たまりば

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2023年01月22日

英検2級という壁。


文部科学省が、2018年度から2022年度で目指すとした計画を覚えていますか。
中学3年までで英検3級、高校3年までで英検準2級程度の英語力を、5割以上の生徒が達成する、というものでした。
まだ、2022年度の結果は出ていませんが、
21年度の割合は、中3が47.0%。高3が46.1%。
まあ、近いところまではいっているけれど、達成せず、という結果です。

そして、達成されないまま、文科省は、2027年度までに達成を目指す英語力水準について、
中3までで英検3級、高校3年までで英検準2級を、6割以上とするそうです。
5割も達成できなかったのに・・・。
何か、英語ができない子で、そういう子がいるなあと連想してしまいます。
英検3級に合格しなかったから、次は英検準2級を受ける、というような。
無理はしないほうがいいと思うなあ・・・。

とはいえ、中3で英検3級は順当な目標ですが、高3で英検準2級はそもそも目標が低めです。
それでも、達成できないのです。
この先改善されるだろうかと考えても、希望的観測はもてません。
これは、英語の教育改革が良い効果をもたらしていないのもさることながら、結局、英語力は個人の問題に帰するところが大きいので、そのせいだから仕方ないんじゃないかなあと思うのです。

英語が出来る子は、特に留学経験などなくても、高校生の間に英検準1級に合格します。
一方、英語が苦手な子は、昔も今も英語がわかりません。
新しい傾向もありますが、昔ながらのことが今も続いているのでもあります。

学校で6年も、あるいは小学校から考えれば8年も英語を勉強しているのに、なぜ英語が身につかないのか?

この疑問の立て方にそもそも問題があります。
学校の授業だけで英語が身につくわけがないからです。
語学というのは、そういうものではありません。
学校は学ぶべき指針は示してくれます。
学ぶべき教材も提供してくれます。
しかし、個人のたゆまぬ努力がどうしても必要なのです。

何年英語を学習しても中学英語のレベルにとどまり、高校英語レベルに進歩しない子は、多いです。
その最大の原因は、単語力です。
中学で学習した単語はそこそこ覚えているのですが、高校で新出の単語を覚えられないのです。
それは、学校のせいだとは思えないんです。

高校生の多くは、高校レベルの単語が多く含まれている初見の英文を読めません。
書いてあることの意味がわからないのですから、正答できません。
そういう子の英語学習は、学校で毎週行われている単語テストは一夜漬け、あるいはテスト直前だけの即席漬けのことが多いです。
覚えてもすぐ忘れるので、単語力の蓄積がなく、中学生の単語力のまま、高2になり、高3になります。
高1の頃は、教科書に出てくる知らない単語は新出単語の場合がほとんどです。
しかし、高1での新出単語を覚えないまま高2、高3と進級してしまうので、教科書の中で、新出単語ではないのに意味のわからない単語が増えていきます。
高3の教科書は、1行の中でわからない単語が3つも4つもあるということになります。
勿論、大学入試の長文問題も。
英検2級の問題文も。

この症状はもっと早くに出る子もいます。
高校の入試問題の英語長文を読み通す英語力がない中学生たちです。
「ものを覚える」ということが本当に苦手な様子で、単語の意味を覚えるのに苦労していますし、また、忘れるのも早いです。
単語力の蓄積がなく、都立高校入試の普通の長文も、読み通すことができないのです。
様子をよく見ていますと、記憶力だけの問題ではなく、文字の解析力にも課題があるようで、似ている単語の区別がつかないのです。
単語がどれも同じように見えて、そして、どれも意味がわからない・・・。

語源を意識すれば英単語は覚えやすい。

それは事実です。
あるレベルの子たちには有効な情報ですが、そもそも語源が覚えられない、語呂合わせですら覚えられないという、記憶力がきわめて悪い子たちが存在するという事実を忘れてはいけません。
幼い頃からものを覚えるのが苦手で、ものを覚えようとすると頭が重くなってつらいので、脳を鍛えるということもしてこなかった子たちです。
英語が苦手な子の多くは、そういう子たちです。
低学力をなめたらダメです。
英語だけが苦手なわけじゃないんです。

そこそこもの覚えはよくて、中学英語くらいはどうにかこなしてきた子たちも、上記のように高校生になれば、爆発的に増えていく新出単語に対応できなくなります。
これは、性格的なものも影響します。
もの覚えが悪いわけではないので、中学受験や高校受験は、それなりに成功します。
そうして始まった楽しい高校生活。
学校から単語集が配られ、毎週単語テストが行われても、どこまで本気になれるか?
真面目に努力できる子もいますが、やっつけ仕事になってしまう子も多いです。
あるいは、単語テストは真面目に備えるとして、その後、繰り返しその単語を復習できるか?
それが英語を身につけるのには絶対に必要なことだと大人から説明されても、それでもその通りにはできない。
日々のことに追われて、1度覚えた単語も気がつくと忘れている。
そんな子のほうが普通です。
単語が覚えられない。
語彙が増えない。
永遠に中学英語のままです。

英検準2級ならば、それでも高校生の間に何とか取れる可能性はあり、そういう意味では文科省の掲げる目標もまるっきり現実離れしているとは思いませんが、本来は、高校卒業程度という設定である英検2級となると、壁は厚いです。
どうして、英語が身につかないのか?

高校の「英語コミュニケーション」の授業の形態は、昔とは違います。
例えばこんな授業です。
教科書本文を読む前に、まず本文の内容を音声で聴きます。
聴き取った内容に対して、まずは易しい四択問題のプリントを解きます。
次に本文を読み、読み取った内容に関する少し難しいプリントを解きます。
その答えあわせや解説が終わると、本文の全訳プリントが渡されます。
その全訳プリントで、重要文を英語に直す反訳練習。
それで授業は終了。

本文を読んで訳して、読んで訳して。
そうした昔ながらの「リーダー」の授業と比べると、上のような英語の授業はすごく進化しているような気がします。
しかし、英語学習の意欲のない子にとっては、予習しなくて済む好都合な授業形態になっているだけかもしれません。
本人は授業に参加しているつもりでも、学習内容に全くアクセスできていないということも起こり得ます。
本人の英語のレベルとは関係のない、雲の上のことが行われているだけ。
それでも英語を勉強していることに形の上ではなっています。

勿論、復習もしません。
予習も復習もしない。
つまり、家庭で英語を学習しないのです。
何にもわからないから、勉強のしようもないですし。
テスト前に全訳プリントを眺めて、こんなお話だったと振り返って、テスト勉強は終了。
テストは、教科書本文以外からの出題も多いから、テスト勉強してもどうせそんなにいい点は取れないし。
と、色々と言い訳しやすいシステムにもなっています。

「論理・表現」の授業も、難しくて諦めてしまう子が多いです。
文科省認定の「過度の文法事項を排した」ふわふわした内容の教科書を実際に使用する高校は少ないです。
生徒にそういう教科書も渡してはありますが、実際に使うのは副読本のほうです。
英文法のテキスト、参考書、ワークブックを、多くの高校が生徒にしっかり渡しています。
しかし、英語が苦手な高校生は、そうした文法学習は何のために何をやっているのか、よく理解できないのです。
国語の文法も苦手で、文法なんか意味がないと、文法を敵視しているような子が一定数います。
国語の文法がわからなくても日本語を話せるように、英語の文法なんかわからなくても英語は話せるはずだ、と誤解しているのです。 
英文法なんて意味ない。
こういうのじゃない英語を勉強したい。
と、変なことを夢想します。
あるいは、そこまで強気ではなくても、何を勉強しているのかとにかくわからなくて困ってしまう子もいます。
英文法の問題を漠然と解いていても、それがどういう意図の問題で、何が問われているのか、よくわからないようです。
全部、熟語の問題だと思って解いていた子もかつていました。
文法がわからない子は、自分が何を学んでいるのか、わからないのです。

文法学習をしているということは自覚していても、文法用語を覚えられない子も多いです。
「時・条件を表す副詞節は未来のことを現在形で表す」
たったこれだけの内容を、何度反復しても理解できない子もいますし、理解した顔をしてもすぐに忘れてしまう子もいます。
副詞とは何か。
節とは何か。
常にそこに戻って説明しても、次のときには、全部忘れています。
心のどこかで文法の価値を認めていないからかもしれませんし、単純に覚えられないだけかもしれません。
英文法の宿題は解きますが、文法を理解せずに解いているので、あてずっぽうで解いているだけで、そんなのは勉強ではありません。
そして、学校で宿題の答えあわせと解説の授業を受けても、意味がわからないので、復習もできませんし、しません。

また、文法を、英文を読むとき、書くとき、話すときに使うのだということを理解していない子は多いです。
文法の勉強は受け入れても、それはそれとして、長文を読むときにはそんなのは全部忘れて我流で読んでしまうのです。
短い文なら何とかなっても、複雑な構造の英文は意味が取れません。
英文中の単語をいくつか拾って意味を想像するような読み方しかできないのです。
単語の意味がわからないことが、それに拍車をかけます。
それで英文を読めるわけがありません。


そんな英語学習をしているのに、いや、本質的には英語学習と呼べるものを全くしていないのに、英検を受けるのです。
いやいや・・・・。
そんな英語力じゃないでしょう?
そんな勉強をしていないでしょう?
単語力が全く足りないでしょう?
長文をまともに読めないでしょう?


否定的なことばかり書いてきましたが、要するに上と反対のことをやっていれば、英語力がつくのです。
まずは1日最低1時間は英語を勉強すると決めましょう。
これが大切。
やる気だけあっても、具体的にいつ英語を勉強するか決めていない人は、実行できません。

「英語コミュニケーション」は、
まずは、教科書の音声を聴きながら、それにあわせて音読してみましょう。
次に、本文を見ないで、音声にあわせて言ってみるシャドーイング。
こういう練習の効果を信じない子は多いですが、読めない英語は身につきません。
英文読解が、暗号解読みたいになってしまうのは、読めない単語の羅列を読んでいかなければならないからです。
そして、読めない英語は聞こえない。
これはリスニング対策でもあるのです。

さらに、教科書全訳を見て、それを英文に直す練習。
大体直せるようだったら、全訳を見て、ノートに英文を書いてみる練習。
スペルミスがあったら、単語練習。

学校の単語集は、テスト範囲にこだわらず、繰り返し繰り返し反復練習しましょう。
赤シートをかけて、常に自分にテストをしてください。
単語集の音源も積極的に活用します。
今はその単語集の出版社のサイトで音源を無料で利用できることもあります。

高校から配布された単語集を1冊丸ごと覚えれば、英検2級くらいはどうにでもなります。
しかし、学校の単語テストにあわせて、その範囲を覚えただけでは、1冊終わった頃には最初のほうの単語は忘れています。
幾度も自分で反復することが必要です。
大人なら、そんなの当たり前だとわかっているのですが、記憶というものについて、高校生は案外わかっていない子がいます。
「1回覚えたのに、何ですぐ忘れてしまうの?こんなの、覚えても無駄じゃん」
と、訳のわからないことを平気で言ったりします。

人間は忘れるものです。
脳は不要な記憶を消去することに一所懸命なんですから。
脳に「このことは大事だから覚えておけ」と指令を出さなければなりません。
それには反復・反復・反復。
幾度も反復すると、脳は「あれ?これ、消去する記憶じゃないの?」と気づいて、長期記憶に組み替えてくれます。


また、「論理・表現」の学習は、学校で使うメインテキストだけの勉強になりがちですが、厚い参考書が配られていたら、それも必ず読みましょう。
知りたかったことが全部書いてあって、目からウロコがぽろぽろ落ちます。
それで文法が面白くなったという英語秀才は多いです。
さらに、学校の文法のテキストやワークに答を直接書き込むような愚挙だけは絶対に避けてください。
解き直せなくなるからです。
ノートにしっかり解いて、学校の授業で正解を確認したら、それを正答集として、繰り返し解き直しましょう。

そして、上のようなことをやっても、毎日1時間の英語の学習時間が余るなあと感じたら。
そこからは、何をやるか、自分で決めていきましょう。
NHKのラジオ講座をやるもよし。
市販の英語教材を購入してやってみるもよし。
英検の過去問もいいですね。

塾に来てくれれば、教材はいくらでもあります。
英語の初歩の初歩から大学入試問題まで。
無尽蔵にあります。

  


  • Posted by セギ at 18:04Comments(0)英語

    2022年12月22日

    使えるノート作り。


    3年ほど前、三頭山に行くバスの中でのこと。
    混雑したバスの中はグループごとのおしゃべりでアナウンスが聞こえにくいほど賑やかでした。
    その中で若い女性2人の話し声が、私の近くの席だったこともあり、特によく聞こえてきました。
    話の内容から察するに、2人とも学校の先生のようでした。
    せっかく日曜日に山に遊びに行くのに、話の内容は教育論。
    それで気分転換になるのかなあと心配になるのですが、学校で意見を通すにはまだ若過ぎるので、対等に教育論を交わせる相手ととことん話すのは、ある意味ストレス解消なのかもしれません。

    その中で、興味をひかれた会話がありました。
    「成績の悪い子って、ノート、きれいだよね」
    「何であんなにきれいにノートを作って、あんなに成績悪いんだろうって思うよね」
    「ノート作りが目的になっちゃっているんだろうね。違うのにね」

    学校の先生が、そんなことをバスの中で大声で言う是非はあるかもしれません。
    でも、生徒のことを心配して言っている気持ちは本物だと思うんです。
    私も実感として知っています。
    ノートがやたらにきれいで勉強ができない子は一定の割合で存在します。

    以前、勤めていた集団指導塾でのこと。
    明日は定期テストという子ばかりだったので、普段の授業は中止し、自習に切り替えていた日のことでした。
    英語や数学は、テスト前日は最終チェックと微調整をすればいいだけなので、テスト前日は、案外やることがありません。
    生徒も、理科や社会の勉強をやりたがります。
    自習している様子を見ていると、ある女子生徒が、ノートに、それはそれは精密な細胞の図を描いていました。
    教科書に描いてある通りの、動物細胞と植物細胞の図です。

    「それ、何にするの?」と訊くと、
    「明日の1時間目は自習だから、これを見て、覚える」
    と言うのです。
    覚えるのなら、今、教科書を見て直接覚えたらいいのに、彼女は図を描くのにとにかく夢中なのでした。

    覚えるためのノートを作らないと覚えられないという人は、います。
    しかし、それは少なくともテスト1週間前には完成させておくものです。
    それを見て暗記するのに、また時間がかかりますから。
    テスト前日に精密な図を描いているのは、学習として疑問です。
    覚えることが最優先のはずです。
    きれいなノートを作ることは勉強の目的ではありません。

    他の子が、理科のプリントが欲しい、と言いだしたので、私は全員にテスト範囲の一問一答形式のプリントを渡しました。
    幸い、その子もプリントを受け入れてくれたのですが、今度は手が動きません。
    テスト範囲の重要事項や用語をまとめた、簡単なプリントでした。
    なのに、1問も解けない様子です。
    しばらくして解答を渡すと、彼女はプリントに解答を丁寧に写し始めました。
    オレンジ色のペンで、丁寧に、丁寧に。
    「これに赤シートをかけて、覚えるんだー」

    ・・・テストは明日でした。
    覚えるのなら、今覚えたらいいのに。
    しかも、そのプリントは、問題部分と解答欄とは別枠になっていて、解答欄を隠すか折るかすれば、すぐにテスト形式で解き直すことができるものでした。
    オレンジ色のペンに赤シートをかける意味などないのです。

    その子以外にも、そういう子はいます。
    ピンクとオレンジのペンで正解を書いておいて、赤シートをかける。
    その勉強法は間違っていませんが、それは、問題文中の空所に書き込むタイプの問題で行うことです。
    解答欄が右端に別枠であるプリントならば、そんなことをする必要はないのです。
    1度自分でシャーペンで書いた答を全部消して、オレンジのペンで書き直す子もいますが、プリントの形式によっては、そんなことは不要な作業。
    その見極めができないようなのです。

    「良い勉強法」をどこかで見たか友達から聞いたかして、実践している。
    でも、その良い勉強法の何が良いのか、本質が理解できていない・・・。
    そんなことを心配してしまいます。


    ノートなんか作っていないで、とにかく覚えましょう。
    何も覚えていない状態で問題を解いても、あてずっぽうになってしまうだけです。
    まずは理解し、暗記する。
    問題を解いてみる。
    間違えたところをチェックして、覚えなおす。
    問題を再度解く。

    こういう当たり前の勉強方法を、知らない子は多いです。
    あるいは、知っているのかもしれません。
    でも、その勉強方法は、その子にとっては、とても苦しいのでしょう。
    なかなか覚えられない自分。
    問題を解けば、間違いだらけの自分。
    ダメな自分。
    そういうものと向き合う作業になります。

    それは、どんな秀才だって、最初はそうなのです。
    訓練しているから、そういう作業が速くスムーズになっているだけです。
    でも、その子は、それを知らない。
    あるいは、そう説明されても信じない。
    そういう作業に、立ち向かえない。
    逃げてしまって、頭を使わない作業ばかりしてしまう。
    ほとんど頭を使っていないただの作業を「勉強」と称してしまうのです。
    やけにきれいなノートを作ったり、解答を見ながらプリントに答えを埋めたりと、何か作業はしているけれど実質的な勉強はしていない子が、勉強のできない子には多いと私も思います。


    また別のとき。
    英語の勉強の仕方がよくわからないと高校生から質問を受け、その子のコミュニケーション英語のノートを見せてもらいました。
    新課程では、英語コミュニケーションと科目名が変更されている科目です。
    見た瞬間に、これは使えないノートだ・・・とため息がもれました。

    まず教科書の英文をノートに3行おきに書いてあります。
    その英文の真下に、和訳が書いてあります。
    英文中には、学校の授業中に説明のあった文法事項や指示語の指示内容などがカラフルに書き加えてありました。

    え?
    良いノートじゃないかって?

    ・・・いいえ。
    そのノートを、その後、何に使うのでしょう?
    テスト前に繰り返し眺めるだけでしょうか?
    眺めるだけで、どうするのでしょうか?
    本当に覚えているかどうか、そのノートで確かめられるのでしょうか?

