たまりば

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お知らせ

2018年04月19日

セギ英数教室、生徒を募集しています。



現在の成績は、問いません。
未来の秀才を求めています。
小さな個別指導塾ですが、1人1人の成績を確実に上げることを目標に、実績を上げています。
担当は、受験指導30年のベテラン。
「上手な授業」を行う
パフォーマーよりも、受け持った生徒の成績を本当に上げることが目的の「学習トレーナー」でありたいと常に思っています。
必要な時期に必要な学習内容を提示します。

◎時間   1回の授業は90分です。
2018年4月現在、募集しておりますのは、以下の7コマです。
月曜日 16:40~18:10
火曜日 20:00~21:30
水曜日 16:40~18:10
木曜日 16:40~18:10
金曜日 16:40~18:10
土曜日 15:00~16:30
土曜日 16:40~18:10

◎形態   1対1の完全個別指導です。
 
◎指導科目 
 小学生  中高一貫校受験 算数・国語
       私立受験算数
       一般算数
        小学英語
 中学生  中高一貫校 数学
       中高一貫校 英語
       高校受験 数学
       高校受験 英語
 高校生  大学受験 数学
       大学受験 英語
       内部進学向けの数学・英語も承っております。
       英検など各種英語検定対策も承ります。

◎費用 
 週1回 受講で、月額20,000円
 週2回 受講で、月額36,000円
 (内訳 90分1コマ4,000円、諸経費・教材費月額4,000円)
  他に入会金を10,000円いただきます。

◎入会までの流れ
 まず、無料体験授業を受けてください。
 左の「お問い合わせ」ボタンからご連絡ください。
 以下の内容をご記入いただけますと、以後のやりとりがスムーズです。
①お子様の学校名
②学年
③性別
④ご希望の通塾曜日・時間帯
⑤ご希望の体験授業日時
⑥希望科目
⑦体験授業の希望内容
(例 「1次関数」 など)
◎場所   三鷹市下連雀3-33-13
        三鷹第二ビル305
       三鷹駅南口から徒歩5分。
       春の湯の斜め前のビルです。



  


  • Posted by セギ at 12:34Comments(0)コース案内

    2018年04月18日

    自宅では勉強しない主義?


    数年前、高校3年生の女子生徒が、とにかく授業を増やしたい、空いているコマに全部入りたいと言い出したことがありました。
    そのとき、コマは全て埋まっていましたので、そもそも無理な話ではあったのですが、違和感もあり、よくよく話を聞いてみると、『ビリギャル』に影響を受けてのこととわかり、さらに複雑な気持ちになってしまいました。

    学年ビリのビリギャルが、偏差値30上昇して有名大学に合格した話。
    そういえばそんなのがあったなあ、と思い出される方も多いと思います。
    の舞台となった塾は、講師を何人も抱えている個別指導塾のようです。
    システムの詳細はわかりませんが、自習ブースが沢山あり、そこで勉強して疑問点があると講師に質問したり、自習の前後に、あるいは途中に講師と学習内容を打ち合わせたり確認したりする様子です。
    つきっきりの完全1対1の個別指導ではないようでした。
    その自習が「授業」ということで、1コマあたりの授業料が設定されているのですが、年間200万円払うと通い放題なんだとか。
    彼女は、その「通い放題」に憧れたようなのです。

    「また、ビリギャルですか」
    ため息をついた私に、彼女は言いました。
    「ビリギャルはお母さんが200万円出してくれたんだよ。いいなあ。うちなんか・・・」
    「あの本を読んだ最終的な感想が、それですか?」
    「別に、それだけじゃないけどさ・・・。家だと勉強できないんだよ」

    ビルギャルの本に影響を受けて、自分も頑張ればできるようになると思ってくれるのは良い影響です。
    しかし、200万円で塾に通い放題なら自分も勉強ができるようになると思うようでは、がっかりしてしまいます。
    200万円出してくれたお母さんは、良いお母さん。
    あれは、そういう話なんでしょうか?

    その子は、私の提示する英単語暗記1週間分を塾に来る30分前に慌ててやっていました。
    当然、ほとんど暗記できず、
    「無理だ」
    を連発していました。
    家で勉強できないなら、確かにそういう結果になるのです。
    しかし、なぜ家で勉強できないのでしょう?


    今年、高校3年生の女子生徒が、コマを20:00からのに変更したい、空いていないかと問いあわせてきました。
    20:00からのコマは、部活のある中高生に人気の時間帯で、そのコマからほぼ埋まっていきますから、そのときは空いていませんでした。
    それにしても、高校3年生ならもう部活もないので、むしろ夕方明るいうちのコマに変更しても良いと思うし、今までの高校3年生はその方向で時間帯を変更することが多かったのです。
    なぜ夜遅くのコマに変更したいのかと問うと、学校が8時まで自習可能なので、できるだけ学校に残って自習し、その後で塾のほうが都合が良いというのでした。

    学校が夜8時まで自習可能・・・・。
    生徒がそんな時間まで学校に残っているということは、学校の先生たちもそんな時間まで残っているということ。
    学校の先生たちの労働条件はどうなっているのだろうと心配になってしまうのですが、それはともかく、ここでも、自分の家で勉強できず外で勉強する今の高校生の一端が見えたような気がしました。
    そういえば、「自分の部屋では勉強するな」とアドバイスをしている受験マンガもあります。

    図書館などに行って勉強する習慣というのは、私が高校生の頃からありましたから、そのこと自体は特別新しいことではありません。
    私も気分を変えて図書館に行くことはありましたが、そうやって外で勉強するのはイベント感が強く、たまにやることで、普段は自分の部屋で勉強していました。
    中学生くらいまではリビングで勉強したりもしましたが、高校生になると、自室で集中したい。
    正直、私は自分の部屋で勉強するのが一番集中できます。
    外で勉強するのは、どうしても時間が限定されますし。
    自分の部屋で集中できるなら、時間は無尽蔵です。
    受験のために毎日5時間勉強するのだとしたら、学校の図書室や自習室で2時間プラス自分の部屋で3時間くらいが良いバランスと感じます。
    自分の部屋では勉強できないとなると、学習時間の総量がどうしても減ってしまう懸念があります。
    外だけで毎日5時間は確保しづらいです。
    それに、自分の部屋はいろいろと便利です。
    わからない問題があったとき、これはあの参考書に類題が載っていた気がすると、すぐに手を伸ばして調べられます。
    自分の部屋以外で勉強するときは、手元には持ち運べる分の勉強道具しかありません。
    重い辞書の変わりに電子辞書を使うようになったりと、勉強道具はかなり軽量化されたけれど、良い参考書は今も重いし、使う参考書は1冊ではありません。
    自室は誘惑が多いとはいうけれど、誘惑にそんなに毎度毎度負けないでしょう?
    目標があるとき、人間は、そんなに負けないです。

    とはいえ、そういう精神論で済む話でもないのでしょう。
    どうも、近年の高校生は自室では勉強に集中できないらしいのです。
    どういうことだろう?

    それで思い出したことがあります。
    数年前、高校生の男子生徒に授業をしていたときのこと。
    定期テスト直前の授業だったのですが、英語のテスト範囲をその子は把握していませんでした。
    人なつっこい性格で、学校でも人気のある子だろうと想像されましたし、数学は抜群にできたのですが、そういう雑なところもある子でした。
    テスト範囲がわからない?
    どうするの?
    と問いかけると、その子は、ちょっと待ってと言って、メールを打ち始めました。
    そして数分後、テスト範囲の詳細を記した返信が届いたのです。
    ともかくテスト範囲がわかったので、その範囲の勉強を始めました。
    「コミュニケーション英語」の本文の和訳で、学校の先生はここをどう訳していたの?と私が問いかけると。
    その子はまたメールを送り、数分して、該当部分の授業ノートを撮影した画像が届きました。
    女の子のきれいな文字で記されたノートでした。
    こうしたことが日常で行われているのだとしたら、これは・・・。

    テスト前ですから、その女の子も勉強していたでしょう。
    それでも、その男子生徒からのメールに最優先で応じていました。
    その時間、彼女は自分の勉強を放棄しています。
    これは、ちょっと問題だぞ・・・。
    そういうことはやめなさいと注意し、以後、私の前でそれをすることはなかったのですが、何が問題であるのか、その男子は問題の根本を理解したかどうか・・・。
    「えー?邪魔なら、無視すればいいじゃん」
    要求するほうは、その程度の気軽さなのです。

    そのことと考えあわせると、例の「200万円通い放題」をうらやましがる女の子から、そういえば以前こんな話を聞いたことがあったのも思い出しました。
    毎朝、Twitterで「おはよう」とフォロワー全員に挨拶するのに20分かかるというのです。
    Twitterって、朝の挨拶が必要なツールでしたっけ?
    インターネットの利用の仕方は、世代によって全く異なります。
    身近な友人や知り合いよりも、顔も名前も知らないネット上のつながりのほうが優しくて切実で他に変え難いところもあると、わからないわけでもないのです。
    でも、それは幻想でもあります。
    青い鳥の寓話を待つまでもなく、幸せは身近なところにあるよ。
    本当にあなたを心配している人は、あなたの近くにいるよ。
    そのことも含めて、ネットにのめり込む子は心配になります。
    しかも、その子がやっているのはTwitterだけではありませんでした。
    LineはLineで、現実の顔見知りと、もっと頻繁な、ほぼ1日中のコミュニケーションが必要とのこと。
    つまり、1日中、スマホに触わっているのが日常なのでした。
    塾での授業中も、机の上にスマホを置き、返信まではしないものの、誰かから連絡が入る度に確認することはやめられない様子でした。

    本人にも自覚はあり、勉強に集中するためにTwitterはやめるLineをやめるとアカウントを消すのですが、ひと月も経つと復活しているのでした。
    一種の依存症だったのかもしれません。
    スマホの習慣性の怖さ、それで失われる時間の長さについては近年よく言われるようになりましたが、他人事でなく、ごく身近に迫っている課題となっています。
    顔も名前も知らないTwitterのフォロワーに朝の挨拶をするのに毎日失われる20分。
    それは、本当に必要な人間関係なのだろうか・・・・。
    それが必要な人もいると思います。
    世界とのつながりがそれしかない人もいるでしょう。
    それが命綱の人もいると思います。
    大切な人間関係かもしれません。
    しかし、彼女は果たしてそうなのだろうか・・・。

    スマホのことをあわせて考えてみると、高校生が自分の部屋で集中して勉強できないのは、つい勉強以外のことをしてしまうというだけのことではなさそうです。
    何より、スマホが集中の妨げになっているのかもしれません。

    勉強を始める。
    数分で友達からLineに連絡が入る。
    スマホを手に持つ。
    友達に返信する。
    それだけでは済まず、つい、Twitterやインスタグラムなどひと通り見て回る。
    勉強しなくちゃと思い、再び勉強をする。
    友達からLineに連絡が入る。
    その返信をする。
    つい、Twitterやインスタグラムをひと通り見て回る。
    あまり時間が経っていないので大きな変化はない。
    物足りないので、ついでに動画を見てしまったり、ゲームをしたり。
    ひと通りやって、勉強しなくちゃと思い、再び勉強をする。
    友達からLineに連絡が入る・・・。
    この無限ループにはまって、自分の部屋では勉強できなくなっている高校生はいないでしょうか?
    いや、これは大人もそうかも・・・。

    学校の自習室や塾の最大の利点は、そこがスマホ禁止だからでしょうか。
    スマホの電源を切り連絡を絶つ大義名分があるから。
    人間関係を壊さずにスマホから離れることが可能です。
    実際、テスト前の貴重な時間に、テスト範囲がどうのノートがどうのと問い合わせを受け続けて自分の勉強ができない、お人好しで真面目な女の子は、スマホから避難せざるを得ない状況があると思います。
    問い合わせではなくても「勉強してる?」といったどうでもいいLineの会話にもつきあわなければならないでしょう。
    勉強しているのにいちいち集中を削がれる。
    これはかなり問題です。

    賢い子は、そのあたりも上手にさばいているかもしれません。
    でも、上手くさばけない子も、いるでしょう。

    それを早めに察した保護者の方は、高校生にもスマホは与えず、インターネットに接続できない設定にしたガラケーしか持たせない場合も目にするようになりました。
    インターネットは、タブレットやパソコンを親の管理下で使用。
    自室には持ち込ませない。

    親の独断でそれを行うと反発される場合も多いでしょうが、お人好しの高校生で、友達に何かと重宝され、見方によれば善意を「搾取」されている子は、もしかしたら、自分からは言い出せないだけで、スマホを手放すことを望んでいるかもしれません。
    「親に取り上げられた」
    と友達に言い訳できるのなら、むしろそのほうがいい。
    そのほうが自宅での自分の時間を有効に使えます。

    一方、人間関係はそれで大丈夫なのか、不安もあります。
    1日中Lineでつながっているというのは、凄まじい相互依存です。
    それは、相手への依存なのかスマホへの依存なのか、既に判然としませんが、一方的に断ち切った場合、その後の人間関係に影響しないわけがありません。
    高校3年生になって、既にこの人間関係はあと1年。
    お互い、自分の進路のことで頭がいっぱいで、つまらないゴタゴタには関心が薄くなっている。
    人間関係が切れたら切れたで、それまでのこと。
    そう思いきれる時期でないと難しい決断かもしれません。

    スマホを長時間使用する子の成績は全体に低く、スマホの使用をやめればそうした子の成績は上がっていくという調査結果も出ています。
    スマホのせいで睡眠不足になるといった要因よりも、学習時間の質がスマホのせいで悪化しているのが何より大きいというのです。
    スマホがある限り集中して勉強できないのですから、それも自然なこと。
    塾などのために夜は音信不通になるのが常態の子のほうが、依存症になりにくいと言えるかもしれません。

    とはいえ、便利なはずなのに、生きにくい時代になったものです・・・。

      


  • Posted by セギ at 14:36Comments(0)講師日記

    2018年04月15日

    4月28日(土)、大人のための数学教室を開きます。


    4月14日(土)、大人のための数学教室を開きました。
    今回は、「高次方程式の解法」です。

    問題 x3+3x2-4=0 を解け。

    2次方程式は、(x-△)(x-☐)=0 の形にくくると解けるのでした。
    (  )(  )でくくる、すなわち因数分解すれば良いのです。
    高次方程式もその仕組みは同じです。
    どうすれば、そのように因数分解できるのか?
    上の問題は、共通因数でくくれるわけでも、公式を利用できるわけでもなさそうです。
    そんなとき、使うのが因数定理です。
    f(a)=0 となるaを見つけたら、
    f(x)=(x-a)(   )
    という形に因数分解できるのでした。

    そのようになるaを探しましょう。
    それは、暗算でも、ちょっとメモを取りながらでも構いません。
    上の問題では、a=1 だとすぐ気づきますね。
    x=1 を代入すると、
    1+3-4=0 です。
    (x-1) という因数を持つことがわかりましたが、もう一方の( )には何が入るでしょうか。
    それは、x3+3x2-4 をx-1 で割った商が入ります。
    実際にわり算の筆算をしても良いのですが、手間がかかります。
    ここで役立つのが組立除法です。
    やってみましょう。

    1 3 0 -4   | 1
      1 4  4
    1 4 4  0

    よって、商は x2+4x+4 です。

    これで因数分解できました。
    x3+3x2-4=0
    (x-1)(x2+4x+4)=0

    後半の( )は、公式を利用して、さらに因数分解できます。
    (x-1)(x+2)2=0
    よって、x=1、-2  です。

    問題 x4-5x3+10x2-16=0 を解け。

    xに代入してこの式の値が0になる数を探します。
    x=1 のとき、1-5+10-16 は0ではないからダメですね。
    x=-1 のとき、1+5+10-16=0
    あ、これだ。ヽ(^。^)ノ
    組立除法をしましょう。

    1-5 10   0  -16  | -1
     -1  6 -16   16
    1-6 16 -16    0

    よって、
    (x+1)(x3-6x2+16x-16)=0
    次に、後半の( )をさらに因数分解しましょう。
    xに代入して0になる値を探します。
    1も-1もダメですね。
    ではx=2 は?
    8-24+32-16=0
    おおっ。これだ。ヽ(^。^)ノ

    1 -6  16  -16  | 2
       2  -8   16
    1 -4   8    0

    よって、
    (x+1)(x-2)(x2-4x+8)=0

    最後の( )はもう実数では因数分解できないですね。
    では、2次方程式の解の公式で解きましょう。
    xの1次の係数が-4と偶数なので、2本目のほうの公式が使えます。
    x2-4x+8=0
           x=2±√4-8
           x=2±√4 i
           x=2±2 i
    よって、この方程式の解は、
    x=-1、2、2±2 i  です。

    問題 2x3-7x2+2=0
    さて、この方程式でxに代入して0になる値は?
    1も-1もダメ。
    2も-2もダメ。
    えー?何か計算ミスしたかなあ?とやり直すけれど、やはりダメ。
    それで諦めてしまう高校生が多い問題です。
    0になる値の見つけ方は、±(定数項)/(最高次の項の係数) でした。
    つまり、探すのは整数だけではなく、分数もあり得るのです。
    x=-1/2 を代入してみましょう。
    2/8-7/4+2
    =1/4-7/4+8/4
    =0
    わあ、0になった。ヽ(^。^)ノ

    では、組立除法を。

    2 -7  0   2  | -1/2
      -1  4  -2
    2 -8  4   0

    よって、
    2x3-7x2+2=0
    (x+1/2)(2x2-8x+4)=0
    後半の( )を2で割り、前半の( )に2をかけることで整えます。
    (2x+1)(x2-4x+2)=0

    このように因数分解した結果を見ると、なぜ、±(定数項)/(最高次の項の係数)なのか、漠然と感じとれるのではないかと思います。
    最高次の係数の2が大きく影響するのがわかりますね。
    因数分解したときに、どこかの( )は、(2x+△)という形になるでしょう。
    そのときのxの解は分母が2の分数の可能性が高いでしょう。

    さて、後半の( )は、解の公式で解きましょう。
    x2-4x+2=0
           x=2±√4-2
           x=2±√2
    よって、この方程式の解は、 
    x=-1/2, 2±√2 です。


    問題 (x+1)(x+2)(x+3)=5・6・7 を解け。

    この問題、左辺の( )は1ずつ増えているし、右辺の整数も1ずつ増えています。
    あ、これはx=4 が解だなと気づきます。
    x+1が5にあたり、x+2が6にあたり、x+3が7にあたるのですね。

    だからといって、それだけ解答欄に書いておしまい、として良いのでしょうか?
    これは3次方程式です。
    3次方程式は、重解の場合もありますが、基本的には解は3つあります。
    残る2つの解を求めずに終わるわけにはいきません。

    これは、やはり、展開して整理しましょう。
    (x2+3x+2)(x+3)=210
    x3+3x2+3x2+9x+2x+6=210
    x3+6x2+11x-204=0

    さて、これが0になるxの値を見つけないといけないのですが、今回はx=4が解の1つであることは既に見つけてありますので、随分楽です。
    いきなり組立除法できます。

    1  6  11 -204  | 4
       4  40   204
    1 10  51     0

    よって、
    (x-4)(x2+10x+51)=0
    x2+10x+51=0 のとき
            x=-5±√25-51
            x=-5±√26 i
    よって、この方程式の解は、
    x=4, -5±√26 i  となります。


    さて、次回の大人のための数学教室のお知らせです。
    前回もここに書きましたが、欠席の連絡は不要ですので、よろしくお願いいたします。
    出席される場合のみ、ご連絡ください。

    ◎日時  4月28日(土)10:00~11:30
    ◎内容  数Ⅱ「因数定理・高次方程式」を続けます。p.35例題11の解説から。
    ◎場所  セギ英数教室
           三鷹市下連雀3-33-13
             三鷹第二ビル 305
           春の湯さんの斜め前のビルです。
    ◎用具   ノート・筆記用具
    ◎参加費 2,000円
           当日集めさせていただきます。
    ◎予約  私の携帯メールかラインに、ご予約をお願いいたします。





      


  • Posted by セギ at 14:27Comments(0)大人のための講座

    2018年04月13日

    約数の個数に関する問題。



    数A「場合の数」の問題の1パターンとして、約数の個数に関する問題があります。
    これは、数A「整数の性質」でも、再度出てくる問題なので、どちらかで1回学習するという学校も多いと思います。
    例えば、こんな問題です。

