たまりば

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2012年07月13日

広い視野で


30年前も今も変わらないことですが。
英語の授業をしていて、たとえば、appoximatelyという単語が出てきたとき、「およそ」という意味だよと説明しますと、
「えっ。『およそ』は、about ですよ!」
と、急に怒った声で言い出す生徒が、ときにいます。
私の間違いを指摘して怒っているのかなと感じるほど、口調がきつく、戸惑います。

でも、この2つの単語は、本当に、どちらも「およそ」という意味です。
そう説明しても、納得がいかない様子で、
「なんで、2つもあるんですか!」
と、まだ怒っています。

どこの国の言語も、同じ意味を表す言葉は、いくつもあります。
英語は歴史のある豊かな言語ですから、同義語や類義語が多いのは当然です。
文学作品を書くにはそれは不可欠ですし、文学というほどの文章ではなくても、同じ単語ばかり繰り返してはワンパターンですので、著者は、1つの文章の中で、言い換えを重ねます。
それは、日本語も英語も同じこと。

生徒のこういう怒りに接する度、いつも上のように説明します。
その頃には、生徒の怒りも少ししずまっています。

もう1つ例を。
例えば、私が、 help という単語を「助ける」と訳して、全文を解説しますと、
「help は、『手伝う』ですよ!」
と、やはり怒った声を出す生徒がいます。

help という語のもつ概念には、「助ける」も「手伝う」もある。
その2つは、同じ概念。
日本語として自然なほうをその都度選んで訳していけばいい。

しかし、これは、あまり上手く伝わらないことが多いです。
「概念」という言葉が、難し過ぎるのでしょうか。
「イメージのかたまり」などと言い換えてもみますが、それでもあまり伝わりません。
そういう観点で、言葉をとらえたことがないのかもしれません。

基本動詞ほどそうです。
take の概念。
make の概念。
get の概念。
そういうものをわかっていたほうが、これらの動詞を含む熟語も覚えやすくなります。
でも、それは、案外難しいことで、どうしても、日本語と英語の1対1の対応で把握しようとする子もいます。

遠く離れた国の2つの言語が、1対1で対応しているわけがないのに。
視野が狭いと、そうなってしまうのかもしれません。
すぐに怒った声を出してしまうのも、少し、それと関係があるかな。
それは、自戒をこめてですが。


家で、のんびりしているとき、ツイッターを見ます。
テレビを見ながら、ツイッターで「#テレビ局名」で検索し、見ている番組に関するツイートとテレビの両方を見ることがあります。
私自身は、自分のブログのリンクを張る以外には一切ツイートしませんが、暇なとき、他人のツイートを読むのは、面白いです。
そこに、「拡散希望」とする不可解な情報が繰り返し流れ出したのが、先週末でした。
あっという間に火の手が上がり、私自身、日曜日には、テレビ局名ではなく、「いじめ」で検索してツイッターを見るようになりました。
根拠の不確かなものも含めて、さまざまな情報。
不快なツイートも繰り返し流れ、不愉快なのだけれど、目をそらせない。
そんな状態だったときに、ある1つのツイートに、画面から溢れるほどのリツイートが起こりました。
1つの文章のことを、かいつまんで説明したツイートでした。
少し間を置いて、また繰り返し繰り返し、無数のリツイートが起こりました。
ご存知の方も多いと思います。
「さかなクン」が6年ほど前に新聞に書いた、エッセイ。
私が以前に勤めていた塾でも、長い間、廊下に貼り出してありました。
その画面を見て、私は少し安堵して、ツイッター画面を消して、眠りにつきました。

まだ読んでいない方は、読んでみてください。
何も特別なことが書いてあるわけではありません。
今、苦しんでいる人の解決になるとも思いません。
でも、良い文章だと思います。
http://www.asahi.com/edu/ijime/sakanakun.html
  


  • Posted by セギ at 16:33Comments(0)講師日記