    それを考えると、そのノートの体裁はベストではないのです。

    ノートの見開き左側に英文。
    右側にその和訳。
    日本語と英語は、分けて書くほうが、使えるノートになります。

    そういうノートの形式を指示しますと当たり前に感じ、「何だ、古臭いな」という声もあるかと思います。
    これを古いと感じる人は、このノートの古い使い方をイメージしているのでしょう。
    とにかく教科書の英文をひたすら書き写し、その和訳を右ページに書くのが英語の予習の全て。
    高校の英語科目が「グラマー」「リーダー」「コンポジション」と呼ばれていた時代の、「リーダー」のノートの取り方ですね。
    そして、その昔、学校のリーダーの授業は、生徒の1人に英文を1段落音読させて、続いて同じ生徒にその1段落を訳させる、眠くなるばかりの授業でした。
    テストは、新出単語を書く問題の他は、本文の下線部の和訳ばかり。
    あの英語の授業もテストも、つまらなくて嫌いだったなー。
    あれで英語が嫌いになった。
    ・・・そんな声も聞こえてきそうです。

    ノートはそれと同じ見た目かもしれませんが、やることは英文を見て、和訳を覚えること、ではありません。
    逆なのです。
    和訳を見て、教科書本文の英文を復元する作業をします。
    余裕がないなら、重要表現や重要文法事項の含まれている文だけでも。
    余裕があるなら、本文全文を。

    テスト前だけではなく、日々、繰り返し繰り返しその作業を行っていて、英語コミュニケーションの成績が悪いわけがありません。
    最も負荷がかかるけれど、最も身につく勉強です。

    家庭学習で行うことは他にもあります。
    教科書準拠の音源で、教科書本文の朗読を聞いて、内容が聴き取れるか確認します。
    次に、その音源と一緒に音読。
    最初は教科書を見ながらでもいいですが、最終的には何も見ないで後について正確に言っていけることが目標です。
    それを、シャドーイングといいます。

    和訳を見ながら教科書本文を書く作業も、せめて重要文だけはやっておきたいです。
    それも、英文と和訳が左右に分かれているノートであるからこそ、すぐにその作業に移れます。

    あるいは、新出単語のスペル練習。
    これも、自分で単語テストをすぐできるように、英単語とその意味を分けて書いておくと活用しやすくなります。

    学校がワークを配ってくれていたら、ありがたい。
    どこが重要であるか、ワークの問題を解くことで理解できますから。

    英語の家庭学習は、やるべきことが沢山あります。
    しかも、これは「英語コミュニケーション」の学習にしぼっての解説であって、「論理・表現」の学習がこれにさらに加わります。

    ノート作りは、家庭学習をスムーズに行うためのもの。
    ノート作りが目的ではありません。
    ノート作りよりも覚えたり問題を解いたりすることにこそ時間を使いたい。
    だから、学校から禁止されていない限り、英文は教科書をコピーしたものをベタっとノートに貼っても良いのです。
    新出単語をいちいち辞書で引くことの意義はわかるものの、それに時間を取られ、それが英語学習の全てになるくらいなら、教科書準拠の単語集を購入し、それをささっと写しても構わないと思います。
    ただ、その浮いた時間で必ずその単語を覚えましょう。
    品詞も含めて正確に。
    派生語も覚えておくと完璧です。

    私の塾では、一度本人に口頭で教科書本文の和訳をしてもらった後、私から全訳を渡しています。
    学校から全訳が配られている場合も今は多いです。
    英語学習に対する考えが、学校も変化しています。
    調べものや単なる作業の時間をできるだけ減らし、英語をインプットし活用する時間を増やす方向に動いています。


    ところが、調べものや単なる作業が「勉強」である子の中には、全訳プリントをもらえるのなら予習する必要もないから、家では英語は勉強しない・・・という方向に流れてしまう子もいます。
    学校のテストでも、和訳は要求されないので、単語の意味も覚えない。
    勿論、音読や暗唱といった、形に残らない勉強はしない。
    学校から単語集を別に与えられ、毎週単語テストも行われているけれど、その勉強もいい加減。
    英語ができなくなる方向ばかり自ら選択してしまう子も今は多いです。

    日本語を見て英語を復元する学習方法は、英語学習の最初からそれをやっていれば、抵抗は少ないのです。
    教科書本文は徐々に長くなっていきますが、長年の継続の中で徐々に長くなっていったものには耐えられます。
    しかし、中3、あるいは高校生になって、突然この学習方法に切り替えると、最初はひどく苦しく感じると思います。
    苦しいことからは逃れたい。
    どうやって逃れるか?
    「こんなことをやっても意味がない」と理論武装する子がいます。
    本人が効果を実感し、積極的にこの学習方法を取り入れるまでは、このやり方を受け入れてほしいこちら側と、何とか否定したい生徒側との闘争が続きます。
    本来、英語が得意になりたいと望んでいるのは生徒のはずですが、その生徒自身が最大の障壁となることがあります。

    水は低きに流れる・・・。
    嫌な物言いですが、一面真理ではあるのでしょう。
    教科書全訳はちゃっかり受け取り、サブテキストの全訳もほしいと要求するけれど、その和訳から英語に直す練習はしない。
    音読練習もしない。
    英語を理解するのではなく、全訳を見て、書かれてある「お話」を理解して、それで英語の勉強をした気になってしまう。
    初見の長文問題を宿題に出しても、「わからなかった」と言って、解いてこない。

    「英語にそんなに時間はかけられないから」
    とうそぶく一方、スマホを眺める時間は1日2~3時間。

    時間の使い方が根本的に間違っています。
    スマホをいじる1時間を毎日英語を勉強する1時間に変えるだけで、英語力は変わります。
    勿論、そのときの「勉強」は「作業」ではなく、本当の勉強をしてください。


      


  • Posted by セギ at 13:04Comments(0)英語

    2022年12月16日

    英語が下手の横好きな子の課題。


    英語は数学と異なり、「下手の横好き」な子も多いです。

    数学の場合は、数学のテストの点数が低いのに数学が好きという子に出会うことはほとんどありません。
    しかし、英語は、テストの点数が低いのに英語が好きという子がいます。
    テストの点数が低く成績も良くはないのに、「自分は英語が得意だ」と思っている子に出会うこともあります。
    中学校の英語の成績は5段階の「3」なのに。
    そういう子は、ペーパーテストで得点できないことには目をつぶり、音声英語がそこそこ得意であることに焦点を絞って、自分はリスニングやスピーキングは平均以上にできるから英語は得意だと思っているふしがあります。

    「そこそこ得意」というところが重要であり、突き抜けて得意なわけではありません。
    典型的なのが、小学校の途中まで海外で過ごしていた子です。
    無論、発音はいいですし、リスニングもできます。
    でも、文法問題は間違いだらけ。
    英文を書くと、スペルミスだらけ。
    小学校の途中までの海外経験ですから、そういうことになってしまいます。

    逆に考えたらわかりやすいと思います。
    日本の小学校に途中まで通っていた外国人の子どもを想像してみてください。
    その子は、日本語を聴き取れるし、話せるでしょう。
    でも、日本語の文章をどこまで読み取れるかといったら、それは、小学校の途中くらいまでの読解力しかないでしょう。
    漢字も、小学校の途中くらいまでの漢字しか書けないでしょう。
    その後もこつこつと勉強し続けたというのでない限り。
    海外で過ごした日本人の子どもも同じことです。
    子どもの英語力なのです。

    そして、本人としては自信のよりどころであるスピーキングもリスニングも、子どもの英語力ですから、鍛えない限り、そのままです。
    日常会話には苦労しないですが、大人の話す英語ではありません。
    英語に教養を載せていくことができません。

    しかし、日本人の英語講師がこうした子を指導するのは難しいです。
    私のような日本人英語講師は、発音の正確さで負けます。
    子どもは、自分の強みを絶対のものと思いますから、そんな日本人英語講師は尊敬しません。
    こういう子の指導をするのは、外国人講師か、日本人でもネイティブ並みの発音のできる人が良いでしょう。
    そういう人にダメ出しされれば、謙虚になれる可能性があります。
    しかし、そういう講師は、スピーキングやリスニングの能力を高く評価し、ほめそやす傾向があります。
    読解力の低さや語彙の乏しさ、文法の理解不足を徹底的に突いて鍛える、ということはあまりないのです。
    そこを強くやってくださいと保護者から要求する必要が出てきます。
    定期テストで何点以上ほしい、あるいは英語のあの資格でスコアがいくつ以上ほしい、といった具体的な要求を講師に求めていく必要が生じます。
    そうでない限り、「お稽古ごと英語」の域を出ず、本人は楽しく授業を受けるでしょうが成績は変わらず、ということになりかねません。


    もう1つ厄介なのが、キッズ英会話教室に通って英語が得意なつもりでいる、「もどき」な子どもたちです。
    本物の帰国生ほどのスピーキング能力もリスニング能力もないのですが、なぜか「英語は得意」という自信だけはゆるがない子たちです。
    小学生で英検3級に合格し、中1の1学期の英語の成績は5段階で「5」だったけれど、それ以後はパッとしない子たちです。
    英語も学校で学習する教科の1つなので、結局、勉強ができる子が英語もできるようになっていきます。
    そうした子たちに簡単に追い抜かれていくのですが、本人はなかなかそれを認めません。
    認めたくないことは認めない。
    そんな事実は存在しないかのようにふるまいます。
    学校の英語の成績が「3」なのは、多分、授業に積極的に参加していないから。
    英語の先生に嫌われているのかもしれない。
    英語力以外のよくわからない観点で評価されているから「3」なだけで、本当は私は英語ができる。
    そんなふうに思っている子もいます。
    ・・・いや、そもそも中学の定期テストの点数が80点未満では、「4」なんか取れませんよ?

    英文の精読や、文法事項の学習、単語のスペル練習には興味を示さない。
    子ども向けの英語のYouTubeを見るのが英語の勉強。
    ・・・それが楽しいのなら別に止めませんが、それだけでは、ペーパーテストの得点は上がりません。

    学校の英語の成績は「3」だけど、英検準2級は落ちたけど、私は本当は英語ができる!

    そんな、訳のわからない「無冠の帝王」みたいな感覚でいられても。
    それ、英語ができるとは言わないですよ。
    いつまでもいつまでも日常会話の英語にとどまって、それについては得意意識があって、それが本人の思う「本当の英語」。

    ・・・「本当の英語」って何なんですかね?

    知らない単語の意味は、そのときに覚えてくれたらそれでいいですが、日本語に直しても意味を理解できない子もいます。
    例えば環境問題に関する文章。
    「温室効果」と日本語にしたところで、その言葉の意味がわからない。
    「温室効果ガスが熱を吸収し、大気に向けて放出するので、地表の気温が下がらない」という文の意味がわからない。
    また、「オゾン・ホール」の意味がわからない。
    温室効果ガスとオゾン層を同じものだと思っている・・・。

    最近のテストは、表面的な英文の字面だけで正解が出せるような出題は減っています。
    本文の内容を受けての4択問題は、本文に書いてある内容を別の言葉で言い換えたものが正解であることが多いです。
    しかし、本文の内容がそもそも理解できないのに、それを別の言葉で言い換えられても、理解できるはずがありません。
    だから、本文と同じ表現を使っている選択肢に簡単に騙されて、誤答を繰り返す子もいます。

    それでも、私は、本当は英語ができる!

    ・・・え?
    どこらへんが?

    しかし、そうした子たちの鼻っぱしらを折ったところで、良い効果があるわけでもありません。
    この先生も、私の英語力を認めない種類の人間か。
    そのように思われてしまうだけです。
    誰が見たってあなたに英語力はないぞ、と言っても、話は通じません。
    だから、ほめもせず、くさしもしない。
    そして、正解を出すべきレベルの問題をひたすら解かせます。
    その子が、できない言い訳を必死にするのも、笑顔でスルー。
    はいはい、とにかく問題を解きましょう。
    あなたがなぜ間違えたのかを解説しますから、それは聞きなさい。
    言い訳で頭の中をいっぱいにしていないで、私の話を聞きなさい。

    そうやっていると、少しずつですがペーパーテストの得点が上がっていきます。
    英文を読むことで教養を獲得し、英文を読むことで思考を深める。
    そうしたことが可能になっていく子もいます。

    あんなに愚かそうに見えた子が、今、目の前で静かに英文を読んでいる。
    その表情にうかがえる知性。
    そうして、こうなってみれば、その子のスピーキング能力とリスニング力は、本当にその子の強みなのです。

      


  • Posted by セギ at 12:15Comments(0)英語

    2022年11月28日

    NHK「ラジオビジネス英語」が好きになりました。



    ラジオ英語講座は、ポータブルラジオレコーダーに録音して聴いています。
    夏期講習の忙しさに録音がたまってしまい、聴くのがひと月遅れていたラジオ英語講座も、今週おいつきました。
    継続は力なり。

    どの勉強でもそうなのですが、継続できない人は、無駄に完璧を目指してしまう傾向があるように思います。
    ちょっと休んでしまうと、もうそれで全部ダメだと思ってやめてしまう。
    少しサボっても、またその後に再開したらいいのです。

    もう1つ。
    継続できない人は、即効性を求める傾向があるようにも思います。
    学習効果には、タイムラグがあります。
    「今回のテストはしっかり勉強した!」
    と思っていたのに、テスト結果はパッとしなかった・・・。
    だからもう嫌になって、その次のテストはいい加減な準備だったのだけれど、そんなに悪い結果ではなかった・・・。
    そんなこと、経験ありませんか?

    やっぱり、努力なんて意味ないな。
    勉強しても無駄だ。
    そんなふうに思ってしまう人もいるかもしれません。

    でも、それは違うと思います。
    今頑張ったことは、早くても2か月後に結果が表われるのです。
    だから、今回のテスト勉強を頑張っても、今回のテストの結果にそんなに反映されないことがあります。
    でも、今回の頑張りは、次回のテスト結果に上積みされます。
    だから、もう嫌になって適当に勉強した次のテストが、そんなに下がらなかったりするのです。
    テスト範囲は違うものでも、勉強すれば頭の働き自体が良くなりますので、結果は次に持ち越されるのです。

    英語の勉強は特にそうです。
    即効性を期待しても嫌になるだけです。
    そのうち何とかなるだろうと地道に継続していくと、気がつくと次のステージに上がっています。
    長文読解は苦手だなと思っていたのに、気がつくと前よりも読みやすくなっている。
    リスニングは苦手だなと思っていたのに、気がつくと前よりも英語が聞こえるようになっている。
    それは、努力している今ではなく、ずっと先に効果として表れます。


    英語学習を継続できるかどうかの1つの試金石がNHKのラジオ講座です。
    一説によれば、英検1級合格者の4割は、NHKのラジオ講座を聴いているそうです。
    これは私自身もそうです。

    少なくとも、「基礎英語」を毎日しっかり聴き続けている中学生で、英語ができない子に出会ったことはありません。
    ラジオ講座を聴いていなくても英語のできる子は、もちろん存在します。
    しかし、ラジオ講座を聴いているのに英語ができない子に出会ったことはないのです。
    英語が苦手な子は、大抵、ラジオ講座を勧められてもそもそも聴かないか、途中で挫折してしまいます。

    ただ、これは、番組にそれだけの効果があるというよりも、正直それほど面白いわけではないラジオ英語講座を毎日毎日聴き続ける性格傾向が英語学習に向いているということの表れなのかもしれません。

    NHKのラジオ講座。
    ただ漫然と聴くだけでも、何も聴かないよりは何がしかの効果がありますが、より効果的なラジオ講座の利用法があります。
    まず、番組をしっかり聴く。
    放送中は本文のシャドーイングをします。
    そんなコーナーがなくても本文2回目は自分でシャドーイングしてみましょう。
    ちなみに、シャドーイングとは、英文を見ないで、音だけ聴いて後について言ってみる練習です。
    英文の構造と単語の発音と意味を把握していないとたちまちガタガタになるので、自分がいかに未習熟かを実感できます。

    そうです。
    自分がいかに未習熟かを実感してぞくぞくするような性格傾向が、そもそも英語学習に向いています。
    まだ登るべき山があることのワクワク感が好きであること。

    だから、勿論、英文を自分で作って言ってみるコーナーは声に出して積極果敢に挑戦します。
    上手くできないのは嫌だから挑戦しない、のではなく、上手くできないからこそ挑戦します。


    番組を聴いた後は、日本語訳を見て、その英文を言ってみる練習をします。
    「反訳トレーニング」という言葉で近年定着されつつある練習方法です。
    文法力と単語力の両方を同時に鍛えることができます。
    さらに、日本語訳を見て、その英文を書いてみます。
    そして、テキストの英文を見て、自己採点。
    このように番組をしゃぶりつくすような英語学習をすれば、英語力は必ず向上します。

    中1で「基礎英語1」。
    中2で「基礎英語2」。
    中3で「基礎英語in English」。
    高1で「ラジオ英会話」。
    高2で「ニュースで学ぶ『現代英語』」。

    学年ごとに、このように順調に進級すれば、英語学習はスムーズです。
    高3は、受験勉強が忙しいので、上のような作業を毎日やるのは無理がありますから、「ニュースで学ぶ『現代英語』」を聴き、リスニングテスト対策として耳の衰えを予防する程度で十分と思います。
    それでも何かやりたいのであれば、NHK出版から年4回発売されている音声ダウンロードブック「杉田敏の現代ビジネス英語」が良質です。

    え?
    「ラジオビジネス英語」は?
    この記事のタイトルなのに?

    うーん・・・。
    大学受験までの英語学習には、あまり使えないかもしれません。
    ただ、金曜日のインタビューは、外語大入試などの、リスニング問題が生の英語で聴き取りにくい大学を志望する場合には良い教材となります。
    プロの朗読ではなく、講義録音などの生の英語音声をリスニングに使う大学です。
    スピードの緩急が激しく、全体に声が小さくて聴き取りにくく、早口。
    どこの訛りなのかわからないけれど、何か独特の訛りのある英語のこともあります。
    「ラジオビジネス英語」のインタビューも、英語が母語でない人が英語を早口で喋っているインタビューが多いのです。
    癖が強いです。
    ついでに言えば、インタビューを行っているのはこの番組の講師で、もちろん日本人です。
    「日本人の英語」としての1つの完成形を感じることができます。
    自分の英語の発音に自信のない人に勇気をくれると思います。
    こういう英語でいいんだ。
    日本人の話す英語が日本語訛りなのは当然で、それでいいのだ。
    それで伝わる。
    伝わる英語というのは、こういうことなんだ。
    発音よりも、内容だ。
    何をどのような語彙で話すかだ。
    英語的教養とは、そういうことだ。
    それを実感できます。
    私は昔、杉田敏先生のラジオ講座の英語でそれを感じ、常に励まされていました。

    「ラジオビジネス英語」は、月曜日・火曜日・水曜日はビジネスシーンでの会話を扱います。
    大学の一般入試にはあまり関係ないですが、大学受験に使うために英検準1級取得やTOEICでそれなりのスコアを目指している人には役に立ちます。
    ビジネス英語も普通の英語なのですが、実社会での経験のない高校生には、場面に違和感があり、よく理解できないことがあります。
    英検準1級のリスニングは、オフィスでの会話も含まれます。
    TOEICは大半がそれです。
    とにかく慣れることが必要です。
    もちろん、前述のインタビューも、TOEICのリスニングに役立つ教材です。


    「ラジオビジネス英語」は、2021年度に、杉田敏先生の「実践ビジネス英語」の後番組として始まりました。
    杉田敏先生のビジネス英語は、NHKラジオ英語講座の金字塔。
    英検1級合格者の4割というのは、つまり、これを聴いていた人たちでした。
    合格後も聴き続ける。
    通訳などの仕事についた人も聴き続ける。
    そのように圧倒的な内容でした。

    その後番組。
    まあ、アンチが多くて当然です。
    私自身も、昨年度は、斜に構えて聴いていました。
    2021年度の感想としては。
    まず、月曜日・火曜日のスキットに共感できませんでした。
    主人公の日本人の若者が、まずはアメリカ支社と仕事をし、アメリカ人と交流し仕事も上手くいきかけていたのに、唐突にシンガポールに転勤するという内容に首を傾げました。
    え?何で?
    主人公と一緒にハシゴを外されたような気分になりました。
    だったら最初からシンガポールで活躍する話にしてほしかった。
    アメリカのほうがいいのにといった話ではないのです。
    シンガポールでの仕事が上手くいきかけたら唐突にアメリカ転勤、でも同じ感想だったと思います。

    また、水曜日のビジネスメールの書き方という講座の内容も疑問でした。
    日本人が書いてしまいがちなメールを添削するという内容が、上から目線で鬱陶しい。
    そんなまわりくどいメール、そもそも書かないだろう、という内容でした。
    英語を使うときは、日本人でも、思考方法や文の組み立て方が変わります。
    仕事に使うくらいの英語力があるのに、日本語のもってまわった言い方をそのまま英語にしようとする人は少ないと思います。
    ビジネスメールのマニュアルもありますしね。
    かえってビジネスライクになりすぎるのをどう抑えるかが課題ではないかと思うのです。