    例題
    400の正の約数の個数を求めなさい。

    約数というのは、その整数を割り切ることのできる整数のことです。
    この問題は、「倍数・約数」の学習を終えれば小学生でも解けます。
    400でしたら、全部書いていってもそんなに手間のかかることではありません。

    約数の勉強を初めて行う小学生がよくやってしまうのが、小さい約数から順に書いていって、だんだんわからなくなって大きい約数を書きもらしてしまうこと。
    大きいほうの約数は、とびとびに出てくるので、考えていくのがだんだん面倒になって、もれてしまうのです。

    でも、これには解決策があります。
    400÷2=200
    のように「2」という約数
    を見つけたら、商である200も、400の約数です。
    だから、割る数と商とをセットで見つけていきます。
    すなわち、
    1と400
    2と200
    4と100
    5と80
    8と50
    10と40
    16と25
    20と20  あ、ここでつながった。
    だから、正の約数は、全部で15個です。
    こうすれば、書きもらしがありません。

    中学生や高校生に向けて言うのならば、400÷2=200 の2も200も400の因数です。
    400=2×200 と書いたほうがわかりやすいでしょうか。
    積の形で表される2も200も、400の約数です。
    しかし、この説明を当たり前のことと受け止める子もいれば、わり算がかけ算に書き換えられたことに驚いて、何がどうなったのかわからず混乱する子もいます。
    その子にとっては、わり算とかけ算は全く無関係のもので、頭の中でつながっていないようなのです。

    わり算とかけ算とは表裏一体のもの。
    こうしたことは、小学校の算数のどこかの単元でしっかり学習するというよりも、計算をしている間に本人が気づいているはずの概念なのですが、わり算とかけ算との関係について全く気付かず、中学生になり高校生になってしまう子も存在します。
    計算をしている間に、そうしたことに頭をめぐらせるということが一切なかったのかもしれません。
    計算しろと言われたら、ただ機械的にその作業をするのみで、その作業を通じて何かを考えることがないのでしょう。
    思考力の欠如とは、そういうことなのかもしれません。
    しかし、逆に、気づかない子にとっては「何でそんなことに気がつくと?」ということなのかもしれません。

    こうした数学的な規範は、誰に教わったということもなく、漠然と理解していることが多いです。
    十進法の仕組みなどもそうですね。
    十進法は、説明しようとすると、言葉遣いも難しくなる複雑な概念です。
    2進法や3進法が上手く理解できない子は、十進法を本質的には理解できていない可能性があります。
    一方、小学生でも理解している子は理解していて、だから小学生でも2進法や3進法の問題を解くことはできます。
    他にも、例えば、たし算とひき算との関係。
    かけ算とわり算との関係。
    たし算とかけ算との関係。

    こうしたことに気づかないまま中学生・高校生になると、数学でやっていいことと悪いことの判断が自力ではできず、思考の幅が狭くなるのかもしれません。
    方程式の計算を学ぶときも、なぜそれで計算できるのかを上手く理解できないまま、ただやり方だけ覚えて使うようになります。
    本来、自然に気づくはずのこと。
    自力で考えをめぐらせるはずのこと。
    それに気づかない子に「考えろっ」と命じて考えるようになるとは思えません。
    思考力を育てるというのは並大抵のことではないと思う日々です。


    話を400の約数に戻して。
    約数を全部書きだす問題ならば、小さいもの順になるように、両端からそれぞれのセットを書いていきます。
    書いていく段階では、約数の個数が何個あるのかわかりません。
    だから、解答欄の思い切り両端から書いていき、結局、真ん中に空白が出来たりします。
    それは仕方ないですよね。
    正解するためには、こうしたほうが、小さいものから順番に見つけていくよりも速く正確ですから。

    でも、小学生の中には、そういうことが気になって不機嫌になる子もいます。
    「あーあ、こんなに空いた!」
    と腹を立てて、ぐしゃぐしゃと消して、また1から書き直したりします。
    そして、結局、書きもらしてしまいます。
    ( ;∀;)

    重要なことは何であるか。
    優先事項は何か。
    そういう判断が少しズレてしまう子はそうなってしまいます。

    答案に隙間が出来るのがどうしても嫌なら、まずメモをとって、それを解答欄に書き写せば良いのですが、それはそれで面倒だから嫌だと拒絶します。
    結果、約数を全て書きだしていく基本問題ですら正答できるかどうかわからない、薄氷を踏むようなことになる子がいます。

    きれいな答案を書くことが最優先な子は、もう仕方ないので、小さい順に約数を書いていきましょう。
    しかし、いつでも商を意識して、
    400÷20=20
    と、約数と商が一致、あるいはその間に他の約数はないと確認したら、その先は、これまで出た約数で割った商を順番に書いていくように指導します。
    すなわち、
    1,2,4,5,8,10,16,20まで来たら、
    次は、16で割った商の25。
    次は、10で割った商の40。
    次は、8で割った商の50。
    というふうに逆流するように考えて書いていけば、もれなく書いていけるでしょう。
    同じ計算を2回することにはなりますが、折衷案として有効です。

    とはいえ、どんなやり方でも、400の約数16は、書きもらしやすいものです。
    25のほうが思いつきやすいので、16をとばしてしまった自分の答案を見直して、
    あれ?25がないのは何でだ?
    あ、400÷25=16かー。
    16があったー。
    と気がついて修正できれば上出来です。

    このように、人間のやることにはどうしてもミスがつきまといます。
    高校数学の「場合の数」は、「全て書きだしていく」のは万策尽きたときに行うことで、計算できるものなら計算で求めたいです。
    では、約数の個数は、どうやったら計算で求められるのか。
    それが高校数Aで学習する「約数の個数の求め方」です。

    400=1・400
    400=2・200
    と、かけ算の形にしてみると、約数というのはその数の因数なのだと気づきます。
    ならば、素因数分解をしてみれば、何かわかるのではないか?
    というわけで、400を素因数分解してみると、
    400=24・52
    (全角の数字の後ろに書いた半角の数字は指数です)

    これらの素因数を使ったり使わなかったりする組み合わせで、全ての約数は表されるのではないか?
    2や5を1回も使わない場合、それは「1」とします。
    実は、2の0乗や5の0乗が1なのですが、それは、数Ⅱ「指数関数」の学習をする際に、また詳しく勉強します。
    2や5を1回も使わない場合が、20・50=1×1=1。
    2を1回、5は0回使うのなら、2・50=2×1=2
    2を2回、5は0回使うのなら、22・50=4×1=4
    このようにして、縦に5を使用する回数、横に2を使用する回数を書いた表を作り、その縦横の積として、400の約数が全て表されます。
    ということは、表のマス目の数だけ約数があるということです。
    縦は、5の0乗、5の1乗、5の2乗の3列。
    横は、2の0乗、2の1乗、2の2乗、2の3乗、2の4乗の5行。
    したがって、3×5=15(個) の約数があることがわかります。
    すなわち、素因数分解したときの各素因数の指数に+1をしたもの同士をかけたら良いのですね。
    5は2乗なので、2+1の3。
    2は4乗なので、4+1の5。
    その3と5をかけます。
    +1をするのは、0乗の分があるからです。
    こうやって計算で求めたら、数えもらしの心配がありません。
    これが約数の個数を計算で求める方法です。
    400の正の約数の個数は、3×5=15で15個です。
    ヽ(^。^)ノ
      


  • Posted by セギ at 12:32Comments(0)算数・数学

    2018年04月11日

    英語教育改革はどこまで有効か。


    中学生の好きな科目第1位は、保健体育。
    嫌いな科目第1位は、英語。
    ある通信教育会社の調査結果だそうです。

    嫌いな科目第1位は、数学ではないのですね。
    数学は、案外固定ファンがいるからかなあ。ヽ(^。^)ノ
    などと吞気なことを言っている場合ではなさそうです。
    英語という科目が、中学生にそんなに嫌われていたとは。

    昨年の都立入試の社会科で、日本・中国・韓国の世界競争力順位、英語力のアジア内順位、海外への留学者数を比較して記述をする問題がありました。
    2005年と2011年のデータを比較すると、
    ◎世界競争力の順位
    日本は19位から26位へ。
    中国は29位から19位へ。
    韓国は27位から22位へ。
    ◎英語力のアジア内順位
    日本は28位から28位へと変わらず。
    中国は15位から14位へ。
    韓国は20位から7位へ。
    ◎海外への留学者数
    日本は64,273人から35,731人へ。
    中国は403,527人から650,632人へ。
    韓国は100,800人から127,832人へ。

    2011年のデータではもう古いのかもしれませんが、最新のデータがそれほど改善されている期待も持てないのが現状でしょうか。
    こうしたことを踏まえ、今、英語教育に大ナタが振るわれようとしています。

    とはいえ、このデータを示されてさえ、
    「国がグローバル人材育成戦略を発表した理由を述べよ」
    という記述問題で、
    「日本人は、中国・韓国人よりも英語能力が高く、国際的に活躍している」
    という記述をしてしまう子もいて、ちょっと待て、英語教育より日本語で書かれたデータを正確に読める教育のほうがまず必要だ、と焦ってしまうのですが。
    このデータのどこをどう読むとそういう記述になるの?( ;∀;)


    ともあれ、なぜ中学生は英語が嫌いなのでしょうか?
    小学生では、「外国語活動」は好きな科目・活動の第3位なのだそうです。
    ちなみに、小学生の好きな科目第1位は体育で、これは小学生も中学生も変わりません。

    理由は想像できます。
    小学生の「外国語活動」は、昨年度までは評価の対象ではありませんでした。
    英語で楽しくゲームをしたり会話をしたり歌ったり踊ったりする授業で、特に評価はされません。
    書いたり覚えたり、それをテストされたりすることはなく、「勉強らしさ」がない。
    だから好きなのでしょう。
    しかし、中学に入り、英語は「主要5科目」に位置付けられ、ペーパーテストがあり、評価されます。
    そうすると途端に英語が嫌いな子が激増する・・・。

    英語が小学校高学年で正式科目となり、評価もされる今後は、小学生も英語が嫌いになるかもしれません。
    とりあえず、単語のスペルや簡単な文を覚えることが課せられ、そのペーパーテストが実施されるようになれば、英語が好きな小学生は今よりも減るだろうと予想されます。


    今回の英語の教育改革の目玉は「読む・聴く・話す・書く」の4技能で英語力を測定するという新しい基準が打ち出されたことです。
    それで大学入試も大きく変わると言われています。
    今までのような英語教育は全否定されている風潮すらあります。

    しかし、蓋を開けてみれば、2023年度まではセンター試験に変わる共通テストは相変わらず必須で、民間試験の活用は英語の得点の1割程度に抑える方向とのこと。
    さらに、東大は民間試験を利用しないことを発表しました。
    「聴く」に関しては、もう既に20年以上前からセンター試験には「リスニング」が課せられていますから、教育システムに組み込まれています。
    「読む」「書く」は筆記試験主体の英語教育にとってはむしろ得意とするところ。
    問題は「話す」技能が今後の入試にどう影響していくのか、です。

    これはさすがにネイティブの講師のいる英会話教室の指導が効果的ではないか?
    そういう大宣伝がなされている現状がありますが、大学入試における民間試験の活用が1割未満で、しかも4技能のうち「話す」はその4分の1ですから、「話す」能力が大学入試で問われる比率は、2.5%未満。
    うん
    結局、英語教育改革は、今の小学生は気にしなければならないけれど、中学生・高校生は、あまりそれに踊らされて先走り、読むことを軽視したりすると、むしろ不利になるかもしれません。

    英語の授業の評価基準に「話すこと」がどの程度影響するのかは、推薦入試を目指している人にとっては大切でしょう。
    話す能力が具体的にどのようにテストされ、それがどの程度のウエイトを占めるか。
    高校英語教科書は、今年度から前倒しで新指導要領を踏まえた内容に修正されています。
    とりあえず、新しい「英語表現」の教科書は、過度に文法を強調することを避けるよう文科省から指導されているため、文法事項がまとめられていず散漫で、ゾッとするほど勉強しにくい構成になっています。
    進学校の英語の先生たちがこの教科書をどう扱うか、注目されます。
    今の大学入試は文法事項の重箱の隅をつつく問題は減りつつあり、実用的な英文や現代の評論を速読する能力を問われるものになっています。
    それにあわせ、高校も読解に必要な英文法を教えるようになってきました。
    日常会話レベルではない内容の英文を読み通すには、文法的把握をするほうが速く楽に読めるからです。
    まして、知らない単語がかなり含まれている英文を読むような場合は。
    高校英語の科目の名称が、今の「コミュニケーション英語」「英語表現」と変わったときも、リスニングと英作文で構成される「英語表現」の教科書を真面目にやっていたのは偏差値のそんなに高くない高校が多く、進学校は「英語表現」という名称の「英文法」の授業を行っていました。
    科目を細分化し、週に1回、「英語表現」の教科書を使ったリスニングと英作文の授業を行い、英文法の授業も独立して行う高校も多かったです。
    読むためにも話すためにも文法は必要だからです。
    入試問題を解くためにも。
    結局、今回も、浮わつかずに文法をしっかり教える高校が進学実績を伸ばすでしょう。
    「話すこと」を学習に加えるのに異論はないのですが。


    以前にもこのブログで書いたことですが、昔、勤めていた集団指導塾では3月に新中1英語準備講座を行っていました。
    10人ほどのクラスでしたが、それでも参加者の英語力はバラバラでした。
    中学受験の勉強に忙しく、英語は小学校の授業で少しやっただけの子。
    中学受験はしなかったけれど、英会話教室に通っていた子。
    中学受験はしなかったし、英会話教室にも通っていなかった子。
    既に身についている能力と、教わったことをすぐに習得できる能力とが、バラバラなのでした。

    当時、小学校の英語は書くことは全くやりませんでしたので、新中1準備講座は、とにかく英語を書いてみることが中心でした。
    まず、アルファベットの大文字を書いてもらいます。
    大文字を正しく書けない学力の子が、存在します。
    次に、アルファベットの小文字を書いてもらいます。
    中学受験生の中にも、小文字があやふやな子は存在しました。
    しかし、彼らは、覚える勉強には慣れていますので、翌週には身につけてきます。
    厄介だったのは、英会話教室に通っていて、英語には得意意識があるのに、小文字を書けない子が一定数いたことでした。
    しかも、そういう子は、書けない文字は翌週も書けないままであることが多かったのです。

    さらに単語のスペルの学習に進みます。
    CDから流れる単語を聴き取って、そのスペルを書く学習でした。
    「トマト」や「ピアノ」ならば、正しく書くことができても、「椅子」や「鳥」は正しく書くことができるようにならない子が存在しました。
    幾度練習しても、スペルを覚えることができないのです。

    中学受験生には、
    「スペルは、本当は規則があるんだけど、その規則自体が複雑だし例外も多いので、今のうちは、1つ1つの単語のスペルをいちいち覚えたほうが早いよ。漢字を覚えるようなつもりで覚えよう」
    と声をかけると、私の言いたいことをすぐ理解してくれて、子どもには不規則に感じるだろうスペルもどんどん書けるようになりました。
    一方、英会話教室に通っていた子たちの表情は、このあたりから暗くなっていきました。
    さらに授業が進み、「これは〇〇です」の文の練習になると、中学受験生は、もう英語学習の流れをつかんだ様子で、楽々と問題を解いていくようになります。
    しかし、英会話教室に通っていた子たちの中には、何がどうなっても冠詞aを書くことが身につかなかったり、「これ」と「あれ」の使い分けができず、確認テストで0点を取る子が現われ始めます・・・・。

    そして、新学期。
    学力によって、クラスは2つに分かれます。
    中学受験生は、全員、上位クラスに入りました。
    英会話教室に通っていた子は、上のクラスに入る子もいますが、下のクラスに分けざるを得ない子もいます。
    そして、下のクラスに分けられた子の中には、塾を退会したいと言い出す子が現れます・・・・。
    結局、無理に上のクラスに置くことで退会を思いとどまってもらうしか引き留める方法がありませんでした。

    勉強が上手な子が英会話教室に通っていたのなら、問題ないのです。
    そのまま、中学のペーパーテストでも高得点を取り、発音がいいので英語の先生にほめられ、ALTの先生とも会話が弾みます。
    ますます英語が好きになります。

    でも、どこにでも、不器用な子はいます。

    英会話教室は楽しいのです。
    英語のあいさつ。英語の歌。英語のクイズ。英語のリズム体操。
    デジタルデバイスも沢山触われる。
    英語の動画。
    英語のゲーム。
    とても楽しい。
    ああいうのが、英語。
    楽しいのが、英語。
    小学校の英語の時間も楽しかった。
    クイズやゲームがいっぱいあった。
    ああいうのが英語。
    中学の英語は楽しくない・・・。

    中学校の英語も、勿論、授業中に音読したり聴いたり話したりということは盛り込まれています。
    しかし、テストは筆記試験とリスニングです。
    リスニングの割合は多くて2割。
    8割は筆記試験です。
    単語のスペルが覚えられないようでは、中学の定期テストで良い点は取れません。

    一方、中学校の英語の授業で話すことに力を入れて、「Show and Tell」の授業などをやることもあるのですが、全員にスピーチ原稿を書かせ、その発表会を行っていたら、たちまち1か月経ってしまいます。
    2か月進度に動きのなかった学校もあります。
    結果、学習進度が大幅に遅れ、中3の12月なのに教科書は半分も進んでいなかった学校も昨年度ありました。
    やり方にも問題があるのでしょうが、あれもこれもと「4技能」を詰め込まれても、学校の授業時間数には限りがあります。
    これでは、筆記試験が主体の現在の高校受験で良い結果が出せなくなるかもしれません。
    「話すこと」に踊らされず、それはそれとして、読解と筆記試験の学習をコツコツと深めていく子が高い成績を維持することは変わらないと思います。

    学校の5段階評定に「話すこと」のテストが大きく影響するようになればまた別なのです。
    しかし、実技系4教科のように、英語もペーパーテストよりも実技点のほうが大きく影響するようになるとは想像しにくい。
    「話すこと」の実技テストが加わるとしても、そこで点差が大きく開くとは想像しにくいのです。
    現在の英検の1次試験に合格する子の大半は、2次試験に合格します。
    「話すこと」の評価基準が低いからでしょう。
    あるいは、「読む」「聴く」「書く」がそこそこ出来る子は、少し練習すれば「話す」テストに合格する実力は育っているということでもあります。
    リスニングも、余程不得意な子を除いて、点差の開かない分野です。
    全体に易しいですから。
    結局、点差が開くのはペーパーテストで、勝負どころはそことなってしまいます。

    都立高校の英語入試に「スピーキング」が加えられるという情報はありますが、具体的な話はまだ一切見えてきません。
    どのように形で試験するのか、これから議論するという段階です。
    試験的実施すら何年先の話になるのか見当もつきません。
    5年後もまだ完全実施には至っていないかもしれません。
    今の小学生は気にしたほう良いですが、今の中学生・高校生は「4技能」という情報に惑わされて勉強の方向を間違えると、むしろ英語の成績が下がる結果になりかねません。
    今まで通り、英語を読んだり書いたり聴いたりする勉強をコツコツ続けることに加えて、スピーキングも視野に入れていく勉強をしていく必要があると思います。

    時代は変わりました。
    子ども向け英会話教室も、お遊び教室ではなくなっています。
    英検に合格できる英会話教室であることが1つの指標になった感があります。
    英検3級ですらライティングのある時代です。
    英会話教室も、「聴く」「話す」だけでなく、「読む」「書く」の学習に力を入れるようになりました。
    一方、学習塾も、「読む」「聴く」「書く」だけでなく、「話す」学習の強化を行っています。
    うちの塾も、毎回90分の中の一部として、英検の模擬面接を本人の実力にあわせて行っていきます。
    英検受検時には、ライティング対策に時間をかけています。


    いつから英語を学ぶのか。
    どこで学ぶのか。
    正解は1つではないと思います。

    ただ1つ言えることがあります。
    勉強が好きな子は、英語教育がどう変わろうと今も昔もあまり問題がないのです。
    「先生、英語って簡単じゃね?」
    そんなふうに言います。
    「まあねえ。でも、じきに、泣くほど難しくなるよ」
    「・・・・泣くほどか」
    そう言って、笑っています。

