、会議には出るし、そこで良い提案をしないとダメなんだけど?」
「出世したいと思わなければいいんですよ。適当にやるんですよ」
「・・・・・・・適当にやっていたら、クビになるけど?」
「・・・・・・・・」
「そもそも、あなたの今の学力で、サラリーマンになるのは、難しいよ。あなたの言うサラリーマンって、企業の正社員のことでしょう?大学を出ないと、そういう職にはつけないよ」
「ああ。今は就職氷河期ですからね」
「・・・・・・・いや、景気が良くても悪くても、学歴がないと、そういうサラリーマンになるのは難しいんだよ。あなたの今の学力では、大学に入るのは難しいと思う。今から努力すれば、どうにでもなることなんだけど」

よく喋る男子です。
話すことが好きというよりも、1対1で勉強を教わることにうろたえているのかもしれません。
授業中、内心ではずっと動揺していて、間を埋めるために必死に喋っている感じです。
「その×の記号は、文字式や方程式では省略するから消して」
など、私が彼のノートを指さしながら言うと、的確に反応できず、慌てて不要な( )をつけたりするので、私に、
「待て!とにかく、まず、人の話を良く聞け!」
と叱られたりする子です。
そんな子に、つまらない現実を語る私は、大人げないかもしれませんが、「高知能」「勉強不足」「世間知らず」の三冠状態の子は、外部から遮断された真空地帯の中にいるように、愚かなことを本気で考えていることがありますので、思いっきり否定してしまいました。
申し訳ない。
(^_^;)


勉強なんかしても、意味がない。
将来、役に立たない。

私自身、こんなことを学んで何になるのだろうと思っていた時期があります。
しかも、高校生の頃。
かなり遅いですね。
(^_^;)

例えば、サイン・コサイン・タンジェントくらいならば、これは測量に使うのだろうなあ、と子どもでも想像がつきます。
しかし、虚数となると、何に使うのか、見当がつきません。

2乗したらマイナスになる数字?
何、それ?
マイナスとマイナスをかけたら、プラスでしょう?
ありえなくなーい?

自分の理解の範囲を超えることを学び始めると、心の内の疑問が深まっていきます。
何のために自分はこんな訳のわからないものを勉強しているんだろう。
そもそも、勉強は、何のためにするんだろう。

子どものこうした疑問は、「勉強したくない」という気持ちから発している場合が大半です。
勉強がわからなくて、つらい。
そういう子どもは、勉強しない理由を探しています。
「勉強しない自分」を正当化したいんです。

やりたいことならば、「何のためにそれをするのか」なんて考えません。

あなたは、何のためにテレビドラマを見るのか?
何のためにゲームをするのか?
何のためにマンガを読むのか?
何のためにサッカーをするのか?

楽しいことには、理由は要らない。
やりたくないことをやらされているから、理由を求めます。


私の場合は、高校時代、友達から虚数の存在意義については説明を聞くことができました。
私は、そのとき、むしろ、自分はこんなにうがった見方が出来て、凄いだろう、というつもりで、虚数なんて意味がない、数学なんて役に立たないと言いました。
同意してもらえると思ったのですが、友達は、一言で否定しました。

「全ての2字方程式に解を与えるために、虚数は存在する」
「・・・・・・何でそんな必要があるの」
「全ての2次方程式に解があれば、完全だから。数学は、実際の役に立つ方向だけじゃなく、哲学や芸術に近いんだよ」

今思えば、これもこれで、若く幼稚な会話なのですが、でも、当時の私よりは次元の高いところから言われた一言は、衝撃的でした。


何のために学ぶのか。

子どもにそれを問われ、こちらが理由を明確に語ったところで、納得して勉強し始めるものではないのですが、論破しないことには、ますます勉強しなくなるので、訊かれたら、理由は説明しなければなりません。


学校教育というのは、最大規模の国家プロジェクトです。
目的は、もちろん、次世代の優秀な人材の育成です。
この文明を維持し発展させるためには、人材が必要です。
早い話、研究者を育てなければなりません。
研究者の卵が、大学である程度のことを学ぶために、高校ではどの程度ことを学ぶ必要があるか。
そのために、中学では、どの程度のことを学ぶ必要があるか。
教育システムというのは、このように、上からの逆算システムなので、数学の苦手な子が、「こんなのわからない」「自分には関係ない」と音を上げても、そんなの知ったこっちゃない、という側面があります。
「おまえのためのプロジェクトではない」ということです。
普通に生活していくために必要なことは、全て小学校で学べます。
中学で学ぶことは、もうほとんど不必要な領域です。


素質もない子に、意味のわからない勉強を何年もさせることは、では、国家的な無駄なのでしょうか?
では、どういう教育システムなら納得がいくのか。
たとえば、12歳のときに選別テストを行い、学力の高い子のみに高度な教育を与え、他の子は、一般労働者として、職業訓練をするのが良いのでしょうか?

そんな教育システムの国に、住みたいのかな。
たった1回のテストで選別される国に?
本当に、それが望みなのかなあ。
「おまえは学力が低いから、これ以上の教育を受ける必要はない」
勉強をしたがらない子は、本当に、そんなことを言われたいのでしょうか。

今のシステムのほうが、ずっといいですよね。
勉強に関して、目が覚めたら、そこから巻き返せる可能性があります。

そもそも、国家プロジェクトなんかくそくらえ、です。
勉強する理由が、上から通達されるものであっては、たまりません。
他人に、勉強する理由を押しつけられたくない。
なぜ勉強するのかは、自分自身の問題として、自分が考えることです。

何のために勉強するのか。
それは、自分で考える。
  


  • Posted by セギ at 15:22Comments(4)講師日記