    木曜日・金曜日のインタビューは人選がつまらなくて、あまり話を聴く気にならないのが難点でした。
    もともと聴き取りづらいうえに、この人の話を聴いてみようという意欲も起こらないのです。

    そのような感想のまま半年、さらに下半期の再放送も聴き続けました。
    つまらない放送を1年聴く。
    凄いでしょう?
    こんなに文句があっても、それでも聴くんですよ。
    だから英語が得意になるのですよ。

    ・・・と、謎の自慢はさておき。


    さて、2022年度。
    もう11月で、先月からは再放送が始まっていますが、今年度の放送は良かったです。
    番組のファンになりました。
    今年度も、月曜日・火曜日は、Business Expression。
    スキット形式のビジネス英会話です。
    これが、昨年度と比べて好感のもてる物語になっていました。
    日米の自動車メーカーの、突然の合併。
    佳那は、日本側のプロジェクトリーダーとして、アメリカ側の責任者ヘンリーとともにインドでのプロジェクトに挑戦していきます。
    突然の合併後の、リモート会議。
    佳那のアメリカ出張。
    ヘンリーの日本出張。
    互いの国民性や仕事の質に対する意識の違いをどうすりあわせていくか。
    さらに、インドでの生産拠点設立。
    今度はインドのよくわからないビジネス慣習に悩まされ、それを2人で解決していきます。
    そして、プロジェクトは成功し、2人はそれぞれ、次の仕事に向かっていきます。

    楽しかったのは、水曜日の英文メールの学習が、謎の添削ではなく、模範メールによる解説になっていたことです。
    しかも、昨年度よりもずっとしっかりと、ストーリーとからんでいました。
    昨年度もまあ関係はあったのですけれど、あってもなくてもどうでもいい感じがつきまとっていました。
    今年度は、特に最終週のメールが良かったです。
    佳那からのヘンリーへのメール。
    ストーリーの結末をメールで明かす展開になっていたのです。
    4月の最初の会話での佳那のちょっとした勘違いを最後のメールに活かした、気のきいたラストにもなっていました。
    番組が提唱する、明瞭で簡潔でありながらパーソナルタッチが感じられるメール。
    その意味が、実例としてわかるものでした。

    木曜日・金曜日のインタビューは、6月(再放送では、12月)の、落語家桂三輝さんのインタビューが群を抜いて面白いものでした。
    やはり、落語家は話すことが仕事ですから、発声から違いますし、カナダ人の英語なので聴き取りやすく、中身も面白い。
    テキストで英文を確認しなければならない部分が1つもないクリアな英語でした。
    聴き取りにくい英語を聴くから勉強になるとはいえ、聴き取りやすい英語はやはり嬉しい。
    もう1度聴きたいので、今から12月の再放送が楽しみです。


    そんなわけで、「ラジオビジネス英語」は、高校生ではなく、大学生か社会人が聴くと良い番組と思います。
    再放送も楽しく聴いて勉強していますが、来年度の内容も今から楽しみです。

    おっと。
    12月中頃には、音声ダウンロードブック「杉田敏の現代ビジネス英語」の最新刊も発売されますね。
    こちらも、変わらず楽しみです。


      


  • Posted by セギ at 15:06Comments(0)英語

    2022年10月25日

    「見つける」と「探す」の区別がつかない子もいます。


    今回もESAT-J に関する話から。
    私は、入学試験の制度として適切ではないという点で反対なのですが、これが入試に無関係のテストだとしても、スピーキングテストというのはそもそも問題を作ることが難しいテストです。
    今回は、そんな感想から。

    ESAT-J はAからDまでの4部から構成されています。
    Aは、英文を音読する問題。
    Bは、イラストなどを見て、英語で短く答える問題。
    Cは、4コマ漫画のストーリーを英語で説明する問題。
    Dは、英語での問いかけに、自分の意見とその理由を述べる問題。

    AやBは、わりと楽にこなせる子が多いのです。
    問題は後半。
    まずは、C問題。
    4コマ漫画を英語で説明するのは、ESAT-Jのオリジナル問題ではなく、GTEC、いやそもそものオリジナルは英検準1級の2次面接問題の形式です。
    つまり、英検では、ようやく準1級になって登場するほど、本来、難度が高いのです。
    本人の英語力と関係ない要素が混ざりやすいものだからです。
    多少のことでは影響されない英語力のついている人に対してでないと、小さなことが大きく影響しかねません。

    例えば、昨年度の試行試験問題では。昨日の出来事について、4コマのストーリーを説明するという形式をとっています。

    ①私は、ピアノを弾きたいと思いました。
    ②ピアノの楽譜集を本棚で探しましたが見つかりませんでした。
    ③すると、上から1冊の本が私の頭に落ちてきました。
    ④それは探していた楽譜集でした。

    こういう内容を英語で説明する問題です。
    この問題は、微妙な要素をはらんでいます。
    まず「ピアノの楽譜集」。
    それは、普通の中学生の語彙にはないものです。
    ここでぐっと詰まって、突破できない子が出てくる可能性があります。

    a piano book あるいは、a music book で良いわけですが、それを知らない場合、「ピアノブック」は、何だか日本人が無理に作った造語みたいな印象がありますよね。
    それで通じるのですが、知らないと不安になると思います。
    piano も book も中学の語彙ですが、それを組み合わせるという発想はない子が多いかもしれません。
    むしろ英語の使い方が乱暴な「英語蛮族」ならばペラっと口に出すでしょうが、繊細な英語秀才は、え、そんな言い方でいいのかなあと不安になるかもしれません。
    神経の細い子、真面目に英語を勉強している子ほど、
    「ピアノの楽譜集って英語で何て言うんだろう?知らない。どうしよう?」
    とパニックを起こし、黙り込んで、時間切れ、という可能性があります。
    そんな語句の出てこない問題ならば、良い成績を収められたかもしれないのに。

    それは、英語力なんでしょうか?
    それは「突破力テスト」のような気がするんです。
    スピーキングテストというのは、そういう突破力テストの性質をどうしても帯びてしまいます。
    こういう要素がある場合、当日に謎の失敗をする子は、秀才でも多いかもしれません。
    大番狂わせが起こる可能性があります。
    入試は博打ではなく、学力の高い子から順番に順当に合格してほしいです。


    さて、ここからは、生徒側の問題。
    2コマ目。
    ②ピアノの楽譜集を本棚で探しましたが見つかりませんでした。
    生徒にテストをしてみてわかったのですが、「探す」と「見つける」を言い分けることができない子がいます。
    そして、そのことを発見してから他の生徒で様子を見ていると、高校生でも、そういう子がいることがわかりました。
    look for と find の意味の違いがわからないのです。
    英語としてわからないのではなく、日本語の「探す」と「見つける」の違いがわからないので、英語も使い分けられないのでした。
    「私はその本を探しました」と言うつもりで、
    I found the book.
    という英語を口にしてしまいます。
    それなら、もう、その本を見つけたことになってしまい、3コマ目につながりません。
    見つけた本が、なぜ上から降ってくるの?

    「探す」段階では、まだ見つかっていません。
    探して、その結果「見つける」のです。
    そのように説明しても、目はガラス玉みたいに何の表情も浮かびません。
    理解できないようなのです。

    本人の中では、「探す」ことと「見つける」ことは混然一体となっていて、その2つは同じ意味なのでしょう。
    探していたものを見つけたときに「探した!」とは言いません。
    「見つけた!」と言うでしょう?
    そのように説明すると、少しわかりかけたようですが、しかし、頭を抱えてしまいます。

    生徒が黙りこんで考えている間、私も考えてみました。
    でも、見つけたときに、「探し当てた」とは言う。
    探すときに「見つけにいく」とは言う。
    意味が接触している語ではあります。

    あれ?
    でも、「ファインディング・二モ」というアニメ映画が昔あったっけ?
    あれは、「二モを探して」という邦題がついていなかったっけ?
    あれ?
    英語の find には、「探す」というニュアンスを含んでいる?
    いや、あれはニモが見つけられた話でしたっけ?
    私まで、混乱してきました。

    しかし、テスト製作者が、そこまでわかったうえでこのテストを作っているとは思えないのです。
    まったく予想しないところで生徒がつまずくことに、テストの結果で、ようやく大人たちは気づくことになるのではないでしょうか。
    ペーパーテストでは大きな影響はないのに、その場の一瞬の突破力で乗り切っていくスピーキングテストは、小さなことで大きな影響が出るかもしれません。


    さらに興味深いのが、試験D。
    英語で質問されて、英語で答えるものですが、試験Bとは内容が大きく異なります。
    試験Bは、イラストに描いてある通りの情報を読み取って答えれば正解ですが、試験Dは、自分の意見とその理由を述べなくてはなりません。
    昨年度の試行試験問題では、
    「自分の国では、学校の掃除は業者がやる。日本では、生徒たちが掃除をすると聞いた。あなたは、どちらがいいと思いますか」
    というものでした。
    ある生徒の答えは、
    「生徒が学校を掃除するほうがいいと私は思う。なぜなら、日本ではそうするから」

    ・・・いや、採点するのはフィリピンの人ですよ。
    何の説得力もありません。
    日本人が採点するのでも、勿論ダメですが。
    一番ダメな理由ですよ、それ。

    スピーキングテストのもう1つ難しい点は、問われているのは、発音なのか、文法なのか、語彙なのか、内容なのか、という点です。
    そのすべてが一度に問われるから、難しい。
    非常にきれいな発音で流暢に上のようなことを答える子と、
    かろうじて聞き取れる程度の発音ながら、
    「生徒が学校を掃除するほうがいいと私は思う。自分たちで掃除すれば教室を大切にする気持ちが生まれるし、共同作業を通して学べることがある」
    と答える子とで、得点にどのような差が生じるものなのか?
    観点がいろいろあるので、難しいのです。
    どんなスピーキングが良いスピーキングなのか?
    そのことについて、採点者たちには、確固たる哲学があるのでしょうか。
    あるかなあ。
    年に一度しかないテストです。
    採点するのも、バイトではないでしょうか。
    これが本業では生活できないでしょう。

    意見を述べる。
    中学生にとっては、日本語でも難しい課題です。
    どちらが好きかといった好みの問題ならば即答できでも、意見は述べられない。
    それが、現代の多くの中学生が抱えている課題です。
    こういうテストのときだけ、「自分の意見を持つことが大切」みたいな感じになるのですが、では、現実生活で、彼らは意見を求められているのでしょうか?
    何の意見ももたない従順な子どもが理想なのでは?
    少なくとも、子どものほうでは、大人のことをそのように見ているのではないでしょうか。
    どうせ大人は、意見をいう子どもよりも、おとなしく従う子どものほうが好きでしょう?
    アンケートによればスピーキングテストに反対の子どものほうが圧倒的に多いのに、それでもやる気でしょう?
    そのくせ、自分の考えを持てとか、言うだけは言うんだよね?

    先日も、同じく中3の子に、公民について質問されて、「え?」と思ったことがあります。
    学校の授業は例によってアクティブラーニング。
    グループ学習で、先生の作ったプリントを埋めるのでした。
    それが埋まらない、というのです。
    その中の1問。
    「民主主義と政治の課題とは何か。またその課題を解決する方法は」

    ・・・はあ?

    それ、最低1000字は書く小論文のテーマですか?
    しかし、スペースは3㎝×5㎝程度。
    しかもあまり長く書かないようにという注意書きすらありました。

    ・・・何これ?

    びっくりしました。
    テーマが大きすぎる。
    漠然としすぎていて、何を問われているのか、焦点が定まりません。
    小論文ならば、だからこそ書く者の観点が光るテーマ設定ですが、これはそういう課題ではないでしょう。
    こんな小さな解答欄。
    先生の頭の中には「模範解答」があるのです。

    種明かしをしますと、「民主主義と政治」というのは、教科書の小見出しなのでした。
    「現代の民主政治の仕組み」という単元の、小見出しです。
    1.民主主義と政治
    (1)政治
    (2)民主主義
    (3)多数決と少数意見の尊重
    2.選挙の仕組み
    (1)政治参加の方法
    (2)選挙の基本原則
    ・・・といった内容です。

    ですから、1000字の小論文を書く必要はないのです。
    民主主義と政治の課題は「少数意見をどう扱うか」が正解。
    解決方法は、「結論を出す前に少数意見も十分に聞き、できる限り尊重する」です。
    これなら、3㎝×5㎝に収まりますね。

    教科書に全部書いてあるのです。
    しかし、教科書を読む習慣がないので、プリントは白紙。
    自分の考えもないので、どうしていいかわからない・・・。
    アクティブラーニングのマイナス面が突出していた場面でした。

    「これは、考えを問われているわけではないですよ。社会科ですが、教科書の読解問題みたいなものです。教科書の本文から答を探すんです」
    そう説明しましたが、そういう説明が理解できたかどうか・・・。
    グループ学習だから、グループで議論を深めると誤解していたのではないでしょうか?

    「民主主義と政治の課題」なんて、中学生に議論させるテーマではないでしょう。
    政治について何も知らず、だから、これから学習するのですから。
    でも、意見を問われることが本当に苦手なので、そこらへんの混同もあるのではないかと思います。
    意見を要求されているようで、実は正解を教科書から探すだけのアクティブラーニング。
    公民の先生も、やりたくてやっているわけではないから、アクティブラーニングがこんなことになってしまうのだと思います。

    公民のプリントですら正解がある。
    「民主主義と政治の課題」にすら、正解がある。
    そんな勉強をしているのに、突然意見を要求してくる科目もある。
    これは混乱します。

    大切なのは、根拠のある意見を言うこと。
    中学生は、そんなことも学んでいる途中です。
    日本語でも意見を言うのは難しい。
    まして英語で意見を言うのは、ハードルが高い。
    そして、それは、スピーキングテストを実施さえすれば解決できる課題ではないと思います。


      


  • Posted by セギ at 15:29Comments(0)英語

    2022年10月20日

    ESAT-J は入試得点に加えるべきではありません。


    ESAT-J とは、東京都が今年度から都立高校入試に使おうとしている英語スピーキングテストの名称です。
    従来、都立入試は、内申とペーパーテストで合計1000点満点に換算されていましたが、それに、英語スピーキングテスト20点が加算され、1020点満点になる予定です。
    その20点分の英語スピーキングテストが、11月に実施されることになっています。

    こんなテストは早く中止になればいいと思っているのですが、塾の講師としては対策を立てないわけにはいかないので、先日も、都が発表している問題で生徒と練習しました。
    「あ。これ、もう学校でやりました」
    とその生徒は、言いました。
    「そうですか。では、良くできるはずですね。はい、やりましょう」
    私は笑顔でテスト用紙を渡しました。

    その結果、学校でその問題をやったにしては初めてのような出来でしたので、私はその子に質問しました。
    「これ、学校で改善点の指導とか模範解答の解説とか、そういうのはなかったんですか」
    「ないです」
    「・・・え?」
    「プロジェクターで問題が映されて、全員がそれを見て、全員でぶつぶつ答を言って、その後、先生が模範解答を読んだだけです」
    「・・・」

    うーむ。
    描写力が高い。
    どのような状況であるのか、見てきたようにわかりました。
    国語力は、花丸をあげたい。

    などと呑気なことを言っている場合ではありません。
    学校が行うスピーキングテスト対策とは、そんなものですか・・・。
    まあ、そうですよね・・・。
    それ以上、何をどうしろと言われても。
    1人1人に個別指導などしていたら、何時間もかかりますから。
    しかも、1回の個別指導では効果は薄いのです。
    以前に注意したことを改善しているか。
    それが大事です。
    2回目以降から、個別指導の本当の効果が出始めます。
    そんなことを学校で行うことはできません。
    英語の授業は、他にやるべきことが沢山あります。

    うちは個別指導塾ですから、まずはテスト形式で行った後、テストを振り返り、1つ1つの解答に対して助言と解説を加え、それからもう1度テストということが可能です。
    再テストの結果は、格段に良くなります。
    それを踏まえて、また翌週別の問題でテストをすると、前週の1回目よりも良くなります。
    本番では、本人のペーパーテストの出来よりもワンランク上の得点をスピーキングテストで取ることも可能でしょう。

    そして、それこそが、このスピーキングテストの最悪に不公平な点だろうと思います。
    独学する子は、能力を伸ばすことが難しい。
    学校が何とかしてくれることをあまり期待できません。
    個別指導を受けられる子が圧倒的に有利です。
    親の経済力がテストの得点に直結します。

    民間の資格試験や私学の受験ならば、それも仕方ない。
    しかし、都立高校の入試が、それでいいのでしょうか?

    そうした不公平感に加え、このテストには公平性に関してさまざまな疑問を感じます。
    そもそも、スピーキングテストという形式自体が、不確実なものです。
    長年、塾講師をしていますと、例えば英検でも、十分な能力を持っている子が、なぜか2次試験に落ちるという現象に、まれに遭遇します。
    英検の2次試験は、面接試験。
    スピーキングの試験です。
    もともとスピーキングが苦手な子が、2次で落ちるのは、それは仕方ない。
    でも、特にスピーキングが苦手ではない子が、なぜか唐突に2次試験に落ちることが、ごくたまにあるのです。
    本番であがってしまうタイプの子ではない。
    質問を聞き違えて1問ミスした程度では揺るがないほどには仕上がっている。
    本人も、普段通りに出来た手応えがある。
    それなのに、なぜか不合格。
    理由は不明のまま、スコアを眺めることになります。
    そして、スコアを見ても、理由はわかりません。
    採点基準が変に厳しい試験官にたまたま当たったのではないかという疑いを消すことができません。
    10年に1度程度のことですが、そんなことが起こります。
    それでも、英検は、また受けたらいいですが、入試の場合はどうでしょうか。

    スピーキングテストは、試験官の主観がどうしても影響します。
    採点基準をどのように明確にし具体的にしても、最終的には、試験官の心1つで決まります。
    採点基準などというものは、本人の中で徐々にブレていくものです。
    1日の試験の中でも、多少甘くなったり、辛くなったり。
    また、別の採点者ならば別の点数だったかもしれないという可能性は否定しきれません。
    スピーキングテストには、主観の混入や採点基準のブレがどうしてもつきまといます。

    スピーキングテストとは、そういうものです。
    そのような不確実なものに向けて、それでも試験を受けるのだとすれば、少なくとも採点者への信頼が必要です。
    例えば、これは英語の話ではないですが、推薦入試などの場合、面接試験の試験官は、その学校の先生です。
    入りたい学校の先生に落されたのなら、それはもう仕方ないでしょう。
    入りたい会社の人事担当者に面接で落とされた場合も同様です。
    ピアノコンクールなどの芸術分野のコンクールの採点も、採点者は公表されています。
    その人たちの望む演奏ではなかったから落とされた。
    それはもう仕方ない。

    しかし、このESAT-J の採点者は誰なのか?
    音声を機械に吹き込み、その音声をフィリピンで採点する、という以外は、実態が不明なのです。
    学識や能力は問題ない人が採点すると言われているのですが、それはテストを主催する側がそう主張しているだけであって、事実は不明です。
    採点者たちが顔を出し、経歴や能力を示しているわけではありません。
    はるか日本の東京で、中学3年生たちの進路に影響を与える試験。
    そのことに対してどの程度の覚悟や自覚のある人たちであるのか、わからないのです。
    この人たちならば採点は高度に公平性を保って行われるだろうと信頼できるような情報は公表されていません。

    もしも、スピーキングテストが、各高校の受験生を対象に、その高校の英語の先生たちが採点するというのなら、私は、スピーキングテストに賛成します。
    そうであっても、採点者は1人ではなく、3名以上の複数で採点し、その平均を取るべきだとは思いますが。
    それで評価され、落されたのなら、受験生として、もう仕方ないと思います。
    さまざまな評価観点があり、得点化することが本来難しいものに得点をつける場合には、そのように慎重であってほしいです。

    いや、そんなことは現実には不可能だからこのシステムにしたんだよと、ESAT-J 推奨者が反論する様子が目に見えるようです。
    確かに。
    そんなことは、実現化はほぼ不可能です。
    受験生の人数を考えたら、そんなことは不可能。
    その代替物として登場しているのが、このESAT-J。
    ただ、代替物として、お粗末すぎるのです。
    そして、推奨者は、お粗末すぎる点にはなぜか目をつぶって、論点をすりかえていくのです。
    それでも、スピーキングテストは必要でしょう、とか。
    試しにやってみて、改善していきましょうや、とか。
    お粗末なものは、即刻やめたらいいだけなのですが。

    試験会場は個室ブースが用意されているのではなく、普通教室に生徒が並び、それぞれが機械に向かって音声を吹き込むそうです。
    ヘッドホンをつけるらしいですが、遮音性はどの程度なのでしょうか。
    試験は二部制で、生徒は前半と後半に分かれて受験するようです。
    問題流出の可能性もあります。
    そして、その試験会場の監督員は、誰がやるのでしょうか?
    都立高校の先生たちですか?
    入試の監督は、その学校の先生たちがやります。
    都立高校の入試も、そうです。
    このESAT-J の試験監督は、誰がやるんでしょうか。
    まさか、バイトではないでしょうね?