    難しいことは、難しいから、面白い。
    勉強は、勉強すること自体が面白い。
    それを知っている子は、もう、一生大丈夫なんです。
      


  • Posted by セギ at 14:18Comments(0)英語

    2018年04月09日

    生藤山から奥高尾を縦走しました。2018年4月。


    2018年4月8日(日)、生藤山と奥高尾を歩いてきました。
    今回のコースは、18年ぶりです。
    三鷹発8:04、高尾で乗り換えて、藤野着。9:02。
    陣馬山一ノ尾根を歩くときのいつもの電車です。
    改札を出るとすぐに階段を下りて、バス停へ。
    相模湖行きのバスの右奥に和田行きのバス停がありました。
    既に大行列。
    相模湖行きのバスが出発すると、和田行きのバスが入ってきました。
    1台では到底乗り切れず、待機していた「回送」と表示されていたバスがバス停に入ってきました。
    私は2台目に座れてラッキーでしたが、2台目もすぐに満員。
    1台目にも追加で客をぎゅうぎゅうに乗せてもまだ乗り切れず、バス停に残ってしまった人たちがいました。
    あれから、バスは増発されたのでしょうか。
    こんなに混雑するとは、バス会社も予想していなかったのでしょう。
    桜の季節だし晴天だしで、お花見登山客でぎゅうぎゅう満員のバスは出発。
    陣場山一ノ尾根に登るときは歩いていくトンネルをバスで通過。
    その先も徒歩でいくときと同じ道です。
    バスは速いなあ。

    鎌沢入口下車。9:35。
    私の他にも大勢の登山客が下りました。
    ここは人気の登山口のようです。
    支度をして出発。9:40。
    生藤山へと登っていく林道につながる橋の工事中で、車は通れなくなっていました。
    歩行者用の何だか足許がふわふわする臨時の橋を渡って、まずは林道歩き。
    舗装された坂道を登っていきます。
    通りかかった近隣の方に、
    「行ってらっしゃい」
    と笑顔で挨拶され、足が弾みます。
    足許には、スミレ・ムラサキケマン・ミヤマキケマン・西洋タンポポ・オオイヌノフグリ・ヒメオドリコソウ。
    道の脇にはヤマブキ。
    見上げれば桜。
    花盛りの春の里山の道です。
    民家の庭先の花も色とりどり。
    目に染みるほど白いユキヤナギ。
    赤紫色のモクレン。
    鮮やかなピンク色のミツバツツジ。
    お茶畑が広がり、何だかいい匂いがします。
    お茶畑と桜の木と、後ろに里山。
    舗装されていて歩きやすいとはいえ大変な急坂が続きましたが、花を見て写真を撮りながらの道なのでさほど苦になりません。

    鎌沢休憩所。10:15。
    あずまやが1つとトイレが1つ。
    トイレは男女共有で1つなので、あまりここをあてにしないほうが良さそうです。
    トイレット・ペーパーもないので、紙のご用意も。
    巨木を形どったトイレは、でも面白く、雰囲気の良い休憩所でした。

    さらに登っていくと、ほどなく山道が始まりました。
    若い竹林から木漏れ日が差す明るい登山道を行きます。
    歩きやすい山道が続きました。
    初心者でも安心して歩ける、楽しい山道です。
    道の両脇ににょきにょき飛び出している、奇妙な形のミミガタテンナンショウ。
    木陰にそっと咲く、ヒトリシズカ。
    少し急登があると、また緩い登りになり、あまり息も切れずに甘水草分岐。11:05。

    ここは、桜並木があるのですが、桜の木が病気になり、花が咲かなくなったとの看板がありました。
    けれど、看板は古いものなのか、桜はつぼみをつけていました。
    病気は治ってきているのかな。
    頑張れ、桜。
    このあたりの桜は、来週が見頃でしょうか。

    三国山。11:25。
    まだお昼前なので、山頂はそれほど混雑していず、ベンチの1つに座ることができました。
    富士山は、山頂の一部に雲をまとい、ぼんやり見えました。
    桜は5分咲き。
    見頃はこれからの様子です。

    さて、ここから陣馬山へと縦走します。
    まずは生藤山。
    岩がちの登りを登っていくと、ほどなく山頂です。11:35。
    狭い山頂を越えて、本日一番の難所の急な下り。
    靴底がすり減ってきていて、砂地でグリップが効かないので余計怖さがまします。
    ここ、単純な岩場ならば、大した傾斜ではないのですが、砂の急傾斜でホールドが少ないのが難度を増しているんです。

    何とか通過し、そこからは歩きやすい気持ちの良い道がしばらく続きました。
    茅丸はまき道で通過。
    連行峰の分岐のベンチでちょっと休憩。
    そこから、道は少し険しくなってきます。
    鎖場などはないのですが、何となく急な下りが増えてきます。
    滑りやすい土や砂地のS字の下り。
    落ち葉の積もった木段の道。
    落ち葉の底に木の枝があり、乗ったら「石車」ならぬ「枝車」となってツルンと転んでしまうんです。
    落ち葉が多いのは、昨日までの強風の影響なのでしょう。
    岩がちな下りもときどき現れます。
    生藤山の人気と比べて、この辺りを歩く人が少ない理由は、この道の何となく険しいこの感じにあるのでしょうか。
    山の神からは再び登り坂も増えてきますが、登って下りて、また登って。
    気持ちも疲れてきます。

    醍醐丸。13:05。
    眺望はないけれどベンチがあるので、ここでいったん昼食にしました。
    おにぎりを1個食べ、さて出発。
    再び、岩がちな道を降りたり、また登り坂を上がったりを繰り返しますが、下に林道が見えてきて、この道の終わりを予感します。
    最後はジクザグの緩い下りから林道へ。
    林道を右に歩いていくと、和田峠。13:45。
    ここは林道なので、自転車やバイクの人が大勢休憩していました。
    茶店でひと息ついて、陣馬山へと木段を登っていきます。
    いったん木段を登り切り、春の里山の眺望を堪能し、また木段。
    少し平坦な道を行き、また木段。
    途中に「首都圏自然歩道改修工事」の看板が出ていました。
    平成30年3月下旬までとありましたから、もう終わっている工事なのでしょう。
    なるほど、木段がところどころ新しいものに変わっています。
    その看板、専門用語で書いてあるのが興味深かったです。
    土居木階段 35.0段。
    ・・・・どう読むのでしょう。「どきょぼく」?
    路面板 52.0段 
    デッキ状階段 19.0段
    擬木丸太ステップ 27.0段

    普段、「木段」と呼んでいるものそれぞれに、専門用語があるのだなあ。
    どれがどれに当たるのだろう。
    有効数字が小数第1位までなのが、ぞくぞくしますね。
    などと考えているうちに、陣馬山の広い山頂に到達しました。14:10。
    陣馬山の桜は種類によって満開。
    木段周辺の桜は、まだこれからの様子でした。
    富士山はまだ薄く見えていました。
    奥多摩の大岳山はくっきり。
    歩いてきた生藤山もくっきり。
    あそこから歩いてきたんだなあ。
    朝、鎌沢で下りて、何て遠回りをしてここまで来たのだろう。
    売店でコーラを購入し、また1つおにぎりを食べました。
    元気が出て、さて、ここから奥高尾の歩き慣れた道の縦走です。
    時間も遅いので、巻いて巻いていきます。
    明王峠。15:00。
    ここの桜はまだ5分咲き。

    景信山は巻きました。
    景信山の直下は眺望が開けます。
    若葉と桜に淡くこんもりとした山々の姿。
    明日などないように咲く桜の巨木から、はらはらと舞い落ちる花びら。
    思わず足が止まってしまう眺めでした。
    城山も巻いて、下から尾根道の桜を見上げました。
    城山付近の桜は満開の様子です。
    ようやく尾根道に戻ると、一丁平の桜も満開。
    ここは下り道から眺める桜並木が圧巻です。
    さすがに体力が尽き、紅葉台も巻きましたが、ミツバツツジが満開なのを下から見上げました。
    高尾山下。17:20。
    ここからも、ケーブル駅までが意外に長いのです。
    薬王院はもう閉まっていて、夜間通路を行きました。
    売店ももう大半は閉まっていました。
    男坂をたったか降りて、ケーブル駅へ。
    18:00発のケーブルに間に合いました。
    ケーブルの最終は、18:30です。

      


  • Posted by セギ at 12:27Comments(0)

    2018年04月04日

    場合の数と確率。順列について。



    初夏を思わせる陽気が続いていますので、涼を呼ぶ雪景色を。

    さて、今回は、高校数Aレベルの「場合の数と確率」の話です。

    問題 0,1,2,3,4,5の6個の数字を一度ずつ用いて4桁の数を作る。
    (1) 4桁の数は何個できるか。

    この問題は、0を含んでいるので注意が必要です。
    4桁の数の千の位には0を用いることができません。
    千の位が0の数は、4桁の数ではないからです。
    それは3桁の数となってしまいます。
    したがって、千の位に置くことができる数字の候補は、0を除く5通り。
    その先は、樹形図をイメージしながら式を立てていきます。
    千の位の5通りの候補それぞれに対して、百の位に置くことができる数字の候補は、千の位に使った数字を除きますが、0は用いていいので、同じく5通り。
    十の位は、既に使った2個の数字を除いて、4通り。
    一の位は、既に使った3個の数字を除いて、3通り。
    したがって、式は、5×5×4×3となります。

    これを順列の記号Pを用いて表すならば、
    最初の千の位の選び方として5P1。
    残る3桁の選び方として、5P3。
    よって、5P1・5P3となります。

    上の5×5×4×3ならばよく理解できる子が、5P1・5P3という式を見た途端にうろたえて、「わからない」「わからない」「わからない」とつぶやき始めることがあります。
    それが、「場合の数」の学習の恐ろしさの第一段階。
    同じことを別の表し方をしただけなので、わからないことは何1つないはずなのですが、一度わからないと思い込んでしまうと、何もかもわからないと感じ始めるようなのです。

    5P1とは、「5つのものから1つを選んで並べる順列」という意味です。
    半角の数字は、実際はもっと小さく、Pの下半分の位置に書きます。
    5P1は、千の位の数字の選び方を表しています。
    次に、そのそれぞれに対して、残る5個の数字の中から百の位の数、十の位の数、一の位の数の3個を並べていきます。
    「5つのものから3つを選んで並べる順列」となります。
    それが、5P3です。
    5P3=5×4×3 となります。

    ところで、「場合の数」の学習では、このようにかけ算をやたらと繰り返すようになり、「×」の記号を書くことが鬱陶しくなってきます。
    もともと、文字xと紛らわしかったので、そろそろ何とかしたい。
    中学の数学では、「÷」の記号が消えました。
    わり算は分数で表すようになりました。
    高校数学になると、「×」の記号が消えます。
    「×」の代わりに、「・」と書くようになります。
    したがって、5×5×4×3は5・5・4・3と書きます。
    書き易くて便利です。
    リズミカルに書いていけます。

    次の問題。
    (2)4桁の偶数は何個できるか。

    さらに難度が上がりました。
    この問題は、まず「偶数」という条件を考えます。
    偶数というのは、どういう数のことだろう?
    その性質を考えるのがコツです。
    一の位が偶数であればその数全体は偶数です。
    他の位の数は奇数でも偶数でも構わないのです。
    そういう知識が頭の引き出しに入っていて、すぐに活用できれば大丈夫です。
    この問題をスラスラ解ける子は、自力で解き方を発想しているというわけではありません。
    一度解いた問題の解法を記憶しているのです。
    それは、解き方を丸暗記している、というのとは少し違います。
    考え方が頭の中にストックされているのです。
    思考力といっても、ゼロから何かを生み出すことは不可能です。
    素晴らしい定理を発見した天才数学者は、その定理の前提となる知識は身に付けていたから偉大な定理を発見できました。
    知識ゼロの素人の思い付きが素晴らしい定理の発見につながったわけではありません。
    知識は発見の泉。
    知識のない状態で思考力は育ちません。

    「どうやったら数学ができるようになるの?」
    と根本的な問いかけをされることがたまにありますが、そういう質問をする子の頭の中には、数学的な考え方があまりストックされていないのかもしれません。
    「偶数」という条件が問題にあるときに、偶数とはどのような性質のものであるかを考えるための素材が頭の中にないのです。
    そうした考えるための素材を頭の中にストックするには、本人の意志が必要です。
    頭の中に残りかけた数学的知識を定期的に「ゴミ箱」に移し、消去を繰り返していないでしょうか。
    そうしないと頭がスッキリしない?
    他のことが記憶できない?
    ・・・・人間の脳はそんなに容量の小さなものではないから、数学の知識は画面トップに散らばっていても大丈夫です。

    必要のない知識を、脳はこまめに消去してしまいます。
    それは本人の意志に反して脳が勝手にやっています。
    ただし、脳に対して「それは消したらダメな記憶だよ」と指令を出すことはできます。
    反復すれば良いのです。
    反復すると、脳は「これはまた使用する記憶らしい」と判断し、保存するようになります。
    「覚えられない 」「もう無理」と本人が思っていて、反復もしないのであれば、脳はきれいさっぱり記憶を消していきます。
    脳に「違う」「残せ」と指令を出し続けましょう。
    o(^o^)o

    問題に戻りましょう。
    さて、一の位が偶数となると、その候補は、0、2、4の3通り。
    ここで、一の位に0を使った場合と、2か4を使った場合とではその後の計算が違ってくることが予想できれば、もうほとんど正解したようなものです。
    一の位に0を使ってしまえば、もう千の位のことを心配する必要がありません。
    一方、一の位が2か4である場合、千の位に0は使えないことを気にしなくてはなりません。
    ここで場合分けをして計算をします

    〔1〕一の位が0の場合
    残る5個の数から、千の位、百の位、十の位の数を決めていくだけです。
    したがって、式は、5P3=5・4・3 となります。
    〔2〕一の位が2か4の場合
    一の位の候補は2通り。
    そのそれぞれに対して、千の位は、0と、一の位に選んだ数を除いて、候補は4通り。
    百の位は、0を使ってもいいので、一の位と千の位に使った数を除いて、候補は4通り。
    十の位は3通り。
    したがって式は、2・4・4・3
    Pを用いた式を書くのなら、
    2P1・4P1・4P2
    となりますが、無理にPを使う必要はないので、なぜその式なのか適宜言葉で説明していきながら答案を完成させれば大丈夫です。

    生徒の中には、一の位の次に千の位を決めることが理解できず、
    「そんなことしていいの?」
    と質問する子がいます。
    あるいは、そんなことは絶対に許されないと思うのか、何があっても一の位は最後に決めようとして混乱する子もいます。
    かけ算なんだから、どこからかけても一緒だよ。
    どの桁から決めていっても構わないんだよ。
    そうした説明がピンとくる子と、全く理解できない子とがいます。
    頭が硬いのかなあ・・・・。
    なぜ千の位から数字を決めなければならないと思うのだろう。
    そのことに何の根拠もないことに気づくと、思考の自由度が増します。
    あるいは、そういうことをしていいのか悪いのか、そういう「数学的規範」というものが本人の中にないため、いつも不安で、かえって不可解なルールに縛られてしまうのかもしれません。

    解答としては、〔1〕〔2〕は同時には起こらないので、和の法則が適用されます。
    5・4・3+2・4・4・3
    =60+96
    =156
    答えは156個となります。
      


  • Posted by セギ at 14:19Comments(0)算数・数学

    2018年04月02日

    筑波山を歩いてきました。2018年4月。


    2018年4月1日、筑波山を歩いてきました。
    三鷹8:00、秋葉原8:28。
    秋葉原からつくばまで電車1本で行けます。
    つくばエクスプレスです。
    私が最後に筑波山に行ったのは2002年。
    その頃は、土浦駅まで電車に乗り、そこから筑波までバスに乗り、筑波からまたバスを乗り換えて筑波山神社まで行くというかなり面倒なことをしなければなりませんでした。
    今は電車でつくばまで行けます。
    便利になりましたねー。
    とはいえ、つくばエクスプレスには初めて乗るので、どこから乗るのかわからず、うろうろと駅で迷いました。
    JRではないので、いったん改札を出るのはわかっていたのですが、その後の案内掲示が初めての者にはわかりにくーい。
    矢印の意図が読み取れないのです。
    矢印がUターンしていたり、半ターンしていたり。
    一体どうしろと?
    それでも何とか地下深く、さらに深い、つくばエクスプレス秋葉原駅ホームへと降り立ちました。
    ホームには大きな荷物をコロコロ転がしているリクルート・スーツ姿の人が何人も。
    つくば研究都市で新人研修に参加するのでしょうか。


    さて、秋葉原8:45、終点つくば9:38。
    エスカレーターで地上に上がり、ロータリーで1番線バスを待ちました。
    シャトルバス「筑波山神社・つつじヶ丘行き」です。
    ICカードが使えましたが、電車・バス料金がセットになり、お土産物の割引もある「筑波登山切符」というのもあるようです。
    バス出発。10:00。
    つくばは研究学園都市として整備された街なので、車窓からの眺めも人工的です。
    新しいビル。
    広い道路。
    広い公園。
    桜満開の並木道。
    やがて郊外に出て、桜の向こうに筑波山が見えてきました。
    若葉が芽吹き、山腹に桜が咲いています。
    日本むかし話の絵本に出てくる春の里山のような景色です。
    淡い緑の中にこんもりと桜色。
    明るくのどかな眺めでした。

    筑波神社入口。10:40。
    観光客の後ろをついて、大きな大きな朱色の鳥居をくぐり、まずは筑波神社へ。
    境内ではガマの油売りの口上が行われていました。
    本殿に参拝し、左へ行くとトイレがあります。
    あとは、ケーブル駅の道しるべのとおりに進みました。
    ケーブル駅前から登山道が始まりました。10:55。

    16年ぶりの筑波山ですが、その年までは毎年来ていました。
    バスを乗り換える不便で遠い筑波山に私はなぜ毎年来ていたのだろう。
    どこが良かったのだろう。
    今となっては、登山道の見覚えもなく、なぜこのような観光化された山に遠路はるばる来ていたのか見当がつきません。

    木の根のつくる段差の多い道をゆっくりゆっくり上り、最初のベンチで休憩。
    気温が上がってきて、早くも汗だくです。
    そこから、傾斜はさらに急になり、木段の他に段差の大きい露岩も多く現れました。
    ふう。これは疲れる。
    きつい登りなのですが、周囲は観光客が多数。
    ジャージやデニムならましなほうで、え、その服で山に来ますか?という何かヒラヒラした服に手提げカバンの人が下ってきます。
    ケーブルで上り、歩いて下山ということなのでしょう。
    しかし、ヒラヒラの服で下るには筑波山の山道はちょっと手強く、皆さん難渋している様子でした。

    岩の段差が大きかったり小さかったりするところを上るので、歩くリズムが崩れがちで息が切れます。
    はあ、参ったなあ、と立ち止まり、ふと右の草地を見るとカタクリ。
    え、こんなに?というほど無造作に沢山咲いていました。
    その中に、キクザキイチゲも混じっています。
    うわあ、凄い。
    夢中で写真を取るうちに呼吸も戻り、さて再び急登を行きます。

    傾斜が少し緩んで、男女川。
    つくばねの峰より落つる男女川。
    源流はちょろちょろ落つる男女川。
    手を洗うと冷たくて気持ちよく、また元気が出ました。

    延々と続く登りに立ち止まる人が多く、ついに渋滞が発生しましたが、それに助けられた面もあり、ゆっくりと御幸ケ原に到着。12:20。
    ここは大きな広場になっていて、電波塔が立ち、売店・食堂・トイレなどが並んでます。
    ああ、ここの記憶は鮮明です。
    ここでもガマの油売りの口上が行われていました。

    筑波山は男体山と女体山の双耳峰です。
    御幸ケ原から男体山へは、さらに木段と岩がちの道を15分。
    狭い山頂には小さな奥院が立っていました。
    狭すぎてレジャーシートを広げるスペースなどはなく、少し下ったベンチで昼食。
    はあ暑かった。
    おにぎり1個がなかなか喉を通りません。

    さて、御幸ケ原に戻り、そこから女体山へと縦走します。
    途中にカタクリ園地。
    ここも柵からはみ出すほどにカタクリが咲いていました。
    岩がちの道を登っていくと、ガマ石。
    巨大な蛙に似た姿の岩です。
    ああ、これも見覚えがある。
    その先はすぐ女体山への登りでした。