    今のところ、バイトがやるのであるらしい状況証拠があります。
    ESAT-J 当日と同じ日に行われる、「何か」の試験監督5000人のバイトが募集されています。
    このスピーキングテストの運営者は民間企業ですから、そういうことになってしまうのです。

    民間の模試の試験監督はバイトです。
    私も模試の会場責任者を長くやってきましたが、1回だけの研修でバイト当日を迎える試験監督の中には、無責任な人も混ざっていました。
    試験監督なのに、その場を離れて勝手に休憩する人。
    廊下で他の試験監督と喋る人。
    マニュアルを読んでこない人。
    初めて試験監督をするのに、マニュアルにけちをつけ、監督中なのに本部にやってきて、「こうやったらどうですか」と意見を言ってくる人。
    なぜかすべての動作が遅く、定刻に試験を開始できない人。
    ちゃんとやりたいとは思っていても、上手く行動できない人。
    そうした人たちを諭し、励まし、盛り上げ、何とか1日を終わらせる。
    会場責任者の仕事もまたバイトです。
    神経の疲れる仕事でした。

    センター試験で個別音源のリスニングが導入された当初は、その模試の運営は特に大変でした。
    受験生もそうですが、試験監督のアルバイトたちも、個別音源機器に触れるのは初めてで、操作がよくわからない。
    「音声が出ない!」と主張する生徒が教室に1人いると、連鎖反応で「僕も」「私も」と言い出す生徒がいて、特定の教室だけ音声機器不具合の報告が10個以上出たりしました。
    そんなに予備は用意されていないのに。
    そして、本部で私が確かめると、別に壊れていない・・・。
    機械操作を失敗した子に別室で再テストをするのもよくあることでした。
    大学受験をする高校3年生でそうでした。
    中学3年生は、大丈夫でしょうか。
    そして、試験監督の人たちは、それに適切に対応できるのでしょうか。


    採点基準への不安、試験当日への不安だけではありません。
    試験結果の扱いについても、不平等かつ不適正な点が見られます。
    生徒には、雑なスコアと一般論的なコメントが渡されるのみ。
    自分のスピーキングが具体的にどこがどう良くてどこがどうダメだったのかは、闇の中。
    開示されません。
    採点者に対する信頼のない状況で、これは恐ろしい。
    真っ暗闇です。

    1020点の中の20点くらい大したことないと言うのは簡単ですが、大したことないのであれば、そもそも加えないでほしい。
    入試と関係なく、スピーキングテストだけをやったらいいでしょう。
    合否のボーダーにいる子にとっては、この20点は大きいです。

    さらに、非受験者の取り扱いが異様です。
    スピーキングテスト受験が実質義務化されているのは、都内の公立中学に通う生徒だけです。
    私立の子や、東京都以外に在住の子が、都立高校の受験を希望する場合、ではどうなるのか?
    希望すればスピーキングテストの受験も可能ですが、希望しない場合は?
    ここからが、恐ろしい。
    その子の英語入試のペーパーテストと同じ得点を取った子たちのスピーキングテストの平均点をその子の得点として加点するというのです。

    ・・・はあ?

    だったら、スピーキングテストを受けず、ペーパーテストだけ必死に勉強して高得点を取れば、あとは、同じようにペーパーテストで高得点を取る子たちが努力に努力を重ねて獲得するだろう高いスピーキングテスト得点を何もしないで獲得する子たちがいるということですか。

    それは、試験の体をなしていない。
    他人の入試の得点で合否を判断するなんて。
    それは、もう明らかにおかしいです。
    スピーキングテストの得点なしでの合否判定と、スピーキングテスト加点での合否判定が入れ代わり、スピーキングテストを受験しなかった子のほうが合格した場合、それは適正なのでしょうか。

    そもそも、英語の筆記試験の得点と英語スピーキングテストの得点との相関関係は不明です。
    おそらく、ペーパーテストの得点が本当に高い子たちは、スピーキングテストの得点も高いとは思います。
    しかし、それ以外の子たちの相関関係は、あまり明瞭なものではないかもしれません。
    子どもの頃、キッズ英会話教室に通い、易しい英語は喋るけれど、中学入学後、スペルを覚えるのを嫌い、文法を軽視し、長い文章を読み通せなくなり、英語のペーパーテストで得点できなくなっていく子は一定数います。
    小学校の途中で日本に戻った帰国生で、英語を話せるけれど読み書きは苦手な子もいます。
    スピーキングしかできない子たちです。
    一方、じっくりと英文を読むのは得意でも、とっさに言葉が出てこないタイプの子も多いでしょう。
    相関関係があることを前提に入試に使用するのは間違いです。
    相関関係があるというのなら、それをデータをもって証明する必要があります。

    しかし、それも、ESAT-J 推奨派からすれば、では他にどういう案があるのだ、こうするしかないだろうということになるようです。

    代案は、ただ1つ。
    ESAT-J は、入試に加点しない。
    これで解決します。

    これまでスピーキングテストに向けて努力してきた子たちの努力が無駄になってかわいそう?
    え?
    こんなテストの対策は、他では役に立たないのに、そのテストに向けて努力してきた子たちがかわいそう、ということですか?
    スピーキングテストは、スピーキング能力があるから高得点を取れるという話なんでしょう?
    スピーキング能力が向上したのなら、テストがなくなっても無駄にはならないでしょう?
    そのテスト形式限定の対策に過ぎず、スピーキング能力の向上にはつながっていないことを、テスト推奨派が思い切り自白しているようなものですが、大丈夫ですか?

    はい。
    こんな形式のテストでは、スピーキング能力は向上しませんし、生徒たちがやっているのは、このテストへの対策だけです。
    それが事実です。

    うちの塾の生徒も、スピーキングテストに向けて努力してきた子ですが、テストが中止になっても、別に悲しまないでしょう。
    混乱もしないです。
    中止になったらそれはそれでほっとすると思います。

    これだけの問題があるテストです。
    いずれ破綻します。
    いずれ破綻するようなテストに、たまたまその年に生まれたというだけの受験生を巻き込まないあげてほしいのです。

    みんな大人なんですから、子どもを泣かせるようなことは、よしましょうよ。
    みっともないです。

      


  • Posted by セギ at 20:07Comments(0)英語

    2022年10月03日

    英語。関係代名詞を用いた文を作れない。


    関係代名詞に関する問題は、( )の中に適切な関係代名詞を補充する問題のような比較的易しいものもありますが、乱文整序問題になると、正答率は低くなります。
    それまで乱文整序問題はわりと得意だった子も、一気に正答率が下がります。
    なぜでしょうか?

    易しい問題から順番に考えてみます。
    問題はすべて、日本語を英語に直す問題です。

    (1) 私にはニューヨークに住んでいるおばがいます。
    I / New York / an aunt / who / have / in / lives / .

    この問題の正答率は高いです。
    正解は、
    I have an aunt who lives in New York.

    I have an aunt という主節と、それを修飾する関係代名詞節とが、きれいに分かれていて、主節を全部書いてから、関係代名詞節という構造。
    しかも、主格の関係代名詞。
    こうした文は、正解できる子が多いのです。
    例文などで見慣れている文でもあるので、作りやすいということもあるかと思います。

    関係代名詞の学習の最初は、当然この構造の文です。
    そして、最後まで、この構造から一歩も先に進めない子がこの先現れます。
    全部この構造だと思ってしまうようです。

    (2) 私が昨日読んだ本は面白かった。
    book / the / I / yesterday / was / read / which / is / interesting / .

    正解は、
    The book which I read yesterday was interesting.

    よくある誤答は、
    I read the book yesterday which was interesting.
    あるいは、
    The book was interesting which I read yesterday.
    というものです。

    とにかく1文を全部書いて、それから関係代名詞を書いて、2文目を書く。
    そういうルールだと思いこんでいるのです。
    それ以上に難しいルールは受け入れがたい。
    難しいことをひどく単純化してとらえてしまいます。

    結局、基本的に英語力が中1くらいで止まっていて、それ以上に複雑な構造の文は作ることができないのだろうと感じます。
    そして、なぜ英語力が中1で止まってしまうのかというと、本人の日本語能力も、中1英語レベルだからではないかと感じるのです。
    英語を構造でとらえることができないのは、本人の使う日本語が、複雑な構造を持っていないからでしょう。

    国語が苦手な子は、日常会話も痩せています。
    子どもどうしの会話は、ある意味のびやかですが、せいぜいで主語と述語だけの会話です。
    形容詞だけの文も多いです。
    1文の文節の数は、多くて3つ。
    ニュアンスさえ伝わればいいのでしょう。
    そして、大人との会話は、大人が洞察力で助けてあげている場合が多いです。
    うちの塾の生徒でも、帰国生ということでもないのに、日本語がカタコトな子がいます。
    単語を1語発して、私が続きを察知するのをひたすら待っています。
    例えば、学校の授業進度を確認する際に、
    「学校の授業は、どこまで進みましたか?」
    「かん・・・・」
    「・・・・」
    「・・・・」
    「・・・かん、ナニですか?」
    「・・・!」
    それで察してくれない大人の存在に、慌てた表情を浮かべます。
    「関係」
    「関係、ナニですか?」
    「・・・!」
    「テキストを開いて、確認するのはどうですか?」
    「・・・!」
    「ページ数を言ってくれれば、わかりますよ」
    「・・・!」
    自分のひと言で大人がすべて察して配慮してくれる環境に慣れすぎているのでしょうか。
    だから、言葉を正確に覚える必要もなく、「関係代名詞」ではなく「かん」だけ覚えておけば通じると思っているのでしょうか。
    入会したてならそれも仕方ないのですが、何か月経っても、その都度、私の「理解しない態度」に驚いている子もいます。
    私は、理解できないわけではないのです。
    しかし、「かん・・・」というつぶやきだけで何もかも察してあげていては、その子の言語能力が育ちません。
    この「1語メソッド」とでも呼ぶべき、自分が1語発すれば、周りの大人が全部察するはずだという認識は15年なら15年かけて培われたものでしょうからなかなか強固で、改めるには時間がかかります。
    しかも、こうした傾向のある子は、表現力だけでなく読解力も低いことが多いのです。
    言葉の少ない子が、少ないながらも発する言葉の意味をとらえようと、周囲の大人が洞察し「受信」に力を注いでしまうのは愛情ゆえのこと。
    そして、その子に伝わりやすいようにと思うからか、周囲の大人の「発信」までがカタコトの1語文か2語文になりがちです。
    では、誰がその子に日本語の助詞や助動詞の働きを教えるのでしょうか?
    豊かな修飾表現を誰が教えるのか?
    本人の日本語に修飾語がないのに、英語で関係代名詞を用いた文を作れる道理がないのです。

    問題に戻ります。

    (2) 私が昨日読んだ本は面白かった。
    book / the / I / yesterday / was / read / which / interesting / .

    言語能力の高い子はこの程度なら瞬時に分析し、自分が分析していることすら自覚しないでしょう。
    しかし、基礎の基礎に戻るならば、この問題は、まず日本語を分析しなければ英文を作れません。
    この日本語の主語と述語は何か?
    「私が」は主語ではありません。
    上の日本語の主語と述語は、「本は」「面白かった」です。
    では、「私が昨日読んだ」は何なのか?
    「本」という名詞を修飾している修飾語です。
    こんなことは、中1の国語で学習しています。
    それ以前に、小学校の国語でも、繰り返し学んでいます。
    しかし、国語の文法をなぜか一切無視する子たちがいて、その子たちは、英語の文法も一切無視します。
    文法を無視し、基本文の暗記だけでそこそこ何とかなるのは、中1の英語までなのですが。

    「本は」「面白かった」という主な構造が理解できたら、まず、主語を書きます。
    The book
    ここまで作れました。
    その先、関係代名詞節の登場です。
    修飾される名詞、すなわち先行詞がきたら、すぐに関係代名詞。
    しかし、ここでも混乱が起こります。
    The book which read yesterday
    としてしまう子もいます。
    最初に「主格の関係代名詞」を学んだためか、「目的格の関係代名詞節」の語順を理解しないのです。
    関係代名詞がきたら、次は動詞と思ってしまうようです。

    The book was interesting. I read it yesterday.
    この2文目が、1文目の book を修飾するように挿入されているのが、関係代名詞を用いた文です。
    it がwhich になって、book の直後にきて、それ以外は、そのままの語順で続きます。

    The book which I read yesterday was interesting.

    2個目の文の中で、もともとは目的語だったものが which になったから、それを目的格の関係代名詞と呼びます。
    だから、which の後、関係代名詞節の主語と動詞が続きます。

    そのように説明すると、それは理解する子が多いです。
    実際、2文を1文にする問題は正解できるのです。
    でも、日本語を英語に直せない。
    乱文整序でも、英作文問題でも、日本語を英語に直す問題になると、語順がぐちゃぐちゃになります。
    この問題だけは理解したとしても、類題ではまた同じことを同じように間違えます。
    根本を理解していないのを痛感します。


    (3) 私が昨日駅への道を教えたその少年は、少し日本語を話した。
    Japanese / a / the / the / I / way / spoke / to / boy / way / station / told / that / little /.

    かなり難しくなりました。
    これも、
    I told the station the boy spoke a little Japanese.
    といった、もうぐちゃぐちゃな誤答しか作れない子が多くなります。

    日本語を分析しましょう。
    主語と述語は?
    主語は「私が」でしょうか?
    いいえ。
    日本語には、文末決定性があります。
    日本語の述語は、倒置法などの例外は除けば、文末にあるのです。
    述語は、「話した」です。
    話したのは、誰か?
    「少年」です。
    だから、この文の主語は、「少年は」です。
    したがって、書き出しは、The boy です。
    では、その前にある日本語「私が昨日駅への道を教えた」は何なのか?
    それは、boy を修飾する語句です。
    日本語は、修飾語は前に置きますが、英語は、2語以上の意味のまとまりである修飾語は後ろに置きます。
    だから、The boy を書いたらすぐ、修飾節に移ります。
    修飾節、すなわち、関係代名詞節です。

    The boy I told the way to the station yesterday

    これはこれで正しいのです。
    目的格の関係代名詞は省略可能ですから。
    というより、日常会話では、目的格はほぼ省略します。
    先行詞が人で、目的格の関係代名詞というと whom ですが、中学の英語教科書からは whom の存在が消されています。
    「whom なんて使わない」
    と言う人もいます。
    日常会話で使うことは確かにあまりないでしょうが、書き言葉としての whom は現役です。
    だから、高校英語では whom を普通に学習します。
    「中高接続」というのなら、この矛盾はそろそろ解消したほうがいい。
    中学英語でも whom を復活させて構わないと私は思います。
    結局、関係代名詞を省略しない用法も学ばなければならないので、whom を教えない代わりに、that を使うことを教えているんですから。
    だったら、whom を教えたらいいのに。
    本末転倒もいいところです。
    ところで、高校英語では、人が先行詞の目的格の関係代名詞は、whom の他、who も許容されていると学習します。
    結局、ネイティブも間違えるので、それでOKになりつつある。
    言語とはそういうものです。
    とはいえ、目的格にも who を使うことは、中学で教えません。
    テストで目的格に who を使った場合、その中学の英語の先生の見識にもよりますが、バツになる可能性があると思います。
    こういう、whom 周りの気持ち悪い感じは、新課程になっても全く解消されていません。

    それはともかく、上の問題では、that の使いみちが他にないことを判断したうえで、目的格の関係代名詞として that を用いましょう。
    すなわち、
    The boy that I told the way to the station yesterday

    ここまでが、長い主語と主語の修飾語です。
    ここから、主節に戻りましょう。
    その少年がどうしたのでしたっけ?
    「少し日本語を話した」のでした。
    ですから、正解は、

    The boy that I told the way to the station yesterday spoke Japanese a little.

    です。

    主節が途中で分断される。
    しかも、目的格の関係代名詞を用いる。
    このタイプの問題になると、中学はおろか、高校生になっても英作文できない生徒が多く現れます。
    原因は、英文法の理解不足だけでなく、日本語の構造を把握できないことにあると感じます。

    対策としては。
    うちの塾では、このタイプの類題を繰り返し繰り返し練習して、毎回毎回全滅して、どうやら自分のやり方では正答に至らないと本人に自覚してもらいます。
    勉強が苦手な子は、自分が何をどう間違えているかの分析が嫌いですし、そもそも、間違えたことを記憶から消去しがちです。
    1問2問こういう問題を間違えた程度では、痛くもかゆくもないのです。
    記憶を消しますから。
    その状態で定期テストを受け、そこで初めて得点が低いことにショックを受けます。
    それですら、どの問題をどのように間違えたかの分析はしないでやり過ごしてしまう子もいます。
    ポジティブ思考も結構ですが、忘れてはいけないこともあります。
    そもそも、自分が何をどう間違えているかの分析は、ネガティブ思考ではありません。
    本人が自覚できないのなら、これでもかというほどに、誤答、誤答、誤答を繰り返させ、どうしてだろうとさすがに本人が考えて質問してくるようにしています。

    ものごとを単純化してしまう子は、「関係代名詞の文は、1文目を書いたら、関係代名詞を書いて、2個目の文」といった間違ったルールを押し通そうとします。
    それではダメらしいと本人が気づかないうちは、それをやり続けます。

    主節を分断する場合としない場合があること。
    主格の関係代名詞と目的格の関係代名詞があること。
    まず、それを本気で理解する必要があります。

    本人の日本語能力を越えた英文を作る。
    それは大変なことですが、そうした英文を作ることで、本人の日本語能力を底上げすることは、可能だと信じます。

      


  • Posted by セギ at 12:43Comments(0)英語

    2022年09月20日

    助動詞+have+過去分詞 と使いまわしのきく知識。


    助動詞+have +過去分詞 は、高校で学習する「助動詞」という単元の中でも出題頻度の高い文法事項です。
    基本的な助動詞は、「許可・義務」系の意味と「推量」系の意味の2系統があり、「推量」系の意味は未定着な人が多いので、それをあわせて問うことができます。
    そんなの、テストに出るに決まっています。

    まず、基本を確認しましょう。
    「許可・義務」系の意味とは?
    それは、中学で最初に学習する意味なので、覚えている人もわりと多いのです。

    must は、「~しなければならない」
    should は、「~するべきだ」
    may は、「~してもよい」
    can は、「~できる」

    では、「推量」系の意味とは?
    同じ基本助動詞でも、もう1つの意味がそれぞれあるのです。
    すなわち、
    must は、「~に違いない」
    should は、「~のはずだ」
    may は、「~かもしれない」
    can は、「~でありうる」

    中学の教科書でも一度は出てきているのですが、こちらは覚えていない子が多いのです。
    文法事項としてまとめて学習したわけではなく、教科書本文中にこの使い方がさらっと出てきただけなので、記憶が薄いのでしょう。

    これらは、日本語でどう訳すのかも含めて正確に覚えておいたほうが、問題を解く際に楽です。
    大体のニュアンスで把握しているだけでは、しくじります。
    英語を日本語に訳す問題は近年めっきり減りましたが、日本語を英語に直す問題は今も定期テストなどにはよく出題されます。
    日本語を見た瞬間、その訳語としての英語を思い浮かべることができないと、正答できません。

    今どきの高校生は、「~に違いない」や「~のはずだ」の意味がよくわからない、という子もいます。
    普段、そんな言葉遣いをしませんから。
    本を読みませんので、そんな言葉遣いを見慣れてもいません。
    だから、これは、覚えるしかありません。
    この文法事項に限っては、日本語と英語とをイコールで結び、どちらの意味も理解し、覚えましょう。
    これは、現実の使える英語の話ではありません。
    テスト、特に高校の「論理・表現」のテストでしっかり得点するために行うことです。

    もう1点。
    must 「~に違いない」の反対は、must not ではありません。
    このことは、強く意識して覚えないと、覚えられないのです。
    must 「~に違いない」の反対は、cannot 「~のはずがない」です。
    これに、should 「~のはずだ」も混ざってくるので、ここで大混乱してしまう子もいます。
    間違えやすいところは、ここです。
    強く強く意識して、ここを覚えましょう。


    さて、そのように基本を確認したところで、いよいよ、「助動詞+have+過去分詞」の用法に入ります。
    これは、過去の出来事について、推量的な判断を現在行っている場合に用いるものです。

    まずは、普通の文から。

    He may read the book.
    彼は、その本を読むかもしれない。

    これは、現在形。
    助動詞の後ろは動詞原形しかきません。
    この文は、現在の動作に対して、現在の判断をしていることになります。

    でも、過去のことをついて判断したいときもあります。
    過去の出来事について、現在の判断をする。
    「彼は、その本を読んだかもしれない」
    という文を作りたいとき、どうするか?

    「かもしれない」という判断をしているのは現在ですから、may は、そのままです。
    may を過去形 might にしたところで、過去の意味にはなりません。
    意味が和らいで、柔らかい表現になるだけです。

    この文は、助動詞を過去形にして解決することではありません。
    判断しているのは現在です。
    過去の出来事について、現在の判断を下しているのです。

    でも、助動詞の後ろを過去形にすることはできない。
    それは、英語の根本ルールです。
    こんなときに使われるのが、have +過去分詞です。

    He may have read the book.
    彼は、その本を読んだかもしれない。

    これで、過去の出来事を現在判断する文を作ることができました。

    これらの用法を、
    must have+過去分詞    ~したに違いない。
    should have+過去分詞   ~したはずだ。
    should have+過去分詞   ~すべきだったのに。
    cannot have+過去分詞   ~したはずがない。
    may have +過去分詞    ~したのかもしれない。
    need not have+過去分詞  ~する必要はなかったのに。

    と丸暗記するのがわかりやすいというのなら止めません。
    ただ、個々の助動詞の推量系の意味をしっかりと覚え、かつ、have+過去分詞は、過去の出来事について現在の判断をしているのだという把握をしたほうが整理しやすいと思います。

    原形を使わなければならない場面で、しかし、過去の意味合いをもたせたいときに、「have+過去分詞」の形を用いるのは、英語の大原則の1つです。
    このことを知っていて使いまわせると、今まで覚えにくい、難しいと感じていたところが、一気に簡単になります。

    過去の意味合いをもたせたいときに、「have+過去分詞」の形を用いる。
    厳密にいえば、時制を1つ古くしたいときは、「have+過去分詞」の形を用いる。

    繰り返しますが、これは重要ポイントです。
    しかし、授業時に解説し板書しても、そのことの重要性に気づかないしノートに取らない子は多いです。
    一番大切なところを聞き逃し、ノートにも書かない。
    大切なのは、上に書いたような、

    must have+過去分詞    ~したに違いない。
    should have+過去分詞   ~したはずだ。
    should have+過去分詞   ~すべきだったのに。
    cannot have+過去分詞   ~したはずがない。
    may have +過去分詞    ~したのかもしれない。
    need not have+過去分詞  ~する必要はなかったのに。

    の一覧だと思い、そして、それはテキストに載っているからまあいいやと、それも書かない。
    結果、ノートは真っ白。
    勉強が本当に下手なんだなあと思うのです。

    時制を1つ古くしたいときは、「have+過去分詞」の形を用いる。
    これは、本当にしばしば使われる英語の大原則なのです。

    例えば、「完了形の不定詞」と呼ばれる文法事項。
    They seem to build this house. であれば、
    「彼らがこの家を建てるようだ」
    と、現在の出来事を「~のようだ」と現在判断している文です。
    これを、
    「彼らがこの家を建てたようだ」
    と、過去の出来事を現在判断している文にしたい。
    しかし、to の後ろは、動詞の原形しかこないのが不定詞のルール。
    このときに、
    時制を1つ古くしたいときは、「have+過去分詞」の形を用いる。
    という大原則が生きてきます。
    すなわち、
    They seem to have built this house. 
    これで、
    「彼らがこの家を建てたようだ」
    と過去の出来事を現在判断している文になります。
    それが、「完了形の不定詞」という形です。

    完了形の不定詞は単純な過去ではなく、「その文の動詞の時制よりも1つ古い時制」を表すものです。
    しかし、まずはざっくりと過去になると理解していれば、「1つ古い時制」という無機質な知識も頭に入りやすくなります。


    次に、完了形の動名詞。
    He is proud of being a mayor.
    「彼は、市長であることを誇りに思っている」
    現在市長であることを、現在誇りに思っているという文です。

    これを、
    「彼は、市長だったことを誇りに思っている」
    という文にしたいとき。
    誇りに思っているのは現在ですが、市長だったのは、過去のことです。
    どうしましょう?
    動名詞の過去形?
    wasing ?
    いいえ、そんな形はありません。

    He is proud of having been a mayor.
    「彼は、市長だったことを誇りに思っている」
    1つ古い時制のことを動名詞で表したいときは、「have+過去分詞」のhave の部分をing 形にすればいいのです。
    それが、「having+過去分詞」の形です。
    時制を1つ古くしたいときは、「have+過去分詞」の形を用いる という大原則が生きてきます。


    次に、分詞構文。
    まずは、分詞構文を用いる前の、接続詞を用いた文から。
    Because she read the novel, she knows the ending of it.
    「彼女はその小説を読んだので、その結末を知っている」

    その小説を読んだのは、過去のこと。
    その結末を知っているのは、現在のこと。

    これを分詞構文にしたときに、
    Reading the novel, she knows the ending of it.
    とすると、時制のズレを表すことができません。
    分詞構文にすると、主節の動詞の時制と自動的にそろってしまうからです。
    過去のことであることを表したい。
    ここで、時制を1つ古くしたいときは「have+過去分詞」の形を用いる という大原則が生きてきます。

    Having read the novel, she knows the ending of it.
    「彼女はその小説を読んだので、その結末を知っている」

    この場合、もとの文が現在完了形だったという把握もできますが、大原則を利用しているのだと頭の隅で理解しておくことで、応用範囲が広がります。


    最後に、仮定法。
    まずは、仮定法過去。
    If I had enough time and money, I would travel around the world.
    「十分な時間とお金があれば、私は世界中を旅するだろう」

    仮定法のことがわからない場合は、別に仮定法のページをご覧いただければと思いますが、これは仮定法過去。
    現在の事実に反する仮定を述べている文です。
    現在の事実に反するので、その心理的距離間を時制のズレで表しているのだろうと言われています。
    if 節は、過去形。
    主節は、主語+助動詞過去形+動詞原形。
    この形で、現在の事実に反する仮定を表します。

    しかし、人は、過去の事実に反する仮定を言いたいときもあります。
    あのとき、ああだったらなあ、と。
    言っても仕方のない「たら・れば」ですが、言いたいときはあります。
    それが、仮定法過去完了。
    過去の事実に反する仮定を表すものです。
    過去よりも1つ時制を古くするのなら、if 節は、過去完了形。
    それは、ピンときます。
    でも、主節は?
    助動詞に過去完了の形などあるはずがありません。
    そして、助動詞の後ろは、動詞原形でなければなりません。
    ここで登場するのが、「have+過去分詞」です。

    If I had had enough time and money, I would have traveled around the world.
    「私に十分な時間とお金があったら、私は世界中を旅しただろう」

    時制を1つ古くしたいときは、「have+過去分詞」。
    この原則が、他の文法事項、特に覚えにくいところで多用されています。
    大原則を理解すれば楽になります。
    英語の秀才は、そこを理解しています。

    しかし、そのことに気づかず、むしろ、何だか似たようなことを前にも習ったようで、混ざって余計に混乱する、としか把握できない・・・。
    勉強が下手というのは、そういうことです。
    そして、前に学習したことを定期テストが終われば簡単に記憶から消去しているから、そういうことになるのでもあるのだと思うのです。

    忘れてはいけない。
    一度頭に入れた知識は、忘れないように反復しましょう。
    そういう知識は、「3日前の夕飯は何を食べた」といった、どうでもいい記憶とは区別して、しっかり覚えておきましょう。
    全部短期記憶にして、全部捨てていくことを、自分の中で肯定するのはやめましょう。

    学力が低い人は、記憶がないのです。
    本当に、不可解なほど、何も覚えていないのです。
    まず、記憶を確保しましょう。
      


  • Posted by セギ at 14:34Comments(0)英語

    2022年09月08日

    高校英語。同格のthat


    まずは問題から。

    問題 次の文の that と同じ働きの that を含む文を以下の(1)~(4)から選べ。
    He coughed to give her the hint that she should leave the room.

    (1) He couldn't make it clear that he had nothing to do with the accident.
    (2) It was a dog that he caught in that mountain.
    (3) He heard a rumor that wolves lived in that mountain.
    (4) He knows the fact that she is trying to conceal.

    色々な that があって、ちょっと難しいですね。
    そもそも、一番上の問題文の that は、どういう that なのでしょうか。
    この文は「その部屋を出るべきだというヒントを彼女に与えるために、彼は咳払いをした」という意味です。
    He coughed という部分が、S(主語)とV(動詞)です。
    その後ろは、副詞的用法の不定詞。「~するために」という意味です。
    その不定詞の中で、また、V・O・Oという構造になっています。
    give が不定詞の中でのV。
    her が、不定詞の中でのO(目的語)。
    the hint が、不定詞の中でのもう1つのO(目的語)です。
    「誰々に」「何々を」の語順で、2つの目的語をもっている動詞ということです。
    では、その後ろのthat 節は、何なのか?
    これは、the hint の中身を説明しています。
    どういうヒントであるのかを具体的に説明しているのです。
    「彼女はその部屋を出るべきだ」というヒントです。
    したがって、この that は、
    the hint と she should leave the room を対等に結んでいます。
    これを「同格の that」と呼びます。
    接続詞 that の用法の1つです。

    では、(1)~(4)で、同格の that はどれでしょうか。
    1つ1つ見ていきましょう。

    (1) He couldn't make it clear that he had nothing to do with the accident.
    「彼は、その事故と関係がないことを明らかにすることができなかった」
    この文は、同格の that ではないことは、比較的に簡単に見分けることができると思います。
    He couldn't make it clear
    までで、S・V・O・C です。
    it は形式目的語。
    目的語が長い内容なので、とりあえず it を立てて、Cを言ってから、ゆっくりと最後に it の中身を語っていく形の文です。
    it =that he had nothing to do with the accident
    です。
    こういうのは「同格の that」とは言いません。
    同格の that は、名詞の直後に置いてその名詞の中身を説明するもので、it のような代名詞の中身を説明するものではありません。
    これも接続詞の that ではありますが、これは、真の目的語の that 節です。

    (2) It was a dog that he caught in that mountain.
    これは何でしょう?
    「それは、彼が山の中で捕まえた犬だった」
    という文でしょうか?
    だとすれば、この that は、dog を修飾する関係代名詞の that です。
    文脈によっては、そのような意味にとっても良いと思います。
    あるいは、これは強調構文かもしれません。
    it is ~ that で、強調したい内容を挟む、強調構文です。
    そうだとすれば、
    「彼がその山の中で捕まえたのは、犬だった」
    となります。
    いずれにせよ、「同格の that」ではありません。

    (3) He heard a rumor that wolves lived in that mountain.
    「彼は、オオカミがその山に住んでいるという噂を聞いた」という文です。
    a rumor = wolves lived in that mountain
    まさに、「同格の that」。
    これが正解でしょう。

    しかし、(4) を見て、「うん?」となる人は多いと思います。

    (4) He knows the fact that she is trying to conceal.
    「彼は、彼女が隠そうとしている事実を知っている」

    これも「同格の that」なのではないか?

    同格の that は、どんな名詞の後でも使用できるものではありません。
    同格の that を使える名詞は限られていて、その名詞を覚えている人も多いと思います。
    その中で、the fact that ~という用法は典型的なもので、例文でよく使われています。
    では、(4) も同格の that なのでしょうか。

    これが違うのです。
    この that は、関係代名詞です。
    ここで問題となるのが、
    接続詞の that と、関係代名詞の that は、どう区別するか?
    ということでしょう。

    見分けは、それほど難しくありません。
    関係代名詞の that は、その関係詞節の中で、S、O、Cのどれかの役割を果たしています。
    上の文でいえば、Oです。
    上の文を2文に分ければ、
    He knows the fact.
    She is trying to conceal the fact.
    となります。
    もとの文を見ると、conceal の目的語がないことに気づきます。
    だから、the fact が目的語であり、つまり that は関係代名詞なのです。

    一方、接続詞の that は、文と文とを結ぶ役割を果たすものなので、SでもOでもCでもありません。
    接続詞以外の役割を果たしません。

    これが、
    He knows the fact that she is trying to conceal the scandal.
    のように、conceal の目的語が存在していれば、この that は「同格の that」です。

    したがって、答はやはり(3)です。


    難しいですね。
    文法的な細かいところをついてくる問題です。
    こんなことはわからなくても、英文が理解できれば、それでいいんじゃないの?
    私も、そう思います。

    それは、近年の英語教育の大きな流れでもあります。
    大学入試共通テストは、読解力、しかもかなりの速読力を問う問題ばかりで、文法問題は出題されません。
    私立大学の入試問題も、偏差値の高い大学の英文科や国際学科ほどこういう文法問題は少なく、時間内に大量の英文を読む入試問題に変わってきています。
    時間内に大量の英文を読解してもらい、さらに、テーマを与えて、英文を書いてもらう。
    それで十分に英語力は判断できます。
    とはいえ、中堅私大は依然としてこういう出題がされますし、だから、模試にも出題されます。
    理解しておいて損はない問題です。
      


  • Posted by セギ at 14:51Comments(0)英語

    2022年08月06日

    強調構文。疑問詞の強調。


    強調構文は、まあまあ理解しやすいと思います。
    文の中の、強調したいものを、意味のまとまりごと、It is ~ that で挟めば、それで強調できます。

    まずは、普通の文。
    Tom bought the book at the bookstore yesterday.

    これの主語Tom を強調して、
    「昨日、その書店でその本を買ったのは、トムなんだよ」
    と言いたいときは。

    It was Tom that bought the book at the bookstore yesterday.

    と、強調したい Tom をIt is ~ that で挟み、残りは、そのまま書いていけばよいだけです。
    ちなみに、主語を強調したいときは、that の代わりに who も用いられますので、
    It was Tom who bought the book at the bookstore yesterday.
    もOKです。

    the book を強調して、
    「昨日、トムがその書店で買ったのは、その本だ」
    と言いたいときは。
    It was the book that Tom bought at the bookstore yesterday.

    at the bookstore を強調して、
    「トムが昨日その本を買ったのは、その書店だ」
    と言いたいときは、
    It was at the bookstore that Tom bought the book yesterday.

    yesterday を強調して、
    「トムがその書店でその本を買ったのは、昨日だ」
    と言いたいときは、
    It was yesterday that Tom bought the book at the bookstore.

    とても単純。


    強調構文で気をつけなければならなのは、疑問詞の強調です。
    これは、ちょっと難度が上がり、覚えていないと間違えてしまいます。

    Who bought the book at the bookstore yesterday?
    「誰が昨日その書店でその本を買ったのだろう」

    この疑問文の who を強調したいとき。
    「昨日その書店でその本を買ったのは、誰なのだろう」
    と言いたいとき。
    who を挟むのだから、
    It was who that bought the book at the bookstore.
    でしょうか?
    うーん、ちょっと違います。
    疑問文なのですから、最後は疑問符「?」でなければなりません。
    そして、疑問文なのですから、疑問文の語順でなければなりません。
    しかも、これは疑問詞で始まる疑問文ですから、疑問詞で始めなければなりません。
    すなわち、

    Who was it that bought the book at the bookstore?

    これが正解です。

    なお、疑問詞を強調する方法としては、このような強調構文の他に、疑問詞を強調する語句をつける、というやり方があります。
    疑問詞を強調する語句としては、 on earth や in the world があります。
    これを疑問詞の直後につければ、その疑問詞を強調します。

    Who on earth bought the book at the bookstore yesterday?
    「いったい全体誰が昨日その書店でその本を買ったのだろう」
    という意味になります。

      


  • Posted by セギ at 15:37Comments(0)英語

    2022年07月20日

    高校英語。「倒置・強調」。AするとすぐにB。


    さて、倒置による強調。
    今回は、「AするとすぐにB」という意味内容の文をまとめます。

    「私がそこに着くとすぐに雨が降り出した」という文を作ってみましょう。
    まず、中学校でも学習する、一番簡単な文から。

    As soon as I arrived there, it began to rain.

    as soon as は、「~するとすぐに」という意味の熟語の接続詞。
    As soon as A, B.
    で、「AするとすぐにB」という内容を表すことができます。
    AもBも節(主語・動詞のある意味のまとまり)です。
    上の例文では、A内容は「私はそこに着いた」、B内容は「雨が降り出した」となっています。

    さて、これよりもやや文語的な表現として、no sooner ~than というものがあります。

    I had no sooner arrived there than it began to rain.

    than が使われていることからもわかるように、これは比較級の文です。
    直訳は、「雨が降り出すよりも早く私がそこに着いたということは、ない」。
    つまり、ほぼ同時だと言いたいのですね。
    だから、「私がそこに着くとすぐに雨が降り出した」と訳します。
    どっちがA内容でどっちがB内容か、ほぼ同時ということもあってそこで迷う人もいるのですが、「A、Bの順番で出てくる」と覚えると何とか覚えられるかと思います。
    そのためにも、基本となる一番上の as soon as の文は、as soon as から始める形でセットしてください。
    A内容を後ろに置く形も可能ですが、そうすると混乱しやすくなります。

    さて、as soon as の文は、どちらも過去形でしたが、no sooner ~than の文は、A内容が過去完了形になることも強く意識して覚えないと間違えやすいです。
    これは、no で否定する前の文の直訳「雨が降り出すよりも早く私がそこに着いた」で考えれば、「私がそこに着いた」というA内容のほうが昔のことなので大過去となり、だから過去完了形を用います。
    no で否定し、ほぼ同時となっても、時制のズレはそのまま残ります。

    ここまでで、もうかなりややこしいのですが、この文は、倒置にすることが可能です。
    すなわち、

    No sooner had I arrived there than it began to rain.