    女体山。13:30。
    山頂は柵のない岩場でした。
    なかなかの露出感と高度感です。
    春霞で遠望は全く効きませんが、これから降りていくつつじヶ丘の駐車場がよく見えました。
    随分遠いなあ。

    さて下山。
    岩場を降りて、道しるべの通りに右に降りて行くと、岩場の急な下りが始まりました。
    そんなに難度は高くなく、鎖も張られていませんが、傾斜はなかなか急です。
    岩場をガンガン下ります。
    ああ、この道、記憶にあります。
    そうだ、この道だ。

    思い出しました。
    私が遠路はるばる筑波山まで毎年春に来ていたのは、カタクリが咲いていることと、この岩場の下りが面白かったからです。
    ああ、そうだった。

    急な岩場の下りなのですが、相変わらず前後には観光客がいます。
    女体山はロープウェイで登れますので、それで登ってきて、歩いて下ろうという観光客が多いようです。
    いや、この岩場、観光客は危ないでしょう。
    手提げ鞄にスニーカーでこの道は、怖いでしょう。

    しかし、人は、危ない場所は用心して歩くので、案外大丈夫なようでした。
    ただ、その後、少し平坦な道で気を抜くとやばいのです。
    徒然草の「高名の木登り」の話のようなものですね。
    私の少し前を歩いていた手提げ袋を下げた老人の足がもつれ、派手に転倒したのです。
    うわっ。
    ちょうど登ってきた若い登山客が駆け寄りました。
    「大丈夫ですか?」
    「大丈夫、大丈夫」
    老人は起き上がりました。
    「足、大丈夫ですか?くじいてないですか?スプレーありますよ」
    「いや、大丈夫」
    親切な若い子です。
    いや、老人が転んでいるのをほおっておけるものではありませんが。

    岩下りは延々と続きました。
    その間に奇岩があり、この辺りは奇岩巡りとなっています。
    大仏岩。
    屏風岩。
    胎内巡り。
    弁慶七戻り岩。
    上の画像は弁慶七戻り岩です。
    今にも上の岩が落ちてきそうな奇岩です。
    岩場が終わり、道はかなり歩きやすくなってきました。
    石畳のような石が敷かれた道が続きます。
    前を行く、紙袋を提げた高齢の女性
    に挨拶して追い抜きました。
    石畳みも終わり、土の道になり、歩きやすいので、その女性も私のすぐ後ろをそんなに遅れず、数メートル後ろをついてきていました。
    背後でズザザっという音がして、振り返ると、その人は転倒し、なお止まらず、横転していました。
    うわあっ。
    これも、ちょうど私とすれ違ったばかりの若い登山客が、
    「大丈夫ですかっ!」
    と駆け寄りました。
    「大丈夫」
    「怪我はないですか?」
    「うん。たちくらみがしたの。しばらく座っていくから大丈夫」
    私だけでなく、若い登山客もその場に留まり、座っているその人の様子を見ていました。
    「本当に大丈夫ですから、先に行ってください」
    とその人が言うまで。
    若い子、偉い。

    やっぱり、ロープウェイで登ったら、ロープウェイで降りたほうがいいですね。
    2人も目撃ということは、この山は、1日で何人転倒しているかわからないです。
    高尾山なら1号路があるので観光客でも歩いて下山できるのですが、筑波山には歩きやすい下山道はないのですね。

    とことこ降りて行くと、駐車場。
    バス停はどこだろう?
    2002年当時は、つつじヶ丘には駐車場はあっても公共交通機関はなく、ここへ下山することはできなかったのですが、今はシャトルバスの終点となっています。
    直進していくと、ロープウェイ駅の前にバス停がありました。
    15:00バス発車。
    ここから一気につくば駅へ。

    桜やカタクリがきれいな山。
    登山道が面白い山。
    この山の良さを思い出しました。
    また来たいと思う山でした。
      


  • Posted by セギ at 20:59Comments(0)

    2018年03月28日

    4月14日、大人のための数学教室を開きます。


    3月24日(土)、大人のための数学教室を開きました。
    今回も「剰余の定理・因数定理の利用」です。

    問題 整式 f(x)をx(x+1)で割ったときの余りが2x+1、x+2で割ったときの余りが7であるという。f(x)をx(x+1)(x+2)で割ったときの余りを求めよ。

    とりあえず、問題の通りに整式 f(x)を表してみましょう。
    f(x)=x(x+1)g(x)+2x+1 ・・・➀
    と、まず表すことができます。
    f(x)が何次式なのかわからなので、商も何次式かわからないまま、とりあえずg(x)と置きました。
    また、こうも表すことができますね
    f(x)=(x+2)h(x)+7 ・・・➁
    さらに、この問題の答えとなる余りを含む式を立ててみましょう。
    f(x)=x(x+1)(x+2)i(x)+ax2+bx+c ・・・➂
    f(x)が何次式かわからないので、商であるi(x)が何次式であるかもわかりません。
    しかし、x(x+1)(x+2)という3次式で割っていますので、余りはどんなに次数が高くても2次式です。
    このax2+bx+cを求めれば良いのですね。

    ➀から明らかですが、剰余の定理より、f(0)=1 です。
    これを➂に代入すると、
    f(0)=c=1 ・・・➃
    また同じく、f(-1)=-1ですから、
    f(-1)=a-b+c=-1 ・・・➄
    ➁から明らかですが、剰余の定理より、f(-2)=7 です。
    これを➂に代入すると、
    f(-2)=4a-2b+c=7 ・・・➅

    さて、a、b、cと文字が3種類、式が3本。
    これは連立方程式として解けますね。
    中学生の間は、連立方程式の計算過程は答案にしっかり残さないとテストで減点されますが、高校生は、連立1次方程式は解くことができて当然なので、答案にはその過程は残さなくても大丈夫です。
    書いてもいいですが。
    ➃、➄、➅より
    a=5、b=7、c=1
    よって余りは、
    5x2+7x+1


    問題 f(x)をx2+6で割ったときの余りがx-5、x-1で割ったときの余りが3であるという。
    f(x)を(x2+6)(x-1)で割ったときの余りを求めよ。

    これを上の問題のように解いた場合、(x2+6)を因数分解すると、(x+√6i)(x-√6i)となりますから、虚数が入ってきて面倒くさいことになりそうです。
    他にスマートな解き方はないでしょうか?

    あります。ヽ(^。^)ノ

    f(x)=(x2+6)g(x)+x-5 ・・・➀ とおく。
    ここまでは一緒ですね。
    ここで、その商であるg(x)=(x-1)h(x)+p とおきます。
    g(x)はf(x)とは異なる整式ですから、余りは3ではありません。
    とりあえず余りはpと置いておくなら、この式は何も問題ないですね。
    何で f(x)ではない式をx-1で割るの?
    意味なくない?
    と思うかもしれませんが、しばしお待ちを。
    これを➀に代入するのです。
    f(x)=(x2+6){(x-1)h(x)+p}+x-5
    ➀のg(x)のところに先程の式をカポっと代入しているのがわかるでしょうか?
    この式を部分的に展開して整理してみましょう。
    f(x)=(x2+6)(x-1)h(x)+p(x2+6)+x-5
    この、p(x2+6)+x-5 が、f(x)を(x2+6)(x-1)で割った余りです。
    ここで問題より、f(x)をx-1で割った余りは3でした。
    すなわち、剰余の定理より、f(1)=3 ですから、
    f(1)=8p-5=3 となります。
    これを解いて、
    p=1
    よって、
    p(x2+6)+x-5
    =x2+x+1
    余りは、x2+x+1 です。

    この解き方はスマートで、一番上の問題でも使えます。
    とはいえ、自力でこの解き方を発想するのは難しいでしょう。
    こういう解き方があるという知識を頭にインプットするのが何よりです。

    さて、今回の授業は、その先、「高次方程式の解法」に進みました。
    まだ基本です。
    公式を使えば解けるものばかりです。
    例題を解説し、問題を解くのは宿題としました。
    2次方程式のときのように因数分解して解けば良いのですが、3次式の因数分解の公式や、複2次式の因数分解、2次方程式の解の公式を覚えていない場合、苦戦が予想されます。
    頑張ってください。
    ヽ(^。^)ノ

    さて、次回の大人のための数学教室のお知らせです。
    ◎日時  4月14日(土)10:00~11:30
    ◎内容  数Ⅱ「因数定理・高次方程式」を続けます。p.34例題9の解説から。
    ◎場所  セギ英数教室
           三鷹市下連雀3-33-13
             三鷹第二ビル 305
           春の湯さんの斜め前のビルです。
    ◎用具   ノート・筆記用具
    ◎参加費 2,000円
           当日集めさせていただきます。
    ◎予約  私の携帯メールかラインに、ご予約をお願いいたします。
           今後、欠席の連絡は不要といたします。
           出席される方のみ、前日の午後9時までにご連絡ください。

      


  • Posted by セギ at 13:50Comments(0)大人のための講座

    2018年03月26日

    多摩湖自転車道を走ってきました。2018年3月。


    2018年3月25日(日)、自転車でお花見に行ってきました。
    よく晴れていましたが、水曜日に奥多摩では積雪があり、山道はまだ雪が残っているか泥んこでしょう。
    東京は平年より3日早くソメイヨシノが開花。
    となると、今日は山歩きよりも街でお花見しよう。
    ヽ(^。^)ノ

    のんびりと10:30出発。
    山に行くときとは違い、地図を持たず、記憶を頼りに出発しました。
    最悪、スマホで地図を見たら良いので、街だとこんなこともできて楽ちんです。
    山では、電波が通じなかったりスマホが壊れたら全て終わりなので、幾度歩いた山でも必ず地図を持ちます。
    とはいえ、地図を持たない街の旅は、毎年多摩湖自転車道の入り口まで迷っています。
    まともにたどりついたことは一度もありません。
    帰り道でよく確認したら良いのですが、帰り道も毎回迷っています。
    (^-^;

    そうは言っても、毎回、自転車道入り口に何となくたどり着くのですが、今回は、今までになく派手に迷いました。
    「桜橋」という交差点までは、去年までの記憶の通りだったのですが、そこから、後になって思えば、90度方向を間違えました。
    そして、玉川上水に沿った道をひた走り、小金井公園まで来てしまいました。
    玉川上水沿いの道は、車は通るけれどなかなか良い道で、他にも自転車が沢山通っていたので、つい後をついて走ってしまいました。
    (*^^)

    とはいえ、小金井公園は天の助けです。
    ようやく、現在地を把握できました。
    ここから挽回するぞーと、園内に入りました。
    今日は花見客で大にぎわいです。
    レジャーシートに座るお花見客が沢山います。
    芝生に個人テントもポツンポツンと張られています。
    小金井公園はテント設営禁止ではないようです。
    山でも使えるような、軽量で丈夫な本格テントでした。
    自転車で旅をしている人が泊っているのでしょうか?

    江戸東京たてもの園を右手に見ながら、小金井公園の外へ。
    さて、ここから、多摩湖自転車道にはどう行けば?
    感覚ではこちらが正しそうと思う方向に交差点を渡ると、再び玉川上水が。
    うわあ、どこで感覚がズレたんだろう?
    ( ;∀;)

    とはいえ、ここが玉川上水で、そこが小金井公園で、昼の12時に太陽があそこで輝いているのなら、太陽を背にこの道を行けば、必ず西武線に至るはず。
    多摩湖自転車道は、西武線と並走している道なのです。
    道路脇に自転車専用レーンのあるその道を「清瀬」を示す道路標識にちょっと怯えながらも直進していくと、道路のはるか向こうを西武線の電車が横断していきました。
    やったー。
    ヽ(^。^)ノ

    ようやく、多摩湖自転車道に合流。
    あとはよく知る自転車道をどんどん走っていくだけです。
    ソメイヨシノが満開でした。
    まだ5分咲きくらいと予想していたのですが、昨日今日の暖かさで満開となったようです。
    小平の昔の郵便局の建物の前を通り、小平駅前をつっきり、自転車道をどんどん行きます。
    ソメイヨシノの他にも、濃い赤の桜、ピンク色の桜と、色々な桜が楽しめます。
    この自転車道は、「歩行者優先」と至るところに書かれています。
    幅の広い舗装された歩道が並行して通っていますし、そこは比較的空いているのですが、歩道を歩かず、わざわざ自転車道を歩く歩行者が多いです。
    歩道があんなに空いているのに、なぜ歩行者は自転車道を歩くのだろう?
    私が歩行者ならば、こんなに自転車がビュンビュン走り抜ける自転車道なんか歩いていても落ち着かないので、空いている歩道を歩く。
    そもそも、なぜ自転車道なのに、歩行者優先なのだろう?
    と考えて、気がつきました。
    そうだ。
    全ての道路は歩行者優先なのです。
    横断歩道の前に歩行者が立てば、車は必ず止まらなければなりません。
    30km道路に何の用か入り込んできた車は、歩行者にクラクションを鳴らしてはいけません。
    自転車も歩行者にベルを鳴らしてはいけません。
    それが交通ルールです。
    だから、自転車道も歩行者優先なのですね。
    それが人に優しい交通ルールというものである。
    なるほど。
    互いに譲り合って、気持ちよく通行したいですね。

    道の両側の桜は延々と続きます。
    東村山中央公園も桜満開。
    お花見客を左手に見ながら、道路はいったん下り、そこから登りにさしかかりました。
    狭山公園の外周の登り坂です。
    ギアを変えて、頑張って登っていくと、多摩湖。12:50。
    幅の広い大きな橋から多摩湖が一望できました。
    対岸に西武ドームの白い姿が見え、その向こうに奥多摩の山々。
    大岳山、御前山、川乗山。
    奥に三頭山。雲取山。
    春霞で青く薄い影ですが、しっかり見えました。
    三頭山は、まだうっすら白いように見えるのは、霞のせいでしょうか。
    それとも、まだ少し雪が残っているのかな。

    先週の三頭山の遭難には、ただ驚きました。
    あの雪の日に、三頭山に登って遭難した、13人の登山者。
    ニュースで、「雪のない時期ならば小学生でも歩けるコースですが」と言っているアナウンサーがいましたが、あのコースは無雪期でも小学生は歩かないと思います。
    都民の森コースとどこかで情報が混線したのでしょう。
    「三頭山は雪のない時期ならば小学生でも歩く」という情報と。
    今回の遭難の起こったコース。
    小河内神社から麦山の浮橋(通称ドラム缶橋)を渡り、ヌカザス尾根を登るコース。
    痩せ尾根が多いです。
    道しるべは少ないです。
    道迷いしやすい箇所もあります。
    私も数年前に歩き、道に迷いました。
    雪がなくても私は迷う。
    そのときも、今日も。

    いやいや、自分のリカバー力を過信して遊んでいないで、気をつけないとダメですって。
    ( 一一)

    雪山を歩き慣れている人以外は積雪期に入ったらダメなコースなのですが、何であの天候で取りやめにできなかったんでしょう。
    スニーカーの人もいたとか。
    もう絶対無理なのに。
    そりゃ、凍傷で歩けなくなるでしょう。
    ( ;∀;)

    ニュースの情報を信じるならば、彼らはネットで知り合った人たちで、ほとんど初対面の人も多かったとか。
    パーティの体をなしていなかったのでしょう。
    山のパーティは、いざというときの決断を全てリーダーにゆだねます。
    リーダーが「行く」と言ったら行く。
    「戻る」と決めたら、戻る。
    話し合いは不要です。
    なぜそのような専制と独断が許されるかというと、話しあう間に事態が悪化する恐れがあるからでしょう。
    リーダーはパーティの中で最も経験と能力のある人が務めます。
    そして、リーダーは、そのパーティで最も弱い者が誰であるかを把握しています。
    最も弱い者の実力が、そのパーティの実力だから。
    誰か一人でも倒れたら、パーティはそこから先には進めないから。
    遭難したパーティは、発起人はいたようですが、発起人が最も実力があるとも言い切れず、リーダーシップが取れなかったようです。
    どんどん先に行く人たちを止めることができなかったと報道されていました。
    ああ、恐ろしい。
    死者が出なくて、本当に良かったですね。

    さて、奥多摩の眺望を楽しんだ後、橋を渡り切り、そこから狭山公園内に入りました。
    都立狭山公園。
    ここはまだ東京都なんだなあ。
    山道を歩けるよう、トレイルランニング・シューズを履いてきたのですが、公園内に舗装道路も整備されていて、自転車で中に入っていけました。
    ここのソメイヨシノはまだ5分咲き。
    でも、他の桜は満開でした。
    枝垂桜が華やかです。
    ここも、レジャーシートに座ってお花見をしている人が沢山。
    私もベンチの一つに座り、昼ご飯にしました。

    狭山公園のパンフレットをもらって見ると、橋を渡って西武遊園地を左に見ながらもう少し行けば、八国山緑地に行けるようです。
    八国山。
    となりのトトロ』のモデルになった場所ですね。
    尾根道は約2kmの歩きやすい道だとか。
    来年はそこまで足を伸ばそうかな。
    今から20年も前、狭山の自然が急速に失われる中で、残された雑木林をNPOが買い上げて「トトロの森」として残す取り組みが行われていました。
    トトロの森は、1号地、2号地と飛び地で存在していた記憶がありますが、あれはどうなったのでしょう。
    今、この辺りは都立や市立の広大な緑地となっています。
    トトロの森は、守られたのでしょうか。
    そういえば、『となりのトトロ』はまだ繰り返しテレビ放映されているけれど、
    「わすれものを、とどけにきました」
    というオープニングは放映されなくなりました。
    もうみんな、思い出したからでしょうか。
    それとも、思い出すことも、もうできなくなったからでしょうか。

    昼食後は、自転車をいったん置いて、雑木林を散策しました。
    すぐ隣りが駐車場ではありますが、そちら側を見なければ、山を歩いているような錯覚があります。
    歩きやすい、気持ちのよい道でした。

    さて、帰りましょう。14:30。
    一路、多摩湖自転車道を武蔵境へと戻ります。
    帰り道も両側に桜また桜。
    青空に桜。
    スピードはあまり出さず、桜を飽かず眺めました。
    多摩湖自転車道入り口。15:30。
    進行方向のまま、大きな交差点を渡り、直進。
    「浄水場西」の交差点を右折。
    「桜橋」交差点を直進。
    そのままどこまでもまっすぐ行くと、武蔵境駅でした。
    武蔵境駅は、中央線が高架になってからは、自転車を押して通り抜けできるのですね。
    こんなに簡単に武蔵境駅に帰り着いたのは初めてです。
    来年からは、もう迷うこともなさそうです。
    それも、ちょっとつまらないかな。
    (#^^#)

      


  • Posted by セギ at 16:13Comments(0)

    2018年03月21日

    学年末テスト結果集計出ました。2018年3月。




    学年末テスト結果集計出ました。

    数学 90点台 1人 80点台 2人 70点台 2人 60点台 1人 50点台 1人 40点台 1人
    英語 90点台 1人 70点台 1人 

    高校の数学は、2科目の平均点を結果としていますが、片方の科目で100点満点を獲得した人もいました。
    前回のテストから+23点の人、+14点も人も。
    学年末はテスト範囲が広く、得点しづらい範囲であることも多い中、大きな成果が出ています。
    さあ、次は新学期です。


    さて、着々と結果を出し続けるためにさらに精進しつつ、最近はなお、新学習指導要領とアクティブ・ラーニングのことを考えています。

    先日、学者の人がツイッターで、こういうのがアクティブ・ラーニングだと説明しているのを目にしました。

    「黒板に先生が文を書く。
    『正方形の右に正三角形が2つ並んでいる』
    これを表す図を描いてみましょう、はアクティブ。
    『隣りの人と絵を交換して、合っているかどうか確認してみよう』
    もアクティブ。
    『合っているかどうかわからなかったのはある?』
    黒板にその図を貼って、みんなで議論。十分アクティブ」

    ・・・・うわあ・・・。( 一一)

    何というか、過去のトラウマに襲われ引きずり込まれるような恐怖感があります。
    そうそう。これ。
    これが、アクティブ・ラーニングです。
    私が中学生の頃、毎日毎日、学校で受けていた授業です。

    ツイートはさらに続きました。
    「先ほどの問題。
    □△▽や◇▽▽について
    『間違っている』
    『よくわからない』
    に手を揚げる子は当然予想されて、
    『合っていると思います』
    という子と議論になる。
    それで『正方形とは何か』『正三角形とは何か』というまさに『定義とは何か』を学ぶことになる」