    否定語句の倒置の語順です。
    「否定語・助動詞・主語・動詞」
    何度でも唱えて、この語順を覚えておけば、否定語句の倒置の文は作れます。

    もういい加減嫌になってきたところなのですが、「AするとすぐにB」は、まだ他の表現もあります。

    I had hardly arrived there when it began to rain.

    これの直訳は、「雨が降り始めたとき、私が既にそこに着いていた、ということはほとんどなかった」。
    うん?
    どっちが先?
    つまり、ほぼ同時なんですね。

    これも内容的には、A、Bの順で出てくると把握すると、何とか理解できると思います。
    何しろほぼ同時なので、どっちがAでどっちがBなのかわからなくなるのが一番厄介なのです。
    「AするとすぐにB」は、常にAが先に出てくる。
    そう覚えてこんでしまいましょう。
    そして、この文も、A内容は過去完了、B内容は過去形です。

    ここで、恐ろしい補足。
    うすうす気づいていたと思いますが、hardly は、勿論、scarcely に言い換え可能です。
    英語は常に言い換えて言い換えて言い換えていく言語。
    言い換え表現をないがしろにするわけにはいきません。
    覚えましょう。
    さらに悲しいお知らせ。
    when は、before に言い換え可能です。

    そうなると、この文だけで、4通りの言い方がありうることになります。
    恐ろしいですね。

    さらに恐ろしい補足。
    この文は、倒置も起こります。

    Hardly had I arrived there when it began to rain.

    hardly は「ほとんど~ない」という準否定表現ですから、否定語句の倒置のルール通りの倒置がこれも起こります。
    「否定語・助動詞・主語・動詞」です。
    勿論、上で説明した通り、hardly は scarcely に言い換え可能。
    when は、before に言い換え可能です。
    つまり、この文だけでも、また4通りの言い方があります。


    まとめましょう。
    「AするとすぐにB」の文は、常にA内容を先に置き、

    As soon as I arrived there, it began to rain.
    I had no sooner arrived there than it began to rain.
    No sooner had I arrived there than it began to rain.
    I had hardly 【scarcely】 arrived there when 【before】 it began to rain.
    Hardly 【Scarcely】 had I arrived there when 【before】 it began to rain.

    が、ほぼ同義です。
    覚えましょう。

      


  • Posted by セギ at 12:20Comments(0)英語

    2022年07月05日

    高校英語。否定・倒置。「Aして初めてBする」



    「Aして初めてBする」という形の文の構造を今回は考えてみます。
    まずは基本の形。

    I didn't know he was homesick until I talked with him.
    私は、彼と話すまで、彼がホームシックだと知らなかった。

    上のは直訳で、別にそれで不自然ではないのですが、これは、
    「私は彼と話して初めて、彼がホームシックだとわかった」
    と訳しても、同じ意味です。
    そして、この訳し方をすることが和訳の慣例となっています。

    「Aして初めてBする」という構造で考えた場合、A内容は、until 節です。
    「私は彼と話した」という内容になります。
    B内容は、主節。
    「私は彼がホームシックだとわかった」という内容になります。
    この場合、否定語を切り離して、A内容、B内容を肯定文として把握してください。

    これをまずは、強調構文にします。
    強調構文というのは、強調したい内容を、It is ~that で挟むやり方です。
    今回、強調したい内容は、 until I talked with him というuntil 節です。
    ただし、元は否定文なので、否定文で挟みます。
    すなわち、
    It was not until I talked with him that I knew he was homesick.

    こちらのほうが、A内容が先、B内容が後なので、「Aして初めてBする」の訳にあてはめやすいと思います。
    全体が否定文なので、It was not ~that で強調することだけ忘れなければ、作りやすいと思います。
    これで、「私は彼と話して初めて、彼がホームシックだとわかった」という意味です。

    これだけなら良いのですが、言いたいことを強調する方法は、強調構文だけではありません。
    倒置によって強調することも可能です。
    これも、否定語 not を先頭に立てます。
    すると、否定語句の強調のルールの通りの倒置が起こります。
    倒置には、文型によって様々な倒置のパターンがありますが、否定語句の強調による倒置は倒置の中でも花形ですので、特に力を入れて覚えましょう。
    「否定語・助動詞・主語・動詞」
    この順で並べます。
    すなわち、
    Not until I talked with him did I know he was homesick.
    「私は彼と話して初めて、彼がホームシックだとわかった」

    Not until I talked with him までが否定語句。
    次は、助動詞。
    一般動詞の文で、助動詞が用いられていない場合は、do,does,did を助動詞として用います。
    今回は過去の文なので、did を用いました。
    次は、主語 I。
    先ほどの did が過去の意味を背負ってくれたので、その後の動詞は原形に戻っています。


    整理しましょう。
    B until A. の元の形の文。(ただしBは否定文で、直訳は「AするまでBしない」)
    It was not until A that B. の強調構文。
    Not until A did B. の否定構文。

    「Aして初めてBする」の文は、この3通り。
    どれからどれへの書き換えも可能にしておくと、楽になります。
    本来Bについていたはずの否定語 not が、強調するとA内容を否定しているように見えることに違和感があり、覚えられない人が多いかもしれません。
    また、このあたりのことを学習するのが学年末であることが多く、高校の先生も大急ぎで授業するため、特にわかりにくいところであるのにあまり時間をかけて教えてもらえないという悲劇も起こりやすいです。
    自分で意識して、3通りの文を言えて書けるようになっておいてください。
    例文の丸暗記をするのも1つの手ですが、その場合、品詞と構造に注意を払って、他の意味の文への転換が可能な形で暗記してください。
    その文しか復元できない、お経のような丸暗記はあまり役に立ちません。
    あるいは、上のように文法的な把握から、3通りの文を論理的に復元できるようにしておくのもよいと思います。


      


  • Posted by セギ at 12:19Comments(0)英語

    2022年05月31日

    英語学習と、愚直であること。


    先日、NHKの「ラジオ英会話」を聴いていましたら、本文の中に「考古学者」 archaeologist という単語が出てきました。
    その単語について、講師の大西先生が熱弁をふるっていました。
    こういう単語こそ、皆さん、覚えましょう。
    こんな単語は使わないから覚えない、とは思わないで。
    こういう単語を覚えていることこそが英語力ですよ、と。

    それを聞いて、数年前の塾生を思い出しました。
    高校の多くはそうですが、彼女の通う高校でも、英語の授業で週に1度単語の小テストがありました。
    しかし、彼女は、前日に一夜漬けをすればよいほうでした。
    下手をすると、テスト前の休み時間に単語集を見て覚えるだけで小テストをやり過ごしていました。
    そんなある日の休み時間、廊下で、友達と、
    「単語テストの範囲が100個もあるのに、テストに出るのは10個だけなんだから、覚えても無駄だよね」
    と話していたら、ちょうどそこを英語の先生が通りかかり、注意されたというのです。
    塾で私に、それを笑って話すのでした。

    彼女としては楽しいエピソードトークなのでしょうが、私は全く笑えませんでした。

    週1回の単語テストの準備をしっかりやれない高校生は多いけれど、それはついつい面倒でとか、やっているんだけど覚えられなくてといった理由なのだろうと思っていました。
    実際、多くの生徒はそうなのだろうと思います。
    まさか覚えても無駄だと思っていたとは・・・。

    いや、それが本音とは限りません。
    実際は、覚えようとしても覚えられない。
    覚えようとしても単語を覚えられなくて、つらい。
    あまりにも覚えられないので、だんだん、まともに単語集に向き合えなくなったというほうが本音だったのかもしれませんが。

    その子は、その後、唐突に英検2級を受けて、当然ですが落ちて、それをきっかけに塾をやめていきました。
    学校の教科書の予習だけしたい、学校のプリントの答を教えてほしい。
    そのために個別指導塾に通っている。
    今はうちの塾にはいない、そういうタイプの生徒でした。


    学校が行っている週1回の単語テストは、単語を覚える目安として設定してくれているものです。
    目標は、単語集の単語をすべて覚えてしまうことにあります。
    学校によって生徒に渡す単語集は色々ですが、どの単語集も大同小異です。
    つまりはどれでもいいから1冊マスターすれば、大学入試にそこそこ対応できます。
    単語力と文法力があれば、あとは練習すれば長文は読めます。
    リスニングも聴き取れます。

    大学入試にこだわった言い方になりましたが、つまりそれは、そのレベルの英語が読めて聴き取れる、そういう英語力がつくということです。

    でも、漠然と単語集1冊を覚えなさいといって渡したところで、覚えるわけがありません。
    1週間に100個の単語を覚えなさいと指定し、週に1回テストをすることで、学習のリズムを設定してくれている。
    それは、英語の先生の温情です。

    本当は、それだけでは、100個覚えても翌週にはその大半を忘れてしまうから、もっともっと回転率を上げてほしい。
    毎日最低50個覚えて、回転させましょう。
    単語集は何周でもやりましょう。
    本気の英語学習は、そういうものです。

    しかし、そうであるのに、現実には、週に100個のノルマすらこなせない高校生は多いです。
    こなせないのは仕方ない面もあるけれど、
    「10個しかテストに出ないのに100個覚えるのは無駄」
    などと、覚えない言い訳をしてしまう。
    それでは、英語ができるようにはなりません。


    これはまた別の生徒の話。
    中高一貫校に通う中学生に定期テスト対策をしていたときのことです。
    教科書本文の確認や文法テキストの演習はひと通り終わったので、
    「あとは、テスト範囲のこの問題集ですね。これは何ですか」
    その問題集を見せてもらったことは一度もありませんでした。
    テスト範囲に唐突に入ってきた印象が私にはありました。
    「あ、それはいいです。配点は8点なので」
    「は?」

    見せてもらうと、それは教科書や文法テキストと比べると数段上のレベルの問題が並んでいました。
    中高一貫校にしては教材のレベルが学年相当で、普通過ぎる・・・と思っていた謎が解けました。
    難しいこともやっているのに、その子はそれを切り捨てていたのでした。
    テストに出ても、配点は8点分だから、と。

    「配点が8点だからといって捨てたら、あなただけ92点満点のテストを受けることになるんですよ。その中で、初見の長文問題もあるんですから、あっけなく80点台になり、ケアレスミスをしたら、簡単に70点台になるでしょう。それでどうやって上のクラスに上がるつもりなんですか」

    中高一貫校の生徒にしては学力はきわめて普通の子でした。
    基本的なことはできるのですが、ある水準を超えると、全くできないのでした。
    とはいえ、基本的なことは、本当に良く身についているのです。
    それが本人の学力の限界ならば、基本問題でも解けない問題はあるものです。
    そういうことはないのでした。
    ある水準を超えると、センサーでもあるかのように解けなくなる。
    何だこれは・・・と思うことの多い子でした。

    まさか、基本問題しか解かないことを本人が決めてしまっていたとは・・・。
    自分の通う学校はレベルが高いから、その中で基本だけ身につけておくのでも、全体から考えればかなりレベルが高いはず・・・。
    そのような誤解があったのでしょうか。

    しかし、それも、難しい問題は、難しくてつらいから、それを避けてしまう言い訳を本人が見つけてしまっていただけなのかもしれません。
    努力をするのは、つらい。
    そんなのは徒労だと喝破して、切り捨てたい。
    無駄な努力をしない自分のほうが賢いのだということにしたい・・・。


    いいえ。
    英語学習は徒労に見えることの積み重ねです。
    テストに出るとは限らない単語を覚え、テストには出ない長文を読み、テストには出ないリスニングを繰り返す。
    テストに出ない文を暗唱し、テストに出るとは限らない英作文を書いてみる。
    そうした徒労に見えることの果てに、初めて聴くリスニング問題を正確に聴き取り、初めて読む長文を速読し、初めて与えられた課題でまとまった英文を書く力が養われます。
    さらにその先に、仕事で使える英語力への道が開かれています。


    「考古学者」 archaeologist
    実は、これは受験という観点からもきわめて有用な英単語です。
    英検でも、大学入試問題でも、学者が何か論を立て、実験や観察をしている文章は多く出題されます。
    単語力がないから、その英文で説明されている論の内容を読み取れず、実験のほうが具体的だからそこから読み取りなさいと促してもそれも読み取れず、そもそも、その学者の専攻がわからないので、何の話をしているのかわからない。
    1つの単語の意味がわからないだけで、もう全部わからない気がして、英文を読み通すのがつらくてたまらない。
    そんな中で、この「考古学者」という単語を読み取れたら。
    おそらくその文章は、考古学に関するものでしょう。
    それがわかるだけで、気持ちが落ち着き、もっと他にわかることはないかという意欲が生まれます。
    わからない単語もあるけれど何とか大意は取るぞというメンタルを維持するには、でも、わかる単語も多いぞという支えが必要です。

    そもそも、大学受験用の単語集の単語を覚えることは、徒労ではありません。
    辞書の1ページ目から順に全部覚えろと言っているのではないのです。
    必要な単語が難度の順に、あるいは重要度の順に掲載されている単語集を1冊覚えることすら徒労だと感じてしまう、その意識が英語習得の障害なのです。

    徒労に見えることにも愚直に取り組むこと。
    教養は、そうした先に獲得されるものだと思います。
    最小の努力で最大の効果を上げる。
    それも結構ですが、そんなことばかり主張している人が絶望的に無教養に見えることにも、少し目を向けてほしいと思うのです。

      


  • Posted by セギ at 14:06Comments(0)英語

    2022年05月09日

    英語。三単現のSをつけ間違える原因は、ケアレスミスばかりではない。


    英語が苦手な子の多くは、少なくとも中学生の間は、そんなに何もかもがわからないというわけではありません。
    そこそこわかるような気がするが、定期テストでは何となく失点が多く、成績はパッとしない、という場合が多いように思います。

    定期テストでのミスというと。
    多いのは、現在形にするか過去形にするかといった時制ミス。
    名詞を単数形にするか複数形にするかのミス。
    冠詞や前置詞の書き忘れ。
    そうしたものが積もりつもってテストの得点はパッとしないけれど、本人は英語ができないことが自覚できていない場合もあります。
    全部、ケアレスミスだから。
    ちょっと不注意なだけだから。
    そのように本人も保護者も思ってしまうのでしょう。

    しかし、それは本当にケアレスミスなのでしょうか?
    根本的に理解できていない可能性はないですか?
    ケアレスミスと理解不足の境界は、きわめて曖昧です。

    例えば、以下のような問題

    問題 次の( )内の動詞を必要があれば適切な形に改めなさい。
    (1) My father (like) to play baseball.
    (2) They (visit) Hokkaido every summer.

    これを、
    (1) My father likes to play baseball.
    (2) They visits Hokkaido every summer.
    と答えてしまう子は多いです。

    (1)は正解。
    (2)は、不正解。
    正しくは、
    (2) They visit Hokkaido every summer.
    です。

    こういう問題で間違えてしまう原因は何なのか?
    それには様ざまな可能性があります。

    一番最初に考えられるのは、英語の問題をなめてしまっている場合。
    いや、本人には「なめている」という自覚はなく、問題というのをそういうものだと誤解しているといったほうがいいのかもしれません。
    (1)が三単現のsをつける問題ならば、それに続く問題も全部そうだと思ってしまうのです。

    小学校の計算ドリルのように、大問まるごと、あるいは下手をすると問題集の1ページ全部が同じパターンだと思っているのでしょう。
    いまだに小学生から脱皮できていない子、勉強を全部「単純作業」に置き換えてしまおうとする子によく見られる現象です。
    英語の問題の場合は最初から、そして、数学の問題も学年が上がれば、小問1問ごとにパターンは変わり、作業手順で済ますわけにはいかなくなるのですが、そのことがわかっていないのです。

    これは、無論、学力的に精一杯なところがあり、1問1問、ちゃんと頭を通して考えるのがつらいので、そのような作業手順にすぐに変えてしまう子もいますが、そうした子ばかりではありません。
    案外学力のある子や中高一貫校に通う子にも見られる傾向です。
    学校の勉強は簡単なはずなので作業手順でやれる、と誤解している可能性があります。
    自分の学力に妙な自信があり、もはやそのようなレベルのことを学んでいるわけではないという現実に気がついていないのです。


    しかし、1問1問、真剣に考えてもなお、
    (2) They visits Hokkaido every summer.
    としてしまう子もいます。
    三単現について、変な覚え方をしてしまっている子たちです。

    三単現。
    三人称・単数・現在。
    主語が三人称で、単数で、時制が現在のとき、動詞はsまたはesをつける。

    こんなルールは日本語にはないので、英語をどうしても日本語的に理解したいと思っている子にとっては、ちょっと理解を超えた存在であるのが、三単現です。
    一人称、二人称、三人称ということが、そもそもよくわかっていない場合もあります。
    「三人称単数とは、代名詞に置き換えたときに、he , she , it になるものです」
    といった説明が意味をなすのは、それを理解できる子たちだけです。
    どんな場合に he , she , it になるのか、わからない子は沢山います。
    そんな子たちの救世主が、
    「I でも you でもないのが、三単現」
    という、雑な覚え方です。

    教科書によっては、三単現の学習は複数形の学習よりも前にきます。
    主語が複数形になることは、まだありません。
    そのため、この雑なルールがある程度有効になってしまうのです。

    それで何とか定期テストもクリアできたので、このルールが万能だと思い込んでいると、(2)の問題は、
    (2) They visits Hokkaido every summer.
    と誤答してしまいます。
    確かに、主語は、I でも you でもない。

    ただ、この覚え方には捨てがたい魅力もあります。
    代名詞に置き換えたときに、he , she , it になるもの、という説明ではわからない子たちにとっては、特に。
    「単数形」ということに重点を置けば、これはなお有効です。
    主語が、I でも you でもない単数形のときは、三人称単数。
    それは、事実です。

    英語に一人称単数は I しかなく、二人称単数は you しかありません。
    一人称、二人称、三人称とは何であるかをしっかり説明したうえで、単数であることを特に強調して、主語が、I でも you でもない単数形のときは、三人称単数と理解するのは、間違っていません。
    これで、my mother は一人称だとか、your dog は二人称だとかいったミスから逃れることができます。

    しかし、複数形は、三単現の対象ではありません。
    三単現は、三人称・単数・現在ということです。
    単数ではないのなら、該当しません。

    そう説明することで解決することもあります。
    雑に覚えた雑なルールが、しばらく経つと舞い戻ってきて、一生その子を苦しめる、ということもありますが。


    中学三年生になっても、三単現のミスを繰り返す子がいました。
    「これは、三単現ではないですよ。主語が複数だから。三単現。わかりますか。三人称・単数・現在」
    そういった声かけを繰りかえしても、正答率は変わりませんでした。
    相変わらず、(2)のような問題は、
    (2) They visits Hokkaido every summer.
    と書いてしまっていました。

    こういうミスは、もうなくならないのかなあと諦めかけたある日のこと。
    その子が、私に質問しました。
    「we のときは、動詞は複数形にしますか」

    ・・・え?
    動詞の複数形?
    この子は、何を言っているの?

    戦慄が走りました。

    この子は、三単現のsを「動詞の複数形」だと思っているのか!

    動詞の複数形って何?
    そんなものはこの世に存在しないよ。
    何を言っているの?
    どこでどう混線したの?