    ・・・うわあ。(T^T)
    いやだいやだ。

    「わあ、面白そう。そういう授業を私も受けたかったなあ」
    そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。
    でも、それは、今、大人として、上のような平易な課題を見るからではないでしょうか。
    正しい結論がすぐにわかりますから、議論に参加できそうで「面白そう」と感じるという側面はないでしょうか。
    知識も判断力も小学生に戻って、学校でその課題を与えられる幼い自分を想像してみてください。
    そのストレスの大きさを想像してほしいのです。
    正解がわからない議論に常に参加していくプレッシャー。
    何が最終目的なのかわからない課題を積極的に解決していかなければならないプレッシャー。
    子どもには、先生の意図や、この学習の真の目的は、見えないのです。
    謎解きの喜びと同じだけ、恐怖と困惑を伴う学習です。


    そもそも、子どもというのは案外保守的で、固定観念が強いものです。
    上の課題が与えられて、◇▽△という、先生が歓喜するような非凡な図を描く子は、ほぼいないと考えたほうが良いでしょう。
    賢い子は、「□△△」という平凡な正答の図を描くと思います。
    一方、「△□□」などの明らかに間違った図を描いてしまう子も多いかもしれません。
    そして、間違った図を描いた子の中で、自分の間違いにすぐに気がついた子は、間違ってしまった恥ずかしさから立ち直るのに時間が必要です。
    その精神状態で、後の議論に参加するのは難しいかもしれません。
    もっとまずいのは、間違った図を描いて、隣りの子にバツをつけられても、なぜ間違っているのか理解できない子が一定数いると予想されること。
    間違いを具体的に指摘されても、なぜ間違いなのか理解できない学力層の子が存在することです。

    「△□□」の図が間違っていることに本来議論の余地はないのですが、間違っている子が多ければ、それも議論しないわけにはいきません。
    しかし、それは、その授業で予定していた学びとは違うでしょう。
    先生はそれを上手く避け、議論をコントロールしなければなりません。
    予定していた学びとは異なる、つまらないミスによる間違いに関する議論は手短に行われるでしょう。
    間違った図を描いたのに、それのどこが間違っているのか理解できない子は、そこで授業に取り残されます。
    その先の議論に参加できません。
    その後の議論など耳に入らず、自分の間違った図をぼんやり見つめるだけかもしれないのです。
    そして、その子のノートには、△□□という謎の図が残されます。
    家庭で、保護者の方が、
    「今日は学校で何を勉強してきたの?」
    と尋ねても、
    「わからない」
    以外の応えは返ってこないかもしれません。
    ノートを見ても、謎の図しか残っていません。
    アクティブ・ラーニングには、そうなる危険性があります。

    興味深く議論の題材になるような非凡な図を生徒が描く可能性は低いです。
    賢い子たちは、□△△という、わかりやすい正解の図を描くでしょう。
    しかし、それでは、議論になりません。
    ですから、先生は、あらかじめ用意していた図を黒板に貼ることになるでしょう。
    ▽△ の図です。
    さて、これは正しい図でしょうか?
    「正方形の右に正三角形が2つ並んでいる」
    この図は、それを正しく示しているでしょうか?
    正しいと思う人と思わない人に分かれて、議論が始まります。

    この図を「間違っている」と考え、しかも積極的に議論に参加してくれる生徒は、この授業にとって貴重な存在です。
    この図を間違っていると思う生徒の学力評価が下がることはありません。
    むしろ、議論の途中で思考が深まり、劇的に考えが変わっていくなら、先生は特にその子を高く評価する可能性があります。
    しかし、秀才たるもの、最初からこんなことはわかっていることを周囲に示したい。
    最初から、正しい答えを選びたい。
    間違った判断は最初からしたくない。
    そんなこと、本当は誰も気にしていないのに、それを気にして立ち回り、疲れ果ててしまう子もいるでしょう。
    こうした学習が、秀才にとってストレスであるのは、そうした点です。

    繰り返しますが、大人にとっては、□も◇も正方形、△も▽も正三角形であることは自明の理です。
    正解がわかり、道筋がわかるから、この議論に参加するのは楽しいことに思えます。
    □も◇も正方形であることを理解することから、正方形の定義というものに考えが至り、さらには定義とは何かまで学習を深めていくのだ。
    凄いなあ。
    楽しいだろうなあ。
    アクティブだなあ。
    アクティブ・ラーニングっていいなあ。
    そんな授業、私も受けたかったなあ。
    そう思うかもしれません。

    しかし、高等数学で、イエス・ノーの課題を与えられ、意見を言えと要求される自分を想像してみてください。
    恐怖しませんか?
    それがアクティブ・ラーニングだ、新しい学習なのだと言われる自分を想像してみてください。
    トラウマになりそうじゃありませんか?
    小学生にとっては、上の課題はそういう可能性を含んでいないでしょうか?
    の課題から「定義とは何か」にまで学習を深めることができる子は、少数です。
    限られた少数の秀才の学力を飛躍的に伸ばすために、大多数の子を置き去りにする可能性があります。

    私は国立大学教育学部の附属中学校に通っていました。
    授業はこういう実験授業が大半でした。
    結局、日本の教育はこの40年、ここから一歩も先に進んでいないのかもしれません。
    私は、こうした授業でよく発言していましたし、そうした議論を当時は楽しんでいました。
    あれは、面白い授業でした。
    成績も良かったです。
    当時の深い学びが、今の自分につながっていると、言えば言えるのかもしれません。
    それでも、ある種ぞっとする感じがつきまとうのです。
    深い霧の中で目的も定まらず、ただ生き残るために全神経を張り詰めるサバイバルゲームを常に続けていたような。
    自分は闘いたくはないのに、常に闘いを強いられていたような。
    そして、その授業でほとんど意見を言うことはなく、
    「勉強がわからない」
    「学校がつまらない」
    と言っていたクラスメートたちの顔が浮かぶのです。

    この仕事をするようになって、やはり国立大学の附属中学に通う生徒の個別指導を受け持つ機会が幾度かありました。
    私の頃と同様に、そうした学校では実験授業が行われていました。
    アクティブ・ラーニングです。
    「学校の授業は、何をやっているのかわからない」
    「学校の授業は、勉強のできる何人かと先生が話しあっているだけ」
    同じような感想を異口同音に聞きました。
    そういう学校は、授業は難解でも、定期テストは、特別難しい問題が出題されるわけではありません。
    前半は易しい基本問題、後半にいくにしたがって、難度を増していきます。
    実験授業を行っている先生たちは有能ですから、テストもほれぼれするような構成になっていることが多いのです。
    しかし、私が個別指導をすることになった子たちは、そのテストの基本問題さえ正解できていませんでした。
    単なる1次方程式や連立方程式の計算問題が解けないのです。
    市内の公立中学に通っている数学が「2」の子だって、それくらいは正解するのに。
    国立の附属中学校は、私立の中高一貫校のように進度を速めた授業をしているわけでもありません。
    学年相当の普通のことを学んでいます。
    ただし、実験的な手法で。
    アクティブ・ラーニングで。
    学校の授業で何をやっているのかわからないので、家でも何を学習して良いのかわからず、テストに何が出題されるのか、わからないというのです。

    その子たちにも原因はあります。
    授業中、ぼんやりしていないで、とにかく議論に加わったら良いのです。
    授業中の発言をバカにされることはありません。
    あまりにも意味のない発言、議論を後退させるだけの発言は、スルーされる可能性はありますが、恥をかいてもいいから議論に参加したら良いのです。
    そして、家に帰ったら、コツコツと基礎的学習をしたら良いでしょう。
    学校は、普通の教科書に沿った普通の教科書準拠ワークを配布しています。
    それをコツコツ解いたら良いのです。
    学校で何をやっているかわからないから勉強しない、というのは言い訳です。
    学校の授業を口実に勉強しないでいるだけです。
    私が個別指導を担当した、学校の授業内容がわからず成績不振に悩んでいる子たちは、学習習慣が身についていない子ばかりでした。
    塾で基本を丁寧に教え、それについて復習するだけの宿題を出しても、解いてきませんでした。
    1週間後、塾に来る直前になって慌てて手をつけ、上手く解けず、もう忘れた、わからなくなったと言い訳することが多かったのです。
    宿題を解いてくるようにするまでが、まず第一関門。
    錆びついた巨大な機械に油を差し、動きだすようにするまでには、大変な時間と労力が必要でした。

    でも、その子たちだけを責めて、切り捨てるのは、いかがなものか。
    学習目標を明確に提示し、何を覚え何ができるようになれば良いかを示された授業で懇切丁寧に教えてもらえていれば、彼らはそれほどの学業不振にはならなかったでしょう。
    アクティブ・ラーニングは、両刃の剣です。

    学校が基礎を丁寧に教え込む役割を担ってくれなくなるならば、家庭と塾が渾身のフォローをしていきましょう。
    ゆとり教育の再来だけは避けなければ。
    そう思います。

    もう一つ言うならば。
    ◇が正方形に見えない子、▽を正三角形と認識できない子は、いつの時代にもいます。
    学校でのクラス全体の議論や、グループ・ディスカッションには参加できず、学校でどのよう結論が出されようとも、◇は正方形ではない、これはひし形だ、と心の中でずっと思っている子はいます。
    そうした子と、対話を繰り返すことで学習を深めることが可能なのが、個別指導です。
    とても時間はかかりますが。
    そして、それもアクティブ・ラーニングだとは、私も思うのです。

      


  • Posted by セギ at 13:24Comments(2)講師日記

    2018年03月19日

    あしがくぼ山の花道と丸山を歩いてきました。2018年3月。


    2018年3月18日(日)、埼玉県横瀬町芦ヶ久保の山を歩いてきました。
    三鷹から、国分寺・東村山・所沢・飯能と乗り換えて西武秩父線芦ヶ久保駅下車。9:13。
    これまで丸山は2回歩いているのですが、いつも冬の季節。
    前回は無人だった駅の改札に駅員さんが立ち、「おはようございます」と挨拶してくださるのも新鮮で、春だ、観光シーズンだ、と心浮き立ちました。
    駅には外トイレがあり、きれいで快適です。
    支度をして出発。9:20。

    駅前広場から階段を下り、押しボタン式信号で国道を横断。
    広い歩道を左に進み、警察署を通り過ぎると、右手に分岐があり、他の道しるべの下に小さく「あしがくぼ山の花道」の道しるべがありました。
    小さく可愛い道しるべにしたがって、緩い坂を登っていきます。
    駅の向こう側に少しずつ姿を現す武甲山の雄姿。
    手前が一段と深く削られて前衛峰のようになり、見る度に武甲山は迫力を増しています。
    舗装道路の途中から道しるべに従い山道へ。
    緩く下っていくと、園地に出ました。
    長い滑り台があります。
    中央は湿地帯で、木道が整備されていました。
    あれ?
    何か白い花が咲いている。
    木道を行ってみると、おや、ミズバショウ?
    それとも、よく似た栽培種でしょうか。
    自生しているものではなく、栽培しているのだとは思うのですが、きれいでした。
    思いがけないものを見たとほくほくして、鉄板の橋を渡り、園地の外周の登山道を行きました。
    木の根の段差や小さな沢など、案外険しい山道です。
    あしがくぼ山の花道は、本当に色々な花が咲くようだから、年を取ったらここが最終目的地でもいいなあと思っているのですが、それにしてはこの山道は険しい。
    ここが歩けるなら、まだ色々な山を歩けそうです。
    おかしいなと思いながら右手を見ると、園地の中にあずまやを発見。
    ・・・園地から楽に登れる遊歩道があるのではないか?
    私が気づかず、険しいほうを選んで歩いているだけ?
    確かに、この辺りは、あの背の低く可愛らしい「あしがくぼ山の花道」の道しるべはないのです。
    でも、私のようにこちらの道を歩いてしまう人が多いのでしょう、道はよく踏まれ、あまり味わいはない新しい道しるべなら立っています。(^-^;
    次回は、園地を突っ切る道を模索してみようと思います。

    山道を登りきると、公衆トイレがあり、再び、山の花道の小さな道しるべを発見。
    その通りに道路を左に歩いていくと、再び登山道が始まりました。
    物凄い段差の木段です。
    ここで再び考えます。
    年を取って山をあまり歩けなくなったら、あしがくぼ山の花道を最終目的地に・・・・。
    いやいや、このよじ登るほどの激しい段差の道が正規のコースでは、無理ですって。
    健康に留意し、丸山に登る途中で山の花道を楽しむことをずっと続けます。
    ヽ(^。^)ノ

    さて、再び道路に出て、山の花道の入り口に到達しました。
    駐車場もあり、ここには車で来ることもできるのです。
    そういう意味でなら年を取ってからでも来ることのできる場所なのですが、駅から徒歩でもっと楽なハイキングコースはないものなのだろうか?
    私が知らないだけで、あるのかもしれないなあ。
    入り口の案内図をスマホで撮影。
    園内には、案内図や道しるべはほとんどありませんでした。

    とはいえ、この案内図、正直よくわからないのです。
    略図ですから方角も道幅も本当の縮尺とは違うのは当然なのですが、描いた人の意図と読み手の感覚とが一致しないのでしょう。
    略地図は何かを強調してわかりやすくしようとしているはずなのですが、その強調されている何かのために、道の交差の仕方が現実と異なっています。
    何を強調したかったのだろう?
    何をわかりやすくしたかったのだろう?
    それがなぜ、こんなにも現実と異なり、わかりにくくなっているのだろう?
    前回は、ぐるぐると園内を2周くらいした記憶があります。
    前回の記憶をたどり、一直線にセツブンソウの咲く場所へ。
    今年は、セツブンソウを目当てに、来る時期を選んできました。
    去年は早く来過ぎて、何にも咲いていなかったのですが、今年は、咲いていましたー。
    ヽ(^。^)ノ
    上の画像がそれです。

    張られたロープの近くで咲く、フォトジェニックな一輪でした。
    セツブンソウは石灰岩を多く含む土地に咲く花です。
    昔、もう20年も前に三峰のセツブンソウ園地で見て以来です。
    可憐な花が斜面のそこかしこに。
    写真を撮るためでしょう、斜面に踏み込んだ足跡もあったので、もっとロープを厳重に張って、踏み込むことができないようにしたほうが良さそうだなとも感じました。

    これからの季節は、カタクリ、イカリソウ、シロバナノエンレイソウ。
    貴重な山の花々の咲く園。
    特にセツブンソウはわかりにくいところに咲くので、秘密の花園の趣がありました。
    来年はまた季節を変えて来ようと思います。

    さて、ここまでは順調だったのですが、山の花道から丸山へはどう行くのかわからなくなってしまいました。
    向こう側の道路には、どう出るんだっけ?
    ここで記憶の錯誤も起こりました。
    山の花道から日向山を経て丸山に行くと思い、いったん尾根に登り、日向山に向かってしまったのです。
    日向山は、最初に丸山を歩いたときに通りました。
    今回とは反対回りのコースを取ったときです。
    小さな山頂。
    昭和後期の民家の二階の物干し場みたいな展望台。
    そこから見える武甲山。
    記憶は強かったのですが、いざ山頂にたどりついてみると、その物干し場が私の予想とは反対側に設置されていて、あ、これは違うと気づきました。
    物干し場が、記憶の通りの位置にあったんです。
    反対回りに歩いているつもりなのに、見た記憶の通りの位置にあり、びっくりして足がすくみました。
    頭がグラッと揺れる感覚でした。
    まずいまずい。

    急な木段を下り直し、山の花道の尾根まで戻ってきました。
    ためしに、あずまやまで下り、右折すると、あっけなく向こう側の道路に出ました。
    ああ、この道だったのかあ。
    良かった。脱出成功です。
    その入り口にも略地図の看板があり、立ち止まって考え込んでる様子の数人のパーティがいました。
    「日向山には、この道で行けますか?」
    略地図を指さして質問されましたが、相変わらず、私にはこの略地図の意図がわかりませんでした。
    その人たちもよくわからない様子です。
    やっぱりわかりませんよね、この略地図。( ;∀;)
    仲間が増えて嬉しい。
    「この道をいくと、すぐにあずまやがありますから、そこを左に曲がって登り坂を尾根まで登って、武甲山を左手に見ながら歩いていくと、日向山です。途中に道しるべもあります」
    略地図はよくわからない。
    でも、もっと大きく地形把握をすれば、山の花道は脱出できます。
    巨大迷路、あしがくぼ山の花道。
    面白いです。
    絶対また来よう。

    さて、道路に出て、道を左にしばらく歩いていくと、三叉路に出ました。
    ここから「県民の森(山道)」との道しるべに従い、登山道に入りました。
    丸山は、県民の森の中にあるのですが、「丸山」という情報が後退し、「県民の森」という情報がプッシュされている傾向があり、初めてこの山を歩く人には結構難解な道しるべになっていると感じます。
    丸山を目指して歩いている人にとっては、道しるべから得られる情報が少ないのです。
    侵食されて深くえぐれた登山道を行きます。
    両側を土に囲まれた中を歩いていきました。
    だんだん植林帯の普通の道になってくると、右手から良い道が合流してきました。
    その道の方向には「芦ヶ久保駅」との道しるべが。
    また知らない道の登場です。
    この山は、本当に何通りも道があるんだなあ。

    さて、そこから、本日一番の急登の始まりでした。
    先に空しか見えないほどの坂道。
    しかし、そこを登りきると、さらなる坂が見えてきます。
    そんな急登が続きます。
    慌てず、一歩一歩登っていきました。
    いったん道路に出ます。
    道路を横切って、さらに急登の山道をいくと、今度は遊歩道に出ました。
    左手にはベンチやテーブルも設置されていました。
    そこから、また山道を行きます。
    急なところは少なくなり、気持ちの良い登山道をいくと、木段を降りて遊歩道へ。
    さきほどの遊歩道からも、同じところに至るのかもしれません。
    そこからは、最後の登りです。
    木段の急登を行くと、やがて、丸山の展望台が見えてきました。
    丸山展望台。12:45。
    セツブンソウを撮ったり眺めたり、日向山へと道を間違えたりで、今回のタイムは何の参考にもなりませんが。(''_'')

    展望台からの眺めは、やはり冬のほうが良かったです。
    春霞で遠くの山々はほとんど見えませんでした。
    でも、両神山の少し左側、前景に阻まれた先に細く白く見えている山頂部は、あれは八ヶ岳。
    それを見ただけで満足のいく、春の眺望でした。

    展望台の下のベンチで昼食。
    隣りのベンチをテーブルにして、5人パーティが昼食を始めました。
    ベンチをテーブルにするので、座るにはレジャーシートを周囲に敷きます。
    遅れて到着した人に、尋ねていました。
    「敷くものある?」
    「引き出物?」
    「・・・引き出物は山に持ってこない。重い」
    料理自慢の方がいらっしゃるようで、タッパをあれこれと開きながら、
    「これは〇〇のワイン煮で、これは、自家製の〇〇で」
    と料理の説明をしています。
    ご馳走だ、羨ましいなあ。
    そこへ別の人が、
    「これは、西友のおにぎりで」
    と冗談を言いました。
    「え?1000円のおにぎり?」
    と、またも聞き違い。
    明るい笑い声がこだまします。
    陽気な春の山頂でした。

    さて、ここからは急な下りなので、トレッキングポールを準備して、出発。
    来た道とは反対側の登山道を歩いていくと、すぐに分岐です。
    白石峠への道と別れ、道はほぼ直角に右折します。
    急な下りを行くと、登って来た山姿ではない人に尋ねられました。
    「この道は下っていくと、どこに行くんですか?」
    ・・・え?
    だって、あなたは、この道を来たんでしょう?
    謎の質問です。
    「この道は、いったん道路の大野峠というところに出て」
    「はい」
    「それから、もっと下っていくと、芦ヶ久保駅に行けます」
    「ああ、芦ヶ久保駅に行けるんですか」
    「はい」

    道はいったん緩くなり、展望地へ。
    ここはパラグライダーの出発地点。
    堂平山の天文台がよく見えました。
    さらに急な下り。
    木段に土嚢が入って歩きやすくなっていました。
    とっとこ下っていくと、道路に出て、大野峠に車が1台ありました。
    ああ、さきほどの人の車かな?
    それであの質問だったのでしょうか。

    道路を横切って、さらに急な下りを行きます。
    植林帯の中を谷底に降りていく、深い深い下り道です。
    最初に丸山に登ったときは反対回りに歩き、この道を登ってきたので自信を持って下れますが、この山を最初に歩いて、この谷底に降りていくのは勇気が要るかもしれません。
    大野峠付近を含め、その勇気を支えてくれるだけの道しるべがないんですよね。
    取り返しのつかない谷底に降りていく感があります。
    かなり深く降りてからようやく「赤谷・芦ヶ久保」の道しるべが登山道に落ちているのを見て、少し安心。
    地図をちゃんと読んで自力で判断する力が必要だなあ。
    いや、それは山を歩くのなら普通に必要な力なんですか・・・。

    谷底で小さな沢を2つ越え、地滑りで登山道が狭くなっている箇所を越えます。
    木橋を渡るとようやく道幅は広くなり、安心して歩けるようになってきました。
    道には細長く掘った跡が目立ちました。
    山芋かな?
    人が掘った跡かな。
    動物が掘った跡かな?

    赤谷。14:30。
    ここから舗装道路です。
    道なりに下っていくと国道に出て、右へ。
    進行方向右手に広い歩道が整備されていますので、交通量は多いけれど安心して歩いていける道です。
    足元の花が目をなごませてくれました。
    駅前の信号を渡り、階段を登って、芦ヶ久保駅。14:55。
    電車は行ったばかりでした。
    でも、ホームに上がって身支度など整えている間に時間はすぐに過ぎて、15:17発の電車で、帰途につきました。


      


  • Posted by セギ at 13:32Comments(0)

    2018年03月16日

    アクティブ・ラーニングで思い出すのは、ゆとり教育。


    新学習指導要領とともに、近年盛んに言われているのが「アクティブ・ラーニング」です。
    21世紀型スキルを身につけるには、アクティブ・ラーニング。
    「自らが学ぶ力」を養うアクティブ・ラーニング。
    ・・・と、今のところ褒め上げられているアクティブ・ラーニングですが、さほど万能なものでもないのは、容易に想像がつくことです。

    アクティブ・ラーニング型学習とは具体的には何なのかと言えば、発見学習・課題解決学習・グループディスカッション・ディベート・グループワークなど。
    このように具体的な項目を目にすると、何だかこれは見た覚えがあるぞと思う方が多いと思います。
    どれも、「ゆとり教育」の頃に盛んに言われていたことですよね。
    (+_+)

    ゆとり教育というと、今となっては、
    「円周率が3だった」
    「台形の面積の公式を教えなかった」
    など、学習内容を減らし授業時間を減らしたことばかりが印象に残っているかもしれません。
    その結果、国際学力テストで日本は順位を落とし、子どもの学力低下が叫ばれるようになりました。
    同時に、ゆとり教育で育った世代の言動が何かおかしいとも言われるようになり、今やほぼ全否定されているのが「ゆとり教育」です。

    しかし、ゆとり教育というのは、教える内容をただ減らしただけのものではありませんでした。
    減らしたところにアクティブ・ラーニングを導入しようとしたのが真の姿です。
    そのことが忘れられているように思います。
    小学校で「総合」の時間が設けられ、教科の枠を越えた学習が推進されたり。
    ディベートの授業が行われたり。
    中学生が実際の企業や店舗で働く職業体験をするようになったり。
    修学旅行が観光地の物見遊山から、目的地の産業・歴史・文化を調べてその現場に行き、体験学習をするものになったり。
    これらはゆとり教育の時期に導入されたことです。

    「生きる力」を育てる「新学力観」に基づく教育を進める。
    ゆとり教育とは、そういう理想の教育でした。
    これらの例の中で何らかの成果を生んだものは今も教育活動として残っていますが、しかし、それは全面的な成功とばかりは言えないのが実情です。
    アクティブ・ラーニングを享受し、それによって学力を高めることができているのは、一部の生徒に限られているのではないでしょうか。


    国際学力テストは、多くの子どもが受験した学力テストの平均値で比較されています。
    日本は、ゆとり教育の時期に子どもの平均学力が大きく下がりました。
    これは、教える内容が減ったことだけが原因ではなく、アクティブ・ラーニングが、学力が中位以下の子どもを学習から疎外する可能性があることを示していると思います。

    例えば、ディベートの授業。
    優秀な子どもたちは、よく考えて自分の意見を述べ、相手の意見にも耳を傾け、ただ言い負かすのではなく、論点を整理し妥結点を探っていくことを実地に学んでいくでしょう。
    しかし、それほどの聡明さを持たない子どもは、パッと思いついただけの底の浅い印象や感想を大きな声ではきはきと発表し、何か意見を言った気になって満足するでしょう。
    自分の発言の底の浅さを主体的に把握するのは困難ですし、教師がそれを指摘したら何も発言できなくなる子が多いでしょう。
    さらには、そうしたことにどうしても加われず、クラスメートたちが「ディベートの授業」なるものでワアワア言っている中で黙ってうつむき、早くこんな時間終わらないかなあと思っている子たちもいるでしょう。
    ・・・・こんな授業で学力が伸びるのは、一部の生徒だけかもしれません。

    それよりも、もっと基礎的な知識を全員が習得することに力を入れたほうが良いのでないか。
    中位以下の子どもたちの学力は、アクティブ・ラーニングよりも、基礎知識を丁寧に教え込み、それを運用できるようにしていくほうが底上げされるのではないか。
    ゆとり教育への反省から、そういう取り組みが全国で行われ、評価もされてきました。
    日本国内の学力テストで例えば秋田県が毎回高い順位を示すのも、中位以下の子の学力が基礎訓練によって底上げされていることが大きいでしょう。

    ゆとり教育のはるか以前から行われていることを考えてもみても明らかです。
    例えば、夏休みの自由研究。
    素晴らしい発想力と緻密な作業の結合した高度な自由研究をする子もいます。
    一方、毎年毎年、何をやったらいいのかわからず、自由研究が夏休みに暗い影を落としてしまう子も多いです。
    「自由研究アイディア集」的な本から何か適当に選んで真似する子。
    ネットの丸写しでチャチャッと済ませてしまう子。
    書店やデパートで自由研究キットを購入する子。
    ・・・夏休みの自由研究って、日本の戦後教育の中でも最古のアクティブ・ラーニングの1つではないでしょうか。
    それがこのありさまです。
    夏休みの自由研究が深い学びにつながる子もいますが、あまり意味のあるものになっていない子も多いです。
    本人の能力や性格によって、同じ課題を与えられても、それが真の学習に結びつくこともあれば、時間の無駄になってしまうこともあります。
    アクティブ・ラーニングの成果は、本人の自発性と能力によるところが大きく、学力格差が広がりやすい学習法だとも言えます。

    アクティブ・ラーニングには長所も多いです。
    主体的な学習は何しろ楽しいです。
    発見の喜び、自主的に学ぶ喜びを知ることができれば、それは生涯の財産です。
    私が中学生のときに受けていた授業の多くは今でいうアクティブ・ラーニングでした。
    私たちは日々議論を重ね、学習を深めていました。
    しかし、創造的なことが好きな子にとっては喜びであることが、そうではない子にとっては苦痛で成果も上がらないことを、私は同時に知っていました。
    附属小学校から内部進学した子たちの中には、授業で何が話し合われているのかを上手く把握できない子たちがいました。
    成果の上がらないことに時間を取られ、その子に必要な基礎的学習の時間を削られる。
    そもそも、誰も彼もがそんなに創造的で主体的である必要はないのではないか。
    教わったことをしっかり身につけて、それを確実に運用できることだって、重要な能力ではないのか?
    アクティブ・ラーニングのマイナス面に気がついていないと、子どもの学力はまた大きく下がる可能性があります。

    ここで立ちはだかってくるのが、AIです。
    教わったことを確実に再生するだけなら、AIのほうが精度が高い。
    創造的なことができない奴は、21世紀的人材ではない。
    計算練習をしっかりやって、計算問題だけは正答できる子どもたちは、国際学力テストの順位は底上げするかもしれないが、応用問題は解けない。
    そんな学力の子どもでは、今世紀は生き抜けない。
    ・・・・うーん、それはそうかもしれない。
    (''Д'')

    しかし、基礎学力の乏しい子は、アクティブ・ラーニングの学習主体になれないかもしれません。
    アクティブ・ラーニングの周辺をうろうろして、勉強した気になるだけの可能性があります。
    それを有効な学習にしていくには、どうすれば良いのか。
    逆に、基礎学力しかなく、言われたことを言われた通りにやれるだけでは、確かに将来は不安です。
    今回の新学習指導要領は「ゆとり教育」の再来となるのか。
    それとも、何か新しい展開があるのか。
    結果が出るまであと10年はかかるでしょうが、またしても失敗だったという結論は避けたいです。

    塾としてやれることは、まずはとにかく基礎学力を確立すること。
    その上で、応用力を養成すること。
    自分で考えて自分で学習できる学力を鍛えること。
    知識のインプットがされていない子はアウトプットできないことは、ゆとり教育の失敗から学んでいることです。
    まずは確かなインプットを。
    そしてアウトプットできるスキルを。
    アクティブ・ラーニングから疎外されない学力を育てましょう。
    時代が変わっても、私にできることは、結局あまり変わらないのかもしれません。

      


  • Posted by セギ at 12:01Comments(0)講師日記

    2018年03月14日

    3月24日(土)、大人のための数学教室を開きます。


    3月10日(土)の大人のための数学教室は出席者0人のため、中止となりました。
    次回は3月24日(土)となります。
    「みちのく未来基金」への寄付は、例年通り6000円を近日中に振り込みます。

    そんなわけで、今回は高校数学に関する雑感を。
    高校生、特に数学があまり得意ではない女子生徒のなかには、数学に関して「店じまい」を始めてしまう子がいます。
    数学はもう全くわからないし、入試にも使わないから、定期テストは赤点を取らなければいい、単位が取れればいいというふうに本人は判断しています。
    いえ、それほど明確に思い定めているわけではないにしろ、学習姿勢はそのようです。
    「その学習姿勢で、数学を入試に使うとか言いませんよね?それではセンター試験も無理ですが、それでいいですよね?」
    とひと言、念を押したほうがいいのかもしれませんが、それは事務的な確認というよりは説教でしょう。
    言われなくてももう無理だと本人が一番わかっていることです。

    具体的には、そうした生徒は、学校から渡されている教科書準拠問題集以外は決して解こうとしません。
    他の宿題を出しても解いてきません。
    学校の問題集も解いてこず、このままではノートを提出できなくなると窮状を訴えてきます。
    学校の問題集は学校にノートを提出しなければならないのです。
    そうなると、塾で学校の問題集を解く手伝いをしないわけにいかなくなります。

    個別指導塾に数学を教わりにくる生徒が最初に感じるメリットは、解説を読んでも意味がわからない学校の問題集を一緒に解いてくれることです。
    しかし、それだけでは数学の成績は上がりません。
    学校の問題集を教わりながら1回解いただけでは何も定着しなくて当然です。
    むしろ、成績は徐々に下がる心配すらあります。
    それをあの手この手でケアし、何とか対策し、定期テストで、他の科目と比べて極端に数学だけ低いわけではない状態に成績をキープするのが私の仕事になります。
    塾で教わっていない化学や物理は既にとんでもなく低い点数になっていますので、数学はまだしもまともな点数に見えます。
    しかしそれが砂上の楼閣であることは、少なくとも私と生徒は理解しています。

    中高一貫校や私立高校は、学校で定期的に業者の学力テストを受けます。
    学力テストは、高校1年や2年の場合、テストは3科目のみです。
    その成績データが返却され、保護者の方から、
    「国語や英語と比べて、数学の偏差値が低いのですが」
    と相談されたことがありました。
    上のような「店じまい」の始まっている生徒でした。

    ・・・・でしょうね。('_')
    文系なんでしょう。

    なんてことを言うのは、絶対にダメです。( ;∀;)
    しかし、では何と言えば良いのでしょう。
    この先は、教育問題というよりも、塾の営業トーク術の問題になってしまいます。
    この問題を本質的に解決するのは難しいです。
    数学の偏差値を国語や英語並みに上げるには、当然、そのための多大な努力が必要ですが、その努力をするつもりが、生徒本人にもうなかったのです。
    「店じまい」の状態でした。
    それは単純に生徒が悪いわけでもありません。
    理系科目は自分には向かないことが、本人にはもう見えていたのです。
    当然、志望は文系ですし、その方向で希望も見出していました。
    「国語や英語より数学の偏差値が低いのはなぜでしょう?」
    と質問なさる保護者の方よりも、生徒には、具体的な将来が見えていたのです。

    ところが、そういう説明をすると、保護者の方には当然の疑問が浮かんだようです。
    では、塾で数学を教わる意味はないのでは?
    私の営業トークが上手くないこともあり、英語は引き続き受講するが、数学の受講は止めます、ということになりました。
    去年のことです。

    そうなって数か月、それでも、定期テストの得点は以前と同様全科目記録してもらっていました。
    数学の受講を止めて以降、数学の成績は見る見る下がっていきました。
    たった2回の定期テストで、得点は40点下がり、ひと桁台になりました。
    数学が苦手な子が100点満点のテストでひと桁の点数を取るのは、高校数学ではそう珍しいことではありません。
    独りで勉強していると、そうなってしまうことがあります。

    成績をキープしているだけで、実は凄いことだった。
    塾に通っている成果だった。

    そんなことが後からわかってもあまり意味がないし、塾として誇れることでもありません。

    学校の問題集だけ勉強したい。
    そのために個別指導を受けにきている。
    学校の問題集をやってくれないなら、個別指導を受ける意味がない。
    それは数学が苦手な生徒の普通の感覚です。
    それを阻止するための攻防はなかなかしんどいものです。

    しかし、多くの反省から、去年あたりからようやく、それに関する光明が見えてきました。
    学校の問題集も扱うが、その他のことも扱い、バランスが保たれるようになったのです。

    今年の数学受講生は、全員、その場しのぎでない数学学習が可能となっています。
    その結果、生徒の学力が変容しています。
    入会当時は数学が苦手だった生徒が、学校の学力別で一番上のクラスに上がり、そのクラスに定着するようになりました。
    基本問題が解けるのは当然のこととして、初見の応用問題は白紙でも仕方ないだろうと思っていたのですが、それすら正解に肉薄しています。

    問題への自力でのアプローチが可能になったのです。
    それは、教えてはいるけれど、正直、定着することまで期待してはいなかったことです。
    問題解決に向けて、とにかく何かをやってみること。
    試行錯誤してみること。
    教えていることの第一章であり最終章でもあるそれを、数学が苦手な子は、決して実行してくれないのです。
    「わかりませーん。教えてください」
    と質問するばかりで、自分で考えることが少ないのです。
    ちょっとわからないと教わって済ます。
    でも、それで仕方ないのではないか?
    だって、数学が苦手なんだから。
    そのように半ば諦めていたことが、諦める必要のないことに変わりました。

    私が諦める必要がないのと同様に、生徒が諦める必要もありません。
    数学に関して「店じまい」をする必要がないのです。
    そうなってみて感じたことがあります。
    学習意欲のない生徒がいたのも本当。
    しかし、「店じまい」をさせていたことに、私の責任はなかったのか?
    もう少し数学の成績に対して今後の希望が持てていたら、「店じまい」など起こらなかったのではないか?
    入会当初は「店じまい」をしていた子に、もう一度お店を開かせることは、可能なことだったのではないか?
    この反省を今後も忘れずに研鑽を積んでいきたいと思います。

    今年。
    どうせ入試に使わないだろうとは、私も生徒も思っていません。
    最終的には入試に数学を使わないかもしれない。
    でも、それは数学ができないからではない。
    そうした学力が育っているのを感じます。

      


  • Posted by セギ at 14:50Comments(0)大人のための講座

    2018年03月12日

    木下沢林道から景信山を歩きました。2018年3月。


    2018年3月11日(日)、今週も奥高尾を歩きました。
    そろそろ春の花を探す山歩きをしたいのですが、今年の冬は寒かったですし積雪もあったので、春を告げる早春の花は来週が見頃と予想されます。
    今年こそ、セツブンソウを見たい。
    そういうわけで来週の予定は早々に決まったのですが、では今週はどうしましょう?
    こんなときは歩き慣れた奥高尾。
    コースを変えればまた楽しいのが奥高尾です。

    JR高尾駅北口に降り立ち、小仏行きのバス停へ。
    バス停の行列は一度折れ曲がり、道路にまであふれていました。
    バスは3台同時発車。
    途中、車窓からは梅まつりの提灯やテント、のぼりが見られました。
    それぞれの梅郷で梅まつりが開催されています。
    梅は五分咲きから七分咲きくらいでしょうか?
    満開にはあと数日かな?

    日影下車。8:45。
    バスの進行方向のまま、まずは道路を行きます。
    日影沢林道の登山口を通過し、そのまま道なりに直進します。
    中央線の高架下をくぐり、道しるべの通りに右折。
    坂道を登っていくと、線路を見下ろせるポイントにカメラの行列ができていました。
    撮りテツの皆さんです。
    私の前を行く登山者が撮りテツさんの1人に話しかけていました。
    あと5分ほどで臨時列車が通るとのこと。
    ほほお。
    撮りテツさんたち同士でのマナーがよくわからないので、少し心惹かれたけれど通過しました。

    さて、木下沢林道起点。
    木下沢は、現地ではこのように表記されていますが、地図上では「小下沢」と表記されています。
    例によって、地図を作る際に聴き取りに失敗したのでしょうか。
    ここも梅郷があり、五分咲き。
    空が曇っていたので、写真を撮っても暗く、梅が上手く写りませんでした。

    山支度を整え、木下沢林道を行きます。
    歩きにくいというほどではないものの、地面は濡れていました。
    数日前の大雨のせいでしょう。
    ここは、奥高尾主脈と北高尾山稜に挟まれた谷底なので、まだ春は遠いようです。

    旧キャンプ場。9:25。
    それまでよりも広い空間で、ここがそうだと勘でわかるのですが、キャンプ場の面影はありません。
    「景信山」と記された、見落としそうな道しるべが一応立っています。
    沢を木橋で渡り、左に細い沢を見ながら、登山道を登っていきます。
    この辺りは、大雪があると雪崩れや地滑りで地形が少し変わってしまいます。
    以前来たときとは、やはり少し印象が違うなあと感じながら、急登を進みました。
    今日は特に沢が増水しているようで、登山道が沢になっている箇所もありました。
    水に濡れずに足を置く場は一応ありました。
    一本調子の登りだったところが、途中から九十九折の登りに変わっていきます。
    もともとそんなに広い道ではないですが、地滑りでさらに細くなっている箇所もあり、慎重に歩いていきました。

    予想外の方向から男の人が突然ズザザッと滑るように降りてきて、びっくり。
    「あ、こっちが道ですか?」
    「・・・はい」
    作業道も派生しているので、そちらのほうに迷い込んでしまった人のようです。
    早めに気づいて軌道修正できて良かったですね。
    道が別れたら、より踏まれているほうが正規の登山道ですが、作業道もそれなりの説得力で登山道らしく見えるのです。
    男性は後ろを振り返りました。
    道の奥から、パリッとした登山姿の女性が、ダブルストックで頼りなげに歩いてきました。
    大丈夫かな?
    この道は、この先、ちょっと厄介な箇所があるのです。

    ジクザグに登っていくと、道はだんだん細くなり、斜面に向かって傾いてきました。
    やがて極端に道が細くなり、ほとんど岩と木の根だけになっている箇所が現れました。
    すれ違いは不可能なので、下山する人がその先で待ってくれていました。
    待たせているのは申し訳ないけれど、ここは慎重に。
    手で岩をつかみ、足場をしっかり選んでいけば大丈夫です。
    待っていてくれた人にお礼を言って、道は右に急カーブ。
    その先も、もう1か所、岩だけになっている細いところがあり、そこも慎重に通過。
    それを越えれば、あとは特に問題ありません。
    道はさらに湾曲し、通過した箇所を見渡せるのですが、後続の人たちが現れません。
    あのややこしいところで、しかも人とすれ違わねばならないことになっているのだろうか。
    そんなに難しいわけではないのだけれど、そんなに易しいわけでもない。
    微妙な難度の登山道です。