    教える者はとかく、一度教えたことは定着していると思い込んでしまいます。
    一人称、二人称、三人称とは何なのか、下手なイラストまで描いて、あんなに丁寧に説明したのですから。
    主語が、I でも you でもない単数のときは、三人称単数。
    こんなにクリアな判断基準も示したのですから。
    あとは「三単現」というキーワードだけで大丈夫。
    しかし、私がその都度口にしていた「三単現、三人称単数現在ですよ」という言葉を全く理解しないまま、その子はそれまで笑顔でやり過ごしていたのでした。
    動詞の複数形だと誤解したまま。

    生徒の中には、一度は理解したことも、時間が経過すると、特に定期テストが終わると、きれいさっぱり忘れてしまう子もいるのです。
    理解は遅くても、一度理解すれば忘れない子もいます。
    しかし、理解の早い遅いに関係なく、何でもすぐに忘れてしまう子もいます。
    頭の中に残さず、全て消去してしまうのです。

    何でも暗記するだけの勉強もつまらないですが、三単現すら覚えていないのでは、学力があるとは言わないです。
    勉強は、外付けのデバイスに知識を記憶させておけば大丈夫というわけにはいきません。
    覚えないとどうにもならないことが、沢山あります。

    三単現の学習の後、名詞の複数形の学習に入った時点で、三単現の記憶は吹き飛び、三単現の動詞のsは「動詞の複数形」としてその子の記憶に残ったのかもしれません。
    だから、主語が複数の文では、常に動詞にsをつけていたのでした。
    主語が複数ならば、動詞も複数形にするのだと誤解して・・・。

    では、主語が he のときは、なぜ動詞にsをつけるのか?
    そういうことに矛盾は感じてこなかったのか?

    それがわからないからモヤモヤし、今回はsをつけておこうか、やめておこうかと、勘で解くようなことになっていたのかもしれません。
    思い切って質問しても、先生に、
    「・・・何を言っているの?」
    と理解不能の顔をされてしまう可能性が高いですし・・・。


    英語が苦手な子の頭の中にある、奇妙な「謎ルール」はいくつもあります。
    ①1つの文で、to は1回しか使えない。
    ②ing は続けて使ってはいけない。
    I am enjoying listening to music.とかは、ダメ。
    ③have は続けて使ってはいけない。
    現在完了のI have had dinner. とかは、ダメ。
    ④主語が複数形のときは、動詞に複数形のsをつける。

    全部、間違っています。
    ・・・何でそんな愚かなルールを自分で作って誤解しているのか。
    それは、正しい文法は覚えられないけれど、それでも、人は何か法則性を指向するものだからなのでしょうか。

    それにしても、よく質問してくれたものでした。
    「動詞の複数形」という一言の破壊力は、その子が何をどう誤解しているのかをすべて説明してくれました。
    よく勇気を出してくれました。
    「動詞の複数形」という言葉を聞いたとき、私は驚愕の表情を浮かべてしまったかもしれません。
    それによく耐えてくれたと思います。
    それで解決がつき、その子は、三単現のミスだけは、それ以来しなくなりました。
    ちなみに、上の①②③の間違ったルールも、それを質問してくれた生徒がいたので、そういう誤解があると把握できたことでした。
    以後の生徒にそのようなミスや、それのせいで正解が書けない迷いが感じられたときに有効でした。
    1人の生徒だけの特殊な思い込みではなく、つまずきやすいところのようです。

      


  • Posted by セギ at 16:47Comments(0)英語

    2022年05月03日

    高校英語。二重否定と but。


    二重否定。
    これは、正確に意味を把握すれば、そんなに違和感のない表現方法だと思います。

    my grandmother never visits us without bringing a gift.

    直訳すると、
    「私の祖母は、お土産を持ってくることなしに私たちを訪ねることはない」。
    つまりどういうことなのかというと、
    「私の祖母は、私たちを訪ねるときは必ずお土産を持ってくる」
    という意味です。

    和訳が重要だった時代は、上の直訳ではなく、下の意訳をしなければ正答とは言えない、といった面倒くさいルールがありました。
    それが本当の大学入試の採点基準なのかどうかもよくわからないのに、それでも、それに従わなければならなかった不幸な時代でした。
    今は、英文の意味を正確に把握できることが重要なので、直訳か意訳かといったくだらないことにわずらわされることが少なくなりました。
    本当は、そんなのはどっちだっていいですよね。
    英文の意味を理解できることが大切なのですから。

    日本語から英語に戻す「反訳トレーニング」用の訳を生徒に渡すときには、私は上の直訳をします。
    ただ、和訳問題を解くのなら、私は安全のために今もなお下の意訳のほうを書きます。
    日本語として自然なのは、今もやはり下の意訳のほうだからです。
    直訳が日本語として不自然な場合のみ、意訳する。
    和訳の鉄則です。

    ニュアンスとして理解しておきたいことがあります。
    二重に否定した内容は、ただ単に二重に否定して一周回って肯定になったというだけではなく、強い肯定になることがあります。

    もう1つ例文を見てみましょう。

    There is no rule but has some exceptions.
    意味は、「例外のないルールはない」。

    これは、関係代名詞 but の使い方としてよく用いられる例文でもあります。
    関係代名詞 but は、否定の意味を含みこんでいる関係代名詞です。
    主格の関係代名詞の働きをし、同時に否定語を含みこんでいるのです。
    上の文は、以下のように書き換えられます。

    There is no rule that does not have any exceptions.

    例外のないルールはない。
    つまり、どんなルールにも必ず例外はあるということです。
    二重に否定することによって強い肯定となります。

    ことわざつながりでいえば、やはり二重否定の文に、

    It never rains but it pours.

    というものがあります。
    この but は、関係代名詞ではなく、接続詞です。
    「どこで見分けるの?」という質問に答えるのならば、関係代名詞は、関係代名詞節の中で、SかOかCの役割を果たしています。
    上の「例外のないルールはない」の文で言えば、but は関係代名詞節のS(主語)です。
    しかし、この文の but は、後続の文のSでもOでもCでもありません。
    文と文、すなわち節と節をただつないでいるだけです。
    これは「接続詞」です。

    さて、この文の意味はというと、but は、日本語で「~以外に」と訳すとぴったりはまります。
    直訳は、「どしゃ降り以外に雨は決して降らない」。
    つまり、「降れば必ずどしゃ降り」という意味になります。


    いつもいつもこのように、「二重否定は強い肯定」で済めば楽なのですが、現実はそうとも限りません。
    以下の例文を見てみましょう。

    It is not unusual for a family to have more than one car.
    1つの家族が2台以上の車を持つのは珍しいことではない。

    これは、別に「強い肯定」ではないのではないか?
    「1つの家族が2台以上の車を持つのは極めて当然のことだ」というニュアンスではないのです。
    そういうこともありますよ、程度の話です。

    強い肯定の場合と、むしろためらいがちな肯定との違いは何か?
    しかし、そこらへんを深追いすると、覚えることの多い「否定」の学習がさらにつらくなるので、文脈判断ということで構わないと思います。
    文意を考えれば、強い肯定なのかためらいがちな肯定なのかは理解できます。


    二重否定は、このようにそれほど難しいものではないのですが、ほかの部分否定などと一緒に一度に大量に解説されると何が何やらわからなくなり、
    「否定がわからない・・・。何を勉強しているのかわからない。何がテストに出るのかわからない」
    と悩んでしまう高校生がいます。
    学習の始まりが単純な not の使い方の例文などが並んでいるせいで、単なる復習だと誤解していたら、そのうち何だかよくわからなくなったという場合が多いように思います。

    高校英文法の学習の最初もそうです。
    テキストの第一章が「文の種類」で、肯定文・否定文・疑問文など、中学で学習した当たり前のことが当たり前の例文で解説されているので、ああ、中学の復習なんだと誤解する子がいます。

    「学校の論理表現の授業は、何をやっていますか?」
    「中学の復習をやってる・・・」
    「本当に?」
    「あ。感嘆文をやった」
    「・・・それは『文の種類』という章を学習しているんじゃないんですか」
    「・・・」
    こんな会話は、高校に入学したばかりの1年生と毎度毎度交わす会話です。

    テキストに「第一章 文の種類」とタイトルが書いてあってもなお、学習の目的がつかめない子は多いのです。
    そして、その後の学習が曖昧になっていくのも、そのように文法学習の目的が不明瞭であることも一因です。
    何を学習しているのか、わかっていないのです。
    だから、何がテストに出るのかも、わからない。
    次の「時制」の章の学習をする際にも、知っている「現在形」「過去形」などは中学の復習だと思ってしまいます。
    そして、新しく出てきた「過去完了」のみ、ロックオン。
    「時制」の学習をしたのではなく、「過去完了」を学習したのだと誤解してしまいます。
    そのため、定期テストで主に出題される、どの時制を使うかが焦点の四択問題を正答できません。
    なぜそんな問題がテストに出たのかも、理解できないのです。
    「時制」がテスト範囲なら、それは必出問題なのですが。

    知っていることが少し含まれていると、「ああ、これは中学の復習だ」と思い込んでしまう・・・。
    そう思いたい気持ちもあるのかもしれません。
    新しいことばかり学習するのは、つらいから。
    復習だと思えば、そこは勉強しなくていいから。

    そこらへんの自分の心の動きを、「いや、そうではないよ」とセーブして、高校の新しい学習に進んでいってください。
    何を学習しているのか。
    何が目的の単元なのか。
    その正解な把握が必要です。

      


  • Posted by セギ at 14:47Comments(0)英語

    2022年04月23日

    英語が得意な高校生には「ニュースで学ぶ現代英語」が良いです。


    NHKラジオ講座で昨年度で終わってしまって非常に残念だったのが、「高校生から始める現代英語」という番組でした。
    週に2回しか放送がないので、聴く負担も少なく、難度も内容も大学受験にちょうどいい。
    英語が比較的得意な生徒にお勧めの番組でしたが、終わってしまいました。
    英語があまり得意ではない高校生は「ラジオ英会話」がお薦めです。
    でも、英語が得意な高校生には内容的に少し物足りない。
    「高校生から始める現代英語」が良い番組でした。
    その番組が、昨年度で終わってしまったのです。

    気落ちしながらも、新番組「ニュースで学ぶ『現代英語』」はタイトルが似ているので、もしかしたらと思って聴いてみました。
    「ニュースで学ぶ『現代英語』」。
    NHK第2放送。
    月曜から金曜まで毎日2回放送があります。
    午前9:30~9:45。
    午後3:45~4:00。
    不便な時間帯の番組です。
    週5回分まとめて再放送は、
    日曜日午後10:00~11:15。

    週の前半、月・火・水は、女性講師による解説。
    週の後半、木・金は、昨年度まで「高校生から始める現代英語」を担当していた伊藤サムさんが講師です。
    だから、名物の反訳トレーニングが番組内にあります!

    反訳トレーニング。
    日本語訳を見て、反対に英文を復元するトレーニングです。
    NHKラジオ講座を聴くことを意味のあるものにするために不可欠なトレーニングです。

    ラジオ講座は、漫然と聞いているだけでは効果は薄いのです。
    まず放送をしっかり聴く。
    声に出して練習する箇所はしっかり声に出して練習する。
    シャドーイングしろと言われたら、シャドーイング。
    日本語から英文を作ってみろと言われたら、頑張って口に出して言ってみる。
    そのように放送中は積極果敢に取り組みます。

    しかし、それだけで終わらせてしまうのは勿体ない。
    放送後は、日本語訳を見て、英文を復元する練習。
    これも勿論声に出して練習します。
    ひと通り暗唱できたと思ったら、日本語訳を見て、ノートに書いてみます。
    その後、本文を見て、自分の書いた英文を採点。
    スペルミスなどがあったら、その練習。

    さらに時間的に余裕があれば、その回の重要表現や文法事項を用いた文を自分で作ってみる練習。
    本文の内容についての自分の意見や感想を英語で言ってみる練習。
    さらに書いてみる練習。

    ここまでやれば、本当に力がつきます。


    今年度から始まった「ニュースで学ぶ『現代英語』」には、番組テキストが販売されていません。
    できるだけ新しいニュースを扱うには、テキストを作成している時間が惜しいのでしょう。
    しかし、これでは放送後の練習ができない。
    そう思いましたが、番組サイトがあるというので確認したところ、素晴らしいサイトでした。
    以下にリングを貼りますが、上手く飛べないようでしたら、「NHKニュースで学ぶ現代英語」で検索すればすぐ出てきます。

    https://www2.nhk.or.jp/gogaku/gendaieigo/


    実際にサイトを見れば一目瞭然ですが、番組で扱われた英文を読むことができ、しかも1文ずつ音声も確認できます。
    日本語訳も見ることができます。
    重要文の解説も読むことができます。
    さらに、自分で反訳トレーニングをできるようにもなっています。
    わあ、テキストを購入せずこんなに練習できるなんて、親切だなあ・・・。

    しかし、やはり放送を聴くことが重要です。
    ポータブルラジオレコーダーで録音するのが保存もできてベストですが、「NHKらじるらじる」というアプリを使うこともできます。
    「基礎英語」などでもそうですが、番組テキストとCDだけで勉強する、という人は長続きしないことが多いのです。
    やはり、何か違うんです。
    何か無味乾燥なんですよね。
    オープニング曲と講師の挨拶、その回その回の口調、ほんのちょっとした余談。
    そういうものが、英語学習の継続のためのアクセントになっていると思います。

      


  • Posted by セギ at 12:40Comments(0)英語

    2022年04月15日

    大西泰斗の英会話定番レシピが今年は熱いです。


    新学期になり、NHKの語学講座も新年度を迎えました。
    今年のイチ押しは、ラジオではなく、テレビの英語講座です。
    「大西泰斗の英会話定番レシピ」です。
    放送は月曜日から木曜日まで、週4回。
    午前11:10~11:20。
    午後23:20~23:30の、1日2回放送しているテレビ英会話番組です。

    去年もこの番組は放送されていたのですが、学習目標が明確でなく散漫な印象があり、私は数回見て離脱していました。
    しかし、今年リニューアルされたこの番組は、面白いです。
    学習目標は、「話すための英文法」。
    日本人が英語を話せないのは、英文法をわかっていないから。
    単語をどの順番で口に出していいか、わからない。
    だから、いざとなると絶句する。
    あくまでも話すための英文法なので、文法用語を用いたガチガチの文法講義ではなく、非常に大雑把なのがこの番組の特徴です。

    この大西先生の「英文法」には、感心しない部分もあります。
    「指定ルール」、すなわち指定は前に置く。
    「説明ルール」、すなわち説明は後ろに置く。
    そうは言いますが、「指定」と「説明」は何がどう違うのか、明確な定義がありません。
    たとえば「赤いリンゴ」という言葉。
    リンゴの中でも「赤い」リンゴだと指定する。
    リンゴの中でも「赤い」リンゴだと説明する。
    それは、どう違うんでしょうか?
    同じじゃないですか?
    だから、ご都合主義の印象は否定できません。
    ただ、文法用語をできるだけ使わずに文法を理解させるには、このほうがいいのは理解できます。

    生徒の中には、形容詞とか副詞と聞くだけでもうわからなくなる文法アレルギーの強い子や、そういうのは自分は理解しなくていいと思い込んでいる頑固ちゃんたちが沢山います。
    自分は日本語の文法はわからないが日本語を話せる、という誤解にもとづく信念が彼らをそうさせてしまうのかもしれません。
    いえ、日本語のネイティブである私たちは、日本語の文法を体得していて、だから話すことができるのです。
    ただ、その実感がないだけなのです。
    文法がわからないと、その言語は話せないのです。
    しかし、文法の価値だけは絶対に認めない頑固さで英語をとらえている子たちは多いです。
    だから、不定詞も分詞も関係代名詞も使えない。
    英文の中で出てきても理解できない。
    そういう難しいものは、テスト範囲のときだけは勉強するけれど、ずっと使うものではないと思っているようにも見えます。

    それは、小学生が、算数で「分数」を勉強する際に、分数を使うのは「分数」の単元のときだけだと思っているのとも似ています。
    他の単元のときは、相変わらず小数を使うと思い込んでいて、分数を使うと知ると嫌な顔をします。
    単元が変わると、話は変わると思っている・・・。
    それは英語でもそうで、関係代名詞の学習が終われば、もう忘れてしまいます。
    だから、英語コミュケーションの教科書本文に関係代名詞が使われていると嫌な顔をします。
    そんなのは不当だと思うようなのです。
    関係代名詞は、日常会話ですら普通に使うものなのですが。

    そこらへんは、もう、「関係代名詞」という言葉を使わずに関係代名詞を理解させるしか突破口がありません。
    「関係代名詞」という言葉で定義されることによって、その内容を深く理解できる子たちもいるのですが、それではダメな子たちもいます。


    今年、高校1年生は新課程に入りました。
    英語の科目名も変わりました。
    従来の「コミュニケーション英語」は、「英語コミュニケーション」になりました。
    「英語表現」は、「論理表現」に。

    しかし、科目の名前が変わろうとも、進学校であればあるほど、実質は「リーディング&リスニング」と「グラマー&ライティング」です。
    そうでなければ、大学入試に対応できません。
    文法がわかるから、英文の内容を大づかみに把握していくことができるのです。
    読むための文法、書くための文法が必要です。
    うかうかと「論理表現」の検定教科書を使うわけにはいかないのが現場の論理です。
    あんな散漫な教科書を使っていたら、学習目標が生徒に伝わりません。
    理屈を理解できる子たちには、理屈を教えるのが早道です。
    何を学ぶべきなのかをストレートに伝えることによって、学習は合理的かつスムーズに進みます。

    今年も、「論理表現」という散漫な教科書は教科書として、副読本としてがっつりと文法テキストとワークと参考書のセットを生徒の持ち物から発見し、私はガッツポーズをとりました。
    よし。
    これなら大学に行ける。
    授業で実際に使うのは、副読本のほう。
    教科書は使わないでしょう。

    その一方で、文法学習が肌に合わない子たちが多いことも実感しています。
    学校で英文法を学んでも、理屈が頭を素通りしていく様子の子たちです。
    理屈の価値を認めないのです。
    しかし、生徒がどれだけ拒否しても、英文法を理解してもらわなければ、英語力は伸びません。
    突破口は、文法ではないふりをして、文法を教えることです。


    番組に話を戻します。
    番組構成は、まず、ネイティブ2人による会話劇があります。
    英語テロップは出ていますが、画期的なことに、その会話の日本語訳はありません。
    おそらく、テキストには書いてあるのだろうと思いますが。
    そういえば、ラジオ講座も、日本語訳をしない番組が増えてきました。

    その会話劇を見た日本人出演者が、大体こういう会話だろうと、聴き取ったことをまとめます。
    台本なのか実力なのかはわかりませんが、合っています。
    そして、会話の中の重要文をピックアップし、大西先生の解説が始まります。
    「説明ルール。説明は後ろに置く」
    など、とても簡単な解説です。

    そのルールに沿って、練習問題。
    1週目は乱文整序問題でした。
    2週目は質問されたことを否定で答える練習もあり、乱文整序もありました。
    テレビで見る乱文整序問題は、活字で見るよりちょっとわくわくします。
    出演者も、今のところ全問正解です。

    番組の最後は、ラジオ英会話のほうの出演者と一緒にワンポイント解説するコーナー。
    1週目は前置詞 at のイメージ把握。
    2週目は前置詞 about のイメージ。
    わかりやすいです。