    ふいに、くしゃみが5連発。
    私は軽い花粉症なのかもしれませんが、花粉よりも寒暖差やハウスダストのほうが堪えるので、結局、単なる鼻炎なのだと思います。
    くしゃみをしながら植林帯の坂道を登っていきました。

    小仏からの東尾根登山道と合流し、道はさらに急になります。
    道は複線化していて、うっかりすると最後の分岐で景信山を迂回する道に入ってしまいますので、注意が必要です。
    以前と異なり、「景信山」を示す小さい白い道しるべが立っていました。
    平らな道ではなく、急な登りの右の道が、景信山への道です。

    急登が木段に変わると、もう山頂は近いです。
    まずは左手にトイレ。
    さらに木段を登っていくと、景信山山頂。10:40。
    春霞で、高層ビルの気配すら見えませんでした。
    空がモヤモヤしています。

    少し休んで、城山に向かいました。
    ここは先週も歩いた道。
    山頂直下の急坂をたったか下り、その先の急坂もとことこ下って、小仏峠から登り返します。
    相模湖の見えるベンチで昼食を取りました。
    相模湖は、茶色に濁っていました。
    これも大雨の影響でしょう。
    こんな色の相模湖を初めて見るなあと眺めながらおにぎりを頬張っていると、風向きがふいに変わり、その瞬間、目の前の数本の木からボフッと黄色い埃のようなものが噴き出されました。
    花粉だ!(''Д'')
    学校のグラウンドの土埃が舞ったような濃さで花粉が迫ってきました。
    押し寄せる黄色い埃をタオルで防御。
    ここのベンチは、今の時期は相模湖以上に凄い光景が見られるのですね。
    相模湖が茶色いのも、花粉が表面に浮いているせいじゃないの?
    と言いがかりをつけたくなるほどの花粉でした。

    さて出発。
    しばらく平坦な道が続きますが、その先は、分岐。
    左のまき道は、日影沢林道と合流する道で、小仏城山は迂回します。
    右の木段、その先の木の根の作る段差の道を行きました。
    段差を登りきると、城山の電波塔が見えてきます。
    すぐに小仏城山。11:45。
    本日も、みそ仕立てのなめこ汁のほうの茶店はお休み。
    しょうゆ仕立てのなめこ汁のほうの茶店、城山茶屋は営業中でした。
    茶店前のお花畑はクロッカスが満開。
    黄色いスイセンもきれいに咲いていました。
    ここは梅も何種類も植えてあり、春爛漫の頃に歩くととても華やかな場所です。
    4月中旬が見頃になるでしょうか。

    ここからよく整備されたウッドデッキと木段をどんどん降りていきました。
    丹沢も霞んで見えないほど眺望のない日なので、今日は一丁平の展望地も紅葉台もパスし、まき道を行きました。
    高尾山下。12:30。
    先週よりも観光客が多いのは、時間帯が違うせいもあるかなあ。

    トイレ前の分岐から6号路に入ります。
    まずはベンチでひと息いれて、そこから木段をどんどん下っていきました。
    木段からゆるい坂道へと道は続き、そこから大きく左に曲がって、まずは飛び石。
    水量はいつもより多いですが、ここの飛び石は背が高いので、問題なく通過できました。
    6号路琵琶滝コースは、崩落事故によりしばらく通行禁止になっていましたが、どこが崩落したのでしょう。
    きょろきょろ見回しながら歩いていきましたが、結局、わかりませんでした。
    歩きやすい道をどんどん下り、高尾山口。13:50。
    早い下山となりました。
    来週は、セツブンソウを見たい。
    と期待していると雨が降ったりするのが心配ですが。

    ところで大量の花粉を吸って、さすがに昨夜は、顔がヒリヒリし、目は痒く、鼻はバカみたいになりました。
    しかし、1夜明けた今日はいつもの軽い鼻炎モードに戻っていますので、やはり私は花粉症ではなさそうです。

      


  • Posted by セギ at 13:18Comments(0)

    2018年03月07日

    それぞれの夢を心に宿して。



    今年は芸人さんが大学受験をしたのが話題になりました。
    テレビ番組の企画で東大受験を目指し、センター試験を受けた方もいました。
    結果は、
    国語148/200(現代文92古文35漢文21)
    英語76/200
    数学1A32/100
    数学ⅡB20/100
    地理B66/100
    日本史B51/100
    生物基礎30/50
    地学基礎25/50 だったとのこと。

    この数字をどう読むかは難しい問題です。
    その人の基準がどこにあるかによって見え方は違ってくると思うのです。
    「結局、国語しかできていない。本当に勉強したのか?」
    と言うことも可能です。
    特に英語と数学の得点は胸が痛いです。
    基礎を積み上げ、理解を深めないと、なかなか伸びないのがこの2科目です。

    あの番組を見ていた人の中には、合格が可能なのではないかと本気で思っていた人もいたかもしれません。
    「たった3か月で偏差値が30上がった!」という宣伝文句を見ることもそう珍しくない昨今です。
    それは本当に可能なのではないか?
    宣伝文句に煽られ、慣らされて、
    簡単なことのように感じてしまう人もいると思います。
    それは危険なことです。
    実際にはかなり珍しい事例ですから。
    だから話題になるのです。
    とはいえ、それは絶対に不可能なことでもない。
    そのはざまで、生徒本人も保護者の方も心が揺れてしまうのかもしれません。
    自分の子どももそれは簡単にできると信じたい気持ちになってしまうこともあるのでしょうか。

    最近、教育関係のネット記事など拾い読みしていて、1つ興味を引いたのが、学力の低い子たち向けの学習プログラムを提供する会社が業績を上げているという記事でした。
    教育関係というよりもビジネス記事です。
    その学習プログラムを導入した塾に通う生徒たちは、各自、パソコンで勉強します。
    アニメが多用され、クイズ形式で進行する学習プログラムには、パスワードを使って自宅の端末でもアクセスでき、繰り返し学習が可能。
    平均で1割の得点増加が見られ、評判は上々である、とのこと。

    ・・・・1割?
    学力の低い子で1割の得点増加?
    それは、例えば、定期テストで20点の子が、22点になったということですか?
    30点の子が、33点になったということですか?
    え?
    そんなことでいいんですか?
    それ、誤差の範囲ではないんですか?
    それで本当に「成績が上がった!」と喜んでもらえるんですか?
    思わず記事を二度見しましたが、やはり「1割」と書いてあるのです。
    普段ビジネス記事を書いている記者は、売り上げが1割上がることのような感覚でそれをとらえてしまったのでしょうか。

    一方で、「3か月で偏差値30上昇」が簡単なことのように言われ、一方で、学力の低い子の得点が1割上昇したことが凄い成果であるように言われる。
    この落差に、振り回されそうになります。

    現実は、それと似ているようで、でも、それぞれに異なると思うのです。

    今年、セギ英数教室は受験生が多く、まとまった結果を出しました。
    高校入試では2015年度入試以来の成果です。
    その間の数年に、受験生がいなかったわけではありません。
    高校受験をした子はその間もいました。
    合格しているのですが、それをこのブログに記すのはちょっと違うかなあと感じていました。
    年に1人ずつで、ぽつんとした印象になってしまうのを懸念してのことでもあります。
    でも、それだけではありませんでした。

    ある子は、中学2年の冬に入会しましたが、直前の定期テストの英語の得点は、ひと桁でした。
    公立中学の英語の定期テストで10点未満というのは深刻です。
    提出物や授業態度で加点があったのでしょう、成績は「2」でしたが、いつ「1」になってもおかしくありません。
    授業をしてみると、英語が全く読めないことがわかりました。
    単語の識別がほとんどできないのです。
    fatherとfamilyの区別がつかず、同じ単語に見えるようでした。
    「faしか同じじゃないよ。アルファベットは文字の種類が少ないから、どんな単語も多少は似ているよ。それを見分けるんだよ」
    と説明しても、
    「えー、同じだよー」
    と、にこにこ笑っていました。

    とにかく、教科書の重要例文・重要表現をどんなことをしてでも丸暗記すれば、穴埋め問題くらいはいくらか得点できるようになるだろうか。
    すぐに結果が表れないと辞めてしまう子もいますから、最初のテストの得点の動きは大切です。
    しかし、その学校の定期テストの問題を見て、私は青ざめました。
    リスニング問題を除く大問1はテスト範囲の文法問題、大問2はテスト範囲の重要表現、と穏当な出題でしたが、大問3以降は、都立入試問題と同じ形式の問題でした。
    初見の長文読解問題と英作文です。
    中学2年で、応用問題だらけの英語のテストです。
    テスト範囲が直接反映されている配点は20点程度。
    本当に英語力がないと太刀打ちできないテストでした・・・・。

    公立中学の英語問題は、テスト範囲の問題しか出題されない場合、問題自体がワークブックのように単調で簡単なことがあります。
    んなテストのための試験勉強しかしていない子は、中3になって突然、都立入試に向けての学力診断テストを学校で受けると、初見の英文を全く読めないため、普段の成績とはかけ離れて低い点数を取って慌てることになります。
    極端な話、学校の英語の成績は「5」なのに、初見の長文を読めない子もいます。
    その場合、学校の英語の成績は、その子の本当の英語力を表していません。
    変にふわふわと高い内申のため志望校が高くなってしまうと、それに見合った入試得点を取れないため、結局、他校の受験生に競り負けてしまいます。

    そういうことがありますから、学校の英語の定期テストに応用の長文読解問題があると、塾講師として、この学校の英語の先生は信頼できると感じます。
    学校のテストに応用問題が出るのだから、教科書を離れた問題も解いていくべきだよねという話を生徒にしやすいですし、生徒も納得してくれます。
    しかし、2割がリスニング、6割が応用問題で、しかも都立入試形式となると、学力の低い子は、どこから手をつけていいかわからない状態です。
    これは厳しい・・・。

    それからのことは、思い出すだけで胃酸が逆流してきそうです。
    週に1回塾に通うだけで英語力がつくわけがないのです。
    宿題の質、そして、宿題を解いている学習時間の質が学力を左右します。
    しかし、その子は独りで家庭学習ができる学力ではありませんでした。
    文法の基礎からやり直すといっても、中1の1学期の内容であるbe動詞と一般動詞の章で学習はほぼストップしました。
    文法問題を解くときに、文法を考えて答えていくという学習習慣がなかったのです。
    何となくそれらしい単語で( )を埋め、何となく英語っぽい順番で与えられた単語を並べていくだけなのでした。
    問題を解くスピードは速いのですが、それは考えていないからでした。
    常に当てずっぽうです。
    正答はほとんどありませんでした。

    適当に答えを埋めれば勉強した気分になれるので、文法の勉強はそれでも好きなようでしたが、長文読解問題は、中1向けの5行程度のものでも解いてきませんでした。
    全く読めないというのです。
    文法の宿題はやったのだから、長文の宿題はやらなくてもまあいいだろう、勉強はしている、と本人の中では辻褄が合ってしまう様子でした。
    当てずっぽうに解いているだけの勉強が英語の家庭学習の全てでは、英語力はつきません。
    ( ;∀;)

    一方、保護者の方は、わざわざ塾に通わせているのだから、効果があるのが当然と思っています。
    そして、それは塾という存在への信頼でもありますから、その信頼には応えたい。
    しかし、
    「目標は私立単願です。40点とるだけでいいのです」
    と言われてしまうと、それがどんなに大変なことかわかりますか、奇跡への挑戦ですよ、という気持ちにもなります。
    1割アップどころの話ではありません。
    得点を5倍にしろというのですから。

    勉強が苦手な子どものテストの得点が1割アップしただけで喜ぶ保護者は本当に実在するのでしょうか。
    10点が11点に。
    20点が22点に。
    30点が33点に。
    それで喜んでいただけるのでしょうか。
    私はそれで喜んでいただいたことはありません。
    そんなことでは喜べないほど現実は厳しく、保護者の方も追い込まれているのです。

    しかし、
    「40点とるだけでいいのです」
    と言っていただけたことはむしろ幸いだったと思います。
    それには家庭の協力が不可欠です。
    家庭学習の具体的な方法を私から提案できました。

    それ以降、保護者の方もその生徒も、本当に頑張りました。
    中3の2学期の定期テストでついに40点台を取り、無事に「2」をキープ。
    その子は、私立単願推薦をもらうことができ、高校に合格しました。
    内申に「1」があると、さすがに私立単願も難しいのです。
    私立単願が不可能となれば、一般入試に賭けなければなりません。
    入試で合格点が取れるようなら、そもそもこんな苦労はしないのです。


    偏差値が高いとはいえない私立高校の単願推薦合格です。
    しかし、私にとっては、今年の受験結果とはまた別の意味で誇らしい成果でした。
    ただ、その凄さ、その価値はなかなか伝わらないと思い、ここには書きませんでした。
    何しろ胃酸が逆流しそうな生々しい記憶でもあり、こうして時間が経過して、ようやくここに記しています。

    勉強が得意で、もっともっと勉強を得意になりたい人も大歓迎です。
    でも、勉強のやり方がわからず、結果が出せないでいる人も歓迎します。
    一番上に記した、芸人さんのセンター得点に、
    「何だこんな低い点。あったま悪いな」
    と笑う周囲の人たちに同調して作り笑いを浮かべはしても、あれは勉強した人の得点だ、勉強したけれど夢かなわなかった人の得点だと読み取ることのできる人。

    私と勉強しませんか?

      


  • Posted by セギ at 14:30Comments(0)講師日記

    2018年03月05日

    陣馬山一ノ尾根を歩きました。2018年3月。


    2018年3月4日(日)、陣馬山一ノ尾根から奥高尾を縦走しました。
    三鷹から高尾で中央線に乗り換えて、藤野駅下車。
    改札を抜けると右手にトイレがあります。
    改札前にはベンチもあり、山支度を整えて出発。9:10。
    まずは高尾方向に戻るように歩きだします。
    ほどなく踏切があり、それを渡ると、トンネルです。
    トンネル内には歩道がありますが、車が通るときにトンネル内に轟音が轟くのが結構怖いです。
    それでも、トンネル内は乾いているし凍結もしていなかったので無事に通過しました。
    トンネルを抜け、さらにてくてくと舗装道路を歩いていきます。
    藤野駅から和田行きのバスも出ていますが、歩いても駅から25分ほどで陣馬山登山口バス停に着きました。9:35。
    バス停の少し先、道しるべに従い右折。
    山支度を道路でするのは通行の邪魔になるので、ここの空き地で行ってくださいという掲示がありました。
    1年半前に来たときは、なかった掲示です。
    一ノ尾根、来る度人気が上がっているのを感じます。
    歩く人が多くなったので、こういう注意事項も掲示されるようになったのでしょう。

    すぐ先に次の道しるべがあり、「一ノ尾根」と示されている通りに左の道を選びます。
    ここから舗装された急坂が続きました。
    朝から暖かく、もうじんわり汗がにじみます。
    道なりにどんどん登っていきます。
    基本は直進ですが、直進すると舗装が尽きてしまうところで、舗装の通りに右へ。
    登山口の道しるべが見えてきました。9:50。

    一ノ尾根の登山道は整備された広い道です。
    日差しがよく通って明るく暖かい登山道でした。
    急なところもありますが、その先はまた平坦な道なので、そんなに苦しい思いをせずに歩いていけます。
    ほんの1週間前まで、登山道は凍結箇所が残り、軽アイゼン必携との情報でした。
    しかし、この1週間でめっきり春めいてきて、気温20度を越えた日もありましたから、さすがにもうアイゼンは不要と思い、持ってきませんでした。
    でも、一応心配だから、トレッキングポールは2本携行。
    一ノ尾根の道は穏やかで、そのポールもザックに差したまま、のんびり歩いていきました。
    要所要所にベンチがあり、見つける度に一応座って水分補給しました。
    むしろ、暑さ対策をしないといけない陽気でした。

    空が広くなってきて、最後の木段道。
    上の写真は、木段の途中で振り返って撮影したものです。
    生藤山が大きく見えます。
    早春の山の色。
    もうすぐ一斉に緑に変わりますね。

    陣馬山山頂。11:15。
    芝生にレジャーシートを敷いて座り、霞む富士山をのんびり眺めました。
    目を右に転じると、生藤山。
    その奥に、三頭山、雲取山、大岳山。
    陣馬山の山頂は広く、白馬のモニュメント付近が標高的には一番高いですが、この芝生のあたりが私は好きです。
    斜面を下ったところにぽつんと木が1本。
    黄色い花をつけていました。
    ええと、あの木は、何という木でしたっけ?
    アブラチャン?
    ダンコウバイ?

    風もそんなに冷たくなく、日差しはぽっかぽかです。
    昼寝をしている人が何人もいました。
    私も、のんびりお昼を食べ、コーヒーを飲み、薄れていく富士山を眺めました。

    トイレは、凍結防止のため冬期用の1か所のみ使用可能でした。
    でももう、それも解除されるでしょう。
    北斜面に雪は少し残っていますが、登山道に凍結箇所はありませんでした。
    出発。11:55。
    ちょっと長居し過ぎました。
    陣馬山は快適過ぎていけません。

    さて、白馬のモニュメントまで登り、そこからいつもの道を高尾山まで縦走します。
    最初の階段道は日当たりが良いのでもう泥も乾いていましたが、その先は陣馬山おなじみのドロドロ道でした。
    安全のため、ここでトレッキングポールを出し、なるべく登山道の端の乾いているところを歩いていきました。
    陣馬山から離れるとドロドロ箇所もほとんどなくなり、道は広く快適です。

    伐採地。
    陽当たりが良すぎて暑いくらいでした。
    相模湖方面の樹木がまた少し伐採されて減ったような。
    樹間から向こうの風景が透けて見えました。
    そのうち全部伐採して、展望地にするのでしょうか。
    ここはいつ歩いても暑く埃っぽくて、周りの樹木がいかに涼しい空気を保ってくれているのかを改めて感じる道です。

    まき道まき道と選んで、最後のひと登りだけは頑張って景信山。13:45。
    茶店は営業中でした。
    もう富士山は見えず、丹沢も青い影となっていました。

    登山道の整備も進み、ポールも使っているので、景信山からの急坂も楽々と下れました。
    小仏峠からは登り返し。
    階段道の急坂を登って、相模湖の見渡せるベンチでまた少し休憩しました。
    ここの植林こそ、ほんの数本伐採すれば相模湖と富士山の眺望が随分良くなるでしょう。
    でも、木を伐り過ぎると地滑りの危険もあるし、ムササビもつかまりどころがなくなるしなあ。
    あまり人が手を加え過ぎてはいけない、とぼんやり考えつつ、さて出発。

    木段、そして木の根の作る段差の急坂を登りきると、小仏城山。14:45。
    珍しくここの茶店はお休みでした。
    時間も遅いので、人もまばらです。
    ここからはよく整備された木段の下りです。
    この木段が整備される前は、この時期の奥高尾は泥んこ道ばかりで歩きにくく、藁など敷いてあっても焼け石に水で、関東ローム層、手ごわいなあと感じたものでしたっけ。

    高尾山下。15:25。
    山頂への石段は上らず、まき道から1号路へ。
    観光客がそれなりに増えてきましたが、それも歩くのに不都合なほどではなく、すいすいと降りていけました。
    「3号路・6号路、凍結のため転倒事故多発」との掲示が。
    それもこの陽気でそろそろ大丈夫でしょうか?
    リフトは16:00まで。
    茶店も閉店し、片付けが始まっています。
    来週の日曜日は高尾の火渡り祭り。
    ポスターが掲示されていました。
    来週の高尾は大賑わいとなりそうです。

    1号路を歩いて下り、高尾山口。16:35。
    駅への道を急ぎました。

      


  • Posted by セギ at 12:06Comments(0)

    2018年03月01日

    入試結果、出ました。


    2018年度入学試験結果が本日全て揃いましたので、ご報告いたします。

    ◎大学受験の部
    早稲田大学文学部合格
    中央大学文学部合格
    成蹊大学経済学部合格
    東洋大学経済学部合格
    デジタルハリウッド大学合格(推薦入試)

    ◎高校受験の部
    都立西高校合格
    都立南平高校合格
    女子美術大学付属高校合格(推薦入試)

    ◎中学受験の部
    恵泉女学院合格

    今年は受験生の人数も塾内で過去最大、合格実績も高いものとなりました。
    受験生の努力が結実しました。
    塾の歴史が長くなり、長期間通ってくれた生徒さんの合格には喜びもひとしおです。
    本当に良かった。
    皆さん合格おめでとうございます。