    あっという間の10分。
    これなら、ラジオ語学講座が続かない人も続けられそうです。
    1日10分。1週間まとめても40分。
    ラジオよりもテレビのほうが手軽に録画でき、自分の都合のよいときに見ることができるかもしれませんし。

    現在完了や不定詞などは普通に出てきますので、対象は新中3以上と思われます。
    高校生は、英語が苦手な子ほど見る価値があります。
    文法にアレルギーがあり、文法を避け、「文法なんかわからなくても英語はできるようになる」という世迷言に騙され、英語の成績が思わしくない高校生の救世主です。
    言語の骨組みを理解していないのに、その言語を理解できるわけがない。
    でも、過度に複雑な文法用語を理解する必要もないのです。


      


  • Posted by セギ at 14:05Comments(0)英語

    2022年04月01日

    元気ですかを英語で。


    朝ドラ「カムカムエヴリバディ」が面白かった頃。
    三代目ヒロインひなたがまだ子どもで、ラジオ英会話を1週間だけ聴いたことがありました。その際、父親ジョーが、ラジオ講座の、
    How are you, everyone?
    という問いかけに、
    I'm good.
    と答えた場面がありました。

    え?
    How are you?
    と問われたら、
    I am fine, thank you.
    じゃないの、と思った人は多かったのではないかと思います。

    あれは、ジョーが戦災孤児で、本人が言うとおり「ギブ・ミー・チョコレート」の世代で、さらにジャズ・ミュージシャンだったということも考えれば、ブロークンな英語を話せるのだろうし、それで通じるというのを短いやりとりで示したということなのだろうと思います。
    あえてブロークンな英語にしたと。

    ドラマの中では1980年代でした。
    あの時代でしたら、I'm good. はブロークンな英語でしょう。

    ところが、現代のアメリカでは、I'm good. で良いのだそうです。
    NHK出版「杉田敏の現代ビジネス英語」2022年冬号の冒頭エッセイで、杉田敏さんがそのように書いています。
    2021年3月まで、NHKラジオ英語講座「実践ビジネス英語」講師を長く務めていらっしゃった方で、私も長年のファンの1人です。

    そもそも、
    How are you?
    Fine, thank you.
    なんてやりとりは実際にはしないよと、学校の英語教科書を批判する声は昔からありました。
    日本人でも、
    「元気ですか」
    なんて挨拶をするのは、アントニオ猪木くらいのものですし。

    ところが、後年、アメリカの若者たちが、
    How are you?
    I'm good.
    と会話するようになりました。
    最初は違和感のあった若者言葉が、今は定着したということです。
    ただ、イギリスでは今もなお、その言い方には違和感があり、「そんなことは言わない」と言われているそうです。

    別れの挨拶も、
    Have a nice day.
    は、最近はあまり使われなくなったとのこと。
    今では、これはかなり陳腐な表現なのだそうです。
    ウィッキーさんもびっくりな話です。
    いや、ウィッキーさんを知らない人も今は多くなりましたが。

    じゃあ、何というのか?
    Take care.
    または、Enjoy your day.
    こういうのは、知っているとちょっと嬉しいですね。
    ちゃんと英会話できているつもりで、Have a nice day. と言ったら、ネイティブの人には、
    「それでは、ごめんつかまつる」
    と言っているように聞こえていたということなのかもしれませんから。

    でも、日本語を一所懸命勉強してきた外国人が、別れ際に、
    「それでは、ごめんつかまつる」
    と言ったら、すごく楽しい。
    面白くて印象的です。
    だから、日本人は英語に関してそんなに必死にアップデートしなくてもいいような気もします。
    英語圏の人にとっては、おお、日本人が英語で挨拶してくれた、学校でそう習うのだろう、好ましい、で済む話でしょう。

    何が正しいかよりも、とにかく何かを話すこと。
    こちらが発信する限り、必ず受け取ろうとしてもらえますから。
    コミュニケーションの基本ですよね。

      


  • Posted by セギ at 15:52Comments(0)英語

    2022年03月22日

    英語の誤答のリアリティ。


    春なので、インターネットのニュースサイトなどでも、教育関係の記事が掲載されていることが多くなってきました。
    しかし、大手の民間教育機関が出している記事の中には、何かちょっと嘘くさいものもあります。
    この記事を書いている人は、実際は子どもに授業をしている立場の人ではないのではないか?
    そう感じるような、作りごとめいた印象があるのです。
    例えば、先日見た、こんな記事。

    「彼は、幸せに見える」を英訳すると、
    He seems happily.
    と誤答してしまう子が多い、というのです。
    happy を「幸せな」、happily を「幸せに」と日本語訳で覚えている子は、「彼は幸せに見える」は、「幸せに」だから、happilyを使うのだと思ってしまうからだ。
    という記事内容でした。

    ・・・そんなお行儀の良い誤答、私は見たことがないですけど・・・。

    現実にそんな誤答をする子がいたとしたら、かなり特殊な例でしょう。

    その記事の趣旨は、英単語を日本語訳で覚えるからそういうことになるので、形容詞、副詞、という単語の働きで覚えるべきなのだというものでした。
    それには、大賛成です。
    でも、それを伝える具体例としては、説得力がない。
    英語が苦手な子は、普通、そんなミスはしないのです。

    英語が苦手な子は、happy を「幸せな」、happily を「幸せに」と、正確に語尾まで覚えることはほぼありません。
    happy は、「幸せ」と覚えます。
    「幸せ」は名詞ですから happiness ですよ、なんて言っても、聞く耳を持ちません。
    「幸せ」=happy と覚えるので、使える単語はそれしかないですから、逆に、「彼は幸せに見える」は、
    He seems happy.
    と正答します。
    しかし、「彼は幸せそうに昼食を食べた」も、
    He had lunch happy.
    と誤答します。
    英語が苦手な子は、happily という単語は、見れば意味はわかるかもしれませんが、自分では使えないことが多いのです。

    単語を覚えるときは、その単語の品詞を理解しておかないと、正しい使い方ができない。
    それは、本当にそうです。
    しかし、日本語の語尾に意識が向いている子は、ある程度、品詞の知識のある子です。
    happy を「幸せな」、happily を「幸せに」と覚える力のある子は、同時に、その語尾がつくのだから、happy は形容詞、happily は副詞と理解していることが多く、その目印として語尾を覚えます。
    だから、その覚え方で、大丈夫ですよ。

    真面目に努力をしている子に、
    「そんなやり方は古い。そんなやり方はダメだ」
    という情報を与えて、揺さぶりをかける。
    そういうやり口があります。
    動じないようにしましょう。


    英語が苦手な生徒の誤答というのは、そんなふうにつじつまのあうものではありません。
    もっと、こちらの意表をつくものであることが多いです。
    例えば、何年か前の、高校生の定期テストでの、英訳問題。
    「昨日起きた事故はひどかった」を英語に直せという問題に対する誤答。

    It is suffered from accident yesterday.

    ・・・何だ、これ?

    唐突に suffer from という熟語が使われているのは、これがそのときのテスト範囲の熟語だったからでした。
    でも、正しい意味を覚えていないので、関係ない問題で使ってしまったようです。
    suffer from を「ひどい」と覚えていたのかもしれません。

    なぜ、そんな誤解をしたのか?
    問いかけても、誤答に関しては沈黙し、その話が終わるのをひたすら待つのが、勉強が苦手な子がとりがちな行動です。
    自分の間違いを直視できないのかもしれませんし、自分でも何でそうなったのかわからないのかもしれません。
    だから、なぜそうした誤解が生じたかについて解決がなく、その後も、suffer from を「ひどい」と覚えたままになってしまいがちです。
    間違えた際に、正しい知識に入れ替えるという作業が頭の中で行われず、「間違えた」という嫌な記憶を消去する力が働きます。
    間違いの多い子ほど、自分がどの問題をどのように間違えたかを覚えていません。
    だから、何度でも、同じ誤答を同じように繰り返します。
    訂正しても、訂正しても、なかなか治りません。

    なぜ、suffer from を「ひどい」と覚えてしまったのでしょう?
    suffer from は、「~に苦しむ」「~をわずらう」という意味です。
    その子のテスト範囲の熟語例文を見て、私は「ああ・・・」と声をあげました。

    I suffer from hay fever.
    私は花粉症です。

    「私は花粉症」→「私は花粉症がひどい」→suffer from は「ひどい」、という連想が頭の中で行われたのでしょうか。
    その語句が動詞なのか形容詞なのかには、全く興味がない。
    英語が苦手な子は、品詞を無視する。
    本当に、それはその通りなのです。
    品詞を意識しなければ、その英単語を置く適切な位置がわからないのに。

    学校の英語の先生は、こういう英作文の答案には、時制ミスや冠詞・前置詞の有無などについて、赤ペンで書きこんでくれるのが普通です。
    過去の文なのに is を使っているとか、accident という可算名詞の単数形をむきだしで使っている件など、赤ペンで指摘されてもおかしくない。
    しかし、この答案に関しては、もう何の書き込みもなく、ただバツがつけられていました。
    学校の先生も、この答案に対しては「何だこれ?」以外の感想のもちようがなかったのか・・・。

    なぜこの文を、It is から書き始めたのかも、よくわからない・・・。
    現実の誤答は、このくらい型破りなものです。
    「英語蛮族」と命名したいほどの破壊力です。
    こういうのを見慣れているので、He seems happily. のような、律儀でお上品なミスに、私はリアリティを感じません。
    たとえこんなミスをする子が現実にいたとしても、そんなのは一度の解説で治せますよ。

    英語蛮族。
    それでも、空欄にしなかったのは、前向きなのです。
    英訳問題でも、テーマ英作文問題でも、一番困るのは、白紙の子です。
    何か書いてきてねと言っても、毎回白紙。
    正答を教わって赤ペンで書きこめば、勉強した気持ちになって、満足。
    これでは、進歩しようがありません。

    だから、どんなミスをしていても、何か書こうとしている限り、何とかなります。
    諦めない限り、きっと何とかなります。
    品詞を意識すること。
    文法をしっかり学ぶこと。
    それを言い続けて、少しずつ少しずつ改善を促した結果、その子は、英検2級に合格し、志望していた大学にも合格しました。
    諦めない限り、何とかなるのです。

    ちなみに、「昨日起きた事故はひどかった」の英訳の解答例は、

    The accident which happened yesterday was terrible.

    です。

      


  • Posted by セギ at 12:14Comments(0)英語

    2022年03月16日

    高校英語。部分否定。


    さて、今回は英語。部分否定です。
    部分的に否定する。
    つまり、「すべてが~なわけではない」「いつも~なわけではない」という言い方です。
    世の中のことの多くは、「すべてかゼロか」なわけではないので、この言い方は使い道が多いです。

    まずは例文を見てみましょう。
    You can tell a child what to do, but he or she doesn't always obey.
    子どもに何をしたらよいかを教えることはできるが、その子が必ずしも従うとは限らない。

    ・・・身につまされる例文です。
    この文の but 以降が、部分否定です。
    常に完全に従う。
    常に従わない。
    そのどちらでもないのです。
    従う場合もあれば、従わない場合もあります。

    部分否定の文は、作り方のルールさえ理解すれば簡単なのですが、苦手に感じる人が多いです。
    「部分否定」という文法用語を学ぶのは高校生になってからですが、中学の頃から、こうした文は出てきています。

    I like English very much.
    私は英語が大好きです。

    これの否定文は?

    I don't like English very much.

    この文を、「私は英語がとても嫌いです」という意味で使ってしまう中学生がいます。
    しかし、これは、そういう意味ではありません。
    「私は英語があまり好きではありません」
    という意味になります。
    大好きというわけではなく、大嫌いというわけでもない。
    好きという気持ちを部分的に否定しています。
    どうしてそうなるのか?
    very much という、強める言葉を用いて否定文にしているため、「大好きというわけではない」ということになるからです。

    このように、意味の強い言葉や、完全性、全体性を示す言葉を否定文で用いると部分否定になります。

    具体的には、上の very の他、all , both , always , necessarily , totally , completely , quite などを用いた否定文が部分否定です。

    Not all of the members attended the meeting.
    メンバー全員がその会議に出席したわけではなかった。

    I haven't read both articles.
    私はその記事を両方とも読んだわけではない。

    He is not always agree with me.
    彼はいつも私に同意するとは限らない。

    このように使用します。
    ほとんどの場合は、いつもの位置に単語を置いて、それを否定文にすればよいだけですが、 all の場合だけは、not all の配置になります。

    All of the members didn't attend the meeting.
    としたとき、完全否定である「メンバー全員がその会議に出席しなかった」という意味にとられる可能性があり、紛らわしいからです。


    と、ここまで説明して。
    以上のことは、わかる人には何でもないことなのですが、英語が苦手な子、勉強が苦手な子は、ここらへんになると定着は難しく、英語学習のいばらの道が続きます。

    部分否定の理屈がわからないのか?
    いや、それは、説明を聞けばわかるのです。
    でも、実際には使えない。
    なぜかというと、単語の意味を覚えていないことが1つの原因となっています。
    always はどういう意味なのかを確認すると、「ときどき」と答えたりします。
    always は、「いつも」です。
    全体性を表していることを覚えていないと、その否定文が部分否定になる理屈がそもそもわからない・・・。
    necessarily , totally , completely なども、見たことはあるような気がするが、正確な意味を知らない。
    quite も、どういう意味なのかわからない。
    「静か」と誤答してしまう子も多いです。
    それは、quiet 。
    しかも「静か」ではなく、「静かな」「静かだ」と語尾まで覚えるよう助言するのですが、そういうのもなかなか治りません。
    その単語が名詞なのか形容詞なのか、その覚え方ではわからなくなるのに。

    細かいところを正確に覚えていないので、なかなか英語が得意になりません。

    最大の原因は、覚えようと思うけれど、覚えられないこと。
    単語も熟語も、細かい知識も、覚えたくないわけではないけれど、覚えられない・・・。


    話は変わりますが、ここ2年ほどなかった、「タレントが大学受験をしてみる」テレビ企画が、今年、始まりました。
    志望校が早稲田大学教育学部というのが、できそうで無理そうな微妙なラインで、視聴者の興味をひく仕掛けになっています。
    しかも、それは今のところの第一志望で、徐々に志望を下げても良いらしいです。
    タレントの「東大受験」は、もう視聴者が飽きたのかもしれません。
    無理なのはわかっていますし。

    いつも見ている番組ではないのですが、ちょうど帰宅してテレビをつけるとやっていることがあります。
    曜日も番組名も覚えていないのですが。
    その中で、英語担当の講師が言っていたことは、私も心より同意しました。
    大学受験に必要とされる英単語。
    それを覚えれば、受験生の上位10%に入れる。
    でも、現実にはなかなか覚えられない・・・。
    だから、上位10%に入れない。

    その続きとして話された、「英単語の覚え方」。
    語源的な覚え方が紹介されていました。
    しかし、あのやり方は、万能ではありません。
    覚えることが苦手な子は、まず語源的な最小単位を覚えられないのです。
    番組でやっていたのは、uni がつく語はどういう意味になるか、でした。
    そういうことを、覚えられない子も、多いです。
    そもそも、そういうことにそれほど興味を示しません。
    現実の高校生は、そういうことを「えー。面白い。わかりやすい」とは言わないのです。
    「面白い」の基準が違うのだと思います。
    知的な面白さにあまり興味がないのかもしれません。
    そういうことに興味を示す子は、それこそ上位10%の子たちです。

    あれは、東大受験のドラマでも扱われていて、面白いな、そういう覚え方を学生の頃に教えてほしかったなと思った方もいらっしゃると思います。
    ドラマを見た方、今、uni の意味を覚えていますか?
    記憶力の良い方は覚えているでしょう。
    でも、
    「あれ?何だったかな?あのときは面白いと思ったんだけど」
    という方も多いのではないかと思います。
    記憶というのは、反復しないとすぐに消えていくのです。
    興味深いことであっても。

    どんな覚え方でも、英語を覚えるのは大変です。
    それでも、覚えてしまえば、英語の成績は上がります。
    でも、覚えられないから、英語の成績が上がらない。
    この当たり前の真理に、どうくさびを打ち込むか。

    単語を覚えるためのトレーニングスケジュールを塾で組むことがあります。
    それほどの苦しさは要求していません。
    毎日1時間、CDを聴きながら、テスト形式でトレーニングするだけです。
    しかし、本人にとっては、それがとても苦しいのかもしれません。
    地道に続けていける子なら、3か月で、大学受験に必要な単語力がつきます。
    それだけのことが、しかし、実行できない。
    毎日1時間を3か月。
    それに、耐えられないのです。
    言われた通りのやり方をせず、勝手にアレンジして、効果のある方法を骨抜きにしてしまう子は多いです。
    別に毎日やらなくても良くない?
    そんなことしている時間はないし。
    そのように考え、効果のあるやり方を無効にしているのは本人なのに、「やっぱり効果がない」と不満を抱くようになります。
    不満というよりも、それをやらない言い訳にしてしまうのかもしれません。
    どこかに、もっと簡単に英語が身につく魔法の方法があると思っているのならば、特に。
    この先生は、それを知らないから、こんな地道なことを要求してくるんだと思っていたら、努力はできないのでしょう。
    まさに、
    You can tell a child what to do, but he or she doesn't always obey.
    なのです。

    朝ドラでヒロインひなたは、「手っ取り早く英語を話せるようになりたい」と、駅前留学し、書店で英語の本を買い込み、聞き流し教材に手を出そうとして貯金が尽きてしまっていました。
    母親るいがラジオ英会話で英語を習得している、良い見本が身近にあっても、なお。

    今、甘い誘惑はさらに多種多様です。
    ゲームをするだけで、英語が身につく。
    LINE で会話するだけで英語が身につく。
    AIが分析してくれて、弱点を補強してくれるから、簡単に成績が上がる。
    神授業動画を見るだけで、するすると英語がわかるようになる。
    英文法なんかわからなくても、この本を読めば英語はできるようなる。
    この単語集なら、誰でも単語を覚えられる。

    現代の視点からなら、駅前留学も聴き流し教材も効果はないとわかっているのですが、それがわかっている人でも、新しい英語学習法の宣伝を見ると、これなら効果があるのではないかと思ってしまう。
    だって最新の学習方法だから。
    AIを使っているそうだから、と。

    金儲けしたい人たちの宣伝文句が自分に都合のいいものであるときは、それを利用するわけではなくても、その宣伝文句だけは自分の内側に取り込んでしまい、地道な努力ができず、大学受験までの期間を空費していく子は多いです。
    どんなやり方でも、一定期間努力しなければ英語は身につきません。
    でも、そのことをどうしても受け入れられない。
    だから、上位10%には、入れない。

    才能の差はあまり感じません。
    ただ、性格の違いは、あるのかもしれません。

    いよいよ今年から、高校も新学習指導要領に入ります。
    ひと足早く新学習指導要領で授業が行われている公立中学のテスト結果を見る限り、「ゆとり教育」の再来と思われる事態が起こり始めているように思います。
    どんな問題が出るかを前もって教えるなどして、平易な定期テストが行われた場合、テスト結果は、80点台か90点台に大きな山があるヒストグラムになっています。
    しかし、今まで通りの難度のテストを行っている科目では、「ふたこぶラクダ」の兆候が表れています。
    どちらも、ゆとり教育の時代によく見たテスト結果です。
    アクティブラーニングは、優秀な子はさらに主体的で深い学びができる一方、その他の子は、授業で何をやっているのかよくわからない事態に陥りやすいのです。

    勉強がわからない。
    では、どうするか?
    ここで、楽なほうに流れる子が、さらに増えていくのかもしれません。
    楽で、新しそうな方向に。
    それでも、しばらくは様子を見守るしかないのでしょうか。

      


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