    今日から3月。
    また新しい出発です。
    セギ英数教室は、生徒を募集しています。

    大学受験英語は、受験科目の中でも最大の得点源として、ペーパーテストで高得点を取るための授業を行っています。
    英語4技能への移行を睨みつつも、現時点では、やはり筆記試験の得点力が入試を左右します。
    英語は常に得意科目でありたい。
    他の科目の少しの失敗は楽にカバーできる英語得点力を実現しています。

    数学は、得意な人は得点源としてのびのびと能力を伸ばし、また、苦手な人は、他の科目に迷惑をかけない得点を必ず確保することを目標に、演習中心の実戦的な授業を行っています。
    数学は苦手だが大学受験にどうしても必要な人、歓迎します。

    高校入試においては、数学・英語を含め、5教科の指導を行っています。
    こちらも入試問題の出題傾向に焦点を絞り、必要な知識を身につけた上での実戦的な入試対策を行っています。
    都立入試の数学・英語は得点源。
    さらに、他の各科目も最低でも85点は取る
    そうした形で入試の朝を迎えることを毎年の目標とし、成果を上げています。
    また、私立入試・都立自校作成校入試は、英語・数学ともに学校で学ぶ内容だけでは不足があります。
    早くから志望を定めている方には、定期テスト対策で内申を確保しつつ、学校のカリキュラムを離れて入試に向けた発展的な学習を計画的に指導しています。

    中学受験は、受験算数をメインとした指導を行っています。
    他科目の受講もご相談に応じます。
    当塾だけで入試対策をする方も、他の塾の補習の形で活用される方も歓迎です。

    受験生が卒業し、現在、授業コマに余裕があります。
    新規の生徒を募集しています。
    塾は3月が新学期。
    一般的にも、個別指導は、実力・実績のある講師から授業が埋まっていきます。
    新学期から通うのでは、指導経験のない新人アルバイト講師しか空きがないということにもなりかねません。
    今が塾選びの時期です。

    左のお問い合わせボタンから、ご連絡ください。
    まずは無料体験授業を受けてください。
    ご連絡、お待ちしております。



      


  • Posted by セギ at 12:07Comments(0)講師日記

    2018年02月25日

    3月10日(土)、大人のための数学教室を開きます。


    今年も3月11日が近づいてきました。
    あれから7年。
    セギ英数教室は東日本大震災の年に開校しました。
    このブログも、地震の混乱の頃から始まっています。
    塾の歩みは、あの日からの歩み。
    次回にいただく受講料は「みちのく未来基金」に寄付させていただきます。

    さて、2月24日(土)、大人のための数学教室を開きました。
    今回も引き続き「剰余の定理」「因数定理」の学習です。

    問題 f(x)=4x3-3x2+ax+b がx2-2x-3 で割り切れるように定数a、bの値を定めよ。

    割り切れるということは、
    f(x)=(x2-2x-3)(   )
    という形に因数分解できるということです。
    最初の( )をさらに因数分解すると、
    f(x)=(x-3)(x+1)(  )
    という形になるということ。
    これは因数定理が使えますね。
    f(3)=0 になるのですから、
    f(3)=4・33-3・32+3a+b=0
    これを整理して、
    108-27+3a+b=0
    3a+b=-81 ・・・①
    また、f(-1)=0 でもありますから、
    f(-1)=4・(-1)3-3・(-1)2-a+b=0
    これを整理して、
    -4-3-a+b=0 
    -a+b=7 ・・・②

    あとは、aとbの連立方程式として解きます。
    中学2年で学習した内容ですね。
    ①-②
    4a=-88
     a=-22
    これを②に代入して、
    22+b=7
         b=-15
    よって、a=-22、b=-15 となります。

    問題 整式 f(x)をx-1でわると-1余り、x-4で割ると5余るという。f(x)を(x-1)(x-4)で割ったときの余りを求めよ。

    これは上の問題と異なり、整式 f(x)が何字式なのかわかりません。
    だから、(x-1)(x-4)で割った商が何次式であるかもわかりません。
    なので g(x)と表します。
    fの次だから g で、この文字の使い方にそれ以上の意味はありません。
    何でもいいんですよ。

    f(x)=(x-1)(x-4) g(x)+ax+b とおく。
    (x-1)(x-4)は2次式なので、余りは1次式となります。
    それを ax+b とおいています。
    ここで剰余の定理が利用できます。
    x-1で割ると余りが-1なのですから、f(1)=-1です。
    すなわち、
    f(1)=a+b=-1 ・・・①
    同様に、
    f(4)=4a+b=5 ・・・②
    ②-①
    a=6
     a=2
    これを①に代入して、
    2+b=-1
      b=-3
    余りをax+bと表したのでした。
    よって、余りは、2x-3 となります。


    問題 x9-12 を x2-4 で割ったときの余りを求めよ。
    これもg(x)を用いて、
    x9-12=(x2-4)g(x)+ax+b と表すことができます。
    割る式を因数分解して、
    x9-12=(x+2)(x-2)g(x)+ax+b
    剰余の定理を用いましょう。
    x=-2を代入すると、
    (-2)9-12=-2a+b
    左辺と右辺を取り換えながら、式を整理すると、
    -2a+b=-512-12
    -2a+b=-524 ・・・①
    また、x=2を代入すると、
    29-12=2a+b
    2a+b=500 ・・・②
    ①+②
    2b=-24
     b=-12
    これを②に代入して、
    2a-12=500
        2a=512
         a=256
    よって、余りは、256x-12


    問題 x6 を(x-1)2 で割ったときの余りを求めよ。

    今まで通り、まずはg(x)を用いて式を表してみましょう。
    x6=(x-1)2g(x)+ax+b ・・・① とおく。
    剰余の定理を用います。
    x=1を代入して、
    1=a+b ・・・②
    さて、ここまでは順調なのですが、割る式が(x-1)2なので、剰余の定理で代入できる値はx=1しかありません。
    あれ?
    このまま、もう何も動かない?
    ( ;∀;)

    ここで「同じ値を2回代入するぞ方式(仮)」とでも呼ぶべきテクニックを使います。
    勿論、同じ式に同じ値を代入しても同じ結果しか得られません。
    だから、式自体に変化を与えます。
    まずは、②を変形します。
    a+b=1
    b=1-a
    この値を①に代入します。
    x6=(x-1)2g(x)+ax+1-a
    x6=(x-1)2g(x)+a(x-1)+1
    x6-1=(x-1)2g(x)+a(x-1)
    ・・・お?
    この式、両辺を x-1 で割ることができるのでは?
    そうすれば、式自体が変質し、もう一度同じ値を代入したときに違う結果が得られそうです。
    まず左辺を因数分解してみましょう。
    (x3+1)(x3-1)=(x-1)2g(x)+a(x-1)
    (x3+1)(x-1)(x2+x+1)=(x-1)2g(x)+a(x-1)
    やはり、両辺をx-1で割ることができます。
    やってみましょう。
    (x3+1)(x2+x+1)=(x-1)g(x)+a
    これにx=1を代入します。
    (1+1)(1+1+1)=a
    よって、a=2・3=6 です。
    これを②に代入して、
    b=1-6=-5
    よって、余りは、6x-5です。

    ほとんど手品のようなこの解き方。
    「ないわー」
    「そんなの絶対思いつかない」
    と、高校生には大不評です。
    こういうテクニックがあるということを、まずは覚えてください。
    文字を減らし、次数を変えれば、同じ値を代入しても結果は同じではないのです。

    とはいえ、実際の模試や入試問題でこの問題がポコッと出題されたときに、このテクニックを使えるかどうかは微妙です。

    x6を(x-1)2で割った余りを求める。
    実際に筆算で割っていけばいいんじゃないの?
    何にも発想できないときには、その解き方、私も賛成です。
    何もしないのが一番良くない。
    とにかく何かをしてみましょう。
    x6をx2-2x+1で筆算しても、結果は勿論、余りが6x-5と出てきます。

    さて、次回の大人のための数学教室のお知らせです。
    ◎日時  3月10日(土)10:00~11:30
    ◎内容  数Ⅱ「因数定理・高次方程式」を続けます。p.33例題7(2)の解説から。
    ◎場所  セギ英数教室
           三鷹市下連雀3-33-13
             三鷹第二ビル 305
           春の湯さんの斜め前のビルです。
    ◎用具   ノート・筆記用具
    ◎参加費 2,000円
           当日集めさせていただきます。
    ◎予約  私の携帯メールかラインに、ご予約をお願いいたします




      


  • Posted by セギ at 16:39Comments(0)大人のための講座

    2018年02月23日

    AIの有効性と読解力のない子どもたちの話。


    少し前に「リーディングスキルテスト」のことをこのブログでも話題にしました。
    そのときは、公表された問題から、能動態と受動態の区別のつかない子が目立つし、それは実感として私もわかるということを書いたのですが、このほど、そのテストの主催者からさらに詳しい情報が公開されました。

    寡聞にして知らなかったのですが、このリーディングスキルテストの責任者である新井紀子さんは数学者で、「東ロボくん」という東大入試を受験するAIプロジェクトの指導者だった人でした。
    「東ロボくん」は、東大合格を目指すと言われていましたが、プロジェクトの真の目的は、AIは東大には合格できないことを証明することだったそうです。
    AIには、そのような能力はない。
    数学者だからこそ、そのことは予見できていた、というのは説得力のある話です。

    AIは、徹頭徹尾、数学の塊。
    数学的な情報に変換できないものは、入力も出力もできません。
    AIが本質的に「ものごとの意味を理解する」ことはありません。
    だから、東大に合格することなどありえない。

    AIが特に苦手としている科目は英語だそうです。
    AIは、英文の意味を理解しません。
    「東ロボくん」には1500億の英文を入力したそうですが、それでも意味など理解しようがありません。
    その1500億のデータから、次にくる可能性の最も高い単語を特定していくだけで、意味を汲み取ってはいません。
    言い換えれば、AIは、自動翻訳機の役割を果たすことはできても、AI単独で国際会議に出席することはできない。
    英語で商談を成立させ、契約を取ることはできない。
    人間に求められる英語力がそのようなものである以上、AIが人間を凌ぐことはあり得ないのです。

    ところが、「東ロボくん」は、東大に合格することは無理ではあっても、年月を重ねるうちに偏差値が上がっていきました。
    ついには、MARCH・関関同立のうちのいくつかの入試で合格点を取るに至ったそうです。
    現役高校3年生の学力上位数%に達することは不可能。
    しかし、学力上位20%に入ることは可能となりました。
    これは極めて危険なことです。

    学力上位者は、AIにはできない仕事を今後も続け、収入も今よりさらに上がる可能性があります。
    一方、AIと似たような判断・行動の傾向を持つ人は、処理スピードや正確さではAIに勝てませんから、大学を卒業しても、AIの下で最低時給で働くことになりかねません。

    いますね・・・・、AIみたいな人。
    この場合の「AIみたいな人」は、褒め言葉ではなく悪口で、「AIみたいなおバカさん」ということなのですが。
    ものの考え方が一本調子というか。
    そうした人たちは、500万円にものぼる奨学金を借りて大学を卒業しても、その借金を返せる職にはつけないことになってしまいます。
    大学に進学することは、それだけのリスクを負うことになってしまう・・・・。

    この状況を危惧した新井紀子さんは、AIに学力で負けてしまう子の負け方に着目したそうです。
    なぜ彼らは入試問題で誤答するのか。
    なぜAIよりも正答率が低いのか。
    それを調べ、誤答のパターンが奇妙であることに気付きます。
    あれ?
    この子たち、問題文の意味が理解できていないのでは?
    そういう誤答をする子が多いことに気づいたそうです。
    それが「リーディングスキルテスト」プロジェクトのそもそもの始まりでした。

    リーディングスキルテスト。
    教科書に実際にある文を読解し、簡単な正誤問題や選択問題に答えるテストです。
    現在、4万人以上の試験データが集まっているとのこと。
    子どもだけでなく、大人でも、誤答する人は多いらしいです。
    例えば、こんな問題が公開されています。

    アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。

    この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

    セルロースは(  )と形が違う。

    ①デンプン ②アミラーゼ ③グルコース ④酵素

    この解答は、このページの一番最後に記します。


    こうした問題で誤読をする人は、目立つ単語を目で拾っているだけで、その単語と単語の結びつきや関係、それがどう機能しているかを読みとっていないのではないか?

    新井紀子さんのその解説に、私は「ああっ!」と思いました。
    私は英語や数学を教えていて、確かにそういうタイプの子に出会っています。
    前回のブログにも書きましたが、英語の長文を読むのに、知っているいくつかの単語だけで「妄想誤読」をしてしまう子。
    あるいは、英語教科書本文の和訳をする際、その前までの文脈と、次の英文の目立つ単語からストーリーを類推するのか、大意は一致しているものの、該当の英文の訳ではないものをスラスラと口にする子。
    そういう子は、物語の和訳は比較的得意なのですが、自然科学系の説明文になると類推できず、行き詰まります。
    算数・数学の文章題では、問題文中の数字を適当に組み合わせて、かけたり割ったりすれば答えが出ると漠然と期待しているような奇妙な式を立てる子。
    そもそも問題文を読まず、図やグラフだけ眺めて解いている子。
    私は、彼らは基本ものぐさで、問題文を精読する習慣がないのだと思っていましたし、確かにその傾向もあるのですが、もしかしたら、彼らの中には、単語を拾う以外の読解がそもそもできない子もいるのではないか?
    学校の国語の定期テストの得点の上下の変動が激しい子は怪しいです。
    本人は、
    「今回のテスト範囲の文章とは相性が悪かった」
    と言うのですが、実は、単語を拾っているだけなのではないか?
    だから当たり外れが大きいのではないか?


    リーディングスキルテストの結果によれば、こうした教科書の文章を読解できない子どもは、全体の半分近くにのぼるそうです。
    AIは、意味を理解しません。
    しかし、教科書の文章を読解できない子どもたちも、意味を理解できていない。
    それでは、AIに職を奪われ、AIの下で働くことになりかねません。

    偏差値では評価できない能力を持つ子には生きる道があります。
    いわゆる「人間力」でしょう。
    AIで代替できない能力を持つ子は、生きていけます。
    しかし、学力的弱者のまま、皆と同じように高校に入り、偏差値のあまり高くない大学に入り、AIと似たような思考パターン・行動傾向しか持てず、AIができないことはその子もできない状態で社会に出てしまう子の将来は暗い・・・。
    ともかく、教科書の文章は理解できなくては。
    新井紀子さんは、今後の自身の研究生活を、教科書の文章を読めない子たちの救済に捧げる覚悟とのことです。
    詳しくは、新井紀子著『AI vs 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)をご覧ください。


    個人的には、子どもに教える仕事はAIでは代替できないものだと思っているので、私は、AIに対する関心もこれまで低かったかもしれません。
    「AIによるラーニング・プログラム」といったパンフレットが塾に届いたりもするのですが、内容を読むと、まだまだ導入には時期尚早と感じます。
    「生徒の誤答を分析し、理解できていないところまでさかのぼります」
    とパンフレットには書いてありますが、数学の場合、生徒の誤答の原因の第一は計算ミスです。
    誤答する度に、小学校の「2桁のかけ算」や「分数の計算」、中1の「正負の数」に戻って、計算練習をするんでしょうか。
    計算ミスの原因が、計算の仕組みを理解できていないせいならばそれで良いでしょうが、人間の計算精度の低さというのは、そういうことだけが原因ではないのです。
    特に、女子生徒は、表情に出さなくても、数学の問題を解きながら全く関係ないことを考えていたりします。
    友達とごだごたもめていたり、出がけにお母さんと口論したり、彼氏とトラブっていたり。
    そういうことのいちいちで心の中に大波が立っているのに、無表情で数学の問題を解いています。
    計算なんか合うわけがないんです。( ;∀;)
    そして、そういうことを現時点のAIラーニング・プログラムが理解できるとは思えないんです。
    心の中に大波が立っている女子生徒に、
    「あなたは中1の正負の数の計算を復習しましょう」
    なんて指示を出してご覧なさい。
    泣き出すか、怒りだしますよ。
    怖い怖い怖い。( ; ゜Д゜)

    そういうときは、相談に乗れるようなら相談に乗るし、あるいは、あえて知らない顔で問題難度を調節しながら数学の授業をし、「今日は無理だなあ。そんな日もある。また次回」と判断する人間の講師のほうが有効だと思います。

    また、数学は、基本は理解しているが応用問題は全く解けない子が多く存在します。
    基本問題ならば解けます。
    しかし、基本と基本を組み合わせることはできない。
    それに対し、現時点のAIに、どの程度の対応力があるのでしょう。
    基本は理解しているが応用問題が解けない子どもは、どこに遡って学習をするのでしょう?
    AIの言う通りにしていたら、わかりきっている基本問題しか練習できずに勉強が終わってしまう可能性がありそうなのです。
    AIによるラーニングプログラムには無限の可能性があるとは思うものの、現時点ではまだ人間の講師の判断のほうが重要で、それなら今と変わらないのです。
    過去50年の全ての入試問題が入力され、分析されて、類題学習がいくらでもできるようなプログラムが開発されたら、それはもう私自身が一番ウキウキして導入すると思いますが。

    新しい教育機器の活用ということで言えば、私は国立大学教育学部の附属中学に通っていましたから、実験的な教育として、当時の最先端のLL教室での英語の授業を週1回受けていました。
    ヘッドホンから英語のリスニング問題が流れ、正答と思う手元のボタンを押します。
    生徒の解答はブースにいる英語の先生のもとに集約されます。
    正答率や解答分布などが瞬時に分析できるシステムだったのだと思います。
    そういう英語学習を目新しく格好いいと、当時の私が思わなかったわけではありません。
    だから当時の授業を今も記憶しているのでしょう。

    しかし、それで私は英語が好きになったのか?
    そのLL授業の成果で私は英語が得意になったのか?
    それは違うと思います。
    どんなに形が目新しくても、ヘッドホンから流れてくるのは、心弾む曲でもなければ、好きなラジオパーソナリティーの軽妙なおしゃべりでもないのです。
    どこまでいっても面白くなりようがない内容の会話や1人語りが英語でされているだけでした。
    トムやメアリーがショッピングモールで何を買ったかレベルの話に延々とつきあわされるんです。
    面白いわけがないです。
    それが英語で語られ、英語を聴き取るということそのものが楽しみでない限り、LL教室なんかちっとも楽しくなかったのです。

    さらに言えば、LL教室ではない、普段の英語の授業のほうが、その先生は素晴らしかったのです。
    フリップを高く掲げ、英文の転換練習を繰り返す授業でした。
    主語を変え、目的語を変え、動詞を変え。
    肯定文を疑問文にし、否定文にし。
    そうした転換練習を繰り返します。
    どの生徒も1時間の授業で2~3回は指名され、答えていました。
    その授業スピード。
    全ての生徒に指名していく目配り。
    あの授業は職人技でした。

    定期テストの範囲だったので毎日聴いていたNHKラジオ講座「基礎英語」も、私には面白かったです。
    nameという単語が初めて出てきたとき、ラジオ講座の先生は「私は中学生で初めてこの単語を見たとき、ナメーと読んで、英語と日本語は似ているなあと嬉しくなりました」と真面目な声で話していたのを今も覚えています。
    この先生、何を言っているの?
    ラジオをまじまじと見つめてしまい、以後ずっと、真面目な声でときどき変なことを言う講師のファンでした。

    これも結局は人間力で、ガジェットの魅力よりもコンテンツだったなあと思うのです。
    今、AIプログラムを導入すれば、端末を使うのがとりあえず楽しい子どもたちの学習意欲は一時的に上昇するでしょう。
    しかし、それはどの程度持続するものなのか?
    そもそも、我々大人がウキウキするほど、彼らは端末にウキウキしてくれるのでしょうか?
    AIに興味津々なのは、自分が子どもの頃にそんなものが存在しなかった大人たちであって、子どもは案外冷静な反応を示すかもしれません。
    結局、何で学ぶかではなく、何を学ぶかだと思うのです。

    さて、最後にリーディングスキルテストの解答を。
    正解は、①デンプン です。
    正解されましたか?ヽ(^。^)ノ
      


  • Posted by セギ at 13:01Comments(0)講師日記